先人の研究史
「国文学史上に於ける近世の特異性は作品が出版された事換言すれば商品化した事にある」とは、濱田啓介氏が23歳時に「國語國文」(1953年4月号)に発表された論文「馬琴に於ける書肆、作者、読者の問題」の冒頭部である。
その後、常識となった所為か1993年に上梓された論文集『近世小説・営為と様式に関する私見』(京都大学学術出版会、1993年12月)に再録される際に、この冒頭部分は削除された。のみならず、論文の主旨自体を変更することなく、その後の研究や資料を叮嚀に折り込み、平易に書き直された。結論で述べられる馬琴読本に関しても、「馬琴特有の高踏文学」だとした旧稿を、「理想主義小説の創造」と書き改められているのである。
この論文集は造本様式や書式についても大きな刺戟を斯界に与えた。たとえば序末の初出一覧の後に「筆者の所見として利用せられる場合には、旧稿ではなく本著によって頂くことを希望する」と明記され、従来の初出を偏重した編集方針に異議を唱えた。また、学位や生歿にかかわらず「人名の敬称は、すべて氏に統一した」という方針も、当時は新しく合理的であり、拙著なども驥尾について安心して同様の編集方針を採用できた。
しかし、最新情報だけを追っていたのでは気が付かない情報も在る。この論文に出合ったのは20代半ばのことだったか、「作品が作者のものではない」というテキスト論の洗礼は受けていたが、文学作品を一商品に還元してしまう視座があるとは、想像だにしていなかったからである。
先人の研究史を知るために、初出と改稿とを比較検討する意味も尠くないはずである。若かった私の研究に指針を示唆したのが旧稿だったこと。そして、その示唆に導かれて仕事をしてきた結果として、改稿された論文では拙稿をも参照して下さったことに思い至ったからである。
蒙った学恩に心から感謝したい。