『江戸読本の研究』第四章 江戸読本の周辺

第五節 感和亭鬼武著編述書目年表稿
高 木  元 

 江戸戯作界における感和亭鬼武の位置は、決して高いものではなかった。それゆえ代表作とされる『報仇竒談自来也説話』や『有喜世物真似舊觀帖』に関する言及はあっても、まとまった研究は備わっていないのが現状である。
 近年、山東京伝や曲亭馬琴以外の作家に関する研究も着実に積み重ねられつつあり、速水春暁斎、十返舎一九、振鷺亭、柳亭種彦、式亭三馬、楚満人をはじめとして、笠亭仙果、柳園種春等に関する精緻な報告が備わり、次第に江戸も上方も戯作界の実相が解明されてきた。江戸後期の戯作界に出板産業が深く関与したのは周知のことであり、書肆や貸本屋に関する研究も一層充実してきた。このような研究情況の中で、特定の一作家に関する研究の蓄積は、総体としての江戸戯作界、もしくは江戸後期の出板文化情況の解明に供されるはずである。
 ところがいわゆる二流三流の作者たち(鬼武をはじめとして小枝繁、東西庵南北、山東京山等を念頭においている)に関しては、評価するに足るだけの材料が整備されていないのにもかかわらず、見るべき作品のない群小作家の一人とされて等閑視されてきた嫌いがある。
 いま、ここで鬼武を取り上げたのは、数多くの中本型読本に見られる新奇な趣向を備えた面白さもさることながら、広い交際範囲を持つ遊民的な渡世が当時の戯作者の一典型を示したものと考えられるからである▼1
 伝記に関しては不明な点が多く、『近世物之本江戸作者部類』に、

曼亭鬼武 一號感和亭
実名を忘れたり寛政中まて御代官の手代にて飯田町万年樹坂の邊リに處れりこの頃の姓名倉橋羅一郎とかおほえしかさたかならすなほよく考て異日追録すへし後に橋のみたちの御家人某甲の名跡を續て御勘定を勤め淺草寺の裏手に卜居し後又家督を壻養嗣某に渡してをさ/\戯作を旨としたり初ハ山東庵に交加し文化の初より曲亭に就て自作の臭草紙を印行せられん事を請しかハ馬琴則山城屋藤右衛門馬喰町書賈也に紹介してその作初て世にあらはれしハ文化五年の事なりきこれより後新編の臭草紙を印行せられしかともさせるあたり作ハなし性酒を嗜み退隱の後放蕩無頼を事として疱瘡を患ひ遂に鼻を失ひたれとも羞とせす歌舞伎の作者たらん事を欲りして一年木挽町の芝居にかよひてやうやく前狂言を綴ることを得たれともその徒に撩役せらるゝに堪すとて果さすして退きたりかくていよ/\零落して身のさま初にも似すなりしかと猶浮れあるきつゝ瘡毒再發して身まかりけり没年文政のはしめにやありけんたつぬへしこの人の戯作夛かりしそか中に自來也物語といふよみ本のみ頗時好に稱ひたりそハよみ本の絛下にいふへし

と見え、『戯作者考補遺』には、

鬼武 初淺草姥ヶ池近邊ニ住居後新寺町江移りぬ
墨川亭云
   寛政中飯田町ニ居しや作名ノ傍ニ飯顆山トしたりト云々
千光院内
感和亭と号す初号曼亭ト云前野曼七初ハ或藩中のよし仕辞し市ニ隱る算術ニ達撃劔ニ長ス後ニ画ヲ写山翁ニ学ト自語らるゝ

 また、『銀鶏三余雑記▼2』には、

感和亭鬼武は、前野満治郎といへる人なり、ひととほりの戯作者にはあらず、撃剣をよくし書をよくし、和歌をよくし狂文狂詩をよくし、地理に委く算法に工なり、好んて土鼈をくはれしゆゑ、庵号を土鼈庵と名づく、寛政年中かぐら坂にて、富吉といへる者、親のかたきをうちしとき▼3、鬼武子助太刀してうたせしこと、人皆知所也、十月十一日のことなりとかきけり、常に戯作を好んで作られしが、作はあまり面白からず、自来也物語は自満の作なれども、評判なし

とあり、さまざまな逸話を記すも正確な生歿年すら定かではない。
 歿年が記されている記録としては関根只誠編『名人忌辰録』(明治二十七年)があり、「文政元年二月廿一日歿す歳五十九」と見えるが、典拠が示されておらず確認するすべがない。これ以後の鬼武に関する記述、たとえば『増補青本年表』や『日本小説年表』などは、この記述を繰り返すだけである。
 一方、鈴木俊幸氏は新資料『素吟戯歌集』を発見し、その分析を通じて従来曖昧であった寛政三〜五年における動静の一端を明らかにし、また『懐宝日札』文化九年十一月廿日の記述から神道無念流の免許を受けた五人の中に「前野萬七 江戸住一橋殿ニ仕フ」とあるのを見出した▼4。しかし、氏も述べているように、寛政期後半から享和二年までの空白期間、京伝から一九への交友の変化など、まだまだ多くの不明事項が残されているのである。本稿では、基礎作業として行なった諸本の調査に基づいて、寛政期より文化末年に至る鬼武の文学活動の足跡を年代順にたどってみることにする。

凡例

一、ジャンルは以下のように略した。[黄]黄表紙、[洒]洒落本、[噺]噺本、[狂]狂歌、[滑]滑稽本、[読]読本、[合]合巻、[随]随筆。なお、鬼武の著編述作品でない場合は ( ) で括った。
一、書名は原則として内題を採った。ただし、黄表紙合巻に関しては第一冊目の外題を採った。いずれも原則を変更した場合は注記した。また、ほかの箇所に記された題名が内題と大きく異なる場合は備考に記した。
一、書型は以下のように略した。半(半紙本)、中(中本)、小(小本)。読本で「中」とあるのは中本型読本のことである。
一、巻冊数は所見本の状態から判断して、刊行後に手を加えられたと思われる場合は備考に注記した。また黄表紙で前後編に分かれている場合は「前三後二」のように表記した。
一、画工名は原則として名前のみを示し、後に「画」を付した。
一、板元は、蔵板が明らかな場合は後に「板」を付した。なお複数の板元があり蔵板が不明の場合は、刊記の最後に記されている書肆名を示し、後に「他」を付した。
一、所蔵は管見の範囲で善本だと思われる箇所だけを示したが、必ずしも初板初印本を示すとは限らない。
一、所蔵先の略称は概ね『国書総目録』の凡例に準じたが、以下の通り変更した。加賀(都立中央図書館加賀文庫)、諸家(同館諸家文庫)、東誌(同館東京誌料)、尾崎(名古屋市蓬左文庫尾崎コレクション)、八戸(八戸市立図書館)、岩崎(東洋文庫岩崎文庫)、資料(国文学研究資料館)、中村(同館中村幸彦氏所蔵本マイクロフィルム)、東大国(東京大学国文学研究室)、狩野(東北大学附属図書館狩野文庫)、東急(大東急記念文庫)
一、改題本細工本等は刊年にかかわらず、初板本の項の後に「〇」を付して示した。
一、鬼武の印記などについては次の通りA・B・C・O・Qの記号で示した。
  ABCOQ (図版略)
一、翻刻のある作品は、「◇」を付して所収書誌名を示した。
一、備考は「*」の下に記した。


安永五丙申(一七七六)

[俳]蓮華会集 蓼太編  酒竹
  まつ宵や影もそのまゝ翌ならう   少年 s鬼武

天明三卯癸(一七八三)

[俳]越旦歳暮 雪中庵蓼太
*次の三句入集(十九丁表)
  乃の字にも杖はわすれし筆始   鬼武
  黄鳥やほとゝきすには寝もやらす ゝ
  行年の跡へ戻るや車牛      ゝ

寛政三亥辛(一七九一)

(洒)手段詰物娼妓絹〓 小一巻一冊 山東京伝 蔦重板 東急
*跋「寛政辛亥孟陬 飯顆山 曼鬼武誌A」と、後跋「京伝草廬食客 煙花浪子」が付されている。
◇『洒落本大成』十六巻(中野三敏氏解題、中央公論社、一九八二年)

[噺]一雅話三笑[外] 小一巻一冊 蔦重板 国会
*序「京伝門人 曼鬼武述」。巻末に蔦重板の「晒落本類目録」が二丁ある。この広告に寛政三年の京伝三部作が掲載されていることや、「京伝門人」と称していること、また本書中に当時の流行を「壬生狂言大繁盛」としていること等を考え合わせると、従来「文化年間」とされてきた刊行時期は、寛政三年頃まで遡るのが妥当だと思われる。なお、名著全集に袋の写真が出ている。
◇日本名著全集『滑稽本集』(同刊行会、一九二七年)、武藤禎夫編『噺本大系』十五巻(東京堂出版、一九七九年)

寛政四子壬(一七九二)

(黄)唯心鬼打豆 中三巻三冊 山東京伝 鶴喜板 岩崎
*五丁裏、画中の衝立に「鬼武画」とある。『小説年表』は本書を「鬼武画」とするが、水野稔氏は「この事実だけでこの作品の画工を鬼武と断定することにはなお躊躇されるが、寛政三、四年ごろにおける鬼武と京伝との親近ぶりは察せられる▼5」とし、鈴木俊幸氏は同様に鬼武の名前が書き込まれている『桃太郎発端説話』や『貧福両道中之記』とともに、鬼武が代作した可能性を示唆している▼6

(黄)昔々桃太郎発端説話 中三巻三冊 山東京伝 北斎画 蔦重板 東誌
*中巻七丁裏の画中衝立に「鬼武画」とある。
◇『黄表紙廿五種』(日本名著全集、同刊行会、一九二六年)所収。

[狂]狂歌仁世物語 半一冊 曼鬼武撰 板元未詳 大妻女子大濱田文庫
*叙「寛政みつのへ子のはる日 曼鬼武しるすO」、跋「寛政壬子春正月 阿田口麿謹跋」、もう一本には「曼鬼武門人 みちのおく桑折の駅 早根朝興識」という跋が加えられ、本書の撰者を「難浅簾のあるし」とするが、『嗚呼蜃気楼』自序題下の印[難淺簾]から、鬼武本人と考えてよいと思われる。集中に京伝の作が多く入れられている。また、鬼武が「むつきの頃みちのくにおもむきける」旨の記述がある。
◇水野稔「狂歌仁世物語」(『天明文学−資料と研究−』、東京堂出版、一九七九年)

[噺]和良嘉吐富貴樽 小一巻一冊 蔦重板 東大国
*自序「寛政四つ子のはる日 曼鬼武O」、跋「難浅窓主人識」、跋の前に「右落咄三十一篇 曼鬼武戯作」とある。「難浅窓主人」も鬼武自身だと思われる。
◇『噺本大系』十五巻。

〇落咄梅の笑 小一巻一冊 寛政五序 蔦重板 国会
*序「癸丑はつ春 曲亭主人序並校」と本文五丁を新刻し、『富貴樽』の前半十六丁までを流用した細工本。巻末に「上手山中 瓢子作」とある。同年『梅の魁』と題し再摺(宮尾しげを「中期咄本の調べ〈八〉」『小はなし研究』十二号)
◇『噺本大系』十九巻。

〇戯話華靨 小一巻一冊 寛政五序 蔦重板 国会
*序「癸丑はつ春 曲亭馬琴」と本文五丁を新刻し『富貴樽』の後半十七丁以降を流用、さらに新刻一丁を加えた細工本。巻末に「おに武作\馬琴校」とある。嘉永六年『戯談花靨』となって後印▼7
◇東洋文庫『江戸小咄集1』(平凡社、一九七一年)、『噺本大系』十九巻。

(噺)木の葉猿 小一巻一冊 桜川慈悲成 豊廣画 寛政十二年 大和屋久兵衛刊 東博 東誌
◇『未翻刻江戸小咄本八集』。
〇〔咄の親玉〕 小一巻一冊 耕書堂(蔦重)刊 国会
※本書は「木の葉猿」の二十一丁から三十丁まで(「通り者」〜「大社」)の板木を利用した細工本。所見本にはどこにも書名の記載はない。京大本には袋に墨書で「鬼武作 豊廣画\世にはなし 全\寅年刊 耕書堂」とある。また文化十五年刊(宮尾しげを『小咄年表』)とされているが、この「寅」は文化三年ではないだろうか。
 鬼武が次の序を書いている。

世に話てふものハ無而不叶もの也唖禽獣ハしらず陶にも口あれバ岩かものいふ世の習ひ惣て口を開くもの話にあらずして何ぞ也夫が中にも落咄なるものハ話乃滑稽巧にして鶏がなく東の都よりその咄の種を卸し今也鄙の端/\迄も這をもて一興とす其種本の問屋株耕書堂へちよびと音信れバ一盃をもて誑し此本に序せよと乞ふまゝに是も噺か序になる歟叙か噺かハ予もわからず此いとぐちに妄言書做し先半枚をちやかすのみ
      寅のはつ春
一盃きげんで 鬼たけしるすQ 


[狂]素吟戯歌集 大一冊(写本) 鈴木俊幸氏蔵
*序一「山東京伝」、序二「門人千鬼文謹撰」、「素吟戯歌集叙」末に「寛政四つのとし\子のはる日 曼鬼武述」、跋「明のかね成謹述」、跋題「狂歌集跋」末に「寛政壬子春三月 白壁道人」。
 鬼武が東奥桑折に代官手付として下っていた時に編まれたもの。この資料を発見した鈴木氏が「寛政期の鬼武」で行き届いた考証を展開している。
◇鈴木俊幸「『素吟戯歌集』−感和亭鬼武初期活動資料−」(「読本研究」三輯下套、渓水社、一九八九年)

寛政五丑癸(一七九三)

(黄)貧福両道中之記 中三巻三冊 山東京伝 春朗画 蔦重板 東誌
*三丁裏に「鬼武画」とある。[狂]年始物申どうれ百人一首 中一冊 真顔序 蔦重板 国会
*一首入集「春来れは色を十寸見かこゑまてもめてたくかたる松の内かな」。
[狂]四方の巴流 中一冊 京大潁原
*一首入集「ちゝまりし去年の日あしも野邊にけさ春立そむる初霞哉\蛭牙亭鬼武」。

寛政期ヵ

[狂]短冊(『短冊』復刊四号所載)
*「人々にしはしの\わかれを\おしめとも\春はまた\逢ひ見んことを
行水にあふくま川の名にしあれと\しはしはよとむ瀬々のしからみ 鬼武」。

[賛]「浮世絵肉筆名品展」図録(日本橋三越、一九八一年三月)
*「客の気も春とてものは入相のくれ行かねに花や咲らむ 感和亭鬼武Q」。
 (〓塵斎画、肉筆「桜下太夫立姿図」賛)

享和二戌壬(一八〇二)

[黄]異療寝鼾種 中三巻三冊 一九画 山口屋板 慶大
*原装題簽完備。自序「戌孟春 曼亭鬼武O」、末丁「鬼武作」。

[黄]〔富士世界夢親玉 鬼武作 同(上中下)〕 未見
*黄表紙「衣食住三箇図世帯評判記」(三冊、馬琴作豊国画、蔦重板)巻末に付された蔦屋新板目録の「戌のとし新板草帋もくろく左のごとし」の最後に掲載されているが刊否未詳。

享和三亥癸(一八〇三)

[黄]苦貝十念嗚呼蜃気楼 中三巻三冊 北斎画 山口屋板 早大
*合一冊題簽上中欠。自序「嗚呼蜃氣楼自序[難淺簾]」「癸亥初春 曼亭鬼たけO」、末丁「曼亭鬼武作」。『青本絵外題集▼8』に中巻の題簽存(上巻の題簽未見)。外題は中下とも同じ。

[黄]三国昔咄和漢蘭雑話 中三巻三冊 可候画 山口屋板 長崎市博
*合一冊題簽中下欠。自序「癸亥春日これを序とす 曼亭鬼武O」、末丁「曼亭鬼武作」。加賀文庫本は合一冊題簽欠。『国書総目録』によれば尾崎久弥氏も旧蔵していたようだが(岩波書店に保存されている自筆のカードにも記載あり)、所在不明。『絵外題集』に上巻の題簽存。

[黄]慎道迷尽誌 中三巻三冊 春亭画 榎本板 「めいづくし」 東洋岩崎
*原装題簽完備。自叙「享和三癸亥初春 曼亭鬼武O」、末丁「鬼武著述」。

享和四子甲(一八〇四)(二月十一日改元、文化元年)

[黄]前編信夫摺錦伊達染 中三巻三冊 豊国画 村田屋板 「しのぶ」 加賀
※原装題簽完備。中巻題簽の角書「敵討」、自叙題の角書「瞽女復讐」「享和甲子年\春正月朔 曼亭鬼武撰B」、末丁「鬼武戯作」。

[黄]忍摺後編陸奥瞽女仇討 中二巻二冊 豊国画 村田屋板 「しのぶ」 加賀
*原装題簽下欠。末丁「曼亭鬼武著」。『絵外題集』に下巻の題簽存。なお、狩野文庫本は前編と合綴されて改装裏打ちされているが、見返し等に原題簽がすべて貼られている。また、岩瀬文庫本は楚満人作豊広画の別作十五丁と合綴されている。

[黄]敵討磐手躑躅 中三巻三冊 豊国画 山口屋板 「やざへ」 狩野
*合一冊題簽上欠。目末「甲子初春 執筆\曼亭鬼武」、末丁「曼亭鬼武著」。『絵外題集』に上巻の題簽存。なお、本書は趣向に森羅子『月下清談』(寛政十年刊)を取り入れ、仇討も一応終わっているが、後編『金沢弥二郎回国奇談』に筋は続いている。

[狂]國字詩階梯 小一巻一冊 村田屋板 静嘉
※見返し「感和亭鬼武著\十返舎一九校[印]」「國字詩階梯 全」「書林 榮邑堂訂本」。序「于〓文化改元紀\甲子春三月\十返舎一九誌[貞][弌]」。自序末「感和亭鬼武O」。後書「右和詩初学のよみかた大既等を記しはへれハ猶得かたき處ハ其道の雅家にたより師傳を得て巧者に至るへきものなり\文化元\子の仲春 感和亭\鬼武\しるす」。跋「國字詩階梯跋」「南湖」。刊記「文化元甲子仲春發兌\書房\大阪心斉橋唐物町\河内屋太助\江戸通油町\〓屋喜右衞門\同所\村田屋治郎兵衞」。刊記右に続編予告、巻末に「村田榮邑堂藏版目録」が一丁あり「國字詩階梯 感和亭鬼武著 小本一冊\狂哥のよみかたかなの詩のつくりやうをくはしく書あらはしたる也」以下「東海道中膝栗毛」まで十二点の広告が裏表に載る。
 本書は「此書ハ狂哥のよみかたかなつかひ等を正し日本紀万葉の真名字をあつめ懐紙のしたゝめかた国字詩のつくりやうかなの韻字ふみやう等を初心の人の見安きやうに書あらはし和歌連俳狂哥をもてあそぶ人のふところにして便となるべき重宝の小冊なり」(『信夫摺錦伊達染』前編上巻末広告)というものである。
 なお、この広告に見える「感和亭鬼武」が「感和亭」という号の初出であると思われる。

(噺)落噺熟志柿 小一巻一冊 十返舎門人美屋一作 十返舎一九校 村田屋板 武藤禎夫氏(未見)
*一九の序並校。『落噺広告夜鑑』(一作、享和三年刊)の嗣足改題本。新刻された口絵「榮邑堂咄之會席」(画工未詳)に、一竹斎、バカ吉、一九、一磨、一作、イタコおかね等と共に鬼武が描かれている。序末の「噺の会」と「仕形ばなし」の近刻広告に「来丑春出板差出シ申候」とあり、鬼武と一九との関係や板元の転居時期、さらに文化二年刊同板『鬼外福助噺』の序文等を考慮すると、確証は見出せないものの、本書の刊行は享和四年刊ではないかと思われる▼9
◇『未翻刻江戸小咄本集』八集、『噺本大系』十五巻。

文化二丑乙(一八〇五)

[黄]磐手躑躅金澤彌二郎廻國竒談 中三巻三冊 北斎門人北周 山口屋板 「かなざハ」 東大
*原装題簽完備。序文はなし。中下巻外題「金澤弥二郎廻國談」、末丁「曼亭改作者\感和亭鬼武Q」。Qの初出であろう。

[黄]夭怪報仇夜半嵐 中三巻三冊 北斎門人北周 山口屋板 「ばけ物」 東急
*合一冊題簽上下欠。序題「復讐化物世界夜半嵐自序[難淺簾]」、序末「丑の孟春 曼亭改\感和亭鬼武O」、末丁「戯作\鬼たけQ」。『絵外題集』に上巻の題簽存。

[黄]返咲八重之仇討 中三巻三冊 北周画 岩戸屋板 慶大
*原装題簽完備。序題「返咲八重之仇討自叙」、序末「文化乙丑孟春 曼亭改\感和亭鬼武誌O」、末丁「戯著\鬼武Q」。

[黄]悟迷惑心之鬼武 中二巻二冊 豊広画 榎本板 「おにたけ」 狩野
*原装題簽完備。序題「悟迷惑心之鬼武叙」、序末「乙丑孟春 浸酒樓摘華しるす」。末丁「曼亭改\感和亭鬼武作B」。

(黄)〔敵討怪談鬼武作物語 中五巻五冊 北周画〕 未見
*『増補青本年表』など▼10に載るが刊否未詳。

[滑]有喜世物真似舊觀帖(初編) 中一巻一冊 栄枩斎画 村田屋板 尾崎
*自序「乙丑孟春 QO」。巻末に「村田榮邑堂新版目録」。再刻版に比べて書型も匡郭も少し大きい。
◇帝国文庫『校訂滑稽名作集』上巻(博文館、一八九四〈明治二十七〉年)、『滑稽本名作集』(評釋江戸文学叢書、講談社、一九三六年)、『滑稽本集[一]』(叢書江戸文庫19、国書刊行会、一九九〇年)
〇浮世物真似舊觀帖初編 中一巻三冊 白馬白華補 岡島真七板 文化六年刊 東誌
*再刻本。再刻後印に「中村屋幸蔵・(賣買所)釜屋又兵衛」板あり(京大本)

[滑]竒談白痴聞集 中一巻一冊 指月門人桃舎画(38オ) 中村屋善藏板 国会>
*外題には角書なし。見返し「感和亭鬼武著述\丑春\竒談白痴聞集 全\江都 瑶池堂版」。自序「竒談白痴聞集叙[強斎]」序末「文化乙丑はる日 感和亭鬼武O」。口絵第一図は蹄齋北馬の画賛、同第二図は一九畫賦。巻末「作者\鬼武著述BQ」。跋「感和亭の主人に代て。伸越山人なるもの其後にしるす」。予告「後遍白痴聞集全一冊近刻 感和亭鬼武作\中村善蔵板」。末丁裏に「瑶池堂藏書目録 通新石甼\中村屋善藏」がある。
 なお、口絵第二図は、Qを意匠した着物の鬼武を描き「ねにかへる気はなし春のはなし客」とあるが、この句は『落噺熟志柿』の口絵「栄邑堂咄之會席」に山里亭東土として載る句と同じものである。

[噺]鬼外福助噺〔外題〕 小一巻一冊 一九作 栄松斎画 村田屋 国会
*序末「文化乙丑春 十返舎一九誌」。序と本文八話、挿絵二図を新刻し、『落噺臍くり金』(一九作画、享和二年刊)の板木を流用した細工本。新刻八話のうち「女郎買」「色筆」の二話が鬼武作である。
◇『噺本大系』十九巻。

(黄)御誂向叶福助金生木息子 中三巻三冊 一九作画 山口屋板 「ふくすけ」 国会
*叶福助を題した七絶を序として「文化二年丑の春 感和亭鬼武O」とある。

(黄)滑稽しつこなし 中三巻三冊 一九作 改名\月麿画 山口屋板 「上だん」 国会
*一九の取り巻きとして月麿や一作と共に鬼武が登場し、挿絵にも描かれている。
◇林美一「江戸春秋」十八号(未刊江戸文学刊行会、一九八四年)

[狂]〔酒井仲遺稿抄〕
*寛政から文化にかけての記述があるので一応ここに入れたが、成立年は不明。「観文楼叢刊第八」(「日本美術協会報告」五十四号所収、相見香雨刊、一九三四年十二月)。鬼武に関する部分を引いておく。

感和亭鬼武を誘ふて花街の鶴楼にあそひし時鬼武といへる文字をかくし題にてよめとありければ
  鬼武もゐのしゝ武者も顔よりは まづ手みしかに恋てひしがん

 このほか扇屋墨河や花扇に関する言及があり、この二人は『狂歌仁世物語』にも入集していることから、酒井仲の広い交遊関係の一部分は鬼武の交遊範囲とも重なる部分があると思われる。

文化三寅丙(一八〇六)

[読]報仇竒談自来也説話 半五巻六冊 北馬画 中村藤六板 「自来也説話」 尾崎
*外題角書「報讎竒談」、見返しは作者画工書名のほかに「松涛館梓」「六冊」とある。一本は飾枠にQを散らし「五巻」とある(尾崎)。序「蘭洲東秋〓識」、自序「報仇竒談自来也説話叙」「文化三年丙寅春正月朔旦」「於武江 摩艸姥池邊草庵\感和亭\鬼武誌OQ」「南岳書」。内題下「武江 感和亭鬼武著\高喜斎校合」。跋「後叙 千鶴庵萬亀」。巻末「這より自来也生涯乃行状竒術併西天草のわけ万里野破魔之介と出逢そのほか不残後篇に書顕し備一覧申候」。刊記「彫刀 朝倉宇八」「文化三丙寅歳\孟春 東都京橋常盤町 版元 中村藤六」
 本書は歌舞伎化された最初の読本として知られ、文化四年九月『柵自来也談』という外題で大阪で上演された。また、美図垣笑顔等によって『児雷也豪傑物譚』という長編合巻に題材を提供した。
◇単行本は一八八四〈明治十七〉年(共隆社)、一八八七〈明治二十〉年(漫遊會)等。続帝国文庫『児雷也豪傑譚』(博文館、一八九八〈明治三十一〉年)、「通俗小説文庫」(近事画報社、一九〇六〈明治三十九〉年二月)。佐藤悟『自来也説話』前編(「実践女子大学文学部紀要」三十五集、一九九三年)

[読]竒児酬怨櫻池由来 中三巻四冊 北馬画 伊勢屋藤六板 「桜が池」 個人
*外題角書「復讐竒談」、外題下に「春夏秋(冬)」とある。見返しなし(未見)。序「文化三歳丙寅春正月 感和亭鬼武誌」。跋「文化乙丑晩夏書于浅水中田草舎 蘭洲東秋〓」。巻末「當寅春出版目録▼11」に、

一 報仇竒談自来也説話 繪入讀本 六冊 感和亭鬼武作 蹄齋北馬画
一 竒児酬怨櫻池由来 繪入中本 三冊 同作 同画
一 孝子美談越路雪 繪入中本同二冊 同一九作 北馬画
一 復讐竒談鴫立澤 繪入中本 二冊 鬼武作 北馬画」
一 出村新兵衞三國小女郎玉屋新兵衞富賀岡戀山扉 前編三冊後篇三冊 一陽齋豊國画
此外新板追々差出候間御求御一覧可被下候
京橋常盤町      
伊勢屋藤六  
蔵板」

とあり、本書は「三冊」となっている。ただ、上巻が卅丁、中巻が廿四丁、に対して下巻が四十一丁あるため、廿丁目で二分冊にしたものと考えて不自然ではない。なお、天理本は上巻のみ(破損本)

[読]復讐鴫立澤 中二巻二冊 北馬画 伊勢屋藤六板 「鴫立沢」 尾崎
*改装本外題後補。見返しなし(未見)。自叙「復讐鴫立澤自叙」「于時文化二丑の年空を翔る子規地を走しる初松魚の聲聞頃綴り置るを同三歳寅乃初春出版す 感和亭鬼武」。巻末には『櫻池由来』と同じ伊勢屋藤六板「當寅春出版目録」が付されている。
 なお、本書に登場する「有坂五郎三郎」には初代市川男女蔵、「お町」には三代目路考の似顔が用いられている。また、本書の画工である北馬の実名が「有坂五郎八」である点、鬼武が挿絵中に通行人として描かれている点に注意が惹かれる。
◇拙編『中本型読本集』(叢書江戸文庫25、国書刊行会、一九八八年)

[黄]報仇竒説響数千里虎尾峠 中二編六巻(前三後三) 春亭画 村田屋板 「かたき打」(「カタキ」) 慶大
*題簽各編上巻のみ存、合二冊裏打ち本。叙題と後篇外題は「報仇竒説響数千里虎尾峠」。叙「作者\感和亭鬼武OQ」。前末丁「鬼武作Q」、後編末丁「感和亭鬼武作Q」。『絵外題集』に前下と後上の題簽あり、前中は東急本に存(後中下は未見)

[滑]〔有喜世物真似舊觀帖(次編) 中二巻二冊 下巻は一九作 村田屋板〕 未見
*序「于〓文化みつとし丙寅孟春 感和亭鬼武述」。上巻末に栄邑堂の口上、下巻末に一九の後序がある(翻刻本による)
〇浮世物真似旧観帖二編 中三巻三冊 岡島真七板 文化六年刊 東誌
*初編の項参照。

[滑]痴漢三人傳 中一巻一冊 (尋雪斎) 雪馬画 相模屋仁右衛門板 架蔵
*自叙「文化丙寅はる日 感和亭鬼武述OQ」。跋「伸越山人しるす」。自跋「作者鬼武みつから素痴を尽すこと爾り」「文化三丙寅孟春 江戸京橋弓町 相模屋仁右衛門板」。後ろ表紙見返しに「相模屋仁右エ門・庄右エ門」の広告存。卯春出板として後編の予告あり。また『日本小説年表』の文化四年に「痴漢三人傳後篇」とあるが後編は未見。
◇『古今小説名著集』十六巻(礫川出版会社、一八九一〈明治二十四〉年)

文化四卯丁(一八〇七)

[読]報仇竒説自来也説話後編 半五巻五冊 北馬画 吉文字屋市左衞門 「自来也説話後編」 鶴舞
*外題角書「復讎竒談」。見返しは藍白地に書名作者画工を記す。序「丁卯初春\東汀間人撰」。自叙「文化丁卯春正月\感和亭鬼武誌\南岳書」。内題下は「武江 感和亭鬼武著」(校合者はない)。末丁に「此前編者自来也行状〓勇侶吉郎房州鏡浦仇討之始末書綴五巻出来在之候御求御一覧可被下候」。刊記「時維文化四年星次丁卯孟春\浪華書肆 吉文字屋市左衞門」。
 なお、『享保以後大阪出版書籍目録』に、「作者 感和亭鬼武(江戸京橋弓町)\板元 吉文字屋市左衛門(木挽町中之丁)\出願 文化三年十一月\〔附記〕江戸にて同種のもの出板されしにより出願を取消す」とある。実際に管見に入った初印本と思しき五本の中で「吉文字屋」の刊記を持つのは鶴舞本だけで、まったく同体裁の尾崎本(見返し白地)は刊記の前編案内を削り、板元名に入木して「東都書林 銀座町壹町目\布袋屋彦兵衞」とする。
 後印本としては薄墨が省かれた吉野屋仁兵衛板(個人)や、六冊に分冊された河内屋源七郎板(狩野)、前川善兵衛板(早大)などがある。
◇単行本は一八八四〈明治十七〉年(共隆社)、一八八七〈明治二十〉年(漫遊會)等。続帝国文庫『児雷也豪傑譚』(一八九八〈明治三十一〉年、博文館)、「通俗小説文庫」(一九〇六〈明治三十九〉年二月、近事画報社)。

[黄]仁王阪英雄二木 中二編六巻(前三後三) 豊広画 岩戸屋板 「にわうさか」 国会・慶大
*題簽上欠前編のみ大惣本(国会)・題簽欠後編のみ合一冊裏打ち(慶大)。前編目次末「文化四丁卯春日 感和亭鬼武著Q」。前編末丁「感和亭鬼武作Q」。後編目録末「丁卯春 感和亭鬼武著」。後編末丁「おに武作Q」。東急本は後編のみ(上巻題簽存)、狩野本には前編上巻の題簽存。『絵外題集』に前中と後中の題簽存(後下の題簽未見)

[黄]化粧坂閨中仇討 中二編五巻(前三後二) 北馬画 村田屋板 「けわい坂」 加賀
*題簽上のみ合一冊裏打ち。前編目次末「文化丁卯孟春 感和亭鬼武著Q」。前末丁「作者\鬼たけQ」。後末丁「鬼武作Q」。東急本に前下の題簽存。『絵外題集』に前上、後上の題簽存。前中後下の題簽未見。岩崎文庫蔵『書物袋絵外題集』に袋存「化粧坂閨中仇討 全」「丁卯新板 感和亭鬼武作」。

[黄]不敵討神佛應護 中二巻二冊 春亭画 榎本板 「じんぶつ」 東急
*題簽下欠。自叙「卯春正月 鬼武戯作Q」。末丁「作者 鬼たけQ」。『絵外題集』に下の題簽存。

[滑]春岱〓釣形 中一巻一冊 北馬画 永楽屋五兵衛板 「春岱」 東博
*外題欠。序「ふみおしゆるよつのとしむつき 洛陽橋處士\萬字楼壽佐美しるす」。自叙「文化四丁卯春 感和亭鬼武Q」。内題下「武江 感和亭鬼武著\門人五斗八木丸校合」。跋「北馬誌」。末丁「于時文化丁卯春正月 本所亀澤街\永樂屋五兵衛版」(十七オ)、「卯春新版目録\一〓お長死霊物語 式亭三馬作\全部十冊合巻二本 勝川春英画\一春岱〓釣形 感和亭鬼武作\蹄齋北馬画\一天保太平記 同作\同画」。
 本書には蹄齋、東汀、松波、上忠等が登場し挿絵にも描かれている。鬼武の交遊関係がうかがわれる。なお、早大東大本は跋が序の直後に付されている。

文化五辰戊(一八〇八)

[読]報寇文七髻結緒 中二巻二冊 北馬画 伊勢屋忠右衛門板 国会
*見返し「報寇文七髻結緒」「感和亭作\蹄齋画」「平川館梓」。自叙「于時文化戊辰春正月東武荒川\下流書于朝草媼池草廬燈下\感和亭\鬼武OQ」。刊記「文化五辰年春月\通油町\蔦屋重三郎\田邉屋太兵衞\麹町平河貮丁目\伊勢屋忠右衞門」。大惣本。
〇男達意気路仇討 中二巻二冊 北馬画 鶴屋金助板 石川郷土資料館
*改題改修本(下巻のみ)。合巻風の大きな絵題簽に役者似顔(幸四郎と源之助)を描く。後述する『時代模様室町織』に付された広告を見るに、文化六年刊か。なお、薄墨は省かれている。

[読]函嶺復讐談 中二巻二冊 北馬画 上総屋忠助板 国会
*見返し欠。叙「文化五戊辰歳春正月 感和亭鬼武誌QO」。跋「于時文化戊辰孟春\于麻艸姥池草廬書\感和亭鬼武Q」。刊記「文化五年戊辰正月吉日\書肆 江戸通油町 村田次郎兵衛\同日本橋新右衛門町 上総屋忠助」。脇に「彫工 朝倉卯八」。巻末に「戊辰新版 慶賀堂藏」一丁が付されている。なお、本書の袋(見返しか)が岩崎文庫蔵『書物袋絵外題集』にある▼12

[黄]復讐最上紅花染 中三巻三冊 国長画 榎本屋板 「もがみ」 東大
*原題簽欠合一冊。外題には「感和亭鬼武作」(『絵外題集』所収の下巻題簽による)とあるが、序に「友どち三芳野多賀安なるもの一日予が草廬を訪ひ四方山乃雜話ありし中に頃日斯る仇討の作意をつゝりしと説話あるを逕に予筆を採て書写し三巻乃冊子と做して書肆にあたふ作乃善悪は児童衆乃目巧を請ふのみ\辰の春日 感和亭鬼武誌Q」とある。末丁「三芳野多賀安作を\感和亭鬼武著Q」。なお、本作の画工は北馬ではないが、敵役の名前が「かにさか五郎八」となっている。

[合]宝入舩七福大帳 中二巻一冊 松尓楼画 村田屋 「ふく神」 東急
*合巻風絵外題簽(袋か)。序文は「板元邑次」と「作者鬼武」の掛け合いになっている。序末「辰の春 作者鬼武Q」。末丁「鬼武作Q\松尓樓戯画」。九丁表と十丁裏に「板元村田」「作者鬼たけ」「画工松尓楼」が登場し、挿絵にも描かれている。なお、大阪府本は題簽欠裏打ち本で後半の破損がひどい。慶大本は後補書題簽に『七福神茶番狂言』とあり、共に十丁目欠。「奈古曽之関と申よみ本五冊鬼武作にて差出申し御一らん可被下候」(10オ)

[読]〔婦人撃寇麓の花 中三巻三冊 北渓画 竹川藤兵衛〕 未見
*未見。外題等は『割印帖▼13』による。『名目集▼14』では「婦人撃讐麻鹿の花 中三冊 鬼武作北渓画 同断(竹川藤兵衛)\三月廿九日来ル同十月廿七日校合本廻ル同十一月二日賣出し」とあり、文化六年の新板として刊行されたものと思われるが所在不明。
〇三島娼化粧水茎 中三巻三冊 鶴屋金助板 文化七年刊 狩野
*改題改修本。合巻風の大きな絵題簽(国安画)に役者似顔(上巻が幸四郎、中巻が半四郎、下巻が四代目路考)を描く。また、外題脇に「蔓亭鬼武作」「蹄齋北馬画」とある(この時期には「曼亭」は使わないし、まして「蔓」を使ったことはない。その上画工は「北渓」であり「北馬」ではない)。刊年は題簽に「午の春」とあることによる。本書は内題尾題に入木し、序文や目録を削除したと思われ、上巻三〜七丁を欠いており、見返しや刊記、薄墨の使用も見られない。
 なお、本書を未見の『麓の花』の改題本と推定したのは、女の敵討という内容、下巻最終回を「麓の仇討」とする点、内題下の「感和亭鬼武著」が入木したものとは見えないことなどによる。また、山城屋佐兵衛(京寺町通五条上ル町)の「蔵板小説目録▼15」に「三嶋女郎麓の花 鬼武作馬圓画 五冊」「孝女かつ弟嘉市千辛して父の仇濱名額五郎をねらひしに助刀の賢造〓嘉市返り討に合ふ勝女さま/\に猶万苦をなし終に額五郎を見あらはし討取たる小説也」とあり、画工名は誤っているものの本書を「鬼武作」としている。さらに、『増補外題鑑』にも「三 嶋小女郎麓の花 全五巻」と見え、本書の後印本が五分冊されて出たことがうかがわれる。

文化六巳己(一八〇九)

[読]増補津國女夫池 中二巻二冊 北馬画 松本屋新八他 中村
*見返しなし。自序「[難淺簾]」「文化むつの年巳の春日 感和亭鬼武誌OQ」。刊記「庸書 鈴木武筍」「彫工 能也須」「文化六己巳年正月吉旦發販\江戸書肆\江戸橋四日市 竹川藤兵衞\麹町平川町二丁目 角丸屋甚助\麹町平川町二丁目 伊勢屋忠右エ門\同 松本屋新八」。『名目集』には「増補津國女夫池 上下 同断(鬼武作\北馬画) 竹川藤兵衛\三月廿九日来ル八月廿四日本来ル同廿八日賣出し」とある。
〇女夫池鴛鴦裁 時代模様室町織 中二巻二冊 鶴屋金助板 文化六年刊 架蔵
*改題改修本。合巻風の大きな絵題簽(国安画)に役者似顔(上巻が源之助、下巻が半四郎)を描く。内題尾題に入木、序や目次刊記を削除。下巻見返しに「文化六巳歳稗史目」があり、本書と同体裁の改題改修本である『石堂丸苅萱物語』『男達意気路仇討』『島川太平犬神話▼16』が挙げられ「▲右のさうし先達より諸方へ賣出し置候もよりのゑさうしやにて御もとめ被下御ひやうばんよろしく奉希候以上」とある(刊年はこの広告による)。左側には「來午春新鐫」として三馬の合巻二書が挙げられ「これは當巳の九月より賣出し申候」とあり、当時は次年新板が九月頃より出されていたことがわかる。
 文化五年六月に地本問屋仲間に加入した鶴金は、文化六、七年に管見に入ったものだけでも五種に及ぶ中本型読本を求板し、合巻風に仕立直している▼17。中本型読本を外見上草双紙化したものと見ることができるが、その中に鬼武の作が三種も含まれていることに注意が惹かれる。

[読]尼城錦 半三巻三冊 葛飾隠士吉満作 北馬画 上総屋忠助板 「尼城錦」 国会
*見返し「感和亭鬼武校」「慶賀堂」。自序「尼城錦叙」「文化六とせ巳の春日 かつしかの隠士\吉満述」。跋「後説」「文化六ッつちのと巳のはる日 鬼武しるすOQ」。中下巻の内題には角書「復讐奇談」、内題下には「鬼(おに)たけ校」とだけある。刊記「作者 葛飾隱士吉満\校合 感和亭鬼武」「畫人 蹄齋北馬」「彫工 朝倉卯八郎」「江都書肆\江戸橋四日市 西宮彌兵衞\日本橋新右エ門町 上総屋忠助」。『名目集』に「復讐奇談尼城錦 三冊 吉満作\北馬画 西宮彌兵衛\五月廿八日来ル十一月廿一日校合本出来ル同廿四日賣出し」(『割印帖』では同月廿三日)とある。
 なお、叙跋を見るに「吉満」なる者の草稿を慶賀堂の主人が持ち込み添削を乞うたとあり、いわゆる入銀本ではないかと思われる。このような稿本のリライト(口絵挿絵の指定も含む)をしたところからも、鬼武と板元との深い関係が推測できる。薄墨を省いた河内屋茂兵衛板などの後印本もある。

[合]敵討十三鐘 中二編六巻一冊 月麿画(前) 月麿門人式麿画(後) 濱松屋幸助板 「十三がね」 個人
*貼絵外題簽(月麿画)に「全部六冊\合巻一冊」とある。見返しに鬼武と月麿を描き、一丁表に合巻の画工として復帰する旨の口上があり、一丁裏に「武江金龍山下\作者 感和亭鬼武」、二丁表に「于時文化六己巳春新刻」。前編一冊目だけは七丁あり、通常より二丁多くなっている。前三末「作者鬼たけQ」、後三末「感和亭鬼武作Q」。後ろ表紙見返し「文化六年己巳春新刻目録」末に「江戸とをり油町\地本問屋 濱松屋幸助」。加賀本は後印、外題や奥付を欠き二冊に分冊されている。
 なお、『国書総目録』などには「復讐十三鐘由来」とするが、「由来」の文字はどこにも見当たらない。

[合]御伽ばなし小人嶋仇討 中二巻一冊(九丁) 北馬画 村田屋板 「小人しま」 国会
*貼絵外題簽(式麿画)。序「畧縁起」「辰のとしむつ月の一夜作りを巳春の新板とせるものは則観世音の裏門前に住る奥山の地廻り\感和亭鬼武誌Q」。文化四年仲秋の浅草寺開帳時に小人島の見世物を見て急いで草したとある。末丁「鬼武作Q」。巻末「文化巳春新版草紙目録\版元 東都通油町 村田屋治郎兵衛版」。この目録中の本書は「全二冊」とある。なお、国会本は五丁目落丁。
〇〔略縁起稗蒔仇討〕 中二巻一冊 北馬画 「小人しま」 早大
(改題)後印本。ただし原題簽を備える本は未見。加賀本も東急本も所蔵目録にはこの題名となっている。[黄]敵討於半紅 中二編五巻(前三後二) 美丸画 村田屋板 「お半がべに」 京大
*原装題簽完備。序「敵討於半紅叙」「于時文化巳の春日\鬼たけなるものしかいふQ」。前末丁「作者\鬼たけQ」、後末丁「鬼武作Q」。

[合]業平塚由来 中二編七巻(前四後三) 式麿画 村田屋板 「なりひら」 加賀
*改装外題欠。見返題の角書「磐岳楯之助鬼ヶ嶽夜叉五郎」。序「業平塚由来自序」「于時文化己巳春正月 感和亭鬼武誌Q」。発端冒頭(4オ)「浅草媼池之邉感和亭鬼武著」。前末丁「作者 鬼たけQ」、後末丁「作者 鬼たけQ」。なお、後十五丁表に式麿初舞台の口上がある。後ろ表紙見返しに「文化巳春新版草紙目録\版元 東都通油町 村田屋治郎兵衛版」。
〇同右 中三編七巻(上三中二下二) 村田屋板 国会
*黄表紙仕立。題簽(下巻下冊のみ欠)には「巳の新版」とあるが後印か。

[噺]落噺恵方土産 小一巻一冊 美丸画 鶴屋金助板 加賀
*序「落噺恵方土産叙」「維時文化五つちのと巳初春 感和亭鬼武誌Q」。一九作『落噺腰巾着』(享和四年)の板木を利用した細工本。新刻した「道理、曽我狂言、夫婦喧〓」の三話が鬼武の作である。巻末に「午春新作噺目次\会談文盲雅話 鬼武作\蛙飛出/\噺 同作\板元 田所町〓屋金助」とあるが、この二作の刊否は未詳。
◇『噺本大系』十九巻。

[噺]落咄春雨夜話 小一巻一冊 美丸画 (鶴屋金助) 東大国
*序「落咄春雨夜話叙」「ちよつと巳のとし\アハヽトわらふ\三太郎月 感和亭鬼武誌Q」。『落噺腰巾着』利用の細工本。新刻の「〓、客物語、狐狸」は鬼武作か一九作か不明。
◇『噺本大系』十九巻。

[滑]有喜世物真似舊觀帖三編 中一巻一冊 美丸画 村田屋板 尾崎
*序「文で化すとよめる六つのとし巳のはる日\感和亭鬼武いふOQ」。跋「後序」「維〓文化第六聖節日 千鶴庵萬亀識」。両国花火の初日(皐月廿八日)の趣向。全三十丁。
〇同右
*初編の項参照。

[合]大矢数誉仇討 中六巻二冊 一九作 春亭画 西村与八板 「大矢かず」「三十三間とう(堂)」 早大
*見返題角書「京三拾三間堂」。巻末に絵馬の意匠で「たつ春の的ははづさぬくさざうしあたり祝せる弓もひきかた\感和亭鬼武」とある。
〇京三拾間堂 大矢数誉仇討 二編六巻(前三後三) 加賀
*黄表紙仕立。(読)復仇女實語教 中二巻二冊 一九作 北馬画 東誌
*挿絵中二箇所に鬼武がさりげなく描き込まれている。
◇拙編『中本型読本集』(叢書江戸文庫25、国書刊行会、一九八八年)

文化七午庚(一八一〇)

[読]撃寇奇話勿來關 中四巻四冊 長喜画 近江屋新八他 「勿来関」 東博
*見返題「撃寇竒話奈古曾之關」。自序「于時文化己巳孟春 感和亭鬼武誌OQ」。自跋「文化六巳春正月」。刊記「文化七丙午孟春發行\感和亭鬼武著\榮松斎長喜画\東都書店\石町十軒店 西村源六\〓町平川町 角丸屋甚助\通油町 鶴屋喜右衛門\同 村田屋治郎兵衛\神田弁慶橋 近江屋新八」。『割印帖』には「文化六年九月 奈古曾之關 全四冊 近江屋新八」とある。『名目集』では「撃寇竒談奈古曾關 前編四冊 鬼武作\長喜画 西村源六外二人\四冊目辰五月廿七日改出ル五月廿四日出ル十二月三日渡巳九月八日本出ル九日賣出し」とある。序跋の日付は文化六年春正月となっているが、文化五年に書かれ六年出来の予定だったのが、何らかの事情で遅れ、七年の新板として六年九月に刊行されたものと思われる。
〇復讐竒譚那古曽の関[外] 半四巻四冊 個人
*後印本改外題(角書を変更)。板元刊年不明。
〇絵本奈古曽関[外] 半四巻五冊 河内屋源七板 国会
*後印本改外題。刊年不明。河内屋卯助ほか三都十二書肆板あり(中村)

文化八未辛(一八一一)

[読]東男〓糸筋 半五巻五冊 蘆国画 西宮彌兵衛他 「東男〓糸筋」 京大
*見返題「東男竒遇糸筋」。自序「 〓綱五郎髯黒兵衛東雄竒遇絲筋自叙」「文化辛未年春三月 感和亭鬼武OQ」。跋「文化八辛未春\門人五斗八木丸誌」。刊記「東都 感和亭鬼武著述O」「浪花 狂画堂蘆國畫圖[印]」「同 淺野高藏筆工[印]」「文化八年辛未春三月\書林\大阪\秋田屋太右衛門\平野屋宗七\江戸\關口平右衛門\竹川藤兵衛\西宮弥兵衛」。『名目集』には「〓綱五郎髯黒兵衛東男〓糸筋 同(五冊) 鬼武作北馬画 同断(西宮弥兵衛)\二月廿七日来ル未五月廿九日校合本同六月廿四日上本廿五日賣出し」とある。一方『割印帖』は「文化辰三月」の項に「東男竒遇糸筋 墨付百一丁 全五冊\同八年未三月\鬼武作芦国画\板元売出 西宮弥兵衛\同 竹川藤兵衛」とある。なお、一本は同板だが巻末に一丁「来壬申年新版読本並ニ絵草紙目録」(西村屋与八板、柱刻に「夕霧」とある)が付されている(個人)。後印本として伏見屋半三郎板がある(中村)
◇帝国文庫『侠客傳全集』(博文館、一八九七〈明治三十〉年)

文化九申壬(一八一二)

(読)復讐竒談信夫摺在原双紙 半六巻六冊 中川昌房著 馬円画 西村与八板 「在原草帋」 国会
*見返し「感和亭鬼武著」。序「文化壬申孟春 武江 感和亭鬼武談Q」。刊記「文化九年壬申孟春発行 西村与八」。『享保以後大阪出版書目』に「忍摺在原草紙 五冊 作者中川徳次郎(西高津新地六丁目) 板元 本屋久兵衛\文化四年四月\再願 文化四年七月\〔付記〕本書の板行は再度願ひ出でたるも惣年寄より度々本屋行司を呼出され質問さるゝことあり結局板元より出願を取消す」とあり、『名目集』には「復讐竒談信夫摺在原草紙 五冊 中川昌房 西村屋与八\(文化五年)二月五日来ル未十一月廿四日校本申二月五日廻本六日賣出し」、『割印帖』には「文化八年未十二月\信夫摺在原双紙 墨付百廿一丁 全六冊 文化九申正月 鬼武著馬円画 板元願人 西村与八」とある。
◇『小野小町業平草紙』(開花堂、一八八六〈明治十九〉年)、『繪本稗史小説』三集(博文館、一九一八年)

(合)初昔濃茶口切 中三巻一冊 不乾斎雨声作 月麿画 山田屋三四郎板 「口きり」 国会
*摺付表紙に「全一冊」とある。見返題角書「白髪戯男墨染浮女」、見返しの絵中に「一亭式麿画」「文化八辛未\發販山林堂梓」。序「鬼武誌Q」。末丁「不乾齋雨聲作\感和亭鬼武校合」「武しゆん書」「墨亭月麿画」。
 序文に、雨声子が訪れて筆削を乞うたので少し筆を加えて書肆に与えたとある。

[合]浮樂鏡虫義見通 中三巻一冊 英山画 西村与八板 「見通し」 国会
*摺付表紙。見返題角書「復讐」。序「浮樂鏡忠義見通」「文化九年壬申正月 永壽堂青江誌」。末丁「感和亭鬼武作Q」「筆耕 石原知道」。

文化十二亥乙(一八一五)

[読]新編熊阪説話 半五巻五冊 馬円画 河内屋嘉七他 「新編熊阪説話」 八戸
*見返しなし。自序「文化乙亥春正月 感和亭鬼武述OQ」、刊記「文化十二年乙亥春正月発兌\三都書林\京蛸薬師寺町西ェ入 伏見屋半三郎\江戸田所町 鶴屋金助\大阪堺筋備後町 和泉屋善兵衛\同心斎橋久宝寺町 河内屋嘉七」。後印本に山城屋佐兵衛板がある(中村)
◇『熊阪一代記』(大阪浜本伊三郎、一八八六〈明治十九〉年)、『熊阪一代記』(競争屋、一八九〇〈明治二十三〉年)

[合]亀が瀬敵討 中三巻一冊 国丸画 森屋治兵衛板 「かめがせ」「亀がせ」 国会
*摺付表紙に「乙亥新板」とある。見返題「敵討十三塚由来」「合一冊」。末丁「東武 鬼武作Q」。後ろ表紙見返しには森治の広告。〇龜ヶ瀬敵 討十三塚由来 中三巻三冊 森屋治兵衛板 慶大
*黄表紙仕立原装題簽完備。題簽に「文化十二乙亥新板」とある。

文化十四丑丁(一八一七)

[合]〔女仇討菩薩角髪〕 中三巻一冊 美丸画 〔森屋治兵衛板〕 「女仇討」 国会
*改装裏打ち本。外題は「伊香保土産女敵討」と墨書。序「文化十三丙子の秋稿なれるを\同十四丁丑の春の新板に発兌す\上野伊香保木暮八左衛門子の\浴亭におゐて\感和亭鬼武C」。末丁「感和亭鬼武作」。国会本には表紙も見返しもなく、摺りもあまりよくないので初印本とは思えない。なお、序文に文化十三年秋に伊香保温泉へ湯治に行き聞いた話を趣向化したとある。本作にも「有阪五郎八」という名の若党を登場させている。
 序末の年記を削った後印本で「仇競花夕栄」と「東海道女仇討」の表紙を流用した本があるが、いつの改変かは未詳。
〇女仇討菩薩角髪 中三巻三冊 森屋治兵衛板 慶大
*黄表紙仕立。題簽下巻のみ存「丑はる\もり治版」。序の年記の部分(文化十三〜発兌す)を削除した後印本。
〇かたき討白坂咄 中三巻二冊 個人
*摺付表紙上下二冊。題名は上巻の外題による。下巻外題は「敵討白坂ばなし」。序の年記を削る。刊年板元は未詳。

文政元寅戊(一八一八)

[洒]四十八手後の巻京伝居士談 小本一冊 馬鹿山人作 東急
*本書中に「わたし(京伝)もあつちへいつておほきに心ぼそかつたが浅草の鬼武竹の塚東子といふものゝこのころあつちへきて又はなせやす(おにたけ東子去年古人となる)」とある▼18
◇『洒落本大成』第二十六巻(中央公論社、一九八六年)

弘化年間

[隋]才子必読弘化奇話(初編) 中二巻二冊 何毛呉〓内著 架蔵
*画工板元刊年不明。『才子必讀當世妙々奇談』(外題)という、所謂妙々奇談物の末流に位置する作品の一つである。匿名作者が、当代の文人や戯作者等を罵倒し扱下したもので、歯に衣を着せない毒舌は読む者の苦笑を誘う。かつての古きよき時代の黄表紙に見られた〈うがち〉や〈楽屋落ち〉ほどは品がよくないが、幕末の〈悪摺〉ほどはひどくない。いずれにしても文人界や戯作壇に精通していなければ書けない内容であることに違いはない。あるいは書肆がこれらの情報の接点に立っていたのかもしれない。残念ながら確かなことはわからないが、栄久(書肆栄久堂山本平吉)が登場するところなど怪しい。
 所見した下之巻の内題は「才子必讀當世奇談初篇巻之下」と、「弘化」に入木し「當世」とした改修後印本。内題下に「何毛呉〓内著」とある。この名を『国書総目録』の著者別索引では「なにもくれとうない」と訓んでいるが、「いずれもごあんない」と訓む方がふさわしい。全部で七つの小話からなり、最終話を除いて各一葉の挿絵が入っている。すなわち、巻之上「水滸を評して羅貫中馬琴を罵しる」「俳諧を論じて桃青翁鳳朗を懲らす」「董太史塩河岸に盛儀を訪ふ」、巻之下「谷文晁八丁堀に武清に遇ふ」「難語之考濱臣守部を嘲ける」「先哲之話原念齋琴薹を説く」「地獄之奇談」である。鬼武に関係ある最終話を引いておく。「弘化二」は入木か。

地獄之奇談
弘化二年のことなりし栄久が主人身まかりて冥途の旅に趣けるがあちらにてはからずも京傳種彦一九春水三馬などの諸大人に出會けるまづひさしぶりのことなれバ互に積る物語せしが栄久主人いふやうさてこのせつハしやばもまことに戯作者の種ぎれにて先生方御引とりの後はなにひとつ本らしきものハ出来申さずたま/\出来れバ熱病人のうはことをいふやうな前後乱脈のわからぬことばかりつゞくりそのうへ作料ばかりほしがり候ゆゑ書肆も一統こまりきつてそれにつけても先生方御在世のことばかり御噂まうし居ることとのものがたりに京傳三馬の諸人大にわらつてこれハいかにも左もあらんそのことにてわれ/\もきのどくにぞんずる一躰われ/\が仲間にて至極下手な作者に鬼丈といふものありしがそこもともしりつらんこの男あまりに戯作が下手でそのくせ錢ばかり欲がりしゆゑ冥府にて閻王大に立腹あり数年餓鬼どうにまごつかせおかれしがわれ/\度々/\訴訟してこの間中責らるゝ苦をまぬがれさせておきたりしかるに當時戯作者種ぎれにて今作者になれバよい時節なりとて無下に文盲な輩できもせぬくせに筆を弄し頻に思案をこらせどももと腹にないことは出来やう道理なけれバ今の十返舎一九柳下亭種員萬亭應賀松亭金水二代目春水画工英泉など毎朝われ/\が靈をまつりて何卒戯作上達いたすやうにとていのるほどにわれ/\もうるさくおもひ此間中より鬼丈をほやうにつかわし彼ともがらの形骸へいれおきたりかの輩六人ともに鬼丈の魂とりつきいたれバ定めて種々/\のうはことをならべたて嘸かし世上のものわらひならんとて毎日うはさをいひくらせりとあるに栄久主人はじめてことのもとをしりさては左様にて候かいかにもうはことのやうなつまらぬものばかり出来いたし候根本を承り初めて疑心氷解いたしたりしかしうはことながらまだしもそのやうなものゝ魂とりつきをれバこそ作も出来候ことゝおぼへたり左もなくて中々/\あの衆に戯作どころか田作も出来るはずがないといふにかの諸人さりながら書肆がこまるであろふ接魂鬼をつかはして鬼丈が魂をとりかへすやうにいたすべしとあるに栄久主人これをとゞめてそれは御無用になさるべし唯今もまうすとをりあの衆に作ができるといふはまつたく鬼丈の魂とりつきおれバならんもし御よびもどしなさるれバ唯一人作の出来る者なく書肆ども却てこまりきりまうすべしうはことながらもまだしも作が出来るこそめつけものにて候へバまづ名人のできるまでそのまゝにいたしおかるゝがよろしかるべきといふにかの諸人大にわらつて栄久主人のいふところまた一理ありさりながらわれ/\の作をせんたくして自分どもがあたらしく仕立しやうにほこる族もあれバ一まづかれらをよびよせて一統にいひきかせんとおもふなり此儀ハいかゝあるべきととふにかたはらにしやうつかの婆ゐたりけるがそれハ至極よろしからんわれら此せつ罪人の衣類せんたくにいとまなくこまりきつてあるなれバその輩ふるものゝ洗濯上手とうけ給はれバ何とぞおよびなされせんたくの手助いたしてもらひたしといふにかの諸人なる程そのことにハわれ/\より器用ならん早速よびよせべきなれバ古ものゝあらひはり御手助になさるべしとあるに栄久主人イヤ/\それも御無用/\かの人達はせんたくの上手なるのではなし古ものを其まゝとり用ゆるが得手なれバ折角はる/\御よびなされても何の御用にもたちますまいといふ彼諸人も婆も大にうちわらふて終によびよせることはやみけるとぞ


未詳

[合]〔近世英雄談〕後編 豊広画
「並立英雄談」として図版が掲載されている。「合巻 後編 感和亭鬼武作 豊広画 色摺 江戸中」(「黒崎書店古書目録」第五一号、二○○二年五月)



▼1 三田村鳶魚は早くから鬼武に注目し「『有喜世物真似旧観帖』解題」(『三田村鳶魚全集』廿二巻、中央公論社、一九七六年)で、鬼武と似通った人物として岡山鳥を例示し、武士階級にも庶民階級にも固着しない作家が多かったようだと述べている。
▼2 平亭銀鶏の雑記(大東急記念文庫蔵)。中村幸彦氏が「未刊随筆談」(『中村幸彦著述集』十四巻、中央公論社、一九八三年)で紹介しているものによる。
▼3 平出鏗二郎「江戸牛込行元寺富吉の敵討」(中公文庫『敵討』、一九九〇年、初出は一九〇九年)によれば天明三年十月とある。
▼4 鈴木俊幸「寛政期の鬼武」(「近世文芸」四十四号、日本近世文学会、一九八六年)。以下本稿で引く鈴木氏の所説は、この論考による。
▼5 水野稔『狂歌仁世物語』解説(濱田義一郎編『天明文学』、東京堂出版、一九七九年)
▼6 鈴木俊幸、前掲「寛政期の鬼武」。
▼7 宮尾しげを「中期咄本の調べ(八)」による。宮尾氏は「年代不詳『江戸の花おとしばなし』となって補足再摺されてゐる」とするが、都立中央図書館蔵の該書には刊記はなく、東京大学総合図書館霞亭文庫本には、『華靨』の馬琴序と『富貴樽』の鬼武序が付されているが、本書と同じ話は含まれていないようだ。
▼8 『青本絵外題集U』(岩崎文庫貴重本叢刊〈近世編〉別巻下、貴重本刊行会、一九七四年)。以下『絵外題集』と略す。
▼9 この項の記述は武藤禎夫氏の『噺本大系』十五巻の解説による。刊年について、享和四子年か文化十三子年のいずれとも判断可能であるが、武藤氏は「今は文化十三年刊と推定しておく」としている。また、小池正胤「十返舎一九作 黄表紙・合巻・噺本作品年表」(「東京教育大学文学部紀要」六十二、一九六七年)では文化十四年とする。
▼10 『戯作者考補遺』『江戸時代戯曲小説通史』『日本小説年表』『草双紙と讀本の研究』などの鬼武の条、著作一覧。
▼11 拙編『中本型読本集』(叢書江戸文庫25、国書刊行会、一九八八年)に所収した「鴫立澤」の最後(一七九〜一八〇頁)に影印で示したものと同一。
▼12 『曲亭馬琴』(図説日本の古典19、集英社、一九八〇年)に、カラーで紹介されている。
▼13 「〇同(五)年十一月八日不時\春掛り行事\婦人撃讐麓の花 全三冊\墨付七十七丁\同(文化五年辰正月)\鬼武作\北渓画\板元売出 竹川藤兵衛」(未刊国文資料別巻一『享保以後江戸出版書目』、一九六二年、未刊国文資料刊行会)。『江戸本屋出版記録』全三冊(ゆまに書房、一九八四年)。『享保以後江戸出版書目新訂版』(臨川書店、一九九三年)
▼14 『絵入読本外題作者畫工書肆名目集』(慶応大学三田情報センター蔵)。翻刻が「国文学論叢 西鶴―研究と資料―」(慶応大学国文学会、一九五七年)に備わる。
▼15 天保以降と思われる読本の後印本に付いている二丁にわたる梗概付の広告。
▼16 一溪庵市井作の中本型読本『復讐奇談七里濱』(文化五年刊)の改題改修本。なお、『国書総目録』では一溪庵を鬼武としているが、何の根拠も示されていない。おそらく別人だと思われる。
▼17 本書第二章第一節参照。
▼18 『戯作者考補遺』に引かれており、この記事を根拠に「文化十四十五ノ内に没せしなるへし」とある。


#『江戸読本の研究 −十九世紀小説様式攷−(ぺりかん社、1995)所収
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#               千葉大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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