書評・展望 江戸絵本研究の展望
高 木  元 

ここで謂う江戸絵本とは、近世中後期の出板にかかる所謂草双紙のことである。この草双紙を史的展開に沿って、赤本青本黒本時代、黄表紙時代、合巻時代と3期に分け、最近の研究動向を見てみよう。

まず、初期草双紙(赤本青本黒本)では、上方板の研究に著しい進展が見られた。1980年、岡本勝によってなされた伊勢射和寺地蔵仏胎内から上方板の子ども絵本が出現したという報告は、赤本等を江戸地本として来た従来の文学史の常識を覆すものであった。発見された13本は、全て『初期上方子供絵本集』(角川書店、1982)に紹介されている。これを機に、早くから中村幸彦が「江戸時代・上方における童話本」(『文学研究』59、1960)で提唱されていた上方板子ども絵本の総合的な調査研究が進み、1975年には、中野三敏・肥田晧三編『近世子ども絵本集・上方編』(岩波書店)が刊行され、現存本300点程のリストを提示されるに至ったのである。一方、鈴木重三・木村八重子編『近世子ども絵本集・江戸編』には、多数の草双紙の善本が紹介されて居り、解説では木村氏の長年に亙る調査により確認された赤本等130余点が挙げられている。 右の両編は共に、可能な限り原寸に近い大きな写真図版を用い、信頼できる翻刻と注釈とを付しており、行き届いた解説と相俟って現在得られる最良のテキストとなっている。

小池正胤・叢の会編『初期草双紙集成・江戸の絵本』全4巻(国書刊行会、1987〜1989)も、60余作に及ぶ翻刻注釈付きの影印という劃期的な仕事。これは、叢の会(東京学芸大学大学院同人)の同人誌『叢』1〜9号を集大成して公刊されたものである。基礎研究としての諸本研究や本文校訂、更には語句や趣向の出典研究等を積み重ねることを通じて、周辺の文芸や演劇との影響関係を明らかにし、片々たる草双紙にも多くの研究意義の存することを提示している。本書の用語索引に論文集を併せた『黒本・青本の研究と用語索引』(国書刊行会、1992)も備わる。同人の大半が多忙な教育実践の現場に身を置きながら継続して来た10年来の仕事であり、その面での意義も重い。なお、同人の仕事として有働裕「鳥居清経画草双紙と『西鶴織留』」(「近世文芸」42)、山下琢巳「鳥居清倍・清満と『一夜船』(「近世文芸」43)、細谷敦仁「実録『賊禁秘誠談』と黄表紙『石川村五右衛門物語』(「学芸国語国文学」26)などがある。

さて黄表紙の方では、注釈を加えたテキストが着々と整備されつつある。教養文庫『江戸の戯作絵本』全6巻(小池正胤・宇田敏彦・中山右尚・棚橋正博編、1980〜1985五、社会思想社)には、黄表紙を代表する作品50点が収められ、一般読者の入手しやすい文庫本として刊行された。また〈シリーズ江戸戯作〉として、山本陽史編『山東京伝』(桜楓社、1987)が出され、京伝の未注釈の黄表紙六作を収む。鈴木俊幸編『唐来三和』(桜楓社、1989)は、三和の6編を収める。ともに巻末に付された画題索引と語句索引が有用。

一方、岩田秀行が纏めた「『敵討蚤取眼』翻刻略注」(「跡見学園女子大学国文科報」15)は、馬琴が典拠として参照した句集を明らかにしていて興味深い。黄表紙中でも馬琴の作には特に翻刻が多いのであるが、これは清田啓子の継続的な翻刻(「駒沢短期大学研究紀要」3〜24)に負うものである。なお、享和元年の9作に限っては板坂則子により注釈付きで翻刻されている(「群馬大学教育学部紀要」31〜35)

この様にテキストが着実に整備され続けている一方で、棚橋正博に拠る網羅的な書誌研究の成果が日本書誌学大系『黄表紙総覧』前・中・後編・索引(青裳堂書店、1986〜1994)に結実したのも特筆すべき成果である。

他方、作家の伝記研究としては、恋川春町を中心とした広瀬朝光の『戯作文芸論---研究と資料』(笠間書院、1982)、朋誠堂喜三二の総合研究書である井上隆明の『喜三二戯作本の研究』(三樹書房、1983)、唐来三和には鈴木俊幸の「唐来三和年譜稿」(「中央大学国文」30)等がある。また、加藤定彦「若き日の恋川春町」(『江戸文学研究』、新典社、1993年)は、春町が戯作壇に登場する以前に俳諧に遊び、歳旦帖に句文や挿絵を寄せたことを明らかにしたもの。

この他にも、天明期に於ける狂歌流行と戯作壇に注目された和田博道の「天明初年の黄表紙と狂歌」(「山梨大学教育学部研究報告」31)等や、『夭怪着到牒』を万象亭作とする石上敏の「寛政の改革と万象亭」(「半田山論稿」)等や、時間軸を切口として丁寧な読みを進めている田中洋の「安永期黄表紙の一側面」(「緑岡詞林」10)等がある。

文学論としては、井上隆明『江戸戯作の研究−黄表紙を主として』(新典社、1986)が、抜書きの重層化という独自の文体に拠り、政治都市文学としての黄表紙の方法を分析的に抽象化していて迫力がある。また、宇田敏彦の「『金々先生栄花夢』再見」(「近世文芸・研究と評論」32)は、序文の〈浮世〉という一語に着目して作品全体を読み直し、新ジャンルとしての文学性を論じる。さらに、同氏の「春町作黄表紙の虚像と実像」(「近世文芸」45)では、丁寧に『悦贔屓蝦夷押領』を読解しつつ、黄表紙という極めて暗喩に富んだ時世風刺の作品を読む際、豊富な資料を駆使した考証だけではなく、読む側の〈想像力〉が不可欠であるとされる。趣向や図柄の典拠捜索という、大層魅力的な作業に終始してしまいがちな草双紙研究に対する、重要な警句として受け取るべきであろう。

最後に合巻であるが、通史的に概観した研究はつとに備わり、複製も散見する。基礎研究としては佐藤悟の「柳亭種彦草双紙書目稿」(「近世文芸」38)や、鳥居直子「東西庵南北小論」(「近世文芸研究と評論」50)がある。また「早稲田大学所蔵合巻集覧考(1)〜」(「近世文芸研究と評論」35〜)や「東京大学所蔵・草雙紙目録」初〜3編(日本書誌学体系、青裳堂)は継続的な書誌解題で有用である。

一方、テキストで集大成されているのは『鶴屋南北全集』のみ。叢書江戸文庫シリーズ(国書刊行会)の『役者合巻集』『式亭三馬集』『十返舎一九集』『柳亭種彦合巻集』『森島中良集』『曲亭馬琴草双紙集』などに収められている。代表作の注釈付き翻刻としては、林美一の編に拠る江戸戯作文庫シリーズ(河出書房新社)がある。これは「八重霞かしくの仇討」等合巻を中心に原寸大の挿絵を入れる。また、板坂則子の「曲亭馬琴の短編合巻(1〜6)(「群馬大学教育学部紀要」36〜41)、「曲亭馬琴の短編合巻(7〜12)(「専修国文」52〜60)も継続的な翻刻計画である。

此方は合巻だけではないが、鳥居フミ子編『近世芸文集』(勉誠社、1986〜)シリーズも、国内に所在が知られていない草双紙の影印復刻で貴重である。なお、草双紙研究にはジャンルを越えた趣向や題材による切り口も有効と思われ、高木元「鳥山瀬川の後日譚」(『江戸読本の研究』、ぺりかん社)はこの方法を試みたものである。

以上、最近の草双紙研究をひとわたり概観してきたが、草双紙の大きな特徴である〈挿絵を読む〉研究に触れる余裕が全く無かった。この点は、浮世絵研究や絵本の書誌的穿鑿の重要性に就いての再認識を迫る、鈴木重三の「國芳畫『日本奇人傳』の素姓−嵐雪變じて馬琴と化す−」(『書誌学月報』31)の所説に一切を委ねたい。


# 「日本文学」36-12(日文協、1987/12)所収
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