【解題】
本作は明治期上方出来の合羽摺による八犬伝物の草双紙である。下巻が八丁で五の倍数丁ではないが、一応全編の筋がある(鈔録である)ので絵本ではなく草双紙と見做した。上方での歌舞伎上演に拠ったのか、登場人物を見るに役者似顔風ではあるが、残念ながら具体的な考証は手に余る。「発端」から「円塚山の段」などと段構成にして名場面を繋いで筋を追っている点は他の抄録本と同様である。上下二冊で対牛楼の場面まで収録している。また、各丁の絵組は歌舞伎の舞台に基づくというよりは、原本の挿絵に拠ったと考えた方が良いようだ。
ところで合羽摺とは、孔版に分類される印刷技法で、現在のシルクスクリーンやステンシルなどと同様の原理である。つまり、画図の輪郭を整版で墨摺した上で、各色別に絵具をはじく油紙などを切り抜いて型紙を作り、上から刷毛で手彩色するという方法で作成する。これらは、文政期に出された上方役者絵などに見られる精緻なものもあるが(阪急学園池田文庫「合羽摺の世界」参照)、多くは幕末明治期の玩具絵や双六などに用いられた技法で、素朴な味わいが存するものの粗末で安価な消耗品が大半であった。
合羽摺技法が用いられた本の体裁を持つものとして、幕末から明治初年にかけて上方で出された中本サイズで全丁彩色絵入の軍記物や英雄一代記物などの絵本や草双紙がある。これらは同時期に出された中本型読本末流である切附本に比べて、その全体像は明らかになっていない。大衆的な消耗品であったが故にコレクターや公的機関の蒐集対象にもならず、合羽摺に拠る資料の多くが散逸してしまったものと思われるからである。
今回紹介する資料も、立命館大学アートリサーチセンター(以下ARC)蔵林コレクションに初摺本と思しき本が蔵されていること以外、前編の表紙見返を欠く不完全な取り合せ本である架蔵本しか、寡聞にして、その所在を知らない。
画工である二代目長谷川小信は伝統的な上方浮世絵の担い手として幕末明治期に活躍し、これらの合羽摺草双紙のみならず、合羽摺絵本も少なからず出しているようだ(関西大学図書館Web電子展示室「長谷川貞信」参照)。
管見の及んだ合羽摺草双紙としては、
・舞鶴市教育委員会糸井文庫蔵『大江山鬼人退治』全一冊(ARC/mai01e30)
・個人蔵『假名手本忠臣蔵』全一冊 (ARC/Ebi1225)
がある。双方とも小信の筆、綿喜板で、序者は「知足(知足蹄原老人誌)」と見える。この「知足」は字典『布令字弁』(明治5年板本)の編者であり、小信や綿喜に近い人物であったようだ。
合羽摺本については、幕末から明治初期を通底する19世紀文学史の底流を見極めるためにも、内外に存する資料の博捜に努めて全貌を明らかにする必要がある研究課題の一つである。
【書誌】
表紙 合羽摺による彩色を施す。芳流閣の場の意匠。題簽風に「里見八犬傳〈全部|弐冊〉」(7.7糎×1.7糎)、「長谷川小信畫」、「金随堂梓」、「上」「下」と墨摺。後ろ表紙は藍摺白抜き「前田」を格子状に並べる。
巻冊 上下2巻2冊(10、8丁)
書型 中本(11.8糎×8.4糎)
見返 合羽摺による彩色を施し、上巻は「さとみ八犬傳\全部弐冊\綿喜板」、下巻は「里見八犬傳\全部弐冊\金隨堂綿喜板」。
序 「序\知足誌」(1オ)
匡郭 14.8×9.6糎
板心 なし
丁付 なし(下巻の1と6のみ丁付存)
作者 記載なし
画工 長谷川小信画
彫工 記載なし
筆耕 記載なし
刊記 綿屋徳太郎・綿屋喜兵衞(前田喜兵衛)板
広告 各巻末に存
成立 明治初期
底本 基本的には架蔵本に拠ったが、図版に関して、上巻は立命館大学アートリサーチセンター蔵林コレクション本(hayBK03-0657)を使用させて頂き、下巻については架蔵本に拠った。ただし架蔵本の見返が上巻と同じものであり、広告が後摺本のもと思われるので、見返と広告はARC本を使わせて頂いた。なお、このWeb版では架蔵本を掲載し、該当箇所のARC本にはリンクを貼った。
備考 ARC本の下巻末左端上部に林氏のメモが貼付されており、「42.5.12尚学堂¥1000\色どぎつき後摺本あり」とある。この後摺本に相当するのが架蔵本の上巻(表紙見返欠)で、色摺用の型を作り直し各丁の彩色に化学染料を用いたどぎつい赤が多用されている。さらに、板元は同じであるが異なる広告が巻末に付されている。これと同じ広告は、小信画の綿喜板合羽摺草双紙である舞鶴市教育委員会糸井文庫『大江山鬼人退治』全一冊(ARC/mai01e30)にも見られる。
【凡例】
一、可能な限り原本の表記に忠実に翻刻するよう努めた。
一、片仮名の意識で用いられていると思われる箇所以外は平仮名で表記した。但し、助詞の「ハ」だけは残した。
一、原本にはない句読点を補った。
一、会話の部分には「 」を施した。
一、推読した箇所、注記した部分には〔 〕を施した。
一、文の続きを示す合印( ◎・▲・●など)は「\」で示した。
一、草双紙という性格から、表紙を含めて全丁の図版を掲載した。
一、諸般の事情から図版はモノクロとせざるを得なかったが、このWeb版ではカラー図版を掲載した。
【附言】 底本の使用を許可された立命館大学アートリサーチセンターに感謝申し上げます。
【翻刻】
〈表紙〉
下巻架蔵本・上巻ARC
「里見八犬伝 全部弐冊\ 長谷川小信画\下」 「金隨堂梓\上」
〈見返〉
ARCリンク
早印本序 「さとみ\八犬傳\全部弐冊\綿喜板」
〈序〉
架蔵本
後印本序
序
八房の梅、明治の春に再咲初しは、偏に長谷川小信ぬしの筆の功と称へん。尚その次篇合巻を被き見れバ、先に増りて愈匂ひかんばしき筆遣ひ。八の英いと微細に出さるゝ中にも、犬江が芽生にハ奥憧しき花の香を含み、朝毛野が白拍子の優姿にハ冊尾に色を催して、画工の手踊りを、またの篇に遺す處とや見ん。
〈口絵〉
ARCリンク
口絵第一図(1ウ2オ) 金毬大助・犬川莊助・犬田小文吾
架蔵本
口絵第一図 異板 後印本
ARCリンク
(3オ) 口絵第二図(2ウ) 里見ノ息女伏姫・犬江新兵衞
架蔵本
(3オ) 異板 後印本 口絵第二図(2ウ)異板 後印本
〈本文〉
○發端
里見よしざね安西かげつらと軍ニ なり「かけつらの首を取得て、わがまへニ もちかへる者あらバ、われの娘伏姫を妻に与ふべし」と、たはむれニ 八ふさと云犬へ申されしかバ、八ふさ\畜生の心ニ も、これをよく聞覚へけん、忽ち敵の城へかけゆきて大将かげつらの首をかみ切、主人里見の館へもちかへる。
ARCリンク
(3ウ4オ)
架蔵本
異板 後印本
○里見家奥御殿の段
八ふさの犬ハ、主人よしざねのたはむれの詞をまことニ 受て、ひたすら、姫ニ つきまとひけれバ\よし実大きニ いかつて、犬を殺さんとする。伏姫これをおしとゞめて「父うへすでニ おん口づから、自を手がらせし者へ妻にたまはるべきよし、のたまふ上ハ、八ふさ敵将のくびを取かへりて候なり。さあるうへハ\君子二言なし。畜生ながら功の者へ賞を給はらず、剰へ殺しなどしてハ、向後忠義を盡す者有べからず。今より自へ御いとまを給はるべし」と乞給ふ。よしざねもせんかたなく、望む所ニ 任せらるゝ。伏ひめハ、是より犬にともなはれて、同じ安房國富山の山中に入て、日夜經を讀誦して、罪障消めつ祈られける。
ARCリンク
(4ウ5オ)
架蔵本
異板 後印本
○富山の段
大助ハ忠義の心底より、姫を助けつれ帰らんとて、鉄砲をたづさへ冨山へわけ入り、犬を討とめんとせし鉄砲、あやまつて犬もろとも姫に當る所へ、よしざねも娘の身のうへいかゞと案じ來られけるが、姫ハ此とき念珠の玉を空に飛して、八犬士のもの共を四方に出生なさしむ。大助ハ髪を切はらふてヽ大法師と成る。
ARCリンク
(5ウ6オ)
架蔵本
異板 後印本
○番作住家の段
嘉吉年間かまくら持氏滅亡して、犬塚ばん作も、にわかニ 浪人と成、古郷武州大塚むらニ かへり、夫婦くらしけるが、ばん作あしなへと成しより、世ニ 有がいもなき身の上也と、うとみはて、伜信のがかたみとして、主君持氏殿の家宝なりし村雨丸といふ名刀を与へ、自殺して相果けり。信のハ幼年より故意女づくり身を育られけれバ、かねていぶかしく思ひけるが、これも父のなさけにて、その身を、ぶじ息災ニ 成長させんのはからひなり。
〔番作〕「なんじへかたみにゆづりをく。かならず人ニ うばわれな。
〔信乃〕「ちゝうへのこゝろこめたまふたまもの、いかでそまつニ いたすべきや。
ARCリンク
(6ウ7オ)
架蔵本
異板 後印本
○同く其二
信のハ父の切腹かなしみニ 心みだれ、共ニ 死んと思ふ所へ、手がひのいぬ來りて頻ニ まとひつく。信の思ふ様ハ我々父子相果なバ此犬もついニ かつ命に及ぶべし。夫よりハわが手ニ かけてもろとも死出三づのともニ めしつれんとて、つひニ 犬の首を切おとしけれバ、一ッの明玉飛出たり。折から百性ぬか助かけ來りて自殺をとゞめ\これより伯母亀笹のむこ庄官ひき六のかたへ信乃を引取やういくなす。ひき六ハ村雨丸の名刀をかすめ取んと網干左母次郎と云浪人を密ニ かたらい、すりかへさせしが左母次郎も又其ばニ わが刀とすりかへる。
ARCリンク
(7ウ8オ)
架蔵本
異板 後印本
○蟇六内の段
娘濱路とゆく季ハ信乃を夫婦ニ せん由、ひき六かめ\笹申しけるゆへ、はま路ハ大ニ 心ニ 悦ひ、云号けのおつととおもひつめしに、ひき六ハまた、左母次郎ニ も刀をすりかへさするけいりやくのたねニ 、娘はまぢを妻ニ もたせんとあざむき、尚も別ニ むこをゑらみ取んとするゆへ、左母次郎ハ悪がしこきものゆへ、はまぢをそびきいだし、丸づか山へと\つれのく。信のハ是より前ニ 刀のすりかへられたるハ知ず。古河成氏殿へもちまいりて、父のかめいを引おこさんと、ひき六のもとを發足して下総古河へ赴く。
ARCリンク
(7ウ8オ)
架蔵本
異板 後印本
○圓塚山の段
網干左母次郎ハ濱路をつれ出し、段々くどきて我心ニ 随はさんとすれども、娘ハ信乃の事を思ひつめし心より、中々随ふべき返答なし。左母次郎怒りて村雨の刀を引ぬき、娘ニ 手を負し、尚も殺さんとなしける所へ、この日圓づか山ニ 火定ニ 入たる寂莫道人と云ものあらはれ出、左母次郎が持たる刀をもぎとり、たゞ一刃に左母次郎を切たをし、むすめはまぢをかいはうして\寂莫名乗て申しけるハ「我ハ誠の出家ニ 非ず。先年うへ杉定正に滅ぼされたるねりま平左衛門が伜犬山道節と云もの也。其方ハ、父の死後不通ニ て他ニ つかわせし、正しく我妹也。先刻よりの其方がものがたりニ て、之を知る。ふびんや、かく兄妹めぐりあふといへども、其手疵ニ てハ最早叶はず。併相手の悪者ハ切殺したれバ、之を今世の思ひ出として成佛せよ」と云けれバ、娘濱路ハ終ニ 息絶ニ けり。
ARCリンク
(8ウ9オ)
架蔵本
異板 後印本
○同く其二
犬山道節ハ妹の臨終を見とげて、かの左母次郎がもちたる村雨の刀を月ニ すかしながむる所へ、庄官ひき六かたのしもべ額藏ハ娘濱路のゆくゑをたづねかねて此ところへきかゝりしが、犬山道せつがすがたを見るより、こやつ癖者也と思ひけれハ、一刀ぬきはなして切てかゝる。道せつこゝろへたりとて、刄先合して切むすびしが、此とき双方がうす手を受し所より\両の玉とび出て、双方の懐中へ入ちがひニ とび入たり。道節ハ大望ある身のうへなれバ、額藏と勝負を果さず、にげしりぞく。額藏も用有途中なれバ、其儘主の家ニ 馳かへる。
ARCリンク
(8ウ9オ)
架蔵本
異板 後印本
○古河の地の段
犬塚信乃ハ伯父ひき六等の奸計ニ て村雨丸の刀偸かへられたるとハ露知ず、下総古河の御所へとたどりつき、段々傳手をもとめて身の上を申し述、足利成氏殿へ云上ニ 及びけれバ「近日村雨丸を持出べし」との命也ける。
〔信乃〕「モウ古河の城下へほども有まい。こゝらでちよつと一ふくせうかい。
〔広告〕
和漢・西洋 書物類 品々 繪本類極上より並ニ 至る迄、数百枚、御望次第。其外、東京合巻、日々流行物、新板、年々出し申候
當用物 百人一首・字引・用文章・雑書・塵功記・庭訓并往来物一切・古状揃・國々盡・年代記、其外一さい仕入御座候
東京・浪花 錦繪類 極上より並ニ いたる迄、大小・男女・名所・石摺・張交御望次第仕入御座候\
再板・士帋 浄るり本 七行 丸本 五行 四行 大本 五行 中本 さわりよせ 色々\其外、千代紙・のし紙・折手本・哥がるた・經類・繪本・道中記・新内・江戸哥・はやりうた其外一さい御賣用の品出板仕置候間相かわらず御用向奉希上候 以上
書物・画艸紙 問屋 大坂北ほり江市場 綿屋徳太郎版・心才ばし塩町角 綿屋喜兵衞版
〔後印本広告〕
東京・大坂 画双紙仕入所 錦画製造所
新發名の出板物數品々
珎書ハ月々沢山賣出し候
画艸紙類…錦畫…本から取寄本浄瑠璃本しん内…おんど折のし切のし……大津ゑ其他画双帋ハ何ニ 不限沢山仕入置……候間不相違御注文〔一部摺りが悪く読めず〕
繪双紙仕入處 大坂心齋橋塩町角 綿屋事 前田喜兵衛
團扇仕入處 同平野町心齋橋西入北側 同 支 店
新板珎書發兌所 同 北堀江市場北入東側 同 支 店
〔後ろ表紙〕
架蔵本
〈表紙〉
架蔵本
下巻「里見八犬伝\全部弐冊\長谷川小信画\下」
〈見返〉下巻「里見八犬傳/全部弐冊/金隨堂綿喜板」
ARCリンク
(見返1オ)
架蔵本
(見返、色違いで上巻と同一)
○古河御所のだん
犬塚信乃戊孝ハ、父の記念の村雨丸を古河成氏公へ奉りて、父の家名を引おこさんと、叔父蟇六にすりかへられしハ知す、古河の御所へぢさんせし所、似も付ぬ贋物ゆへに、かたりの癖者に陥されて\云開き立がたく、組子の捕かたに取かこまれ、必死のなん及ぶ」10オ
架蔵本
○芳流閣の段
成氏公、犬塚の働き凡尋ならじ、と思はれけれバ、其頃聊過失の廉ありて入牢申し付置れたる犬飼現八をめし出され「汝犬塚をからめ捕へなバ牢舎さし許すべし」との命也。現八かしこまつて支度し進み向ふ所、犬塚ハ迯途もとめかね、御所のお物見ニ 修ひし芳流閣の家根へかけ登り防ぎ戦ひしが、現八と組合川中へおちこむ。
架蔵本
○戸根川の段
小那や文五兵衛ハ釣を好みて一艘の小舩ニ 乗、戸根川へ漕出し釣をなしけるが、犬塚と犬飼ハ組合ながら川中へ落込けるが、測らずも文五兵衛がのりたる小ぶねの中へおち入、両人とも氣絶す。文五兵衛ハ駭きながら、両人を勦はりけれバ、両人とも息吹かへして子細をかたり、信のハ切ふくして果んとする。
〔 信 乃 〕「此うへハせつふくして身の云わけせん。
〔文五兵衛〕「マァ/\またつしやりませ。
〔 現 八 〕「ヤレはやまられな。しぬにハおよばぬ。いまよりをんみの力とならん。
架蔵本
○同く葭原の段
舩中三人の物がたりを、文五兵衛の伜小文吾、陸にて立聞し、出来りて信乃現八に對面し、信乃\を諫めて切腹を共々おしとゞめ、父文五兵へに両人を伴はせて、わが家へつれかへらせつゝ、小文吾ハ跡より信乃現八がぬぎすてをきたる、ちの付し衣服を押つゝみて、密に持かへらんとする所へ、小文吾の妹婿山ばやし房八と云もの、是もよしはらの中ニ 立忍んで様子始終聞取、しあんを定めて歩行出、小文吾が持たる衣のつゝみを奪ひ取んと、暗を便にいどみ諍そふ。
架蔵本
○小那屋内の段
文五兵衛父子、密に信乃現八を舎蔵置事、房八とくよりけどりたるゆへ、妻お縫をバ離縁なして、信乃現八がお尋ね者の繪姿を以て文五兵衛が許へ入来り、信乃をからめ捕へんとする。小文吾些とも驚ず、侠義を惣して房八と刃傷ニ \およぶ。房八もお縫も共ニ 手痍を負。信乃ハ此時破傷風の病なり。依て房八夫婦、態と兄小文吾のため、深痍を受て、其生血をもつて信乃へ呑しめ、かれが必死の病難を救ひ得させんてだてに、悪と見せたるよし物がたりなす。これに依て、信乃ハ房八夫婦の切なる志しをかん歎して、其生血を服用して病難を助かる。
架蔵本
○其二
山林夫婦が節義の死に依て、信乃ハ愈がたき病なん忽ち快陽して、犬田小文吾も始めて房八が心底を感心して大きに其死を惜みけるが、房八の悴、此時漸/\とし二才なり。後に伏姫の神霊これをかくす。八犬士のうち\犬江新兵衛仁と云るハ此房八夫婦が中の子なり。これより犬塚犬飼犬田ハ照ふみヽ大に巡り合て里見家の始終を聞取、殘の犬士をたつねいづる。
〔於 縫〕「兄さん、かならずちつさをたのみ舛ぞへ。
〔小文吾〕「まことにふしぎのそのぜんくはい。さりながらふびんなハ房八夫婦。
架蔵本
○定正遊猟の段
犬山道節忠興ハ、父練摩平左衛門が仇がたき扇が谷植杉定正を討課せんと多年心を盡し居けるが、或時、定正遊猟に出るを聞出し、此とき外すべからずと、賣卜者と姿を省し、方策を以て定正のまへに進み寄、飛懸つて定正を捻伏、名乗懸て\首打落しける。され共、定正にも深く用心して、兼て練摩の殘黨諸方に徘徊をなすよし聞取けれバ、此時道節ニ 打れたるハ、家来某を以て己か代に出せしを討れたるなり。
〔道節〕「亡父のをんてき今こそおもひしつたか。
〔家来〕「ろうぜき者そこうごくな。
架蔵本
○荒目山の段
道節ハ、扇が谷定正よりの、敵の追手を避んために、荒目山の山家に宿りけるが、犬川荘助もおなじく大難を遁れし後、諸方遍歴して、此山中孤家ニ 一宿し、測らすも道節と出會して、互ニ 往時を語合。
〔道節〕「圓づか山にて引わかれし、扨ハ其時の相手で有たか。
〔荘助〕「月を明りに刀のかん定、法衣をまとひし怪しのくせ者、扨ハ今逢こなたで有たか。
架蔵本
犬坂毛野胤智ハ、是も父を害ハれし怨敵ありて、之を討得んためにとて、元来美男子なるうへ、音曲乱舞のわざに堪能の才人なりけれバ、女立に身を作りなして、朝毛野と假名を付て、白拍子と成、敵の家へ入込、測らず\犬田小文吾に巡り合て、犬士の群に入。間もなく再離散に及びけり。めでたし/\。
〈広告〉
和漢・西洋 書物類 品々 繪本類 極上より並ニ 至る迄、数百枚、御望次第。其外、東京合巻、日々流行物、新板、年々出し申候\當用物 百人一首・字引・用文章・雑書・塵功記・庭訓并往来物一切・古状揃・國々盡・年代記、其外一さい仕入御座候\ 東京・浪花 錦繪類 極上より並ニ いたる迄、大小・男女・名所・石摺・張交御望次第仕入御座候\ 再板・士帋 浄るり本 七行 丸本 五行四行 大本 五行中本 さわりよせ 色々\ 其外、千代紙・のし紙・折手本・哥がるた・經類\繪本・道中記・新内・江戸哥・はやりうた 其外一さい御賣用の品出板仕置候間相かわらず御用向奉希上候 以上
書物・画艸紙 問屋 大坂北ほり江市場 綿屋徳太郎版・心才ばし塩町角 綿屋喜兵衞版
〈架蔵本広告〉
架蔵本
繪本類 極上より並ニ 至る迄、数百枚、御望次第。其外、東京合巻、日々流行物、新板、月々出し申候
東京・浪花 錦画類 極上より並にいたるまで大小・男女・名所・石ずり等御望次第仕入御座候
并ニ 浄瑠璃本 丸本・五行・中本・佐和里色々
和漢・西洋 書物類 當用物 百人一首・字引・用文章 雑書・塵功記・庭訓并ニ 往来物・一切・古状揃・國々盡・年代記等、仕入御座候
其外、千代紙・のし紙・折手本・哥がるた・經類 画本・道中記・新内・東京唄・はやり哥るい 此外一さい御賣用の品々出板仕置候間 相かわらず御用向の程偏ニ 奉希上候 已上
團扇・扇子 極上物より並物之類迄沢山…仕入申候……御注文奉願上候〔一部摺りが悪く読めず〕
諸國・名茶・仕入所 大坂心齋橋一丁 綿屋荘三郎
右此度出店仕候 茶類頗る上物沢山ニ 仕入置申候 尤も賣買仕候
書物・画艸紙 問屋 大坂 綿屋徳太郎版・同心才橋塩甼角 綿屋喜兵衞版
〈後ろ表紙〉
架蔵本