文學が學問の對象とするのは主として言葉で表現されたものである(此等は普通、文字を紙に綴った〈本〉と云う形態で遺されている)。文化遺産として〈本〉は、典籍、書籍、書物、圖書、草紙、册子等と樣々の名稱で呼ばれる如く品格の差を保持しているが、内容と體裁とには有機的な關聯が存する。即ち大きく重厚な裝幀の<本>は、その體裁に相應しく重々しい内容が多いのである。しかし中には一枚摺りのチラシの如きものや卷物(卷子)に仕立てられたのもある。更に文字が書かれているのは紙とは限らないし、文字のみならず繪だって讀むことが出來、近年近世文學の分野では插繪の研究も盛んに成って來た。斯樣に廣く目を配る必要を知りつつ、取り敢えずは本を相手にする譯である。
しかし手輕に見られる活字本や影印復刻本でしか本文を讀まないのでは、オリジナルの持っている雰圍氣は理解できない。そして雰圍氣と云うのが意外と本文の讀みに關わって重要な意味を持って來るのである。初板本とか初摺本とかを問題にする事が單に好事家趣味に留まらない所以である。つまり研究對象となる作品は本文の文字列だけでなく、〈本〉全體をテクストとして讀む必要があるのだ。最早メディアの問題を拔きにして悠長に文學などを論じて居られる幸福な時代ではないのである。
また寫本と製版本板本との差異も看過できない。印刷術の進捗に據って本そのものが大量に複製可能に成った結果として、本來はテクストとは何一つ關係の無かったメディアとしての〈本〉が商品としての價値を備えてしまったのである。從って近世中期以降に刊行された作品は、本文からに直に作者の意圖を讀むことは不可能に成ったと云っても過言ではない(何故ならメディアと云うものは商品の生産流通を促進する方向でしか機能しないものだからある)。具體的にはジャンルと云う樣式性を強く要求し、その規格が備わるやいなや商品としての作品を制作する工房が出來、ブランドとしての板元名や作者名が生まれ、人氣哥舞伎役者達のゴーストライター(岡山鳥が紀十子〈沢村宗十郎〉の名前で出した草双紙〈文化6 (1809) 年刊〉が最初のものだと思われる)迄登場したのである。
つまり本文を讀むと云う本來の文學研究(それ自体も幻想なのであろうが)に着手する以前乃至はそれと竝行して、メディアとしての〈本〉が制作される過程についての研究(近年発展しつつある出板文化史研究)や、ジャンルとしての樣式性の問題、社會環境の中に於ける讀者の嗜好及び官禁の有無、出板に到る經過等々についても思いを繞らす必要があるのだ。
つまり一寸と圖書館へ行って本を借りてきただけでは研究に成らないのであるから、全くえらいことに成ったものである。取り敢えず、可能な限り原本に觸ってみること、そして廣く大量に讀むこと以外に我々の進む途は無いのである。そう、國文學とは實は體力が必須の格鬪技だったのである。