『南總里見八犬傳』第一回



【外題】
里見八犬傳 肇輯 巻一

【見返】
曲亭主人藁本\南總里見八犬士傳\柳川重信像\山青堂

【序】書き下し
八犬士傳序[噪野風秋]
初め里見氏の安房に興るや、徳誼以て衆を率ゐ、英略以て堅を摧く。二總を平呑して、之れを十世に傳へ、八州を威服して、良めて百將の冠たり。是の時に當て、勇臣八人有り。各犬を以て姓と爲す。因て之を八犬士と稱す。其れ賢虞舜の八元に如ずと雖ども、忠魂義膽、宜しく楠家の八臣と年を同して談ずべきなり。惜い哉筆に載する者當時に希し。唯だ坊間の軍記及び槇氏が『字考』、僅かに其姓名を識るに足る。今に至て其の顛末を見る由し無し。予嘗て之を憾む。敢て残珪を攻めんと欲す。是より常に舊記を畋獵して已まず。然ども猶考据有ること無し。一日低迷して寝を思ふ。〓〓の際だ、客南總より來る有り。語次八犬士の事實に及ぶ。其の説軍記傳所の者と同からず。之を敲けば則ち曰く、「曾て里老の口碑に出たり。敢て請ふ主人之を識せ」予が曰「諾、吾れ將に異聞を廣ん」と。客喜て而して退く。予之を柴門の下りに送る。臥狗有り。門傍に在り。予忙として其の尾を踏めば、苦聲倏ち足下に發る。愕然として覺め來れば、則ち南柯の一夢なり。頭を回して四下を覽れば。茅茨客無く。柴門に狗吠無し。言(コヽニ)熟/\客談を思へば、夢寐と雖ども捨つべからず。且に之を録せんとす。既にして忘失半ばに過ぐ。之を何奈すること莫し。竊かに唐山の故事を取りて。撮合して以て之を綴る。源禮部が龍を辨ずるが如きは。王丹麓が『龍經』に根つく。靈鴿書を瀧城に傳るが如きは。張九齢の飛奴に擬す。伏姫八房に嫁するが如きは。高辛氏其の女を以て槃瓠に妻すに傚へり。其の他毛擧に遑あらず。數月にして五巻を草す。僅に其の濫觴を述て。未だ八士の列傳を創せず。然と雖ども書肆豪奪して諸を梨棗に登す。刻成て又其の書名を乞ふ。予漫然として敢て辭せず。即ち『八犬士傳』を以て之に命す。
文化十一年甲戌秋九月十九日。筆を著作堂下の紫鴛池に洗ぐ。
   簑笠陳人觧撰
  [曲亭馬琴著作堂之印][乾坤一草亭]

【序】原文
八犬士傳序[噪野風秋]
初里見氏之興於安房也。徳誼以率衆。英略以摧堅。平呑二總。傳之于十世。威服八州。良爲百將冠。當是時。有勇臣八人。各以犬爲姓。因稱之八犬士。雖其賢不如虞舜八元。忠魂義膽。宜與楠家八臣同年談也。惜哉載筆者希於當時。唯坊間軍記及槇氏字考。僅足識其姓名。至今無由見其顛末。予嘗憾之。敢欲攻残珪。自是常畋猟舊記不已。然猶無有考据。一日低迷思寝。〓〓之際。有客自南總來。語次及八犬士事實。其説與軍記所傳者不同。敲之則曰。曽出于里老口碑。敢請主人識之。予曰諾。吾將廣異聞。客喜而退。予送之于柴門下。有臥狗。在門傍。予忙乎踏其尾。苦聲倏發于足下。愕然覺來。則南柯一夢也。回頭覽四下。茅茨無客。柴門無狗吠。言熟々思客談。雖夢寐不可捨。且録之。既而忘失過半。莫奈之何。竊取唐山故事。撮合以綴之。如源禮部辨龍。根于王丹麓龍経。如霊鴿傳書於瀧城。擬張九齢飛奴。如伏姫嫁八房。倣高辛氏以其女妻槃瓠。其他不遑毛擧。數月而草五巻。僅述其濫觴。未創八士列傳。雖然書肆豪奪登諸梨棗。刻成又乞其書名。予漫然不敢辞。即以八犬士傳命之。
文化十一年甲戌秋九月十九日。洗筆於著作堂下紫鴛池。
   簑笠陳人觧撰
  [曲亭馬琴著作堂之印][乾坤一草亭]

【再識】
(よ)にいふ里見(さとみ)の八犬士(はつけんし)は、犬山(いぬやま)道節(どうせつ)〔乳名(をさなゝ)道松(みちまつ)〕、犬塚(いぬつか)信乃(しなの)〔乳名(をさなゝ)志之(しの)〕、犬坂(いぬさか)上毛(かふつけ)〔乳名(をさなゝ)毛野(けの)〕、犬飼(いぬかひ)見八(けんはち)〔乳名(をさなゝ)玄吉(げんきち)〕、犬川(いぬかは)荘佐(せうすけ) 、犬江(いぬえ)親兵衞(しんべゑ)〔乳名(をさなゝ)真平(しんへい)〕、犬村(いぬむら)大角(たいかく)〔乳名(をさなゝ)角太郎(かくたらう)〕、犬田(いぬた)〓吾(ぶんご)〔乳名(をさなゝ)小文吾(こぶんご)〕、則(すなはち)(これ)なり。その名(な)軍記(ぐんき)に粗(ほゞ)見えて、本貫(ほんくわん)終始(じうし)を審(つばら)にせず。いと惜(をし)むべき事ならずや。よりて唐山(もろこし)高辛氏(こうしんし)の皇女(くわうによ)、槃瓠(はんこ)〔犬(いぬ)の名(な)也〕に嫁(か)したる故事(こじ)に做(なら)ふて、個(この)小説(せうせつ)を作設(つくりまうけ)、因(いん)を推(おし)、果(くわ)を説(とき)て、婦幼(ふよう)のねふりを覺(さま)すものなり。
肇輯(ぢやうしゆう)五巻(ごくわん)は、里見(さとみ)(うぢ)の、安房(あは)に起(おこ)れるよしを演(のぶ)。亦(また)(これ)唐山(もろこし)演義(ゑんぎ)の書(しよ)、その趣(おもむき)に擬(ぎ)したれば、軍記(ぐんき)と大同(だいどう)小異(せうゐ)あり。且(かつ)狂言(きやうげん)綺語(きぎよ)をもてし、或(あるひ)は俗語(ぞくご)俚諺(りげん)をまじへ、いと嗚呼(をか)しげに綴(つゞ)れるは、固(もと)より翫物(もてあそびもの)なれば也。
この書(しよ)第八回(だいはつくわい)、堀内(ほりうち)蔵人(くらんと)貞行(さだゆき)が、犬懸(いぬかけ)の里(さと)に雛狗(こいぬ)を獲(え)たる條(くだり)より、第十回(だいしうくわい)、義実(よしさね)の息女(そくぢよ)伏姫(ふせひめ)が、冨山(とやま)の奥(おく)に入(い)る條(くだり)まで、これ全傳(ぜんでん)の發端(ほつたん)也。しかれども首尾(しゆび)具足(ぐそく)して、全體(ぜんたい)を闕(かく)ことなし。二輯(にしゆう)三輯(さんしゆう)に及(および)ては、八人(ン)おの/\列傳(れつでん)あり。來(こ)ん春(はる)(ごと)に嗣出(つぎいだ)して、全本(ぜんほん)となさんこと、両(りやう)三年(さんねん)の程(ほど)になん。
   簑笠陳人再識

【目録】
有像(ゑいり)南總(なんさう)里見(さとみ)八犬傳(はつけんでん)肇輯(ぢやうしゆう)(さう)目録(もくろく)
  第一回(だいいつくわい)
季基(すゑもと)(をしえ)を遺(のこ)して節(せつ)に死(し)す 白龍(はくりう)(くも)を挾(さしはさ)んで南(みなみ)に歸(おもむ)
  第二回
一箭(いつせん)を飛(とば)して侠者(けうしや)白馬(はくば)を誤(あやま)つ 兩郡(りやうぐん)を奪(うば)ふて賊臣(ぞくしん)朱門(しゆもん)に倚(よ)
  第三回
景連(かげつら)信時(のぶとき)(ひそか)に義實(よしさね)を阻(こば)む 氏元(うぢもと)貞行(さだゆき)(やく)に舘山(たてやま)に從(したが)
  第四回
小港(こみなと)に義實(よしさね)(ぎ)を集(あつ)む 笆(かき)の内(うち)に孝吉(たかよし)(あた)を逐(お)
  第五回
良將(りやうせう)(はかりこと)を退(しりぞ)けて衆兵(しゆへい)(じん)を知(し)る 靈鴿(いへはと)(しよ)を傳(つた)へて逆賊(ぎやくぞく)(かうべ)を贈(おく)
  第六(だいろく)(くわい)
倉廩(さうりん)を開(ひら)いて義實(よしさね)二郡(にぐん)を賑(にぎは)す 君命(くんめい)を奉(うけ給は)りて孝吉(たかよし)三賊(さんぞく)を誅(ちう)
  第七回
景連(かげつら)奸計(かんけい)信時(のぶとき)を賣(う)る  孝吉(たかよし)節義(せつぎ)義実(よしさね)に辭(ぢ)
  第八回
行者(ぎやうじや)の石窟(いはむろ)に翁(おきな)伏姫(ふせひめ)を相(さう)す  瀧田(たきた)の近邨(きんそん)に狸(たぬき)雛狗(いぬのこ)を養(やしな)
  第九回
盟誓(ちかひ)を破(やぶ)つて景連(かげつら)兩城(りやうぜう)を圍(かこ)む  戲言(けげん)を信(しん)じて八房(やつふさ)首級(しゆきう)を獻(たてまつ)
  第十回
(きん)を犯(おか)して孝徳(たかのり)(いつ)婦人(ふじん)を喪(うしな)ふ  腹(はら)を裂(さ)きて伏姫(ふせひめ)八犬子(はつけんし)を走(はし)らす
 肇輯(ぢやうしゆう)題目(だいもく)通計(つうけい)(いち)(しう)(くわい)(まつたし)

【口絵】
浪中龍門に上り去ことを得て 歎ぜず江河歳月の深を

 里見(さとみ)治部(ぢぶの)大輔(たゆう)義實(よしさね)

碓子尓(からうすに)舂忍光八(つきおしてるや)
難波江乃(なにはえの)始垂母辛之(はたれもからし)河尓加久尓世波(かにかくによは) 著作堂

 金碗(かなまり)八郎(はちらう)孝吉(たかよし)

周公恐懼す流言の日
王莽謙恭す士に下る時
若し當年にして身便ち死せ使めば
今に至りて真偽誰知ること有らん
白居易讀史の詩

 山下(やました)(さく)左衞門尉(さゑもんのぜう)定包(さだかね)
 神餘(じんよ)長挾(ながさの)(すけ)光弘(みつひろ)が嬖妾(おんなめ)玉梓(たまつさ)

何事をおもひけりともしられしな えみのうちにもかたなやはなき 衣笠内府

 安西(あんさい)三郎(さふらう)太夫(たいふ)景連(かけつら)
 麻呂(まろの)小五郎(こごらう)信時(のぶとき)
 堀内(ほりうち)藏人(くらんと)貞行(さたゆき)
 朴平(ぼくへい)
 無垢三(むくざう)
 杉倉(すきくら)木曽介(きそのすけ)氏元(うぢもと)

深宮に飽食の獰を恣にし
毯に臥し氈に眠て慣れて驚かず
却て簾を捲く人に放出されて
宜男花下新晴に吠ゆ
元貢性之詩

 伏姫(ふせひめ)
 里見(さとみ)義實(よしさね)の愛犬(あいけん)八房(やつふさ)

正夢(まさゆめ)と置行(おきゆく)鹿(しか)や照射山(ともしやま) 東岡舎羅文

 金碗(かなまり)大輔(だいすけ)孝徳(たかのり)

「八犬子(はつけんし)髫歳白(あげまきのとき)地蔵(かくれあそび)(の)(ず)

平居恃むこと勿れ汝か青年なるを
此青年に趁て好く勉めよや旃
あげまきはあとだにたゆる庭もせに おのれ結べとしげる夏草 定家卿和歌

 犬山道松 犬飼玄吉 犬川荘助 犬田小文吾 犬坂毛野(けの) 犬村角太郎 犬江真平 犬塚信乃(しの)
 ヽ大(ちゆだい)和尚(おせう)

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曲亭家方賣剤畧目[乾坤一草亭]
○巻端半頁の餘帋あるをもて営生要緊の旨を録して恭しく四方の君子に告奉ること左の如し
家傳神女湯 一包百銅  こはこの作者が家傳の良方婦人諸病の神薬にしてわきて産前産後ちのみちに即功あり。
さるにより相傳五世に及て家に難産(なんざん)夭折(わかしに)の婦人あることなし。用ひやうはつばらにつゝみ紙にしるしつ。ちかき比はいよゝます/\その功(こう)抜群(ばつくん)自餘(じよ)の賣剤(ばいざい)にまされるよしにて求め給ふ君子少(すくな)からず。いと歡(よろこば)しきことになん。
つぎ虫の妙薬 一包六十四銅 半包三十二銅  婦人毎月つきやくになり給ふときつぎむしにいためらるゝに用ひて甚妙也。又産後におり物くだりかぬるによし。すべて月やく不順に功あり。
精製竒應丸 大包〔二百粒余入〕代弐朱 中包〔三十六りう入〕代一匁五分 小包〔十一粒入〕代五分 〔但五分より下小うり不仕候〕
世にきおふ丸夛しといへども製方等閑(なほさり)にしてやくしゆに極品をえらまざれは竒應丸の名ありといふともきおふ丸の功のうなし。こゝに製するところ薬種のあたひをいとはず分量(ぶんりやう)すべて法にしたがひ製法尤つゝしめり。是をよのつねの竒應丸にくらぶれはその功百倍(ばい)万倍也。
諸病針灸ほどこし療治 毎月七日 廾七日
是まで廾三日なりしを廾七日とす。朝四ッときより。所望の人々は入來せよ。いさゝかも謝物はうけ不申。こは孩児が宿願によりその師小坂先生出席点誌す。
右製藥弘所並に施療 江戸元飯田町中坂下南側四方みそ店向 瀧澤氏精製 [曲亭]
取次所 △大坂心齋橋筋唐物町南へ入 書林河内屋太介 △江戸芝神明前 書肆いつみや市兵衞
 ○招牌及報条能書必乾坤一草亭の印記あり此印なきは偽剤に係る

【本文】
南總里見八犬傳(なんさうさとみはつけんでん)巻之一
東都 曲亭主人編次

 第一回(だいいつくわい) 季基(すゑもと)(をしえ)を遺(のこ)して節(せつ)に死(し)す\
白龍(はくりう)(くも)を挾(さしはさ)みて南(みなみ)に帰(おもむ)

 京都(きやうと)の將軍(せうぐん)、鎌倉(かまくら)の副將(ふくせう)、武威(ぶゐ)(おとろ)へて偏執(へんしう)し、世(よ)は戦國(せんこく)となりし比(ころ)、難(なん)を東海(とうかい)の濱(ほとり)に避(さけ)て、土地(とち)を闢(ひら)き、基業(もとゐ)を興(おこ)し、子孫(しそん)十世(じつせ)に及(およ)ぶまで、房総(あはかづさ)の國主(こくしゆ)たる、里見(さとみ)治部(ぢぶの)大夫(たいふ)義実(よしざね)朝臣(あそん)の、事蹟(じせき)をつら/\考(かむがふ)るに、清和(せいわ)の皇別(みすゑ)、源氏(げんじ)の嫡流(ちやくりう)、鎮守府(ちんじゆふ)將軍(せうぐん)八幡(はちまん)太郎(たらう)、義家(よしいへ)朝臣(あそん)、十一(じういつ)(せ)、里見(さとみ)治部(ぢぶの)少輔(せうゆう)(みなもとの)季基(すゑもと)ぬしの嫡男(ちやくなん)也。時(とき)に鎌倉(かまくら)の持氏(もちうぢ)(けう)、自立(じりう)の志(こゝろざし)(しきり)にして、執権(しつけん)憲実(のりさね)の諫(いさめ)を用(もち)ひず、忽地(たちまち)嫡庶(ちやくしよ)の義(ぎ)をわすれて、室町(むろまち)將軍(せうぐん)義教(よしのり)(こう)と、確執(くわくしつ)に及(およ)びしかば、京軍(きやうぐん)(にはか)によせ來(きた)りて、憲実(のりさね)に力(ちから)を戮(あは)し、且(かつ)(たゝか)ひ且(かつ)(すゝん)で、持氏(もちうぢ)父子(ふし)を、鎌倉(かまくら)なる、報國寺(ほうこくじ)に押篭(おしこめ)つゝ、詰腹(つめはら)を切(きら)せけり。是(これ)はこれ、後花園(ごはなぞの)天皇(てんわう)の永亨(ゑいきやう)十一年(ねん)、二月十日のことになん。かくて持氏(もちうぢ)の嫡男(ちやくなん)義成(よしなり)は、父(ちゝ)とゝもに自害(じがい)して、屍(かばね)を鎌倉(かまくら)に留(とゞ)むといへども、二男(じなん)春王(はるわう)、三男(さんなん)安王(やすわう)とまうせし公達(きんだち)は、辛(から)く敵軍(てきぐん)の囲(かこみ)を脱(のが)れて、下総(しもふさ)へ落(おち)給ふを、結城(ゆふきの)氏朝(うぢとも)(むかへ)とりて、主君(しゆくん)と仰(あほ)ぎ奉(たてまつ)り、京都(きやうと)の武命(ぶめい)に従(したが)はず、管領(くわんれい)〔清方(きよかた)持朝(もちとも)〕の大軍(たいぐん)をも屑(ものゝかす)とせず。されば義(ぎ)に仗(よつ)て死(し)をだも辞(ぢ)せざる、里見(さとみ)季基(すゑもと)を首(はじめ)として、凡(およそ)持氏(もちうぢ)恩顧(おんこ)の武士(ぶし)、招(まねか)ざれどもはせ集(あつま)りて、結城(ゆふき)の城(しろ)を守(まも)りしかば、大軍(たいぐん)に囲(かこま)れながら、一トたびも不覚(ふかく)を取(と)らず。永亨(ゑいきやう)十一年(ねん)の春(はる)の比(ころ)より、嘉吉(かきつ)元年(ぐわんねん)の四月まで、篭城(ろうぜう)三年(みとせ)に及(およ)ぶものから、外(ほか)に援(たすけ)の兵(つわもの)なければ、糧(かて)も矢種(やだね)も竭果(つきはて)つ。「今(いま)ははや脱(のが)るゝ途(みち)なし。只(たゞ)もろともに死(し)ねや」とて、結城(ゆふき)の一族(いちぞく)、里見(さとみ)の主従(しゆう%\)、城戸(きど)(おし)ひらきて血戦(けつせん)し、込入(こみい)る敵(てき)をうち靡(なび)けて、衆皆(みな/\)討死(うちしに)する程(ほど)に、その城(しろ)(つひ)に陥(おちい)りて、両(ふたりの)公達(きんだち)は生拘(いけど)られ、美濃(みの)の垂井(たるゐ)にて害(がい)せらる。俗(よ)にいふ結城(ゆふき)合戦(かつせん)とはこれ也。
 かゝりし程(ほど)に、季基(すゑもと)の嫡男(ちやくなん)、里見(さとみ)治部(ぢぶの)大夫(たいふ)義実(よしさね)ぬし、このときは又(また)太郎(たらう)(おん)曹司(ぞうし)と呼(よば)れつゝ、年(とし)なほ廾(はたち)に満(みた)ざれ共、武勇(ぶゆう)智略(ちりやく)は父祖(ふそ)にもまして、その才(さえ)文道(ふみのみち)にも長(たけ)たり。三年(みとせ)以來(このかた)(ちゝ)と共(とも)に、篭城(ろうぜう)の艱苦(かんく)を厭(いと)はず、この日(ひ)も諸軍(しよぐん)に先(さき)たちて、敵(てき)十四五騎(き)(きつ)て落(おと)し、なほよき敵(てき)と引組(ひきくん)て、討死(うちしに)せんとて進(すゝ)みしを、父(ちゝ)の季基(すゑもと)(はるか)に見て、遽(いそがは)しく呼(よ)びとゞめ、「やをれ義實(よしさね)、勇士(ゆうし)は元(かうべ)を喪(うしな)ふことを忘(わす)れず。けふを限(かぎ)りと思ふこと、理(ことわ)りあるに似(に)たれども、父子(ふし)もろ共(とも)に討死(うちしに)せば、先祖(せんそ)へ不孝(ふこう)これに過(すぎ)ず。京(きやう)鎌倉(かまくら)を敵(てき)とし受(うけ)て、貳(ふた)ごゝろを存(ぞん)ずることなく、勢竭(いきほひつ)き、力窮(ちからきわま)り、落城(らくぜう)のけふに至(いた)りて、父(ちゝ)は節義(せつぎ)の為(ため)に死(し)し、子(こ)は又(また)(おや)の為(ため)に脱(のが)れて、一命(いちめい)をたもつとも、何(なに)かは羞(はづ)る事あらん。速(すみやか)に殺脱(きりぬけ)て、時節(じせつ)を俟(まち)て家(いへ)を興(おこ)せ。とく/\落(おち)よ」といそがせは、義実(よしさね)は聞(きゝ)あへず、鞍坪(くらつぼ)に頭(かうべ)を低(さげ)、「うけ給はり候ひぬ。しかはあれど、親(おや)の必死(ひつし)を外(よそ)に見て、阿容々々(おめ/\)と脱(のが)るゝことは、三才(さんさい)の小児(せうに)も要(えう)せじ。况(いはんや)弓箭(ゆみや)の家(いへ)に生(うま)れて、某(それがし)こゝに十九歳(さい)。文武(ぶんぶ)の道(みち)にわけ入りて、順逆(じゆんぎやく)邪正(じやせう)、古人(こじん)の得失(とくしつ)、大概(おほかた)はこれをしれり。只(たゞ)冥土(めいど)黄泉(くわうせん)のおん供(とも)とこそ思ひ奉(たてまつ)れ。死(しす)べき処(ところ)に得(え)(しな)ずして、笑(わら)ひを招(まね)き、名(な)を汚(けが)し、先祖(せんそ)を辱(はづか)しめ奉(たてまつ)らんことは、願(ねがは)しからず候」と答(こたふ)る辞(ことば)(いさま)しき。皃(かほ)つく/\とうちまもる、父(ちゝ)は頻(しきり)に嘆息(たんそく)し、「義実(よしさね)微妙(いみじく)申たり。さりながら、圓頂(ゑんちやう)黒衣(こくえ)に容(さま)を更(かえ)、出家(しゆつけ)沙門(しやもん)になれといはゞ、親(おや)の教(をしえ)に惇(もと)りもせめ。『時節(じせつ)を俟(まち)て家(いへ)を興(おこ)せ』といふを推辞(いなむ)は不孝(ふこう)也。しらずや足利(あしかゞ)持氏(もちうぢ)ぬしは、譜代(ふだい)相傳(さうでん)の主君(しゆくん)にあらず。抑(そも/\)わが祖(そ)は一族(いちぞく)たる、新田(につた)義貞(よしさだ)朝臣(あそん)に従(したが)ひて、元弘(げんこう)建武(けんむ)に戦功(せんこう)あり。しかりしより新田(につた)の餘類(よるい)、南朝(なんちやう)の忠臣(ちうしん)たれども、明徳(めいとく)三年(ねん)の冬(ふゆ)のはじめに、南帝(なんてい)入洛(じゆらく)まし/\て、憑(たの)む樹下(このもと)雨漏(あめも)りしより、こゝろならずも鎌倉(かまくら)なる、足利家(あしかゞけ)の招(まねき)きに隨(したが)ひ給ひし、亡父(ぼうふ)は〔里見(さとみ)大炊(おほゐの)(すけ)元義(もとよし)〕満兼(みつかね)(ぬし)〔持氏(もちうぢ)の父(ちゝ)〕に出仕(しゆつし)し、われは持氏(もちうぢ)ぬしにつかへて、今(いま)幼君(ようくん)の為(ため)に死(し)す。志(こゝろざし)は致(いた)したり。これらの理義(りぎ)を辨(わきま)へずは、只(たゞ)(し)するをのみ武士(ぶし)といはんや。学問(がくもん)も又(また)そのかひなし。かくまでいふを用(もち)ひずは、親(おや)とな思ひそ、子(こ)にあらず」と辞(ことば)せわしく敦圉(いきまき)給へば、義実(よしさね)道理(どうり)に責(せめ)られて、思はず馬(うま)の鬣(たてかみ)へ、落(おと)す涙(なみだ)は道芝(みちしば)に、結(むす)ふがごとき本(もと)の露(つゆ)、末(すゑ)の雫(しづく)と親(おや)と子(こ)が、後(おく)れ先(さき)たつ生死(いきしに)の、海(うみ)よりあらき鯨波(とき)の声(こゑ)、こなたへ進(すゝ)む敵軍(てきぐん)を、季基(すゑもと)(きつ)と見かへりて、「時(とき)(うつ)りてはかなはじ」と思ふことさへ豫(かね)てより、こゝろ得(え)させし譜代(ふだい)の老黨(ろうだう)、杉倉(すぎくら)木曽介(きそのすけ)氏元(うぢもと)、堀内(ほりうち)蔵人(くらんど)貞行(さだゆき)(ら)に、注目(めくはせ)をしてければ、両人(りやうにん)齊一(ひとしく)(み)を起(おこ)し、「俺們(われ/\)おん供(とも)つかまつらん。誘(いざ)給へ」といひあへず、木曽介(きそのすけ)は義実(よしさね)の、馬(うま)の轡(くつわづら)を牽(きひ)めぐらし、蔵人(くらんど)はその馬(うま)の、尻(しり)を拍(うつ)て逐走(おひはし)らせ、西(にし)を投(さし)てぞ落(おち)てゆく。
 むかし彼(かの)楠公(くすのき)が、桜井(さくらゐ)の驛(うまやぢ)より、その子(こ)正行(まさつら)を返(かへ)したる、こゝろはおなじ忠魂(ちうこん)義膽(ぎたん)、斯(かう)ありけんと想像(おもひや)り、残(のこ)り留(とゞま)る兵士(つわもの)(ら)は、愀然(しうぜん)として列居(なみゐ)たり。季基(すゑもと)は落(おち)てゆく、わが子(こ)を霎時(しばし)目送(みおく)りつ、「今(いま)はしも心(こゝろ)やすし、さらば最期(さいご)をいそがん」とて、〓(たづな)かい繰(く)り、馬騎(うまのり)かへして、十騎(き)に足(た)らぬ残兵(ざんへい)を、鶴翼(くわくよく)に備(そなへ)つゝ、群(むらが)り來(き)つる大軍(たいぐん)へ、会釋(ゑしやく)もなく突(つい)て入(い)る。勇將(ゆうせう)の下(しも)に弱卒(じやくそつ)なければ、主(しゆう)も家隷(けらい)も二騎(き)三騎(き)、敵(てき)を撃(うた)ざるものはなく、願(ねが)ふ所(ところ)は「義実(よしさね)を、後(うしろ)やすく落(おと)さん」と思ふ外(ほか)(また)他事(たじ)なければ、目(め)にあまる大軍(たいぐん)を、一足(ひとあし)も進(すゝま)せず、躬方(みかた)の死骸(しがい)を踏踰(ふみこえ)て、引組(ひきくん)では刺(さし)ちがへ、おなじ枕(まくら)に臥(ふす)ほどに、大將(たいせう)季基(すゑもと)はいふもさらなり、八騎(き)の従卒(じゆうそつ)一人(ひとり)も残(のこ)らず、僉(みな)乱軍(らんぐん)の中(うち)に撃(うた)れて、鮮血(ちしほ)は野逕(やけい)の草葉(くさば)を染(そめ)、〓(むくろ)は彼此(をちこち)に〓(さん)を紊(みだ)して、馬蹄(ばてい)の塵(ちり)に埋(うづむ)といへども、その名(な)は朽(くち)ず、華洛(みやこ)まで、立(たち)のぼりたる丈夫(ますらを)の、最(いと)もはげしき最期(さいご)也。
 さる程(ほど)に、里見(さとみの)冠者(くわんじや)義実(よしさね)は、杉倉(すぎくら)堀内(ほりうち)に導(みちびか)れて、十町(ちやう)あまり落延(おちのび)つ。「さるにても嚴君(ちゝきみ)は、いかになり果(はて)給ひけん。おぼつかなし」といくそたび、馬(うま)の足掻(あがき)を駐(とゞ)めつゝ、見かへる方(かた)は鬨(とき)の声(こゑ)、矢叫(やさけび)の音(こゑ)(かしま)しく、はや落城(らくぜう)とおぼしくて、猛火(みやうくわ)の光(ひかり)(てん)を焦(こが)せば、吐嗟(あなや)とばかり叫(さけ)びあへず、そがまゝ〓(たづな)ひきしぼりて、騎(のり)かへさんとしたりしかは、両個(ふたり)の老黨(ろうだう)左右(さゆう)より、〓(くつわ)に携(すがり)て動(うごか)せず。「こは物体(もつたい)なし。今更(いまさら)に、ものにや狂(くる)ひ給ふらん。大殿(おほとの)の教訓(きやうくん)を、何(なに)とか聞召(きこしめし)たるぞ。今(いま)(おと)さるゝ城(しろ)に還(かへり)て、可惜(あたら)おん身(み)を喪(うしなひ)給はゞ、古歌(こか)にも詠(よめ)る夏虫(なつむし)の、火(ひ)むしよりなほ果敢(はか)なき所為(わざ)なり。『夫(それ)大信(たいしん)は信(しん)ならず、大孝(たいこう)は孝(こう)なき如(ごと)し』と古人(こじん)の金言(きんげん)日來(ひごろ)より、口順(くちすさみ)給ふには似(に)げなし。凡(およそ)(たか)きも賤(いやし)きも、忠孝(ちうこう)の道(みち)は一條(ひとすぢ)なるに、迷(まよ)ひ給ふはいかにぞや。こなたへ來(き)ませ」と牽駒(ひくこま)の、こゝろも狂(くる)ふ孝子(こうし)の哀傷(あいしやう)、頻(しき)りに焦燥(いらだつ)(こゑ)もはげしく、「放(はな)せ貞行(さだゆき)。禁(とむ)るな氏元(うぢもと)。尓達(なんたち)が諫言(かんげん)は、親(おや)の御(み)こゝろなるべけれど、今(いま)これをしも忍(しの)びなば、われ人(ひと)の子(こ)といはれんや。放(はな)せ/\」と鞭(むち)を揚(あげ)て、打(うて)どあふれど玉匣(たまくしげ)、ふたり等(ひと)き忠臣(ちうしん)の、拳(こぶし)は金石(きんせき)、些(ちつと)も緩(ゆる)めず、鞭(うた)るゝ隨(まゝ)に牽(ひい)てゆく。馬壇(うまで)、鞍懸(くらかけ)、柳坂(やなぎさか)、けふりは後(あと)に遠離(とほざか)る、火退林(ひのきばやし)のほとりにて、勝誇(かちほこつ)たる鎌倉(かまくら)(ぜい)、二十騎(き)あまり追蒐(おつかけ)(き)つ。「遖(あつはれ)武者(むしや)(ぶり)、逸足(にげあし)はやし。緋威(ひおどし)の鎧着(よろひき)て、五枚(ごまい)(かぶと)の鍬形(くわがた)の、間(あはひ)に輝(かゞや)く白銀(しろかね)もて、中黒(なかぐろ)の紋挫(もんうつ)たるを、大將(たいせう)と見るは僻目(ひがめ)(か)。蓬(きたな)し返(かへ)せ」と呼(よび)かけたり。義実(よしさね)は些(ちつと)も擬議(ぎき)せず。「あながまや雑兵(ざふひやう)ばら。敵(てき)をおそれて走(はし)るにあらねば、返(かへ)すに難(かた)きことあらんや」とて、馬(うま)をきりゝと立(たて)なほし、大刀(たち)抜翳(ぬきかざし)て進(すゝ)み給ふ。大將(たいせう)を撃(うた)せじとて、杉倉(すぎくら)堀内(ほりうち)推竝(おしならん)で、敵(かたき)の矢面(やおもて)に立塞(たちふさが)り、鎗(やり)を捻(ひねつ)て突崩(つきくづ)す。義実(よしさね)は亦(また)老黨(ろうたう)を、撃(うた)せじとて馬(うま)を馳(はせ)よせ、前後(ぜんご)を争(あらそ)ふ主従(しゆう%\)三騎(き)、大勢(たいぜい)の真中(まんなか)へ、十文字(じうもんじ)に蒐通(かけとほつ)て、軈(やが)て巴字(はのじ)にとつて返(かへ)し、鶴翼(くわくよく)に連(つらなつ)て、更(さら)に魚鱗(ぎよりん)にうち遶(めぐ)り、西(にし)に當(あた)り、東(ひがし)に靡(なび)け、北(きた)を撃(うつ)ては、南(みなみ)に走(はしら)せ、馬(うま)の足(あし)を立(たて)させず。三略(さんりやく)の傳(でん)、八陣(はちゞん)の法(ほう)、共(とも)に知(しつ)たる道(みち)なれば、目今(たゞいま)(まへ)にあるかとすれば、忽然(こつぜん)として後(しりへ)にあり、奮撃(ふんげき)突戦(とつせん)秘術(ひじゆつ)を竭(つく)す、千変(せんべん)萬化(ばんくわ)の大刀(たち)(かぜ)に、さしもの大勢(たいせい)乱騒(みだれさわ)ぎて、むら/\はつと引退(ひきしりぞ)く。敵(てき)退(しりぞ)けば杉倉(すぎくら)(ら)は、主(しゆう)を諫(いさめ)て徐々(しづ/\)と、落(おつ)るを更(さら)に跟(つけ)て來(く)る、端武者(はむしや)は遠箭(とほや)に射(い)て落(おと)し、追(お)ひつかへしつ林原(しもとばら)、三里(さんり)が程(ほど)を送(おく)られて、終(つひ)には落(おつ)る夕日(ゆふひ)の迹(あと)に、十六日の月(つき)(まどか)なり。
 こゝより追來(おひく)る敵(てき)なければ、主従(しゆう%\)不思議(ふしぎ)に虎口(こゝう)を脱(のが)れて、その夜(よ)は白屋(くさのや)に宿(やど)りを投(もと)め、旦立(あさだち)の置土産(おきみやげ)に、馬(うま)物具(ものゝぐ)をあるじにとらせて、姿(すがた)を窶(やつ)し、笠(かさ)をふかくし、東西(とうさい)すべて敵地(てきち)なれども、聊(いさゝか)(こゝろざ)すかたなきにあらねば、相模路(さがみぢ)へ走(はしり)りつゝ、第(だい)三日(みつか)にして三浦(みうら)なる、矢取(やとり)の入江(いりえ)に着(つき)給ふ。固(もと)より裹(つゝ)む糧(かて)もなく、盤纏(ろよう)(とも)しき落人(おちうど)と、なりも果(はて)たる主従(しゆう%\)は、いといたう餓(うへ)(つか)れて、松(まつ)が根(ね)に尻(しり)をかけ、遙(はるか)に後(おく)れし堀内(ほりうち)蔵人(くらんど)貞行(さだゆき)を俟着(まちつけ)て、安房(あは)の州(くに)へ渡(わた)さんとて、轍(わだち)の鮒(ふな)の息吻(いきつき)あへず、見わたす方(かた)は目(め)も迥(はる)に、入江(いりえ)に続(つゞ)く青海原(あをうなはら)、波(なみ)しづかにして白鴎(はくおう)(ねふ)る。比(ころ)は卯月(うづき)の夏霞(なつがすみ)、挽遺(ひきのこ)したる鋸山(のこぎりやま)、彼(あれ)かとばかり指(ゆびさ)せは、こゝにも鑿(のみ)もて穿(うがち)なし、刀(かたな)して削(けづ)るがごとき、青壁(せいへき)(そはたち)て見るめ危(あやう)き、長汀(ちやうてい)曲浦(きよくほ)の旅(たび)の路(みち)、心(こゝろ)を碎(くだ)くならひなるに、雨(あめ)を含(ふくめ)る漁村(ぎよそん)の柳(やなぎ)、夕(ゆふべ)を送(おく)る遠寺(ゑんじ)の鐘(かね)、いとゞ哀(あは)れを催(もよほ)すものから、かくてあるべき身(み)にしあらねば、頻(しきり)に津(わたり)をいそげとも、舩(ふね)一艘(いつそう)もなかりけり。
 當下(そのとき)杉倉(すぎくら)木曽介(きそのすけ)氏元(うぢもと)は、笘屋(とまや)の門(かど)に乾魚(ひを)とり納(い)るゝ、白水郎(あま)が子(こ)どもをさし招(まね)き、「喃(なう)髫髦(うなゐ)(ら)にもの問(とは)ん。前面(むかひ)へわたす舟(ふね)はなきや。熟(なれ)ぬ浦曲(うらわ)に流浪(さそら)ひて、いとゞしく餓(うへ)たるに、われはともあれこの君(きみ)へ、物(もの)あらば進(まゐ)らしね」と他事(たじ)なくいへば、そが中(なか)に、年(とし)十四五なる悪太郎(あくたらう)、赤熊(しやぐま)に似(に)たる額髪(ひたゐがみ)、潮風(しほかぜ)に吹黒(ふきくろま)れし、顔(かほ)に垂(た)るゝを掻(かき)も揚(あげ)ず、揉断(ねぢき)るごとき青涕(あをはな)を、啜(すゝ)り籠(こめ)つゝすゝみ出(いで)、「癡(しれ)たることをいふ人(ひと)かな。打(うち)つゞく合戦(かつせん)に、舩(ふね)は過半(おほかた)(かり)とられて、漁猟(すなどる)だにも物足(ものた)らぬに、誰(たれ)かは前面(むかひ)へ人(ひと)をわたさん。されば又(また)この浦(うら)に、汲(く)む塩(しほ)よりもからき世(よ)は、わが腹(はら)ひとつ肥(こや)しかぬるに、馴(なれ)もえしらぬ人(ひと)の飢(うへ)を、救(すく)ふべき糧(かて)はなし。堪(たへ)がたきまで脾撓(ひだゆ)くは、これを食(くら)へ」とあざみ誇(ほこつ)て、塊(つちくれ)を掻取(かいとり)つゝ、投(なげ)かけんとする程(ほど)に、氏元(うぢもと)はやく身(み)をひらけば、塊(つちくれ)は衝(つ)と飛越(とびこえ)て、松(まつ)が根(ね)に尻(しり)をかけたる、義実(よしさね)の胸前(むなさき)へ、閃(ひらめ)き來(く)れば自若(じじやく)として、左(ひだり)のかたへ身(み)を反(そ)らし、右手(めて)にぞこれを受(うけ)給ふ。現(げに)(にく)むべき為体(ていたらく)に、氏元(うぢもと)は霎時(しばし)も得(え)(たへ)ず、眼(まなこ)を〓(みは)り、声(こゑ)をふり立(たて)、「こは嗚乎(をこ)なる癖者(くせもの)かな。旅(たび)なればこそ汝等(なんぢら)に、一碗(いちわん)の飯(いひ)を乞(こひ)もすれ。糧(かて)なくはなしといふとも、辞(ことば)に物(もの)は没(いる)まじきに、無礼(なめげ)なる所行(わざ)も限(かぎ)りあり。いでその頤(おとがい)(きりさき)て、思ひしらせん」と敦圉(いきまき)つゝ、刀(かたな)の鞆(つか)に手(て)を掛(かけ)て、走(はし)り撃(うた)んとしたりしかは、義実(よしさね)(きう)に召禁(よびとゞ)め、「木曽介(きそのすけ)大人気(おとなげ)なし。麒驥(きき)も老(おい)ては駑馬(どば)に芬(おと)り、鸞鳳(らんほう)も窮(きう)すれば、蟻〓(ぎらう)の為(ため)に苦(くるし)めらる。咋(きのふ)はきのふ、今(けふ)はけふ、よるべなき身(み)を忘(わす)れし歟(か)。彼等(かれら)は敵手(あいて)に足(た)らぬもの也。つら/\ものを案(あん)するに、土(つち)はこれ國(くに)の基(もと)也。われ今(いま)安房(あは)へ渡(わた)るに及(およ)びて、天(てん)その國(くに)を給ふの兆(きざし)(か)。彼(かれ)を無礼(なめげ)也と見るときは、憎(にく)むに堪(たへ)たり。これを吉祥(よきさが)とするときは、歡(よろこ)ぶべき事ならずや。晋(しん)の文公(ぶんこう)が五鹿(ごろく)〔曹國(そうのくに)の地名(ちめい)也〕の故事(ふること)、よく今日(こんにち)のことに似(に)たり。賀(が)すべし/\」とみづから祝(しゆく)して、塊(つちくれ)を三度(みたび)(いたゞ)き、そがまゝ懐(ふところ)へ挟(おさめ)給へば、氏元(うぢもと)もやゝ暁(さとり)て、刀(かたな)の鞆(つか)に掛(かけ)し手(て)と、共(とも)に怒(いか)りを觧(とき)おさめ、そのゆくすゑは憑(たのも)しき、主君(しゆくん)を壽(ことぶ)き奉(たてまつ)れは、白水郎(あま)が子(こ)どもは掌(て)を拍(うち)て、いよ/\あざみ笑(わら)ひけり。
 時(とき)に磯山(いそやま)、雲(くも)叢立(むらだち)て、海面(うみつら)俄頃(にはか)に晦(くろみ)わたり、磁石(ぢしやく)に塵(ちり)の吸(すは)るゝごとく、潮水(うしほ)(しき)りに逆上(さかのぼ)り、風(かぜ)(さと)おとす程(ほど)こそあれ、雨(あめ)は彼(かの)鞆岡(ともおか)の篠(しの)より繁(しげ)く降(ふり)そゝぎ、電光(いなひかり)まなくして、雷(かみ)さへおどろ/\しく、落(おち)かゝるべく鳴撲(なりはため)けば、〓僮(わらはべ)どもは劇騒(あはてさわ)ぎて、
【挿絵】「義実(よしさね)三浦(みうら)に白龍(はくりう)を見(み)る」「里見よしさね」「杉倉木曽之介氏元」「堀内蔵人貞行」
笘屋(とまや)(/\)々に走入(はしりい)り、裡(うち)より鎖(とざ)して、敲(たゝ)けども開(あ)けず。かくてぞ義実(よしさね)主従(しゆう%\)は、笠(かさ)やどりせんよしのなければ、入江(いりえ)の松(まつ)の下蔭(したかげ)に、笠(かさ)を翳(かざ)して立(たち)給ふ。
 さる程(ほど)に、風雨(ふうう)ます/\烈(はげし)くて、或(あるひ)は晦(くら)く、或(あるひ)は明(あか)く、よせては碎(くだ)け、碎(くだ)けては、又(また)(たち)かへる浪(なみ)を包(つゝみ)て、廻翔(まひさが)る雲(くも)の中(うち)に、物(もの)こそあれ、と見る目(め)(まばゆ)く、忽然(こつぜん)として白龍(はくりう)(あらは)れ、光(ひかり)を放(はな)ち、浪(なみ)をまき立(たて)、南(みなみ)を投(さし)てぞ飛去(とびさり)ける。且(しばらく)して、雨霽(あめはれ)、雲(くも)おさまり、日(ひ)は没(いり)ながら影(かげ)はなほ、海(うみ)に殘(のこ)りて波(なみ)をいろとり、梢(こずゑ)を傳(つた)ふ松(まつ)の雫(しづく)、吹拂(ふきはら)ふ風(かぜ)に散(ち)る玉(たま)は、沙石(いさご)の中(うち)に輾没(まろびい)る。山(やま)は遠(とほう)して、翠(みどり)ふかく、巖(いはほ)は青(おをう)して、いまだ乾(かは)かず、瞻望(ながめ)に倦(あか)ぬ絶景(ぜつけい)佳境(かきやう)も、身(み)の憂(うき)ときはこゝろ止(とま)らず。氏元(うぢもと)は義実(よしさね)の、衣(きぬ)の濕吹気(しぶき)を拂(はら)ひなどして、後(おく)れたる貞行(さだゆき)を、今(いま)か/\と俟(まつ)(ほど)に、義実(よしさね)海面(うみつら)を指(ゆびさ)して、「向(さき)に雨(あめ)いと烈(はげ)しくて、立騒(たちさわ)ぎたる浪(なみ)の間(あはひ)に、叢雲(むらくも)(しき)りに廻翔(まひさが)り、彼(あの)(いは)のほとりより、白龍(はくりう▼○シロキタツ)の升(のぼ)りしを、木曽介(きそのすけ)は見ざりし歟(か)」と問(とは)れて直(ひた)と足(あし)を跪(つまだて)、「龍(たつ)とは認(みと)め候はねど、あやしき物(もの)の股(もゝ)かとおぼしく、輝(てり)かゞやくこと鱗(うろこ)のごときを、僅(はづか)に見て候」といへば義実(よしさね)うち点頭(うなづき)、「さればこそその事(こと)なれ。われはその尾(を)と足(あし)のみ見たり。全身(ぜんしん)を見ざりしこと、憾(うら)むべく惜(をしむ)べし。
 夫(それ)(たつ)は神物(かみつもの)也。変化(へんくわ)(もと)より彊(きわまり)なし。古人(いにしへのひと)いへることあり。龍(たつ)は立夏(りつか)の節(せつ)を俟(まち)て、分界(ぶんかい)して雨(あめ)を行(やる)。これを名(なづ)けて分龍(ぶんりう)といふ。今(いま)は則(すなはち)その時(とき)也。夫(それ)(たつ)の霊(れい)たるや、昭々(せう/\)として邇(ちか)く顕(あらは)れ、隱々(いん/\)として深(ふか)く潜(ひそ)む。龍(たつ)は誠(まこと)に鱗虫(うろくず)の長(おさ)也。かゝる故(ゆゑ)に、周公(しうこう)(ゑき)を繋(つな)ぐとき、龍(たつ)を聖人(せいじん)に比(たくらべ)たり。しかりといへども、龍(たつ)は欲(よく)あり、聖人(せいじん)の無欲(むよく)に及(しか)ず。こゝをもて、人(ひと)(あるひ)はこれを豢(かひ)、或(あるひ)は御(のり)、あるひは屠(ほふ)る。今(いま)はその術(じゆつ)(つたふ)るものなし。又(また)佛説(ぶつせつ)に『龍王経(りうわうきやう)』あり。大凡(おほよそ)(あめ)を祷(いの)るもの、必(かならず)まづこれを誦(よむ)。又(また)『法華経(ほけきやう)』の提婆品(だいばぼん)に、八歳(はつさい)の龍女(りうによ)、成佛(ぜうぶつ)の説(せつ)あり。善巧(ぜんこう)方便(ほうべん)也といふとも、祷(いのり)て驗(しるし)を得(う)るものあり。この故(ゆゑ)に、龍(たつ)を名(な)つけて雨工(うこう)といふ。亦(また)これを雨師(うし)といふ。その形状(かたち)を辨(べん)するときは、角(つの)は鹿(しか)に似(に)て、頭(かうべ)は駝(うま▼○ロトウ)に似(に)たり。眼(まなこ)は鬼(おに)に似(に)て、項(うなぢ)は蛇(へみ)に似(に)たり。腹(はら)は蜃(みづち)に似(に)て、鱗(うろこ)は魚(うを)に似(に)たり。その爪(つめ)は鷹(たか)の似(ごと)く、掌(たなそこ)は虎(とら)の似(ごと)く、その耳(みゝ)は牛(うし)に似(に)たり。これを三停九似(さんちやうきうじ)といふ。
 又(また)その含珠(たま)は頷(ほう)にあり。司聴(きく)ときは角(つの)を以(もつて)す。喉(のんど)の下(した)、長径尺(わたりいつしやく)、こゝを逆鱗(げきりん)と名(な)づけたり。物(もの)あつてこれに中(あた)れば、怒(いか)らずといふことなし。故(ゆゑ)に天子(てんし)の怒(いか)り給ふを、逆鱗(げきりん)とまうす也。雄龍(をたつ)の鳴(なく)ときは、上(うへ)に風(かぜ)ふき、雌龍(めたつ)の鳴(なく)ときは、下(した)に風(かぜ)ふく。その声(こゑ)竹筒(ふえ)を吹(ふく)ごとく、その吟(ぎん)ずるとき、金鉢(こがねのはち)を戛(する)が如(ごと)し。彼(かれ)は敢(あへて)衆行(つれたちゆ)かず、又(また)羣處(むらがりをる)ことなし。合(がつ)するときは體(たい)をなし、散(さん)するときは章(せう)をなす。雲気(うんき)に乗(じやう)し、陰陽(いんよう)に養(やしなは)れ、或(ある)は明(あきらか)に、或(ある)は幽(かすか)なり。大(おほき)なるときは宇宙(うちう)に〓〓(せうよう)し、小(ちひさ)なるときは、拳石(けんせき)の中(うち)にも隱(かく)る。春分(しゆんぶん)には天(てん)に登(のぼ)り、秋分(しうぶん)には淵(ふち)に入(い)り、夏(なつ)を迎(むかふ)れば、雲(くも)を凌(しのぎ)て鱗(うろこ)を奮(ふる)ふ。これその時(とき)を樂(たのしむ)也。冬(ふゆ)としなれば泥(どろ)に淪(しづ)み、潜蟠(ひそまりわたかまつ)て敢(あへて)(いで)ず。これその害(がい)を避(さく)る也。龍(たつ)は尤(すぐれて)種類(しゆるい)(おほ)し。飛龍(ひりやう)あり、應龍(おうりう)あり、蛟龍(こうりう▼○ミツチ)あり、先龍(せんりう)あり、黄龍(くわうりやう)あり、青龍(せいりやう)あり、赤龍(しやくりう)あり、白龍(はくりう)あり、元龍(げんりやう)あり、黒龍(こくりやう)あり。
 白龍(はくりう)(もの)を吐(はく)ときは、地(ち)に入(いり)て金(こかね)となり、紫龍(しりう)(よだれ)を垂(た)るゝときは、その色(いろ)(とほり)て玉(たま)の如(ごと)し。紫稍花(しせうくわ)は龍(たつ)の精(せい)也。蛮貊(ばんはく)(ひさい)で藥(くすり)に入(いる)る。鱗(うろこ)あるは蛟龍(みづち)なり。翼(つばさ)あるは應龍(おうりやう)也。角(つの)あるを〓龍(きんりう)といひ、又(また)〓龍(きうりやう)ともこれをいふ。角(つの)なきを〓龍(だりやう)といひ、又(また)これを〓龍(りりやう)といふ。又(また)蒼龍(さうりう)は七宿(しちしゆく)也。班龍(はんりう)は九色(くしき)なり。目(めに)百里(ひやくり)の外(ほか)を見る。これを名(なづ)けて驪龍(りりやう)といひ、優樂(ゆうらく)自在(じざい)なるものを、福龍(ふくりやう)と名(なつ)けたり。自在(じざい)を得(え)ざるは薄福龍(はくふくりやう)、害(がい)をなすはこれ悪龍(あくりやう)、人(ひと)を殺(ころ)すは毒龍(どくりやう)也。又(また)(くるしみ)て雨(あめ)を行(やる)、是(これ)(すなはち)垂龍(すいりう)也。又(また)病龍(やむたつ)のふらせし雨(あめ)は、その水(みづ)(かならず)(なまぐさ)し。いまだ、升天(せうてん)せざるもの、易(ゑき)に所謂(いはゆる)蟠龍(はんりう)也。蟠龍(はんりう)は長(たけ)四丈(よぢやう)、その色(いろ)青黒(あをくろう)して、赤帶(あかきよこすぢ)錦文(にしきのあや)の如(ごと)し。火龍(くわりやう)は高(たかさ)七尺(しやく)あり。その色(いろ)は真紅(しんく)にして、火焔(くわえん)(たきひ)を聚(あつむ)る如(ごと)し。
 又(また)癡龍(ちりやう)あり。懶龍(だりやう)あり、龍(たつ)の性(さが)は淫(いん)にして、交(まじはら)ざる所(ところ)なし。牛(うし)と交(まじは)れば、麒麟(きりん)を生(う)み、豕(ゐのこ)に合(あ)へば象(ざう▼○キサ)を生(う)み、馬(うま)と交(まじは)れば龍馬(りうめ)を生(う)む。又(また)九ッの子(こ)を生(う)む説(せつ)あり。第一子(だいゝちのこ)を蒲牢(ほろう)といふ。鳴(なる)ことを好(この)むもの也。鐘(かね)の龍頭(りうづ)はこれを象(かたと)る。第二子(だいにのこ)を囚牛(しうぎう)といふ。音(なりもの)を好(この)むもの也。琴鼓(ことつゞみ)の飾(かざり)にこれを付(つく)。第三子(だいさんのこ)を蚩物(せんぶつ)といふ。呑(のむ)ことを好(この)むもの也。盃盞(はいさん)飲器(いんき)に、これを画(ゑが)く。第四子(だいしのこ)を嘲風(ちやうふう)といふ。險(けはしき)を好(この)むもの也。堂塔(だうたふ)樓閣(ろうかく)の瓦(かはら)、これを象(かたと)る。第五子(だいごのこ)を〓眦(こうせい)といふ。殺(ころす)ことを好(この)むもの也。大刀(たち)の飾(かざり)にこれを付(つく)。第六子(だいろくのこ)を負〓(ふき)といふ。こは文(ふみ)を好(この)むとなん。いにしへの龍篆( うてん)、印材(いんざい)の〓(つまみ)、文章星(ぶんせうせい)の下(した)に画(ゑが)く、飛龍(ひりやう)の如(ごと)き、みな是(これ)也。第七子(だいしちのこ)を〓〓(ひかん)といふ。訟(うつたへ)を好(この)むもの也。第八子(だいはちのこ)を〓猊(しゆんげい)といふ。〓猊(しゆんげい)は乃(すなはち)獅子(しゝ)也。坐(ざ)することを好(この)むものとぞ。倚子(いす)曲〓(きよくろく)に象(かたど)ることあり。第九子(だいくのこ)を覇下(はか)といふ。重(おもき)を負(おふ)を好(このむ)もの也。鼎(かなへ)の足(あし)、火爐(ひはち)の下(あし)、凡(およそ)(もの)の枕(まくら)とするもの、鬼面(きめん)のごときは則(すなはち)これなり。これらの外(ほか)に又(また)(こ)あり。憲章(けんせう)は囚(とらはれ)を好(この)み、饕餮(とうてつ)は水(みづ)を好(この)み、蟋蜴(しつとう)は腥(なまくさき)を好(この)み、〓〓(ばんせん)は風雨(ふうう)を好(この)み、〓虎(りこ)は文采(あやのいろとり)を好(この)み、金猊(きんげい)は烟(けふり)を好(この)み、椒圖(しゆくと)は口(くち)を閉(とづ)るを好(この)み、〓〓(とうせつ)は險(けはしき)に立(たつ)を好(この)み、鰲魚(こうぎよ)は火(ひ)を好(この)み、金吾(きんきよ)は睡(ねふら)ざるものとぞ。皆(みな)これ龍(たつ)の種類(しゆるい)なり。
 大(おほい)なるかな龍(たつ)の徳(とく)、易(ゑき)にとつては乾道(けんのみち)也。物(もの)にとつては神聖(ひじり)なり。その種類(しゆるい)の夛(おほ)きこと、人(ひと)に上智(せうち)と下愚(かぐ)とあり、天子(てんし)匹夫(ひつふ)の如(ごと)くなる歟(か)。龍(たつ)は威徳(いとく)をもて、百獣(もゝのけもの)を伏(ふく)するもの也。天子(てんし)も亦(また)威徳(いとく)をもて、百宦(ひやくくはん)を率(ひきゐ)給ふ。故(ゆゑ)に天子(てんし)に袞龍(こんりやう)の御衣(ぎよゐ)あり。天子(てんし)のおん顔(かほ)を、龍顔(りうがん)と稱(たゝへ)、又(また)おん形體(かたち)を龍體(りうたい)と唱(となへ)、怒(いか)らせ給ふを逆鱗(げきりん)といふ。みな是(これ)(たつ)に象(かたと)る也。その徳(とく)枚挙(かぞへあぐ)べからず。
(いま)や白龍(はくりう)(みなみ)に去(さる)。白(しろ)きは源氏(げんじ)の服色(ふくしよく)也。南(みなみ)は則(すなはち)房総(あはかづさ)、々々(あはかづさ)は皇國(みくに)の盡処(はて)也。われその尾(を)を見て頭(かうべ)を見ず、僅(はつか)に彼地(かのち)を領(れう)せんのみ。汝(なんぢ)は龍(たつ)の股(もゝ)を見たり。是(これ)わが股肱(こゝう)の臣(しん)たるべし。さは思はずや」と正首(まめやか)に、和漢(わかん)の書(しよ)を引(ひき)、古実(こじつ)を述(のべ)、わがゆくすゑの事さへに、思量(おもひはか)りし俊才(しゆんさい)叡智(えいち)に、氏元(うぢもと)ふかく感佩(かんはい)し、「武弁(ぶべん)の家(いへ)に生(うま)れても、匹夫(ひつふ)の勇(ゆう)に誇(ほこ)るは夛(おほ)く、兵書(ひやうしよ)兵法(ひやうほう)に通(つう)するすら、今(いま)の時(とき)には稀(まれ)なるに、なほうらわかきおん年(とし)にて、人(ひと)も見ぬ書(しよ)をいつのまに、読(よみ)つくし給ひけん。さもなくておのづから、物(もの)に博(ひろ)くは天(てん)の作(なせ)る、君(きみ)は寔(まこと)に良將(りやうせう)なり。今(いま)こそまうせ結城(ゆふき)にて、得(え)(しな)ざりける氏元(うぢもと)が、はじめの憾(うらみ)とうらうへなる、命(いのち)めでたくけふにあふ、歡(よろこ)びこれにますものなし。斯(かう)ゆくすゑの憑(たのも)しきに、日(ひ)は暮果(くれはて)て候とも、要(えう)なき入江(いりえ)に明(あか)さんや。安房(あは)へおん供(とも)つかまつらん、と思へども舩(ふね)はなし。天(そら)は晴(はれ)ても甲夜闇(よひやみ)に、月待(つきまち)わぶる途(みち)の便(びん)なさ、こゝろ頻(しき)りに焦燥(いらたつ)のみ。せんすべなきは水行(ふなぢ)也、とは思はでや。後(おく)れたる、堀内(ほりうち)貞行(さだゆき)が今(いま)までも、まゐらざること甚(はなはた)不審(いぶかし)。富貴(ふうき)には他人(たにん)も合(つど)ひ、まづしき時(とき)は妻子(やから)も離(はな)る。人(ひと)の誠(まこと)に経(つね)なければ、渠(かれ)はや途(みち)より迯(にげ)たりけんおぼつかなく候」といひつゝ眉根(まゆね)うちよすれば、義実(よしさね)莞尓(につこ)とうち笑(え)みて、「さな疑(うたが)ひそ木曽介(きそのすけ)。老黨(ろうだう)若黨(わかたう)(おほ)かる中(なか)にて、彼(かれ)と汝(なんぢ)は人(ひと)なみならぬ、志(こゝろざし)あればこそ、家尊(かぞの)大人(うし)(えらま)せ給ひて、吾儕(わなみ)に属(つけ)させ給ふならずや。われも亦(また)貞行(さだゆき)が人(ひと)となりはよく知(し)りつ。難(なん)に臨(のぞみ)て主(しゆう)を棄(すて)、迯(にげ)かくるゝものにあらず。今(いま)霎時(しばし)こゝにて俟(また)ん。月(つき)も出(いづ)べき此(ころ)なるに」と物(もの)に障(さわ)らぬ言(こと)の葉(は)も、心(こゝろ)の底(そこ)もいと廣(ひろ)き、海(うみ)より出(いづ)る十八日の、月(つき)おもしろき浦波(うらなみ)や、金(こかね)を集(あつ)め玉(たま)を敷(しく)、龍宮城(たつのみやこ)もかくやらんとて、主従(しゆう%\)(ひたゐ)に手(て)を翳(かざ)し、思はずも木蔭(こかげ)をはなれて、波打際(なみうちきわ)へ寄(より)給ふ。
 浩処(かゝるところ)に快舩(はやふね)一艘(いつそう)、水崎(みさき)のかたより漕出(こぎいで)たり。「こなたへもや」と見る程(ほど)に、はやきこと矢(や)の如(ごと)く、間(あはひ)ちかくなるまゝに、舩(ふね)の中(うち)より声(こゑ)たかく、「契(ちぎり)あれば、卯(う)の葉(は)(ふき)ける、濱屋(はまや)にも、龍(たつ)の宮媛(みやひめ)、かよひてしかな」と口実(くちすさ)む一首(いつしゆ)の古歌(こか)〔仲正(なかまさ)家集(かしゆう)〕を、水主(かこ)は何(なに)とも聞(きゝ)しらでや、そがまゝに漕着(こぎつけ)しかば、件(くだん)の人(ひと)は纜(ともつな)を、砂(いさこ)の中(うち)へ投(なげ)かけて、その身(み)も閃(ひら)りと登(のぼ)り立(たつ)を、と見れば堀内(ほりうち)貞行(さだゆき)也。「こは/\いかに」とこなたの主従(しゆう%\)、縡問(こととひ)(がほ)に先(さき)に立(たち)て、舊(もと)の樹下(このもと)に坐(ざ)を占(しむ)れは、貞行(さだゆき)は松(まつ)の下葉(したは)を、掻(かき)よせて小膝(こひざ)を著(つき)、「向(さき)に相模(さがみ)(ぢ)へ入(い)りしより、渡海(とかい)不便(ふべん)に候よしを、仄(ほのか)に聞(きゝ)て候へば、捷徑(ちかみち)より先(さき)へ走(はしり)て、是首(ここ)彼首(かしこ)なる笘屋(とまや)にて、津(わたり)を求(もとむ)れども舩(ふね)を出(いだ)さず、ゆき/\て水崎(みさき)に赴(おもむ)き、漁舟(すなとりふね)を借得(かりえ)たれども、餓(うへ)させ給ふ事もやとて、飯(いひ)を炊(かしか)せ候程(ほど)に、雷雨(らいう)(はげ)しくなりしかば、思はず彼処(かしこ)に日(ひ)を消(くら)し、かくの如(ごと)く遅参(ちさん)せり。はじめよりこれらのよしを、申上候はねば、いぶかしくおぼし召(めし)けん」といふを義実(よしさね)(きゝ)あへず、「さればこそいはざる事(こと)(か)。われはさらなり木曾介(きそのすけ)も、こゝらに舩(ふね)のありなしは、一切(つや/\)思ひかけざりき。もし蔵人(くらんど)なかりせば、今宵(こよひ)いかでか安房(あは)へわたさん。寔(まこと)にこよなき才学(さいかく)なれ」と只管(ひたすら)嘆賞(たんせう)し給へば、氏元(うぢもと)は額(ひたゐ)を拊(なで)、「人(ひと)の才(さえ)の長(なが)き短(みじか)き、かくまで差別(けぢめ)あるもの歟(か)。やよ蔵人(くらんど)ぬし、かゝる時(とき)には疑念(ぎねん)も發(おこ)りぬ。おのが心(こゝろ)の淺瀬(あさせ)にまよへば、深(ふか)き思慮(しりよ)ある和殿(わどの)を狹(さみ)して、今(いま)までわろくいひつる也」と咲(えみ)つゝ告(つぐ)れば、貞行(さだゆき)は、腹(はら)を抱(かゝへ)てうち笑(わら)ふ。「現(げに)二鞘(ふたさや)の隔(へだて)なき、兵士(つわものゝ)の交(まじはり)は、かくこそあれ」と義実(よしさね)も、共(とも)に笑坪(えつぼ)に入(いり)給ふ。
 かくて又(また)義実(よしさね)は、蔵人(くらんど)貞行(さだゆき)にうち對(むか)ひ、「われは前面(むかひ)へ渡(わた)りかねて、こゝに汝(なんぢ)を待(まつ)ほどに、塊(つちくれ)の賜(たまもの)あり、又(また)白龍(はくりう)の祥瑞(せうずい)あり。これらは舩(ふね)にて譚(かたらは)ん」と宜(のたま)ふ声(こゑ)を聞(きゝ)とりてや、水主(かこ)は手(て)を抗(あげ)、さし招(まね)き、「月(つき)もよし。風(かぜ)もよし。とく/\舩(ふね)に乗(のり)給へ」と促(うなが)す隨(まゝ)に主従(しゆう%\)三人(みたり)、乗(の)れば揺揚(ゆらめ)く棚(たな)なし小舟(をふね)。水主(かこ)は纜(ともつな)手繰(たぐり)よせて、取(とり)なほす棹(さを)のうたかたの、安房(あは)を望(さし)てぞ漕去(こぎさり)ぬ。


# 『南総里見八犬伝』第一回 2004-08-28
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