『南總里見八犬傳』第二十一回


【外題】
里見八犬傳 第三輯 巻一

【見返】
里見八犬傳第三輯
曲亭馬琴あらはす/柳川重信画
全五冊
書肆/山青堂

【序文】書下し
八犬傳第三集叙 [著作堂]
門前に狂狗有れば、其酒沽れず。而れども主人は暁(さと)らず。猶且つ酒の沽れざるを恨めり。痴情是の若き者。之を衆人と謂ふ。衆人に清濁有り。猶酒に〓與(と)〓と有るがごときなり。而して清(す)める者は其の味淡薄。醉と雖醒易し。濁る者は其の味甘美にして。酩酊す。奚ぞ今を思ふ者之衆(おほ)くして。後を懼るゝ者之寡きや。是の故に。瞿曇氏法を説て以地獄果天堂樂有りと為(す)。是に於後を思はざる者懼る。又何ぞ耳を貴ぶ者之衆して。目を賤めざる者之寡きや。是の故に南華子物論を齋(ひと)しうして以爭訟を禁(とゞ)めんと為(す)。是に於耳を貴ひ目を賤む者愧つ。然れども彼の寂滅之教の若き。媚る者衆して。悟る者弥々寡し。宜(むべ)なり。其媚る者は。口に經を誦すれども。其義を釋くこと能はず。其迷ふ者は。心に利益を祷れども。之を欲する所以を知らず。凡そ之の如き之禪兜。度すると雖其功有ること無し。昔者震旦に烏髪の善智識有り。因を推し果を辨し。衆生を誘ふに俗談を以し。之を醒すに勸懲を以す。其意精巧。其文竒絶。乃ち方便を經と為。寓言を緯と為(す)。是を以其の美錦繍の如し。其甘きこと飴蜜の如し。蒙昧蟻附して去ること能はず。既にして有る所之煩悩。化して屎溺と為(な)り。遂に糞門を觧脱するときは。則覺ず奬善之域に到り暫時無垢之人と為ると云ふ。亦竒ならずや。余少(わか)かりし自り愆て戲墨を事とす。然れども狗才馬尾を追て。於閭巷に老たり。唯其の勧懲に於。毎編古人に讓らず。敢て婦幼をして奬善之域に到ら使んと欲す。嘗て著す所の八犬傳。亦其の一書なり。今其編を嗣こと三たびにして。刻且(まさ)に成らんとす。因て數行を簡端に題す。嗚呼狗兒の佛性。無を以字眼と為。人は則媚て其尾を掉るを愛す。我は則誤て帝堯を吠んことを懼る。冀くは瞽者の為めに。煩悩狗を猟て以一條の迷路を開かん。閲する者幸に其無根を咎ること勿れ。
文政元年九月盡日
簑笠漁隱 [馬琴][乾坤一草亭]

【序文】原文
八犬傳第三集叙 [著作堂]
門前有狂狗、其酒不沽。而主人不暁。猶且恨酒之不沽。痴情若是者。謂之衆人。衆人有清濁。猶酒有〓與〓也。而清者其味淡薄。雖醉易醒。濁者其味甘美。而酩酊矣。奚思今者之衆。懼後者之寡也。是故。瞿曇氏説法以為有地獄果天堂樂。於是不思後者懼矣。又何貴耳者之衆。不賤目者之寡也。是故南華子齋物論以為禁爭訟。於是貴耳賤目者愧矣。然若彼寂滅之教。媚者衆。悟者弥寡矣。宜。其媚者。口誦經。而不能釋其義。其迷者。心祷利益。而不知所以欲之。凡如之之禪兜。雖度無有其功。昔者震旦有烏髪善智識。推因辨果。誘衆生以俗談。醒之以勸懲。其意精巧。其文竒絶。乃方便為經。寓言為緯。是以其美如錦繍。其甘如飴蜜。蒙昧蟻附不能去焉。既而所有之煩悩。化為屎溺。遂觧脱糞門。則不覺奬善之域暫時為無垢之人云。不亦竒乎哉。余自少愆事戯墨。然狗才追馬尾。老於閭巷。唯於其勸懲。毎編不讓古人。敢欲使婦幼到奬善之域。嘗所著八犬傳。亦其一書也。今嗣其編三而。刻且成。因題數行於簡端。嗚呼狗兒佛性。以無為字眼。人則愛媚掉其尾。我則懼誤吠帝堯。冀為瞽者。猟煩悩狗以開一條迷路。閲者幸勿咎其無根。
文政元年九月盡日
簑笠漁隱[馬琴][乾坤一草亭]

【目録】
南總里見八犬傳(なんさうさとみはつけんでん)第三輯(だいさんしふ)總目録(さうもくろく)
 巻之壹 第二十一回
額藏(がくざう)間諜(かんてふ)信乃(しの)を全(まつたう)す。 犬塚(いぬつか)懐舊(くわいきう)青梅(あをうめ)を觀(み)る。
 同巻 第二十二回
濱路(はまぢ)(ひそか)に親族(しんぞく)を悼(いた)む。 糠助(ぬかすけ)(やみ)て其子(そのこ)を思(おも)ふ。
 巻之貮 第二十三回
犬塚(いぬつか)(ぎ)遺託(ゐたく)を諾(うけひ)く。 網乾(あぼし)(そゞろ)に歌曲(かきよく)を賣(う)る。
 同巻 第二十四回
軍木(ぬるで)(なかたち)して荘官(せうくわん)に説(と)く。 蟇六(ひきろく)(いつは)りて神宮(かには)に漁(すなとり)す。
 巻之参 第二十五回
(ぜう)を含(ふく)みて濱路(はまぢ)憂苦(ゆうく)を訟(うつた)ふ。 奸(かん)を告(つげ)て額藏(がくざう)主家(しゆうか)に還(かへ)る。
 同巻 第二十六回
(けん)を弄(もてあそ)びて墨官(ぼくくわん)婚夕(こんせき)を促(うなが)す。 殺(さつ)を示(しめ)して頑父(ぐわんふ)再〓(さいぜう)を羞(すゝ)む。
 巻之四 第二十七回
左母二郎(さもじらう)(よる)新人(はなよめ)を豪奪(ごうだつ)す。 寂寞(じやくまく)道人(どうじん)(げん)に圓塚(まるつか)に火定(くわじやう)す。
 同巻 第二十八回
(あた)を罵(のゝしり)て濱路(はまぢ)(せつ)に死(し)す。 族(うから)を認(みとめ)めて忠與(たゞとも)(ふること)を譚(かた)る。
 巻之五 第二十九回
雙玉(さうぎよく)を相換(あひかえ)て額藏(がくざう)(るい)を識(し)る。 両敵(りやうてき)に相遇(あひあふ)て義奴(ぎぬ)(うらみ)を報(むく)ふ。
 同巻 第三十回
芳流閣(はうりうかく)(せう)に信乃(しの)血戰(けつせん)す。 坂東(ばんとう)河原(かはら)に見八(けんはち)(ゆう)を顕(あらは)す。
統計(とうけい)三十回(くわい)(その)第一回(だいいつくわい)(だい)二十回(くわい)に迄(いたり)ては既(すで)于前板(ぜんはん)の両輯(りやうしふ)に録(しる)せり

【口絵】
犬山(いぬやま)道節(どうせつ)忠與(たゞとも)
田單燕ヲ破ル之日/火平原ヲ燎ク/阿難寂ヲ示ス之年/煙兩扞ヲ和ク
劍術の極秘は風の柳かな
犬飼(いぬかひ)見八(けんはち)信道(のぶみち)

酢もあらばいざぬたにせん/網さかなえびとかにはの/舩で味噌すれ
荘客(ひやくせう)糠助(ぬかすけ)
大塚(おほつか)蟇六(ひきろく)
軒のつまに/あはひの貝の/片おもひ/もゝ夜つられし/雪のしたくさ
奴隷(しもべ)背介(せすけ)
簸上(ひかみ)宮六(きうろく)
出像二頁浅倉伊八刻

大虚容實 創自鴻濛/渾沌未分 孰主人公
わがとしのゝぼるにつけて/はつかしきこと葉のちりや/山となるらむ
 乾坤一草亭のあるじ 信天翁題詠

【本文】
南總里見八犬傳(なんさうさとみはつけんでん)第三輯(だいさんしふ)巻之一
東都 曲亭主人編次

 第(だい)廿一回(くわい) 〔額藏(がくざう)間諜(かんてふ)信乃(しの)を全(まつたう)す犬塚(いぬつか)懐舊(くわいきう)青梅(あをうめ)を觀(み)る〕

 却説(かくて)犬塚(いぬつか)大川(いぬかは)の両(りやう)童子(どうじ)、信乃(しの)額藏(がくざう)は、迭(かたみ)に志(こゝろざし)を告(つげ)、義(ぎ)を結(むす)びて、なほ久後(ゆくすゑ)を相譚(かたら)ふ折(をり)、跫然(きようぜん)と足音(あしおと)して、外面(とのかた)より來(く)るものありけり。信乃(しの)は耳(みゝ)を側(そはだて)て、目注(めくはせ)をしてければ、額藏(がくざう)はやくこゝろを得(え)て、おのが臥房(ふしど)に退(しりぞ)きつ、衣(きぬ)引被(ひきかつ)ぎて臥(ふ)す程(ほど)に、片折戸(かたをりと)に掛(かけ)たりし、引板(ひた)の鳴子(なるこ)を瓦落(ぐわら)めかして、二ッ三ッ四ッうち咳(しはぶ)き、「和子(わこ)よ、宿所(しゆくしよ)にをはする歟(か)。糠助(ぬかすけ)がまゐりたり。恙(つゝが)なきや」と呼門(おとなひ)つゝ、障子(せうじ)の破隙(やれめ)さし覗(のぞ)き、支木(つかぎ)(くち)たる竹縁(ちくえん)に、掛(か)くる片臀(かたしり)片胡坐(かたあぐら)、背(うしろ)ざまに手(て)をつきて、庭(には)の新樹(わかば)をながめてをり。
 當下(そのとき)信乃(しの)は身(み)を起(おこ)して、やをら障子(せうじ)を引開(ひきあけ)つ、「阿爺(おぢ)(よ)、よくこそ來(き)ましたれ。且(まづ)こなたへ」と手箒(てはゝき)を、把(とり)て塵芥(あくた)を掃(はき)よすれば、見かへりて頭(かうべ)をうち掉(ふ)り、「いな措(おき)給へ、土足(どそく)なり。年々(とし/\)のことながら、蜀魂鳥(しでのたをさ)の啼(なく)(ころ)は、早稲(わせ)も晩稲(おくて)も種(たね)(ひた)し、畑(はた)に水田(みづた)と〓(こね)かへす、稼(かせぎ)いとなく思はずに、いたく不沙汰(ぶさた)をつかまつりぬ。荘官(せうくわん)殿(どの)より隷(つけ)られし、童男(わらはをとこ)はいかにぞや」と問(とは)れて信乃(しの)は、後方(あとべ)を見かへり、「額藏(がくざう)はきのふより、心地(こゝち)わづらはしとてうち臥(ふし)たり。風(かぜ)ひきたるにこそとおもひて、賣藥(ばいやく)(もと)めて勸(すゝむ)れども、早(つと)に〓(おこた)るべくもあらず」といふを糠助(ぬかすけ)(きゝ)あへず、「そは困(こう)じ給ふならん。母屋(おもや)へいゆきて、よしを告(つげ)、餘(よ)の人(ひと)をこして替(かは)らせん。さる事あらばきのふにも、などてしらせ給はざる。まだ十五にも足(た)らぬどち、異(こと)あらずともおぼつかなきに、爨僕(かしきおとこ)が資(たすけ)にならで、おん身(み)に看病(かんびやう)されんとは、鬼(おに)のやうなる小父(をぢ)小母(をば)(ご)でも、思ひかけなきことなるべし。吾儕(わなみ)に任(まか)し給ひね」と獨(ひとり)〓〓(のみこみ)、早合点(はやがてん)、麁忽(そこつ)ながらの信(まこと)ある、辞(ことば)の端居(はしゐ)おち著(つか)ず、そがまゝ立(たち)て外面(とのかた)へ、忙(あはたゝ)しげに出(いで)にけり。
 されば又(また)蟇六(ひきろく)亀篠(かめざゝ)は、信乃(しの)が為(ため)に朝夕(あさゆふ)の、薪水(にやき)の事(わざ)を資(たす)けよとて、小廝(こもの)額藏(がくざう)を遣(つかは)しつ。人目(ひとめ)ばかりは三四日(みかよか)(ごと)に、飯(いひ)のあはせ物(もの)などを、小坏(こつき)に盛(もり)て饋(おく)り遣(つかは)し、又(また)みづからも音(おと)つれて、門(かど)より安否(あんひ)を問(と)ふものから、その初(はじめ)こそ屡(しば/\)したれ、素(もと)より愛(あい)する心(こゝろ)なければ、植(うへ)つけ時(とき)のいそがはしさに、その事ははやうち忘(わす)れて、久(ひさ)しく訪(とは)せもせざりしに、この日(ひ)糠助(ぬかすけ)が來(き)て、云云(しか/\)と告(つげ)しかば、亀篠(かめざゝ)(きゝ)て眉(まゆ)を顰(ひそ)め、「この比(ころ)は人(ひと)一個(ひとり)を、二人(ふたり)にしても使(つか)ひ足(た)らぬに、心(こゝろ)なしの丁児(でつち)(め)が、風(かぜ)ひきたりとていかばかりの、事やはある」と辷(すべ)らせし、口(くち)を鉗(つぐ)めてうち微笑(ほゝゑ)み、「よくこそ告(つげ)て給はりし。ともかくもすべけれ」と応(いらへ)て糠助(ぬかすけ)をかへしつゝ、軈(やが)て夫(をつと)に相譚(かたら)へば、蟇(ひき)六聞(きゝ)て、舌(した)うち鳴(な)らし、「是首(ここ)と彼首(かしこ)は間近(まちか)くとも、竈(かまど)ふたつにしたればこそ、人手(ひとて)かゝりて不便(ふべん)なれ。けふより信乃(しの)を呼(よ)びとりて、養(やしな)ふべくは思へども、童(わらべ)でこそあれ親(おや)に似(に)て、偏屈児(かたゐぢもの)とおぼゆるに、中陰(ちういん)いまだ果(はて)ざれは、承引(うけひく)べくもあらずかし。今(いま)霎時(しばし)の程(ほど)なれば、孰(たれ)なりとも遣(つかは)して、額藏(がくざう)(め)と引(ひき)かえ給へ。真実(まめ)々々(/\)しげに款待(もてなせ)ば、こなたに得(とく)の著(つく)ことなるに、厭(いと)ふことかは。よくし給へ」と耳語(さゝやけ)ば点頭(うなつき)つ、一個(ひとり)の老僕(おとな)を遣(つかは)して、額藏(がくざう)と替(かはら)すに、額藏(がくざう)ははや帰(かへ)り來(き)にけり。氣色(けしき)を見(み)るに異(こと)なることなし。やうこそあらめ、と亀篠(かめざゝ)は、あるじのほとりに呼(よ)び近(ちか)つけ、「やをれ額藏(がくざう)、汝(な)はきのふより病臥(やみふ)したり、と糠助(ぬかすけ)(をとこ)が告(つげ)たれば、人(ひと)(いとま)なき折(をり)なれ共、そがまゝ措(おか)んはさすがにて、代(かはり)の僕(をとこ)を遣(つかは)せしに、見れば異(こと)なる氣色(けしき)もあらず。総角(あげまき)どちの狎(なれ)(やす)く、相撲(すまひ)(くる)ふて負(まけ)(ばら)たち、很(すね)て作病(さくびやう)せしならん。嗚呼(をこ)の白物(しれもの)かな」と疾視(にらまへ)て、夫婦(ふうふ)齊一(ひとしく)敦圉(いきまけ)ば、額藏(がくざう)(ひたひ)に手(て)を推當(おしあて)、「些(すこし)頭痛(づゝう)はしつれども、うち臥(ふす)までには候はず。とばかりまうさば横著(わうちやく)也とて、ます/\叱(しか)らせ給はなん。
 某(それがし)彼処(かしこ)へまゐりし日より、とにかく彼子(あのこ)はうち觧(とけ)給はず。水(みづ)はわが汲(く)む、汲(くま)ずもあれ。炊(かしき)も吾(わか)する、そがまゝ措(おき)ね、とよろづ禁(とゞめ)て使(つかは)れず。四月(うつき)の天(そら)に垂籠(たれこめ)て、目比(めくらべ)をして日(ひ)を消(くら)せば、困(こう)じ果(はて)て候ひし。さればとて、逃(にげ)てかへらは叱(しか)られん。おもへば年來(としごろ)打懲(うちこら)して、使(つかは)せ給ふ主(しゆう)の恩(おん)、今(いま)やうやくに目(め)が覚(さめ)ても、起(おき)甲斐(かひ)なさに引被(ひきかつ)ぐ、衣(きぬ)のうら見の夏虱(なつしらみ)、獵(かり)(つく)したる虚(いつはり)の病(やまひ)の床(とこ)は日(ひ)ごろより、母屋(おもや)(こひ)しき気鬱(きうつ)の症(せう)。寔(まこと)に九死(きうし)一生涯(いつせうがい)の、智惠(ちゑ)を出(いだ)して呼(よび)かへされ、甦生(よみぢがへ)りて候なり。田畑(たばた)の稼(かせき)、内外(うちと)の使(つかひ)、なほ身(み)に入(い)れて仕らん。霎時(しばし)なりとも犬塚(いぬつか)どのに、隷(つけ)らるゝことばかり、免(ゆる)させ給へ」と掌(て)を〓(もみ)て、真(まこと)しやかに賠話(わび)にけり。あるじ夫婦(ふうふ)はつく/\と、聞(きゝ)つゝ笑(ゑみ)て、迭(かたみ)に見かへり、「亀篠(かめざゝ)いかに思ひ給ふ。此奴(こやつ)も等(ひと)しき童(わらは)なるに、信乃(しの)がとにかく心(こゝろ)をおきて、出(いで)てゆけがしにもてなせしは、そのよしなしといふべからず。云云(しか/\)の事あらば、竊(ひそか)にこなたへ告(つげ)はせで、假病(けびやう)して臥(ふす)ことやはある。そが一生(いつせう)の智惠(ちゑ)ならば、鐡銭(びた)三文(さんもん)の直(ね)うちもなし。こな戲家(たはけ)(め)」と罵(のゝし)れば、亀篠(かめざゝ)ほゝとうち笑(わら)ひ、「さはこれをのみ叱(しから)せ給ふな。信乃(しの)はなほ総角(あげまき)なれども、心(こゝろ)ざまは老(およ)つけて、殊(こと)に執念(しうねく)、腹(はら)きたなく、さる筋(すぢ)のあるものと見き。やよ額藏(がくざう)、よしや氣(き)に入(い)れられず共、日来(ひごろ)彼処(かしこ)にをりしかひに、聞(きゝ)つる事はなかりし歟(か)。信乃(しの)はこなたをいといたう、怨(うらみ)みてあらん、さもなき歟(か)。様子(やうす)を告(つげ)よ。いかにぞや」と〓顔(ほとけがほ)して問落(とひおと)す、梓(あづさ)の弦(つる)にあらねども、水向(みづむけ)られて、虚(うか)とは憑(よ)らず。「否(いな)、目今(たゞいま)もまうせし如(ごと)く、適(たま/\)(もの)をいひかけても、生応(なまいらへ)のみせられしかば、聞(きゝ)たることは候はず。然(さ)れども今(いま)は伯母(をば)(ご)の外(ほか)に、よるべなき人(ひと)なれば、いかでかこなたをうらみ給はん。初(はじめ)には似(に)ず慕(したは)しく、思はるゝ事疑(うたが)ひなし。只(たゞ)(それがし)に強面(つれな)きは、過世(すくせ)の讐(あた)(か)。さもなくは、氣質(きしつ)のあはざるにもあらん。身(み)にとりて憎(にくま)るゝ事(こと)とて覚(おぼえ)候はず」といへば蟇(ひき)六うち頷(うなつ)き、「假染(かりそめ)の主従(しゆう/\)にも、五性(ごせう)の相剋(さうこく)ありとかいへば、さる事なしといひ難(がた)けれども、假病(けびやう)せしは不覚(ふかく)なり。佶(き)と懲(こら)すべく思へども、此度(こだみ)は枉(まげ)て許(ゆる)すなり。よにいそがはしき折(をり)なるに、両三人(ふたりみたり)が事(わざ)をもして、その愆(あやまち)を貲(つくのは)ずは、その度(たび)に辛(から)きめ見せん、立(たち)ね/\」といそがせは、額藏(がくざう)(しき)りに〓(ぬか)つきて、庖〓(くりや)のかたへ退(しりぞ)きけり。亀篠(かめさゝ)霎時(しばし)目送(みおく)りて、「わが〓(せ)は何(なに)と聞(きゝ)給ひし。人(ひと)の氣質(きしつ)はさま%\なり。総角(あげまき)は總角(あげまき)どち、よき友(とも)也と歡(よろこ)びて、使(つかは)れもせん、使(つか)ひもせん、と思ふには似(に)ず額藏(がくざう)が、信乃(しの)に鬱悒(いぶせく)せられしは、一日(ひとひ)二日(ふたひ)の事ならず。かゝればいたく怨(うらみら)るゝ、悪口(わろくち)を利(きゝ)たる歟(か)。然(さ)らずは氣質(きしつ)の合(あは)ざるならん。さはおぼさずや」と耳語(さゝやけ)ば、蟇(ひき)六頭(かうべ)を傾(かたむ)けて、「否(いな)それのみに限(かぎ)るべからず。信乃(しの)はこなたをなほ疑(うたが)ふて、額藏(がくざう)を隷(つけ)たるは、隱監(かくしめつけ)ならん歟(か)とて、心(こゝろ)(ゆる)さぬ事もありなん。必(かならず)しも侮(あなど)るべからず。額藏(がくざう)が代(かは)りには、誰(たれ)を遣(つかは)したまひたる」「誰(たれ)とて早(とみ)の事なれば、背介(せすけ)にいけとて遣(つかは)し侍(はべ)り。渠(かれ)は齢(よはひ)も六十(むそぢ)にあまりて、人(ひと)なみには得(え)(はたら)かず。縢(あまつさへ)(この)ごろは、三里(さんり)の灸(やいと)を〓(いぼは)して、起居(をりこゞみ)も不自由(ふじゆう)なり。額藏(がくざう)と引替(ひきかえ)て、損(そん)なきものに侍(はべ)らずや」といへばしば/\うち点頭(うなつき)、「微妙(いみじく)(はか)り給ひにき。しからんには一両日(いちりやうにち)、遠(とほ)くは四五日、程(ほど)を歴(へ)て、竊(ひそか)に背助(せすけ)を招(まね)きよせ、渠(かれ)にも信乃(しの)が心(こゝろ)をおくや、事(こと)のやうを問(とひ)給へ。渠(かれ)にも心(こゝろ)をおくならば、吾儕(わなみ)夫婦(ふうふ)を疑(うたが)ふ也。又(また)額藏(がくざう)をのみ嫌(きら)ひて、背助(せすけ)を厭(いと)ふことなくは、丁児(でつち)一人(ひとり)がうへにして、こなたを疑(うたが)ふ故(ゆゑ)にはあらず。事(こと)の虚実(きよじつ)を撈(さぐ)りて後(のち)に、計策(はかりごと)はなほあるべし。こゝろ得(え)給へ」と額(ひたひ)を合(あは)して、相譚(かたらひ)(はて)て起(たち)にけり。
 さて両三日(りやうさんにち)(へ)にけれは、亀篠(かめさゝ)は、みづから信乃(しの)が宿所(しゆくしよ)へいゆきて、さり氣(げ)なく安否(あんひ)を問(とひ)、事(こと)の為体(ていたらく)を窺(うかゞ)ふに、信乃(しの)は背介(せすけ)を厭(いと)ふことなく、背介(せすけ)も亦(また)真成(まめやか)に、進止(たちふるまは)ずといふことなし。亀篠(かめさゝ)、胸(むね)に物(もの)あれば、なほ四表(よも)八表(やま)の物(もの)がたりに時(とき)を移(うつ)して、今(いま)はかうと思ひしかば、告別(いとまごひ)してかへり來(き)つ。此(この)とき夫(をつと)は納戸(なんと)にをり、折(をり)こそよけれ、とほとりにいゆきて、「曩(さき)には背介(せすけ)を呼(よ)びよせて、竊(ひそか)に問(と)へ、と宣(のたま)ひしかど、信乃(しの)が疑(うたが)ふこともや、と思ひにければ吾儕(わなみ)いゆきて、喪中(もちう)の安否(あんひ)を問(とひ)がてら、半日(はんにち)あまり彼処(かしこ)にをり、残(のこ)る隈(くま)なく見究(みきは)め侍(はべ)り。その為体(ていたらく)は如此(しか)々々(/\)也、箇様(かやう)々々(/\)」と潜(ひそ)やかに、告(つぐ)れば蟇(ひき)六且(しばら)く尋思(しあん)し、「さりとて信乃(しの)が心(こゝろ)ざま、凡庸(よのつね)の少年(せうねん)ならねば、虚(うか)と肌膚(はだへ)を見せかたし。まづ額藏(がくざう)を召近(よびちか)つけて、箇様(かやう)々々(/\)にこしらへ給へ。その事(こと)(な)らば、云云(しか%\)なり。かくの如(ごと)く計(はから)んには、後悔(こうくわい)する事あるべからず。氣色(けしき)に暁(さと)られ給ふな」と言(こと)おちもなく説示(ときしめ)せば、亀篠(かめさゝ)只管(ひたすら)歎賞(たんせう)し、「現(げに)(はり)は細小(さゝやか)でも、得(え)(のま)れずといふ諺(ことわざ)は、そこらの事に侍(はべ)りなん。寔(まこと)に心逞(こゝろたくま)しげなる、少年(せうねん)なれば用心(ようしん)に、なほ用心(ようしん)をするこそよけれ」としのび/\に相譚(かたら)ふ折(をり)、竹縁(ちくえん)を踏鳴(ふみな)らして、障子(せうじ)のあなたを過(よぎ)るものあり。亀篠(かめさゝ)はいちはやく、「そは額藏(がくざう)にあらずや」と問(と)へば、「さなり」と答(こたへ)たり。「竊(ひそか)にいふべきことこそあれ、こなたへ入(い)れ」と呼(よ)び止(とめ)られて、やをら障子(せうじ)を推開(おしあけ)つゝ、顔(かほ)さし入(い)れてついゐたるを、「其処(そこ)引閇(ひきたて)て、こなたへ來(こ)よ」と膝(ひざ)のほとりへ招(まね)きよせ、「かう打揃(うちそろ)ふて物々(もの/\)しく、いふべき事にはあらねども、折(をり)のよければ告(つぐ)る也。信乃(しの)は正(まさ)しく〓(おひ)なれども、番作(ばんさく)が僻(ひがみ)たる、心(こゝろ)の鬼(おに)を讓(ゆづ)り受(うけ)たる、渠(かれ)が氣質(きしつ)は汝(なんぢ)もしれり。飽(あく)までに慈(いつくし)む、伯母(をば)を不足(ふそく)に思はずは、そが為(ため)にとて遣(つかは)せし、人嫌(ひとぎら)ひすることはあらじ。さらずは汝(なんぢ)が口(くち)さがなくて、思はず信乃(しの)に腹(はら)たゝせ、恨(うら)みられたる事あらん。そはとまれかくもあれ、世間(せけん)舅姑(しうと)の囂(かしがま)しさに、よきもわろきも彼子(あのこ)のうへは、わが口(くち)つからいひがたし。この故(ゆゑ)に只(たゞ)(き)を受(うけ)て、揚足(あげあし)とられぬ用心(ようしん)を、する外(ほか)にすべはなきぞとよ。汝(なんぢ)は六ッか七歳(なゝつ)より、生涯(せうがい)使(つか)ふ小廝(こもの)なれば、〓(おひ)にもましておぼゆるかし。養育(やしなひたて)し主(しゆう)の恩(おん)、大(おほ)かたならずとしるならば、よしや強面(つれなく)くもてなすとも、終(つひ)には信乃(しの)に馴近(なれちか)つきて、聞(き)くことあらば竊(ひそか)に告(つげ)よ。そは苟且(かりそめ)の事ならず。信乃(しの)をこなたへ呼(よ)びとりて、養(やしな)ふ月日(つきひ)は限(かぎ)りしられず、末(すゑ)いと遥(はるけ)き事なれば、今(いま)いふよしを小耳(こみゝ)に挾(はさ)みて、念(ねん)じて主(しゆう)の為(ため)になれ。よにそれ程(ほど)の利生(りせう)はあらん。こゝろ得(え)たりや」とこしらゆれば、蟇(ひき)六は髯(ひげ)(ぬき)かけし、鑷子(けぬき)を拭(ぬぐ)ふて頤(おとがひ)掻拊(かきなで)、「額藏(がくざう)、汝(なんぢ)は果報(くわほう)あり。〓(おひ)にもまして憑(たのも)しく、思はずはいかにして、亀篠(かめさゝ)が此(この)機密(きみつ)を告(つぐ)べき。かゝれば汝(なんぢ)を遣(つかは)して、亦(また)(また)背介(せすけ)とかはらせん。しばしの程(ほど)ぞ辛防(しんばう)せよ」といへば額藏(がくざう)小膝(こひざ)を捺(さす)り、「かくまで思はれ奉る、御(ご)(おん)をいかでか仇(あた)にして、いはれし事を忘(わす)るべき。前日(ぜんじつ)私語(さゝやき)まうせしごとく、犬塚(いぬつか)どのはこなたより、外(ほか)によるべのなき人(ひと)なれば、野心(やしん)あるべくもあらねど、ともかくもして馴近(なれちか)つき、おん為(ため)わろき事などを、聞(き)かば竊(ひそか)に告(つげ)申さん。これらの事は御(み)こゝろやすく、思召(おぼしめさ)れよ」と真(まめ)たちて、回答(いらへ)をすれば、主(あるじ)夫婦(ふうふ)は、いよゝ言葉(ことば)を甘(あま)くして、賺(すか)すをしりつゝ賺(すか)されて、又(また)(かの)背介(せすけ)に替(かは)らんとて、立(たゝ)んとすれば、亀篠(かめさゝ)は、遽(いそがは)しく推禁(おしとゞ)め、「童(わらべ)どちでも背(うしろ)あはせし、彼子(あのこ)の宿所(しゆくしよ)へ独(ひとり)ゆかんは、今(いま)さらに、面(おも)ぶせならん。吾儕(わなみ)が後(しり)に跟(つき)て來(こ)よ」といひつゝ軈(やが)て身(み)を起(おこ)して、かき合(あは)せたる衣(きぬ)の前(まへ)、うしろ結(むす)びの帶(おび)の端(はし)、推拊(おしなで)ながら竹縁(ちくえん)に、出(いづ)れば額藏(がくざう)をり立(たち)て、板(いた)金剛(こんごう)を取(とり)すえたり。亀篠(かめさゝ)(もすそ)を引揚(ひきあげ)て、納戸(なんど)の方(かた)を見かへりつ、「ちよと往(い)て還(かへ)り侍(はべ)らん」といふに夫(をつと)は頷(うなつ)くのみ。冠(かむり)はふらぬ苗芋(なへいも)の、親(おや)に劣(おと)らぬ〓(おひ)の宿(やど)、背戸(せど)の畠(はたけ)の〓(くろ)(つた)ひ、捷徑(ちかみち)よりぞ進(すゝ)みける。
 かくて亀篠(かめさゝ)は信乃(しの)が宿所(しゆくしよ)へ赴(おもむ)きて、常(つね)にもあらずうちほゝ笑(ゑ)み、「信乃(しの)よ、さこそは徒然(つれ/\)ならめ。所要(しよえう)なければ得(え)も訪(と)はず。きのふけふの歩(みち)が親(ちか)さに、何(なに)しに來(き)つると思はれん。けふは別(べち)の議(ぎ)にも侍(はべ)らず。この額藏(がくざう)が事也かし。情由(わけ)はしらねど機嫌(きげん)に惇(さか)ふて、使(つかは)るゝことのなければ、虚病(そらやみ)(おこ)して還(かへ)りし、と明々地(あからさま)に人(ひと)に告(つぐ)るを、聞(きゝ)ては伯母(をば)がこゝろも済(すま)ず。よしや昔(むかし)は疎(うと)くとも、今(いま)は親(したし)き〓(おひ)なり伯母(をば)なり。小廝(こもの)に水(みづ)を〓(さゝ)れつゝ、飯(いひ)の中(うち)なる湯麥(ゑましむぎ)、奥歯(おくば)に物(もの)が夾(はさま)りては、心(こゝろ)かゝりに侍(はべ)るかし。蟇(ひき)六どのも腹立(はらたて)て、額藏(がくざう)をいといたう、叱(しかり)(こ)らし玉ひしかば、渠(かれ)は忽地(たちまち)(ひ)を悔(くひ)て、勸觧(わび)してたべ、とうち泣(なき)にき。よりて再(ふたゝ)び將(い)て来(き)たり。心(こゝろ)つきなき事のみなめれど、足(た)らぬ処(ところ)は云云(しか/\)、と教諭(をしえさと)して使(つかは)れんは、渠(かれ)が為(ため)に幸(さいは)ひ也。伯母(をば)も歡(よろこ)びこのうへなし。こゝへ出(いで)よ」と見かへれば、額藏(がくざう)(はぢ)たる面色(おもゝち)して、頭(かうべ)を掻(か)きつゝ小膝(こひざ)を勸(すゝ)め、「今(いま)阿家(おへ)ざまの宣(のたま)ふごとく、心(こゝろ)に物(もの)のあるにあらねど、朝(あした)の炊(かしき)もさせ給はず、墨(すみ)つきわろき鍋(なべ)の尻(しり)、用(よう)なく居(すえ)て置(おか)れし故(ゆゑ)に、頭顱病(かしらやま)して候ひき。それも己(おのれ)が愚(おろか)なる、僻(ひかみ)こゝろに候はん。許(ゆる)させ給へ」と勸觧(わび)にけり。これらのよしは豫(かね)てより、諜(しめ)し合(あは)せし事なれば、信乃(しの)は此彼(これかれ)(きゝ)あへず、うち驚(おどろ)きたる面色(おもゝち)して、「こは思ひかけもなき、勸觧(わびら)るゝよしあらんや。親(おや)の在(ゐまそ)かりし日より、薪水(にたく)の事(わざ)にはわれも熟(なれ)たり。資(たすけ)の人(ひと)はあらでもと、思ひおもはず疎々(うと/\)しく、もてなしたるか、それすら覚(おぼえ)ず。かゝる事より母屋(おもや)(ご)夫婦(ふうふ)、御(み)こゝろにかけられんは、皆(みな)(これ)おのが罪(つみ)にこそ。疎意(そゐ)あるべくも候はず」といふに亀篠(かめさゝ)うち笑(ゑみ)て、「しからんにはおちゐたり。中(なか)(なほ)りせし事なれは、額藏(がくざう)を留(とゞめ)おきて、背介(せすけ)をば返(かへ)したまへ。これに
【挿絵】「額藏(がくざう)を將(い)て亀篠(かめさゝ)犬塚(いぬつか)が宿所(しゆくしよ)に到(いた)る」「がく蔵」「かめさゝ」「せ介」「ぬか介」「しの」
(つき)ても亡人(なきひと)の、忌(いみ)(はつ)るまで二〓(さや)の、家(いへ)を隔(へだて)て俟(まち)あかさば、よろづ不便(ふべん)に侍(はべ)るかし。願(ねか)ふは五七の忌日(きにち)(かき)りに、おん身(み)を母屋(おもや)へ養(やしな)ひとらば、後(うしろ)やすく侍(はべ)りなん。蟇(ひき)六とのも初(はじめ)より、しかせまほしく思ひ給へど、おん身(み)が心(こゝろ)を汲(くみ)かねて、月日(つきひ)のたつを待(まつ)にこそ。いぬるは否(いな)(か)、いかにぞや」と問(とは)れて信乃(しの)は嘆息(たんそく)し、「白屋(くさのや)ながら住(すみ)なれし、親(おや)を思へば今更(いまさら)に、離(はな)れがたくは侍(はべ)れども、四十九日も別(わか)れはおなじ。百日をるともその期(ご)にならば、なほ去(さり)がたく侍(はべ)るべし。おのが心(こゝろ)の隨(まゝ)にして、物(もの)を思はせ奉(たてまつ)らば、日(ひ)を過(すぐ)すほど罪(つみ)ふかゝり。ともかくも計(はから)ひ給へ。仰(おふせ)に悖(もと)り候はじ」と愉(こゝろよ)く諾(うけ)ひしかば、亀篠(かめさゝ)ふかく歡(よろこ)びて、「吁(あな)(かしこ)々々(/\)、聞(きゝ)わけたりな、よき子(こ)ぞや。然(しか)らば五七の逮夜(たいや)には、隣(ちか)き里人(さとびと)を招(まね)きよせて、佛(ほとけ)の為(ため)に物(もの)を態進(ふるま)ひ、その次(つぎ)の日(ひ)に戸(と)を鎖(さし)て、おん身(み)は母屋(おもや)へ移(うつ)り給へ。詞敵(ことばがたき)にならずとも、女児(むすめ)濱路(はまぢ)も侍(はべ)るかし。渠(かれ)をばおん身(み)が妹(いもと)とも、お上(かみ)ざまとも見給ひね」といひつゝ独(ひとり)うち笑(わら)へば、信乃(しの)は呆(あき)れて応(いらへ)せず。亀篠(かめさゝ)いよゝ機嫌(きげん)よく、指(ゆび)(かゞな)へてうち点頭(うなつき)、「なき人(ひと)の三十五日は、けふより僅(はつか)に四日が程(ほど)なり。蟇(ひき)六どのにも歡(よろこば)せ、翌(あす)より逮夜(たいや)の准備(てあて)せん。さらば吾儕(わなみ)は罷(まか)るべし。額藏(がくざう)よ、毎事(こと%\)に、こゝろを付(つけ)てよく仕(つか)へよ。いはれしことを忘(わす)るゝな。信乃(しの)もよろづに心(こゝろ)くまなく、火(ひ)なれ水(みづ)なれ使(つか)ひ給へ。最上(もがみ)の川(かは)に曳(ひく)といふ、いな舟(ふね)(こ)がば乗(のぼ)し蒐(かゝつ)て、打懲(うちこら)すともけしうは思はず。彼(あの)背介(せすけ)(め)は背門(せど)にやをる。額藏(がくざう)を將(い)て來(き)つれば、おのれは供(とも)して母屋(おもや)へ還(かへ)れ。をらずやいかに」と呼立(よびたつ)れば、「こゝに侍(はべ)り」と庖〓(くりや)なる、障子(せうじ)をやをら引開(ひきあく)れば、「こな男(をとこ)が落著(おちつき)(がほ)なる。其処(そこ)にをりつゝ鈍(おぞ)ましや、門(かど)へ出(いで)よ」といそがして、そがまゝ立(た)つを止(とゞ)めあへず、信乃(しの)はいそしく席(せき)を避(さけ)、「日(ひ)はいと長(なが)く侍(はべ)るなる、今(いま)(しばら)く語(かたら)せ給へ。〓(にばな)の素湯(さゆ)も沸(わき)(はべ)る」といへば頭(かうべ)をうち掉(ふり)て、「茶(ちや)をたうべてをる間(ひま)は侍(はべ)らず。曲突(くど)(もと)の麁朶(そだ)、麥(むぎ)の出納(だしいれ)、片〓(かたとき)をらねば損(そん)(おほ)かり。又(また)こそ來(こ)め」といひかけて、出(いづ)るを送(おく)る信乃(しの)額藏(がくざう)、腹(はら)にかえつゝ出(いで)てゆく。背介(せすけ)は縁(えん)に手(て)を突(つき)て、信乃(しの)に別(わかれ)を黄楊樹(つげのき)の、刈込(かりこみ)(のび)し庭(には)を出(いづ)る、主(しゆう)の老女(おうな)に引(ひき)そふたり。
 且(しばらく)して額藏(がくざう)は、外面(とのかた)へ立出(たちいで)て、母屋(おもや)のかたをうち眺(なが)め、左辺(ゆんで)右邊(めて)を見かへりつゝ、片折戸(かたをりと)を楚(しか)と閉(たて)、舊(もと)の処(ところ)に對坐(むかいを)りて、荘官(せうくわん)夫婦(ふうふ)にいはれし事、又(また)わがいひつる事(こと)の趣(おもむき)、竊(ひそか)に信乃(しの)に告(つぐ)るになん。信乃(しの)は頻(しきり)に嘆息(たんそく)し、「親(おや)の為(ため)には中(なか)わろくとも、異母(はらかはり)の姉(いろね)なり。又(また)わが為(ため)にも只(たゞ)一人(ひとり)の、伯母(をば)とおもへば今(いま)さらに、蓬(きたな)き心(こゝろ)あるべしやは。さるをとにかく疑(うたが)ふて、讐敵(あたかたき)の如(ごと)おもはれては、長(なが)き月日(つきひ)をいかにして、彼方(かなた)ざまに送(おく)らるべき。寔(まこと)に進退(しんたい)(きはま)りぬ」といひかけて又(また)嘆息(たんそく)す。額藏(がくざう)これを慰(なぐさ)めて、「さればこそ其事(そのこと)なれ。伯母(をば)(ご)夫婦(ふうふ)は慾(よく)のみなり。只(たゞ)(り)の為(ため)に骨肉(こつにく)の愛(あい)を忘(わす)るゝ情(ぜう)を知(し)らば、邪氣(じやき)を避(さく)るに何(なに)かあらん。われ又(また)おん身(み)が影(かげ)に添(そ)ふ、返間(はんかん)の謀(はかりごと)、その緡(いとくち)は釋懸(ときかけ)おきつ。かゝれば只(たゞ)いつまでも、おん身(み)と吾儕(わなみ)は眤(むつま)しからず、その志(こゝろざし)あはざるもの、と思はるゝにますことなし。さるときは某(それがし)が、いふ事(こと)(%\)に信用(しんよう)せられん。九石(くせき)の弓(ゆみ)も張(は)ることの、久(ひさ)しければ弛(たゆ)むといはずや。彼(かの)人々(ひと/\)に害心(がいしん)ありとも、おん身(み)が心(こゝろ)の信(まこと)もて、柔(じふ)よく剛(がう)を受(うけ)給はゞ、伯母(をば)(ご)が邪慳(じやけん)の角(つの)(を)れて、終(つひ)には慈母(ぢぼ)となることあらん。よしや其処(そこ)までならずとも、彼方(かのかた)ざまに身(み)を投掛(なげかけ)て、そのせんやうを見給へかし。こゝにて物(もの)を思ふとも、その期(ご)の役(やく)にはたちかたし。心(こゝろ)(せま)し」と諫(いさむ)れば、信乃(しの)は忽地(たちまち)感悟(かんご)して、おもはずも莞尓(につこ)と笑(ゑ)み、「人(ひと)の才(さえ)には長短(ちやうたん)あり。われ只(たゞ)一歳(ひとつ)の弟(おとゝ)なれども、おん身(み)に及(およ)ばざる事遠(とほ)かり。伯母(をば)にこの身(み)を寄(よ)すること、原是(もとこれ)(おや)の遺言(ゆいげん)なれば、吉凶(きつきやう)は只(たゞ)(うん)に任(まか)せん。軈(やが)て母屋(おもや)に移(うつ)りては、膝(ひざ)を合(あは)して復心(ふくしん)を、相語(かたらふ)ことは難(かた)かるべし。なほ後々(のち/\)の事までも、教(をしえ)あらば示(しめ)し給へ」といへば額藏(がくざう)(かうべ)を拊(なで)、「わが才(さえ)、おん身(み)に及(およば)ねども、俗(よ)にいふ岡見(おかめ)八目(はちもく)也。素(もと)より智嚢(ちのう)(とみ)給へは、機(き)に臨(のぞ)み変(へん)に応(おふ)じて、禍(わざはひ)を避(さけ)給へ。われ又(また)(ひそか)に盾(たて)となりて、笑(ゑみ)の中(うち)なる刃(やいば)を禦(ふせが)ん。努(ゆめ)(ひ)すべし」と密語(さゝやき)つ、示(しめ)し合(あは)する思慮(しりよ)遠謀(ゑんぼう)、現(げに)一双(いつさう)の賢童(けんどう)なり。
 さる程(ほど)に、番作(ばんさく)が、三十五日の逮夜(たいや)になりつ。亀篠(かめさゝ)(ら)はきのふより、羹(しる)に膾(なます)の用意(ようゐ)して、碗(わん)家具(かぐ)さへに母屋(おもや)より、運(はこ)ぶ小廝(こもの)が幾(いく)(もど)り、寔(まこと)に足(あし)は擂棒(すりこぎ)も、出(いで)て働(はたら)く臺所(だいところ)、物(もの)(おほ)かたに整(とゝの)へば、はや黄昏(たそがれ)になりにけり。
 この日(ひ)も信乃(しの)は亡親(なきおや)の、墓参(はかまゐ)りせし叙(なへ)に、菩提院(ぼだいいん)なる法師(はうし)を伴(ともな)ひ、遽(いそがは)しく立(たち)かへれば、法師(はうし)は家〓(ぢぶつ)にうち對(むか)ひ、木魚(もくぎよ)(たゝ)きて看經(かんきん)も、一卜口(くち)茄子(なすび)で澄汁(すましじる)、料供(れうぐ)の菜(さい)を數(かぞ)へてをり。
 浩処(かゝるところ)に糠助(ぬかすけ)(ら)、里人(さとひと)(あまた)詣来(まうき)つゝ、寒暖(さむしあつし)の時宜(じぎ)口誼(こうぎ)。或(ある)はなき人(ひと)の事いひ出(いで)て、「昨(きのふ)けふのやうなりし、三十五日に當(あた)りたまふ歟(か)。無常(むじやう)迅速(じんそく)、はやいものなり。思へば浮世(うきよ)は夢助(ゆめすけ)どの、孰(いづれ)もお詰(つめ)なされずや」「然(しか)らば御(ご)(めん)。さりながら、あまり上坐(せうざ)で不〓(ぶしつけ)千萬(せんばん)」「扨々(さて/\)遠慮(ゑんりよ)に及(およ)ばぬ事、お手(て)を取(とら)ふ歟(か)」「これは迷惑(めいわく)。鎌平(かまへい)ぬしはお年役(としやく)」「さ宣(のたま)ふな、六十の莚(むしろ)(やぶ)りといふことあり。鍬柄(くはづか)(とつ)ても若衆(わかいしゆ)に、一卜畝(せ)と後(おく)るゝことにはあらず。仏(ほとけ)には別懇(べつこん)なりし、糠助(ぬかすけ)どのこそ上客(せうきやく)なれ。お坐(ざ)をなされ」と起(たち)つ居(ゐ)つ。謙退(けんたい)辞讓(ぢじやう)散動(どよめ)きて、稍(やゝ)二側(ふたかは)に坐(ざ)を占(しむ)れば、信乃(しの)が手(て)づから並居(ならべすえ)る、飯(いひ)に中酒(ちうしゆ)に、挨拶(あいさつ)紛紜(ふんうん)。由断(ゆだん)を見済(すま)し額藏(がくざう)が、碗(わん)を奪(うば)ふて浮盛(しひもり)は、鼻(はな)に支(つか)へて又(また)(むね)に、支(つかえ)ぬ為(ため)にと汁(しる)(かけ)て、半(なかば)(へら)して息(いき)を吻(つ)く。下戸(げこ)の恨(うら)みを冷笑(あざわら)ふ、宗旨(しうし)(ちがひ)の上戸(じやうご)(きやく)、法師(ほうし)を上坐(しやうざ)に六歌仙(ろくかせん)、歌(うた)(ひざ)(くづ)して囂々(ぎやう/\)たり。時分(じぶん)を計(はか)りて蟇(ひき)六は、縁頬(えんかは)より遶(めぐ)り來(き)て、上座(かみくら)の障子(せうじ)(おし)ひらき、「孰(いづれ)も揃(そろ)ふて、よく來(き)ませし。進(まゐ)らするものはなけれど、窕(くつろ)ぎて相譚(かたらひ)給へ」といひつゝ進(すゝ)みて席(せき)に著(つ)き、手首(たなくび)(い)れて引伸(ひきのば)す、袴(はかま)の襞〓(ひだ)も菱織(ひしおり)の、いとゞ稜(かど)ある主態(あるじふり)に、衆皆(みな/\)齊一(ひとしく)(はし)を措(おき)、「思ひかけなき御(ご)饗應(けうおふ)、鎧(よろひ)武者(むしや)にはあらねども、屈伸(のびこゞみ)すら不自由(ふじゆう)に、額(ぬか)つくことのならぬまで、下(くだ)されて候」と一人(ひとり)がいへば、皆(みな)(どつ)と、笑(わら)ひに堪(たへ)ず、噴散(ふきちら)す、飯粒(めしつぶ)(ぜん)に花(はな)雪吹(ふゞき)。これは/\、とばかりに、拾(ひら)ふに餘(あま)る粒々(りう/\)辛苦(しんく)。背門(せど)の雀(すゞめ)がまだ宿(ね)ずは、助(すけ)てくれよと喞(かこ)ちけり。
 かゝりけれ共蟇(ひき)六は、苦(にがり)(きつ)て見もかへらず。且(しばらく)してさていふやう、「各位(おの/\)にしらるゝ如(ごと)く、わが妻(つま)は舊(もと)の地頭(ぢとう)、大塚(おほつか)匠作(せうさく)ぬしの嫡女(ちやくぢよ)にて、番作(ばんさく)が姉(あね)なるに、嘉吉(かきつ)の結城(ゆふき)合戦(かつせん)に、その家(いへ)一旦(いつたん)滅亡(めつぼう)して、子孫(しそん)民間(みんかん)に落(おち)て後(のち)、再興(さいこう)せしは亀篠(かめさゝ)が、縁(えん)に繁(つなが)るわが功(こう)也。こはいはでものことながら、死(し)せりと聞(きゝ)し、番作(ばんさく)が、妻(つま)を將(い)て還(かへ)りしかば、いかで所領(しよれう)を引(ひき)わけて、荘官(せうくわん)さへに讓(ゆづ)らん、と思ふ甲斐(かひ)なき蹇人(あしなへひと)、身(み)の不自由(ふじゆう)に心(こゝろ)さへ、直(なほ)からねばや、訪(と)ひも來(こ)ず。姉(あね)を恨(うら)めば、われをばなほ、讐敵(あたかたき)の如(ごと)(のゝし)るのみ。生涯(せうがい)(もの)をいはざりしを、心(こゝろ)うしとは思ひしかど、有繋(さすが)に役義(やくぎ)(おも)ければ、こなたより手(て)をさげて、勸觧(わび)するよしのあらずかし。しかるに各位(おの/\)(かれ)を憐(あはれ)み、搆(こう)を結(むす)びて銭(ぜに)を集(あつ)め、家(いへ)を購(あがな)ひ、田園(でんはた)を、隷(つけ)て生涯(せうがい)(やしなは)れしは、舊(ふるき)をおもふ義(ぎ)なり信(しん)なり。われ口(くち)へこそ出(いだ)していはね。酸鼻(なみだぐむ)まで辱(かたじけな)く、年来(としごろ)感嘆(かんたん)(あさ)からず。しか思ひつゝ各位(おの/\)に、口誼(こうぎ)を述(のべ)ぬは役義(やくぎ)のかなしさ、些(すこ)しは推量(すいりやう)せられよかし。これは是(これ)(すぎ)にし事、彼(かの)偏意地(かたゐぢ)を立(たて)とほして、墓(はか)なくなりし番作(ばんさく)が、黄泉(よみぢ)の迷(まよ)ひは信乃(しの)のみならん。この孤(みなしご)を養(やしな)ひとりて、人(ひと)となさずは先祖(せんぞ)へ不孝(ふこう)、われ亦(また)(ひと)といはれんや。よりて亀篠(かめさゝ)と相譚(かたらひ)つゝ、渠(かれ)が親(おや)の果(はて)にし日より、小廝(こもの)(ら)を册(かしつか)せ、迭代(かたみかはり)に夫婦(ふうふ)をり/\、歩(あし)を運(はこ)び、心(こゝろ)を添(そえ)て、五七の逮夜(たいや)のけふが日(ひ)まで、等閑(なほざり)にせざる事は、各位(おの/\)も知(しり)てぞあらん。しかはあれども十五にも、足(た)らざる〓(おひ)をいつまでか、手(て)はなちてこゝに置(おく)べき。翌(あす)は母屋(おもや)へ迎(むか)へとりて、遖(あはれ)丈夫(をとこ)に守育(もりそだて)、女児(むすめ)濱路(はまぢ)を妻(めあ)はして、大塚(おほつか)(うぢ)の世嗣(よつぎ)とすべし。就(つき)ては彼(かの)番作(ばんさく)(た)は、各位(おの/\)に返(かへ)さん歟(か)。又(また)信乃(しの)に與(あたへ)ん歟(か)」と問(とへ)ば衆皆(みな/\)(かうべ)を擡(もたげ)、「そは宜(のたま)はするまでもあらず。親(おや)の物(もの)は子(こ)に讓(ゆづ)る、貴賤(きせん)上下(じようげ)の差別(けぢめ)なし。件(くだん)の田園(たはた)の主(ぬし)といふは、こゝの息子(むすこ)の外(ほか)になし。吾們(われ/\)がなんでふすべい。よきに計(はから)せ給ひね」といふに蟇(ひき)六うち笑(ゑみ)て、「しからば信乃(しの)が成長(ひとゝな)るまで、沽券(こけん)は某(それがし)(あづ)かる也。又この家(いへ)は床(ゆか)を拂(はら)ふて、彼(かの)番作(ばんさく)(た)の稲城(いなき)とせん。各々(おの/\)承知(せうち)せられよ」と信(まこと)めかしておのが田(た)へ、引(ひ)くとはしるや水飲(みづのみ)百姓(ひやくせう)、顔(かほ)見あはして応(いらへ)(かぬ)れば、庖〓(くりや)のかたより亀篠(かめさゝ)は、相槌(あひつち)(うた)んと進(すゝ)み入(い)りて、信乃(しの)がほとりに推並(おしなら)び、「けふの仏(ほとけ)はとまれかくまれ、この子(こ)は吾儕(わなみ)が壻(むこ)なり子(こ)なり。子(こ)を挙(もた)ぬものは人(ひと)の子(こ)を、養(やしな)ふてすら慈(いつくし)むに、缺替(かけかえ)のなき〓(おひ)に讓(ゆづ)る、田園(たはた)役義(やくぎ)もあるものを、彼(あの)番作(ばんさく)(た)を何(なに)にかせん。信乃(しの)も如此(しか)こゝろ得(え)給へ。翌(あす)よりしてわが宿(やど)の、竈(かまど)の下(した)の灰(はひ)までも、果(はて)はおん身(み)が物(もの)なりかし。憎(にく)しと思ひし弟(おとゝ)でも、今(いま)かうなりては最惜(いとをし)きに、東(ひがし)を見ても、西(にし)見ても、伯母(をば)より外(ほか)に親類(しんるい)なき、この子(こ)の久後(ゆくすゑ)想像(おもひや)れば、襁褓(むつき)の中(うち)より孚(はぐゝ)みし、濱路(はまぢ)にまして不便(ふびん)也。可愛(かわい)くはべり」といひかけて、頻(しき)りに拭(ぬぐ)ふ袖(そで)の雨(あめ)、降(ふ)るとは見えて濡(ぬれ)ざりけり。亀篠(かめさゝ)に泣立(なきたて)られて、諸鼻(もろはな)うちかむ里人(さとひと)(ら)、思はず斉一(ひとしく)嘆息(たんそく)し、「寔(まこと)に親(しん)は憂苦會(なきより)にて、人(ひと)の誠(まこと)を今(いま)ぞ知(し)る。伯母(をば)(きみ)の述懐(じゆつくわい)は、逮夜(たいや)の追善(ついぜん)この上(うへ)なし。番作(ばんさく)とのゝ御(ご)子息(しそく)を、壻(むこ)がねにと宣(のたまは)するを、一郷(いちごう)の人(ひと)(おほ)かた聞(きけ)り。かくては何(なに)でふ疑(うたが)ふべき。件(くだん)の田園(たはた)は荘官(せうくわん)大人(うし)、且(しばら)く管領(くわんれう)せられん事、勿論(もちろん)に候」と異口(もろ)同音(ごゑ)に応(いらへ)しかは、蟇(ひき)六亀篠(かめさゝ)(よろこ)びて、汁(しる)の冷(ひえ)たるを盛(もり)かえさせ、盃(さかつき)を勸(すゝ)め、飯(いひ)を浮(し)ひて、款待(もてなし)はじめに弥(いや)ましたり。
 かくてその夜(よ)、初更(しよこう)の比(ころ)、饗膳(けうぜん)やうやく果(はて)しかば、法師(はうし)は布施(ふせ)の二杖頭(ふたさしぜに)、臍(へそ)のあたりへへし込(こみ)て、立尻(たつしり)に跟(つ)く荘客(ひやくせう)(ばら)、皆(みな)謝辞(よろこび)を述(のべ)(つく)し、漸々(しだい)に出(いづ)る門(かど)廻向(ゑこう)、紙燭(しそく)も法(のり)の燈火(ともしび)と、後(おく)れ先(さき)たつ一ト口(くち)念仏(ねぶつ)、南無阿弥(なむあみ)反畝(たんぼ)で輾(こけ)るなと、上戸(じやうご)を扶(たすけ)てかへり去(ゆく)。迹(あと)はさながら大風(おほかぜ)の、凪(なぎ)たる如(ごと)く蕭(しめ)やかに、洗(あら)ひ浄(きよ)めて拭(ぬぐ)ひ納(い)るゝ、五器(ごき)の音(おと)のみ聞(きこ)えけり。
 かくてその詰朝(あけのあさ)、信乃(しの)は亡(なき)父母(ちゝはゝ)の、墓(はか)に香花(かうはな)手向(たむけ)んとて、菩提院(ぼだいいん)へ赴(おもむ)きしに、還(かへ)るをまたで蟇(ひき)六夫婦(ふうふ)は、小廝(こもの)等を駈立(かりたて)て、犬塚(いぬつか)が家(いへ)の調度(ちやうど)を取運(とりはこば)せ、竈下(かまもと)の物(もの)、席薦(たゝみ)戸障(たてぐ)は、物(もの)(おほ)かたに沽却(うりはらひ)て、はやく空房(あきや)にしたりけり。信乃(しの)はかうともしらずして、わが宿(やど)(ちか)くかへり來(く)る、道次(みちのほとり)に立在(たゝずむ)ものあり。と見れば是(これ)額藏(がくざう)なり。裳(もすそ)を高(たか)く端折(はしをり)(あげ)て、糾襷(なはたすき)さへ精悍(かひ/\)しく、煤(すゝ)に汚(よご)れし額(ひたひ)の汗(あせ)を、推拭(おしぬぐ)ひたる為体(ていたらく)、こゝろ得(え)かたく思ふになん。「こは何事(なにわざ)をしつるに歟(か)」と問(とひ)つゝ走(はし)り近(ちか)つけは、額藏(がくざう)後方(あとべ)を見かへりて、「今朝(けさ)しもおん身(み)が出(いで)給ひてより、まだいく程(ほど)もあらざるに、荘官(せうくわん)殿(との)が人(ひと)を將(い)て來(き)て、宿所(しゆくしよ)の調度(ちやうど)を取運(とりはこば)せ、或(あるひ)は沽却(うりはらひ)などせられしかば、吾儕(わなみ)も夫役(ぶやく)に駈(かり)とられて、見給へ、歳暮(せいぼ)に煤掃(すゝはく)(ごと)く、手(て)も足(あし)もかくの如(ごと)し。今(いま)やうやくに事(こと)(はて)たり。腹(はら)は立(たゝ)んが堪忍(たへしの)びて、直(たゞ)に母屋(おもや)へ赴(おもむ)き給へ」といはれて信乃(しの)は呆(あき)れ果(はて)、「かねて覚期(かくご)の事なれ共、親(おや)の五七の忌日(きにち)なる、けふ一チ日を過(すぐ)すとも、まだ遅(おそ)からぬ事なるに、かう急(いそが)れしは衆人(もろひと)の、変(へん)をおそるゝものなるべし。長(なが)(もの)かたり、人(ひと)もやしらん。疾(とく)ゆき給へ」と先(さき)に立(たゝ)して、徐(しづか)に進(すゝ)むわが宿(やと)を、見過(みすぐ)しかたく立(たち)よれば、外(よそ)の垣根(かきね)に異(こと)ならぬ、杜仲(まゆみ)(お)られし庭面(にはもせ)に、いることかたき門(かど)の鎖(じやう)。さすが名残(なごり)の惜(をし)ければ、誰(たれ)は留(とめ)ねど愀然(しうぜん)と、且(しばら)く其処(そこ)に立在(たゝずみ)つ。彼(かの)与四郎(よしらう)を埋(うづ)めたる、梅樹(うめのき)のほとりを見ても、只(たゞ)愛惜(あいじやく)の袂(たもと)(つゆ)けし。「いでや渠(かれ)が為(ため)にしも、〓都婆(そとは)を建(たて)ん」とひとりごちて、短刀(のたち)に著(つけ)たる刀子(さすが)を抜(ぬき)とり、梅(うめ)の幹(みき)を推削(おしけづ)りて、墨斗(やたて)の筆(ふで)を抜出(ぬきいだ)し、「如是畜生(によぜちくせう)(ほつ)菩提心(ぼだいしん)、南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)」と写(しる)しつけて、筆(ふで)を納(おさめ)て、仏名(ぶつめう)を、十遍(へん)ばかり唱(となへ)たり。
 さてあるべきにあらざれば、そがまゝ伯母(をば)の宿所(しゆくしよ)に到(いた)れば、蟇(ひき)六亀篠(かめさゝ)(まち)つけて、「吁(あな)、信乃(しの)(か)、はやかりし、疾(とく)こなたへ」と招(まね)きよせ、「そなたが寺(てら)より罷(まか)りて後(のち)に、とり拂(はらは)んと思ひしかども、さでは一卜日に物(もの)方著(がたつか)ず。〓(なまじい)におん身(み)に見せては、歎(なげ)き弥(いや)ますこともや、と心(こゝろ)いそぎのせられし隨(まゝ)に、舊(もと)の宿所(しゆくしよ)を空拂(あけはらは)して、家〓(ぢぶつ)はこなたと一処(ひとつ)にしたり。けふよりこゝはおん身(み)が家(いへ)也。昨夕(よんべ)もいひつる事ながら、おん身(み)が廾歳(はたち)にならん比(ころ)、濱路(はまぢ)を妻(あは)して二代(にだい)の荘官(せうくわん)、我等(われら)は背門(せど)へ隱居(いんきよ)して、左團(ひだりうちは)で消(くら)す日を、いと待(まち)わびしく思ふのみ。濱路(はまぢ)々々(/\)」と呼立(よびたて)て、夫婦(ふうふ)が間(あはひ)に推(おし)すえつ。「まだ熟(なれ)やかに物(もの)いはせねど、間近(まちか)くをれば相識(ちかつき)の、信乃(しの)はそなたと従兄弟(いとこどち)、けふよりこちの子(こ)にしたり。大(おほ)きくなりてはそなたの良人(をつと)、等(ひとし)く背丈(せたけ)引伸(ひきのば)して、はやく夫婦(ふうふ)にして見たし。睦(むつま)しくし給へ」と説示(ときしめ)されて恥(はな)じろむ、濱路(はまぢ)はをさな友(とも)(ちとり)、堪(たへ)ずやそが侭(まゝ)(つ)と立(たち)て、屏風(びやうぶ)のうらに躱(かく)れけり。信乃(しの)はよろづに由断(ゆだん)せず、甘(あま)き言葉(ことば)はわが身(み)の毒(どく)、とおもへば絶(たえ)て耳(みゝ)にもかけず、殆(ほと/\)(こう)じ果(はて)てをり。亀篠(かめさゝ)これを誘引(いざなひ)(たて)て、西面(にしおもて)なる一室(ひとま)に赴(おもむ)き、「こゝをおん身(み)が子舎(へや)にせん。読書(とくしよ)手習(てならひ)(おこた)り給ふな。所要(しよえう)あらば額藏(がくざう)まれ、濱路(はまぢ)まれ使(つか)ひ給へ。遠慮(えんりよ)ふかきも処(ところ)による。いつまで歟(か)うひ/\しき。うち觧(とけ)給へ」と慰(なぐさ)めて、他事(たじ)もなげにぞ管待(もてなし)ける。
 かくて三伏(さんふく)の夏(なつ)(すぎ)て、秋(あき)の初風(はつかぜ)たつ比(ころ)に、信乃(しの)は親(おや)の忌(いみ)は果(はて)たり。これより先(さき)に亀篠(かめさゝ)は、信乃(しの)が女服(をんなぎぬ)なるを、男衣(をとこきぬ)に縫更(ぬひあらた)め、この日、城〓〓(うぶすなのやしろ)に参(まゐ)らするに、年(とし)は尚(なほ)十一なれども、人(ひと)なみに倍(ま)す身長(たけ)なれば、十四五歳(さい)の童(わらべ)と見ゆめり。「けふ祝(ことほ)ぎの赤飯(あかいひ)(ついで)に、額(ひたひ)の隅(すみ)を取(と)らし給へ」と豫(かね)て夫(をつと)に勸(すゝ)めしかば、蟇(ひき)六これに従(したが)ひて、元服(げんふく)の儀(ぎ)をとり行(おこな)ひ、よに疎略(そりやく)なく見えしかば、年来(としころ)(にく)みし、里人(さとびと)(ら)は、この老狸(ふるたぬき)に欺(あざむか)れて、いと憑(たのも)しくおもひけり。これらの事(こと)も信乃(しの)は只(たゞ)、そがいふ隨(まゝ)に悖(さから)はず。女服(をんなきぬ)を更(あらた)めて、凡常(よのつね)に従(したが)ふ事は、父(ちゝ)番作(ばんさく)が遺訓(いくん)に稱(かな)へば、親(おや)の明察(めいさつ)(かたじけな)く、思ふにつけて形(あぢき)なき、身(み)の久後(ゆくすゑ)を定(さだ)めかねたる。
 けふと暮(く)れ、翌(あす)と明(あか)せば、いとゞ今茲(ことし)を果敢(はか)なく送(おく)りて、次(つぐ)の年(とし)の春(はる)三月(やよひ)、俟(まつ)とはなしに亡親(なきおや)の一周忌(いつしうき)を迎(むか)へしかば、逮夜(たいや)には家〓(ぢぶつ)に籠(こも)りて、父母(ふぼ)の冥福(めうふく)を祈(いの)るの外(ほか)なし。明日(あけのひ)信乃(しの)が墓参(はかまゐ)りの従者(ともひと)には、亀篠(かめさゝ)(かね)て分付(いひつけ)て、額藏(がくざう)を遣(つかは)したれども、外(よそ)の聞(きこえ)を憚(はゝか)れば、通途(みちすがら)とて物(もの)かたりせず。寺(てら)へ詣(まうで)て共侶(もろとも)に、その墓(はか)を洗浄(あらひきよ)め、水(みづ)を汲(くみ)み入(い)れ、花(はな)を手向(たむけ)て、主従(しゆう/\)廻向(ゑこう)に時(とき)を移(うつ)せば、涙(なみだ)ぞいとゞ進(すゝ)みける。かくてそのかへるさに、宿所(しゆくしよ)(ちか)くなるまゝに、信乃(しの)はわが舊宅(ふるいへ)の、棟(むね)をつく/\うち眺望(ながめ)、「遠(とほ)くもあらぬ程(ほど)なれども、一トたび住(すま)ずなりてはや、暮月(むかはりつき)に隣(とな)りたり。かはらぬ物(もの)は八重葎(やへむぐら)、庭(には)の草木(くさき)を見てゆかん」とて、傾頽(かたふきくづ)れし片折戸(かたをりと)を、推(おし)て主従(しゆう/\)(すゝ)み入(い)る。檐(のき)に昔(むかし)をしのぶ草(ぐさ)、柱(はしら)(なゝめ)に壁(かべ)(おち)て、藁(わら)の外(ほか)に物(もの)もあらず。現(げに)(ひと)(さり)て趾(あと)のみあり。物(もの)(かは)りて訪(と)ふに由(よし)なし。これすら涙(なみだ)の媒(なかたち)なるに、去歳(こぞ)のその月(つき)与四郎(よしらう)が、後(のち)の世(よ)の為(ため)、幹(みき)を削(けづり)て、「如是畜生(によぜちくせう)云云(しか/\)」の、經文(きやうもん)を書(かき)つけたる、梅(うめ)は殊更(ことさら)(しげ)りつゝ、その削痕(きず)は〓(いえ)、文字(もんじ)は滅(きえ)て、青梅子(あをうめ)(あまた)(なり)にけり。「この梅樹(うめのき)の下(もと)に埋(うづめ)し、彼(かの)(いぬ)が肥(こやし)になりし歟(か)。この花(はな)薄紅梅(うすこうばい)なれば、子(み)の〓(つく)ことは稀(まれ)なりしに、枝(えだ)(ごと)に斯(かう)締子(とま)りしは、これぞ今茲(ことし)がはじめなる。彼(あれ)(み)給へ」と指(ゆび)させば、額藏(がくざう)もすゝみ寄(よ)りて、つく/\とうち瞻(なが)め、「吁(あな)めでた。この梅(うめ)は、その條(えだ)(ごと)に八(やつ)づゝ生(な)りぬ。世(よ)に八房(やつふさ)の梅(うめ)といふもの、ありとは聞(きけ)ど罕(まれ)にも見ざりき。こは八房(やつふさ)に候はん」といはれて信乃(しの)は心(こゝろ)つき、「寔(まこと)にこれは八房(やつふさ)也。わが物(もの)ごゝろを知(し)る比(ころ)より、斯(かう)(えだ)(ごと)に八(やつ)(な)ることは、聞(きゝ)も傳(つた)へぬことなりかし。畜生(ちくせう)ながら主(しゆう)を知(し)る、彼(かの)与四郎(よしらう)が名(な)にし負(お)はゞ、四房(よつふさ)にこそ生(な)るべきに、八房(やつふさ)なるはいかにぞや」といひかけて又(また)と見かう見て、「竒(き)なるかな。こは八房(やつふさ)なるのみにはあらず。見給へ、實(み)(ごと)に模様(もやう)あり。何(なに)にか似(に)たる」と枝(えだ)(ひき)よせて、その実(み)を取(とり)て共侶(もろとも)に、掌(たなそこ)に乗(の)せ、日影(ひかげ)に向(むか)ひて、見れば自然(しぜん)と文字(もんじ)あり。一箇(ひとつ)は仁(じん)、一箇(ひとつ)は義(ぎ)。この他(た)、礼(れい)(ち)の文字(もんじ)あり。又(また)、忠(ちう)(しん)(こう)(てい)の四个字(しかじ)あり。その実(み)(ごと)に一字(いちじ)つゝ、顕然(げんぜん)として読(よま)れたり。こゝに至(いたり)て両(りやう)賢童(けんどう)は、毛骨疎(みのけたつ)まで驚嘆(きやうたん)し、幹(みき)を削(けづ)りて写(しろし)つけし、「如是畜生(によぜちくせう)云云(しか/\)」の、八(やつ)の文字(もんじ)は消滅(きえうせ)て、今(いま)(また)その実(み)に仁(じん)(ぎ)(れい)(ち)、八行(はつこう)の文字(もんじ)あり。こは/\いかに、とばかりに、なほ疑(うたが)ひは釋(とけ)ざりけり。且(しばらく)して額藏(がくざう)は、膚護(はだまもり)の嚢(ふくろ)なる、秘蔵(ひさう)の玉(たま)を取出(とりいだ)し、「若子(わくご)これを見給へかし。梅(うめ)の実(み)と、
【挿絵】「青梅か香は亦花にまさりけり/巳克亭鶏忠」「犬川がく蔵」「犬塚信乃」
この玉(たま)と、その形(かたち)相似(あひに)たり。その文字(もんじ)も異(こと)ならず。こは故(ゆゑ)あるべき事なれども、暁(さと)りかたく候」といふに有理(げにも)、とわれも亦(また)、護身(まもり)(ふくろ)に秘(ひめ)おきし、玉(たま)をとう出(で)てあはせ見るに、その小大(おほきさ)も、文字(もんじ)も等(ひと)し。「寔(まこと)に然(さ)なり、因(いん)(か)、果(くわ)(か)。玉(たま)といひ、梅(うめ)といひ、符節(ふせつ)をあはせてます/\竒(き)也。試(こゝろ)みに推(おす)ときは、この玉(たま)、原(もと)は八顆(やつ)ありて、仁義(じんぎ)八行(はつこう)の文字(もんじ)を具足(ぐそく)したるにや。しからば遺(のこ)れる六(むつ)の玉(たま)、世(よ)になしといふべからず。この梅(うめ)(なん)ぞ八房(やつふさ)に生(なり)たる。この玉(たま)と、この梅子(うめのみ)に、顕(あらは)れたる文字(もんじ)(なに)ぞ等(ひとし)き。問(と)へども草木(さうもく)非常(ひじやう)なり。叩(たゝ)けども玉石(ぎよくせき)(こたへ)ず。必(かならず)しも因縁(いんえん)あらば、後(のち)に思ひあはせんのみ。人(ひと)は只(たゞ)(き)を好(この)むもの也。人(ひと)おのづからしらば知(し)れ。われからこれを告(つぐ)べからず。努(ゆめ)(ひ)すべし/\」と密語(さゝやき)あふて、その八房(やつふさ)の梅子(うめのみ)を、紙(かみ)に捻(ひね)りて玉(たま)もろ共(とも)に、各(おの/\)(ふくろ)に納(おさ)めつゝ、荒(あれ)たる庭(には)を走(はし)り出(いで)て、軈(やが)て宿所(しゆくしよ)に還(かへ)りけり。
 さればその年(とし)皐月(さつき)の比(ころ)、件(くだん)の梅(うめ)の熟(じゆく)せしとき、蟇(ひき)六が家(いへ)の小廝(こもの)(ら)はさらなり、近(ちか)き里人(さとひと)(ら)は、はじめてその八房(やつふさ)なるを見著(みつけ)つゝ、世(よ)にめづらかなることなりとて、あるじ夫婦(ふうふ)に告(つぐ)るもあり。又(また)彼此(をちこち)に語(かた)りつぎて、風聞(ふうぶん)(たか)くなるものから、その梅(うめ)(じゆく)するに及(およ)びては、彼(かの)八行(はつこう)の文字(もんじ)は滅(きえ)たり。この故(ゆゑ)に里人(さとひと)(ら)は、只(たゞ)八房(やつふさ)を賞(せう)するのみ、文字(もんじ)の事はしるものあらず。是(これ)よりして毎歳(としこと)に、その実(み)は八(やつ)(つゝ)(なり)けれども、文字(もんじ)はこの春(はる)のみにして、後(のち)には竟(つひ)に顕(あらは)れず。されば蟇(ひき)六亀篠(かめさゝ)は、これらのよしを聞(きく)といへども、風雅(みやび)のうへに疎(うと)ければ、花果(はなくだもの)の樂(たのしみ)を念(こゝろ)とせず。只(たゞ)(かの)梅子(うめのみ)の夛(おほ)かるを歡(よろこ)びつゝ、年々(とし/\)に塩藏(しほつけ)にして、酒食(しゆしよく)の菜(さい)に充(みつ)るのみ。この梅(うめ)漸々(しだい)に人(ひと)に知(し)られて、名木(めいぼく)になりしかば、与四郎(よしらう)が事さえ聞(きこ)えて、八房(やつふさ)の梅(うめ)、与四郎(よしらう)(つか)とて、故老(ころう)の口碑(こうひ)に傳(つた)へたれども、後年(こうねん)數度(すど)の兵火(ひやうくわ)に係(かゝ)りて、梅(うめ)は枯(か)れ、塚(つか)は鋤(すか)れて、今(いま)はその蹟(あと)も得(え)(とめ)ず、只(たゞ)(かの)猫又橋(ねこまたはし)のみ遺(のこ)れり。


# 『南総里見八犬伝』第二十一回 2004-09-30
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# ことを許可する。変更不可部分、及び、表・裏表紙テキストは指定しない。この利
# 用許諾契約書の複製物は「GNU フリー文書利用許諾契約書」という章に含まれる。
#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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