江戸読本の往方(承前)
    −カリフォルニアに眠る読本たち−

高 木   元 

従来の日本文学史に拠れば 読本よみほん は絵本に対して〈読む本〉という意味で名付けられたと説明されてきた▼1。浮世草子や所謂前期読本なども絵入本ではあるが、比較的挿絵が少なく〈読む本〉といえるかもしれない。ところが、19世紀以降の所謂江戸読本(後期読本)となると、商業資本主義の発展に伴い流通網が整備され、本自体の商品価値が高くなり、と同時に本自体の装いも、単なる縹色の地味な画一的な表紙から、人々の目を惹く多色摺の装飾が施された装丁へと変化していった。「絵入読本」とも呼ばれていた如く、重ね摺りを施した美麗な口絵や多数の挿絵を備えるようになり、もはや単に〈読む本〉とは呼べなくなっていった。

尤も、上方板の短編怪談奇談集が主流であった18世紀から、すでに上方の読本作家であった玉山、春暁齋や籬島などが「絵本」を冠する標題を持ち、かつ挿絵を多用した軍記に基づく読本を手掛けていた。

また、江戸読本の濫觴といわれている京伝の『忠臣水滸伝』も、前編はともかくも、折しも19世紀に入らんとする寛政11 (1799)年の11月に出された後編は、見返に「新鐫國字小説」と見える如くに、前編に比して生硬な白話語彙が著しく減り、また板元名の上に「繍梓發兌書房」とあるが如く「繍像(肖像)」つまり登場人物を描いた口絵のみで、本文中に挿絵が一図も入れられていない。この特異な造本は読本の様式をめぐる京伝(乃至は板元)の試行錯誤と見ることができよう。

いずれにしても、見返や口絵の有無と同時に、挿絵の多寡に注目して読本史を眺めてみると、読本における分類や区分について、その内容から前期後期に分割して整理してきたのとは別に、目録などの形式のみならず造本様式における挿絵の位置という観点が持ち込めるかも知れない。

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ところで、日本の物語や小説は西欧と比較して、絵と共に享受されてきたという顕著な伝統がある。近世になって出板文化が興隆しても、絵入本として書物が発行されて享受され続けてきた。それは訓点を付すことが厄介であった和刻本漢籍と同様に、17世紀半ば以降、製版による板本が古活字本を凌駕して一般化した要因の一つでもあったとも考えられる。すなわち、板木には板下さえ用意できれば、絵でも文字でも記号でも自在に彫ることができ、そのまま印刷可能である上に、版を保存できたからである。

19世紀になり全国的な流通網が整備され商業出板が広まると、江戸の貸本屋たちがプロデュースした新しいジャンルとしての江戸読本が流行する。『南総里見八犬伝』に代表される江戸読本は、18世紀の本には見られなかった凝った美麗な装丁が施され、人気浮世絵師たちの手による口絵や挿絵を備えた高級な小説であった。流行に敏感な流通業者である貸本屋がプロデュースしたからこそ生み出せたジャンルであるといえよう。しかし、価格が高かったために、個人で所有することなく貸本屋の手を経て大勢が読んだ。その結果として、現存している読本の大半は貸本屋本であり、手擦れや落書などが多く保存状態に難のある本が多い。その上、板木があれば長期間に渉って摺り続けられたために、摺りの手数を省いた粗悪な後摺本が大量に出回ることとなった。しかし、享受史の側から見れば、状態の良い早印本で読んだ人より、これらの後摺本で読んだ人の方が、はるかに多かったはずである。

さて、明治15年代になり活版本が普及しだすと、次第に和本を扱っていた貸本屋も活字翻刻本をも品揃えとして取り入れるようになった▼2。その後、さらに書物が安くなり大量に流通し出すと、書物は個人が所有して読むことが主流となり、貸本屋の商品であった和本は無用の長物と化し、結果的に廃業する貸本屋も少なくなかった。しかし、その蔵書であった和本の行方は必ずしも明らかではなかった。ただ、福田安典氏が、明治初年に愛媛県松山市で開業した貸本屋・汲汲堂の縁故者から昭和11年に愛媛県立図書館に寄贈された板本群は、廃業した同業者から仕入れて形成されたもので、それらは河内屋茂兵衛が求版後印した読本や人情本・滑稽本であること。それ故、此等の貸本が如何に廉価な貸本として大方の娯楽読物として供給され、そして板本としての終着を迎えたことを明らかにされた▼3のみであった。

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既に報告済みではあるが、フランス国立ギメ美術館図書室蔵未整理資料の調査を通じて、貸本屋が所蔵していた読本の末路の一端が明らかになった▼4。 以下、これらの概要について一般向きに記した「パリに渡った和本たち」▼5の一部を引用しておきたい。

日本の近世出板文化を彩った和本たちは、江戸人の日常生活の中に潤いをもたらしていたが、日用品であるがゆえに、多くは消耗品として使い捨てられたものと思われる。ところが、19世紀末に来日した西欧人たちの中には、この美しい錦絵や絵入の和本に魅せられた者が少なからずいて、帰国後にオークションなどで多くの和書を購入してコレクションを形成した。現在、それらが美術館や大学図書館などに寄贈され、長年未調査のままで眠っていたのである。コレクターの中には日本語に堪能な者もいたが、多くは錦絵や和本に入れられた口絵や挿絵を愛で慈くしんだものと思われる。

西欧において彼等が知っていた書物とは、皮革が用いられた重厚な装丁により、ずっしりとした量感を備え、洋紙に油性インクで黒々と印刷され、時に銅版版画と見紛う木口木版に拠る小さな細密画が入れられたものであった。日本に来てみたら、多くの本屋が町中にあり、大勢の人々が当たり前のように本を読んで暮らしている。そのリテラシーの高さに驚いたのみならず、和本は柔らかな和紙を素材として造本され、端正な装丁を施されて軽量であり、透明感のある植物染料とあいまって、本文を摺った墨色も好ましく見えたに違いない。つまり、和本は彼等の知っていた書物とは、全く別物としての様相を呈していたのである。

和本の多くには浮世絵師が描いた挿絵が入れられていた。構図や描写の繊細さはいうまでもなく、見る目にも珍しき極東の島国の風俗を描いた画像は、たとえ本文が読めなくとも、それだけで充分な魅力を備えたものであった。在外コレクションの多くが浮世絵や多色刷りの絵本を中心としている理由は容易に理解できる。つまり、和本とは世界に誇れるきわめてビジュアルなメディアなのであり、浮世絵や絵本のみならず、和本の魅力の一端は、その画像にあったと断言しても差し支えない。

さて、パリにも大きな和書のコレクションが存在している。ギメ東洋美術館に所蔵される200冊ほどの〔読本挿絵集〕を見ることができた。明治20年代になって活字翻刻本が大量に流通し始めると、貸本屋の需要が減り、多くの店が閉店していくことになる。その際に古書市場に出た大量の貸本屋本の挿絵だけを集めて綴じ直したものである。これらは、欧州で絵入和本の需要があることを知った業者が、輸出用に仕立て直したものと想像され、謂わば廃物利用とも見做せるものである。特に日本には残存していない稀覯資料は見当たらなかったが、逆に貸本屋における江戸読本の典型的な蔵書構成が遺されていると考えられる。つまり、資料的に稀少価値という意味はないが、19世紀末に於ける西欧と日本との文化交流史を示す痕跡として、絵入読本の挿絵だけが本文とは独立して絵画資料としての意味を持っていたことに思い至るのである。

在外和書のコレクションに見出せるのは、資料としての稀少性だけではなく、和本の持つ文化史的な意義である。と同時に、嘗て消えゆく和本の魅力を見出した西欧人たちの審美眼は、昨今の「日本文化は日本人にしか理解できない」などという偏頗な国粋主義を相対化しているともいえよう。

すなわち、19世紀初頭にジャポニズムに沸くヨーロッパへ、浮世絵師が描いた伝奇的な読本の口絵や挿絵だけを抜粋し合冊して輸出されていたものと、当時は考えていたのである。

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そののち、粕谷宏紀「スタンフォード大学フーバー研究所 EAST ASIAN COLLECTION 蔵「江戸時代版本」目録」(上)▼6に拠って、ギメ東洋美術館蔵と同じ書題簽を付した「好古文庫」(No.58)が10冊▼7、これまた同様に「画工の友」という書き題簽を持つ資料(No.252)が14冊▼8 所蔵されていることを知った。さらに、この目録の解題に「「集古画本」と称する(名所図会・読本類の挿絵だけを切り貼りしたもの)27種382冊」があると記されていたが、残念ながら「集古画本」の細目は、この目録には登載されていなかった▼9

そこで、2018年3月13〜14日と同年9月6〜7日にスタンフォード大学東アジア図書館に赴き、「集古画本」等の書誌調査と全頁のデジタルカメラに拠る撮影を実施した。随分と時を経てしまったが、約4000丁に及ぶ挿絵等の特定作業に目処が立ったので、知り得た具体的な様相を整理して記しておくことにしたい。なお、資料名は原則として内題に拠り示し、当該資料に記述のない情報は〔 〕入れて示した。

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まず、「好古文庫」第1〜10冊は、各冊に10丁ほどの口絵挿絵を綴じ、見開き換算で合計104丁分の画図を収める。新調した文様地表紙に「好古文庫」との書題簽を左肩に貼る。以下、第1冊目の構成を示してみる。上に付した数字は、見開きを単位とした画像の番号である。

「好古文庫」第1冊
第1図 〈大内|興隆〉十杉傳3編巻1 序末 3ウ、扉 口1オ
第2図 〈大内|興隆〉十杉傳3編巻1 口絵 口1ウ口2オ
第3図 〈大内|興隆〉十杉傳3編巻1 口絵 口2ウ口3オ
第4図 〈大内|興隆〉十杉傳3編巻1 挿絵「慈母因を説て新婚をすゝむ」 6ウ7オ
第5図 〈大内|興隆〉十杉傳3編巻1 挿絵 15ウ16オ
第6図 〈大内|興隆〉十杉傳2編巻3 挿絵「俊傑をしらずして賊主春情をいどむ」11ウ、序 口2オ
第7図 〈大内|興隆〉十杉傳2編巻3 挿絵「勇に誇て弱冠等禍ひをひく」 7ウ8オ
第8図 〈大内|興隆〉十杉傳2編巻3 挿絵「四方に狼煙を發して官軍主水が舘に寄る」 13ウ14オ
第9図 〈大内|興隆〉十杉傳2編巻3 挿絵「神箭を發て處女賢士をすくふ」 17ウ18オ
第10図 〈大内|興隆〉十杉傳3編巻3 挿絵「武夫の義膽傾國の色に溺れず」 14ウ15オ
第11図 〈大内|興隆〉十杉傳3編巻3 挿絵「こゝの画のわけ四乃巻の始にあり」1ウ 、〈報仇|竒談〉自來也説話後編 漢文序 丁付なしオ

この第1冊目は『〈大内|興隆〉十杉傳』のみを所収しているが、第2編の巻5と第3編の巻1と巻3から絵が選ばれている▼10。 基本的には絵ではない側(つまり袋綴の折目の反対側)は前後の丁に糊付けされていて、見開きで画像がみられるように作成されている。同時に、文字だけの丁(目録序跋本文など)を用いて裏打されていることもあるが、しばしば破損したり糊が剥がれたりして絵ではない丁が見えている。また、第6図のように、原本が半丁の挿絵の場合は、別の半丁の挿絵等を組み合わせていることもあるが、残りの半丁は糊付けされなかった次の丁(絵の反対側)の本文であったり、差し挟まれた序跋など適当な丁が見えていることもある。さらに、第11図のように巻末末丁に半丁の挿絵がくる場合、後ろ表紙見返には、別の絵ではない部分(ここでは『〈報仇|竒談〉自來也説話』後編の漢文序)が付されている。

言葉での説明では分かりにくいと思われるが、要は画像が見やすくなるように加工された斯様な本が、10冊で一揃いになっているのである。以下は各冊に所収された原本の書名と巻数を挙げておく。下の[ ]内は実質的に挿絵等画像が見られる総丁数である。

「好古文庫」1 〈大内|興隆〉十杉傳3編巻1、巻3 〈大内|興隆〉十杉傳2編巻5 [11丁]
「好古文庫」2 〈大内|興隆〉十杉傳後編巻6、7、8 〈大内|興隆〉十杉傳3編巻13 [12丁]
「好古文庫」3 櫻姫全傳曙草紙巻1、2 [10丁]
「好古文庫」4 櫻姫全傳曙草紙巻2、3、4 [11丁]
「好古文庫」5 自来也説話後編巻1、2 [10丁]
「好古文庫」6 自来也説話後編巻2、4、夢想兵衛胡蝶物語後編巻2、3、朝鮮征伐記後編 巻13 [10丁]
「好古文庫」7 〈報仇|奇談〉自來也説話後編巻2、3、4 [10丁]
「好古文庫」8 櫻姫全傳曙草紙巻4、夢想兵衞胡蝶物語後編巻2、3、4 [10丁]
「好古文庫」9 〈大内|興隆〉十杉傳巻9、孝子善之丞感得傳巻下、夢想兵衞胡蝶物語後編巻3、4、當世化物大評判巻5  [10丁]
「好古文庫」10 〈大内|興隆〉十杉傳巻15、14、12、11 孝子善之丞感得伝 下巻 [10丁]

同じ標目から集めた物も見られるが、必ずしも一標目の口絵挿絵をだけを集めたものではない。ギメ東洋美術館蔵の「好古文庫」と同様に、基本的に〔読本挿絵集〕である。また、書題簽である点や、特定の浮世絵師の絵を蒐めたり、一つの標目の口絵挿絵を順に紹介するという編纂意識が見られない点も同様である。ただし、ギメ東洋美術館蔵「好古文庫」のように適当な読本の表紙を流用するのではなく、同じ意匠の表紙を用い「好古文庫」の下に「1〜10」という通し番号を付して一纏まりとされている点が異なる。

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一方、「画工の友」第1〜15冊(第9冊未見)▼11であるが、こちらも書題簽で、新たに作成されたと覚しき深緑色無地表紙の中央に貼られている。このうち、第5冊目に所収されている標目を例示してみる。

「画工之友」第5冊
第1図 〈諸國|圖會〉年中行事大成3上巻 本文「引神調糸を以て……」28ウ 、都名所圖會2巻 挿絵「大雲院」5オ
第2図 都林泉名勝圖會5巻 挿絵「天龍寺 雲居菴」8ウ9オ
第3図 都林泉名勝圖會5巻 挿絵「天龍寺 塔頭 妙智院 林泉」9ウ10オ
第4図 〈諸國|圖會〉年中行事大成3上巻 挿絵「天龍塔頭 真乗院 林泉」10ウ11オ
第5図 都林泉名勝圖會5巻 挿絵「近年下嵯峨法輪寺に三月……」挿絵「大井川」 13ウ14オ
第6図 〈諸國|圖會〉年中行事大成3上巻 挿絵「桂川 宴舩」17ウ18オ
第7図 〈諸國|圖會〉年中行事大成3上巻 挿絵「八幡 泉坊 昭乗翁故居」20ウ21オ
第8図 〈諸國|圖會〉年中行事大成3上巻 挿絵「八幡安居の神式は毎歳十二月……」21ウ22オ
第9図 都林泉名勝圖會5巻 挿絵「松花堂全圖」22ウ、都林泉名勝圖會5巻 挿絵「あらし山花盛」15オ

一目で理解できるように、読本ではなく名所図会や年中行事などを集めたものである。ギメ東洋美術館蔵本は「好古文庫」と「画工の友」の差異はなく、読本の口絵挿絵を集めた絵手本風ものであったが、それとは相違して、寧ろ風俗資料集を目的にしたのであろうか。

以下、「画工の友」各冊に所収されている原本の資料名を挙げてみる。下の [  ]内は総丁数である。

「画工之友」1 〔仏書〕不明、都名所圖會4巻 [11丁]
「画工之友」2 都名所圖會2巻 [8丁]
「画工之友」3 東海道名所圖會巻3、5 [9丁]
「画工之友」4 〈諸國|圖會〉年中行事大成3下巻、4巻、東海道名所圖會巻3 [10丁]
「画工之友」5 〈諸國|圖會〉年中行事大成3上巻、都名所圖會2巻、都林泉名勝圖會5巻 [9丁]
「画工之友」6 〈諸國|圖會〉年中行事大成3下巻、上巻 [8丁]
「画工之友」7 東海道名所圖會巻3、都林泉名勝圖會巻1、木曽名所圖會巻2 [9丁]
「画工之友」8 東海道名所圖會巻3、〈諸國|圖會〉年中行事大成3上巻 [8丁]
「画工之友」9 〔未見〕 「画工之友」10 木曽路名所圖會巻2 [11丁]
「画工之友」11 都名所圖會巻5、源平盛衰記圖會巻1 [10丁]
「画工之友」12 源平盛衰記圖會巻2、都名所圖會巻6 [10丁]
「画工之友」13 木曽名所圖會巻1、都名所圖會巻4 [8丁]
「画工之友」14 源平盛衰記圖會巻1、都名所圖會巻3 [9丁]
「画工之友」15 都名所圖會巻5、源平盛衰記圖會巻1 [10丁]

このように名所図会や年中行事を中心としているが、やはり特定の地域を集めて一覧にするなどという編纂意識は見られない。また、名所図会は大本が多いので、その場合は同く大本の『源平盛衰記図会』などを一緒に綴ている。

名所図会は貸本屋でも人気のあった商品であり、見料が高いにもかかわらず、長い間に大勢が手に取っていたことは、手擦れ跡などから見て取れる。結果的に、貸本屋で不要になった本も少なくなかったと思われるが、東亜細亜アジアの小さな島国の見慣れぬ風景や風俗が描かれた絵画資料として人気を博したことは想像に難くない。

さて、海外に残存するこれらの資料から、貸本屋廃棄本の末路として、斯様な挿絵集が国内で作られて輸出されたことは間違いないが、「好古文庫」や「画工之友」などという同一名称の本が、欧羅巴ヨーロツパ亜米利加アメリカとに残存していることから、同じ業者の関与を想定しても差し支えないであろう。ベルギー王立図書館で見た「好古文庫」にはシリーズ化されたと覚しき数字「四」と「七」が書かれていた上に、「本朝武藝 六」 や「繪本画工艸帋 十七」などと書かれた同様の本も所蔵されていた▼12。しかし、斯様な本の書誌は甚だ作成しにくく、他の多数の機関でも未整理のまま放置されている可能性は高いものと思われる。

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以下、本稿では、目録から除外された「集古画本」という大部の資料について、その原本の特定と分析とを試みたい。

まず、書題簽「集古画本」が表紙に貼付けられた資料は27セットある。それぞれ基本的には15冊(18・29は10冊。ただし19は1冊欠の9冊。24は上下2冊)で構成され、都合、381冊が現存する。半丁の口絵挿絵なども含まれているが、見開きに換算すれば各冊平均10丁ほどで、全部で3812図に及ぶ。

具体的な例として、一番目のセットの第1冊目を提示しておこう。

「集古画本」第1冊
第1図 日本山海名産圖會巻2 挿絵「熊野 蜂蜜」 14ウ15オ
第2図 日本山海名産圖會巻2 挿絵「山椒魚」 19ウ20オ
第3図 日本山海名産圖會巻2 挿絵「吉野葛」 21ウ22オ
第4図 日本山海名産圖會巻2 挿絵「山蛤」 23ウ24オ>
第5図 日本山海名産圖會巻2 挿絵「高縄をもつて鳧を捕」 30ウ31オ
第6図 河内名所圖會巻2 挿絵「科長神社 八精水」 36ウ27オ
第7図 河内名所圖會巻2 挿絵「上水分社」 8ウ9オ
第8図 河内名所圖會巻2 挿絵「森屋村敵塚味方塚」 9ウ、河内名所圖會巻2 挿絵「磯長叡福寺 俗に上太子といふ」44オ
第9図 河内名所圖會巻2 挿絵「上太子諸堂」 44ウ45オ
第10図 河内名所圖會巻2 挿絵「上太子 西方尼院」 48ウ49オ
第11図 河内名所圖會巻2 挿絵「善成寺 御衣着桜」29ウ、播磨名所巡覧図絵巻5 挿絵「龍野川…」4オ

このように、1冊ごとに複数タイトルの口絵挿絵を10丁ほど合綴してあるが、1標目の巻数もバラバラであるし、やはり明確な編纂意識は見て取れない。また、此処では名所図会ものばかりであるが、「集古画本」は読本の挿絵のみならず名所図会ものが多数混在している点が特徴的である。ただ、1セットを15冊として同様の装訂を施すなどの統一意識が見られるため、販売を意図して作成されたものと推測できる。

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前述の如き詳細なデータを381冊分紹介する紙巾は此処にはないので▼付記、便宜上各セットごとに所収されている書名だけを記した。上の数字は、請求番号 No.27 の枝番〈1〜27〉に対応した各セットの番号である。基本的に1セットは15冊であるが、〈18〉が10冊、〈19〉が1冊欠けているので9冊、〈24〉が上下2冊である。なお、原則として第1冊目から出てきた順に書名を記述したつもりであるが、「集古画本」自体が整然と整理されているわけでもなく、各標目が綯交ぜになっていることも多く、順序自体にはほとんど意味はない。また、書名は内題により、編数巻数は省いた。

〈1〉 日本山海名産圖會、河内名所圖會、播磨名所巡覧図絵、拾遺都名所圖會、紀伊国名所圖會、伊勢参宮名所圖會、摂津名所圖會
〈2〉 日本百將傅一夕話、朝鮮征伐記、〈妙見|感應〉清正真傳記、太田道灌雄飛録、前太平記圖會、日蓮上人一代圖会、〈諸國|圖會〉年中行事大成、釈迦御一代圖會、繪本玉藻譚、三教放生辧惑、江戸名所記、御前義経記、本朝諸士百家記
〈3〉 伊勢参宮名所圖會、拾遺都名所圖會、播磨名所巡覧図絵、紀伊國名所圖會、都林泉名勝圖會、日本山海名産圖會
〈4〉 大和名所圖會、木曽路名所圖會、紀伊国名所圖會、江戸名所圖會、河内名所圖會、摂津名所圖會、拾遺都名所圖會
〈5〉 〈近世|新話〉雲晴間雙玉傳、〈忠婦|美談〉薄衣草紙、善知安方忠義傳、夢想兵衞胡蝶物語、〈勇婦|全傳〉繪本更科草紙、嫩髻蛇物語、優曇華物語、繪本淺草靈驗記、昔話稲妻表紙、繪本楠公記、刀筆青砥石文鸞水箴語、繪本國姓爺忠義傳、南朝外史武勇傳、繪本顕勇録、繪本太閤記、〈鎮西八郎|為朝外傳〉椿説弓張月、櫻姫全傳曙草紙、繪本朝鮮軍記
〈6〉 〈天竺|得瓶〉仙蛙奇録、繍像復讐石言遺響、繪本甲越軍記、新編陽炎之巻、〈蝉丸|傳記〉半月夜話、頼豪阿闍梨怪鼠傳、〈馬夫與作|乳人重井〉催馬樂奇談、松浦佐用媛石魂録、櫻姫全傳曙草紙、〈西國|順禮〉幼婦孝義録、繪本楠公記、〈鎭西八郎|爲朝外傳〉椿説弓張月、俊傑神稲水滸傳、關西野乗大内多々羅軍記、繪本顯勇録、本朝醉菩提、〈勇婦|全傳〉繪本更科草紙、昔語質屋庫、朝夷巡嶋記全傳、復讐美鳥林、〈繪本|敵討〉待山話
〈7〉 星月夜顕晦録、繪本彦山權現霊験記、繪本楠公記、繪本烈戦功記、繪本太閤記、繪本甲越軍記、繪本敵討孝女傳、〈忠婦|美談〉 薄衣草紙、敵討〓之錦、〈天竺|得瓶〉仙蛙奇録、繪本國姓爺忠義傳、〈近世|新話〉雲晴間雙玉傳、頼豪阿闍梨恠鼠傳、松浦佐用媛石魂録、〈鎮西八郎|為朝外傳〉椿説弓張月、千代曩媛七變化物語、朝夷巡嶋記全傳、三七全傳南柯夢、關西野乗大内多々羅軍記、流轉數囘阿古義物語、〈富士|淺間〉三國一夜物語、〈山陽|竒談〉千代物語
〈8〉 繪本佐野報義録、繪本甲越軍記、絲櫻春蝶竒縁、復讐美鳥林、楠木外傳弥生佐久羅、流轉數囘阿古義物語、〈浅間嶽面影|草 紙 後 帙〉逢州執着譚、〈天竺|得瓶〉仙蛙竒録、刀筆青砥石文鸞水箴語、笠松峠鬼神敵討、〈寒燈|夜話〉小栗外傳、〈相馬|将門〉總猴僭語、俊傑神稲水滸傳、開巻驚奇侠客傳、浅間嶽面影草紙、駒若全傳逆櫓松、〈勇婦|全傳〉繪本更科草紙、朝夷巡嶋記全傳、繪本琉球軍記、〈寒燈|夜話〉小栗外傳、繪本彦山權現霊驗記
〈9〉 繪本烈戦功記、繪本佐野報義録、繪本雪鏡談、繪本楠公記、繪本太閤記、〈近世|新話〉雲晴間雙玉傳、繪本西遊記、今古怪談深山草、〈春雪|奇談〉近世櫻田紀聞、常夏草紙、絵本大内家軍談、〈勇婦|全傳〉繪本更科草帋、繪本曽我物語、流轉數回阿古義物語、繪本國姓爺忠義傳、南朝外史武勇傳、〈馬夫與作|乳人重井〉催馬樂竒談、繪本復仇英雄録、繪本顕勇録、俊傑神稲水滸傳、三七全傳南柯夢
〈10〉 櫻姫全傳曙草紙、繪本太閤記、〈勇婦|全傳〉繪本更科草紙、繪本朝鮮軍記、繪本復仇英雄録、〈復讐|奇話〉繪本東嫩錦、〈馬夫與作|乳人重井〉催馬樂奇談、南朝外史武勇傳、繪本烈戦功記、〓髻蛇物語、繪本佐野報義録、朝夷巡嶋記全傳、〈山陽|竒談〉千代物語、繪本國姓爺忠義傳、昔語質屋庫、〈寒燈|夜話〉小栗外傳、繪本大内軍記、〈西國|順礼〉幼婦孝義録、刀筆青砥石文鸞水箴語、優曇華物語、繪本淺草霊験記、繪本甲越軍記、繪本敵討孝女傳、繪本楠公記、〈源家|勲績〉四天王剿盗異録
〈11〉 絲櫻春蝶竒縁、繪本國姓爺忠義傳、繪本太閤記、流轉數回阿古義物語、繪本浮世袋、和字功過自知録、朝夷巡嶋記全傳、昔話稲妻表紙、〓髻蛇物語、〈忠婦|美談〉薄衣草紙、千代物語、繪本顕勇録、〈浅間嶽面影|草 紙 後 帙〉逢州執着譚、櫻姫全傳曙草紙、斯波遠説七長臣、笠松峠鬼神敵討、〈寒燈|夜話〉小栗外傳、〈三七全傳|第 二 編〉占夢南柯後記、〈相馬|将門〉總猴僭語、俊寛僧都嶋物語、繪本復仇英雄録、〈源家|勲績〉四天王剿盗異録
〈12〉 近世説大川美談、繪本復仇英雄録、繪本顕勇録、繪本太閤記、頼豪阿闍梨恠鼠傳、俊寛僧都嶋物語、夢想兵衛胡蝶物語、松染情史秋七草、繪本朝鮮軍記、松浦佐用媛石魂録、新編陽炎之巻、美濃舊衣八丈綺談、笠松峠鬼神敵討、繪本國姓爺忠義傳、常夏草紙、〈鎮西八郎|為朝外傳〉椿説弓張月、俊傑神稲水滸傳、〈勇婦|全傳〉繪本更科草紙、繪本楠公記、由利稚野居鷹、〈源家|勲績〉四天王剿盗異録、星月夜顕晦録、開巻驚奇侠客傳、忠勇阿佐倉日記、刀筆青砥石文鸞水箴語
〈13〉 繪本淺草霊験記、〈西國|順礼〉幼婦孝義録、陰陽妹背山、梅之与四兵衛物語梅花氷裂、青砥藤綱模稜案、〈景清|外傳〉松の操、謡曲春栄物語、〈鎮西八郎|為朝外傳〉椿説弓張月、復讐鬼娘傳、朝夷巡嶋記全傳、新累解脱物語、鷲談傳竒桃花流水、俊傑神稲水滸傳、繪本復仇英雄録、〈春宵|奇譚〉繪本璧落穂、昔語質屋庫、報讐竹の伏見、〈三七全傳|第 三 編〉占夢南柯後記、本心開悟破莞莚、繪本通俗三國志、〈諸|國〉周遊竒談、〈長柄|長者〉繪本黄鳥墳
〈14〉 開巻驚奇侠客傳、謡曲春栄物語、復讐鬼嬢傳、〈尼子|九牛〉七國士傳、俊傑神稲水滸傳、青砥藤綱模稜案、〈鎮西八郎|為朝外傳〉椿説弓張月、繪本忠臣蔵、朝夷巡嶋記全傳、新累解脱物語、鷲談傳奇桃花流水、報讐竹の伏見、駒若全傳逆櫓松、繪本復仇英雄録、〈長柄|長者〉繪本黄鳥墳、浅間嶽面影草紙、〈春宵|奇譚〉繪本璧落穂梅之与四兵衛物語梅花氷裂、〈三七全傳|第 三 編〉 占夢南柯後記
〈15〉 南朝外史武勇傳、復讐美鳥林、櫻姫全傳曙草紙、〈阿千代|半兵衛〉今昔庚申譚、朝夷巡嶋記全傳、〈復讐|奇話〉繪本東嫩錦、善知鳥安方忠義傳(写)、繪本楠公記、繪本太閤記、〓髻蛇物語、近世説大川美談、繪本復讐英雄録、繪本國姓爺忠義傳、繪本顕勇録、繪本淺草霊験記、〈勇婦|全傳〉繪本更科草紙、〈阿千代|半兵衛〉今昔庚申譚、繪本朝鮮軍記、松浦佐用媛石魂録、〈寒燈|夜話〉小栗外傳、繪本烈戦功記、刀筆青砥石文鸞水箴語、頼光朝臣勲功圖繪
〈16〉 繪本烈戦功記、〈天竺|得瓶〉仙蛙奇録、〈阿千代|半兵衛〉今昔庚申譚、朝夷巡嶋記全傳、繪本國姓爺忠義傳、〈鎮西八郎|為朝外傳〉椿説弓張月、斯波遠説七長臣、繪本顕勇録、松染情史秋七草、繪本甲越軍記、俊傑神稲水滸傳、〈近世|新話〉雲晴間雙玉傳、〈景清|外傳〉松の操、繪本淺草霊験記、美濃舊衣八丈綺談、繪本西遊記、〓髻蛇物語、昔話稲妻表紙、〈寒燈|夜話〉小栗外傳、繪本雪鏡談、繪本楠公記、本朝醉菩提、〈勇婦|全伝〉繪本更科草帋、孝子善之丞感得傳
〈17〉 日本山海名産圖會、河内名所圖會、摂津名所圖會、近江名所圖會、木曽路名所圖會、拾遺都名所圖會、都林泉名勝圖會、播磨名所巡覧圖絵、伊勢参宮名所圖會、紀伊国名所圖會、山海名物圖繪、鹿島志
〈18〉 江戸名所圖會
〈19〉 百人一首一夕話、保元平治闘圖會、〈晩進|魯筆〉閑窓瑣談
〈20〉 忠勇阿佐倉日記、圃老巷説菟道園、〈寒燈|夜話〉小栗外傳、浅間嶽面影草紙、小夜鵆真砂物語、繪本國姓爺忠義傳、繪本甲越軍記、〓髪蛇物語、繪本甲越軍記、〈近世|美談〉大川仁政録、豪傑勲功録、繪本簣草紙、繪本忠孝美善録、〈蝉丸|傳記〉半月夜話、〈忠婦|美談〉薄衣草紙、〈馬夫與作|乳人重井〉催馬樂奇談、流轉數回阿古義物語、月花惟孝、熊谷蓮生一代記、青砥藤綱模稜案、繪本金花談、開巻驚奇侠客傳、俊寛僧都嶋物語、繪本日吉丸
〈21〉 忠勇阿佐倉日記、繪本金花談、鎌倉太平記、南総里見八犬傳、〈景清|外傳〉松の操、繪本雪鏡談、墨田川梅柳新書、繪本甲越軍記、〈寒燈|夜話〉小栗外傳、優曇華物語、〈馬夫與作|乳人重井〉催馬樂竒談、〈鎮西八郎|為朝外傳〉椿説弓張月、古今奇談紫双帋、〈秋葉|霊驗〉繪本金石譚、繪本双忠録、〈蝉丸|傳記〉半月夜話、小夜鵆真砂物語、熊谷蓮生一代記、淀屋形金鶏新話、繪本忠孝美善録、〈お は ん|蝶右ヱ門〉月桂新話、墨田川梅柳新書、繪本淺草霊験記、青砥藤綱模稜案、〈富士|浅間〉三國一夜物語、豪傑勲功録、田舎荘子外篇、雲妙間雨夜月、繪本楠公記、北斗鏡飛龍釼・奇譚手引乃糸、月花惟孝
〈22〉 星月夜顕晦録、繪本拾遺信長記、新累解脱物語、鷲談傳竒桃花流水、繪本太閤記、〈春雪|奇談〉近世櫻田紀聞、画本信長記、繪本西遊記、孝子善之丞感得傳
〈23〉 流轉數回阿古義物語、雲妙間雨夜月、月宵鄙物語、隅田春妓女容性、夢想兵衛胡蝶物語、繪本琉球軍記
〈24〉 開巻驚奇侠客傳、繪本忠臣蔵
〈25〉 小夜鵆真砂物語、繪本復讐英雄録、淀屋形金鶏新話、〈寒燈|夜話〉小栗外傳、〈景清|外傳〉松の操、忠勇阿佐倉日記、〈富士|浅間〉三國一夜物語、俊傑神稲水滸傳、近世説美少年録、繪本忠孝美善録、青砥藤綱模稜案、繪本淺草霊験記、古今竒談紫双帋、本朝俗諺志、田舎荘子外篇、宇治拾遺物語、敵討裏見葛葉、繪本伊賀越孝勇傳、當世下手談義、墨田川梅柳新書、松浦佐用媛石魂録、繪本雪鏡談、繪本甲越軍記、繪本琉球軍記、繪本金花談
〈26〉 小夜鵆真砂物語、〈寒燈|夜話〉小栗外傳、繪本金花談、流轉數回阿古義物語、繪本沈香亭、繪本簣草紙、繪本二島英勇記、熊谷蓮生一代記、繪本復仇英雄録、復仇越女傳、優曇華物語、繪本楠公記、繪本甲越軍記、淀屋形金鶏新話、豪傑勲功録、〈源家|勲績〉四天王剿盗異録、〈富士|浅間〉三國一夜物語、敵討裏見葛葉、俊寛僧都嶋物語、青砥藤綱模稜案、勢田橋竜女本地
〈27〉 〈鎮西八郎|為朝外傳〉椿説弓張月、〓髻蛇物語、繪本簣草紙、繪本楠公記、浅間嶽面影草紙、〈訂正|補刻〉繪本漢楚軍談、忠勇阿佐倉日記、〈寒燈|夜話〉小栗外傳、鎌倉太平記、繪本國姓爺忠義傳、〈忠婦|美談〉薄衣草紙、〈お は ん|蝶右ヱ門〉月桂新話、春夏秋冬春篇、繪本雪鏡談、〈三七全傳|第 二 編〉占夢南柯後記、繪本金花談、繪本二島英勇記、流轉數回阿古義物語、繪本忠孝美善録、南総里見八犬傳、開巻驚奇侠客傳、〈鎌倉|外傳〉繪本平泉實記、墨田川梅柳新書、繪本復仇英雄録、俊寛僧都嶋物語、〈異國|再見〉和荘兵衛、繪本日吉丸

さて、この「集古画本」は、前掲の目録の記述に拠れば、スタンフォード大学が1984年にコレクターから一括購入した「江戸時代版本」群の一部だとのことである。

本資料には、毛筆手書きの書題簽が用いられていることや、和装の四つ目綴仕立であることから、国内で作成されたものと考えられる。問題はその作成時期であるが、それを知る手掛かりとして、〈9〉〈22〉に入れられている『〈春雪|奇談〉近世櫻田紀聞』がある。本書は明治8〜9年刊で、明治19年に再版されていることが分かっている。つまり、「集古画本」が作成された上限は明治9(1876)年頃であることになる。ギメ東洋美術館に保存されている同様の挿絵抄出本〔読本挿絵集〕は、受入簿の記録から1893年5月以前にパリで購入されたものであることが分かっているが、これにも矛盾しない。

一体、何時如何なるルートで亜米利加アメリカに渡ったものかは知る術もないが、取り敢えず、これだけ大量の資料群が現在まで大切に保存されていたことに意味がある。貸本屋本として使われていたことは、「本清」(縦長角印)などの蔵書印からも明らかである。大勢の手に触れたもの故、保存状態も良くない上に落書などもあり、国内にあれば反古として処分されてしまったとしても不思議ではない。

    ※

さて、最後に今回の調査から分かることを記しておきたい。まずは所収されている原本について、可能な限り当該書籍ないしはその画像を見て調査した▼13。残念ながら4000図ほどの挿絵のうち、未だに50図ほどの所収書名が明らかに出来ないでいる。しかし、右の一覧表に見られる如く、ほぼ全体像は明らかになった。

まず気になるのが、名所図会の多さである。〈1〉〈3〉〈4〉〈17〉〈18〉は、1冊がすべて名所図会で構成されている。就中〈18〉は順序不定ではあるが全10冊のすべてが『江戸名所圖會』だけで構成されており、109図(見開き換算、以下同断)に及ぶ。この「集古画本」に入れられている原本の中で『江戸名所圖會』は186図に及んでおり、確認できたうちで最も多い。2番目は『紀伊國名所圖會』の173図、以下『木曽路名所圖會』94図、『摂津名所圖會』70図、『拾遺都名所圖會』67図と続く。

名所図会の挿絵抄出本は、欧羅巴ヨーロツパでは管見に入らなかったのであるが、名所図会が貸本屋の主力商品であったことを考慮すれば、特段驚くべきことではないかもしれない。特に『江戸名所圖會』の人気は高かったという。また、日本の景色や風俗に関心がある人々にとっては、興味が惹かれた画像であったはずである。

細かな問題かもしれないが、貸本屋は、人気のあった本の複本を用意していた。「集古画本」にも同じ本の同じ挿絵が使われている。『紀伊国名所圖會』巻4の挿絵「八幡宮 慈光寺 元亨寺」(12ウ13オ)は、〈1〉の第8冊第4図と〈17〉の第13冊第4図に見出すことが出来る。以下、巻4の挿絵「貞享三年四月京都三十三間堂におゐて……」(15ウ16オ)から6図程が双方に見られ、さらに『紀伊国名所圖會』巻4の挿絵「日前宮 國然宮 國造家」(28オ)は、〈1〉の第13冊第1図左側と〈3〉の第11冊第7図左側にも発見することが出来る。もちろん、本資料が一軒の貸本屋本だけで作成されたとは限らないが、広く流布していたことは分かる。また名所図会だけではなく、読本の方でも同様のことが多数指摘できる。

一方、読本についてはかなり広範囲を網羅している。多数所収されている書名を挙げると、『絵本太閤記』から148図、『繪本楠公記』から132図、『繪本國姓爺忠義傳』が125図、『〈寒燈|夜話〉小栗外傳』が116図。以下、『椿説弓張月』『流轉數囘阿古義物語』に続き『保元平治闘圖會』『繪本復讐英雄録』『俊傑神稲水滸傳』『繪本甲越軍記』などが続く。概して、軍記に基づく絵本ものが多い。無論、馬琴や京伝の伝奇的な江戸読本もほぼ網羅しているが、傑出して多いわけではない。

読本以外のものとして、絵入勧化本『孝子善之丞感得傳』や『三教放生辧惑』などの絵入仏書や、万治2(1659)年刊の絵入板本『宇治拾遺物語』の古雅な挿絵、天保14(1843)年に挿絵を加えて増補された『〈増補|繪抄〉和字功過自知録』などのほか、浮世草子『御前義経記』に到っては元禄13(1700)年版、同じ浮世草子では宝永6(1709)年刊『本朝諸士百家記』も見えている。さらに、滑稽本とされている享保12(1727)年刊『田舎荘子外篇』や宝暦2(1752)年刊『當世下手談義』、天保15(1844)年刊『〈異國|再見〉和荘兵衛』後編、明和7(1770)年刊の狂歌絵本『〈繪本|福神〉浮世袋』▼14 などもあり、19世紀の画風に比すと比較的地味な挿絵である点、江戸読本と一緒に扱われるのには少しく違和感がある。

一方、和歌の注解書である天保4(1833)年『百人一首一夕話』や武将の伝記類を編纂した嘉永7(1854)年刊『日本百將傅一夕話』などは、絵入考証随筆『〈晩進|魯筆〉閑窓瑣談』と同様に、読本に隣接するジャンルである。また、描き込まれた緻密な挿絵ではないが、前期読本風の『古今竒談紫双帋』『圃老巷説菟道園』『今古怪談深山草』などや、草双紙風の板面を持つ『絵本大内家軍談』(文化4年、十返舎一九序)や、中本型読本風の『繪本日吉丸』2輯、上部に本文を持つ画本『敵討〓之錦』(享和元年)なども含まれている。

さらに面白いことに、板本の口絵まで丁寧に摸写した『善知鳥安方忠義傳』(写本)8図が入る。後印本に拠ったと見えて薄墨部分は描かれていない。多少の手擦れが見受けられるが、果たしてこれも貸本屋本であったのか。また1点6図だけであるが、小さん金五郎物の絵入根本が入っていた▼15

不思議なのは、江戸読本を代表する『南総里見八犬傳』が少ないことである。第3輯からの6図しか見られない。大ヒット作で後印本も摺り続けられたことが知られているのであるが、廃棄されなかったのであろうか。そもそも、明治期に入っても名山閣版や兎屋板を経て明治30年刊の博文館版まで新たに板本が供給され続けていたので、まだ需要があったということであろうか。

また、〈15〉の第1冊目、題簽「集古画夲 一」の下部の空白に朱角印「雁皮帋舗\日本橋通壱丁目はい原直次郎」が捺されている。通常蔵書印を捺す位置ではなく、題簽作成時に捺す場所を確保したとも思われるので、もしかしたら「集古画本」の作成に係わった徴候を暗示しているのかもしれない。

印

ちなみに、この店の創業は文化3(1806)年で、現在も同じ日本橋で「株式会社 榛原」として営業をしている。公式サイトに「昭和初年に四代目 榛原直次郎が書いた「暖簾に礼賛す」によると、江戸の版元須原屋茂兵衛から暖簾分けした初代須原屋伊助が、老舗の金花堂を譲り受け文政六年(1823)独立し、さらに紙問屋の今井・榛原を買収し、「榛原直次郎」を屋号とした。」「幕末から明治時代という文明開化の世においては、いち早く各種博覧会を通じ、和紙を欧米諸国に紹介……」とある。各国で開催された万国博覧会などにも積極的に出品していたともあるので、この「集古画本」など挿絵抄録本の国際的な輸出に係わっていた可能性も考えられるかもしれない。

     ※

今回の原資料の特定作業を通じて得られた情報は、費やした膨大な作業量を考慮すると存外少なかったかもしれない。しかし、スタンフォード大に蔵されている資料はギメ東洋美術館の二倍以上の量があり、「好古文庫」や「画工之友」という同じ標題を付けられながらも、その性格は多少異なることを明らかに出来た。また、斯様な挿絵抄録本が作成され輸出されたことについて、以前は単純に欧羅巴のジャポニズムの影響と考えていたが、北米へも渡っていることが分かり、必ずしもジャポニズムの流行だけが理由ではないものとの考えに到った。

いずれにしても、日本文化の国際化が既に19世紀末に見出せるわけである。文明開化期は西欧文化の流入にばかり着目して論じられてきた感が強いが、決して一方通行ではなかったのである。和本や浮世絵のみならず、和紙や、板目木版に水彩絵具を用いた浮世絵の制作技術などが輸出されていた実態を、今後の継続的な在外資料の調査とその分析を通じてより明らかに出来ると思われる。

従来、在外資料の調査は、日本に遺されていない稀少資料にばかりに目が向きがちであった。しかし、百年以上も海外に大切に保存されていながらも、その所蔵機関の担当者には整理が困難であった資料群を調査し、その書誌情報を共有して公開することは有効である。それに拠って、日本文学が画像と共に享受された伝統が存すること、そしてそのビジュアルな魅力を備えていたからこそ、浮世絵と同様に、文字も読めず日本語も分からない諸外国の人々の関心を惹いたことが理解可能になるからである。

換言すれば、絵入本研究は、それが廃物利用の挿絵抄録本であっても、日本文学の視覚的側面からの汎世界的影響について、具体的に論じるための根本資料を提供し得るのである。



▼1. 馬琴が「よみ本」について、「ぶんむねとして一巻にさし画一二ちようある冊子は かならず むへき物なれは画本えほんムカへてよみ本といひならはしたり」(『近世物之本江戸作者部類』)と記すように、本来は絵本(画本・草双紙)に対する謂いとして発生したようだ。ここで注意が惹かれるのは「一巻に挿絵一二丁ある冊子」を「よみ本」と唱えている点である。すなわち「読本」とは本来的に絵入本なのであった。
▼2. 高木元「江戸読本の後摺本と活版本(新日本古典文学大系《明治編28》『国木田独歩・宮崎湖処子集』月報「明治出版雑識19」、岩波書店 2006年)
▼3. 福田安典「江戸戯作の行方―伊予の貸本屋をめぐって」(「国語と国文学」83巻5号、2005)
▼4. 高木元「江戸読本の往方−巴里に眠る読本たち−(「読本研究新集」第6集 読本研究の会 2014年6月)、高木元「ギメ美術館蔵〔読本挿絵集〕について(「語文論叢」29号 千葉大学文学部日本文化学会 2014年7月)
▼5. 高木元「パリに渡った和本たち」2014年8月13日(水)「西日本新聞 」朝刊 11面 文化欄。PDFはこちら
▼6.粕谷宏紀「スタンフォード大学フーバー研究所 EAST ASIAN COLLECTION 蔵「江戸時代版本」目録」(上)(「語文」76輯、日本大学国文学会、1990)。ちなみに、現在所蔵している図書館は「東アジア図書館 East Asia Library」である。
▼7. 此方は読本類が多く柱刻から書名がわかるものが多かったと見え「※読本類の挿絵集(<1><2><10>「大内興隆十杉伝」・<3><4><8>不明・<5><7>「自来也説話」「夢想兵衛胡蝶物語」「朝鮮征伐記」・<9>「大内興隆十杉伝」「夢想兵衛胡蝶物語」後編)」と注記されている。
▼8.目録には「15冊」とあるが、出納されたのは第9冊欠の14冊であった。目録には「※『東海道名所図会』等の挿絵だけを綴ったもの」とある。地誌類は柱刻がなく丁付がノドに在るものが多い上に、似たものが多いので書名を特定するのは困難であったのだろう。
▼9.スタンフォード大学東アジア図書館のサイトに粕谷氏の作成された「集古画本」に関するワークシート同2が公開されていて、今回の調査の役に立った。ただし、氏の作成したワークシートは板本の柱題などをそのままメモしたもので、かつ名所図会の大半は「不明」としてある。
▼10.後印本では前付や巻数が変更されているようで、巻数は初篇からの通巻になっていて多少の混乱がみられる。
▼11.目録には15冊とあり、当初は揃っていたようであるが、今回日を変えての二度の請求時には「書庫に見当たらないと」閲覧できなかった。
▼12.「好古文庫 4」には『畫本信長記』初編巻8と『阿古義物語』巻2が、「好古文庫 7」には『繪本亀山話』巻6と『絵本西遊記』巻8を所収している。
▼13.長年蒐集してきた読本原本や、各機関等が所蔵している読本のコピーや紙焼写真などを駆使したのはいうまでもないが、最近リニューアルされた国文学研究資料館の「国書データベース」は驚異的に便利であった。より充実されることを強く希望する。また、早稲田大学の「古典籍総合データベース」も着実に公開資料が増加しており、国立国会図書館デジタルコレクション(全文検索には限りない可能性がある)、立命館大学アートリサーチセンター「ARC古典籍ポータルデータベース」などから絶大な恩恵に蒙った。とりわけ名所図会関係は『日本名所風俗図会』(角川書店)の索引も有用であったが、挿絵を短時間で一覧できる各データベースを利用しなければ、文字情報の乏しい画像のみから原資料を探すことは不可能だったと思われる。長生きはしてみるものである。
▼14.【追記】この狂歌絵本については三宅宏幸氏の教示による。
▼15.上方歌舞伎だと思われるが外題までは調査が及ばなかった「金十郎…坂東重太郎、由兵衛…中村歌右衛門、源兵衛…市川鰕十郎、小梅…澤村國太郎、金五郎…嵐橘三郎、小さん…嵐小六」と役名と役者名が入っていて、当然挿絵は似顔で描かれている。【追記】その後、早川由美氏より「文政8年『隅田春妓女容性』(暁鐘成)」であることを教示され、確認できた。

【謝辞】スタンフォード大学東アジア図書館には資料閲覧に際して大変にお世話に成りました。本研究の一部(2018年9月2〜8日の渡米)は、大妻女子大学20018年度戦略的個人研究費「スタンフォード大学東アジア図書館蔵「集古画本〔読本挿絵集〕」の書誌学的研究」(S3021)の助成を、また、2018年3月の渡米に関してはJSPS科学研究費「十九世紀の絵入本における画文一体構成に着目した 書物メディア 史研究」(17K02460) の助成を受けたものです。記して感謝致します。
【付記】本稿執筆に際して掲載できなかった全データは、当サイトのスタンフォード大学東アジア図書館蔵〔読本挿絵集〕細目稿で公開しています。
(たかぎ・げん/千葉大学)



#「江戸読本の往方(承前)−カリフォルニアに眠る読本たち−
#「國語と國文學」 (2023年11月1日)所収
# このWeb版では漢数字をアラビア数字に変更し、字体や表記、レイアウト等や行文を
# 変更してあります。
# また、不明だった挿絵の出典などの教示を受け【追記】しました。
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