『今様八犬傳』(三) −解題と翻刻−
高 木   元 

【解題】

前号に引き続き正本写『今様八犬傳』の五編と六編とを紹介する。

巻末に続刊として犬村大角「赤岩住処の段」の予告が見られるものの、おそらく七編以後は刊行されずに終わったものと思われる。伝存が確認できないのと、合冊された後印本も六編で終わっているからである。

さて、五編上巻「古那屋の段」では、房八と沼藺の犠牲死に拠って犬塚信乃が救われ、彼等の息子である犬江親兵衛が犬士の一人である事が判明する。犬士達が里見家との因縁を知る重要な場面である。原作が古那屋の一室に於いて事件が進行するという、歌舞伎舞台を意識して書かれた場面であるせいか、大きな改変は施されていない。

一方、五編下巻以降は原作の「対牛楼の段」に相当し、凄惨な敵討の場であるが「石浜の段」と変更され、遊里の人々や、小文吾の季の妹として新たに花紫太夫を登場させるなど、全体的に華やかな雰囲気にしている。鴎尻並四郎と妻琴(舩虫)、身をやつした里見義成とその許嫁として四阿あづまや等、原作中の人物に新たに設定した人物を絡めた複雑な趣向立である。そもそも、初編の冒頭で描かれた如く、毛野の父である粟飯原おほどを讒言で陥れ殺害させ、千葉家の重宝である嵐山の尺八を奪った馬加大記は、首の妻稲城と一子夢の助を殺害。籠山頼連は毛野の母親で首の愛妾であった調布を殺害し、粟飯原家の重宝である落葉丸を奪ったのであった。

つまり、本作は犬坂毛野を軸にした千葉家の御家騒動として八犬伝を再構成したものなのである。歌舞伎とは距離を措いた江戸読本の代表作を、無理なく歌舞伎風に再構成した二代目春水の手並みは実に巧妙だと言い得よう。

なお、五編下巻の13丁と14丁とが錯簡しているが、筋は通っているのでそのまま翻刻した。

【書誌】
 五編

編成 中本 四巻 上下二冊 十七・七糎×十一・六糎
表紙 錦絵風摺付表紙「今様八犬傳」「第五編」「上(下)冊」「爲永春水作」「歌川國芳画」「(紅英堂\錦耕堂)合版」
見返 (上冊)「今様八犬傳第五編上巻」「爲なかしゆんすゐさく」「一勇さいくによしゑ」「錦耕堂[板]」「とり女画」
    (下冊)「今様八犬傳第五編下の巻」「春水作」「国芳画」「蔦吉山口版」「とり女画」
序末 「嘉永壬子彌生望 爲永春水誌[印]」
改印 [米原][渡邉](一オ・十一オ)、[子〓](一オ)
柱刻 「八犬傳五編(一〜二十)
匡郭 単辺無界(十五・三×十・四糎)
刊末 「國芳画」「春水作」(十ウ)\「爲永春水作」「一勇齋國芳画」(二十ウ)
諸本 慶應義塾図書館(202-508-1-2)・東京大学総合図書館(E24-1019)・館山市立博物館・専修大向井・架蔵/(改題後印本)架蔵
備考 改題後印本「里見八犬伝さとみはつけんでん」は五六編を合冊した一冊で、表紙に「外題 國明画」、見返「里見八犬伝さとみはつけんでん

 六編

編成 中本 四巻 上下二冊 十七・八糎×十一・八糎
表紙 錦絵風摺付表紙「今樣八犬傳いまやうはつけんでん」「六編上(下)」「爲永春水作」「一勇齋國芳画」「錦耕堂梓」
見返 (上冊)「今樣八犬傳」「六編上冊」「爲永春水作」「一勇齋國芳画」「(山藤\蔦吉)合梓」「おとり画」
    (下冊)「今様八犬傳」「六編下の巻」「爲永さく」「一勇齋ゑかく」「紅英錦耕両梓」「おとり画」
序末 「嘉永六癸丑春新販 爲永春水誌[印]
改印 [村松][福][子十](一オ、十一オ)
柱刻 「今様八犬傳六(一〜二十)
匡郭 単辺無界(十五・四×十・五糎)
刊末 「國芳画」「春水作」(十ウ)\「爲永春水作」「一勇齋國芳画」(二十ウ)
諸本 慶應義塾図書館(202-508-1-2)・館山市立博物館・専修大向井/(改題後印本)架蔵

【凡例】

仮名遣いや清濁などは原文通りとしたが、読み易さを考慮して以下の諸点に手を加えた。
 ・序文以外の本文には、漢字を宛てて私意的解釈を示し、原文は振仮名として残した。
 ・原文の漢字に振仮名が施されている場合は、( )で括って示した。
 ・原文の漢字直後に割り書きで訓みが示されている箇所はそのままにした。
 ・本来「ハ(バ)」は平仮名であるが、助詞だけは「ハ(バ)」のままとした。
 ・原文には一切使用されていない句読点を補った。
 ・「なにゝ」を「なに〔に〕 」の如く原文にない文字は〔 〕で括った。
 ・本文中の飛び印▲▲■■など)は省略した。
 ・全丁の挿絵を掲げ、本文と参照するために丁数を示した。
 ・底本として慶應義塾図書館蔵本を使用させて頂いた。ただし、破損していた三編四丁は家蔵本に拠った。

【謝辞】
  本稿はJSPS科研費25370207の助成を受けたものです。

五編表紙

 表紙

序・見返

  見返 1オ
〔見返〕
今様八犬傳\第五編上巻\錦耕堂板\爲なかしゆん\すゐさく\一勇さい\くによしゑ\とり女画

〔序〕
[米原][渡邉]

   いまやうはつけん\でむ五へむの序

三間さんげんならぬ三尺さんじやくの。つくえをそのまゝ本舞臺ほんぶたいに。作者さくしやむねのひとり狂言きやうげんすみすゞり黒幕くろまくに。あらをかくせど道具だうぐより。しやちでまいてもまはらぬふでイヨしかけ惡口わるくちも。かぬふりしてにじりがき。あつかま四編しへんあみはてつ。こゝでちよつと一管いつぷくと。おもふところを板元はんもとが。まくかせぬれい性急せいきう。ついだたばこのみあへず。煙管きせるチヨン トはいふきへ。はたいたおとのかしらに。又ひつかへす五編ごへん急案きうあん切幕きりまくならぬ切筆きれふでに。ことば花道はなみちあゆますれど。赴向しゆかうにつまづく石濱いしばまを。ひろひあつめて一帙ひとふくろに。とやらかうやら草稿したがきを。なほしもやらでゑりあぐれバ。わるいところハ看官みるひとの。おむねにおさめてかならずしも。ハ だんまりのまくとしたまへ。

嘉永壬子彌生望 [子三]

爲永春水誌[印] 1オ 

口絵第一図

 1ウ2オ

 三出 犬坂いぬさか毛野けの胤智たねとも

口絵第二図

 2ウ3オ
工藤くとう祐經すけつね実ハ籠山こみやま勘ヶ由かげゆ左衛門さゑもん 大磯おほいそとら実ハ再出花紫はなむらさき
神崎かんさき江口えくち実ハ白拍子しらびやうし妻琴つまごと

〔本文〕

  3ウ4オ

[四へんのつゞき]  手ひながらにふさ八が、真心まこゝろあか長物語ながものがたり熟々つく%\いて小文吾ハ、うちおどろきつゝ進寄すゝみより、いたはりながら「ふさ殿どの思掛おもひがけなきおん身の素性すぜういのちすて主筋しゆうすじなる犬づか氏に、かはらんとハあつぱれ忠義の心延こゝろばへ。おん身の生命いのちてたるハ、只身がはりのためのみならず。最前さいぜんおく逗留とうりうせし念玉(ねんぎよく)といへる山ぶし『およそ破傷風はせうふう妙薬めうやくにハ、わかき男女の血潮ちしほりて、としりたる梭尾貝ほらがいれ、これのまするそのときハ、立地たちどころ本復ほんぶくす』はずがたりにひつるが、今こそそらふ男女の生血せいけつすれバお沼藺ぬひも犬しにならず。とハへ、あた若者わかものを、親子おやこ三人おなじ日に、おなところなすとハ、おしむべくまたうらむべし」ふに、ふさ莞尓につこわらひ「さて夫婦ふうふ血潮ちしほにて、主人しゆじんひとしき犬づかさまの、くすりらバ今際いまはよろこび。(し)して甲斐かひある夫婦ふうふ血潮ちしほはや御役おやくててよ」ふに、小文吾こぶんご点頭うなつきなみだ飲込のみこみ身をこし、かの念玉ねんきよく置忘おきわすれし梭尾貝ほらがいを手にりて、たをれしお沼藺ぬひ引起ひきおこせバ、「あつ」と一声ひとこゑさけぶとひとしく、さつと血潮ちしほほどばしる。その傷口きずぐち梭尾貝ほらがいあてれバ、したゝ唐紅からくれない、見るに目もくれこゝろさへ、よはるばかりに小文吾ハ、くち唱名しようみやうなみだ、お沼藺ぬひほそを見ひらき「あにさん、おつといきてか。こゝろ信実まこと打明うちあけて、はれしことゆめかとばかり、くにうれしうたがひも、うらみもれて諸共もろともに、へてゆく身ハをしからねど、をし名残なごりに  [次へ] 3ウ4オ

  4ウ5オ
[つゞき] 今一目」 ふに、ふさ躙寄にじりより「さてハお沼藺ぬいうつゝにも、わが本心ほんしんきゝしとか。思掛おもひがけなき過失あやまちにて、其方そなたばかりか大八まで、わが手にけしも宿世すくせ約束やくそく。此世のゑんうすくとも、未来みらいかならかはらぬ夫婦めうと」「その言葉ことばあの世へ土産みやげ、とハへ、せめて大八が死顔しにがほなりと今一」「イヤ/\見るハまよひのたねたゞ此上このうへハ小文吾殿どのわが身の血潮ちしほく/\」とひつゝやいば取直とりなほし、弓手ゆんではら突立つきたてれバ「アレまァ些時しばしまつも」 かどの戸推開おしあ駆入かけい妙真めうしんわれにもあらで、ふさ八とお沼藺ぬひあいだに身を投伏なげふし、なみだながらに「なうふさ八、かねての覚悟かくごひながら、よめさへまごさへ諸共もろともに、かへらぬみち旅立たびだ〔た〕せ、此身ひとつをなんとせう。お沼藺ぬひわけりながら、げぬわが身をうらみもせんが、ことるならバ、なにしに其方そなたおくらうぞ。ゆるしても」言掛いひかけて、また潸々さめ/\打泣うちなけバ、ふさ八ハ見開みひらいて、「母さまなげきハお道理だうりながら、あまりくよ/\思ひぎ、わづらうてなどくださるな、便たよすくなき母の身のうへこのさきたのむハ犬田殿どのはやこのうへハ、わが血潮ちしほ片時ちつとはやく犬づかさま御役おやくたて〔て〕覚悟かくご有様ありさま、小文吾「今ハこれまで」とふさ八が傷口きずぐちへ、又かのかい推当おしあて〔て〕ほどばしる血を受入うけいれつゝ、一間ひとましたる犬つかの、くち血潮ちしほ流込ながしこむにぞ、信乃しの一声ひとこゑあつ」とさけびて、そのまゝいきたゆるにぞ、小文吾もまた妙真めうしんも「これハ」とばかりおどろおりしも、にわの小かげに立しのびて、様子やうすうかゞから四郎が、障子せうじ蹴放けはなんでり「おたづもの〔の〕づか信乃しの村長むらをさ殿どのいてく」ひつゝ信乃しの引立ひきたつれバ、信乃しの忽地たちまちいき吹返ふきかへし、襟髪ゑりがみとつ投出なけいだせバ、なげられながらも、から四郎がなほ組付くみつかんと起上おきあがるを、おこしもたてず犬づか〔が〕ひざしつかおしいたる此有様ありさまに、小文吾ふたゝおどろき、こゑ振立ふりたて「思掛おもひがその活躍はたらき本復ほんぶくありしか、犬づか氏」はれて信乃しのハ心き  [次へ] 4ウ5オ

  5ウ6オ
[つゞき]  「さて血潮ちしほ奇特きどくにて、ぬべきいのち忽地たちまちたすかりたるか。かたじけなや。これひとへに山ばやし古主こしゆうつくす忠義の真心まこゝろ、九ッの世をかゆるとも、此厚恩かうおんわするまじ。かくまでめうある血潮ちしほ奇特きどくあの大八にもあたへなバ、もし蘇生よみがへこともやあらん。こゝろみ給へ、犬田氏」ふに、小文吾点頭うなづきて、かの梭尾貝ほらがひのこりたる血潮ちしほを、そのまゝ大八がくちひらきて注入そゝぎいるれバ、不思議ふしぎしたる大八が忽地たちまちすつくと立あがり、うまれて四才にまでも、にぎりしまゝひらかざりし左こぶしひらくにぞ、うちよりひとつの玉のいづるを、から四郎ハきつと見て「その玉、おれが」ひながら、信乃しの振捨ふりすて大八に、とんかゝるを身をはし、小手をとらへて捻挙ねぢあぐる。わらべ似気にげなき力量りきりやう早業はやわざ。「こりやかなはぬ」と、から四郎がにげんとするを大八か、かたへにありあふ小文吾が脇差わきざしばや拾取ひろひとり、く手も見せずから四郎が細首ほそくびてう討落うちおとせバ、此有様ありさまに小文吾驚愕おどろきつ、また歓喜よろこびつ。大八がこぶしうちよりでたるたま熟々つく%\見るに、これにハ仁じん一字いちじあり。それのみならず、父ふさ八に最前さいぜんられし脇腹わきばらに、何時いつほどにか  [二の巻〓] 5ウ
[一のまきより]  あざ出来いできて、形容かたち牡丹ぼたんはなたるが、くちあいだより見ゆるに、人々ひと%\感嘆かんたんしたる。それなかにもふさ八ハ、苦痛くつうわすれてこゑ奮立ふりたて「さてわが子ハ蘇生よみがへり、ことに玉ありあざあれバ、たれか犬士(けんし)はざるべき。おやにハはるかにまさりたる。あはれき子をみしよな」はれてお沼藺ぬい莞尓につこりわらふを、この世のいとまにて、果無はかないきへにけり。おりしも一間ひとまこゑあつて「里見治部ぢぶ大輔たいふ義実よしざね家来けらい、金碗(かなまり)大助孝徳たかのり入道にうたうヽ大(ちゆだい)同藩どうはんの武士(ぶし)蜑崎あまざき十一郎照文てるぶみ見参げんざんせん」よばはりつゝ、障子しようじをさつと推開おしあくれバ思掛おもひがき、山ぶしかの念玉ねんぎよく観徳くわんどくが、はじめにかはこの出立いでたちに「これハ」と驚愕おどろそのなかにも、信乃しの小文吾ハ脇差わきざしを身に引付ひきつけて油断ゆだんせず「様子やうす如何いかに」と躊躇ためらほどに、ヽ大ちゆだい座中ざちうきつと見まはし「人々ひと%\あやしむことなかれ。われ年来としごろ、仁義(じんき)礼智(れいち)忠信(ちうしん)孝悌(かうてい)の八ッの文字もんじあらはれたる八ッの玉をたづねんとて、六十しう遍歴へんれきすれども、いまひとつのたまをもず。今年ことし東国あづまつえひき鎌倉かまくらまできたりしに、はからずも此処これらるゝ蜑崎あまざき照文てるぶみ邂逅めぐりあひ、子細しさいとへバ、照文てるぶみハ「君のおふせをうけたまはり、賢良(けんりやう)武勇(ぶゆう)の人をえら召抱めしかゝへんため国々くに%\ひそかめぐる」とふ。ときに「これなる行徳ぎやうとくに、小文吾と若者わかものありて武勇すぐれしものなるが、こしのあたりにひとつのあざあり。その形容かたち牡丹ぼたんに  [つぎへつゞく] 6オ

  6ウ7オ
[つゞき]  たり」と風聞ふうぶんほのかきこえたり。そのあざ牡丹ぼたんたることおもあはすることもあれバ、ひそか様子やうすさぐらんためわれ念玉ねんぎよくかり名告なのり照文てるぶみまた観徳くわんどくつくりけて、当所とうしよきたり「山ぶしなり」とこしらへて、ともに此屋に逗留とうりうなし、始終しじう様子やうすうかゞふところ、「一人ひとり小文吾のみならず、信乃しの現八けんぱちも大八も、また額藏がくざうとかへるものも、各々おの/\その身にあざりて、各々おの/\そのたまもてり」と察知うかゞひしつたるこのよろこび。そも/\主君しゆくん里見殿どの先年せんねん安西(あんざい)景連かげつらしろかこまれ給ひしときしろ兵糧ひようろうともしけれバ、味方みかた難儀なんぎおよび折柄おりから戦術せんすべきて、我君わがきみ八房やつぶさかひ犬に「なんぢ敵将てきせう景連かげつら喰殺くらひころして、おほくの味方みかた生命いのちすくふものなら、わがむすめ伏姫ふせひめ婿むこにせん」とのおん戯言たはむれを、いぬ信実まことおもひけん。その景連かげつら首級くびつてかへりたるより、かの犬ハ伏姫ふせひめうへ恋慕れんぼして、些時しばしも  [次へ] 6ウ7オ

  7ウ8オ
[つゞき]  ひめ側辺ほとりはな〔れ〕ず、つひ山にともなはれて、ながき月日をおくり給へど、姫君ひめぎみ賢女(けんぢよ)ましませバさらおん身をけがされ給はず。されども犬のけてはらおん子を宿やどし給ふを、世にはづかしく思召おぼしめされ、自殺じさつし給ふ。疵口きずぐちより忽地たちまち白氣(はくき)立上たちのぼりて、八ッの玉を巻上まきあげたり。そのときわれ鉄炮てつぽうにてかの八房を打留うちとめしかども、姫上ひめうへ自殺じさつたまふを見て、とも追腹おひばららんとせしが、姫君ひめぎみおふおもけれバ、おしからぬ身を延命ながらへて、かの飛失とびうせし八ッの玉を、年来としごろ尋求たづねもとめんため諸国しよこく遍歴へんれきし、当所たうしよ今日こんにち只今その玉のぬしふたる歓喜よろこびハ、なに〔に〕たとへんものし」ひつゝかたへを見かへれバ、照文てるぶみまた小膝こひざすゝめ「今此法師ほうしはるゝごとく、犬づかはじめ五犬士ハともに里見に宿世すくせあれバ、今より当家とうけしんたらんこと勿論もちろんことなるべし。わがきみ安房(あは)切随きりしたがへ、一国いつこく無異ぶいおさまれども、先年せんねん安房あは逐電ちくてんしたる山下定包さだかね麻呂まろ信時のぶときひそか逆意ぎやくいもよふして里見をたんとはかよししかるに安房ハ辺鄙へんぴなるゆへ味方に左程させる智勇(ちゆう)ものし。つて拙者せつしや仰付おふせつけられ、あまねく賢(けん)もとむる折柄おりからはからずもおん邂逅めぐりおふたる歓喜よろこびハ、百まん味方みかたしにもして、当家とうけ僥倖さいわひならん」ふに、ちゆ大ハ懐中ふところよりかの水晶すゐしやう数珠じゆず取出とりだし「汝等なんぢらこれを見よ。かたじけなくも此数珠じゆずハ  [つぎへ] 7ウ8オ

  8ウ9オ
[つゞき] 役行者ゑんのぎやうじや姫上ひめうへさづけ給ひしところにして、汝等なんぢら所持しよぢなす玉ハみなこの数珠じゆずおや玉なり。又身うちなる牡丹ぼたんあざかの八房やつぶさが毛いろにあやかる。これのがれぬ因果いんぐわなり」ひつゝ差出さしだかの数珠じゆずを、信乃しの小文吾ハきつと見て、儀容かたちあらため、手をつかへ「この身の素性すぜうくのみか、又我々われ/\が身にきし玉の因縁いんゑんあざ由来ゆらいうけたまはりし身の本懐ほんくわいこれにて思廻おもひめぐらせバ我々われ/\五人の其他そのほかなほ三犬士らんことうたがふべくも候はず。今より諸国しよこく馳巡はせめぐその三犬士を尋求たづねもとめ、里見の御家おいへ御味方おみかたし、山下麻呂まろをも討伐うちたひらげん。御心みこゝろやすかれ御両所ごりやうしよふに、よろこちゆ照文てるぶみそれくよりふさ八も、くるしきいききあへず「ヲヽいさましきその一言いちごんわれにハすこしのあざく、玉もけれど僥倖さいわひに、犬士の員数かずりたる大八。何卒なにとぞかれが身のうへを、宜敷よしなにたのまいらする」とふに、ちゆ点頭うなづきて「信乃しのやまひすくはんため我家わがいへ先祖せんぞよりつたはるところ血潮ちしほの名法(めいほう)それとハしに小文吾に、最前さいぜんはなきかせしかども、世にも得難えがたき男女の血潮ちしほ如何いかにやするとおもひしに、なんぢ夫婦ふうふ生命いのちおとし、信乃しのたすけし義心(ぎしん)よつて、忽地たちまちその子も蘇生よみがへり、犬士の員数かずりたるハ、信義まことてらす天のめぐみ。今よりしてハ大八が名を犬江しん兵衛仁(まさし)名告なのらせ、おやの名まで顕彰あらはさせん」とふに、ふさ莞尓につこわらひ「その御言葉おことば未来みらい土産みやげいざうへハ犬田殿どのわがくびうつ親人おやびと縄目なわめはやすくはれよ」覚悟かくごていに、小文吾が「苦痛くつうを見せじ」よつて、くちとなふる称名しようみやうともひらめやいばしたに、ふさ八がくび討落うちおとせバ、こらへかねつゝ妙真めうしんが、おぼへず「わつ」となきしづこゑひとしくおもてにも「アツさけびて、くるしむ物音ものをと。「何事なにごとやらん」小文吾がかどの戸くれバ、けん八がまうきん太を小脇こわき締付しめつけ、徐々しづ/\として入来いりきたり、二人かたへ投出なげいだせバ、まうきん太ハ眼玉まなこ飛出とびい伏重ふしかさなりて息絶いきたへぬ。其時そのときけん威儀かたちあらため「拙者せつしやこと今朝けさはや破傷風はせうふう妙薬めうやくもとめんために、芝浦しばうらまで遙々はる/\たづねてまいりしところ、『その妙薬めうやくせいする人、いま彼地かのちらず』とふに、ちからおよばず、すご/\と立かへりつゝかどまでしに、うちにハ人のなげこゑ、「何事なにごとやらん」とうちさはむねしづめてうかがほどに、のこらずもれ〔く〕これかれおん物語ものがたりに、此身のうへさへ、たまあざとの因縁いんゑんさへ、はじめてつて疑惑うたがひくもハ  [つぎへ] 8ウ9オ

  9ウ10オ
忽地たちまちばれたれバ、『此うへうちり、各々おの/\がたまみへん』とおも折柄おりからかたへなるかべくずして這出はいだ癖者くせものなにかひそ/\囁合さゝやきあひ、ゆかんとするを引補ひつとらへ、すなは此処これに」と物語ものがたれバ、照文てるぶみいてうち点頭うなづきその癖者くせものとらへずバ、此方こなたの大うつたへられ、こと難儀なんぎるべきを、とらへられしハ遖候あつぱれから。此うへハ犬田氏おん身ハはやその首級くびを村をさかた携行たづさへゆき、親御おやご縄目なわめすくはれよ。われ法師ほうし諸共もろともに犬づかかひ犬江をともなひ、一先ひとまづこのを立退ひて、麻呂まろ山下を討滅うちほろぼす手だてめぐらし、かつまたかのがく藏にも対面たいめんし、なほほかなる三犬士の在処ありかも、ひそかたづぬべし。おん身もあとより。合点がてんか」ふに、小文吾莞尓につこと笑ひ、「気遣きつかさるゝな。おや難儀なんぎ救出すくひだし、出口でぐち/\のかためを退しりぞけ、やがてあとより追付おひつかん」とふに、大八立あがり、かべけたるゆみ推取おつとり「婆様ばゝさまわし今日けふから武士さむらひ伯父おちさまたち一緒いつしよく。婆様こなたあとから御座ござんせや」勇立いさみたつたるまごかほ見るうれしさと、ふさ八が首級くびわかるゝかなしさに、また伏沈ふししづ妙真めうしんこゝろを「こそ」とさつしたるちゆ照文てるぶみ信乃しのけん八も  [つぎへ] 9ウ10オ

  10ウ 奥目録
[つゞき] ともを見あはせつゝ、「さらバ」とばかり立あがれバ、はや啼渡なきわた群烏むらがらすハほの%\とそあけにける。

これより下のまきつゞ

國芳画 10ウ 
春水作   

〔広告〕

 藏版新刊珎奇雜書略目録

 遊仙沓春雨艸紙ゆうせんくつはるさめざうし (十一編\十二編) 緑亭川柳作 一陽齋豊國画

 田舎織糸線〓衣いなかをりまがひさごろも (四編\五編) 仝作 同画

 天〓太平記てんろくたいへいき (初ヨリ\追々出板) 仝作 一勇齋國芳画

 奇特百歌仙きどくひやくかせん  同断 仝案 一立齋廣重圖

 畸人百人一首きじんひやくにんいつしゆ  全一冊 仝案 同畫

 狂句五百題きやうくごひやくだい  全二冊 五代目 川柳著

  東都書房  南傳馬町一丁目 蔦屋吉蔵板 」奥目録

五編下巻

  見返 11オ

〔見返〕
「今様\八犬傳\第五編\下の巻」「春水作\国芳画」「とり女画」[蔦吉\山口版]

〔本文〕
[石濱の段]  「イヤナニ犬田小文吾殿どのそれがしことこみ山勘ヶ由左エ門(かげゆざへもん)頼連よりつらとて千葉家(ちばけ)譜代ふだい武士ぶしなりしが、仔細しさいつて出国(しゆつこく)し、久敷ひさし浪人らうにんいたせしところ、此屋の主人あるじ馬加(まくはり)大記(だいき)推挙すゐきよよつ帰参きさんとゝのひ、往古むかしかへる此身の出世しゆつせうけ給はれバ其処そこもとにも久敷ひさしく此屋に逗留とうりうあるよしなにがな饗応もてなまいらせんとおもへど、大記(だいき )主用しゆうようしげ今日けふ拙者せつしや主人あるじかはり、不束ふつゝかながら亭主ていしゆやくいざ粗酒そしゆひとつまいらせん」かたへりあふさかづきみづかつてすゝむれバ、小文吾せきあらためて「これハ/\こみ山氏、それがし不思議ふしぎことり、当家とうけ長々なが/\逗留とうりうのうち、日ごと/\のおん歓待もてなし今日けふ取分とりわけ此かた花街くるわに見たて趣向しゆかうぶりうらゝかな春の夕暮ゆふぐれはなさかりハ一刻いつこく千金、田舎いなかそだちのそれがしおどろかし候」ひつゝ四下あたりを見まはせバ、つぎひかへし四人の若者わかもの各々おの/\其処そこ進出すゝみいで「我々われ/\ことハ大記が家来けらい、今四天王(してんわう)ばれたる渡辺わたなべ綱平(つなへい)坂田さかたの金平「卜部うらべの季六(すへろく)碓井うすゐの貞九郎(さだくらう)これひかへてまかり。いざ犬田殿どの我々われ/\が  [つぎへ] 11オ

  11ウ12オ
[つゞき]  御酌おしやくいたすで御座ござりませう」ふを頼連よりつらきゝあへず「イヤ汝等なんぢら骨太ほねぶと無骨ぶこつしやくでハさけめぬ。其処そこおもつて今宵こよひ催事もよふし花街さと女子おなごはづく/\ 此処これ呼出よびだしやれ」ふに、つなひたいで「如何いかさまこれおふせのとふり、頼連よりつら(こう)にハかねてより執心しうしんの花紫(はなむらさき)ふを、頼連よりつらかへりて「つななにもふすのじや、小文吾殿どの〔の〕かるゝまへで、あまりつか/\遠慮ゑんりよい」ふに、小文吾うちみて「イヤ拙者せつしやへのことならバ、斟酌しんしやく無用むよう/\。こひ思案しあんほかとかへバ、頼連よりつら殿どのにも、さてその如何いかにもられしうへからハ、つゝむにせんおもひ、今宵こよひ是非ぜひとも花紫はなむらさきを、口説くどおとしてねやはな言葉ことばなかばへむかふより「さァ/\みなさん御座こざんせ」仲居なかゐ阿石おせきさきち、廊下らうかづたひに花紫はなむらさき新造しんそう禿かむろ引連ひきつれて、裲襠うちかけ姿すがたしどけなく、歩出あゆみいでつゝ立留たちとゞまり「うき世のはる押並おしなべて、曲輪くるわかはらぬ此ながめ、おもはぬかぜさそはれて、色香いろかはこ艶桜あだざくら、手けのはな手折たをられても水げかねしこゝろうちほん辛気しんきことじやな」ふを此方こなたつなすゑ六「これハ/\むらさき太夫、頼連よりつらこう待兼まちかね。さァ/\此方これへ」 まねけバ「てもせわしない。くわいなァ。子供こどもやれ」ひつゝもみなうちれてとふれバ衣紋ゑもんつくろ頼連よりつら四下あたりを見まはし「コレ阿石おせき此程このほどよりしてそれがしが、色々いろ/\手をしなへ、口説くどいても/\  [つぎへ] 11ウ12オ

  12ウ14オ
[つゞき]  身にしたがはぬ花紫はなむらさき、それゆへ其方そなたたのいたが、返事へんじいて落着おちつきたい。如何どふじや/\」問掛とひかくれバ、阿石おせき莞尓につこり手をつかへ「さァそのことハ、わたくし呑込のみこんでりますれ」と、はりつよひが花廓くるわ意気地いきぢ、「ツイおいそれともりませぬ」「其処そこおとすが、仲居なかゐはたらき」「いて出来できぬがこひみち」「イヤその言葉ことば呑込のみこめぬ。花廓くるわ意気地いきぢかくも、一旦いつたん武士ぶし言出いひだした言葉ことばは、如何いつかあとへハかぬ。かたなけて、たつた今、返事へんじをさする。花紫はなむらさき、サァ返答へんとうハ」ひながら、きつにらめバ、打笑うちわらひ、「かたなけてとはしやんすりや、わたしころ御心おこゝろか。いのちおとすがこわいとて、いや御客おきやくはだれてハ花紫はなむらさきが名のけがれ、御前おまへ意地いぢわたし意気地いきぢくらべねバ是迄これまでに大夫とはれた甲斐かひい。るともくとも頼連よりつらさん。さァ如何どふなりと」覚期かくこ有様ありさま頼連よりつらいまたまず、かたな推取おつとり立あがり  [つぎへ] 12ウ14オ

  14ウ13オ
[つゞき]  「ヲヽ覚期かくごだ。此うへハ小文吾殿どのへの歓待もてなしに、なんぢこの活作いけづくり。わが包丁ほうてう手並てなみを見よ」やいばをひらりと抜放ぬきはなし、「たゞ一討ひとうち」と振上ふりあぐるを、「アレまァまつて」新造しんぞう仲居なかゐむるを、突退つきの振払ふりはらひ、なほも「らん」と頼連よりつらが、ふりひらめかすやいば稲妻いなづまおりしも彼方あなた一間ひとまより、走出はしりいまひ子の朝開野(あさけの)二人ふたりなかわつり「まァ/\まつくださりませ。わけ白刃しらはそのなかへ、んではいるハなにとやら、出過ですぎたものしかりも、つてハれど此まゝに、見すてかれぬ此場このば様子やうすおつもつれて御座敷おざしきも、波風なみかぜてぬがまひ子のやくはゞかなが〔ら〕わたくしに、このことこのまゝに、あづけなされて、頼連よりつらさまその御刀おかたなをも御怒おいかりをもをさめなされてくださりませ」ふを頼連よりつらきゝへず「たれかとおもへバ其方そち朝開野あさけのらざる女の差出さしでぐち止立とめだずと、其処そこ退きやれ」「イヱ滅多めつたにハ退きますまい。およ殿御とのご姫御前ひめごせも、こひかはりハいものを、此ほどからしてわたくしが、こゝろ実情まこと打明うちあけても、貴方あなた薄情つれな返事へんじばつかり。貴方あなたわたし薄情つれないも、此処こゝ御座ござんすむらさきさんが、貴方あなた薄情つれなしやんすも、こゝろかはりハ御座ござんせぬ。こひかたきりながら、むらさきさんをかばふのも、貴方あなたつくわたし真実まことこのあづけてくださんすか。それかなはぬことならバ、むらさきさんよりわたしからさきころしてくださんせ」、身を擦寄すりよすれバ、頼連よりつらが  [つぎへ] 14ウ13オ

  13ウ15オ
[つゞき]  「こゝろまぬ朝開野あさけのあつかひながら、此まゝあたさかりを見もはてず、ちらすハしき花紫はなむらさきしからバ其方そちのぞみにまかせ、些時しばしあいだあづけてれう。とハへ、いた此白刃しらは(ち)を見ぬうちおさめてハ、やいばの手まへ武士ぶし一分いちぶん〔た〕ぬとならバ朝開野あさけのが、貴方あなたてる小ゆび心中しんぢうこれうけつて」ひながら、頼連よりつらやいばにてゆびらんとするところを、背後うしろうかがふ小文吾が「つた」こゑけ立つて、やいばをもぎり、われわがゆび発止はつしきりとせバ、不思議ふしぎ俄頃にはか動揺どうようして、風もらぬにちりかゝさくらこすへ屹度きつとにらまへ「はて心得こゝろえぬ。小文吾が今此白刃しらはあやなせバ、忽地たちまちさくらの落花(らくくわ)すハ、つた〔き〕たる落葉丸(おちばまる)ふに「さてハ」朝開野あさけのらんとするを、頼連よりつらが手ばややいばうけつて「を見しうへハ此白刃しらは拙者せつしやたしかうけつた」さやとりげておさむれバ、忽地たちまちちりさくら不思議ふしぎそのとき犬田ハきりてしゆびとりげ「コレ朝開野あさけの、此小文吾が其方そなた心中しんぢうこれうけつて」さしいだせバ「わたし御前おまへ心中しんじうとハ」「ハテれたことれたのじや。其方そなたわし宿世すくせよりむすんだちぎりるやらん。一目ひとめしよりこひかぜの身にみ%\と思込おもひこみ、わするゝひま煩悩ぼんのふの、犬田がこゝろ推量すいりやうして、いろ返事へんじか  [つぎへ] 13ウ15オ

  15ウ16オ
[つゞき]  せてれ。如何どふじや/\」手をつてたはむれかゝるを朝開野あさけのが「わることを」ひながら、その手をつてねぢかへちからおどろく小文吾が「さてこそちがはぬ、たしかに男」「ナニおとことハ」頼連よりつらきゝとがむれバ、小文吾が「イヤナニ男が此やう言葉ことばつくし、誓文せいもんゆびまでつたをあだにハまひ。その返答へんとうなんとじや」はれて、朝開野あさけの莞尓につこわら頭髪つむりしたる釵児かんざしぬきりてさしいだし「御前おまへ返事へんじハ此釵児かんざし」「すりやそのしなそれがしに」ひつゝつてうちながめ「こりや桃花(とうくわ)りたる釵児かんざしこれを身ども返事へんじとハ」「さァその花の釵児かんざしなぞけたら後方のちがたまでに」「たがひのむねをも下紐したひもをも、とくと思案しあんをして見やう」かの釵児かんざし懐中ふところるれバ、此方こなた頼連よりつらが「さてハ小文吾和殿わどのにハ此朝開野あさけの執心しうしんとな。こゝろおなそれがし花紫はなむらさき〔て〕所縁ゆかりいろわすられねど、いてかぬがこひみち。此うへハ、これ朝開野あさけの其方そち言葉ことばしたがふて、些時しばしあいだ花紫はなむらさき其方そちあづけてつかはすほどに、口説くどおとして今宵こよひうちに、屹度きつとどもとりいたせ。犬田氏にハ別間べつまにて薄茶うすちや一服いつぷくまいらせん。みな一緒いつしようおじやれ」ひつゝてバ、小文吾はじめ新造しんぞう歌綾うたあや仲居なかゐ阿石おせきつな平、きん平、すゑ六等もみなうちれておくる。あとおくりて花紫はなむらさきすゝりつゝ「朝開野あさけのさん、わたし御前おまへねがひがるが、なんかなへてくださんすか」ふに、朝開野あさけのつて「はしやんすりや、わたしまた御前おまへひとつのねがひがる。それきゝとゞけてくださんすか」「御前おまへことならなんなりと。たとへいのちへてでも」「うれしう御座ござんす、大夫さん。してまた御前おまへねがひとハ」「はづかしながら、朝開野あさけのさん。情夫いろつてくださんせ」「そんなら女子おなごこのわたしに」「たとへ女子おなごであらうとも、れまいものでも  [つぎへ] 15ウ16オ

  16ウ17オ
[つゞき] 御座ござんせぬ。どふぞねがひをかなへて」ふに、朝開野あさけのうちあんじて「女子おなごれるも、これなにかの約束やくそくごとうれしう御座ござんす。此うへハ、こゝろこゝろかはらぬ夫婦めうと、とハふものゝ女子おなご同士どしほか仕様しやう御座ござんせぬ。それほどまでわたしこといとほし〔しほ〕がつてくださんす御前おまへこゝろ真情まことなら、今からわたし頼連よりつらさんにどふぞ御前おまへとりもちで」「『はせてれい』とはしやんすか。そりうそじや。いつはりじや。真実まこと御前おまへ本心ほんしんあの頼連よりつらちかつて、落葉おちば丸をとりへし、とゝさんやはゝさんのかたきたん下心したごゝろふにおどろ朝開野あさけのが「コレおとたかし、人やく。つゝつゝみし此身の大望たいまう大事だいじつたうへからハ、不憫ふびんながらもけてハかれぬ。覚期かくごれ」ひつゝもかくつたる懐剣くわいけんをひらりといてふりぐるやいばおそれぬ花紫はなむらさきが、のぞところと身をすりせ「さァころして」覚期かくご有様ありさま。「ふにやおよぶ」懐剣くわいけんふりひらめかせど、たゆまぬむらさき「さァ/\つてころして」くびさしぢてつともうごかぬ丈夫ぜうぶ心魂たましい熟々つく%\と見て朝開野あさけのが「心底しんてい見へた」ひながらやいばさやおさむれバ「そんならわたしねがひをかな情夫いろつてくださんすか」よりむらさき朝開野あさけの四下あたりを見まは懐中ふところより袱紗ふくさつゝみし  [次へ] 16ウ17オ

  17ウ18オ
[つゞき]  一巻(いちくはん)とりいだしつゝさしつて「御前おまへ心底しんてい見たうへハ此身の大望たいまう成就ぜうしゆせバ、そのときこそハかなら夫婦めうとはらぬ証拠せうこハ此一巻いちくはんふをむらさきうけつて、かたへりあふ硯箱すゞりばこふでとりげ、かの一巻いちくわんなにやらさら/\かきしたゝめ、最前さいぜんつたる小文吾がゆび血潮ちしほまみらして「これ見てべ」さしいだすを朝開野あさけのつてうちながめ「犬田小文吾悌順やすより血判けつぱん」「それわたしこゝろ真情まこと」「すり御前おまへにハ犬田氏の」「すゑいもと御座ござりまする。此うへ朝開野あさけのさん、今宵こよひうちに、頼連よりつら片時かたときはなさぬ落葉丸おちばまるを、御前おまへの手に本望ほんまうを」「そんならかれ帯紐おびひもひて」「なんの此身をまかそうぞ、なびくと見せてなびかぬが、其処そこつとめの手練てれんくだ」「とハふものゝ邪知じやちふか頼連よりつらなれバ滅多めつたにハ」「其処そこだますが女子おなご口先くちさきだまされやすひがこひみち」「そんなら首尾しゆび一振ひとふりを」「いのちけてわたし屹度きつとそれまで朝開野あさけのさん、おく一間ひとまひとれず」「手だて相談そうだん」「夫婦めうとかため。さァ御座ござんせ」手をつて其侭そのまゝ二人ふたりおくる。おりしも此方こなた物陰ものかげより、様子やうすうかゞひ立いづるハ朝開野あさけの衣装いしやうかつぎ、里七と一人ひとり若者わかもの四下あたりまは独言ひとりごとほんうき世ハ色々いろ/\で、あの大尽だいじん頼連よりつらさまが、かねあかして大夫さんを手にれやうとつしやるを、きらつてそばへもよりかず、それにハ引替ひきか朝開野あさけのさんがあのうつくしいかほつきで、もちける据膳すへぜんきらつてはぬ頼連よりつらさまそれさへあるにいまけバ、大夫さんが朝開野あさけのさんに  [つぎへ] 17ウ18オ

  18ウ19オ
[つゞき]  れたとやらなんとやら。女がおんな色事いろごと〔と〕ハ、吾等われらくに〔に〕はなし。どふも合点がてんかぬわい」一人ひとり手を思案しあん最中さいちう一間ひとまうちよりにわづたひに、そつといで新造しんぞう歌綾(うたあや)四下あたりまはし里七のそばよりひ、はづかしげに「モシ御懐おなつかしう御座ござりました」かほそむけてさしうつむけバ、里七驚愕びつくりとび退ひて「何方どなたかとおもふたら、御前おまへたしか大夫さんにつかはるゝ新造しんぞうさん。さて春気はるけくらみ、色男いろおとこ門違かどちがひか。しかし女がおんなれる世のなかなれバ、しひよつと御前おまへわしれたのなら、わし一生いつせうおんな断物たちものこのことばかりハ了見りやうけんして」かほ熟々つく%\うちり「つゝみなさるハ道理ことはりながら、貴方あなたハ里見義成(よしなり)さまふをおしめ、里七ハ四下あたりまはこゑひそめ「わが本名ほんみやうつたるハ」「その御疑おうたがひハ無理むりらねど、わらは貴方あなた許嫁いひなづけの」「そりや成氏(なりうぢ)息女そくぢよきゝし四阿(あづまや)殿どのにてありつるか」とき四下あたり木蔭こかげよりあらはづる数多あまたの女中。各々おの/\其処そこへ手をつかへ「妾共わたくしども最初はじめより四阿あづまやさま腰元こしもと姫様ひめさまにハ貴方あなたさま許嫁いひなづけのありしより、嫁入よめいりの日をゆびつてちなされた甲斐かひく、貴方あなたさまにハ「安房あはたち退行方ゆくゑれず」と世の風聞ふうぶんたとへ何処いづくはてまでも、御跡おあとしたまゐらせん」と姫様ひめさま御供おともして、滸我こが御所みたち漸々やう/\と、忍出しのびいでしが女子おなご甲斐かひさ、光棍わるものとらへられ、花街くるわられて主従しゆう%\が、つらつとめのそのうちも、四阿あづまやさまにハ露程つゆほども、いまおん身をけがされ給はず。かみほとけ願事ねぎごとの、その甲斐かひつて今此処こゝで、ひなさるもきせぬゑんさぞうれしうりませう」ふに、里七おどろきて「わがあとふて御舘やかたでしハ不了見ふりやうけん。とハふものゝ、女子おなごこゝろらん。よし安房あはを立退ひて、かゝ容姿すがたに身をやつすも、てき様子やうすさぐらんため首尾しゆび逆徒ぎやくとうちたひらげ、われ本国ほんごく立帰たちかへらバ  [つぎへ] 18ウ19オ

  19ウ20オ
[つゞき]  そのとき目出度めでた迎取むかへとらん。時節じせつたれよ、四阿あづまや殿どのはれて此方こなた打萎うちしほれ「おもひにおもふて今日けふ此処こゝで、かゝつた甲斐かひく、此侭このまゝ本意ほいわかれを」ふを打聞うちき腰元こしもとたちそり貴方あなたのが御尤ごもつとも。許嫁いひなづけ夫婦ふうふなかたれ遠慮ゑんりよるもので。さいわ四下あたり人目ひとめし。このもる御話おはなしを」ひつゝ一間ひとま押入おしいれて、御簾すだればつたり繰降くりおろし「此処こゝつてハかへつて邪魔じやますいとふして、なァ皆様みなさん。さァ御座ごさんせ」腰元こしもと皆々みな/\うちつてく。

[こゝのゑとき]  此方こなたにハ小文吾が一人ひとり思案しあんの手をこまぬき「われ故郷ふるさとでしより、犬づかかひいひあはせ、里見殿どの〔の〕おんために山下麻呂まろ虚実きよじつうかゞひ、又ふたつにハ我輩わがともがらどう因果いんくわの犬士在処ありかたづもとめんために、われ武者修行むしやしゆぎやういひ〔て〕些時しばらくこの屋に逗留とうりうすも、『当家とうけ主人あるじ馬加(まくはり)大記まつたこみ頼連よりつらが、山下麻呂まろ一味いちみして里見にあだこともやあらん』と彼等かれら様子やうすうかゞふに、遊女いうぢよまひ子を呼集よびあつめ、日ごとわれ歓待もてな有様ありさまなにとももつ〔て〕合点がてんかず。しかるにまひ朝開野あさけのハ女にげなき立振舞ふるまひかの頼連よりつら表面うはべにハ恋慕こひしたへども、なにとやらうらみをふくかれ面体めんていこと落葉おちば一振ひとふりこゝろける有様ありさまハ、『ねてうはさ聞及きゝおよびし、粟飯原あいばら氏の忘形見わすれがたみかの犬坂いぬさかにハあらざるか』とおもふに、さいは花紫はなむらさき阿縫おぬひつぎわが姉妹いもうとかれハ今より三とせさき、並四郎(なみしらう)誘拐かどわかされ行方ゆきがたれずなりつるが、不思議ふしぎ此程このほど巡逢めぐりあい、様子やうすけばかれまた朝開野あさけのを男とり、こゝろふかしたへるよしよつ姉妹いもと〔と〕こゝろはせ、こひことためせしところ、最前さいぜんわれおくりし釵児かんざし桃花(とうくわ)模様もやうそのしたに  [つぎへ] 19ウ20オ

  20ウ 奥目録
[つゞき]  『○け入りし 枝折しをりえたる 麓地ふもとぢながれもでよ たに川のもゝ一首いつしゆ和歌うたゑりけしを、われ返事へんじひつるハ『枝折しをりえたるおくより、今宵こよひひそかしのよ。こゝろ真実まこと打明うちあけん』とけたるなぞか」釵児かんざしを又取出とりいだしうちながめ、なほ思案しあんたる。

これより第六べんにて、毛野が仇討あだうちあみつると、すぐに犬村大角が赤岩あかいわ住処すみかだんを、今様ぶりつゞだせバ、弥々いよ/\高覧かうらんねがふとふ。目出度めてたし/\/\/\/\/\。

(朝鮮)牛肉丸ぎうにくくわん 一包百銅\ 此薬ハ脾胃(ひ い)おぎな腎精(じんせい)すを〓一とす。此外諸病に功あること御こゝろみ御ためし可被下候 下谷さみせんぼり\對州屋敷 染嵜氏

爲永春水作   
一勇齋國芳画 20ウ


〔広告〕

嘉永五壬子歳新鐫藏版目録

 阪東太郎後世譚ばんどうたらうこうせいばなし (八編\九編) (西馬作\貞秀画)

 岸柳四魔談きしのやなぎしまものがたり (三編\四編) (同作\國輝画)

 倣像なぞらへ水滸すいこ侠名鑑けうめいかゞみ (初輯 二輯 三輯)(樂亭西馬稿案\〓持樓國輝画圖)

 勸善くわんぜん懲惡ちやうあく乗合噺のりあひはなし 七編 八編 (柳下亭種員作\一陽齋豊國画)

 江戸鹿子紫草紙えどかのこむらさきさうし (二編 三編) (文亭梅彦作\香蝶樓豊国画)

 小栗判官駿馬誉おぐりはんぐわんめいばのほまれ (中本\一冊) (西馬編\芳虎画)

 象頭山夛宮日記ぞうづさんたみやにつき (中本\一冊)(樂亭譯\國輝画)

 爲朝弓勢録ためともゆんぜいろく 仝 (同\同)

  東都馬喰町二丁目西側(書物地本\繪草紙)問屋 山口屋藤兵衞

奥目録

 後ろ表紙


第六編

表紙

 表紙
今様八犬傳いまやうはつけんでん\ 錦耕堂梓\ 爲永春水作\ 一勇齋國芳画

序・見返

  見返・序

〔見返〕
今様八犬傳\六編上冊\為永春水作\一勇齋國芳画\(山藤\蔦吉)合梓\おとり画

〔序〕
[村松][福]

人間にんげん一生いつしやう苦樂くらくハ。一日いちにち戯場げぢやうごとし。と先哲せんてついはれしが。作者さくしやむねのこんたんハ。早晩いつも二番目にばんめ中幕なかまくにて。今宵こよひ夜半やはんかね相圖あいづに。是非ぜひとも。二冊にさつ種本たねほんを。かいわたすかもなくバ。おく踏込ふみこ催促ざいそく身代みがはり代作だいさくの。また生筆いきふで死筆しにふでハ。草稿さうかうちがふなぞ。とそんな古手ふるてなせりふもきかぬ。返答へんたうどうじやと板元はんもとが。松王まつわうもどきてかけるを。おつと承知しやうち安請合やすうけあひされども這方こなたあへバ。他方かなたたいして義理ぎりたゝず。せつなきもの作者さくしやみさほ。これが自由じゆうになることなら。こゝ三冊さんさつかしこへ。五冊ごさつ拾書ひろひがきして三百さんびやくさつも。一所いつしよ出来できよと梅ヶ枝うめがえめかし。すゞりかねなぞらへて。てどたゝけど趣向しゆかういでず。途度とゞつまりの大切おほぎりが。てんてこまひにて打出うちだし/\

嘉永六(癸丑)春新販 [子十]  

爲永春水識 [印] 1オ   

口絵第一図

  1ウ2オ

鴎尻並四郎かもめじりのなみしらう 賊婦ぞくふ舩虫ふなむし       馬加まくはり大記だいき常武つねたけ 畑上はたかみ語路ごろ五郎ごらう成高なりたか

口絵第二図

  2ウ3オ
          花紫はなむらさき                 毛野けの

  3ウ4オ

[五へんのつゞき]  再説ふたゝびとく。犬田小文吾ハかの座敷ざしきたゞ一人ひとり些時しばし思案しあんそのをりしも、この主人あるじ馬加(まくはり)大記(だいき)茶碗ちやわんかた手にたづさへつゝ、徐々しづ/\としていでたり「これハ/\犬田氏、今日こんにつた。それがし管領くわんれい扇谷(あふぎがやつ)定正さだまさ公より火急くわきうめしかうむりて、これより鎌倉かまくらおもむはづ夫等それらの事に取紛とりまぎれ、はなは失敬しつけい。御容赦ようしや/\。不束ふつゝかなる手まへれども、いざ粗茶そちやひとまいらせん」と差出さしだ茶碗ちやわんに、小文吾ハうや/\しく手をつかへ「さて俄頃にはか鎌倉かまくら御出立ごしゆつたつとの御ことか、御心おこゝろせわしきをりならんに、態々わざ/\拙者せつしやへ御手づから御茶おちやまで給はる主人あるじの御懇志こんし。小文吾まこといたる。それのみならず最前さいぜんよりこみ山氏の歓待もてなしにて色々いろ/\との御饗応きやうおうおもはず酩酊めいてい御免ごめんあれ」ふに、大記ハうちみて「それ近頃ちかごろかたじけない。今宵こよひせがれ鞍弥五(くらやご)誕生たんぜう日にて候へバ、こみ山に申付まうしつけ、おさなけれども今やうの一きよくもよふはづなほ緩々ゆる/\くつろぎて又一こんすごされよ」ふに、小文吾うれしげに「田舎いなかそだちのそれがしにハなによりの歓待もてなしかなら拝見はいけんつかまつらん。なに扨措さておき、御馳走ちそう御茶おちやいざ頂戴ちやうだいいひけて、茶碗ちやわんを手に押戴おしいたゞまんとしつゝ、く見れバ茶碗ちやわんうちちやにあらで、いろも名にあふ山ぶきはならせし幾枚いくひらの小ばんに、小文吾心得こゝろえかね茶碗ちやわんそのまゝ差置さしおくを、大記ハ見つゝうちみて「犬田氏、何故なにゆへそればかりなるわづかのちやこゝろにハけ給ふぞ。らバ拙者せつしや心底しんていうちけて物語ものがたらんこと可惜あたらしきことながら、それがし主人しゆじんたのむ千葉介(ちばのすけ)自胤(よりたね)ハ、その生付うまれつ愚鈍おろかにして、いへぐべきものならず。拙者せつしや原来もとより千葉ちばの一ぞくいま自胤よりたね押倒おしたふし、かはつてともたれか又あたがたしとものらんや。それつき其許そこもとひそかだんずる子細しさいあり。まづこれを見られよかし。此あふぎハ水に舩(ふね)これわが身にたくらべ見るに  [つぎへ] 3ウ4オ

  4ウ5オ
[つゞき]  きみふねなり臣(しん)みづなり。みづふねうかぶれども、又良くふね転覆くつがへす。それがしこれまで自胤よりたねふねうやまうかべしかども、ふねにぶけれバはしず。このまゝにしてくちてんことなにとももつ残念ざんねんなれバ、われ自胤よりたね詰腹つめばららせ、せがれ鞍弥くらや五を取立とりたてて千葉のいへ相続そうぞくせしめ、管領くわんれい扇ヶ谷あふぎがやつ味方みかたたのみ、先年せんねん安房(あは)にて討漏うちもらされたる山下麻呂まろかたらひて、彼等かれらために里見をほろぼし、又なり氏をも討平うちたいらげて、隣国りんごくふるはんと思ふこゝろりながら、いま智勇ちゆう軍師ぐんしず。しかるに御身の武勇ぶゆう才覚さいかくいとたのもしく思ふがゆへに、打明うちあたの拙者せつしや心底しんていちからへて給はらバ、ことうへおん身もわれとも栄華ゑいぐわつくすべし。このこと受引うけひき給はんや」ひそめきつぐるを、小文吾ハ熟々つく%\いて威儀かたちあらため「何事なにごとかとぞんぜしに、おも密事みつじたのみ。原来もとより貴殿きでん御仰おふせとふり『きみふねなり。しんみづなり』れども、ふねうかべるハこれみづじゆんにして、又転覆くつがへすハぎやくなり。そのじゆんすてぎやくるハ、武士ぶしまじきところ也。『君々きみ/\たらずとも、しんもつしんたれ』とあるをしへすでに候はずや。庶幾こひねがはくハ迷惑まよひすてて、真実まこと忠臣ちうしんられんことこそりたけれ」はゞかいろこたへしかハ、大記ハあん相違さうゐして、こゝろうち憤怒いかりふくめど、あらぬていにてうちわらひ「あつぱれげた貴殿きでんの心てい。今もふせしハ戯言たはむれにて、おん身のこゝろき見しのみ、かなら他言たごん給ふな。最前さいぜんごとく「鎌倉かまくらへとていそぎの旅立たびだち帰宅きたくうへにて御かゝらん。なを緩々ゆる/\逗留とうりうあれ」と言捨いひすて、おくつてく。あとおくりて小文吾が一人ひとり莞尓につこうちわらひ「此程このほどよりの大記が歓待もてなし心得こゝろえがたしと思ひしに、わが推量すいりやうたがはずして、かれ謀反むほん陰謀くはだてあり。麻呂まろ山下をかたらひて里見のいへほろぼさんと、われを  [つぎへ] 4ウ5オ

  5ウ6オ
[つゞき] 里見に所縁ゆかりある犬士とらで迂闊うか/\大事だいしあかせしうへからハ、最早もはやのがれぬ彼等かれら運命うんめいわれ偽計いつはつてかれ味方みかたし、手だてうらかゝんとおもはざるにあらねども、世に大丈夫たいぜうぶはれんものが、かりにもてきくみしてハ人の誹謗そしりまぬかがたく、つてつれなく論破いひやぶり、かれ言葉ことばしたがはねバ、大事だいじつたるわれなるゆへけてかじとはかるなるべし。もあらバあれ、何程なにほどことをかさん」とつぶやきつゝ、手をこまぬきてをりしも、とこけたる掛物かけもの〔の〕背後うしろかべを、かねてより切破きりやぶりてやきたりけん、頬被ほうかむりせし手拭 ぬぐひおもてかくせし一人ひとり癖者くせもの、手に一すじやりたづさ抜足ぬきあししつゝかのあなより忍入しのびいりて、小文吾が油断ゆだんを見まし、背後うしろよりものをもはず突掛つきかゝるを、やりひかりに小文吾が目早めばやくひらりと身をかはし「癖者くせものく、すきもあらせず突掛つきかゝ穂先ほさき彼方此方あちこちちがはして  [二の巻へ] 5ウ

[一のまきより] 抜合ぬきあはせたるやいば稲妻いなづま些時しばしもあらず、癖者くせもの〔の〕肩先かたさき発止はつし斬下きりさげてひるところ蹴倒けたをしつゝのぼかゝつて胸元むなもとを一太刀たちぐさと刺通さしとほはづみかむりし手拭 ぬぐひれしにはじめてあらはるゝかほ熟々つく%\打眺うちながめ「コリヤこれ先年せんねんわが姉妹いもと誘拐かどはかしたる鴎尻かもめじりなみ四郎にハあらざるか」とき背後うしろ暖簾のれんより様子やうすうかゞふ一人の女、かくつたる懐剣くわいけんを小文吾目掛めがけて早速さそく手裏剣しゆりけん此方こなたはやくもそれと見て、側辺かたへにあり掛花生かけばないけを小だて発止はつし受止うけとむれバ、そんじたりとやおどろきけん。あはてふためき、かの女ハおもてを見むるひまく、はやくも姿かげかくしける。6オ

  6ウ7オ
[こゝのゑとき]  「イヤ ナニ太夫花紫はなむらさきこれまて手をしな口説くどいても/\、薄情つれなばかりせしものが、つてはりしその素振そぶりそんなら信実しんじつこの頼連よりつら帯紐おびひもいて打解うちとけて「さァ今まで花街くるは意気地いきぢとほしてハ見たなれど、あんま貴方あなた御心おこゝろかたじけなさにほだされて、ついなびりました。かならず見ててくださんすな」ひつゝ寄添よりそ花紫はなむらさき頼連よりつらなほうたがひのこゝろけねバ差寄さしよつて「すり最前さいぜんまでくといつ意気地いきぢ打捨うちすてゝ、なびこゝろりしとか。イヤりやうそじや、いつはりじや。まことこゝろしたがふとふにハ、なん証拠せうこるか」「アレマア貴方あなたうたがぶかい。なび証拠せうこ如何どうなりと、わたし身体からだ貴方あなた随意まゝに」「ヲヽそれいて落着おちついた。のちともはず、いま此処こゝで二世の契約かためを。コレむらさき此方こちらぬか」手をれバ「貴方あなたあんま物堅ものがたい。その脇差わきざしわたしが」ひつゝらんと差出さしだす手さき頼連よりつらちやつと振払ふりはらひ、したる脇差わきざし抜取ぬきとつて、かたへなをして打笑うちわらひ「この脇差わきざしゆへつて、女の手にハれさせぬ。邪魔じやまならつて此処こゝく。これいか」寄添よりそへバ、花紫はなむらさきハ身をそむけ「本当ほん殿御とのごこゝろほど水臭みづくさものい。わたしの心を色々いろ/\うたがはしやんしたそのくせに、たとへ大事だいじ脇差わきざしでも「女の手にハれさせぬ。邪魔じやまならおれらう」とハ、どうやらへだてがやうで、けやらぬ貴方あなた御心おこゝろすゑすゑまでわたしが身をまか殿御とのご御心おこゝろに、くもかすみやうでハ、この行末ゆくさき覚束おぼつかない。当座とうざはなたはむれなら御免ごめん [つぎへ] 6ウ7オ

  7ウ8オ
[つゞき]  なされてくださりませ」びんとすねれバ、頼連よりつら差寄さしより「これハしたり。花紫はなむらさきなん其方そなたへだてやう。それほどまでこの脇差わきざししくバ、其方そなたりもせう。しかいまとふり、こりこれ、身にもがた大事だいじの一こしなるゆへに、迂闊うかつにハ手ばなされぬ。帯紐おびひもいてしつぽりとかれてたら、そのときに」「そんなら、ひとせぬうちハ」「ハテマアなんらうとも、おれ言葉ことばまかせてきやれ。僥倖さいはひ此処こゝ銚子てうしさかづきかためにひとんでさしや。ドレしやくをしてとらせん」銚子てうし推取おつとり、く/\とわりはれて花紫はなむらさきハ、かたへさかづき手に取上とりあいだせバ、頼連よりつら差寄さしよつてさけがんとするをりしも、思掛おもひがけなき背後うしろより「さかづきらぬ」とこゑけて、おくよりづる朝開野あさけのが、二人ふたりなかへずつと立出たちいで両手をばしてさかづき銚子てうしちし二人ふたりの手を確乎しつかとらへて押隔おしへだて「てもあつかましい、むらさきさん。頼連よりつらさんにハ御前おまへよりわたしさきれてる。それかためのさかづきとハ、おもへバくも出来でき義理ぎり頼連よりつらさまきこへませぬ。女子をなごくちからはづかしいことかぎりをはせていて、あんまりつれない心根こゝろね。せめて一御情おなさけを」るを突退つきのけ、こゑあら〔ら〕げ「またしても執拗しつこい女。最前さいぜん太夫を其方そちあづけ、『口説くどきおとして身がこひ成就かなへさせよ』言付いひつきしに、太夫のこゝろけたるハ其方そちが手がらおもひのほかかへつ邪魔じやま不届ふとゞきものたれる。朝開野あさけのその桜木さくら いましめよ」言葉ことばしたより卜部うらべのすゑ六「かしこまつた」ひながら、一うちより踊出おどりいで、いと柔弱かよは朝開野あさけのそのまゝつて引据ひきすゑつゝ、かいな背後うしろ捻上ねぢあげてかたへりあふ釣瓶縄つるべなわにてぐる/\まきいましめつゝ、さくらみき縛付しばりつくれバ、頼連よりつらハ見て打笑うちわらひ「それし。それし。生命いのちるべきやつなれども、今宵こよひ主人あるじ子息しそくたる鞍弥五くらやご殿どの〔の〕誕生たんじやうゆゑそれめんじてゆるしてれる。太夫其方そなたハ身と一緒いつしよおんの一でしつぽりと「わたしや、どうでもその一腰ひとこしを」「ハテサテ其方そちわる了見りやうけん最前さいぜんとほり、帯紐おびひもけバぐに  [つぎへ] 7ウ8オ

  8ウ9オ
[つゞき] る」「それでハどうもわたしむねが」「落着おちつかぬとやるなら、しからバこれなる一こしを、すゑ六、其方そちあづけてかう。太夫がこゝろ打解うちとけて、わがおもひをバはらしなバ、其方そちから太夫にわたしてりやれ」ひつゝ差出さしだ脇差わきざしを、すゑ六が受取うけとつて「まことに太夫ハ僥倖者あやかりもの頼連よりつら公の御心おこゝろしたがひさへするときハ、この大切たいせつな一こしくださらうとのいま御言葉おことば。まづ其迄それまですゑ六めが確乎しかあづかりたてまつる。しかなが頼連よりつらさまこの朝開野あさけのハ今やうでねバらぬ大事だいじ役目やくめこのやういましめてハ差当さしあたつたる手づかへに」ふを、頼連よりつらきゝへず「ハテそれとても大事だいしい。朝開野あさけのかはりにハ、花紫はなむらさきそれがしまひの手ぶりなにや、つい口移くちうつしにおしへてる。太夫とともすゑ六もおくやれ」身をこせバ「ても舌怠したゝるい」朝開野あさけのらんとするを、へだつるすゑ六。頼連よりつらハ見て嘲笑あざわらひ「ハテざま〔て〕、太夫が手をすゑ六とともおくへぞりにける。あとおくりて朝開野あさけのが「あのこひらずの頼連よりつらさまにくいハ太夫花紫はなむらさきたとへこの身ハいましめられ、手あし自由じゆうらずとも、思込おもひこんだる女子をなごの一ねん彼奴おのれおめ/\かそうか」しばられながら身もだへして、彼方あなた屹度きつとにらまへたる。かゝをりしも背後うしろよりぬき  [つぎへ] 8ウ9オ

  9ウ10オ
[つゞき] あししつゝ出来いでく武士さむらいいましめられし朝開野あさけのそば差寄さしより、かほ打眺うちながめ「ハテ何時いつ見ても/\うつくしいその面差おもざしそれけても頼連よりつら殿どのこのあてやかな愛嬌あいきやう持掛もちかける据膳すへぜんを、はぬばかりかこのやうに、しばつてくとハわからぬ心底しんていそれにハ引替ひきかへ身どもハ又、其方そなた笑窪ゑくぼにしみ%\とれたとこそへ、足駄あしだいてくびたけ此程これほどおも心中しんぢうをとこ、よもやにくうもおもふまい。頼連よりつら殿どのへの面当つらあてに、身どもいまから乗換のりかへるこゝろいか」寄添よりそへバ、朝開野あさけのしづかに見かへりて「ついぞ見れぬ御侍おさむらひさん。貴方あなた一体いつたい何方いづかたの」「ハテれぬとハじつい。拙者せつしやハ千葉の家隷いへのこにて畑上語路五郎(はたがみごろごらう)ばるゝもの此程このほどよりして、馬加まくはり殿どの〔の〕屋敷やしき度々たび/\まいごと其方そなたまひの手ぶりひ、又かほ容姿かたちうつくしさ。一見たそのときより、てもめてもわすられず、何時いつぞハふて心のたけはふ/\と思ひしに、此処こゝふたハきせぬ因縁ゑにし。どうじや/\」と身をせて口説くどけハ、朝開野あさけのかほあからめ「其程それほどまでわたしことを思ふてくださる御志おこゝろざし頼連よりつらさんへの面当つらあてに、いつそ貴方あなたに身をまかせ、これ見よがしにたけれど、それでハ貴方あなた身のうへ頼連よりつらさんへみますまい。心底まことわたし信実しんじつに思ふてくださる御心おこゝろなら、わたし一緒いつしよこの御舘おやかた駆落かけおちしてハくださんせぬか。とき貴方あなた二人ふたりたれ遠慮ゑんりよ夫婦めうとはれてぞく/\語路ごろ五郎、よろこびながらうち点頭うなづきそれまこと信実しんじつか。そのごんうへハ、ひとかたらぬ密事ひめごとながひそかげん」四下あたりを見まはし「抑々そも/\当家たうけ執権職しつけんしよく馬加まくはり大記とばるゝもの〔の〕当初はじめ卑賤いやしものりしが、何時いつぞや当家たうけの老臣たる粟飯原あいばらおほどものを『謀反むほんり』と言立いひた〔て〕、滸我(こが)使つかひのみちにしてこみ頼連よりつらに申け、かの粟飯原あいばら討取うちとらせ、滸我こが持参ぢさんの尺八さへなみ四郎と癖者くせもの奪取うばひとらせて、馬加まくはりひそかかくきたるなり。これより大記ハ経上へのぼりて執権職しつけんしよくなりしより、いまうへ活計くはつけい歓楽くわんらくわれも  [次へ] 9ウ10オ

  10ウ 奥目録
[つゞき] そのとき大記にくみして、粟飯原あいばらつま稲木(いなぎ)をはじめ、その独子ひとり ゆめの助をも、くび打落うちおとせし手がらハあれども、大記ハわれおもくももちひず。『所詮しよせん当家たうけりとても、成出なりいづる日もるまじ』と思ふがゆゑに、ぎしころ、大記がかくところ嵐山あらし と名けたるかの尺八と諸共もろともに、当家たうけ重宝てうほう小笹(をざゝ)の一ふり盗出ぬすみいだして此処こゝり。これみやこ持参ぢさんし、むろ殿どの差上さしあぐれバ、この身の出世しゆつせうたがし」われわすれて、われわが悪事あくじ語出かたりいだしける。いま語路ごろ五郎がはずがたりに「さてハ」とばか朝開野あさけのハ、おどろむね押鎮おししづめ、なほそのあとかんとするにぞ、それともさとらぬ語路ごろ五郎ハ、弥々いよ/\そば寄添よりそひて「元来もとよりくだんの尺八を大記がひそかかくくも、かれ謀反むほん兆候きざしありて、主人しゆじん頼胤よりたね押倒おしたふいへうばはん目論もくろみゆゑわれそのことゆゑに、さきまはつて、尺八と小笹をざゝ丸の一ふりものして此処こゝつてれバ、いまとふり、この二品ふたしなむろ殿どの差上さしあげて、立身りつしん出世しゆつせさんとおもへバ、これより其方そなた諸共もろともに、みやこしておもむかん。はや、日ハれて丁度てうどよひさいは四下あたりに人し  [下の巻へ]

國芳画    
春水作 10ウ   

〔広告〕

藏版新刊珎奇雜書略目録

 遊仙沓春雨艸紙ゆうせんくつはるさめざうし (十一編\十二編) (緑亭川柳作\一陽齋豊國画)

 田舎織糸線〓衣いなかをりまがひさごろも (四編\五編) (仝作\同画)

 天〓太平記てんろくたいへいき (初ヨリ\追々出板) (仝作\一勇齋國芳画)

 奇特百歌仙きどくひやくかせん  同断 (仝作\一立齋廣重画)

 畸人百人一首きじんひやくにんいつしゆ  全一冊 (仝案\同畫)

 狂句五百題きやうくごひやくだい  全二冊 五代目 川柳著

  東都書房  馬喰町二丁目 錦耕堂蔵板 」奥目録

四編下巻

  見返 11オ
「今様八犬傳\六編下の巻\為永さく\一勇齋ゑがく\紅英錦耕両梓」「おとり画」

[上の巻より]  このまゝはやく」ひながら、緊縛いましめられたる朝開野あさけのが、なわかんとするをりしも、此方こなたうかゞ卜部うらべのすゑ六「語路ごろ五郎殿どのまづたれよ。最前さいぜんよりして物蔭ものかげくともらず、うま相談さうだんこのとほりを主人しゆじん大記へ注進ちうしんするととこなれど、それでハものかどつ。この朝開野あさけのにハ貴殿きでんより拙者せつしやさきれてれバ、まづそれがしが一口説くど口説くどくを其処それにて見物けんぶつあれ。ひかされ」睨付ねめつけて、此方こなたを見かへり目をほそめ、にこ/\ものにて「コレ朝開野あさけの  [つぎへ] 11オ

  11ウ12オ
[つゞき]  りとてハわる了見れうけんこの語路ごろ五郎とふ男ハ、第一だいゝちさけずきで、さけうへごくわるく、そのうへ(かさ)ほねがらみ。斯様こんな男にはだれたら、そのうつくしい整然ちやんとした其方そなたはなさへちるもれぬ。それから見れバこのすゑ六、何処どこひとこれぞときず男振をとこぶりそれのみらず、語路ごろ五郎がかの尺八と小笹をざゝの太刀を自慢じまんらしうひけらかせバ、われとても又落葉おちば丸のかたな此処こゝつてる。其方そなたなんにもるまいが、この落葉おちば丸の一ふり粟飯原あいばら氏のいへ重宝ちやうほう先年せんねんつみかうむりて粟飯原あいばら一ッ滅亡めつぼうせしとき愛妾そばめ調布たつくりへるものこの落葉おちば丸を携帯たづさへて、何時いつにやら御館やかた駆落かけおち、其後そのゝちほのか巷説うはさけバ、足柄あしがら山の近辺ほとりにて、おほどたね産落うみおとし、ひそか主人しゆじん馬加まくはり殿どのを『仇敵かたきなり』とてうかゞよししかるにこみ頼連よりつら殿どの先年せんねんおほど討取うちとりしより、些時しばらく浪人らうにん姿すがたへ、諸国しよこく遍歴へんれきせられしに、近頃ちかごろ由井(ゆゐ)浜辺はまべにてかの調布たつくり非人ひにんり、こと持病ぢびやうおこりしにや、こも敷寝しきねくるしげその為体ていたらくを見つけし、騙寄だましよつて刺殺さしころし、落葉おちば丸の一ふり奪返うばひかへして当家たうけ持参ぢさんし、こと次第しだいべしかバ、主人しゆじん大記が取持とりもちにて、帰参きさんとゝのひ、いまにてハ往年むかしはるこみ頼連よりつら。又このかたな奇特きどくつぱ、けバたま白刃しらは稲妻いなづま、血(ち)あやなせバ、忽地たちまちに落花(らくくわ)落葉(らくえう)ゆへに、落葉おちば丸とハ名付なづけしとぞ。太刀の因縁いんゑんこのとほり。いまこの太刀をむろ殿どの差上さしあぐるそのときハ、立身りつしん出世しゆつせハ思ひのまゝ此処こゝばかり日ハらぬものを、其方そなたが『おう』とさへへば、これからみやこへ手をつて、れてのぼつて夫婦ふうふる。最前さいぜん其方そなた荒々あら/\しくこの桜木さくら いましめたハ、頼連よりつら殿どの〔の〕言付いひつゆゑうらみもらふが堪忍かんにんしや。いなおうか」差寄さしよつて、口説くどくを語路ごろ五郎が押留おしとゞめ「これ如何いかに、すゑ殿どの拙者せつしや只今たゞいままうしたとおな台詞せりふ口説くどかれてハ、此方このはうはなは迷惑めいわくいたす。にもかくにも身とも先約せんやくなり。「朝開野あさけの寄添よりそへバ、「身どもであらう」「イヤ拙者せつしや語路ごろ五郎とすゑ六がたがいにあらそ朝開野あさけの〔の〕右左より取付とりついていどむを、朝開野あさけの熟々つく%\聞果きゝはて、莞尓につこわらひ「モウそれい/\。ふえ因縁いんゑん、太刀の由来ゆらい馬加まくはりこみ山、其方そちたちまで謀略たくみ段々だん/\いたるうへハ、はや其方そちたちようい  [つぎへ] 11ウ12オ

  12ウ13オ
[つゞき] その尺八と二人の太刀諸共もろともに、其方そちたちくひわらはわたしてきや」おもけなき朝開野あさけの言葉ことばおどろき、二人さむらひさてなんぢ癖者くせものよな。大事だいじかせしうへからハ、とてもけてハかれぬゆつその本名ほんみやうく/\へ。はれずハおのれち」かたなき、語路ごろ五郎が右よりかゝるを朝開野あさけのが、その身ハいましめられながら、ひぢきかして早速さそくあて身、肋骨あばらかれて語路ごろ五郎が「あつ」と一こゑ仰反のけそるを、すきもあらせずすゑ六が、ともやいば抜翳ぬきかざし「たゞち」と振上ふりあげたる。そのときおそこのときはやし、思掛おもひがけなき彼方あなたより、たれとハらずうち手裏剣しゆりけんねらたがはずすゑ六が、のど発止はつし撃当うちあてられ、些時しばしたまらずこれも又、ともに一こゑさけびつゝ、そのまゝいきへにけり。思はぬたすけに朝開野あさけのハ、おどろきつ又よろこひつ、此方こなたきつと見かへれバ、見こしまつあししろへい乗越のりこへ、犬田小文吾徐々しづ/\として立出たちいてつゝ、いますゑ六を討留うちとめしかの手裏剣しゆりけん抜取ぬきとりて「『分入わけいりし枝折しをりへたる麓路ふもとちながれもでよたに川のもゝ一ッしゆうた彫付ほりつけて、われあたへしこの釵児かんざしなぞの心がけしゆへ枝折しをりへたるおくより忍出しのびいでたるわが出立いでたちこのすゑ六をはじめとして、邪魔じやまやつわ〔れ〕討取うちとる。御身ハはや本望ほんまうを」ふに、朝開野あさけの緊縛いましめなわ振切ふりきり、うち点頭うなづきヲヽたのもしや犬田氏。三品みしなたから手にうへハ、わらは〔ハ〕おく紛入まぎれいり、本意ほんいげたるそのうへたがいの心うちけん。まづそれまでハ小文吾さん」「其方そなた矢張やつぱ舞子まひこ朝開野あさけの。人かゝらぬそのうちこの死骸しがい〔を〕すゑ六がそばへ立り、落葉おちば丸の太刀をもぎり、亡骸なきがらを  [つきへ] 12ウ13オ

  13ウ14オ
[つゞき] かたへの井戸へ投込なげこをりしも、空死そらしにしたる語路ごろ五郎が「様子やうすいた」起上おきあがつてかゝるを、朝開野あさけのが右と左遣違やりちがはし、つたるやいば奪取もぎとつて脇腹わきばらくさと刺通さしとほせバ、急所きうしよ深手ふかで語路ごろ五郎ハ虚空こくうつか七顛しつてん八倒ばつとう朝開野あさけの此方こなたを見かへりて「此奴こいつ矢張やつぱ仇敵かたき片割かたはれ血祭ちまつりし」うちめバ「あつぱれ手のうちこのうへあとかまはずと、く/\」すゝむる小文吾。朝開野あさけのハ「アイ合点がつてん」とひながら、かへかたな語路ごろ五郎が首級くびうちおとし、そのまゝふえと太刀とを携帯たづさへて、おく目掛めかけて馳行はせゆきける。

おくにハこみ頼連よりつらか、今日けふやうはれ衣装いせうすなはち曽我(そが)真似まねびとて、その身ハ工藤くどう祐経すけつね出立いでたち、花むらさきハ大いそとら、又白拍子びやうし妻琴(つまこと)ばるゝもの神崎かんざきの江口(えぐち)やくさだめつゝ、そのほか二人小姓こせうをバ一万丸とはこ王丸のかり姿すがた出立いてた〔た〕せ、はや今様いまやう伶楽わざおぎもの、でになかほとおぼしきころしろ被布かつぎおもてかくし、廊下らうかづたひに駆出かけで朝開野あさけの会釈ゑしやくしに頼連よりつらが、そばへすつくと立れバ、それぞと見かへ頼連よりつらハ、かたな片手かたてこゑ振立ふりたて「おもて確乎しかと見へねども、その形振なりふりたしか朝開野あさけのなんぢ最前さいぜん桜木さくら 縛付しばりつけさせきつるに、縄抜なわぬたるのみらず、たれゆるして此処これた。く/\此処こゝさがらずバもの見せん」とひつゝも、睨付にらみつけれバ朝開野あさけのが「たれゆるしハいたしませねど、縄抜なわぬけしつゝこのやうな五郎丸の姿すがた出立いでた此処こゝまでたも頼連よりつらさん、貴方あなた御側おそば近寄ちかよつて、思ひのたけはんため」「ヤアあだ執拗ひつこい女が執念しうねん鞍弥くらや殿どの〔の〕いはひにめんゆるしてけバ、付上つけあがり、かゝ場所ばしよをもはゞからず推参すいさんしたる無礼ぶれいもの。もうこのうへ堪忍かんにんならぬ。其処それへなほれ」ひながら、刀かた手に立かゝれバ、朝開野あさけのさはかず進寄すゝみより、忽地たちまちこゑ奮立ふりたてて「愚鈍おろかなり  [つぎへ] 13ウ14オ

  14ウ15オ
[つゞき]  こみ頼連よりつらなんぢ大記とこゝろあはせ、先年せんねん、杉戸(すぎと)松原まつばらにて、粟飯原あいばらおほと胤度たねのり滸我こがおもむみち待受まちうけ、おほどつてその立退たちのき、松田まつた由井が浜辺はまべおゐて、おほど側妾そばめ調布たつくり持病ぢびやうなやをりうかゞひ、騙討だましうち殺害せつがいし、落葉おちば丸の一ふり盗取ぬすみとつたる大悪人あくにんわれたれとか思ふ。粟飯原あいばらおほど遺胤のこしだね調布たつくりはら宿やどされて、足柄あしがら山の近辺ほとりなる犬坂村(いぬさかむら)にてうまれしゆゑその村の名を氏としたる犬坂毛野(いぬさかけの)胤智たねともが、おや仇敵かたきと十六年付狙つけねらふたる馬加まくはりこみ山。これまで女と姿すがたへ、かりなんぢしたひしも『嵐山あらし の尺八と小笹をざゝ落葉おちばの二ふりを、首尾しゆび奪返うばひかへせしうへ本意ほんいげん』と思ひしゆゑしかるにすゑ語路ごろ五郎が、われ〔に〕悪事あくじ口走くちはしりしより、なんなく三しな取返とりかへせバ、朝開野あさけのつくり名を、今ハてたる犬坂胤智たねとも。父と母との仇敵あだかたきそれ名告なのつて勝負せうぶせよ」被布かつぎつて投除なげのくれバ、以前いぜんはりし身がる出立いでたちそれと見るより花紫はなむらさき懐剣くわいけんかた手に差寄さしよつて「わらはまことハ犬田が姉妹いもと。犬坂殿どのかねてより夫婦ふうふ契約ちぎりうへハ、しうと仇敵かたき頼連よりつら殿どの、さァ尋常じんぜうに」詰掛つめかくれバ、おもけなき頼連よりつらハ、おどろながらもちつとさはがず「さてなんぢ二人ふたりやつハ、おほど所縁ゆかりものなりとか。如何いかにもおほど調布たつくり殺害せつがいせしハ、かく頼連よりつらおよばぬこと仇敵かたきばはり。返討かへりうちだぞ。覚悟かくごせよ」 やいばをすらりと引抜ひきぬけバ「さてこそ仇敵かたきのがさじ」も刀を抜合ぬきあはせ、たがひにたゝかふ一上一下。花紫はなむらさき諸共もろともに、毛たすけて頼連よりつら斬掛きりかゝらんとするところを、かたへりて最前さいぜんより様子ようすうかゞ妻琴つまことが、かくつたる懐剣くわいけんをすらりと引き、押隔おしへたて「むらさき太夫とばれしハ、犬田が姉妹いもと〔と〕くからハ、わらはためにハ仇敵かたき片割かたはれまひ子の妻琴つまごと名告なのりしハ、犬田をたばか謀事はかりごとまこと〔と〕鴎尻かもめしりなみ四郎かつま舩虫ふなむしぞや。最前さいぜんおつとなみ四郎ハ大記さまにたのまれて大事だいじつたる小文吾ゆへ刺殺さしころさんとたりしに、かへつて犬田に斬伏きりふせられ、そのときわらは物陰ものかげよりうかゞつてつたる手裏剣しゆりけんそれさへかれ受止うけとめられ、おつとそのでやみ/\最期さいご。おのれ小文吾。おつとあだと思ふをりから其方そなたの一ごん。犬田の姉妹いもと〔と〕ふのみか  [つぎへ] 14ウ15オ

  15ウ16オ
[つゞき]  頼連よりつらさまあだす女。其方そなたから討取うちとつて、犬田もあとからる。覚悟かくごしやれ」斬掛きりかゝれバ花紫はなむらさき打驚うちおどろき「さて其方そなたぎしころわらは無体むたい誘拐かどはかし、花街くるはしづめしなみ四郎がつまでありしか。めつらしや、うらみハ此方こちから沢山たんる。やいばけよ」ひつゝも女に似気にげなき二人ふたりが太刀すぢたゝかひながら広庭ひろにはく。この騒動さうどう見物けんぶつせし鞍弥くらや五をはじめとして、屋内やうちものども狼狽うろたさはぎ「やりよ太刀よ」とひしめくのみ。  [四の巻へ] 15ウ

[三の巻より]  近寄ちかよものもあらざれバ、毛ハ「たり」と踏込ふみこみ/\、秘術ひじゆつつくす太刀さきに、流石さすが頼連よりつらあしらひかねて、数多あまたの手きずかうむりしかバ、てきがたくや思ひけん「者共ものども出合であへ」言捨いひす〔て〕逃出にげいださんとするところを「卑怯きたなし、かへせ」とひつゝも、躍掛おどりかゝつて後袈裟うしろげさにばらりずんと斬下きりさげつゝ、かへかたな首級くびおとし、ふたゝこゑ振立ふりた〔て〕粟飯原あいばらおほど忘形見わすれがたみ、犬坂毛胤智たねともが父と母との仇敵あだがたきこみ頼連よりつら討取うちとつたり。この主人あるじ大記をはじめ、われと思はむ奴原やつばらいで〔て〕勝負せうぶけつせよ」つたる首級くび差上さしあぐれバ、このときまで狼狽うろたまわりし鞍弥くらや五と馬加大記(だいき)たけ家来けらいそのうちにて、四天王とばれたるつなきんさだ九郎、そのほかおほくの家来けらいども各々おの/\得物ゑものたづさへて推取おつとりかこむを見かへへりつゝ、毛莞尓につこ打笑うちわらひ「るにもらぬ蠅虫はいむし、一しよかゝれ」  [つぎへ] 16オ

  16ウ17オ
[つゞき]  ばはりて、両手に太刀をふりひらめかし、近寄ちかよてき斬伏きりふ薙伏なぎふせ、飛鳥ひちやうごと駆廻かけまはるに、かたな小笹をさゝ丸。又差添さしぞへハ落葉おちばの一ふり殊更ことさら必死ひつしきはめし日ごろの手なみ、十ばいしてさきすゝみし鞍弥くらや五もきんつなさだ九郎も、あるひハ肩先かたさき腰車こしぐるまあたるにまかせし撫斬なでぎりに、死骸しがい忽地たちまち山をし、ハ又ながれていづみまで、いともはけしくたゝかをりしも、むらがるてき投退なげの突退つきのけ、広庭ひろにはよりして出来いでくる小文吾毛むかひてこゑたかく「犬坂殿どの/\。とう仇敵かたき馬加まくはり大記ハ今がたとも用意よういして、鎌倉かまくらへとて旅立たびだちたれバ、無益むやく戦闘たゝか御無用ごむよう/\。はやこの斬抜きりぬけて、大記が往方ゆくへ追駆おつかけ給へ。邪魔じやまやつそれがしが、掴殺つかみころしてあとよりかん。はやく/\」ばはるにぞ、毛此方こなたを見かへりて「ヲヽところへ犬田殿どの頼連よりつら討取うちとるからハ、今ハ馬加まくはりたゞ一人、討漏うちもらしてハ残念ざんねんなりらバこの斬抜きりぬけて、大記に追付おひつきて討留うちとめん。御身もはやうら手より」「ヲヽ合点がつてん二犬士(にけんし)たがひに点頭うなづくむねむね、水門(すいもん)の戸を押上おしあげてあらはいづる。いづる犬田小文吾かたなさや徐々しづ/\と、かんとたる背後うしろより「ち給へ、犬田氏」ととゞむるこゑおどろきて、彼方あなた急度きつとかへれバ、見こしまつつたはりて、へい乗越のりこへ犬坂が、ひらりと此方こなた降立おりたちて「なう犬田氏、小文吾殿どの今宵こよひハ御身のたすけにて、首尾しゆび仇敵かたき頼連よりつら討取うちとるのみか、わが父が、先年せんねん奪取うばひとられたる嵐山あらし の尺八をも、小笹をざゝ落葉おちばふたふりをも取返とりかへしたるよろこびハ、なに〔に〕たとへんかたし。このうへハ大記を討取うちとり、父のうらみをかへしなバ、ねて里見義成よしなり公よりおふせをけしわが身の素性すぜう何時いつぞやゆめ在々あり/\と、見しにたかはず伏姫ふせひめぎみの、御子にひとしきものなれバ、里見のためちからつくし、山下麻呂まろほろぼさん。おん身もおなし犬士にて、玉とあざとのことを、妹御いもとご物語ものがたりうけ給はりしのみならず、里見殿どのよりわたされし連判れんばんちやう血判けつぱんを、たしかに受取うけとり  [つぎの〓印へ] 16ウ17オ

  17ウ18オ

  18ウ19オ
[まへの〓印より]  くからハ、そのおよ〔ば〕犬田氏、たがひにたすたすけられ」ふに小文吾よろこびて「思ふにたがはぬ犬士の一人。けバほどたのもし。らバこれより諸共もろともに、大記があと追留おひとめん」河原かはらして馳行はせゆをりしも、あとよりけ  [つぎへ] 18ウ19オ

  19ウ20オ
[つゞき]  おつ手の兵者つはもののがしハらじ」ひつゝも、毛小文吾を取囲とりかこむを、二人ふたりハ見つゝことともせず、かたなかず近付ちかづけて、つてハげるやはら秘術ひじゆつすきを見あはせ犬坂が、かたへつなぎし苫船とまぶねへ、身をおどらせて飛乗とびのるを、なほらじ」おつ手の兵者つはものつなぎしなわ引留ひきとむれバ「ゑゝ面倒めんだうな」ながら、ふねなる〓(かい)振上ふりあげて、たゞ一撃ひとうち兵者つはものを川へざんぶり打込うちこめバ、はづみにるゝ艫綱ともづなと、とも此方こなたとま撥除はねのけて、あらはれいづ花紫はなむらさきが、毛おもてを見あはせて「御前おまへわがつま犬坂さん」「ヲヽむらさきか」うちに、艫綱ともづなれしふねなれバ、しほられて八九間、はやなかへとながくを、毛おどろき、〓(ろ)押立おしたて「犬田をせん」とおもふにぞ、漕返こぎかへさんとあせれども、名にこへたるはや川の、ことに出水(でみづ)水嵩みづかさして、流石さすがの毛すべなく、たゞそのふねくつがへさじとおもふのほかかりける。それと見るより小文吾ハ、ともらんと思へども、追手おつてものかこまれて、乗遅のりおくれしかバ苛立いらだちて、組付くみつてきを右左に、あるひハ投退なげの踏躙ふみにじる。このいきほひに辟易へきゑきして、みなり%\に逃行にげゆくにそ、はやこのうへ心安こゝろやすし」と、きしはなれてふねの、あと追留おひとめんとをりから、かたへしけみし稲叢いなむらの、かげよりうかゞ船虫ふなむしが、赤合羽(あかがつは)にて姿すがたやつし  [次へ] 19ウ20オ

  20ウ 奥目録
[つゞき]  かさおもてかくしつゝ、ずつと立出たちいで小文吾が、かたなこじりをしかとる。このときそら掻曇かきくもり、黒白あやめかぬ暗闇やみなれバ、小文吾ハ「また最前さいぜん追手おつてならん」とおもふにぞ、られしこじり振放ふりはなし、かんとするを、船虫ふなむしが、探寄さぐりよりつゝ懐剣くわいけんを、ぬくするど突掛つきかくる。やいばひかりに身をかはし、きつにらみたがひの身がまへれどもくら闇夜やみのよなれバ、物別ものわかれして小文吾ハ、河原かはら沿ひつゝ馳行はせゆくにぞ「をつと仇敵かたき」と船虫ふなむしが、合羽かつぱかさ打捨うちすてて、おび引結ひきむすこれまたあやみちを小文吾があとしたふて追行おひゆきける。

これより七へんつゞく。目出度めでたし/\/\

(朝\鮮)牛肉丸ぎうにくぐわん 一包百銅

〓一脾胃ひゐおぎなひしんせい妙薬みやうやくなれバ虚弱きよじやくの人つねもちひて大に功あり相かはらず御求可被下候。

さみせんぼり\對〓屋敷やしき 染嵜氏

爲永春水作    
一勇齋國芳画 20ウ    

〔広告〕

嘉永六癸丑歳新鐫藏版目録

阪東太郎後世譚ばんどうたらうこうせいばなし (八編\九編) (西馬作\貞秀画)

岸柳四魔談きしのやなぎしまものがたり (三編\四編) (同作\國輝画) 〓像\なぞらへ)

水滸すいこ〓名鑑けうめいかゞみ (三輯\四輯\五輯) (樂〓西馬稿案\〓持樓國輝画圖)

勸善くわんぜん懲惡ちやうあく乗合噺のりあひはなし (七編\八編)(柳下〓種員作\一陽齋豊國画)

江戸鹿子紫草紙えどかのこむらさきさうし(二編\三編)(文〓梅彦作\香蝶樓豊国画)

今様八犬傳いまやうはつけんでん (六編\七編\八編)(春水作\國芳画)

象頭山夛宮日記ぞうづさんたみやにつき (中本\一冊)(樂〓譯\國輝画)

政談國盡せいだんくにつくし(初編\二編)(川柳作\國輝画)

(東都馬喰町二丁目西側\(書物地本\繪草紙)問屋 山口屋藤兵衞)

〔後ろ表紙〕

 後ろ表紙 後ろ表紙


#『今様八犬傳』(三) −解題と翻刻−
#「人文研究」45号(千葉大学文学部、2016年3月31日)
#【このWeb版は活字ヴァージョンとは小異があります】
# Copyright (C) 2016 TAKAGI, Gen
# この文書を、フリーソフトウェア財団発行の GNUフリー文書利用許諾契約書ヴァー
# ジョン1.3(もしくはそれ以降)が定める条件の下で複製、頒布、あるいは改変する
# ことを許可する。変更不可部分、及び、表・裏表紙テキストは指定しない。この利
# 用許諾契約書の複製物は「GNU フリー文書利用許諾契約書」という章に含まれる。
#               大妻女子大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
# Permission is granted to copy, distribute and/or modify this document under the terms of the GNU
# Free Documentation License, Version 1.3 or any later version by the Free Software Foundation;
# A copy of the license is included in the section entitled "GNU Free Documentation License".

Lists Page