読本研究の現況と提言 5.書誌
高 木  元 

書誌学という学問は、書籍というきわめて実体的なモノを徹底的に対象化する学問として独自にその分野を切り拓いてきた。その学問的展開は、書籍の製作過程を分析し、それらを時系列に沿って秩序付けるのみならず、和漢書の影響関係の検証をするなど、時空への広がりを持っている。しかし、書誌学自体が自らの学問領域を定義し体系化しつつ進めてこざるを得なかったことからも明らかなように、実質的には歴史学や図書館学などの補助学としての機能を担ってきたといえよう。このことは、わが国文学でも同様で、文献学の守備範囲と渾然一体となって、主として文学史に関する知見や、本文校訂や解題的研究に際して不可欠な基礎的調査研究として認識されてきた。

とりわけ、形態書誌学と呼ばれるモノとしての書籍に関する調査研究は、その内容的な評価には立ち入らずに、きわめて禁欲的に進められてきた。しかし、書籍についての見識は、長い年月を掛けて多数の雑多な本に触れたという経験に基づいた主観的なものである。つまり、書誌の記述にはいわば職人芸的な年季が要る熟練が要求されるのであり、実体の記述としての書誌は「分類」「書目」「年表」という形で蓄積されてきた。

一方、書誌学は用語の学問であるといわれるように、具体的な形態や意匠などを個々に何と呼ぶべきかということを一つひとつ定義してきた。ところが、比較的立ち遅れているのが板本に関する用語の整備と問題意識とで、書誌に関する調査報告においてすら「版(板)」と「印(摺・刷)」との混用などを見受けることがある。

近世文学研究の対象は主として板本であり、それもジャンルごとにきわめて顕著な特徴を備えている。読本の場合も同様で、独自に多くの知見が要求されることは明らかである(拙稿「読本の書誌について」「讀本研究」第4輯上套、1988年)。基本的には同一作品の板本を可能な限り多数見て、微に入り細を穿って虚心坦懐に比較する以外に問題点を発見する方法はない。

もちろん最良の方法は全国に散在している諸本を一所に集めて並べて見ることであるが、現状ではまず不可能である。しかし、どんなに詳細な書誌カードをもってしても、板の相違を見分けることが困難な場合があることは容易に推測し得よう。たとえ完璧を期すことは出来なくても、原寸大のコピー(電子式複写)を持って行けば何かと比較が可能の場合もあるだろうが、マイクロフィルムからの紙焼写真では刻印の輪郭が不鮮明であるし細かい比較はほとんど不可能である。現在大部分の図書館や機関では和装本のコピーが全面的に禁止されており、書誌調査の進捗にとって大きな障害になっている(中野三敏「再び図書館について」(「しごとの周辺」、朝日新聞東京版、1986年12月17日水曜日)でも、丈夫な楮紙に摺られた雑書を一律にコピー禁止にするのはおかしいと主張している。また、最近商品化された、本を上に向けたままノドの凹みすら修正してくれるデジタル式複写機ならば資料損傷の恐れは少ないと思われるのだが。)。

国文学研究に於ける書誌調査は、研究を始めるにあたっての手続きとして制度化された一方法であるが、それ自体が目的であるはずはない。書誌的吟味が不可欠な理由は、単に〈作者〉の意図の解明や本文批評というレベルだけではない。我々が読むべきは本文だけでなく、その文字列が記されている本というモノ自体を読むべきテキストとして認識する必要があるからである。

しかしながら〈書誌学〉という響きには、それだけで何かきわめて実証的な研究であるかのごとき錯覚を抱かせる危険なニュアンスが秘められている。いわゆる「縦何寸横何寸の世界」が、文学研究の実証性を保証してくれるというのは幻想に過ぎない。にもかかわらず、書誌の実証性を盲信し、書籍の在りようの相対性を認識できないからこそ、いたずらに詳細なだけの書誌の記述に走ってしまうのかもしれない。

実際のところ、書誌は実体の物理的状態の記述であるから追認可能な〈科学的〉な側面をも備えている。だが、本質的には、一つひとつの書籍を相対化して時間軸上に位置付けていく作業の積み重ねに過ぎず、その過程では主観的かつ経験的な判断が不可欠である。と同時に、これらの作業には至極禁欲的な根気も要求される。したがって、これらの作業を踏まえた研究からは一種の安心感や満足感は得られるものの、書誌的吟味の結果が一体何をもたらすのかという問題に無頓着ではいけないし、逆に恣意的で性急な立論の根拠とする愚をおかしてもいけない。いくら博捜したところで所詮管見に入った本は偶然にも伝存されたものに過ぎないし、まったく別の本がこの世に存在するかもしれず、また、出板された時点以降に何者かによって手が加えられた本も少なくないはずである。

たとえば、所見本に付された「刊記」は一体何を保証してくれるのか。刊記に記された刊年ひとつとっても、その年次に摺られたことを保証しているわけではない。何をいまさらと思われるかもしれないが、刊記に示された刊年は板木の成立ないしは初摺の時期を推定させる有力な一情報を提供してくれるに過ぎないのである。それも実際の出板日時とはズレがあったことも知られている。つまり、客観的である書誌の記述は、実際のところ利用者の判断なくしては何一つ情報を立体化してはくれないのである。

だからこそ、書誌学的価値観のパラダイム、すなわちテキストは古ければ古いほど良い、乃至はオリジナルに近いほど価値があるという〈常識〉を一度疑ってみる必要がありはしまいか。書誌作成者はもちろん、利用者にも先鋭な問題意識が要求されているのである。事実の羅列に対して何らかの問題意識を持って臨まなければ、そこから何も問題が発見できないのは当然であろう。

さて、読本研究における書誌的吟味の重要性を説いたのは鈴木重三「馬琴読本諸版書誌ノート−挿絵を中心に」(『絵本と浮世絵』、1979年、美術出版社。初出は1968年)である。これは、徹頭徹尾ノートに徹しているが、初板初摺本固有の意義を最も〈作者〉の意図の反映し得たテキストとして位置付けた点が劃期的であった。これを受けて、読本全般の網羅的な整理解題分類という基礎作業をしたのが横山邦治『讀本の研究−江戸と上方と−』(風間書房、1974年)である。書型と内容の関連に注目し、摺りの前後関係や改題本、そして板元にも行き届いた目が配られている。

一作品についての調査報告としては、拙稿「『松浦佐用媛石魂録』の諸板本(『江戸読本の研究−十九世紀小説様式攷−』、ぺりかん社、1995年。初出は1980年)や、藤沢毅「読本書誌の実践(1)−『近世説美少年録』諸本比較書誌データ−」(「讀本研究」第六輯下套、1993年)などが備わるが、現在の研究水準からいえば、そこから普遍的な問題が提起出来ない限り特定の一作品に関する調査報告だけでは、あまり有効な情報とはいえないかもしれない。翻刻や影印の際に書誌解題として記しておけば済むことだと思うからである。

とはいうものの、成立に関する資料が大量に残されており、複雑な成立経緯をたどった『南総里見八犬伝』は別格である。まず、いち早く書誌的な吟味を加えた業績として林美一「八犬伝の初板本」(『秘版八犬伝』、緑園書房、1965年)を挙げなければならない。現在となっては若干の訂正を加える必要があるが、研究史とは補訂の蓄積であるから、そのことによって林氏の仕事の意義は何等薄れるものではないことは強調しておきたい。誤りや遺漏の存する先行研究の価値を認めない態度は正しくない。情報量が加速度的に増えている研究史の現在に於いて、過去の業績は徹底的に認めた上で一歩でも先へ進めるのが後進の仕事であり、先行研究を莫迦にした態度は謙虚さに欠けるといわざるを得ない。

板坂則子「『南総里見八犬伝』の諸板本」(「近世文芸」29・31号、1978・1979年)は、天保11年頃の文溪堂板に見られる挿絵の雰囲気の変化という点に着目した調査報告。挿絵と装幀の改変と刊記の変化を追跡したもので、原書の姿の持つ作品の息吹の重要性を説く。同氏による稿本の調査検討を踏まえた執筆状況の解明とあいまって、『八犬伝』の成立に関する問題の所在を明らかにした仕事といえよう。また進捗の遅れていた基礎研究としての馬琴読本の諸本書誌研究を進める契機ともなった。

一方、朝倉留美子「『南総里見八犬伝』諸本考(前後編)(「讀本研究」第6・7輯下套、1992・1993年)と、同「『南総里見八犬伝』の袋−比治山本を中心として」(「讀本研究」第8輯下套、1994年)は詳細をきわめた労作。とりわけ、取り合せ本についての検討や、河内屋長兵衛の持っていた薄墨板の解明などの知見は重要である。これらの書誌調査報告は、やや冗長ながら充分な利用価値が存する(推測に基づく「結章」部分が、はたして興味深い信多説の補強になり得ているのかという点については、なお慎重に検討する余地が残されているものと思われる。)。いずれにしても、『八犬伝』書誌の研究史が、初版本への志向だけではない点に意義があると思われる(同様の意味で、明治期の翻刻本についての調査としては、青木稔弥「曲亭馬琴テキスト目録−明治篇−」(『読本研究文献目録』、渓水社、1993年)が備わり、明治期の享受についての有用なデータを提示してくれている。)

ところで、明治期の『八犬伝』板本について小池藤五郎氏は次のように記している(岩波文庫『南総里見八犬伝』3巻「解説」、1937年)

『八犬伝』の版本は明治になって和泉屋吉兵衛・兎屋等の手に移り、遂に博文館の所有となって現存する。版木の所有者がその時々に刷出したので、名山閣版・稗史出版社版・博文館版その他の後刷本が遺されてある。これらの後刷本の多くは、冊数を変じ、口絵を欠き、原本の体裁は見る由もない。原版木使用の最後は、明治三十年に刷出した博文館版の三十七冊本である

この明治30年博文館版とは次のようなものである(以下の記述は架蔵本による)。同じ博文館が出した帝国文庫の『南総里見八犬伝』を見るに、手許の本の刊記は「(上巻)明治二十六年六月十三日印刷/明治二十六年六月十六日發行〜明治四十五年六月十五日卅二版發行 定價金七拾五錢、(中巻)明治二十六年六月廿七日印刷/明治二十六年六月三十日發行〜明治四十四年十一月廿六日廿六版發行 定價金七拾五錢、(下巻)明治二十六年七月十五日印刷/明治二十六年七月十八日發行〜明治四十四年十一月十四日廿三版發行 定價金七拾五錢」とあり、この活字翻刻本より後に出されたものである。「博文館出版圖書目録」(創業二十週年記念発兌「太陽増刊」、明治四十年六月十五日、博文館)には、「曲亭馬琴翁著(本箱入)全五十冊(大判三〇五一枚)/[和装並製]南總里見八犬傳 正價九円五拾錢/小包料六拾四錢」と見え、冊数が異なるが同様の板本であろうか。なお、博文館は『八犬伝』だけではなく、「天保八丁酉年春正月發行/明治廿六年十二月廿六日印刷發行、發行兼/印刷者 大橋新太郎 日本橋區本町三丁目八番地、發兌書林 東京日本橋區本町三丁目 博文館」という刊記を持つ『江戸名所花暦』半紙本四冊をも蔵板していた。

全9輯53巻 半紙本37冊
表紙は小豆色地絹目に唐草模様
外題「南總里見八犬傳 一(〜三十七)
見返「曲亭馬琴著作/南總里見八犬傳/東京 博文館藏版」(赤色地墨摺)
刊記「明治三十年七月二十八日翻刻印刷
   明治三十年七月三十一日發行
     發行兼/印刷者 日本橋區本町三丁目八番地 大橋新太郎
     發兌書林    東京市日本橋區本町三丁目 博文館」
木箱(高さ47糎×幅18糎×奥行26糎)に収まる。
蓋題簽「南總里見八犬傳 全 部/卅七冊」

東京名山閣(和泉屋吉兵衛)版『里見八犬傳』は全106冊の乾坤一草亭をあしらった同一表紙。刊年は未詳。(大妻女子大学草稿・テキスト研究所蔵本に拠る)

一方、稗史出版社版は、各輯巻頭の口絵だけを薄墨板まで覆刻した活字翻刻本で、原板木を使用したものではない。第9輯32巻の巻末広告には「畫圖原本飜刻」とあるが、原本を摸して改刻された板を使ったもので、新たに描き直されたものではないという意味のようだ。黄土色表紙の半紙本で全42冊、挿絵の大部分は省かれている。第3輯までが明治15年11月、第7輯までが明治16年3月、第9輯巻18までが明治16年11月、同巻32までが明治17年4月、同巻53までが明治18年3月に出されている(架蔵本に拠る

いずれにしても、『八犬伝』板本の諸本研究を江戸期に限定する必然性は何一つないはずであるから、多くの困難は予想されるが、明治期を含めて板木の末路まで視野に入れてなされるべきであろう。

さて、最近の読本書誌研究に一瞥を加えると、土屋順子「勧化本書誌解題(1) −国立国会図書館所蔵本−」(「実践国文学」46号、1994年)は、やや記述が詳細に過ぎる感は否めないが、一カテゴリーの諸作品を網羅しようとするもので、意義なしとはしないだろう。また、槇島雅之「『西山物語』四書肆合刻本の異本について」(「国際文化研究」創刊号、1994年12月)は、従来初板初印本と判断されて多くのテキストの底本として用いられていた国会本が、本文に修訂を加えられた後印本であることを指摘し、その修訂に綾足が関与したことを該書の意味と関連させて論じている好論。

一方、『馬琴中編読本集成』第1巻(1995年、汲古書院)の「解題」(徳田武執筆・鈴木重三補)の水準の高さには是非とも言及しておかなければならない。図版を豊富に使用し初板初印から後印への変遷を跡付ける要を得た書誌解題のみならず、出典研究の現在をも知ることが出来る。斯様な解題こそが書誌研究の究極の達成であり、基本的には解題研究に資する成果を書誌研究があげていく必要のあることを示した仕事である。


#「讀本研究」第九輯(渓水社、1995)所収
# 2021-3-16 補訂
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