『今様八犬傳』(二) −解題と翻刻−
高 木   元 

【解題】

前号に引き続き正本写『今様八犬傳』の三編と四編とを紹介する。

三編は「冨山の段」と滸我の「芳流閣の段」を描くが、初編二編と同様に、歌舞伎上演に相応しくかなり大きく改変されている。冒頭で伏姫の回想として八房と共に冨山で隠棲する顛末が語られ、金碗大輔を八房の霊が人間として姿を現したものとし、八つの玉が飛散するまで筋を運ぶと、これらの発端の一切は犬坂毛野の夢だったとなる。滸我の館では、生き延びていた山下定包が勅使として乗り込み村雨丸を奪おうとするなど、お家騒動風に改作している。四編では「古那屋の段」が描かれるが、此方は比較的原話に近い。原作自体が古那屋の一室という一場面で展開する歌舞伎的な設定であった所為であろう。

現在、この嘉永五年の脚色では上演される事がないが、原作を改作して脚色した歌舞伎狂言としては、実に良く出来ていると思われる。

さて、嘉永五年正月の市村座上演に際しては、特に多くの役者似顔を用いた錦絵が出されていた。それらに用いられている役者似顔は正本写と共通しているようで、「芳流閣の段」では、初代板東しうかの犬塚信乃、三代関三十郎の犬飼現八となっている。ただし、錦絵や原本の薄墨板が作り直された後印本に見られるような夜の場面とは書かれていない。

さて、四編下冊の15ウ16オと16ウ17オとが錯簡していて逆順になっている。仍ち本文と挿絵は15オから16ウ17オに続き、それが15ウ16オに戻ってから17ウへと続いているである。おそらく板下の作成段階で丁付を誤ったものが、そのまま彫摺されて製本されたものであろう。本稿では筋が繋がる順に直して翻刻した。

【書誌】
 三編

編成 中本 四巻 上下二冊 十七・七糎×十一・六糎
表紙 錦絵風摺付表紙「今様八犬傳」「三編上(下)」「爲永春水作」「一勇齋國芳画」「錦耕堂紅英堂合板」
見返 (上冊)「今様八犬傳第三編上巻」「爲永春水作」「一勇齋國芳畫」「紅榮堂錦耕堂合鐫」「國芳女とり画」
    (下冊)「いまやう八けん傳第三へん下のまき」「しゆんすゐさく」「くによしゑがく」「つた吉山口はん」「國よし女とり画」
序末 「嘉永壬子後のきさらき 爲永春水誌」
改印 [村松][福][子閏](一オ・十一オ)
柱刻 「八犬傳 三編(〜二十)
匡郭 単辺無界(十五・三×十・四糎)
刊末 「春水作」「國芳画」(十ウ)\「爲永春水作」「朝櫻樓國芳画」(二十ウ)
諸本  慶應義塾図書館(202-508-1-2)・東京大学総合図書館(E24-1019)・麗澤大学田中・館山市立博物館・専修大向井・架蔵
備考 見返の「とり女画」は見返の画工名で歌川国芳の娘である。

 四編

編成 中本 四巻 上下二冊 十七・八糎×十一・八糎
表紙 錦絵風摺付表紙「今樣八〔犬の絵〕傳」「四編上(下)」「爲永春水作」「一勇齋國芳画」「紅英堂錦耕堂合板」
見返 (上冊)「今樣八犬傳四編上」「爲永作」「一勇齋画」「山口版」「國芳女とり画」
    (下冊)「いまやうはつけむでん」「四編下のまき」「春すゐさく」「國よしゑかく」「紅英錦耕両梓」「とり女画」
序末 「嘉永五歳閏月吉辰 爲永春水識」
改印 [米良][渡邊][子三](一オ)、[米良][渡邊](十一オ)[子三](二十ウ)
柱刻 「八犬傳四編(〜二十)
匡郭  単辺無界(十五・四×十・五糎)
刊末 「國芳画」「春水作」(十ウ)\「爲永春水作」「一勇齋國芳画」(二十ウ)
諸本 慶應義塾図書館(202-508-1-2)・東京大学総合図書館(E24-1019)・専修大向井
備考 「とり女」は国芳の娘。下巻末に年月印のみ存。

【凡例】

仮名遣いや清濁などは原文通りとしたが、読み易さを考慮して以下の諸点に手を加えた。
 ・序文以外の本文には、漢字を宛てて私意的解釈を示し、原文は振仮名として残した。
 ・原文の漢字に振仮名が施されている場合は、( )で括って示した。
 ・原文の漢字直後に割り書きで訓みが示されている箇所はそのままにした。
 ・本来「ハ(バ)」は平仮名であるが、助詞だけは「ハ(バ)」のままとした。
 ・原文には一切使用されていない句読点を補った。
 ・「なにゝ」を「なに〔に〕 」の如く原文にない文字は〔 〕で括った。
 ・本文中の飛び印▲▲■■など)は省略した。
 ・全丁の挿絵を掲げ、本文と参照するために丁数を示した。
 ・底本として慶應義塾図書館蔵本を使用させて頂いた。ただし、破損していた三編四丁は家蔵本に拠った。


三編表紙

 表紙

序・見返

  見返 1オ
〔見返〕
今様八犬傳\第三編上巻\爲永春水作\一勇齋國芳\畫\紅榮堂錦耕堂合鐫\國芳女\とり画

〔序〕

作物つくりもの気易き やすさハ。さていまのハゆめであつたつて仕舞し まへ發端ほつたんが。何処ど こいてても一向いつかうかまはず。决句けつ く道具だう ぐ目先め さきかはつて。冨山と やまだんなが文句もん くを。みじかすれバあきず。ハさりながら俚諺ことわざにもうまものふたやまはあれども。いぬばけたハ前代ぜんたい未曽有み ぞ う。しかしくだん八房やつぶさかの玉梓たまづさ怨霊おんりやうなれバさもあるべしとはゞ言はん。されども賢女けんぢよよばれしひめが。たとひゆめでも畜生ちくせうに。けがされてはめうならず。ヽ大ちゆだいとなるべき大輔だいすけはらきつてもおかしからねバ。夫等それ らくだり翻案ほんあんして。トントあたつた鳥銃てつほうの。目度め どはづさぬ作者さくしや用心ようじん看官みるひとよろしくすゐもじあれ。

  嘉永壬子\後のきさらき

爲永春水誌 [印] 1オ 

口絵第一図

 1ウ2オ

 金碗かなまり大輔だいすけ じつ 八房やつぶさいぬ再出伏姫ふせひめ

口絵第二図

 2ウ3オ
 再出 信乃しの再出 見八けんはち

〔本文〕

  3ウ4オ

[こゝのゑとき]  冨山(とやま)おくくさの屋に、くさ敷寝しきねの伏(ふせ)ひめが、今をさかりとさきそろふ、うめこずへをつく%\と、うちながめつゝ独言ひとりごとときたがへぬ此はなの、さきしをれバ何時いつしかに、今年ことしはるりしよな。ほんにおもへバ伏姫ふせひめハ里見(さとみ)むすめうまれながら、此有様ありさまおやため当時そのかみ父上ちゝうへ義実(よしさね)朝臣あそん、安西(あんざい)景連かげつらしろかこまれ、兵糧ひやうらうともしきときなれバ、味方みかた難儀なんぎおよひおりから、八房(やつふさ)いへ飼犬かひいぬに『なんぢ景連かげつら噛殺かみころし、おほくの味方みかたすくひなバ、むすめ婿むこになさん』とありし御戯おんたはむれを、真実まこと〔と〕おもひ、その夜くだんの八房やつぶさが、景連かげつら首級くびかへりしゆゑ味方みかたいのちたすかるのみか、安房(あは)一国いつこくおん手にれども、景連かげつら一味いちみせし、麻呂(まろ)信時のぶとき、山下(やました)定包さだかねかこみのうち切抜きりぬけて落失おちうせしより行方ゆくゑれず。彼等かれらも名に曲者しれものなれバ、『如何いかなる手だてしもやせん』と味方みかたこゝろやすからず。それさへあるに、このまたあの八ッぶさともなはれて、この山奥やまおくに、はやとせすぐる月日のそのうちも、片時かたときわすれぬ父上ちゝうへ母上はゝうへ、いとなつかしくこひしさに、彼方あなたそら三吉野みよしの〔の〕田面たのもかりもあらざれバ、ふみ便たよりもならバこそ。それつけてもはゝさまさぞなげきて御座おはすらん。おもほそりて持病ぢびやうなどおこりハせぬか、御労おいたはしや。過世すくせ如何いかな る悪業あくがうにて御恩ごおんうけ二親ふたおやに、かくまでものおもはする。不孝のつみなにとせん。如何いかにすべき」ふししづみ、些時しばしなみだくれけるが、思直おもひなほしてなみだはらひ「嗚呼あゝわれながらおもふハ愚痴ぐちうめこずへうぐひす法法華経ほうほけきやうこゑも、此身にしめのりみちびき。もう八ッぶさかへころ些時しばしでも御仏みほとけつかゆることのおこたりてハ [つぎへ] 3ウ4オ

  4ウ5オ

[つゞき]  かへ姿すがたその甲斐かひなし。何時いつものとほ法華経ほけきやうを」 傍辺かたへきし経巻(きやうくわん)ひもほどきておしひらき、しづかに読誦どくじゆなすおりから、はる彼方あなた山道やまみちより、牛(うし)ひいたる一人ひとりの童子(どうじ)はなかた手にうたひつまひおどくるふていできたり。「コレまう伏姫ふせひめ殿どのこのはるの日にはなも見ず、今日けふかはらず法華経ほけきやう読誦どくじゆしてか」 とひかけられ、ひめしづかに見かへりて「人跡じんせきたへたるこの山へ、年端としはかぬ身をもつやるだに心得こゝろえぬに、ついぞ見らぬわしが名をつてたづぬる其方そなたハや」「アイわしこのやまふもとすまふ医者(いしや)弟子でし師匠しせうさまいひつけくすりりにこのやま毎日まいにち/\ゆへに、御前おまへらぬとはしやつても、わしつてりまする」 ふに伏姫ふせひめ進寄すゝみより、 「さてハ、其方そなた師匠しせうさま医者いしやとあれバ、其方そなたも又ひとやまひつて〔で〕あらう。わしこのほどより、なにとやらはらあたりがふくだみて、ものしうおぼゆるハ如何いかなるやまひぞ。おしへてたも」「そりはずともれた懐胎くわいたいはや臨月(りんげつ)であるぞへ」とふ。こらへずうちわらひ「如何いかおさなものじやとて、わしにハおつといものを」「いやつましとハはれまい。おやゆるした八房やつぶさいぬすなは御前おまへおつと」「イヤ/\かれわがつまならず。この奥山おくやまともなはれてより、ながとしおくれども [つぎへ] 4ウ5オ

  5ウ6オ
[つゞき]  おんきやう読誦どくじゆ威徳いとくりて、さいわいに身をけがされず。それこの懐胎くわいたいとハ」「さァその不審ふしんことはりながら、もとよりわし師匠ししやうさまやまひなほすばかりでく、人の身の吉凶(きつきやう)をもうらなふが生業なりはひゆへかね御前おまへの身をりて、常々つね%\わしへのはなしにハ、もと八ッぶさの犬とふハ、御前おまへ父御てゝごに身をほろぼされし淫婦(いんふ)玉梓(たまづさ)怨霊おんりやうなれバ、さとおや子をまではづかしめんとおもへども、おんきやう威徳いとくりて、身をけがすことつひあたはず。されどもかれおん身をてより、こゝろおのれつまおもひ、御身おんみかれあいし給ふ。たがひにその(ぜう)あいかんずれバ、たとはだをバれずとも、懐胎くわいたいせずとハはれまじ。わし手折たおつたこのうめひとつのはなに八ッのむすぶがゆへ八房やつぶさふ。おん身のはらこのごと胎内たいないなるハ八ッ子なり。しかハあれどもかんずるところ、じつならずしてはらめるゆへその子ハまつた形成かたちつくらず、かたちなくして此処こゝうまれ、うまれてのちに又うま〔れ〕る。これ宿縁しゆくゑんいたすところ、 後々のち/\[二の巻へ] 5ウ
[一の巻より]  いたりなバ、その各々おの/\智勇ちゆうありて、さと見のいへたすけとらん。されどもいま悪業あくがうめつせず。かの八房やつぶさハ今もなほ 御身おんみしたこゝろふかく、それゆへにこそ、その往古むかし役行者ゑんのぎやうじやたまはりて おん身の所持しよぢなすその珠数じゆずに、はじめハ仁義八行(じんぎはつこう)の八ッの文字もんじあらはれしが、今見るところハ如是畜生によせちくせう発菩提心ほつぼだいしんの八字にかはれり。やがておん身の善果(ぜんくわ)よりて、珠数じゆず文字もんじはじめごとく仁義(じんぎ)八行はつこうはち字にとき [つぎへ]6オ

  6ウ7オ
[つゞき] ともに果(くわ)て、煩悩ぼんのうの犬もたちま菩提ぼだいるべし。ふべきことこれまでなり。なほこゝろおこたく、道心だうしん堅固けんごにせられよ」ひつゝうしれて、彼方あなたみちへと急行いぞぎゆく。ひめ童子どうじ後影うしろかげ些時しばしおくをりしも、何処いづくともなく一人ひとり若者わかものあらはでて、つかへ「姫君ひめぎみこれしますか。それがしことハいへ忠臣ちゆうしん金碗かなまり八郎がせがれにて、同名どうみやう大介とまうものかね拙者せつしやハ東條(とうでう)しろあづかまかりあれバ、おんおぼへ候まじ。しかるに不慮ふりよことき、おんちゝぎみよりつみかうむり、今宵こよひ(いぬ)こくかね合図あいず切腹せつぷくなしてはつる身の、もとより覚悟かくごうへながら、申もはゞかおほけれども、姫君ひめぎみ拙者せつしやとハおさなときより、おんちゝぎみ御許おゆるしありし許嫁いひなづけ、あの八房やつぶさともなはれ、このおくへましませしを、いと口惜くちをしくハおもへども、それよりのちハ此山へ、人の 行交ゆきかことかなはねバ、無念むねんの月日をおくりしが、今ハこの世にそれがし、せめて臨終いまは姫君ひめぎみかほ一目ひとめまいらせ、それこの世の思出おもひでに、切腹せつぷくいた覚悟かくごゆへおきてやぶつてこの山へ、わけのぼりたる拙者せつしやこゝろ、御推量すゐりやうあれひめうへひつゝきつと見あぐれバ、伏姫ふせひめたゞ茫然ぼうぜんこゝろさらに身にはず、おとこかほ熟々つく%\うち見とれつゝたりしが「ても可愛かはゆらしい殿とのり。其方そなたとしいくつじや」「拙者せつしや今年ことし廿二さい。五ッのとしちゝ八郎が切腹せつぷくなせしそのときより」「其方そなたわらは許嫁いひなづけありし様子やうすくよりも、いたい見たいこひしいと思焦おもひこがれてたものを、かほ見せてたもつたの。おやゆるした夫婦めうとなり、なん遠慮ゑんりよがあるものぞ。此方こちりやれ」手をれバ「たと御許おゆるしありとても、道心だうしん堅固けんご姫上ひめうへの、手にれてハ御仏みほとけの」「よしばつかうむるとも、こひにハ如何どふへ られぬ。いま用無ような袈裟衣けさころも法華経ほけきやう読誦どくじゆほつとした。これからハ百ねんも千ねんも万ねんも、其方そなた夫婦めうとりたいねがひ、かならかはつてたもるなや」袈裟けさ脱捨ぬきす〔て〕寄添よりそへバ「その言葉ことば〔は〕 [つぎへ]6ウ7オ

  7ウ8オ
[つゞき]  かたじけなけれと、拙者せつしや今宵こよひ切腹せつふくしてはてねバらぬ身なるゆゑ、せめてハ拙者せつしやあとにて不憫ふびんおぼさバ、一遍いつぺんの」「回向ゑかうい とハ強欲ごうよくな。なねバらぬことならバ、わらはともころしても」「イヤそうあつてハ不忠の不忠ふちう最早もはや近寄ちかよいぬ上刻じようこく拙者せつしや此儘このまゝ御暇おいとまひつゝつを押隔おしへだて、くをらじとあらそほどに、如何いかにやしけん伏姫ふせひめハ、脇腹わきはらてうあてられて、ウンひつゝたをる〔る〕を、男ハ見〔て〕二足ふたあし三足みあしかんとせしが、たちもどひめほとりさしつて、かほ熟々つく%\うちながめ「てもあてやかなこの面差おもざしわれこれまでおもひをこがせと、畜生ちくせうの身のあさましさハ、近寄ちかよこともならざりしが、今こそたす日ころおもひ。あら心地こゝちうれしや」ひめを小ひざいだげ、やゝたはむれんとするところを、伏姫ふせひめきつを見ひらき「慮外りよぐわいなり。おのれ八房やつぶさ法華経ほけきやう読誦どくじゆ威徳いとくかんじ、菩提ぼだいみちに帰依(きえ)せしと、おもひのほかの、この有様ありさまそれさとつて最前さいぜんから、こひことためせしところ、しゆうあざむこの次第しだいその煩悩ぼんのうたちつて仏果ぶつくわしや八房やつぶさ」とひつゝ珠数じゆずふりげて、発止はつしつたる奇徳きどくたがはず。おどくるふて八房やつぶさハ犬の姿すかたあらはしつゝ、はじてやかしらさげり。そのときひめハ手にちし珠数じゆずふたゝとりなほし、熟々つく%\見つゝ 莞尓につこわらひ「いまいままでこの珠数じゆず如是によぜ畜生ちくせう文字もんじりしに、たちまち仁義八行はつこうはじめの八字にりたるハ、さてハ童子(どうじ)おしへのごといぬ菩提ぼだいに入りたるか。いまこのながらへて、畜生ちくせうたね宿やどせし、とはるゝときハ、身のはぢのみか、おやはぢ。又いへはぢこのうへ自害じがいして畜生ちくせうだうのがれ、弥陀みだの報土(ほう と)おもむかん。八房やつぶさ其方そち覚悟かくごしや。南無阿弥陀仏なむあみだぶつとなへもあへず、したゝきし書置かきおき[つぎへ]7ウ8オ

  8ウ9オ
[つゞき]  くちくはへて懐剣くわいけん左手ゆんではら突立つきたつる。そのときおそこのときはやし、彼方あなたしげみし山かげより筒音つゝをとたかうち鉄砲てつぽうねらたがはず八房やつぶさのどたれて、些時しばしもあらずけぶりとも息絶いきたゆれバ、ほどもあらせず彼方あなたより、鉄砲てつぽうひつかけ若者わかものこの有様ありさまを見て吃驚びつくりヤア姫君ひめぎみにハ御生害ごしようがいはやまつたことあそばせしな。かく拙者せつしや金碗かなまり大介、『犬をころして姫上ひめうへ何卒なにとぞすくまいらせん』とおもひし忠義ハ不忠ふちうと成り、今ハかへらぬおん有様ありさまこのうへそれがしおきてやぶり此山へ分登わけのぼりたる申訳もふしわけに、とも鈍腹どんばら掻捌かつさばき、冥土めいどおんともつかまつらん」かたなつかに手をかくるを「あれまァちや」伏姫ふせひめとゞめてくるしきいきをつき「わらは其方そなた父上ちゝうへより御許おゆるしありしことさへあるを、此処こゝ二人ふたりときハ『情死(ぜうし )したり』とわけらぬ人の誹謗そしりまぬがれず。それのみらず、八房やつぶさともなはれてより此とし月、はだ身ハさら/\けがされねど、はらならぬ宿やどせし。これ過世すくせ悪業あくがうなれバ、今いさぎよ生害しようがいして後世ごせたすかるわが覚悟かくご委細いさいことハ此ふみかねしたたおきたれバ、其方そなたやかた立帰たちかへ父上ちゝうへ[つぎへ]8ウ9オ

  9ウ10オ
[つゞき]  母君はゝぎみわらはうへをもこのふみをもつたへてべ」 ひつゝもくちくはへし一通いつつうわたせバ、大介押頂おしいたゞき「ことけたるそのおふせ、さてぬにもなれぬか。此うへたぶさり身ハ墨染すみぞめ姿すがたとなり、犬におとりし大介が、犬とふ字を其儘そのまゝに、名をもヽ大(ちゆだい)あらためて、姫君ひめぎみおんあといまよりとむらたてまつらん」とふに、伏姫ふせひめよろこびて「最早はや是迄これまで短刀たんたう右手めてへつゝひきまはせバ、さついでたる血汐ちしほともあやしむべし、傷口きずぐちより一朶(いちだ)の白気(はくL)閃出ひらめきいで、伏姫ふせひめゑりけたる珠数じゆずつゝみて虚空なかぞらのほると見へしが、忽地たちまち珠数じゆずなかよりふつつれて文字もじなきたまハ地上(ちしやう)おち、又、文字もんじある八ッのたま白気はくきとも光明ひかりはなち、八方へとびせて、ついあとくなりし。と見へしハこれなむ南柯(なんか)ゆめにして、此処こゝところ相模さがみなる磯辺いそべの松につりれたる紙帳(しちやう)はねけ、一人ひとり若衆わかしゆうちおどろきつゝ立でて、あたりをきつと見まはしつゝ「さてハ今のハゆめであつたか。ほんおもへバわが身こそ、千葉家(ちばけ)譜代ふだいいち老臣らうしん粟飯あい胤則たねのり忘形見わすれがたみ東国とうごく犬坂の里にてうまれしゆへ、犬さか毛野(けの)とハ名告なのれども、今ハその名をおしかくし、乞食こつじき非人ひにんと身をやつすも、ちゝ仇敵かたきかねく 馬加(まくはり)こみ山両人うつうらみをはらさん手だてそれけても今の夢、『往昔むかしさと見の姫君ひめぎみ山におい然々しか%\ことありし』とハ、なきはゝ物語ものがたりにて〔き〕つるが、今宵こよひはからず [つぎへ]9ウ10オ

  10ウ 奥目録
[つゞき]  このいぬ(づか)ほとり些時しばし仮寝かりねして、まざ/\見しもいぶかしき。かね秘蔵ひそうわが玉に自然しぜんあらはす智(ち)一字いちじかれすなは八房やつぶさの犬。此処こゝハ犬づかわれハ犬さかそんならもしやこの玉が」守袋まもりぶくろおしひらき、玉をとり熟覧うちまもる。背後うしろうかが一人ひとり野伏のぶせり「どふやら金目かねめ代物しろものさしす手さきふりはらひ、もつたる柄杓ひしやくはたらかして、些時しばしあしらひなげいだし。又かのたまを手にせて、ためつすかしつながる。

春水作     
國芳画 10ウ 

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 藏版新刊珎奇雜書略目録

 遊仙沓春雨艸紙ゆうせんくつはるさめざうし 〈十一編|十二編〉 緑亭川柳作 一陽齋豊國画

 田舎織糸線〓衣いなかをりまがひさごろも 〈四編|五編〉 仝作 同画

 天〓太平記てんろくたいへいき 〈初ヨリ|追々出板〉 仝作 一勇齋國芳画

 奇特百歌仙きどくひやくかせん  同断 仝作 一立齋廣重画

 畸人百人一首きじんひやくにんいつしゆ  全一冊 仝案 同畫

 狂句五百題きやうくごひやくだい  全二冊 五代目 川柳著

  東都書房  南傳馬町一丁目 蔦屋吉蔵板 」奥目録

三編下巻

  見返 11オ

〔見返〕
「いまやう八けん傳\第三へん下のまき\しゆんすゐさく\くによしゑがく\つた吉山口はん」「國よし女とり画」

〔本文〕
滸我こ がやかただん  「さァ/\勝負せうぶハ見へました。弥生やよひさまこのほどから稽古けいこゆへか、一気ひとき御上達ごしようだつ今度こんどわたしあい手に」ふを一人ひとり押隔おしへだて「イヱ/\いまのハ如何どふあつてもわたしけでハ御座ござんせぬを、つい御畳おたゝみ蹴躓けつまづおもはぬ不覚ふかくつたのハ、上手じやうずの手からみづとやら。わたしハ小太刀ばかりでない。長刀なぎなた素鑓すやり鎖鎌くさりがま相撲すもふ捕物とりもの、まだほかよる臥所ふしど組討くみうちまで、わたし得物えもの。もうひと手、さァ立合たちあふて」女中たちが、たがひに小太刀を押取おつとりてちつたるゝ 稽古けいこ最中さいちう、犬かひ見八(けんはち)いもとのおむつ、思案しあんたら/\いてきたるをあい手と間違まちがへ、女中たちうつかゝれバ、おむつハおどろみぎひだりへ身をかはして「こりや貴女あなたがたわたくしなんと遊ばしまするのじや」はれ て気付きのつく女ちうたち [つゞき]11オ

  11ウ12オ
[つゞき]  「たれかとおもへバこなさんハげん殿どの〔の〕御妹おいもとたとたれでも何方どなたても、今戦国せんごく沿俗ならひにて、女子おなごなりとて小太刀のひと心得こゝろえらいでハ、要緊まさかときやく〔た〕ぬ。それゆへの此稽古けいこ邪魔じやましなさんすとゆるさぬぞへ」「まつた邪魔じやまいたしませねど、わたくしあにけん八ハこのほどよりしてひと屋のくるしみ。何卒なにとぞゆるしあるやうにとしたゝまいつたこの願書ぐわんしよ貴女あなたがた執成とりなしで、何卒どふぞこのを在村(ありむら)さまへ」「イヤそのねがひハ如何どふあつても取次とりつことあいらぬ」ひつゝおく一間ひとまより、づつと立あらくれをとこ、おむつハおどろき見かへりて「貴殿あなたハ手児那(てこな)四郎さまこの御願おねがひがかなはぬとハ」「をゝさ、かなはぬ。その子細しさいなんぢあにの犬かひけん八、かねて二かい山城やましろの介が印可いんかまき所持しよぢ [つゞき]11ウ12オ

  12ウ13オ
[つゞき]  しながら、在村ありむら殿どのより『さしげよ』とある上意じよういいなみ、かへつてその身のいとまねがふハ、かみかろしむ大罪人だいざいにんなりや、縛首しばりくびれたこと。とてもかなはぬ願立ねがひだてそばで見るさへ笑止しやうし千万せんばんとハふもの〔の〕コレおむつ、其処そこ下世話げせわとふり、魚心うをごゝろりや水心みづごゝろかねて身どももふしたことツイおう』とさへふて見や、あり殿どの執成とりなしてあにいのちたすけてやる。どふじや/\」とひれバ、おむつハ屹度きつかたちあらため「そりや、何事なにごと御座ござります。もとわたくしいへむすめけん殿どの養子やうしゆへ、『ゆく/\ハ夫婦めうとに』とおやゆるした言葉ことばもあれバ、祝言しうげんいたさねと、〔ば〕ぬしあるわたくし御嬲おなぶりなさるもほとがある」「イヤなぶりハせぬ。真実しんじつ本真ほんまそれともいやなら、そのねがとりことおれいや」 「おつしやらずと何卒どふぞまァ」「そんならおうか」「さァそれハ」言葉ことばなかばむかふより「御勅使おちよくしさま御入おんいりよばはるこへに、四郎ハおどろき「わるところ勅使ちよくしいりなるならぬハのちく。つぎたちやれ」おひてられ、おむつハちからなげくびして、なみる女ほう諸共もろともに、うちつぎつてく。 おりしもおく一間ひとまより、当家とうけの執権(しつけん)横堀よこぼり在村ありむらふすまおしいできたり。「『勅使ちよくしいり』とあるからハ、いざ出迎でむかつかまつらん」ふに、四郎も会釈ゑしやくして両人むかふ。そのところほどもあらせず、いり勅使ちよくし在村ありむらつゝしんで「勅使ちよくしさまにハ遙々はる%\みやこよりのおんくだり、遠路ゑんろのところ御苦労ごくらう千万せんばん主人しゆじんなりおん出迎でむかひに罷出まかりいづはづなれども、所労しよらうおかされ、そのうへ俄頃にはかことゆへものへず、略儀りやくぎだん真平まつひら/\。すなは当家とうけ一弐の郎党らうどう横堀よこぼり刑部(ぎやうぶ)あり村」「手児名てこなの四郎頼国よりくにおん出迎いでむかつかまつる。いざまづ彼処あれへ」のべけれバ、勅使ちよくし莞尓につこうちみて「誰々たれ/\出迎でむか大儀たいぎ役目やくめおもてゆるしやれ」とふりてむれバ [つぎへ]12ウ13オ

  13ウ14オ
[つゞき]  あり村ハまた手をつかへ「たゞまうしあぐごとく、なり所労しよらうに候へバ、御勅定おちよくぜうおもむきを、はゞかりながら拙者せつしやめにおふせきけくださるやう、ひとへねがたてまつる」ふに、勅使ちよくしうなづきて「なり所労しよらうとあるからハ名代みやうだいたる其方そのほう詔詞みことのりつたきかさん。そも麻呂まろが名ハ山かげ納言なごん有教(ありのり)よばれ、此度このたび東国あづま歌枕うたまくらつい滸我こがたちり、『なり氏につたへよ』ある勅命ちよくめいにハなり関東くわんとう管領くわんれいりしより、東国とうこく無異ぶいおさまること、みななり氏がこうとあつて、此たび四位(しい)の少将(しやうせう)じよせられ、つ左馬(さま)かみにんぜらる。よつて天盃(てんはい)たまはるものなり。されどもなり氏の父、さき管領くわんれいもち氏が所持しよぢなせしとある村さめ名剣めいけん叡覧ゑいらんそなへよ』先達さきだつてより勅命ちよくめいあれども、今においさしあげげず。此義もしか相糺あいたゞし、かの一振ひとふりをも有教(ありのり)に『うけとりよ』との詔詞みことのり早々はや/\御太刀みたちわたされよ」ふに、ありすゝで「勅定ちよくぜう御旨おんむね委細いさい承知しようちたてまつれど、かの村雨むらさめ一振ひとふりたゞもつ行方ゆくへれず。此義に当惑とうわくつかまつる」「すりや村さめあらずとな。かの一振ひとふり当家とふけ重代ぢうだい叡聞ゑいぶんまでいりたるを、今さら御太刀みたちなしいは〔ば〕そのつみ違勅いちよくことならねバ、天盃(てんはい)なんどハおもひもよらず。麻呂まろさまみやこたちへ、此よしみかど奏聞そうもんせん」といひつゝたゝんとするおりしも「御勅使おちよくし些時しばら御待おんまちあれ。 病中びやうちうながらなり氏がおし御目おんめかゝらん」一間ひとまふすまおしけて静々しづ/\いづ当家とうけ主人あるじ勅使ちよくしむかつて一礼いちれいし「勅定ちよくぜうおもむき彼処あれにて逐一ちくいちうけたまはる。もつと村雨むらさめ一振ひとふりいへ重代ちうだい宝物たからなれども、『結城ゆふき落城らくぜうそのみぎりわがあにしゆんあん王のかしづき大つかせう作といへもの御太刀みたちいだきておちし』といへど、かれハ美濃(みの)金蓮寺きんれんじなるおきてにはにて討死うちじにし、その子犬づかばん作ともの、今も御太刀みたち守護しゆごよし近比ちかごろほのかうけたまはれども、それさへいま在処ありかす〔し〕らず。これよつ先達さきだつてひやく日のおんのべ[つぎへ]13ウ14オ

  14ウ15オ
[つゞき]  ねがおきしに又ぞろ。勅使ちよくし何卒なにとぞ執成とりなしあつて、今しばら猶予ゆうよを」「イヤ百日とねがはれた日ぎり最早もはやこんかぎり、猶予ゆうよいたさバかみへのおそれ」「其処そこ何卒なにとぞ、今些時しばしたがひに問答もんどうはてき。かゝおりしもつぎより一人ひとりさむらひたちいで〔て〕たゞ今、犬づか信乃しのもの『村さめ丸のことき、あり殿どのおんかゝ申上まうしあげたきことあり』とて、此迄これまで参上さんじやうつかまつりぬ。如何いかゞはからひ候はん」ふを、なりうちきゝて「ありおぼことか」はれて、あり村手をつかへ「如何いかにもさく武蔵むさし住人ぢうにんづか信乃しのとかへる小童こわつぱ拙者せつしや屋敷やしき罷越まかりこし、『おや由緒ゆいしよ申立まうしたて、村さめ丸の一振ひとふりたてまつりたし』まうせしかども、なにとも胡乱うろんぞんぜしゆへいまきみへも申上まうしあげず。しかるを此迄これまで推参すいさんでうかみおそれぬにつく曲者くせもの、今さら対面たいめんいたすにおよばぬ。とく/\其奴そやつおひかへせ」いふを、なりおしとゞめ「たと胡乱うろんものにもせよ、『村さめ丸を持参ぢさん』とあるを、わけたゞさずおひかへすとハ、あり其方そちにも似合にあはぬ仕方しかたまづそのもの此処これべ。はやく/\」いそがすれバ、かのさむらひ心得こゝろえつぎしてりけるが、ほどなくいで犬塚いぬづか信乃しの衣服いふく上下かみしもしとやかに御前ごぜん間近まぢか平伏へいふくすを、なり氏ハきつと見て「其方そのほうこと武蔵むさし住人ぢうにん犬塚いぬつか信乃しのとやらんなるか。村さめ丸を持参ぢさんよし由緒ゆいしよ如何いかに」とひかくれバ、信乃しのおめたる気色けしきく「それがしことハ、おん兄君あにぎみしゆんあん王両公達きんだちおんかしづきをあいつとめし大つかせう作が一子犬づかばん作がせがれにして同名どうみやう信乃しのよばるゝもの往古そのかみわがばん作ハせう作が遺訓おしへしたがひ、村さめ丸を守護しゆごして結城ゆふきしろ切抜きりぬけつ、 美濃国みのゝくに金蓮寺きんれんじにて両公達きんたちうたたまひ、せう作もまたうちにせしときばんそのきりつて太刀野武士のぶしきりたをし、きみおやとの三つの首級しるし奪取うばひとりつゝ、そのあたり野寺のでらひそかほうむりしが、そのとき戦闘たゝかひ番作ばんさく痛手いたでおひしよりつひ廃人はいじんりしかバ、村さめ一振ひとふり守護しゆこすのみにて名のりいでそのまゝにして身罷みまかおはんぬ。それがし物数ものかづらねども父の今際いまは遺言ことばまもり、『その一振ひとふり我君わがきみたてまつらん』とぞんぜしゆへ遙々はる%\当所とうしよ罷越まかりこし、今朝こんちやうやいばぬぐはん』とさやはなせバ、如何いかに、何時いつほどにか掏替すりかへられ、てもつかぬ [つぎへ]14ウ15オ

  15ウ16オ
[つゞき]  鈍刀なまくらゆへうちおどろくのみ。詮方せんかたく、まづよしあり殿どの申入まうしいれんとぞんぜしゆへ横堀よこぼり氏の屋敷やしきまいれバ、はや出仕しゆつしとのことなるゆへ是非ぜひ此処これまで罷出まかりいで、きみつかまつるも、面目めんぼくき身の誤謬あやまり元来もとよりくだんの村さめ丸にハ、年来としごろこゝろかくものり。すれバぬすみしそのものそれさとつて候へバ、些時しばし猶予ゆうよたまはらバ、一先ひとまづ故郷こきやうたちかへり、首尾しゆび御太刀みたちとりかへして、ふたゝ見参けんざんつかまつらん」ふに、おどろなり氏よりあり村ハなほこゑふりて「当初はじめよりしてかくあらんとおもひしゆへきみにもつげず。しかるを由緒ゆいしよ申立まうしたて、おし御館やかたいりむハてき間者かんじやうたがし。ものどもかれいましめよ」と言葉ことばしたより数多あまたの女中、じつ手にかへ一枝ひとえだはな各々おの/\うちりて「てもうつくしい若衆わかしゆぶり上意じやういなれバ御前ごぜんくみうち。手なみを見する、覚悟かくごしや」うつかゝるをかはし「各々おの/\狼藉らうぜきたまふな。たとひ御太刀みたちうしなふとも、由緒ゆひしよたゞしき信乃しの戌孝もりたか間者かんじやなど 〔と〕おもひもよらぬ。何卒なにとぞ些時しばし猶予ゆうよを」いはせもあへず、女中たちが又うちかく花嵐はなあらし信乃しの是非ぜひ身構みがまし、近寄ちかよる女中をつき退なげ退広庭ひろにわして [四の巻へ]15ウ [三の巻より]  かけいづれバ、あり村ハこゑふるはし「彼奴きやつにがしてハ当家とうけ瑕瑾かきん手児名てこなの四郎ハ力士(りきし)いひけ、はや信乃しの絡捕からめとれ」ふに、四郎ハ心得こゝろえぶがごとくにはせきける。 そのとき勅使ちよくし有教(ありのり)(きやう)主従しじう様子やうすうち〔き〕て「如何いかありうけたまはれ。なんぢまこと主家しうかおも〔バ〕信乃しのとやらんが『村さめ持参ぢさんせし』といひれたるときたと胡乱うろんものにもせよ、しか実否じつぷたゞしなバ、村さめ詮議せんぎいだす手がゝりともるべきを、主人しゆじんにもつげしらさず、そのまゝきしハ不忠なり。今かの一振ひとふりときハ、なり殿どの〔の〕身の破滅はめつ主人しゆじん罪科とがを身にけて、何故なぜ切腹せつぷく御為おしやらぬ」いはれて、ありぱつ平伏ひれふし「拙者せつしやいのちすつるをもつて、村さめ丸のおんのべ仰付おふせつけられくださらんとなら、皺腹しはばらひとつをなにおしまん。いで此うへハ」差添さしそへひきき、はらへぐさとつきつれハ、勅使ちよくしきつかたちあらため「あり村、罪科つみを身にひきけて切腹せつぷくしたる忠義にで、村さめ丸を詮議せんぎまで些時しばし猶予ゆうよハ、京都みやこかへり、よしなに奏聞そうもんいたしてさせん。此うへなり殿どの、天盃(てんはい)頂戴ちようだいありて、忠義の武士ぶしにもあたへられよ。はやく/\」ありけれバ [つぎへ]16オ

  16ウ17オ
[つゞき]  なり氏「はつ」とけて「家来けらいの忠死にでられて、身不肖ふせうそれがしに、天盃てんぱいまでもくたたまはみかどの至恩(せい  おん)何時いつかほうぜん」「たれかある、銚子ちやうしもて」三方さんぼうひきせ、押戴おしいたゞけバ「はつ」とこたへてつぎより、当家とうけの忠しん勝間隼人(はい と)磯崎いそざき七郎両人が銚子ちやうしたづさたちでつゝ、なり氏が手にもちかの天盃てんぱい満々なみ/\ぐを、なり押戴おしいたゞき、心静こゝろしづかにのみして、勝間かつま磯崎いそざき両人に、そのかはらけとらするにぞ、二人ふたり武士ぶしよろこびてとも一献いつこん頂戴ちやうだいすにぞ、にはかなり主従しゆう%\顔色がくしよくつちごとくにかはりしなかにも、なりこゑふるはし「われ天盃てんぱい頂戴ちやうだいすより、腹中ふくちうたちま悩乱のうらんして心地こゝちぬべくおもはるゝハ如何いかなることぞ」かへれバ、勝間かつま磯崎いそざき両人もくるしきいきをつきあへず「さてきみにもしかあるか。我々われ/\二人ふたり臓腑はらわた千切ちぎらるゝ心地こゝちして、あなたへがたや、くるしや」いふよりはやく、両人くちよりたをるゝを、勅使ちよくしハ見つゝうちわらひ「汝等なんちらさぞくるしからん。『天盃てんぱいなり』とひしハいつはり。真実まことくだんかはらけハ枇〓(ひそう)名付なづけし毒石(どくせき)にてつくてたるものなれバ、これなめれバたちまちにいのちおとすハしれことあり村それ」と見かへれバ、手をひと見せしあり村ハ、しづ/\とたつ衣紋ゑもんつくろひ「わが切腹せつぷくと見せたるも、なりはじ家来けらいまでどくくらはす謀事はかりごとたね此処こゝに」懐中ふところより血潮ちしほまみれしにわとりとりいだしつゝなげいだせバ、なり氏ハ歯噛はがみし「ヱゝ残念ざんねん口惜くちをしや。現在げんざい家来けらいあり村さへしゆうあざむこの逆心ぎやくしん勅使ちよくしいひ曲者くせものハそも/\たれなるぞ。きかん」いふに、勅使ちよくし嘲笑あざわらひ「をゝきゝたくバ名告なのつきかせん。冥途めいど土産みやげ聴聞ちやうもんせよ。そもわれこそハ、山かげ納言なごん有礼ありのりと ハかりの名。真実まこと安房あは国主こくしゆよばれし山下柵左衛門尉さくざゑもんのぜう定包(さだかね)とハわがことなり。前年せんねんさと見に討滅うちほろぼされしそのときわれかこみを切抜きりぬけ、些時しばし時節じせつところに、此度このたびなんぢいへ重宝ちやうほうさめ丸の一振ひとふり叡覧ゑいらんそなへよある勅命ちよくめいありし』ときゝおよび、さと見に所縁ゆかり足利あしかゞなり氏、まづなんぢよりおしたをし、われ関東くわんとう管領くわんれいり、其後そのゝちさと見を討滅うちほろぼさんと、ありしめあは勅使ちよくしつていりみしを、それともしら旨々うま/\一杯いつぱいくらつたおほ愚者だはけ、此うへあり村にハ一味いちみもの[つぎへ]16ウ17オ

  17ウ18オ
[つゞき] 手わけして、忠義だてする奴原やつばら一人ひとりのこさず討取うちとるべし。われ此処こゝにてなり氏にこの世の引導いんどうわたしてくれん」ふに、在村ありむら心得こゝろえて、かたな推取おつと馳行はせゆくを、勝間かつま磯崎いそざき両人が「おのれ逆賊ぎやくぞくのがさじ」とかたなつえに身をおこし、よろぼひながらもふてく。なり氏ハ定包さだかねたくみをちなくきゝすまし、莞尓につこわらつてひざたてなほし「おろかなり山下定包さだかね前年せんねんさと見の武略ぶりやくつてなんぢはじめ麻呂(まろ)安西(あんさい)をもみなのこ討平うちたいらげしが、なんぢ原来もとより麻呂まろ信時(のぶとき)も、そのきり行方ゆくゑれねバ、ひそか在処ありかたづぬる折柄おりから、今日勅使ちよくしいつわついりみし曲者くせものこそなんぢならんとさつせしゆへどくの手だてもあらんかといゑつたはる毒消どくけし妙薬めうやくふくせしかバ、われハもとより、二人ふたり家来けらいいさゝいのちつゝがなく、それともらす 粗忽うか/\計略たくみもらせしなんぢこそ、われまさりしおほ愚者だはけなんぢ一味いちみ奴原やつばらみなのこりなうちりたり。ヤア/\それひかへたる勝間かつま磯崎いそざきはやまいれ」言葉ことばしたより、両人ハはじめにかはりし身がるいでたちあり村と手児名てこなの四郎がくびたづさ立出たちいづれバ、あとつゞひてけん八がいもとおむつもいでたり。「最前さいぜん、犬づか信乃しのとやらんをとらへんとせし人々ひと%\ハ、のこらずかれきりまくられおもてむけものく、かの曲者くせものハ今もなほ芳流閣ほうりうかくの屋のむねにて相手あいてのぼるを様子やうすそれつい[次へ]17ウ18オ

  18ウ19オ
[つゞき]  ひとつの御願おねがひわたくしあにけん八ハ此ほどよりして、ひと屋のくるしみ、『何卒なにとぞ御許おゆるしあるやうに』ごとねがへど、それかなはず。せめてハ信乃しの討手うつてやくを兄〔に〕仰付おふせつけられなバ、かね手練しゆれんあにが手のうち、よも仕損しそんじハ御座ござりますまい。それこう今度こんどつみ御許おゆるしあそはしくださるやうひとへ願上ねがひあげます」ふに、なり首肯うなづきて「かの信乃しのとやらものも又、定包さだかね一味いちみもの一味いちみならぬからねども、捕逃とりにがしてハいへはぢねがひのごとけん八にとり手のやく言付いひつけん。く/\せよ」いそがすれバ、おむつハよろこ走行はしりゆく。此有様ありさまを見るよりも、流石さすがの山下定包さだかね些時しばしあきれてたりしが、まなこいからし、こゑ振立ふりたて「はかる/\とおもひのほかかへつて手だてうらかゝれ、たのきつたるありはじ一味いちみものうたれしうへハ、定包さだかねしに物狂ものぐるひ。死人しびとの山だ、覚悟かくごせよ」やいばをすらりと引抜ひきぬいて、つてかゝれバ、なり氏もともに小太刀をぬきあはせ、些時しばしたゝかそのうちに、勝間かつま磯崎いそざき両人しゆうたすけて取囲とりかこめバ定包さだかね今ハ堪得こらへえず、すきうかゞ踊出おどりいで、にわなる井戸へ飛入とびいりしが、此処こゝ兼々かね%\あり村が拵措こしらへをきたる抜道ぬけみちなるを、定包さだかねよくることゆへ、土中(どちう)くゞりて易々やす/\水門すゐもんよりぞ逃去のがれさりける。18ウ19オ

  19ウ20オ

それさてき、犬つか信乃しのてき間者かんじやうたかはれ、身に降掛ふりかゝ濡衣ぬれきぬも、村さめ太刀たちらざれバ、今さら言説いひとことさへかなはす。りとて阿容々々おめ/\とらへられ無実むしつやいばころされなバおやへの不孝、名のけがれ、『とてもかなはぬことならバいのちかたなつゞかんまできりさん』と覚悟かくごしつ。数多あまたてき斬伏きりふつきせ、屋へひらりと飛上とびあかりてむねよりむねとびうつり、芳流閣はうりうかく名付なづけたる三がいづくりの高殿たかどの〔の〕屋のむねたか駆上かけのぼるを、なほのがさじと追来おひきたるてき蹴落けおと斬倒きりたをして、一息ひといきほつとつくおりしも、身がるいでたつ一人ひとりの力士(りきし)左手ゆんでの屋よりとびのぼる。器量きりやう早業はやわざ並々なみ/\ならず。「天晴あつはてきよ」とおもふにぞ、信乃しの莞尓につこ打笑うちゑみて「最前さいぜんよりの手並てなみりす、身ひとつにして此ところまで上来のぼりきたりしなんち姓名せいめい名告なのきかん」と身かませバ、此方こなたおくせ す嘲笑あざわらひ「小癪こしやくなるその一言いちごんわれ当家とうけ身内人みうちびと、犬かいけん信道のぶみちこれなり。そのきゝつ、犬つか信乃しの。御じようなるハ」ひつゝもじつ手を打振うちふ飛掛とびかゝるを、信乃しのさはがず身をひらき、はらやいば躍越おどりこへ、たがひあらそふ一上一下。些時しはし勝負せうぶも見へざるところに、いらつて打込うちこげん八が、十手じつててう[つぎへ]19ウ20オ

  20ウ 奥目録
[つゞき]  うけめたる信乃しのやいば鍔元つばもとより発石はつしれて飛散とびちるにぞ、げん八「したり」と無手むづむ。まれて信乃しのちつともさはがず、とも柔術やはら秘術ひじゆつつくし、たかひにねぢ力足ちからあしこれかれひとしく踏滑ふみすべらして、くんだるまゝに、屋のむねよりつると見へしが、おりく、川つなぎし小ぶねうちへ、伏重ふしかさなつて落込おちこめバ、はつみに艫綱ともづな張切はりきつてしほに/\押流おしながされ、見るに見へずなりにけり。

これより第四へん行徳ぎやうとくたんつゞく。めでたし/\/\ /\/\

〈朝鮮〉牛肉丸ぎうにくぐはん 一包百孔\ くすり虚弱きよじやくの人 つねもちひてうちとゝのへる大妙薬めうやくかは らず御もとめ可被下候。 \ 對州屋敷やしき 染嵜氏製

爲永春水作    
朝櫻樓國芳画 20ウ


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嘉永五壬子歳新鐫藏版目録

 阪東太郎後世譚ばんどうたらうこうせいばなし 〈八編|九編〉 〈西馬作|貞秀画〉

 岸柳四魔談きしのやなぎしまものがたり 〈三編|四編〉 〈同 作|國輝画〉

 〈倣像なぞらへ水滸すいこ侠名鑑けうめいかゞみ 〈初輯 二輯 三輯〉〈樂亭西馬稿案|〓持樓國輝画圖〉

 〈勸善くわんぜん懲惡ちやうあく乗合噺のりあひはなし 七編 八編 〈柳下亭種員作|一陽齋豊國画〉

 江戸鹿子紫草紙えどかのこむらさきさうし 〈二編 三編〉 〈文亭梅彦作|香蝶樓豊国画〉

 小栗判官駿馬誉おぐりはんぐわんめいばのほまれ 〈中本|一冊〉 〈西馬編|芳虎画〉

 象頭山夛宮日記ぞうづさんたみやにつき 〈中本|一冊〉〈樂亭譯|國輝画〉

 爲朝弓勢録ためともゆんぜいろく 仝 〈 同 | 同 〉

  東都馬喰町二丁目西側〈書物地本|繪 草 紙〉問屋 山口屋藤兵衞

奥目録

 後ろ表紙


第四編

表紙

 表紙
今様八〔犬の絵〕傳\爲永春水作\一勇齋國芳画\紅英堂・錦耕堂合板\四編上(四編下)

序・見返

  見返・序

〔見返〕
今様八犬傳\四編上\爲永作\一勇齋画\山口版\國芳女\とり画

〔序〕
このしよ急作きうさく草双子くささうし外題げたいかんがへなんどもなく、まづ本文ほんもんからさんてうつゞりかけれバ、板元はんもとうばふがごともちゆきて、たゞあづさのぼすになん、落字らくじ書損しよそん訂正たゞすひまなく、かく一輯いつしふあみはてて、序文じよぶんふでとるおよび、題号なづけ芳薫はうくん八房やつぶさうめとす、しかるにならず製本せいほんなりしを、書肆しよし携来たづさへきわれいへらく、かゝる際物きはものなるゆゑに、外題げだいとふべきいとまなく、わかりのはやきがからめとて、そのまゝ今様いまやう八犬傳はつけんでん表紙ひやうしうつして賣出うりだはべりぬ、このをみゆるし給ひねとなり、よつてつく%\おもひ見るに、もとよこれげんでんを、當時たうじのさまになしつるなれバ、かへつ今様いまやう(云 云)しか%\、としたる趣向しゆかうこそ、婦女子ふぢよしにもふれやすく、かんがへにハますよしあらめ、とがいふまゝにうちすておきつ、されども初編しよへん序言しよげんのうちに、外題げだい所謂いはゆる八房やつぶさ、のうめはるしたゝめたるを、みるひとあやしみ給はん、とこゝ樂屋がくやをあらはして、まただい四輯ししふまくをひらく、

 嘉永五歳閏月吉辰

爲永春水識 [印]1オ 

口絵第一図

  1ウ2オ
白拍子しらびやうし朝毛野あさけのまこと犬坂いぬさか毛野けの

口絵第二図

  2ウ3オ
再出さいしゆつ 小文吾こぶんごこひくぼ遊君ゆうくん花紫はなむらさき
雛妓しんぞう歌綾うたあや じつ成氏なりうぢ息女そくぢよ四阿あづまや

  3ウ4オ
[こゝのゑとき]  「其処それるハ文五兵衛殿どのさて此方こなた今日けふも又いつもつりられたな」ふを、見かへる文五兵衛が「たれかとおもへバ村の若衆わかいしゆ祭礼まつりの酒の機嫌きげんやら、面白おもしろそうな千鳥足ちどりあしイヤもういつもことながら、此村の稲荷祭いなりまつり今年ことし取分とりわけ角力(すまう)かゝり、それハ/\きついにぎやか。ホンニ角力すまういたが、此方こなた息子むすこの小文吾殿どのゑらい手りにられたな。今日けふ相手あいて取分とりわけて、あの市川で任侠おとこはれる山ばやしの房八(ふさはち)ゆへこれハ見もの見物けんぶつ固唾かたづんでたところ、なんふさ八を小文吾殿とのなげられたが、吾等わしら贔屓ひゐきの犬田殿どのよろこざけのみぎた。此方こなたいわふてのましやれ」はれておどろく文五兵衛。「さてせがれかちおつたか。日ごろからしてれぬ、あのはやしふさゆへ、もしや遺恨いこんはしにでも」「なにさ/\、ふさ八がたとばらてばとて、犬田殿とのにハ此方こちとらいてれハ大丈夫だいせうぶ」「まさかのとき一番いちばんに」「しりからげて逃出にげだすか」「おいてくれろ」高笑たかわらひ、「しかながら、角力すまふ古那屋こなや親御おやごに見せたいな」「そんならなんと、今此処こゝ今日けふ角力すまふ仕方話しかたばなしぬしふさ八、おれいぬ田。土俵どひやうへ二人が向合むきあふて」ふを、そばから今一人ひとりが「て/\、おれ行司ぎやうじやくくな/\」ひつゝも団扇うちはかへ古草履ふるざうり一杯いつばい機嫌きげん若者わかものども呼吸こきうはかつて立がり「この手をかうしてかうげて」夢中むちうつてたちさはげバ、文五兵衛ハ苦笑にがわらひ「コレそのやうさはがれてハ、うをつてさつぱりれぬ。もふよいほどあそんだら、のんだ酒のさめうちはやもどつてやしやれ」 [つぎへ]3ウ4オ

  4ウ5オ
[つゞき]  へども此方こなた酒機嫌さかきげん(イヤコレ)ろとハ角力すまふ禁句きんくそれけてもふさ八ハ、一寸ちよつと見るから憎々にく/\しい。あんなおとこ女房にようぼう子にるのハ余程よつぽど因果いんぐはものつらを見るさへ胸糞むねくそが」ふを一人ひとりそでき「これハしたり如何どふしたもの。あのふさ八の女房にようぼうハ文五兵衛殿どの〔の〕むすめ。づか/\ものふまいそ」はれて若者わかものが「これハしたり」とあたまで「ドレもとらう」三人ハうちつれちてかへく。あとおくりて文五兵衛が「あのたち高話たかばなしおもふたほどれもせぬ。今日けふハ村の祭礼まつりゆへ女子おなごともにハ藪入やぶいりひまらせて、家内うち空明からあき。ドレそろ/\と片付かたづけて、日のれぬ間にもどりましよ」かへ支度じたくをするをりしも、しほゆられて ひとつの小ぶね此方こなたきし流寄ながれよりしが、ふねうちにハ二人武士ぶし気絶きせつしたるかたをれてり。文五兵衛ハおどろきて熟々つく%\見れバ、二人ふたりうち一人ひとりかねる人ゆゑうちおかれず、釣竿つりざほにてくだんふね掻寄かきよせつゝ、もやひのつな岸辺きしべつなぎ、そのふねうちりて、かねて見しりし一人武士ぶしいだおこしてよびいくれど、見りし武士ぶしいきかへらず、かへつて見らぬ一人ひとり武士ぶしいきふきかへしておきあがり、あたりを些時しば/\まはして「此処こゝ何処いづこうらにして御身おんみ如何いかなる人なるぞや」とひけられて、文五兵衛が「さてこゝろかれしか。此処こゝ下総しもふさ葛飾かつしか行徳ぎやうとく入江いりえにて、吾等われら古那屋こなやの文五兵衛とて当地ところひさしき旅籠屋はたごや商売しようばい今日けふすこしの余暇ひまて、この入江いりえにてつりする折柄おりからこれなるふね流寄ながれよりしを [つぎへ]4ウ5オ

  5ウ6オ
[つゞき]  く/\見れバ、ふねうちたをれたるかほに痣(あざ)あるさむらひハ、吾等われらかね近付ちかづきなる滸我こが殿どの〔の〕はし使つかひ、犬かひけん兵衛殿どの〔の〕子息しそくけん殿どのでありしゆへけんとて介抱かひほうせしときおもはず御身おんみつまづきしに、死活しかつほうかなひしからぬ、御身おんみいきあがり、たすけんとせしその人ハ、介抱かひほうすれどきもかへらず。 そも/\おん身も滸我こが殿どの〔の〕身内みうちひとにて御座おはするか」とひかへときけん八ハ「ウン」一声ひとこゑ身をおここの有様ありさまを 見るよりも「おのれ癖者くせもののがさじ」とじつ手をつてとびかゝるを、此方こなた彼方あち此方こち身をかはし、ふねよりおかとびあがれバ、つゝひてあがけん八がなほふりぐるじつ手のしたに、此方こなた武士ぶしこゑ振立ふりたて「ヤレち給へ、犬かひうじ一言ひとことぐべき言葉ことばあり」ばわりとゞめてしむれバ「子細しさいぞあらん」と、けん八も十手じつてひざつきてつゝ「様子やうす如何いかに」とひかゆれバ、此方こなたきつかたちあらた[二の巻へ]5ウ
[一のまきより]  「なう犬かひ氏、〔き〕給へ。それがしこと武蔵国むさしのくにつか村の住人ぢうにんにて、犬塚いぬづか信乃しのことさき名告なのれバられつらん。わが故郷ふるさとりしときぬか助とふ百せうあり。もとは安房(あは)住民ぢうみんなりとぞ。その心様こゝろさま誠実まめやかなれバ、わがちゝそれがし年来としころしたしく交際ましはりしに、時疫ときのけやまひりて、去年こぞそれの日、身罷みまかりぬ。その病中びやうちうにもそれがしちとこゝろざしをやかんじけん。臨終いまわ[つぎへ]6オ

  6ウ7オ
[つゞき]  わが身をちかまねき「とてもかくてハ今度こんど大病たいびやう此方者こつちものとハおもはれず。それきてひとつのねがひ。原来もとやつかれ安房あは国人くにびと子細しさいつてくにはれ、そのとしわづかに三さいせがれ玄吉(げんきち)懐中ふところにして、其処そこともらず彷徨さまよでしが、貯蓄たくはへ寄方よるべもあらぬに、搗加かてゝくはへて幼子おさなご脾疳ひかんやまひ痩〓やせさらばひ、「かれたる子もいたるおやも、此世からなる餓鬼道がきだうこのくるしみを見んよりも、いつそんだがましならめ」と、下総しもふさ行徳ぎやうとくなるはしより川へしづまんとたるところ来掛きかゝ旅人たひゝと我身わがみとゞめて子細しさいたづね、われちと路用ろようらせ、懐中ふところの子を貰取もらひとられてわかるゝときに、その人が『われ滸我こが飛脚ひきやく』とばかり名もはれねハ、われ名告なのらず、本意ほいなくたもとわかちしが、心掛こゝろがゝりハたゞ これのみ。おん滸我こがおもむき給はゞ、ことのついでにせがれたづね、玄吉なほ彼地かのちらバ、此等これらむねつたへてべ。かのげん吉ハうまれついてかほに一ッの痣(あざ)ち、かたち牡丹ぼたんはなたり。それのみならず、せがれうまれて七夜(しちや )あたとき、鯛(たい)料理りやうりしに、たいはらに玉りて、文字もんじこともの見ゆるを、産婦さんぶに見せてよませしに、まこととかむ信(しん)(じ)ならん」とひしを、そのまゝほそともせがれ守袋まもりぶくろいれきたるを、うしなはずバ夫等それら証拠せうこにし給へ」はれし言葉ことばに、おもあはするけん殿どの〔の〕かほあざ。もしや御身おんみ[つぎへ]6ウ7オ

  7ウ8オ
[つゞき]  おさな名ハけん殿どのでハあらさるか」とはれて、けん打驚うちおどろ俄頃にわかかたちあらためて「さておん身ハわがおやおんある人にて御座おはせしか。はるゝごとく、それがし守袋まもりふくろ臍緒ほそのに『糠助ぬかすけせがれげん吉』きあるのみか、感得かんどくの玉のことさへかきへあれバ、おや形見かたみいまなほはだはなさず、これ此処こゝに」ひつゝ とり出すひとつの玉を、信乃しの熟々つく%\うちながめ「天晴あつぱ目出度めでたし犬かい氏。それがしも又、御身にひとしき玉とあざとのるのみならず、わがふる大塚おほつかに犬川さう助とへるものこれおなじく玉ありあざあり。つてひそかそれがし兄弟きやうだいの義をむすびしかども、かれハ村をさの小ものゆへその本名ほんみやうあらはさず、かりかく藏と名告なのりてり、すれバおん身もそれがしかのがく藏も、過世すぐせよりふかちぎりのるならん」ひつゝ玉とかひなあざを見すれバ、けん感嘆かんたんして「なり/\」たゞゆるにぞ、傍聞かたへき〔き〕せし文五兵衛もおほへず小ひざすゝませて「二人ふたりさま御物語おものがたりうけたまはるにきて、またおもあはするせがれが身のうへけん殿どのにハらるゝごとく、せがれ小文吾ハ生付うまれつ商人あきびとわざきらひ、おやかくして剣術けんじゆつ柔術やはら、今でハ角力すまふ関取せきとりとか。わかしゆたちてらるが、かれにもひとつのあざありて、かたち牡丹ぼたんはなごとく、それのみらず、倅奴せがれめ喰初くひぞめわんうちよりひとつの玉のでけるが、これにハ悌(てい)の一字ありて、なりかたち各々おの/\がた所持しよちある玉に寸分すんぶんちがはず。すれバ、彼奴かれめおん過世すくせちぎものか」とき背後うしろの芦間(あしま )より「その玉、此処これに」ひつゝも、あらはれづる犬田小文吾、二人ふたりまへすゝり「今、おやひとまうせしごとく、物数ものかづならねど、それがしあざありて、またひとつの玉あり、これ見そなはせ」懐中ふところよりとりす 玉を、信乃しのけん八ハうちとも嘆賞たんしようす。そのときふたたび小文吾ハ文五兵衛に打向うちむかひ「二人さま御物語おものがたり彼処あれにてのこらずうけたまはる。見ぐるしくとも此うへ我宿わがやどともして、彼処あれにてゆる/\なにかのはなしさいは角力すまふの花にもらふた小そで此処こゝに二ッある。あの御形おなりでハ人てバ。粗末そまつながらも御二人おふたりに」とふにうなつく文五兵衛が「それいた。さァ/\これ御二人おふたりとも召替めしかへられて我宿わかやどへ」さしす小そでを、二人いたゞ一礼いちれいべて着替きがゆるにぞ、二人ぎし血付ちつき衣服いふくを 小文吾ハ風呂敷ふろしきおしつゝみて小脇こわきかゝへ「親人おやびとおん身ハ二人ふたりはや我屋わがや案内あんない吾等われらあと居残ゐのこりで、人らぬに此ふねを川のふかみへおしながし、あとより追付おつつまいらん」とひつゝてバ、文五兵衛ハ信乃しのけん八をともなひて「いざ御案内ごあんないさき我屋わがやしてほどに、小文吾ハ川へをりち、ふね舳先へさきに手をけて、四五けんばかりおしいだし、そのまゝふねうつぶせにかへしておきつきりつゝ、ちりうちはらふてかんとせし背後うしろに、うかが癖者くせものがつか/\つて小文吾が小脇こわきかゝへし風呂敷包ふろしきつゝみしつかと [つぎへ]7ウ8オ

  8ウ9オ
[つゞき]  とらへてひきもどす。此とき日ハはやくれてゝ、あた小暗こぐら宵闇よひやみなれバ、あい手をたれとも見へわかねど、小文吾さはがずふりはらひ、又ひきとむるをうちはらふ。たがひのちから風呂敷ふろしきの、縫目ぬひめやぶれておちる小そでそれともらず小文吾ハ、とられしかひなふりはづし、かげくらましてにげけバ、あとのこりし癖者くせものハ、おちたる小そで拾取ひろひとり、そらすかしてうちながめ、一人ひとりうなつたりける。 [こゝのゑとき] イヱ/\なんはしやんしても、祭礼まつり二日ハたび人を めぬのが当地ところおきてわたしこれからひまもらふて藪入やぶいりく、つく最中さいちう邪魔じやまをせずともほか宿やどらしやんせ」愛想あいそき下女か言葉ことば二人ふたりたび人「ハテそのやうはずとも、旅籠はたご其方そつちのそ次第しだいいくらでもほとに、何処どこすみめてれ」「ヱヽ執拗ひつこい。かへらんせ。かずバうだ」傍辺かたへなるほうきつてふりあぐれバ、二人おどろき、そこ/\に小言こごとたら/\もどく。いりちがつて一人ひとり法印ほうゐんずつとはいつて下女のかほさしのぞきつゝ、莞尓につこりわらひ「小野おのの小町かつく最中さいちうさて今夜こんやたのしみのあて何処どこにか在原業平ありはらのなりひら色男いろおとこに見せにくのか畜生ちくしやうめ」とせなたゝけハ、ふりかへり「御前おまへハ観得(くわんとく )さん。今まで何処どこやしやんした。昨夜ゆふべ彼程あれほど約束やくそくして、わたし寝間ねましのんてるとつて、それり。わたしや夜一夜ひとよあかし、今日けふねむふてならなんだ。悪性あくしよおとこひつゝも、一寸ちよいつめれバとび退ひて「イヤ/\まつただましハせねど、てから熟々つく%\かんがへれバ、んだ親仁おやぢ祥月せうつき命日めいにち其処そこ昨夜ゆふべだい精進せうじんそれ左右そうと、コレあねへ。里のおきてで此二日ハきやくめぬといふことなれど [つぎへ]8ウ9オ

  9ウ10オ
[つゞき]  今宵こよひ内緒ないしよ何処どこぞのすみへ」「そり合点がつてん御座ござります。ふり御客おきやくことはれども、逗留とうりうかたなら、何時いつまでめてもさはし。ことまへことじやもの。千ねんでも万ねんでも、わたし差略さりやく宿やどする。そのかはりにハ観得くわんとくさん、今宵こよひハきつと床中しようちうへ」「それ吾等われらむねにある。なにかのはなしのちゆるりと」「そんなら昨夜ゆふべの小座敷ざしきへ」ふに、うなづ法印ほうゐんおく一間ひとまたつく。あとおくりてかの下女が「さァいそがしうつてた。今宵こよひハ村の若衆わかいしゆにも約束やくそくをしたことがあるに、又その上に観得くわんとくさん、どつちをさきにしたものか。若衆わかいしゆかほせて観得くわんとくさんハのちたのしみ。ヲヽそれ/\」ひなから、入口いりくちの戸をひきけて、とつぱくさしていできける。かゝおりしも納戸なんどよりこの主人あるじ文五兵衛がたちでながら、あたりを見まはし。「女子おなごども藪入やぶいり有頂天うちやうてんなりつたる。使つかつたかゞみだしばなし。これまたおれ厄介やつかひこまつたやつ」と、傍辺かたへおしくと、おもてくばりて一間ひとまくち歩寄あゆみより「信乃しのさまめましたか」とひつゝ障子しようじおしくれバ、うちにハ信乃しのくるしげに「これハ/\文五兵衛殿どの昨夜ゆふべからしていか厄介やつかひ昨日きのふ滸我こがにておほくのてききりむすびたるそのときの手きずわづかとおもひしに、破傷風はせうふうりしにや。今朝けさからすこしもまくらがらず。それ格別かくべつ、御子息しそくや犬かひ氏ハいづれに」とひかくれバ、文五兵衛「せがれ祭礼まつりはした喧嘩げんくわとりあつかひにたのまれて、でて きしが、いまかへらず。けん殿どのハ『芝浦(しばうら)までおん身のくすりもとめに』とて今朝けさはやくよりかれしなれバ、これほどなくかへりがあらう。そのくすりだにるならバ、おん身のやまひ本復ほんぶく些時しばしほどち給へ」はれて信乃しの打驚うちおどろき「わがひとつのことより年寄としより使つかふだに、いと胸苦むねくるしくそんずるを、犬かひ氏とて世をしのぶ身。それ〔と〕しつたらやるまじきに、心掛こゝろがゝりのことなりし」ふをおしめ、文五兵衛が「その気遣きづかひ御無用ごむよう/\。兄弟きやうだいの義をむすんだうへけん殿どのとてせがれとて、なに遠慮ゑんりよるものぞ。そんなことにハかまく、養生ようぜうまづ第一だいいちさいはかゆ出来できてある。くちにハはずとも、してすこしハきこしせ」わんりたる白粥しらかゆいだせバ、信乃しの押戴おしいたゞき「なにからなにまでかたじけない」ひつゝはしおりから、村のあるき門口かどぐちより「文五兵衛殿どの宿やどてか。しよ殿どのからきうむかひ、わし一緒いつしよに、さァ御座ござれ」とよばわるこゑおどろきて、文五兵衛ハ傍辺かたへなる屏風びやうぶ信乃しのおしかくし、かどの戸けて「コレ村のしゆ今日けふ祭礼まつり女子おなごにハ藪入やぶいりさせて一人ひとりらず。小文吾も昨夜ゆふべからまゝいまかへらねバ、わしつてハらち空明からあきせがれ女子おなごかへまですこしのあいたやうに」ふを、使つかひハきゝへず「イヤ/\いそぎのようなれバ、『此方こなた留守るすなら行先ゆくさき[つぎへ]9ウ10オ

  10ウ 奥目録
[つゞき]  尋回たづねまはつてれてい』と、『れてい』とそれハ/\きびしいいひつけはや御座ござれ」せりたつれバ、文五兵衛ハ詮方せんかたなくひそか信乃しのうちむかひ「きゝとほりのことなれバ、吾等われら一寸ちよいしよ殿どのまではれて信乃しのやすからぬむねいためて「なう小父おぢ、村をさよりの用事ようじとハ、もしやわが身のことなるか」とふをうちし、文五兵衛が「イヤ気遣きづかひ御座ござりませぬ。旅籠屋はたごや商売しようばいしてれバ、庄屋しよや殿どのからばるゝハ月のうちにハ幾度いくどもある。つよ一寸ちよつもどれバ、風邪かぜひかやうさつしやれ」と羽織はをりひつけそこ/\に使つかひとつれいでく。
 ○これより下のまきへつゞく。

國芳画    
春水作 10ウ 

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藏版新刊珎奇雜書略目録

 遊仙沓春雨艸紙ゆうせんくつはるさめざうし 〈十一編|十二編〉 〈緑亭川柳作|一陽齋豊國画〉

 田舎織糸線〓衣いなかをりまがひさごろも 〈四編|五編〉 〈仝 作|同 画〉

 天〓太平記てんろくたいへいき 〈初 ヨリ|追々出板〉 〈仝 作|一勇齋國芳画〉

 奇特百歌仙きどくひやくかせん  同断 〈仝 作|一立齋廣重画〉

 畸人百人一首きじんひやくにんいつしゆ  全一冊 〈仝 案|同 畫〉

 狂句五百題きやうくごひやくだい  全二冊 五代目 川柳著

  東都書房  南傳馬町一丁目 蔦屋吉蔵板 」奥目録

四編下巻

  見返 11オ

〔見返〕
いまやうはつけむでん\四編下のまき\春すゐさく\國よしゑかく\とり女画\紅英錦耕両梓

おりしもきこゆる入相(いりあい)かね諸共もろともむかふより立返来かへりくる小文吾が、なにおもひけん立留たちとゞまり「栞崎しをりざきにてふさ八が、昨日きのふ角力すまふつて、喧嘩けんくわをふの無法むほうはたらき。相手あいてならぬハ、親人おやびとが此脇差わきざしと右の手にむすび給ひし紙縒こよりいましめ。きらねバぬけ脇差わきざしを、ぬきあはさねバたがひの無事ふじ彼此かれこれふうち暮相くれあい客人きやくじんたち親人おやびとも、さぞまちびておはすらん。片時ちつとはやく。それ/\」ひつゝもど門口かどのくち親人おやびと只今たゞいまかへりました」へどもこたへるものく、戸をおしあくれハ、うち暗闇まつくらいぶかりながらも小文吾ハ、勝手かつてつたるわが屋のうち、手ばや行燈あんどんとりして、火をうちくるそのおりから「小文吾とつた」こゑけて、たちまこみ数多あまた捕手とりて。「こりや何故なにゆへ狼藉らうせきさゝゆる小文吾。おもてより「ヤア何故なにゆへとハ横道者わうだうものなんぢいゑに『武蔵むさし浪人らうにんつか信乃しのいふやつかくまひあり』とたしかく。すれバなんぢ同罪とうざいなれども、たゝ先非せんぴあらためて、かの癖者くせもの絡取からめとるか、首級くびいたしてさしいださバ、それこうかくまひしおや子のつみゆるしてれん。かくいふわれハ、滸我こが殿どの〔の〕身内みうちに名をし新織(にいをり) 帆大夫(ほたいふ)返答へんとう如何いかに」とひけられ、小文吾ハ「あなや」とばかりさわこゝろおししづめ「存知ぞんじもよらぬ御疑おうたがひ、ついぞ名をだにきゝらぬ、犬つかとやら [次へ]11オ

  11ウ12オ
[つゞき]  信乃しのとやら。なんよしみ舎蔵かくまふべき。それ大方おほかたかどちがひ。他処ほかを御詮議せんぎなされまし」はせもはてまなこいからし「たと何程なにほどつゝめバとて舎蔵かくまことたしかる。ヤア/\者共ものどもめしたりしそれなる縄付なわつき此処これけ」言葉ことばしたよりとり手の面々めん/\八重縄やゑなわけし文五兵衛にこゑたてさせじと猿轡さるくつわはませしまゝ引連ひきつたるを、それと見るより小文吾が「親人おやびとが」と立掛たちかゝれバ、おなおもひに文五兵衛もものひたげにさしるを「したらう」べたつるりて、帆大夫ほだいふなほこゑ振立ふりたて「如何いかに小文吾。たしかけ。なんぢおや文五兵衛を、村をさかた召寄めしよせて、癖者くせもの舎蔵かくまひたる詮議せんぎせども、 『ぞんぜぬらぬ』とばかりにて白状はくぜうせねバ、詮方せんかたく、みつか家捜やさがしせんために、此処これまで引連ひきつまいりしなり。かくても愈々いよ/\あらか〔バ〕、此老耄おひぼれ拷問がうもんせうか。又踏込ふんご屋捜やさがしせうか。返答へんとうしやれ。なななんと」、 のつびきさせぬ手つめ言葉ことば此処こゝ一所いつせう懸命けんめいおもへど、小文吾ちつとさはがず「ものかずならねど、此里で侠気おとこみがく小文吾が、荒屋あばらやなれども城郭ぜうかく同然どうぜんこと当所とうしよハ千葉家(ちばけ )領分れうぶん管領くわんれいしよくおふせでも、『他領たれうの人に屋さがしをされた』と世間せけんきこへてハ此身の名おれいゑはぢそれもあれかくもあれ、吾等われらハ村の祭礼まつりにて、昨日きのふ今日けふ遊暮あそびくらし、いへらねバその癖者くせもの舎蔵かくまひたるか舎蔵かくまはぬかもとよりしらぬが、此身の潔白けつぱくとハふものゝ、おん嫌疑うたがひかゝりしうへ詮方せんかたし。おや縄目なわめゆるされなバ、きつと屋うち詮議せんぎして、その癖者くせものるならバ首級くびにするとも召捕めしとるとも、後方のちがたまでに村をさかた持参ぢさんいたすで御座ござりませう」ふに、帆大夫ほだいふおもてやわらげ「如何いかにもなんち昨日きのふより、いへらぬといふことしつれバ、のぞみごと些時しばし猶予ゆうよいたしてれん。しからバ屹度きつと今宵こよひうちに「ハテねんにハおよひません。身不肖ふせうなれども犬田ハ侠客おとこつがへた言葉ことば相違そうい御座ござらぬ。 此うへハ父文五兵衛か縄目なはめゆるくだされて」「かへしてれとか。そりやならぬ。なんぢ信乃しの召捕めしとるか首級くひいたして持参ぢさんするか。それまで親仁おやぢ人質ひとじち [つぎへ]11ウ12オ

  12ウ13オ
[つゞき]  この老耄おひぼれたすけたくバ、片時ちつとはや癖者くせものわたして罪科とがわびいたせ。心得こゝろえたるか」宣示のりしめし「者共ものどもたれ」とさきてバ「はつ」とこたへて捕手とりて面々めん/\老耄おひぼれとう」いひつゝも、引立ひきたてられて文五兵衛ハこゝろならすも身をおこせバ、些時しはしとゝむる小文吾がけてはれぬこゝろうちしらすれバおやまたこたゆる以心伝心いしんでんしん。「きり/\きやれ」と縄取なわとり急立せきたてられて詮方せんかたく見かへり/\〔て〕く。おや縄目なわめ後影うしろかげ。見おくはてて、小文吾が些時しばし思案しあんそのおりしも「介錯かいしやくたのむ。犬田氏」ふハたしか一間ひとまうち「それしなしてハ」小文吾が障子しようじひき駆込かけこめバ、うちにハ信乃しの脇差わきざし抜掛ぬきかけたるまゝ伏転ふしまろびし。この有様ありさまに又おどろ抱起いだきおこしついたはりて「様子やうす如何いかに」と、問掛とひかくれバ、信乃しのくるしきいきをつき「はづかしや犬田氏。それがし滸我こが剣戟たゝかひわづかの手きずけたりしが、破傷風はせうふうりしにや。今朝けさよりすこしもまくらあがらず。犬かひ氏にハわがために『くすり遙々はる%\購入もとめん』とて、われにハかくして武蔵むさしなる芝浦しばうらまでかれしとぞ。それさへ心苦こゝろくるしきに、おん身の親御おやごハ村をさより『用事ようじあり』とて俄頃にはか使つかひ『わが身のうへにハあらざるか』やすこゝろもせざりしに、おもふにたがはぬ今の有様ありさま。 此身ひとつのゆへり、つみき人を巻添まけぞへさせ、生長いきながらゆべきわれならねバ『はら掻切かききつて、文五兵衛殿どの〔の〕縄目なわめかん』と脇差わきざしの、つかまでハ手をかけしかども、やまひちからおとろへて、はらひとつさへりかぬる。かくまで武運ぶうん尽果つきはてし。生甲斐いきかひ信乃しの首級くび苦労くらうなから討落うちおとして、親御おやご科目とがめすくふてべ。く/\」覚悟かくご有様ありさま。「ことはり」とおもへども、小文吾わざ言葉ことばはげまし「いひ甲斐かひし、犬つか氏。おや縄目なわめ[つぎへ]12ウ13オ

  13ウ14オ
[つゞき]  気後きをくれして、一旦いつたんちかひし言葉ことばそむき『おん身をつべきわれなり』と、おもひ給ふてはるゝか。おや縄目なわめたすくるすべも、おんやまひ本復ほんぶくさするその妙薬めうやくも、わがむね分別ふんべつあれバ、何事なにことも此身にまかせてき給へ。もしそれとも聞入きゝいれなく、おん身が自殺じさつさんとならバ、われもとより犬かひも、かならきてハ候じ。此処こゝ道理どうり聞分きゝわけて、たゞ本復ほんぶくまち給へ」ときさとされて今さらに、ぬにもなれぬ犬つかさしうつむきて言葉ことばし。かゝおりしも門口かどぐちより、入来いりくる山ふし念玉坊(ねんぎよくほう   )「今もどつた」こゑ打驚うちおどろきつゝ、小文吾が「信乃しのを見せじ」と小屏風びやうふたてしつゝ 一間ひとま立出たちいで「これハ/\ 念玉ねんぎよくさま只今たゞいまかへりなされましたか。昨日きのふ今日けふ女子おなごども藪入やぶいりさせてうち無人ふにん御風呂おふろの手あていたさず」ふを、念玉ねんぎよく聞敢きゝあへず「イヤその無人ぶにん承知しようちゆへ此方こなた世話せわらぬためめし途中とちうやつた。もとより風呂ふろのぞみでなけれバ、かならかまふてくださるな。それつけても此ぢうから長逗留ながどうりうで、いかひ厄介やつかいわし明日あしたはづゆへ昨日きのふ角力すまふ見物けんぶつして祭礼まつりさはぎて夜をあかし、今日けふまた彼方あち此方こち名所めいしよ古跡こせきを見まはつおもひのほかひまつた。しかし昨日きのふはれ角力すまふもの〔の〕見事みことふさ八をとつなけたる此方こなたの手のうちあんまりの面白おもしろさにちからいれて見たゆへか、此方こなたより見るわしが、うでかたもめき/\して、がつかりと草臥くたびれた。何時いつも座敷ざしきあいてなら、ねまらう」ひつゝも、たづさたる法螺貝ほらがい片手かたてげて立上たちあがるを、小文吾あはてゝ引留ひきとゞめ「イヤその座敷ざしき今宵こよひふさがり。何卒なにとぞおくはなれ屋へ」とひながら、かの法螺貝ほらがひ熟々つく%\見つゝ「念玉ねんきよくさまさてめづらしいこの法螺貝ほらがひ何処いつれもとめなされました」とはれて念玉ねんぎよく打笑うちわらひ「これ最前さいぜん濱辺(はまべ )にて、童児わらべもつあそんでたを、すこしのぜにかへたが、世にめづらしき此法螺貝ほらがひこれけてはなしる。 [つぎへ]13ウ14オ

  14ウ15オ
[つゞき]  『すべて手きずひしものその傷口きずぐちかせ引入ひきい破傷風はせうふうりしときわかき男女(なんによ)生血せいけつ各々おの/\五合つゝりて、此やうとしりし法螺貝ほらがひうちり、これのまするそのときハ、やまひたちま本復ほんぶくす』と、わが先祖せんぞよりつたへハれども、一人ひとりやまひたすけんために、二人ふたりいのちことゆへいまためせしことハあらねど、うたがひもき大妙薬めうやく此方こなた角力すまふこのまるれバ、如何どういふ怪我けが〔が〕あるやらもれぬ。後学こうがくためなれバいてくともそんし」ひつゝ、あたりを見まはして、かべけたる尺八(さくはち)ふゑを手にり、吹試ふきこゝろみ「こり其処そこもとたしなみか」ふに、小文吾見かへりて「イヤそれがしものにハあらず。近頃ちかごろ侠客おとこばるゝものひと印籠いんらう一節切ひとよぎりこしけれバならざりしが、それさへ今ハすたるてず。その一節切ひとよぎりたれやらがわすれてきしをそのまゝけてきし」こたゆれバ、念玉ねんぎよくいて打頷うちうなづき「しからバ些時しばしかしたまへ。幼稚おさなけれども旅寝たびね徒然つれ%\今宵こよひこれふきすまさん」ひつゝてバ、小文吾ハ手はやとも行燈あんどんを、念玉ねんぎよく受取うけとりて「これさへあれ離屋はなれ 勝手かつてかねしつる。此方こなたはややすまつしやれ。明日あすいませう」言捨いひすて〔て〕そのまゝおくあゆく。あとおくりて小文吾が「おりおりとてあの客人きやくじんそれつけても念玉ねんぎよくはずかたりの今の妙薬めうやく、男の血潮ちしほわがもゝやぶりてなりともるべけれど、女の血潮ちしほけれバせんし。ハテなんう」ながら、見かへ傍辺かたへ以前いぜん法螺貝ほらがひ、手に取上とりあげてきつと見て「あの念玉が尺八にうかれてこれわすれしか。くて、犬つか氏のやまひしつてのわざなるか」ひとり手を思案しあん最中さいちう関取せきとりうちにごんすか」かどの戸あら押開おしあけて、当地ところうての悪戯者いたづらもの塩浜しほばまの辛四郎(からしらう )さきたゝせて、板扱いたごき金太、牛根うしがね孟六(もうろく)諸共もろともに、見さきせましと居並ゐならぶを、小文吾ハうちり「たれかとおもへバ、わいら三人そろひもそろッて騒々そう%\しい。ほこりたつしづかにしろ」ふを、此方こなた聞敢きゝあ へず「コレ関取せきとりイヤ犬田。今宵こよひこれなる三ぞんぶつ台座だいさはなれてまし/\たいはれふハほかでもねへ。是迄これまで此方こんだ弟子でしとハへど、わざちからもあれバ、何処どこつてもおくれとらず、此方こんたはなまでたかくハしたが、栞崎しほりざきにて先程さつき始末しだら妹婿いもうとむこふさ八に、ふんだりたりたたかれたり。それちつと手出てだしぬ、おほ腰抜こしぬけ師匠しせうをバつてハ此方こつち面汚つらよごし。其処そこ弟子でしから破門はもんた。[次へ]14ウ15オ

  16ウ17オ
[つゞき]  大方おほかた昨日きのふはれ角力すまふかちとつたハ怪我け が功名こうみやう。『いざ』といはれたそのときにハ、あのふさ八にハつめへ。師匠しせうけれバ門畠かどばたでたとへこのさき あをふともおほきなかほハさせぬぞよ」喚立わめきたつれハ、莞尓につこわらい「蛆虫うぢむしなにをざは/\。もとよ角力すまふすきなれども田舎ゐなか稽古げいこで、じつなぐさみ。弟子で しくとも 事ハ〔か〕ぬ。のぞみとあらバ破門はもんする。きり/\つてうせおれ」とはれて三人身をおこし「『くだせへ』とたのんでも、うぬうちるものか。師匠しせうへとしるし刻印こくいんつてやるべゑ」煙管きせる押取おつとり、から四郎がつてかゝるを身をかはし、その手をつて捩上ねぢあぐれバつゞいてかゝもうきん太を、あるひ蹴倒けたを踏据ふみすへられ、くち似合に あはぬ三人ハ「ゆるせ/\」ひつゝも [四巻へ]
[三の巻より]
いのちから%\門口かどぐち突放つきはなされて、転出まろびい逃出にげいださんとたりしが、なにおもひけん 立戻たちもどり、三人ひとしくさゝやきて、垣根かきねあなより潜入くゞりいり、にわうちにぞ立忍たちしのぶ。かゝところむかふより房八の母妙真(めうしん)駕籠かご付添つきそひ、いききとあゆたりし古那屋こ な や門口かどぐちヲヽ駕籠か ごの人、御苦労ごくらう/\。些時しはらく其処そ こつても」駕籠か こおろさせ、妙真めうしんしづかに戸口へ差寄さしよつて「此処こ ゝけてくださんせ」こゑいて小文吾が「さて今宵こよひ折悪おりわるく、又たれやらがたそうな」とつぶやきながらかど押開おしあけ「これハ/\妙真めうしんさま夜更よふけ早更さふけにお一人なにの御よう呼掛よびかくれバ「イヤナニわたし一人じやい。大八をお沼藺ぬ いだかせて駕籠か ごせての押掛おしかけきやく駕籠か ごしゆ此処こ ゝへ」かへれバ、駕籠屋か ご や心得こゝろへ駕籠か ごたれあぐれバ、お沼藺ぬ い悄々しほ/\幼子おさなごいだきて駕籠か ごより立で「モシあにさん」ばかりにて、あとなみだ伏沈ふししづむ。この有様ありさまに小文吾ハ合点かてんかねバ、ひさ立直たてなほし「イヤ市川の御袋おふくろさま。お沼藺ぬ いれてのにはかいでなに子細しさい[つゞき]16ウ17オ

  15ウ16オ
[つゞき] ありそうな」 ふに妙真めうしん進寄すゝみより「さァそのわけほかでもない。ちとにくいことながら、一通ひとゝふいてべ。あらたふにハおよばねども、お沼藺ぬ い原来もとより此方こなたいもとよめもらふて、はやとせ夫婦ふうふなかむつましく、まごさへまうけて此はゝハ『左団扇ひだりうちは』と人さんに、ほめられた身が如何い かにせん。夫婦ふうふ口舌くぜつもつれより、にくまれに今宵こよひ使つかひ。 原因も とハとへバ昨日きのふ角力すまふそれ昨夜ゆふべはまでの悶着もんちやく此方こなたひとりのあつかひに、如才ぢよさいあらはづけれど、腹立はらだち矢先やさきゆへ、『女房にようほうつて此悶着でいり明暗あかさくらさける』とて、めるもかぬ若気わかげ短慮たんりよ拠所よんどころなくおくつてた。子細しさいふハこのとふり」ふに、小文吾かたちあらため「詳細つまびらかなる母御はゝごの口上、しかし親仁おやぢ留守る すなれバ今宵こよひ如何ど ふ請取うけとられぬ。明日あ す出直てなほして御座ご ざらんせ」愛想に べ返事へんじ押返おしかへし「そり言葉ことばちがひませう。たと父御でゝご留守る すにもせよ、父御てゝごいへ父御てゝごむすめもどしにたら、留守る すやく請取うけとらぬ』とハはれまい。離縁りゑんふハ男の意地い ぢ一旦いつたんてて又もとおさめる工夫くふうハ此はゝむね思案しあんるなれバ、あづかつて」妙真めうしんふハ『真実まこと(り)当然とうぜん』とおもひなからも、小文吾ハ 『今宵こよひせま難儀なんぎ場所はしよへ、いもとなりとて留置とめおかれず』と思案しあんをしつゝ「コレ母御はゝごたとへお沼藺ぬ いいもとでも、去状さりでうたねバ其方そつちよめその一通いつつうを見ぬうちハ」「請取うけとられぬとはしやんすか。ふさ八も男のはし女房にようぼうすに去状さりでうらせぬやうなものでもい。其処そ こさぬがわたしなさけ。それとも『たつて』とはるゝなら、すなは此処こ ゝに」と、取出とりだ一通いつつう。小文吾つて押開おしひらき「こり去状さりでうおもひのほか、犬づか信乃し の人相書にんそうがき」「なんと、これでハお沼藺ぬ いをバ請取うけとらぬとハわれまい。し此うへにも得心とくしんなくバ此姿絵すがたゑを村をさ殿どのつて [つぎへ] 15ウ16オ

  17ウ18オ
[つゞき] 出やうか」「さァそれハ」「そんならお沼藺ぬい請取うけとつてか」「さァ/\、なんと」妙真めうしん問詰とひつめられて、小文吾ハ詮方せんかたさに打頷うちうなづき「はるゝとふ去状さりでうをも、お沼藺ぬいしかあづかつた」「すりや得心とくしんくださつたか。その一言いちごんたがひため。お沼藺ぬいさそや此母をおにともしやともおもやらうが、ふにはれぬ浮世うきよ義理ぎりそれ些時しばしうちなれバ、其方そなたの身をも大八をも大切たいせつにしてかならずともわづらなどしてたもるなや。彼此かれこれうちもう真夜中まよなかわたし此儘このまゝかへりませう。今にも父御てゝごもとられたらつたへて」ひつゝも、つを見おくる小文吾より、お沼藺ぬいハいとゞかなしさに言葉ことばくて伏沈ふししづむを、妙真めうしんなほ慰撫なぐさめてかど押開おしあけていでく。 [つぎのゑとき]たれかとおもへバ山ばやし何用なにようつてよる夜中よなかとがむる犬田を尻目しりめけ、ふさ八ハ座敷ざしき真中まんなかとつかとすはつて「ヤイ犬田。『なにしにた』とハこと可笑おかしい。昨夜ゆふべ悶着でいり巻直まきなをし。態々わざ/\かたけにた。小文吾われも男なら、栞崎しほりざきにてまれたをちつとほねおほへてやう。はづかしめてもたしなめても張合はりあひ腰抜こしぬけ相手あいてにするも大人気おとなげいが、ちと見ていたこともあり。それのみならず、女房ハ追出おひだして寄越よこしたなれど、かれ衣装いしやうかへさねバ後日ごにち彼此かれこれ面倒めんどうゆへ今宵こよひ態々わざ%\つてた。おぼあらふ」懐中ふところより取出とりだ信乃しのつきの小そで。「はつ」とおどろき小文吾が [つぎへ]17ウ18オ

  18ウ19オ
[つゞき]  「まさしくそれハ」手をくるを、ふさ八手ばや持替もちかへて「イヤうまくハとらせまい。 昨夜ゆふべ入江いりえ闇紛くらまぎれ、はからず手にる此小袖こそで様子やうすけバ御尋者おたづねもの〔の〕信乃しのこの屋にかくまよしその姿絵すかたゑ御袋おふくろ最前さいぜんたせて寄越よこしていた。女房にようぼうつたも巻添まきぞへたゝりのがるゝ身の用心ようじん其処そこらにかくした犬つか信乃しのおや縄目なわめたすけたくバ引摺ひきずりしておれわたせ。是迄これまでよしみにハ褒美ほうびおれが酒 にする」「イヤ何程なにほどにほざいても、ちつとらぬ。おぼへいハ」「うぬかすなら、ふさ八がおく踏込ふんご癖者くせものを」「イヽヤならぬ」とたがひのあらそひ。お沼藺ぬひハ身ももあられぬおもひ。二人なかつてり「アレまァ、つてくださんせ。今はじめてとゝさんの縄目なわめふハ何故なにゆへぞ」ふをもかずふさ八が「邪魔じやまひろぐな」撲地はた爪先つまさきくるふて大八が肋骨あばらをしたゝかに蹴付けつけしかバ「あつ」と一声ひとこゑいきゆるを、ふさ八、これにハれず「信乃しのまさしくあの一間ひとま かんとするをとゝむる小文吾「ヱヽ面倒めんどうな」とふさ八がつてかゝるを鍔元つばもとけれバるゝ小より縲絏いましめ最早もううへハ」小文吾も抜合ぬきあはせたるやいばやいばしのぎけづ其中そのなかへお沼藺ぬいなほ分入わけいつて「おつとさられ、子ハ先立さきだて、生存いきながらへて何〔に〕せん。此身をころして御二人おふたり怨恨うらみはらしてくださんせ」れどすがれどきかバこそ、するど打振うちふふさ八がやいばにお沼藺ぬいハ乳(ち )したられて些時しばし堪得たまりえず「あつ」とさけびてたをるゝにぞ「これハ」とおどろふさ八が [つぎへ]18ウ19オ

  19ウ20オ
[つゞき]  すきを「たり」と小文吾が斬込きりこむ太刀さきあやまたずかたられてふさ八ハ、しりどうたをるゝを、なほも「たん」とふりぐるやいばしたこゑふりて「ヤレて犬田、ことあり」ふを、此方こなたきゝへず「ヤア卑怯ひきやうなり山ばやし。此およんでなにをかかん。観念くわんねんせよ」ふりぐるを、ふさ八ハなほ押留おしとゞめ「こゝろくハもつともながら、もとよりおん身の手にかゝり犬つかさまの御難儀なんぎすくはんことかねての覚悟かくごこと子細しさい一通ひとゝふいてくだされ、犬田殿どのはれて小文吾手にちしかたなたゝみ突立つきたてゝ「心得こゝろえがたその一言いちごんいのちてて犬づか氏の難儀なんぎ其方そなたすくはんとハ」「さァその不審ふしん無理むりならねど、これにハふか様子やうすあり」ひつゝくるしきいきき「そもわが父ハ美濃みの〔の〕国人くにびと井丹三(ゐのたんざう  )直秀(なほひで)さま譜代ふだい若党わかたうなりけるが、若気わかげ短慮たんりよに人をあやまち、すで生命いのちめさるべきを、直秀なほひでさま御情おなさけにて、ゆへなくいとまたまはりしかバ、此市川に 彷徨さまよて、犬江屋の婿むこり、のちそれがしまうけしが、三年あとに世をおはんぬ。そのとき父の遺言ゆいげんにハ『わが主人しゆじん直秀なほひでさまにハ結城ゆふきおいおん討死うちじにその娘御むすめごの手束(たづか)さまハ、御許嫁おいひなづけばんさまとも武蔵むさし大塚おほつかましますのみか、すぎころ信乃しのさまおん子までまうけ給ふと人伝ひとづていてハれど、身をぢて御機嫌ごきげんをだもうかゞはず。なんぢ老後おひさきる身ゆへ、もしゑんつて犬づかさまま〔み〕ゆるときもあるならバ、いのちけて御主人しゆじんあつおんほうせよ』とはれし言葉ことばは、些時しばしわすれず。しかるに昨日きのふ入江いりえにてはからず立聞たちぎ一部いちぶ始終しじう。『難儀なんぎことれバ、犬づかさま御命おいのちかはつて、父のけたる大おんほうぜんもの』とおもさだめ。ひそか様子やうすうかゞふに、はたして滸我こがよりきびしい詮議せんぎとハへ、こと打明うちあけておん身にふとも、請引うけひかれじ。はかつていのちてるにしかじ」と、母にばかりハおもことつげて、いとま請受こひうけて、こゝろにも敵役かたきやく栞崎しほりざき悪口あくかうも、今宵こよひ此屋へ押掛おしかけたも、何卒なにとそおん身の手にかゝり、御役おやくてゝもらひたさ。それつけても不憫ふびんなハことわけらぬ大八お沼藺ぬい [つぎへ]19ウ20オ

  20ウ 奥目録
[つゞき]  われこそぬる覚悟かくごなれ、お沼藺ぬいいまだ廿才(はたち )らず。後家こけてさす事が愛惜いとしさに『事にかこつ離縁りゑんせバかへつてかれためならん』とおもひしこと徒労あだり、おや子三人おなところいのちおとす。これ過世すくせ約束やくそくならん。しうと殿との〔の〕なげきも、御身おんみうらみも思遣おもひやり、面目めんぼくいがゆるして」こゝろ信実まこと打明うちあけて、義あり勇ある言葉ことのは道理ことはせめあはれなりけり。

これより第五へんいたり、古那こな屋の段をあみはて〔て〕すぐさま毛野の仇討あだうちつゞく。めでたし/\/\/\/\/\

〈朝|鮮〉牛肉丸 〈一包|百銅〉
うちのおとろへたる人\此くすりもちひて大\こうあり。相かはらず\御求可被下候。下さみせんぼり\對州屋敷やしき 染嵜氏製
爲永春水作    
一勇齋國芳画 20ウ

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嘉永五壬子歳新鐫藏版目録

 阪東太郎後世譚ばんどうたらうこうせいばなし 〈八編|九編〉 〈西馬作|貞秀画〉

 岸柳四魔談きしのやなぎしまものがたり 〈三編|四編〉 〈同 作|國輝画〉

 〈倣像なぞらへ水滸すいこ侠名鑑けうめいかゞみ 〈初輯 二輯 三輯〉 樂亭西馬稿案 〓持樓國輝画圖

 〈勸善くわんぜん懲惡ちやうあく乗合噺のりあひはなし 〈七編|八編〉 〈柳下亭種員作|一陽齋豊國画〉

 江戸鹿子紫草紙えどかのこむらさきさうし 〈二編|三編〉 〈文亭梅彦作|香蝶樓豊国画〉

 小栗判官駿馬誉おぐりはんぐわんめいばのほまれ 〈中本|一冊〉〈西馬編|芳虎画〉

 象頭山夛宮日記ぞうづさんたみやにつき 〈中本|一冊〉〈樂亭譯|國輝画〉

 爲朝弓勢録ためともゆんぜいろく 仝 〈 同 | 同 〉

  東都馬喰町二丁目西側 〈書物地本|繪草紙〉問屋 山口屋藤兵衞

〔後ろ表紙〕

 後ろ表紙 後ろ表紙


#『今様八犬傳』(二) −解題と翻刻−
#「人文研究」44号(千葉大学文学部、2015年3月31日)
#【このWeb版は活字ヴァージョンとは小異があります】
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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# A copy of the license is included in the section entitled "GNU Free Documentation License".

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