『南總里見八犬傳』第二十八回


【本文】
 第(だい)廿八回(くわい) 〔仇(あた)を罵(のゝしり)て濱路(はまぢ)(せつ)に死(し)す族(やから)を認(みとめ)て忠與(たゞとも)(ふること)を譚(かた)る〕

 濱路(はまぢ)は涙(なみだ)(せき)あへず、よに養親(やしおや)の奸曲(よこしま)と、網乾(あぼし)が邪智(じやち)を聞(き)く間(から)に、はじめの恨(うらみ)いやまして、胸(むね)(つぶ)れたる有為(うゐ)轉変(てんへん)。假染(かりそめ)ながら遠離(とほさか)る、きのふけふなる旅衣(たびころも)、良人(つま)の難義(なんぎ)を想像(おもひや)る、わが玉(たま)の緒(を)の絶(たえ)なば絶(たえ)よ。いかで宝刀(みたち)をとり復(かへ)して、夢(ゆめ)になりともこれらのよしを、告(つげ)て丈夫(をつと)に逓与(わたさ)んと、思へばこゝろを奨(はげま)して、やうやくに涙(なみだ)をおさめ、「嚮(さき)には理(わり)なく縛(いましめ)られ、將(い)て走(はし)られし辱(はづかし)めに、恨(うら)めしとのみ思ひしが、思はぬ人(ひと)におもはれて、伴(ともなは)るゝも過世(すくせ)より、脱(のが)れぬ契(ちぎり)あるなるべし。犬塚(いぬつか)ぬしの大刀(たち)の事は、わらはも耳熟(みゝなれ)目熟(めなれ)て侍(はべ)り。彼(かの)(ひと)(つゝしみ)ふかければ、よしや火急(くわきう)の折(をり)なりとも、謀(はか)らるべくはあらずかし。そを輒(たやす)くも搨替(すりかえ)し、と宣(のたま)ふ言葉(ことば)(いつは)りなくは、わらはが進退(しんたい)(きはま)り侍(はべ)り。初(はじめ)は情(ぜう)もてあはずといふとも、宝刀(みたち)を掠(かす)めし人(ひと)としも、しりつゝ倶(とも)に走(はし)れるならん、と二親(ふたおや)にさへ疑(うたがは)れん。かゝればかへる家(いへ)もなし。况(まい)てその性(さが)いと正(たゞ)しき、犬塚(いぬつか)ぬしに容(いれ)られんや。まづその刃(やいば)を見せ給へ」といはれてしば/\うち点頭(うなつき)、「しか思ふは理(ことわ)り也。信乃(しの)は心(こゝろ)に由断(ゆだん)せずとも、伯母夫(をばむこ)を救(すくは)んとて、續(つゞき)て入水(じゆすい)したる折(をり)、舩(ふね)にありしは吾儕(わなみ)一人。その刃(やいば)をのみ搨(すり)かえたれば、渠(かれ)にしらるゝ事(こと)なかりき。寔(まこと)にこの村雨(むらさめ)は、わが立身(りつしん)の梯(かけはし)に、なるのみにあらずして、妹〓(いもせ)の契(ちぎり)を固(かたう)する、月下翁(むすぶのかみ)にをはします。わが偽(いつは)らざる證(あかし)には、抜(ぬけ)ば忽地(たちまち)水氣(すいき)あり。是(これ)この刀(かたな)の竒特(きどく)なり。檢(み)て疑(うたが)ひを釋(とき)給へ」と諭(さと)しつやをら引抜(ひきぬ)きて、逓与(わた)す刀(かたな)を右手(めて)に受(うけ)、うちかへし見るやうにして、「丈夫(をつと)の仇人(かたき)」と呼(よび)かくる、声(こゑ)もろともに突閃(つきひらめ)かす、刃(やいば)の光(ひか)りに驚(おどろ)き〓(あはて)て、左(ひだり)に外(はづ)し右(みぎ)へ避(さけ)、沈(しづん)て拂(はら)へば跳越(おどりこえ)、撃(うた)んとすれば、かい潜(くゞ)り、後(うしろ)に立(たつ)を追詰(おひつめ)る、かよはき腕(かひな)も烈女(れつぢよ)の念力(ねんりき)、侮(あなと)りかたき刀尖(きつさき)に、左母二郎(さもじらう)はます/\怒(いかり)て、小刀(こたち)引抜(ひきぬ)き、丁々(ちやう/\)はつし、と受(うけ)ながし、つけ入(い)りて、濱路(はまぢ)が乳下(ちのした)(はた)と〓(き)る。〓(き)られて苦(あつ)と魂消(たまぎ)る一声(ひとこゑ)、怯(ひる)む刃(やいば)を踏落(ふみおと)し、跳蒐(おどりかゝつ)て掻〓(かいつか)む、頭髻(たぶさ)を膝(ひざ)に引著(ひきつけ)て、霎時(しばし)疾視(にらみ)て、声(こゑ)ふり立(たて)、「牝狗奴(あまめ)、今(いま)さら思ひしるや。情欲(こひ)なればこそ心(こゝろ)のどけく、慰(なぐさ)めもしつ、賺(すか)しもしたれ。さるを執念深(しうねき)刃物(はもの)三昧(さんまい)、仇人(かたき)と呼(よば)るゝわれにはあらず。さまでに信乃(しの)を忘(わす)れかたくは、暇(いとま)をとらせん、彼(あの)(よ)で合(そ)へ。もしわがこゝろに従(したがは)ずは、遊女(あそび)に售(う)るとも身價(このしろ)あり。化骨(あだほね)(を)らじと思ひしに、已(やむ)ことを得(え)ず賣物(うりもの)に、傷(きずつ)けたればそれも詮(せん)なし。飽(あく)までわれにつらかりし、報(むく)ひは覿面(てきめん)、早(つと)には殺(ころ)さず、思ひのまゝに苦(くるし)まする、なぶり殺(ころ)しに旅宿(たびね)の徒然(つれ/\)、慰(なぐさめ)させて熱腸(はら)を冷(い)ん。この世(よ)の名残(なごり)もしばしが程(ほど)ぞ。泣(なき)たくはな
け、いひたくはいへ。しからば月(つき)の出(いづ)るまで、聽聞(ちやうもん)せん」と引立(ひきたて)て、間(あはひ)(はるか)に突輾(つきまろば)し、村雨(むらさめ)の大刀(たち)掻取(かいとり)て、〓(さや)に納(おさ)めて、腰(こし)に帶(おび)、小刀(こたち)を大地(だいち)に衝立(つきたて)て、ほとりの株(くひぜ)に尻(しり)うち掛(かけ)、懐中(くわいちう)なる畳紙(たゝうかみ)より、鑷子(けぬき)を撈(さぐ)り出(いだ)しつゝ、頤(おとがひ)しば/\掻拊(かきなで)て、些(ちと)の鬚(したひげ)(ぬき)てをり。
 さる程(ほど)に、濱路(はまぢ)は既(すで)に灸所(きうしよ)の深痍(ふかて)に、絶(たえ)なんとする玉(たま)の緒(を)も、良人(つま)に引(ひか)れてやうやくに、起直(おきなほ)れども乱髪(みだれかみ)、顔(かほ)にかゝるを振拂(ふりはら)ひ、「恨(うらめ)しきかな左母二郎(さもじらう)。ぬしある女子(をなこ)としりながら、理(わり)なく伴(ともな)ふのみならず、よからぬ事(わざ)をこゝろ得皃(えがほ)に、わが養親(やしおや)に相譚(かたらは)れ、宝刀(みたち)を掠(かす)めて、わが良人(つま)を、死地(しち)に陥(おと)せし那智(じやち)奸悪(かんあく)、いかで一卜大刀(たち)(うらみ)ん、と忻(たばかり)よれども本意(ほゐ)を得(え)(とげ)ず、邪慳(じやけん)の刃(やいば)に現身(うつせみ)の、命(いのち)を隕(おと)すわらはがうへに、月日(つきひ)は照(て)らし給はずや。これ將(はた)過世(すくせ)の悪報(あくほう)(か)。さるにても心(こゝろ)もとなきは、わが良人(つま)の往方(ゆくへ)也。今(いま)一トたびのあふよしも、亡(なか)らん後(のち)にわが為(ため)に、かうなりにき、と誰(たれ)かは告(つげ)ん。形(あぢき)なき世(よ)の中(なか)や。うたてきものはわが身(み)也。稚(をさな)き時(とき)より二親(ふたおや)に、許(ゆる)されたりし妹(いも)と〓(せ)は、只(たゞ)(な)のみにて添臥(そひぶし)せず。実(まこと)の親(おや)も胞兄弟(はらから)も、煉馬(ねりま)殿(との)の御(み)(うち)にあり、と仄(ほのか)に聞(き)くのみ、名(な)をしらず、顔(かほ)も認(みし)らず年(とし)あまた、恋(こひ)しとぞ思ふ、おもひきや、去歳(こぞ)は煉馬(ねりま)(け)(ほろび)うせて、その老黨(ろうだう)も若黨(わかたう)も、皆(みな)(うた)れき、と世上(せじよう)の風聞(ふうぶん)。よに憂事(うきこと)の数(かず)そひて、身(み)の痩(やせ)見ゆる三重(みへ)の帶(おび)、環(めぐ)りもあはず圓塚(まるつか)の、野火(のび)もろ共(とも)に滅(きえ)てゆく、冥土(よみぢ)もおなじ独行(ひとりたび)、かうなる事も二親(ふたおや)の、非義(ひぎ)非道(ひどう)とはいふものから、汝(なんぢ)が悪(あく)の資(たすけ)に成(な)れり。九ッの世(よ)をかゆるとも、竭(つき)ぬ怨(うらみ)は後(のち)(つひ)に、その身(み)に報(むくは)ざるべき歟(か)。人(ひと)に恨(うら)みも、身(み)の薄命(はくめい)も、縁(こと)の起(おこり)は外(よそ)ならず。歎(なげ)きをかへり見ぬまでに、情(なさけ)なきは養親(やしおや)(たち)、恋(こひ)しきは犬塚(いぬつか)ぬし。わが魂(たましひ)はこの山(やま)の、裾野(すその)の沼(ぬま)の水鳥(みづとり)と、なりつゝ許我(こが)へ束(つか)の間(ま)に、いゆきて良人(つま)に告(つげ)まほし。よに惜(をし)からぬ命(いのち)(すら)、惜(をし)むは恩愛(おんあい)節義(せつぎ)の為(ため)、再(ふたゝ)び丈夫(をつと)にあふ日(ひ)まで、実(まこと)の親(おや)の存亡(いきしに)を、しるよしあらんその日(ひ)まで、有繋(さすが)に惜(をし)き命(いのち)ぞかし。なほ甲夜(よひ)なるにこの山(やま)を、踰(こえ)つゝ來(き)ぬる人(ひと)なきや。助(たす)くる神(かみ)もなき世(よ)(か)」と恨(うら)みつ泣(なき)つなか/\に、思ひあまりてかき口説(くど)く、言葉(ことば)の露(つゆ)を結(むす)びあへず、脆(もろ)きは女子(をなご)こゝろなり。
 左母二郎(さもじらう)は欠伸(あくびのび)して、錨子(けぬき)に著(つき)たる髯(ひげ)推拭(おしぬぐ)ひ、「あな、なが/\しき諄言(くりこと)かな。謂(いはれ)を聞(き)けば有(あり)がたき、親(おや)の為(ため)には孝女(こうぢよ)でも、信乃(しの)が為(ため)には貞女(ていぢよ)でも、わが為(ため)にはひとつも得(え)ならず、命(いのち)を惜(をし)むも夫(をつと)の為(ため)、といへばいよ/\助(たす)けがたし。寔(まこと)に無益(むやく)の殺生(せつせう)も、皆(みな)(これ)(おのれ)が心(こゝろ)から、脆(もろ)く見えても、つよきは命根(いきのを)、しかも灸所(きうしよ)の深痍(ふかて)にて、長物語(ながものがたり)は感心(かんしん)々々(/\)。褒美(ほうび)には只(たゞ)一トおもひに、この世(よ)の暇(いとま)を取(と)らせんず。いで/\」といひかけて、拿(もつ)たる鑷子(けぬき)を遽(いそがは)しく、懐(ふところ)へ夾(おさ)めつゝ、地上(ちしよう)に樹(たて)たる小刀(こたち)を抜(ぬき)とり、閃(ひら)りと見せて、とり直(なほ)し、血塗(ちまぶれ)(ついで)にこの刃(やいば)で、と思ひにけれど、「等一等(まてしばし)、飽(あく)まで濱路(はまぢ)が念(おもひ)を被(かけ)たる、村雨(むらさめ)にて引導(いんどう)せん。豈(あに)(よろこば)しからずや」とあざみ笑(わらつ)て、小刀(こたち)を拭(ぬぐ)ひ、〓(さや)に納(おさ)めて腰(こし)に帶(おび)、又(また)村雨(むらさめ)の刀(かたな)を引提(ひさげ)て、「觀念(くわんねん)せよ」と立(たち)かゝれば、濱路(はまぢ)は騒(さわ)がず頭(かうべ)を擡(もたげ)、「縦(たとひ)仇人(かたき)の手(て)に死(し)す共、丈夫(をつと)の刃(やいば)にかゝるは本望(ほんまう)。とく/\殺(ころ)せ左母二郎(さもじらう)。汝(なんぢ)も亦(また)(とほ)からず、最期(さいご)はかくの如(ごと)くならん」といはせも果(はて)ず眼(まなこ)を〓(いか)らし、「憎(にく)き女(をんな)が雜言(ざうごん)かな。息(いき)の根(ね)(とめ)ん」と引著(ひきつけ)て、胸前(むなさき)(さゝ)ん、と晃(きらめ)かす、刃(やいば)の光(ひかり)に先(さき)だちて、火定(くわじやう)の坑(あな)の邉(ほとり)より、誰(たれ)とはしらず打出(うちいだ)す、手煉(しゆれん)の銑〓(しゆりけん)(あやま)たず、左母二郎(さもじらう)が左(ひだり)の乳下(ちのした)、裏(うら)かくまでに打込(うちこん)たり。灸所(きうしよ)の痛手(いたて)に霎時(しばし)も得(え)(たへ)ず、大刀(たち)ふり落(おと)して苦(あ)と叫(さけ)ぶ、声(こゑ)もろ共(とも)に仰反(のけそつ)たり。
 時(とき)に又(また)(あやし)むべし、坑(あな)のほとりに忽然(こつぜん)と、立顕(たちあらは)るゝものありけり。是(これ)(すなはち)別人(べつじん)ならず、火定(くわじやう)に終(をはり)を示(しめ)したる、寂寞(じやくまく)道人(どうじん)肩柳(けんりう)なり。初(はじめ)に異(こと)なるそが形容(ありさま)、亦(また)(これ)甚麼(いか)なる打扮(いでたち)ぞ。但見(たゞみる)、膚(はだへ)には鴃舌(ことさへぐ)、南蛮(なんばん)鐡〓(くさり)の纏身(きこみ)腹甲(はらまき)を、透間(すきま)もなく領具(きくだ)して、網(す)に蟄(こも)れる蜘蛛(くも)に似(に)たり。袿(うへ)には唐織(からおり)なる、段〓(だんびら)(すぢ)の廣袖(ひろそで)の単衣(ひとへきぬ)を、裾短(すそみじか)に被(き)なしたる、秋葉(もみぢ)を流(なが)す飛泉(たき)の如(ごと)し。腰(こし)には朱鞘(しゆさや)の大刀(たち)を跨(よこたへ)、足(あし)には秩藁(ひつじわら)の厚鞋(あつわらじ)を穿(うがち)、大平金(おほひらかね)の細密(さゝ)(こて)に、十王頭(じうわうかしら)の臑楯(すねあて)して、濃紫(こいむらさき)なる圓括(まるくゝり)の帶(おび)、臀高(しりたか)に〓(わがね)たり。齢(よはひ)は尚(いまだ)青年(うらわかく)、二十(はたち)左右(ばかり)にもやならんずらん。眉秀(まゆひいで)、眼清(まなこすゞし)く、色素(いろしろう)して、唇朱(くちびるあか)く、耳厚(みゝあつう)して歯細(はこま)やかに、月額(さかやき)の迹(あと)(なが)く生(おひ)たる、髪烏(かみくろう)して、髯蒼(ひげあを)かり。その志望(こゝろざま)、善(ぜん)乎悪(あく)(か)。その行法(おこなひ)、正(せい)(か)(じや)(か)。いまだ分觧(ぶんかい)せざれども、一卜癖(くせ)あるべき面魂(つらたましひ)、凡庸(たゞうと)ならじと見えてけり。
 當下(そのとき)寂寞(じやくまく)肩柳(けんりう)は、左邊(ゆんで)右邊(めて)を見かへりて、徐(しづか)に歩(あゆ)みよる程(ほど)に、左母二郎(さもじらう)は呼吸(いき)環會(ふきかへ)して、敵(てき)(ちか)つきぬ、と見てければ、立(たつ)たる銑〓(しゆりけん)引抜(ひきぬき)(すて)、刀(かたな)を杖(つゑ)に身(み)を起(おこ)して、〓(よろめき)ながら撃(うた)んと進(すゝ)むを、うち見たるのみ些(ちつと)も騒(さわ)がす、彼此(あちこち)霎時(しばし)(やり)(ちがは)して、駈惱(かけなやま)し、衝(つ)と入(い)りて、矢庭(やには)に刀(かたな)を奪取(うばひと)り、身(み)をひらかして〓(はた)と〓(き)る。拳(こぶし)の冴(さえ)に左母二郎(さもじらう)は、筋斗(もとり)を撲(うつ)て倒(たふ)れけり。肩柳(けんりう)これには目(め)をかけず、頻(しきり)に水氣(すいき)立冲(たちのぼ)る、刀(かたな)の鞆(つか)を推立(おしたて)て、刀尖(きつさき)より鍔下(つばもと)まで、瞬(またゝき)もせず佶(きつ)と見て、「現(げに)(おと)に聞(き)く村雨(むらさめ)の宝劍(ほうけん)。抜(ぬけ)ば玉散(たまち)る、露(つゆ)(か)(しづく)(か)。奇(き)也妙(めう)也。焼刃(やきば)の盡処(にほひ)、天(そら)に虹睨(こうげい)の引(ひ)く如(ごと)く、地(ち)に清泉(せいせん)の流(なが)るゝに似(に)たり。豊城(ほうぜう)三尺(さんしやく)の氷(こふり)、呉宮(ごきう)一函(いつかん)の霜(しも)、寔(まこと)に世(よ)に稀(まれ)なるべし。神龍(しんりう)これが為(ため)に雲(くも)に吟(ぎん)じ、鬼魅(きみ)この故(ゆゑ)に夜(よる)(なか)ん。今(いま)はからずしてこの名刀(めいたう)、わが手(て)に入(い)りしは復讐(ふくしう)の素懐(そくわい)を遂(とぐ)べき時(とき)(いた)れる歟(か)。竒(き)也竒(き)也」と左手(ゆんで)に移(うつ)し、右手(めて)にかへして又(また)さらに、見れども飽(あか)ず、嘆賞(たんせう)の、外(ほか)に餘念(よねん)はなかりけり。
 案下某生再説(それはさておき)額蔵(がくざう)は、この朝(あした)信乃(しの)に別(わか)れて、いそぐとすれど後(あと)へのみ、心引(こゝろひか)れて歩(みち)果敢(はか)どらず。しかも盛暑(せいしよ)の時(とき)なれば、樹蔭(こかげ)(もとめ)て彼此(をちこち)に、休(やすら)ひつ、又(また)(はし)りつ、千住(せんじゆ)(かは)を渡(わた)す比(ころ)、日(ひ)は暮果(くれはて)て、途(みち)いと暗(くら)し。迷(まよ)ふべき程(ほど)にはあらぬを、いかにしてか行抜(ゆきぬけ)て、駒込(こまごみ)(むら)のこなたへ來(き)つ。こゝにやうやく心(こゝろ)つきては、立戻(たちもど)るとも途(みち)に損(そん)あり。本郷(ほんごう)(さか)を横(よこ)きりて、礫川(こいしかは)よりこそ、と思ふに、わが身(み)に假傷(にせきず)(つく)らんにも、なか/\に迂路(まはりみち)して、月(つき)の出(いづ)るをまつこそよけれ、と肚裏(はらのうち)に尋思(しあん)しつ、初更(しよこう)(すぎ)たる比及(ころおひ)に、圓塚山(まるつかやま)を越(こゆ)るになん、火定(くわじやう)ありとか途(みち)にて聞(きゝ)し、茶毘(だひ)はいまだ滅(きえ)ずして、その邉(ほとり)(あか)かりけるに、と見れば鮮血(ちしほ)に塗(まみ)れつゝ、仆(たふ)れたる男女(なんによ)あり。又(また)白刃(しらは)を手(て)に拿(もて)る、一個(ひとり)の癖者(くせもの)立在(たゝずみ)たり。やうこそあらめ、と端(はし)なく進(すゝ)まず。松(まつ)の樹蔭(こかげ)に躱(かくら)ひて、その為体(ていたらく)を窺(うかゞ)ひけり。
 さる程(ほど)に肩柳(けんりう)は、〓(さや)とり揚(あげ)て刃(やいば)を納(おさ)め、よはり臥(ふし)たる濱路(はまぢ)がほとりに、ついゐてやをら引越(ひきおこ)し、遽(いそがは)しく懐中(くわいちう)より、藥(くすり)をとう出(で)て口(くち)に銜(くゝま)し、「女子(をなこ)々々(/\)」と呼活(よびいけ)たる、声(こゑ)も藥(くすり)もきゝ得(え)てや、見れば怪(あや)しき介抱(かいほう)に、うち驚(おどろ)きつゝ只管(ひたすら)に、ふり放(はな)さん、と悶掻(もがけ)ども、肩柳(けんりう)はなほ手(て)を放(ゆる)めず、「いまだ縁故(ことのもと)を告(つげ)ず、わが姓名(せいめい)を告(のら)ざれば、仇(あた)(か)、賊(ぞく)(か)と疑(うたが)ひて、驚(おどろ)きもせん、おそれもすらん。深痍(ふかて)なれども灸所(きうしよ)にあらず。心(こゝろ)を鎮(しづめ)てわがいふ事を、聞(きゝ)て今般(いまは)の志願(のぞみ)を遂(とげ)よ」といはれて息(いき)を吻(ほつ)とつき、「さいふおん身(み)は何人(なにびと)ぞ」と問(とひ)つゝ顔(かほ)をうち目戌(まも)れば、我(われ)もうち見(み)て嘆息(たんそく)し、「名告(なの)れば憚(はゞかり)なきにあらねど、夜(よる)の繁山(しげやま)(ほか)に人(ひと)なし。こゝに圖(はか)らず環會(めぐりあひ)し、われは則(すなはち)そなたの為(ため)に、異母(はらかはり)の兄(あに)、犬山(いぬやま)道松(みちまつ)忠與(たゞとも)と呼(よば)れしもの、故(ゆゑ)ありて去歳(こぞ)の秋(あき)より、姿(すがた)を変(かえ)、名(な)を更(あらた)め、寂寞院(じやくまくいん)
【挿絵】「名刀(めいたう)美女(びぢよ)の存亡(そんぼう)忠義(ちうぎ)節操(せつさう)の環會(くわんくわい)」「額蔵」「はま路」「道松忠與」「左母二郎」
肩柳(けんりう)、と世(よ)に唱(うたは)する假(ゑせ)修驗(しゆげん)。ゆく所(ところ)にて火定(くわじやう)を示(しめ)し、愚民(ぐみん)の銭(ぜに)を促(うなが)す事、軍用(ぐんよう)の為(ため)にして、君父(くんふ)の讐(あた)を報(むく)ふにあり。抑(そも/\)わが主君(しゆくん)、煉馬(ねりま)平左衛門尉(へいさゑもんのぜう)倍盛(ますもり)朝臣(あそん)、豊嶋(としま)平塚(ひらつか)の一族(いちぞく)共侶(もろとも)、池袋(いけぶくろ)にて撃(うた)れ給ひ、わが父(ちゝ)犬山(いぬやま)貞與(さだとも)入道(にうどう)道策(どうさく)大人(うし)、自餘(じよ)の老黨(ろうだう)(かず)を竭(つく)して、冥土(よみぢ)のおん供(とも)してければ、煉馬(ねりま)の舘(たち)も焼撃(やきうち)せられて、生残(いきのこ)るもの絶(たえ)てなし、われ亦(また)(いのち)を惜(をし)むにあらねど、組(くん)で死(し)すべき敵(てき)に逢(あは)ねば、不思議(ふしぎ)に戦場(せんじやう)を殺奔(きりぬけ)て、遂(つひ)に復讐(ふくしう)の大義(たいぎ)を企(くはだて)、家(いへ)に傳(つたふ)る間諜(しのび)の秘術(ひじゆつ)、隱形(いんぎやう)五遁(ごとん)の第(だい)(に)(はう)、火遁(くわとん)の術(じゆつ)を行(おこな)ひて、修驗者(しゆげんじや)に容(さま)を変(かえ)、或(ある)ときは、烈火(れつくわ)を踏(ふみ)て、愚民(ぐみん)(ら)に信(しん)を起(おこ)させ、又(また)(ある)ときは、火定(くわじやう)に終(をはり)を示(しめ)しつゝ、銭(ぜに)を召(よ)び、財(たから)を聚(あつ)めて、軍用(ぐんよう)に充(みて)んとするに、火(ひ)に投(い)ると見せて、火(ひ)に投(い)らず、全身(ぜんしん)焼亡(やけうせ)たりとおもはせて、火(ひ)の外(ほか)に姿(すがた)を隱(かく)す。これを名(な)つけて火遁(くわとん)といふ。大約(およそ)隱形(いんぎやう)に五法(ごはう)あり。第一(だいいち)を木遁(もくとん)といふ。樹(き)に倚(よる)ときは形(かたち)を隱(かく)して、敢(あへて)(また)(あらは)さず。第二(だいに)を火遁(くわとん)といふ。火(ひ)に遇(あ)ふときは形(かたち)を隱(かく)して、よく人(ひと)にしらすることなし。第三(だいさん)を土遁(どゝん)といふ。此(これ)は是(これ)、その足(あし)、地(ち)を踏(ふむ)ときは、人(ひと)に形(かたち)を見することなし。壁(かべ)に没(い)り、穴(あな)に隱(かく)るゝ、皆(みな)(これ)土遁(どゝん)の一術(いちじゆつ)也。第四(だいし)を金遁(きんとん)といふ。こは金銀(きんぎん)銅鐡(どうてつ)をもて、よくその形(かたち)を隱(かく)すもの也。第五(だいご)を水遁(すいとん)といふ。こは久(ひさ)しく水(みづ)に没(いり)て苦(くるし)まず、又(また)(たゞ)一杓(いつさく)の水(みづ)を得(え)ても、よくその形(かたち)を隱(かく)すもの也。これを隱形(いんぎやう)五遁(ごとん)といふ。原(もと)(これ)張道陵(ちやうどうれう)が道術(どうしゆつ)也。唐山(もろこし)には漢末(かんまつ)より、今(いま)明朝(みんちやう)にもこの術(じゆつ)を、よくするものありといふ。我朝(わがちやう)には六條院(ろくでふのいん)の仁安(にんあん)年間(のころ)、伊豆(いづ)の修禅寺(しゆぜんじ)に唐僧(たうそう)あり。これ独(ひとり)木遁(もくとん)の術(じゆつ)を得(え)たり。後(のち)に竊(ひそか)に、兵衛佐(ひやうゑのすけ)頼朝(よりとも)に傳(つた)へたり。石橋山(いしばしやま)の敗軍(はいぐん)に、頼朝(よりとも)伏木(ふしき)の虚(うろ)に隱(かく)れて、虎口(こゝう)を遁(のが)れ給ひきといふ。その実(じつ)は、木遁(もくとん)の術(じゆつ)を行(おこな)へるなるべし。又(また)吉岡(よしおか)紀一(きいち)法眼(ほうげん)は、火遁(くわとん)の術(じゆつ)を得(え)たるものなり。しかれども人(ひと)に授(さづ)けず。源(みなもとの)牛若丸(うしわかまる)、その秘書(ひしよ)を竊閲(ぬすみ)て、亦(また)火遁(くわとん)の術(じゆつ)を得(え)たり。文治(ぶんぢ)に高舘(たかたち)落城(らくぜう)の日(ひ)、義經(よしつね)(すで)に戦労(たゝかひつか)れ、城(しろ)に火(ひ)を放(かけ)、自焼(じせう)して、塞外(さいぐわい)に逃(のが)れ去(さ)りしは、火遁(くわとん)の術(じゆつ)によれるならん。この後(のち)(また)さる術(じゆつ)を、傳授(でんじゆ)せしものある事を聞(き)かず。独(ひとり)わが家(いへ)、祖先(そせん)より、
火遁(くわとん)の一書(いつしよ)を相傳(さうでん)せり。しかれ共、その書(しよ)、竒字(きじ)隱語(いんご)にして、暁(さと)るもの絶(たえ)てなし。吾儕(わなみ)(とし)十五のとき、はじめてその書(しよ)を披閲(ひゑつ)して、聊(いさゝか)發明(はつめい)することあり。是(これ)よりして夜(よ)となく日(ひ)となく、讀誦(どくじゆ)工夫(くふう)すること三个年(さんかねん)、遂(つひ)にその奥旨(おうし)を得(え)たり。
 しかれどもその法術(はうじゆつ)、左道(さどう)にして幻術(げんじゆつ)に相近(あひちか)し。勇士(ゆうし)の行(おこな)ふべきにあらねば、父(ちゝ)にも告(つげ)ず、人(ひと)にも授(さづ)けず、試(こゝろみ)ることなかりしに、今(いま)や君父(くんふ)の讐敵(あたかたき)、管領(くわんれう)扇谷(あふきがやつ)定正(さだまさ)(ら)を撃(うた)んとおもふに、一人ンの資(たすけ)なし。人(ひと)のこゝろを結(むすば)んには、金銭(きんせん)にますものなし、と尋思(しあん)に墓(はか)なき火遁(くわとん)の術(じゆつ)もて、火行(くわぎやう)火定(くわじやう)と偽(いつは)りつ、愚民(ぐみん)を欺(あざむ)き、彼此(をちこち)にて、些(ちと)の銭(ぜに)を獲(う)るときは、はやくその地(ち)を立去(たちさ)りつ。今茲(ことし)は下野(しもつけ)下総(しもふさ)より、武蔵(むさし)の豊嶋(としま)を拳縁(けんえん)し、こゝにも火定(くわじやう)の詐欺(たばかり)もて、纔(はつか)に銭(ぜに)を召(よび)たれども、つら/\おもへば欲(ほつ)する所(ところ)、忠孝(ちうこう)に似(に)て実(じつ)は賊(ぞく)なり。縦(たとひ)(あまた)の資(たすけ)を得(え)て、大敵(たいてき)をうち滅(ほろぼ)すとも、かゝる不良(ふりやう)の事(わざ)をして、人(ひと)を欺(あざむ)き、物(もの)を掠(かすめ)ば、なか/\に汚名(おめい)を遺(のこ)さん。いと悔(くや)しくも正(まさ)なき事に、志(こゝろざし)を費(ついや)せしは、嗚呼(をこ)也けり、と慚愧(ざんぎ)に堪(たへ)ず、軈(やが)て隱家(かくれか)に退(しりぞ)きて、假髯(つくりひげ)をかなくり捨(すて)、舊(もと)の姿(すがた)に更(あらた)めつ。身(み)ひとつ也とも定正(さだまさ)を、狙撃(ねらひうた)んと思ひ决(さだ)めて、再(ふたゝ)び踰(こゆ)る圓塚山(まるつかやま)に、旅人(りよじん)の闘諍(とうじやう)見過(みすぐ)しかたく、躱(かく)れて雌雄(しゆう)を窺(うかゞ)ふに、その一隊(ひとむれ)三人ンの、悪棍(わるもの)ははや撃(うた)れたり。残(のこ)るは一人ン敵手(あひて)の癖者(くせもの)、いと艶妖(あてやか)たる女子(をなこ)を拐挈(かどひ)て、わりなく逼(せま)る色情(しきぜう)利慾(りよく)に、従(したがは)ざれば怒(いかり)に乗(まか)して、遂(つひ)に女子(をなこ)に手(て)を負(おは)せつ。こゝにはじめて此彼(これかれ)の、怒罵(どは)哀傷(あいじやう)を竊聞(たちき)くに、女子(をなこ)は大塚(おほつか)の村長(むらおさ)、蟇(ひき)六が養女(やうぢよ)也。濱路(はまぢ)といふは今(いま)の名(な)ならん。われに異母(はらかはり)の女弟(いもと)あり、乳名(をさなゝ)を正月(むつき)といへり。彼(かれ)は二才(ふたつ)、われは六才(むつ)のころなるべし、云云(しか/\)の故(ゆゑ)ありて、豊嶋郡(としまのこふり)大塚(おほつか)なる村長(むらおさ)、蟇(ひき)六とかいふものに、生涯(せうがい)不通(ふつう)の約束(やくそく)して、そが養女(やうぢよ)に遣(つかは)したり、と父(ちゝ)の告(つげ)させ給ひしは、これなるべしと思ひしかば、その危窮(きゝう)を見るに忍(しの)びず、銑〓(しゆりけん)を打(うち)かけて、女弟(いもと)が仇(あた)を撃(うち)とめたり。聞(き)くにそなたは幼稚(をさなき)より、結髪(いひなつけ)の夫(をとこ)あり。そが為(ため)に苦節(くせつ)を戌(まも)りて、命(いのち)を惜(をしま)ず、仇(あた)を罵(のゝし)り、又(また)(まこと)の親同胞(おやはらから)を、ふかく慕(した)ふ心操(こゝろばへ)、貞(てい)にして又(また)(こう)なり。しかれども本意(ほゐ)を得(え)(とげ)ず、われ亦(また)彼処(かしこ)にありながら、救(すく)ふことの遅(おそく)して、事(こと)のこゝに及(およ)べるは、天鑒(てんかん)地知(ちち)の疎(おろか)にして、善悪(ぜんあく)無差別(むしやべつ)に似(に)たれども、亦(また)(これ)輪廻(りんゑ)の致(いた)すところ歟(か)。脱(のが)れかたき因果(いんぐわ)ならん。
 言(こと)(なが)く共苦痛(くつう)をしのびて、迷(まよ)ひを散(はら)し給へかし。そなたの母(はゝ)は黒白(あやめ)と呼(よば)れて、わが父(ちゝ)の妾(おんなめ)なりき。わが母(はゝ)を阿是非(おぜひ)といへり。亦(また)(これ)(ちゝ)の側室(そばめ)なれども、男子(をのこゞ)を産(うみ)たる徳(とく)に依(より)て、嫡妻(ほんさい)にせられたり。はじめわが父(ちゝ)道策(どうさく)大人(うし)の内室(ないしつ)早世(さうせい)したれども、又(また)後妻(こうさい)を娶(めと)り給はず、子孫(しそん)の為(ため)に側室(そばめ)を畜(つかふ)て、一両年(いちりやうねん)を過(すぐ)し給ふに、是(これ)さへ孕(はら)むべくもあらねば、又(また)一妾(ひとりのおんなめ)を畜(つかひ)給ひき。初(はじめ)の側室(そばめ)は黒白(あやめ)にして、後(のち)に來(き)つるは阿是非(おぜひ)也。そのときわが父(ちゝ)(たはふ)れに、両妾(ふたりのおんなめ)に宜(のたまは)く、汝等(なんぢら)両人(りやうにん)(たれ)にもあれ、男児(をのこゞ)を産(うめ)るものを、後妻(ごさい)にせんと約(やく)し給ひつ。かくて阿是非(おぜひ)は有身(みこもり)て、長禄(ちやうろく)三年(さんねん)九月(ながつき)戊戌(つちのえいぬ)の日(ひ)に、男児(をのこゞ)を産(うみ)てけり。出生(しゆつせう)の子(こ)は則(すなはち)われ也。われ生(うまれ)ながらにして、左(ひだり)の肩尖(かたさき)に、大(おほ)きやかなる瘤(しひね)あり、その形(かたち)(まつ)の〓(こぶし)に似(に)たればとて、道松(みちまつ)とぞ呼(よば)れたる。十五歳(さい)の春(はる)元服(げんふく)して、名(な)を忠與(たゞとも)と命(めい)せらる。父(ちゝ)の歡(よろこ)び推(おし)て知(し)るべし。されば約束(やくそく)なりければ、わが母(はゝ)をもて正妻(ほんさい)に、推(おし)のぼし給ふになん、黒白(あやめ)は妬怨(ねたみうら)みつゝ、氣色(けしき)にはあらはさず。寛正(くわんせう)三年(さんねん)の春(はる)、渠(かれ)は女(め)の子(こ)を産(うみ)てけり。
 臨月(りんげつ)早春(さうしゆん)なりければ、女(め)の子(こ)を正月(むつき)と名(な)つけらる。正月(むつき)は、妹(いもと)そなたの事也。さる程(ほど)に、黒白(あやめ)はわれより後(のち)に來(き)つる、阿是非(おぜひ)にははや男児(をのこゞ)を産(うま)れつ、われは後(おく)れて女(め)の子(こ)を産(うみ)ては、六日の菖蒲(あやめ)、十日の菊(きく)、それにもましてあるにかひなし。こゝにますます堪(たへ)ずやありけん。寛正(くわんせう)四年(よねん)の春(はる)のすゑ、わが父(ちゝ)は、主君(しゆくん)煉馬(ねりま)殿(との)の使者(ししや)として、京都(きやうと)将軍(せうぐん)(け)へ〓候(しこう)の折(をり)から、黒白(あやめ)は、今坂(いまさか)錠庵(じやうあん)といふ醫師(くすし)を竊(ひそか)に相譚(かたらふ)て、わが母(はゝ)を毒殺(どくさつ)し、吾儕(わなみ)を溢殺(くびりころ)しつゝ、時疫(ときのけ)にて母(はゝ)も子(こ)も、暴(にはか)に身(み)まかりぬと偽(いつは)りて、菩提寺(ぼだいじ)へ葬(ほうむ)りけり。その月(つき)の下浣(すゑつかた)、わが父(ちゝ)京都(きやうと)の官務(くわんむ)をはりて、下向(げこう)の旅宿(たびね)に凶夢(けうむ)(おほ)かり。これより日毎(ひごと)に胸(むね)うち騒(さは)げば、こゝろいよ/\安(やす)からず、夜(よ)に日(ひ)に継(つぎ)て煉馬(ねりま)に皈著(きちやく)し、様子(やうす)を問(とへ)ば、妻子(やから)の頓滅(とんめつ)、葬(ほうむり)てはや廿日(はつか)あまり、一両日(ひとひふたひ)と聞(きこ)えしかば、驚(おどろ)き憂哀(うれひかなし)みて、次(つぐ)の日(ひ)、寺(てら)へ詣(まうで)つゝ、墓所(むしよ)に香華(かうげ)を手向(たむけ)給ふに、殯下(かりもがりのもと)に當(あた)りて、小児(せうに)の啼声(なくこゑ)してければ、更(さら)に驚(おどろ)き怪(あやし)みて、住持(ぢうぢ)に告(つげ)て、人(ひと)を聚(つど)へ、發(あばか)せて見給ふに、吾儕(わなみ)は則(すなはち)甦生(そせい)して、啼(なく)ことます/\甚(はなはだ)し。軈(やが)て扶出(たすけいだ)しつゝ、これを見給ふに異(こと)なることなし。只(たゞ)(かた)なる瘤(しひね)の上(うへ)に、いと黒(くろ)やかなる痣(あざ)さへ生(おひ)て、形(かたち)牡丹(ぼたん)の花(はな)に似(に)たり。噫(あゝ)(いたま)しきはわが母(はゝ)也。全體(みのうち)(すで)に腐爛(ふらん)して、いかにともすべなければ、舊(もと)のごとくに埋葬(まいそう)し、父(ちゝ)は吾儕(わなみ)を携(たづさへ)かへりて、まづ主君(しゆくん)に聞(きこ)えあげ、俄頃(にはか)に奴婢(ぬひ)(ら)を召(よび)よせて、事の趣(おもむき)を告(つげ)給ふ。この年(とし)吾儕(わなみ)は六歳(さい)也。奴婢(ぬひ)(ら)を聚會(つどへ)られし折(をり)、父(ちゝ)に對(むか)ひて「箇様(かやう)々々(/\)、如此(しか)々々(/\)の事(こと)により、母(はゝ)は非命(ひめい)に世(よ)を去(さり)給ひ、吾儕(わなみ)も合葬(がつそう)せられたり。仇(あた)は則(すなはち)黒白(あやめ)也。そを資(たすけ)たる癖者(くせもの)は、錠庵(じやうあん)也」と告(つげ)しかば、父(ちゝ)は再(ふたゝ)び驚(おどろ)き怒(いか)りて、即座(そくざ)に黒白(あやめ)を縛(いまし)めつ、みづから鞠問(きくもん)し給ふに、しば/\陳(ちん)じたりけれども、物(もの)が憑(つき)てやいはせけん、小児(せうに)なれども告訴(こうそ)明白(めいはく)、竟(つひ)に脱(のが)るゝ路(みち)のなければ、黒白(あやめ)は罪(つみ)に伏(ふく)したり。これによりてわが父(ちゝ)は、更(さら)に主君(しゆくん)に訴(うつたへ)まうしつ。某甲(なにがし)某乙(かれがし)うけ給はりて、錠庵(じやうあん)を搦捕(からめとり)、いたく責問(せめとは)るゝに、そが首伏(はくでう)の趣(おもむき)も、黒白(あやめ)と異(こと)なることなければ、此彼(これかれ)齊一(ひとしく)、法(はう)のまにまに斬罪(ざんざい)梟首(けうしゆ)せられたり。しかれども、父(ちゝ)の怒(いか)りなほおさまらず。正月(むつき)は二歳(にさい)の女(め)の子(こ)なれども、その母(はゝ)大逆(だいぎやく)無道(ぶどう)也。絶(たえ)てわが子(こ)とすべからず。生涯(せうがい)不通(ふつう)の議(ぎ)をもつて、さるべきものに取(と)らせんとて、その人(ひと)を求(もとめ)給ふに、外聞(ぐわいぶん)を憚(はゞか)りて、世(よ)に忌(いむ)といふ四十二の、二才児(ふたつこ)といひこしらへ、養育(やういく)の料(れう)として、永樂銭(ゑいらくせん)七貫文(しちくわんもん)を齎(もたら)して、大塚(おほつか)の村長(むらおさ)、蟇(ひき)六とかいふものに、養(やしな)ひ取(と)らせ給ふとなん。こはわが年(とし)十二の春(はる)、母(はゝ)の七回忌(くわいき)の折(をり)に、はじめて父(ちゝ)の告(つげ)させ給ひき。
 現(げに)わが纔(はつか)に六才(むつ)のとき、黒白(あやめ)が悪事(あくじ)を告(つげ)しこと、一点(つゆ)ばかりも是(これ)をおぼえず。こゝにはじめて母(はゝ)の横死(わうし)も、そなたの事も巨細(つばら)にしつ、懐舊(くわいきう)の涙(なみだ)(せき)かねて、つく/\と想像(おもひや)れば、正月(むつき)もおなじ父(ちゝ)の子(こ)なれ共、母(はゝ)と母(はゝ)とは怨敵(おんてき)也。親(おや)の棄(すて)させ給ひし女弟(いもと)を、われ豈(あに)見かへるよしあらんや、と心(こゝろ)に占(しめ)てこの後(のち)は、父(ちゝ)に問(と)はず。父(ちゝ)も亦(また)、再(ふたゝ)びいひ出(いで)給はねば、忘(わす)るゝ如(ごと)く年(とし)を歴(へ)て、おもひかけなき今宵(こよひ)の再會(さいくわい)。且(まづ)(かくら)ひて竊聞(たちきけ)ば、その心(こゝろ)ざま実母(じつぼ)に似(に)ず、貞實(ていじつ)にして孝順(こうじゆん)也。然(さ)るを薄命(はくめい)かくの如(ごと)く、邪慳(じやけん)の養父母(やうふぼ)には事(つかふ)れども、おもふ郎(をとこ)にあふこと叶(かな)はず、無慙(むざん)の癖者(くせもの)逼迫(ひつはく)し、これが為(ため)に害(がい)せらる。輪廻(りんゑ)によつて觧(とく)ときは、実母(じつぼ)黒白(あやめ)が悪逆(あくぎやく)の餘殃(よわう)としもいふべき歟(か)。しかれども父(ちゝ)の子(こ)也。豪奪(こうだつ)せられて身(み)を汚(けが)さず、死(し)に至(いた)るまで操(みさを)をかえず、今般(いまは)にも親(おや)を思ふ。その貞(てい)その孝(こう)(むなし)からで、不憶(ゆくりなく)(あに)に環會(めぐりあひ)、即坐(そくざ)に仇(あた)を殺(ころ)すに及(およ)びて、その撃(うつ)ところ此彼(これかれ)(ひと)しく、痍(きず)は左(ひだり)の乳(ち)の下(した)也。善(ぜん)には必(かならず)善報(ぜんほう)あり、悪(あく)には必(かならず)悪報(あくほう)あり。今生(こんせう)の薄命(はくめい)は、実母(じつぼ)の故(ゆゑ)にかくの如(ごと)き歟(か)、来世(らいせ)はその身(み)の功徳(くどく)によりて、佛果(ぶつくわ)を得(え)んこと疑(うたが)ひなし。その孝心(こうしん)を告(つぐ)るに由(よし)なき、父(ちゝ)は煉馬(ねりま)(け)第一(だいゝち)の老臣(ろうしん)たり。後妻(こうさい)の横死(わうし)によりて、わが徳(とく)(うす)しと慚愧(ざんぎ)しつ、遂(つひ)に主君(しゆくん)に聞(きこ)えあげて、祝髪(しくはつ)入道(にうどう)し給へ共、家老職(かろうしよく)は舊(もと)の如(ごと)し。
 かくて去年(きよねん)、池袋(いけふくろ)の戦(たゝか)ひに、比類(ひるゐ)なき働(はたら)きして、管領(くわんれい)定正(さだまさ)が家臣(かしん)、竈門(かまど)三宝平(さぼへい)に撃(うた)れ給ひき。亨年(きやうねん)六十二歳(さい)也。われ復讐(ふくしう)の志願(しぐわん)(な)らずは、亦復(また/\)(あた)の手(て)に死(しな)ん。苟且(かりそめ)ながら修行者(すぎやうじや)に、姿(すがた)をかえし因(ちなみ)あれば、又(また)(よ)をしのぶ烏髪(うはつ)の入道(にうどう)。父(ちゝ)が法名(はうめう)を象(かたと)りて、犬山(いぬやま)道節(どうせつ)忠與(たゞとも)と名告(なの)るべし。かゝれば撃(うつ)とも撃(うた)るゝとも、存命(ながらふ)べくもあらぬ身(み)の、後(おく)れ先(さき)たつ冥土(よみぢ)の伴侶(みちつれ)、父(ちゝ)尊靈(そんれい)に勸觧(わび)(たてまつ)りて、身後(しご)には親子(おやこ)の對面(たいめん)させん。それを今般(いまは)の思ひでにせよ。女弟(いもと)々々(/\)」と叮嚀(ねんごろ)に、説示(ときしめ)しつ、又(また)(いたは)りつ、手負(ておひ)に熟(なれ)たる勇士(ゆうし)の介抱(かいほう)、猛(たけ)く見えても骨肉(こつにく)の、誠(まこと)はこゝに顕(あらは)れたり。現(げに)一回(いつくわい)の長物語(ながものがたり)に、十九日の月(つき)(いで)て、野火(のび)に代(かは)りて明(あか)く光(て)る、亥中(ゐなか)ははやく深(ふけ)そめて、子(ね)の時(とき)(ちか)くなりにけり。
里見八犬傳第三輯巻之四終


# 『南総里見八犬伝』第二十八回
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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