『南總里見八犬傳』第六回


 第六回(だいろくくわい) 倉廩(さうりん)を開(ひら)きて義実(よしさね)二郡(にぐん)を賑(にぎは)す\君命(くんめい)を奉(うけ給は)りて孝吉(たかよし)三賊(さんぞく)を誅(ちう)

 却説(かくて)滝田(たきた)の軍民(ぐんみん)(ら)は、まづ鈍平(どんへい)(ら)を撃(うた)んとて、二(に)の城戸(きど)(せま)し、と詰寄(つめよ)せて、鬨(とき)を咄(どつ)と揚(あげ)しかば、思ひがけなく塀(へい)の内(うち)より、鎗(やり)の穂頭(ほさき)に串(つらぬ)きたる、生頸(なまくび)を高(たか)く揚(あげ)、「衆人(もろひと)われを何(なに)とかする。われはや非(ひ)を悔(くひ)、逆(ぎやく)を去(さり)、志(こゝろざし)を寄手(よせて)にかよはし、逆賊(ぎやくぞく)定包(さだかね)を誅伐(ちうばつ)せり。誘(いざ)もろ共(とも)に城(しろ)を開(ひら)きて、里見(さとみ)殿(どの)を迎入(むかへい)れずや。同士(どし)(うち)すな」と呼(よばゝ)らして、城戸(きど)を颯(さつ)と推(おし)ひらかせ、岩熊(いはくま)鈍平(どんへい)、妻立(つまたて)戸五郎(とごらう)、鎧(よろい)戦袍(ひたたれ)(はな)やかに、軍兵(ぐんびやう)(あまた)前後(ぜんご)に立(たゝ)して、両人(りやうにん)床几(せうき)に尻(しり)を掛(かけ)、軍團(ぐんばい)(とつ)てさし招(まね)けば、軍民(ぐんみん)(ら)は呆(あき)れ惑(まど)ひて、件(くだん)の頸(くび)を向上(みあぐ)るに、こは紛(まが)ふべうもあらぬ、定包(さだかね)が首級(しゆきう)なり。原来(さては)、鈍平(どんへい)戸五郎(とごらう)(ら)、脱(のが)るべき途(みち)なきを知(し)りて、はや定包(さだかね)を撃(うち)たるならん。憎(にく)し、と思へど今更(いまさら)に、同士(どし)(うち)するによしなければ、已(やむ)ことを得(え)ずその令(けぢ)に隨(したが)ひ、城樓(やぐら)に降参(こうさん)の幡(はた)を建(たて)て、正門(おほてのもん)を推(おし)ひらき、鈍平(どんへい)戸五郎(とごらう)(ら)を先(さき)に立(たゝ)して、軈(やが)て寄手(よせて)を迎(むかふ)れば、里見(さとみ)の先鋒(せんぢん)金碗(かなまり)八郎、縡(こと)の仔細(しさい)をうち聞(きゝ)て、定包(さだかね)が首級(しゆきう)を受(うけ)とり、軍法(ぐんほう)なれば鈍平(どんへい)(ら)が、腰刀(こしかたな)さへ取(とり)おかして、大將(たいせう)に報知(つげ)(たてまつ)れば、義実(よしさね)は諸軍(しよぐん)を進(すゝ)めて、はやその処(ところ)へ近(ちか)つき給へば、鈍平(どんへい)(ら)は阿容(おめ)(/\)々と、沙石(いさご)に頭(かうべ)を掘埋(ほりうづ)めて、これを迎(むかへ)(たてまつ)り、城兵(ぜうひやう)(ら)は二行(にぎやう)についゐて、僉(みな)万歳(ばんぜい)と唱(となへ)けり。
 且(しばらく)して後陣(ごぢん)なる、貞行(さだゆき)も來(き)にければ、前駈(ぜんく)後従(ごしよう)の隊伍(たいご)を整(とゝの)へ、大將(たいせう)(しづか)に城(しろ)に入(いり)て、隈(くま)なく巡歴(じゆんれき)し給へば、神餘(じんよ)がゐまぞかりし時(とき)より、只管(ひたすら)驕奢(けうしや)に耽(ふけ)りしかば、竒麗(きれい)壮観(さうくわん)(たま)を敷(しき)、金(こかね)を延(のべ)ずといふことなし。加以(これのみならず)、定包(さだかね)(また)(たみ)を絞(しぼり)て、飽(あく)まで貪貯(むさぼりたくはへ)たる、米穀(べいこく)財宝(ざいほう)倉廩(くら)に充(みち)て、沛公(はいこう▼コウソ)が阿房(あばう)に入(い)りしとき、幕下(ばくか▼ヨリトモ)が泰衡(やすひら)を討(うち)し日(ひ)も、かくやとおもふばかり也。さりけれども義実(よしさね)は、一毫(いちごう)も犯(おか)すことなく、倉廩(くら)をひらきて両郡(りやうぐん)なる、百姓(ひやくせう)(ら)に頒與(わかちあたへ)給へば、貞行(さだゆき)(ら)これを諫(いさめ)て、「定包(さだかね)誅伏(ちうふく)したれども、なほ平舘(ひらたて)々山(たてやま)には、麻呂(まろ)安西(あんさい)の強敵(ごうてき)あり。幸(さいはひ)にこの城(しろ)を獲(え)て、軍用(ぐんよう)(とも)しからずなりしを、一毫(いちごう)も貯(たくはへ)給はず、百姓(ひやくせう)ばらに賜(給は)する、賢慮(けんりよ)つや/\こゝろ得(え)かたし」と眉(まゆ)うち顰(ひそめ)てまうすにぞ、義実(よしさね)(きゝ)てうち点頭(うなつき)、「しか思ふは眼前(がんぜん)の、理(ことわり)に似(に)たれども、民(たみ)はこれ國(くに)の基(もと)なり。長挟(ながさ)平郡(へぐり)の百姓(ひやくせう)(ら)、年來(としころ)悪政(あくせい)に苦(くるし)みて、今(いま)(ぎやく)を去(さり)、順(じゆん)に帰(き)せしは、飢寒(きかん)を脱(のがれ)ん為(ため)ならずや。然(さ)るをわれ又(また)(むさぼ)りて、彼(かの)窮民(きうみん)を賑(にぎはさ)ずは、そは定包(さだかね)(ら)に異(こと)ならず。倉廩(くら)に餘粟(あまんのあわ)ありとも、民(たみ)みな叛(そむ)きはなれなば、孰(たれ)とゝもに城(しろ)を守(まも)り、孰(たれ)とゝもに敵(てき)を禦(ふせが)ん。民(たみ)はこれ國(くに)の基(もと)也。民(たみ)の富(とめ)るはわが富(と)む也。徳政(とくせい)(むな)しからざりせば、事(こと)あるときに軍用(ぐんよう)は、求(もとめ)ずも集(あつま)るべし。惜(をし)むことかは」と宣(のたま)へば、貞行(さだゆき)(ら)は更(さら)にもいはず、感涙(かんるい)(そゞろ)に禁(とゞめ)かねて、おんまへを退出(まかで)けり。
 却説(かくて)(つぐ)の日(ひ)義実(よしさね)は、正廳(まんところ)に出(いで)まして、首(くび)実檢(じつけん)ことをはり、降人(こうにん)鈍平(どんへい)戸五郎(とごらう)(ら)を召(めし)よせつゝ、主(しゆう)を撃(うち)たることの趣(おもむき)、金碗(かなまり)八郎して問(とは)し給へば、両人(りやうにん)斉一(ひとしく)まうすやう、「定包(さだかね)は主(しゆう)を仆(たふ)し、土地(とち)を奪(うばへ)る逆賊(ぎやくぞく)なれども、某(それがし)(ら)(うつ)ことかなはず、假(かり)にその手(て)に属(つき)たるは、竊(ひそか)に時運(じうん)をまちし故(ゆゑ)也。しかればきのふ賢君(けんくん)の、御教書(みげうしよ)を給はりて、桀(けつ)を去(さり)、湯(とう)に帰(おもむ)く、見参(げんざん)の牽出物(ひきでもの)に、彼(かの)首級(しゆきう)を齎(もたら)したり」とほこりかに陳(ちん)すれば、金碗(かなまり)八郎冷笑(あざわら)ひ、「辭(ことば)(たくみ)にまうせども、そは甚(はなはだ)しき虚言(そらごと)なり。抑(そも/\)汝等(なんぢら)両人(りやうにん)は、定包(さだかね)が悪(あく)を佐(たすけ)て、州民(くにたみ)を虐(しへたげ)たる、縡(こと)(すで)に隱(かく)れなし。さるにより軍民(ぐんみん)(ら)、まづ汝等(なんぢら)を撃(うた)んとて、その徒(ともがら)を聚(あつむ)る程(ほど)に、汝等(なんぢら)(これ)を傳聞(つたへきゝ)て、身(み)の咎(とが)を脱(のがれ)ん為(ため)に、さて定包(さだかね)を撃(うち)しならずや。孝吉(たかよし)(おふせ)を承(うけ給は)りて、城中(ぜうちう)の民(たみ)に問(とひ)、その趣(おもむき)をはやしれり。かゝりけれども陳(ちん)ずるや」といはれて両人(りやうにん)(ぎよつ)とせし、中(なか)に鈍平(どんへい)(まなこ)を〓(みは)り、「そは戸(と)五郎が事(こと)なるべし。渠(かれ)は總角(あげまき)の比(ころ)よりして、定包(さだかね)に仕(つかへ)しかば、第一(だいゝち)の出頭(きりもの)也。しかるに戸(と)五郎しのび/\に、美女(びぢよ)玉梓(たまつさ)に思(おも)ひを運(はこば)し、密事(みそかごと)を果(はたさ)ん為(ため)のみ。某(それがし)に荷擔(かたん)して、初大刀(しよたち)を撃(うち)て候ひし。某(それがし)底意(そこゐ)を猜(すい)せしかば、身(み)の潔白(けつはく)を明(あかさ)んとて、彼(かの)玉梓(たまつさ)を生拘(いけど)らせ、押篭(おしこめ)(おき)て候へば、召(めさ)せ給はゞ分明(ふんめう)ならん。これらによりて此彼(これかれ)の、清濁(せいだく)を察(さつ)し給へ」といはせもあへず戸(と)五郎は、眄(にらまへ)かへして声(こゑ)をふり立(たて)、「八郎ぬし、此奴(こやつ)が辭(ことば)を、実事(まこと)とな聞(きゝ)給ひそ。某(それがし)いかで玉梓(たまつさ)に、情(こゝろ)ありて主(しゆう)を撃(うち)、おん躬方(みかた)をつかまつらん。鈍平(どんへい)は當初(そのはじめ)、神餘(じんよ)が馬(うま)の口附(くちつき)也。落羽(おちば)が岡(おか)の狩倉(かりくら)に、定包(さだかね)に相譚(かたらは)れて、主(しゆう)の乗馬(じやうめ)に毒(どく)を餌(か)ひ、光弘(みつひろ)ぬしを亡(うしな)ひつ。定包(さだかね)二郡(にぐん)を奪(うば)ふに及(およ)びて、第一(だいゝち)の出頭(きりもの)なれば、民(たみ)の怨(うらみ)も大(おほ)かたならず。その咎(とが)を脱(のがれ)ん為(ため)に、二代(にだい)の主(しゆう)を撃(うち)たるなり。欺(あざむか)れ給ふな」と苦(くるし)き隨(まゝ)に非(ひ)をあげて、人(ひと)を陥(おと)しつ、罪(つみ)をます、争(あらそ)ひ果(はて)しなかりしかば、八郎(はちらう)「呵々(かゝ)」とうち笑(わら)ひ、「問(とふ)にはおちで語(かた)るに落(おつ)る、汝等(なんぢら)が奸悪(かんあく)は、生(せい)をかえ、世(よ)をかゆるとも、頸(くび)を続(つぐ)べきよしなきもの也。定包(さだかね)逆賊(ぎやくぞく)也といふ共、戸五郎(とごらう)はその家臣(かしん)として、脱(のが)るゝ途(みち)のなきまゝに、これを撃(うつ)こと人(ひと)にあらず。鈍平(どんへい)は又(また)當初(そのはじめ)、定包(さだかね)が為(ため)に主(しゆう)を傷(そこな)ひ、その蔭(かげ)に立(たち)ながら、縡逼(ことせまつ)て亦(また)これを撃(うつ)。悪逆(あくぎやく)こゝに極(きわま)れり。吾君(わがきみ)(たみ)の父母(ふぼ)として、仁慈(じんぢ)を旨(むね)とし給ふ共、もし汝等(なんぢら)を赦(ゆる)し給はゞ、賞罰(せうばつ)(つひ)に行(おこなは)れず、忠孝(ちうこう)ながく廃(すた)れなん。今(いま)汝等(なんぢら)がまうすを待(また)ず、隱慝(いんどく)露顕(ろけん)したれども、その口(くち)づからいはせんとて、法場(おきてのには)に牽出(ひきいだ)せり。罪籍(ざいせき)(すで)に定(さだま)りぬ。律(りつ)に于(おい)て赦(ゆる)しがたし。彼(あれ)(いましめ)よ」と喚(よばゝ)れば、雜兵(ざふひやう)(ら)(はし)りかゝりて、鈍平(どんへい)戸五郎(とごらう)を撲地(はた)と蹴倒(けたふ)し、押(おさへ)て索(なわ)を懸(かけ)しかば、件(くだん)の二人(ふたり)は劇騒(あはてさわ)ぎて、屠処(としよ)の羊(ひつじ)と恨(うら)みつ賠話(わび)つ、只(たゞ)諄々(ぐと/\)とかき口説(くどけ)ば、金碗(かなまり)(いか)れる声(こゑ)を激(はげま)し、「汝(なんぢ)に出(いで)て汝(なんぢ)に返(かへ)る、悪逆(あくぎやく)の天罰(てんばつ)は、八〓(やつざき)の刑(けい)たるべし。とく/\」といそがせは、雜兵(ざふひやう)(ら)はうけ給はり、立(たゝ)じと悶掻(もがく)罪人(ざいにん)を、外面(とのかた)へ牽(ひき)もてゆき、時(とき)を移(うつ)さずその頸(くび)ふたつを、緑竹(あをだけ)の〓(くし)に貫(つらぬ)き、実檢(じつけん)に備(そなふ)る程(ほど)に、金碗(かなまり)ふたゝび令(げぢ)を傳(つたへ)て、「彼(かの)玉梓(たまつさ)を牽(ひ)け」といふ。
 無慙(むざん)なるかな玉梓(たまつさ)は、姿(すがた)の花(はな)も心(こゝろ)から、夜半(よは)の嵐(あらし)に吹萎(ふきしを)れ、天羅(てんら)(のが)れず縛(いましめ)の、索(なわ)に牽(ひか)るゝ姫瓜(ひめうり)や、何(なに)となる子(こ)の音(おと)に騒(さわ)ぐ、雀色(すゞめいろ)(とき)ならねども、見るめは暗(くら)き孫廂(まごひさし)、推(おし)すえられつ、豫(かね)て知(し)る、孝吉(たかよし)に愧(はぢら)ひて、霎時(しばし)も頭(かうべ)を擡得(もたげえ)ず。金碗(かなまり)は「面(おもて)をあげよ」と呼(よび)かけて小膝(こひざ)をすゝめ、「玉梓(たまつさ)(なんぢ)は前(せん)國主(こくしゆ)の、側室(そばめ)也とはしらざるものなし。寵(ちやう)に誇(ほこ)りて主君(しゆくん)を蕩(とらか)し、政道(せいとう)にさへ手(て)をかけて、忠臣(ちうしん)を傷賊(そこなひ)たる、その罪(つみ)これひとつ也。身(み)は只(たゞ)綾羅(れうら)に纏(まと)はして、玉(たま)を炊(かし)き桂(かつら)を焼(たき)、富貴(ふうき)歡樂(くわんらく)(きわま)りなけれど、なほ〓(あきた)らで、定包(さだかね)と密通(みつゝう)せり。その罪(つみ)これ二ッ也。これらは人(ひと)の告(つぐ)るを待(また)ず、孝吉(たかよし)がしることになん。かくて山下(やました)定包(さだかね)が逆謀(ぎやくぼう)(すで)に縡成(ことなり)て、両郡(りやうぐん)を奪(うば)ひし日(ひ)より、汝(なんぢ)はその婦妻(ふさい)となりて、愧(はづ)る色(いろ)なく、憚(はゞか)ることなく、城(しろ)(おちい)るまで得(え)(しな)ざりしは、造悪(ぞうあく)の業報(ごうほう)なり。生(いき)ては縲絏(いましめのなわ)に繋(つなが)れ、死(し)しては祀(まつ)らざる鬼(おに)とならん。天罰(てんばつ)國罰(こくばつ)思ひしるや」と声高(こゑたか)やかに叱(しつ)すれば、玉梓(たまつさ)やうやく頭(かうべ)を擡(もたげ)、「いはるゝ所(ところ)こゝろ得(え)がたし。女(をんな)はよろづあは/\しくて、三界(さんかい)に家(いへ)なきもの、夫(をとこ)の家(いへ)を家(いへ)とすなれば、百年(もゝとせ)の苦(く)も楽(らく)も、他人(あだしひと)によるといはずや。况(まい)てわらはは先君(せんくん)の正室(ほんさい)には侍(はべ)らず。光弘(みつひろ)なくなり給ひては、よるべなき身(み)を生憎(あやにく)に、山下(やました)ぬしに思(おもは)れて、深窓(ふかきまど)に冊(かしつか)れ、再寝(またね)の夢(ゆめ)を結(むす)びあへず、囚(とらは)れとなりし事、過世(すくせ)の因果(いんぐわ)にあらんずらん。又(また)『給事(みやつかへ)のはじめより、私(わたくし)にまつりごちて、忠臣(ちうしん)を傷(そこなひ)たる。山下(やました)ぬしに情由(われ)ありし』
【挿絵】「賞罰(せうばつ)を締(あきらか)にして義実(よしさね)玉梓(たまつさ)(ら)を誅戮(ちうりく)す」「玉つさ」「定かねが首級」「戸五郎が首級」「どん平が首級」
といふは傍(かたへ)の妬媚(そねみ)にて、実(まこと)あるべき事には侍(はべ)らず。譬(たとひ)ば神餘(じんよ)の老黨(ろうだう)若黨(わかたう)、禄高(ろくたか)く職重(つかさおも)きも、大(おほ)かたならず、二君(じくん)に仕(つかへ)て、露(つゆ)ばかりも、恥(はぢ)とせず、おん身(み)が如(ごと)きは憖(なまじい)に、主君(しゆくん)を凌(しの)ぎて逐電(ちくてん)し、更(さら)に里見(さとみ)に隨(したがふ)て、瀧田(たきた)の城(しろ)を落(おと)し給へど、兎(う)の毛(け)ばかりも先君(せんくん)のおん為(ため)にはなるよしなし。しかれば各(おの/\)栄利(ゑのり)の為(ため)に、彼(かれ)に仕(つかへ)、これに従(したが)ふ。男子(をのこ)すらかくの如(ごと)し。女子(をなこ)のうへには筑摩(つくま)の鍋(なべ)を、かさぬるも世(よ)におほかり。然(さ)るを何(なに)ぞや玉梓(たまつさ)ひとり、なき事(こと)さへに罪(つみ)をおはして、飽(あく)まで憎(にく)ませ給はする、いと承(うけ)がたき誣言(しひごと)や」と眼尻(まなしり)かへして怨(ゑん)ずれば、八郎(はちらう)(せき)を撲地(はた)と鼓(うち)、「そは過言(くわごん)なり。舌長(したなが)し。既(すで)に汝(なんぢ)が奸曲(かんきよく)は、推量(すいりやう)の説(せつ)ならず。十目(しうもく)の視(み)る所(ところ)、十指(しうし)の指(ゆびさ)す所(ところ)也。しかるをなほ承伏(ぜうぶく)せず、みづから許(ゆる)して喩(たとへ)を引(ひく)、外面(げめん)(によ)菩薩(ぼさつ)、内心(ないしん)夜叉(やしや)、顔(かほ)と心(こゝろ)はうらうへなる、汝(なんぢ)は錦(にしき)の嚢(ふくろ)に包(つゝめ)る、毒石(どくせき)に異(こと)ならず。さる逞(たくま)しき女子(をなこ)ならずは、いかでか城(しろ)を傾(かたむ)くべき。しらずや酷六(こくろく)鈍平(どんへい)(ら)は、神餘(じんよ)譜代(ふだい)の老黨(ろうだう)なれども、利(り)の為(ため)に義(ぎ)を忘(わす)れ、逆(ぎやく)に隨(したが)ひ悪(あく)をませし、冥罰(めうばつ)(つひ)に脱(まぬか)れず、皆(みな)八〓(やつさき)にせられたり。
 又(また)孝吉(たかよし)はこれと異(こと)なり。灰(はひ)を呑(のみ)、漆(うるし)して、姿(すがた)を変(かえ)て故君(こくん)の仇(あた)を、狙撃(ねらひうた)んと思ふのみ。単身(みひとつ)にしてその事(こと)得遂(えとげ)ず、五指(ごし)のかはる/\に弾(はぢか)んより、一拳(いつけん)にますことなければ、里見(さとみ)の君(きみ)に隨従(ずいじゆう)して、袒肩(だんけん)の躬方(みかた)を集(あつ)め、今(いま)定包(さだかね)を族滅(ぞくめつ)して、志(こゝろざし)を致(いた)したり。かくてもわがなす所(ところ)、兎(う)の毛(け)ばかりも先君(せんくん)に、益(ゑき)あることなしといふや。豚(ゐのこ)を抱(いだ)きて臭(くさ)きを忘(わす)るゝ、婦女子(をなこ)の愚癡(ぐち)とはいふ物(もの)から、みづから許(ゆる)してなか/\に、人(ひと)を咎(とがむ)るはいかにぞや。覚期(かくご)せよ」と敦圉(いきまけ)ば、玉梓(たまつさ)道理(どうり)に責(せめ)られて、思はずも嘆息(たんそく)し、「寔(まこと)に妾(わらは)(つみ)ありなん。しかりとも、里見(さとみ)殿(との)は仁君(じんくん)也。東條(とうでふ)にても、こゝにても、賞(せう)を重(おも)くし罰(ばつ)を軽(かろ)くし、敵城(てきぜう)の士卒(しそつ)といふとも、参(まゐ)るものは殺(ころ)し給はず、用(もち)ひ給ふと聞(きゝ)(はべ)り。よしやその罪(つみ)あらばあれ、婦女子(をなこ)は物(もの)の数(かず)にも侍(はべ)らじ。願(ねが)ふはわらはを赦(ゆる)させ給ひて、故郷(こけう)へ還(かへ)し給はらば、こよなかるべき幸(さいはひ)ならん。男女(をとこをんな)と差(しな)かはれども、むかしは共(とも)に神餘(じんよ)の家(いへ)に、仕(つかへ)給ひし八郎(はちらう)ぬし。舊好(ふるきよしみ)はかゝる時(とき)、執(とり)なしして給ひね」と莞然(につこ)と咲(えみ)つゝ向上(みあげ)たる、顔(かほ)はさながら海棠(かいだう)の、雨(あめ)を帶(おび)たる風情(ふぜい)にて、匂(にほ)ひこぼるゝ黒髪(くろかみ)は、肩(かた)に掛(かゝ)るも妖嬌(たほやか)に、春柳(はるのやなぎ)の糸(いと)(たれ)て、人(ひと)を招(まね)くに彷彿(さもに)たり。
 義実(よしさね)は上座(かみくら)に、近臣(きんしん)(あまた)(はべ)らして、この件(くだり)の裁断(さいだん)を、うち聞(きゝ)てをはせしが、玉(たま)なすごとき玉梓(たまつさ)が、さばかりの疵(きず)ありぬとも、非(ひ)を悔(くひ)て助命(ぢよめい)を乞(こ)ふ、これも亦(また)不便(ふびん)也。赦(ゆる)さばや、とおぼせしかば、「孝吉(たかよし)(/\)々」と間近(まちか)く召(め)させて、「玉梓(たまつさ)その罪(つみ)(かろ)きにあらねど、女子(をなこ)なれば助(たすく)るとも、賞罰(せうばつ)の方立(みちたゝ)ざるにはあらじ。この旨(むね)よろしく計(はから)へかし」と叮嚀(ねんころ)に仰(おふす)れば、金碗(かなまり)八郎貌(かたち)を更(あらた)め、「御諚(ごでう)では候へども、定包(さだかね)に亜(つ)ぐ逆賊(ぎやくぞく)は、件(くだん)の淫婦(たをやめ)玉梓(たまつさ)也。渠(かれ)は夥(あまた)の忠臣(ちうしん)を、追失(おひうしな)ひたるのみならず、光弘(みつひろ)の落命(らくめい)も、玉梓(たまつさ)をさ/\傍(かたへ)に在(あり)て、定包(さだかね)と心(こゝろ)を合(あは)せ、竊(ひそか)に計(はか)るにあらざりせば、縡(こと)
【挿絵】「氏元(うぢもと)(ゆう)を奮(ふるつ)て麻呂(まろの)信時(のぶとき)を撃(うつ)」「杉倉氏元」「麻呂信時」
一朝(いつちやう)になるべうも候はず。これらのよしを察(さつ)し給はで、賊婦(ぞくふ)を赦(ゆる)し給ひなば、君(きみ)も又(また)その色(いろ)に愛(めで)て、依佑(えこ)のおん沙汰(さた)ありなンど、人(ひと)の批評(ひゝやう)は〓(かまびす)からん。
 されば姐妃(だつき)は朝歌(ちやうか)に殺(ころ)され、大真(だいしん)は馬塊(ばくわい)に縊(くびら)る。これらは傾國(けいこく)の美女(びぢよ)なるのみ、玉梓(たまつさ)が類(たぐひ)にあらず。さりとても國乱(くにみだ)れ、その城(しろ)(やぶ)るゝ日(ひ)に至(いたり)ては、遂(つひ)に斧鉞(ふゑつ)を脱(まぬか)れず。赦(ゆる)し給ふことかは」と辭(ことば)(たゞ)しく諫(いさむ)れば、義実(よしさね)しば/\うち点頭(うなつき)、「われあやまちぬ、誤(あやまち)ぬ。とく牽出(ひきいだ)して、首(かうべ)を刎(はね)よ」と声(こゑ)ふり立(たて)て仰(おふ)すれば、玉梓(たまつさ)これを聞(きゝ)あへず、花(はな)の顔(かほばせ)(しゆ)を沃(そゝ)ぎ、瓠核(ひさご)のごとき歯(は)を切(くひしばり)て、主従(しゆう/\)を佶(きつ)とにらまへ、「怨(うらめ)しきかな金碗(かなまり)八郎、赦(ゆるさ)んといふ主命(しゆうめい)を、拒(こばみ)て吾儕(わなみ)を斬(きる)ならば、汝(なんぢ)も又(また)(とほ)からず、刃(やいば)の錆(さび)となるのみならず、その家(いへ)ながく断絶(だんぜつ)せん。又(また)義実(よしさね)もいふがひなし、赦(ゆる)せといひし、舌(した)も得引(えひか)ず、孝吉(たかよし)に説破(ときやぶ)られて、人(ひと)の命(いのち)を弄(もてあそ)ぶ。聞(きゝ)しには似(に)ぬ愚將(ぐせう)也。殺(ころ)さば殺(ころ)せ。児孫(うまご)まで、畜生道(ちくせうどう)に導(みちび)きて、この世(よ)からなる煩悩(ぼんなう)の、犬(いぬ)となさん」と罵(のゝしれ)れば、「物(もの)ないはせそ、牽立(ひきだて)よ」と金碗(かなまり)が令(げぢ)を受(うけ)、雜兵(ざふひやう)四五人ン立(たち)かゝりて、罵(のゝし)り狂(くる)ふ玉梓(たまつさ)を、外面(とのかた)へ牽出(ひきいだ)し、軈(やが)て首(かうべ)を刎(はね)たりける。
 かゝりし程(ほど)に八郎は、更(さら)に仰(おふせ)を承(うけ給は)りて、賊主(ぞくしゆ)定包(さだかね)玉梓(たまつさ)(ら)、鈍平(どんへい)戸五郎(とごらう)が頸(くび)もろ共(とも)に、滝田(たきた)の城下(ぜうか)に殺梟(きりかけ)たり。現(げに)積悪(せきあく)の報(むく)ふ所(ところ)、斯(かう)あるべきことながら、今更(いまさら)にめざましとて、観(み)るもの日毎(ひごと)に堵(と)の如(ごと)し。
 さる程(ほど)に、その暁(あけ)かたに、杉倉(すぎくら)木曾介(きそのすけ)氏元(うぢもと)が使者(ししや)として、蜑崎(あまさき)十郎輝武(てるたけ)といふもの、汗馬(かんば)に鞭(むち)を鳴(な)らしつゝ、東條(とうでふ)よりはせ参(まゐ)りて、氏元(うちもと)が撃取(うちとり)たる、麻呂(まろの)小五郎(こゞらう)信時(のぶとき)が首級(しゆきう)を献(たてまつ)り、合戦(かつせん)の為体(ていたらく)を、巨細(つばら)に聞(きこ)えあげたりける。その図(づ)はこゝに、載(のす)るといへども、事(こと)ながければ巻(まき)をかへて、第七條(だいしちでう)のはじめにとかん。又(また)玉梓(たまつさ)が悪念(あくねん)は、良將(りやうせう)義士(ぎし)に憑(つく)ことかなはず、その子(こ)その子(こ)に〓縁(まつはり)て、一旦(いつたん)不思議(ふしぎ)のいで來(く)る事、その禍(わざはひ)は後(のち)(つひ)に、福(さいはひ)の端(はし)となる、この段(だん)までは迥(はるか)なり。閲者(みるもの)(かの)賊婦(ぞくふ)が怨言(ゑんげん)にこゝろをとめて見なし給ひね。
南総里見八犬伝巻之三終


# 『南総里見八犬伝』第六回 2004-09-01
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