『南總里見八犬傳』第二十七回


【外題】
里見八犬傳 第三輯 巻四

【本文】
南總里見八犬傳(なんさうさとみはつけんでん)第三輯(だいさんしふ)巻之四

東都 曲亭主人編次

 第(だい)廿七回(くわい) 〔左母二郎(さもじらう)(よる)新人(はなよめ)を畧奪(りやくだつ)す寂寞(じやくまく)道人(どうじん)(げん)に圓塚(まるつか)に火定(くわじやう)す〕

 網乾(あぼし)左母二郎(さもじらう)はその夜(よ)さり、神宮(かには)の夜風(よかぜ)に冒(おか)されけん、詰旦(あけのあさ)より寒熱(かんねつ)せしかば、この日(ひ)は手習子(てらこ)(ら)をはやくかへしつ、夕飯(ゆふけ)もたうべずうち臥(ふし)たり。かくて又(また)その次(つぐ)の日(ひ)の、午(うま)の貝(かひ)(ふ)く比及(ころおひ)に、心地(こゝち)清々(すが/\)しくなりにければ、ひとり臥箪(ふしど)を〓(おさ)めつゝ、まづはや口(くち)を漱(そゝが)んとて、外面(とのかた)に立出(たちいづ)れば、荘官(せうくわん)屋敷(やしき)のかたに當(あた)りて、物(もの)の響(ひゞき)の聞(きこ)えたる、年(とし)の終(をは)りに煤(すゝ)(は)く如(ごと)し。いと不審(いぶかし)く思ふになん、軈(やが)て門邊(かどべ)を立(たち)はなれて、間近(まちか)く聞(きか)んとする程(ほど)に、と見れば一個(ひとり)の荘客(ひやくせう)、右手(めて)に一挺(いつてう)の鍬(くは)を携(たづさへ)、左手(ゆんて)に五六根(ほん)の夏(なつ)蘿〓(おほね▼ダイコン)を引提(ひきさげ)て、草野(のら)のかたより來(く)るありけり。是(これ)(すなはち)別人(べつじん)ならず、蟇(ひき)六が老僕(おとな)背介(せすけ)なり。思はずこなたを見かへりて、目礼(もくれい)をしてければ、左母二郎(さもじらう)はこや/\と、手(て)を抗(あげ)て呼(よび)とゞめ、「先生(せんせい)などていそがはしき。けふは土用(どよう)の虫拂(むしはらひ)(か)。常(つね)にはあらで物々(もの/\)しき、帚響(はゝきおと)の聞(きこ)えたる、彼(あれ)はいかに」と尋(たづぬ)れば、背介(せすけ)は呼(よば)れてほとりに立(たち)より、「否(いな)、虫乾(むしほし)には候はず。今宵(こよひ)壻入(むこいり)の候へば、天井(てんしやう)なる蜘網(くものす)を掻拂(かきはら)ひ、席薦(たゝみ)の塵挨(ほこり)を打發(うちおこ)し、戸桟(とざん)の修復(つくらひ)、障子(せうじ)の張更(はりかえ)、毛見(けみ)の儲(まうけ)にいやまして、目(め)つらを〓(つか)むいそがはしさ。加以(それのみならで)庖厨(くりや)の混雜(こんざつ)。これ臠(みそな)せ、この蘿〓(おほね)は、膾(なます)の料(りやう)に引(ひき)もて來(き)つ。月来(つきごろ)の懇切(ねもごろ)甲斐(かひ)に、資(すけ)に來(き)ませ」とうち笑(わら)へば、左母二郎(さもじらう)(おどろ)きて、「荘官(せうくわん)の壻(むこ)とのは、彼(かの)犬塚(いぬつか)信乃(しの)にあらずや。彼(かの)(ひと)はきのふの朝(あさ)、啓行(かしまたち)す、と聞(きゝ)たるに、原来(さては)首途(かとで)の日(ひ)を延(のば)して、俄頃(にはか)に婚姻(こんいん)せらるゝ歟(か)」と問(とは)せも果(はて)ず、「違(たが)へり違(たが)へり。信乃(しの)とのは昨日(きのふ)の暁方(あけかた)、下総(しもふさ)へとて赴(おもむ)き給ひき。今宵(こよひ)(き)まする壻(むこ)殿(との)は、犬塚(いぬつか)ぬしには候はず」と半(なかば)えきかず左母二郎(さもじらう)は、忽地(たちまち)に顔色(がんしよく)(へん)じて、「その壻(むこ)がねは何人(なにひと)ぞ。素(もと)より約束(やくそく)ありて歟(か)」と言葉(ことは)せわしく問究(とひきわむ)れば、背介(せすけ)は鍬(くは)を杖(つゑ)つきて、「現(げに)(ことわ)り、膽(きも)の潰(つぶ)るゝ話説(はなし)也。僕(やつがれ)も定(さだ)かにしらねど、壻(むこ)殿(との)は陣代(ぢんだい)の簸上(ひかみ)ぬしにをはします。又(また)媒妁(なかたち)は属役(しよくやく)なる、軍木(ぬるで)殿(との)にて候はん。聘礼物(たのみのしるし)の件々(しな/\)も、いつの程(ほど)にか贈(おく)られけん。書院(しよいん)に飾立(かざりたて)てあり。且(まづ)密々(みつ/\)の婚姻(こんいん)なれば、今宵(こよひ)(ゐ)の比及(ころおひ)に、壻(むこ)殿(との)がみづから來(き)まして、新人(はなよめ)御寮(ごりやう)を伴(ともな)ひ給ふ、と人(ひと)の噂(うはさ)に聞(きこ)えたり。氣(き)の毒(どく)なるは犬塚(いぬつか)ぬし、底意地(そこゐぢ)わろき伯母御(をばご)夫婦(ふうふ)の、機嫌(きげん)をとること八九年(ねん)、要緊(まさか)の時(とき)には追遣(おひや)られて、彼(かの)初物(はつもの)を他人(たにん)の鰓(あぎと)、七十五日生延(いきのび)かねし、口(くち)果報(くわほう)のなき事よ。表液(うはしる)(す)ふべきわれにもあらねど、傍痛(かたはらいた)き限(かぎ)りなるに、彼(かの)(ひと)(のち)に聞(きゝ)給はゞ、腹(はら)も立(たゝ)ん、口舌(くぜつ)も發(おこ)らん。項(うなぢ)の脂(あぶら)ならねども、襟(えり)に著(つか)ねば當世(たうせい)ならず。さても無益(むやく)の長(なが)(もの)かたりに、時(とき)を移(うつ)して叱(しか)られん。晩(ばん)に來(き)ませ」と鍬柄(くはがら)を、再(ふたゝ)び肩(かた)にうち掛(かけ)て、背戸(せど)をさしてぞ走去(はせさり)ける。
 左母二郎(さもじらう)は氣色(けしき)だつ、胸(むね)を鎮(しづ)めてさりげなく、応(いらへ)をしても氣(き)はすまぬ、細輪(ほそわ)の田井(たゐ)に立(たち)よりて、汲揚(くみあぐ)る水(みづ)も湯(ゆ)と沸(わか)ん、心(こゝろ)の〓(ほむら)とゞめかねし、手桶(てをけ)引提(ひさげ)てそがまゝに、内(うち)に入(い)る吸(いき)、出(いづ)る吸(いき)、憤激(ふんげき)嗟嘆(さたん)に堪(たへ)ざれば、何(なに)せんすべも手(て)につかで、つく/\と思ふやう、濱路(はまぢ)は信乃(しの)に稚(をさな)きより、いひ名(な)つけたることありと歟(か)(き)けば、渠(かれ)に今(いま)、妻(めあは)せられなば、是非(ぜひ)もなし。それすら曩(さき)に亀篠(かめさゝ)が、われにいひつることもあり。然(さ)るを何(なん)ぞや陣代(ぢんだい)の、勢(いきほ)ひに附(つき)て約束(やくそく)を変改(へんかい)し、既(すで)に密事(みつじ)を委(ゆだ)ねたる、われをば顧(かへりみ)ざりけん。おもふにいぬる日(ひ)亀篠(かめさゝ)が、云云(しか/\)といひつるは、全(また)く濱路(はまぢ)を囮(をとり)にして、われに彼(かの)一刀(ひとこし)を、搨(すり)かえさせん為(ため)のみなりき、この返報(へんほう)には今宵(こよひ)(また)、壻(むこ)の簸上(ひかみ)が來(き)つるとき、その席上(せきせう)へ踏込(ふみこみ)て、蟇(ひき)六夫婦(ふうふ)が悪事(あくじ)を顕(あらは)し、思ひのまゝに恥(はぢ)かゞやかして、婚姻(こんいん)の妨(さまたげ)せん。否(いな)如此(しか)してはわれも亦(また)、件(くだん)の刀(かたな)を搨(すり)かえたる、支黨(どうるい)の咎(とが)(のが)れかたし。加旃(これのみならず)信乃(しの)が刀(かたな)は、竊(ひそか)に藏(おさ)めてわが手(て)にあり。この事遂(つひ)に露顕(ろけん)せば、ひとりわが罪(つみ)(おも)かるべし。この計策(はかりごと)、究(きはめ)て可(よか)らず。又(また)(たゞ)(かたな)の事(こと)を隱(かく)して、母親(はゝおや)が許(ゆる)したる、濱路(はまぢ)が事をのみいふとも、正(まさ)しき證据(せうこ)(たえ)てなし。よしや争(あらそ)ひ訟(うつたふ)るとも、その訟(うつたへ)を定(さだ)めんに、陣代(ぢんだい)ならで誰(たれ)にかよるべき。かゝればわれに理(り)ありとも、労(ろう)して功(こう)なきのみならず、簸上(ひかみ)は必(かならず)われを忌(いま)ん。忌(いま)ば必(かならず)(り)を非(ひ)に枉(まげ)て、獄舎(ひとや)にも繋(つな)くべく、獄舎(ひとや)に入(い)らば、責殺(せめころ)されん。この計策(はかりごと)いよ/\拙(つたな)し。彼(かの)老婆(ろうば)(め)がこゝを見越(みこ)して、密事(みつじ)を委(ゆだね)ん為(ため)のみに、濱路(はまぢ)を妻(めあは)せんとはいへり。斯(かう)(あく)までに賺(すか)されしは、わが智(ち)の足(た)らざるに似(に)たれども、その夜(よ)さりこの刀(かたな)の、竒特(きどく)を見たれば直(たゞ)は融(とほ)さず、蟇六(ひきろく)(め)にはわが刀(かたな)を、授(さづけ)たれば損(そん)はなし。けふまで何(なに)ともいはざれば、彼奴(かやつ)(ら)はわが刀(かたな)を、信乃(しの)が刃(やいば)ならんと思ひて、十襲(しう)秘藏(ひさう)するにこそ。これのみ快愉(こゝろよけ)れども、われも亦(また)男子(をとこ)也。月(つき)ごろ日(ひ)ごろおもひをかよはし、且(かつ)(いつは)りにもせよそが母親(はゝおや)の、云云(しか/\)とまでいひし濱路(はまぢ)を、今更(いまさら)(ひと)に娶(めと)られては、里(さと)の批評(ひゝやう)も面(おも)ぶせにて、ながくこの地(ち)に住(すま)ひかたし。所詮(しよせん)今宵(こよひ)、宮六(きうろく)(ら)が來(く)るを窺(うかゞ)ひ、婚姻(こんいん)の席(せき)に血(ち)を沃(そゝ)ぎて、あるじ親子(おやこ)(むこ)さへに、一座(いちざ)の奴原(やつばら)(みなころし)にして、直(たゞ)に他郷(たけう)へ走(はし)るべし。否々(いな/\)これも拙策(せつさく)ならん。彼奴(かやつ)(ら)は夛勢(たせい)なり。志(こゝろさし)を得遂(えとげ)ずして、搦捕(からめと)らるゝ事あらば、後悔(こうくわい)其処(そこ)にたちかたし。早(はや)りて危(あやう)き事(わざ)をせんより、竊(ひそか)に濱路(はまぢ)を掻〓(かきさら)ひて、逐電(ちくてん)するにますことなし。曩(さき)に濱路(はまぢ)が強顔(つれな)かりしは、信乃(しの)が眼前(まのあたり)にをればならん。今(いま)は信乃(しの)を遠離(とほさけ)られつ、彼(かの)醜郎(ふをとこ)に妻(めあは)せらるゝを、歡(よろこば)しとは思ふべからず。われに得心(とくしん)せずもあれ、伴(ともな)ふてその故郷(こけう)を去(さ)らば、何(なん)でふ従(したがは)ざることあらん。もしなほ信乃(しの)に操(みさを)を竭(つく)して、われを容(い)れずは京(きやう)にまれ、鎌倉(かまくら)にまれ遊女(あそび)に售(うり)て、金(かね)にせんもいと易(やす)かり。又この一刀(ひとこし)の奇特(きどく)をおもふに、持氏(もちうぢ)朝臣(あそん)の重器(ちやうき)と聞(きこ)えし、村雨丸(むらさめまる)に極(きはま)れり。これを故主(こしゆう)扇谷(あふきがやつ)殿(との)に献(たてまつ)らば、帰参(きさん)のよすがなるべけれど、出処(しゆつしよ)を問(とは)るゝことあらば、護影(うしろめた)き所(ところ)あり。又(また)成氏(なりうぢ)朝臣(あそん)に進(まゐ)らせなば、信乃(しの)が為(ため)に訴(うつたへ)らるべし。所詮(しよせん)華洛(みやこ)へ携上(たづさへのぼ)りて、室町(むろまち)將軍(せうぐん)に献(たてまつ)らば、召出(めしいだ)されん事疑(うたが)ひなし。これ十全(じうぜん)の計策(はかりごと)、只(たゞ)この一議(いちぎ)にとゞめたり。吁(あゝ)しかなり、とわれに問(と)ひ、われに答(こた)へて濁江(にごりえ)の、底(そこ)いとふかく尋思(しあん)しつ、稍(やゝ)十二分(ぶん)に計得(はかりえ)て、心(こゝろ)の中(うち)(ひそか)に歡(よろこ)び、独居(ひとりすみ)の事にしあれば、人(ひと)なみなる調度(ちやうど)はなけれど、俄頃(にはか)に要用(えうよう)の事ありとて、些(ちと)の家具(かぐ)衣裳(いせう)を沽却(うりしろな)して、これを路費(ろよう)としつ、しのび/\に集(あつ)めおく、笠(かさ)に脚絆(あよび)に草鞋(わらんじ)の、外(ほか)に物(もの)なき行装(たびよそほ)ひは、整(とゝの)ふに似(に)てまだ足(た)らぬ、この甲夜(よひ)(やみ)の進退(かけひき)は、背門(せど)より入(い)りて彼(かの)未通女(をとめ)を、としてや誘引(さそひ)(いだ)すべき、斯(かう)して奪(うば)ひ去(さ)るべき歟(か)、と尋思(しあん)に果(はて)しなつの日(ひ)の、まだ暮(くれ)ずや、とうち仰(あほ)ぐ、天(そら)に往方(ゆくへ)の定(さだ)めなき、浮(うかめ)る雲(くも)の不義(ふぎ)奸悪(かんあく)、伎倆(たくみ)に暇(いとま)なかりけり。
 さる程(ほど)に、濱路(はまぢ)は既(すで)に必死(ひつし)の覚期(かくご)を、氣色(けしき)には顕(あらは)さず、假染(かりそめ)ながら病著(いたつき)と、炎暑(ゑんしよ)にいとゞ紊髪(みだれがみ)、なからん後(のち)まで恥(はづか)しき、姿(すがた)をばやは見らるゝ、と勉(つとめ)て髪(かみ)を結(あげ)つゝも、いまだ臥房(ふしど)を出(いで)ざれ共、二親(ふたおや)はこの形勢(ありさま)に、今宵(こよひ)の婚姻(こんいん)推辞(いなみ)はせじ、と思ひにければ心放(こゝろゆる)しつ。黄昏時(たそがれとき)はいとゞしく、いそがはしさに紛(まぎ)れて得見(えみ)ず。かくてその日(ひ)は暮(くれ)(はて)て、初更(しよこう)(ちか)つく甲夜(よひ)(やみ)に、濱路(はまぢ)は臥房(ふしど)を脱出(ぬけいで)て、潜(しの)ぶ納戸(なんど)の縁頬(えんかは)(つた)ひ、外面(とのかた)へは出(いで)かたく、背門(せど)にも人(ひと)の出入(いでいり)(しげ)かり。われや何処(いつこ)を死処(しにところ)、とおもひかねつゝ土庫(ぬりこめ)の、間(あはひ)の籬笆(かき)に身(み)をよせて、遶(めぐ)り出(いづ)れば生憎(あやにく)に、顔(かほ)にかゝれる蜘網(くものす)は、女雛(めひな)を包(つゝ)む吉野紙(よしのかみ)、對(つま)(うしなへ)る風情(ふぜい)なり。こゝは納戸(なんど)の背庭(うらには)にて、頽(くづれ)たる假山(つきやま)あり、夏樹(なつき)の繁枝(しげえ)、芟(かり)も拂(はら)はず、人(ひと)のかよはぬ処(ところ)なるに、如法(によはう)闇夜(あんや)の事なれば、こゝ究竟(くつきやう)の処(ところ)ぞ、と死天(して)の首途(かどで)を急(いそ)ぐなる。されば臥房(ふしど)を出(いづ)るときに、燈火(ともしひ)を暗(くらう)して、〓(かや)の内(うち)には臥(ふし)たる如(ごと)く、枕(まくら)に小〓(こよぎ)をうち被(かけ)たり。しられぬ隙(ひま)に、と携(たづさへ)たる、用意(ようゐ)の繊帶(くみおび)引伸(ひきのば)して、築(つい)(ひぢ▼カキ)のほとりなる、松(まつ)が枝(え)に投(なげ)かけて、はや經(くび)れんとする物(もの)から、心(こゝろ)の闇(やみ)に天(そら)の烏夜(やみ)、降(さが)れる帶(おび)の端(はし)なくも、掻撈(かゝぐ)る手頭(てさき)によるべなき、わが身(み)いかなる悪報(あくほう)にて、実(まこと)の親(おや)も同胞(はらから)も、ありとは聞(き)けど名(な)をしらず、よに親(おや)ならぬ親達(おやたち)に、養育(やういく)の恩(おん)、年(とし)(あまた)、禀(うけ)ておくらぬ不孝(ふこう)の罪(つみ)、それ思はぬにはあらねども、二庭(ふたみち)(かけ)ぬ女子(をなこ)の節操(みさを)、教(をしえ)の文(ふみ)に背(そむか)んや。さるにても、心(こゝろ)つよきは養親(やしおや)(たち)。誓(ちかひ)を破(やぶ)る不義(ふぎ)の冨(とみ)、栄利(ゑのり)を樂(ねが)ひ給ふとも、人(ひと)の命(いのち)は限(かぎ)りあり、惜(をし)きは身後(しご)の名(な)にあらずや。そは恨(うら)むともなまよみの、甲斐(かひ)なきは現(げに)女子(をなこ)なり。こゝと彼処(かしこ)は遠(とほ)くもあらぬ、道(みち)の程(ほど)とは聞(きゝ)ながら、天(そら)を隔(へだて)て飛鳥(とぶとり)の、翔(つばさ)なき身(み)をいかにせん。よしや倶寐(ともね)はせずもあれ、一トたび親(おや)の許(ゆる)されし、妹〓(いもせ)の契(ちぎり)あり磯海(そうみ)、ふかき歎(なげ)きに身(み)を措(おき)かねて、今(いま)を限(かぎ)りの命(いのち)ぞ、としらせねばこそしられもせじ。斯(かう)なるならばいぬる夜(よ)に、いふべき事のなほあるを、いはで別(わか)れし鶏(とり)の音(ね)を、恨(うらみ)しより猶(なほ)強顔(つれな)きは、今(いま)(つく)初更(しよこう)の鐘(かね)の声(こゑ)、亥中(ゐなか)の天(そら)をまたで逝(ゆ)く、われや真如(しんによ)の影頼(かげたの)む、月夜(つきよ)(からす)に啼(なか)れなん。君(きみ)が一宵(ひとよ)の言(こと)の葉(は)に、露(つゆ)の命(いのち)を惜(をしみ)あへず、墓(はか)なくならん夢(ゆめ)の迹(あと)、傳(つた)へも聞(き)かば立(たち)かへり、操(みさを)はかえぬこの松(まつ)を、妻(つま)の標石(しるし)と臠(みそなは)し、君(きみ)が手つから阿伽(あか)灌頂(くわんちやう)、贈賻(たむけ)の水(みづ)の一霤(ひとしづく)、受(うけ)なばこれぞ不二(ふじ)説法(せつほう)、たとき聖(ひじり)の讀經(どきやう)にも、まして成佛(ぜうぶつ)し侍(はべ)らん
。今般(いまは)に物(もの)をおもはじ、と思へどもおもふ良人(つま)の事、親(おや)同胞(はらから)の事さへに、心(こゝろ)にかゝる歎(なげ)きのかず/\、潜(しの)ぶとすれどしのびかねて、ひとりごちたる竊音(しのびね)に、しのび涙(なみだ)の露(つゆ)(ふけ)て、袖(そで)から濡(ぬ)るゝ夏草(なつくさ)も、秋(あき)のゆふべと戦(そよ)ぐめり。
 さる程(ほど)に左母二郎(さもじらう)は、時刻(じこく)を測(はか)りて蟇(ひき)六が、背門(せど)より潜入(しのびい)らんとするに、彼処(かしこ)も挑灯(ちやうちん)引提(ひきさげ)て、出(いづ)る人(ひと)あり、入(い)る人(ひと)あり、便(たより)わろし、と立退(たちの)きつ。なほ外面(とのかた)を彼此(あちこち)と、密々(しのび/\)にうち遶(めぐ)りて、母屋(おもや)の背後(うら)に立在(たゝずみ)つ、つら/\透(すか)しながむれは、築牆(ついかき)の朽(くち)たるならん、そが根良(ねら)に、犬(いぬ)の出入(いでいり)するばかりなる、頽(くづれ)さへありしかば、是(これ)究竟(くつきやう)と竊(ひそか)に歡(よろこ)び、やをら細溝(こみそ)を反越(はねこえ)て、その頽(くづれ)より跂入(はひい)るに、朽(くち)たる牆(かき)の癖(くせ)なれば、わが入(い)る隨(まゝ)に廣(ひろ)かりつ。樹柆(こたち)の下(もと)に身(み)を起(おこ)して、手足(てあし)の壌(つち)を拊落(なでおと)し、家内(かない)の様子(やうす)を考(かんがふ)るに、いと暗(くら)ければ其処(そこ)とも得別(えわ)かず、只(たゞ)左邊(ゆんで)なる白壁(しらかべ)のみ、烏夜(やみ)にもほのかに見えしかば、原来(さては)こゝは納戸(なんど)の背後(うら)なり。彼(あの)土庫(ぬりこめ)の間(あはひ)を遶(めぐ)れば、常(つね)に濱路(はまぢ)がをるといふ、小房(こざしき)へ遠(とほ)からず。そこらの案内(あない)はよくもしらねど、しのぶに難(かた)きことやはある、と思ふばかりを心(こゝろ)あてに、樹柆(こたち)を傳(つた)ひ、樹下(こした)を潜(くゞ)りて、稍(やゝ)假山(つきやま)のほとりに到(いた)れば、前面(むかひ)に女子(をなこ)の泣音(なくこゑ)す。うち驚(おどろ)きて透(すか)し見(み)つ、ついゐて聞(き)くに濱路(はまぢ)なり。天(てん)の與(あたへ)と歡(よろこ)びて、仂(はした)なくは近(ちか)つかず。喞(かこ)つを聞(きゝ)て思ふやう、原来(さては)濱路(はまぢ)は今宵(こよひ)(く)る、簸上(ひかみ)宮六(きうろく)をいたく嫌(きら)ひて、經(くび)れんとするにやあらん。渠(かれ)が節操(みさ)(か)、われなるべきか。定(さだ)かに聞(きゝ)わきかたけれども、大(おほ)かたはわれなるべし。そは誰(たれ)にもあれ、掌(たなそこ)に、落(おつ)る真玉(またま)を碎(くだか)んや。さはとて足(あし)を翹(つまたて)て、掻撈(かゝぐり)よれば折(をり)もよし、濱路(はまぢ)はやうやく松技(まつがえ)に、掛(かけ)たる帶(おび)の端(はし)に携(すがり)て、又(また)潜然(さめ/\)とうち泣(なき)たる。涙(なみだ)の隙(ひま)に念仏(ねんぶつ)を、十遍(へん)ばかり唱(となへ)つゝ、經死(くびれしな)んとする程(ほど)に、声(こゑ)をもかけず後方(あとべ)より、拘禁(いたきとゞ)めて引戻(ひきもど)せば、吐嗟(あなや)、と叫(さけ)ぶ口(くち)に手(て)を掩(あて)、「驚(おどろ)き給ふな。左母(さも)なり左母(さも)也。思ひかけなき今宵(こよひ)の婚姻(こんいん)、死(しな)んと思ひ决(さだ)め給ひし、心操(こゝろばへ)をわが身(み)にとれば、いとも尊(たふと)く忝(かたじけな)し。親達(おやたち)のむじんなる、われさへ腹(はら)にすえかねて、いかでおん身(み)を將(い)て走(はし)らん、と思ふ誠(まこと)の空(むな)しからで、いひ合(あは)さねどこゝへ來(き)て、必死(ひつし)を救(すく)ふは天縁(てんえん)ならん、歎(なげ)くことかは」と慰(なぐさむ)るを、耳(みゝ)にはかけず身(み)を揉(もみ)て、やうやくに振放(ふりはな)ち、「噫(あな)無礼(なめげ)なる白徒(しれひと)かな。他夫(あだしをとこ)に伴(ともなは)るゝ、わらはなりせばいかにして、臥房(ふしど)を出(いで)てかぎろひの、命(いのち)をこゝにやはすつべき。無益(むやく)の事をいはんより、其処(そこ)退(の)かずや」と敦圉(いきまき)て、復(まち)繊帶(くみおび)に手(て)を掛(かく)るを、遮禁(さへぎりとゞ)めて冷笑(あざわら)ひ、「然(さ)(きゝ)てはなほ死(しな)さず。月(つき)ごろ日(ひ)ごろ思ひを運(はこ)ばし、又(また)母親(はゝおや)が云云(しか/\)と、竊(ひそか)に許(ゆる)せし事あれば、簸上(ひかみ)を嫌(きら)ふはわが為(ため)に、苦節(みさを)を竭(つく)す、と思ひしに、ゆきては還(かへ)るやかへらずや、末(すゑ)おぼつかなき信乃(しの)が事、思ひ絶(きら)ずはその身(み)の破滅(はめつ)。否(いな)でも応(おふ)でも携(つれ)ていぬ。とく/\出(いで)よ」と手(て)を拿(と)れば、又(また)ふり拂(はら)ふ玉柳(たまやぎ)の、風(かぜ)に紊(みだ)るゝ翠(みどり)の鬟(びんつら)、共(とも)にはふるゝ鬼蔦(おにつた)の、〓縁(まつは)る松(まつ)を盾(たて)にして、彼首(かなた)へ逃(のが)れ、此首(こなた)へ潜(くゞ)り、烏夜(やみ)に紛(まぎ)れて躱(かく)れん、と思ふのみなる猟場(かりば)の雉子(きゞす)、雄(つま)にわかれて叢蔭(くさむらかげ)に、声(こゑ)も得揚(えあげ)ず、宿棲(ねくら)にも、かへり入(い)られぬ憚(はゞかり)の、内外(うちと)に逼(せま)る呵責(かしやく)の苦(くる)しみ、追(おは)れて〓(はた)と泣沈(なきしづ)めば、鈍(もどかは)しや、と襟上(えりかみ)を、掻〓(かいつか)み引立(ひきたて)て、手拭(てのごひ)(はま)する猿〓(さるくつわ)、小腋(こわき)に楚(しか)と掻込(かいこふ)だる。濱路(はまぢ)はかほそき病後(びやうご)の痩宍(やせしゝ)、木兎(づく)に捉(と)らるゝ夜(よ)の蝉(せみ)、声(こゑ)だになくて哀(あは)れなり。左母二郎(さもじらう)は既(すで)に斯(かう)、女子(をなこ)を小腋(こわき)に抱(いだ)きては、舊(もと)の竅(あな)より出(いで)られず。扨(さて)何処(いづこ)より脱去(のがれさ)らん、と見(み)かへる片頬(かたほ)に繊帶(くみおび)の、障(さは)るを左手(ゆんで)に丁(ちやう)と〓(と)り、是(これ)究竟(くつきやう)とからまへて、閃(ひら)りと登(のぼ)る老松(おいまつ)の、枝(えだ)より傳(つた)ふ築牆(ついかき)を、辛(からく)して乗踰(のりこえ)つ、はや外面(とのかた)へをり立(たち)て、跨(また)ぐが如(ごと)くうち渡(わた)す、溝(みぞ)に音(ね)を絶(た)つ螻〓(あまかひる)の、〓(くつ)一隻(かた/\)も失(うしな)はず、豫(かね)て用意(ようゐ)の行鞋(たびわらじ)、足(あし)に信(まか)して將(い)て去(ゆき)ぬ。
 かゝりし程(ほど)に庖厨(くりや)には、式(しき)の土器(かはらけ)、饗膳(けうぜん)の、調理(ちやうり)庖丁(ほうちやう)(とゝの)ふたり。當下(そのとき)(ひき)六は、書院(しよいん)の床間(とこのま)に、〓花(つゝはな)を立(たて)、懸幅(かけもの)を、掛(かけ)わたしなどするに、初更(しよかう)の鐘(かね)の音(おと)すなり。時刻(じこく)(ちか)つきぬ、と思ふにぞ、亀篠(かめさゝ)を召(よび)ていふやう、「壻(むこ)殿(との)の來(き)まするに、今(いま)一時(ひとゝき)が程(ほど)はあらじ。夏(なつ)の夜(よ)の深(ふけ)やすきに、いつまでかいはで止(やむ)べき。濱路(はまぢ)に云云(しか/\)と聞(きこ)えしらして、衣裳(いせう)を著(つけ)させ給はずや」といへば亀篠(かめさゝ)點頭(うなつき)て、「吾儕(わなみ)も如此(しか)思ひ侍(はべ)り。よろづに暇(いとま)なかりしかば、暮(くれ)ては臥房(ふしど)に立(たち)よらねども、湯漬(ゆつけ)を些(すこ)したうべし、と婢們(をんなども)はいひ侍(はべ)り。髪(かみ)さへ結(むす)び揚(あげ)たれば、衣(きぬ)かえさするは易(やす)かるべし。あないそがしや」といひかけて、そが臥房(ふしど)へ赴(おもむ)きつ。いく程(ほど)もなく走(はし)り來(き)て、「事(こと)あり事あり」と呼立(よびたつ)れば、蟇(ひき)六驚(おどろ)き見かへりて、「こは諜々(てう/\)し何事(なにこと)やらん」と問(とは)せもあへず眼(まなこ)を〓(みは)り、「幸(さち)なし幸(さち)なし、落(おち)つき給ふな。濱路(はまぢ)は〓(かや)を脱出(ぬけいで)て、何地(いづち)ゆきけん影(かげ)もせず。もし廁(かはや)へや登(ゆき)けん、と思へば浴室(ゆとの)の四隅(すみ/\)まで、隈(くま)なくあさり侍(はべ)りしかど、をらねば逐電(ちくてん)せしならん」と告(つぐ)れば蟇(ひき)六おもはずも、拿(もつ)たる花瓶(くわひん)をうち落(おと)し、流(なが)るゝ水(みづ)を袴(はかま)の裾(すそ)もて、拭(ぬぐ)ひも果(をへ)ず身(み)を起(おこ)し、「そははや大事(だいじ)に及(およ)びたり。然(さり)とても騒(さわ)ぐべからず。いで/\」といひかけて、紙燭(しそく)を秉(とり)て庭(には)に出(いづ)れば、亀篠(かめさゝ)も共侶(もろとも)に、樹柆(こたち)の隙(ひま)を彼此(あちこち)と、求(もと)めかねつゝ土庫(ぬりこめ)の、間(あはひ)を過(よぎ)りて奥(おく)まりたる、背庭(うらには)に來(き)て見れば、こゝより出(いで)たりとおぼしくて、繊帶(くみおび)を松(まつ)に結降(むすびさげ)、足代(あししろ)にせしにやあらん、牆(かき)を乗(のり)たる足(あし)の泥(どろ)、処々(ところ/\)に印(あとつけ)たり。
 もしやと思ふ憑(たのみ)の綱(つな)のきれて澳邊(おきべ)に漂(たゞよ)ふ舩(ふね)の、跡(あと)なきが如(ごと)(ひき)六は、顔色(がんしよく)(みづ)より蒼(あをく)なりて、忙然(ばうぜん)たる形容(ありさま)に、亀篠(かめさゝ)も亦(また)嘆息(たんそく)し、「結髪(かみあげ)したるに忻(たばから)れて、暮(くれ)ても護(まも)らざりしかば、綟子篭(もじこ)の蛍(ほたる)を飛(とば)したり。おもふに濱路(はまぢ)は豫(かね)てより、いひあはせし事ありて、信乃(しの)(め)が誘引(さそひ)(いだ)せしならん」といへば蟇(ひき)六沈吟(うちあん)じ、「信乃(しの)には年来(としころ)(むつま)しからぬ、額藏(がくざう)が従(したが)ふたり。縦(たとひ)さる情由(わけ)ありとても、輒(たやす)く途(みち)より引(ひき)かへして、何事(なにこと)をかせらるべき。心憎(こゝろにく)きは左母二(さもじ)(め)なり。とく來(き)給へ」と先(さき)にたちて、舊(もと)の処(ところ)に走入(はしりい)り、心利(こゝろきゝ)たる小廝(こもの)を召(よび)て、「左母二郎(さもじらう)は宿所(しゆくしよ)にありや。挑灯(ちやうちん)引提(ひさげ)て、よく見て來(こ)よ、いそげ/\」と焦燥(いらたて)ば、「うけ給はりつ」と応(いらへ)もあへず、飛(とぶ)がごとくに走去(はせさ)りつ。且(しばらく)して件(くだん)の小廝(こもの)は、喘々(あへぎ/\)(はせ)かへり、「左母二(さもじ)ぬしの宿所(しゆくしよ)へいゆきて、呼門(おとなふ)に応(いらへ)せず、戸(と)を推開(おしあけ)て見候へば、ぬしはさら也、調度(ちやうど)なンどは、ひとつもあらで空房(あきや)にひとし。その為体(ていたらく)をもて推(お)せば、逐電(ちくてん)しつるに疑(うたが)ひなし」と告(つぐ)るを聞(きゝ)ていとゞしく、夫婦(ふうふ)は遺恨(いこん)に堪(たへ)ずして、俄頃(にはか)に僕僮(をとこ)(ども)を召聚(よびつどへ)、「云云(しか/\)の事こそあれ、その密夫(みそかを)は左母二(さもじ)(め)なり。遠(とほ)くはゆかじ、とおぼゆるに、疾(とく)追蒐(おひかけ)て引搨(ひきすり)(こ)よ。もし汝等(なんぢら)が手(て)に乗(の)らずとも、濱路(はまぢ)をな捉逃(とりにが)しそ。灯(ひ)をもたばなか/\に、這奴(しやつ)にしられて捕(とらへ)かたけん。人(ひと)を追(お)ふには闇(やみ)こそよけれ。背介(せすけ)は老(おい)て足(あし)よはくとも、今宵(こよひ)ばかりは氣(き)を入(い)れよ。誰(たれ)にもあれ功(こう)によりて、賞銭(ほうび)は過分(くわぶん)にとらせんず。誰(たれ)と誰(たれ)とは東(ひがし)のかた、彼(かれ)と彼(かれ)とは西(にし)のかた、必(かならず)ぬかるな、とく/\」と両三人(ふたりみたり)を一隊(ひとくみ)にて、既(すで)に四方(しはう)へ部(てわけ)しつ、瞬間(またゝくひま)に悉(こと%\く)、出(いだ)し遣(やり)てもとにかくに、夫婦(ふうふ)が心休(こゝろやす)らはず。亀篠(かめさゝ)は頭痛(づゝう)を病(やま)して、みづから推摩(おしも)む額(ひたひ)を擡(もたげ)、「斯(かう)なるべしとは思ひもかけず、曩(さき)には信乃(しの)を禁(せか)んとて、左母二郎(さもじらう)を引入(ひきい)れにき。さばれ濱路(はまぢ)は一トすぢにて、外(よそ)へこゝろを移(うつ)さず、と猜(すい)し錯(たが)へて偸児(ぬすひと)の、隙(ひま)(もら)ざりしはこなたの怠(おこた)り、悔(くや)しき事をしてけり」と人(ひと)をも身(み)をも怨(ゑん)ずれは、蟇(ひき)六も亦(また)嗟嘆(さたん)して、「過(すぎ)にし事は悔(くひ)てもかへらず。まづさし當(あた)る今宵(こよひ)の婚姻(こんいん)、はや壻入(むこいり)に程(ほど)もなし。その折(をり)濱路(はまぢ)を將(い)て來(こ)ずは、何(なに)とかいはん」と屈託(くつたく)の、頭(かうべ)を倶(とも)に病(やま)しけり。
 浩処(かゝるところ)に土太郎(どたらう)は、曩(さき)に蟇(ひき)六に相譚(かたらは)れ、神宮河(かにはかは)にて人(ひと)しれず、信乃(しの)を亡(うしな)はんとしつれども、その水煉(すいれん)に敵(てき)しかたくて、謀(はかりこと)合期(がつこ)せず、労(ろう)せしのみにて功(こう)なければ、蟇(ひき)六これを不足(ふそく)にして、辛苦銭(ほねをりちん)も夛(おほ)くは取(と)らせず。かくて土(ど)太郎は、昨夕(よんべ)の樗蒲(ちよぼ)に幸(さち)あらで、鐡鈔(びた)一文(いちもん)もなきまゝに、素(もと)より不敵(ふてき)の癖者(くせもの)なれば、彼(かの)荘官(せうくわん)を豪求(いたぶり)て、些(ちと)の酒價(さかて)を得(え)ばやと思ひて、夕涼(ゆふすゞ)かけて訪(と)ひ皃(かほ)に、背門(せど)より入(い)れば、蟇(ひき)六は、とく見て忽地(たちまち)こゝろに歡(よろこ)び、「土太郎(どたらう)(か)。よき折(をり)に、よくこそ來(き)つれ」と立迎(たちむかふ)れば、「否(いな)、さはよくも候はず。いぬる夜(よ)の辛苦銭(ほねをりちん)、相場(さうば)(はづれ)で直(ね)もあらず、切(せめ)て些(すこし)は増(まし)酒價(さかて)を」といふを禁(とゞ)めて、「是(これ)はさて、そを今更(いまさら)にいふ事歟(か)。又(また)(あらた)めて汝(なんぢ)を憑(たのま)ん。今宵(こよひ)は不慮(ふりよ)の難義(なんぎ)あり、その故(ゆゑ)は箇様(かやう)々々(/\ )」と辞(ことば)せわしく説示(ときしめ)し、「わが女児(むすめ)を將(い)て走(はし)りし、密夫(みそかを)は汝(なんぢ)も認(みし)れり。神宮河(かにはかは)にて同舩(どうせん)しつる、網乾(あぼし)左母二郎(さもじらう)といふもの也。闔宅(やうち)の老弱(ろうにやく)(のこり)なく、既(すで)に追捕(おつて)を蒐(かけ)たれども、彼等(かれら)のみでは心(こゝろ)もとなし。今(いま)(まね)かずして汝(なんぢ)が如(ごと)き、資(たすけ)を得(え)たるはこよなき幸(さいは)ひ、かくてはわが運(うん)なほ憑(たの)もし。とく追禁(おひとめ)て引搨(ひきすり)(こ)ば、辛苦銭(ほねをりちん)は夛少(たせう)を論(ろん)ぜず。偏(ひとへ)に憑(たの)む」と夫婦(ふうふ)して、拝(おがま)ぬばかりに相譚(かたら)へば、土(ど)太郎聞(きゝ)てうち点頭(うなつき)、「現(げに)(いま)こゝへ來(き)つる途(みち)にて、豫(かね)て相識(あひし)る行轎夫(たびかごかき)、加太郎(かたらう)井太郎(ゐたらう)(ら)が、行客(たびゝと)を乗(の)せつゝも、足(そく)を論(ろん)じて囂々(がや/\)、とそがまゝ舁(かき)も揚(あげ)ざりき。烏夜(やみ)なれば、そをよくも見ず。只(たゞ)、井太郎(ゐたらう)(ら)にものいひかけて、立休(たちやすら)はで過(よぎ)りしが、原来(さては)(くだん)の行客(たびゝと)は、左母二郎(さもじらう)に疑(うたが)ひなし。轎子(かご)に乗(の)りしは、娘(ぢやう)さまならん。途(みち)は正(まさ)しく礫川(こいしかは)、本郷坂(ほんごうさか)へ赴(おもむ)きけん。いで追禁(おひとめ)ん」と裙(すそ)とり揚(あげ)て、出(いで)んとすれば、蟇(ひき)六は、遽(いそがは)しく呼(よび)かへし、「左母二郎(さもじらう)は武士(ぶし)の浪人(らうにん)、その本事(たしなみ)(はかり)かたきに、素手(すで)にて追(お)はゞ愆(あやまち)あらん。これもてゆきね」と挿替(さしかへ)の一刀(ひとこし)をとう出(で)つゝ、逓与(わたす)を拿(とつ)て腰(こし)に跨(おび)、「これではいよ/\心(こゝろ)つよし。翩(はぶし)に掻籠(かいこ)み瞬間(またゝくひま)に、雌雄(めとりをとり)を將(い)てかへらん。酒暖(さけあたゝ)めてまち給へ」「あな憑(たの)もしや、とく/\」と急(いそ)ぐ夫婦(ふうふ)を見もかへらず、なほ甲夜(よひ)(やみ)に稲妻(いなつま)の、滅(きゆ)るが如(ごと)く走去(はせさり)けり。
 話分両頭(こゝにまた)、寂寞(じやくまく)道人(どうじん)肩柳(けんりう)といふ、怪有(けう)の行者(おこなひゞと)ありけり。原(もと)(これ)何國(いつく)の人民(ぢうにん)なるをしらず。去歳(こぞ)の夏(なつ)より、陸奥(むつ)出羽(では)を券縁(けんえん)し、今茲(ことし)は下野(しもつけ)(また)下総(しもふさ)に赴(おもむ)きつゝ、遂(つひ)に武蔵(むさし)に飛錫(ひしやく)して、愚民(ぐみん)に尊信(そんしん)せられたり。その修法(しゆはう)、嘗(かつて)(たきゝ)を積(つみ)て烈火(れつくわ)を踏(ふ)むに、自若(じじやく)として手足(てあし)焼爛(やけたゞ)るゝことなし。これによりて、人(ひと)の吉凶(きつけう)悔吝(くわいりん)を占(うらな)ひ、又(また)病厄(びやうやく)を祈祷(きとう)するに、応驗(おふげん)ありといふ。年来(としごろ)吉野(よしの)、葛城(かつらき)、三熊野(みくまの)はさらなり、駿河(するが)の不二(ふじ)、肥後(ひご)の阿蘇山(あそやま)、薩摩(さつま)の霧降(きりふり)、下野(しもつけ)の二荒山(ふたれやま)、出羽(では)の羽黒山(はくろさん)なンど、靈山(れいさん)名勝(めいせう)を、いく遍(たび)となく登陟(とうしよく)し、神人(しんじん)異物(いぶつ)に邂逅(かいこう)して、
【挿絵】「順寂(じゆんじやく)を示(しめ)して寂寞(じやくまく)火坑(くわこう)に自焼(じせう)す」「寂寞道人肩柳」
不老(ふろう)の術(じゆつ)を得(え)たりとなん。現(げに)その為体(ていたらく)、烏髪(うはつ▼クロキカミ)長髯(ちやうせん▼ナガキヒケ)にして、なほ壯年(さうねん)の人(ひと)と異(こと)ならず。しかれども、百年(ひやくねん)(ぜん)の事迹(じせき)を問(と)ふに、応答(おふたう)眼前(まのあたり)に見たるがごとく、説示(ときしめ)さゞることのなければ、人(ひと)(みな)敬信(けうしん)感服(かんふく)せり。又(また)この肩柳(けんりう)は、左(ひだり)の肩尖(かたさき)に、一塊(いつくわい)の瘤(しひね▼コフ)ありけり。これによりて、その形體(かたち)(なゝめ)なり。人(ひと)(また)その事を問(とへ)ば、肩柳(けんりう)(こたへ)て、「わが一身(いつしん)には、常(つね)に佛菩薩(ぶつぼさつ)宿(やど)らせ給へり。左(ひだり)は是(これ)天行(てんこう)の順路(じゆんろ)、肩(かた)は肢體(したい)の無上所(むぜうしよ)也。よりて東方(とうばう)、天照皇太神(あまてらすすめおほんかみ)、西方(さいはう)釈迦牟尼佛(しやかむにぶつ)、こゝに止宿(ししゆく)しをはします」といへり。かくてこの夏月(なつ)、肩柳(けんりう)は、豊嶋郡(としまのこふり)に鳴錫(めいしやく)して、愚民(ぐみん)(ら)に示(しめ)すやう、「夫(それ)三界(さんかい)は火宅(くわたく)也。穢土(ゑど)に立(たち)て、穢土(ゑど)をしらず、嗜慾(ぎよく)に耽(ふけ)りて、嗜慾(ぎよく)を思はず。愛惜(あいじやく)によりて輪廻(りんゑ)あり、好悪(こうお)によりて煩悩(ぼんなう)(おほ)かり。四大(しだい)(もと)(これ)何処(いづこ)より歟(か)(き)たる。以(おもんみ)れば悉皆(しつかい)(くう)なり。十悪(しうあく)何処(いづれのところ)よりか到(いた)る。省(かへりみ)れば一妄想(いちもうざう)のみ。この故(ゆゑ)に、諸佛(しよぶつ)悪趣(あくしゆ)に出現(しゆつげん)して、濟度(さいど)に暇(いとま)なしといへ共、凡夫(ぼんぶ)は無邊(むへん)無數(むすう)也。佛縁(ぶつえん)なきものは、無佛(むぶつ)世界(せかい)に生(せう)し、佛性(ぶつせう)なきものは、畜生(ちくせう)道中(どうちう)に堕(おつ)。縁度(えんど)(あまね)からざるが為(ため)に、世尊(せそん)涅槃(ねはん)の室(しつ)に入(い)りて、寂滅(じやくめつ)為樂(ゐらく)と教(をしへ)給へり。現(げに)(せう)あるものは、必(かならず)(し)あり。形(かたち)あるもの、滅(ほろび)ざるなし。機圓(きゑん)(すで)に満(みつ)るときンば、太陽(にちりん)の没(い)る如(ごと)く、積氷(あつきこふり)の消(きゆ)る如(ごと)し。誰(たれ)か一人(ひとり)のとゞまるものあらんや。かゝればはやく一身(いつしん)を天堂(てんだう)にかへし納(おさ)めて、彼岸(ひがん)の禅(ぜん)定門(じやうもん)に入(い)るこそよけれ。よりて來(き)ぬる六月(みなつき)十九日、申(さる)の下剋(げこく)、日没(にちぼつ)の時(とき)に丁(あた)りて、將(まさ)に火定(くわじやう)に入(い)らんとす。その地(ち)は豊嶋(としま)本郷(ほんごう)のほとり、圓塚山(まるつかやま)の麓(ふもと)なるべし。深信(しん/\)有縁(うえん)の道俗(どうぞく)は、おの/\一束(いつそく)の柴(しば)を布施(ふせ)して、來會(らいくわい)せよ」とぞ徇(ふれ)たりける。さらぬだに、尊信(そんしん)したる里人(さとひと)(ら)は、これを聞(きゝ)て讃嘆(さんたん)し、「昔(むかし)より入定(にうじやう)の行人(おこなひゞと)ありとは聞(き)けど、皆(みな)(いき)ながら土中(どちう)に入(い)るのみ。火定(くわじやう)は最(いと)も有(あり)かたかるべし。權者(ごんしや)の入滅(にうめつ)をおがまずは、何(いづれ)の時(とき)をか期(ご)すべき」とて、夲日(そのひ)を俟(また)ざるものもなし。
 かくて衆人(もろひと)は、肩柳(けんりう)が指揮(さしづ)に隨(したが)ひ、六月(みなつき)(もち)の比(ころ)よりして、圓塚山(まるつかやま)の麓(ふもと)なる、茅萱(ちかや)を芟拂(かりはら)ひて、一座(いちざ)の土壇(どだん)を築立(つきたつ)るに、黒木(くろき)をもて柱(はしら)とす。壇下(だんのもと)には、廣(ひろ)く穴(あな)を穿(ほり)たる、その廣(ひろ)さ五六間(けん)、深(ふか)きこと、丈餘(ぢやうよ)にも及(およべ)るに、柴(しば)(あまた)投入(なげいれ)たれば、虫(むし)の跂(はふ)べき隙(ひま)もなし。抑(そも/\)この圓塚山(まるつかやま)は、豊嶋(としま)夲郷(ほんごう)の西(にし)にあり。巽(たつみ)は蒼海(さうかい)杳渺(かうびやう)として、安房(あは)上総(かつさ)の盡処(はて)をも觀(み)るべく、西(にし)は連山(れんさん)嵯峨(さが)として、筥根(はこね)、足柄(あしから)、冨士(ふじ)の雪(ゆき)、夏(なつ)なほ寒(さむ)きこゝちぞする。鎌倉(かまくら)海道(かいどう)ならざれども、木曽路(きそぢ)へかよふ順路(じゆんろ)にして、上総(かづさ)下総(しもふさ)へ赴(おもむ)くもの、こゝを過(よぎ)るを捷径(ちかみち)とす。
 さる程(ほど)に、はや夲日(そのひ)にもなりしかば、寂寞(じやくまく)道人(どうじん)肩柳(けんりう)は、白布(しろぬの)をもて頭(かうべ)を包(つゝ)み、おなじ布(ぬの)の浄衣(じやうえ)を被(き)て、壇(だん)の中央(ちうわう)なる胡床(あぐら)に尻(しり)をかけ、手(て)には一箇(いつこ)の金鈴(きんりん)を振鳴(ふりな)らし、胸(むね)には一面(いちめん)の明鏡(めいきやう)を掛(かけ)、背(そびら)には一條(ひちでふ)の輪袈裟(わけさ)を垂(たれ)て、わざと兜巾(ときん)を載(つけ)ざりけり。その打扮(いでたち)異様(いやう)にして、觀念(くわんねん)の眼(まなこ)を閉(とぢ)たる、甚麼(いか)なる經(きやう)を讀(よむ)にやあらん、朝(あした)より暮(く)るゝまで、その音声(おんぜう)(にご)らず涸(か)れず。をり/\に人(ひと)を視(み)る、眼光(まなこさし)いと凄(すさま)し。壇下(だんか)には彼此(をちこち)の老弱(ろうにやく)男女(なんによ)、群参(ぐんさん)囲繞(ゐによう)して、蘿〓(おほね)山田(やまた)の邊(ほとり)まで、人(ひと)ならぬ処(ところ)もなきに、頭(かうべ)の上(うへ)を照(てら)したる、夏(なつ)の日(ひ)の堪(たへ)かたくて、「われはや火定(くわじやう)に入(い)りにき」と罵(のゝしり)ながら樹下(このもと)を、索(もとめ)て聚(つど)ふも夛(おほ)かりけり。かくてはや、黄昏(たそかれ)ちかくなりしかば、豫(かね)てこゝろを得(え)たるもの、件(くだん)の柴(しば)に火(ひ)を放(はな)てば、煽々(せん/\)として燃揚(もえあが)る、暑中(しよちう)の猛火(みやうくわ)におそれ惑(まど)ひて、壇(だん)のほとりにあるものは、散動(どよめき)(たつ)て退(しりぞ)きけり。當下(そのとき)肩柳(けんりう)は、經(きやう)よみ果(はて)て、平形(いらたか)金珠(ずゞ)を、鎗々(さや/\)と推揉(おしもみ)つ、霎時(しばし)(ねん)じて壇下(だんか)を直下(みおろ)し、声高(こゑたか)やかに讃(さん)していはく、「昔(むかし)如來(によらい)の従父弟(いとこ)なる、阿難陀(あなんだ)の、摩掲陀國(まかつだこく)をたち去(さり)て、吠舎(へいしや)釐城(りぜう)に赴(おもむ)き給ふや、その王(わう)おの/\徳(とく)を恋(した)ふて、迭代(かたみかはり)に哀驩(あいくわん)し、その一王(いちわう)はこれを追(お)ふて、南岸(みなみのきし)に営軍(いくさだち)し、その一王(いちわう)はこれを迎(むかへ)て、北岸(きたのきし)に来候(らいこう)せり。阿難(あなん)尊者(そんじや)、二王(にわう)の相争(あひあらそふ)て、闘戦(とうせん)殺害(せつがい)せんことをおそれたまひ、舩(ふね)より虚空(こくう)に昇(のぼり)つゝ、立地(たちところ)に寂(じやく)を示(しめ)して、身(み)の中(なか)より火(ひ)を出(いだ)し、骸(かばね)を焚(やき)て中(なか)より拆(さ)き、一ッは南岸(みなみのきし)に堕(おと)し、一ッは北岸(きたのきし)に堕(おと)して、その闘諍(たうじやう)を禁(とゞ)め給ひき。その功徳(くどく)廣大(ばくたい)なり。この他(た)の道徳(どうとこ)自焼(じせう)して、或(あるひ)は三世(さんせ)の諸仏(しよぶつ)に献(たてまつ)り、或(あるひ)は衆生(しゆせう)済度(さいど)の方便(はうべん)、載(のせ)て聖經(しようきやう)に灼然(いやちこ)也。貧道(ひんどう)(かたじけな)く、三宝(さんぼう)に事(つかへまつ)り、勤行(ごんぎやう)に年(とし)を歴(ふ)れども、自他(じた)の利益(りやく)に普(あまね)からず。爰(こゝ)に愚癡(ぐち)の薄徳(はくとく)を省(かへりみ)れは、速(はやく)臭骸(しうがい)を觧脱(げだつ)して、無垢(むく)の浄土(じやうど)に到(いたら)んと欲(ほり)す。冀(こひねがはく)は有縁(うえん)の道俗(どうぞく)、身滅(しんめつ)不随者(ふずいしや)の財宝(ざいほう)を棄捐(きゑん)して、未来(みらい)永劫(えうがう)の善根(ぜんこん)を殖(うへ)よ。設(もし)(それ)一銭(いつせん)二銭(にせん)を捨(すつ)るものは、一劫(いちがう)二尊(にそん)の慈航(ぢかう)に乗(の)らん。三銭(せん)四銭(せん)を捨(すつ)るものは、三藏(さんざう)を自得(じとく)して、四難(しなん)もこゝに易(やす)かるべし。五銭(せん)六銭(せん)を捨(すつ)るものは、方(まさ)に五覚(ごかく)に感通(かんつう)して、六塵(ぢん)を掃除(そうぢ)せん。七銭(せん)八銭(せん)を捨(すつ)るものは、七難(しちなん)八苦(はつく)を出離(しゆつり)して、頓生(とんせう)菩提(ぼだい)の機圓(きゑん)にあはん。九銭(せん)十銭(せん)を捨(すつ)るものは、九品(くほん)の浄殺(じやうさつ)に托生(たくせう)して、十界(かい)能化(のうげ)の菩薩(ぼさつ)とならん。如是(かくのごとく)の善男女(ぜんなんによ)、如是(かくのごとく)の財(たから)を捨(すつ)れば、身(み)はなほ苦海(くかい)に在(あ)りといふとも則(すなはち)員寂(いんじやく)の同行(どうぎやう)たり。いかにとなれば、五慾(ごよく)の財物(ざいもつ)を焼却(やきしりそけ)て、もてその身(み)に代(かえ)、無量(むりやう)の徳夲(とくほん)を播殖(ほどこしうへ)て、もて清果(せいくわ)(な)ればなり。勸化(くわんけ)隨縁(ずいえん)(あやまた)ずは、平等(びやうとう)利益(りやく)(うたが)ひなし」と説勸(ときすゝむ)る声(こゑ)の中(うち)より、群集(くんじゆ)の老弱(ろうにやく)、火坑(くわかう)を望(のぞみ)て、破落哩(はらり)々々々(はらり)と擲(なげう)つ銭(ぜに)は、落花(らくくわ)の風(かぜ)に隨(したが)ふ如(ごと)く、雪吹(ふゞき)の窓(まど)を拂(はら)ふに似(に)て、幾十百(いくじつひやく)といふをしらず。その銭(ぜに)(すで)に投了(なげをは)れば、肩柳(けんりう)自葬(じそう)の引導(いんどう)して、声(こゑ)(たか)やかに、偈(げ)を説(とき)て云(いはく)
 西方(さいはう)に釋尊(しやくそん)を葬(ほうむり)し年(とし)、撃然(げきせん)として石火(せきくわ)を發興(ぼつこう)す、東土(とうど)に道昭(どうせう)を焼(やき)し時(とき)
 閃々(せん/\)として炬〓(きよゑん)揚播(やうは)す、言(こゝ)に静(しづか)に十眼(しうがん)を相〓(あひみはり)て、灰裡(くわいり)に清果(せいくわ)を結(むす)ぶを看(み)よ。
〓誦(きんじゆ)すること三遍(みたび)にして、煽々(せん/\)たる猛火(めうくわ)の中(うち)へ、身(み)を跳(おど)らせて投入(とびい)れば、火〓(くわゑん)(はつ)と立冲(たちのぼ)り、膏(あぶら)(わ)き、宍(しゝむら)(こが)れ、骨(ほね)もとゞめず〓忽(たちまち)に、灰燼(くわいじん)となりて失(うせ)にけり。これを見る衆人(もろひと)は、感涙(かんるい)を禁(とゞ)めあへず。同音(どうおん)に念佛(ねんぶつ)して、且(しばら)く鳴(なり)も止(やま)ざりけり。
 かくてはや山寺(やまてら)の、入相(いりあひ)の鐘音(かねおと)すなる、諸行(しよぎやう)無常(むじやう)の觀念(くわんねん)も、僉(みな)(いま)さらの事におぼえて、おのがまに/\帰去(かへりゆく)、人(ひと)東西(とうさい)に立(たち)わかれ、南北(なんぼく)に散(ちり)うせて、迹(あと)には燃(もゆ)る茶毘(たび)の坑(あな)、許夛(こゝた)(てる)のみ夏虫(なつむし)の、火虫(ひむし)の外(ほか)に物(もの)もなし。
 さる程(ほど)に初夜(しよや)(すぎ)て、月(つき)ならなくに小挑灯(こちやうちん)、行轎(たびかご)の傍(かたへ)の窓(まど)に、結提(むすびさげ)つゝ引添(ひきそふ)て、歩(みち)いそがして來(く)るものあり。此(これ)は是(これ)別人(べつじん)ならず、則(すなはち)網乾(あぼし)左母二郎(さもじらう)なり。嚮(さき)に濱路(はまぢ)を豪奪(わりなくかすめ)て、途(みち)に行轎(たびかご)を傭(やと)ひつゝ、そがまゝ間道(こみち)を乱走(らんそう)して、木曽路(きそぢ)を京(きやう)へ入(い)らんとて、路(みち)さへ曲(まが)る由美村(ゆみむら)より、この圓塚(まるつか)を過(よぎ)るになん。そを舁(か)く二人(ふたり)の轎夫(かこかき)は、なほ滅残(きえのこ)る火定(くわじやう)の火光(ほかげ)を、よるべに間近(まちか)く扛(かき)すえて、左母二郎(さもじらう)にうち對(むか)ひ、「親(おや)かた、定(さだ)めの継場(つぎば)也、足(そく)(たび)て退(まか)りてん。取(と)らせ給へ」と左右(さゆう)より、さし出(いだ)す掌(たなそこ)を、見かへりて冷笑(あざわら)ひ、「汝等(なんぢら)はいかにして、喫(のま)せぬ酒(さけ)に醉(えひ)たるやらん。駒込(こまこみ)の建場(たてば)をうち越(こえ)て、板橋(いたはし)までと定(さだ)めたるに、こゝにて継(つ)ぐといふよしあらんや。いと肯(うけがは)れぬことなれども、さばかり骨(ほね)を惜(をし)むとならば、汝等(なんぢら)を憑(たの)むまじけれ。轎(かご)なるをんなを扶出(たすけいだ)して、これもてゆきね」と懐中(くわいちう)より、両〓(ふたさし)の銭(ぜに)とり出(いだ)して、逓与(わた)すを受(うけ)ず、両人(りやうにん)齊一(ひとしく)、足(あし)踏鳴(ふみな)らしてうち笑(わら)ひ、「纔(はつか)に二百三百の、仂銭(はしたぜに)を取(と)らんとて、夜行(よみち)をはる/\こゝへは來(こ)ず。いと艶妖(あてやか)なる臓物(ざうもつ)を、縛(しばり)からげて猿〓(さるくつわ)、狂女(きやうぢよ)なンどと偽(いつは)りても、いひ暗(くろ)めても挑灯(ちやうちん)の、火光(ほかげ)で疾視(にらみ)し眼(まなこ)は違(たが)はず、その両刀(ふたこし)は人目(ひとめ)ばかり、武士(ぶし)に打扮(いでたつ)拐挈児(かどはかし)、己(おのれ)ひとりに好事(よきこと)さして、空棒(からぼう)(ふつ)てやは還(かへ)る。息杖(いきつゑ)一夲(いつほん)、酒(さけ)一盃(いつはい)、建場(たてば)で歯(は)の利(き)く板橋(いたはし)の、橋(はし)を省(はぶ)きし板(はし)の井太郎(ゐたらう)、その相肩(あひかた)の加太郎(かたらう)、と人(ひと)にしられし蜘蛛(くも)冥利(めうり)、〓了(かせぎ)に由断(ゆだん)なつの夜(よ)の、網(あみ)に掛(かけ)たる玉虫(たまむし)を、なでふ他手(ひとで)に落(おと)すべき。をんなはさらなり、腰(こし)なる盤纏(ろよう)も、衣(き)くるみ脱(ぬい)で亡(なく)なれ」と訛声(だみこゑ)(たか)く左右(さゆう)より、哮(たけ)りかゝれど些(ちつと)も騒(さわ)がず、「ほざいたり藪蚊(やぶか)(ども)、耳邊(みゝもと)に附(つ)く物(もの)〓奪(ねだり)、欲(ほし)くはこの世(よ)の暇(いとま)から、いで取(と)らせん」と抜打(ぬきうち)に、晃(きら)りと被(あび)せる刃(やいば)の雷光(いなつま)、右邊(めて)に立(たつ)たる加太郎(かたらう)は、肩(かた)を〓(き)られて仰反(のけそつ)たり。透(すき)をあらせず井太郎(ゐたらう)が、打込(うちこ)む息杖(いきつゑ)(うけ)ながして、二三合(ふたうちみうち)(たゝか)ふ程(ほど)に、加(か)太郎も亦(また)(み)を起(おこ)して、左右(さゆう)より引夾(ひきはさ)み、野火(のび)を燭(あかし)に追(おひ)つかへしつ、迭(かたみ)に叫(さけ)ぶちから声(こゑ)、井太郎(ゐたらう)(ら)は血氣(けつき)に乗(まか)して、只管(ひたすら)に競(きそ)へども、撃劍(けんじゆつ)、槍棒(やりのて)、拳法(やはら)なンどは、一点(つゆ)ばかりもしらざれば、動(やゝも)
【挿絵】「山前(さんぜん)の黒夜(こくや)四凶(しけう)挑戦(たうせん)す」「井太郎」「はま路」「左母二郎」「加太郎」「土太郎」
すれば駈悩(かけなやま)されて、手痍(てきず)に〓〓(よろめく)乱打(めつたうち)に、足場(あしば)えらまで夏草(なつくさ)を、秋(あき)の紅葉(もみぢ)と染(そめ)なせり。
 されば亦(また)左母二郎(さもじらう)は、武藝(ぶげい)の達人(たつじん)ならざれども、拿(もつ)たる刃(やいば)は名(な)にしおふ、村雨(むらさめ)の宝刀(みたち)なれば、打振(うちふ)る毎(ごと)に水氣(すいき)たちて、八方(はつはう)に散乱(さんらん)し茅萱(ちかや)に移(うつ)りし火(ひ)は滅(きえ)つ、茶毘(だび)の光(ひかり)も衰(おとろへ)て、足下(あしもと)(くら)くなるものから、鐡(てつ)を断(きり)、石(いし)を劈(つんさ)く、刃(やいば)の竒特(きどく)掲焉(いちしるく)、怯(ひる)めば憑入(つけい)る後袈裟(うしろけさ)に、加(か)太郎は復(また)(かた)を割(き)られて、鮮血(ちしほ)に塗(まみ)れて仆(たふ)れたり。そが隙(ひま)に井(ゐ)太郎は、〓(よろめ)きながら後方(あとべ)より、組(く)むを閃(ひら)りと振放(ふりはな)ち、足(あし)を飛(とば)して撲地(はた)と蹴(け)る。蹴(け)られて〓(だう)と轉輾(ふしまろ)び、起(おき)んとするを、起(おこ)しもたてず、細頸(ほそくび)(ちやう)と打落(うちおと)して、血刀(ちかたな)引提(ひさげ)て吻(いきつ)く折(をり)、土太郎(どたらう)は稍(やゝ)追蒐(おつかけ)(き)つ、滅残(きえのこ)る火(ひ)に透(すか)し見て、声(こゑ)をもかけず背(うしろ)より、晃(きらめ)かす刃(やいば)の光(ひかり)に、左母二郎(さもじらう)は眼(まなこ)はやく、吐嗟(あなや)とばかり身(み)を反(ひね)れば、畳(たゝみ)かけて撃(うつ)大刀(たち)を、拂退(はらひのけ)つゝ佶(きつ)と睨(にらま)へ、「賊(ぞく)は二人(ふたり)と思ひしに、原来(さては)(なんぢ)も支黨(どうるい)の、引剥(ひはぎ)にこそ」といはせもあへず、刃(やいば)を閃(ひら)りと拿直(とりなほ)し、「いぬる夜(よ)、神宮(かには)の漁舟(すなとりふね)で、面(おもて)を認(みし)りし痩(やせ)浪人(らうにん)、戸田(とた)河條(がはすぢ)で名(な)の賣(う)れたる、土田(どた)の土太郎(どたらう)を忘(わす)れし歟(か)。吾(われ)を引剥(ひはぎ)と罵(のゝし)るは、豕(ゐのこ)を抱(いだ)きて臭(くさ)きをしらざる、汝(なんち)がうへをいふに似(に)たり。頭顱(かさのだい)なき偸児(ぬすひと)に、なが/\しき論(ろん)は益(ゑき)なし。荘官(せうくわん)殿(との)に頼(たのま)れて、はふらかされし臓物(ざうもつ)を、とり復(かへ)さん為(ため)に來(き)つ。諺(ことわざ)にいふ大蛇(おろち)の道(みち)は、蝮(まむし)が識(しつ)たる夏(なつ)山里(やまのて)、甲夜(よひ)に圖(はか)らず物(もの)いひかけし、この雲介(くもすけ)(ら)は樗蒲(ちよぼ)夥計(なかま)。その折(をり)(ちらり)と見かけたる、しかも怪(あや)しき行客(たびゝと)を、乗(の)せて間道(こみち)を走(はし)りしならん、と思ひ、憶(おも)はず圓塚(まるつか)の、茶毘(だび)より先(さき)に露(つゆ)と消(きえ)たる、井(ゐ)(か)(りやう)太郎(たらう)が為(ため)には仇人(かたき)。女(め)の子(こ)を拐挈(かど)ひし大(たい)罪人(ざいにん)は、捕栄(とらへはえ)ある縲絏(ひとやなは)、脱(のが)れぬ処(ところ)と覚期(かくご)して、みづから肘(かひな)を背(そびら)へ廻(まは)せ。然(さ)らずはこゝで首級(くび)にして、田畑(たはた)の西瓜(すいくわ)と欺(あざむ)くまでに、荘官(せうくわん)殿(との)へ裹(つと)にせん。さでも走(はし)る歟(か)、争(あらそ)ふ歟(か)」と罵迫(のゝしりせめ)たる面魂(つらたましひ)、前(さき)の二人(ふたり)にいやませども、こなたも大膽(だいたん)不敵(ふてき)の癖者(くせもの)、刃(やいば)を揚(あげ)てよせ立(たて)ず。「あな嗚呼(をこ)がましき追捕(おつて)(よばゝ)り、櫓械(ろかい)一本(いつほん)、板(いた)三枚(さんまい)、下(した)は地獄(ぢごく)の境界(きやうがい)も、波上(なみのうへ)には人(ひと)をも罵(の)らん。いまだわがこの本事(てなみ)を見ずや。女子(をなこ)を將(い)たる夜行(よみち)と侮(あなと)り、引剥(ひはぎ)をせんと計較(もくろみ)し、二賊(にぞく)は既(すで)にかくの如(ごと)し。汝(なんぢ)も冥土(よみぢ)の伴侶(みちつれ)に、三途(さんつ)の川舟(かはふね)(のら)んとならば、刃(やいば)を受(うけ)よ」と閃(ひら)めかす、尖(するど)き大刀(たち)(かぜ)、物(もの)ともせず、「死物(しにもの)(くる)ひのゑせ廣言(くわうげん)、息(いき)の根(ね)(とめ)ん」と撃(うち)あふ鍔音(つばおと)、谺(こたま)に響(ひゞき)て凄(すさま)しく、夜(よ)の夏山(なつやま)、人(ひと)(たえ)て、虫(むし)さへ声(こゑ)をとゞめたる、草(くさ)を蹴(け)ひらく奮撃(ふんげき)突戦(とつせん)、一上(いちじよう)一下(いちげ)と術(て)を竭(つく)す、雌雄(しゆう)はいまだ判(わか)ざりけり。しかはあれども左母二郎(さもじらう)は、再度(さいど)の苦戦(くせん)に稍(やゝ)疲労(つか)れて、既(すで)に浅痍(あさで)を負(おひ)しかば、敵(てき)しかたしと思ふになん、こゝろに一計(ひとつのはかりごと)を生(せう)しつゝ、刃(やいば)を引(ひき)て逃走(にげはし)れば、土(ど)太郎いよゝ勝(かつ)に乗(のり)て、「蓬(きたな)しかへせ」と追(お)ふ程(ほど)に、左母二郎(さもじらう)は間(あはひ)を揣(はか)りて、手(て)はやく小石(こいし)を掻〓(かいつか)み、身(み)を振(ふ)りかへして〓(はた)と撲(う)つ、飛礫(つぶて)は〓(ねらひ)を愆(あやまた)ず、勢(いきほ)ひ猛(まう)たる土(ど)太郎は、忽地(たちまち)(ひたひ)を撲破(うちやぶ)られて、さと濆(ほとばし)る鮮血(ちしほ)と共(とも)に、一声(ひとこゑ)(あつ)と叫(さけ)びあへず、仰(のけ)ざまに仆(たふ)れしかば、左母二郎(さもじらう)は〓(や)を突(つ)く如(ごと)く、走(はし)りかへりて、そが胸前(むなさき)を、蹂躙(ふみにじり)、又踏居(ふみすえ)て、刺(さ)す刀尖(きつさき)は名詮(めうせん)自性(じせう)、土(つち)に縫(ぬは)れし土(ど)太郎は、纔(はつか)に手足(てあし)を動(うご)かすのみ、身(み)を大(だい)の字(じ)にひらかして、そがまゝ息(いき)は絶(たえ)てけり。
 抑(そも/\)この土(ど)太郎、加(か)太郎、井太郎(ゐたらう)(ら)は、豊嶋(としま)の三太郎(さんたらう)と呼(よば)れたる、水陸(すいりく)の悪棍(わるもの)なり。年来(としごろ)しば/\人(ひと)を害(そこな)ひ、又(また)しば/\物(もの)を掠(かすめ)て、婬酒(いんしゆ)賭奕(とばく)の場(には)に遊(あそ)び、上(かみ)は國法(こくはう)をおそれず、下(しも)は縣吏(けんり)を屑(ものゝかす)とせず。銭(ぜに)あるときは、〓通(とうつう)が鼎(かなへ)をつらねて、食(くら)へども飽(あけ)りとせず、銭(ぜに)なきときは、喪家(そうか)の狗(いぬ)のごとく、餓(うへ)たれども恥(はぢ)とせず、世(よ)に三兇(さんけう)とて忌憚(いみはゞか)られし、天罰(てんばつ)こゝに疎(うと)からず、又(また)(たゞ)奸悪(かんあく)邪婬(じやいん)の癖者(くせもの)、網乾(あぼし)左母二郎(さもじらう)に殺(ころ)されしは、毒(どく)をもて毒(どく)を制(せい)する、天(てん)の配劑(はいざい)玄妙(げんめう)ならずや。
 間話休題(あだしことはさておきつ)、左母二郎(さもじらう)は辛(から)くして、土(ど)太郎を撃果(うちはた)しつ、刃(やいば)の鮮血(ちしほ)を推拭(おしぬぐ)ふに、生血(のり)をば引(ひ)かで、白露(はくろ)に濡(ぬれ)たり。こゝにます/\この刀(かたな)の、竒特(きどく)に感嘆(かんたん)(あさ)からず、「嚮(さき)には生死(せうし)存亡(そんぼう)の際(さかひ)に立(たち)て心(こゝろ)えつかず、現(げに)わが衣(きぬ)の湿(しめ)りしも、野火(のび)の滅(きえ)しも村雨(むらさめ)の刃(やいば)より成(な)す霤(したゝり)なりき。再(ふたゝ)び見つる刀(かたな)の威徳(ゐとく)は、仕官(しくわん)の梯(かけはし)、忝(かたじけな)し」とうち戴(いたゞ)きて〓(さや)に納(おさ)め、三尺(さんじやく)(おび)を引裂(ひきさき)て、腕(かひな)の浅痍(あさて)を括畄(くゝりとめ)、滅果(きえはて)んとせし坑(あな)の火(ひ)に、残(のこ)れる柴(しば)を投入(なげい)るれば、又(また)烈々(れつ/\)と燃上(もえのぼ)りて、風(かぜ)のまに/\彼此(をちこち)なる、茅萱(ちかや)に移(うつ)ればいとゞしく、白昼(まひる)の如(ごと)く明(あか)かりける。
 かくて左母二郎(さもじらう)は、轎(かご)の内(うち)に伏沈(ふししづ)む、濱路(はまぢ)をやをら扶出(たすけいだ)して、その縛(いましめ)を釋捨(ときすつ)れば、又(また)潜然(さめ/\)と泣沈(なきしづ)む。傍(かたへ)の株(くひぜ)に尻(しり)をかけ、「やよ濱路(はまぢ)、とてもかくても腐縁(くされえん)、泣(なく)とて後(あと)へ、やはかへす。命(いのち)を的(まと)の由美村(ゆみむら)より、この山越(やまこえ)に三人(みたり)の大敵(たいてき)、やうやく殲(ころしつく)せしを、そは誰(た)が為(ため)と思ひ給ふ。皆(みな)(これ)おん身(み)ゆゑならずや。畢竟(ひつきやう)浅痍(あさて)を負(お)ふたるのみにて、恙(つゝが)なければこそよけれ、われ死(し)なばおん身(み)も亦(また)、八(や)しほにまして辛苦(からきめ)(うけ)ん。かくまで思ふわれをなぞ、強顔(つれなく)はもてなし給ふ。さらばおん身(み)が心(こゝろ)やりに、親達(おやたち)の密議(みつぎ)を告(つげ)ん。いぬる夜(よ)、神宮河(かにはかは)の漁猟(すなとり)は、竊(ひそか)に信乃(しの)を害(がい)せんとて、誘引(さそひ)(いだ)せしものなるべし。かゝれば蟇六(ひきろく)荘官(せうくわん)が、不覚(そゞろ)に水(みづ)に落(おち)たるも、実(まこと)は信乃(しの)を誑引(おびきい)(い)れて、水中(すいちう)に殺(ころ)さん為(ため)のみ、然(され)ども信乃(しの)は水煉(すいれん)を、よくするものにやありつらん。土(ど)太郎さへに敵(てき)し得(え)ず、荘官(せうくわん)は阿容(おめ)々々(/\ )と、渠(かれ)に抱(いだ)き縮(すく)められ、前面(むかひ)の岸(きし)に登(のぼ)されたれば、その謀(はかりこと)(な)らざるならん。その前(さき)の日(ひ)におん身(み)の母御(はゝご)が、竊(ひそか)に吾儕(わなみ)の宿所(しゆくしよ)を訪(と)ふて、信乃(しの)を許我(こが)へ起行(たびたゝ)する、意中(ゐちう)の機密(きみつ)を物(もの)かたり、『初(はじめ)里人(さとひと)(ら)に媒妁(なかだち)せられて、信乃(しの)に濱路(はまぢ)を妻(めあは)せん、といひなつけたるときに、荘官(せうくわん)殿(との)が秘蔵(ひさう)の一卜刀(こし)、そを壻(むこ)牽出(ひきで)に取(と)らせたり。今(いま)にして明々地(あからさま)に、返(かへ)せといはゞ必(かならず)推辞(いなま)ん。よて如此(しか)々々(/\ )に謀(はか)るべし。その折(をり)おん身(み)は舩中(せんちう)にて、信乃(しの)が件(くだん)の一卜刀(こし)を荘官(せうくわん)殿(どの)の刀(かたな)もて、搨替(すりかえ)てたびねかし。彼(かの)一ト刀(こし)だに畧代(とりかゆ)れば、其処(そこ)にて信乃(しの)は恙(つゝが)なくとも、這奴(しやつ)許我(こが)へ赴(おもむ)きて、何事(なにこと)をかしいだすべき。麁忽(そこつ)の罪(つみ)を糺(たゞ)されて、縛首(しばりくび)(はね)られなん。相謀(かたらは)れてだに給はらば、おん身(み)に濱路(はまぢ)を妻(めあは)せて、職禄(しよくろく)(さへ)に譲(ゆづ)らん』といはるゝに推辞(いなみ)かたくて、遂(つひ)に密議(みつぎ)に乗合舩(のりあひふね)。件(くだん)の刀(かたな)を搨替(すりかえ)しも、おん身(み)を妻(つま)にせん為(ため)のみ。その事なくはいかにして、さる奸曲(よこしま)に與(くみ)すべき。かくて此彼(これかれ)両刀(ふたこし)を、搨替(すりかえ)んとせしときに、信乃(しの)が刀(かたな)の中心(なかご)より、忽然(こつぜん)として水氣(すいき)(したゝ)り、夏(なつ)なほ寒(さむ)き焼刃(やきば)の霊光(れいくわう)、いとも得(え)かたき宝(たから)に愛(めで)て、つら/\視(み)つゝ、熟(つら/\)(おも)へば、前(さき)の管領(くわんれう)、持氏(もちうぢ)朝臣(あそん)の重宝(ちやうほう)に、村雨(むらさめ)といふ宝刀(みたち)あり。その刃(やいば)、〓(さや)を出(いづ)れば、おのつからに水氣(すいき)(したゝ)る。殺氣(さつき)を含(ふく)みて打振(うちふ)れば、刀尖(きつさき)より出(いづ)る水(みづ)、狭霧(さきり)の如(ごと)く散乱(さんらん)す、と傳聞(つたへきけ)るは是(これ)なるべし。さるを蟇六(ひきろく)荘官(せうくわん)が、信乃(しの)にこれを與(あたへ)し、といふ事は甚(はなはだ)不審(いぶか)し。信乃(しの)が親(おや)番作(ばんさく)は、その父(ちゝ)匠作(せうさく)共侶(もろとも)に、春王(しゆんわう)安王(あんわう)に倶(ぐ)し奉(たてまつ)り、結城(ゆふき)に篭城(ろうぜう)せしといへば、この刀(かたな)は持氏(もちうぢ)より、両(りやう)公達(きんたち)に傳(つたへ)られしを、春王(しゆんわう)安王(あんわう)卒去(そつきよ)の後(のち)、番作(ばんさく)(ひそか)に携(たづさへ)て、大塚(おほつか)に退隱(たいいん)し、彼人(かのひと)(ぼつ)して今(いま)はしも、信乃(しの)が佩(おぶ)るに疑(うたが)ひなし。かくは得(え)かたき名刀(めいたう)を、荘官(せうくわん)づれが手(て)に落(おと)さば、俗(よ)にいふ猫(ねこ)に黄金(こかね)ならん、且(かつ)(かの)夫婦(ふうふ)が欲(ほつ)する所(ところ)、われを愛(あい)してこの刀(かたな)を、搨替(すりかえ)させんとにはあらず。この刀(かたな)を畧(とら)せん為(ため)に、われを愛(あい)するおもゝちする歟(か)。甘言(あまきことば)も憑(たの)みかたし。さは鄙言(さとびことわざ)に、毒(どく)を食(くら)はゞ皿(さら)まで甜(ねぶ)れ、といふは今宵(こよひ)の事にこそ、と思ひにければ信乃(しの)が刀(かたな)を、わが刀室(さや)に納替(いれかえ)つ、又(また)わが刀(かたな)は荘官(せうくわん)の、刀室(さや)に納(おさ)めつ工合(ぐあひ)よく、刃(やいば)ばかりを三方(みところ)(かえ)に、かえて且(まづ)そのやうを見るに、荘官(せうくわん)夫婦(ふうふ)は約束(やくそく)の、唇(くちびる)もまだ乾(かはか)ぬ程(ほど)に、陣代(ぢんだい)簸上(ひがみ)宮六(きうろく)に、婚縁(こんえん)を結(むす)びつゝ、いく日(か)もあらで、今宵(こよひ)の壻入(むこいり)、傳聞(つたへきゝ)ては腹(はら)たゝしく、妬(ねた)く悔(くや)しく、形(あぢき)なし。人(ひと)を殺(ころ)してわれも亦(また)、死(しな)んと思ひ决(さだ)めしが、いまだおん身(み)の心(こゝろ)をしらず。命(いのち)に換(かゆ)るものゝなければ、わりなくおん身(み)を將(い)て走(のき)つ。憎(にく)しと思ふ人々(ひと/\)に、恨(うらみ)をいはで怨(うらみ)を復(かへ)す、志(こゝろざし)は致(いた)したり。幼稚(をさな)馴染(なじみ)に羈(ほだ)されて、信乃(しの)に実情(まこと)を盡(つく)すとも、流(ながれ)に隨(したが)ふ落花(らくくわ)の如(ごと)し。渠(かれ)いかにしてこゝろあらん。かへることなきものぞかし。再(ふたゝ)び試(ため)せし宝刀(みたち)の竒特(きどく)、土太郎(どたらう)(ら)を撃(うち)しとき、野火(のび)の滅(きえ)しは村雨(むらさめ)の大刀(たち)より出(いづ)る水氣(すいき)によれり。華洛(みやこ)に上(のぼ)りて、この宝刀(みたち)を、室町(むろまち)殿(どの)に献(たてまつ)らば、数百貫(すひやくくわん)の主(ぬし)となる、立身(りつしん)(うたが)ひなきもの也。さるときはおん身(み)をも、奥(おく)さまと唱(となへ)させ、夛(おほく)の人(ひと)に冊(かしづか)せん。歎(なげ)きをとゞめてこの山(やま)を、とくうち踰(こえ)給はずや。負(おは)れ給ふ歟(か)、手(て)を掖(ひか)んか、いかにぞや」と身(み)をよせて背(そびら)を拊(なで)つ、手(て)をとりつ、辞巧(ことばたくみ)に慰(なぐさ)めけり。


# 『南総里見八犬伝』第廿七回 
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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