『烟花清談』 −解題と翻刻−
はじめに
江戸(時代)を代表する遊里であった吉原に関わる奇談や伝承を集大成した『烟花清談』(安永5年刊、蔦屋重三郎板)を紹介する。本書は江戸出来の読本としては、やや特異なものであり、それゆえ研究史上でも等閑に付されてきた感がある。しかし、吉原を舞台とした洒落本や黄表紙とは一線を劃する存在であり、蔦屋重三郎がその出板活動の早い時期に出した書物であることを考えても、その研究価値は少なくない。
以下、解題は及川季江に拠り、翻刻の校訂は高木の責に帰す。
翻 刻
【書誌】
内題「烟花清談」
外題「〈青樓|奇事〉烟花清談 一(〜五)」(楷書から次第に崩し4、5巻は「煙華」)
書型 半紙本(22.5×15.8cm)
巻冊 5巻5冊
見返 なし
序 「烟花清談之序\安永五年申孟春\葦原駿守中識」
匡郭 18×13.7cm
構成 巻之一 序(1〜2)・目録(目)・本文(1〜9オ)計12丁、巻之二 目録(目)・本文(1〜13オ)計14丁、巻之三 本文(1〜15ウ 三丁が2枚で五丁欠)計15丁、巻之四 目録(目)・本文(1〜11ウ)計12丁、巻之五 目録(目)・本文(1〜13ウ)計14丁。
作者 葦原守中
画工 鄰松戯画(巻3の10オ)
刊記「安永五年申春\耕書堂蔵板」(巻5の13ウ)
広告「美人合姿鑑 箱入 全三冊\此書は當時よし原の名君の姿を北尾勝川の両氏筆を揮れにしき繪に〓たて居なから紛黛のおもかけを見るか如くに出板仕候御求御覧可下候\東都書林 日本橋萬町 上總屋利兵衛・新吉原大門口 蔦屋重三郎 梓」(後表紙見返)
諸本 京大(國文學Pf-8)・岩瀬(72-118)・都中央加賀(913-WA-1〜5 / E5059)・国会(188-233)
備考 京大本の尾題「艶花清談之終」、他本は「艶花」を削る。
【凡例】
一 可能な限り原本に忠実に翻刻した。
一 助詞の「は」については平仮名の意識で使われたことを承知の上で、読みやすさを鑑みて「ハ」と片仮名の字体のままにした。
一 明らかな衍字や誤脱を私意に拠って補正した場合は〔 〕で括って示した。
一 底本は都立中央図書館加賀文庫本に拠った。
一 本文テキストは、高木吏佳(文学部卒業生)が礎稿を作成し入力したものを、高木元が補訂し、さらに及川季江(大学院博士後期一年)の校閲を経て成ったが、最終的な判断の責任は高木元に帰する。
【表紙】
烟花清談之序
よの中は山の奥こそ栖能けれ。草樹は人のとかを云ねハと。獨
燈華の本に。冬篭もいと物寂しく。問人もなき雪の下菴に。書
ちらしたる。旧章を取出し。青楼中の。奇事。雑談。所/\。帋
魚の〓残したるを。綴合て見れハ。昔の人の面影をも。今見るか如し。さハいへとも。其心の変行事。縦ハ。浄瑠璃小唄もむかしに變。義太夫節にハ。豊後松傳か節を加へ宮古路富本は」1オ
浄瑠璃に。竹本。豊竹か。節はかせを付たり。去れハ。義太夫か。豊後か。唄か。半太夫か。交こせになりぬ。かたり上手有と雖。聴下手夛く。今遊里に遊人も。遊ひ上手有。聞上手あり。うつり行世の人心。様/\なる中に。心變ハ品容。先近比の
七細とて。髷先細。眉ほそく。羽織の紐。帯。脇差の細拵。艸履雪踏の鼻緒まても細成行ぬ。又真先。二軒茶屋の田楽も。物の足を歓て。佳肴珍味に變して菜」 1ウ
飯〓園豆腐の古風を失ひ。いにしの太夫格子ハ。今の中三と變。散茶うめ茶の古風も。付〓シ惣貮と變りて。伊達風流をつくすこと。むかしのおよふところにあらす。目に〓す聞にあかす。されとこし方の人の心のなつかしきまゝ。書つらねて見れハ。巻ハ五ッになん成ぬ。穴賢。
竹取空穂の類に非。金竜山下の茶店に。往來の里語雑談を聴て。書集たる旧章より。見出るまゝ書ちらしぬ。宇治物」2オ
語の古めかしきに擬して。今昔の。二字を其事の始に冠らしむ而已
安永五年申孟春
【序】
【序末・目録】
烟華清談一之目録
○ 山本や勝山 感レ身放二白頭翁一事
○ 三浦や薄雲愛レ猫〓二奇難一事 付タリ
○ 宝井其角詠レ猫発句事
○ 山桐屋音羽 野狐欲レ魅事 付タリ
○ 狐女良買狂言之事
○ 角近江や千代里 似二幽霊一欺レ鴇事」目オ〔白〕」目ウ
烟花清談之一
山本やかつ山 感レ身放レ鳥事
今はむかし。京町二丁目山本やか許に。かつ山と云つる。遊女有けり。嬋娟たる。両の鬢ハ。秋の蝉翼をしほめ。宛轉たる黛の色ハ。遠山の。霞を帯たるに似たり。姿容の。美しき而已に非心たて又類なし。自髪の風を結出して。一郭是かために容を奪る。今世に云處の。かつ山風是なり。一とせ。此かつ山かもとに去る貴公子の。かよひ給ひしか。遅々たる春の日も長しとせす皓々たる秋の長き夜も是か為に短とす或日。かつ山か方へ長崎より来しとて。白頭翁を贈られける其鳥篭の結構。云斗なし螺佃沈金の」1オ
細工を盡し。金銀のかきりいと目覚し。真紅の打緒に篭をむすひ。堆朱の臺に乗せたり。其比ハ。白頭翁の日本へ渡る事珎しき時節なれハ。家内の人は扨おき聞及し人ハ。めつらしき見物とて打寄て詠ける。鳥類さへ。かゝる美しき篭の内に居事。冥加に叶し鳥なりと。或ハ篭を誉。鳥を羨も。おほし。かつ山。つく/\と鳥を見て居たりしが。公界する身の容を。かさりて多の人にもてはやさるゝも。此鳥に異なる事なし。其身かく。美しき篭の内に有といへとも。さそや。元の林に遊ん事を思ふらんとて。自篭を開おしけなく是を放しぬ。開レ戸放二白〓と賦せし。唐人の心にも似ていと尊く侍る」1ウ
三浦や薄雲愛レ猫災を〓し事 付タリ 其角発句
今はむかし元禄の始。京町一丁目三浦やに薄雲といへる遊女あり。沈魚落厂の姿美しく。楊梅桃李の俤たをやかにして百の媚いはんかたなし。いにしえの衣通姫小町とも云つへき面影にして。糸竹の業は更なり。和哥俳偕の道も工にして情のみち又いはんかたなし然るに此薄雲。猫を愛ける事。いにしへの女三宮にもこえたり。常に毛なみ美しき猫にから紅の首綱を付て。禿にいたかせ。揚屋に到れり薄雲用たしに行ときハかならす此猫後を慕ふ後には人々不思義をたて。此猫薄雲を見いれしと誰云としもなく私語合けり。後ハ三浦の亭主も」2オ
是を聞。公界する身に。かゝるうき名たちてハ。能からぬ事と彼猫をいましめ置けり。折ふし薄雲厠へおもむきける。後影を見るより此猫背を立歯をむき出してけしきをかへ。忽綱をかみ切料理場を一走に。飛おりて行所を。料理人。〓丁を持居けるまゝ一打に切けるか。あやまたす。猫の首。水もたまらす打落して。むくろハ爼板のもとに残れとも。頭ハ。いつち行けん見えすなりぬ。然るに。薄雲か居たりし厠。物騷しき音しけれハ。薄雲ハ。此音に驚きはしり出しか/\と云ける儘。男とも立寄て。厠の踏板を引放見れハ大成蛇のかしらに。彼猫の首は〓付て有ける。いつの比よりか。此蛇雪隱の下にかくれ。」2ウ
薄雲を見いれしを。猫のみ知て。厠へともに行。薄雲か身を守護なしけるともしらすして。猫を殺しけるハいと不便なりとて。猫の。亡骸ハ。菩提所へ葬遣しける。其比揚屋へ到る太夫格子。みな/\猫を禿に抱せて道中なしけるとなん。
京町の猫かよひけり揚屋町 宝晋斎其角
と云る句も。此心なるへし。
山桐や音羽野狐に欲レ魅 事 付リ 狐女郎買狂言の權輿
今ハむかし享保の比。江戸町二丁目に山桐やに。音羽と」3オ
【挿絵第一図】3ウ4オ
いへる遊女有ける。比しも五月雨の降すさみて。杜鵑の声おほつかなく。田毎の蛙かしましき折から。みせより。音羽を見立て揚る客あり。若い者ハ迷。艸盆。吸物なと出し取はやすうち。連来りし茶やの男。あなたにハ。とかく物云事の御嫌ひなる故。萬し。其心/\にて取扱給はれと云に。客〓しの若い者も差心へ。女郎へもしか/\と咄。盃も数かさなりける折に。客茶やの男にはや帰れといへとも。初ての客ゆへ。彼是と座敷にきはしに。咄しなと一ッ二ッするうち。客ハ。とかく帰れとたつて云ゆへ。跡をたのみて帰りける。ほとなく膳なと出。女郎ハ次へたち。若い者禿ハ。御膳を上リ候へといへハ。よふあらバ手を叩へし支たくの内ハ。座敷に無用と云ける」4ウ
まゝ。若い者も合点ゆかすたぢ/\とするうち。達而今の内用事を弁へしと云つけ。此方用事あらハ手を叩へきまゝ。支度の内ハ。捨置呉よとの頼ゆへ。若い者も立振して次の座敷より。密に覗見るに。客ハあたりを見〓し。膳の上にある物皆おろし。膳の上へ飯をあけ。其上に刺身汁鱠等を打あけて。〓にて掻〓し。あたりを見る躰。いよ/\怪しと見るうちに。客ハ顔を善の中へ入。狗猫なとの物〓如く。一口〓てハあたりを。見〓し/\するてい気味あしく。斯する内不残〓盡して後。鼻帋を取出し膳を拭。我顔のよこれを拭たる有様。おそろしともいはん方なし。扨しはらく過て。手を叩けハ。誰行んと云者もなし。今は」5オ
是非なく親方へ咄し。今まて連來りし茶やへ。人を走らせ。音羽へもしか/\と様子はなし。斯するうち。茶やの男も來りけれハ。音羽かたへ。よん所なき客來れりとて。もらはんと云。茶やも〓方なく。客へ右の段断いへハ。然らハ名代にて今宵ハ遊んと云。茶やハ何の訳しらぬ故。名代を出せと若い者に言に。とかく右の客。かへし呉候様にと。たつて頼ゆへ。茶やの男も腹を立。いかゝの訳と問へハ。若い者ハこは/\。右のあらまし語聞せけるに。茶やも膽をけし。よふ/\と云葉を盡て客ハかへしけり。是よりして其比。音羽か方へ。狐の女郎買に来りしと。専評判ありし故。外々の客もおのつときみはるく。誰々も」5ウ
かよハさりける是ハ音羽にふられし客の意趣かへしなるへし其比。十八公今ようそかと云。狂言に取組。古澤村訥子。狐女郎買の仕うち。古今の名誉を今に残せり。
角近江や千代里幽霊に似せて鴇母を欺し事
今ハむかし京町二丁目。角近江やと云るに。千代里と云娼婦有。みめ容能。往々ハ。家の太夫ともなるへきものなるか薄命にて客もなく来る年の暮。魂祭文月。二季の移〔り〕かはりも。え〔い〕つとても心にまかせす暮せしか。風の音にそおとろかれぬる。」6オ
初秋の比。鴇母に入用の事ありて。金子少々かりけるか。約束の日も過て。返す事も出來かね。一日と立二日過。けふそなき魂の來るといへる夜まて打過けるに。鴇母ハはらを立。常々心つよく。鉄心漢なれハ。大勢の人の中にて。千代里をはししめ。金子を返さす延々にせし事をいきとをり云つのりけれハ。友傍輩の女郎も。きのとく身に餘り。とやかくと鴇母をなため。其座を退けるか。千代里ハあるにもあられす。おのか部やへ帰。心易き傍輩女郎に差向。泪にくれ。我身の薄命を語。金子を返さす。延々になりしハ此身の誤と雖。あまりといへハ公界するみ。情なき仕方。翌よりハ誰に面を向られん。今ハ此」6ウ
身も思ひ切侍ると。泪と共に剃刀取出し。覚悟の躰に。傍輩女郎も。〔も〕彼是と〓見して。是をなため。よふ/\と取鎮けるか。所〓金子さへ返せハ済事なりと。友女郎の情にて。金子調遣しけれハ。千代里ハ嬉しさ身にあまり。悦にも又泪なり。鴇母に早速かへすへしとハ思へとも。あまりとや人中にて。耻をかゝせくれし事の口惜けれハ。返すにこそ仕方あらんと。工夫をなし。引け四ッも過彼是と。丑三つ近くなる比。千代里ハ。かもし取出し頭に頂き。白粉といてまばらにけはひ。白帷子を身に着し。鴇母の部やへ心かけ。明障子ヲ静に明て。鴇母か枕もとに〓越に居り。聲をほそめてもし/\とおこす声に。鴇母」7オ
目を覚し。見れハ。丈なる髪を振みたし。顔色青さめたる女の姿有。はつと斗に夜着引かふり。念仏となへて震ひ居を。千代里ハなを哀れなる聲ふるはし。先比ハこなさんに。よん所なく無心を云金子をかりまいらせしに。不仕合なる我身の上。返す工面もまちかひしゆへ。一日二日と過るうち。こなさんに耻しめられしハ。無理とハさら/\。そんせねとも。人中と云公界のみ。よしなくうらみし面ほくなさ。かん忍してくんなんせと。二聲三聲しり聲なく。金子をそつと枕もとに差置つゝ。跡しさりして障子を建。傍輩女郎の寐たる。〓の内へ。いきをつめて來りつゝ。帷子かもしも取かくし。しらぬ躰にて寐たりけり。鴇母ハ一心不乱に夜着の内にて。念仏となへ。」7ウ
夜の明行をまてとも。秋の夜いまた。なかからぬ比なから。千夜を一夜の心地して。よふ/\〓の聲もきこへけるまゝ。夜着の内より差覗。見てあれハ。朝日まはゆき比。よふ/\人心地になり。起出て見れハ枕本に金子有。扨は梦にてハなかりけりと。いよ/\きみ惡く。千代里か臥たるかたへぬき足していたり見れハ。千代里ハ夜に見し姿ハ露もなく。髪も取あけみたれもせす。寐姿わるく臥たる有様に。いよ/\鴇母ハおそろしく。彼是するうち千代里も。起出て身こしらへする所へ。鴇母ハ常に事かはり。笑顔を作りしとやかに。時ならぬ今朝の涼しさ。烟艸吸付出しなから千代里か顔つく/\見て。おまへの器量おしたてなら。太夫様」8オ
にもなるへきもの。かく不仕合にて居給ふゆへ。何卒人並に意地を出させ。太夫様にも仕立んと。わさ/\人中てはぢしめしハ。おまへのみのためを思ひしゆへ。必/\わつかの金故斯申せしと思召も耻かしし。此上とても有事なり。いつとても不自由なら。必遠慮し給ふなと。夜前の金子取出し。是ハ時分からおまへのかたにも入用ならん。私かたにハ不自由にもなきまゝ。心おきなく遣ひ給へ。我身かたへ返し給ふハ。いつにでもくるしからず。誰しも工面のあしき時は。しゆつなきものと此上とても遠慮なく。少の事ハの給へと。千代里ハおかしさこらへ泪くみ。堪忍してくんなんせ。出來さへすれハ何か扨。直にかへし申ます。未かへさぬとてその樣にの給へハ。此上ハ死ぬるかせめての云」8ウ
訳と。泪とともにかきくとけハ鴇母ハ金子をかへさぬと云一云にそつとしておそろしくなりしか心を取直し。其樣に気の弱事あるものか公界するみハ猶更なり。此上とても必/\遠慮なく。不自由な時ハの給へと。以前の金子さし置つゝいにしへ今の勤の身の。しゆいなき咄に座をくろめ。おのれか部やへかえりける夫よりして此鴇母鉄心所もいつとなく。慈悲〓一の人となり新造禿に至まて。情をかけて恵みける。勿論千代里を我娘のことくいたはり遣しける。
烟華清談之一終
烟華清談二之目録
○ 松屋松か枝〓気之事 付タリ 總角之助六事
○ 〓客介六之實事
○ 中万字や玉菊全盛 〓 燈篭之權輿 付タリ 河東追善〓向之事
○ 紀伊国や文左衛門 〓奢挫レ友 事 英一蝶浅妻舟事
○ 三浦や小紫貞操之事 付タリ 平井權八比翼塚事
八重梅之詞」目オ〔白〕」目ウ
烟花清談之二
大松や松かえ勇壮之事 付リ 総角介六之實説
今はむかし。江戸町二丁目大松やか内に。松か枝といゝし遊女有けり。其艶色ハ云も更也。繪書花むすひ。琴三弦にいたるまて。何くらからす。殊に情の道はもとより。川竹のおきふし繁中に。介七と云客に。深馴染。春の夜の梦はかりなる契には。遠寺の鐘を恨。冬の夜の長き比は。比翼の夜着に百とせの契をこむ爰に又。湯嶋のほ」1オ
とりに田中三右衛門と云者有。此松かえに。心を懸しかとも介七かわりなき中にさゑられて。一夜の枕たにならへさるをいきとをり。男伊達をかたらい。介七を闇打にせんと工けるある日。介七を。二丁目にて見かけ。彼男伊達とも。喧嘩をしかけ今は互にこらへかね。脇差を抜はなし。爰を最期と打合しか。介七は。力量人に勝れ。其上劒術の妙を得しかハ大勢をさん/\に切ちらし相手ハ手負かぎりなし所よりハ月行事又は番人手に手に棒をたづさへて取巻けるに介七は既にとりことならんとせし折松かえハ中の」1ウ
町にて斯と聞よりはしりつき群集を押分我うちかけの裳へ介七をかくしさりけなき躰にて大松やの二階へともないあやうき場所を〓しける其比皆松か枝か勇氣を感しける正徳三 巳 年山村長太夫か芝居にて此事を取組大平記愛護若と云狂言せり市川栢莚介六となりて古今の名誉を顕し今以介六之狂言ハ市川一家の藝なり介七は御蔵前にて福貴の人なれハ其名を遠慮して介六と狂言に取組ぬ此介七男をたてゝ人の知りし者なり常に帯せし脇差をう」2オ
す衣と云委細の事ハ馬文耕か暁翁か傳にゆずりてもらしぬ今芝居にて総角が裳へ介六をかくすハ松かえか事を総角になそらへり
三浦や山路か客月見の事
今はむかし揚屋町ゑひやかもとへ田舎登リの客来リて三浦やの山路といへる女郎に〓ける衣服も廉相なるを着し人品ンハよろしき人からなり比しも八月のはしめつかたなりけるかうらやくそくは十五日に來るへしと約束せしかハ揚や夫婦も」2ウ
十五日は。月見にて。此里の大紋日にて殊に。彼是。物入もおほく侍る段。くわしく咄けれハ。夫は少しもくるしからすとて入用の品聞合金子を揚やへ渡し帰ける。程なく十五日にもなりしかハいせんの田舎客は木綿のふるき風呂敷に。重箱躰の物を包。自身に提て來りつゝ。ゑひや夫婦ハ。出迎笑顔をつくりて愛想能〓しける。山路はとくより来りて待居より座敷ハ何か花/\敷かさり。藝者〓頭も出迎。とり/\に〓。盃のかすもかさなりし〓。田舎客ハ包し風呂敷をとり出し。包ほとけハ内ハ。會津塗の大重箱を取出し。蓋を開ハ。見るもいふせき団子を。うづ高く入たりける」3オ
を二ツ三ツつゝ新造禿。遣りて揚や夫婦をはしめ。内外の者へ遣はしける名にしほふ今宵ハ。皆/\佳肴珎味に飽みちて。誰とり上る者もなく。或ハ。小庭ゑん側へ打捨ける。揚やのてつちも。二ツまてもらひけるか。臺所へ持出。しよせんなく一口〓けるに。かり/\と。歯へさはる物有けるまゝ吐出して見れハ。小粒三分有けるまゝ。残る一ツも噛破見れハ。是にも金子弐分ありけるまゝ皆/\へ見せけれハ。家内ハ急にさはき出し。爰やかしこと。〓前捨し。團子をさかしける。或ハ帋燭をともす者も有。蝋燭をともして縁側。小庭臺所の隅/\まてくまなくさかし求ける。欲にハ変と人心。かしこにてハ一ツ見つくれハ。互にあらそひ取けるまゝ忽」3ウ
家内群集をなし争ふ有様。田舎客ハ露しらぬ顔にて。其夜を明し帰ける
中万字や玉菊全盛の事 燈篭の權輿 〓 河東追善〓向之事
今ハむかし正徳享保の比。角町中まんしやに。玉菊といへる遊女有ける。百の媚自然と備り。粉黛の色をからす。さなから楊家の深窓を出し。貴妃かむかしも斯や有けん。人毎に其愛敬の餘りあるをや。常/\出る茶やハ勿論。其外の茶や。藝者に至るまて過分の心付をつねになしけれハ。誰あつて玉菊あ」4オ
しかれと思ふ者もなく。影なから。其全盛をいのらぬ者もなかりけり。或ハ〓頭末社に至るまて。其仁愛を感ししたひけるは。桃李ものいはす下おのつから徑をなす心地にて。五丁第一。全盛の名ハとりける。然るに水無月のはしめ。風の心地にてふと打ふしけるか。文月のはしめ。終に黄泉の旅におもむきける。百藥。もちゆるかしるしなく。〓鵲。荊〓の林に遊はす。誠に馬塊一夜の夢の心地して。おしなめ悲の泪。腸を断けり。あるへきにあらねハ。終にハ。化野の夕の煙ほそく。結ふも嬉し。忘れかたみにと。霍のはやしの霜おけるさまとて。人々のかなしみ。云もさらにして。」4ウ
親。はらからにあらねとも。子をうしなひし思ひをハなしける。玉菊か。亡跡の追福に。心易茶や。軒毎に挑灯をともして。冥闇を照しける。有様。小松の大臣。四十九院を表し。ともさしめ給ひし。燈籠の俤にかよひ。又初秋の物淋しき。夕暮の。景色を増けれハ。見物の。貴賎おひたゝしかりける。よつて。翌。享保元の初秋ハ。中之町家毎に。しまの挑灯をともしけるに。去年にまさりて。見物もましける。破笠と云る者。はしめてからくりの。燈篭を工出してより。年毎に。互に燈花の精妙を盡して。今に至りぬ。扨」5オ
玉菊。三回忌には。水調子と云。河東節の編て。一郭是かために悲をそへける。
紀伊国や文左衛門強奢友を挫事 付リ 英一蝶浅妻舟之事
今はむかし。紀伊国や文左衛門と云る者あり。もとハ賎き身なりしか山事受負にかゝり百万両の餘。金銀を〓。後所々の普請に又数万両の〓て。榮花の身となり。遊里に遊んて金銀を蒔事。土瓦の如し。誠に。玉を礫とし。金を塊となせし秦人の。むかしも」5ウ
おもひ出られぬ。其比石町に。貸座鋪して京大坂の大盡。江戸見物に來かねて。紀文とハ。かわせのとりやりにて知り知られたる中なれハ。紀文か。深川の宅へ三人を招ける。其〓ハ。珍膳美食を盡し。一蝶。式部。梁雲。貮朱判なと云者出て。酒宴の席に興を催しける。其内に京の大盡。文左衛門にむかひ。遊ひの咄になり惣して。女郎と云者ハ恋の出来合。金の光につくハ。江戸も上方も。同し事なりとの咄。紀文ハ胸に障しか。さわりぬ躰にてめつらしく明日は。吉原へ同道申さんとて。其夜ハ紀文か方に。夜と共に遊ひ」6オ
あかしける。紀文ハ。都大盡か一言憎しと思ひ。四人の末社を呼。この事をかたり。かよふ/\と教遣し。直によし原へ遣しける。四人の者は直さま。よし原へいたり。大津や重郎かたへ行て。吉原惣仕舞にし。茶や揚や。遊女屋まて外の客ハ馴染とても断可申。其外菓子や肴や。八百やまて。買きりけり。三人の客ハ。かゝる事ハ夢にもしらす。いつ方へ行ても。金銀さへ遣へハ。用のたる事と思ひ。屋かた舩にて面白。酒宴に乗しつゝ。深川より棹さし。今戸橋へほとなく船も着けれハ迎として舟宿ハ云に不及。茶や。藝者。〓頭。紀文か定紋の羽織」6ウ
小袖を一チように着しつゝ。出むかへハ紀文ハ舟よりあかり。三人の客をいさなひ。中の町へ至りける。其日ハ常の物日より。めさましき吉原の惣揚とて五丁の遊女のこりなく。中の町の両側の。茶やに〓を巻せて並居つゝ。新造禿に至〓ひとり/\に。紀文へあいさつなせハ。茶やの夫婦は両かはより。出迎。おはやい御出とのあいさつに。京大坂の大しんハ。目を驚紀文か茶や。大津やへ上り。夫よりして揚屋尾張やへ到りけれハ。揚屋夫婦も立むかいかれ是とするうち。五丁の女郎皆々揚やへ來り。酒宴を催し三人の客を〓しける」7オ
【挿絵第二図】7ウ8オ
三人の客ハ。相應なる女郎あぐへしと。おの/\か茶やへ申けれとも。今日は紀文様の惣揚ゆへ。此五丁町に女郎とてハ一人も無て。其外御肴。御菓子等にても。差上たくハ候へとも。皆不残紀文様に買上られ。何一ツ。さし上へきよう無之と。氣毒なから茶やの亭主ハ断いへハ。三人の大盡ハおゝきにせきのほせ。いかに紀文かそうあけなれハとて。金子さへ出しなハ。其働の出來ぬと云事。有べからすと以の外にはら立ける。茶やハとかく金銀ハ山に積ても。今日ハ紀文様へ御断おゝせられされハ。私ともとても御客にハ仕かたし。御金ハほしく候へとも。紀文様のかいきり」8ウ
なれハ。是非もなし。宝の山に入て空かえるとハ。かゝる事をや申らんと。氣毒あまりて申けれハ。三人の客ハ。是非なく。其夜空。貸座敷へ帰らんと立出しか。竹輿を申付へしと。茶やへ言付候へども。是又紀文様の御買上ゆへ。田町。山谷。聖天町。みのわ。金〓。小塚原。すべて浅草十八丁に。駕と申ハ一丁も無之といへハ。三人ハいよ/\きもをつぶし。今ハ是非なく堀に行。舟を出せと言付れとも。今日は紀文様の買上ゆへ。一〓も出しがたしと言により。三人の客ハ〓方つき。顔を見合。紀文にしつけられ。思ぬ目に合し口おしさ。いかゝせんと云つゝ。我家へ帰ける。」9オ
去るにても此仕かやしに。何かせんと。工夫をなしけれと。いかほと金銀まくとも。是につゝくへきよふなけれハ。三人の大盡は。いそぎ京大坂へ登りける。一蝶ハ。多賀長湖といへるものにて百人男と云事を画けり。後嶋より帰。英一蝶と。改名し。浅妻舟と云画をかきける。其辞に。
浅妻舟のあさましやアヽ又の夜はたれに契をかわして
ほんに枕はづかし我床の山よしそれとても世の中
今世に弄。道中双六は是も一蝶の作也
三浦や小紫貞操之事 付リ 平井氏悪逆 〓 比翼塚及八重梅之事
今ハむかし延宝の比。京町一丁目三浦やか内に。小紫と云し松位有しに。其比又平井氏と云ゑせ者有。彼ハもと中国筋の家中にて。歴々の子息なりしか。いさゝかの事にて人を討。国を立退。其身。十七の年江戸へ北下り。もとよりも知音近付もなけれハ。幡随院長兵衛と云へる男伊達と因。もとより。美少年の事なれハ彼が弟ぶんとなりて。あまたの男伊達を友として暮しけり。或日唐犬権兵衛。真虫次兵衛。放駒四郎兵衛と。連立初てよし原見物に來りけるに。」10オ
多かる遊君の中に。いかなる悪縁にや。此小紫を見初てより。思ひのほむら。胸を焦し。煩脳の犬の打とも去ぬ心いやまし。初て枕をかわしまの。流によどむうたかたのかつきえ。かつむすふ。契のむつ言も数つもり平井ハ浪人の身。世に立交る人だにも遊所の金にハつまる習ひ。據なく今ハはや。土手八丁ハ云に不及。本郷丸山。御茶の水。小日向牛込法眼坂。金〓辺にて往来の人を切殺し。奪取たる無間の金。年立に順馴染かさなる小紫。光る源氏と呼れつゝ。日夜に通揚や町。切取したる金銀も。心にまかせぬ身の奢。熊谷堤にて絹賣を切殺し。奪取たる」10ウ
三百両。跡をくらまし失にける。去とも天の網退かたく終に其身ハ網代の魚鈴ヶ森の朝の露と消にけるを幡随意院長兵衛ハ昔のよしみを思ひつゝ鳶烏のはみ残したるしゝむらを拾ひ集て目黒なる何寺といへる風呂やへ葬遣しけるしかるに平井が初七日にいとやさしき女性一人供獨を召連來みつからハ小紫と申者也平井とのとハ訳有身去年の秋中年季も明箕輪の親の許にさむらいしが承ハ平井殿のなきからハ御寺におさめられ御とむらい被下候よし難有御事なり墓もふてのため参詣申候とて岩つゝしと云名香一包香奠として金十両」 11オ
差出し御〓向ねかへハ彼寺の住職隨川和尚ハおとろかれ誠に奇特千萬なりいさ/\御〓向なさるへしと墓所へ同道し給ひけるいかなれハ斯歴々の人の子の誰〓向する人もなくかわり果たる一掬の塚まだ石塔も建ざりけるに香炉をかり敷物しかせしばらく爰にて御經讀誦仕御〓向申手向たく候へハ師の坊様にハ御退窟も候はんと断言ハ隨川和尚ハ箕輪とやらん〓ハ遥の道何なしとも出來合の斎しんずべしとて寺へ入れける扨召連たる供の男にハ我身御經どくしゆの内ハ御寺へ行て休むへしと暇とらせ其身ハ閼伽の」11ウ
水を手向普門品を高/\とよみける其後はおともなしほとなく隨川和尚立出こなたへ來り給へと墓所の方を見てあれハ小むらさきハうつむせに臥て居けるまゝ立寄見れハいつの間にか懐釼のんとにつきたてあけに染てぞふしにけるにぞきもをけしいそぎ供の男を呼て是を見せ早速箕輪の親もと幡隨意院長兵衛がもとへ人をはしらせ云遣りけるにふた親〓に長兵衛もはせ來和尚に様子をきゝかえらぬ事をくりかいし子を先立し悲よきにとむらい給れとの願に長兵衛ハすゝみ出小むらさきか心てい末代の咄の種」12オ
貞女のみさほありかたし権八と一所に葬つかはさは互に成仏うたかひなしとて印に連理の橘を植青めの石に笹りんどう丸に井の字の二ッ紋二人か俗名書しるし末世に残す比翼塚とて目黒行人坂の西の方冷光寺といへる虚無僧寺に印を今に残しける扨其比世上はやりし八重梅と云はやり唄ハ二人がうたい出しけるなり因にこゝに記おき侍る
八重梅
我ハ野に咲つゝしの花よ折ハとくおれちらぬ間に
我ハ野にすむ蛍の虫よ土手の松明火をともす」12ウ
〓た見たさハ飛たつばかり篭の鳥かやうらめしやさんさ
よしなの思ひ
是を八重梅と号其比人々唄し也」13オ
烟花清談之三
山本や秋篠敵打の始末之事
今はむかし。京町貮丁目山本やかもとに。秋篠といへる遊女有其人となり端正にして瞼の美しき事。蓮蕋の鮮なるか如し眼は秋水のうるほへるか如く。常娥月宮を離。飛燕新粧に倚。面影もかくや有けん。おゝかる客の中に四國の大守の御内に。宮津何某とかや云し人有けるか。代々禄をかさねていと目出たく栄時めきけるに。比しも空さへ暑きと詠せし水無月のはしめ家内の人々は聊心さしの日とて。近き邉の山寺へ」1オ
仏参せり。何某ハ壱人の若黨要介といへるを相手として。今日ハ幸家内も畄守にて静なれハ。家の重器を虫干せんとて具足櫃取出してかさり。自は珍箪の上に一盃の冷酒に三伏の暑を忘。おもわす一睡をもよをしけるうち。雲騰風起て迅雷の音しきりに鳴ける。何某ハもとより雷をおそれ平日雷鳴時ハ怖おのゝき小児のおそるゝか如し。况や家内の畄守なれバ一しほ心細要助に〓釣せ。夜着引かぶり。枕本にハ要介に宿直させ。日比念する観音の妙智力をそ祈ける。此要助といへる若黨。年比正直実躰なる生質ゆへ。何某も一しほ目をかけ召仕」1ウ
けれハ。雷の霽を念し居ける猶降しきる白雨の雷いよ/\つよく。雷光眼をさへきり。空怖き折から。いかなる天魔の所為にや。又ハ下郎の悲しさハ。床にかさりし具足櫃にたしなみ入置し。軍用金を〓前ちらと見しに欲心きざし烈き雷の響を幸と抜足して。具足櫃へかゝりける折から何某ハ一心に観音經を夜着の内にて。讀誦なし外の様子を夜着の内よりうかゞふとハ。要介は心付す既に金子を奪とらんとせし時。夜着の内より聲をかけけれハ心得たりと云まゝ。枕夲の主人の刀抜よりはやく〓の釣手を切放し。返す刀に何某をたゝみかけて切倒しけるか。何某も」2オ
枕本の脇差ぬきはなし。〓の内より突けるか。耳の脇三四寸斗きつ先はづれに突けるか。要介は事ともせす。猶踏込て打太刀に終にはかなく也にける。要介ハとゝめもさゝす。軍用金を盗取。あとをくらまし失にける然るに白雨のならいなれハ雨もおやみ。雷も霽家内の人々ハ梦にもしらす。寺より帰り座敷にいたり見れハ。主人ハあけに染て打たをれ。ぬきし刀も其儘に有けれハ。これハ/\と斗にて。誰に様子をとふべきやうもなかりけり。内室ハ狂氣のことく早速死骸に抱付。こハそも誰か仕業そや。敵ハいつくの人なるそや。要介ハいつくにぞと。尋ても見へされハ。〓方なくとやせんかくやと。」2ウ
家内の。男女ハあとや先空しき。骸にいたきつき泣より外のことそなきかくてあるへきにあらされハ。死骸かたつけんとせし折から。幽に通ふ呼吸の様子に。皆々悦氣付をあたへ呼いけけれハ。眼をひらきくるしきいきをほつとつき。妻子の顔を打守扨々むねん口おしや。我幼少より雷をおそれ。生得未練の心ゆへ斯やみ/\と要介めに討レし事の。心外さうと有し次〓を。つく/\に語きかせ。無念の泪にしつみけるか。鳥のまさに死なんとするとき。其鳴声悲み。人の死んとする時其言ことよし。幼けれとも世伜勘次郎能聞べし。我おもわすも運盡下郎の手にかゝり。空なりなハ。汝さそ力なかるへし。去なから母を頼に。成長」3オ
なし。要介めを尋出し。討て我忘執を晴すべし。おまきも今より随分勘次郎を大切にそたて。敵を討せ給らハ。我なき跡のとひ〓に。百倍まさる追善そと。言置事も跡や先今は頼も切果たり。是非もなく/\無骸ハ。夕の煙となしにける。然るに太守此よし聞し召。ふかいなき何某か有様とて。家内ハ闕所になり。おまきハおさなき勘次郎を引連。奈良の邉にしるへの有しまゝ。立越てならわぬ賃苧に御車の〓る月日を暮すうち。勘次郎十六歳の春。おまき持病の癪つよく發り。色/\と養生するうち。年比日頃の労にや。段々と差發リ。今ハの際に成にける。時。勘次郎を枕本」3ウ
へよひ。泪とともに云けるハ。何某殿にわかれまいらせてより。そなたを人となしぬるを。神や仏に祈つゝはやく敵を討せんと。明暮祈り侍リしに。ことしハもはや十六の前髪とらせ。敵の行衛も尋んと思ひの外。我身の命もかけろふの。あしたをまたぬ此疾。長き別となりぬへし。是も定まる世の約束。悔てかへらぬ事なから。我なき跡の〓ひより。早此地を立去て前髪とりて人となり。遠き東の果まても。敵の有家を尋出し。本望とけて亡父の。しゆらの忘執はらし給へ。是孝行の〓一そや。必々母に別を悲みて。未練の心を起しつゝ。諸人にうとまれ給ふまし。伝聞唐の何某ハ。父を悪虎にとられつゝ。何卒敵を討へしと。」4オ
【挿絵第三図】4ウ5オ
ある夕暮の事なりしに弓矢たつさへ遠近のたつきもしらぬ山中を父をくらいし悪虎を尋。爰やかしこと見まわせしに。木陰に臥たる虎のかたち。待もふけたる梓弓。しはしかためて放矢の。羽ぶくらせめて立けるまゝ。立寄見れハ大石なり。是孝行の一心そや。其心をハよみ歌に石にたつ矢もあるものを。なと念力のとゝかさるへきと。よみしも人のおしえなり。思へハ/\我身ほと。果報つたなき者ハなし七ッの年に父に別人の情に母諸とも。國を離て奈良坂やこのてかしわのふたおもて。とにもかくにも父母に。薄き縁この行すゑを随分と仏や神に祈つゝ本望とけて捨れし宮津の家を起し」5ウ
此悲を。むかし語となし給へ。必/\母か別を悲て。くに病煩給ふなよ。さわ去なからあすよりハ。誰を力に暮すらんとおもき枕をもたけつゝ。泪と共に語うち。痰火に咳入胸くるしみ。次〓/\にたのみなく。さしこむ癪にあへなくも眠る如く引とるいき。勘次郎ハ只忙然と。泣もなかれす悲に。母の死骸にすがりつき。共に死んと思ひしか。又思ひ直し母の教訓亡父の。遺言かた/\ならぬ身の上と。親き人々頼つゝ。母の亡骸煙となし。七日/\の〓も。心斗の供〓をとげ。扨しも母の教にまかせ。自前髪〓落。今〓因し劔術の師荻原一角か本へ立越へ。今〓ハ彼是と幼より」6オ
御世話になり。御恩はさら/\忘ハ置じ去なから。母の今はの教にまかせ。吾妻の方へ立越少のしるへ候えは。是を頼奉公を〓申たく候へハ御暇乞に参しと。云ハ一角も年月馴染し不便さに。未年はもゆかぬ身の。海山越ての長の旅。其上あてなき奉公〓。きとくにも候へハ。我家に傳陰陽二ッの太刀有。當年ハ免許へしと。兼てハ思ひ居たる内。母御の忌にて延引せり。今日幸免許へしとて身を清め。二ッの太刀筋おしえつゝ。汝か門出を餞別せんとて。卜筮とり出し卦を〓。横手を打て申よう。今筮し得たる所の卦ハ。雷地豫雷ハ百里を轟し」6ウ
軍を行に利有。是蜀の諸〓孔明。南蠻を征せし時。筮し得たる卦なり。目出度旅行の門出そや。とく/\用意有へしとて。盃出し寿をなし。門送リして別けり。夫よりして勘次郎。我家に帰り見くるしきもの取片付。心易人々にいとま乞つゝ鶏が鳴東の方へいそきける。日数つもりて名にしおふ。花のお江戸や日本橋。浅草寺のこなたなる。猿屋町と云所に。少のしるへを頼つゝあやしきはにふをいとなみて釼術指南夜講釈に其日の煙をたてにける。夫よりして敵の様子爰やかしこと伺うち門〓もおゝく付日に随て繁昌せり。しかりとハいへとも敵の様子もしれされ。」7オ
ハとやせんかくと。案し煩いつとなく。煩出し枕にハふさねとも。常/\煩かち也けり。とり分心易門〓中集て。先生の斯煩かちなるハ。未壮年にもなり給わて。武術に心をゆだね給ふゆえなるへし。心なくさめ申さんと。一両輩もよをしつゝ。近き浅草観世音れいけんあらたに侍へハ。いさまいらせ給へやと。よきなく誘ふに〓方なく。ともに連立詣つゝ。南無帰命大悲尊ねかわくハ敵要介に。めぐり合せたひ給へと。丹誠無二に祈つゝ。猶爰かしこ巡礼し裏門通リへいたりつゝ。明王院の姥か池。是一ッ家の旧跡と。人のおしえに立寄て夫よりいそく花川戸。」7ウ
たれか待乳の山ちかく。夕越て行ハ忽に。あふさきるさのかしあみ笠。あるひハ頭巾眉深く。堤八丁ゆくとなく。あゆむとなしに。衣紋坂。大門口に入相の。かねてハかゝるへしそともおもわすしらす。さそはれて中の町まち合の〓に至りて見てめ〔あ〕れハ。おゝくの女郎の揚屋入。空も花に酔心地にて。勘次郎ハ只忙然と。桃原に入しむかしかたり。張文生か仙女に〓しことく。始て見たる花街のよふす。門〓中ハそれ/\に馴染の遊君ありけれハ。いさこなたへとすゝむれと。一きは目たつ八文字。此山本の秋篠か。はでならぬおもかけに。心をうつしたゝすむを無理にいさなひ。とある茶やへ同道し。こよひのやとりハ」8オ
先生のおこゝろまかせと進れとも。さすか心にはち紅葉。色に出にける秋篠や。外山の里にあらねとも。かの山本かもとへならハ。一夜の契をハかはしてほしき風情をつゝむとすれと。糸薄ほにあらわるゝ面影を。むりに進て初恋の。渕とやならんみなの川。けふの〓瀬をみなかはに。はやくみかはす盃の。かすかさなりて床の山雲となり。雨となる楚王の梦をそむすひける。秋篠も勘次郎か面さしに。心をうこかし明行鐘を恨つゝ。心ならすも勘次郎ハ。皆々にもよをされて猿や町へ帰しか。猶秋篠か面影の。わすれやられす。其夜ハ独ひそかにおもむき。夫よりしてハ門〓の。人目の関もつゝましく。來」8ウ
夜も忍ふあみ笠に姿をかくしかよひける。今ハ中/\秋しのがまことの心に引されて。有にし父の敵のことも露おもはて。一とせほとハかよひしに。ある夜の梦に過去し。母の姿を幻の打うらみたる顔はせにて。やよ勘次郎故郷にて誓ひし事ハ忘れしと。さもあり/\と見しゆめにおとろかされておき上り。見れハまさしき俤の幻のとくおもはれて。燈火かすかに三更の鐘の。響かすかに聞ゆ。勘次郎ハ忽に手水うかいにみを清め。燈明照し両親の位〓に香をてんしつゝ。いますかことくかうへをたれて放蕩を侘奉リ不孝の罪をさんけせり明れハさつそく山本かかたへ行。秋篠」9オ
【挿絵第四図】9ウ10オ
にあい今まてハふしきのゑんにてかく馴染をかさぬるも宿世のゑにし有ゆへなりさハさりなからわかみハ願のある者ゆへこれよりおくのかたへたちこゑんまゝ亦の〓よもはかりかねこよひはかりの名こりなりいつをかきりのなきみのねかひみらいハかならす一ッはちすの契をハかならすたかはせ給ふなとしほ/\とかたりけれハ秋篠ハきもをけしなくもなかれぬおもひのたね勘次郎か顔つく/\とうち守りかりそめにまみへしより互につもる枕のかす未来をかけて契らんとおもひの外なる御おしへとてもそなた様に別てハ何たのしみになからへんさるにても御みのねかひとおゝせられんは」10ウ
いかなることにて侍らふそや。年月なじみしわか身に今まてつゝみおわせしハうらめしく侍らふとかきくとけハ。今さら何をかかくし侍はん。我か父ハ宮津何某とて。四國の太守にみやつかひして有しか。我身七ッのとしあへなく討れしむかし語。かたるも今さら口おしく。其上敵の面ていハ幼心に覚へ侍はねと。むこふ歯かけて額の黒子。右のこびんに刀の突きず有と。母のおしえとし月尋さむらへとも。似た俤の人にもあはす。無念の月日を暮す内。いかなるゑんかそなたに〓初かゝる別に及こと。過去宿執の因縁なるへし。必/\我運つよく敵にめくり合。首尾よく敵を」11オ
討おゝせハ又の契を結へし。もし又かへり討にもなりしときかハ。一へんの〓向もたのむと斗に泪くみての物語秋篠もなきいりしが。おとろきいりし御身の上爰に一ッのはなしあり。此一二年この方聖天町より來ル。醫師に徳嶋泰庵といふ者あり。つね/\内證へ來り給ふか今御はなしの向歯かけて額の黒子。右の耳わき二三寸きずの見へ侍ふか。今ハ四方かみにて或ハ十種香はいかいに折/\内へ見へ給ふ。もし是にても侍ふやとはなせバ。勘次ハ飛たつことく。浮木に〓る盲亀のおもひしからハそなた手引して其かつかうを見せ給へとたのめハ幸」11ウ
明日は口切にて。大勢客衆も侍へは泰庵とのもまいるへし。必/\明晩と契て其夜ハかへりけり。扨勘次郎ハ我家へ帰り其夜のあくるをまち居たるに。千夜を一夜の心地にて明れハはやく支度山本へおもむき。秋篠に〓かたきのよふすをうかゝゐけるに。山本かかたにハけふハ自門他門の両三輩を招き。初座の鱠炙より。中立後座の點茶まてこと/\く畢る比。秋篠は勘次郎を連たち内證の厠へともなふ躰にて。障子に穴をあけ敵のよふすを伺せけり。勘次郎ハ一目見るより飛たつことく思ひしか。無念のむねをおさへつゝ秋篠諸とも二階へ上リ。いよ/\かたきに相違なしと。」12オ
明朝のかえるさを付行。名乗あい勝負をせんと。其夜おあかし泰庵か帰さを跡より付て行けるに。所ハ待乳山の麓にて。聖天町の。表ハ格子作リなる内へ〓入を。押續て入。いかに泰庵見忘れしか。我こそ宮津勘次郎汝父を討しより。無念のとし月尋くらし漸夜分見出セし故。是まてしたひ來リたり。いざ尋常に勝負あれと。身こしらへして詰かくれハ。泰庵ハさしたる脇差投出し。勘次郎か顔を。見あげみおろし。つく/\見て。孝なる哉勇なる哉おもひ出せハ。二むかし自若気の不了簡欲に眼もくらやみて。御主を害し奉り。奪ひし金ハ水の淡」12ウ
なすことする事左まへ〓方つきて東へ下リ容をかへて鍼醫となり漸月日を送るうち我ハ忍ふとおもへとも天命のかれす今君に奉〓ハ即主人の御罸御心せかすと御手にかゝりせめてハ罪障消滅せん扨々わすかの年月にいとけなけなる御成長爰ハ市中の事なれハ是より近き邉に浅茅か原と申所の侍へハこよひそれへ御供なし御手にかゝり侍はんといとおとなしやかに答けるまゝ勘二郎ハさるや町へ人をやり門弟両人呼寄泰庵を守護させ其身ハさるや町へかへり支度をなしてよし原へ立寄秋篠に〓敵要介に名乗合こよひ浅茅か原にて敵を討につけて」13オ
いとま乞に來リたり何かとそなたの真實ゆへ思ふ敵にめくり合本望とくるハ案のうちさりなから若運盡て返討にもなりしときかハ無跡の〓向を頼と言けれハ秋篠ハもつての外にはらをたて〔けしきをかへ〕扨々ふかいなき御心かな親の敵を見出しなからみつからへいとま乞とハみれんなる思召かなとても其心にてハ敵も大かた討得給ふまし是非もなき御事と泪にくれて恥しむれハ勘次郎は今更にかへすことはも泪なから立帰浅茅か原へいたりて見れと敵の影もなしとしやおそしと待うちに日も西山にうすつく比敵泰庵ハ二人の〓子にいさなはれつゝ出來れハ勘次郎ハ声」13ウ
をかけ支度も能ハとく/\と言ハ泰庵ももゝ引たすきに身をかため互に別て西東まいりそふと声かけ合互に手練の太刀先に勝負もいまたつかさりしにいかゝハしけん勘二郎請太刀になりてたしろけハ思ひもかけぬ松陰より黒装束にあみ笠着たる若侍後の方へ〓ると見へしか抜よりはやく泰庵か右のかいなを打おとしけれハ勘次郎ハ踏込て大袈裟に切たをしとゝめをさし父生〓頓生菩提かたき要介か首請取給へと〓向をなして手向けりかくて人々ハ悦いさみ介太刀打し人に向いかなる方なれハ思ひもかけぬ御介太刀に預リ忝し去るにても御名ゆかしく候と」14オ
いんきんにてをつけハいせんの侍近々とあみ笠とるを見てあれハ山本やの秋篠なり是ハ/\と皆々おとろきふしんをなせは先ほと勘次郎様いとま乞に見へ給ひしをはちしめまいらせしも心をはけまし申さんため心の外のあいそつかしを申せしなり夫よりしてみつからハ親かたへ寺まいりとて暇をもらい心安き茶やを頼中宿をこしらへ身こしらへして是〓参侍しに心とゝき首尾よく年月の本望をとけさせ候何よりめてたふ侍ふと悦いさむ其中に勘二郎ハ秋篠にむかい只今の心さしと云はたらきと云武士も及はぬけなけのふるまい流に〓し川竹のうきふししけき其中にたくひ」14ウ
まれなる志さるにても御身の上からばしくわしくかたり給へと云へハ秋篠ハ顔うち赤め恥しなからみつからか父上ハさるやんことなき御方に世々禄をかさねて侍りしに傍輩のさんにより思はすいとま給りて二君に仕へぬ市中の閑居年月をくる其中に母の大病せんかたなくみつからか十二のとしこの荊〓林に賣れしにはしめハ父母の事のみ思ひ出し明暮恋しかりしか稚き心のおろかさハ日毎に媚に馴花やかなる人の出入たち振舞も羨敷いつしか芝蘭の室ならぬ荊〓の林に棲て其香に染ぬるそ浅ましき一夜を限に去てふたゝひ來らさるも多き中にいかな」15オ
る宿世の奇縁にやそもし様にふと馴そめまいらせ御身の上を聞に付いとゝいやます思ひのたね扨こそ斯ハはからいしそやそれハともあれ年月の御苦労ありしかひ有て御本望をとけ給ひいか斗か悦し此上わへんしもはやく御國元へいそかせ給へと進られ勘次郎ハ日比の情此場の時宜今更何と云へき言葉もなく只何事も國元へ立帰迎の人を差越へしといとま乞もそこ/\にして立別馴し故郷へ立帰敵討の始終を太守へ申上しかハやかて本地に立かへり再ひ宮津の家名を起し秋篠事も身請をなし玉椿の八千代をかけて榮けり
烟華清談四目録
○ 化物桐や奇怪之事
○ 万字や禿 馴二怪童一遊 事
○ 茗荷や大岸 以レ智防レ〓 事
○ 三浦や花鳥菱や通路 争二全盛一 事
○ 大上総や常夏迷魂之事
○ 奈良や茂左衛門 欺レ友 事
○ 松や八兵衛 以レ戯奪レ金 事」目オ〔白〕」目ウ
烟華清談 化物桐屋怪異之事
今ハむかし。揚や町の河岸に桐や何某とかや云し娼家ありける此あるじ抱の娼婦と密に通しけるか。初の程ハかり初の事なりしか。いつのほとより筑波山の影しけく。人目の関にもかゝるほとなれハ。女房もほと此事をしりて。しんゐのほむら胸を焦し。何かにつけて此遊女を憎み。難波の浦ならぬよしあしに罵はつかしめけるが。猶たらすや有けん。外の娼家へ賣やらんと云しを。あるしハ是を許さ〔ゞ〕れハいよ/\しんゐいやまして。後ハ此遊女を見る目もいふせき心地にて明し暮しけるか。いつのほどよりか思ひの火に胸を焦し。人しらぬ病の床に打臥けるか。日」1オ
増思ひいやまし。あるしハ是を幸にいよ/\馴むすひけれハ今ハ中/\たすかるへくもなく。終に無常の道におもむきける。扨しもあるへきに非ハ野辺の送りに人々袖をしほりけるあるしハ今更打驚き。仏前にはみあかしをてらし閼伽の水を妻の位〓にそなへ香花を供し。念仏いとまめやかに唱つゝ手向し水をとりかえんとて。見れハ茶碗に水少しもなし。こハそも不思義と水を手向かへ其夜ハ其儘に休ぬ。夜明て又香花を手向水むけんとするに又水なし。人々いよ/\不思義をなす事初七日まて毎夜かはる事なし。あるしも何とやみん氣味わるく覚へけれハ初七日の法事もいと念比吊ひけりしかりしより後は」1ウ
夜更るにしたかひ。いつくともなく女のさめ/\と泣聲しきりにして声もの悲しく。姿ハ更に見ゆる事なし。或ハ座敷へ出せる盃硯蓋なと蝶鳥なんとの如く中を舞ありく。ある時は銚子かんなへのいつくともなく畳の上を走。いろ/\怪事を見なからも煩惱の犬立さらす。終にかの遊女を後妻になん定めける。然りしより猶さま/\の怪おゝきうち。水無月の比先妻の衣裳を虫干せんと。箪笥の引出しをぬかんとなしける折から。箪笥の内よりも物悲しげなる聲にて我か衣裳は干に及すと云へる聲に。後妻ハ魂きへ打倒れしを。家内打寄介抱してさま/\いたわるといへとも。」2オ
終に病となりてほとなく果ぬ。夫より無程身上衰へぬ。是を揚屋町の化物桐やと其比人々云ぬ
萬字や禿怪に馴事
今はむかし。なんならぬ京町に万字やと云娼家ありける。かれかもとにかん竹と云禿あり。いつしか長月廾か比よの中物静なる比。小雨しきりニ降。長き夜のいと淋しく。客壱人もなく。時雨をいそく風の音信のみにて。夜も初更の比。かん竹ハ用事ありて二階へ行けるに。見馴さる十あまりなる禿。かん竹か袖を引て。奥座鋪へともない行ぬ。かん竹も何心なく行しに。」2ウ
かの禿袂より小き石をとり出し。手玉はしきなとするまゝかん竹もとも/\遊戲るゝうち。ほとなく見せよりかん竹を呼けるまゝ見せへ行て姉女郎の用事を弁し。又候二階へ上リけれハ。階子の口にかの禿待請て。又々かん竹か袖をひかへて奥座敷へともない行ぬ。只ものハいはすして。石なとをとり遊ひ戯るゝ事毎夜なり。後ハかん竹も見せの出るを待て。かの禿と遊ん事を楽み。見せ出ぬれハかの禿階子の口に待受て居事常也。あるし夫婦かん竹か見せ出ぬると。外の禿とかはり二階へ上る事をいとふしんにおもひ。或日かん竹にとひけれハ。二階へ玉取に行とことふ。外の子供は」3オ
皆/\下に居るに。だれを相手にするやといへハ。過し比よりのあらましを語ぬ。夫婦あやしみて鴇母若い者に付させ見するに。かの禿出る事なし。又々かん竹独いたれハ即出ぬ。客到れハ出る事なし。斯する事一とせ斗にして後。或夜かん竹かの禿か手をとらへ二階より引おろさんとせしに。かの禿かん竹か襟へ〓付けるに。かん竹あつとさけび倒けるに。件の禿いつちへ行けんかしらす。其聲におとろき人々立寄見れハ。かん竹ハきをうしなひけるを介抱なして。よふ/\と人心地なりぬ。少しのきずなれハほとなく快よくなり。成長して猶又勤居れり。」3ウ
茗荷や大岸 以レ智防レ〓 事
今ハむかし。享保の比京町二丁目茗荷やに。大岸といへる遊女あり。つねに風流を好又酒宴を愛。つね/\客の帰を送てハ中の町の茶やに〓頭藝者を。集て相手とし。夜終の酒宴に更行鐘を恨。月雪花の晨ハ更也。其身の座敷とても昼夜のわかちなく。茶や舟宿。又ハ。〓頭をまねき。夜とともの酒宴に。おのつからうはきの名を立られ。五丁の口の葉にかゝり。大岸ハ色好にててれん女郎とハよびける。しかありしより。大岸に心易茶や。此事を告てとり/\に」4オ
〓見ましりに云きかせける。折から年の暮なりけるか。來る年の正月ハ跡着も一しほさはやかに。下着は不残白無垢を着し。上着ハ。白襦子に金糸を以て卒土婆としやれかふへ野さらしの形を縫せて着し。又挑灯にハ大文字にて。てれんいつはりなしと書せけり。茗荷やのあるし鴇母らハそもいかにと云けれハ。大岸言けるハ。我身をてれんのうはきものとの〓あるよし。此身ハてれんうはきにてハなく。只楽につとめのうさを忘るゝまてなり。訳しらぬ者の口の葉にかゝりしゆへ。かくハはからい侍ふと語りつゝ。やはり挑灯」4ウ
の紋。てれんいつはりなしの文字ハ。其まゝにてともさせけるに。物めづらしき評判いやまして。日に増全盛ならぶかたなく。終に浮氣のあだ名も云人なく今以其膽量を人々感じぬ。
三浦や花鳥大菱やかよひ路争全盛事
今ハむかし京町壱丁目。三浦やノ内に。花鳥といへる遊君あり。同し二丁目大菱やかもとに。かよひ路といへる娼君有。互に全盛の身なりしか。いかゝしけん花鳥か方其年の暮。客よりおくる仕舞金。いつかうに來らされハ。正月の跡着の趣向も心にうかます。かのかよひ路かよふ姿を聞合するに。下着ハ。なをりの紅羽二重のむくに」5オ
上着ハ。緋縮緬にして。錦あるひはから織。唐花布。蝦夷にしきなとの。多葉古入。烟管袋を。いとにて〓合〔せ〕て鳥の羽をかさねたるよふになし。是を模様につけ中の町へ出て。揚屋へ赴んとする道中にて。袖褄を引ハ。烟袋きせるつゝの。手に随てとれるを趣向となしぬるよしを。密に人の告けるを聞とも。こなたには。せん方なく。下着は白むくにて。上に黒襦子の火打入たる紙衣をこしらへ。春を迎んとしけるに。大〓日明方。客のかたより金二百両を送りけれとももはや跡着の間にもあわす。せんなき事と思ふうちにほとなく年礼に中の町へ出ける。しかるにかよひ路ハ。新町より」5ウ
爰を晴と出けれハ。茶やの下女若い者。或ハむすめ。むすこまて。御めてたふ御座りますと。袖つまを引て。たはこ入烟管袋を。引とりけれハ揚屋町の角にてハ。帯つけ打かけの。たはこ入きせるつゝ一ツもなく。無地の緋縮緬となりけれハ。其儘帯つけのしこきをときて。下着斗となりて揚やへ入ぬ帯付打かけハ揚屋町の角に打捨置ぬ。人々其活達を感しけるに。花鳥ハ紙衣姿にて揚やを出。大門の茶やに至り。松やか見せにて五丁の藝者〓頭を集て酒宴をなし禿を呼て何か秘語けれハ。ほとなく禿ハ何か紫の服紗に包し物を持來けるを花鳥ハてにゝもふれす。あるしによろしく頼とて渡しける」6オ
【挿絵第五図】6ウ7オ
ハ彼の百両のこかねにてそ有けるを。藝者〓頭下女若い者まてにとらせ終夜松やかもとに遊ひて帰ぬ
奈良や茂左衛門 欺レ友 事
今ハむかし。奈良や茂左衛門と云し者あり専柳〓に遊ひ任〓を好。一時に千金をなけうちて快しとす。其比紀文と一雙の大盡にして三浦やの。しか崎か方へかよひけり。或日尾張やの揚やに遊ひ居けるに。和泉やの揚やに念比なる友。五人遊ひ居けるか。奈良茂か事を何かあしさまに云けるよし。人の咄にほの聞けるか。奈良茂ハさはらぬていにてけんとん蕎麦五人前おくり遣しけるにそ。かの五人ハ。花やか」7ウ
に遊ひ居ける所なれハ。奈良茂かいたつらにくさも憎しとて。こなたよりもけんとん。澤山に送りてこまらすへしとて。中の町の蕎麦やへ人を遣りて。出來次〓百人前。尾張やの揚やへおくるへしと云へハ。こよひハ蕎麦を賣切たりと云。しからハとて。五丁の蕎麦やへあつらゆれとも。皆々賣切たりと答。五人の客これハけしからぬ事なり。田町山谷の蕎麦やへ人はしをかけけるに。是も賣切たりと云ゆへ。山の宿聖天町。花川戸材木丁へあつらへしに。是も今宵は賣切たりといへハ。今ハ是非なく。箕輪金〓を尋けるに。是も賣切たりとこたゆ。今宵に限。けしからぬ事なりと使の者ハ。小塚原千住へむけ」8オ
て行あつらゆれとも。是も賣切たりと云に。扨/\あやしき事と。是非なく立返て。茶やの亭主へ斯と云けれハ。茶やの亭主もいつみやへいたりて。五人の客にしか/\のおもむきを咄。今宵ハ一向いつ方にも蕎麦切きれるよし云へハ。然ハ何ぞ外にかへしの工夫もあらんと云折から。表の方騒々敷。尾張やよりの送りものなりとて。けんとん箱をつむ事山のことし。千住小塚原箕輪金〓。或ハ田町山谷山の宿花川戸材木丁をはしめとして。五丁のけんとん箱のあるかきり持はこひけるハ。目さましき有様なり。是ハかねて奈良茂より蕎麦やへ人を〓し。賣切けるとかやしか崎か假筆にて。ゆる/\と御遊ひ候へかしと申越けるよし。扨いつみやにてハ。もらい」8ウ
し蕎麦になんぎしけり。今芝居にて。曽我狂言に。緞子三本紅五疋と云。又ハ大盡舞の言葉に緞子三本紅五疋。綿の代まて添られて。貮枚五両の小脇差と唄ふハ。奈良茂か。しか崎を身請のしらきに。尾張やへ遣しける。おくりものゝ事なり
大上總屋常夏執念其巻か勇気之事
今ハむかし正徳の比かとよ。江戸町壱丁目。上總屋に。とこなつ其巻と云娼婦あり。互に其全盛を争ひて。其中睦からす。たとへハ両雄の並たゝさるかことし。然るに。いつの比よりかとこなつ。心地わつらはしく。病の床に臥けるか。遂レ日顔色おとろへ。醫療しるしなく。終に朝の露」9オ
ときへける。野邊の送いと念頃にとりまかない。悔て帰ぬ事を云あへりて。妹女郎は。親はらからに別し思ひをハなしけり。扨其巻ハ。ありしにまさる全盛。日に増て。家内のもちひもいちるく。とこなつか。棲し座敷を普請きよらかにして。其巻ハかしこへ移りぬ。しかるに。其巻かかたへ客來り盃はしまらんとする時。天井よりはら/\と落るものあり。禿若い者ハ立より見るにさしと云虫なり。是ハ。天井に鼠。又ハ猫なとの死骸あるへしとて。明の日人を登せて。天井を見さしめるに。かつて何の子細もなし。又候。其夜も客來りけるに。銀燭の光いと照わたる中へ。天井より又。はら/\と落ぬ。彼是よりて取捨ぬれハ。又しはら」9ウ
く有て落ぬるまゝ。翌日ハ。天井を取放し見れとも子細なし。又の夜もけしからす落けるまゝ。今ハ〓方なく〓〓の札。鳴弦の守を張置けれハ。其後ハ子細もなかりける。然ある後。水無月も過。文月もはや半過る比。雨いと静に降ける夜。其巻かもとへ客來りて。二更の頃帰りけれハ。座敷もいと寂寞として。物淋しく。独燈火のもとに文したゝめて。夜の更るをもしらす。四面虫の声のみにして。窓打雨の音のみきこゆ。其巻ハふとかたはらを見れハ。過去しとこなつかおもかけ。忽然とあらはれ。其巻か顔を。つく/\と打守り居ける。其巻心におもふにハ。日比むつまじからざるとこなつか。忘執に引され來」10オ
りしものならん。人の咄つたふるハ。かよふなる物に負るときハ。我命を失ふと聞しやと文書さしてこなたよりも。常夏か顔をつく/\と見詰居けれハ。其勇氣にや氣を奪れけん次〓にとこなつハ。跡へしさりけるまゝ。其巻ハ段々と顔を見詰て。じり/\とつけて見けるまゝ。終に姿ハ陽炎の。幻のことく消ける。夫よりして後は怪事なかりける。
松屋八兵衛 欺レ客之奪レ金 事
今はむかし。松や八兵衛と云〓頭有。或日。揚や海老やにて。何某とかや云し客。末社〓頭大勢集て遊ひけるか。酒闌なる比。大成」10ウ
水鉢出けるを。客ハこの鉢の水をこほさせ。水油を八分目入させ。扨金子百両を。かの鉢へ入。勝手より。俎〓を取寄。茶や舟宿ハ云に不及。〓頭。若い者に至まて呼集。まな〓にて。件の小判をはさみ取へし。取得さるものハ。罸酒を飲しめ。取得し者ハとく分と云わたし。皆々喜悦の眉をひらき。我とらん。人取らんとて。挾とも。はさめとも。水際近くなるまゝに。小判ハすへり落。皆々笑つほに入にける。客ハ是を肴に一しほ興に乗しける。松八は。何卒これを挾取らんと工とも。手震拳も定す。其内壱両。よふ/\取得し者有。小判を紙に包。なをも取らんと挾ける。松八は。未一両も取得されハ。いとゝ思ひを焦しつゝ。とやせんかく」11オ
かくやと。心をくるしめるを。客ハいよ/\ゑつぼに入て。酒闌に及ける。松八ハ無念さあまり。腹立顔に座を立しを。座中ハとつと興しつゝ。猶々興を催す折から。〓障子にわかに響。震動する事おひたゝし。人々ハ肝を消。こハけしからぬ事と思ふうち。家鳴しきりにして。怪しき姿そ顕れける。惣身ハ。真黒にして。眼ハ星のことく。〓の下より〓出つゝ。座中を白眼ハ。人々わつとたまきるうち。我ハ是。松八か忘執の金ゆへ迷ふ一念そと。件の鉢へ。両手を入。金子を不残奪取。〓の下へそ入にける。有合者ハ云に不及。たれ壱人起居る者もなく。皆々腹をかゝへ笑つほの會に入にける。」11ウ
烟花清談之五目録
○ 女衒又七幽魂契事
○ 雁金屋采女貞操之事
○ 角山口香久山贈レ盃 事 付リ 月見盃之権輿之事
○ 橋本や紅横死之事 付リ 雲中悟二因果一事
○ 総角新造江教訓之事
○ 巴屋薫金魚弄事」目オ〔白〕」目ウ
女衒亦七幽魂に契事
今ハむかし。揚や町に又七と云る女衒ありける。もと京町二丁目に住し比。年季の明ける遊女有けるか。かの女子遠國の者にや有けん。親兄弟も無かりけるや。誰世話する人もなく。又七か方に居ける。いつくへも相應ならん方へ嫁し遣はさんと思ふうち。又七も独身の閨淋しく。いつとなく人しらぬ中に。雲雨の情をこめ忍ひ/\にかたらひける。然るに此女ふと煩出せしか。終にはかなくなりにける。又七も今更不便におもひて。無骸ハ自の寺へ送り。一掬の塚のぬしとハなしぬ。誰〓人もなけれハ。跡念比に〓ひ。初七日の法事もまめやかに勤遣しける。去る者ハ」1オ
日にうとき習ひにて今ハ思ひも出さす。日数へけるにある夕暮の事なるに。亦七ハ轉寐の夢をむすひ少しまとろみしか。しきりに悪寒の氣味つよく。ふと目を覚して見けるに。枕元に忽然と件の女。世にありし姿にて居り。又七か顔つく/\打守泪くみてぞ居けり。又七ハもとよりも剛気の生質にて。狐狸の所為ならん。よきなくさみと思ひ。煙艸くゆらせて詠居けるに。少しも構はす終夜互に向居けるか。暁近くなる比。勝手の方へ出しか。いつち行けん見へすなりぬ。又七も終夜寐もやらされば。其日は労れ終日休て。暮比起出て心さす用事とりまかなひつゝ。初更の比我宿へ帰り。戸ほそ押明見てあれハ。いつの比來リけん。又件の」1ウ
女來リ居ける儘。今宵ハ是非狐狸の正躰を見顕しみんと思ひ。何心なき躰にて内へ〓入ハ。女ハさしうつむきて居けるまゝ。こなたへ來リ候へとて。手を取けるに。其手の冷なる事。玄冬に氷を握かことし。さしもの又七も心おくれて。持所の手を放し。色々と様見るに。外に可怪事も見へす。食〓を進るといへとも。手にもふれす。もの云挨拶するも平日のことく。變る事なし。其夜も暁近くいつちへか出けん。姿を見失ひけるまゝ。來る夜ハ宵より待けるか。又二更の比來れり。今宵ハ魚物油揚の類を多焼て。鉢に入。酒なとあたゝめてもてなすといへとも。一向口もとへも寄す。せん方なきまゝ。捕んとする」2オ
に。煙をつかむか如く。其姿消もやらす。端然として在。今ハます/\〓方なく。社家山伏を招て。盤若理趣分のくり。或ハ鳴絃の札。陀羅尼の神呪を唱れと。露しるしもなし。後ハ隣の人々も是を知りて。或ハ壁を〓て。覗見れとも。曽て容を見る事なく。亦七のみ独燈火の本にて。人にむかいて咄せる容斗にて。更一物の眼にさへきるものなし。斯毎夜来る事一月ほとにて。祈念〓〓も更驗なし。しかるに或老女のおしえけるハ。幽魂の罪障ふかきには。智識の十念又ハ。血脉なとこそしるしハあるものなり。我方に祐天和尚の名号一幅あり。是をかしまいらせんまゝ。今宵試給へとてあたへけるまゝ。又七ハ是を授り。日の暮をまちけるに。又」2ウ
例の女来りける儘。又七ハ件の名号を紙よりにて紐を付。首へかける様にこしらへ置けるを。彼女か襟へかけけれハ。姿は煙の散せる如彷彿として忽消ぬ。明の夜ハ来るかと思へハ来らす。あまりの不思義さに。翌朝旦那寺に至。和尚に右之あらまし物語をなし。塚を見れハ。石塔に件の名号を懸て有けるまゝ。其儘に葬跡念比に〓ひ遣しける夫よりして何の怪事も無かりけり。人々又七を呼で。幽霊又七と異名なしけり
厂金や采女貞操之事
今ハむかし厂かねや云へる娼家に。采女と云遊女あり。或僧の馴始て通ひけるか。嚢中おのつから空しく厂かねやの家内あや」3オ
【挿絵第六図】3ウ4オ
しみて。心えなく覚へけれハ。云紛かして〓せさりしかハ此そう思ひに堪かね厂かねや格子の中にて。或夜自害して果ぬ。采女ハこの有様を聞て悲の泪。腸断思ひ。炎胸をこかしあるにもあられす。いかゝして紛出けん或夜密に。花街を忍出。近きほとり。浅茅か原なる。梅若の母公妙亀尼の身を投し。鏡池へ身を投むなしく成ぬかたはらの松にうつなる衣を懸置うらに一首の和哥有
名をそれと知らすともしれ猿沢の跡をかゝみか池にしつめバ
治〓のいにしへ妙音院大政大臣師長公尾州へ左遷給ひ。謫居の寂寞に。たへ給わす。ある女を召れ愛し給ひしか。帰洛の時琵琶一面を与へ。」4ウ
給ふ。かの女別離を悲しみ。渕に身を投没す。其時和哥一首を詠
四ッの緒のしらへにかけて三瀬川沈み果しと君につたへよ
是より此所を。琵琶島と号するよし是采女と同日の談也
角山口香久山瓜生野へ盃を贈事 付リ 月見盃之権輿
今ハむかし。宝永の比。角山口に香久山と云へる遊君あり。都嶋原の遊君。瓜生野といへる者かたより。客の縁によりて銀の煙管を文して贈けるか。火皿の穴を中にてつめ。きせるの通らさる様に工なして。贈ける。香具山返事に。大盃のいとそこ」5オ
を圓にして。下におくときハころ/\ところれる様にこしらへ。其名を白菊と書付。嶋原へ贈ける。是ハおきまとはせる〔と〕いへる。和哥の言葉に託して名付侍る。比しも八月半比なりける。是よりして月見の客へ。盃を贈事とハなりぬ
橋本や紅か横死之事 付 雲中子因果を悟事
今ハむかし。享保比角町橋本やに。紅と云し娼婦あり。かれか方へ何某とかや云しものゝふの。深馴染。陌頭の楊柳も。日毎に折盡す斗にかよひ。互に膠漆の契ふかく。末の松山」5ウ
波こさしと。月雪花の夕にも。比目鴛鴦を羨。年を重て通ふほとに。父か筐裏をも〓するに至り。終に二人の進退も〓方なく。今ハ黄金用盡て。後。交うとき世の習ひ。鴇若い者に至まて。疎々敷挨拶に。二人はいよ/\。ます花の散ての名こそかうはしと。よしなき若氣の不了簡に。未来の契を誓つゝ。利剱則是弥陀号と。紅か胸のあたりを刺通し。南無と斗を此世の名残。終にはかなくなりにけり。何某ハ紅か死顔つくり。枕に臥せ。我身も共に一蓮侘生。南無阿弥陀仏と刃逆手に取直し。咽のあたりを掻切しか。愛着の念にや。心おくれけん。手の内狂ひて突そんしける。折から寐すの番。行燈の油つき足さんと来るゆへ手早く懐釼とりかくし。」6オ
酒一ッたへんまゝ。燗して給へと望けるに不寐の若い者ハ銚子携へ座敷を立ハ。又々死んと思ひしか。紅か死顔を見れハ見るほときみわるく。其上〓前突そんせし。咽の痛つよく。今ハ中々死氣も失しかきほとひて咽をつゝみ此場を何卒立退んと。心遣る其折から。門の戸けわしく打敲。奥座敷へ舟宿よりの迎来りけるに。大勢一座の客一群に帰る様子なれハ。是幸身拵して。其中へまきれ入。早々立出我家へ帰りける。橋本やにてハ夜明て是を見付。夕部の客ハ何某様。茶やへ人を走らせ茶やよりは客の方へ人を遣し届ケけるに。屋敷にてハ何某は夜前出奔のよしを答へけれハ。〓方なく。請人人置方へ紅か死骸ハ渡しけり。然るに何某ハ」6ウ
人をあやめし身なれハ。世を忍ふ身のたつきなく。旦那寺へ至リてかしらを〓煩惱即菩提と容を替。世に墨染の姿にて。雲中子と改名して近郷近在修行しける月日に関もあらされハ。けふと暮昨日と過て。ほとなく件の女郎の一周忌になりにける。其日ハ千住の在辺へ修行に至りけるに。賎しき家居より。老女たち出。心さしの日なれハ手の内しんせまいらせんとこなたへはいらせ給へといへハ。忝しと内へ入其時老女茶を〓差出し。今日はこゝろさしの候へハ。日暮も近くなりまいらせしまゝ。御宿の御心あてもなく候は御宿申さふらはんと。いと念比にもてなしける。雲中子ハかたしけなしと。いと念比に謝し。艸鞋ときて休息なす内。老女ハ仏間へ燈明ともし。御〓向あれと」7オ
云にまかせ。雲中子ハ仏間に向見てあれハ。刃誉妙釼信女と戒名あり雲中心に思ふハ。いかなれハ去年の今月今日ハ。女の刃に死る日そ。橋本やの紅も今日ハ一周忌此家の仏も一周忌このやの仏もいかなる因果に釼難にて死したりけん。いふかしさよといとゝ哀を催して。しやしこをならし念仏となえ〓向をなせは。いつくともなく女の声にて念仏す聲きこへけるまゝ。不思義におもひ振返リて見れハ。去年死し紅におもかけ似たる女。雲中か後に居共称名唱けるにそ。雲中ハ膽消魂飛心地にて。能々見れハ姿ハ田舎の女なから顔ハ過つる紅なり。いと恨しけに雲中か顔打詠。扨うらめしきぬし様や。御見忘なされしか。みつからハ紅か妹にて。幼ときハにしきとて橋本や」7ウ
に雇禿をつとめ侍りしか。後故郷へ帰居しに去年のけふ姉様ハ客に殺され給ひしと。告来リしに悲の泪腸を断。何の意趣にて何者に殺れ給ひしと。様子を聞ハ何某とかや云し客と聞とひとしく無念の泪我身おとこの身にしあらハ敵をうたて置へきかと思ふに甲斐なき女の身母様に力をつけよふ/\月日を送るうち。こよひ不思義に御宿申と云事も〓る因果の車の輪。むかしの姿にましまさハ。我身女のみなりともいたし方も有へきに。御姿もかへ給ひ仏の道に入給へハ今ハ恨もつき弓の。矢たけ心も墨染に。御身をかへさせ給ふ上ハ。よきに御〓向くたさるへしさるにても母人には。其事もしらせ給はぬ事なれハ。御心置なく終夜亡あね様の」8オ
御〓向を御つとめくたさるへしとてあやしの調度とゝのへて其夜をあかし。又々修行に出にける
三浦や総角新造へ教訓の事
今ハむかし。三浦やの総角ハ。海内の名娼にして。五代目の高尾を出せしせんせいの君なり。ある時新造へかたつていわく。遊君のせんせいにならんとおもわハ。よく人の心に叶事を心にかくる事なり。〓一夜は寐る事なく。其上客のいね給ふをこよりなとして耳鼻をこそくりおこし。其人の好給ふ咄なそし。又ハ香道茶湯或ハ哥はいか」8ウ
い。琴三絃なそよく心かけて。知りたるていにあまり顔に出さす。初會に來リ給ふ客なそハつきなきものにていね給ふ時にも。女郎の來るを待遠くおもひ。或は狸寐入をし給ふ者まゝあり。誠にいね給ふとおもひ。外々の座敷へ遊ひあるき。上るり小唄おとりなとに我を忘おそく座敷へ來リし上を。長/\とたはこをのみたるていに御客は狸寐も今はあたとなり。まし/\としておきもやらす。又ハ帰かけにも。はしこの口まてよふ/\送リなからわきをむいて居てのあいさつ其上若い者の門口を」9オ
出給ふ客を出すやいなや。から/\とくゝりをしめびんとおろしたる夜更の錠の音も又すけなく義理にも二度とこられぬしかた是なとの心を能おもひやり。とりあつかうへき事なり。客の帰給ふ時ハ其行方をおもてまて出てじつとうしろをみつめいるおりハ。おもてまで送られしに心よく。ふりかへり見れハ女郎の立姿に心うかれて。帰給ひても目につく思ひにて。ほとなくうらに來給ふものなり人のつたなき事を云ても。ていよくとりあつこふ事也。或人のはなし給ふにハ。太夫部屋持新造の駒」9ウ
下駄の音に。見すしてそれ/\に聞わけ給ふ。太夫女郎の駒下駄の音は。おのつからひやうしありて。からり/\からり/\と。ほとよくあゆむ音おなしうしてやまず。しせんと其かたち見ることく。部屋持女郎ハからり/\と行てハとまり。からり/\と行てハ音おなしからす。新造ハたゝから/\と色も拍子もなく行なり。かやハかくるゝと詠せしことく。闇の夜に梅花さかりをしるかことく。おなし流にすみなから。はすかしきものにそありける。又女郎に我とおもはぬ拙きかたちあり心得たし」10オ
御客を送りて。はしこの下へおりなから。暇乞して御客のふれんを出給ふをまたすして。ばた/\/\とうは草りの音つよく。二階へ上りたる。拙きしかたには。又來る人の道をうしなひしもまゝあり。しかはあれとも。おさへところなきものゆへに其身もしらすして。わかまゝに心を持ても。同しつとめの身とのみ心得てくらし。年の明るにて。まはり女郎にておいつかはれ。ほうはい女郎にあけらるゝも。はすかしきをしらす年明て片付てもしこき帯をつねとして。夫婦さしむかいの暮しに。くるしき」10ウ
事を見るめさへいやましくおもふなり。是に引かへ。座敷持女郎の心遣ひハおゝかたならす。いやとおもふ事。顔へ出さす。或はすいつけたはこまてに心をつけ。連の御きやく外の女郎。中宿。茶や舩宿。藝者。下女下男まての心をつけ。紋日物日もの前は苦のたへまなく。借金のふち深くて。かくまてにやるせなき身も。太夫女郎座敷持。部屋持も。それ/\に上と中とへ片付行そかし。まことに公界の身の本意なるへけれ。我もなを御客の心をよく知らんと。たへす心かくるに。ある朝中の町の茶やに遊ひ居し折から。雨しきりに降」11オ
出し。折から二丁目のかたより。軒つたへに來リ給ふ。御客のともとてもなく。茶や舟宿もなく只ひとり。雨具のよふゐもなけれハ。手拭にてかしらをつゝみ。裾まくりて雨もやまねハ。ひしよ/\とあちらをつたへこちらをつたい來リ給ふありさま。いときのとくにもいわんかたもなく。かゝる姿にてハかへられましと心ならすみるうち。ほとなく大門へ出給ひてハ。甲斐/\敷羽織をたゝみてくわいちうし。もすそをからけはきものぬきてこしにはさみ。はしり行給ふてい。はしめの姿にことかはり。いとおかし。青楼のうちにてハ色をふくみ。其所をはなれてはじぬけしき」11ウ
ハ。人の心そかし又朝かへり給ふ御客の道すから遊ひの〓し給ふをきかまほしくおもひて心得し人にとひけるに我も此事心つきたりと咄しけるハ。朝かえり給ふ御客の。三人四人つゝ。上中下の人の遊ひの咄も又。定木をかけたることくかわりあるなり。上の人ハ。酒をすこし給ふ事。たいこ藝者のおかしき事のみをはなして。其夜の女郎の〓をいはす。中の人ハ。江の嶋目黒の土産ものを買寄て。いつつけに居たる事のみを咄つゝ行ハ。むすこていなり。又中の内にも中の下あり。茶や女郎の意氣地しうち悪敷」12オ
事。あるハ座敷夜具なとこしらへしはなし。又ハ。ねころしにしてかえりたる事。二所三所遊ひあるきしを手柄に咄すてい。下の人の咄しにハ。其夜の女郎にふられたると云。もてたると云て。高/\と下かゝりの咄して行も。六七町にハ過す。はずかはしきものハ人の心。たとへバ傾城にかきらす。よきかたによりたきものぞかし。色も香も知る人ぞ知と詠し哥の心も実その心一ッにあるべけれと。終夜その新造へつね/\におしへける
巴や薫弄金魚事」12ウ
今わむかし。江戸町巴屋に。かほると云る遊君あり。一たひ笑ハ。人の國をも傾〔く〕ると云けん。俤にもかよひて。見ぬ唐毛〓西施はいさしらす。時めきける。有様又たくひなし。或日馴染の客來リて。其比流行しらんちうと云。金魚を四ッ五ッおかもちていの物に入。水舟をしつらはせ。水石を弄ハ炎暑を忘れるに能けんとて。持せ來リけるを。かほるをはしめ。新造禿茶やの娘をにいたるまて。金魚にかゝりて。客の方を後になし。たはこの火或ハ酒の燗にもかまふ者なく。金魚の舩を取まはし。詠居けるゆへ。客もあまり座敷のてれるゆへ。新造の後より我かもたせ來リし金魚をのそき見るに。我かあい」13オ
かたの女郎ハ。新造に云つけて。金魚をこと/\く蓋の上へとり出させ置けるに。客もふしんにおもひ。おちもせぬ金魚をなせ外へとりいたせしと問ハ。女郎こたへて云。あまり皆/\かいじりしゆへ少し草臥て見へ候まゝ。休せ侍るとのあいさつに。客もおもわす吹出しける。さすかよし原の遊君の。利口にあらすして。あとけなき心入こそよけれとて。いよ/\馴染をかさねける
安永五年 申 春
〔艶花〕清談之終」12ウ
【巻末】
美人合姿鑑 箱入 全三冊
此書は當時よし原の名君の姿を
北尾勝川の両氏筆を揮れにしき
繪に〓たて居なから粉黛のおもかけ
を見るか如くに出板仕候御求御覧
可被下候
日本橋萬町 上總屋利兵衞
東都書林 梓
新吉原大門口 蔦 屋 重三良 」後表紙見返