【解題】
前号に引き続き正本写『今様八犬傳』の三編と四編とを紹介する。
三編は「冨山の段」と滸我の「芳流閣の段」を描くが、初編二編と同様に、歌舞伎上演に相応しくかなり大きく改変されている。冒頭で伏姫の回想として八房と共に冨山で隠棲する顛末が語られ、金碗大輔を八房の霊が人間として姿を現したものとし、八つの玉が飛散するまで筋を運ぶと、これらの発端の一切は犬坂毛野の夢だったとなる。滸我の館では、生き延びていた山下定包が勅使として乗り込み村雨丸を奪おうとするなど、お家騒動風に改作している。四編では「古那屋の段」が描かれるが、此方は比較的原話に近い。原作自体が古那屋の一室という一場面で展開する歌舞伎的な設定であった所為であろう。
現在、この嘉永五年の脚色では上演される事がないが、原作を改作して脚色した歌舞伎狂言としては、実に良く出来ていると思われる。
さて、嘉永五年正月の市村座上演に際しては、特に多くの役者似顔を用いた錦絵が出されていた。それらに用いられている役者似顔は正本写と共通しているようで、「芳流閣の段」では、初代板東しうかの犬塚信乃、三代関三十郎の犬飼現八となっている。ただし、錦絵や原本の薄墨板が作り直された後印本に見られるような夜の場面とは書かれていない。
さて、四編下冊の15ウ16オと16ウ17オとが錯簡していて逆順になっている。仍ち本文と挿絵は15オから16ウ17オに続き、それが15ウ16オに戻ってから17ウへと続いているである。おそらく板下の作成段階で丁付を誤ったものが、そのまま彫摺されて製本されたものであろう。本稿では筋が繋がる順に直して翻刻した。
【書誌】
三編
編成 中本 四巻 上下二冊 十七・七糎×十一・六糎
表紙 錦絵風摺付表紙「今様八犬傳」「三編上(下)」「爲永春水作」「一勇齋國芳画」「錦耕堂紅英堂合板」
見返 (上冊)「今様八犬傳第三編上巻」「爲永春水作」「一勇齋國芳畫」「紅榮堂錦耕堂合鐫」「國芳女とり画」
(下冊)「いまやう八けん傳第三へん下のまき」「しゆんすゐさく」「くによしゑがく」「つた吉山口はん」「國よし女とり画」
序末 「嘉永壬子後のきさらき 爲永春水誌」
改印 [村松][福][子閏](一オ・十一オ)
柱刻 「八犬傳 三編(〜二十)」
匡郭 単辺無界(十五・三×十・四糎)
刊末 「春水作」「國芳画」(十ウ)\「爲永春水作」「朝櫻樓國芳画」(二十ウ)
諸本 慶應義塾図書館(202-508-1-2)・東京大学総合図書館(E24-1019)・麗澤大学田中・館山市立博物館・専修大向井・架蔵
備考 見返の「とり女画」は見返の画工名で歌川国芳の娘である。
四編
編成 中本 四巻 上下二冊 十七・八糎×十一・八糎
表紙 錦絵風摺付表紙「今樣八〔犬の絵〕傳」「四編上(下)」「爲永春水作」「一勇齋國芳画」「紅英堂錦耕堂合板」
見返 (上冊)「今樣八犬傳四編上」「爲永作」「一勇齋画」「山口版」「國芳女とり画」
(下冊)「いまやうはつけむでん」「四編下のまき」「春すゐさく」「國よしゑかく」「紅英錦耕両梓」「とり女画」
序末 「嘉永五歳閏月吉辰 爲永春水識」
改印 [米良][渡邊][子三](一オ)、[米良][渡邊](十一オ)[子三](二十ウ)
柱刻 「八犬傳四編(〜二十)」
匡郭 単辺無界(十五・四×十・五糎)
刊末 「國芳画」「春水作」(十ウ)\「爲永春水作」「一勇齋國芳画」(二十ウ)
諸本 慶應義塾図書館(202-508-1-2)・東京大学総合図書館(E24-1019)・専修大向井
備考 「とり女」は国芳の娘。下巻末に年月印のみ存。
【凡例】
仮名遣いや清濁などは原文通りとしたが、読み易さを考慮して以下の諸点に手を加えた。
・序文以外の本文には、漢字を宛てて私意的解釈を示し、原文は振仮名として残した。
・原文の漢字に振仮名が施されている場合は、( )で括って示した。
・原文の漢字直後に割り書きで訓みが示されている箇所はそのままにした。
・本来「ハ(バ)」は平仮名であるが、助詞だけは「ハ(バ)」のままとした。
・原文には一切使用されていない句読点を補った。
・「なにゝ」を「何〔に〕 」の如く原文にない文字は〔 〕で括った。
・本文中の飛び印 (▲▲や■■など)は省略した。
・全丁の挿絵を掲げ、本文と参照するために丁数を示した。
・底本として慶應義塾図書館蔵本を使用させて頂いた。ただし、破損していた三編四丁は家蔵本に拠った。
三編表紙
序・見返
見返 1オ
〔見返〕
今様八犬傳\第三編上巻\爲永春水作\一勇齋國芳\畫\紅榮堂錦耕堂合鐫\國芳女\とり画
〔序〕
作物の気易さハ。偖ハ今のハ夢であつたト。言つて仕舞バ發端が。何処へ出ても一向構はず。决句道具の目先が轉つて。冨山の段の長文句を。短く見すれバ倦も来ず。然ハさりながら俚諺にも馬の物言ふた山はあれども。犬の化たハ前代未曽有。しかし件の八房ハ那玉梓が怨霊なれバさもあるべしと言はゞ言はん歟。されども賢女と喚れし姫が。縦夢でも畜生に。身を汚されては妙ならず。ヽ大となるべき大輔が腹を切てもおかしからねバ。夫等の條は翻案して。トント當つた鳥銃の。目度を外さぬ作者の用心。看官よろしく御推もじあれ。
嘉永壬子\後のきさらき
口絵第一図
1ウ2オ
金碗大輔 実ハ 八房の犬\再出伏姫
口絵第二図
2ウ3オ
再出 信乃、再出 見八
〔本文〕
3ウ4オ
[こゝのゑとき]
冨山(とやま)の奥の草の屋に、草を敷寝の伏(ふせ)姫が、今を盛りと咲揃ふ、梅の梢をつく%\と、打眺めつゝ独言「時を違へぬ此花の、咲しを見れバ何時しかに、今年も春に成りしよな。ほんに思へバ伏姫ハ里見(さとみ)の娘と生れながら、此有様も親の為、当時父上義実(よしさね)朝臣、安西(あんざい)景連に城を囲れ、兵糧乏しき時なれバ、味方難儀に及し折から、八房(やつふさ)と言る飼犬に『汝景連を噛殺し、多くの味方を救ひなバ、娘が婿になさん』とありし御戯れを、真実〔と〕思ひ、其夜くだんの八房が、景連が首級取り帰りし故、味方ハ命助かるのみか、安房(あは)一国ハ御手に入れども、景連に一味せし、麻呂(まろ)の信時、山下(やました)定包、囲みの内を切抜けて落失しより行方知れず。彼等も名に負ふ曲者なれバ、『如何なる手立を做しもやせん』と味方の心安からず。其さへあるに、此身ハ亦、彼八ッ房に伴れて、此山奥に、早三年。過る月日の其内も、片時忘れぬ父上母上、いと懐しく恋しさに、彼方の空を三吉野〔の〕田面の雁もあらざれバ、文の便りもならバこそ。夫に就ても母様の嘸や嘆きて御座すらん。思ひ細りて御持病など起りハせぬか、御労しや。過世如何な
る悪業にて御恩を受し二親に、斯迄物を思する。不孝の罪を何とせん。如何にすべき」ト伏沈み、些時涙に暮けるが、思直して涙を払ひ「嗚呼、吾ながら思ふハ愚痴、
梅の梢に鶯の法法華経と啼く声も、此身に示す法の導き。もう八ッ房が帰る頃、些時の間でも御仏に仕ることの怠りてハ
[つぎへ] 3ウ4オ
4ウ5オ
[つゞき]
変し姿も其甲斐なし。何時もの通り法華経を」ト 傍辺に置きし経巻(きやうくわん)の紐を解きて押開き、静かに読誦なす折から、遙か彼方の山道より、牛(うし)を牽たる一人の童子(どうじ)花を片手に謡ひつ舞つ踊り狂ふて出来り。「コレ申し伏姫殿、此春の日に花も見ず、今日も変らず法華経を読誦してか」ト 問掛られ、姫ハ静かに見返りて「人跡絶たる此山へ、年端も行かぬ身を以て来やるだに心得ぬに、終ぞ見知らぬ吾が名を知つて訊ぬる其方ハや」「アイ吾ハ此山の麓に棲ふ医者(いしや)の弟子。御師匠様の言付で薬を掘りに此山へ毎日/\来る故に、御前ハ知らぬと言はしやつても、吾や良う知つて居りまする」ト 言ふに伏姫進寄り、
「扨ハ、其方の御師匠様ハ医者とあれバ、其方も又人の病ハ知つて〔で〕あらう。吾や此程より、何とやら腹の辺りが膨だみて、酸い物欲しう覚ゆるハ如何なる病ぞ。教へてたも」「夫や
言はずとも知れた懐胎。早臨月(りんげつ)であるぞへ」と言ふ。堪へず打笑ひ「如何に幼い者じやとて、吾にハ夫も無いものを」「いや夫無しとハ言はれまい。親の許した八房の犬ハ仍ち御前の夫」「イヤ/\彼ハ我夫ならず。此奥山に伴はれてより、長の歳月送れども [つぎへ] 4ウ5オ
5ウ6オ
[つゞき]
御経読誦の威徳に拠りて、幸いに身を汚されず。其に此身が懐胎とハ」「さァ其不審ハ理りながら、基より吾が御師匠様ハ病を治すばかりで無く、人の身の吉凶(きつきやう)をも良く占ふが生業故、兼て御前の身を知りて、常々吾への話にハ、原八ッ房の犬と言ふハ、御前の父御に身を滅されし淫婦(いんふ)玉梓(たまづさ)が怨霊なれバ、里見親子を飽く迄に辱しめんと思へども、御経の威徳に拠りて、身を汚すこと遂に能はず。然ども彼ハ御身を得てより、心に己が妻と思ひ、御身も彼を愛し給ふ。互ひに其情(ぜう)相感ずれバ、縦ひ肌をバ触れずとも、懐胎せずとハ言はれまじ。吾が手折つた此梅も一つの花に八ッの実を結ぶが故に八房と言ふ。御身の腹も此如く
胎内なるハ八ッ子なり。然ハあれども観ずるところ、実ならずして孕める故、其子ハ全く形成ず、形なくして此処に生れ、生れて後に又生〔れ〕る。此宿縁の致すところ、
後々に [二の巻へ] 5ウ
[一の巻より]
至りなバ、其子各々智勇ありて、里見の家の助けと成らん。然ども未だ悪業滅せず。彼八房ハ今も猶
御身を慕ふ心深く、夫故にこそ、其往古、役行者の賜りて
御身の所持なす其珠数に、肇ハ仁義八行(じんぎはつこう)の八ッの文字の顕れしが、今見るところハ如是畜生発菩提心の八字に変れり。やがて御身の善果(ぜんくわ)に拠て、珠数の文字の肇の如く仁義(じんぎ)八行の八字に成る時 [つぎへ]6オ
6ウ7オ
[つゞき] 共に果(くわ)を得て、煩悩の犬も忽ち菩提に入るべし。言ふべき事も此迄なり。猶も心に怠り無く、道心堅固にせられよ」ト言ひつゝ牛を索き連れて、彼方の途へと急行く。姫ハ童子の後影を些時見送り居る折しも、何処ともなく一人の若者現れ出でて、手を支へ「姫君此に在しますか。某ことハ御家の忠臣金碗八郎が倅にて、同名大介と申す者、兼て拙者ハ東條(とうでう)の城を預り罷りあれバ、御見覚へ候まじ。然るに不慮の事に就き、御父君より罪を蒙り、今宵戌(いぬ)の刻の鐘を合図に切腹なして果る身の、許より覚悟の上ながら、申も憚り多けれども、姫君と拙者とハ幼い時より、御父君の御許ありし許嫁、あの八房に伴はれ、此山奥へましませしを、いと口惜くハ思へども、其より後ハ此山へ、人の
行交ふ事適はねバ、無念の月日を送りしが、今ハ此世に亡き某、せめて臨終に姫君の御顔を一目見参らせ、其を此世の思出に、切腹致す覚悟故、掟を破つて此山へ、分登りたる拙者が心、御推量あれ姫上」ト言ひつゝ佶と見上れバ、伏姫ハ只茫然と心も更に身に添はず、男の顔を熟々と打見とれつゝ居たりしが「ても可愛しい殿御振り。其方ハ歳ハ幾つじやヤ」「拙者ハ今年廿二歳。五ッの歳に父八郎が切腹なせし其時より」「其方と妾を許嫁ありし様子を聞くよりも、逢いたい見たい恋しいと思焦がれて居たものを、良う顔見せて賜つたの。親の許した夫婦なり、何の遠慮があるものぞ。此方へ寄りやれ」ト手を取れバ「縦へ御許ありとても、道心堅固の姫上の、御手に触れてハ御仏の」「縦や御罰を蒙るとも、恋にハ如何も代へ
られぬ。今ハ用無き袈裟衣、法華経読誦も没とした。此からハ百年も千年も万年も、其方と夫婦に成りたい願ひ、必ず変つて賜るなや」ト袈裟脱捨て〔て〕寄添へバ「其御言葉〔は〕 [つぎへ]6ウ7オ
7ウ8オ
[つゞき]
忝けれと、拙者ハ今宵切腹して果ねバ成らぬ身なる故、せめてハ拙者が亡き跡にて不憫と覚さバ、一遍の」「回向を為い
とハ強欲な。死なねバ成らぬ事ならバ、妾も共に殺して賜も」「イヤそうあつてハ不忠の不忠。最早近寄る戌の上刻。拙者ハ此儘御暇」ト言ひつゝ立つを押隔て、行くを遣らじと争ふ程に、如何にやしけん伏姫ハ、脇腹丁と当られて、ウント言ひつゝ倒〔る〕を、男ハ見捨て〔て〕、二足三足行かんとせしが、立戻り姫の辺に
差寄つて、顔熟々と打眺め「ても艶かな此面差。吾此迄に想ひを焦せと、畜生の身の浅ましさハ、近寄る事もならざりしが、今こそ果たす日頃の想ひ。あら心地良や嬉しや」ト姫を小膝に抱き挙げ、やゝ戯れんとするところを、伏姫佶と眼を見開き「此ハ慮外なり。おのれ八房。法華経読誦の威徳に感じ、菩提の途に帰依(きえ)せしと、思ひの外の、此有様。其と悟つて最前から、恋に事寄せ試せしところ、主を欺く此次第。其煩悩を断切つて仏果を得しや八房」と言ひつゝ珠数を振上げて、発止と打つたる奇徳ハ違はず。踊り狂ふて八房ハ犬の姿を顕はしつゝ、恥てや頭を下て居り。其時、姫ハ手に持ちし珠数を再び取直し、熟々見つゝ
莞尓と笑ひ「今が今迄、此珠数に如是畜生の文字在りしに、忽ち仁義八行の始めの八字に成りたるハ、扨ハ童子(どうじ)の教への如く犬も菩提に入りたるか。今ハ
此世に存へて、畜生の胤を宿せし、と言はるゝ時ハ、身の恥のみか、親の恥。又家の恥。此上ハ自害して畜生道の苦を逃れ、弥陀の報土(ほう と)へ赴かん。八房其方も覚悟しや。南無阿弥陀仏」ト唱へもあへず、認め措きし書置を [つぎへ]7ウ8オ
8ウ9オ
[つゞき]
口に咥へて懐剣を左手の腹へ突立る。其時遅し此時疾し、彼方に茂みし山陰より筒音高く打出す鉄砲、狙ひ違はず八房が喉を撃たれて、些時もあらず煙と共に息絶れバ、程もあらせず彼方より、鉄砲引提げ駆出る若者、此有様を見て吃驚「ヤア姫君にハ御生害。早つた事あそばせしな。斯言ふ拙者ハ金碗大介、『犬を殺して姫上を何卒救ひ参らせん』と思ひし忠義ハ不忠と成り、今ハ返らぬ御有様。此上ハ某も掟を破り此山へ分登りたる申訳に、共に鈍腹掻捌き、冥土の御伴仕らん」ト刀の柄に手を掛るを「あれまァ待ちや」ト伏姫が止めて苦しき息をつき「妾と其方ハ父上より御許ありし事さへあるを、此処で二人が死ぬ時ハ『情死(ぜうし )したり』と分知らぬ人の誹謗も免れず。其のみ成らず、八房に伴はれてより此歳月、肌身ハさら/\汚されねど、腹に身ならぬ身を宿せし。此も過世の悪業なれバ、今潔く生害して後世を助かる我覚悟、委細
の事ハ此文に兼て認め措たれバ、其方ハ館へ立帰り父上や [つぎへ]8ウ9オ
9ウ10オ
[つゞき]
母君に妾が上をも此文をも伝へて賜べ」ト 言ひつゝも口に咥へし一通を渡せバ、大介押頂き「事を分けたる其仰せ、扨ハ死ぬにも死なれぬか。此上ハ髻を切り身ハ墨染の姿となり、犬に劣りし大介が、犬と言ふ字を其儘に、名をもヽ大(ちゆだい)と改めて、姫君の亡き御跡を今より弔ひ奉らん」と言ふに、伏姫喜びて「最早、是迄」ト短刀に右手を添へつゝ引回せバ、颯と出たる血汐と共に怪むべし、傷口より一朶(いちだ)の白気(はくL)閃出で、伏姫が襟に掛けたる珠数を包みて虚空へ昇ると見へしが、忽地に珠数ハ中より弗と断れて文字なき玉ハ地上(ちしやう)に落、又、文字ある八ッの玉ハ白気と共に光明を放ち、八方へ飛失せて、遂に跡無くなりし。と見へしハ此なむ南柯(なんか)の夢にして、此処も所ハ相模なる磯辺の松に吊垂れたる紙帳(しちやう)を撥除け、一人の若衆、打驚きつゝ立出でて、辺りを佶と見廻しつゝ「扨ハ今のハ夢であつたか。本に思へバ我身こそ、千葉家(ちばけ)譜代の一老臣、粟飯原胤則が忘形見、東国犬坂の里にて生れし故、犬坂毛野(けの)とハ名告れども、今ハ其名を押隠し、乞食非人と身を窶すも、父の仇敵と兼て聞く
馬加(まくはり)籠山両人ンを討て恨みを晴さん手立。其に就けても今の夢、『往昔里見の姫君が富山に於て然々の事ありし』とハ、亡母の物語にて聞〔き〕つるが、今宵計らず [つぎへ]9ウ10オ
10ウ 奥目録
[つゞき]
此犬塚(づか)の辺に些時仮寝して、まざ/\見しも訝しき。兼て秘蔵の我玉に自然と表す智(ち)の一字。彼ハ仍ち八房の犬。此処ハ犬塚、吾ハ犬坂。夫ならもしや此玉が」ト守袋を押開き、玉を取出し熟覧る。背後に窺ふ一人の野伏り「どふやら金目な代物」ト差出す手先を振払ひ、持たる柄杓を働かして、些時あしらひ投出し。又彼玉を手に載せて、ためつすかしつ眺め居る。
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藏版新刊珎奇雜書略目録
遊仙沓春雨艸紙 〈十一編|十二編〉 緑亭川柳作 一陽齋豊國画
田舎織糸線〓衣 〈四編|五編〉 仝作 同画
天〓太平記 〈初ヨリ|追々出板〉 仝作 一勇齋國芳画
奇特百歌仙 同断 仝作 一立齋廣重画
畸人百人一首 全一冊 仝案 同畫
狂句五百題 全二冊 五代目 川柳著
東都書房 南傳馬町一丁目 蔦屋吉蔵板 」奥目録
三編下巻
見返 11オ
〔見返〕
「いまやう八けん傳\第三へん下のまき\しゆんすゐさく\くによしゑがく\つた吉山口はん」「國よし女とり画」
〔本文〕
[滸我の舘の段]
「さァ/\勝負ハ見へました。弥生様ハ此程から御稽古に身が入る故か、一気の御上達。今度ハ妾が御相手に」ト言ふを一人が押隔て「イヱ/\今のハ如何あつても妾の負けでハ御座んせぬを、つい御畳に蹴躓き思はぬ不覚を取つたのハ、上手の手から水とやら。妾ハ小太刀ばかりでない。長刀、素鑓、鎖鎌、相撲、捕物、まだ他に夜の臥所の組討まで、妾の得物。もう一手、さァ立合ふて」ト女中達が、互ひに小太刀を押取りて打ちつ撃たるゝ
稽古最中、犬飼見八(けんはち)が妹のおむつ、思案たら/\出来るを相手と間違へ、女中達が
討て掛れバ、おむつハ驚き右と左へ身を躱して「こりや貴女方、妾を何と遊ばしまするのじや」ト言はれ
て気付く女中達 [つゞき]11オ
11ウ12オ
[つゞき]
「誰かと思へバこなさんハ見八殿〔の〕御妹御。例へ誰でも何方ても、今戦国の沿俗にて、女子なりとて小太刀の一手心得て居らいでハ、要緊の時の御役に立〔た〕ぬ。其故の此稽古、邪魔しなさんすと許さぬぞへ」「全く御邪魔ハ致しませねど、妾が兄現八ハ此程よりして牢屋の苦しみ。何卒御許しある様にと認め参つた此願書、貴女方の御執成で、何卒此儀を在村(ありむら)様へ」「イヤ其願ひハ如何あつても取次ぐ事ハ相成らぬ」ト言ひつゝ奥の一間より、づつと立出る荒くれ男、おむつハ驚き見返りて「貴殿ハ手児那(てこな)四郎様、此御願ひが適はぬとハ」「応さ、適はぬ。其子細ハ汝が兄の犬飼現八、兼て二階松山城介が印可の巻を所持 [つゞき]11ウ12オ
12ウ13オ
[つゞき]
做しながら、在村殿より『差上げよ』とある上意を否み、却つて其身の暇を願ふハ、上を軽しむ大罪人なりや、縛首ハ知れた事。とても適はぬ願立を側で見るさへ笑止千万とハ言ふもの〔の〕、コレおむつ、其処が下世話で言ふ通り、魚心在りや水心。兼て身共が申した事。ツイ『応』とさへ言ふて見や、在村殿へ執成して兄の命ハ助けてやる。何じや/\」ト問寄れバ、おむつハ屹度と貌を改め「そりや、何事で御座ります。もと妾ハ家の娘、現八殿ハ養子故、『ゆく/\ハ夫婦に』と親の許した言葉もあれバ、未だ祝言ハ致さねと、謂は〔ば〕主ある妾を御嬲なさるも程がある」「イヤ嬲りハせぬ。真実本真。夫とも嫌なら、其願ひ取持つ事も俺ハ嫌」
「然う仰らずと何卒まァ」「夫なら応か」「さァ夫ハ」ト言葉半へ向ふより「御勅使様の御入」ト呼はる声に、四郎ハ驚き「悪い所へ勅使の御入。成か成ぬハ後に聞く。次へ立やれ」ト追立てられ、おむつハ力投首して、並居る女房と諸共に、打連れ次へ立つて行く。
折しも奥の一間より、当家の執権(しつけん)横堀在村、襖押開け出来り。「『勅使御入』とあるからハ、いざ御出迎ひ仕らん」ト言ふに、四郎も会釈して両人出迎ふ。其所へ程もあらせず、入来る勅使。在村ハ慎んで「御勅使様にハ遙々と都よりの御下り、遠路のところ御苦労千万。主人成氏御出迎ひに罷出る筈なれども、所労に冒され、其上に俄頃の事故、物取り敢へず、略儀の段ハ真平/\。仍ち当家一弐の郎党横堀刑部(ぎやうぶ)在村」「手児名四郎頼国が御出迎ひ仕る。いざ先彼処へ」ト述けれバ、勅使ハ莞尓と打笑みて「誰々も出迎ひ大儀。役目の表、許しやれ」ト一ト間に通りて座を占むれバ [つぎへ]12ウ13オ
13ウ14オ
[つゞき]
在村ハまた手を支へ「只今申上る如く、成氏所労に候へバ、御勅定の趣きを、憚りながら拙者めに仰聞入れ下さるやう、偏に願ひ奉る」ト言ふに、勅使ハ頷きて「成氏所労とあるからハ名代たる其方へ詔詞を伝へ聞さん。そも麻呂が名ハ山陰中納言有教(ありのり)と呼れ、此度東国へ歌枕の序で滸我へ立寄り、『成氏に伝へよ』トある勅命にハ成氏関東の管領と成りしより、東国無異に治まること、皆成氏が功とあつて、此度四位(しい)の少将(しやうせう)に叙せられ、且つ左馬(さま)の頭に任ぜらる。拠て天盃(てんはい)を賜るものなり。されども成氏の父、先の管領持氏が所持なせしとある村雨の名剣『叡覧に備へよ』ト先達てより勅命あれども、今に於て差上げず。此義も確と相糺し、彼一振をも有教(ありのり)に『受取来よ』との詔詞、早々御太刀を渡されよ」ト言ふに、在村進み出で「勅定の御旨ハ委細承知奉れど、彼村雨の一振ハ只今以て行方知れず。此義に当惑仕る」「すりや村雨ハ存ずとな。彼一振ハ当家の重代、叡聞に迄入たるを、今更御太刀の無と言〔ば〕、其罪違勅に異らねバ、天盃(てんはい)等どハ思ひも寄ず。麻呂ハ直ぐ様、都へ発越へ、此由帝へ奏聞せん」と言つゝ立んとする折しも「御勅使、些時く御待ちあれ。
病中ながら成氏が押て御目に掛らん」ト一間の襖押開けて静々出る当家の主人。勅使に向つて一礼為し「勅定の趣ハ彼処にて逐一承る。尤も村雨の一振ハ家重代の宝物なれども、『結城落城の其砌、吾兄春王安王の傅き大塚匠作と言る者御太刀を抱きて落し』と言ど、彼ハ美濃(みの)の金蓮寺なる掟の庭にて討死做し、其子犬塚番作と言ふ者、今も御太刀を守護為す由、近比仄に承れども、其さへ未だ在処を知ず。此に拠て先達つて百日の御日延を [つぎへ]13ウ14オ
14ウ15オ
[つゞき]
願ひ措しに又ぞろ。勅使何卒御執成あつて、今暫く御猶予を」「イヤ百日と願はれた日限も最早今日限り、猶予致さバ上への畏れ」「其処を何卒、今些時」ト互ひに問答果し無き。斯る折しも次の間より一人の侍立出〔て〕「只今、犬塚信乃と言ふ者『村雨丸の事に就き、在村殿へ御目に掛り申上げたき事あり』とて、此迄参上仕りぬ。如何計ひ候はん」ト言ふを、成氏打聞て「在村覚へ有る事か」ト問はれて、在村手を支へ「如何にも昨日武蔵の住人犬塚信乃とか言へる小童、拙者が屋敷へ罷越し、『親の由緒を申立て、村雨丸の一振を奉りたし』ト申せしかども、何とも胡乱に存ぜし故、未だ君へも申上げず。然るを此迄推参為す条、上を畏れぬ憎き曲者、今更対面致すに及ばぬ。疾/\其奴を追返せ」ト言を、成氏押留め「譬ひ胡乱の者にもせよ、『村雨丸を持参』とあるを、訳も糺さず追返すとハ、在村其方にも似合はぬ仕方。先其者を此処へ呼べ。疾く/\」ト急すれバ、彼侍ハ心得て次の間指して入りけるが、程なく出来る犬塚信乃、衣服上下しとやかに御前間近く平伏為すを、成氏ハ佶と見て「其方事ハ武蔵の住人犬塚信乃とやらんなるか。村雨丸を持参の由、由緒如何に」ト問掛れバ、信乃ハ臆たる気色も無く「某事ハ、御兄君春王安王両公達の御傅きを相勤めし大塚匠作が一子犬塚番作が倅にして同名信乃と呼るゝ者。往古、我父番作ハ匠作が遺訓に従ひ、村雨丸を守護為して結城の城を切抜けつ、
美濃国金蓮寺にて両公達ハ討れ給ひ、匠作も又討死にせし時、番作其場へ切入つて太刀取り野武士を切倒し、君と親との三つの首級を奪取りつゝ、其辺の野寺へ竊に葬りしが、其時の戦闘に番作痛手を負しより遂に廃人と成りしかバ、村雨の一振を守護為すのみにて名告も出ず其儘にして身罷り畢ぬ。某物数成らねども父の今際の遺言を守り、『其一振を我君に奉らん』と存ぜし故、遙々当所へ罷越し、今朝『刄を拭はん』と鞘を離せバ、是ハ如何に、何時の程にか掏替られ、似ても似つかぬ [つぎへ]14ウ15オ
15ウ16オ
[つゞき]
鈍刀故、打驚くのみ。詮方無く、先此由を在村殿へ申入れんと存ぜし故、横堀氏の屋敷へ参れバ、早出仕との事なる故、是非無く此処迄罷出で、君に御目見へ仕るも、面目も無き身の誤謬。元来、件の村雨丸にハ、年来心を懸る者有り。然すれバ盗みし其者も夫と悟つて候へバ、些時の御猶予賜らバ、一先故郷へ立返り、首尾良く御太刀を取返して、再び見参仕らん」ト言ふに、驚く成氏より在村ハ猶声振立て「当初よりして斯あらんと思ひし故に君にも告ず。然るを由緒を申立て、押て御館へ入込むハ敵の間者に疑ひ無し。者共、彼を縛めよ」と言葉の下より数多の女中、十手に替し一枝の花を各々打振りて「ても美しい若衆振。御上意なれバ御前で組討。手並を見する、覚悟しや」ト討て掛るを身を躱し「各々、狼藉し給ふな。縦御太刀ハ失ふとも、由緒正しき信乃戌孝。間者等 〔と〕ハ思ひも寄ぬ。何卒、些時の御猶予を」ト言せも敢ず、女中達が又打掛る花嵐。信乃も是非無く身構へ為し、近寄る女中を突退け投退け広庭指して [四の巻へ]15ウ
[三の巻より]
駆出れバ、在村ハ声奮し「彼奴逃してハ当家の瑕瑾。手児名の四郎ハ力士(りきし)に言付け、疾く信乃奴を絡捕れ」ト言ふに、四郎ハ心得て飛ぶが如くに馳行きける。
其時、勅使有教(ありのり)卿(きやう)ハ主従の様子を打聞〔き〕て「如何に在村承はれ。汝、洵に主家を思は〔バ〕、信乃とやらんが『村雨を持参做せし』と言入れたる時、縦へ胡乱の者にもせよ、楚と実否を糺しなバ、村雨を詮議為出す手掛りとも成るべきを、主人にも告知さず、其儘措きしハ不忠なり。今彼一振無き時ハ、成氏殿〔の〕身の破滅。主人の罪科を身に受けて、何故切腹ハ御為遣ぬ」ト言れて、在村撥と平伏し「拙者が命を捨るを以て、村雨丸の御日延を仰付けられ下らんとなら、皺腹一つを何か惜まん。いで此上ハ」ト差添引抜き、腹へぐさと突立つれハ、勅使ハ佶と貌を改め「在村、罪科を身に引受けて切腹做したる忠義に愛で、村雨丸を詮議為す迄、些時の猶予ハ、京都に帰り、よしなに奏聞致して得させん。此上ハ成氏殿、天盃(てんはい)を頂戴ありて、忠義の武士にも与へられよ。早疾く/\」トありけれバ [つぎへ]16オ
16ウ17オ
[つゞき]
成氏「はつ」と座を避けて「家来の忠死に愛でられて、身不肖の某に、天盃までも下し賜る帝の至恩(せい おん)、何時ハ報ぜん」「誰かある、銚子もて」ト三方引寄せ、押戴けバ「はつ」と答へて次の間より、当家の忠臣勝間隼人(はい と)磯崎七郎両人が銚子携へ立出でつゝ、成氏が手に持し彼天盃に満々
と注ぐを、成氏押戴き、心静かに呑干して、勝間磯崎両人ンに、其盃を取するにぞ、二人の武士ハ喜びて共に一献を頂戴做すにぞ、俄に成氏主従ハ顔色土の如くに変りし中にも、成氏声震し「我天盃を頂戴做すより、腹中忽ち悩乱して心地死ぬべく思はるゝハ如何なることぞ」ト見返れバ、勝間磯崎両人も苦しき息をつきあへず「扨ハ君にも然あるか。我々二人ハ臓腑を千切り切らるゝ心地して、あな耐がたや、苦しや」ト言より早く、両人ンハ口より血を吐き倒るゝを、勅使ハ見つゝ打笑ひ「汝等嘸や苦しからん。『天盃なり』と言ひしハ偽り。真実件の盃ハ枇〓(ひそう)と名付けし毒石(どくせき)にて作り立てたる物なれバ、此を舐れバ忽ちに命を落すハ知た事。在村それ」と見返れバ、手を一見せし在村ハ、しづ/\と立て衣紋を繕ひ「我切腹と見せたるも、成氏始め家来に迄毒を喰はす謀事。種ハ此処に」ト懐中より血潮に塗れし鶏を取出しつゝ投出せバ、成氏ハ歯噛を做し「ヱゝ残念や口惜や。現在家来の在村さへ主を欺く此逆心、勅使と言し曲者ハそも/\誰なるぞ。言へ聞ん」ト言に、勅使ハ嘲笑ひ「をゝ聞たくバ名告て聞せん。冥途の土産に聴聞せよ。そも我こそハ、山陰中納言有礼と
ハ仮の名。真実ハ安房の国主と呼れし山下柵左衛門尉定包(さだかね)とハ我事なり。前年里見に討滅されし其時、我ハ囲みを切抜け、些時時節を待つ処に、此度『汝が家の重宝村雨丸の一振を叡覧に備へよトある勅命ありし』と聞及び、里見に所縁の足利成氏、先汝より押倒し、我関東の管領と成り、其後里見を討滅さんと、在村等と示し合せ勅使と成つて入込みしを、夫とも知ず旨々と一杯喰つた大愚者、此上ハ在村にハ一味の者を [つぎへ]16ウ17オ
17ウ18オ
[つゞき] 手分して、忠義立する奴原を一人も残さず討取るべし。我ハ此処にて成氏に此世の引導渡して呉ん」ト言ふに、在村心得て、刀推取り馳行くを、勝間磯崎両人ンが「おのれ逆賊逃さじ」と刀を杖に身を起し、よろぼひながらも追ふて行く。成氏ハ定包の企みを落ちなく聞済し、莞尓と笑つて膝立直し「愚かなり山下定包、前年里見の武略に拠つて汝を始め麻呂(まろ)安西(あんさい)をも皆残り無く討平げしが、汝ハ原来、麻呂信時(のぶとき)も、其場を切抜け行方知れねバ、竊に在処を尋ぬる折柄、今日勅使と偽て入込みし曲者こそ汝ならんと察せし故、毒の手立もあらんかと家に伝はる毒消の妙薬を服せしかバ、我ハもとより、二人の家来も些か命に恙なく、其とも知らす
粗忽と計略を漏せし汝こそ、我に勝りし大愚者。汝に一味の奴原ハ皆悉く討取りたり。ヤア/\其に控へたる勝間磯崎早参れ」ト言葉の下より、両人ハ初めに変りし身軽の出立、在村と手児名の四郎が首を携へ立出れバ、後に続ひて現八が妹おむつも出来たり。「最前、犬塚信乃とやらんを捕へんとせし人々ハ、残らず彼に斬まくられ面を向る者も無く、彼曲者ハ今も猶、芳流閣の屋の棟にて相手の登るを待つ様子。其に就て [次へ]17ウ18オ
18ウ19オ
[つゞき]
一つの御願。私の兄現八ハ此程よりして、獄屋の苦しみ、『何卒御許ある様に』ト日毎に願へど、其も適はず。せめてハ信乃を討手の役を兄〔に〕仰付けられなバ、兼て手練の兄が手の内、よも仕損じハ御座りますまい。其を功に今度の罪を御許遊はし下さるやう偏に願上げます」ト言ふに、成氏首肯きて「彼信乃とやら言ふ者も又、定包が一味の者か一味ならぬか知らねども、捕逃してハ家の恥。願ひの如く現八に捕手の役を言付けん。疾く/\せよ」ト急がすれバ、おむつハ喜び走行く。此有様を見るよりも、流石の山下定包も些時呆れて居たりしが、眼を怒らし、声振立て「謀る/\と思ひの外、却て手立の裏を掻れ、頼み切たる在村始め一味の者
を討れし上ハ、定包が死物狂ひ。死人の山だ、覚悟せよ」ト刃をすらりと引抜いて、討つて掛れバ、成氏も共に小太刀を抜合せ、些時戦ふ其内に、勝間磯崎両人ンも主を助けて取囲めバ定包今ハ堪得ず、隙を窺ひ踊出で、庭なる井戸へ飛入りしが、此処ハ兼々、在村が拵措たる抜道なるを、定包ハ良知ること故、土中(どちう)を潜りて易々と水門よりぞ逃去りける。18ウ19オ
19ウ20オ
○夫ハ扨措き、犬塚信乃ハ敵の間者と疑はれ、身に降掛る濡衣も、村雨の太刀在らざれバ、今更言説く事さへ適はす。然りとて阿容々々捕へられ無実の刄に殺されなバ親への不孝、名の汚れ、『とても適はぬ事ならバ命と刀の続かん迄、斬死に做さん』と覚悟しつ。数多の敵を斬伏せ突伏せ、屋根へひらりと飛上りて棟より棟へ飛移り、芳流閣と名付けたる三階造りの高殿〔の〕屋の棟高く駆上るを、猶逃さじと追来たる敵を蹴落し斬倒して、一息ほつと付折しも、身軽に出立一人の力士(りきし)左手の屋根より飛上る。器量、早業並々ならず。「天晴れ敵よ」と思ふにぞ、信乃ハ莞尓と打笑みて「最前よりの手並に懲りす、身一つにして此所まで上来たりし汝が姓名、名告れ聞ん」と身構へ做せバ、此方ハ臆せ す嘲笑ひ「小癪なる其一言。我ハ当家の身内人、犬飼現八信道是なり。其名ハ聞つ、犬塚信乃。御諚なるハ」ト言ひつゝも十手を打振り飛掛るを、信乃ハ騒がず身を開き、払ふ刄を躍越へ、迭に争ふ一上一下。些時勝負も見へざる処に、苛つて打込む現八が、十手を丁と [つぎへ]19ウ20オ
20ウ 奥目録
[つゞき]
受止めたる信乃が刄ハ鍔元より発石と折れて飛散るにぞ、現八「したり」と無手と組む。組まれて信乃ハ些とも騒がず、共に柔術の秘術を竭し、互ひに捻合ふ力足。是彼等しく踏滑して、組だる儘に、屋の棟より落つると見へしが、折も良く、川辺に繋ぎし小舟の内へ、伏重つて落込めバ、弾みに艫綱張切つて潮の随に/\押流され、見る間に見へずなりにけり。
○是より第四編行徳の段に続く。めでたし/\/\ /\/\
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嘉永五壬子歳新鐫藏版目録
阪東太郎後世譚 〈八編|九編〉 〈西馬作|貞秀画〉
岸柳四魔談 〈三編|四編〉 〈同 作|國輝画〉
〈倣像|水滸〉侠名鑑 〈初輯 二輯 三輯〉〈樂亭西馬稿案|〓持樓國輝画圖〉
〈勸善|懲惡〉乗合噺 七編 八編 〈柳下亭種員作|一陽齋豊國画〉
江戸鹿子紫草紙 〈二編 三編〉 〈文亭梅彦作|香蝶樓豊国画〉
小栗判官駿馬誉 〈中本|一冊〉 〈西馬編|芳虎画〉
象頭山夛宮日記 〈中本|一冊〉〈樂亭譯|國輝画〉
爲朝弓勢録 仝 〈 同 | 同 〉
東都馬喰町二丁目西側〈書物地本|繪 草 紙〉問屋 山口屋藤兵衞
奥目録
後ろ表紙
第四編
表紙
表紙
今様八〔犬の絵〕傳\爲永春水作\一勇齋國芳画\紅英堂・錦耕堂合板\四編上(四編下)
序・見返
見返・序
〔見返〕
今様八犬傳\四編上\爲永作\一勇齋画\山口版\國芳女\とり画
〔序〕
這書ハ急作の草双子、外題の考へなんどもなく、先本文から二三員、綴りかけれバ、板元が奪ふが如く持ゆきて、直に梓に上すになん、落字書損を訂正に間なく、恁て一輯編果て、序文に筆を採に及び、題号て芳薫八房の梅とす、然るに日ならず製本成しを、書肆携来て余に謂らく、かゝる際物なる故に、外題を問べきいとまなく、判りの迅きが宜からめとて、其侭今様八犬傳と表紙に写して賣出し侍りぬ、這義をみゆるし給ひねとなり、仍てつく%\憶ひ見るに、素り是ハ原傳を、當時のさまに做つるなれバ、反て今様(云 云)、としたる趣向こそ、婦女子の目にもふれやすく、予が考へにハ増よしあらめ、と〓がいふ隨にうち損おきつ、尓ども初編の序言のうちに、外題に所謂八房、の梅咲く春をト認めたるを、看官怪しみ給はん歟、と爰に樂屋をあらはして、又第四輯の幕をひらく、
嘉永五歳閏月吉辰
口絵第一図
1ウ2オ
白拍子朝毛野\寔ハ犬坂毛野
口絵第二図
2ウ3オ
再出 小文吾\戀が窪の遊君花紫
雛妓歌綾 実ハ 成氏の息女四阿
3ウ4オ
[こゝのゑとき]
「其処に御座るハ文五兵衛殿。扨ハ此方ハ今日も又例の釣と出られたな」ト言ふを、見返る文五兵衛が「誰かと思へバ村の若衆、祭礼の酒の機嫌やら、面白そうな千鳥足「イヤもう例の事ながら、此村の稲荷祭。今年ハ取分け角力(すまう)が掛り、夫ハ/\きつい賑やか。ホンニ角力で気が付いたが、此方の息子の小文吾殿、強い手取りに成られたな。今日の相手ハ取分けて、彼市川で任侠と言はれる山林の房八(ふさはち)故、此ハ見物と見物が固唾を呑んで居たところ、何の苦も無く房八を小文吾殿が投られたが、吾等も贔屓の犬田殿、喜び酒で呑過ぎた。此方も祝ふて呑しやれ」ト言はれて驚く文五兵衛。「扨ハ倅が勝おつたか。日頃からして気の知れぬ、彼山林の房八故、もしや遺恨の端にでも」「何さ/\、房八が例へ負け腹立てばとて、犬田殿にハ此方が付いて居れハ大丈夫」「まさかの時ハ一番に」「尻を絡げて逃出すか」「おいてくれろ」ト高笑ひ、「併し乍ら、彼の角力を古那屋の親御に見せたいな」「そんなら何と、今此処で今日の角力の仕方話。御主ハ房八、俺ハ犬田。土俵へ二人が向合ふて」ト言ふを、側から今一人が「待て/\、俺が行司の役。急くな/\」ト言ひつゝも団扇に代る古草履、一杯機嫌の若者共、呼吸を計つて立上がり「此手を斯して斯投げて」ト夢中に成つて立騒げバ、文五兵衛ハ苦笑ひ「コレ其様に騒がれてハ、魚が散つてさつぱり釣れぬ。もふ良程に遊んだら、呑だ酒の醒ぬ間、早う戻つて寝やしやれ」ト [つぎへ]3ウ4オ
4ウ5オ
[つゞき]
言へども此方ハ酒機嫌「(イヤコレ)寝ろとハ角力に禁句。夫に就けても房八ハ、一寸見るから憎々しい。あんな男の女房子に成るのハ余程因果者、面を見るさへ胸糞が」ト言ふを一人が袖を引き「此ハしたり如何したもの。彼房八の女房ハ文五兵衛殿〔の〕娘。づか/\物を言ふまいそ」ト言はれて気の付く若者が「此ハしたり」と頭を撫で「ドレ戻らう」ト三人ハ打連立ちて帰り行く。跡見送りて文五兵衛が「彼人達の高話で思ふた程ハ釣れもせぬ。今日ハ村の祭礼故、女子共にハ藪入の暇を取らせて、家内ハ空明き。ドレそろ/\と片付けて、日の暮れぬ間に戻りましよ」ト帰り支度をする折しも、汐に揺れて
一つの小舟、此方の岸へ流寄りしが、舟の内にハ二人リの武士が気絶したるか倒れて居り。文五兵衛ハ驚きて熟々見れバ、二人の内一人ハ兼て知る人故、打も措れず、釣竿にて件の舟を掻寄せつゝ、舫ひの綱を岸辺に繋ぎ、其身も舟に打乗りて、兼て見知し一人リの武士を抱
き起して呼生れど、見知りし武士ハ息も返らず、却つて見知らぬ一人の武士が息吹返して起上り、辺りを些時見回して「此処ハ何処の浦にして御身ハ如何なる人なるぞや」ト問掛けられて、文五兵衛が「扨ハ心の付かれしか。此処ハ下総葛飾の行徳の入江にて、吾等ハ古那屋の文五兵衛とて当地に久しき旅籠屋商売。今日ハ少しの余暇を得て、此入江にて釣する折柄、是なる舟が流寄りしを [つぎへ]4ウ5オ
5ウ6オ
[つゞき]
良く/\見れバ、舟の内に倒れたる顔に痣(あざ)ある侍ハ、吾等が兼て近付きなる滸我殿〔の〕走り使ひ、犬飼見兵衛殿〔の〕御子息、現八殿でありし故、呼び生けんとて介抱せし時、思はず御身に躓きしに、死活の法に適ひしか知らぬ、御身ハ息上り、助けんとせし其人ハ、介抱すれど生きも返らず。
抑御身も滸我殿〔の〕身内人にて御座するか」ト問返す時、
現八ハ「ウン」ト一声身を起し此有様を
見るよりも「おのれ癖者、逃さじ」と十手を取つて飛掛るを、此方ハ彼方此方身を躱し、舟より陸へ飛上れバ、続ひて上る現八が猶振上ぐる十手の下に、此方の武士ハ声振立て「ヤレ待ち給へ、犬飼氏。一言告ぐべき言葉あり」ト呼ばわり留めて座を占れバ「子細ぞあらん」と、現八も十手
を膝に突立てつゝ「様子如何に」と控ゆれバ、此方ハ佶と貌を改め [二の巻へ]5ウ
[一のまきより]
「なう犬飼氏、聞〔き〕給へ。某事ハ武蔵国大塚村の住人にて、犬塚信乃と言ふ事ハ先に名告れバ知られつらん。我故郷に在りし時、糠助と言ふ百姓あり。本は安房(あは)の住民なりとぞ。其心様誠実なれバ、我父も某も年来親しく交際しに、時疫の病に拠りて、去年の某の日、身罷りぬ。其病中にも某が些の志をや感じけん。臨終に [つぎへ]6オ
6ウ7オ
[つゞき]
我身を近く招き「とても斯てハ今度の大病此方者とハ思はれず。其に就きて一つの御願ひ。原来僕ハ安房の国人、子細有つて国を追はれ、其歳僅かに三歳の倅玄吉(げんきち)を懐中にして、其処とも知らず彷徨ひ出でしが、貯蓄も無く寄方もあらぬに、搗加へて幼子ハ脾疳の病で痩〓ひ、「抱かれたる子も抱いたる親も、此世からなる餓鬼道の此苦しみを見んよりも、いつそ死んだが益ならめ」と、下総の行徳なる橋より川へ沈まんと為たる所へ来掛る旅人、我身を留めて子細を尋ね、我に些の路用を取らせ、懐中の子を貰取られて別るゝ時に、その人が『我ハ滸我の飛脚』とばかり名も言はれねハ、我も名告らず、本意なく袂を分ちしが、心掛りハ只
是のみ。御身滸我へ赴き給はゞ、事のついでに倅を訊ね、玄吉奴が猶彼地に居らバ、此等の旨を伝へて給べ。彼玄吉ハ生れついて顔に一ッの痣(あざ)を持ち、形牡丹の花に似たり。其のみならず、倅奴が生れて七夜(しちや )に当る時、鯛(たい)を料理しに、鯛の腹に玉有りて、文字の如き物見ゆるを、産婦に見せて読せしに、信とか読む信(しん)の字ならん」と言ひしを、其儘、臍の緒と共に倅が守袋へ入措きたるを、失なはずバ夫等を証拠にし給へ」ト言はれし言葉に、思ひ合する現八殿〔の〕顔の痣。もしや御身が [つぎへ]6ウ7オ
7ウ8オ
[つゞき]
幼名ハ玄吉殿でハあらさるか」ト問れて、現八打驚き俄頃に貌を改めて「扨ハ御身ハ我親の恩ある人にて御座せしか。言はるゝ如く、某が守袋の臍緒に『糠助が倅玄吉』ト書きあるのみか、感得の玉の事さへ書添へあれバ、親の形見と今も猶肌身離さず、是此処に」ト言ひつゝ
取出す一つの玉を、信乃ハ熟々打眺め「天晴れ目出度し犬飼氏。某も又、御身に等しき玉と痣との在るのみならず、我故里大塚に犬川荘助と言へる者、此も同じく玉あり痣あり。拠つて竊に某と兄弟の義を結びしかども、彼ハ村長の小厮故、其本名を顕さず、仮に額藏と名告りて居り、然すれバ御身も某も彼額藏も、過世より深き契りの在るならん」ト言ひつゝ玉と腕の痣を見すれバ、現八感嘆して「奇なり/\」ト頌ゆるにぞ、傍聞〔き〕せし文五兵衛も覚へず小膝を進ませて「御二人様の御物語を承はるに就きて、又思ひ合する倅が身の上、現八殿にハ知らるゝ如く、倅小文吾ハ生付き商人の業を嫌ひ、親に隠して剣術、柔術、今でハ角力の関取とか。若ひ衆達に立てらるが、彼にも一つの痣ありて、形牡丹の花の如く、其のみ成らず、倅奴が喰初の椀の内より一つの玉の出でけるが、此にハ悌(てい)の一字ありて、形も容も各々方の所持ある玉に寸分違はず。然すれバ、彼奴も御身等に過世の契り在る者か」ト言ふ時、背後の芦間(あしま )より「其玉、此処に」ト言ひつゝも、現はれ出づる犬田小文吾、二人が前に進み寄り「今、親人の申せし如く、物数ならねど、某も痣ありて、又一つの玉あり、此見そなはせ」ト懐中より取出す
玉を、信乃現八ハ打見て共に嘆賞す。其時再び小文吾ハ文五兵衛に打向ひ「御二人リ様の御物語ハ彼処にて残らず承はる。見苦しくとも此上ハ我宿に御共して、彼処にてゆる/\何かの御話。幸ひ角力の花に貰ふた小袖が此処に二ッある。彼御形でハ人目に立てバ。粗末ながらも御二人に」と言ふに頷く文五兵衛が「其ハ良う気が付いた。さァ/\是を御二人共召替へられて我宿へ」ト差出す小袖を、二人リハ頂き一礼述べて着替るにぞ、二人リが脱ぎし血付の衣服を
小文吾ハ風呂敷に押包みて小脇に抱へ「親人、御身ハ御二人を早く我屋へ御案内、吾等ハ後へ居残りで、人知らぬ間に此舟を川の深みへ押流し、後より追付き参らん」と言ひつゝ立てバ、文五兵衛ハ信乃現八を伴ひて「いざ御案内」ト先に立ち我屋を指して行く程に、小文吾ハ川へ降立ち、舟の舳先に手を掛けて、四五間ばかり押出し、其儘舟を俯せに返して沖へ突遣りつゝ、塵打払ふて行かんとせし背後に、窺ふ癖者がつか/\寄つて小文吾が小脇に抱へし風呂敷包を楚かと [つぎへ]7ウ8オ
8ウ9オ
[つゞき]
捉へて引戻す。此時日ハ早暮果てゝ、辺り小暗き宵闇なれバ、相手を誰とも見へ分ねど、小文吾騒がず振払ひ、又引止るを打払ふ。互ひの力に風呂敷の、縫目破れて落る小袖、其とも知らず小文吾ハ、取れし腕を振外し、影眩まして逃行けバ、後に残りし癖者ハ、落たる小袖を拾取り、空に透して打眺め、一人肯き居たりける。
[こゝのゑとき] イヱ/\何と言はしやんしても、祭礼二日ハ旅人を
泊めぬのが当地の掟。私も是から暇貰ふて藪入に行く、御造り最中、邪魔をせずとも外へ往て宿借らしやんせ」ト愛想も無き下女か言葉に二人の旅人「ハテ其様に言はずとも、旅籠ハ其方の望み次第、幾らでも出す程に、何処ぞ隅へ泊めて呉れ」「ヱヽ執拗い。帰らんせ。行かずバ斯うだ」ト傍辺なる箒を取つて振上れバ、二人リハ驚き、そこ/\に小言たら/\戻り行く。入違つて一人の法印ずつと入つて下女の顔差覗きつゝ、莞尓笑ひ「小野小町か御造り最中。扨ハ今夜ハ御楽しみの宛が何処にか在原業平に似た色男に見せに行くのか畜生め」と背を叩けハ、振返り「然う言ふ御前ハ観得(くわんとく )さん。今迄何処に居やしやんした。昨夜ハ彼程約束して、私の寝間へ忍んて来ると言つて、其つ切り。私や夜一夜明し、今日ハ眠ふてならなんだ。悪性男」ト言ひつゝも、一寸と抓れバ飛退ひて「イヤ/\全く騙しハせねど、寝てから熟々考へれバ、死んだ親仁の祥月命日。其処で昨夜ハ大精進。其ハ左右と、コレ姉へ。里の掟で此二日ハ客を泊めぬと言事なれど [つぎへ]8ウ9オ
9ウ10オ
[つゞき]
今宵も内緒で何処ぞの隅へ」「夫や合点で御座ります。振の御客ハ断れども、逗留の御方なら、何時迄泊めても触り
無し。殊に御前の事じやもの。千年でも万年でも、私の差略で御宿する。其代りにハ観得さん、今宵ハきつと床中へ」「其ハ吾等が胸にある。何かの話ハ後に緩りと」「そんなら昨夜の小座敷へ」ト言ふに、頷き法印ハ奥の一間へ立て行く。後見送りて彼下女が「さァ忙しう成つて来た。今宵ハ村の若衆にも約束をした事があるに、又其上に観得さん、どつちを先にしたものか。先づ若衆に顔見せて観得さんハ後の楽しみ。ヲヽそれ/\」ト言ひなから、入口の戸を引開けて、とつぱくさして出行きける。斯る折しも納戸より此家の主人文五兵衛が立出でながら、辺りを見回し。「女子共が藪入で有頂天に成居つたる。使つた鏡も出放し。此も亦、俺が厄介。困つた奴」と、傍辺に押遣り置くと、表に気を配りて一間の口へ歩寄り「信乃様、御目が覚めましたか」と言ひつゝ障子を押開くれバ、内にハ信乃が苦げに「此ハ/\文五兵衛殿、昨夜からして厳ひ厄介。昨日滸我にて多くの敵と切結びたる其時の手傷ハ僅かと思ひしに、破傷風に成りしにや。今朝から少しも枕上がらず。其ハ格別、御子息や犬飼氏ハ何れに」ト問掛れバ、文五兵衛「倅ハ祭礼の端喧嘩取扱ひに頼まれて、出でて
行きしが、今に帰らず。現八殿ハ『芝浦(しばうら)迄、御身の薬を購めに』とて今朝早くより行かれしなれバ、之も程なく帰りがあらう。其薬だに来るならバ、御身の病ハ本復。些時の程ぞ待ち給へ」ト言はれて信乃ハ打驚き「我身一つの事に拠、御年寄を使ふだに、いと胸苦しく存ずるを、犬飼氏とて世を忍ぶ身。其〔と〕知たら遣まじきに、心掛りの事なりし」ト言ふを押止め、文五兵衛が「其御気遣ハ御無用/\。兄弟の義を結んだ上ハ現八殿とて倅とて、何御遠慮要るものぞ。そんな事にハ御構ひ無く、御養生が先第一。幸ひ御粥も出来てある。御口にハ合はずとも、押して少しハきこし召せ」ト椀に盛りたる白粥を出せバ、信乃ハ押戴き「何から何まで忝い」ト言ひつゝ箸を取る折から、村の歩が門口より「文五兵衛殿、宿に居てか。庄屋殿から急の迎ひ、私と一緒に、さァ御座れ」と呼わる声に驚きて、文五兵衛ハ傍辺なる屏風に信乃を押隠し、門の戸開けて「コレ村の衆、今日ハ祭礼で女子にハ藪入させて一人も居らず。小文吾も昨夜から出た儘、今に帰らねバ、吾が行つてハ埒が空明。倅か女子が帰る迄、少しの間良い様に」ト言ふを、使ひハ聞敢へず「イヤ/\急ぎの用なれバ、『此方が留守なら行先を [つぎへ]9ウ10オ
10ウ 奥目録
[つゞき]
尋回つて連れて来い』と、『連れて来い』と其ハ/\厳しい言付。早く御座れ」ト競立れバ、文五兵衛ハ詮方なく竊に信乃に打向ひ「御聞の通りの事なれバ、吾等ハ一寸と庄屋殿迄」ト言はれて信乃ハ安からぬ胸を痛めて「なう小父御、村長よりの用事とハ、もしや我身の事なるか」と言ふを打消し、文五兵衛が「イヤ御気遣ハ御座りませぬ。旅籠屋商売して居れバ、庄屋殿から呼ばるゝハ月の内にハ幾度もある。つよ一寸と行て直き戻れバ、風邪惹ぬ様さつしやれ」と羽織引掛けそこ/\に使ひと連立ち出て行く。
○此より下の巻へつゞく。
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藏版新刊珎奇雜書略目録
遊仙沓春雨艸紙 〈十一編|十二編〉 〈緑亭川柳作|一陽齋豊國画〉
田舎織糸線〓衣 〈四編|五編〉 〈仝 作|同 画〉
天〓太平記 〈初 ヨリ|追々出板〉 〈仝 作|一勇齋國芳画〉
奇特百歌仙 同断 〈仝 作|一立齋廣重画〉
畸人百人一首 全一冊 〈仝 案|同 畫〉
狂句五百題 全二冊 五代目 川柳著
東都書房 南傳馬町一丁目 蔦屋吉蔵板 」奥目録
四編下巻
見返 11オ
〔見返〕
いまやうはつけむでん\四編下のまき\春すゐさく\國よしゑかく\とり女画\紅英錦耕両梓
○折しも聞ゆる入相(いりあい)の鐘、諸共に向ふより立返来る小文吾が、何思ひけん立留り「栞崎にて房八が、昨日の角力を根に持つて、喧嘩買をふの無法の働き。相手に成ぬハ、親人が此脇差と右の手に結び給ひし紙縒の戒め。切ねバ抜ぬ脇差を、抜合さねバ互ひの無事。彼此言ふうち早や暮相。客人達も親人も、嘸待侘びておはすらん。片時も疾く。それ/\」ト言ひつゝ戻る門口「親人、只今帰りました」ト言へども答へる者も無く、戸を押開れハ、内ハ暗闇。訝かりながらも小文吾ハ、勝手知つたる我屋の内、手早く行燈取出して、火を打付くる其折から「小文吾捕た」ト声掛けて、忽ち込入る数多の捕手。「こりや何故の狼藉」ト支ゆる小文吾。表より「ヤア何故とハ横道者。汝が家に『武蔵の浪人犬塚信乃と言奴を匿ひあり』と慥に聞く。然すれバ汝も同罪なれども、只今先非を改めて、彼癖者を絡取るか、首級に致して差出さバ、其を功に匿ひし親子の罪ハ許して呉れん。斯言我ハ、滸我殿〔の〕身内に名を得し新織(にいをり) 帆大夫(ほたいふ)。返答如何に」ト問掛けられ、小文吾ハ「あなや」とばかり騒ぐ心を押鎮め「存知もよらぬ御疑ひ、終ぞ名をだに聞知らぬ、犬塚とやら [次へ]11オ
11ウ12オ
[つゞき]
信乃とやら。何の好で舎蔵ふべき。其ハ大方門違ひ。他処を御詮議なされまし」ト言はせも果ず眼を怒らし「例へ何程匿めバとて舎蔵い在る事慥に知る。ヤア/\者共召連れ来たりし其なる縄付、此処へ引け」ト言葉の下より捕手の面々八重縄掛けし文五兵衛に声立させじと猿轡を咬せし儘に引連れ来たるを、夫と見るより小文吾が「是ハ親人が」と立掛れバ、同じ思ひに文五兵衛も物言ひたげに差寄るを「下に居らう」トべたつる取りて、帆大夫ハ猶声振立て「如何に小文吾。慥に聞け。汝が親文五兵衛を、村長方へ召寄せて、彼の癖者を舎蔵ひたる詮議做せども、
『存ぜぬ知らぬ』とばかりにて白状せねバ、詮方無く、自ら家捜せん為に、此処迄引連れ参りしなり。斯ても愈々抗は〔バ〕、此老耄を拷問せうか。又踏込み屋捜しせうか。返答しやれ。なな何と」ト、
のつびきさせぬ手詰の言葉、此処ぞ一所懸命と思へど、小文吾些も騒がず「物数ならねど、此里で侠気を磨く小文吾が、荒屋なれども城郭同然。殊に当所ハ千葉家(ちばけ )の領分。管領職の
仰せでも、『他領の人に屋探をされた』と世間へ聞へてハ此身の名折、家の恥。夫ハ兎もあれ角もあれ、吾等ハ村の祭礼にて、昨日も今日も遊暮し、家に居らねバ其癖者を
舎蔵ひたるか舎蔵はぬか固より知ぬが、此身の潔白とハ言ふものゝ、御嫌疑の掛りし上ハ詮方無し。親の縄目を許されなバ、佶と屋内を詮議して、其癖者が居るならバ首級にするとも召捕るとも、後方迄に村長方へ持参致すで御座りませう」ト言ふに、帆大夫面を和らげ「如何にも汝が昨日より、家に居らぬといふ事も知て居れバ、望の如く些時の猶予ハ致して呉れん。然らバ屹度今宵の内に「ハテ御念にハ及ひません。身不肖なれども犬田ハ侠客、番へた言葉に相違ハ御座らぬ。
此上ハ父文五兵衛か縄目を御許し下されて」「返して呉れとか。そりやならぬ。汝か信乃を召捕るか首級に致して持参するか。先づ夫迄ハ親仁ハ人質 [つぎへ]11ウ12オ
12ウ13オ
[つゞき]
此老耄が助けたくバ、片時も疾く癖者を渡して罪科の詫致せ。心得たるか」ト宣示し「者共来たれ」と先に立てバ「はつ」と答へて捕手の面々「老耄立とう」ト言つゝも、引立てられて文五兵衛ハ心ならすも身を起せバ、些時と留むる小文吾が開けて言はれぬ心の内。目で知すれバ親も又、目を以て答ゆる以心伝心。「きり/\行きやれ」と縄取に急立られて詮方無く見返り/\出で〔て〕行く。親の縄目の後影。見送り果て、小文吾が些時思案の其折しも「介錯頼む。犬田氏」ト言ふハ慥に一間の内「それ死してハ」ト小文吾が障子引開け駆込めバ、内にハ信乃が脇差を抜掛けたる儘伏転びし。此有様に又驚き抱起しつ勦りて「様子如何に」と、問掛くれバ、信乃ハ苦しき息をつき「恥しや犬田氏。某滸我の剣戟に僅かの手傷を受けたりしが、破傷風と成りしにや。今朝より少しも枕上らず。犬飼氏にハ我為に『薬を遙々購入ん』とて、我にハ匿して武蔵なる芝浦迄行かれしとぞ。其さへ心苦しきに、御身の親御ハ村長より『用事あり』とて俄頃の使ひ『我身の上にハ在ざるか』ト、安き心もせざりしに、思ふに違はぬ今の有様。
此身一つの故に拠り、罪無き人を巻添へさせ、生長らゆべき我ならねバ『腹掻切つて、文五兵衛殿〔の〕縄目を解かん』と脇差の、柄迄ハ手を掛しかども、病に力衰へて、腹一つさへ斬りかぬる。斯迄武運に尽果し。生甲斐も無き信乃が首級、御苦労なから討落して、親御の科目を救ふて給べ。早や疾く/\」ト、覚悟の有様。「実に理」と思へども、小文吾態と言葉を激まし「是ハ言甲斐無し、犬塚氏。親の縄目に [つぎへ]12ウ13オ
13ウ14オ
[つゞき]
気後れして、一旦誓ひし言葉を背き『御身を討つべき我なり』と、思ひ給ふて言はるゝか。親の縄目を助くる術も、御身の病を本復さする其妙薬も、我胸に分別あれバ、何事も此身に任せて措き給へ。もし其共に聞入れなく、御身が自殺做さんとならバ、我ハ固より犬飼も、必ず生きてハ候じ。此処の道理を聞分けて、只本復を待給へ」ト説諭されて今更に、死ぬにも死なれぬ犬塚が差俯きて言葉無し。斯る折しも門口より、入来る山伏念玉坊(ねんぎよくほう )「今戻つた」ト言ふ声に打驚きつゝ、小文吾が「信乃を見せじ」と小屏風を盾に做しつゝ
一間を立出で「是ハ/\
念玉様。只今御帰りなされましたか。昨日今日ハ女子共ハ藪入させて内ハ無人。御風呂の手当も未だ致さず」ト言ふを、念玉聞敢ず「イヤ其無人も承知故、此方の世話に成らぬ為、飯も途中で遣て来た。固より風呂ハ望でなけれバ、必ず構ふて下さるな。其に就ても此間から長逗留で、いかひ厄介。我も明日ハ起つ筈故、昨日ハ角力を見物して祭礼の騒ぎて夜を明し、今日ハ又彼方此方の
名所古跡を見回て思ひの外に暇取つた。しかし昨日の晴角力、物〔の〕見事に房八を捕て投たる此方の手の内、余りの面白さに力を入て見た故か、取る此方より見る我が、腕も肩もめき/\して、がつかりと草臥れた。何時の座敷が空てなら、行て寝らう」ト言ひつゝも、携へ来たる法螺貝を片手に提げて立上るを、小文吾慌てゝ引留め「イヤ其座敷ハ今宵ハ塞り。何卒奥の離屋へ」と言ひながら、彼法螺貝を熟々見つゝ「念玉様、扨珍しい此法螺貝。何処で御求めなされました」ト問れて念玉打笑ひ「此ハ最前濱辺(はまべ )にて、童児が持て遊んで居たを、少しの銭に換て来たが、世に珍しき此法螺貝。此に就けて話か在る。 [つぎへ]13ウ14オ
14ウ15オ
[つゞき]
『全て手傷を負ひし者、其傷口へ風を引入れ破傷風と成りし時、若き男女(なんによ)の生血を各々五合つゝ取りて、此様に年経りし法螺貝の内に盛り、此を呑する其時ハ、病忽ち本復す』と、我先祖より伝へハ在れども、一人の病を助けん為に、二人の命を取る事故、未だ試せし事ハあらねど、疑ひも無き大妙薬。此方ハ角力を好まるれバ、如何いふ怪我〔が〕在やらも知れぬ。後学の為なれバ聞いて措くとも損ハ無し」ト言ひつゝ、辺りを見回して、壁に掛けたる尺八(さくはち)の笛を手に取り、吹試み「此や其処許の嗜みか」ト言ふに、小文吾見返りて「イヤ某
が物にハあらず。近頃、侠客と呼ばるゝ者ハ一つ印籠、一節切、腰に無けれバならざりしが、其さへ今ハ廃るて為ず。其一節切も誰やらが忘れて行きしを其儘に掛けて措きし」ト答ゆれバ、念玉聞いて打頷き「然らバ些時貸給へ。幼稚けれども旅寝の徒然、今宵ハ此を吹澄さん」ト言ひつゝ立てバ、小文吾ハ手早く灯す行燈を、念玉ハ受取りて「此さへ在バ離屋の勝手も兼て知て居る。此方も早く休まつしやれ。明日逢いませう」ト言捨〔て〕、其儘奥へ歩み行く。後見送りて小文吾が「折も折とて彼客人。其に就ても念玉が問はず語りの今の妙薬、男の血潮ハ我股を破りてなりとも取るべけれど、女の血潮が無けれバ詮無し。ハテ何と為う」ト言ひ乍ら、見返る傍辺に以前の法螺貝、手に取上げて佶と見て「彼念玉が尺八に浮れて此を忘れしか。若し然ハ無くて、犬塚氏の病を知ての業なるか」ト独り手を組み思案最中「関取内にごんすか」ト門の戸荒く押開けて、当地で名うての悪戯者、塩浜辛四郎(からしらう )を先に立せて、板扱金太、牛根孟六(もうろく)諸共に、見世先狭しと居並ぶを、小文吾ハ打見遣り「誰かと思へバ、わいら三人ン揃ひも揃ッて騒々しい。埃が立ハ静にしろ」ト言ふを、此方ハ聞敢
へず「コレ関取、イヤ犬田。今宵此なる三尊仏が台座を離れてまし/\た謂と言ふハ他でもねへ。是迄此方の弟子とハ言へど、根が技も良く力もあれバ、何処へ行つても怯を取ず、此方の鼻まで高くハしたが、栞崎にて先程の始末、妹婿の房八に、踏だり蹴たり叩かれたり。其に些も手出も為ぬ、大腰抜の師匠をバ持つてハ此方の面汚し。其処で弟子から破門に来た。[次へ]14ウ15オ
16ウ17オ
[つゞき]
大方昨日の晴角力に勝を取たハ怪我の功名。『誘』と言れた其時にハ、彼房八にハ歯が立つめへ。師匠で無けれバ門畠でたとへ此先
逢ふとも大きな顔ハさせぬぞよ」ト、喚立つれハ、莞尓と笑い「蛆虫奴等が何をざは/\。固り角力ハ好なれども田舎稽古で、実ハ慰み。弟子ハ無くとも
事ハ欠〔か〕ぬ。望とあらバ破門する。きり/\立つて失おれ」と言はれて三人ン身を起し「『居て下せへ』と頼んでも、汝等が内に居るものか。師匠で無へと言ふ印に刻印打つてやるべゑ」ト煙管押取り、辛四郎が撃つて掛るを身を躱し、其手を捕つて捩上れバ続いて懸る孟六金太を、或ハ蹴倒し踏据へられ、口に似合はぬ三人ンハ「許せ/\」ト言ひつゝも [四巻へ]
[三の巻より]
命から%\門口へ突放されて、転出で逃出さんと為たりしが、何思ひけん
立戻り、三人ン等しく囁きて、垣根の穴より潜入り、庭の内にぞ立忍ぶ。斯る処へ向ふより房八の母妙真(めうしん)が駕籠に付添ひ、息急きと歩み来たりし古那屋の門口「ヲヽ駕籠の人、御苦労/\。些時其処に待つて給も」ト駕籠を降させ、妙真ハ静に戸口へ差寄つて「此処開けて下さんせ」ト言ふ声聞いて小文吾が「扨も今宵ハ折悪く、又誰やらが来たそうな」と呟きながら門押開け「これハ/\妙真様。夜更早更にお一人リで何の御用」ト呼掛くれバ「イヤナニ私一人リじや無い。大八をお沼藺に抱せて駕籠に乗せての押掛客。駕籠の衆、此処へ」ト見返れバ、駕籠屋ハ心得、駕籠の垂上れバ、お沼藺ハ悄々と幼子抱きて駕籠より立出で「モシ兄さん」トばかりにて、後ハ涙に伏沈む。此有様に小文吾ハ合点行かねバ、膝立直し「イヤ市川の御袋様。お沼藺を連れての俄の御出、何か子細の [つゞき]16ウ17オ
15ウ16オ
[つゞき] ありそうな」ト 言ふに妙真進寄り「さァ其訳ハ他でもない。些言ひ難いこと乍ら、一通り聞いて給べ。改め言ふにハ及ばねども、お沼藺ハ原来此方の妹。嫁に貰ふて、早四歳。夫婦の仲も睦しく、孫さへ儲けて此母ハ『左団扇』と人様に、誉られた身が如何にせん。夫婦口舌の縺れより、憎まれに来た今宵の使ひ。
原因ハと言へバ昨日の角力。其に昨夜の浜での悶着。此方独りの扱ひに、如才の在う筈ハ無けれど、根が腹立の矢先故、『女房去つて此悶着の明暗を就ける』とて、止めるも聞かぬ若気の短慮。拠所なく送つて来た。子細と言ふハ此通り」ト言ふに、小文吾貌を改め「詳細なる母御の口上、しかし親仁が留守なれバ今宵ハ如何も請取られぬ。明日出直して御座らんせ」ト愛想無き返事を押返し「夫や御言葉が違ひませう。例へ父御ハ留守にもせよ、父御の家に父御の娘戻しに来たら、留守の役『請取らぬ』とハ言はれまい。離縁と言ふハ男の意地、一旦絶てて又本へ収める工夫ハ此母が胸に思案も有るなれバ、先づ預つて」ト妙真が言ふハ『真実に理の当然』と思ひなからも、小文吾ハ
『今宵に迫る難儀の場所へ、妹なりとて留置かれず』と思案をしつゝ「コレ母御、例へお沼藺ハ妹でも、去状持たねバ其方の嫁、其一通を見ぬ間ハ」「請取られぬと言はしやんすか。房八も男の端、女房出すに去状を取らせぬ様なものでも無い。其処を出さぬが私の情け。夫とも『強て』と言はるゝなら、仍ち此処に」と、取出す一通。小文吾取つて押開き「此や去状と思ひの外、犬塚信乃が
人相書」「何と、是でハお沼藺をバ請取らぬとハ言われまい。若し此上にも得心なくバ此姿絵を村長殿へ持つて [つぎへ] 15ウ16オ
17ウ18オ
[つゞき] 出やうか」「さァ夫ハ」「夫ならお沼藺を請取つてか」「さァ/\、何と」ト妙真に問詰められて、小文吾ハ詮方無さに打頷き「言はるゝ通り去状をも、お沼藺も楚と預つた」「すりや得心で下つたか。其一言が互の為。お沼藺ハ嘸や此母を鬼とも蛇とも思やらうが、言ふに言はれぬ浮世の義理。夫も些時の内なれバ、其方の身をも大八をも大切にして必ずとも患ひ抔して給るなや。彼此言ふ内もう真夜中。私ハ此儘帰りませう。今にも父御か戻られたら良う伝へて」ト言ひつゝも、発つを見送る小文吾より、お沼藺ハいとゞ悲さに言葉は無くて伏沈むを、妙真ハ猶慰撫めて門押開けて出て行く。
[つぎのゑとき] 「誰かと思へバ山林、何用在つて夜夜中」ト咎むる犬田を尻目に掛け、房八ハ座敷の真中とつかと座つて「ヤイ犬田。『何しに来た』とハ事可笑い。昨夜の悶着の巻直し。態々方を付けに来た。小文吾汝も男なら、栞崎にて踏まれたを些ハ骨に覚へて居やう。辱めても窘めても張合の無へ腰抜を相手にするも大人気無いが、些見て措いた事もあり。夫のみならず、女房ハ追出して寄越したなれど、彼が衣装を返さねバ後日に彼此面倒故、今宵態々持つて来た。覚へ有ふ」ト懐中より取出す信乃が血付の小袖。「はつ」と驚き小文吾が [つぎへ]17ウ18オ
18ウ19オ
[つゞき]
「正しく其ハ」ト手を掛くるを、房八手早く持替へて「イヤ然う旨くハ取せまい。
昨夜入江の闇紛れ、計らず手に入る此小袖。様子を聞けバ御尋者〔の〕信乃を此屋に匿ひ置く由。其姿絵ハ御袋に最前持たせて寄越して置いた。女房去つたも巻添の祟を逃るゝ身の用心。其処らに隠した犬塚信乃、親の縄目か助けたくバ引摺出して我に渡せ。是迄の誼にハ褒美ハ己が酒
にする」「イヤ何程にほざいても、些も知らぬ。覚ハ無いハ」「然うぬかすなら、房八が奥へ踏込み癖者を」「イヽヤならぬ」と互ひの争ひ。お沼藺ハ身も世もあられぬ思ひ。二人リが中へ割つて入り「アレまァ、待つて下さんせ。今初めて聞く父さんの縄目と言ふハ何故ぞ」ト言ふをも聞かず房八が「邪魔ひろぐな」ト撲地と蹴る爪先狂ふて大八が肋骨をしたゝかに蹴付けしかバ「あつ」と一声息絶ゆるを、房八、是にハ目も呉れず「信乃ハ正しく彼一間」ト 行かんとするを留むる小文吾「ヱヽ面倒な」と房八が斬つて掛るを鍔元で受けれバ切るゝ小縒の縲絏「最早此上ハ」ト小文吾も抜合せたる刄と刄、鎬を削る其中へお沼藺ハ猶も分入つて「夫に去れ、子ハ先立て、生存へて何〔に〕せん。此身を殺して御二人の怨恨を晴して下さんせ」ト寄れど縋れど聞バこそ、鋭く打振る房八が刄にお沼藺ハ乳(ち )の下を斬られて些時も堪得ず「あつ」と叫びて倒るゝにぞ「此ハ」と驚く房八が [つぎへ]18ウ19オ
19ウ20オ
[つゞき]
隙を「得たり」と小文吾が斬込む太刀先、過たず肩を斬られて房八ハ、尻居に憧と倒るゝを、猶も「討たん」と振上ぐる刄の下に声振立て「ヤレ待て犬田、言ふ事あり」ト言ふを、此方ハ聞敢へず「ヤア卑怯なり山林。此期に及んで何をか聞かん。観念せよ」ト又振上ぐるを、房八ハ猶押留め「心の急くハ尤もながら、固より御身の手に掛り犬塚様の御難儀を救はん事ハ兼ての覚悟。事の子細を一通り聞いて下され、犬田殿」ト言はれて小文吾手に持ちし刀を畳に突立てゝ「心得難き其一言。命を捨てて犬塚氏の難儀を其方が救はんとハ」「さァ其不審も無理ならねど、是にハ深き様子あり」ト言ひつゝ苦しき息を付き「そも我父ハ美濃〔の〕国人井丹三(ゐのたんざう )直秀(なほひで)様の譜代若党なりけるが、若気の短慮に人を過ち、既に生命も召るべきを、直秀様の御情にて、故なく暇を給はりしかバ、此市川に
彷徨ひ来て、犬江屋の婿と成り、後某を儲けしが、三年後に世を去り畢ぬ。其時父の遺言にハ『我主人直秀様にハ結城に於て御討死。其娘御の手束(たづか)様ハ、御許嫁の番作様と共に武蔵の大塚に在すのみか、過し頃信乃様と言ふ御子まで儲け給ふと人伝に聞いてハ居れど、身を恥ぢて御機嫌をだも伺はず。汝ハ老後在る身故、もし縁在つて犬塚様に見ゆる時もあるならバ、命に掛けて御主人の厚き御恩を報せよ』と言はれし言葉は、些時も忘れず。然るに昨日入江にて計らず立聞く一部始終。『若し御難儀に成る事在れバ、犬塚様の御命に代つて、父の受けたる大恩を報ぜんもの』と思ひ定め。竊に様子を伺ふに、果して滸我より厳しい詮議とハ言へ、事を打明けて御身に言ふとも、請引かれじ。謀つて命を捨てるに如じ」と、母にばかりハ思ふ事告て、暇を請受けて、心にも無き敵役。栞崎の悪口も、今宵此屋へ押掛けたも、何卒御身の手に掛り、御役に立てゝ貰ひたさ。其に就ても不憫なハ事訳知らぬ大八お沼藺 [つぎへ]19ウ20オ
20ウ 奥目録
[つゞき]
我こそ死ぬる覚悟なれ、お沼藺ハ未だ廿才(はたち )に足らず。後家立てさす事が愛惜に『事に託け離縁せバ却つて彼が為ならん』と思ひし事も徒労と成り、親子三人ン同じ所で命を落す。是も過世の
約束ならん。舅殿〔の〕御嘆きも、御身の恨みも思遣り、面目無いが許して」ト心の信実打明けて、義あり勇ある言葉ハ道理り攻て哀れなりけり。
○此より第五編に至り、古那屋の段を編果〔て〕、直さま毛野の仇討に続く。めでたし/\/\/\/\/\
〈朝|鮮〉牛肉丸 〈一包|百銅〉
うちの衰へたる人\此薬を用ひて大\効あり。相変らず\御求可被下候。下谷さみせんぼり\對州屋敷 染嵜氏製
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嘉永五壬子歳新鐫藏版目録
阪東太郎後世譚 〈八編|九編〉 〈西馬作|貞秀画〉
岸柳四魔談 〈三編|四編〉 〈同 作|國輝画〉
〈倣像|水滸〉侠名鑑 〈初輯 二輯 三輯〉 樂亭西馬稿案 〓持樓國輝画圖
〈勸善|懲惡〉乗合噺 〈七編|八編〉 〈柳下亭種員作|一陽齋豊國画〉
江戸鹿子紫草紙 〈二編|三編〉 〈文亭梅彦作|香蝶樓豊国画〉
小栗判官駿馬誉 〈中本|一冊〉〈西馬編|芳虎画〉
象頭山夛宮日記 〈中本|一冊〉〈樂亭譯|國輝画〉
爲朝弓勢録 仝 〈 同 | 同 〉
東都馬喰町二丁目西側 〈書物地本|繪草紙〉問屋 山口屋藤兵衞
〔後ろ表紙〕
後ろ表紙