『復讐妹背山物語』(β2版)
高 木  元

〈解題〉
 本作は山東京山のデビュー作である。巻頭に芝居の舞台披露の様子を摸して似顔風に肖像画が描かれ、歌川豊国の口切りで京山の口上が述べられ、版木師小泉新八と京伝が口添えをしている。「覧山改名、山東京山」と名乗っているが、果たして「覧山」の知名度は如何ほどのものであったか。また、篆刻を仕事としてきたせいか序文が漢文体で書かれている。漢文の序文は草双紙としては似つかわしくないと思われる。さらに京山自身の口上で、笠翁の『小説十二楼』の翻案であること、琴曲「別鶴操」の故事に拠り十三鐘にちなんで忠孝貞節を書き綴ったことなど述べており、本文中でも十三弦琴の由来を『風俗通』を引いて述べるなど、やや衒学的な雰囲気を作ろうとしているようだ。
 さて、筋は比較的単純である。浄瑠璃の『妹背山婦女庭訓』を敵討物に翻案したもので、久我之介・雛鳥の悲劇である「山」の段や、お三輪を中心とする「御殿」の段などを趣向として取り入れて、地口に馬子歌を使うなど、妹背山の世界に染めようとしている。結末では、死んだ両親の亡霊の冥助にて無事敵を討つことができるという至って簡潔な筋立てとなっている。しかし、習作として見れば、従来いわれているよりは良いできと考えて差し支えないものと思われる。
 なお、文化九年に『妹背山後雛鳥』(森屋治兵衛)で、もう一度妹背山の世界を用いている。

〈書誌〉
○底本 東京国立博物館蔵(と三五一八)
○体裁 中本(十八・〇×十二・九糎)五巻一冊 二十五丁
○表紙 灰色無地表紙に絵外題簽(十一・五×十一・五糎)
○外題 「★讎討妹背山物語{かたきうちいもせやまものがたり}/全五冊」「山東京伝作/歌川豊国画」
○見返 「★復讐妹背山物語{かたきうちいもせやまものかたり}」「山東京山作/歌川豊国画 [歌川]」「文化丁卯陬月/新刻発兌[萬][福]」「馬喰町一丁目/江見屋版」下部に「玄上太郎」と「荒巻弥藤二」が相撲の体を描く
○匡郭 十三・八×十・六糎
○ 序 「時文化丙寅至日於于香古堂/中 山東京山題[山東]」
○口絵 なし
○板心 「いもせ山」
○画工 「歌川豊国」(一ウの豊国像は勝川春亭画)
○筆耕 「はん木師 小いづみ新八」
○彫工 記載なし
○板元 江見屋吉右衛門
○広告 15ウに山東正舗「読書丸、たばこ入、自画賛扇」の外に「〈復讐/奇談〉姫が井戸〈京山作/豊国画〉」
○諸本 国立国会図書館蔵本(二〇九/一〇)は短冊形文字題簽「〈敵/討〉妹背山ものがたり」合一冊、慶応大学三田情報センター蔵本(二〇二/一四六)は題簽欠合一冊、天理大学付属図書館(九一三・六四/一五八九)合一冊後補表紙、個人蔵Aは題簽見返欠合一冊・個人蔵Bは改装、別本「版元 神田弁慶橋 丸屋文右衛門、日本橋通貮丁目 總州屋與兵衛」の表紙が付されている。
○備考 この時期の合巻は体裁上の揺籃期であり、初摺時の体裁は確認できなかった。底本にした東博本の絵題簽も、袋を切って貼った可能性も考えられるからである。

〈翻刻〉

【表紙】

【見返】
山東京山作
復讐妹背山物語(かたきうちいもせやまものかたり) 全五冊
文化丁卯陬月新刻發兌[萬][福]
歌川豊國画[歌川]
玄上太郎 荒巻弥藤二
馬喰町一丁目 江見屋版

【序】

京傳翁編書の名粲然として一家を成す。余翁と筆研を同すること茲(コヽ)に年あり。因て梓家編作を〓(モト)むる、間(マヽ)亦之れあり。然と雖も嵬目の論以て之れを發揚することなし。且つ竊に會心の所ありて許さざること亦年あり。頃(〔このごろ〕)一精舎に遊び蓮花面經を課す。覚えず案を拍して大咲し、積年の鑒識立地(タチドコロ)に氷のごとく解け、則ち八万四千の光明を照して一稗策を筆し、以て梓家に與(アト)う。余〓陋と難(〔いえども〕)、京傳翁と騒壇の因果を同せば幸甚。
時文化丙寅至日於于香古堂中

山東京山題[山東](1オ)

(とよ)国○高(たか)ふは御座(ござ)りますれども、御免(ごめん)を蒙(かうふ)り御引(ひ)き合(あは)せの口上を申上ます。これに控(ひか)へましたるは、皆々(みな/\)(さま)御贔屓(ひゐき)あつき山東京伝所縁((しよえん))の者(もの)山東京山と申しまする。当年(とうねん)初舞台(ぶたい)の作者に御座(ごさ)ります。未(いま)だ未熟(みじゆく)の若年(じやくねん)(もの)に御座(ごさ)りますれども、ゆく/\は二代目の京伝とも相成候やう、御贔屓(ひゐき)(お)(と)り立(た)てを願(ねが)ひ上奉(たてまつ)ります。なほ又、京山口上御しとやかに御聞(おき)き下(くだ)さりましやう。東西(とふざい)/\。
京山○只今(たゞいま)(とよ)国丈申上ましたる通(とを)り、私(わたくし)義は京伝書室((しよしつ))の内に生立(おひた)ち、数年(すねん)の著述((ちよしゆつ))を見習(みなら)ひ居(お)りましたれども、自(みづか)ら不才を恥(は)ぢ、これまで片言((へんげん))一句((く))の作意(さくい)も認(したゝ)めませぬ所に、此度豊(とよ)国丈の勧(すゝ)めにより初舞台(ぶたい)の筆(ふで)の操(あやつ)り妹背(いもせ)山女庭訓(ていきん)と申す浄瑠璃本(じやうるりぼん)を書(か)き換(か)へ敵討(かたきう)ちに取(と)り組(く)み、妹背山(いもせやま)の段(だん)は清人(ひと)笠翁((りつおう))が小説((せつ))十二楼((ろう))を翻案(ほんあん)(いた)し、柴(しば)六が薄命(はくめい)、妻(つま)お雉(きし)が漂泊(ひやうはく)(いた)し、猿沢(さるさは)の池(いけ)の辺(ほとり)にて琴((こと))を弾(たん)ずるは別鶴操((べつかくそう))の故(ふる)事に基(もと)づき、十三筋(すぢ)の琴(こと)の糸(いと)十三鐘(がね)の数(かづ)に合(あは)せ、鱶(ふか)七が助太刀(すけだち)、お三輪(みわ)が狂乱(きやうらん)、柴(しば)六夫婦兄弟(きやうだい)の子供(ども)忠孝貞節((ていせつ))の事、全部(ぜんぶ)五冊(さつ)に書(か)き綴(つゞ)りましたれども、ろく/\校合も不仕。さぞかし御目まだるきがちに御座(ごさ)りましやうが、豊(とよ)国丈の妙画の驥尾((きび))に付(つ)き、千里も走(はし)る稗史((はいし))の評判(ひやうばん)、それを杖(つえ)とも柱(はしら)とも、筆(ふで)の垣根(かきね)に硯(すゞり)の礎(いしづえ)、やがて作者(さくしや)の金馬門と御褒(おほ)めの御言葉(ことば)御贔屓(ひゐき)を、八百八丁の隅(すみ)から隅(すみ)までずらりつと希(こひねが)い上奉(たてまつ)ります。
小泉(いづみ)○私(わたくし)も此本(ほん)の板工(はんこう)を彫(ほ)りまするにつき、此所へ一寸(ちよつと)御目見(み)へに出(いで)ました。近頃(ちかごろ)所々より出板の読本(よみほん)草双紙類(くさぞうしるい)、私(わたくし)細工(さいく)の御評判(ひやうばん)宜敷(よろし)く、こゝへも小泉(いづみ)/\と御贔屓(ひゐき)あつく、涌(わ)き出(だ)す様(やう)な細工(さいく)の注文(ちうもん)、小泉(いづみ)新板(ぱん)/\は、年々(とし%\)花咲(はなさ)く若(わか)木の桜(さくら)木、八重九重の御評判(ひやうばん)幾重(いくへ)にも希(こひねが)い上奉(たてまつ)ります。

〔京伝〕京山申上ましたる口上の通(とを)り、私(わたくし)共々(とも%\)(ねが)い上ます。これより敵(かたき)打五冊(さつ)はじまり/\。

豊国像 春亭画
歌川豊国
覧山改名 山東京山
山東京伝
(はん)木師小泉(いづみ)新八(1ウ2オ)

(こゝ)に人王卅九代の帝(みかと)天智(てんち)天皇(てんわう)の御時(とき)、入鹿((か))の大臣(じん)悪逆(あくぎやく)不道(ふどう)にして帝(みかど)を押(お)し込(こ)め、おのれ四海(かい)を握(にぎ)らんと心にたくみ、おのれに従(したが)はざる者(もの)はこれを罪(つみ)し、大に逆意(ぎやくい)をぞ奮(ふる)ひける。
○爰(こゝ)にまた、太宰(だざい)の小二が娘(むすめ)雛鳥(ひなどり)は、かねて美人(びじん)の聞(きこ)へあるによりて、入鹿(か)(み)ぬ恋(こひ)に憧(あこが)れ、小二が後室(こうしつ)貞香((さだか))をおのれが館(やかた)へ呼(よ)び寄(よ)せ「雛鳥(ひなどり)を入内(じゆだい)させよ」と言(い)い付、また大判事(はんじ)清文(きよぶみ)は、淡海(たんかい)公と心を合(あは)せ帝(みかど)の守護(しゆご)をなすゆへ、「我(わが)大望(もう)の妨(さまた)げなり」と、「何(なに)がな罪(つみ)に落(おと)さん」と、これも同(おな)じく呼(よ)び寄(よ)せ、「かねて帝(みかど)より預(あづ)け置(お)かるゝ村雲(むらくも)陰陽(いんやう)の剣(つるぎ)、我(われ)いまだ一見(けん)せづ。明日(めうにち)(まで)に館(やかた)へ持参(ぢさん)(いた)すべし。貞香(さだか)は雛鳥(ひなどり)が入内(じゆだい)、大判事(はんじ)は剣(つるぎ)の持参(ちさん)、急度(きつと)申し付(つ)けたるぞ」と、横(よこ)に引(ひ)き出(だ)す車髭(くるまひげ)、睨(にら)み付(つ)けてぞ言(い)い付ける。

〔弥藤次〕「君(きみ)の仰(おゝ)せ心得(こゝろへ)(め)され。」
〔清文〕「御剣(みつるぎ)持参(ぢさん)きつと御(おん)(う)け申上ます。」
〔貞香〕「有(あ)り難(がた)い君(きみ)の仰(おゝ)せ、何(なん)の否(いな)と申しましやうぞ。」(2ウ3オ)

かくて貞香(さだか)は、妹(いも)山の館(やかた)へ帰(かへ)り、心に思ひけるは、雛(ひな)鳥は先妻(せんさい)の子、わらはが為(ため)には継(まゝ)しき中なれば、悪(あく)人の入鹿(か)へ入内(じゆだい)させては、「我(わが)身の栄華(ゑひぐわ)に継(まゝ)子を捨(す)てし」と世間(せけん)の人に言(い)はれては、草葉(くさば)の蔭(かげ)の夫(おつと)に立(た)たず。とは言(い)へ、「入内(しゆだい)させねば首(くび)(う)て」と、言(い)はずと知(し)れたる入鹿(か)が企(たく)み。今宵(こよい)に迫(せま)る娘(むすめ)が命(いのち)、如何(いかゞ)はせんと途方(とほう)に暮(く)れけるが、腰元(こしもと)桔梗(きゝやう)は雛鳥(ひなどり)が乳兄弟(ちきやうだい)の妹(いもと)、容貌(かたち)の似(に)たるを幸(さいわ)いに、身代(がは)りに立(た)てんと、桜(さくら)の謎(なぞ)に事(こと)(よ)せて、桔梗(きゝやう)が心をひき見(み)しは、夫(おつと)の魂(たましい)(はな)さぬ気性(きしやう)と、人々後(のち)にぞ感(かん)じける。

〔雛鳥〕「母(はゝ)さん、こりやまァ、何と致(いた)しましやう。」
〔貞香〕「これ桔梗(きゝやう)、入鹿(か)(さま)の仰(おゝ)せには、明日(めうにち)(まで)に雛鳥(ひなどり)を入内(しゆだい)させよとの事。枝振(えだぶり)り悪(わる)い。これ此花(はな)の王様(さま)へのお返事(へんじ)は、切(き)つて接(つぎ)木を致(いた)さねば、太宰(だざい)の家(いへ)は立(た)ちませぬ。雛(ひな)へ供(そな)へし此花を散(ちら)さぬ様(やう)に大事(だいじ)にかけや。」
〔桔梗〕「雛様(ひなさま)のその桜(さくら)を生(い)け花には取(と)り合(あ)はぬ。桔梗(きゝやう)のねじめ桜(さくら)に水(みづ)を上(あ)げさせて、蕾(つぼみ)の花を咲(さか)せましやう。」(3ウ4オ)

その夜(よ)、桔梗(きゝやう)は我(わが)部屋(へや)に帰(かへ)り、つく%\思へば、大恩(おん)(う)けし御(お)(しう)(さま)なり。乳兄弟(ちきやうだい)の姉(あね)さん今宵(こよひ)に迫(せま)る御(お)身の上(うへ)、わらは自害(じがい)して御身代(がは)りとなり、五ッの歳(とし)より館(やかた)に育(そだ)ちし大恩(おん)を奉(ほう)じ申さんとて、さすがは筋目(すぢめ)ある者(もの)の娘(むすめ)、程(ほど)ありて潔(いさきよ)く覚悟(かくご)(きは)め、落(お)つる涙(なみだ)を墨(すみ)に摺(す)り、母の方(かた)へ書(か)き置(お)き一通(つう)。又、桔梗(きゝやう)が許婚(いゝなづけ)求馬(もとめ)と言(い)へるは、大判事(はんじ)か子息(しそく)久我(が)の介が小姓(しやう)なるが、これへも書(か)き置(お)き認(したゝ)め、小石を結(ゆ)い付(つ)け、川越(ご)しに大判事(はんじ)が館(やかた)求馬(もとめ)が庭(には)へ投(な)げ入レ、もとの部屋(へや)へ帰(かへ)り、「最早(もはや)心置(お)く事なし」とて、晴着(はれぎ)の白小袖(そで)を着替(きか)へ、九寸五分を喉(のんど)へ貫(つらぬ)き、十七才を一期(いちご)とし、花の姿(すがた)の咲(さ)きやらで室(むろ)の蕾(つぼみ)と消(き)へ果(は)てしは、哀(あは)れなりける事どもなり。

〔桔梗〕「この程(ほど)の便(たよ)りに聞(き)けば、母(はゝ)さんも御(ご)病気(ひやうき)との事。此文(ふみ)を見(み)さんしたら、さぞかし歎(なけ)き給はん。それとは知(し)らず、つかい日に合(あい)(ぐすり)の黒丸(こくぐわん)花の露(つゆ)を下(くだ)さつたも、露(つゆ)と消(き)へ行(ゆ)く知(し)らせてあつたか。」

○貞香(さだか)は、桔梗(きゝやう)が様子(やうす)如何(いかゞ)と部屋(へや)へ忍(しの)び来り、此体(てい)を見(み)て後姿(うしろすがた)を伏(ふ)し拝(おが)む。(4ウ5オ)

雛鳥(ひなどり)は桔梗(きゝやう)が自害(じがい)せしと聞(き)きて部屋(へや)へ駆(か)け付(つ)け来(き)たり。死骸(しがい)に取(と)り付(つ)き歎(なげ)きけるが、人に知(し)れては桔梗(きゝやう)が忠義(ちうぎ)も水(みづ)の泡(あは)と、貞香(さだか)(な)く/\首(くび)(う)ち落(おと)し、「我(わが)身女にて表役(おもてやく)(つと)まらづ」と、大判事(はんじ)を頼(たの)み「入る鹿(か)へ首(くび)(さ)し上ん」と、世間(せけん)(はゞか)る事なれば、雛鳥(ひなとり)が手馴(てな)れし琴(こと)に首(くび)を載(の)せ、黒髪(くろかみ)を琴(こと)の糸(いと)へ結(ゆ)ひ付、せめては求馬(もとめ)にも一目(ひとめ)(み)せんと彼此(かれこれ)を思(おも)ひやり、吉野(よしの)の川の水杯(みづさかづき)、婚礼(こんれい)の心にて、雛(ひな)の道具(だうぐ)もそのまゝに、大判事(はんじ)が川中へ作(つく)り出(いだ)せし館(やかた)へぞ流(なが)しやりける。 (5ウ)

村雲(むらくも)の剣(つるぎ)は、かねて入鹿(いるか)(か)の家来(けらい)荒巻(あらまき)弥藤二に言(い)ひ付、盗(ぬす)み取(と)りしとは、かねて知(し)りながら、それと確(たし)かな証拠(しやうこ)(な)ければ、如何(いかゞ)はせんと、求馬(もとめ)共々(とも%\)心痛(しんつう)の折(おり)から、縁先(えんさき)へからりと落(お)ちたるものあり。求馬(もとめ)(た)ち寄(よ)り取(と)り上(あ)げ見(み)れば、桔梗(きゝやう)が書(か)き置(お)き、身代(がわ)りの様子(やふす)(くわ)しく認(したゝ)めあれば、大に驚(おどろ)き、妻(つま)に忠義(ちうぎ)の先陣(せんじん)されしと悔(くや)み、よし/\我(われ)も一命(めい)を久我(くが)の介様(さま)へ差(さ)し上、村雲(むらくも)の剣(つるぎ)の盗賊(とうぞく)と名告(なの)り出(いで)んと心を決(けつ)し、片辺(かたへ)の亭座敷(ちんざしき)に入り子細(しさい)を障子(しやうじ)に書(か)き遺(のこ)し、腹(はら)へ刀(かたな)を突(つ)き立(た)つる物音(ものおと)に、大判事(はんじ)久我(くが)の介駆(か)け来(き)たり、此体(てい)を見(み)て、大判事(はんじ)(こへ)(たか)く「でかしたり、求馬(もとめ)の介。忠に死(し)したるものなりと、閻魔(ゑんま)が前(まへ)を名告(なの)つて通(とを)り、極楽(ごくらく)浄土(じやうど)へ往生(わうじやう)せよ」と、清文(きよぶみ)介錯(かいしやく)せし折(おり)しも、流(なが)れ来(き)たる琴(こと)の上(うへ)の首(くび)に添(そ)へたる一通(つう)に事の由(よし)を知(し)り、二つの首(くび)を入る鹿(か)へ差(さ)し上、両家(け)は事なく治(おさ)まりける。

久我(くが)「思ひを留(とゞ)めし桔梗(きゝやう)が書(か)き置(お)き、夫婦が忠義(ちうぎ)(わす)れは置(お)かぬ。」

○これより久我(くが)の介雛鳥(ひなどり)の身の上如何(いか)に成(な)りしや、五冊(さつ)(め)を見(み)て知(し)り給へ。(6オ)

(こゝ)にまた、大判事(はんじ)が家来(けらい)に玄上(けんじやう)太郎と言(い)ふものありしが、先(さき)つ頃(ころ)、村雲(むらくも)の剣(つるぎ)紛失(ふんじつ)の折(おり)から、宿直(とのゐ)の役目(やくめ)(おろそ)かなりとて暇(いとま)給はり、今は大和(やまと)の国夢野(ゆめの)の里(さと)に隠(かく)れ住(す)み、名も芝(しば)六と替(か)へ、病身(びやうしん)の母(はゝ)へ孝行(かう/\)を尽(つ)くし、夫婦(ふうふ)が中に二人の倅(せがれ)ありて、いと貧(まづ)しき暮(くら)し也。これすなはち桔梗(きゝやう)が兄(あに)也。 ある日薪(たきゞ)を採(と)りて帰(かへ)るさ、とある松蔭(かげ)にやすらひ居(ゐ)けるが、腰(こし)の斧(おの)に怪(あや)しき人影(かげ)(うつ)りけるゆへ、振(ふ)り向(む)き見(み)れば、一人(ひとり)の曲者(くせもの)松が枝(え)より芝(しば)六目当(あ)てに鉄砲(てつぽう)の火蓋(ひぶた)を切(き)らんとす。芝(しば)六すかさづ斧(おの)をもつて松が枝(え)をぱつと切(き)れば、曲者(くせもの)(お)つるを起(おこ)しも立(た)てず谷(たに)へ蹴落(けおと)し、塵(ちり)打ち払(はら)い立(た)ち上(あが)る折(おり)しも、前(まへ)なる川へ一面(めん)の琴(こと)(なが)れ来(き)たりける故(ゆへ)、拾(ひろ)ひ取(と)り、「怪(あや)しき今(いま)の曲者(くせもの)、危(あぶな)ひ事であつた」と、一人(ひとり)(つぶや)きつゝ我家(わがや)へ帰(かへ)りける。

〔芝六〕「むかし唐土(もろこし)((しん))の蒙恬((もうてん))(はじ)めて箏(こと)を作(つく)る。十三弦(げん)ありと『風俗通』に見(み)へたり。琴(こと)に竜尾((りうび))の名あるに愛(め)でしや。流(なが)れに漂(たゞや)うその上(うへ)に怪(あや)しき陰火(いんくわ)の燃(も)ゆる有様(ありさま)、さて/\不思議(ふしぎ)を見(み)るものじやなァ。」

「右夢野(ゆめの)の里(さと)(6ウ7オ)

(しば)六家(いへ)に帰(かへ)り、彼(か)の琴(こと)を母(はゝ)に見(み)せければ、母(はゝ)大に驚(おどろ)き芝(しば)六に言(い)ひけるは「此琴(こと)は雛鳥(ひなどり)(さま)の年来(としごろ)手馴(てな)れ給ひし弥生(やよい)と言(い)へる名琴(めいきん)也。此辺(へん)に流(なが)れ来(き)たるさへ怪(あや)しと思ふに、琴(こと)の糸(いと)に血潮(ちしほ)の染(そ)みしは心得(こゝろえ)ぬ事也。」と言(い)ふにぞ、夫婦も共(とも)に驚(おどろ)き、もしや妹(いも)山の館(やかた)に急(きふ)事あるやらん。何(なに)にもせよ館(やかた)の安否(あんひ)(いもと)が身の上(うへ)心許(こゝろもと)なし。これにつけても母(はゝ)人の斯(か)く大病(びやう)にあらずは、我(われ)日蔭(ひかげ)の身也とも、彼(か)の地(ち)へ立(た)ち越(こ)へ様子(やうす)をも聞(き)かんものと小首(くび)かたげし折(おり)しも、貞香(さだか)が方(かた)より飛脚(ひきやく)(き)たりし故(ゆへ)、桔梗(きゝやう)が便(たよ)りに様子(やうす)も知(し)れんと、包(つゝ)みの内を開(ひら)き見(み)れば、形(かた)身の品々(しな%\)(か)き置(お)き故(ゆへ)、皆々(みな/\)(おどろ)く。

〔お雉〕「こりや書(か)き置(お)きでござんす。」
〔芝六〕「早(はや)く読(よ)め/\。」(7ウ8オ)

(か)き置(お)きの事
一 かね%\皆々(みな/\)様御存の通(とを)り、入鹿(いるか)威勢(ゐせい)に募(つの)り、 雛鳥(ひなどり)様を無理(むり)に入内(じゆたい)させよとの事。貞香(さだか)様継(まゝ)しき中の義理(ぎり)を御立(た)て遊し候て、ぬし様御自害(じがい)とも見(み)へ奉候まゝ、我(わが)身雛(ひな)(どり)様の御身代(がは)りに相果(は)て奉候。草葉(くさば)の蔭(かげ)より皆々(みな/\)様一遍(へん)の御回(ゑ)(こう)(ねが)い上奉候。
一 雛(ひな)鳥様より頂(いたゞ)き候縞(しま)縮緬(ちりめん)の小袖縞柄(しまから)も目立(めだ)ち不申候まゝ、母(はゝ)様へ形(かた)身に上奉候。外によせ切の袋(ふくろ)は数珠(じゆづ)入に上候。
一 伽羅(きやら)一包(つゝ)みは御兄(あに)様へ、帯(おび)一筋(すぢ)はお雉(きし)様へ
一 先(せん)もじ宿下(やどさが)りの節(せつ)、三作へ約束(やくそく)(いた)し候硯(すゞり)、杉松へは香箱(かうばこ)、叔母(おば)が形(かた)身と御申聞(き)かせ可被下候。
一 求馬(もとめ)殿(どの)へは先(さき)(だ)ち候申訳(わ)け、未来(みらい)より致(いた)し可申候。涙(なみだ)に筆(ふで)もたち不申。かす%\申残(のこ)し候。かしく
(なが)れては妹背(いもせ)の山の中に落(お)つる吉野(よしの)の川のよしや世(よ)の中
桔梗(きゝやう)より
母人様へ

(しば)六が伜(せがれ)三作(さく)は若年(じやくねん)ながら心聡(さと)く二親(ふたおや)に孝行(かう/\)を尽(つく)しけるが、此程(ほど)の歎(なげ)きを見(み)るに付(つ)けても婆様(ばゞさま)の病気(びやうき)を快(こゝろよ)くさせんと思ひ、「我(われ)女ならば身を売(う)りても親々(おや/\)を救(すく)はんものを」と悔(くや)み居(ゐ)けるが、ふと医者(いしや)の言(い)ふを聞(き)けば、爪黒(つまくろ)の鹿(しか)の生血(いきち)を飲(の)ますれば、病(やまい)本復(ぶく)すると聞(き)き、春日(かすが)の掟(おきて)は背(そむ)くとも、鹿(しか)を得(え)て婆様(ばゞさま)を助(たす)けて、後(のち)は我(われ)鹿(しか)(ころ)しの咎(とが)に服(ふく)すべしと、ある夜(よ)(ひそか)に春日(かすが)の山へ登(のぼ)り、爪黒(つまくろ)の鹿(しか)を尋(たづ)ねける。

○芝(しば)六が妻(つま)お雉(きし)は二人(ふたり)の子供(ども)、宵(よい)より出(いで)て帰(かへ)り遅(おそ)しと迎(むか)いに出(いづ)る。

〔三作〕「杉松(すぎまつ)(たれ)も来(こ)ぬか気(き)をつけろ。」
杉「向(むか)ふへ提灯(ちやうちん)が見(み)へるぞへ。」(8ウ9オ)

(こゝ)に又、入鹿(いるか)が家来(けらい)荒巻(あらまき)弥藤二は如何(いか)なる企(たく)みやありけん。入鹿(いるか)が方(かた)に隠(かく)しありし彼(か)の村雲(むらくも)の剣(つるぎ)を奪(うば)ひ取(と)りて立(た)ち退(の)き、牛瀧((うしたき))の山奥(おく)に隠(かく)れ住(す)み、山達(だち)と成(な)りて手下た数多(あまた)ありけるが、先頃(さきつころ)、大(おゝ)内相撲(すもふ)の節会(せちへ)ありし頃(ころ)、芝(しば)六にしたゝか投(な)げられ、人中にて悪口(あくこう)されしを深(ふか)く恨(うら)み、手下たに言(い)ひ付忍(しの)ばせけるが、討(う)ち損(そん)じ立(た)ち帰(かへ)りける故(ゆへ)、此度は弥藤二自(みづか)ら芝(しば)六が家(いへ)に忍(しの)び来(き)たり、騙(だま)し討(う)ちになし、不憫(ふびん)や病(や)み惚(ほう)けたる母(はゝ)をも殺(ころ)し、如何(いか)にうろたへけん、芝(しば)六に止(とゞ)めも刺(さ)さず立(た)ち退(の)きける後(あと)へ、妻(つま)お雉(きし)子供(ども)を連(つ)れて立(た)ち帰(かへ)り、「今(いま)(もど)りし」と内(うち)に入(い)り此体(てい)を見(み)て大に驚(おどろ)き、せき来(く)る涙(なみた)を押(おさ)へつゝ、三作(さく)共々(とも%\)手負(てお)ひに縋(すが)り「芝(しば)六殿(どの)よ」「父(とゝ)さん」と呼(よ)び活(いか)し/\、「様子(やふす)は如何(いか)に」と訊(たづ)ねける。

〔弥藤二〕「恨(うら)みを受(う)くる覚(おぼ)えがあろふ。荒巻(あらまき)弥藤二が手に掛(か)ける、黙(だま)つてくたばれ。」
〔芝六〕「騙(だま)し討(う)ちとは卑怯者(ひきやうもの)。名告(なの)れ/\。」(9ウ10オ)

(しば)六は苦(くる)しき息(いき)を付(つ)き「よく/\武運(ぶうん)に尽(つ)きたるや、荒巻(あらまき)弥藤二が為(ため)に騙(だま)し打にあひ、此深手(ふかで)、三作(さく)が鹿(しか)(〔こ〕ろ)しも、我(われ)かねて知(し)りたれども、孝行(こう/\)の為(ため)にする事、後(あと)にて仕様(しやう)もあらんと、そのまゝに捨(す)て置(お)きしが、かく深手(ふかで)にて、とても命(いのち)は助(たす)からず、三作(さく)が罪(つみ)を我身(わがみ)に請(う)け「鹿殺(しかころ)しは芝(しば)六也」と春日(かすが)の宮(みや)人へ届(とゞ)け「罪(つみ)を畏(おそ)れて腹(はら)(き)りし」といふべし。母(はゝ)人も弥藤二が手(て)に掛(かゝ)り給へば、三作(さく)が孝心も水(みづ)の泡(あは)、早(はや)く弥藤二を尋(たづ)ね出(いだ)し、我(わが)修羅(しゆら)の恨(うら)みを晴(はら)し呉(く)れよ」と言(い)ひ置(お)く言葉(ことば)も次第(しだい)に弱(よは)り、此(こ)の世(よ)の息(いき)は絶(た)へにけり。

〔芝六〕「三作(さく)は何処(どこ)に居(ゐ)る。もう目(め)が見(み)へぬは。」
〔三作〕「今日(きやう)は如何(いか)なる悪日(あくにち)じや。悲(かな)しや/\。」
〔お雉〕「こりやまァなんと致(いた)しましやう。」
〔杉松〕「父(とゝ)さんが死(し)んだら、晩(ばん)から坊(ぼう)は誰(だれ)と寝(ね)やふ。嫌(いや)だよふ/\。」(10ウ)

かくてお雉(きし)は芝(しば)六の遺言(ゆひげん)の如(ごと)く計(はか)らい、泣(な)く/\二人(ふたり)の亡骸(なきから)を辺(あた)りの寺(てら)へ葬(ほうむ)り、家財(かざい)を残(のこ)らず売代(うりしろ)なして、母と夫(をつと)の追善(ついぜん)を営(いとな)み、日数(かづ)(た)ちて後(のち)、かの弥生(やよい)と言(い)へる琴(こと)を携(たづさ)へ、二人(ふたり)の子供(ども)を連(つ)れ、敵(かたき)詮議(せんぎ)の為(ため)、棲(す)み馴(な)れし夢野(ゆめの)の里(さと)を離(はな)れ、都(みやこ)の方(かた)へと志(こゝろざ)し立(た)ち出(いで)けるは、哀(あは)れなる有様(ありさま)なり。

〔三作〕「母様(はゝさま)草臥(くたびれ)はなされませぬか。」
〔お雉〕「これから都(みやこ)へ行(い)て良(よ)い物(もの)(こう)てやりましやう。」
〔杉松〕「母(かゝ)さん今夜(こんや)は何処(どこ)へ寝(ね)るのじや。」(11オ)

お雉(きし)は元(もと)泰野(はだの)(なにがし)といふ楽官(がくくわん)の娘(むすめ)なるが、先年(せんねん)入鹿(いるか)の父(ちゝ)蝦夷(えみし)と言(い)へる者(もの)の為(ため)に家(いへ)(ほろ)び、今此身と成(な)りて立(た)ち寄(よ)る方(かた)なく、昔(むかし)手馴(てな)れし技(わざ)も今(いま)の方便(たつき)と成(な)り、都(みやこ)へ来(き)たり、人立(ひとだ)ち多(おゝ)き所にて琴((こと))を弾(ひ)き、往来(ゆきゝ)の人に一錢(せん)二銭(せん)の情(なさ)けを受(う)けて微(かす)かなる煙(けふり)を立(た)て、敵(かたき)弥藤二を尋(たづ)ねけるは、たぐひ稀(まれ)なる貞女(ていぢよ)也。お雉(きし)は琴(こと)の名人(めいしん)にて、調(しら)べ妙(たへ)なる爪音(つまおと)に聞(き)く人哀(あは)れを催(もよほ)しける。後々(のち/\)此所(ところ)を琴弾(ことひき)の原(はら)と言(い)いけるとなん。今も猶(なほ)大和国にその名(な)(のこ)れり。
須磨(すま)「なか/\に人をば恨(うら)むまじや恨(うら)みじ。とにかくに数(かず)(な)らぬ憂(う)き身の上(うへ)ぞ悲(かな)しき。」

〔お雉〕「杉松(すぎまつ)(ぜゞ)(くだ)さつたらお礼(れい)申せ。」
〔杉松〕「一銭(せん)の御(ご)報謝(ほうしや)(くだ)さりまし。」
〔通行人〕「美(うつく)しい年増(としま)だが、どふゆう事で零落(おちぶ)れたやら。」「どんな者(もの)に見(み)せても〓がものはあるせ。」(11ウ12オ)

お雉(きし)は、奈良(なら)の都(みやこ)猿沢(さるさは)の池(いけ)の片辺(かたほとり)に、小家(いへ)を作(つく)りて親子(おやこ)三人暮(くら)しけるが、貧(まづ)しき中(なか)にも三作(さく)(はゝ)へ孝行(かう/\)を尽(つく)し、昼間(ひるま)街道(かいどう)にて貰(もら)ひ貯(ため)し聊(いさゝ)かの銭(ぜに)にて、米(よね)(とゝの)へて飯(めし)(た)いて、母(はゝ)杉松へ喰(く)はせ、殊更(ことさら)(さむ)き雪(ゆき)の夜(よ)は、母(はゝ)の寝(ね)入りたるを窺(うかゞ)ひ、己(おのれ)が着(き)たる一重(ひとへ)の布子(ぬのこ)を母(はゝ)に着(き)せ、綴(つゞ)れの襦袢(じゆばん)は杉松に掛(か)けてやり、藁(わら)一把(わ)に身を纒(まとひ)て寒気(かんき)を凌(しの)ぎ、又ある時(とき)は、幾日(いくひ)も続(つゞ)く長雨(ながあめ)に街道(かいどう)の稼(かせ)ぎならず、三人飢(う)へに臨(のぞ)みたる時(とき)は、母(はゝ)には「人に雇(やと)はれし」と言(い)ひて家(うち)を出(いで)、人の門々(かど/\)に立(た)ちて袖乞(そでごひ)して二人(ふたり)が飢(う)へを助(たす)け、「己(おのれ)は人の家(いへ)にて飯(めし)(た)べし」と偽(いつは)り、少(すこ)しの洗(あら)ひ流(なが)しを啜(すゝ)りて飢(う)へを凌(しの)ぎ、母(はゝ)に知(し)らさば案(あん)じるならんと、物陰(ものかげ)にて忍(しの)び泣(な)きに泣(な)き暮(くら)し、千辛(しん)万苦(く)して養(やしな)ひけるは、比類(ひるい)なき孝心(かうしん)なり。

お雉(きし)「三作(さく)はもふ帰(かへ)りそふなものしや。日が暮(く)れるのふ。」
「猿沢(さるさは)の池」(12ウ13オ)

(こゝ)に又(また)、荒巻(あらまき)弥藤二は牛瀧(うしたき)の山奥(やまおく)に山立(やまだち)の頭(かしら)と成(な)りて隠(かく)れ棲(す)みけるが、遥(はる)かの道(みち)を隔(へだて)て奈良(なら)の都(みやこ)角町(つのまち)の廓(くるは)へ通(かよ)ふ折(おり)から、峰(みね)(おろ)しの夜風(よかぜ)に提灯(ちやうちん)の火(ひ)を消(け)し「如何(いか)にせん。辺(あた)りに人家(じんか)は無(な)きや」と向(むか)ふを見(み)れば、林(はやし)の茂(しげ)みに火(ひ)の影(かげ)(み)へける故(ゆへ)、細道(ほそみち)より此辺(へん)に来(き)たり、お雉(きし)が家(いへ)とも知(し)らず、内(うち)に入(い)りける。折(おり)しも囲炉裏(ゐろり)に燃(も)へ立(た)つ火影(ほかげ)にて、顔(かほ)見合(みあは)せて互(たが)ひにびつくり。お雉(きし)は嬉(うれ)しく、日頃(ごろ)の敵(かたき)此処(こゝ)に来(き)たりしは天道様(てんとうさま)の御恵(おめぐ)みと、飛(と)び立(た)つばかり嬉(うれ)しく、戸棚(とだな)の内より一腰(こし)を取(と)り出(いだ)し、名告(なの)り掛(か)けて切(き)り付(つ)くれは、弥藤二苦(く)も無(な)くその刀(かたな)を打(う)ち落(おと)し、かねて思(おも)ひを掛(か)けたるお雉(きし)なれば、「思(おも)ひ掛(か)けざる幸(さいわ)いなり」とて、「我家(わがや)へ連(つ)れ行(ゆ)き、閨(ねや)の伽(とぎ)にせん」と嫌(いや)がるお雉(きし)を無体(むたい)に恋慕(れんぼ)しけるに、いとゞ悔(くや)しく滅多切(めつたぎ)りに切(き)りたてしかば、弥藤二お雉(きし)が心(こゝろ)に従(したが)はざるを見(み)て「惜(お)しいものだが、生(い)けおきては後日(ごにち)の心障(こゝろざは)り」と、情(なさ)けなくも弄(なぶ)り切(ぎ)りに切(き)り殺(ころ)し、死骸(しがい)を猿沢(さるさは)の池(いけ)へ蹴落(けおと)し、提灯(ちやうちん)(さ)げて悠々(ゆう/\)と小唄(こうた)を歌(うた)ひつゝ此所(ところ)を立(た)ち去(さ)りけり。

〔弥藤二〕「これお雉(きし)。くたばつた芝(しば)六に義理(ぎり)を立(た)てづと、俺(おれ)が心(こゝろ)に従(したが)へば直(すぐ)に奥様(おくさま)、そんな様(ざま)はさせねへは。錦(にしき)の衾(ふすま)、花(はな)の床(とこ)、括(くゝ)り枕(まくら)の長(なが)き夜(よ)も、玉の台(うてな)の玉子酒(さけ)、栄耀(えやう)栄華(ゑいぐわ)は心(こゝろ)の侭(まゝ)だは。ハテ美(うつく)しいものだなァ。」
〔お雉〕「珍(めづ)らしや。如何(いか)に弥藤二。母(はゝ)の仇(かたき)、夫(おつと)の敵(かたき)。覚(おほ)えがあろう。サァ立(た)ち上(あが)つて勝負(しやぶ)しや。ヱヽコレ、折(おり)(あ)しい三作(さく)が留守(るす)、早(はや)ふ帰(かへ)らへでいなァ。」(13ウ14オ)

此夜(このよ)三作(さく)は杉松を連(つ)れて、月(つき)を頼(たよ)りに多武峰(たぶのみね)に登(のぼ)り、芝(しば)を刈(か)りて居(ゐ)たりしが、頻(しきり)に胸騒(むなさは)ぎしける故(ゆへ)、急(いそ)ぎ我家(わがや)へ立(た)ち帰(かへ)り、見(み)れば家内(かない)(ち)だらけなれば、大に驚(おどろ)き、その上(うへ)(はゝ)の見(み)へざるに一入(ひとしほ)心急(こゝろせ)かれて狂気(きやうき)のごとく「母様(はゝさま)/\」と辺(あた)りを尋(たづ)ね、やう/\死骸(しがい)を見付(みつ)け、猿沢(さるさは)の池(いけ)より引(ひ)き上(あ)げ、二人(ふたり)の子供(こども)右左(みぎひだり)に取(と)り付(つ)き「こはそも夢(ゆめ)か現(うつゝ)か」と嘆(なげ)きの中(うち)にも三作(さく)心付(こゝろづ)き、辺(あた)りに落(お)ちたる一品(ひとしな)を取(と)り上(あ)げ見(み)れば、五色(しき)の勾(まが)玉なり。三作(さく)(こゝろ)に思ひけるは、先頃(さいつころ)父上(ちゝうへ)の物語(ものがたり)に「五色(しき)の勾(まか)玉を入鹿(いるか)より弥藤二に賜(たまは)りし」と聞(き)きし事あり。此品(しな)此処(こゝ)に落(おと)しあるを思へば、母人(はゝびと)も弥藤二が為(ため)に返(かへ)り討(う)ちにあい給ひしに疑(うたが)ひなし。「思へば/\怨(うら)み重(かさ)なる弥藤二、例(たと)へ天(てん)を駆(か)けり地(ち)に入(い)るとも尋(たづ)ね出(いだ)し、怨(うら)みを晴(はら)さでおくべきか」と声(こへ)を放(はな)ちて嘆(なげ)きける。

〔三作〕「今(いま)一足(ひとあし)(はや)くば此嘆(なげ)きは見(み)まいもの。天道様(てんとうさま)は無(な)いものか。悲(かな)しや/\。」
〔杉松〕「母(はゝ)さん、死(し)なしやれずと、やつぱり何時(いつ)もの様(やふ)に杉松(まつ)を叱(しか)つて下(くだ)され。」(14ウ15オ)

此折(おり)しも、川上(かわかみ)の里(さと)なる某(なにがし)の上人、談義(だんぎ)の帰(かへ)るさ此所を通(とほ)りかゝり、お雉(きし)が最期(さいこ)の様子(やふす)を聞(き)きて不憫(ふびん)に思ひ、「寺(てら)へ引(ひ)き取(と)り葬(ほふむ)り呉(く)れん」と〔の〕給へば、悲(かな)しき中(なか)にも三作(さく)(うれ)しく、かの琴(こと)の上へにお雉(きし)が死骸(しがい)を載(の)せ、蓑(みの)(う)ち掛(か)けて寺(てら)へ持(も)ち行(ゆ)きて葬(ほうむ)り、琴(こと)は其(そ)の侭(まゝ)(てら)へ収(おさ)め、三七日が間(あいだ)(はか)に通夜(つや)し、「かくては何時(いつ)(かたき)に巡(めぐ)り逢(あ)はんも計(はか)り難(がた)し」と、上人に暇(いとま)申し、杉松が手を引(ひ)き何処(いづく)と定(さだ)めぬ旅枕(たびまくら)、心細(こゝろぼそく)ぞ立(た)ち出(いで)ける。

此上人お雉(きし)が亡骸(なきから)を見(み)給ひし時(とき)、一首(しゆ)の歌(うた)を詠(よ)み給ふ。 大和物語(ものがたり)「吾妹子(わきもこ)が寝(ね)くたれ髪(がみ)を猿沢(さるさは)の池(いけ)の玉藻(も)と見(み)るぞ哀(かな)しき」

〔上人〕「随分(ずいぶん)まめで御座(ござ)れ、縁(えん)もあらば又逢(あ)ひましやふ。」
〔三作〕「段々(だん/\)の御恩(ごおん)(あ)り難(がと)ふ存(ぞん)じます。」(15ウ)

(こゝ)に又(また)、淡海公(たんかいこう)の家来(けらい)に金輪(かなわ)五郎といふ者(もの)あり。故(ゆへ)ありて主人(しゆしん)淡海公(たんかいこう)より勘気(かんき)を蒙(かうふ)り、今(いま)は浪華(なには)の浦(うら)にて酒(さけ)を商(あきな)ひ、名を鱶(ふか)七と改(あらた)め、一人(ひとり)の娘(むすめ)ありて、お三輪(みわ)と呼(よ)び、今年(ことし)二八の春(はる)の花(はな)、皆人(みなひと)(おも)ひを掛(か)けざるはなかりけり。此度(たび)、鱶(ふか)七が妻(つま)苧環(をだまき)、娘(むすめ)お三輪(みわ)を連(つ)れて伊勢(いせ)へ参宮(さんぐう)し、夫(をつと)の勘気(かんき)赦免(しやめん)ある様(やう)にと祈(いの)りけるが、その帰(かへ)るさ一ッの事出(いで)(き)たり、鱶(ふか)七再(ふたゝ)び淡海公(たんかいこう)へ帰参(きさん)なしけるは、忠孝(ちうかう)を憐(あは)れみ給ふ神(かみ)の恵(めぐ)みぞ有(あ)り難(がた)き。

〔お雉〕「伊勢(いせ)道中(だうちう)はどれも旅籠屋(はたごや)が綺麗(きれい)じや。」
〔お三輪〕「母(はゝ)さん、土産物(みやげもの)の月(げつ)仙の扇(あふぎ)は包(つゝ)みの中(うち)へ入(はい)りましたか。」(16オ)

苧環(おだまき)家路(いへじ)に帰(かへ)るさ、とある水茶屋(みづちやゝ)にやすらひ居(ゐ)けるに、伊勢参(いせまへり)の子供(ども)(き)たり。「一銭(せん)の御報謝(ごほうしや)」と差(さ)し出(いだ)す。柄杓(ひしやく)を見(み)れば、「大和(やまと)の国夢野(ゆめの)の里(さと)、同行二人」と書(か)き付(つ)けあるに心付(こゝろづ)き、よく/\見(み)れば六年(ねん)以前(いぜん)(わか)れたる甥((をひ))の三作(さく)なればうち驚(おどろ)き、様子(やうす)を尋(たづ)ねければ、三作(さく)叔母(おば)の苧環(おだまき)を片辺(かたへ)に誘(いざな)ひ身の上(うへ)の様子(やうす)(くわ)しく語(かた)りければ、苧環(おだまき)大に驚(おどろ)き「わらは六年(ねん)このかた故(ゆへ)ありて、芝(しば)六殿(どの)に訪(おとづ)れせざりし故(ゆへ)、事(こと)の子細(しさい)も知(し)らざりし。兄弟(きやうだい)(とも)に、一先(ひとまづ)わらはが家(いへ)に来(き)たり玉へ。夫(おつと)(ふか)七殿(どの)も元(もと)は故(ゆへ)ある武士(ものゝふ)也。様子(やふす)(かた)らば助太刀(すけだち)をもし給ふべし」とて、これより両人(りやうにん)の兄弟を連(つ)れ、浪華(なには)をさして急(いそ)ぎけり。

〔三作〕「はて見たやふな女子衆(をなごしゆ)じや。」
〔杉松〕「伊勢(いせ)(まへ)りに御報謝(ごほうしや)(くだ)さりまし。」
〔苧環〕「くたびれたら又駕籠(かご)にしましやふぞへ。」
〔お三輪〕「歩(ある)くも気散(きさん)じでごさんす。」(16ウ17オ)

かくて苧環(をだまき)子供(ども)を連(つ)れ、一(ひと)つの渡(わた)し場(ば)に来(き)たりけるが、此辺(へん)のあふれ者(もの)、足弱(あしよは)と見(み)て酒手(さかて)をねだりける故(ゆへ)、その値(あたへ)を取(とら)せけるに、「銭(ぜに)の不足(ふそく)なり」と言(い)ふより事(こと)(むづか)しく言募(いゝつの)り、供(とも)の者(もの)に撃掛(うちか)かるを、三作(さく)(み)かねて敵(かたき)(も)つ身とは思ひながら、差(さ)し当(あた)る難儀(なんぎ)なれば詮方(せんかた)なく、彼(か)の者(もの)(ども)をさん%\にうち散(ちら)し難(なん)なく此所(ところ)を通(とを)りける。

〇苧環(をだまき)は、三作(さく)が手並(てなみ)を見(み)て敵(かたき)をも打かねまじと心(こゝろ)に喜(よろこ)

〔あぶれ者〕「棒(ぼう)を掴(つか)めへて、こりやァどふする。とんだべらぼうだ。」
〔あぶれ者〕「これ顎(あご)が外(はづ)れる。痛(いて)へは/\、いたへ我(われ)らは都(みやこ)の生(うま)れだ。」
三作(さく)「足弱(あしよは)と見(み)てはあてが違(ちが)ふぞ。道(みち)を開(ひら)いて通(たう)すまいか。」
〔あぶれ者〕「這(は)つて兜(かぶと)の緒(お)お締(し)まるより、逃(に)げるが一(いち)の手(て)だ。若衆(わかし)め、切(き)つたぞ/\。人殺(ごろ)しだァ/\/\。」(17ウ18オ)

苧環(をだまき)(いへ)に帰(かへ)り、三作(さく)を連(つ)れ来(き)たりし事(こと)を夫(をつと)(ふか)七に語(かた)りければ、鱶(ふか)七、三作(さく)に向(むか)ひ言(い)ひけるは「段々(だん%\)の様子(やふす)を聞(き)けば、頼(たよ)り少(すく)なき二人が身の上(うへ)いたわしき事(こと)なり。我(われ)も逃(のが)れぬ一家の敵(かたき)なれば、是非(ぜひ)とも敵(かたき)弥藤二を尋(たづ)ね出(いだ)して討(う)たせやるべし。まづ暫(しばら)く我家(わがや)にありて密(ひそ)かにこの国(くに)を尋(たづ)ね給へ」と頼(たの)もしく言(い)ひけるにぞ、三作(さく)(よろこ)びこれより三作(さく)兄弟(きやうだい)、鱶(ふか)七方(かた)に足(あし)を留(とゞ)め、思(おも)はず三年(とせ)(あま)りの年月(としつき)を送(おく)りける。

○爰(こゝ)に又(また)、お三輪(みわ)は三作(さく)が若衆(わかしゆ)(ぶ)りに人(ひと)(し)らぬ思(おも)ひをこがしけるが、或時(あるとき)三作(さく)が一人(ひとり)(ゐ)たる所へ来(き)たり。日頃(ひごろ)の思(おも)ひを告(つ)げてかき口説(くど)きけるに、三作(さく)大に迷惑(めいわく)し、お三輪(みわ)に向(むか)ひ、色々(いろ/\)異見(いけん)しければ、お三輪(みわ)は顔(かほ)(あか)らめ海女(あま)の小舟(をぶね)の舵(かぢ)たへて言(い)ひ寄(よ)る潮(しほ)なく、せきくる涙(なみだ)を押(おさ)へつゝ、恥(は)ぢ入(い)りて立(た)ち去(さ)りける。

三作(さく)「『男女は七才にして席(せき)を同(おな)じくせず』と申ます。此処(こゝ)をよふ合点(がてん)なされまし。」
〔お三輪〕「ハイ/\。もふ何(なに)も申ませぬ。つれないお心でござります。」(18ウ19オ)

かくてお三輪(みわ)は三作(さく)と一所(ひとつところ)にありながら胸(むね)(あは)ぬ思(おも)ひに迫(せま)り狂乱(きやうらん)となりければ、苧環(おだまき)「お三輪(みわ)が病気(びやうき)の起(おこ)りは三作(さく)に恋慕(れんぼ)の色(いろ)気違(きちが)いなり」と鱶(ふか)七に語(かた)りけるに、「さすがにもの堅(がた)き鱶(ふか)七も子故(ゆへ)の闇(やみ)にて、此事(このこと)よきに計(はか)らひ候へ」と言(い)いければ、苧環(おだまき)、三作(さく)を我(わが)部屋(へや)に呼(よ)びて言(い)いけるは「御(おん)身何(なに)とぞ娘(むすめ)お三輪(みは)と妹背(いもせ)の盃(さかづき)なし給はれ。さなくては、一人(ひとり)の娘(むすめ)を見殺(みごろ)しにし給ふなり。それは余(あま)りに情(なさ)けなし」と言(い)へば、三作(さく)(い)いけるは「さればに候。敵(かたき)(も)つ身は明日(あす)にも、もしや返(かへ)り討(う)ちにあふ時(とき)は行先(ゆくさき)あるお三輪(みわ)殿(どの)を寡婦(やもめ)となさんこといたわしく、殊更(ことさら)(おや)の許(ゆる)さぬ事故(ことゆへ)に、これ迄(まで)つれなく致(いた)せしなり。かく親(おや)々の許(ゆる)し給ふ上(うへ)は、敵(かたき)さへ討(う)ち果(おゝ)せし上(うへ)は、めでたく祝言(しゆうげん)(いた)すべし」と言(い)いければ、苧環(おだまき)(うれ)しく、お三輪(みわ)へ此由(よし)(い)い聞(き)かせけるに、心乱(こゝろみだ)れしお三輪(みわ)も此事ばかりは聞(き)き分(わ)けて大に喜(よろこ)び、病気(びやうき)も次第(しだい)に快(こゝろよ)く、鱶(ふか)七夫婦(ふうふ)(よろこ)びにたへざりけり。

〔女〕「こりやァ、とふでも本気(ほんき)ではないはへ。」
お三輪(みわ)心乱(こゝろみだ)れ、伊勢詣(いせもうで)の時(とき)(き)き慣(な)れし馬子(まご)(うた)を唄(うと)ふ。
〔お三輪〕「竹(たけ)にさァ、雀(すゞめ)はナァ、品(しな)よく止(と)まる、とめてサ、とまらぬナ、色(いろ)の道(みち)かいな、爰(こゝ)なほてつ腹(はら)め。」
〔女〕「もふ一ッ、何(なん)ぞ歌(うた)ひなせへ。」
〔女〕「お三輪(みわ)さんが歌(うた)はんすなら、蕗組(ふきぐみ)か梅が枝(え)でありそふなものじや。」(19ウ20オ)

(こゝ)に又(また)、弥藤二は先頃(さいつころ)お雉(きし)を返(かへ)り討(う)ちになし、三作(さく)をも討(う)たんと手下たに言(い)い付(つ)け、行方(ゆくへ)を尋(たづ)ねけるが「此頃(このごろ)浪華(なには)にて見(み)(か)けたり。」と確(たし)かなる注進(ちうしん)により、自(みづか)ら此辺(へん)に来(き)たり。伺(うかゞ)ひけるが、ある日、三作(さく)、西宮(にしのみや)へ参詣(さんけい)の折(おり)から梅が枝(え)の渡(わた)し舟に乗居(のりゐ)たるを堤(つゝみ)の上(うへ)にて網笠(あみがさ)の内(うち)より見付(みつ)け、此(この)所にて討(う)ち取(と)らば、事(こと)(むづか)しと思ひ、辺(あた)りの人に三作(さく)が住処(すみか)を尋(たづ)ね、心(こゝろ)に頷(うなづ)き立(た)ち去(さ)りしは危(あやう)かりし事ども也。

〔弥藤二〕「あいつは確(たし)かに三作(さく)めだはへ。」(20ウ)

かくて弥藤二は鱶(ふか)七方(かた)に三作(さく)兄弟匿(かくま)ひある事を聞(き)き出(いだ)し「まづ鱶(ふか)七を討(う)ち、根(ね)を断(たつ)て葉(は)を枯(か)らさん」と浪華(なには)に旅宿(りよしゆく)を求(もと)め、宿(やど)の主(あるじ)に言(い)ひけるは「我(われ)は西国(さいこく)の者(もの)なるが、主人(しゆじん)『数多(あまた)の酒を求(もと)めたき』との事也。当所の鱶(ふか)七と申者(もの)の方(かた)に、良(よ)き酒ありと聞(き)きつる故(ゆへ)、注文(ちうもん)したし。鱶(ふか)七を呼(よ)び寄(よ)せくれよ」と言(い)ひ付、鱶(ふか)七来(き)たらば、騙(だま)し討(う)ちにせんと巧(たく)みけるが、鱶(ふか)七来りて様子(やうす)を聞(き)きて「弥藤二なり」と悟(さと)り、「早(はや)く三作(さく)に知(し)らさん」と立(た)ち帰(かへ)る、縁(ゑん)の下たよりひらめき出(いで)たる剣(つるき)の先(さき)。「いよ/\弥藤二が仕業(しわざ)に極(きは)まれり」と、危(あやう)き所を引(ひ)き外(はづ)し、急(いそ)ぎ我家(わがや)へ帰(かへ)りけり。

〔鱶七〕「はて、あじなからくりだな。」(21オ)

(ふか)七家(いへ)に帰(かへ)り、兄弟の者(もの)にしか%\の由(よし)(かた)りければ、両人(りやうにん)は大いに喜(よろこ)び、優曇華(うどんげ)の花(はな)(ま)ち得(え)たる心にて、躍(をど)り上(あが)りて勇(いさ)み立(た)ち、日頃(ごろ)(おぼ)への業物(わざもの)の目釘(くぎ)湿(しめ)してぼつこみ、鱶(ふか)七とも%\弥藤二が旅宿(りよしゆく)へ駆(か)け付見(み)るに、弥藤二早(はや)くも此事を知(し)りけるにや。逐電(ちくてん)したる蛻(もぬけ)の蝉(せみ)。二人(ふたり)は呆(あき)れて佇(たゝず)みしが、宿屋(やどや)の亭主(ていしゆ)此体(てい)を見(み)て鱶(ふか)七に向(むか)ひ「かの侍(さふらひ)は先程(さきほど)(あはたゞ)しく東(ひがし)の方(かた)へ馳(は)せ行(ゆ)き候」と言(い)へば、鱶(ふか)七これを聞(き)き、「かねて知(し)りたる所の案内(あんない)なれば、両人続(つゞ)け」と声(こゑ)(か)けて、先(さき)に進(すゝ)みて追(お)ひ掛(か)け行(ゆ)き、しほみ坂(ざか)と言(い)ふ所にて、やふ/\弥藤二に追(お)ひ付ける。三作(さく)は今年(ことし)十九才、杉松は十五才。血気(けつき)に逸(はや)る若者(わかもの)(ども)(みぎ)(ひだり)より名告(なの)り掛(か)け、抜(ぬ)き連(つ)れて切(き)り付(つ)くるに、弥藤二は抜(ぬ)き合(あは)せもせず。身をかはして剣(つるぎ)を避(さ)け、又切(き)り付る二人(ふたり)の切先(きつさき)、両の手(て)にしつかと捕(とら)へ、から/\とうち笑(わら)ひ「不死(ふじ)身の我(われ)と知(し)らずして、敵(かたき)と狙(ねら)ひ討(う)たんと計(はか)る大莫迦(ばか)(もの)。返(かへ)り打ぞ」と、抜(ぬ)く手(て)も見(み)せず、三作(さく)を目掛(めが)けて切(き)り付(つ)くる。鱶(ふか)七たまらず「助太刀(すけだち)也」と声(こへ)(か)け、弥藤二を中に捕(と)り籠(こ)め討(う)てども切(き)れども傷(きづ)(つ)かず。「こはそも如何(いか)に」と、顔(かほ)見合(みあは)せ、「此上は手捕(てど)りにせん」と、三人等(ひと)しく刀(かたな)を捨(す)てゝ飛(と)び掛(かゝ)る、その勢(いきほ)ひにや恐(おそ)れけん、身を翻(ひるが)へして片辺(かたへ)の谷底(たにそこ)へ飛(と)び下(くだ)り、上(うへ)を見上(みあげ)て大声(ごゑ)あげ、「三作(さく)の空(うつけ)者。鱶(ふか)七の腰抜(こしぬ)けよ。汝等(なんぢら)(ごと)きの痩腕(やせうで)にて打るゝ様(やふ)な弥藤二ならず。悔(くや)しくば此処(こゝ)へ飛(と)び来(き)たれ。我(わが)真似(まね)はよも成(な)るまじ。莫迦(ばか)(もの)(ども)め」と、悪口(あくこう)しつゝ、反(のつ)たる刀(かたな)を岩角(いわかど)にて押(を)し直(なを)して鞘(さや)に納(おさ)め、悠々(ゆう/\)と身繕(づくろ)ひし、何処(いづく)ともなく落(お)ち行(ゆ)きける。並(なみ)々の者(もの)ならば、谷底(たにそこ)へ飛(と)び降(を)りて五体(たい)も微塵(みじん)に成(な)るべきに、弥藤二不死(ふじ)身故(ゆへ)にや恙無(つゝがな)かりしとぞ。

〔鱶七〕「取(と)り逃(にが)したか。残念(ざんねん)な。」
〔杉松〕「あゝ無念(むねん)な/\。」
〔三作〕「思(おも)ひ掛(が)けなき敵(かたき)の不死(ふじ)身。よく/\武運(ぶうん)に尽(つ)きたはへ。」(21ウ22オ)

三人の者(もの)は弥藤二を取(と)り逃(にが)し、此処(こゝ)の林(はやし)、彼処(かしこ)の谷陰(たにかげ)(くま)なく尋(たづ)ねけるが、行方(ゆくへ)(し)れず。日も暮(く)れければ、是非(ぜひ)なく宝(たから)の山(やま)に手(て)をむなしく家(いへ)に帰(かへ)りけるが、三作(さく)杉松は只(たゞ)茫然(ぼうぜん)と夢(ゆめ)の如(ごと)く、弥猛(やたけ)心も抜(ぬ)け果(はて)て、ものをも言(い)わず居(ゐ)たりしを、鱶(ふか)七諌(いさ)めて、その夜(よ)は各々(おの/\)(やす)みける。三作(さく)は夜(よ)もすがら目も合(あは)ず、杉松(まつ)に向(むか)ひ言(い)ひけるは「今(こん)日、計(はか)らず敵(かたき)に巡(めぐ)り会(あ)ひ、不死(ふじ)身なりとは言(い)へども取(と)り逃(にが)したるは、よく/\武運(ぶうん)に尽(つ)きたるとおぼえたり。武士(ぶし)たる者(もの)、何(なに)の顔(かんばせ)ありてか、人々に顔合(かほあは)すべき。我(われ)は腹切(はらきり)て冥土(めいど)へ行(ゆ)き、父上(ちゝうへ)母上(はゝうへ)に言訳(いひわ)けせん。そなたは後(あと)にながらへ、亡(な)き人々の菩提(ぼだい)を弔(とむら)ふべし」と言(い)ひければ、杉松「こは情(なさ)けなき仰(おゝ)せ也。我(われ)もとくに腹(はら)(き)らん覚悟(かくご)なり」と言(い)へば、三作(さく)(なみだ)を拭(ぬく)ひ「さあらは兄弟共々(とも/\)冥土(めいど)へ行(ゆ)き、父母(ちゝはゝ)に対面(たいめん)せん」と、両親(しん)の位牌(ゐはい)(と)り出(いだ)し、香(かう)を供(そな)へて暫(しばら)く念(ねん)じ、肌(はだ)(お)し脱(ぬい)で両人等(ひと)しく「南(な)(む)(あ)(み)(だ)(ぶつ)」と腹(はら)へ突(つ)き立(た)てしが、こはいかに腹(はら)へ立(た)たず。不思議(ふしぎ)と両人顔(かほ)を見合(みあは)せ、また刀(かたな)を取(と)り直(なを)し、腹(はら)へ突(つ)き立(た)てんとしたる後(うしろ)より「両人待(ま)て」と声掛(こゑか)けて暗(くら)き所に立(た)つたるは、芝(しば)六お雉(きし)が幽霊(ゆうれい)なり。二人(ふたり)の幽霊(ゆうれい)は子供(ども)(ら)を見(み)やりて袖(そで)を顔(かほ)に当(あ)てゝさめ%\と泣(な)き、いと哀(あは)れに細(ほそ)き声(こゑ)にて言(い)ひけるは「我々(われ/\)此処(こゝ)へ来(き)たりしは、汝等(なんぢら)が自害(じがい)を止(とゝ)め、告(つ)ぐる子細(しさい)のある故(ゆへ)なり。弥藤二不死(ふじ)身也(なり)と言(い)へども、かの村雲(むらくも)の剣(つるぎ)を以(もつ)て切(き)る時(とき)は、瓜(うり)を切(き)るが如(ごと)し。弥藤二も此事をかねて知(し)りつる故(ゆへ)、入鹿(いるか)(かた)より奪(うば)ひ取(と)り、その身は今(いま)牛瀧(うしたき)の山奥(やまおく)に隠(かく)れ住(す)み、かの剣(つるぎ)は麓(ふもと)の衣掛柳(きぬかけやなぎ)の下(もと)に埋(うづ)めあり。汝等(なんぢら)(か)の剣(つるき)を以(もつ)て弥藤二を討(う)ち、我々(われ/\)が修羅(しゆら)の恨(うら)みを晴(はら)し呉(く)れよ。此事とくより告(つ)げん思へど、敵(かたき)の天運(てんうん)(つ)きざりし故(ゆへ)、今迄(まで)は告(つ)けざりしが、最早(もはや)弥藤二命数(めいすう)(つ)きたり。早(はや)く恨(うら)みを晴(はら)し呉(く)れよ」と、「我々(われ/\)(かげ)身に添(そ)ひて助(たす)くべし」と言(い)ふかと思(おも)へば、香(かう)の煙(けふり)と諸共(もろとも)に窓(まど)より吹(ふ)き込(こ)む夜半(よは)の風(かせ)、姿(すがた)はそのまゝ消(き)へ失(う)せける。

〔三作〕「はて、心得(こゝろへ)ぬ。」
〔杉松〕「はて、心得(こゝろへ)ぬ。」(22ウ23オ)

兄弟(きやうだい)は親(おや)の告(つ)げにて自殺(じさつ)を止(とゞ)まり、鱶(ふか)七にかくと語(かた)りければ「我(われ)もその如(ごと)く夢(ゆめ)を見(み)たり」と言(い)ひて、すぐさま三人支度(したく)(とゝの)へて旅立(たびだ)ち、告(つ)げに任(まか)せ、牛瀧(うしたき)の麓(ふもと)衣掛柳(きぬかけやなぎ)の下(もと)を掘(ほ)り起(おこ)して、かの二振(ふたふ)りの剣(つるぎ)を得(え)て大に喜(よろこ)び、牛瀧(うしたき)山に登(のぼ)りけるに、人も通(かよ)はぬ深山(ふかやま)にて、「弥藤二が棲家(すみか)は何処(いづく)ならん」と佇(たゝず)む所に不思議(ふしぎ)や二ッの魂(たましい)何処(いづく)よりか飛(と)び来り、ふわ/\と先(さき)に立(た)ちて飛(と)び行(ゆ)きける。「これまさしく両親(しん)の、敵(かたき)の棲家(すみか)へ導(みちび)き給ふならん」と、飛(と)び行(ゆ)く方(かた)に従(したが)ひ、山深(ふか)く分(わ)け入(い)り、遂(つい)に弥藤二が棲家(すみか)へ切(き)り入、彼(か)の剣(つるぎ)を以(もつ)て弥藤二を打取(と)り、手下(した)数多(あまた)(お)ひ散(ちら)し、麓(ふもと)へ下(くだ)りける。折(をり)しも、淡海(たんかい)(こう)入鹿(いるか)を滅(ほろぼ)し、かねて匿(かくま)ひ置(お)かれし久我(くが)の介雛鳥(ひなとり)を伴(ともな)ひ、都(みやこ)へ帰(かへ)り給ふに、折(をり)よく行(ゆ)き逢(あ)ひ、敵討(かたきう)ちの様子(やふす)(くわ)しく申上ければ、人々喜(よろこ)び給ひける。三作(さく)かの村雲(むらくも)の剣(つるぎ)を久我(くが)の介へ差(さ)し上ければ、「忠孝全(まつた)き両人か心底(しんてい)(かん)ずるに余(あま)りあり」とて、二人の者(もの)を此所より都(みやこ)へ召(め)し連(つ)れ給ひ、淡海(たんかい)(こう)も鱶(ふか)七か助太刀(すけたち)したる功(こう)により、勘気(かんき)を許(ゆる)し給ひけるとぞ。

〔杉松〕「母(はゝ)の敵(かたき)。おぼえたか。」
〔弥藤二〕「村雲(むらくも)の剣(つるぎ)を奪(うば)はれ、かくなり果(は)てしか。無念(むねん)/\。」
〔三作〕「父(ちゝ)の敵(かたき)。おぼえたか。」(23ウ24オ)

久我(くが)の介は村雲(むらくも)の剣(つるぎ)詮議(せんぎ)の為(ため)、わざと館(やかた)を忍(しの)び出(いで)、淡海(たんかい)(こう)が多武峰(たぶのみね)の山館(やかた)に雛鳥(ひなどり)とも/\忍(しの)びありしか、入鹿(いるか)(ほろ)びて館(やかた)へ帰(かへ)り、三作(さく)が手(て)に入たる村雲(むらくも)の剣(つるぎ)を帝(みかど)へ捧(さゝ)げ、清文(きよぶみ)隠居(いんきよ)して、久我(くが)の介家(いへ)を継(つ)ぎ、雛鳥(ひなどり)を迎(むか)へて祝言(しゆうげん)(とゝの)へ、三作(さく)は父(ちゝ)の跡目(あとめ)に加増(かぞう)給はり、杉松(まつ)は鱶(ふか)七が養子(やうし)となし、再(ふたゝ)び淡海(たんかい)(こう)へ召(め)し出(いだ)され、皆々(みな/\)(いへ)富栄(とみさか)へける。これ全(まつた)く忠孝(ちうかう)の致(いた)す所なり。此本(ほん)を読(よ)み給へる子供(ども)(しゆ)、猿沢(さるさは)のあしきを去(さ)り、吉野(よしの)の花(はな)のよきにすゝみ給へかし。

〔三作〕「数々(かず/\)の御(こ)褒美(ほうび)、有(あ)り難(がた)い幸(しあは)せに存(ぞん)じ奉(たてまつ)ります。」
〔久我の介〕「両人共(とも)に手柄(てがら)じやそ。」
〔雛鳥〕「嘸(さぞ)苦労(くろう)をしやつたろう。」(24ウ15オ)

三作(さく)は、先年(せんねん)(はゝ)を葬(はふむ)りし寺へ行(ゆ)き、礼物(れいもつ)に数々(かず/\)の黄金(こがね)を送(おく)り、又母(はゝ)の菩提(ぼだい)の為(ため)とて、かの琴(こと)の糸(いと)の数(かづ)に合(あは)せ十三の鐘(かね)を建立(こんりう)す。今(いま)大和国川上の里(さと)十三鐘(がね)これ也。それより浪華(なには)に至(いた)り、お三輪(みわ)を迎(むか)へて妻(つま)と為(な)し、程(ほど)なく男子((なんし))出生(しゆつしやう)し、家(いへ)富栄(とみさか)へ、めでたき春(はる)を迎(むか)へける。返(かへ)す%\も、めでたし/\/\/\。

〔三作〕「今年(ことし)は一夕(しほ)めでたい春(はる)じや。」
〔お三輪〕「此様(やふ)なめでたい、嬉(うれ)しい事はござりません。」

春興  京山
文好む華のあふきを見ならひて 連る枝の梅の赤本

讀書丸(とくしよくわん) ○一包一匁五分
新製たばこ入しな/\
京傳自画賛あふき品々
江戸 山東正舗発賣

復讐竒談姫(ひめ)が井戸(ゐど) 京山作豊国画
京山作くさそうしるい當秋より
所々にて出板御もとめ御らん
くださるへく候(25ウ)

# 『復讐妹背山物語』β2版 (『山東京山伝奇小説集』、国書刊行会、2003/01)所収
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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