酒場学問
学部1年の時、一般教育科目「国文学」(『雨月物語』)を受講した。先生は40代半ばであったが、広めの額を隠さず、伸ばした髪を後ろで纏めていた。心臓がお悪いので、胸を締め付けない和服を召され、袴を穿き、下駄履だった。耳がご不自由だったので補聴器から延びたコード先のイヤホンを片耳に入れていた。この易者の如き異形性は充分にカリスマ性を表象しており、受けた第一印象は強烈であった。その上、教室の教壇上では、間断なく紫煙を燻らせながら、訥々と怪談についての篤い想いを語り続けられていた。現代では到底見うけられない授業風景ではあった。
演習は学部と大学院とを、それぞれ隔週2コマ続きで実施されていた。2コマと言っても実際は受講生の発言が尽きるまで続いた。また、当時、東京都立大学は完全な昼夜開講制だったので、21時終了の6限まで授業があった。そのため、授業が終わると残った学生に声を掛けて、駅の近くの呑み屋で一杯呑んで帰られることが多かった。尤も受講生は少人数であり、時には私だけということもあった。ある年度は国会図書館で仕事をし、閉館後に呑みに行って成果報告すると言う理想的な「演習」すらあった。
煙草を燻らせつつ、酒を呑みながら実に楽しげに語られたのは、執筆中の論文や、次の仕事の構想などであった。講義が孤独なブレインストーミングとすれば、酒場では双方向のそれであった。未熟な学生を相手に、その反応を楽しまれていたように見受けられたのは、単なる自惚れか。近世文学研究者などの仕事に関する鋭い批評と相俟って、先生が酒場で語って下さったことどもが、先生の真似が出来ない不肖の弟子に賜った至上の教えでもあったと思う。
授業内容などは特に記憶にないが、論文執筆を理由に休講が多かったことを含めて、何が一番大事なのかを示された酒場で蒙った〈時代錯誤〉の学恩に、心から感謝したい。