『江戸読本の研究』第三章 江戸読本の世界

第三節 戯作者たちの<蝦蟇>−江戸読本の方法−
高 木  元

  一 はじめに

 文政四年刊の江戸読本に『道成寺鐘魔記』という作品がある。作者は縫山こと小枝繁、画工は盈斎北岱。

蛙(かはづ)の生(しやう)を更(かへ)て。前世(ぜんせ)の仇(あた)を報(むく)ゆるは。過去(くわこ)生(しやう)の報応(ほうおう)を示(しめ)す談(だん)なり。此(これ)に均(ひとし)き物語(ものかたり)尚多(なをおほ)かり。

と書き始められるこの小説は、跋文で粉本として仏教長編説話『道成寺霊蹤記』を挙げるごとく道成寺説話の一変奏なのであるが、その構想上の仕掛けは結末で明らかにされる。

其時荘司の云けるは。昔某貧かりし時。道成寺に詣し還るさ。蛇の蛙を呑けるを。里の童子のこれを捉へ。蛙を吐して蛇を。殺んとするを見て。我これを援しが。其後不図妻を得て。これに一女子生す。其時妻化して大蛇となり。何方ともなく去りき。これ前に援ひし蛇の。恩を報んと女に化し。妻となり子を生よし。正しき夢の告ありし。其生る女児は清姫也。母の性を禀て妬ふかく。遂に蛇身となる事。浅猿き事ならずや。と涙とゝもに語しかば。松月尼うち驚き。さては爾候ひけるよ。昔我夫熊野に詣。其帰る道にして。足下の蛇援け給ふ。時にこそはべらめ。今の噺に露差ぬ。蛙を助け放ちしが。其後奴家が夢中に。斑の衣着し童子の。懐の裡に入ると見て。遂に安丸を産たり。これ彼思へば安丸が。前生は其時の蛙にてぞありつらめ。と袂をしぼり聞こゆれば。荘司奇異の思ひをし。さては其時旅人の 傍 に 彳 しは。藤太どのにてありけるよ。あな不思議なる因縁かな。蛙は生をかえて。おんみの子安丸と生れ。蛇は生を易ざれど。其時の念を子に傳へ。清姫をして安珍を。鬼殺したるにてあらん。其母の大蛇の住といふ。日高川にて清姫が。大蛇となるも奇也。斯悪因縁あるものを。子に持し我々は。是亦何の因果ぞや。思へば未来ぞ恐しけれと。遂に道成寺の弟子となり。菩提の道に入にけり。(巻五結末)


      荘 司
 蛇………… |−−−清姫
      大 蛇

      藤 太
 蛙………… |−−−安丸(安珍)
      松月尼

 安珍清姫の前生を、天敵である<蛙>と<蛇>として設定することによって、小説の枠組に「因果」という合理性を与えているのである。清姫(すむひめ)が<蛇性>を背負っている点は、道成寺説話を繞る伝承的な想像力から考えて自然なことである。清姫の<蛇性>は、清姫(すむひめ)が「妬み深い」ということと何の説明もなしに連続性を獲得し得る地平に形象化されたものである。ところが安珍に<蛙性>が付与されなければならない必然性を、伝承的背景に求めることはできない。安珍の方は、父藤太が熊野権現へ子を授けて欲しいと祈ると「虫類の生を変て人界に生れ出づるを」子とするだろうとの夢告を受け、やがて「斑の衣着し童子」が妻の夢に現われ「御身の胎内を借りぬと胸の辺を掻き分くる」と、「常ならぬ身」になって出生するのである。当然、申し子として異常出生した安珍には聖痕としての美貌と才が備わっている。
 つまり、多くの伝承世界を負った清姫と対偶するに足る位置を安珍に占めさせるためには、かかる煩雑な操作の必要があったのである。換言すれば、道成寺説話を因果論的に解釈することによって、伝承世界を合理化して趣向としているのである。それを不自然と感じないのは、自然の秩序として誰でも了解可能な<蛙は蛇に喰われるもの>という常識に依拠しているからで、この一種の自明性(世界の枠組自体に備わる先見性)を保持していることによって、初めて作品が閉じた時空の秩序を獲得できたのである。
 『道成寺鐘魔記』において、<蛙>は構成上の要求として設定されたもので、伝承世界を背後に抱えた<蛇>とは、指標としての意味において決定的な相違があると見なければならないのである。そして、蛇=女に対して蛙=男であったことも記憶に留めておきたい。

  二 蛙と蝦蟇の伝承

 だが、蛙の方にも説話的伝承的背景がまったくないわけではなかった。蛙はグロテスクではあるが人間にとって身近な存在であり、田の神の祭祀と結び付き、その<使令>と信じられていた。また昔話にも「蛙聟入」「蛙女房」「蛙報恩」などの異類婚姻譚や、「蛙と蛇」が天敵となった由来譚などがある。また蛙にまつわる奇談も大変に多く、『前々太平記』には禁庭に出現した大蛙が大蛇と戦い、逆に蛇を呑み込んだという話が出ているし、『百練抄』『近世拾遺物語』『和漢三才図会』などにも類似した話が記録されている。また、群れをなして争ってする交尾が人の眼には軍に映ったものといわれている、いわゆる<蛙合戦>に関する記事も『続日本紀』以来、『古今著聞集』『扶桑怪談』などと数多く、『嬉遊笑覧』などの近世考証随筆に恰好の題材を提供している。一方、『北越奇談』などには「蛙石」の由来をはじめとする地方における蝦蟇の奇談が多く集められており、また「かへる」と「かはづ」、「蛙」と「蝦蟇」という訓みや用字に関心を示した近世の考証随筆も少なくない。
 ところが、中国人の想像力は一枚上手で「蝦蟇仙人」なるものを生み出していた。これは文字通り蝦蟇を使う仙人のことで、三国時代の呉の葛玄、および五代後梁の劉海蟾をもとに脚色したといわれている。『桂林漫録』によれば、海蟾は山中にて仙術を得、蓬髪洗足姿で三足の疋蛙を弄んだという。なお画題として用いられる場合には、劉海蟾、呂洞賓、李鉄拐を一緒に描くことになっているともいう。
 この蝦蟇仙人を取り入れた日本文芸としては、島原の乱を脚色した作品で近松の浄瑠璃『傾城島原蛙合戦』(享保四年)が早い。さらに遡れば古浄瑠璃『天草物語』(寛文六年)などにも見られるが、ここでは蝦蟇仙人を扱った文芸の一例として、『傾城島原蛙合戦』の中で脚色された<七草四郎>の妖術に関連する部分だけ抄出してみることにする▼1

陰陽家には仙宮の蛙、息を吐いて虹と成ると沙汰せり。蛙は即ち蝦蟇仙人が仙術、不思議自在の奇特を顕はし衆生を迷はす。道に似て道にあらず。儒には是等を異端と嫌ひ、仏家には邪宗と破す。(第一)
木の葉を着たる荒法師、雲に乗じ口より虹を吹く絵像……音に聞きたり唐土に、形を吹き出す鐵拐仙、虹を愛せし蝦蟇仙人の法を伝えて末の世に、目を驚かす計りなり。(第二)
蝦蟇合戦(蛙軍)……唐土にては漢の武帝元鼎五年、蛙闘つて北狄起り、本朝にては推古の御代、蛙闘つて蝦夷の一族謀反せり。何れも不吉の例、頭に角のある大の蝦蟇(第三)
四郎が術は鬼神も同然、酒呑童子以来の朝敵、……江ノ島弁財天の注連縄……金色の光矢を射る如く、黄色の蛇顕はれ出て、頭を抬げ紅の舌をちら/\差し向へば、俄に四郎「うん」と許り、眼くらみ腕も痺れ、二人を突き退け踏反り返り、苦しむ息の中よりも、蛙の姿飛び出づれば、二人の女も動転し、物陰に立忍べば、蛙は声を雲に鳴き、大地に形を掘り入らんと、恐れて逃ぐるを追ひ回す。蛇は宇賀の御魂、四郎が邪法は蛙の術、虹を吹き掛け身を包めど、手術も忽ち蛇の悪気に吹き消し吹き払はれ、互に喰はん喰はれじと、追つつ追はれつ狂ひしは、目も当てられぬ風情なり。神明守護の一口に、蛙をぐつと呑むよと見えし、蛇の姿ひき替へて弁財天の御注連縄、虚空に翻めき失せ給ふ(第四)

 最後の場面は、馬琴の未完長編読本『近世説美少年録』の冒頭に見られる大蛇と鳥たちの闘争を描く一大スペクタクルほどではないにしても、かなりの迫力である。蛙の吐く息が虹(幻影)となること、凶徴としての蛙合戦や奇形蛙の出現、蛙と蛇の抗争など、ほとんど蛙づくしといってもよいほどの<蛙>にまつわる趣向の集大成となっている。ここで面白いと思われる点は、「義経の郎党常陸坊海存」と「泰衡の弟四郎高衡(七草四郎)」とが<蛇=正>と<蛙=邪>という対立項として設定されている点である。そしてこの<正←→邪>という相対的な意味付けを合理化し得る背景には、弁財天(の注連縄)と<蛇>とが直接に結び付くという仏教的な心証(信仰)を介して、伝承的想像力の基盤の存在がある。いずれにしても、中国の蝦蟇仙人は日本で文芸化された途端に、得体の知れない妖術使いの謀反人として形象化されてしまったのである。

  三 天竺徳兵衛

 さて、この蝦蟇の妖術が悪の属性となっていくという傾向は、そのまま<天竺徳兵衛もの>に脈絡していく。演劇方面での<天徳もの>としては、並木正三等の歌舞伎『天竺徳兵衛聞書往来』(宝暦七年)が早い。また、この影響下に書かれた近松半二・竹本三郎兵衛の合作浄瑠璃『天竺徳兵衛郷鏡』(宝暦十三年)は、半二が立作者として初めて執筆した記念すべき作でもあり、小池章太郎氏は「後続の天竺徳兵衛物の構想の基盤が定まり、現行歌舞伎の『音菊天竺徳兵衛』にいたる所作に、多大な影響を及ぼしている」▼2とする。さらに歌舞伎『天竺徳兵衛故郷取楫』(明和五年)を経て、鶴屋南北の『天竺徳兵衛韓噺』(文化元年)、『彩入御伽草』(文化五年)、『阿国御前化粧鏡』(文化六年)と南北一流の綯い交ぜ狂言を生み、明治二十四年の『音菊天竺徳兵衛』以来現在に至るまで、<天徳>は七十回を越す上演が行なわれてきたのである▼3。これらの作品についてここで比較検討をする余裕はないので、くわしくは『歌舞伎細見』▼4や、『鶴屋南北全集』第一巻解題▼5、小池正胤「いわゆる「天竺徳兵衛」ものについてのノート」▼6などについていただきたい。ただ注意すべきは、天竺徳兵衛の妖術が巳年巳月巳日巳刻に生まれた<女>の生血によって破られるという趣向で、やはり蛇との対立抗争に蝦蟇の妖術が破られるという構想を持つのである。そして対置された蛇性は、やはり<女>の属性なのであった。
 一方、蝦蟇の妖術が<天竺>帰りの<徳兵衛>と結び付いた事由については、すでに松田修「歌舞伎、聖なる逆説−コード「天竺」の意味するもの−」▼7や、廣末保「蝦蟇と妖術と反逆と船頭」▼8などに卓越した示唆的言及がある。
 これらグロテスクな蝦蟇をめぐる伝奇的世界は、歌舞伎だけではなく草双紙や読本の本領とするところでもあった。京伝の合巻『敵討天竺徳兵衛』(文化五年、豊国画、伊賀屋板)は純友の末流である天竺徳兵衛が肉芝道人から授かった蝦蟇の妖術を駆使して御家再興と足利家滅亡の陰謀を企てるが、妖術封じの蛇によって失敗するという筋立になっている。これに別趣向を加えて書き換えた切附本に『報讐海士漁舟』(岳亭梁左作、芳春画、安政期)がある。
 また<徳兵衛>という名から連想して曾根崎心中に付会した合巻に、京伝の『天竺徳兵衛\お初徳兵衛・ヘマムシ入道昔話』(文化十年、国直画、泉市板)がある。同じく京伝の『尾上岩藤\小紫権八\天竺徳兵衛・草履打所縁色揚』(文化十二年、美丸画、岩戸屋板)は、世界を鏡山に求めて小紫権八譚と綯い交ぜにしたものである。『天竺徳兵衛』(出子散人作、國久画、文久元年山亭秋信序)、序題は「天竺徳兵衛蟇夜話」とあり、柱刻は「がま」、表紙を換えた後印本だと思われる(鈴木俊幸氏蔵)。これらの草双紙は、南北の芝居などによって定着した天竺徳兵衛像を利用して、ほかの趣向と取り混ぜて構想されたのである▼9
 また<正本写>と呼ばれる上演された歌舞伎の筋書き合巻がある▼10。天保三年八月に河原崎座で上演された『天竺徳兵衛韓噺』を、配役通りの役者似顔を用いて紙上に再現した『天竺徳兵衛韓噺』(天保四年、夷福亭主人作、国芳画)もまた<正本写>である。「狂言堂如皐原稿・柳水亭種清綴合、梅蝶楼国貞画図・国綱補助」という『入艤倭取楫』全三編各二冊(安政四年、紅英堂板)は、同年春の森田座上演『入船曾我倭取舵』を綴ったもので、「市川市蔵が大坂から下つて来た、お目見得の天竺徳兵衛で、例の薩摩武士が舞台へ切り込んだといふ、有名な芝居である。馬琴の『頼豪阿闍梨恠鼠傳』が搦めてあつて、ひどく複雑なだけに、芝居では完結してゐないのを、草双紙では手際よく終りを纏めてある」▼11というもの。
 読本の方で管見に入ったのは為永春水の『天竺徳瓶仙蛙奇録』全三編(嘉永四〜安政五年<序>、柳川重信画、河内屋茂兵衛板。初印本未見)くらいのもので、天竺徳兵衛を扱った作品はあまり多くはないようだ。
 これらの作品を通じて、天竺徳兵衛という蝦蟇の妖術使いが反逆者として形象化されていく背景に、天草四郎の幻影が垣間見える。「はらいそ〓〓」などという奇妙な呪文に象徴される了解不能の異文化に触れた超能力者=反逆者という共通点だけでなく、グロテスクな蝦蟇を使役するのは美少年がふさわしかったはずだからである。と同時に、島原の乱は、御家騒動のスケールを拡大させる趣向としても恰好であったとも思われる。

  四 天徳の影響

 南北の<天徳>は後続作に大きな影響を与えている。たとえば、京伝の読本『桜姫全伝曙草紙』(文化二年十二月、豊国画)の登場人物の一人に蝦蟇丸という蝦蟇使いの悪者がおり、「元来海賊(木冠者利元)の子」(巻三第十二)として設定されている。そして「空中より一つの小蛇あらはれ出で、がま丸に飛びつき、右の腕にまとひつきけるが、忽ち腕しびれて打つことあたはず。しばし惘然として心たゆみ……忽ち倒れて死してけり」(巻五第十七)という具合に、やはり蛇に破れるのである。京伝は<天徳>が気に入っていたと見え、随分と多くの作品で趣向化している。この『曙草紙』でも、蝦蟇丸が鷲尾義治の首級を口にくわえて水門より逃走する場面の挿絵などには、南北の舞台(吉岡宗観邸裏手水門の場)を彷彿とさせるものがある。
 さらに従来は『離魂記』を引いて、双面として説明されてきた結末における二人桜姫(一体二形)の趣向も、『天竺徳兵衛郷鏡』四段目で徳兵衛の妖術によって折枝姫の姿が二つになる趣向と関係がありはしないか▼12。『曙草紙』の主筋の展開ではなく、細かい趣向に<天徳>の影が見られるのである。
 一方、京伝の読本『善知安方忠義傳』(文化三年十二月、豊国画)では、『元亨釈書』第十八「尼女」や『前太平記』巻十八「如蔵尼〓平良門之事」、巻十九「平良門蜂起付事多田攻之事」を利用し、いわゆる滝夜刃姫伝説を作り出している。題名ともなり、本来は主筋であるはずの善知鳥の伝承を用いた筋はさて措いて、実質的な主人公ともいうべき将門の子である良門(幼名平太郎)に注目したい。一連の蝦蟇のモチーフは次のように組み立てられる。筑波山に登って「肉芝仙(蝦蟇仙人)」に出会った良門は、そこで自分が将門の嫡子であることを知らされ、蝦蟇の妖術を授かる。忽ち父の仇を討ち天下を略奪せんという企てを立て、姉である如月尼も蝦蟇の妖術で同調させてしまう。如月尼は滝夜刃姫と名乗って相馬内裏に君臨し、良門は同士を募るために旅に出て、仮に賊主となり妖術を駆使する。という具合である。残念ながら『善知安方忠義傳』は未完で中断したが、松亭金水が嘉永二年に二編、万延元年に三編を書き継いでいる。
 『前太平記』の世界から良門の一代記を組み立てた先行作としては、すでに十返舎一九の中本型読本『相馬太郎武勇籏上』(文化二年)があるが、蝦蟇の妖術は使われていない。鈴木敏也氏が本作など京伝読本の位置について「近世浪漫派小説の展開に当たって、建部綾足から滝沢馬琴に至る中間に残した足迹はかなりに大きかった」▼13と述べるように、蝦蟇の妖術を『前太平記』の世界(伊賀寿太郎の活躍や頼光伝説の反映も見られる)に付会した趣向は、京伝読本の中にあってはスケールが大きく面白い。当然、後塵を拝した作品は多く、文化五年三月大坂で浄瑠璃『玉黒髪七人化粧』に仕組まれ、天保七年七月には江戸市村座で『世善知鳥相馬舊殿』が上演されている。
 合巻の方では、馬琴の『相馬内裡後雛棚』(春亭画、泉市板、文化八年刊)や、京伝自身が『親敵うとふ之俤』(豊国画、鶴喜板、文化七年)を書いており、さらに京山が合巻化した『外ヶ濱古 跡うとふ物語』全六編(芳虎画、錦森堂板、嘉永四〜文久元年)もある。一方、鈍亭魯文の中本型読本『平良門蝦蟇物語』(芳幾画、万延元年刊)は、その前半部を『善知安方忠義傳』から丸取りしている。

  五 阿古義物語

 式亭三馬にも蝦蟇の妖術を趣向化した読本がある。文化七年刊の『流轉數廻阿古義物語』(前編四巻五冊、豊国・国貞画)である。とくにまとまった挿話を形成しているのは巻之三第八齣「天城に登りて術を練る」から巻之四「耶魔姫の怪異」までで、およそ次のような筋である。

強盗白波雲平は天城山に登り、出会った少女に一軒の家に案内された。その家の主は泰衡の娘で耶魔姫という美女であった。雲平はこの美女と契りを結ぶ。やがて耶魔姫が蝦蟇の妖術に長けていることを知った雲平は、その仙術の伝授を強く乞う。すると耶魔姫はどんなことでも耐えていいなりになれと要求する。これを承諾すると、
……妾がするにまかせて。克く忍び給へよとて。別間に誘ひけるが。まず雲平を裸体にして。高手に縛め。廊下の天井に強く釣り上げ。走馬燈のごとくくる/\と回しつゝ。藤蔓巻たる堅木の棒にて力にまかせて撃つ程に。雲平痛堪がたく。あまりの苦しさに。ゆるし給へと叫びければ。耶魔姫莞尓と打咲て。然らば術をば授けがたしとあるに。雲平やむことを得ず堪居れば。撃つ事五十杖に及び。皮裂て肉をあらはし。眼眩きて悶絶せり。其時丹薬をあたへてひとたび甦しめ。再び擲つ事五十杖に到れば。素のごとく息絶たり。斯する事三百杖にして。雲平泥のごとくになり。さらに人事を弁へず。再び丹薬をあたへければ。雲平甦りて素のごとし。(巻之三)

蝦蟇仙人の法を得るためには、この仙丹に千載経りし蝦蟇の脂と、嫉妬に狂う女の怒気溢れる生血とを加えて服せばよいと教える。折しも嫉妬に狂った雲平の妻沖津が耶魔姫の妖術によって導かれてくる。そこで、雲平は沖津を惨殺し、その鮮血と蝦蟇の脂を仙薬に加えて飲み干す。その時、傍らの蝦蟇の死骸にも鮮血がかかったので、沖津の執念が蝦蟇に還着してしまい、その後執拗に雲平に祟ることになるのである。(巻之三)
雲平は仙術を習得したが、どうしても耶魔姫には及ばない。そこで耶魔姫を殺そうとするが、悟られ逆に取り囲まれてしまう。すると耶魔姫は、実は天竺摩迦陀国柯葉林に穴居する玉芝道人であることを告げる。いまから下総に帰り賊主となって、蝦蟇の妖術を伝え人々を魔道へ導けと命じ、その身は一条の虹となって虚空遥かに飛び去った。すると、いままで宮殿だと思っていたのは廃屋であり、大勢の侍女と見えたのも朽ちた木像や古仏の類であった。(巻之四第九)

 この<天井に吊された赤裸の男を鞭打つ美女>の到錯した頽廃性は、三馬の病んだ精神の反映ではない。なぜなら江戸読本に繰り返し描かれてきた<縛られた赤裸の女を鞭打つ場面>▼14を逆転させたにものに過ぎないからである。
 三馬は数多くの先行作の趣向をいく重にも重ねることによってのみ、絢爛たる<江戸読本>的な世界を創り出すことに腐心していた▼15。つまり売れることを目指し、読本にかかる趣向を要求した読者に迎合した三馬のサーヴィス精神が、いかんなく発揮された作品なのである。文化期における伝奇小説(読本と合巻)の流行については、有名な文化五年の通達「合巻作風心得之事」を挙げるまでもなく、剛悪残虐怪奇趣味なのであった。とにかく三馬にしてみれば初めての(結果的には唯一の)読本でもあり、見返しに用いた銅版風細密画の意匠(初板本のみに存)などを含めて、精一杯の趣向を凝らしたつもりなのであろう。ここでは触れる余裕がなかったが、本書の別名にもなっている「大磯十人切り」や、狐の璧をめぐる怪異、嫉妬した女の執念が小蛇と男に憑くいわゆる蛇道心譚、蜂の報恩譚等々、およそ思い付く限りの<江戸読本>らしい趣向を盛りだくさん詰め込むことによって、この作品ができ上がっているのである。そして、<江戸読本>であるための様式的体裁として、こけおどしの引用書目一覧を挙げることも忘れなかった。ところが「此よみ本はづれ」(『式亭雑記』)だったらしく、各巻末に丁寧に後編の筋立てを予告して記しながらも後編は書か(書け)なかったのである▼16
 馬琴は他見を憚って秘かに記した『阿古義物語』に対する難評『驫鞭』で▼17

邪魔姫が引裂捨たる蝦蟇の殻へ沖津か寃魂入りて後々雲平を悩し蝦蟇瘡を疾するといふよしも前後とゝのはぬ物かたり也。いかにとなれは邪魔姫は蝦蟇によりて幻術を行ふもの也。雲平彼レに従ひて又蝦蟇の妖術を得たらんには蝦蟇は則邪魔姫にして雲平が惡を助くるものも又蝦蟇也。しからは耶魔姫が血をとりたる蝦蟇の死骸へ沖津が魂魄還着すべうもあらず。天竺徳兵衛といふ歌舞伎狂言にも蛇をもて蝦蟇の妖術を折くよし也。

と、構想の不整合性に言及している。三馬の構成力が弱いといわれるのは、このような部分で、読者との共通基盤である伝承的論理から離れてしまうからなのである。ここまでに見てきたほかの作品における蝦蟇のモチーフからも外れた趣向になっている。
 さて要約を示した部分の典拠として、明和七年刊の『席上奇観垣根草』一之巻「伊藤帯刀中将重衡の姫と冥婚の事」、および四之巻「薮夢庵鍼斫の妙遂に道を得たる事」が指摘されている。それも「絵入文庫本で約七頁余りがそつくり垣根草の原文のままであるといふ、ひどい剽窃」▼18なのである。ほかにも浄瑠璃『田村麿鈴鹿合戦』などが挙げられている▼19が、南北の『阿国御前化粧鏡』の指摘は見かけない。一瞬のうちに廃屋になる箇所の挿絵、「耶魔姫妖術火速扮二枚続」(巻之四)は、南北の舞台を視覚的に趣向化したものであろう。
 しかし、たとえこの『阿古義物語』が売れなかった作品であろうと、馬琴が八ツ当り的に三馬の学問のなさを攻撃しようと、辻褄の合わない部分があろうと、とにかくきわめて<江戸読本らしい>と三馬が判断した、ありとあらゆる趣向が詰め込んであるという意味で、大層面白い作品なのである。同時にこれらの欠点は、あまりにも多くの先行作を取り込もうとした構想自体に無理があったのであるが、どちらかといえば、その方法は草双紙の行き方であった。また、伝承の約束に無頓着な蝦蟇の妖術の取り入れ方にしても、結果的には江戸読本らしからぬ一編にしてしまったのである。なお春水の手になる後編は(国安の挿絵はちょっといただけないが)予告通り比較的巧くまとめられ、一応完結に至っている。

  六 自来也物の展開

 蝦蟇の妖術をモチーフとする作品の白眉は、何といっても<自来也>である。
 以下、管見に入った<自来也もの>を、便宜上ABC……と記号を付し、[ ]内にジャンルの略称を、[読]読本、[歌]歌舞伎、[浄]浄瑠璃、[合]合巻、[切]切附本、[端]端歌、[講]講談のごとく示して年代順に列挙した。ただし、原則として同題の芝居の再演は一切省き、明治以降はとくに目についた作品だけを挙げた▼20

A[読]報仇竒談自來也説話(鬼武作、高喜斎校、北馬画、中村藤六板、文化三年)
B[読]報仇竒談自來也説話後編(鬼武作、北馬画、吉文字屋市左衞門板、文化四年)
C[歌]柵自来也談(大坂角芝居、近松徳三・奈賀篤助・市岡和七作、文化四年九月)
D[浄]自来也物語(大坂角芝居、並木春三・芳井平八作、文化六年八月十四日〜)
E[歌]柵自来也物語(江戸森田座、文化七年四月)
F[合]聞説女自来也(東里山人作、勝川春扇画、文政三年)
G[合]児雷也豪傑譚(美図垣笑顔他作、国貞他画、甘泉堂板、天保十〜慶応四年)
H[歌]児雷也豪傑譚話(河原崎座、黙阿弥作、嘉永五年七月)
I[合]児雷也豪傑譚(美図垣笑顔他作、国貞他画、甘泉堂板、嘉永六年全面改刻)
J[歌]児雷也(大坂中芝居、安政元年八月)
K[切]緑林自来也実録(鈴亭谷峨作、芳盛画、吉田屋文三郎板、嘉永七年八月序)
L[歌]児雷也後編譚話(河原崎座、黙阿弥作、安政二年五月)
M[歌]報讐自来也説話(中村座、安政二年九月)
N[合]自来也物語(柳水亭種清作、国貞・国郷画、甘泉堂板、安政三改印・四年)
O[端]はうた一夕話(歌沢能六斎<二世谷峨>編、安政四年)
P[歌]けいせい児雷也譚話(大坂角芝居、八十助・当七・金史朗、元治元年一月)
Q[歌]三国一山曾我鏡(守田座、明治四年正月)
R[合]児雷也豪傑物語(竜亭是正作、桜斎房種画、岡田板、明治十七年)
S[講]兒雷也(神田伯治講演、吉田欽一速記、由盛閣板、明治二十九年)
T[講]妖術兒雷也物語(史談文庫34、蒼川生著、岡本偉業館、大正三年)

 さてABの『自來也説話』は「自来也」の名が出る最初の作品である。鬼武の作品の中では一番有名であるが、「二流作家の構成散漫文章稚拙の作品」▼20という評価のせいか、まとまった作品論は備わっていない。逸早く、宋の『諧史』に見える「我来也」という中国典拠を指摘したのは、柳下亭種員である▼21。小川陽一『三言二拍本事論考集成』▼22によれば、譚正璧氏が『説郛』巻第二十三、『西湖遊覧志余』巻二十五に所収していることを指摘しているという。また馬琴は、文化八年刊の随筆『燕石雑記』巻五上之九「我来也」で『類書纂要』巻廿一を節録し、「引くところの書名を挙げず。これ明人の癖なり」と記している。また大正十一年に岡本綺堂が「喜劇自来也」(一幕、大正十三年初演)で、原話『諧史』の持つ笑話的な趣向を巧妙に脚色しているし、随筆「自来也の話」▼23では洒脱な翻訳を試みている。
 いまだ指摘されていないと思うが、関連作として『二刻拍案驚奇』三十九「神偸寄興一枝梅侠盗慣行三昧戯」を挙げたい。巻頭の詞に、

劇賊從來有賊智 大盗賊は昔から賊智に長けているもので
其間妙巧亦無究 その悪知恵はすぐれて巧妙なものである
若能収作公家用 もし盗賊を集めて御国の為に働かせたら
何必疆場不立功 きっと戦場で功名を挙げるにちがいない(高木訳)

とあり、この巻全体の主題が提示されている。入話(枕)では「我来也」の話が「孟嘗君が三千人の食客を養っていた話」(『史記』巻七十五列伝第十五)と並べられ、本話でも本朝の鼠小僧のような義賊が役人の不正を惨々に懲らすという展開になっている。残念ながら大庭脩『江戸時代における唐船持渡書の研究』▼24に『二刻拍案驚奇』が発見できないし、江戸期における輸入が確認できないので、これが直接『自來也説話』に影響を与えているとは断言できない。しかし単なる笑話としての巷説である『諧史』よりは、小説的な結構を持っている点で「自来也」に近いようだ。「『諧史』によるところは人名と脱獄の智計の箇所程度」▼25なので、義賊小説としての構想上の典拠として考慮の余地があろう。どう考えても「自来也」を、鬼武の創作した虚構とは考え難いからである▼26

  七 児雷也豪傑譚

 G『児雷也豪傑譚』は、全四十三編(天保十〜慶応四年)に及ぶ長編続き物合巻中の雄編だが、それでも未完のままで終っている。出板事情が大変に複雑なので、次に一覧表にして整理してみた。続帝国文庫『児雷也豪傑譚』(博文館、一八九八年、明治三十一年)は、四十一編までの翻刻であるが、実際は四十三編まで出ている。なお板元は、すべて芝神明前の甘泉堂和泉屋市兵衛である。よって表には記さなかった▼27

    編  刊  年  作  者  画 工  備  考
   初編 天保十年  美図垣笑顔 国貞   嘉永六年全部改刻再板
   二編 天保十二年 美図垣笑顔 国貞   嘉永六年全部改刻再板
   三編 天保十二年 美図垣笑顔 国貞
   四編 天保十三年 美図垣笑顔 国貞
   五編 天保十四年 美図垣笑顔 三世豊国 弘化三年に改題改修「緑林豪傑譚」似顔無
   六編 弘化三年  美図垣笑顔 三世豊国 「緑林豪傑譚」似顔無
   七編 弘化四年  美図垣笑顔 三世豊国 一筆庵溪斎英泉序
   八編 弘化五年  美図垣笑顔 三世豊国 一筆庵主人作
   九編 弘化五年  美図垣笑顔 三世豊国 一筆庵主人作
   十編 嘉永二年  美図垣笑顔 三世豊国 一筆庵主人作
  十一編 嘉永二年  美図垣笑顔 三世豊国 一筆庵主人作
  十二編 嘉永三年  柳下亭種員 三世豊国
  十三編 嘉永三年  柳下亭種員 三世豊国
  十四編 嘉永三年  柳下亭種員 三世豊国
  十五編 嘉永四年  柳下亭種員 三世豊国
  十六編 嘉永四年  柳下亭種員 国輝
  十七編 嘉永四年  柳下亭種員 国輝
  十八編 嘉永五年  柳下亭種員 国輝
  十九編 嘉永五年  柳下亭種員 国輝
 二 十 編 嘉永五年  柳下亭種員 国輝
 二十一編 嘉永六年  柳下亭種員 国輝
 二十二編 嘉永六年  柳下亭種員 国輝
 二十三編 嘉永六年  柳下亭種員 国輝
 二十四編 嘉永七年  柳下亭種員 国輝
 二十五編 嘉永七年  柳下亭種員 国輝
 二十六編 安政二年  柳下亭種員 国輝
 二十七編 安政二年  柳下亭種員 国光   国輝改め国光
 二十八編 安政二年  柳下亭種員 国光   国輝改め国光
 二十九編 安政三年  柳下亭種員 国盛
 三 十 編 安政四年  柳下亭種員 国盛
 三十一編 安政四年  柳下亭種員 国盛
 三十二編 安政五年  柳下亭種員 二世国貞
 三十三編 安政五年  柳下亭種員 二世国貞
 三十四編 安政六年  柳下亭種員 二世国貞
 三十五編 安政六年  柳下亭種員 二世国貞
 三十六編 安政六年  柳下亭種員 国芳
 三十七編 安政七年  種員遺稿  芳房   柳水亭種清補
 三十八編 万延二年  種員遺稿  国芳   柳水亭種清補
 三十九編 文久二年  種員遺稿  芳幾   柳水亭種清補
 四 十 編 文久三年  柳水亭種清 芳幾
 四十一編 文久四年  種員遺稿  芳幾   柳水亭種清補
 四十二編 元治二年  柳水亭種清 二世国貞 「帝文」欠大団円を補
 四十三編 慶応四年  柳水亭種清 二世国貞 改印広告は慶応二寅

 最初の作者である美図垣笑顔は通称美濃屋甚三郎といい、一時は書肆(涌泉堂)として『八犬傳』の出板に携わったが、経営に失敗し廃業した人物。本作が鬼武の『自來也説話』によったことはもちろんであるが、当時流行していた読本の抄録合巻とは、まったく別の行き方で書かれている。つまり筋を次第に改変して発展させているのである。その経過については、第二十編序で、

前巻にも言此書元稿は美圖垣大人にて中頃は一筆菴の著述なり。綴繼ゆゑにや英泉子に至て文中聊誤あり。一度兒雷也が手に帰入藥篭を勇見之助が復所持し殺害されし母梢を存生様にいひ且尾形弘澄は筑紫の城主と二編にあるを越後の領主なりとせり。予は笑顔子の條に傚て則肥後の國人とす。此他初編に紛失まゝなる吹雪形染の茶入をいだし五編より後行衛闇老婆於強を尋て用ゐ彼是と補綴すれども惠吉といふは弘行が義理ある妹深雪が僞名そを別人のごとくしるせし。これのみは亦補正がたし。さはいひつ錯乱ながらも藥篭の事と死たる人を生るにかきしは最興あり。藥に依て回生と看ばなか/\頗妙文。一筆菴が無二筆の名誉を讃美するの余り叙詞に換て誌なりけり。
   嘉永壬子年正月

柳下亭種員識 

と種員が愚痴っている通り、はなはだ錯乱が多いのである。それでも種員になってからはまだよいのであるが、登場人物の関係図を控えながら読み進んでいても、筋がわからなくなることがある。ということは、実は読み方が間違っているに相違ない。出板年次を見てわかるように、毎年何巻ずつかまとめて出されるので、その限られた範囲の場面性に趣向の奇抜さを求めればよいのであろう。もちろん、その背景に児雷也の確乎たるイメージが完成していたからこそ可能だったのである。
 また後半部で、すでに文政二年の種彦合巻『国字小説三蟲拇戦』が存するのではあるが、有名な蝦蟇と大蛇と蛞蝓の<三すくみ>の趣向を立てている。ところが善悪の色分けは、はなはだ曖昧である。少なくとも最初、児雷也は公権力に対しては紛れもない山賊であった。ところが後になると大蛇丸討伐の御教書を貰い、文字通り公権力御墨付きの勢力となってしまうのである。もっとも読者はヒーロー児雷也の側から読んでいるわけだからよいのかもしれない。しかしながら、この荒唐無稽な無節操さは草双紙だからこそ許されることであり、読本ではちょっと考えられない仕組みであった。いずれにしても、我々が持っている大蛇丸と対抗し、蛞蝓の仙術を使う綱手を妻とし、蝦蟇の妖術を使うという児雷也のイメージは、この合巻が創出したものである。
 本作四十三編を通じて出てくる児雷也の変名を挙げれば、太郎・雷太郎・實夢上人・周馬廣行・鶴若・白抄・乗雲……という具合で、文字通りの変幻自在ぶりを発揮している。またすでに指摘されているように、種彦の『偐紫田舎源氏』を意識した部分も多いし、後半は『八犬傳』風の展開にもなっており、まとまらないが故の魅力は計り知れない。
 ところで、これらの作品が自来也の出自を筑紫の城主尾形左衛門弘澄の遺児としている点は、はなはだ不審である。なぜなら尾形(緒方)氏には三輪山伝説と同型の始祖伝承があり、『源平盛衰記』にも、蛇の子の末を継ぐ尾形三郎として記されているからである▼28。蝦蟇の妖術を授かり蛇と対決すべき自来也がなぜ「尾形」氏なのか。単に伝承的な論理に無頓着なだけなのであろうか。不可解である。

  八 伝承の論理

 また思えば、この<蝦蟇文学史>には馬琴の作品が登場してこない。馬琴の紡ぎ出したアニミズム的作品世界にあっても、蛇と鳥、雉と犬、鼠と猫などという二項対立的トーテムは比較的頻繁に趣向化されているのに、蛇と蝦蟇の対立関係は見当たらない。蛇の両義性と蝦蟇の曖昧な性格のせいであろうか。
 ここまで見てきたように、蝦蟇の対偶となるのは蛇である。蝦蟇の妖術が<妖>である以上は<善>ではあり得ない。すなわち「妖は徳に勝たず」▼29なのである。蛇は両義性を持ってはいるが、とても<徳>とはいえない。むしろ逆に<邪>であり<淫>であり<悪>なのである。つまり、このように考えると、蝦蟇の<妖>と蛇の<邪淫>との葛藤もあり得るかもしれないが、それこそ「勧懲正しからぬ」仕組みになってしまう。馬琴が蝦蟇の趣向に積極的でなかったのも、あるいはこのような理由によるのではなかろうか。
 ただ名詮自性の方法の一環として『南總里見八犬傳』では「蟇六」などという人物が登場する。また、妖賊蟇田素藤(と妖尼妙椿)が妖(幻)術を駆使する点なども、「蟇」の一字に存する妖術と繋がるイメージを利用したのである。それのみならず蟇田素藤が胆吹山の山塞を本拠とする盗賊但鳥業因の子である点も興味深い。妖術から山賊へ繋がるイメージは、すでに『傾城島原蛙合戦』の七草四郎に前例が存するからである。「四郎が術は鬼神も同然、酒呑童子以来の朝敵……」とあったように、蝦蟇の妖術は反逆者天草四郎、さらには酒呑童子(伊吹童子)へとイメージが連続しているのである。このイメージ連合が記されるのは、テキストでいえば『前太平記』であった。馬琴読本の中では、むしろ前期の部類に入る悪漢小説風の『四天王剿盗異録』(文化三年)も、世界は『前太平記』であり、妖術が趣向化されていた。
 ただ、馬琴における決定的な相違は、蛇を対置しなかった点である。伝承的な論理を巧く作品構想に利用し、そこから逸脱した趣向をたてることなく、排除すべき部分を明確に心得ていたのであった。


▼1 木村八重子「蛙に乗った七草四郎」(「たばこと塩の博物館研究紀要」四号<江戸の出版文化―版本とその周辺―>、一九九一年)は、『傾城島原蛙合戦』による黒本『新板蛙合戦ゑづくし』から末期合巻までに見られる蛙に乗った七草四郎像を通観し、天徳、児雷也への系譜を跡付けている。
▼2 小池章太郎「解題」(未翻刻戯曲集5『天竺徳兵衛郷鏡』、国立劇場芸能調査室、一九七九年)。
▼3 「上演年表」(上演資料集248、国立劇場芸能調査室、一九八六年)。
▼4 飯塚友一郎編『歌舞伎細見』(第一書房、一九二七年)。
▼5 郡司正勝「解題」(『鶴屋南北全集』一巻、三一書房、一九七一年)。
▼6 小池正胤「いわゆる「天竺徳兵衛」ものについてのノート」(「言語と文芸」八十号、一九七五年)。
▼7 松田修「歌舞伎、聖なる逆説−コード「天竺」の意味するもの−」(「国文学」二十巻八号<歌舞伎−バロキスムの光と影−>、學燈社、一九七五年六月)。
▼8 廣末保「蝦蟇と妖術と反逆と船頭」(『辺界の悪所』、平凡社、一九七三年)。
▼9 郡司正勝「治助・京傳・南北―劇と小説の交流について―」(『郡司正勝刪定集』一巻、白水社、一九九〇年、初出は一九五九年)。
▼10 鈴木重三「合巻について」(文化講座シリーズ9、大東急記念文庫、一九六一年)。
▼11 渥美清太郎「歌舞伎小説解題」(「早稲田文学」261号、一九二七年十月)。
▼12 ちなみに贅言すれば、高井蘭山の『繪本三國妖婦傳』全三編(享和三〜文化二年、北馬画)の下編巻三でも、妖狐によって那須八郎宗重の妻が一体二形になるという怪異が描かれている。
▼13 鈴木敏也「「善知鳥安方忠義傳」の素材・構成など」(『日本文学論纂』、一九三二年、明治書院)。
▼14 具体的な例は枚挙に遑がないが、振鷺亭の『千代嚢媛七變化物語』(文化五年、北馬画)や芍薬亭長根の『國字鵺物語』(文化五年、北斎画)の挿絵は酷い。
▼15 この部分に関しては『椿説弓張月』で白縫が夫の敵に拷問を加える段や、『浮牡丹全傳』の「荒屋敷」の一段が想起される。
▼16 後編は文政九年になって三馬の予告を忠実に敷衍して為永春水が出している。
▼17 早稲田大学図書館蔵。『曲亭遺稿』(国書刊行会、一九一一年)に翻刻存。
▼18 後藤丹治「読本三種考証」(「学大国文」六号、一九六二年)。
▼19 本田康雄『式亭三馬の文芸』(笠間書院、一九七二年)。
▼20 以下の資料を参考にした。国立劇場芸能調査室編「児雷也豪傑譚話」(上演資料集114、一九七五年三月)、中村幸彦「「児雷也」成立の文学的背景」(歌舞伎公演「筋書き」、一九七五年三月)、向井信夫「「児雷也豪傑譚」くさぐさ」(歌舞伎公演「筋書き」、一九七五年三月)、川崎市蔵「鈴亭谷峨作「自来也」にみえる識語」(「日本古書通信」454、一九八二年二月)、小池正胤「合巻の研究(一)いわゆる「児雷也」ものについて」(「東京学芸大学紀要第二部門人文科学」二十七集、一九七六年二月)。
▼21 「児雷也豪傑譚」二十五編序(嘉永七年刊)。『諧史』は『小説筆記大観』で見ることができる。
▼22 小川陽一『三言二拍本事論考集成』(新典社叢書九、新典社、一九八一年)。
▼23 岡本綺堂「自来也の話」(「演劇画報」、一九二五年五月)。
▼24 大庭脩『江戸時代における唐船持渡書の研究』(関西大学、一九六七年)。
▼25 鈴木重三「自来也説話」(『日本古典文学大辞典』三巻、岩波書店、一九八四年)。
▼26 前編内題下の「 感和亭鬼武著高喜斎校合」というのも気になるし、後編の出板にまつわる上方と江戸の板元の混乱も何か釈然としないものを感じる。鬼武の<作>ではない可能性を考えてみる必要があるかもしれない。
▼27 鈴木重三「『児雷也豪傑譚』書誌考」(水野稔編『近世文学論叢』、明治書院、一九九二年)は、従来六編と共に「弘化三年」とされていた五編の刊年について、新出初板本を用いて詳細に考証を加えている。
▼28 『平家物語』巻八緒環にも緒方惟義について似た話がある。
▼29 大高洋司「馬琴読本の一展開−『四天王剿盗異録』とその前後−」(「近世文芸」三十九号、日本近世文学会、一九八三年十月)。


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