九州大学グループによる在外和書の調査により、未知であった大きな和本コレクションの調査が進み、日本には残存しない貴重な稀覯本が次々と発見されている。
日本の近世出板(出版)文化を彩った和本たちは、江戸人の日常生活の中に潤いをもたらしていたが、日用品であるがゆえに、多くは消耗品として使い捨てられたものと思われる。ところが、十九世紀末に来日した西欧人たちの中には、この美しい錦絵や絵入りの和本に魅せられた者が少なからずいて、帰国後にオークションなどで多くの和書を購入してコレクションを形成した。現在、それらが美術館や大学図書館などに寄贈され、長年未調査のままで眠っていたのである。コレクターの中には日本語に堪能に者もいたが、多くは錦絵や和本に入れられた口絵や挿絵を愛で慈しんだものと思われる。
西欧において彼等が知っていた書物とは、皮革が用いられた重厚な装丁により、ずっしりとした量感を備え、洋紙に油性インクで黒々と印刷され、時に銅版版画と見紛う木口木版に拠る小さな細密画が入れられたものであった。
日本に来てみたら、多くの本屋が町中にあり、大勢の人々が当たり前のように本を読んで暮らしている。そのリテラシーの高さに驚いたのみならず、和本は柔らかな和紙を素材として造本され、端正な装丁を施されて軽量であり、透明感のある植物染料とあいまって、本文を摺った墨色も好ましく見えたに違いない。
つまり、和本は彼等の知っていた書物とは、全く別物としての様相を呈していたのである。
和本の多くには浮世絵師が描いた挿絵が入れられていた。構図や描写の繊細さはいうまでもなく、見る目も珍しき極東の島国の風俗を描いた画像は、たとえ本文が読めなくとも、それだけで充分の魅力を備えたものであった。在外コレクションの多くが浮世絵や多色刷りの絵本を中心としている理由は容易に理解できる。つまり、和本とは世界に誇れる究めてビジュアルなメディアなのであった。
見る〈絵本〉に対して読む本という意味から〈読本〉と呼ばれていた曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』なども、美麗な装丁と凝った口絵や挿絵が施されていた。つまり、浮世絵や絵本のみならず、和本の魅力の一端は、画像に在ったと断言しても差し支えない。
さて、パリにも大きな和書のコレクションが存在している。その一つであるトロンコワ・コレクションの全貌は、クリストフ・マルケ教授(現在、日仏会館フランス事務所所長)の十数年来の調査によって明らかにされつつある。この調査を手伝うかたわら、パリに通って様々な和本の調査をしてきた中で、ギメ東洋美術館に所蔵される200冊ほどの〔読本挿絵集〕を見ることができた。ギメ美術館図書室の司書である長谷川正子氏の照会に拠って精査できたものである。これらの江戸読本は高価だったため、多くの読者達は貸本屋を通じて借覧していたのであるが、明治20年代になって活字翻刻本が大量に流通し始めると、貸本屋の需要が減り、多くの店が閉店していくことになる。その際に古書市場に出た大量の貸本屋本の挿絵だけを1冊に集めて綴じ直したものである。
これらは、欧州で絵入り和本の需要があることを知った業者が、輸出用に仕立て直したものと想像され、謂わば廃物利用とも見做せるものである。特に日本には残存していない稀覯資料は見当たらなかったが、逆に貸本屋における江戸読本の典型的な蔵書構成が遺されていると考えられる。つまり、資料的な稀少価値という意味はないが、19世紀末に於ける西欧と日本との文化交流史を示す痕跡として、絵入読本の挿絵だけが本文とは独立して絵画資料としての意味を持っていたことに思い至るのである。
在外和書のコレクションに見出せるのは、資料としての稀少性だけではなく、和本の持つ文化史的な意義である。と同時に、嘗て消えゆく和本の魅力を見出した西欧人たちの審美眼は、昨今の「日本文化は日本人にしか理解できない」などという偏頗な国粋主義を相対化しているともいえよう。