【解題】
前号に引き続き、『南総里見八犬伝』の改作である『貞操婦女八賢誌』の第5輯を紹介する。
本輯も上下2帙(各3巻3冊)で構成され、人情本風の表紙を備え、色摺りが施された凝った口絵を持った仕立てになっている。周知の通り、書物というものは、その造本様式がジャンルを表象し、逆に内容が装訂を選ぶという原則が備わるメディアである。
ただし、この3巻3冊を一構成単位としたのは人情本だけではなく、一時期の読本や合巻などにも採用されたことがある。読本は5巻5冊に、合巻は2巻2冊に落ち着くが、明治期草双紙(明治11年刊『鳥追阿松海上新話』など、明治期に新作された美麗な草双紙)で、再び3巻3冊という構成が採用されることになる。
既に述べてきたように、本作には色模様(色恋沙汰)も見られず、稗史もの中本とでも呼ぶべきものであり、内容的にはどう考えても人情本というジャンル分けには馴染まない。しかし、この装訂から見る限りは紛れもなく人情本の様相を呈しているのである。と同時に、人情本の元祖と称した為永春水(と2代目春水)の作であることからも、当時の板元は人情本の読者層を意識していたことを見て取るべきなのかも知れない。
そもそも、8人の女が八犬士ならぬ八賢女として大活躍する本作は、人情本に良く見られる三角関係が妻妾同居に回収されるなどという男にとって都合の良いプロットとは違い、封建社会に於いて抑圧され疎外された生を強要されていた江戸時代末期の女たちにとって、一種のカタルシスと作用していたのかも知れない。だがしかし、啓蒙と教訓という要素は近世小説を通底する要素であり、本作中には、女性読者を教化すべく、あざとい教訓臭をともなう筆致も散見される。
ところで、本作は、単純に典拠に基づいた抄録ではなく、新たに加えた筋立てを含めて、原作の趣向や挿話を綯い交ぜにした実に手の込んだ手法が用いられている。具体的には、原作の古那屋の段、破傷風に罹患した犬塚信乃のために犬飼現八が良薬を博捜するも手に入らず、山林房八とその妻沼藺の血で治癒するという下りがあるが、これを破傷風に罹った於梅(信乃)のために薬を探しに行った八代(現八)が、深手を負った妹於袖(浜路)と邂逅しその血を手に入れる。於袖は於梅を女と知らずに想いを寄せ続けていたのであるが、その間接的な犠牲死によって治癒すると作り替えられている。このほか、荒芽山での首級の取り違い、庚申山の妖猫の怪異などを旨く取り込んでいて、原作を知る読者にはより一層興味深く読めるように創作されているのである。
【書誌】五輯(上下2帙各3巻3冊)
上帙
書型 中本 18・6×12・5cm
表紙 上部藍色地に横一列に象などを白抜きにする。中央部右上から左下へ斜めに区切った下部は象牙色地に草花をあしらう。後ろ表紙は灰色無地。
外題 左肩「婦女八賢誌 編 壹(〜三)」(13・3×2・7糎)。 題簽の上部柿色から下部空色にボカシ下。下部に花を白抜き。双柱飾枠。
見返 なし〔白〕
序 婦女八賢誌第五輯序\干時弘化四年歳次強圉協洽春三月吉\二世 柳北釣夫爲永春水誌」(1丁半。丁付なし)
口絵 第1〜2図 見開き2図(丁付なし)。背景を薄墨で潰し人物の着物に空色を、賛の天地には空色や菜の花色、柿色を施す。
題 「日に何帆こゝに入江の賑はひは幾品川の数かぎりなき」(薄墨地、上部に星を白抜き下部に海に浮かぶ帆船と遠景の富士山を描く。「歌川貞重画」半丁。丁付なしウ)
内題 「貞操婦女八賢誌五輯巻之一(〜三)」 (巻一は「巻之」に振仮名なし)
尾題 「貞〓婦女八賢誌五輯巻之三了」
編者 「東都 爲永春水編次」(内題下)
畫工 題に「歌川貞重」
広告 巻二の巻末に「處女香\文永堂 大嶋屋傳右衛門」存。
刊記 なし
諸本 館山市博・早稲田大・西尾市岩瀬文庫・山口大棲妻・東洋大・東京女子大・三康図書館・千葉市立美術館・架蔵。
下帙
書型 中本 18・6×12・5cm
表紙 上部の緋褪色から下部の空色のボカシ下げ地に六角中の花などの文様を散らす。
外題 左肩「婦女八賢誌 編 四(〜六)」(13・3×2・7cm)。 題簽の上部山吹色無地から下部空色にボカシ下げ地に花や舟を白抜。双柱飾枠。
見返 なし〔白〕
序 「婦女八賢誌五輯下帙叙\于時弘化五戊申歳春如月\東都柳北軒 為永春水 印」(1丁半。口ノ1オ〜口ノ2オ)
口絵 2図。見開き1図(口ノ2ウ〜口ノ3オ)、半丁1図(口ノ3ウ)。背景を薄墨で潰し着物などに露草色を施す。
内題 「貞操婦女八賢誌第五輯巻之四(〜六)」
尾題 「貞操婦女八賢誌第五輯巻之六終」
編者 東都 爲永春水編次」(内題下)
畫工 記載なし
広告 「處女香\文永堂 大嶋屋傳右衞門」(五巻末)
刊記 なし
諸本 館山市博・早稲田大・西尾市岩瀬文庫・山口大棲妻・東洋大・東京女子大・三康図書館・千葉市立美術館・架蔵。
翻刻 初輯の書誌参照
【凡例】
一 人情本刊行会本などが読みやすさを考慮して本文に大幅な改訂を加えているので、本稿では敢えて手を加えず、可能な限り底本に忠実に翻刻した。
一 変体仮名は平仮名に直したが、助詞に限り「ハ」と記されたものは遺した。
一 近世期に一般的であった異体字も生かした。
一 濁点、半濁点、句読点には手を加えていない。
一 明らかな欠字や誤記の部分は、〔 〕に入れ私意で補正を示した。
一 丁移りは 」で示し、各丁裏に限り」1 のごとく丁付を示した。
一 底本は、保存状態の良い善本であると思われる館山市立博物館所蔵本に拠った。
【付記】 翻刻掲載を許可された館山市立博物館に心より感謝申し上げます。
なお、本稿は JSPS 科研費 (21K00287) の助成を受けたものです。
【上帙表紙】 三冊同一意匠
【序】
婦女八賢誌第五輯 序 (原漢文)
昔日梅讃翁一箇ノ烈女傳ヲ著シ、名テ婦女八賢誌ト曰。葢シ曲叟之八犬士ニ效ク者ノ也リ。讀ム者ノ其文ノ新ヲ喜ヒ、紙價之カ爲ニ貴シ矣。惜イ哉翁未タ業ヲ卒ニ及ハス。而シテ巳ニ鬼録ニ登ル。書肆大ニ之ヲ憾 」 其ノ傳ヲ続余使欲、屡/\来テ之ヲ請フ。余故翁之教ヲ受ルコト有リト雖トモ、才短ク、學膚花様同不恥ツ。然リ而トモ辞コトヲ得不也。遂ニ第三輯自リ筆ヲ起、今干第五輯ニ至、恐クハ是レ東施之効顰、無鹽之刻畫、何ソ譏ヲ免コトヲ得ン乎。願フ所ハ唯大方於笑ヲ獻在ン耳。生菩薩忽チ九子母者ト變化スルト謂コト莫レ也。
干時弘化四年歳次
強圉協洽春三月吉
柳北釣夫
二世 爲永春水誌
【口絵第一図】
列女春心有花有實一貞了亡一賢忽生 [お袖の霊][阿梅]」丁付なしウ
あの聲はみちくるしほかむら千鳥 [八しろ][漁夫\網六]」丁付なしオ
【口絵第二図】
智遠波久止幾化番故和良之寳登登祇須 [香場有女太郎] [淫婦烏羽玉]」丁付なしウ
うつくしやこれもゆかりの花菖蒲 [於美知]」丁付なしオ
日に何帆こゝに入江の賑はひは幾品川の数かぎりなき」 歌川貞重画 丁付なしオ
貞操婦女八賢誌五輯巻之一
第四十一回 〈 秋情 を 慰て 老女 病女 を 勞 る|春心 を 轉 て阿袖阿袖を托す〉
前話姑且休爰にまた於梅ハ品革の浦辺なる老女が伏屋に宿かりて須臾ハ心落居しに腕に受し浅痍の其夜俄に痛みを発し心地死ぬべくおもふにぞこハ破傷風ならんとてお道も倶にうち駭きさま%\といたはりしに稍明近くなりし頃すこしハ痛みの輕みしとてお梅ハしばし睡眠しが幾」程もなく駭き覚て四辺を見るにお道も見へず早晩の程にか夜ハ明けん障子へさはる春雨のいと静やかにぞ聞へける浩る所へかの老女が茶碗にもりし白粥を折敷へ乗せて携へ來つお梅さまいかに在するぞ思ひがけなき太刀疵の俄に痛みを発せしとか今に痛みハ去りませぬか假令御口に合ずとも少しなりとも此粥をト言はれてお梅ハ重気なる枕をはなれて顔をあげ今にはじめぬお前の好意死ぬとも忘れハ置ませぬト言ふを老女ハ打消してアレ死ぬ抔と忌はしひい縦御心地あしくして幾日この家に坐するともお道」1
さまと這婆々がお側で看病まいらすれバお心強く思し召しかならず御介意あそばすなマア夫よりも冷ぬうちお粥を一ト箸喰りませト言ふにお梅ハよろこびて箸ハ取りても薦まぬを恁てハならじと氣を励まし漸々にして喰ひ尽すを老女ハ見つゝ咲し気にアヽ夫でよい/\病ハ気から出るとやら左にも右にもお心を些うき/\とあそばさバ日ならず〓り給ひなんそれにつけても此辺りハ年々軍のたへぬゆゑ兵火の為に焼立られさせる医師もあらざれバお道さまにハ今朝早く薬をもとめに往給へバ遅くも申刻過にハかならずお帰り遊ば」さん須臾がほどハ淋しくとも婆々を相手にお心を自から愛してお俟あれその薬だに手に入らバツイ御快くなりませうト言ふにお梅ハ驚きてさてハ遥々お道さんハ私に吃せんその為に薬をもとめに往れしか真身も及ばぬ赤心ハ有がたきまで嬉しけれどもお道さんとて身のうちに浅痍四五箇所あるのみか此辺ハ総て管領家の采地なれバ殊更に詮義きびしき折ならんを不覚に薬をもとめんとて〓敵方に知られなバ逃るゝ術ハよもあるまひ夫と私が知るならバ假令良薬ありとてもお道さんをバ遣るまじもの今更」2
何程悔みても返らぬ事を奈何せんアヽ気懸りやト言つゝも枕に顔をおし當て又も苦しむその風情を見るに老女ハいとゞなほ獨り心を痛むるのみ亦詮術もあらざれバ〓く胸をおししづめお梅の側へ找み寄りいたはりつまた慰めておこゝろづかひハ尓る事ながら才智勝れしお道さま敵の采地でありとても輙く薬を調へて程なくお皈り遊ばさんそれ等の事にお心を苦しめ給はゞ御病気のいよ/\障りになりませう唯何事もうち捨て一日も速く疾着の〓るやうに遊さバその餘の事ハ此婆々が歹くハ料らひもふしませぬト言話を」尽して慰めつ喰餘したる白粥を折敷の儘に携へて勝手の方へと出行をお梅ハ迹を見送りて世に憑もしひ老女が言話その嬉しさに取交て悲しひハまた這身の難病假令此儘死ぬとても命ハさら/\惜しからねど亡爺さんの遺言ゆゑ錦の籏を取戻し豊嶋のお家へ奉らんと幾年月の憂苦労その甲斐ありて去る日に尋ぬる御籏の手に入りてよろこぶ詮もあら波や瀬戸の朝霧消ぬ間に敵の討手に補囲まれ既にあやうき其折に俺懐よりかの籏の忽地竜と化し飛んで此身ばかりか三賢女の必死を其所にまぬがれし竒特ハ既に知り」3
ながら夫より後ハ彼籏の行衛も見へずなりしかバ又爭何して尋んと思ふに間もなき此病着俺なき後ハ誰か又御籏を詮義仕出して世になき親の遺言をついで豊嶋へ捧ぐべき是に就てもお竹さん今ハ何所に居らるゝやらせめて那嬢が居もせバまた詮術もあらうもの夫さへ今ハ生死の知れぬといふハ是もまた過世からなる悪報か心遺りハ夫のみならで因みを結びし四賢女とひとしく美名を世に顕はし苦楽を倶に做んとまで契ひし事も空となり一名亡失この身の不幸言ふて詮なき事ながら是ほど思ふ実心を日頃信ずる神%\も」佛も憐み給はぬかトさすがに猛き義婦ながら病にこゝろ細りてやはかなき事さへ言ひ出て獨り泪にくれ竹の世ハ春ながら春ならぬ意中の憂さそやるせなき恁ても杲しあらざれバお梅ハ自ら気をとり直し左ても右ても治し難き病着なるを今更に歎くハ愚痴のいたりなり俺母さまの胎内を出にし日より十八年苦に苦を重ねて成長おもふ事さへ得杲さで今此家に死ぬる事悟れバ夢の世なるかな噫思ふまい迷ふまい尓ハ言へせめてお道さんの帰り來るまで玉の緒の絶ずハいかに嬉しからんと心に思ひ胸に問ふ」4
主意も苦しき息の間最哀れにぞ見へにける有恁し程に那老婆ハ間なく時なく訪ひ慰め湯をすゝめ及粥をすゝめて終日お梅をいたはりしに毎にハ永き春の日も事繁けれバ暮安く日ハ西山に入杲て手元小暗き火燈し頃息せき駈來る一個の小厮門口よりして声高く網六どのハ居らるゝか何か仔細ハ知らねども庄屋どのからの急用じや敏々ござれ〓萬一網六どのが畄守ならバ婆さまでも大事ハなひ早く/\と言捨そこ/\にして出行を見送る老女ハ胸に釘偖ハ此家へお二個を止めし事のはや洩て荘官どの」
赤心をつくして老女阿梅をいたはる
」5」
より喚るゝか尓るにても網六が〓畄守ならバ此婆々に來よとハいよ/\心得ず基より主の網六ハ俺甥ながら幼稚より里を隔て住しゆゑ心の底を知らざれバ悪人なりとハ思はねども昨日よりして漁獵に出たる畄守こそ幸ひと思ひし事も空だのめにて今網六が居りもせバ恁る用にも立べきを居らねバ婆々が庄屋どのへ行ねバ済ぬ此場の手詰。とハいふものゝ病労れし那梅さまを只一個殘し置んも気遺はし是に就てもお道さまハ何故此様に遅ひやらかの良薬が手に入らぬか〓然ハなくて敵方の討隊に」6
途中をさへぎられ皈らんとするに術なくて恁まで手間とり給ふやらんそれも気がゝり是もまた打捨がたき庄屋の急用心ふたつを身ひとつに思ひかねつゝ躊躇しが猶豫せバかへつて疑はれんと思ひ返しつお梅にハお道の皈りの遅きゆゑ村外まで見に行くよし言ひこしらへてそこ/\に行燈に火をともしつゝ枕辺ちかく据置て庄屋が宅へと急ぎゆく迹にお梅ハ只獨り斯るべしとハ思はねど於道が皈りの遅きよりさま%\思ひめぐらせハ心がゝりハ三賢女〈お安青柳|八代をいふ〉及お竹が事お袖がこと忘れんとすれどあやにくに」胸に浮みていとゞなほ病苦のうゑに苦をまして心も細き灯火の丁子頭も憑みなく消んとしてハ又明き後ろ淋しき片明り寐られぬ耳に聞ゆなる遠寺の鐘を算なふれバ春の宵なれバ甲斐なくも早晩のほどにか小夜更てはや亥中にぞ及びける尓れどもお道ハ皈り來ず迎ひに行とて出たりし那老女さへ戻らねハいよ/\胸の易からで思ひかねたる折こそあれお梅が臥たる枕辺に誰かハ知らねど怪しき少女しよんぼりとして徨みつゝ唯さめ/\と哭居るをお梅ハ駭きかつ訝りて枕をはなれてつら/\見るにわかれし」7
日より二年越し絶へて音信を聞かざりしかのお袖にてありしかバお梅ハ再びうち驚きこれハ/\とばかりにて須臾ハ病苦をわするゝまで歓び面にあらはれたる案下お袖ハ自が名の袖もて顔をうち覆ひ言はんとしてハ幾回か口ごもりしを漸くに思ひ切りてや寄り添ひて梅さん息才でござんしたか見れバおもへバ恥かしい私が心の婬行からお前を女子であらうとハ神ならぬ身の夢にだも知らぬも道理爺さんや又母人さんが日頃から那梅太郎と和女とハ幼稚よりの総角結軈て芽出たく祝言させ此神宮屋の跡式も約束なれバ梅」太郎に譲るとまでに被仰たを偽りなりとハ毫知らで今日ハ祝言させらるゝか翌ハ女夫になることかと思ひし事も奈真与美の甲斐こそなけれ去る日に思ひかけないお前の旅立そのとき私がさま%\と悲しきまゝに恥かしい無理な戀路を言ひかけしをお前ハ思ひ切らせんと思し召てや早晩にない最も強面お言話が恨めしく又慕はしく了にハお張に欺されて女子の身にて大膽な只逢たいが一筋に養親の目を忍び盤纏の金まで取出し亡命なせし途中にてはじめて聞しお張が伎倆尓ハいへ折よく姉さんにめぐり逢しに是も」8
又薄き縁にしか忽地に私ハ深谷へまろび落霎時がほどハ息絶しを他し男に救けられまたその男に計られて既に此身を穢さるべきを命に換て其場を逃れ息あるうちに今一度お前に逢ふて是までに思ひおもふた赤心を一言なりといふたうゑ死なふと思ひ定めたる私が心のはかなさを不便と思ふて下さんせ假令お前ハ女子でも親の許容した私の良夫此身に恙なきならバ末の松山末かけて額に波の寄るまでも二合和合暮そふもの夫さへならぬ因杲さハ義理ある親の目を忍び亡命為たる身の罸とおもへバ俺身を」悔むより外にハ術もあらねども逢たい見たい戀しいと片時わするゝ間もなく火水の中に入るまでも爭で操ハ破らじとおもひつめたる心根を哀れと推して下さらバ女子のお前に面目ない最言憎い事ながらたつたひと口女房と私を言ふて下さんせ千部万部の經よりも増て成佛いたしますト言ひさして又潜然と泣をお梅ハ聞くよりも尚疑ひハ晴ねども赤心見へて哀れなるお袖が言話の痛ましさに漫に泪さしくみて慰めかねて居たりしが姑且あつて言話を正し思ふに増たお前の貞心数にも」9
足らぬ私をバ夫ほど慕ふて下さんす其実心をはじめより疑ふにてハなけれども錦の御籏を取戻し豊嶋のお家へ差あげて亡爺さんの遺言を仕杲すまでハ何所までも他に女子と思はれじと餘り大事を取過て心を知つたお前にまで態と真ハうち明ず強面別れし夫ゆへにお張が伎倆に欺されて此年月の憂苦労。コレ推量して居ますぞへ女子同士でも幼稚より親の許せし女夫中何しに他におもひませう尓ハ言へ私ハ此難病とても逃ぬ命ゆへ私が死んだ其迹でハ何れの人にも身をまかせ幾百稔の寿を」芽出たく過し其後に冥府で再びめぐりあひ二名和合くらしませうト言ふをお袖ハ听あへず其お言話ハ嬉しいが存生がたき私の命お前が然ういふお心なら冥府のことハ俟ませぬお前ハ速く本復して私の実の[女兄]さん 〈お道|をいふ〉 と倶に時節を俟給はゝ今より程も遠からずお袖と喚るゝ一賢女に不思義の場所で名告り合ひ迭みに永く[女兄]妹の因を結び給ふべし私ハ縁にし薄くしてお前に逢ふも今日限りせめて私と同名の其一賢女を末永く私と思ふて不便がり和合睦ましく身を立て倶に名を揚げ給ふ日を草葉の陰」10
から此袖が必ず覧めて居りますト言はれてお梅ハ駭くのみ尚疑ひの晴ざれバ問ひ返さんとする折しも。さと燃あがる陰火と倶にお袖が姿ハ影もなくかき消すやうにぞ失にける
第四十二回 〈紙門を隔 て 涙袖に満つ|半身を血にして息乍に絶ゆ〉
當下庖厨に人ありて。ワツト泣入る一声にお梅ハ再び駭つゝこハそも爭何と見かへる折しも出居の襖を押あけて奥の一間へ駈入るをつく%\見れバ別人ならず今朝しも良藥をもとめんとて遥けき道をいとひなく王兒村へと出行し那」お道にてありしかバお梅ハ枕かひやり退け俺にもあらで身を起し俟かねましたお道さんお前ハ私に吃せんため良藥を買ひに行れしと聞に胸まづ〓てもしも途中で敵方の討隊に出會ハなされぬかと安き心もなかりしに旡事な御顔を見るからに嬉しひにつけ亦ひとつ心にかゝるお前の形勢皈りの遅いのみならで衣に血しほの染たるハ仔細ある事でござんせう様子いかにと問ひかけられお道ハ泪呑込みて気遣ハしやんすなお梅さん私の帰りの遅れたも血しほの衣に染たるも他事に情由ある事にして敵の討隊に出會しならず」11
縡長くとも聞てたべ昨日六浦の瀬戸村でお前をはじめ四賢女が私を救はん其為に夥の敵に囲まれて痍疵を屓はぬもなかりしに別てお前ハ其疵の昨宵俄かに再発して破傷風となりし事基を糺せバ私ゆへ假令此身を損るともお前の命を助けずハト思へど此辺ハ孤村ゆゑさせる医師も居らぬよし便なきハ只是のみならで私が家に傳来し不思義の妙藥ありながら子の年月の生れにてしかも妹脊の情慾知らぬ處女の乳の下五寸を切りて其血しほにて疵口を洗へバ忽地全快すと亡爺さんの夜話に聞てハ居れどこれもまた」得安からざる竒法なり爭何やせんと躊躇しに此家の老女がいふを听けバ夛塚村に程近き王児の里に名医あり〓処より藥をもとめ來バかならず全快為給はんト言れて嬉しさ限りなく尓ハ言へお前に此事を報知なバ必ず止め給はんと竊に此家を立出て王子村まで駈着つ偖かの名医を尋ねても更に在家の知れざるのみか此永の日を空に暮して心しきりに焦燥ども更にまた詮術なくお前の容子も気にかゝれバ一旦家路に帰らんと思ひ立しに鈍ましやあられぬ徑に踏迷ひ染井の里へハ行もせで日ハ西山に入」12
杲て人顔さへも見判ぬころ日暮村へ出たるに頻りに咽の乾きしかバ何れの家にも立寄りて一椀の湯を貰はんと見かへる傍に白屋ありこれ幸ひと找み寄り門より裡をさし覗くに何かハ知らねど女の泣聲こハ折歹しと私語つゝ立去らんとするに何とやらん胸駭ぎのして止ざれバ俺とハなしに徨みて裡の容勢を覘ひしに箇様々々の事ありしと那有女太郎がお袖にせまり種々に口説てもお袖ハかたく貞操を守りいかな心に従がはねバ有女太郎ハ怒りにまかせ了に深痍に負せし事其ときお道ハ妹と知りて嗟やと斗り」
病厄いまだ半ならずして復再厄あり」13」
駈入りて讐を討んとせし程に速くも燈火を吹消して那癖者ハ逃れし事お道ハ口惜しさ限りなけれど追畄がたき事を知り苦しむ妹を抱起し心をつくしていたはりしに乳の下深く破られて又生べうもあらざれバ邂逅會し[女兄]妹の逢ふを別れとなりし事お道ハ妹の疵口より流るゝ血しほに心づき思ひまはせバお袖が年月日さへ時さへ子に当る揃ひもそろひし生れゆへ迚も逃れぬ命なら良夫と思ひ慕ふたるお梅が難義を救へよとて血しほを茶壺に受入れつゝお袖が死骸を其侭に庭の小隅へ埋めたる」14 後ろに覘ふ毒虫左四郎是も敵の片割と只一太刀に撃畄たる一伍一什の長譚りを詞短かく説示しお道ハ袂を目に當て拭ふ泪と侶倶に再び小膝を找ませて夫より私ハ一筋に妹が血しほを旡にせじと思ふ心の急がれて息吻あへず走りしゆゑ亥中の鐘の聞ゆるころ漸々此家に馳着て庖厨口より找み入り見れバ老女も居らぬゆゑお前の形勢いかゞやと奥の一間を覘ふに可隣やお袖が亡塊のお前に心ひかされてや[女兄]より先に這所へ來て悲しき限りかき口説を聞くに胸まづ塞がりて泣じとすれバあやにくに急迫來る泪」やるせなく尓ハ言へ私が声立なバ妹が夲意を失はんと心で心を取直し幾回思ひあきらめても思ひ切られぬ恩愛のやるかたもなき哀しさに袂を口へおし當て堪へ/\し溜なみだ一度にワット声立てお前をさへに駭かせし私が心のかひなさを未練と笑ふて下さんすなト言ひつゝ後方を見かへりて携へ來りし那壷をお梅が前にさし出し心を込めし妹が血しほ頓々用に立てよと言はれてお梅ハ駭きつ又悲しみつ稍しばし倶に泪にくれけるが姑且あつて形容を正し憶ひがけなき妹公の最期もみんな私ゆへ恁」15 まで赤心ある人の血しほが薬になれバとて命惜し気に這疵へ何様してその血が塗られませう存生がたき命なら此侭死んで冥府にてつもるお禮を妹公にいふを今から楽しみにするより外ハござんせぬ私が死んだ其跡で自餘の賢女と侶共に錦の御籏をたづね出し豊嶋のお家再興を何卒杲して下さりませ憑みと言ふハ是のみといふをお道ハ聞あへず〓ハ聞分なし於梅さんお前の命をたすけたさに心を尽せしかひありて不思義に手に入る妙藥を今眼前に置ながら義理を」立抜くお前の言話旡理とハさら/\思はねどお前を良夫と思ひつめ他し男に肌ふれぬ操を血しほに顕はせしお袖が苦心も空となり可惜妹に犬死をさするが夲意でござりますか此所の道理を汲わけて血しほを役に立てたべ妹に愛溺這[女兄]が願ひハ只この一義のみ。コレお梅さんたのみます何卒血しほを用立て恁までおもふ[女兄]妹が夲意を遂て下さりませト涙ながらに藻汐艸かき口説れていとゞなほ胸苦しさの弥増るお梅ハ今更推辭がたく。とハ言へみす/\那人の血しほと知りつゝこの」16 疵にそゝぎて病ひの〓りなバ他の憂ひを身の幸ちに做したりなんど世俗の誹らんもまた影護爭何やせんと身一ッに思ひかねたる折こそあれ嚮より形勢や徨听けん脊門より入來る一名の壯佼忽地声をふり立てやをれ二個のお娘達その美しひ容貌に似合ぬ膽の太やかさよ昨日ハ瀬戸にて討隊を破りその前の日ハ洲崎にて管領さまを撃んとし今日ハ此家に躱れ居て人を害せし血しほもて其身の病ひを〓さんとする重ね/\し大罪人二名侶に[手南]捕管領さまへ引て行く先づ夫よりも怪い」血しほ是から先へと手をかくるを嗟やと駭くお梅よりお道ハ件の壮佼が取んとしたる那壷を遣らじと爭そふ其はづみに壷の血しほを打かへせバ臥たるお梅か脊中より半身朱に染りつゝ叫と魂銷声と侶にそのまゝ呼吸の絶るにぞお道ハさらなり壮佼も侶に呆れて忙然と霎時躊躇居たりける畢竟お梅が生死存亡またこの壮佼ハ誰なるらん善悪いまだ詳ならず次の回を読得て知るべし
貞操婦女八賢誌第五輯巻之一」17
貞操婦女八賢誌第五輯巻之二
第四十三回 〈箭口の渡に網六旅旬を換ゆ|大井の里に船月十金を拗つ〉
前話休題單表 品革の猟師網六ハ生活のためにとて前の日人に雇れて猟船にうち乗つゝ水路遥に六浦なる埜嶋の浦に漕行しに瀬門と洲崎に昨今思ひがけなき戦ひありて騒動大かたならざれバ這凶変に駭きけん此辺ハ総て門をさして漁りなんどすべくもあらねバ縡の不便に」綱六ハ這ハ空骨を折らされしと獨り面のみふくらせても亦詮術もあらざるに舩さへ埜嶋の猟船なれバ俺ひとりにて此舩を乗還す事〓はねバいよゝ便〓を失ひしが偖止べきにあらざれバ陸路を古郷へ皈らんとせしにいさゝか思ふよしもあれバ其日ハ此地に逼畄し次の日未明に埜嶋を立て素より急ぐ路次にあらねバ弥生の下旬の遅ざくら霞込めたる野に山に越る心も長閑くて袂暖き春風に千々の若草色そへて身さへ足さへ輕々と踏ごゝろよき道芝に消てまた立陽炎のそれかあらぬか烟りふく咥煙管の莨さへ」1
旅の労れを忘れ草その戯足に日も闌て稍黄昏に近きころ品革村に遠からぬ箭口の渡の河原に来にけりそのとき船ハ這岸にあらず向ひの岸に着てあるにぞこハ折歹しと私語つゝ見かへる方に茶店あり是幸ひと找み入り簀床に腰をうち掛て須臾憩らふ其折しも我より先に此茶店のおなじ簀床に休らひし廾才に足らぬ一人の處女容貌の賤しからざる此辺わたりの者とハ見へずもし井皿兒の城中なる某どのゝ處女ならずハ鎌倉近き大家の嫁かと思ふものから伴当さへ連の人さへあらずして菅の」小笠の其上に花田絞の小包を乗せたる侭に片辺に置て物思はしき面容なりしに那網六が旅包もおなじく花田絞りにて恰袷ともによく似たるを網六ハ心もつかすかの小包と竝べ置て只かの處女の顔をのみ世に美麗とや思ひけん他目もふらずながむるうち速くも船の着しといふに網六うち駭き乗り遅れてハ大變とそこ/\にして茶代を拂ひ我旅包と思ひ違へて竝んでありし那處女の小包を稍携へて船場をさして馳行しを黄昏時の事なれバ處女も心やつかざりけん後より追ひも來らねバ網六ハなほ」2
氣もつかず軈て箭口の渡りを越へて十町ばかりも歩みしころ携へ來りし旅包をよく/\見れハこハいかにおなじ花田の風呂敷へ包みし形さへよく似たれど我旅包にあらざれバ訝かしなから推ひらき中を見るより又仰天こハ/\誰何と呆れしが忽地心におもふやう偖ハ先刻の小處女ハ顔に似合ぬ盗人にて我由断せし其間にかの小包と摺り替しか夫とも心つかずして鈍くも這所まで携へ來て今さらとつて返せバとて箇程の伎倆をする奴が何時まで那所の茶店に居るべきかの旅包ハ惜しけれどもはや日も暮て」甲夜闇を居らぬと知りつゝ箭口まで皈るハ智恵なき限りなり噫是非もなし尓にても昨日ハ野嶌へはる%\と空骨折にゆくのみか今日ハ箭口で此始末惜や包を替られし前後二日の大損ハ夜網半月引ハとてなか/\報る事でハなし然ハさりながら是もまた約束事なら術もなし此替られし小包も此辺へ損へきものならねバ左にも右にも持行てト獨り何やら点頭つゝ手速く結ぶ風呂しきをやをら脊中にうち負ひて家路をさして急ぐにそ夜もはや初更に近きころ品革村にほともなき大井の里まで」3
来し折しも思ひがけなき横徑より許多の挑灯ともし連て這方をさして來る者あり何事やらんと怪しみつゝ路の傍に徨みて俟間ほとなく近寄る人数恰袷惣て十名ばかり各手十手を携へて最いかめしき打扮なるが六十才ばかりのひとりの婆々を高手小手に〓縛つゝ先に立せて歩み來るをよく/\見るにこハいかに現在其身の伯母なれバ打駭きつゝ駈寄つて. 貴女ハ伯母公で在さぬか何咎あつて其索目ト言ひかけられて那婆々も倶に驚き顔見合せ. 尓言ふ〓ハ網六かこハよき折にト言ひ」さして互ひに側へ近寄るを左様ハならぬト夥兵等が十手を揚て推隔し其一群の中よりして一名の頭人と思しきが野袴の裾ひらか
せつゝ訛たる声をふり立てやをれ壯佼旡礼なせそ今此婆々か言話の様子偖ハ〓ハ豫て听く品革の猟師網六かつゝます禀せトいかめし氣に問はれで網六平伏のみ何か仔細ハ知らねども我名をつゝむよしのなけれバ〓く胸を推撫つゝ.諚のとふり私奴ハ品革村の猟師にて名を網六と喚るゝ者昨日野島の浦人より網引の所為に雇はれて出行く迹に殘しをき畄守を」4
預し此伯母にいかなる咎の候てト半言はせず頭人ハ怒れる眼を見開きて我其職にありながら咎なき者に索うたんや罪の次第を听たくバ此場におゐて言ひ听せん隊兵此奴を迯すなトはげしき下知に夥兵等ハ咯と応て五六名忽ち左右を捕かこめバいよ/\駭く網六ハ心も更に身にそはず唯呆れてぞ居たりける登時件の頭人ハ扇を膝に推たてつゝやをれ網六よく听ね俺ハ當所の眼代にて稲毛の陣屋に居を構へし船月与伊太度寧なり聞に此程金澤なる洲先縄手の松原にて管領さまに讐なす處女思ひの外に」
陽炎やきえてまたたつ煙艸の火 清御 」5」
手強くて了に其場ハ取迯し次の日瀬門に躱れ居しを見付出して忽地に討隊の人数を對られしに渠等ハ不思義の幻術ありて雲を起し雨を降らせて又其場をも[石欠]抜たり只その中にて二名の處女の迯遅れしを討畄しかバ其折穴栗専作がお梅お道の首と披露し洲先の原へ梟しかども寔二名が首や否や甚もつて合点ゆかず夫ゆゑにこそ此辺も穿儀厳しき折も折〓が家に昨日より怪しき處女を二名まで奥の一室に躱居置くよし听とひとしく荘官方へ〓が伯母を喚寄せて縡の実否を問糺せど尚左右と偽り」6
陳じて更にその実を吐ねバ止事を得ず〓縛て〓が家に伴なひゆき有無を言はせずかの處女を[手南]補んと思ひしにはからず〓に出會しなり然るに〓が言話の端に埜嶋の浦へ行しと言へバ〓も基より處女等に深き由[糸告]のある者にて瀬門と洲嵜の戦ひにも渠等が爲に助劍して縡の破れになりしかバ二名の處女を我家に躱居置かせしものならん仔細具に招了せよ〓毫ばかりも偽らバ苛きめ見せんと詈示せバ左右に扣し夥兵等も奈何々々と侶声に喚はりながらひらめかす十手の下より網六ハ最周章たる声ふり」たて刀〓們しばし俟給へ俺等ハ基より猟師にて他に知己もなき身ゆゑ處女に由縁ハいよ/\なし况て聞だに怖しひ戦ひとやら軍とやら鐚三文にもならぬ事に何爲に助劍いたしましやう俺等ハ昨日野島にて空骨折て皈り路畄守に處女を躱居しか左様な事ハ更に存ぜず此義ばかりバお許容をと言ふをうち聞く船月与伊太網六が顔つく%\と打視やりつゝ.コレ壮佼陳ずる赴き訝しけれど今言ふところに偽りなくバ俺が吩咐仔細あり其義をよくも整るやと言はれて網六思按におよばず何か形勢ハ」7
存ぜねど身に〓ひさへする事なら√急度否とハもふさぬか√爭か不の字を申すべき此身の疑ひ晴るやうかならず整め候はんと言ふに与伊太ハうち点頭些し言話を和らげて仔細といふハ他ならず假令〓ハ知らずとも〓が家に躱居二女廾才に足らぬ少女なれども不思義の幻術あるからハなか/\もつて侮りがたし尓ハ言へ丈の知れたる處女俺今多勢を引連れ行き前後左右を捕囲まバ[手南]捕んもかたきにあらねど萬一荒立て取迯さバ其時悔ゆとも詮術なし〓渠等に由縁なき證拠を俺に見せんとならバ」渠等二名を欺きて[手南]捕とも首討とも二ッに一ッの働きせよ此事熟く仕おふせなバ伯母が命を助くるのみか褒美ハ望みに任すべしト言はれて網六うち按しなるほど是ハ大役ながら褒美とあれバ野暮ならす昨日埜島の空骨と今日箭口での損毛を報るつもりでいたしませう尓ハ言へ多勢で補巻ても事とも思はぬ處女等が其首討て来ようとハ命を的の働きに迹の褒美ハ面白からず金が先立世の中ハ握らぬうちハ智恵も出ず只夫のみにあらずして假令眼代さまなりとて約束變替料られぬ憑もしげ」8
なき恩賞を当に命が換らるべき些し相場ハ下直とも今前金に賜はらバその勢ひにて處女等を二名が二名生捕か〓手に餘らバ首にしてかならず貴君へ御手渡しその代りにハ這伯母を縡成就する夫までハ違へぬ證拠の人質に刀〓へお預け申ませう恁てハ奈何と乞問へバ与伊太ハ听つゝうち咲て思ふに倍たる〓が大膽その氣性でハ仕損じあるまひ尓バ望に任せんと言ひつゝ懐掻きさぐり小圓十両取出してこハ是鮮少の金ながら今持合せの薄けれバ当坐の手付に遣はすなり首尾よく手柄をせし」うゑハ今此金に十倍ます褒美をかならず取らすべし上を疑ふ事かハと言ひつゝ逓与を請取て自が財布にうち収め命代りに十両とハ餘りと言へバ下直な仕事遮莫手付とあるからハ今さら否応言ひがたし夥兵衆一名貸し給へ竊かに我家へ立皈り程もあらせず吉左右をかならずお知らせ申さんと言ふに与伊太ハよろこびて一名の夥兵を擇み出しかの網六に従がはせ〓等ぬかりハあるまじけれど渠等ハ既に幻術あり惴りて捕な迯しぞと言ふを網六听あへず幻術とやら邪法とやらいかなる術のありとても欺さハ」9
輙く手柄をせん御心易く思しめせと言ひつゝ夥兵を従へて右手に提たる小包を其侭脊にうち負ひつ胸に思按ハ有明の月まだ出ぬ宵闇に俺家の方へと急ぎける
第四十四回 〈一頸乍来て眼代を暗ます|漁舟了去て意未詳ならず〉
却説船月与伊太度寧ハ網六が迹見送りていと咲し氣にうち頷き那網六が形勢を見るに顔に似合ぬ太膽不敵褒美と聞より忽地に命に換ても處女等を[手南]捕んと誓ひし言葉現在伯母を人質に預けしのみか」夥兵さへ伴ひ行しうゑからハよも仕損じハあるべからず尓ハ言へ此辺ハ野中なり渠等が吉左右俟んとてまだ春寒き夜を込めて草木と倶に立明さバ可惜此身に風邪をやひかん這所より程も遠からぬ砂水村なる村長が家にいたりて相俟べし隊兵老女を引立ずやと言ひつゝ先に立ほどに咯と応て夥兵等ハ再び老女を〓立つゝ砂水をさしてゆく道も哀や婆々ハ血の泪悲しき中にも思ふやう心得がたき網六が日比に似氣なき強慾心金にこゝろの迷ひしか夫に付ても梅さまの御身に病着なきならバ尓のみ案事ハあらね」10 ども荷て加て娘さま〈お道|をいふ〉さへ遥けき路次を王児まで薬を買に行給ひ皈りの遅きも心得ず途中に凶事ハなかりしか假令途中に何事なく俺出し迹へ皈られて今なほ俺家に在するとも病苦に悩む梅さまがおん身の枷となり給ひ那人非人の網六が伎倆の罠に掛られて可惜おん身をお二名とも失ひ給ふ事もやあらんこハ爭何せん何様せうとまよふ心ハ有や旡やの関ならなくも縲絏索解けぬ思ひを言へばえに岩間の清水夫ならで瀧なす泪拭はんとおもふ袖さへ如意ならぬ身ハ脊手の旡手蟹横に這はねど細徑を振ふ」足元踏しめつゝ砂水村なる村長が家をさしてぞいたりける尓程に船月与伊太度寧ハ件の老女を引立々々砂水の村長が家に赴きかの網六が吉左右を今か/\と俟程に二更の鐘も稍過て子の刻近くなりしかど更に網六が音信なく夜ハなほ次第に更るにぞ与伊太ハはじめて疑心を生じ偖ハ件の網六奴が手付の金をものせんと熟くも俺を欺きてかの處女等を捕へもせず剰へ足手まとひなる厄介婆々を俺等に任せ出奔せしにてあらんずらん尓もあらバあれ詮術あり先這の婆々が首討落し其後處女と網」11 六を[手南]捕んと敦圉つゝ軈て老女を引出させ刀の柄に手を懸て首を刎んとする折しも息吻あへず駈來る網六忽ち声をふり立て刀〓まづ怒りを納給へお梅が首を討とつて則ち持参仕りぬと詞急迫く演るにぞ歓ぶ与伊太駭く老女それハ/\とばかりにて須臾言話もなかりしが与伊太ハやをら抜かけし刀の鞘と侶倶に怒りをおさめて形容を正し右手に取たる丸骨の扇を笏にコレ網六〓が家に躱居し處女ハ既に二名なるをお梅とやらん一個を討畄殘る一個ハ迯せしかいかに/\と問詰られ網六阿容」たる氣色なく俺們ハ嚮に夥兵衆と倶に我家へ忍び行き裡の形勢を覘ふに果して一室に人声あり何言ふやらんと徨聞に一個ハお梅今一個ハお道と喚るゝ處女のよし然るにお梅ハ瀬戸村にて受し痍疵の再発して既に枕につきてありしが基より不敵の賊婦ゆゑ件の痍疵を兪さんためお道とやらが才覚にて奈何なる術もて取得けん最大きなる壷の中へ女の鮮血をしぼりしを携へ來つゝ疵口へ塗んとしたる恰袷の問答ほのかに聞へしかバ那夥兵衆に囁くやう這賊婦等が形容を聞に是なみ/\の」12 〔頭注〕〈此所ハ一の巻の末と|見合せてよみ給ふべし〉 處女にあらずお梅が痍疵に悩され立居も自由ならぬこそ此うゑもなき幸ひなれ件の鮮血を塗らぬうち先那壷を奪取つてお道をさきへ殺害なバお梅とやらハ首討とも[手南]拘とも手ハ入るまじ心得給へと竊やかに示合せつ下奴ハ脊門の方より找み入り管領さまの御誼ぞと言ひも終らずかの壷を先奪はんと為たりしをお道ハやらじと手を掛て互ひに爭ふ其はづみに壷の鮮血をうちかへせバ下に臥たる那お梅が脊中へざんぶと打かけられ叫と一声喚びもあへず乍ち呼吸の絶ゆるにぞ駭くお道附入る夥兵拘たと」
」13」
聲かけ後ろより弱腰丁と捕ゆるをお道ハ騒がず振りほどき襟髪とつて投出す透間を見すまし下奴が短刀抜手も見せバこそ声をもかけず[石欠]つけたる刄先狂ふてお道が肩先一寸ばかり[石欠]〓しを縡とも思はぬ強氣の僻者倶に刄を抜携て[石欠]つてかゝりし雷光稲妻その早技にあしらひかね是見そなはせ此ごとく少痍一箇所負ひながら這方も必死の俺們と夥兵左右ひとしく討て蒐りし其勢ひにおそれしか豫て伎倆し事なるか傍に燃る囲爐裏の中へ身をおどらせつゝ飛入りて形容ハ見へず」14
なりけれバ尚逃さじと夥兵衆が駈寄る囲爐裏のうちよりもさつと燃立一圓の猛火に面を焦されて叫びもあへず呼吸絶しに猛火ハなほも消やらで四辺の紙門へ燃うつり又家の棟に燃あがりて炎さかんになるものからお道が行衛ハ尚見えねバこハ口惜と思へども幻術なれバ詮術なくお梅が首を討落し一旦刀〓に此首を見せまゐらせし其上にてお道が穿儀ハ左も右も後の御下知に従はんと憤怒をしのびて立皈りぬ那御覧あれあのごとく品革村の方にあたり猛火さかんに燃あがるハ則ち俺們が白屋なりと言ひつゝ後」方を指さしつ携へ來りしお梅が首を卒とて与伊太が辺りにさし置き遥か下つて額衝つゝ腰にはさみし手拭もて額の汗をおし拭ふ其とき与伊太度寧ハ猛火を見やり又更にお梅が首を手に取つてつく%\見つゝ冷笑ひやをれ網六承はれお梅が痍疵に悩む事お道に幻術あるよしハ俺豫てより聞知れバ今言ふ詞に偽りの假令なくとも是を見よ女子の首に似たれども髻短かに切なしたる其さま少年の首に似たり察するところ〓もまたかの賊婦等が同類にて贋首をもて我を欺き術よく其場を逃れんとする」15
深き伎倆でありぬべし恁ても言解詞やあるいかに/\と問掛られ網六阿容たる氣色なくこハ諚ともおぼへませぬ那お梅こそ去る日に錦の籏を奪はん為仮に男子と姿を変名も梅太郎と喚れし由尓すれバ髻の短きとて證拠にこそなれなか/\に疑はるべき物ならず此義を賢察遊ばせと言はれて点頭船月与伊太乍ち詞を和らげて俺その事もはじめより知つてハ居れど〓が胸中さぐらん為に恁言ひしに疑ひもなき〓が回答お梅が首に相違あるまい尓ハ言へお道を討もらして這所に猶豫ハなりがたし」出口々々ハ豫より俺隊兵に守らせたれバ未遠くハ落行まじ〓兵つゞけと言ひつゝも立んとするを網六があはたゞしげに引止めお道が事ハ左も右もまづ約束の御褒美をと言ひつゝ右手をさし出すを与伊太ハ听かず首をうち掉り汝二名が首討バ約束通りに褒美も遣らんが大事のお道を捕迯し死人にひとしきお梅が首を討取しとて尓ばかりの褒美を得さする事あらんや手付の金の十両さへ分に過たる褒美ながら疑ひはれしうゑからハ是なる伯母が命を助け〓に宛へ遣はすべしと言ひつゝ婆々を」16
突遣りて濱手をさして馳行くを網六ハなほ後追ふて波打際まで慕ひ來つ再び与伊太を引とゞめ刀〓まづ須臾俟たまへ假令お道ハ捕へずとも命懸なる働きしてお梅が首を討のみか家も道具も焼拂はれ十両ばかりの金取つてハ元直にならぬ損仕事伯母が命ハ望ましからず約束どふりの御褒美をと言ふを与伊太ハ听あへず尓ばかり褒美の望ましくハお道が首を討つて來よ其ときこそハ約束の耳を揃へて金渡さん先夫までハと言ひさして取られし袖を振はらひ」夥兵引連れ馳行くを止めかねつゝ網六が忙然として見送りたる後ろへ駈來る件の老女泪に立ぬ声ふるはし此網六が人でなしお主に縁ある梅さまと豫て噂に知ながらわづかの金に目をくれてよくもお首を討しよな其返報が仕度にも身ハ縲絏の此縄目解て欲やと身をもがくを網六見つゝ冷笑ひ俺金もふけの邪广する老痴足手纏ひにならぬうちト言ひつゝ四辺を見まはして幸ひ那なる猟船へと獨り頷きかの婆々を小脇にしかと掻抱き芦間につなぎし猟船の中へ其侭投込んで纜ふつと打切りつゝ」17
舳先をとつて二三間澳の方へと突出せバ折しもさつと引浪に推流さるゝと思ふ間に烏夜にしあれバ影もなく忽地見えずなりにける迹見送りて網六ハ爲すましたりと打咲つゝ稍立去んとする折から後方に覘ふひとりの處女短刀の鐺を丁と取り引戻されて網六ハおどろきながら振りはらふ時しも海へさし登る廾日あまりの月代に互ひに顔を見合せて網六√和女ハ嚮に箭口なる渡し俟間を休らひし茶店で會し怪しひ乙女おとめ√然ういふ〓も其折に盗み心か過ちか俺大切な小包とおなじ花」田の旅包擦かへられて打駭き吐嗟とばかり夕暮の人立多き川端ゆへ了に行衛を見失ひ尋ね佗しにはからずも這処で再び藍花田包みを戻せとさし出す手先を拂ふ折こそあれ出て乍ち雲に入る影なき月に網六ハ得たりと軈て引ッぱづし迹闇まして迯行を處女ハ須臾夲意無げに迹見やりつゝ徨みぬ什麼此處女ハ何者ぞ去る日六浦の瀬戸村にて危窮の場所を〓抜て友にはなれし一賢女かの八代とぞ知られける
貞操婦女八賢誌第五輯巻之二了」18
【広告】
」(丁付なし)
そも/\此御薬ハ夲朝無類の妙方にて男女に限らず顔の艶をうるはしくして生れ變りても出来がたき程に色を白くし肌目細になる功能あり しかしながら此類の薬世間に多く白粉 洗粉 化粧水 其外油薬などを製して皆こと%\く顔の薬になるおもむきを功能書にしるしてあれどもその書付の半分も功能なし依之此御披露を御覧じても久しいものゝ弘口上など看消なし給ふべき事ならんがこれハなか/\左様に麁末なる薬にてハこれなく只一度用ひ給ふても忽ちに功能の顕れる妙薬なり一廻り用ひ給ひてハ御顔の」色自然と桜のごとくなり二廻り用ひ給はゞ如何様に荒症の肌目も羽二重絹のごとき手障りとなるのみならず○にきび○そばかす○腫物の跡○しみの類少しも跡なく治りてうるはしくなる事請合也○朝起て顔を洗ひこの玉粧香をすり込たまはゞ些も白粉を付たる様なる気色もなく只自然素皃の白くうるはしき様になれバ娘御方ハいふに不及年重し御方が用給ひても目に立ずして美くなる製法ゆゑ御疑ひなく御用ひ遊され真の美人となり給ふべし
〈髪の艶を出し|髪垢をさる〉 妙薬 初みどり 〈このくすりハ髪を洗はずに|あらひしよりもうつくしくなる|こうのう有 代三十六文〉
書物并繪入讀夲所
江戸數寄屋橋御門外弥左エ門町東側中程
文永堂 大嶋屋傳右衞門」
賣弘所
」丁付なし
貞操婦女八賢誌第五輯巻之三
第四十五回 〈迯水の郷に婬婦姦夫を誘ふ|國府の原に一兇二賊を欺く〉
東路にありといふなる迯水の迯かくれても世をすぐるかな是ハ世に知る歌かたや淡き浮丗に住かねて身を迯水の此里に浮べる富か家造りも鄙珎らしき一構槍板の庇茅の屋根庭の白砂美しく梅ハ散ても野櫻の時知り顔に八重一重二重の垣も見へ透て花の香洩るゝ」枝折戸の内や床しき爪琴ハ誰が手ずさみか憎からぬ聲さへ音さへ最妙に〓[手楽]し居る折こそあれ門辺に徨む一個の薦僧しばし聞惚居たりしが何思ひけん携へ来し尺八を稍取り直し調ぶる琴に音を副へて最面白く吹すさむ其琴といひ笛といひまだ春若き〓鳥の谷の門出て梅に啼く夫にも増せし徴〔ママ〕妙の一曲艶なる限り調しが内にハ琴の音をとめて卒手の内をまゐらせんと言ひつゝ庭下駄履鳴らし枝折戸開て立出るハ爪音よりも猶妙なる廾才ばかりの一個の弱女」1 鏡のやうに磨きたる最清らかなる塗折敷に包し手の内うち乗せて含咲ながらさし出す處女の顔を薦憎かつく%\見つゝ忽地に思ひがけなし烏羽玉さま何様して這所にと言ひかけられ那弱女ハうち駭き俺手に持し塗折敷に半面移りし薦僧の顔うちながめ又仰天然う言ふお前ハ香場うじ有女さまにてハ在さぬかと言ふに薦僧点頭つゝいかにも吾儕ハ有女太郎許させ給へと言ひつゝも四辺見まはし天蓋に両手をかけて取退れバまだ前髪の美少年夫と見るより烏羽玉ハいと嬉しげにうち咲て絶て久しき」香場ぬし先々這方へと引袖をひかれながらにうち微笑不覚なる事為給ふなお前の当所に在するにハ探き仔細のあるべきに私ハ何様やら憚りのト言ふを烏羽玉听あへず其御介意ハ入らぬこと倖ひ今日ハ主も畄守隣に遠き孤屋ハ他に人目の関もなし互ひに積る身のうゑばなし奥の一室へ頓々とゆふ暮近き花吹雪色香を込めて曳袖ハ佐野のわたりの雪ならでさすがに振も拂はれず引るゝ侭に阿容阿容と胸も〓く飛石を傳へバ萩のあらハ垣実こそ結ばね〓冬の花珎らしみ山藤の紫の色にからまれて操の松も」2 色替る庭の千種を打ながめ奥室さして往ほどに烏羽玉ハなほ咲し氣に自ら薄茶を立などせし〓待態に有女太郎ハ身さへ心も落着て侶に咲つゝ座をしむれバ烏羽玉ハやゝ身を找ませ男の顔を恥かし氣に見て見ぬ振りの袂もて赤らむ顔をうち掩ひ別れし日より丸一年かさね/\し憂事ハ言の葉草の露しげく物語らんも耻かしき此身のうゑハ先置てお前ハいかなる情由有て恁る姿ハ為給ふぞ听せ給へと問ひ寄れバうち点頭つゝ有女太郎四辺見まはし声竊ませお前に問はれて箇様」箇様と言ふも面なき此身の淫行主君の側妾と知りながら迷ふ心のやるせなく人目忍ぶの椽先に戦吹東風を恋風と思へバ首尾も宵月夜心の丈を自が名の梅に寄そへて通はせし言話の花も咲かぬ間にまだ濡やらぬ濡衣を此身に何か如月の其次の日に鎌倉なる舘の中を追ひ拂はれ詮術なさに武蔵なる浮世忍ぶの岳近き日暮といふ片里に落着ぬ身を落着て一稔あまり暮すうち義理に迫つて是非なくもお袖といへる處女を害し〓里に住居もなりかねて夫より斯る姿となり這所に一日那処に」3 二日環々て今日此里でお目にかゝるも尽せぬ御縁夫に付てもお前ハまた奈何なる訳で鎌倉を去つて此里にハ住給ふ所以こそあらめと問ひ返され烏羽玉ハ稍泪ぐむ目元を袖もて打掩ひお前の話説に就てまた思ひ出せハ去稔の春身におぼへなき濡衣にお前ハお暇私ハまた舘の中に閉居られ絶て一夜も召たまはず形勢を听けバ豫てより那意地悪の奥さまが妬み心の深きより御前と私を殿さまへある事ない事讒言して追ひ失んと為給ふよし聞に心も易からず奈何やせんと種々に獨」心を苦しめてもまた詮術もなかりしが豫て私の母さんハ稲村が崎に隱居して真間の愛嬉と呼れつゝ殿さま初め奥さまのお愛顧もまた他に増れバ先稲村が崎へ文を遣はし縡如此々々と知らせしかバ母さんもまた私ゆへいろ/\思按をめぐらしても左に右御氣色和らぎ給はず尓とて追も放されず猶も一間に籠り居て枕淋しき獨寐の夢と暮ゆく丸一年憂ことつもる其中に荷て加へて去る夜にお亀といへる一人の舞子親の敵と喚びかけて悲しや私の母さんを只一刺に刺殺し行衛も知れずなりし」4 かバ夫を落度に私まで了に舘を追ひ拂はれ行べき家もあら浪や身ハ浮草の寄辺なく乾かぬ袖に濡まさる泪の雨や古郷ハ下総の國真間の荘と知つてハ居れど年久しく絶て音信も聞ざれバ些の知己のありとても今猶彼地にありやなしや〓を知るよしハあらねども他に行べき方もなく〓此辺に長居して舘の人に出會て顔見られんも恥かしさに心細くも只獨り移れバ替る星月夜鎌倉山を後になし花を見捨て行空ハ雁ならなくも北へ向く馴ぬ旅寐に夜を明し其次の日に武藏なる國分に程も遠からぬ」
浮薄の男女ふたゝび春を得たり」5」
荒野をすぐる折こそあれ日ハ西山に入果て足元暗き黄昏どき左右に茂りし高草の動くハ風かと思ふ間にあらはれ出たる二個の僻もの私を中へ捕稠て見るさへ怖き目を見開き嬢公よ尓のみな駭きそ此頃の間の歹さハ這辺に幾日立暮しても[金悪]一文の仕事もなく美味酒さへ呑ざりしに今日ハいかなる吉日にて生辨天の影向とハ此うゑもなき二個が僥倖年ハ十九か十八か莟もあらず散もせぬ今を盛りの上婦女怪我させぬやう引かつげ.ヲゝ合点と二個して私が手を捕り足を捕り央に抱へて行んとせし後ろに覘ふ一名の武士僻者」 6
俟つたと声かけられ二個ハ駭き見かへりしが相手ハ一名と侮りけん冷笑ひつゝ行んとするを件の武士が引止め. ヤレ俟て大哥相談あり嚮から形勢を覘ふに罠にかけたる其娘子金ところがす積りならんが這方も望みの年恰好酒價で俺們にわたさずやと思ひがけなき武士の言話に呆るゝ兇賊ども顔うちながめて居たりしが流石ハ白者些とも騒がず然う知られたら詮方がねへなる程〓の推量通り大金にする此婦女酒價ぐらひで取られちやァ這方の腮が養なはれぬ此相談ハマア止サト振切る」袖をまた引とめ. コレ慾張な大哥達其方ハ金にする氣でも追隊のかゝる此處女夫とも知らずうか/\と此近辺を連歩き〓その追隊の目に掛らバ婦女を失ふのみならず品に寄つたら二個が身のうゑ危ふい事を為やうより酒價で俺に渡して呉れ是ほど口を酸くしても四の五の言やァ是非がない本手を出して斯うするハト躱し持たる早縄十手二個が目先へ突付れハさすが強氣の僻者も此一言に威をひしがれ尻こそばゆくや思ひけん私を其侭棄置て後じさりする迯仕度それと見るより武士ハ冷笑ひつゝ懐より」7
是持行けと言ひさして投出す金の一包数ハ何程かしら浪や能い引しほと兇賊ハ手速く金を受収め何処ともなく迯ゆくを迹見おくりて武士ハ私の側へ找み寄何国のお人か知らねども難義の場所と見たゆゑに口から出次第言ひまはし悪児どもを欺いて些少の金でお前の身を術よく這方へ取戻せバモウ/\怖い事ハない見れバお連もない様子殊にお前の髪風俗此辺あたりの人とハ見へす何所から何所へ行んとてまだうらわかき身ひとつにて此野中へハ来給ひしと問はるゝ言話の憑しさに」隱さバ此身の為ならじと思按をしつゝ形容を正し何國いかなる方さまやらついに一回見もせぬ私を恁まで憐みて金まで出して賜はりしお禮ハ言話に尽されず私が古郷ハ下総なる真間の荘とハ听ながら幼少時より鎌倉なる去るお舘に給仕して此年月を送りしに朋輩衆の讒言にて思ひがけなき身のお暇両親ともに世を去て他に寄辺ハあらねども古郷なれバ下総へと心ざしつゝ来る途にてかゝる難義の折も折貴公のお蔭で漸と危い場所を免かれし御恩ハいつか忘るべき猶此うゑの御慈」8
悲にハ宿ある方まで私を送り届けて下さりませと泪ながらに手を合せたのめバ武士ハうち点頭听バ听ほど痛ましい重ね/\し薄命今言はれしに相違なくバ下総とても憑もしき親族ありと言ふにハあらじ假令古郷なれバとて落つく先も定めずに行んとなさバ途中にて又もや難義のあらんも知れず〓を知りながら處女の身で一個那地へ行んハ危し俺們が家ハ武蔵なる迯水といふ片里にて當時浪人の身のうゑなれバ態と家名ハ名告ねども些ハ貯の金もあれバお前ひとりを幾百日養ひ置とも苦しからず一旦俺家へ」伴ひゆき便宜を待ちて下総へ人して送り遣はさバ是に。倍たる事ハあるまじ這義ハいかにと老實し氣に問はるゝ言話ハさし當る此身の為とおもふにぞ左にも右にも宜しくと言ふに件の侍士ハ最咲し氣に点頭つゝ其侭此家へ誘はれ一日二日と過るにぞ初めの言話に引替へて女房になれとの旡理相談それハとばかり當惑の思按も更に出バこそ恩義の枷にからまれて否といはれぬ手詰の難題又詮術もあらざれバ了に心に従ふて氣にハ染ねど是非なくも今日まで這里に暮すうち」9
薄々形勢をさぐり見るに此家のあるじハ其はじめ多塚村の知縣にて戸塚大六といふものなりしが不良ことのありしかバ鎌倉よりして討隊を對〔ママ〕られ[手南]捕れんと爲たりしを奸智に闌し大六ゆゑ速くも那地を夜走して豫て荘夫の油をしぼり貯へ置し金銀にて這所に竊かに家居を構へ恁く富貴にハ暮せども多塚村へ遠からねバ名を憚りて他に語らず尓れバこそあれ過し日に私が難義を救はんとて常に放さぬ早縄と十手を出して僻者をわづかの金にて追ひ走らせ私をさへに欺て」這里へハ伴ひ来りしなりと一伍一什の物語りに春の日ながら稍暮て自が名に喚ふ烏羽玉の甲夜の間くらき薄暗の火ともし頃にぞなりにける
第四十六回 〈毒計吹入るゝ外面美人|奸智受得たり變生女子〉
有右しほどに烏羽玉ハ四下を見つゝうち咲てこハ俺ながら鈍ましくも余り咄しに実が入りて暗くなつたもうち忘れ燈をともさぬのみならず夕饌をさへまゐらせねバ嘸物欲く在すべし今日ハ折よく主も在宿ず下女も下男も出拂ふ」10 たれバ其所等に介意ハあらねども庖厨働きするものあらねバ御款待のみ心に任せず奈何やせんと言ひつゝも立を引止め有女太郎ハ含笑ながら烏羽玉さま思ひがけなき御目見に積り/\しお話説を听くだに此身のさいはひにて日頃の憂を晴せしにおん款待に及んや主の皈りのなきうちに卒お暇と身を起すを烏羽玉急におし禁め最恨めし氣にうち見やりそハ情なし有女太郎さま別れし日より丸一年小鹿の角の束の間も忘れぬお前に今日這里でお目に掛るハ優曇華の春待得たる心地」して歓んで居るものを此侭別れて行んとハ人の意中も汲知らぬ最も強顔きそのお言話心づよきハ良君の常とハ豫て知りながらお前と私ハ過世より深き縁しのあれバにや互ひに思ひおもはれて誘ふ嵐に吹なびく柳の糸の早晩よりか乱れ染にし胸と胸逢ふ夜もなくて疑はれはかなき別れ駭河なる富士の高根に置雪の積る思ひハ解やらで音にこそ啼ね夏虫の獨りこがるゝ胸の火を御前ハ猶も余所々々しく他人がましいお詞が私ハ口惜い恨めしいと思ひの丈をかき口説き身を背けつゝ傍なる行燈」11 手速く取出しうつす附木の灯火に有女太郎ハつく%\と烏羽玉の顔うちながめ其お怨みハ尓事ながら私とても御前ゆへ舘の御氣色そこなふてお暇うけし程なれバ命に換ても今一度お前に逢ふて是までに思ひつめたる赤心を知らせんものと神々へ誓ひし甲斐に今日這所でお目にかゝりし嬉しさハ飛たつやうに思へども最前からの御話説に恩にからまれ是非なくも大六どのにしたがひしと被仰からハ良夫のある御身と知りつゝ放心々々と這所に長居をするうちに〓も主の皈られなバ私ばかりかお前」まで又疑ひを身にうけて爭何なる難義のあらんも知れず強面言ひしハ只是のみかならず恨んで下されな斯う言ふうちも心急迫こゝ放してと振り拂ふ袖をとらへて烏羽玉が須臾思按の体なりしが何思ひけん打点頭なるほどお前の被仰とふり主が皈らバ互ひの身のうゑとハ言へ折角回會此侭本意なく別れてハ是までおもひ思はれた憂年月の甲斐もなし假令不義でも邪淫でも戀ハ思按の他とやらお前の心ハ知らねども逢はるゝ思按ハ. コレ斯うと耳に口寄せ囁けバ始終を聞て有女」12 太郎ハ欣然としてうち含笑今にはじめぬ智惠才覚お前のおしへにしたがふて日ならず此家へ入り込んで積るおもひハ其折にかならず俟つて在せよと言ひつゝやをら身を起すを烏羽玉見つゝ嬉し氣に侶に笑つゝ見送れバ余波惜さも弥増る有女太郎ハなほ去りかぬる心をひとり取り直し思ひも深き編笠に顔を隠しつ枝折戸を以前来し方へぞ出行ける
鳴呼這二個が浮薄の本心形容の艶はしきに似ても似つかぬ邪智奸才伎倆し事のその圖に当り」一旦本意を遂るとも豈天罸を被らざらんや是にて思へバ世の中に形容の美なるをのみ真の美人といふべからず假令容貌ハ醜くとも悪き心の一毫なくハ美男ともまた美女とも言はれん况て心と容色と双方ともに美しくバ夫こそ真の美人なるべし今本傳に出るところの八賢女ハみな此の如し看官烏羽玉有女太郎と八賢女子の美悪をバ心にふかく読判て身を謹むの一助ともなさバ作者の夲意此うゑやあるべき」13
閑話休題爰にまた戸塚大六ハ嚮に多塚村を夜迯して同國入間郡迯水の里に居を構へしに思ひがけずも烏羽玉が難義の場所を救ひつゝ俺家に伴ひ来りしより渠が色香に心迷ひ推て夫婦となりしかバ基より烏滸の白痴ゆへ只淫酒にのみ春の日もなほ短しと思ふにぞ弥生も夢と暮ゆきて垣の夘の花雪と散る夘月旬になりしかバ自由にぞ聞く郭公酒屋へ三里豆腐屋へ二里こそなけれ片里の鄙にハあれど大六ハ身に貯金の多けれバ目に青葉見るのみならで初松魚さへ口に入る不義の」
狐粧の艶色大六をくらます」14」
富貴に楽しみを極むる中に此ほどよりかの烏羽玉が其外にまたもや一個の處女を得しに渠ハ糸竹の道にかしこく舞の手さへも怯からねバいよ/\興をぞ倍にける什麼此處女ハ何故に大六が家に養はるゝや是が仔細を索ぬるに頃も肆月の初旬花の衣を脱更て袂凉しきはつ袷南向の小二階に今日掛そめし青[〓戸]の裡にハ主の大六が例の烏羽玉侶倶に獻つ酬れつ置酒の折しも門の枝折扉をあはたゞしげに推開て息吻あへず駈込む未通女泪の聲をふり立て私ハ旅の者なるが今悪漢に」15
出會しを漸々その場を迯延て此所までまゐつた者何卒お慈悲と思し召しおたすけなされて下さりませと言を打听く下女奴婢いと仰々しく立騒ぎ主に恁と報知にぞ大六ハ二階より先かの處女の形勢を見るに年ハ破瓜を多くも超ず容貌の艶はしさハ俺慾目で見る烏羽玉に倍とハすれど劣らねバ色に目のなき大六ハ心中竊かによろこびつゝ軈て二階へ喚び登せ仔細誰何と問糺せバ件の未通女ハ恥かし氣に先大六と烏羽玉に一礼なしつゝ偖いふやう私が古郷ハ下総なる」真間と呼るゝ田舎にて爺さんの世にありし日ハ真間一郷を支配して家名も手古奈の三郎とて人に知られし郷士なりしが身に過ちのあるにより私が丁度五才のとき管領さまの御下知にて家も邸も召上られ私ハ乳母のたすけにて義理ある一個の母さんと異母の姉さんに別れて武蔵へ伴なはれ親子の縁も最薄き墨田川原に程近き高屋の里に落着い憂年月を送るにも只戀しひハ母と姉何国に忍びて在するかと思ひ出さぬ日とてもなく泣てばつかり暮せしに程經て風〔か〕かに」16
形勢を聞けバ母さんもまた姉さんも管領さまへ身を倚せて今ハ鎌倉に在するよし只夫のみにあらずして母さんハ名を愛嬉とあらため稲村が崎に屋敷さへ賜はるのみか姉さんハ定正さまの愛妾となり名も烏羽玉と時めくよし听くに嬉しく懐かしく飛立やうにおもへども田舎育ちの悲しさハ賎の手業の其他に知らぬ此身を阿容々々と妹と名告て鎌倉へ行かバ互ひの恥ならんと思ふ心を乳母にも語り夫より左辺右辺聞合せ師匠になるべき人をたのみ糸竹の道読書まで怯きまゝに習ひ」得しかバ左にも右にも這春ハ絶て久しき母さんや及姉さんに名告會俺身のうゑをも憑まんと楽しむ甲斐も情なや去稔の冬より乳母が大病他に親族とてもなく私がたつた手ひとつで心をつくす看病も其詮なくて春もやゝ弥生旬の花と散る八十八夜夫ならで乳母ハ此世を別れ霜倶に消たき此身をバ心で心を取り直し夫より乳母が死骸を烟りとなして薪樵る鎌倉へとて心ざし遥けき路次を只獨り索ね行しに那所にも思ひがけなき大變ありて母さんハ人手にかゝり迹へ残つた姉さん」17
さへ身の御暇を賜はりて今ハ行衛も知れざるよし听に胸まづふたがりて乾かぬ袖に又濡るゝ涙の絶間亡人の迹弔はん力もなく只姉さんに回會便りとなつて貰んと思ふ心の一筋に鎌倉の地を立出て索ぬる当ハあらねども古郷なれバ下総へ〓行給ふ事もやとはかなき事を憑みにて東をさして辿るにぞ習はぬ途に躇迷ひ下総へとてハ行ずして名も听知らぬ此里へ迷ひ/\て来し程に思ひがけなく悪漢に出會て難義に及びしを漸々として迯延びつゝ爰のお家を見るよりも嬉しきまゝに後前の思按も」なくて駈込みしを其侭追ひも放されず御二階へまで喚あげられ斯く念頃なお言話に親身に會た心地して心に思ふ秘事までついうか/\と口ばしる身のうゑ話しの最長きを傍痛くや思すらんお許容なされて下さりませと言ふに駭く大六より傍聞せし烏羽玉ハ找む小膝と侶倶に〓く胸を推しづめ偖ハ〓ハ別れしより絶て信を聞ざりし妹のお有女でありしよなと言はれて處女ハ又駭き呆るゝまでに烏羽玉が顔うちながめて居たりける
貞操婦女八賢誌第五輯巻之三了」18
【下帙表紙】 三冊同一意匠
【序】
貞操婦女八賢誌五輯下帙叙
虚談に 邪説 暴行 なきを浮圖家は善巧方便といひ荘子ハ名づけて寓言といふ稗史小説又しかり予が這 婦女八賢誌 は夫まで 至及 ばねども看ハ看ざるに優よしあれば」童蒙一たび 繙 きて或ハ木登印地打の悪遊戯に易んにハ作者の本意 此上 あらじ始め余が翁這書を綴りて諸君の 愛翫 を得る事年あり 僕故翁の業を受て編を次事また年あり遮莫 玉石 おなじからねバ其巧拙を爭」口ノ1 何せん 這ハ言でもの事ながらこの編既に刻成て書肆また端書なきを責む因て是等の數言をしるす看官鳴呼と咲はざらめや
干時弘化五戊申歳春如月
東都 柳北軒 爲永春水 印」口ノ2オ
【口絵第一図】
烈婦八代 岩鞍典物」口ノ2ウ 岩鞍泡之助」口ノ3オ
【口絵第二図】
礼節の處女於由 毒婦烏羽玉」口ノ3ウ
貞操婦女八賢誌第五輯巻之四
第四十七回 〈玉兎雲を洩て大六酔を尽す|山猫草を出て一夫谷に轉ぶ〉
當下處女ハ烏羽玉に妹お有女と呼びかけられ打駭きしか呆れしか只烏羽玉が顔をのみ須臾見つめて居たりしか何思ひけん懐より守袋を取り出し私を妹と被仰を疑ふにてハあらねども別れしときハ私ハ五才互ひに顔も見おぼへぬを照据もなくて姉妹の名告をなさハ」何とやら心に凝ひなきにもあらず真お前が姉さんなら是見おぼへてごさんすかと言ひつゝさし出す守袋を手にだも取らす烏羽玉が完尓と咲つゝ小膝を找めそれこそ覚の漢錦中にハ〓が誕生せし年月日時を爺さんの自筆で書てあらふがのと言はれて歓ぶ件のお有女偖ハお前が姉さんかお懐しやと身を寄せて取つく膝へ烏羽玉ハお有女を引寄せ侶倶に袂を顔におし當て嬉し泪に稍須臾言話もなくて泣しづむを道理と見てや大六は二婦をいたはり慰めつゝ夫よりお有女を俺家に止め烏羽玉と」1 侶倶に何不足なく暮させしにお有女ハ其性怜悧のみか容貌さへ艶しく只夫のみにあらずして糸竹の道舞の手まで怯からねバ大六はこハよき者を得たりとて夜となく日となく酒酌かはし諷はせもしつ舞はせもしつひたすら興を催すにも尚色好みの癖ハ止まで人なき折を見合せてハお有女をとらへて種々に言話巧みに言ひ寄れどもお有女ハ奈何なる心にや姉に對して済ずとて只よきほどに言ひなして更に心にしたかはねど口先ばかりハ大六が氣に入るやうにもてなすにぞ其情欲ハ果さね」ども尓とてお有女を疎みもせず氣ながく言はゞ其中にハ何時か心にしたがはんと時節を俟つて大六ハなほも心を通はせける却説日数を經るほどに肆月も暮れて五月雨の降み降らずみ晴間なき或夜ひそかに宵月の松が枝洩りてさす影の景色に愛て大六ハ例のお有女と烏羽玉を右と左りに侍らせつ眺むる庭の夏草に露かとばかり初螢影最清き泉水もかの迯水を取り込みし其水上ハ何所とも岩根松が根流れ來て這所に景色を造庭花こそなけれ若葉せし樹々の梢も一入と興に乗して」2 大六ハしきりにすゝむ觴を侶に薦むる烏羽玉お有女弥興を添んとて烏羽玉ハかの筑紫琴を爪音高く〓[手楽]せバお有女ハ近頃世にもてはやす三弦をさへ取いたしおぼへし侭に弾鳴らす何れ劣らぬ妙手と妙手浮し立られ大六ハ心も更に身に添はず訛たる声を張あげて調子も合はぬ雑唄を諷ひつ舞ひつ又飲みつ盃の数重なれバ泥のごとくに酔潰れ竟に席にも絶かねて傍にありし烏羽玉の膝を枕にうち臥つゝ果ハ鼾となりにける四辺見まはし烏羽玉ハお有女と顔を見合せて倶に完尓と」打咲〔み〕つゝ計りしごとく有女太郎さまはや大六めハ死人も同然此間に速く片付てと言ふをお有女がおし止めお声が高い烏羽玉さま四下にお氣をト言ひかけて豫て准備の麻索を懐よりして取り出し前後もしらず酔臥たるかの大六が細首を二筋三筋引まはし力を究めてしむるにぞ駭き騒ぐ大六が叫と一声立んとせし口へ袂を烏羽玉がしつ゜かと当て推つくれバ旡慙やな大六ハ苦しき声を立も得ず霎時手足を動かせしが忽地呼吸ハ絶にけり二個ハよく/\見すまして吻とついたる溜息も余所を憚る口の中其」3 時お有女ハ言話をひそめ豫てお前のおしへゆゑ女子姿と身をやつし名さへお有女と呼更てお前の妹と偽りつゝ去の月から此家に養はれてハ居るものゝ這大六が居るゆゑに稀に會夜も介慮がち夫からふいと悪心の出しもみんなお前が可愛さとハ言へ這奴を殺してハ此処に長居もなりがたしお前ハ家裡を掻さがし貯へ置ける金銀を咸残りなく取あつめ財布へ入れて持たまへ夫を盤纏に這家を立去り何れの里にも身を忍び夫婦和合よく暮しませう私ハ其間に這奴が死骸日外からして見て置た納戸の」中の古葛籠へ入れて此侭泉水へ水葬するもせめての追善他目にかゝらぬ其うちに速く/\と促せバ.アイ合点でござんすと言ふもいそ/\烏羽玉ハ奥の一室へ忍びゆき勝手知つたる金筥より取り出す金の幾包み二ッの財布へおさめつゝ以前の一室へ立戻れバ夫より先に有女太郎ハ納戸の葛篭を取り出しかの大六が死骸を手速く入れて泉水へ四下見まはし突流せバ名に聞へたる迯水の早瀬の水に押流され浮つ沈みつ川下へ見る間に見へずなりにける其事果て有女太郎ハ烏羽玉と侶倶に身繕ひ」4 さへそこ/\に二ッの財布を一ッづゝ二個が身につけ庭口より立去らんとする時ハしも子の刻過の事なれバ下女も下男も寐しづみて知る者絶てなきのみか月さへ雲に入間なる世を迯水の此里を迹くらましてぞ走り行く恁て二個ハ大六を思ふが侭に欺きて殺せしのみか貯への金さへ落なく取出したれバ盤纏に不足ハあらねども〓も追隊の蒐らんかと後ろ見らるゝ落人の太き心も細りゆく夏野が原の糸芒風にも胸の〓くにぞしきりに道を急ぎつゝさして行べき当ハなけれど一旦此地を遠ざかり」
夕すゞみある夜男になりにけり」5」
何れの里にも落着て其後事を料らんと夜を日についで行ほどに幾日もあらで秩父なる岩鞍山へぞ來りけるこの山ハ武州第一の高山にして峰ハ波濤を連ねしごとく山又山に最深く見おろす溪の岩清水千尋の底に听へつゝ岨の松風吹交て谺に響く猴の声腸を断つばかりなる馴ぬ山路に只二個友呼子鳥夫ならで覚束なくも辿るにぞ励まされゆく烏羽玉も〓まして來る有女太郎も身さへ足さへ労れしかバ須臾憩ひ往んとて片辺にありあふ松の根に二個ひとしく腰うち掛け膝なでさする烏」6
羽玉が顔さし覗き有女太郎ハ慰めかねつゝうち含咲み豫て覚期のうゑながら斯る山路に行なやみお足ハ痛みハ為ませぬか尓ハれ這所まで迯延てハ最早追隊の気遣ひなし這山ひとつ越行かバ里ある方へ出ませう今宵ハ〓里に宿借りて枕を高く休らはんお心強く思し召と言はれて歓ぶ烏羽玉ハ最咲し氣にうち点頭假令野に臥山に寐て草を枕に倣すとても二個同処に居るならバ是に倍たる嬉しさハ又あるべくも思はぬを恁まで私をいたはりて慰め給ふ其お言話有がたすぎて勿体ない私ハ」左もあれ右もあれお前ハついに着も馴ぬ女衣裳の其儘で遥けき途に日をかさね嘸や御心地歹からんとハ言へお前のそのお粧装男子と知つた私でさへ実の女子と思ふもの那大六が欺されて私の妹とおもふたもホンニ無理でハござんせぬと言ひつゝ含々とうち笑へバ侶に咲つゝ有女太郎も才に憂苦をわすれ草准備の火打取り出して吸付莨も憚りの関に人目のあらざれバ互ひにつゝむ身のうゑの秘事をさへ言ひ出て霎時譚合折りこそあれ傍に茂りし夏草を右と左におし分つゝあらわれ」7
出たる怪しき獸惣身すべて毛を生じ眼ハ星を照すがごとく口ハ耳の根まで裂あがり赤き舌さへ吐出せるその形容山猫ともいふべきが二個の後ろへ這ひ寄つてかの烏羽玉を掻〓み去らんとするに駭きて吐嗟と叫ぶ烏羽玉より有女太郎ハ驚天して変化の形勢をよくも見ず躱し携たる懐劔を抜より速く[石欠]てかゝるを件の變化ハ事ともせず左辺右辺しばし遣り違へ躍り蒐つて有女太郎が襟髪〓んで投出せバ幾十尋なる谷底へ轉び落つゝ其侭に生死も判ずなりにけり夫と見るより烏羽玉ハ」更に生たる心地せず其怖しさと悲しさに身さへふるへて動かぬを那山猫ハうち見やりて徐々側へ找み寄り處女よ尓のみな駭きぞ俺ハ素より変化にあらず先正躰を見せんとて身に纏ひたる獣の皮と冠りし面を取退れバ山猫ならんと思ひのほか年齢五十才ばかりにて容貌さへ怖氣なる大の男でありしかバ烏羽玉ハまた驚きてこハ什麼いかにと思ふにぞ胸うち騒くばかりにてまた詮術もあらざりしを件の男ハ慰めて含咲みながら復言ふやう俺が恁く異なる打扮を嘸や怪しく思はれんが素より俺ハ盗賊」8
ならず這山の麓なる岩鞍村の郷士にて岩鞍典物と喚れたる釼術指南を做す者なるが竊かに思ふよしあれバ世の豪傑に回會自方になさんと思ふにぞ斯る怪しき形勢を做し往來の客を駭かしその強弱を試さんと日毎夜毎に這辺りに躱れて人を俟つほどに俺が俟人にハ出會ず今日はからずもおん身們がこの松陰に憩らふて身のうゑ話しを徨聞しにおん身ハ真の處女にて今一個なるハ處女にあらず物の言ひざま何とやらおん身と情由ある様子にて人を害して立退しと仔細ハ」知らねど言話の端々顔に似合ぬ大膽不敵かの少年こそ僻者ならめ其強弱を試せしうゑ品に寄つたら自方となし一大事をも明さんと思ふに甲斐なき那奴が柔弱たゞ一投に谷底へ投落されしハ那奴が不運其身の微力を悔まバ悔め我に恨ハあるべからずおん身ハ渠が渾家にハあらじ那奴が事ハ思ひ絶今より俺に身をまかせ側妾となる気ハあらざるか然うなる時ハ栄花ハ仕次第〓我が言話を聞入れず不の字を言はゞ是非がない那少年を手夲にしておん身も深谷へ真逆さま斯ても否かまた応か回」9
答を聞かんと言ひつゝも年齢に似氣なき典物が言話の端こそ巧みなれ
第四十八回 〈岩鞍山に典物一妾を得たり|梺の里に烏羽玉旧夫に會ふ〉
再説烏羽玉ハ思ひがけなき典物が言話に又も胸潰れ怖さ悲しさ取り交て須臾回答もならざりしが意の中に憶ふやう那有女さまとハ鎌倉の舘にありし其日より互ひに思ひおもはれし念が通つて昨今女夫となりし甲斐もなく現在良人を谷底へ投殺されつ其讎を」今目の前に措ながら女子心の甲斐なさハ撃事〓はぬのみならず側妾になれとてなられんや此身ハ深谷へ投落され良夫と倶に死ねバとて爭でこの身を穢さるべき然うじや/\と胸に問ひ胸に応へて一回ハ覚期をせしがイヤ/\/\假令今更死ねバとて冥府で良夫に會るゝやら又會れぬやら知れもせぬ未来の事を当にして可惜命を捨たりとて誰が此身を貞女と誉ん敵なりとて讎なりとて此身をさへに任しなバ命愛度存世て楽しき事もまたあるべし命あつての」10 物種と世の諺にも言ふものを死なふと思ひせまりしハ俺身ながらも野暮なりし然うじや/\と身勝手な道理を立る浮薄の夲性忽地完尓とうち咲みて回答遅しと俟かけたるかの典物に打むかひ思ひがけない貴君のお言話たらはぬ私を尓ほどまで不便と思ふて下さんす其お心が變らずハ側妾ハおろか水仕女でも此身に厭ひハござりませぬ私が古郷ハ鎌倉にて人に知られし市客の獨處女にて侍りしを今谷底へ投落されし那少年に哄誘され親をも家も打捨て」鎌倉の地を欠落し武蔵の國府に落着しに那少年ハ顔に似氣なく心よからぬ人なりしを最初ハ知らで馴染しが武蔵へ来りし其日より那処ハ繁花の里なるゆゑ深き伎倆を思ひつき女子形容に身を變て夥の人を欺きつゝ多くの金を奪ひ取りしにその事了に顕れて縡むづかしくなりしかバ竊かに相手を刺殺し亦那地をも夜迯にして今日此山まで落延びし重々し悪行に私ハ敏から愛相が尽〓此侭にて連添はゞ後にハ此身も何様な憂目に會んも料られねバ縁を切らんと思へ」11 ども家出せし身ハ今更に鎌倉へとても皈られず他に寄る辺もなき侭に悪人なりと知りながら阿容々々として伴なはれ歎されし身の愚さを最口惜く思ひしに料らず貴君の手を借りて那悪人を失ひしハ疫病の神を拂ふたる心地せられて嬉しきに尚這身さへ棄られぬ御情深きお言話ハ地獄で會し御佛にも倍て尊とく歓ばしき其報ひにハ此身をバ粉に做すとても厭はしからず只這うゑハ左も右もおん身の隨意這身をバ能に料らひ給はれと口に信せて自他と言話巧みに言ひくろめ」身の非を飾る誑りも真しやかに聞ゆるにぞ那典物ハ疑はず屡咲みつゝうち点頭偖ハおん身ハ鎌倉より悪少年に欺かれ這辺へさまよひ来りしか尓ハ言へ今より俺に身を寄せ側妾とならバおん身の果報今の歎きに引換て了に栄花の身となるべし何ハ兎もあれ這所ハ山中言ふべき事も聞く事も俺家に往て徐りとせん卒とばかりに身を起し豫ての相圖と思しくて呼子の笛を吹立れバ四下に茂りし夏草を那方這方と押分て現はれ出たる強漢子甲乙惣て五六名。先生首」12 尾ハと言ひながら右と左に立竝ぶを典物見つゝ打笑て尓せる得物ハあらねども是見よ恁る美はしき雌鳥ひとつを手に入れたり今宵ハ渠を肴にして夜と倶に置酒せん汝等山路に氣をつけて大事の處女に怪我させなと言ひつゝ先に立ほどに五六名の漢子等ハ嚮に典物が脱棄し面と皮とを拾ひ取り肩に掛つゝ烏羽玉をいたはりつ又慰めつ家路をさしてぞ急ぎける却説烏羽玉ハ心に快からねども岩鞍典物が側妾となりしに素より奸智の白者ゆゑ典物が氣を速くも」
移り香のわる腥し猫の戀」13」
知りて痒き所へ届く手の表面ばかりハ真心に朝夕身辺を去ることなく媚を重にぞ仕ゆる程に年に似気なき典物ハ渠が色香に迷ひてや日夜に寵愛弥増て二なき者とぞ思ひける尓程に烏羽玉ハ或日湯浴を做んとて一名の侍女を伴なひつゝ此ほど新に造作し風呂場にいたりて衣脱すて湯を浴垢を流す折しも風呂焚漢子と思しきが湯口よりして顔さし出しお湯の加減ハ奈何ぞや冷くバ焚ん熱くバまた水さしてまゐらせんと言ふ声聞て烏羽玉ハ何者やらんと視かへる」 14
とき互ひに顔を見合すれバ是則別人ならず嚮に武蔵の迯水にて締殺しつゝ早川へ葛籠に入れて押流せし那大六にてありしかバ流石浮薄の烏羽玉も吐嗟とばかりうち駭ぐ心と侶に顔色の變るを見せじと手拭におし躱しても躱されぬ身ハ居風呂の湯氣ならで消も失たく思ふのみ又詮術もあらざれバ伴ひ来りし侍女にハ心地歹しと偽りつゝそこ/\にして風呂よりあがり頓て母屋にいたりしが那大六が事氣にかゝれバ左に右胸の安からず尓ハ」言へ渠ハ去る日に殺して川へ流せしかバ生て這辺に居るべきやうなしこハ俺が心の迷ひにて渠が形容の目に見えしか。イヤ尓もあらバ大六が以前の粧装であるべきに衣装風俗も零落て下奴に齋しき様子と言ひ此家の風呂を焚居る事いよ/\もつて合点ゆかず問バ仔細の具ならんと其夜主の典物が臥房に入りし折を覘ひ話説の次に烏羽玉ハ詞巧みに扨言ふやう最前貴君のお言話にハ這回新たに造作し那居風呂に入りて見よと諚に私ハ取あへず侍女ひとりを伴なふて湯殿にいたりて」15
浴せしに風呂焚く漢子と思しきが私が形容を見ん爲にや湯口より顔さし出し這方を折々覗しかバ何とやらん心地よからずそこ/\にして揚りしが渠ハ素より狂氣人かまたハ色好みの漢子にや誰何なる者ぞと問かくれバ典物聞つゝうち咲ひ渠ハ完狂人ならず色を好むか好まぬかハ我等もいまだ知らねども那者の事に就てハ又一条の珎説あり慝みて益なき事なれバ縡の仔細を言ひ聞かせん日外おん身に出會ひし其前の日の夜明ごろいさゝか所用あるにより」岩鞍峠をうち越て武蔵野の原を通りしとき片辺に流るゝ早川の岸に茂りし芦の根に流れかゝりし葛籠あり中にハ何やら知らねども何様か重氣に見ゆるにぞ伴當等に吩咐て引揚させて開き見るに麻索をもて首を締たる男の死骸でありしかバよしなき事を爲てけりと腹立しさに打棄て往んとせしを伴當が空骨折りしを口惜がりせめて這奴が着物を脱せ帯侶倶に市に賣らバ骨折代にハ足らずとも酒手位の直うちハあらん須臾其所にてお俟あれと言つゝ件の」16
伴當ハ死骸の側へ找み寄り帯も着物も脱せしうへ首に纏ひし麻索も葛籠と侶に奮取りて赤裸にせし死骸をバ再び川へ流さんと足を飛して腋腹を蹴かへす足先自から活の法にや協ひけん件の男ハ蹴られし侭叫と一声喚びしが忽地蘇生つゝ四下見まはし忙然と狐の放れし唖房のごとく迯も得去らず徨みしを是ハと駭く伴當より俺們ハ胆の潰るゝまで侶に呆れて居たりしが肚裏に思ふやう俺伴當の慾にふけり些の餞をもとめんとて料らず這奴を生せしかバ」俺さへ倶に疑はれて後の禍ひなしとも言はれず左にも右にも那男を生て置てハ寐覚よからず殺すに如じと思ふにぞ刀抜く手も最早く覚期をせよと喚びかけて[石欠]つて蒐るを左辺右辺と身をかはしつゝ那男ハ周章し声をふり立て刀〓まづ須臾俟給へ下奴得がたき命をバ君の御蔭に助かりし深き御恩も有ものを假令裸にせらるゝとも爭かお恨みもふすべき願ふハ今より君にしたがひ今日の御恩を報はんためお草履なりとも抓みたし這義を御許容あそばして忿りと倶にお刀も」17
お納めなされて下さりませやよ喃々と言ひつゝも刄の下に手を合せ喞がましく勸解にぞ流石に刄も当かねて其儘俺家に伴なひつゝ這回新たに造作し風呂焚役をバ吩咐たりと一伍一什を譚るを聞て駭く烏羽玉ハ胸安からず思ひける噫烏羽玉が一世の浮沈死せしと思ひし大六に料らず面を會せたる其後甚麼なる事やある〓ハまた次の巻に解分るを看て知らん
貞操女八賢誌第五輯巻之四終」18オ
貞操婦女八賢誌五輯巻之五
第四十九回 〈一浮一沈小人時有り|白刄舌刀何方最強き〉
自前説巳前戸塚大六は有女太郎等に締殺され葛籠に入れて庭先なる彼迯水へ押流されしに名に聞へたる早瀬ゆゑ矢をつくごとく幾十町かながれ/\て行くほどに其夜も既に明る頃稍秩父根に程近き野末の小川にいたりしとき岸辺に高く生茂りし芦に葛籠を堰畄られ」流れもやらでありしとき岩鞍典物に見出され不思義に蘇生ハ為たりしかど身ハ赤裸になるのみか典物ハなほ生置じと刄を抜て[石欠]つて蒐りし勢ひ逃るゝ道なきをも奸智に闌し大六ゆゑ渠が奴僕にならんとまで詞を巧みに勸解しかバ典物了に忿りをおさめ岩鞍の里へ伴ひつゝ風呂焚く役をぞ吩咐ける偖是までハ前巻に編次だる事ながら再び這所に説出せしハ大六が事を綴らんとする其端話に引たるなり有如しほどに大六は典物が家に畄められ風呂焚漢子となりし事心に快からねども今更」1 這家を逃れ去り迯水の里へいたりしとて俺を殺せし賊婦等が何時までうか/\那所にあらん家も家財も售代なし貯へ置し金もろとも奪ひ去りつゝ今ハはや行衛も知れずなりつらん〓を知りながら一錢の貯へもなき身ひとつで何國をさして行るべき須臾此家に養れ折を見合せ典物が貯へ置る金銀を竊かに物して走りなバ夫を盤纏に賊婦等が行衛を尋ねて恨みを報はん尓るにても處女們が顔に似気なく大膽なる我その色香に心惑ひ欺されしこそ口惜けれと思ひ不楽ても後悔の」先に立よしあらざれバ日毎に風呂場を守りつゝ一両日と暮せしに或日一個の侍女があはたゞしげに走り来て大六に打對ひお湯の加減がよいならバお妾さまが浴との事心を付て焚給へと言ふに大六うち点頭お湯の加減ハ今が極上敏々浴させ給ふべしと言ふを後ろに聞捨てかの侍女ハ走行く迹見送りて大六は其辺片寄せ衝と立つて湯口の開扉おし明つゝ焚場の方へといたりしが色好みする僻なれバ肚裏に思ふやうお妾さまと仰々しく言ふハ奈何なる女なるべし顔見て呉んと獨り頷き壁を隔て」2 俟ほどに軈て入來る一個の處女伴なひ來りし侍女に居風呂の蓋取り退けさせ速浴する様 子ゆへ是なるべしと思ふにぞ風呂の加減に事寄せて湯口よりして覗くとておもはず顔を見合せしに日外俺を締殺せし那烏羽玉にてありしかバ愕然として駭き怒りおのれ賊婦め恨みの一念喰ひ殺しても呉んずと惴る心を押しづめまたつく%\と思ひ見るに我一旦の忿りに任せ假令這奴を殺すとも奪ひ去られし金銀を取り返ざるのみならず品によつたら典物が多勢をもつて取囲み此身に」あやまちなしとも言はれず須臾怒りを堪忍び折を覘ひ烏羽玉をひそかに殺して恨みを晴さん.とハ言へ現在俺妻を他の側妾とされたるのみか渠が入る湯を阿容々々と焚くとハ何の面目ぞとおもへバ妬く腹立しく左してやよけん右やせんと思按に胸の塞がりて霎時躊躇そのうちに烏羽玉速く其機を知りけんそこ/\にして風呂よりあがり母屋をさしていたりしかバ忽地望みを失なひしが尓るにても烏羽玉ハ何ゆゑ此家に養はれ側女とまでハなりつらん那侍女を欺て」3 聞かバ仔細具〔さ〕に紛明ならん然うじや/\と思按しつ竊かに便宜の折を覘ひ或日件の侍女を人なき方へ招き寄せうち含咲つゝ偖言ふやう我等ハ近頃此家へ來り風呂焚漢子となりしかバ御内の形勢ハ知らねども此程お湯に浴れたるお妾さまの美しさ京鎌倉を尋ねても多く得がたき艶女なるが彼お妾ハ何頃より此家へ抱へ給ひしぞ蜜かにおしへて給はれと言はれて件の侍女ハ何心なくうち咲て然う思はるゝも旡理ならず私も委しい情由ハ知らねどおん身の此家へ來給ひし其次の日の」事なりしが岩鞍山の峠にて思ひがけなく出會しとて旦那をはじめ門生衆が彼艶女を伴なひ來つ其夜よりして側妾となし寵愛日夜に弥増にぞお妾さまと私等まで敬ふのみか追遣はれ永の夏の日小半時居眠ひとつする間のなきいそがしさを察してたべ.とハ言へ是等の秘事を人にな洩し給ひそと善悪なき口とて侍女ハ我言ふ事のみ言ひ捨て奥をさしてぞ馳去りける恁ても戸塚大六は猶疑ひの晴やらず左ても右ても烏羽玉を殺して恨みを報はねバ我此思ひハ晴がたし翌にも風呂」4 場へ来りなバ時に臨みて詮術ありと思按を爲つゝ俟程に夫より後ハ烏羽玉も心に怖れをいだきや為けんさらに一度も浴せず爰にいたりて大六も乍ち望みを失なひしが尓とて止べき事ならねバ猶も便宜を窺ふにぞ五月も何時か空に暮て暑さに堪ぬ水旡月の十日ばかりになりし頃或夕暮に烏羽玉ハ昼の暑さを冷さんと侍女をさへ従へず獨り庭下駄踏鳴らし折しも移る泉水の月を眺めつうか/\と那方の築山登り越へ母屋へ遠く造作し別室の掾側に何心なく腰うち掛携へ來りし團扇」
烏羽玉ふたゝび大六をくらます」5」
もて稀に寄り来る蚊をうち拂ひ夜風に肌を吹せつゝ須臾憩ふ折こそあれ脊丈に伸ひし高篠の蔭より出る一個の僻者最垢染し手拭にて頻冠りしつ覘ひ寄り豫て准備の出刄庖丁を腰をさぐりて抜出し忽地声をふり立て賊婦烏羽玉覚期せよ大六なるハと喚びかけつゝ[石欠]つて蒐るを烏羽玉ハ吐嗟とばかり打ち駭き右と左りへ身をかはし.こハ俺が良夫で在するかマア/\俟つてと声かくるを這方ハ更に耳にもかけず復振りあぐる大六が刄の下を潜り抜け.お腹の立ハ旡」6
理ならねど是にハ深き情由もあり私に一言いわせたうゑ〓とも突ともお前の隨意須臾怒りを和らげて仔細を聞て下さりませと勸解を聞かず大六ハ首を左右に打掉りて噫巧みたり偽言たり假令何ほど言へバとて其甘口に乗せらるゝ大六さまと思へるか空事いわずと覚期せよと言ひつゝまたもやひらめかす刄の下に烏羽玉ハ.這ハ听分なし戸塚ぬし恁ても疑ひなほ晴れずハ是見て私が赤心を推量してたべ俺が良夫と言ひも終らず懐より豫て准備や為たりけん帛紗に包みし」一品を手速く出して大六が今〓りかけんと振りあげし拳を目がけて打つくるを大六すかさず身をひねり左手に丁と受畄つゝこハ何するぞと言ひながら投返さんとする折しも帛紗の結びめ稍解けて中よりこぼるゝ三百餘両是ハとおどろく大六は霎時呆れて白眼たる顔うち視やり烏羽玉が喃戸塚の大人大六さま言ふも面なき事ながら去る五月の其の夜に恩あるお前に寇せしも素より私が心から思ひ起せし事ならず縡永くとも聞てたべ妹お有女ハ豫てよりお前も知つて居らるゝ」7
通り私が為にハ異母の義理ある妹であるゆへに難義と聞て見捨がたく私が御恩になるうゑにまた妹まで迯水なるお前のお家に養はれ一日二日と過るうちある夜妹が私に對ひ此家の主大六こそお前の母公の愛嬉様を竊に討て立退し彼亀太郎が兄なるよし只夫のみにあらずして母公の討るゝ其折にも助太刀せしと慥に聞く尓すれバ這奴も敵の片割れ竊に殺して母さんの恨みを晴し給はずバ不孝の罪ハ免かれまじと言れて私ハ胸潰れこハ什麼いかにと駭くのみ更に思按も出ざりしが」心の中に思ふやう假令讐でありとても必死を救はれたるのみか二世の契約もせし人を何様してやみ/\殺さるべきとハ言へ現在母さんの讐と知りつゝ此侭に討も果さで添ひ遂てハ不孝に不孝を重ぬべし恩ある良人を殺すのも過世からの悪報かとおもふこゝろを励ましても深き情に引されて泪の雨や降りつゞく心も空も五月闇晴れぬ思ひに惑ふ身ハなかぬ日ぞなき郭公血を吐くまでに歎きしを妹に屡励まされ勿体なくも過し夜に了にお前を締殺し私も直さまその場にて続て」8
死なんと為たりしを夫さへ妹に諌められ是非なく那地を落延びて岩鞍山まで来りしとき思ひがけなき典物が後辺に茂りし草中より最も怪しき打扮して顕はれ出つゝ私をバ物をも言はずかき抱き去らんと為るに駭きてお有女ハ吐嗟と取りつくをヱヽ邪〓すなと言ひつゝも足を飛ばして蹴返せバ可愛やお有女ハ最深き傍の谷へ轉び落底の水屑となりゆきしを救ふに術なきのみならず夫より此家へ伴はれ側妾になれと旡理相談推辞バ忽地殺すべき其威勢の凄し」きも基より棄し此身ゆゑ怖るゝにてハあらねども妹が恨みを報ひもせず姉妹ともにやみ/\と命を捨んハ口惜く假令此\
身を穢すとも須臾那奴に由断させ折を覘ひ本望を達せんものと思ふにぞ仮に側妾となりつゝも時節を俟つて居るうちにおもひがけなく風呂場にて料らずお前と顔見合せ不審晴れねバ典物にそれとハなしに尋ねしに不思義にお前が蘓生の様子听くに心も〓きて再び思ひめぐらせバ假令讐でもお前ハ良夫恩も情もあるものを妹が言話を道理と思ひ締殺たる過も」9
反つてお前ハ恙なくめぐり/\て又這所でお目に懸るも尽せぬ御縁一旦お前を殺したハ亡母さんへ立る孝恨みをはらせしうゑからハ死で再び蘓生しお前ハ最早讐ならずと思ふ心を報しうゑ私を不便と思し召し以前のごとく女房にもつて下さるお心なら妹が讐なる典物を由断を見すまし討取つて家内の在金掻さらひお前と倶に走らんと思ふがゆゑに其金も此ほどひそかに奪ひ取りお前に渡し其うゑで尚もお前のお心が解ずバ其場で自害して死んと覚期せしゆゑに今宵主の畄守を僥倖」此庭先へ忍び出てお前に會し嬉しさと又恥しさをこきまぜて思ふがほどに言ひかぬる私が心を推量して忿りをおさめて下さりませと泣つ口説つさま%\に実事啌事打交て言話巧みに言ひくろむる奸智に闌し烏羽玉が這所ぞ一生懸命と思ひ込んだる言の葉にまた欺かれし大六ハ心中更に酔るがごとく寐刄合せし庖丁より鈍る心の意馬心猿我から狂ふ別室に再び縁を結垣あらはに見する白萩の花こそ咲ね今宵より色に出雲の神かけて月ハあれども雲となり雨となる夜の」10
楽みも後の恨となりにける
第五十回 〈睡眠乍催す待合辻|積悪自説く遠山路〉
尓程に戸塚大六は賊婦烏羽玉が艶言に鈍やふたゝび欺かれ諺に言ふ焼半木に火の付安き譬のごとく讐も恨みもはや失て竟に仮寐の草枕露の縁にしを結びしより是を逢夜のはじめとして主の畄守を見すましてハ迭に忍び會ふほどに大六心に思ふやう彼烏羽玉が去る夜に俺をひそかに締殺せしハ親の敵と一筋におもひ」込んだる過ちと言ひし詞ハ実事しからねど俺ハ不思義に蘓生渠また先非を悔ひしとて我にふたゝび心を寄せ三百兩の金をさへ預けしからハ烏羽玉を殺さず迚も俺に損なし只夫のみにあらずして此家の主典物ハ渠が妹の敵と言へバ遠からぬうち烏羽玉が奈何もはかりて殺すへし其折家内の在金を残る方なく掻さらひ何れの國へも迯延て以前のごとく烏羽玉と夫婦になりて暮しなバ是にうゑこす楽しみあらじ尓すれバ今の苦しみも苦しみに似て苦しみならず嬉しき跡にハ悲しみあり苦も」11 また反つて楽となる人間萬事塞翁が好事のみあるものかハ後の栄を見るまでの身の辛防こそ肝要なれと獨り思按をめぐらすにぞ烏羽玉もまた思ふやう俺去る日に風呂場にて那大六に出會しとき渠ハ此身の讐なりと主に報知なバ大六が命ハ忽地失ふべきを夫とも言はで過し夜に主の畄守を幸ひに凉みにことよせ只獨り別室へいたりしに按に違はず大六が我身を討んと為たりしを口から出次第言ひくろめ仮にこゝろに順ふて三百金を預けしも基より典物が金ならず日」外迯水を立退くとき有女太郎と侶倶に奪ひ去りたる大六が貯へ置きし金なれバ今大六に渡せしとて格別損と言ふでもなし夫のみならで典物ハ二世と契し有女太郎を谷底深く蹴落せし恨みを報ふ手配にハ那大六が手を借りて竊に主を刺殺させ縡成就せし其うゑでハ恨みを晴すのみならで金も家財も皆我物〓謬つて大六が主の爲に討るゝとも渠一人ンに科を塗付け俺身に過ちなかるべしと思ふこゝろを色にも見せず外面ばかりの深情行末いかになるやらん最淺間」12 しき事なりけり話説分両頭爰にまた勇婦八代ハ那三賢女と侶倶に瀬戸の討隊に捕稠られ既に命も危ふかりしに錦の籏の竒瑞に寄り不思義に其場を[石欠]抜しが霎時暗夜になりしうちお梅を初め三個が行衛を忽地見うしなひ何所をさして尋ねんと思ふに当ハなけれども猶豫せバ敵に追迫られ再び難義に及ばんと足に任せて走るにぞ心急くまゝ思はずもあられぬ逆徑に踏惑ひあるひハ埜を越へ山を越へいそげど更に人家もなく况て往來の人などハ稀に一個もあら」
扨は今きいたハ夢か時鳥」13」
ざれバ爰を何処と問ふよしもなく恁ても強氣の八代ゆゑ飢も労れも厭はゞこそ走らバ了にハ人里へ出ざる事ハあるまじと又山徑に分入りて尚幾十町か往くほどに但見れバ往方の傍に最些少なる辻堂あり心ともなく徨みて裡の形勢をさし覗くに家根も扉も雨風に半分ハ朽てありながら尚正面にハ夲尊あり軒に
掛たる扁額の文字の箔ハ兀たれども待合辻と書たりし其跡薄く見ゆるにぞ這ハ珎らしき堂かなと獨言つゝ八代ハ何心なく找み入り四辺をつく%\見まはすに四方わづかに」14
一間餘り古びし繪馬あり挑灯ありかの夲尊を又よく見るに石もて造建たりし地蔵菩薩の立像なるにぞ偖ハ是なる辻堂ハ待合辻の地蔵とて木樵草苅するものゝ連を這所にて待合す憩所でありぬべし尓すれバ此所より人里へ出るにもはや遠からじ俺身も友を見うしなひ尋ね會んとする途に待合の名ハ辻占よし霎時爰にて足を休め里ある方へ急がんと破れ残りし板椽に這ひあがるとき何やらん手先にさはる物あれバ何心なく取あげ見れバ花田絞りの風呂敷へ包み込んだる」一品なり登時八代おもふやう這ハ是かならず此辺の程遠からぬ里人が此堂内に休みしときわすれて行し物ならんと打点頭つゝ其侭に以前の所へ置んとするときかの小包よりたら/\と滑りし汁の流れ出て八代が手にかゝりしを鼻に当つゝ匂ひ見れバ何やら塩氣の匂ひあるゆへ偖ハ是なる小包ハさせるものにハあらずして昼餉の料を携へ来てわすれて戻りし飯なるべし我今飢にのぞみしに假令主ある飯にもせよ這所あたりに捨置て猪猴なんどに食せんより此身の飢を凌きなバ此持主も夲意なる」15
べし是もひとへに地蔵菩薩の賜にて丗にいふ善巧方便かとうち戯れつゝ風呂敷の結び目解て推ひらけバ果して一枚の竹の皮に五六の握飯と蕨に干魚の煮染しがひとつに包みてありしかバ偖こそ思ふに違はさりしと微笑ながら八代ハ飯も煮染も須臾の間に汁も残さず喰ひ盡せバ腹心地よくなるまゝに初めて労れを覚へつゝしきりに眠氣を催すにぞ傍の柱にもたれしまゝ我とハなしに睡みしが俄に外面騒がしく人の争ふ声さへすれバうち驚きつゝ八代ハ目を見ひらきて視まはせバ何時の程にか日ハ暮て」四方小暗き星月夜折しも扉口に來かゝりて何やら爭ふ二個の武士一名ハ年紀五十才にちかく身の丈六尺ばかりにて面髭青く生下り顔も形容も醜相が右手に白刄を引提つゝ四下を白眼で徨みし片辺に一名の美少年歳ハ十九か十八かまだ前髪も剃捨ぬ花の姿を紅の血に染なせしハ肩先に受し深痍のあるゆゑと見るに八代また駭きて所以こそあらめと辻堂なる狐格子の間より形勢いかにと窺ふたる當下少年ハ口惜氣に刀の柄を握りつめ苦しき呼吸の下よりも忿れる声をふり立ておのれ典物いかなれバ物をも」16
言はず後ろより欺し討とハ臆病至極此泡之助に意趣あつてか仔細を禀せと詰寄するを這方に立し武士ハ尻目に見つゝ冷笑ひ。ヲヽ苦しかろ悲しかろ假令何ほど悶バとて最早〓はぬ泡之助恁なるうゑハ俺身の素生何から彼から打明て冥府の土産に言ひ听せん耳を澄して聴聞せよ元來某ハ下野の國庚申山の奥に住む山猫若無太と喚れたる盗賊の一子にて同苗三毛作と言ふ者なりしが今より廾余年以前鎌倉方の討隊の為に俺が賊巣〔○スミカ〕を攻破られ父をはじめ草賊の奴」等みな残りなく討れしかど我のみ獨り討隊を[石欠]抜夫より諸國を經めぐりて四五稔暮すうち〓が父なる岩鞍衛守ハ武州秩父山の梺なる岩鞍の里に郷士にて荘園あまた所持するのみか劔術一道の妙を得しよし人傳に聞しかバ或年岩鞍の里にいたり〓が家に身を寄せて衛守が門生となりし事基より隨身為たるにあらず〓折よくハ〓が父を殺して家名を奪ひ取り俺岩鞍の郷士となり生涯栄花の身とならんと時の至るを俟ほどに今より六稔前の秋思ふが侭に計り得て〓が父なる」17
衛守をバ毒藥をもて竊かに害し病死と披露為たりしに素より衛守に渾家もなく其とき〓ハ十三才ゆへ俺が密謀を知るものならねバ餘の門生等と譚合て〓を家督と做すものから十五に足らぬ稚児ゆゑ某自ら後見して名を典物と更めしより岩鞍一家の荘園ハはや我物に似たれども〓を始終生置てハ何かにつけて邪广なるゆへ敏にも殺すべかりしを今日まで命たすけしハ豫て〓が総角結せし甲斐の國府の浪人なる夢山水門が獨處女於由と言へる弱女ハ美人の聞へあるにより〓を弄賣に」呼び寄せて俺が側女とせん心ゆゑ婚姻さすると偽りて此ほど甲斐より迎へ取りまだ盃もさせぬうち鎌倉よりの御召と言ひ立て〓を這所まで連出せしハ竊に殺す豫の伎倆何と胆が潰れたか偖々笑止な死ざまよと言ひつゝ呵々とうち咲ひし言話に顕はす大悪心最不敵にぞ見へにける必竟典物が悪事を聞て泡之助が回答いかにぞや這段いまだ盡ざれども丁数こゝに限りあれバ尚次の巻に解分るを看て知らん
貞操婦女八賢誌第五輯巻之五終」18
〔広告一丁存(巻上の巻末と同一)丁付なし〕
貞操婦女八賢誌第五輯巻之六
第五十一回 〈 夢 而 不 夢 一 級の首|疑似不疑賢女の意〉
登時岩鞍泡之助ハ思ひがけなき典物が其身の素生言バさらなり父を害せし事よりして巧みに伎倆し奸計を听くに再び胸潰れ須臾苦痛もわするゝまで怒れる面色血ばしりたる眼ざしさへ凄じく憤怒の声をふるはして噫残念や口惜や俺幼年の頃なれバ〓が素生を知る」よしもなく况や父の亡給ひしを御病死とのみ一筋におもひ違へて一毫も〓が所為と悟らざる此身の不覚ハ夫のみならで俺ハ家督を嗣ながら我名ハあつてなきごとく〓に家を狹められ心に快らねども亡父うゑの遺言と言ふに是非なく阿容々々と現在親の讐なる汝が下風に順ふて幾年月を過せしを草葉の陰から父上の言甲斐なしと思せしならん恨みハ只この一事ならず俺を飽まで欺きて這山中で人知れず殺すばかりか我妻と豫て定まる於由まで側妾にせんとハ爭何ぞや假令深痍ハ負ふ迚も」1 恨み重なる汝が細首討で此まゝ死ぬべきか最期の一太刀受て見よと白刄を杖に立あがりよろめく足を踏しめつゝ[石欠]つて蒐るを事ともせず左辺右辺しばし労らして怯む所を典物が足を飛して泡之助が刄を丁と蹴落しつゝ絶ぬばかりに打咲ひ身にも應ぜぬ其腕立及ばぬ事とあきらめて草葉の陰から典物が於由に閏の伽さするを浦山しくバ眺めて居よはや能きほどに苦しみつらん尓バ引導わたして得させん覚期せよと言ひつゝも再び右手に取直す刄の下に露と散る命も淡き泡之助が花の」顔ばせ忽地に首と侶に打落され弥生の霜と消失しハ最憐むべき事なりけり其時までも八代ハかの辻堂の裡にありて始終の形勢を徨聞しつ或ハ怒り或ハ悲しみ余所の憂ひに袖濡れて弱きを憐れむ勇婦の本心幾回となく駈出て那典物を取ひしぎ泡之助をば救はんと惴る心を推しづめつく%\思ひめぐらせハ泡之助とて典物とて素より我身の知己ならず。よしそれとても泡之助が命たすかる事なりせバ力を尽して救ひもせんが渠はや深痍を負ふからハ今更に詮術なし夫のみならで」2 此身もまた管領方の討隊を破り漸々這所まで遁れ來て人目を憚る折なるに二個の武士の其中へ女達者に手出しせバ思ひがけなき禍ひを此身にうけて三賢女に會日ハいよ/\遠かるべしと心で心をおししづめ拳を握る堪忍もかの典物が泡之助の首を討し時にいたりて忍びかねつゝ思はずも逆賊典物マア待ちやと一声高く呼はりし自己が声に駭きつゝ愕然として目をひらけバかの辻堂に轉寐せし是なん南柯の夢にぞありける八代ハ稍夢覚ても肉動き氣も〓きて更に夢とも現とも思ひかねつゝ」姑且ハ茫然として居たりしが自ら胸を撫おろし惣身の汗を拭ひつゝ吻とついたる溜息と倶に四下を見まはせバ轉寐の間に日ハ暮けん春の夜なれバ速くも更て廾日あまりの月代さへはや山の端をはなれしかバ八代ハまた驚きて肚裏に思ふやう噫鈍ましや尓るにても昨と今の戦ひに些の労れのありとても此辻堂に憩ひしまゝ日の暮るゝをも覚へずして漫に熟睡したりしハ我身ながらも不覚の本性餘の賢女等に譚らバ笑ひのたねともなりぬべし夫に就ても訝しきハ一睡の間に見し夢なり」3 素より夢ハ喜怒哀楽の心にふかくある時ハ忽地眠りて夢を見る尓れども虚夢あり正夢あり只一崖に捨べからず又信ずべきものにもあらずと老たる人の言へるを聞ぬ思ふに夢ハ其人の常に心におもふ事を大かたハ見る物なるべし亡目の夢に形を見ず聾の夢に声なきも則ち此理に寄れバなり然るに今見し俺夢ハ夫に替て今日までも竟に一回見も馴れぬ岩鞍人の美悪存亡あるべき事とハ思はねども萬に一も見し夢が実の事であらんにハ那泡之助が非業の死ハ言ふて返らぬ事ながら迹に殘りし」於由が薄命此後いかになるやらん思へバ不便と言ひかけて泪ぐみしが乍ちに思ひかへしてうち含咲みあゝ我ながら何事ぞやはかなき夢を左や右と世にある事か何かのやう身に引受てさま%\と心を悩すのみならず不覚に涙をこぼせしハ女子心の最狹き思ひ過しか知らねども余りと言へバ成長氣なき俺が心でハありしよと言ひつゝ獨り可笑さを怺へかねつゝ打咲ふ時しも今まで影清き山の端昇る月影の忽地雲に覆はれけん四辺小暗くなるほどに外面よりしてひとつの小狗何やら口に咥へ」4 たるが那堂内に這ひ込みしを八代目速く見るよりも豫て准備の短刀を鞘侶倶に引抜て両三度うち振れバ小狗ハ是に駭きけん口に咥へし一品を辻堂の裡に棄たる侭何所ともなく迯失ける案下八代おもふやう俺はからずも此堂にて恁まで小夜を更せしうゑハ今より里ある方へとて案内も知らぬ山路を夜を犯しつゝ行んよりハ今宵ハ這所に一夜を明し東のしらむを俟うけて行べき方を定めんと獨言つゝ身を起し又もや狗の入らざるやう右手を伸して辻堂の扉を内へ引寄せつゝ以前の所へ立戻り」
枕中の一奇事暗に泡之助が死を見る」5」
又寐の夢を結ばんと再び柱へ身を寄せても春の夜風の吹入れて更行くまゝに肌寒く寐られぬほどに種種と身の行末と來方を思ひまはすに就て又こゝろに懸る三賢女 〈お梅青柳|お道をいふ〉 ハ何れの方へ落たりけん氣がゝりハ只是のみならで昨日洲嵜の戦ひより生拘れしか討れしか生死のほども知れかねしお安ハ奈何なりつらんと友を思ひ身をおもひ心の信あらはしても听人もなき辻堂に声するハ只松風と谷の清水の音のみなりけり斯て時刻のうつるにぞ稍明近くなりし頃いかにや為けん八代ハ」6
俄に心地例ならず持病の癪の起りしにや胸先つよく痛みを覚へ身動き迚もならざるハ夜風にあたりしゆゑならんと思へど准備の薬もなく只手を胸におし當て苦痛を凌ぐばかりなる浩る折しも辻堂の辺りへ來かゝる当所の荘夫六七口の声なるが中にも訛たる声張上げトキニ皆の衆世の中にハ顔に似合ぬ胆玉の太い女子もあるものよ昨日洲嵜の松原にて管領さまの行列を乱妨とやら田畝とやらどゑらひ騒ぎをやらかして迯しに依て事起り我們も夫役に狩出され女子が行衛を索ぬる」ため昨夜も今宵も追使はれ草鞋の尻さへ俺腹さへ減して騒ぎ廻りしに那女子等が其中でお道とやらんお梅とやらん二個の處女が品革なる網六といふ漁人の家に竊かに躱れて居るよしを知るものあつて稲毛なる陣屋へ訴出しに依り又俺們を品革の討隊に對へと八重助郷尓とハあらひ荘夫遣ひ植付前の可惜日を村の甲乙うちそろひ恁まで間をついやしてハ田の水のみか女房子の腮の下まで干あがらん尓ハあらずやと言ひかくれバ寔に然なりしかなりと五七人なる農夫ども身の骨惜しむ泣事を詈りもしつ」7
笑ひもしつ最囂しく言ひ連れて彼方の路へと行過るを聞くに八代また驚天偖ハ件の二賢女ハ速くも討隊を[石欠]抜て品革村に落延つ漁人の家に宿借りしに乍ち人に疑はれて訴人せられしものならん遮莫此事を些も早く二賢女に報知ずバ夛勢に捕囲まれ遁るゝ道ハよもあるまじ農夫どもが迹追蒐尚も仔細を索ねしうゑ討隊のかゝらぬ其先に品革村に馳行て二婦が難義を救はずバ豫て誓ひを結びたる心の信に背くべし噫尓なりと点頭つゝ我とハなしに身を起せバ又もやさし込む胸先の」癪痛に足元ふらつきて尻居に[手堂]と仆れしまゝ再び起もあがられねバ這ハ口惜しと八代ハ心しきりに焦燥どもいよ/\苦痛はげしくて動く事たに〓はねバ左やして能けん右やせんと痛む胸先また痛め思按に他事ハなきものから力づくにも才角にも身の病着ハ詮術なく阿容々々として有明の月影薄くあからひく東雲もやゝうち過て峰をはなれて立昇る松の旭の影洩りてかの辻堂に差込むまで尚うち臥てぞ居たりける 〈お梅が品革にて破傷風の發せ|しも此明がたの事と知るべし〉 尓程に八代ハ其日己の刻すぐる頃僅に痛みの〓りしかバ假令」8
時刻ハ遅るゝとも品革村に馳ゆきて二婦が安否を索しうゑ〓〓はずバ[石欠]死せんと覚悟を為つゝそこ/\に身繕ひして辻堂を出んとしたる足元に最美しき少年の生首是ハと駭く八代ハ眼を定めて尚よく見るに甲夜の仮寐の夢に見し那泡之助が面影に一毫ばかりも異りなけれバ心の中に思ふやう我轉寐せし其後ハ睡みもせで明せしに何の程にか此首の堂の内にハ入りつらん思ふに昨夜真夜中頃何方ともなくひとつの小狗這辻堂に這込みしを追出せしとき何やらん口に哇し一品を落せし音の聞へしを心も」付で居たりしが偖ハ此首なりつらん是にて思ひめぐらせバ〓見し夢の正夢にて俺が力を借り典物を総角結の妻於由とやらに討せて呉と悟らする此泡之助が幽魂の為所爲ならんも測られず然すれバ最前此首を咥て來しと思ひし狗も又幽魂のせし事にて夢の照裾に此首を我に見せんとなせしものか這ハ只此身の推量ながら渠夫ほどの霊あらバ縁なき俺身に憑まんより於由とやらが由縁の人の夢に見せなバ忽地にかの典物ハ討るべきに其事なきハ所以あらん〓ハ兎まれ角もあれ品革村へ往んとする俺も急究の」9
折なるに是等の事に局はりて猶も時刻の遅れなバ二婦ハいよ/\危ふかるべしとハいへ見す/\夢にまで見し此首を其侭に捨て行んハさすがにて猛きやうでも女子の本性心弱くも去りかねて再び首を手に取り上つく%\見れバ面ざしの何処やら於梅に似たるにぞ忽地浮む一思按何か心に点頭つゝ四辺見まはし最前のかの握り飯を包みたる花田絞りの風呂敷へ手速く首をおし包み品革村へと索ねつゝ路の便宜ハ知らねども嚮に夛くの農夫が行しハ慥かに此道とおもひし方」へと心ざし足にまかせて走りゆきける
第五十二回 〈烏を追て原野に亡骸を埋む|寇を迯して却て其身を捕被〉
有恁程に八代ハ件の首を携へつゝ不知案内の道ながら品革村へと心ざし頻りに路を急ぐにぞ稍五町ほと来し折しも片辺に茂りし小草の中に幾羽ともなき山烏の何事やらん下立て最囂しく啼騒ぐを八代ハ何氣なく找み寄りつゝ是を見るに旡慙や人の亡骸の血に染りつゝ仆れしをかの山烏の嗅付て夫が肉を喰んと」10 恁集りしと見ゆるにぞ浅間しくもまた哀れにて思ひ合する事さへあれバ尚近寄りて熟々見るに衣服の模様何もかも那夢に見し泡之助に些も違はぬのみならず首なき死骸でありしかバ扨こそ昨夜見し夢ハ俺が推量に違ひなく此泡之助の霊魂の我を憑みしものならん夫と知りつゝ亡骸を此侭野辺に捨置て烏の腹を肥さんハ心の信なきに似たり往方を急ぐ折なりともせめて這辺へ掘埋て死骸ハ躱し得させんと言ひつゝ四辺見まはして傍の丘に死骸を手速く埋むる賢女の才覚その」事果て八代ハふたゝび路を急ぎつゝ尚幾十町か馳る程に人家夛く建連なりし宿場めきたる所に出けり八代ハ這里にて飢たる腹をつくろひつ品革村へ赴くべき道の便宜を問糺し須臾も猶豫せず此里をも又立いでゝ走るにぞ稍申の刻過るころ箭口の渡りの川岸まで足に任せて駈付しにまたもや起る胸先の癪痛に足も引れねバ河辺の茶店に立寄りて仮床に腰をうち掛つゝ心ならずもやゝしばし癪をおさへて在るほどに日ハ西山に入り果て四辺小暗くなりしころ漸く癪痛のおさまりしかバ」11 茶店を出んと為たるとき嚮に花田の風呂敷へ包みし侭に携へ來し件の首を手に取りあげよく/\見るに風呂敷ハ同じ花田の絞りでも何所やら違ふて見ゆるにぞ訝しながら結び目を手速く解て推開けバ首にハあらで男の衣類扨ハ今まで我側に休みて居たる壮佼が取違へしか然らずバ首とハ知らで好品と思ひ違へて摺替しか何れ那奴が所為ならん遠くハ行じ追ひ畄て取返さずバ我信も徒事となりぬらん然うじや/\とうち点頭取替られし小包を基の如くに締ばんとて又よく見れバ風呂しきの」端に小く品革村猟師網六と書付あるにぞ八代須臾うち按じ今朝明方に農夫等が話談を听バお梅等ハ品革の猟人網六が家に躱れて居たりしを稲毛の陣所へ訴へられ討隊の對ふと聞つるが夫も網六是も網六〓今這所で出會しが那二賢女に宿貸せし網六にてハあらざりしか何ハ兎もあれ追着て問はバ仔細の具ならんと軈て茶店を立出つゝ船場の方へといたりしにはや幾船か乗り遅れけんかの壮佼ハ見へざれども品革村まで行うちにハ索ね合ざる事ハあらじと今出る船にうち乗つて向ひの」12 岸におし渡り尚前後に氣をつけて品革さして行く道も折々胸のさし込て思ふほどにハ馳られぬを我と心を励しても道はかどらぬのみならず春の夜なれバ更安くて亥の刻近くなりしころ品革村まで來りしにかの壮佼に追着ねバ此うゑハ網六が家にいたりて二賢女の安否を索ね二ッにハ件の首を取返し顔の似たるを幸に時宜に依つたら身代りにと思按をしつゝ網六が栖を左方右方問糺し漸くにして索ね当り既に其家に近付く折しも忽地件の家よりして猛火盛んに燃あがり炎ハ天を焦すにぞ」
むら/\と散つてまた寄る千鳥哉」13」
胆を潰しつ八代ハ猛火のうちに駈入つてお梅お道を尋ぬるに四辺に人氣も見へざれバ扨ハ時刻の遅れしゆゑはや二賢女ハ討隊の為に補へられしか討れしか〓折よくて[石欠]抜しか左にも右にも是より直に稲毛の陣所へ赴きて得と実否をさぐりしうゑ再び思按をめぐらさんと言ひつゝ其所を立出て濱辺に添ふて二三町基来し方へとゆく折りしも向ふより来る夥の挑灯何事やらんと八代ハ片辺に茂りし薮蔭に躱れて形勢を覗ふとき軈て近付く挑灯の光りによりてよく/\見るに先に找みし一個の武士ハ」14 稲毛の陣所の眼代なるらん羽織野袴いかめしきが夛くの夥兵を従へたる後方より追来る一名の壮佼くだんの武士を呼畄め何か詈る其声ハ濱辺に寄する浪音に紛れてよくハ听取れねどお梅が首を討取りし褒美の金を呉れよと言ふをかの侍ハ聞入れず假令お梅ハ討にもせよお道を迯せしうゑからハ今さら褒美ハ遣はされず夫とも欲くバお道をも捕へて出よ其折に望みに任せて褒美を得させん恁てハ言分あるまじと言ひ捨て那侍ハ袖うち拂ひ夥兵等を急がし立て行過るを壮佼ハ」尚追ひ畄んとするとき又もや後方より六十ばかりの一名の老女身ハ縛の索ながらかの壮佼を推止め何事やらん爭ふを那壮佼ハよくも听かず矢庭に老女を小脇に抱き磯辺に繋ぎし漁船の中へ投込み纜を切るより速く突出し浪のまに/\押流す始終の形勢を覘ふ八代駭もしつ怒りもしつ飛び蒐らんと思ひしを獨り心を推しづめし折から出る月影にかの壮佼をよく/\見れバ嚮に箭口の渡し場で首と包と取替し壮佼なるにぞ又驚きて頻りに惴る八代ハ怺へず小蔭を躍り出かの壮佼と爭ふ折りしも」15 忽地雲に入る月にまたもや暗くなるほどに基より件の壮佼ハ好む戦ひならざるにや是に便宜を得たるが如く透を見すまし引外し闇に紛れて迯行くをこハ口惜と八代が心ばかりハ焦燥ども案内知らぬ道なれバ追んとするに詮術なく須臾躊躇居たりける〈這一段ハ四十二回四十三 回|の 物語 と引合せて読たまへ〉 却てまた八代ハ那壮佼を捕迯せし遣恨ハ只是のみならず嚮に那奴が詈りしを小蔭に躱れて徨聞しにお梅ハ討れお道ハまた必死の場所を[石欠]抜けて速くも影を躱せしとか〓其事の偽りならずハ生涯苦楽を侶にせんと因を」結びし一賢女を人手にかけて阿容々々と何まで此世に保命ん道の案内ハ知らずとも命にかけて壮佼を索ね出して問糺し実にお梅が首討しと渠が口より白状せバ恨みを報せし其うゑにて俺身も侶に自害して誓ひし言話を反古にせじ思按に及ぶ事かハと獨り意中に点頭つゝ馳り行んとする折しも何のほどにか忍び寄りけん後ろに窺ふあまたの夥兵捕つたと声かけ組付を心得たりと八代が身を捻りつゝ右左り矢庭に二個を投退れバまたもや捕つく夥兵の大勢或ハ手を」16 取り足を取り折重りつゝ其まゝに忽地索をぞかけたりける烏呼憐むべし八代ハ那賢女等が其中にて武術ハ殊に勝れしに多勢に囲まれたるのみか不意を打れし事なれバ竟に擒となりし事不幸といふもあまりあり尓れども強氣の八代ゆゑ更に阿容たる氣色もなく怒れる声をふり立て汝等誰が吩咐なれバ只一言の趣意をも演べず吾儕が由断を見すまして[手南]捕しぞ仔細を言へいかに/\と急迫立折から多くの捕隊の其中より現はれ出たる以前の武士片手に携し[石欠]首を」那八代が目先へさしつけおのれ賊婦め恁なりても尚種々に言ひなして身を遁れんと爭ふや是見よ〓が同悪の處女お梅ハ既に討取つて首ハ則ち是にあり汝幻術ありとてもはや〓縛を身に受てハ貧乏動ぎもなりハせじお道と名乗つて是までの罪の次第を白状せよと言ふより先に八代ハ目速く件の首を見るに最前箭口の渡場にて摺替られて失たりしかの泡之助が首なるにぞ扨ハお梅ハ恙なく此場を速く落延しか尓るにても這武士がいかなる情由にて此首をお梅が」17 首と思ひあやまり我身をお道と見違へけん那壮佼が做す所為か〓ハ兎も角もさし当る此身の索目を遁れずバ二個の賢女の安否をも定かに知るよし〓ふまじと思へバ更に臆する色なく故意と言話を和らげておん身ハ何れのお方か知らねど吾儕ハ旅の處女にてお梅とやらんお道とやらん左様な者でハござりませぬと半言はせず武士ハ怒れる眼を見ひらきて俺を誰とか思ひつる稲毛の陣所の眼代なる舟月與伊太度寧なるハ汝をお道と見し照据ハ今まで汝が携へ居し此小包の風呂」敷に品革村猟師網六としたゝめあるにて紛明なり恁ても遁るゝ言話やあると思ひがけなき風呂しきを照据に取られて八代ハ夫ハとばかり口ごもり須臾言話もあらざりける
是より後八代が稲毛の陣所に引れゆき既に命も危ふきを不思義に〓処を遁れ出武州岩鞍の里に赴き貞婦於由に名告會ひ這回にて一賢女出現なすなど物譚いまだ盡ねども〓ハまた第六輯の初に説くべし
貞操婦女八賢誌第五輯巻之六終」18
【後ろ表紙】