『當世八犬傳』−解題と翻刻−
【解題】
曲亭馬琴作『南総里見八犬伝』を抄録した本の紹介を続けてきたが、今回は読切合巻『當世八犬傳』を紹介したい。
鈍亭時代の魯文が手掛けたもので、上下2巻10丁(1冊5丁)で完結しており、おそらく現存する最短の八犬伝物だと思われる。しかし、さすがに10丁では荒筋を追うことは到底不可能であり、謂わば名場面集という趣きである。取り上げられた場面は、「洲の崎明神の場・滝田城内の場・富山麓の場・同入口の場・同岩室の場・同伏姫自害の場・大塚村の場・圓塚山の場・芳流閣の場・古那屋の場・馬加舘の場・千住堤の場・行徳沖の場」と、発端の伏姫物語から対牛楼までであるが、実に巧みに八犬士全員を登場させている。
前回までに翻刻紹介してきた通り、魯文は安政2〈1855〉年から3〈1856〉年秋に掛けて、原本から抄録(抜き書き)して切附本(末期中本型読本=袋入本)『英名八犬士』全8巻を出しており、間違いなく原文を読んでいるので、八犬伝の構想や筋立てのみならず、行文や口絵挿絵の図柄などについても熟知していたはずである。『當世八犬傳』の序文末には「安政三辰夏\一昼夜急案」と見えているが、これは誇張された表現ではなく『英名八犬士』の付随作として文字通りに「一昼夜」で書き上げたものだと推測することが出来る。
ただし、草双紙には5丁1冊という制約があり、一般に上下巻の境目にあたる5丁裏と6丁表とは見開きには成らないのであるが、本作の後印本では金碗大輔が八房を鉄炮を撃つ図と伏姫の洞の図に分けられており、合綴しても図柄が続くように工夫されている。
『八犬伝』は魯文にとっては有用な財産になったと見え、「慕々山人」の戯号を用いて艶本化した『佐勢身八開傳』(全3編3冊)も、この時期(安政3〈1856〉〜4〈1857〉年)に刊行している。この艶本も、全体の構想のみならず使用されている固有名詞や文辞に至るまで逐一性的パロディと成っていて、実に能くできた戯作である。
【書誌】(補訂)
當世八犬傳(早印本)
書型 中本 1巻1冊(10丁)
表紙 錦絵風摺付表紙(芳流閣の場)
外題 「當世八犬傳 讀切」「鈍亭魯文作\一松齋芳宗画」
見返 「開梓\八犬傳\讀切」「蓑笠翁をたゝへて\いにしへの 犬の鼻しゝ 京ならむ ふみもてあやに つゞるきみかな」
序 「安政三年辰夏\一昼夜急案 魯文戯誌」
改印 [改][辰五]〔安政3年5月〕
板心 「 八犬 一(〜十)」
作者 「鈍亭魯文填詞」
画工 「一枩齋芳宗画」
丁数 10丁
板元 「日本橋新右エ門丁 糸屋庄兵衛板」(新庄堂)
底本 架蔵
諸本 〈後印本〉神奈川県立図書館
當世八犬傳(後印本)
書型 中本 上下2巻2冊(各5丁)
表紙 錦絵風摺付表紙(芳流閣の場)
外題 「當世八犬傳」「一松齋芳宗画」(上下冊)
見返 なし
序 「安政三年辰夏\一昼夜急案 魯文戯誌」
改印 [改][辰五]〔安政3年5月〕
板心 「 八犬 一(〜十)」
作者 「鈍亭魯文填詞」
画工 「一枩齋芳宗画」
丁数 10丁
板元 「日本橋新右エ門丁 糸屋庄兵衛板」(新庄堂)
底本 神奈川県立図書館本
諸本 〈早印本〉架蔵
一、序文をはじめとして基本的に底本の表記を忠実に翻刻した。濁点や振仮名、仮名遣い、異体字等も可能な限り原本通りとした。
一、本文は平仮名ばかりで読みにくいので適宜漢字を宛て、原文を振仮名として保存した。
一、本文中の「ハ」に片仮名としての意識は無かったものと思われるが、助詞に限り「ハ」と記されたものは、そのまま「ハ」とした。
一、序文を除いて句読点は一切用いられていないが、私意により句読点を付した。
一、底本の破損で読みかねる部分は、推測しうる字数の□で示した。
一、丁移りは見開きの表にのみ 」5オ のごとく丁付を示した。
一、明らかな衍字には〔 〕を付し、また脱字などを補正した時は〔 〕で示した。
一、底本は、架蔵の早印本を用い、後印の神奈川県立図書館所蔵本を参照した。
【補訂】 一、入手した早印本に拠り書誌と図版を増補した。
【表紙】
早印表紙
後印表紙
【序文】
早印見返
後印
曲亭翁丸〈犬の名〉八犬の形に吼てより。吾輩の狗兒作者。親犬の影に吼。左リ巻の尻尾にすがり。洗流しの混雜汁。干魚の骨の喰餘りに。 咽喉を鳴し群り竸ふ。一日暦世の犬の鼻より。出しといへる糸屋の主人。予が茅舎を訪ふて。形を吼たる八犬傳記を。合巻にしてよと乞。予ハ素人の白犬にて。
作者三分のふち斑。外門の黒犬たのみ玉へと。固辞を聞で押かへし。ワンでも可也手ヱくれ/\。ヲシキ/\とけしかけられ。例の鉄皮面かぶり。老たるむく犬見るやうに。筆のあゆみの埒あかず。腹に種のない犬張子。書房は尻尾を振ながら。噛つく如き催促に。困じ果たる [次へ]」1オ
[つゝき]手詰の間錢。喰と喰ぬの境なれど。佳文段ハ太郎犬と。次郎どんの犬がいち疾く。みんな嘗たる跡なれバ。其皮むいて太鼓に張て。わるい音を出すどん/\鈍亭。又其影に吼るになん
〈安政三辰夏|一昼夜急案〉 魯文戯誌 [菱文]」2オ
婦多川出崎眺望 ○里見義成五女濱路姫
「ひやうばん」 「大吉利市」 「大入叶」 「大評判八犬」 「大ひやうばん」
洲の崎明神の場
○安房の国の大守里見義実朝臣の
御娘伏姫といへるハ、
いまだいと幼きころ病身にておはしまししかバ、
数多の腰元かしづきて、当国洲崎の明神に
祈誓をかけ、役行者が
岩室へ詣で給ひけるに、役行者の尊霊一人の翁と\
化し、伏姫君に水晶の数珠を授け給ふて、
伏姫こゝに因果の道理を撒いて、里見の家の災ひ
幸ひと変じ、八人の勇士を
生ずる発端の糸口を拓くこととハなりぬ。
○賜りたる数珠の八ッの玉に、 如是畜生発菩提心とありて、のちに仁義禮智忠信孝禎の文字にかはる。
しもべ「天狗様にしちやァ、格別鼻が高くもなく、 足駄の高いのを履てゐるから、居合抜きの免許がゑゝ」
伏姫 役行者」3オ
滝田城内の場
伏姫十六才の時、御父義実朝臣ハ滝田に在城あつて、麻呂
安西の敵を引受け
合戦ありしに、城中兵粮に乏しく、籠城なすこと
能ざれバ、今宵限りと見へたるが義実手飼の八房と
云へる犬に敵将の首を\
咥へ来たらんにハ姫を与ふへし、と戯れ給ひしに、犬ハ
やがて敵将安西景連の首を咥へ来たる
〔木曽介〕「此ハ恐し、感心/\」
八房「わんと、とうた、きついものたらう。これてハ伏様をしめた/\」
杉倉木曽介 里見義實 伏姫」4オ
富山麓の場
○御いたはしや伏姫君、手飼の犬の八房が功の賞に、御身をハ犬にまかせて山籠り、されとも身をバ汚されで、明暮れ御経読誦なし、しんにを清まして法の道、仏に花を供へん為、立出で給ふ。
折からに、草苅る童か牛の背に笛吹きすさみ来たりしか、姫を見るより声を掛け「御身ハ犬の妻にして既に懐妊\し給ふ。」
これを云はれて姫ハ\うち腹立ち「身をバ汚さで居るものを懐妊したとハ僻事ならん」と云ふを打消し彼童「イヤとよ、御身を汚されずとも、姫君御経読誦の御声に犬もしんにを清しつゝ煩悩を発せねど、姫ハ犬の経文に耳を傾く心を感じ如々入帰の友なりと思す御心あるにより、犬と合体し給はねど心が和合した故に、その気を感じて孕みしなり。」と云はれて姫ハ涙に暮れ、如何ハせバ良からんと顔振上げてうち見るに\草刈童ゝ何処へ行きけん形ハ失せて無かりけり。
神童 伏姫」5オ
同入口の場
○此処に里見の家臣金碗八郎孝吉が一子大輔孝徳と云へる者、君の使ひの途中にて敵の為に取り囲まれ、召し具したる士卒等を皆な失ひしかバ、面なさに安房へハ帰らで上総に至り\身を忍びて時節を待つに、「今度主君の姫君手飼の犬に見入れられ給ひし」と聞き、密に鉄砲携へて富山の彼方へよぢ登り、川を隔てて岩屋を窺ひ、八房目当てに狙ひを固め、火蓋をどうと切つたりける。
金碗大助」5ウ
早印本(見開)
同岩室の場
○時に大輔が撃ち放せし鉄砲の弾、鋭く八房の犬を撃ち抜いて、余れる弾にて姫君の乳の下深く撃ち込んだり。大輔ハ手ごたへせしかバ、「いで姫君を救ひ参らせ、これを功に帰参せん」と、岩室に来て見れバ、八ッ房のみかハ姫君まで撃ち殺したりしかバ、「過ちなれども、主を撃ちし身の罪科ハ脱れ難し」と、既に腹を切んとなし [つぎへ]
伏姫」6オ
同伏姫自害の場
[つゞき] 刀逆手に取直す折から、誰とも白羽の矢、ひやうと来つて大輔が右の臂に立しかバ、思はず刀取落すところへ、里見義実朝臣弓矢携へ来たり給ひて、姫君を介抱ありしに、血筋の縁の通じてや姫君忽ち\息吹き返し、因果の道理明らかに述べ給ひて、また懐剣を我と我腹に突立て引回せバ、その傷口より一道の白気いん/\と立上り、役行者に賜りし水晶の数珠の八ッの親玉空に飛び、仁義八行の文字鮮やかに八方へ分れて飛去りける。姫上これを見給ひて「嬉しや腹に何も無し、いでおさらば」と引回し、あへなく息ハ絶へ給ふ。義実朝臣\御太刀を引き抜き給ひ、「大輔覚悟」と金碗が髻を切つて捨て給へバ、金碗これより\出家して法名をヽ大と名告り、八ッの玉の行き方を尋ねながらに立ち出でけり。
里見義實 伏姫 金碗大助
仁 義 礼 智 忠 信 孝 禎」7オ
大塚村の場
此処に犬川荘介ハ
伊豆の堀越の荘官犬川衛二が子にて、父に遅れ母と倶に大塚村へ来たる。
犬川母 犬川荘助義任
圓塚山の場
○此処に網乾左母次郎といへる悪者、犬塚信乃が許嫁浜路を奪ふて円塚山にて奪ひ取つたる村雨丸を抜きて浜路を脅し、己が心に随へんと挑む折から、火定の穴より寂寞道人躍り出て左母次郎を切捨て、手負ひの浜路を介抱して「我ハそちの兄\犬山道節なり」と名告聞かす。
額藏 後に犬川荘助 ○様子を窺う
犬山道節忠知 濱路 網干左母次郎」8オ
芳流閣の場
犬塚信乃戍孝 犬飼見八信道と古我の御所なる芳流閣と云へる高殿にて闘ひ組討ちして行徳の小舟の中へ落ちたりける。
犬飼見八 犬塚信乃
古那屋の場
○下総の行徳の旅籠屋、古那屋\文五兵衛の伜犬田小文吾ハ、犬塚 犬飼の二人リを匿ひ置きしを、妹壻 山林房八これを知りて小文吾に難題を云掛て、小文吾が手に掛る。これ実ハ信乃が身代りに立ん為なり。この喧嘩の折、房八が女房沼藺ハ中へ割て入り手を負て、夫ゝ倶に冥土の旅へ赴くにぞ、二人が\中の忘形見 大八といふ小伜 を守立てゝ\これを後に犬江新兵衛\仁 と名告せ、八犬士の随一とハ成れり。
山林房八 房八妻縫 犬江親兵ヱ 犬田小文吾禎順」9オ
馬加舘の場
朝開野〈実ハ〉犬坂毛野
○武蔵の国石浜なる千葉自胤 が老臣 馬加大記ハ、その昔、犬坂毛野が父 粟飯原胤度を討ちたる者故、その子毛野 父の仇を討たんと\旦毛野と云へる女、田楽に身をやつし馬加の館へ入込みぬ。
狆ころ曰「アヽ日が長へ/\と欠伸をすると、 口からこの様なものを吐出した。 ハテ何だらうか。龍宮なら蛤でなけれハ 吐ない筈だか、とんたものを吐出して、 画工や板木師の厄介 ものだ。きまりに一つ鳴てやれ。キヤン/\/\。 おきやきやんのキヤン、イヤお目出度い。
千住堤の場
犬村大角禮儀
○犬村大角ハ上野の国赤岩村なる赤岩一角が子にて、当郡 犬村の郷士犬村蟹守が養子となり、実父が仇たる庚申山 の化猫 を 討滅し、千住河原にて強盗を取拉ぎ、後に余の七犬士と共に里見公に仕へて武勇の誉れを現しぬ。又この人ハ文学にも熟したりとかや。
千客万来大々叶 千住堤の場」10オ
行徳沖の場
斯くて犬坂毛野ハ対牛楼にて、年来の父の仇馬加大記を討取りて小舟の船頭踏据へながら、あと白波でチヨン/\/\と柝の頭を切つ掛けに、日の出が上つて、
目出度し /\/\/\ /\/\
大塚毛野胤智
鈍亭魯文填詞
一枩齋芳宗画
日本橋新右エ門丁
糸屋庄兵衛板」10ウ
早印本巻末