魯文の報条(五)
高 木   元 

仮名垣魯文が書き遺した夥しい報条(引札)は、広告史研究において、あながち無視できない量と質とを兼ね備えた広告媒体である。ただし、報条の執筆は所詮〈文学的営為〉とは見做されず、従来の文学史研究では等閑に付され続けてきた。しかし、魯文が記した文面を読むに、彼の感性が横溢する凝った戯文が駆使されており、魯文という一個性が19世紀に達成した足跡を明らかにするためには、決して無視できない資料群であるといえよう。ただし、保存されることの尠い媒体であったために散佚が甚だしく、その全貌を知るに足るだけの資料蒐集は困難をきわめるが、取り敢えず管見に入った資料を紹介しておきたい。

今回は前回に引き続き、柏崎順子氏が「一橋大学附属図書館所蔵『奎星帖』紹介」(「書物・出版と社会変容」第4号、2008)で示された貼込帳から、魯文の関係した報条を翻刻する。

なお、魯文を中心とした19世紀メディア史の様相を知るため、魯文が記述したとは明記されていなくとも、その交遊圏に属する人々の名義で出された資料も含めてみた。具体的には「仮名垣熊太郎」名義のもの(81)、書画会等の告知で「魯文」「熊太郎」の名が見えているもの(84、96)、伊藤橋塘や永井素岳等と連名で出されたもの(97)、「賛成者」等として名を連ねているもの(105)、魯文の賛が付されているもの(98)である。

【八一】(活版、飾罫、2分アキ、「奎星帖」第8冊)

      廣告

驪山りさん温泉おんせんに。權細ごんさいくんと。合乗あひのり鳳輦はうれんハ。快愉ゆくわいつくせし唐土もろこし僑主おこりものかへつて健康けんかう國害こくがいまねき。遊山ゆさん湯治とうぢハおどくと。有馬ありま湯女ゆなうたならで。ながら名所めいしよごとき。東京とうけい温泉おんせん虚飾きよしよくもちひぬ藥種やくしゆ功驗こうけん凉風すゞかせかほなつ座敷ざしき浴衣ゆかた洒布さらし瀧縞たきじまきよきをむね摺磨すりみがく。石鹸しやぼんあはながいたには青葉あおば日影ひかげおほひ。炎暑あつさらずの保養ほやうへ。積桶つみおけやまなすほど開業かいげふ當日たうじつより。入湯にふとうねがよしを。水船みづぶねすみからすみまで。おひろめをまをしあ げ〓

應需   假名垣熊太郎述 

       湯上ゆあがりの身輕みかるまゝ衣更ころもがえ      魯翁 

〈日本温泉場|京橋因幡町〉  開壽亭 
 四月廾七日開業
○諸病によろし 


【八二】(活版、罫なし、四分アキ、「奎星帖」第八冊)

往昔いにしへ民俗しもつかたつとおき面部おもてあらくちそゝみづしほまじ楊枝やうじ齒磨はみがきせいなきをりなれバくち掃除そうぢ微細こまやかならずそがのち都下とか男女なんによ とき楊枝やうじみがきの發明はつめいなりてかならこれもちたり口中かうちうさわやかにする便利べんりたりされば明和めいわころ風來ふうらい山人平賀ひらが 源内げんないはじめて齒磨はみがきかうじやうつゞりし狂文きやうぶんのせくわ落葉らくえうしうにありそのころみな房州ばうしうすな主劑しゆさいとするの麁製そせいなりしも 開明かいめい今日こんにちよはいしづゑ大切たいせつ人々ひと%\しかばすな藥艸やくさう細末さいまつ支那しな藥品やくひん歐洲おうしうせいなら各自おの/\せいことにしてしよかいりやうきそなか本舗ほんぽめう齒磨はみがきといつぱ老生おのれ先年せんねん横濱よこはまかうりう佛國ふらんすじんモツロベルトルよりでんしゆうされし奇方 き はうなりしをさき寶丹ほうたん守田もりだ主人の紹介しようかいをもて くわてうだう山上氏に傳方でんはうなしひろ販賣はんばい誘導いうだうせしよりきわめて品位ひんゐ 製方せいはう良好よろし衆口しゆうかうかうひてやおつ隆盛さかんいたるも一に製主せいしゆ丹精たんせいに よるといへとこと善惡よしあし試用ためさたま愛顧ごひいき諸君がた庇護かげなるをゑせ○ ○商個あきうど 浦山うらやましくや本舗ほんぽ製品せいひんなるねこ齒磨はみがき擬物まがひもの江湖せけんおほわたるハ本舗ほんぽ名譽めいよと申ながら麁惡そあくしな競賣せりうり取次とりつぎ諸店しよてんあざなバ本舗が登録とうろく商標しやうへう免許めんきよ妨害さまたげ自然しぜん得意とくい迷惑めいわくたさんことはかがたし とさら商標しやうへうたゞしきを看認みとめたまはりたまいしとをこんじたまはずおん購求もとめほど希望ねがふよし舗主あるじかはりてしるすとまを

傳授者  猫々道人 假名垣魯文演(呂文) 

調製本舗    東京淺艸馬道町六丁目 山上花朝堂謹製 


【八三】(製版、色刷り、「奎星帖」第八冊)

牛肉  

あを〔宮〕苑□□□□□だしやま時鳥ほとゝきす日枝ひえやまそらかけかう調度ちやうどなつどなり〔り〕かきはなさきそろなつ あて開業かいけふうし●●こひしきごとチト 遲蒔をそまきとハぞん しなから年々ねん/\歳々さい/\にくあひたれと歳々さい/\年々ねん/\うしおなじからず もと吉住よしすみすみれしあらためての開化かいくわげふせまにはつき やま樹木しゆもくしげ植込うへこみもつはひと健康けんかうこゝろもちゆるうん どうきりねき五歩ごぶすかさずたうの祖先にちなみある 和田わだ酒盛さかもりしゆまでもかのほんなだはこ洋酒やうしゆをとら ぬようぶつ殊にかんをくれぬ注意ちゆういにわまうけしけいだいけつしておまたせまうさぬやうばん迅速はやきむねとなし定紋ぢやうもんたかなからあたひひく櫻谷さくらたに三ッびき りやうひきら ず開店かいてん當日たうじつよりおん賑々にき/\しく来車らいしやあるやうあたり のまとねらふてしるすハ主個あるじ名代みやうだいかなよみしやなりけり[魯文]

麹甼隼町    

   五月明日

吉勝    

鏑木勝蔵


【八四】(製版、罫あり、「奎星帖」第八冊)

〈愚夫|追福〉書畫會莚九月六日

於東兩國中村楼上相催候間不論\風雨御幸臨之程奉希上候\本日 諸先生揮毫

枕山\湖山\南溟\梅守\永海\秋巌\金谷\凌雲\柳圃\晴湖\雪江\環翠\冬涯\單山\正齋\逸齋\松塘\桂巌\波山\樵山\楓湖\松霞\永湖\南溪\永邨\永齋\柳城\雲晁\藍泉\文中\万庵
蘆洲\花亭\豊祖\雪菴\是真\隣春\乙彦\二峰\三艸子\燕子\曉齋\林静\永濯\玉章\堤雨\光齋\秋江\竜吟\綾岡\林雨\豊圀\國周\廣重\蕉窗\董仙\椿月\南海\秋香\昇齋\林光\光峨
為山\春湖\等裁\甘海\永機\道終\石叟\琴雅\みき雄\完鴎\□山\□山\ □年\□露\□彦\如白\如仙\琴枩\重羅\乙雄\華兄\菜雅\芳艸\謝徳\露心\不老\介我\山月\半谷\般舟\般月\瓢吉\寥雪
魚かし連\河東連\都連中\菅野連\常磐津連\富本連\清元連\哥沢連\猿若連\新富連\花街連
松花園\春の屋\松裏紅\菊の屋\井桁舎\二世 梅廼屋\繁樹\只誠\かもの屋
魚川岸茶伊之\故梅屋諸田\新門辰五郎
圓朝\伯圓\燕林\玉輔\燕枝\柳橋
其水\如皐\治助\春水\魯文\應賀\有人\綾彦
(大)直\柏松\縫秀\笠仙\東屋 松魚\笑魯\素岳\交来\梅素

 大補 〈書物問屋|地夲問屋|團扇問屋〉

 副冀 〈一勇齋社中井草其英

會主   國芳女\一勇齋芳子\再拜

      居所     浪花町横店  

【八五】(製版、「奎星帖」第八冊)

[猫睡]

假名垣魯文 (かながき|ろぶん)

訪ふ人もあらしの庭の桜花散らバちれとハ 思ふものからこハ亡友高橋廣道戲號二世柳亭種 彦翁の述懐なりきさハいへ花散る後の青葉山に亦一層 の風情あり帋魚の住家も秋風入るゝ時あるハ文貯ふ人の常 とこそいふへけれいさゝ小川の水茎の跡とめし数々の中 古き新しき世々

散ふきし言の葉を廣く拾ひ集め錦織 てふ木の葉衣に綴られしハ落葉かく山寺小僧となん自ら 稱る某の寸暇ある毎にものせられし業なりこハ其作者の詞の花 散て後も猶世々薫らせんとのまことに出たる成けり

竹外居士書(印)


【八六】(製版、「奎星帖」第九冊)

   ちや指南所しなんどころ

抹茶まつちや例式れいしき畳半でうはんひそ窮屈きうくつ野点のだて銕瓶てつびんだて自由じゆうもち煎茶せんちやみせめく陸羽りくうふうにも市中しちうにな月海げつかい自在じざいあり神田かんださとしづ羽生はにふ数寄屋すきや谷中やなかむらのたをや賣茶ばいさ床几しやうぎ むかしをいまうつさんとにハあらざめれど先つ方隅田川すみだかは下流かりう厩橋うまやばし片邊かたほとりに待合まちあひといへる營業いとなみひらき ものせし俵屋たわらやの女あるじハ茶といふとなへのうらのみならでおもて千家せんけながれふるそのよりつたへられししきひととほおりかゞ みの大略あらまし徒然つれ%\ひままだこのみちに分けらぬ人のしほりとならんとす 白炭しらすみゆきあしたこぼしの水のこほかまにえおととひます/\ 賓客まれひとがたをまつかぜこそあるじが樂焼らくやきなめれバ路次ろじ行燈あんどうまちあひおん目印めじるし案内あんないともなしたまひて入らせたまへかし

斯まをすハ無茶散人         
かな垣魯文叟small>(文魯) 
淺草區三好町十番地うまや橋畔      
俵屋俵藤じやうこと       
后見 〈柳香|樹孝〉 再拜


【八七】(活版、草色飾枠、字間二分アキ、「奎星帖」第九冊)

     あふひだきかくせき新築しんちく開業かいげふらう

いへつくるにハ。なつむねとするこそけれ。ふゆさむふすま障子さうじ建込たてこみ てもふせけれと。 ならびをかふでずさみ。兼好けんかうはう圓項かしらちなむ。駒込こまごみだんざか近頃ちかごろひらきし。あふひたき境内けいだいハ。根津ねづ遊廓くるわかししきにしおほまつ別寮べつれうにて。きたうしろ東南とうなんの。はらしき納凉すゞみしよだきだきつぼわかち。みづ庭中ていちういけあぶれ。噴水ふんすゐかいせんまをけ。樹木じゆもく草花さうくわハ四たえず。炎暑あつさわするゝべつかいゆうせんくつくつろどころ今年ことしあらた土木どぼくおこし。四十二でうひろはじめ。數多あまたしき建増たてまして。ごとかぜ誘引さそふため洋製ようせいりきかいもつて。ひと々々/\風車ふうしやそなへ。べつしほ浴室ゆどのいとなみ。おんげん早稻田わせだなる。おほまつもと便たより。だいけん かふむりて。ひとからだかなふをえうとし。しよようおりからにハ。註文ちゆうもん食料しよくりやう按排あんばい割烹くわはうてん仕出しだもの蒲焼かばやきせつし。つひそば●●といふめんるゐも。ふもとやぶよりたゞちとりよせてつへんもりかけ時 鳥ほとゝぎす自由じゆう自在じざいにきくさとながら。さかさんり●●●ひざさきまた豆腐屋とうふやのきならび。飲食いんしよくすべておこのみ次第しだいすゞしきかぜにつれぶしハ。千種ちぐさすだむしこゑひるさらなりつき夜半よはやみ燈火ともしび澤邊さわべほたるはなにもゆきにも風景ふうけいの。勝地しようちハこゝぞと仰合あふせあはされ。春秋しゆんしうなが入來じゆらいを。葵園あふひぞの主估あるじかはりて。だいはうねがもの

妙々道人魯叟◇ 

駒込團子坂上       
     八月十日開業

根津大松葉別寮   

葵園 


【八八】(製版、地に色刷、「奎星帖」第九冊)

       告條こうでふ

白晝ひる殘暑あつさ黄昏たそがれ冷氣れいきさそはれ。藝妓げいしや後口あとぐちとも歸去きゝよらいしめし。秋風しうふうおこつて客人きやくじんび。坐敷ざしきかゆ新陳しんちん交代かうたいふうてううなれ。とき流行りうかうしたて。改良主義かいりやうしゆぎとハ烏滸おこがましき。半會席はんぐわいせき即席そくせき料理りやうり文字もじりやくして會料くわいりやうと。小短こみぢかにいふおがるすぢ従来これまで手挟てぜま仕切しきりを。引延ひきのばしたる疊数たゝみかづひろやかならねどせまからず。風呂場ふろば新規しんきたてまをけ。塗板ぬりいた品数しなかづの。めしあがられてしるのの。あまからいハお指揮さしづ次弟しだいこいうすいの差引さしひき加減かげんみぎうほ河岸がしひだり新川しんかはあふせうけこむ仕出しだしハさらなり。書画しよぐわ小集せうしう寄合よりあひ菜肴さかななにやかや場町ばちやう藥師やくし瑠璃るりあざきを。らす檐端のきば玻璃はり行燈あんどう晝夜ちうやかぬ御路おんみちしるべに。初冬はつふゆのはつ/\しく賣出うりだしの本日ほんじつより ヘイらつしやいといふものハ

新造しんざうつくりの大年増おほどしま 假名垣かながき魯文ろぶん◇ 

  わんやき 〈仕出しハ一品|金拾戔迄にて〉調を仕候
   御菓子御酒御飯附 〈御壹人|前〉金弐拾五銭
 来十月一日より

かやば町\やくし地内\と き は 


【八九】 (活版、飾枠、字間二分アキ、「奎星帖」第九冊)

    蕎麦そば新店しんてん開業かいげふ
淡薄たんぱくあぢかうふくみ。打立うちたて釜揚かまあげ湯加減ゆかげんに。好者すきしやはら穿うがもの蕎麦そば風味ふうみしくべからず。はるはなまきくちかるく。取分とりわけなつひや蕎麦そばあき露物つゆものふゆのあつもの。四手打てうちのをり/\に。上戸じやうご下戸げことの中洲なかず新店しんてんしげ眞菰まこもかへて。あらたにひらくあやめちやうに。避暑ひしよかた%\の清風亭せいふうてい主個あるじぐみ消防せうばうに。頭立かしらだちたる侠客肌きをひはだそとうちとの二にんまへ手足てあしほん非常ひじやう勉強べんきやう蛸善たこぜんいふあざなそのまゝ商個あきうど氣質かたぎとなりはひの。みち踏占ふみしむ勉強べんきやうしんながつゞくの縁喜えんぎいはひをかけるとハ出前でまへ幸先さいさき移轉ひきこしそばのはじめより。晦日みそか蕎麦そばをはりまで。出入でいりひまなく雑路ぞろ/\/\と。來臨らいりんねがよし主個あるじかはりて

東京とうけい繪入新聞ゑいりしんぶんの         
かながきの童叟どうさう[呂文] 

  八月三日開店

日本橋區中洲あやめ町      

清 風 亭 
(東京繪入新聞両文社印行)

【九〇】(製版、地色刷文様、「奎星帖」第九冊)

     懇親語譯會こんしんごやくくわい

巖床いわどこ親方おやかたハ。三馬さんば浮世床うきよどこびんしちめかさず。世辞せじうとかはもの當世たうせいじみ巖物がんぶつながら。世間せけん香水かうすゐにほひをかほらし。チョキ/\ 交際つきあひもするをとこことばかりで實入みいりけれバ。あぶらかはくも道理だうりなりと。理髪床りはつどこのころより。お馴染なじみのおすゝめにて。這般このたびこのくわいもよふし升。そのため口上かうじやうは。以前いぜんかへ散髪さんはつどこの。西洋せいやうー と爾云しかいふ

假名垣魯文述[印] 

 出  橘家橋之助   〓々軒伯志   三遊亭圓朝
    三遊亭圓右   岡本宮濱    春風亭柳枝
 席  三遊亭遊之   鶴賀若辰    禽語樓小さん
    橘家圓太郎   靱喜太夫    三遊亭圓遊

 補  橘家しめ子   手遊太夫    都々逸扇歌
    春風亭菊枝   浪しま     五明樓玉輔
 助  橘家枝太郎   帰天齊正一   麗々亭柳櫻
    春風蝶柳齊   中村一登久   談酬樓燕枝
 連  桃川燕林    同小とく    岩井粂八連中
    邑井貞吉    春風蝶之助   後見 豆 助

十一月  日於
〈花川堂|岩 床 
東兩國井生村樓
居所 淺草北東仲町九番地 

【九一】 (活版、飾枠、字間二分空 「奎星帖」第九冊)

   かいすいよく ならびくわいしよごひらう

築地川つきぢがはながれ沿かいてう適度てきどをはかり品川しながはおきのうしほをくみ舩路ふなぢはこ温浴おんよく營業よわたりみち引續ひきつゞゆきあしたなつ夕邊ゆふべ寒暑かんしよふせ衛生ゑいせいもとづ家屋かおく建増たてまし樓上ろうじやう樓下ろうか坐席ざしきともすべ空氣くうき流通りうつうよくたかきやならねど湯煙ゆけむりのあはいなみ青疊あほたゝみしきひろげたる譜請ふしん改良かいりやう風受かざうけき一しつには烏露うろ交戰かうせんまうかの橘中きつちう仙境せんきやうこの磐面ばんめん餘興よきやううつ海水浴かいすいよくとのうつがへおんなぐさみにそなはべれバ先手せんて後手ごて午前ごぜん午後ごごより避暑ひしよ納凉なうりやふ保養ほやうかた%\そんらいくだされなばます/\うるほ三益みますあらたなる開業かいぎやうより築地川つきぢがはながれたえせず滔々とう/\おん引立ひきたて主個あるじかはりて希望こひねがふ

もとめおうじて新富涯むかながしの      
假名垣魯文漫筆[呂文] 
築地壹丁目廿四番地    
  明治廿年七月九日開業
三 益 温 泉
     當日麁景呈上仕候

【九二】 (活版、飾枠、字間四分アキ 「奎星帖」第九冊)

     賣出し御披露

襟元えりもと浮世うきよあかまらぬ衣服いふく身嗜みたしなみハ洋服やうふくあたらしくわが〓氏國きしこく御婦人ごふじんがた〓〓じゆばんえりあぶらそみきよらかなるをはえとするつねならひハいまかはらずきやう女郎ぢよろう長崎ながさきしやう江戸えど揚屋あげやあそびしかたむかし摸樣もやうを一せん西京染さいきやうぞめ半襟地はんゑりぢ古代こだい模様もやうふるきをたづしんがた當世風たうせつふう流行りうこうさかのぼ古代こだい更紗さらさもおこのみ次第しだいはな色々いろ/\はるきそさびたるあき鹿子絞かのこしぼ花美はで質素じみとを染分そめわく縮緬ちりめんものしな澤山だくさんおん見分みわけうへ賣出うりいだしのとう日よりおん取立とりたてこひねがふ

もとめおうじて   妙々道人しるす◇ 

     京染御半襟地  おろし

     新形帶上け地  小うり

     更紗縮緬鹿の子類

人形町通長谷川町十八番地     
〓 屋 仁 三 郎 

    十月〈五|六〉日賣出し麁景進上

【九三】 (製版、色刷文様地、「奎星帖」第九冊)

霊根れいこんふか老幹らうかんよろしてんまいるとかたくろしくもふるめかしき圓機活法ゑんきくわつはう引語ひきごと開明かいめい世利譜せりふにあらずと大椿たいちん千歳せんざい時代じだいゑんせず弊家へいかしん発明はつめい玉椿たまつばきもと天然てんねんもつこれ製実せいはうころまとはしかの掌中たなそこたまつねたくわへたまふときふくかう衣服いふくかほらしまたかみまぶとき烏羽玉うばたまひかりをいだあか臭氣しうきはら衛生ゑいせいじや裨益ひゑきとなりたまつな効験かうけんあま あるひ玉石ぎよくせき混淆こんこう石鹸しやぼんかえあぶらおとはだつけ不浄ふじやうよ とほ欧洲あうしう諸國しよこくさらなり支那しな勿論もちろん我國わがくににも古来こらい未曾有みぞう発明品はつめいひん試験ためしありて用向やうむき玉椿たまつばき八千代やちよすゑまで幾久いくひさし希望こひねか

主人あるじもとめに 假名垣魯文述◇ 
京橋南鞘町弐拾弐番地角    
玉 屋        
    〈御眼鏡并ニ珊瑚|寶石類品出舗〉
石 川 勝 太 郎 
素岳書(岳)  

【九四】(活版、字間二分アキ、飾枠。「奎星帖」第九冊)

      割烹開業報條

たまさかづきそこはかとなき。兼好けんかうふでのすさびに。よろづことハ。つきるにこそといひたりしも。今宵こよひあき最中もなかをのみ。賞美しやうびせしにハあらざるし。てるつきかゞみぬきたるまくらの無造作むざうさなるも。松風まつかぜ調しらべなきわた雁金かりがね風情ふぜいらバ。快樂たのしみきよういやふかからん。 况哉いわんや割烹くわつぱう調進てうしん善美ぜんびつくし。酣酌かんしやくその佳人かじんるにをいてをや。されバ玉箒たまはゞきこゝろちりはらひ。清凉せいりやうたるかぜうそぶく。とらもんうちしめたる。俗氣ぞくきさけ一構ひとかまへハ。 さき待合まちあひきこえし。たけやどりあとにして。その一式いつしきあがなもとめ。這回こたび割烹くわつぱう調進てうしんのみを。專業もつぱら革面かくめんなし。東京とうけい粹客すゐかく諸君子しよくんしの。くちかなはんことをほつし。にぶくもみが庖丁はうてう。あるじも無下むげ素人しらうどならず。年來としごろ勢州せいしう四日市よつかいちに。大方たいはう愛顧あいこかふむり。海道かいだうすぢすこしくられし。玉川樓ぎよくせんろうの一たい分身ふんしん水原みなもとれずながれをひきて。そこねしせきごとつくろひ。あれたるにわもぐらかりすて風入かぜいりのよき樓上たかどのより。四方よも眺望ながめ佳景かけいたくし。書畫しよぐわ詩歌しかとう風雅ふうがむしろあるひ臨時りんじ娯遊宴ごいうえんにも。かなら貴車みくるまむけさせられ。手前てまへ味噌みそしる加減かげんすべ調理てうり鹽梅あんばいとうおん指揮さしづたまはりたしと。主個あるじ懇願こんぐわん報告はうこくかくごとするもの

いろは新聞の   猫々道人[猫]

虎之門内竹廼家跡      
勢州四日市玉川樓同舗      
  八月十二日開業
玉泉樓  


【九五】(活版、字間ベタ、飾枠)

  〈書畫骨董|古器物類〉第四回附札賣立會

曲亭翁きよくていをう質屋しちやくら古物こぶつくわいをなす古事たとへひき怪力くわいりよく亂神らんしん陳列ちんれつせしハれい戯作げさく妙案みやうあんものかはほしうつ昔日語むかしがたり古物こぶつくわい現今いま古物こぶつくわいへん尚古しやうこひとおほいでしハ知識ちしき進歩すゝみへうするにてひと各自おの/\好事かうずありはなたはむつきうそぶくもふうゝんさはながめにかず酒食しゆしよくりやうあり遊興いうきようありおよ愛玩あいくわんきよくとすべきハ書畫しよぐわ古器物こきぶつしくものなく取分とりわけ我国わがくに上古じやうこせい世界中せかいぢうくわんたるものとし外客ぐわいかこれ愛好あいかうきそふて購求あがなひ自國じこく齎贈おくり珍寶ちんぽうほこもの悉皆しつかいわが南都なんと古代こだい製品せいひんならざるハ會員くわいゐん福田ふくだかの屡々しば/\往復わうふく今回こたびまた數種くさ%\寄品きひんたづさ歸京きゝやうせるよりこれ同好どうかうかんそなへんとてまいれい賣立うりたてぐわいだいくわ開陳かいちんせんとすこう湖の尚古しやうこ臨場りんじやりて活眼くわつがんそゝたまへや

會 員  佛骨庵主魯叟述[呂文] 
今般京阪並に奈良地方より持歸り候物品相加へ本月十六日
より廿日〓五日間呉服橋外茶亭柳屋樓上に於て附札賣立仕
候間御來場を希ふ
 〈淺草北松山町 雅樂堂|同區清島町 福田貞〉 

 〈飯田町俎橋 高木弘|根岸新阪下 玉乃屋〉  

【九六】(活版、字間四分アキ、飾枠)

 新居披露書畫會莚〈來ル六月廿二日於柳|橋万八樓上不論晴雨〉

ちゝすねかぢりてえ。はゝちゝねぶりてちやうず。これひとつねながら。惰陀だゞ灣泊わんばく際限さいげんありと。廿五の曉夢きやうむこゝにさめて。歩行あんよ上手じやうずころぶハお下手へた庇護もりはなれ。りつ士氣しき振起ふりをこされし。假名かながきたいどうくまろうけい不家ふかわかち。いへながらも新居しんきよひ ろうに。水魚すいぎよといへども斷金だんきんとものぞき。鰯煮いわしになべぶた牛肉ぎうにくらいがふてん往復わうふくの。同胞分きやうだいぶんに。魯酒ろしゆ一献いつこんていせんためまをけにとて。三千五百万ろうに。書畫しよぐわむしろ語約會ごやくくわいその案内しるべ郵便いうびんはがき。云々しか/\のぶもの

胡蝶園わかな 〓

      會 浮世繪畫先生方 田邊南龍   演劇見物連衆 仝   三遊亭圓遊
      員 玩古遊食連衆  百々逸商弘所 柳亭燕枝       松林伯圓
           
       後 一立齋廣重 松本芳延    補 彩霞園柳香   一筆庵可候
       見 二見朝隅  渡邊守かつ   助 久保田彦作   胡蝶園若菜

會主  假名垣熊太郎 再拜
京橋區新富町六丁目十一番地 

【九七】(製版、背景に濃淡緑色で楓を描く)

   待合まちあひ開業かいげふ

伊東橋塘 (伊)
永井素岳   
假名垣魯文  

     掛合かけあひ披露ひらう
(伊)林間りんかんあたゝざけ會席くわいせき玉觴さかづきか 紅葉こうえふ煉香ねりかう莨盆たばこぼん いれくゆらし 花楓はなもみぢ眺望ながめ誘引さそふ小倉をぐら慶妓けいぎといへるハはつ紅葉もみぢひろめのころ祝宴ゆくえん雅會がくわいせきはべりて 紅葉衣もみぢごろもいろかへしんけうくわ りう街巷ちまたゆきかひいた新道しんみちみそめて (伊)金葉きんえう金春こんはる天香てんかう 女史ぢよし書名しよめいきこ通天橋つうてんけうわたりもながその立田たつたながれに沿真間まゝ紅葉もみぢ自由じゆうつとめもはつしもらぬなつあきのこゝらが丁場ちやうば境木さかひぎならむと おしまるゝ引汐ひきしほどき風潮ふうてう連込つれこみ相談さうだんすぢ 集會よりあひ (伊)したしとも待合まちあひ渡世とせいせバのむてふ蜂龍亭はうりうていふるからぬ 跡式あとしきそのまゝ乗替のりか駕籠かご新道しんみち小倉をぐら家名かめい山荘さんさうめかたか きにする二かいつく 酌人衆しやくにんしゆう何處どこなりといろはもみぢのお名指なざしにして いろどるつきかげくまなき (伊)運動うんどういうえんしばとぼそおんひらかせの 案内しるべたちし三にんさむらかほ紅葉もみぢの一はゐ機嫌きげん まはらぬしたふでさきに (伊) ホヽほろゑひ披露ひらう 々々々

浪花町駕籠屋新道     
    寅の\九月十一日
小倉家[さい] 

【九八】(活版、字間二分アキ、色刷飾枠)

    絲竹有聲會しちくいうせいくわい

〈連月第三の日曜|日正午より開莚〉  

且那だんなかたる三のきり丁稚こぞうがまぶたこすりしハその妙曲めうきよくかんなくにあらでおの寢床ねどこきをかなしなげきしなりとハ 落語家らくごか常談じやうだんにしてわれ面白おもしろひとかしましてふ俚言ことわざこれらよりやいでたりけむこゝ此頃このころ花賣はなうりのなりはひをはしぐはしき四方よもかほりし賣花園ばいくわゑん梅叟子ばいさうし首唱しゆしやう して有聲會いうせいくわいいへるをまうまい月一くわい聲曲せいきよく雅莚がゑん淺草あさくさ 大代地おほたいちなる名倉亭なぐらていひらおよそ弦糸けんしにかゝるべきうたものたしめる人々ひと%\まねつど玉櫛笥たまくしげはこかくげいだしあ ひあはれ手前てまへ味噌みそのからきうさうちわすれひすがら あそたはむれむとなりねがはくハいもあまいもなめつくしたまひ たる好人すきびとたちその家々いへ/\丁稚こぞうどんにねぶきめさする氣遣きづかひなくてうたふものハきゝきくものハうたひともに/\たのしなくさむいと面白おもしろくわだてにこそ イヨ東風こちうめさん ヱライもんじやと賛成さんせいあらむこと廓公ほとゝぎすまつ花垣はな>がきまどの もとにまづじよひらきの初音はつねつぐるハこれまた一個ひとり好人すきびと

淺草閑人  藤園大痴述 

   糸竹いとたけのふしさま%\にゆひこめて\へだてぬともかきつくるなり  妙々道人

連入の諸君ハ名倉亭まで御申込下され度候 

會主  賣花園梅叟 

     明治十八年
    
      五月より發會
立齋廣重 

補助  沼口美佐雄 

【九九】 (活版、字間四分アキ、緑色刷飾枠)

   西洋御料理開業

遊人いうじんあらそふて宴飮えんいん酔客すゐかくきそふてとうりんすと聯句れんくせ る酒樓しゆろうせバすこぶ僻邑へきいうぞくすといへど輦下れんかる こととほからずくにちか汽車きしや便べんあり遊歩いうほ時間じかんついやさ ずして忽地たちまちいた池上いけがみ境内けいだいさき新築しんちくこうり てそのしよ新聞しんぶん報道はうだうにもかね案内あんないなる光明舘くわうめいくわんぞく這回こたび分業ぶんげふ洋食店やうしよくてん開業かいげふせり 當地たうち蒲田かばたまへにし小向井こむかゐうしろにし梅花衆ばいくわしううなが薫風くんぷうかくさそくはふるに近來きんらい發見はつけん温泉をんせんせつ空氣くうき流通りうつうきはめて衞生ゑいせい勝地しようち春秋しゆんしう四時しゞ佳景かけい山光さんくわうたい水光すゐくわうのぞ光明樓くわうめいろうむなしからねバ 炎暑えんしよいたとき雪月せつげつあしたゆふべ光臨くわうりんふしふと樓主ろうしゆかはりて

假名垣魯文即案(呂文) 
池上本門寺境内\光明舘温泉續地        
   三月十二、三、四\三日間 開業
光明樓    
前田留吉再拜

【一〇〇】 (活版、字間四分アキ、飾枠。活版別紙存) (別紙)   耳塚勸進帖

琴通舎八洲樂                                

                 賛    〈假名垣魯文|松の門三艸子|松本芳延〉

     明治十九年七月      成    〈柳下亭種員|岩上亭安久樂|千種庵春吉〉

                 者    〈宇都宮榮太郎|黒部宗雪|山田風外〉

(本紙)   耳塚勸進帖

こゝろまなびにわたらざれバなほ心のしゆがごとしとハ列子れつしせつにしてあきらかにしてしやあると一はんもつろんからざるなりいう琴通舎きんつうしやおきな つかへするにいつはりりうするにあらずyこの人にしてこのやまひあり説話せつわごとすなはしよするその心裡しんりりうならずことあきらかにつきゆきながめをかず四方山よもやまの勝景籟々らい/\颯々さつ/\てこゝろにあぢはひ花にさへづうくひすこずゑせみあはれなる千種ちくさにすだくむしのさま%\なるなさけわかうたえいふみつゞるにかの公冶長こうやちやうたぐひせまくさハあれきさとびごとハかずもあれとておのをやすらにすぐしつるにすてよはひハ五十いそぢをなんこゆるぎのとしなみするときがほなるをその垣内かきうちみやなほいくもゝとせののちちきらまほしと翁が風雅の紀念かたみにとてひとつのいしぶみをなん建設たてまうけんとのくはたてありさるハその眞心まごゝろのちからをたすとも應分おうぶんとうじたまはんとならバこれなんじつに風雅のともまことありとやたゝへなんかし

      かくいふハみゝなし翁とのがれぬ \とも盲文人ももんじん

かな垣のあるじ       
魯文[猫痴]  

【一〇一】 (活版、字間四分アキ、草色刷飾枠)

   待合まちあひ御くつろぎところ開業かいげふ

あかわかれのとりものかはと。待宵まつよひ侍從じゞう詠歌よみうた。ふけゆくかねおとづれを。柱辰計はしらどけいにかえ文句もんく風雅みやびうと端唄はうた調譜しらべ。ちらと看染みそめ大時代おほじだいを。世話せわやつしゝ待合まちあひ茶屋ぢやや土地ところなに茅場町かやばちやうのきをならべし繁花はんくわ境内けいだい藥師やくしまうで往復ゆきかへり。おん目標めじるしかけ行燈あんどうは。從來これまで新富町しんとみちやう樂屋がくや新道じんみち。さかりのきく隣家となりづから。香川かがわ座敷ざしき引汐ひきしほに。又立浪たつなみまち渡世とせい是非ぜひくとのお約束やくそくを。まつ建門たつかどあたらしき。としはじめのきやくまをけ。開店かいてん當日たうじつより。お知己なじみさまはまをすにおよばず。交際こうさいのおん連立つれだち。お誘引さそひあはされ光來くわうらいこひたてまつると。女主あるじかわりて舊宅きうたく隣家りんか

新富老人  假名垣魯文述(呂文) 
茅場町藥師境内     
   當十二月十六日開業
香川幸 再拜 

【一〇二】 (製版、背景は団扇の骨の意匠)

     和洋わやうおん料理りやうり開業かいげふ報告ごひらう

妙々道人代述 

市街しがい紅塵こうぢんうちに。放心はうしん仙洞せんとうあり。樓上ろうしやうして。往還わうくわん雑沓ざつとうわすれ。構外かうぐわい風景ふうけいよつて。俗臭ぞくしうさくものハ。所謂いはゆるちうかんにして。かくごと地位ちゐめ。宴客ゑんかく来臨らいりんうながものひと雪月花せつげつくわ眺望ながめかぬ。新富しんとみがし北畔きたにあり。まへ築地川つきぢがは屈曲くつきよくに。合引橋あひゝきばしもゆかしく。銕砲洲てつぱうず海岸かいがん帆柱ほばしら屹立きつりつられ。數歩すうほにして劇場しばゐあり。芙蓉峰ふえうはう西にしそびへ。汽車きしや時間じかん汽笛ふゑながらに便利べんり土地とちさき三州さんしうてい待合まちあひの。あとそのまゝあがなとりさら新冨樓しんとみろう家号かがうあらため。和洋わやうやう割烹店りやうりみせを。開業かいげふ準備したくとゝのひ。従来じゆうらい入口いりぐちより。各席まごとすこし取繕とりつくろひ。来賓諸君おんきやくがたこのみおうじ。純粹じゆんすゐ西洋せいやう料理りやうりあるひ日本につほん故有ありきたり會席くわいせき料理りやうりめいぜられなバ。椅子いす坐蒲團ざぶとんわかちハなけれと。調製てうせいすべ當節たうせつ時侯じかうはか食料しよくりやうの。滋養物じようぶつ專務もつぱらとし。衛生上ゑいせいじやうがいなきさいぎよるゐもねん入物いれものの。器具うつわ膳部ぜんぶ清潔きよらかに。價直あたひれんだい眼目がんもく新鋪しんみせながらこの勉強べんきやうハ。あらたとめ前兆ぜんてうならんと。合引橋あひひきばしあふあはされ幾代いくよつきぢのむか河岸がし納凉すゞみながらふ一はゐと。避暑ひしよ白晝ひるなかつき夜半よは運動うんどうかた%\。光来くわうらいたてまつる

(魯文)

京橋區新冨町五丁目       

    〈来七月 日|開業〉

新富樓 
            [堀江二][素岳書]          [小山製]

【一〇三】 (活版、字間二分アキ、飾枠)

   〈端唄|温習〉 花楓讀歌澤はなもみぢよみとうたざわ

妙々道人述 

はななくうぐひすみづすむかわづいづれ歌澤うたざわれんならざりける貫之つらゆき古今こきんじよにも隆達りうたつ舊調きうてう笹丸さゝまる新曲しんきよくそのうたひぶりの未來みらいしめ和歌わか唱歌しやうか正變せいへんそくもそのみなもとハ一りうふるきをいまいろかへ常磐ときはかきはの松葉まつばともゑ代々よヽ枝葉えだはしげりあふ籟聲らいせい幾世いくよたえせじとて友人いうじん歌澤うたざわ美佐吉みさきちぬしがこゝ一會くわいもよふしあるハ同好どうかう諸君しよくん金石きんせき名聲めいせいよみ歌澤うたざわその理由ことわりのど禿ちびたるふでうちつけてうた

(魯文)

  當十月廿三日

   猿若町二丁目

    中尾屋樓上に於て相催候也

會主 歌澤美佐吉 再拜

【一〇四】(製版、色刷地に巻紙の意匠)

     禀告こうでう

まつにふるびし唱歌しやうが哥澤うたざはのながれにそゝ糸竹いとたけ節譜ふしはかせあたらしふつたえし故人こじん哥沢うたざは太夫たいふ芝金しばきんハそのころかく劇場げきじやう高臺やまだいうたふこと前後ぜんご六回むたび三味線さみせんいとれしのちも孀婦ごけ芝勢しばせいいこれにぎて聲價せいかたか故人こじん遺子ゐしありて一たん二代目にだいめ相續さうぞくせしもそのにんたえずとて藝事げいじ流名りうめいつひたえなむをおしむのあま今回こたび亡夫ばうふ流名りうめいをそこゝに三代目芝金しばきんにあらため梅花ばいくわさかみち桜花さくらすでひらくのあした改名かいめい披露ひろう会莚くわいゑん江東こうとう井生村ゐぶむら樓上らうしやうかんとす愛顧あいこ君達きみたち来臨らいりんこひたてまつると会主くわいしゆかはりて

猫々道人魯叟(魯文)

会主   三代目 哥澤芝金 
古川黙阿彌 
補  假名垣魯文 
落合芳幾  
永井素岳  
桜筵泉忠  
助  立齋廣重  
草阿彌和紫 

來三月廾三日
東兩國井生村樓に
おいて晴雨とも相催候
素岳(ながゐ)   


掲載資料一覧(凡例及び【一】〜【八○】は前号までに掲載)

【八一】温泉場「開壽亭」(熊太郎)「奎星帖」第八冊
【八二】百猫歯磨「山上花朝堂」「奎星帖」第八冊
【八三】牛肉「吉勝 鏑木勝蔵」「奎星帖」第八冊
【八四】書画会「愚父追福 一勇齋芳子」「奎星帖」第八冊
【八五】序(二世柳亭種彦作)「奎星帖」第九冊
【八六】茶の湯指南所「俵屋俵藤」「奎星帖」第九冊
【八七】 客席「葵園」「奎星帖」第九冊
【八八】会席料理「ときは」「奎星帖」第九冊
【八九】蕎麦「清風亭」「奎星帖」第九冊
【九〇】懇親語譯會「岩床」「奎星帖」第九冊
【九一】海水浴・圍碁會所「三益温泉」「奎星帖」第九冊
【九二】呉服「槌屋仁三郎」「奎星帖」第九冊
【九三】眼鏡・宝石「玉屋 石川膳太郎」「奎星帖」第九冊
【九四】割烹「玉泉樓」「奎星帖」第九冊
【九五】書画骨董古器 賣立會「奎星帖」第九冊
【九六】書画会「熊太郎」「奎星帖」第九冊
【九七】待合「小倉屋」「奎星帖」第九冊
【九八】絲竹有聲會「賣花宴梅叟」「奎星帖」第九冊
【九九】西洋御料理開業「光明樓」「奎星帖」第九冊
【一〇〇】耳塚勧進「琴通舎八洲」「奎星帖」第九冊
【一〇一】待合「香川幸」「奎星帖」第九冊
【一〇二】料理「新富楼」「奎星帖」第九冊
【一〇三】端唄「歌澤美佐吉」「奎星帖」第九冊
【一〇四】改名披露「哥澤芝金」「奎星帖」第九冊

【付記】翻刻を許可頂いた一橋大学附属図書館に感謝申し上げます。また、本研究は JSPS科研費JP17K02460の助成を受けたものです。

#「魯文の報条(五)
#「大妻国文」第52号 (2021年3月31日)所収
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