【解題】
前号迄に引き続き『南総里見八犬伝』の改作である『貞操婦女八賢誌』を紹介する。今回の最終輯で完結することになるが、残念ながら9輯は翻刻の底本とすべき早印本を発見できなかった。
近年は、デジタル画像で全冊の公開している機関も増えてきたが、その一方で、コロナ禍の影響に拠る閲覧制限をしている機関も少なくない。斯る状況の中で、所在が知れている現存本の全てを確認するに到らなかったのが心残りではある。今後も諸板調査を進めた上で、詳細な書誌調査に就いては別稿を期したい。また、拙サイトでの公開版については、適時更新する予定である。
さて、19世紀後半の戯作すなわち長編合巻や読本、人情本などは、明治期に到るまで長期間に渉って後印本が摺り続けられ大勢に読まれ続けた。その結果として、早印本の現存が比較的稀である。一般に、大勢に読まれ続けたテキストほど早印本の現存が尠いのは現在に到るまで普遍的な現象であると思われる。とりわけ板本の場合は、後印本の板行の度に表紙が新たに作成されたり、時には別本の表紙が流用されたりする。また、口絵や挿絵の重摺りなどの摺手数を省くなどの手抜きや、場合によっては板木が別の板元に売却されて改題改竄された上、一部板木の覆刻や彫り直しなど、板木に手を加えられることも尠くなかったのである。
本作の場合でも、内題や尾題の編(輯)数などの入木跡などが確認でき、出板当初の計画と板行時点で加えられた改竄に関しては、現存本からある程度は推定することが可能である。
今回底本に使用した後印本は比較的多く流布しているもので、本来は「6輯」に相当するはずであるが「六輯」と成っている本は未見、原本である『南総里見八犬伝』に倣った所為か、管見本は全て「第九輯(編)」と入木されている。
ところで、前述した通り本作の活字翻刻本は明治期に多数存するにもかかわらず、研究史上で本作に関する言及は極めて尠い。『八犬伝』の 原本 ではなく、数多出された抄録本や改作本が無視されてきた所為かもしれないが、寧ろ幕末明治初期の文学に拘わった末期の戯作者についての関心が低かった故かもしれない。管見に入った数少ない論考のうち、橋口祀長「『貞操婦女八賢誌』について」(「文学研究」30号、1969)は、『八犬伝』を「女性向きに書き直したもの」と位置付け、「読本の人情本化という点で一顧の価値ありと思う」として、丁寧な梗概を紹介している。
「読本の人情本化」という分析の当否は措くとして、天保改革を跨いだこの期の長編作には未完結のままで終わってしまった作が多い。それらの長編物の中で、バタバタとではあるが兎にも角にも完結させているのは、未完ではあったが構成のしっかりした原作テキストの改作であった点と、抄録など数多く手掛け『八犬伝』を自家薬籠中にしていた2代目為永春水の手腕に拠ると云えなくもない。
いずれにしても、文学史上の位置付や趣向の分析などについても、ひとまずは別稿を期したい。
【書誌】第9輯(3巻3冊)
書型 中本 18・6×12・5cm
表紙 水色地に麻の葉絞り模様を白抜きにし、飾輪模様の中に8人の座った女性を描く。
外題 左肩「貞操婦女八賢誌 九編上(中下)」(13・2×2・7cm)。 題簽の柿色地に文様を白抜き。無界。
見返 なし〔白〕
序 (序題なし)「水暖む春の頃柳北軒に毫を採て\〈東都の|戯作者〉 爲永春水誌[印]」(上半分の半ばに黄土色で文様を摺る)
口絵 第1〜2図 見開き2図(丁付なし)。4人ずつ8賢女を描く。濃淡の薄墨と艶墨を使用。上部の花には薄桃色を施す。
題 「[坦山]八賢女今顕楮上\稗史功成固寓言\董齋正書[法眼]」桃色地に墨摺。右側に黄色と青緑を用いて草花と蝶を描く。
内題 「貞操婦女八賢誌第九輯巻之一(〜三)」
尾題 「貞操婦女八賢誌第九輯巻之三大尾」
編者 「東都 為永春水編次」(内題下)
畫工 記載なし
広告 なし
刊記 なし
諸本 館山市博・早稲田大・西尾市岩瀬文庫・山口大棲妻・東洋大・ 東京女子大・三康図書館・千葉市立美術館(9輯は上のみ存)・架蔵(端本)。
【凡例】
一 人情本刊行会本などが読みやすさを考慮して本文に大幅な改訂を加えているので、本稿では敢えて手を加えず、可能な限り底本に忠実に翻刻した。
一 変体仮名は平仮名に直したが、助詞に限り「ハ」と記されたものは遺した。
一 近世期に一般的であった異体字も生かした。
一 濁点、半濁点、句読点には手を加えていない。
一 明らかな欠字や誤記の部分は、〔 〕に入れ私意で補正を示した。
一 丁移りは 」で示し、各丁裏に限り」1 のごとく丁付を示した。
一 底本は、早印本が発見できなかったので、Webで公開されている早稲田大学本に拠った。
【付記】
翻刻掲載を許可された早稲田大学図書館に心より感謝申し上げます。なお、本稿は JSPS科研費 21K00287 の助成を受けたものです。
【表紙】(上中下巻同一意匠)
【序】
【序】
當初漢の景帝の時傅姓の 長者 の家に四女子ありて姉妹共に咸賢なり 長者 男子のなきを憾む四女その父母を 養はんがために倶に 矢て他に嫁せず更に男子の装をなして雙親に侍る事實の男子と云ふといへども曁ばざること遠かるべし其孝感の致すところ歟後竟に昇天せしを里客爲に祠を建てこれを四女祠といへるよし」載て虞初新志に見えたり今予が所謂 八賢女 ハ基是一佛八躰の化身に因て生するところ偕に男子の業をなして豊嶋のために忠功あり彼ハ四女にて神と仰かれ這ハ八女にて佛と尊む和漢神佛その品異れと復是忠孝一對の美談と賞ゆべきもの歟遮莫拙き筆頭をもてそか全傳を做すのみかハ長編なるに」躬自倦て此輯にして局を結へハなほ腹案に漏たる事の又なしとしもすべからず有繁に遺憾ならぬにあらねバ異日寸暇を獲るよしあらバ後傳をしも編次て〓処に麁漏を補はんのみ
水暖む春の頃柳北軒に毫を採て
【口絵第一図】
阿多氣 八代 青柳 阿梅
【口絵第二図】
阿也壽 阿袖 阿道 阿嘉女
【巻頭】 【題】
[坦山]
八賢女今顕楮上 八賢女今楮上に顕る
稗史功成固寓言 稗史功成も固より寓言なり
董齋正書[法眼]
貞操婦女八賢誌第九輯巻之一
第五十三回 〈雷火轎を破りて一賢女を助く|方煙二消て悪少年を 走 す〉
再説 舟月与伊太ハかの泡之助が前髪首をお梅が首級と思へるのみか八代をさへ一向にお道ならんと憶ひ違へて既に擒と為たりしかバ咸是自己が手柄なりと心の裡にみづから誇りて稲毛の陣屋に立皈りしがお道ハ妖術ありといふ事豫傳へも听たれバ竝々ならぬ曲者なりとて厳しく獄屋につなぎおき」日毎に白洲へ引出してその身のうへハ言ふもさらなり同悪の處女が行辺も白状せよとて責問ども八代ハ首より吾儕ハ旅の女にてお道とやらんいへる者にハ更にあらずと言ふのみにて種々拷問做すといヘども閉たる眼を開きもせずとばかりにして日を經るにぞ与伊太も殆々もてあまして肚裏に憶ふやう這處女が大膽なる俺が力にてハなか/\に白状すべきやうもなし其うへ幻術ある者なれバ永く獄屋に繋ぎ置くうち取迯さんも測られず尓バとて熟々と生捕たるを鑿義もとげず首うち落さバ某がかへつて落度となるべきか此うへハ處女をバお梅が首と侶倶に鎌倉表へ遣」1
はすべし尓すれバ自己が手柄も顕はれ是にうへ越す主意ハなしと既に思ひ定めしかバ憐むべし八代に桎梏を枷たるを網轎にうち乗せて豫て塩漬に做し措たる又那お梅が贋首をひとつの壷に入たるまゝ是をも倶に齋しつゝ与伊太ハみづから警固しつ稲毛の陣所を立出しに折しも五月の下浣這日ハ朝より天よく晴て路次の障りもあらざれバ十里に餘る行程なれども鎌倉までハ日着にせんと頻りに人夫を急がせつゝ稍加奈河の駅をすぎ輕井沢までいたりし頃俄に天のかきくもり疾雨颯と降出せしに電さへはげしく鳴はためくにぞ人夫ハ路を往なやみて傍に在」あふ松蔭へかの轎を軻居ゆれバ与伊太をはじめ夥兵等も這形勢に詮術なく倶に濡じと松の根にひとかたまりになりたる処へ一声はげしき電の真一文字に落かゝれバ打れて命を[歹責]すもあり尓なきも忽地悶絶して伏かさなりつゝ仆れたる夫が中にも八代ハ恁るときとて些とも動ぜず今雷の響にて桎梏の割たるに網轎さへ破れしを天の助と歓びつゝ静に裡より找み出見れバ与伊太等主従ハ生死も知れぬ形容なるにぞ独り完尓とうち笑て遁れ去らんとしたりしとき那轎のかたはらに飛脚と思しき一個の下奴が是もおなじく」2
雷に悶絶せしか俯伏に轉びたるまゝ生体なきが首に掛たる状筥の結びし紐のおのづと切て裡より落散る一通あり心ともなくうち見れバ当名ハ岩鞍典物どのへ鎌倉よりと書たるのみ下の名前は知れねども這典物とハ去る夜の夢に正しくうち見たる那泡之助が讐と同名何ハ左もあれ這書翰讀バ仔細の分明ならんと封切り破りておし開き繰返し見てうち駭き這文面の様子でハお斉の尼のはからひにて光姫さまと鳩若君を竊に守護したてまつり秩父山に楯篭り義兵を揚べき企あるをかの典物が見出せしゆへ豊」嶋の家を過し稔横領なしたる逆臣どもが扇谷家に随身して今鎌倉にあるをもて其者どもへ内通なし若も討手を差向られなバ典物すなはち案内者となり力を副んと云ひおくりしこりや是正しく返書にて日ならず人数を発向なせバそのとき力を合されよ首尾よく渠等を討たひらげなバ管領へまうしあげかならず取立得させんとある這ハ一大事の密書なる測らず俺が手に入りたるハ是ぞ若君姫うへの御運愛たき故ならんと言ふとき仆れし件の飛脚が忽地蘇生けん夫と見るより駭きて大事の一通奪はれてハ」3
使に立し奴が落度女め戻せとむしやぶりつくを八代騒がず掉はなし襟がみ掴んでづでんどう投られながらも那下奴が猶も密書を取返さんと起んとしたる肩先へ片膝もたせて推据たる其とき与伊太も息ふきかへし是もおなじく驚きて取迯してハ一大事と周章ふためき走りより只一ト討と[石欠]かゝるを右と左に身をかはし足下に刄を踏止め持たる密書を懐へ捲きおさめつゝ完尓と笑ひ思ひがけなき雷の助げに遁れし這縛索今こそ名乗るコレ与伊太吾儕ハお道にあらねども那お道とハ過世より迯れぬ中の義姉妹」
密書に仍て八代身退をさだむ
八代 飛脚 与伊太」4」
倶に豊嶋に由縁ある八女の一個と喚れたる八代なりと知らざるか爰まで吾儕を轎に乗せ送つて來やつた礼ぶりにハ其方の體を生作りその庖丁の切味を饗應呉んと云ひつゝも又〓然とうち笑ひし處女に似氣なき不敵の魂殊に手煉も知つたれバ及びがたしと思ひながらも与伊太も今ハ一生懸命再び刄をひらめかして討てかゝるを物ともせず那方這方須臾遣りちがはして持たる白刄を奪ひとり是ハと駭ろく与伊太をバ左りの肩より乳の下かけて片なぐりに[石欠]さげたる透を見すまし這方なる以前の飛脚ハ腰刀を竊」5にすらりと抜はなし声をもかけず後ろより脇腹目がけて突蒐るを八代速くも見返りて身をひねりつゝ横さまに丁と拂ひし刄の雷光是も首をうち落され血烟り立て両人ハ右と左りに死したりけり八代是にハ眼もくれず獨りつく%\思案をなすにお梅が首ハ贋首なるに俺が身をお道と見違へて搦めとつたる程なれバ那二賢女にハ恙なからん尓すれバ二個が身のうへより心に懸るハ密書の文面見し夢さへもあるなれバ先岩鞍に赴きてお由とやらんが様子を試しそのうへ件の典物をお由に討すか俺が討か」左にも右にも料らずバ若君姫君両方のおん身のうへにも及ぶべし術こそあれとうち頷き与伊太が伴當に荷がせ來りし柳篭をバひらき見るに其身の所持せし旅包路用の金も懐釼も日外召あげられたるが咸這裡に収めあるにぞ先その品を身につけつ復かの壷に入れたりし泡之助が首をさへ取出しつゝ掻抱きて速くもその場を落失しを与伊太が夥兵も伴當も最前の雷に息絶たるまゝ今もなほ心のつかで居たりしか又ハ手煉に怖れしかさゝゆる者もなかりしとぞ夫ハ偖おき青柳ハ日外瀬戸の危難の折から餘の三賢女〈お梅お道|八代をいふ〉を見失ひ」6
其身ハ辛く[石欠]抜しかバ何卒行衛を覓めんと相模武蔵の間をバ隈なく索ねめぐるうち武蔵の国分で測らずもお安に回會しかバ互ひに在りし物語りを問ひつ問はれつする程に或ハ悲しみ或ハ歓ぶその赴を演んとするにくだ/\しけれバ都てハ洩しつ然バ思はぬ對面に二女ハ力を得たるにぞ那お梅等が行方ハさらなりお亀お竹が在家をも心を合せて尋ねんと只管諸方を奔走に奈何や做けん青柳ハ近き頃より眼を病て夜ハ殊更に見へがたけれバ所沢と喚るゝ駅の尓る旅店に二三日逗畄しつゝ居たりしが病目も漸に快けれバ」青柳を畄守に残しお安ハ一個近郊を諮ねて見んとて出たる儘日ハ昏たれども皈り來ず俟侘しさに青柳ハ身のこしかたなど思ひつゞけて慰めかねしその処へ十五六なる女按摩の御用ハなきかと障子越しに言ふを青柳呼入て幸ひ肩の強くはれバ和らげ呉よと頼むにぞ件の案摩ハ心得て軈て後ろに立まはり肩より腰へと按かくるを青柳徐かに見かへりて吾儕ハ此頃逆上目にや昏にいたれバいよ/\かすみて和女の顔さへ宜くも見へぬが歳も多くハ取らざる様子恁る療治に出やるハ和女も偖ハ両眼が不自由」7
なるかと問かけられ件の按摩ハ歎息して貴女もお目が不明とか私もふとした病から近頃潰れた俄盲女一個の母を養ひかね詮術なさに旅客衆の情の青銅を貰ひ受け夫を世過に親と子が露の命をつなぐ者まだ揉馴ぬ細腕に利かぬ療治も夫ゆへにお気味が悪くも堪へてと云ふも泪のうるみ声寔しやかに听ゆれど素り渠ハ瞽女にあらず前に出たる悪少年那宇女太郎が身の果なり嚮に岩鞍峠にて典物がために遥なる深谷の底へ投られたるに倖ひにして恙なく命ひとつハ拾ひしかど大六を縊り殺して奪」ひし黄金ハ殘りなく咸旅包に入たるまゝ那処の峠に置たるゆへ身に貯のあらざれバ又奈何とも做すべきやうなく尓ども奸智の曲者なれバ女姿になりしを幸ひ仮に盲女と詐りて這頭あたりに坤吟來り旅店々々を欺きつゝ按广に縡寄せ旅客の小錢なんどを盗みとり纔にその日を送れるなりとも知らざれバ青柳ハ渠が辞を深く憐み猶物語をうち聞く程に頻りに眠気を催して記へずうと/\睡れるを宇女太郎ハ見すまして探り寄りつゝ青柳か腰にまとひし胴巻をそろり/\と引出し盗み去らんとする程に」8
青柳忽地駭き覚て偸女め迯さじと跳蒐るを棹はなすはづみに行灯うち消して遉名にあふ一賢女も見へぬ病眼のそのうへに黒白も判かずなりしかバ這ハ口惜と云ふ間にこなたハ得たりと宇女太郎隔の障子を蹴外して隣座敷へ迯出たる恁る騒ぎに爰もまたおなじく灯をゆり消して闇ハあやなし宇女太郎ハかの胴巻を奪ひしまゝ速くもその場を落失ける
第五十四回 〈金 を 失 ふて青柳 良友 を得たり|讐を捕へて阿道旧事を報ぐ〉
案下件の隣座敷に泊り合せし旅客あり是すなはち別人ならず手古奈の女児お亀なるが渠ハ過し日鎌倉にて父の讐たる愛嬉を討てお安と倶に走りしとき由井が濱辺の小舟のうちに飛び乗りたるまゝ推流されて忽地お安に別れしのみか其身も既に危うかりしを辛く舮擢を操りて武蔵の國柴崎へ件の舟を漕寄しかバお亀ハ獨り思ふやう假令追隊の捕圍しとて武勇勝れしお安ゆへ[石欠]抜し事疑ひなけれど渠が安危も尋ぬべく又ふたつにハ愛嬉が女児かの烏羽玉をも討とつて父の遺恨を報はんと」9
仮に坂東順礼の賎の處女に姿をやつし遠近となく走廻り今宵這家に歇店を覓めて旅の労を休むる折から隣座敷の騒動に灯をさへもうち消され這ハ什麼奈何と駭ぐ処へ這方の間より青柳が尚迯さじと走出たる出合がしらにお亀をバかの宇女太郎と思ひ違へて揉仆さんと組付くにぞお亀ハいよ/\駭きつゝ仔細ハ素り相手をさへ闇にしあれバ見判ぬに殊さら火急の折からなれバ只一言の問答をも做べきいとまのあらざるゆへ捕おさへんと是もまた倶に拳をはたらかして迭ひに爭ふ其折しも夜道を急いで皈」り來しお安ハ一間に找み入り携へ來りし桃灯の火かげに夫と見るよりも二女が中をおし隔て思ひがけなしお亀さん青柳さんと此体ハと言ふに青柳驚きて見へぬ病眼も桃灯の光りに夫とすかし見て呆れて後方に身をしされバお亀も是ハと又恟り倶に辞もあらざるにぞお安ハ獨りうち笑て先那二個を引合せ仔細奈何と諮ぬれバ青柳ハ最面なげに偖ハ貴女がお噂をお安さんより聞及びしお亀さまにておはせしか私事ハ青柳とてお安さんとハ義姉妹斯した騒ぎになつたのも基ハ此身の不都束ゆへその仔細ハ」10
斯う/\と嚮に眠りを催せしとき女按广が胴巻を引出せしを追はんとして灯火の消しに途を失ひお亀を件の按广と思ひ事の爰に及びしよしを辞短かに物語り只管麁忽を勧解るにぞお亀ハ再び驚きて夫と敏にも知るならバ那とき速く曲者を力を合せて補へんに知らぬ事とて是非もなやとハ言ふものゝ胴巻を奪ひ去たる偸女このまゝにてハ捨おかれぬ青柳さんハあのやうにお眼もお不明御様子ゆへ我等二個でお安さん先曲者を追止んといふにお安も点頭て倶に立んとする処を青柳静かにおし」禁めお二個さんのおこゝろざしハ這身にとつて嬉しいなれど那胴巻を失ひしとて高の知れたる僅の金取り返さんとてお二個のお身に怪我でもあつてハ済まぬ熟々思へバ曲者の這騒動のありしゆへおもひかけなくお亀さんに這對面ハせしならん〓尓もなくバ壁一重障子ひとへにありながら知らで過往事もあらんか然すれバ金を奪はれしハ却て此身の倖にてかの塞翁が馬とやらいへる譬も是なるべし夫等の事ハうち損て問ひたき事も夥あり云ひたき的話もあるなれバと禁められても両人ハ遉に」11
打も損がたく何とかせんと躊躇折しも思ひがけなき庭口よりその曲者ハ私等が嚮より捕へて置ました気遣ひあるなと言ひつゝもお梅お道の二賢女がかの宇女太郎を縛めてしづ/\として出來れバ青柳お安ハ夢かとばかり歓びつ又疑ひつ須臾呆れて居たるにぞお道お梅ハ笑し気に侶にお亀に會釋して這方の二個に對ひていふやう青柳さんにハ瀬戸にて別れお安さんにハ取別てその前の日の戦ひにお行方知れずなりしゆへ生死の程も測かね心をなやまし居たりしに恁く恙なきお目もじハ歓び」
何か是に増すべき夫に就ても私等二個が此曲者を引連來つるを嘸訝しく思はれんが先その所謂を聞てたべと過し日瀬戸を[石欠]抜て品川村にいたりし事よりお梅が病気の薬を需めにお道が往たる途中にて宇女太郎が刄にかゝりお袖が命を隕せし事又その血しほをお道が携へ品川村に立かへりしに夫より先にお袖が亡魄お梅の臥房に姿をあらはしその身の縁しハ薄けれども頓て自己とおなじ名のお袖といへる一賢女ありて永く姉妹の義を結ばんと詫せし事まで落もなく物語〔り〕つゝお道が言ふ」12やう私の家の秘法にていまだ男に媾ざる處女の乳の下の血しほをもつてその疵口にそゝぎかくれバ如何なる破傷風にても治せずといふ事なしと聞くにぞ幸ひ妹が生血にて病を愈し給へと言へどもお梅さんにもなか/\に左右なく是を用ひ給はず争ひ果しなき折しも夥兵一個従へて找み入り來る一口の壮者怪しき血しほと言ひつゝも壷に手をかけ取らんとするを遣らじと引合ふそのはづみに壷の血しほをお梅さんの真上に撲地とうち〓盈せバ叫と一声息絶給ふに私ばかりか壮者も是ハとばかり駭くを夥兵ハ得」
因果応報宇女また梅に搦めらる
お梅 宇女太郎 おみち」13」
たりと私を目がけ跳り蒐つて組んとするを懐釼すらりと抜はなし腰のつがひを[石欠]はなしたる返す刄に壮者をも唯一討と棹あぐれバ飛しさりつゝ壮者がヤレ待給へお道さまいふよしありと禁むるを這方ハ聞かず眼を怒らし此期に及ひて何をか聞くべきお梅さんをバ失ふうへハ俺身も今ハ一生懸命冥途の供に連行んと又[石欠]蒐るを飛退てお心急迫ハ理りながら先此品を御覧あれと花田絞りの風呂敷に包みし首を差出せし容子あり気なふるまひに姑く刄の手をとゞめ其斬首ハと諮ぬれバ那壮者ハ辞を竊め私」14 事ハ這家の主老女がためにハ甥にしてお理喜お友が従弟なる名を網六と喚るゝ者六浦へいたりし皈{りがけ矢口の渡で測らずも取違へたる風呂敷包み開いて見れバ這首ゆへ腹立しさに其辺りへうち損んかと思ひしが又つく%\と思按をなすに噂を聞し瀬戸の騒動その處女等ハ兼て听くお理喜お友が主筋とか今此首を見るところ若衆姿に見ゆれども猶男とも女とも自己が目にハ判がたきに此小包を所持せしも又これ獨りの處女なれバ〓此首がお理喜等に由縁の處女が首にして昨日瀬戸にて討れしを件の處女が」携へたるか夫とても又量られず左にも右にも持帰りて叔母に見せなバ分明ならんと其儘持て皈〔り〕道大井の里まで來し折しも稲毛の陳代舟月与伊太が叔母を縛め引立て來つるに測らず行遭てのつぴきならぬ手詰の難義云はれし事ハ箇様と其場の様子を物語〔り〕何ハ左もあれ這人数にて俺屋を捕圍まるゝときハお二女ともに救ひがたし殊にハ叔母を人質に取られし弱みもあるなれバ欺すに手なしと思案をさだめ又恁々に言ひこしらへ渠が心に由断をさせんと此夥兵をさへ従がへて脊戸まで來つゝ容子を聞に」15 今お二名が那血しほにて争ひ果しあらざれバ故意と血しほを奪へる振にてお梅さまにハ打かけしに却て夫が仇となり忽地息の絶られしが斯くなるべしとも思はねバ不思義に手に入る此首をお梅さまと言ひこしらへお道さまをバ捕迯せしと与伊太が前を欺きてお二名さまをも俺叔母をも救はんものと思按をせしにその甲斐なきこそ口惜けれと悔めバ俺身も疑ひハ晴ても晴ぬハ血しほの利目家の秘法と听つるが這ハそも爭何なる故ならんと呆れ惑へるその折から仆れ伏たるお梅さんが獨りむつくと起直〔り〕お二個さんの問答」を現ともなく聞しと思へバ忽地夢の覚たる如く拭たやうに悩みも失せて心地も常に替らずといふに歓ぶ私より網六ハ尚怡悦に堪ずお梅さまのお悩の斯く〓らせ給ひし上ハ些とも速く落給へと言はれながらも跡の事遉に心ならざれバ猶危ぶみて往かぬるを網六しば/\促して箇様々々に為給へと准備の舩さへおしへしかバ今更否まんやうもなく件の舩にうち乗りつゝ岸辺にありて待程にその間に網六ハ我家に速くも火をかけて忽地その場を走去りしが姑くあつて那老女を縛めたるまゝ俺舟に乗せつゝ沖へとおし出すハ兼ての手筈なる故に」16 速くも老女の索を解て網六が赤心を箇様々々と報告るにぞ老女もはじめて疑ひ晴けん倶に歓ぶそのうちに私等二女ハ舟をおしたて稍芝浦に漕寄るにぞ約速なれバ網六も陸より此処に來合せて偖爭何せんと談合にお梅さんの御病気の斯く速かに〓るからハ餘の賢女等の安危存亡しばしも打捨おくべきならねハ是より諸国を索ねめくる縡の序にお袖とか喚るゝ処女のうへをさへ心を付て見ばやといふ件の老女も網六も倶に往んと言ひぬるを禁めて〓里に袂を別ち夫より後ハ只二女先當國より落もなく走めぐらんと思ひ定めて泊々の旅店にも」目を付け心を配りつゝ今宵這家に泊〔り〕しゆへ給仕の女を寄近づけ夫とハなしに相宿の容子を是彼問ひ試みしに奥の一間に二三日前より逗畄せらるゝ處女あり一名ハ久しく眼を病しとて座敷に篭りて他へも出ず又今一名ハ何やらん尋る人のあるよしにて近き辺りを走回〔り〕今宵もいまた皈られずといふ年記恰好何とやら思ひ合する事あれバお梅さんとも示し合せ竊に様子を窺はんと這庭口まて忍びより立听なせバ声音の青柳さんに似たるゆへ扨ハと思ふその折から一院の障子を蹴はなして庭へ迯出す是なる」17 曲者月の明りに透し見れバ姿ハ女子に打扮ども日外お袖を刄にかけし宇女太郎にてありしかバ駭きつまた歓びつ有無を言はせず引とらへぐる/\巻に縛めて引立來たれど端なく入らす猶も様子を覘ひしに生死の程も測りかね心を痛めたお安さんお前ばかりか不思義にもお亀さんさへ此宿に泊〔り〕合せて青柳さんと今初對面のお咄しぶり是もたしかに過世より縁あるお方と察せしゆへ找み出つゝ身のうへの秘事さへも隔なく斯くハうち明侍りしなりと是まで在つる物語〔り〕を辞閑かに演るにぞお梅も落たる所を補ひ」言話を副たる長談に青柳お安ハいふもさらなり傍聞せしお亀さへ小膝の找むを記へぬまでに耳を傾け听居たる必竟二名が物語〔り〕果て又爭何なる縡にかなる〓ハ次の回を見てしらん
貞操婦女八賢誌第九輯巻之一了」18
貞操婦女八賢誌第九輯巻之二
第五十五回 〈所沢驛路に勇婦等奸悪を鋤く|岩鞍白屋に一賢女塵世を遁る〉
再説青柳阿安ハお道等が長譚をうち听毎に驚嘆して須臾辞も出ざりしがお安ハ屡点頭て聞バきく程最危うきお二名さんのおん身の浮沈術よく迯れ給ひしかど夫に就ても悼ましきハお袖さんの敢ない御最期刄にかけしのみならず青柳さんの胴巻さへ盗み去つたる曲者を速くも捕へられ」たるハ此うへもなき歓びなり及私等の身のうへにも積る咄〔し〕の在ぬるハとて先お亀をバ改めてお梅等二人に引合せ偖三個が身の來由をかはる/\に物語るにぞ爰にいたりてお理喜お友が忠死の様子も自と知られ鍬八が孤忠苦七が奸悪お竹が安危存亡の猶測られぬを危ぶみつゝ倶に額を合せたるその中にお梅がいふやう今私等に因縁ある者薄命ならぬハあらざりしも各危窮をまぬかれて爰に五女會合せし事不思議といふも餘りあり那お袖さんの報に仍たるその名もおなじお袖とやらんいへる賢女の有無ハ」1 今更測〔り〕知られねども先さし當りて気遣はしきハお竹さんと八代さん是より五名が心を合せ尋ねめぐらバ遠からず安否を知らざる事ハあるまじ夫に就ても悪むべきハ此宇女太郎とか喚るゝ曲者敲かバ猶も旧悪を白状する事あるべきかと言ふにお道ハ点頭て縛め置し宇女太郎を引出しつゝ眼を怒らし[人尓]日外日暮里にて妹お袖を殺害なしたる其場へ吾儕が行合せしかど心急迫まゝ過って補迯したる口惜さ今に旡念ハ晴ざりしに今宵爰にて捕へしハ天罸遁ぬ[人尓]が身の果。妹を殺せし一伍一什ハお袖が末期に聞たれとも」[人尓]か素性ふたつにハ是まで做たる悪事の段々さァ真直に白状せよ言はずバ斯うじやと傍なる手頃の棒を拾ひ取り脊肩先きらひなく急所を除てめつた敲皮肉も破れて血ばしるまでに責さいなまれて宇女太郎ハ遉不敵の曲者なれども苦痛に堪ずやありにけんその身の素性ハ言ふに及ばずお袖を害せし首尾且迯水の里において烏羽玉と示し合せ戸塚大六を欺き殺し又烏羽玉と倶に走りて岩鞍峠にいたりしとき山猫に打扮たる異形の〓〓者顕はれ出夫がために最深き千尋の谷へ投落されしが倖にして恙がな」2 けれど身にいさゝかの貯もなく詮術なさに此やうなる盗心ハ出たるなりと縡つまびらかに白状なすにぞお道ハ是をうち听て先懐中に収めたるかの胴巻を取返して青柳の手に渡し偖四賢女に對ひて言ふやう此曲者が積悪の斯のごとくであるときハ天命遁れぬ罪人なり殊さら妹が讐なれバ私が手に掛け今爰でと懐釼片手に立かゝるをお梅が須臾とおしとゞめ這処ハ母屋に最遠き別室であるゆへに最前よりの騒動も又是彼の問答も家裡の者の知らざるにや下女ひとりだも來たらねど此曲者を爰にて殺」せし様子を人に知られなバ俺們が身に疑ひを受るばかりか此家の主の難義に及ぶべし人なき所へ連行て竊に做すこそ宜からめと言ふに側からお亀がさしより√お梅さんのお辞ハ寔にもつて御道理至極今此者が白状のうち那烏羽玉とまうせしハ真間の愛嬉が女児にて私の爲にハ讐の隻割岩鞍山にて〓〓者に捕へられしとあるからハ那里にいたりて尋ねなバ千に一ッも渠者の在家を夫と見出して恨みを復す事もあらんか皆さん何とでござんせうと問はれて点頭四賢女の中にもお道ハうち笑て尓バ俺們四人の者も」3 お亀さんと侶倶に先岩鞍へと心ざし赴く路にて這奴をバおもひの侭に[石欠]さいなみ日比の怨を報ぜんと言ふに談合一決して旅店の前ハ尋ぬる友に爰で測らず會しゆへ今宵俄に出立するとて旅篭の勘定などしつゝ宇女太郎をバ聲立ざるやう手拭をもて口を結び目深に笠を冠らしめ五人の中に打交てかの旅店を紛れ出稍所沢の里はづれなる廣野に赴きたりしときお道ハ遺恨に堪ざるにや餘の賢女等が辞も待たず引立來たりし宇女太郎を矢場に〓処へ蹴仆して准備の懐釼抜はなし右手に取つゝ睨へて」[人介]光棍是までに做つる罪のめぐり來し冥罸懐ひ当りしかと詈り責つゝ宇女太郎が或ハ手を斬足をきり飽まで苦痛をさせたるうへ終に首をうち落し傍に在合ふ榎の稍に件の首を結び付復その榎の身木を削りて矢立の筆を採出し是ハ奸賊宇女太郎が首なり去る某月某の日に妹を害せし怨の刄今月今宵報ずるものなり道女と書つゝ筆侶倶に刄を[革室]に拭ひ収めて是にて胸の晴たるハと獨り完尓とうち笑むにぞ最前よりして見物なしたるお梅等の四賢女ハお道が做方のいさぎ」4 よきを斉しく感じあへりつゝ皆うち連て秩父根の岩鞍さしてぞ辿〔り〕ける茲に岩鞍の里はづれに蔦の青壁竹柱最も佗しき白屋に阿由と喚るゝ一賢女あり渠ハ甲斐の國分なる夢山水門といへる郷士の独女児でありけるが岩鞍衛守が子息たる泡之助とハ幼稚より総角結せし中なるゆへ今稔夘月の中院比甲斐より遥々輿入して既に婚姻の盃をも取かはさんとせし折しも鎌倉の官領家より火急のおん召あるよしを申越せしと典物が報るによりて猶豫もならず盃さへもなしあへずかの典物を」
八代が信阿由を試す
這画ハ次の回の本文と合見るべし 八代 お由
」 5」
引連て俄に發足したるにぞお由ハ這家に來りてよりいまだ幾程ならざるに良夫の畄守を預けられ馴染も薄き腰元等に慰められつ今日と過ぎ翌日と暮して居るうちにかの泡之助が伴當に連たる一個の下奴があはたゞしく立皈りつゝ報知るやう偖大變なる事こそ起りぬ火急のお召とあるにより夜道も厭はず鎌倉へひたすら路を急ぐ程に岡津と矢部の間なる二又河原にかゝりしとき自己ハ聊足を痛めて一里許も遅れしを猶追付んと心を〓まし足を引つゝ走いたり見れバ無慙や若旦那にハ」6
首と胴とを異にして朱に染つゝ仆れし傍に典物様にも痍疵を屓ふてむねん/\と歯がみを做し四辺を睨んで立れし形勢恟り為つゝさし寄て仔細爭何と問かくれバ典物さまにハ太息を吐き俺泡刀[人尓]と侶倶にひたすら道を貪りて脇目もふらず急ぐ折しも往方に茂りし夏草の蔭にかくれし夥の光棍おの/\白刄を携へたるが不意に起つて泡之助と俺等に[石欠]って蒐りしに思ひがけなき事なれバ泡之助にハ受そんじ肩先深く斬下られしが遉ハ父公の御子息ゆへ深痍ながらに渡り合ひ」秘術を尽して戦はれしかと初太刀に眼もくらみけん終に数箇所の痍を屓ふて首をさへも討落さるゝを俺眼前〔に〕見ながらも多くの者に捕圍まれ救はんとするに術もなくかすり痍ながら俺とても二箇所三箇所からぶりたるを尚事ともせで防ぐ程に俺が太刀先をあしらひ兼てやかの曲者等ハ又もとの夏草蔭におどり入り速くも何所へか迯失けん更に影だも見へざるにぞ敵一人も捕へ得ざりし遺恨やるかたあらねども鎌倉よりの火急のお召縡おくれてハ岩鞍の家名に拘る事もあらんか俺泡刀祢の名代に是より」7
那地に赴きて御用の旨をも承たまはり術よくこしらへ立皈れバ汝ハ爰より取て返し是等のよしをお由どのに報知て歎きを慰めよと云はれしまゝに其場より息迫戻つて参りしと大息吐て語るにぞはつと許りにお由が仰天呆れて術もあらざりしが左にも右にも典物が皈り來りし其うへで猶も様子を聞糺し做べきやうもあらんとて心許りの仏事など竊になして待ほどに夫より五日程過てかの典物ハ立皈〔り〕お由に對ひていへるやう偖測らざる這回の大變下奴が知らせに聞せ給はん自己ハ直さま鎌倉なる」管領家に罷出泡之助にハ急病ゆへその後見たる岩鞍典物名代として推参せし段申入れバ喚入給ひ泡之助事病気とあらバ[人尓]にまうしつくべきなり其仔細ハ他ならす先年豊島家内乱ありて稍騒動に及びしかバ鎌倉よりして討隊をさし向その内乱を取鎮め那一族の中を撰びて豊島の城主に据置ところ近頃ほのかに噂を聞けバお斉と喚るゝ似非尼が鳩若光姫を守立て秩父山に楯篭り籏上なさんとするよしなり泡之助ハ秩父根に年頃住める郷士と聞けバ那地の案内よく知りたらん竊に山を鑿穿」8
していよ/\渠等が楯篭り逆意ありと見窮めなバ速かに注進せよ不意に討隊をさし下し根を断て葉を枯すべし然るときにハ其方も上への忠節此うへなしと扮拊られしハ武門の冥加早速お受ハ做したれども夫に就ても口惜きハ那泡刀称が身のなりゆきおん身も此家へ縁ありて輿入までもせられしを今更甲斐へも往がたかるべし猶此家に在さバ某悪くハはからふまじと言ふハ心に一物のありとも知るや知らざるやお由ハ涙をうち拂ひあの泡さまとハ稚児より総角結せし中なるにまだ婚姻ハ做さずとも死なずバ這家を出まじ」と思ひ定めて來しものを爭か甲斐へ戻るべき只這うへの願ひにハ身を墨染と形容を換へ仏に仕へて亡人の迹吊はんと思へるをよきに料りて給はれと言ふに典物うち按じそのお辞も無理ならねど去者ハ日々に疎しと世の諺にも言ふなるを尼となりたるそのうへで後に口惜く思はるゝ事などあらバ亡人の却て爲にも悪からん敏と思按を為給へと言へるばかりで此後も屡望めど更に許さず只念比に款待て憂さを慰めなどするほどに待たぬ日数の何時しか過て五月中院になりし比典物ハ料らずもかの烏羽」9
玉を捕獲て渠を側女となせしより始ハお由を欺止めて俺が手に入れんと思ひ定めし心も何時か失せ果て尼になるなら勝手になれ序に這家も出よがしに款待以前に替りしかどお由ハ原是賢女ゆへ身の薄命と思ひあきらめ更に歎きの色をも見せず望みし出家を許されたるを決句歡ぶ面持にて母屋にあらんハわづらはしと此里外に庵をむすび衣を墨に染なしつゝ仏の道にハ入たれども思ふ仔細のあるゆへにや世になき良夫の百ヶ日の果るまでハと言ひなして猶黒髪ハ剃らざりけり
第五十六回 〈首級を遺〔し〕て八代阿由を奨す|轎に相倶て烏羽玉巧に説く〉
尓バお由ハ那白屋に奴婢をも遣はず只一名有髪ながらの今道心行ひすまして居る程に典物が方よりハ米だに心よくハ送らず近きわたりの里人が粟を恵み或ときハ餅また菜物なんど心を付て取らすなる人の情にやう/\と其日を僅に送るのみ然どもお由ハ憂しとも思はず一心仏の道に分入り唱名の声更に絶ず左右する間に五月も過ぎ照る日も暑き水無月の末も纔になりし頃或日門辺に徨みて」10 裡を窺ふ六十六部鉦うち鳴らして仏名を幾度となく唱へつゝ報謝を乞へる形勢をお由ハ墻の破れよりさし覗き見てうち頷き那ハ女の六部どの率手の内をまいらせん這方へ這方へと呼入られ六部ハ歓び找み入るをお由ハ見つゝ笑し気にまだ嫋若きおん身にて廻國御修行なさるゝハ余義なき事と察しられ身につまされて痛はしい土用央の俄照り日中ハ別て最暑きを此椽先ハ風よく入れバ霎時小陰の出來るまで先憩ひて往給へといふに此方もうち笑てお情深いそのお辞さらバ仰に従ひて少しの間お椽」の端を拝借致すでござりませうと言ひつゝ腰をうち懸れバお由ハ在あふ古茶碗に暖湯汲取りさし出すを六部ハ取ておし頂き四辺しば/\見廻して世に繕ひなきお住居ぶり見うけしところ庵主にも廿才に足らぬお年記仏の御弟子となられしにハ定めて仔細もありそうなと言れてお由ハ歎息なしおん身と吾儕ハ過世より結びし縁しのあれバにや初對面とハ思はれずつゝましからずバおん名をもおん身のうへをも報知給へ吾儕がうへをも言ひ出てせめてハ憂さを晴さんと言ふに六部ハ点頭て私事ハ八代とて賎」11 しき處女で侍れども過世よりして[女兄]妹の縁しある者八女あり夫が在家を覓めんため諸國を廻る仮の修行者して又貴女の道心ハと問はれてつゝまんやうもなく吾儕が名ハ由と呼ばれて這地の郷士岩鞍の妻と定まる者なりしが測らず良夫泡之助が横死によりて詮術なくその亡跡を吊ふため姿を換し破れ衣世に捨られつ世を捨し身のなる果を六部どの不便と思ふて給はれと言ひつゝ瞼をしばたゝくを熟々聞て八代ハ大口明てうち笑ひ偖も笑止や気の毒や豫ておん身ハ這郷で賢女とやらん貞女」とやらん他の噂の高けれバ尋ね來りつ呼入れられしに聞くと見るとハ縡かはり現在讐をつい〓里に居へ置ながら阿容々々と討んともせで仏三昧夫程命が惜いのか見さげ果たる此ふるまひ斯ういふ所に放心々々と長居するのも身の穢れドレ徐々と戻りませうとハ言へ渋茶一碗でも只貰ふてハ気が済まぬ何がなお前に置土産がと笈を開きて。をゝある/\是ハ日外途中にてふと手に入りし品なるがお前のやうな臆病が不思義に治る此妙薬是を殘して置く程に跡で寛りと見なさん」12 せと一ッの壷を取いだし椽の辺りにさし置て回答}{いらへ}も聞かず八代ハその儘つゝと出て往く跡にお由ハ忙然と餘りの事に呆れはて止めもあへず居たりしが尓にても那女六部が心得がたき辞の端々殊に是なる壷の中合点ゆかずとさし寄つて件の壷を披き見るに塩漬にせし一級の首あり訝しながら手に取見れバ嚮に敢なく世を去しと人傳にのみ聞及びし那泡之助が首級なるにぞ是ハとばかり駭きつ又悲しみつ霎時首級を掻抱きて記へず涙にくれけるが俺と心を取直し獨りつく%\思按を做すに」
ふところを見すかす風や辻か花 烏羽玉 大六
」13」
最前渠が辞のうちに現在讐をつい〓処に居おきながらといふたるのみか今此首を臆病の治る薬と贈りし様子何れにしても那者が敵の家名在所をも知りたる者か。とも知らバ委しく問も糺さんにそこに心のつかざりしハ俺身ながらも鈍ましやいまだ遠くもいたるまじ跡追ひ止めてをゝそれと衣の裾を取あげつゝ走り出んとする折しも門口におろす鋲打轎これに附副ふ烏羽玉がその扮打も花美やかに綺羅を錺りし晴衣装許夛の伴當引連たる中にも例の大六が始ハ風呂場の湯汲なりしを烏羽玉が執成にて」14 若黨とまでなりあがりしを這日も供に加へしが烏羽玉ハお由が庵の門口に來つゝ見かへりて其お轎ハしばしの間其処に措て扣へて居よと餘の伴當ハ殘しおき大六許り従へて案内も乞はず徐々と折戸の裡へ入來たれバ出合がしらに思はずもお由ハ顔を見あはせて折の悪さと思ヘども損もおかれずうち笑て這ハ珎らしや烏羽玉さま先々是へと座に戻れバ烏羽玉も最笑し気に會釈をしつゝ一間に通り偖是までハ貴女のうへを言ひ出さぬ日もあらねども御出家做されたその時より母屋の通路も労らはしと這処に閑」居のお気任せつい御無沙汰にハ過ますれど可惜盛りの御身をバ尼となしつゝ朽果すハ何とももつて痛はしゝと典物どのとも常々からお噂いたして居りしところ思ひがけなく鎌倉より大石兵衛允儀方ぬしのその後室と聞へたる青春院と喚れ給ふが定正さまの諚を受おん身を迎へられんため遥々這地へ御下向あり仍て此よし典物どのが自身に是へ参らるべけれど夫でハ物に角が立ち貴女の方でも御遠慮勝女子ハ女子同士とやら私に参つてとつくりとお咄し致せと吩咐られ参りましたと完尓やかに演るにお由ハ又」15 更に合点ゆかねバさし寄て世に捨られし私を管領さまより召るゝとハと言ふを烏羽玉引とつて其御不審ハ理りながら扇谷の管領さま奈何してか知し召けん泡之助が妻由と言へるハすこぶる美人の听へありいまだ婚姻せざるうち良夫におくれて既に今尼ともなるべきよしなるがあたら美人をやみ/\と法師になさんハ最惜し今より屋形に召寄て嬖妾に做まく思ふなれバ敏召連よと諚なるよし当所ハ大石儀方ぬしの素り領地なるゆへに使をもつて言越さるべきを君の御諚の重けれバ家來任せになりがたしとて」後室さまの忍びやかにおん入りありしと言ふ事なり最お前ハ泡さまに操を立ての発心なるを假令管領の諚にもせよ今更側妾なんどにハなるべき心ハあるまじけれど其処が俗にいふ泣子と地頭[人尚]も此事否まれなバ数代傳はる岩鞍の家名に拘るのみならず大石さまにも鎌倉の首尾をそこなひ給ふべけれバ是非とも得心させよとある後室さまの厳しいお言話爰のところを聞分て家のため又人の為に世を捨る身を世に咲出て扇谷家の御部屋さまと喚れ給はバなか/\におん身の為にもあしかるまじ尓ハ侍らず」16 やと説すゝむるをお由ハ听つゝ形容をあらため思ひがけなき高家のお召殊にハお前の右左と縡を別てのお辞を聞入ぬにハあらねども一旦斯うと思ひさだめて衣を墨に染たるをと言ふを烏羽玉听あへず夫ゆへにこそ態わざと私が是まで参つた訳[人尚]此うゑにも聞入なくバ悼ましながら首討てさし出せとある後室さま尓もなき時ハ鎌倉へ言解なしとの諚も理り中へ立たる私等が心の裡を推量して往うとあれバ夫でよし命を捨ても否となら准備の首桶あれにあり其品これへと言葉の下」応と回答て大六が携來りし首桶をお由の目前につきつけつゝ否と云せぬ手詰のせつぱお由ハ素り捨し身の命もさら/\惜まねども良夫の讐を討までと縡に寄へて黒髪をも剃らで時節を窺ふのみか最前測らず女六部に言はれし事さへありぬるを今更狗死なすべきならず尓とて側女に爭かなられん這ハ何として遁れんと思按のうちに烏羽玉が時刻がうつるお返辞ハ何と/\と問つめられ詮術もなく見へたる折しも思ひがけなき奥の間より襖を颯とおし披き顕はれ出たる以前の八代六部の姿に引替て小手臑當に身」 17 軽き扮打是ハと駭く二女が中へ立ふさがりつゝ声掉立毒婦烏羽玉奈何なれバ是まで許多の人をそこねしその奸悪の做し足らで現在主なる泡之助を殺害したる典物が悪事をたすけて斯までに賢女を苦しめまいらするや積悪忽地廻り來て汝が持参の首桶へ汝が首こそ入りぬべし其処動くなと喚はりつゝ襟がみつかんで引居へるを吐嗟と思へど遉ハ曲者とられし腕をふりはなしついに見馴ぬ下婢女がいらざる処へさし出所為門辺におろせしおん轎にハ後室さまも在すを入らざる事して後悔すなと」言ふとき門なる轎より忽地声をふり立て八代いしくも料らふたれ夫へ参つてお斉の尼が無明の醉を醒させんと言ひつゝ駕の戸おし披き徐々出る一個の女僧緑の髪を切捨たるを後ろざまに撫下げつゝ身にハ道衣を着せしがかの白屋に找み入り稍上座にぞ居直りける必竟爰にお斉の尼が名告出たるそのうへにて復爭何なる物語かある\R{〓そ}ハ次の巻に分解るを見て知らん
貞操婦女八覧誌第九輯巻之二了」18
貞操婦女八賢誌第九輯
巻之三
第五十七回 〈齊尼計得り妙智力|一賢露顕る後阿袖〉
尓バ復烏羽玉ハ思ひがけなき此形勢に駭きつ且怪みて開たる口をむすびもあへず須臾呆れて居たりしが素り不敵の曲者なれバお斉の前に找み寄りおん身ハ大石儀方さまの御後室ぞと宣ふてお由どのをバ鎌倉へ誘ひ往くか尓もなくバ首受とらんとありつるに今またお斉の尼と名」告て此ふるまひハ何事ぞやと詰り問れて完尓とうち笑み白癡女いまだ悟らずや然バ仔細を言ひ聞せ睡りの夢を覚させん吾儕ハ真大石の後室なんど言ふものならず女ながらも豊嶋の家を再興なさんと這年頃躬方を集め時を待つお斉の尼とハ則是なり今や功成時至りて這秩父山に躬方を揃へ義兵を揚んとなしつる折しも這八代がと言ひつゝも傍を佶と見返れバ八代是に語を次て吾儕日外品革村にて舟月与伊太に搦捕れ輕井沢まで引かるゝ折しも箇様々々の事により雷の助に羅轎を打破られつ」1
逃れし時一名の飛脚が懐にせし密書を測らず取得しにお斉の尼公が秩父の峰に楯篭りつゝ在するを那典物が見出して訴出たる返翰にて日ならず鎌倉表より討隊をさし對られんとある文体なるにうちも措れず夫のみならで去る夜に思ひがけなく辻堂にて箇様々々の夢を見つ首をも得たる事さへあれバお由さんにも對面していよ/\夫と見きはめなバ良人の讐をも報告ばやと〓処に思案を定めつゝ先づ秩父山へ分登り尼公の栖を索覓めて是等の事をまうしあげしにその時尼公の宣ふにハ吾儕も岩鞍典物が尓る振」廻のあるべしとハ豫心をつけおきしが泡之助の妻お由と言へるハ賢女の聞えある者にて渠も又豊嶋の家に宿縁あるべき處女なりとハ俺が法力にて見きはめたれバ[人尓]ハお由が庵にいたり箇様々々に言ひなして渠が心を引て見よ俺また做すべきやうありと宣ひしゆへ這処へ來て斯る事にハ及びしと云ふをお斉ハ引とつて今八代かいふ通り渠をバさきに這家へ遣はし吾儕ハ大石儀方の後室なりと云ひこしらへ典物はじめ烏羽玉が心の裡をも探り見つお由が様子も試し見しに典物が奸悪烏羽玉が浮薄お由処女」2
が貞心節義縡大概ハ察せしゆへ俺が実の名をあらはして這処にハ名告出たるなり典物といひ烏羽玉といひ又この戸塚大六が是まで做し積悪ハ仏智不思議の通力にて吾儕ハ豫て知りたるうへ猶目前に見しうへハ最早迯ぬ天の冥罸義兵を揚る手はじめに先づ[人尓]等の罪を責当家に由縁の賢女等を苦しめたりし報ひをせん網六ハ何れに居る敏く大六を縛よと辞の下より一個の壮者お斉の尼の伴當の裡より忽地躍り出周章ふためく大六をおさへて索をかくるにぞいよ/\駭きます/\呆るゝ」烏羽玉ハはや一生懸命尓ども奸智に闌たる者ゆへ又捕へんと立かゝる八代が手を潜り抜け傍に在あふ花桶を圍爐裡の中へ投込めバ手桶の水に炉の灰の忽地ぱつと立あがり家裡も暗むばかりなる煙りのうちに立紛れ庭へひらりと飛下りつゝ垣をくゞりて迯出るを逃しハせじと八代が倶に追んとするところをお斉ハ急におし禁め八代渠ハ追ふに及ばずはや恁くまでになりたるうへハ烏羽玉のみか典物も〓の鼡に異ならぬを渠にハ讐ある者もあり夫が手柄に遺しおけと云はれて点頭く八代が」3
思はず傍に大六を縛めたる儘引居たる那網六と顔見合せ[人尓]ハ日外矢口にてと辞をかくれバ網六も然ういふおん身ハその折の旅の女中で在せしかと言ふをお齊が引取て八代にハまだ報告ざるゆへ不審に思ふも理り至極渠ハ[人尓]もかねて知るお理喜お友が従弟にて箇様々々の事に仍りお梅お道の大厄難を救ひし功あるものなるが賢女の跡を慕ひつゝ這頭辺りを索ね歩むを渠が伯母なる老女と倶に俺が躱家に伴ひつゝ今日の伴當にハ連たるなりと語るに八代是迄に疑ひ思ひし首級の事さへ爰にはじめて悟りしのみかお梅お」道が恙なきを最歓ばしく思ひける這時までもお由ハ只忙然として居たりしがお斉の前に貌を改め吾儕がおもひ足らざれバ那典物が為躰を[人尚]や夫かと疑へども正しき證拠のあらざるゆへ現在良夫の讐敵を阿容々々として目の前に置つゝ月日を送りしハ俺身ながらに言ひ甲斐なきを今尼公と八代さまのおしへに夫と知りたるハ是にうへ越す賜なし恁くいふうちも心がせけバ何卒吾儕に典物を討手の役をおん許しなしくださらバ只今より直さま那処に赴きて怨を報じ侍りたしといふにお斉ハ点頭て」4
[人尓]の心底尓る事ながら既に嚮にもいへる通りかの典物等を討捕るべき手筈ハ最早做しおきたれバ取迯すべきやうもなし惴らバかへつて過あるべし素り豊嶋に宿縁ある賢女八名則ありてその一個をお梅と言ひ又お道といひ青柳といひお安といひお竹といひ此八代もその一個にて既に七名なりけるに[人尓]も及その一個にて倶に豊島の帰依仏なりし八躰の弥陀の化身なり尓バ[人尓]も今よりして豊嶋の家に仕ん事這ハ勿論の事なれバ鳩若君と光姫君より衣一重ね賜はる物なり是を[人尓]の身に着て晴の讐討」
深智典物を囲む お斉の尼 お袖 八代
」5」
致されよと言ひつゝ伴當に齎し來りし模様も花栄に染なしたる寧楽晒の麻衣におなじ晒の下帷子着込の〓子鎧さへ添て卒とてさし出せバお由ハはつと座を下り那賜を手に受ておし頂きつゝ扨言ふやう世に歓しき俺が身の素性お家に宿縁あるのみか八女の一名なりとありて冥加に余る賜りもの最吾儕ハそのはじめ身を墨染と做しとき讐だに首尾よく討おほせなバ此身を生涯御仏に仕えまいらせんと盟ひしかど過世よりしておん家に因あるよし聞くからハ爭か辭みまいらすべき由と」6
いふ名ハ既にはや一旦仏に捧げし名なれバ由といふ字に賜の衣を添へて今よりハ袖と改め名告侍らん皆さま袖と召されよと忽地顕はす烈女の本性お斉の尼も八代も侶に感ずるその中に網六記へず小膝をすゝめそのお辞に就てまた思ひ合する事こそ侯へ八代さまにハ知しめすらん那神宮屋なるお袖處女がお梅さまをバ女子と知らず親の許せし良夫ぞと思ひ詰たる一念力にやその身ハ宇女太が刄にかゝり命を隕せど亡霊のお梅さまの枕辺にあらはれ出つゝ言はるゝにハ良夫と思ひ是までに」慕ひし甲斐も今ハはや存命がたき此身の命お前ハ速く本復して時節と俟たバ遠からずお袖と喚ばるゝ一賢女に不思議に名告逢ふよしあらん私ハ縁し薄しておん目に懸るも是までなれどせめて私とおなじ名の其一賢女を末永く私とおもふて睦ましく倶に身を立名を揚給ふを草葉の蔭より這袖がかならず俟て居りますと言はれし由をお梅さまの話しに聞てハ居りましたれど央ハ信じ央ハ訝り尼公さまにも報知ざりしに今お由様の測らずもおん名をお袖と更められしにはじめて悟りし貞女」7
の赤心前後二名のお袖さまいづれ劣らぬ一對の賢女の鑑で侯はんと語るにお斉も八代もお由のお袖も驚嘆して耳新らしくぞ思ふなるべし案下お斉ハ天うち見やり獨しば/\点頭て既に時こそ至りつれお袖八代両處女ハ疾々准備と急がすにぞ心得侍りと勇み歓ぶお袖ハ手速く最前の〓子鎧着下しつゝ上にハ晴の麻衣を据短かにまとふたる其打扮も身輕気なるに豫て所持なす一刀を腰にたばさみ座に直れバ其間に八代もゆるみし帯を引締などして仕度も敏く整ひしかバ斉の尼ハうち見やりて遖愛度二女が」骨柄尓バ這家を打立べし手筈ハ箇様々々ぞと其計策を囁き示し網六その餘の伴當にかの大六を引立させおの/\〓処をぞ立出ける
第五十八回 〈八女倶促して豊島再栄|結局稍全し八仏の縁記〉
休題岩鞍典物ハ泡之助をバ害せし後ハ万般自己が随意なるに近頃秩父の山奥にお斉の尼が楯籠し事さへ速く聞出し鎌倉表へ内通したれバ今日や追捕の沙汰あるか翌日や討隊の對はんか其折にこそ先隊に加り比類」8
なきはたらきして是を出世の小口とせバ思ひの儘に身ハ立べしと鎌倉よりの返答を俟しに思ひがけなく大石殿のその後室の入来ありてお由を召るゝ赴きなるにぞ渠を鎌倉へさしあげなバ縁につながる俺が身ゆへ為悪かるべきやうもなし恁る事にハ怜悧気なれバとかの烏羽玉を後室に副てお由が白屋へ遣はしたるより那処の首尾を奈何あらんと思ひつゞけて心もこゝろならざる折しも迯皈りたる烏羽玉があはたゞしげに報知やう大石殿の後室といひしハ寔ハお斉の尼にて鎌倉よりの返書をも八代が横取なし秩父へ内通したる事又」泡之助を殺せし事さへ渠等速くも知りしゆへお由に讐を討せんとする那処の形勢ハ恁々にて吾儕も捕へらるべきを僅に逃れ皈りしと息つきあへず語るにぞ這ハ什麼爭何と典物が一回ハ仰天せしが又是不敵の曲物ゆへ思ひ直して冷笑ひ小才覚あるお斉の尼が俺が計畧の裏をかき這地に逆寄したれバとて丈の知れたる女の猿智恵此岩鞍の一郷ハ咸我が配下の民なるに恁る時の為にもと俺山猫の姿をなし一器量ある者どもをバ試して家に扶持し置〔け〕バその者等を喚集へ招かで來たるお斉の尼を搦捕て手柄に」9
せんと烏羽玉來れと誘ひつゝ稍楼に走登り豫て相圖とさだめ置く法螺具〔ママ〕とつて吹鳴せバ忽地家の四方より吐と掲たる鯨波の声と倶に許多の兵等楼目がけて捕圍み斉く鏃をさし對たる這形状に典物ハうち駭きつ訝りて四辺を佶と見おろすに咸是配下の荘人の敵に交りて寄せ來しなれバ典物声をふり立て汝等日頃の恩義を忘れ敵に降りしものなるかと言ふとき寄手の其中より露れ出たる五人の勇婦是則別人ならずお梅お道青柳お安お亀の五賢女なりけるが渠等ハ此程所沢より這秩父根に來りしをお斉の」尼が速くも知りてかの山奥に躱ひ置き今日の役にハ立しなりそのとき件の五賢女ハ遥に那方を見あげつゝ愚なり岩鞍典物此一郷の荘客ハみな泡之助が領民なるを[人尓]泡之助を殺害なし當所を横領なすといへども爭か[人尓]に信腹すべきぞお斉の尼のおしへによりて俺們五名が利害を説てお由どのゝ讐討の殘らず助を做さするものなり無明の酔のはや醒なバ首を渡せと喚はりつゝ屋根に階子をうち架て既に間近く詰寄るにぞ駭\R{〔さ〕{き}ながらも遉ハ典物から/\と打笑ひ足手まとひの荘客どもハ逆きたりとも惜むに足らず日頃扶持せし股肱の輩」10
疾く奴原を蹴散らせと下屋を對ひて下知なす折しもその股肱たる者どもハ首に做しつゝ爰にありとお斉の尼を先に立お袖八代兩人が許多の首級を携へつゝ登り來りし其中にもお袖ハ遺恨に堪ざりけん找み對ひつ佶と見て奈何典物今更に言はでもその身に記つらん良夫ばかりか舅たる衛守殿をも殺害なし当家を横領なすのみならず其身の栄利を覓んために秩父の峰に楯篭るお斉の尼公を内通せし言はんかたなき大罪人吾儕も豊嶋に宿縁ありて名さへ袖女と更めたる奉公はじめの一手柄に主家にとつてハ」訴人の罪人我身にハ又良人の讐敵夫と名告て勝屓せよと言はれて典物尓ながらに怒の面色血ばしるまで双の眼を見開きて殘念や口惜や恁くなるうへハ是非に及ばず語りて聞せん承はれ基俺こそハ下毛國庚申山の奥に住む山猫若旡太の一子にて三毛作といふ者なりしが鎌倉方の討隊の為に俺が賊巣を破られてより仮に衛守が門生となり終に渠をバ毒殺なし又泡之助も殺害して這家を横領なしつゝもお斉の尼さへ訴人せしハ元來鎌倉にも恨あれバ恁ることより取入て這身に威勢つきたるうへ管領家をも攻亡し」11
怨を報じ二ッにハ生涯栄花を究めんと思ひにおもひし大望も女ごときの小才覚にて頼み切たる躬方の者さへ討とられしぞ安からね假令何程捕圍むとも俺に刄の當がたき爰に所持せし一品あり這ハ去る日に岩鞍山にて天より落るを拾ひとりし則錦の籏にして豊嶋の家を再興にハなくて〓はぬ重宝なるべし今[人尓]等圍を解て引退かバ夫れでよし[人尚]も手對ひ做んとせバ爰にて引裂き捨べきぞと懐中なしたる錦の籏をおしひろげつゝ両手にとり卒と言は〔ハ〕引裂ん這形勢にお梅等が偖ハ日外六浦なる瀬戸の危難」の其折しも懐にせし錦の籏の竜と化しつゝ飛出て救ひを得しと見へたるハ是俺們が凡眼のいまだ及ばぬ所にて御籏ハ基の御籏にて岩鞍山に落來りしを這典物が拾ひしかと思ふのみにて御宝を質に取られしうへからハ遉に手をも下しかね睨へつめつゝ扣へたる夫が中にもお斉の尼ハいさゝか騒げる体もなくうち含笑つゝやよ典物[人尓]が御籏を所持なすべしと思ひし故に恁までに多勢をもつて取巻しに案に違はず俺とわが口ばしりたる愚さよ見よ/\と云ひつゝも口に秘文を唱れバ不思議や二疋の山猴がひとつの葛篭を引もて來りて典物が」12
前に擱くを是ハと訝る程もなく葛籠を裡より蹴破りて顕れ出たる少女お竹躍り蒐つて典物が持たる籏を奪ひ取り其儘声をふり立て吾儕日外苦七が為に非命の最期をとぐべきをお斉の尼公の妙智力にて二ッの猴に危窮を救はれ秩父の深山に伴はれてより尼公さまの教により小腕ながらに武術も得つ年こそ劣れ八女の一名豊嶋に仕へし手はじめに父が去稔失ひし錦の御籏を取得たりと言ふに典物怒に堪ず少女と思ひ由断して大事の籏を奪はれたれバはや典物が死物狂ひ先汝からと言ひつゝもお竹を目」
八賢女倶促して閑室に遊戯の圖
お亀 お梅 お袖 青柳 お道 お竹 お安 八代
」13」
がけて[石欠]蒐るをお梅ハすかさずおし隔し其ときお袖ハ小躍して御籏の恙なきうへハ今こそかへす恨の刄覚悟為やれと言つゝも白刄を抜て討て蒐るを典物騒がず見かへりて返り討ぞと喚はりつゝ倶に刄を打合て一上一下と[石欠]結ぶ何れにおろかハあらねども兇勇我慢の曲者も忠貞節義の刀尖に及びがたくや受損じて肩先一太刀[石欠]込まれよろめく所を復一討二箇所の深痍に典物ハ刄を捨つゝ仆るゝをお袖ハ得たりと乗しかゝり遺恨の刀思ひ知れと幾太刀となく指通し首うち落してさし揚しハ」14 遖勇々しきはたらきなり夫と見るより烏羽玉ハ透を見すまし迯んとするをお亀ハ矢庭に飛蒐り[人尓]ハ愛嬉が女児と聞バ俺身の爲にハ讐の隻割れ恁いふ吾儕を誰とか思ふ愛嬉がために非命に終りし手古奈の三郎が女児亀思ひ知るやと許りにてひらめかしたる刄の電吐嗟と叫ぶ烏羽玉が首ハ宙にぞ飛だりける恁る折しも耳元より俄に聞ゆる貝鐘太鞁這ハ何事ぞとお斉をはじめ八女も駭くそのうちに押寄せ來りし一隊の軍兵さきに找みし大将が近づくまゝに声ふり立。ャァ不敵」なり豊嶋の殘黨汝等婦女子の分際として及びなき企做し世上を騒がす白痴者俺を誰とか思ひぬる則管領定正なり我大任を被りながら爰に人馬をさし向し事輕々敷に似たれども近頃河鯉の城にありて放鷹なさんと今爰を通りかゝりて聞くに忍びず自ら退治なさんがために走對ひしと知らざるか賊婦等首を竝よと思ひがけなき管領の辞に不審晴やらずお斉の尼も賢女等も霎時ためらふその中にお道ハ嚮よりお袖お亀が讐を報ひし形勢を最羨ましく思ひしに日頃覘ひし定正と聞より忽地躍り出珎や」15 讐定正吾儕ハ氷川の神祇官澁谷典膳が女児なる道女なりしを見忘れしか嚮にハ洲崎の松原にて只一討と思ひしを[人尓]が運の盡ざるところか撃もらしぬる口惜さハ忘るゝ間もなかりしに今招かざるに自己から名告て爰に出たるハ天より讐を討しむる冥助と思へバ爭か逃さん刄を受よと詈りつゝ面も掉らず[石欠]てかゝるを定正左辺右辺身をかはしヤレ俟て孝女言ふよしあり怒をおさめてまづ听きやれと言ふハ正しく女子の声にてはじめの音声ならざれバ是ハと訝るそのひまに那定正ハ眉深に冠りし兜を取るを宜く見れバ齢も四十」を超へしと記しき一婦人にてありしかバお道ハいよ/\合点ゆかず仔細いかにと猶豫するうち件の女ハ馬より下て伴當ひとりも従へず遥の後辺に残し置て徐々として座に通り各位かならず訝り給ふな吾儕ハ管領補佐の臣巨田持資が妻にして名を山吹と喚るゝ者嚮に我君定正ぬし豊嶋の家を攻亡せしもお道が父なる典膳が所領を奪ひ給ひしも咸是讒者の做す所為にて偏に君の御心より出たる事にハ侍らぬかし仍て我が良夫諌まいらせ君にも既に前の非を悔ませ給ふ御気色にて豊嶋の家の悪黨どもの今鎌倉に諂ふやからハ此度殘らず」16 罪せられ豊嶋のお家ハ幸ひに鳩若どのゝ在すれバ本領安堵致さるべしと則御教書是にありと懐中よりして取出しお斉の尼に渡すにぞ思ひ寄らざる這場の首尾にお斉ハはつと首を下げかの御教書を敬々しく受頂きつゝ讀おはり俺們そゞろに躬方をかたらひ恁る騒ぎをなしつるをおん悪しみハ更になく主家再興為させ給へる是併ながら持資さまのおん執成といかばかりか有難きまで辱しと言ふに山吹又いふやう恁る愛度おん使を被る吾儕が這やうなる最いかめしき打扮にて定正ぬしの作声して駭かし在らせしを心得がたく思はれんがお道とやらが孝心を」仇になさじと思ふがゆへ這おん兜ハおほけなくも定正ぬしの御召なるを至孝にめでお道に取らせん豫譲が例におん首級と思ふて恨みを晴せよと情の辞にお道ハ歓び讐も恨も是までと件の兜を懷釼にて三刀さしつゝおさむるにぞ山吹ハ猶笑し気に恁てハ迭に遺恨ハあらねど尚も親義を結ばんために豊嶋の御息女光姫君を扇谷の若君たる朝興ぬしのおん内君になされたき君の諚で侯へバ此義もおん受あるべきかといふにお斉ハいよ/\歓び管領さまの嫁君に光姫さまをまいらせん事 當家の面目此うへなけれバ姫にも申あけたるうへ後しておん受いたさんと縡みな」17 丸くおさまる折しも那鍬八ハ網六の伯母の老女と侶倶に走り來りて報告るやう俺們ハ去る日より秩父の峰に召寄せられ賎しき身をバ引揚られ光姫鳩若両君の御側近くさし置れしに先稔失させ給ひしと聞及びたる八躰の那阿弥陀仏の霊像の忽然として帰らせ給ひ以前に替らず厨子の裡に安置なしつゝ在するを只今測らず見出せし故此事を知らせまうさんため参りし由を物語るにぞお斉の尼も八賢女も傍聞せし山吹も信心 胆に銘じける恁て後鳩若丸ハ豊嶋の家を相續なし光姫は又管領家へ日ならず輿入まします」にぞ両家の賑ひ此うへなし偖大六等の悪人ハ悉く罸せられ八女その餘の善人ハいよ/\忠信孝貞の赤心をもて仕へしかバ豊嶋ハ倍々栄ゆるにぞお斉の尼の宿願の爰に空しからざりしを猶後の世に傳んと豊嶋の所領のそのうちにて浄々の地を撰み那八躰の弥陀仏を八所に移しつゝ這に八ヶ寺を建立せしとぞ是なん今の六阿弥陀元木木餘の二箇所を添て八躰の霊像ハ末世にいたれど朽果ぬ夫が縁記を綴りなし芽出度爰に筆を擱く
貞操婦女八賢誌第九輯巻之三大尾」18
【後ろ表紙】
【補遺】
偶然、初輯を5分冊した後印と覚しき貸本屋本の端本が管見に入った。その第2冊目(第2回)の巻頭に、2丁の「附言」(板心は「女八賢巻の〔巻数を削る〕 ○〔丁付なし〕」)が付されていた。
附言
こゝに記せる二葉ハ巻首に出せし石濱のお亀がことの條下にいたりて抄録すべき 古図なれどはやく二編のいとぐちを看官の諸君に告たしと書房の好みに應ぜしわざ也
今花川戸町入口なる六地蔵石燈篭の圖
〔図略〕一尺三寸余\二尺八寸\七月廿二日\横一尺八寸六分」
竿石に文字あれども磨滅してよみがたしわづかに七月二十二日兵衞と八字おぼろ けに見ゆ古老の云回禄せざる以前までハ應安元年と云文字かすかに見えしとぞ 應安といふ年号ハ 後光厳帝の御時にしていと/\ふるき古物なり市中にハ稀なる ものといふべきか
古隅田川水上之圖
〔図略〕」丁付なし
今隅田川水上之圖」
〔図略〕
武蔵國隅田川ハ豊嶋郡と葛飾郡の境の川をさしていふ
伊勢物語 むさしの国としもつふさの国との中にいとおほきなる
川ありそれをすみだ川といふ>略
すみだ川の説ハいにしへよりしう/\にてむづかしき事也今隅田川と称するハ武蔵國秩父郡よりはじめて男衾榛沢の境をとほり夫より大里の郡中を流れて足立郡へ出る戸田川の末淺草川をさして隅田川と云
又云 古隅田川とハ上野國利根川にて武蔵國埼玉郡に落る今此所を川俣 といふ是より葛飾郡と埼玉郡の境をながれ古利根に出る此処にて元荒川 と落合その二流一となりて古隅田へ出る是いにしへのすみた川なるべし今 中川と称する川上ハ古隅田の川筋なるべし
江戸 教訓亭主人記 [印]」丁付なし