新訂 『盆石皿山記』 −解題と翻刻−
高 木   元  

【解題】

盆石皿山記ぼんせきさらやまのき』は、前編が文化3年、後編が文化4年に江戸書肆・住吉屋政五郎より刊行されたもので、馬琴の中本型読本中では最も大部の作品である。構想も他の作品に比べて複雑になって居り、趣向も凝らされている。まとまった作品論は末だ備っていないが、従来「伝説物」と分類され、題材として皿屋敷伝説・鉢かつぎ伝説・刈萱桑門伝説が指摘されている

自叙には『古今和歌集』巻第20の「美作や久米の佐良山さらさらに わが名は立てじ万世までに」(1083番歌)に見られる古歌を踏えた借辞が見られるが(『古今六帖』2や『太平記』4などにも引かれている)、美作国の久米更山という場所は「皿」から得た着想であると思われる。錦織、佐用丸等という登場人物名は付近の地名に拠ったものである。

又、「盆石」という標題にも関連する〈継子譚〉が色濃く採入れられている。「紅皿欠皿」(話型としては「米福粟福」)よりも寧ろ「皿々山」と呼ばれる話を利用している。殿様が盆皿を見せて歌を詠ませ、実子に比べて上手な継子の方を城へ連れて行くという話柄である。『日本昔話事典』(弘文堂、1977)では「歌の功徳」という項目で〈歌徳説話〉として解説されている。

一方、『日本昔話大成』巻5 本格昔話4(角川書店、1973)には「10 継子譚」に詳しい記述があるが、「娘と田螺」「継子の椎拾い」や「継子と井戸」と呼ばれる話型もある。さらに「鉢かつぎ」も継子譚に属する話型である。 馬琴がどの様な資料に拠ったかは詳にできないが、昔話や民譚などから、此等の継子譚を集めて趣向を凝らしたものと考えられる。

一方、「皿」「井戸」に関連のある伝承として「皿屋敷伝承」を採入れた。『播州皿屋敷』として人口に膾炙した話を踏まえながらも、伴蒿蹊『閑田耕筆』(享和元)巻2に所収の話を利用した様である。

○上野國の士人の家に秘蔵の皿二十枚有し もし是を ワルものあらバ一命を取べし と世々いひ傳ふ 然るに一あやまちて 一枚を破りしかハ 全家みな おとろき悲しむを 裏に米をウスツク男 これ を聞つけて わか家に秘薬ありてワレたる陶器スヱモノを継ぐに跡も 見えず 先其皿を見せ給へ といふ 皆色を直して其男を呼て みせしに 二十枚をかさねて つく%\みるふりして もちたるキネにて 微塵ミシンクタキたり 人々これハいかに とあきれたれバ 笑ひていふ 一 枚破たるも 二十枚破たるも 同しく一命をめさるゝなれハ 皆わが 破たり と主人に仰られよ 此皿陶物なれハ一々破るゝ期有へし 然 らハ二十人の命にかゝるを 我一人の命をもてつくのふべし 継べき 秘薬有といひしハ僞にて かくせんがため也 と一寸もたじろかず 主人 の帰りをまちたるに 主人帰りて此子細を聞き 其義勇を甚感し 城 主へまうして士に取たてられたりしが はたして廉吏成しとかや

場所や、20枚の皿という設定は異るものの、その他のプロットは、ほぼこれを利用している。

源七が遁世する場面や、結末の父子再会の場面は『苅萱桑門筑紫轢かるかやどうしんつくしのいえづと』を踏まえたものと思われる。文化4年には『刈萱後伝玉櫛笥かるかやごでんたまくしげ(中本型読本)を刊行して居り、他作でも苅萱伝承を頻繁に利用している。それだけ関心の深いモチーフであったと思われる。

さらに、広岡兵衛が深夜、山神廟に出没する異形のものを退治する段は、浅井了意『伽婢子おとぎぼうこ(寛文6)巻11の1「隠里」に似た話があり、あるいは参照していたかもしれない。

結末で、寂霊和尚の済度により、紅皿の怨魂の仮に現じていた姿が消えてしまう段は、後編執筆直前の文化2年12月刊行された京伝の読本『桜姫全伝曙草紙さくらひめぜんでんあけぼのぞうし』の一駒を想起させる。 なお、この「寂霊和尚」と「永沢寺」建立の話、「誕生寺の椋」「宇那堤森」「塩垂山」等は、以下の通り『和漢三才図会』に見えている。(句点を補った)

丹羽 永澤寺 (七十七)

 後小松勅願  開山  道幻寂靈和尚

○禪師 寂靈 通幻 洛陽人 清水寺觀音祷 姙有 將サン 母遽シテ 古廟之側〓 行人往來ヤヽモスレバ廟聲有ルヲ 父亦之聞 墳レハ之 已誕生矣 父且喜且愕 懷 祖母之育 二歳シテ父喪〈十一歳〉台山入 性英敏ニシテ凡内外經史一タヒ其目ヲレハ 通暁不ト云コト〈十四歳〉 剃髪禪門慕 乃能登ハ持寺 峩山碩和尚參 後和尚古人公案節角諸訛以一一詰問應答流如 和尚滅後逮 檀越細川氏 師玄化欽 寺ヲ創 永澤寺曰 師以開山爲 毎ハ持寺往來 越前守 乃於中路龍泉寺立 師駐錫之所爲〈圓融院應安年中〉 勅天下僧録爲 明徳二年五月五日寂年七十

 

美作 誕生寺 (七十八)

   久米郡稲岡庄栃社村

〈崇徳帝之朝〉長承二年四月七日源空誕生 其舎之西ムク樹有 二マタ大木也 白幡二旒降其梢飜 異香有 俗其木ンテ誕生椋曰 以念珠 後其地寺建 誕生寺號 源空四十三歳洛東大谷吉水在 自三尺影像作 熊谷入道蓮生持下 當寺ンス〈源空ノ傳智恩院之下詳〉 寺領五十石

 久米クメサラ山  二宮村近處在 小川有 久米川 名
     詞花 美作や久米の更山さら/\に我名ハ立し万代迄に 師頼
 宇那提森ウナテノモリ  久米更山近處在
       思はぬを思ふといはゝ真鳥すむうなての森の神もはつかし
 勝間田カツマタノ御湯ミユ
       此山の道の限と思へともかつまたのみゆ遠く成けり
 鹽垂シホタレ山   津山坤在 小山也

和漢の鹿の怪異については、『続捜神記』巻9「鹿女[月甫]

淮南陳氏、於田中種豆、忽見二女子、姿色甚美、著紫纈襦、青裙、天雨而衣不湿、其壁先掛一銅鏡、鏡中見二鹿、遂以刀断獲之、以為[月甫]

また『前太平記』巻第1「経基射鹿給事」

……大きなる牡鹿、築山の陰より躍り出で、散り敷く紅葉に 戯れしは、猿丸太夫の詠じけん、歌の余情も斯くやらん、小倉山の風景を、今茲に移し出だせる眺望かと、 御遊の興を添へられしが、始めの程とそあれ、珍しくも面白き事に思い給ひしが、次第に何となく恐ろしく、 又何くより来たるべき道もなきに、けしからぬ様して駆け出でたれば、主上は幼き御心に、絵に描けるより 外は、終に御覧ぜられし事も無ければ、「あな恐ろし。如何なるものぞ」とて、をびへさせ給へば、「人や候 あれ追ひ出だして進らせよ」と声々に呼ばゝり給へども、所は后町の北なれば、外衛の諸士は一人も候はず。 鹿は猛つて駆け騰がり、まぢかく玉体に飛び懸かり進らせんとす。若殿上人達周章騒ひで、我も/\と太刀 を抜きて、切り払ひ/\給へば、剣にや畏れけん、南の庇に飛び揚がり、常寧殿の棟に皇居を脱んで居たり ける。

夫鳳〓の十二門、皆交戟衛伍を守り、長に非常を誡むるととなれば、天をも翔るか地をも 潜らずば、争でか爰に入ることを得ん。古今未曾有の珍事なりと、諸卿驚き合はれしに、摂 政忠平公宣ひけるは、「目に見へぬ物の障礙せば奇しとも謂ふべきか。鹿は足有れば、何処にか至りぬべし。 恠しとするに足らず。射芸に達したらん者に仰せて射させ候はん。誰か候」と召されしに、経基王御在しけ れば、つつと参り給ふ。摂政、「云々のことあり。射留どめ申されんや」と仰せられければ、一議に も及ばず領掌ありて、則ち弓と矢執り寄せて件の所に至り、彼の鹿の有り様を伺ひ見給ふに、何様 にも尋常ならず、上下の牙生い違ふて、口は耳の根まで裂け、水晶の面に血を洒ぎたる如き眼にて、 四方を見廻し、隙あらば御殿の中に飛び入りぬべき気色なり。「さればこそ曲者なれ。若し我が形 を見はバ迯げもやせん。射損じたらんに於いては、当坐の恥辱のみにあらず、末代までの瑕瑾なり」 と、貞観殿の御階の下に居隠れて、弦くひ湿し、流鏑矢打ち番ひ、彼鹿の有所能々見澄まして、暫く堅めて ひやうと発つ。其矢少しも矢坪を違へず、左の草分より右の耳の根まで、鏃白く射出だしたれば、争でか暫 しも怺ふべき、真倒さまに転び落つ。摂政殿下を始めとし、三公九卿諸家の武士、内侍命婦の官女まで、 「あゝ射たり/\」と云ふ声に、御殿も揺るぐ計りなり。其後件の鹿を、淀の川瀬に柴漬にぞしたりける。則 ち斎部卜部の両家に仰せて、様々の御祓有りて、濁穢を清め給ひける。……

などを参照したものと思われる。

また、鸚鵡が奸夫淫婦の悪事を主人に知らせるという趣向は、後年になって合巻『鳥籠山鸚鵡助剣とこのやまおうむのすけだち(文化9)でも使用している。この話柄は和刻本『開元天寳遺事』(寛永16)に見えている。

 鸚鵡告事

長安城中豪民楊崇義ト云有 家冨ムコト數世ナリ 眼玩タクイ 於王公 崇義妻劉氏國色有 隣舎児李エン與私通シテ情於夫ヨリモ崇義害欲意有 忽一日醉皈 於室中イヌ 劉氏李〓與同而之害 於枯井中埋 其時 僕妾輩 并 サトル所無 惟鸚鵡一雙有 堂前 崇義殺ヲヨンテ 之後 其妻却 童僕ヲ令四散シテ尋〓シテ府往 陳詞シテ夫皈不言 ヒソカニヲモンミレハラレント 府縣官吏日夜トラヱントス 之人及童僕〓〓カウスイフル 百數人 其 後來縣官等 再崇義シテ架上検校 鸚鵡忽然トシテ聲出 縣官遂 鸚鵡曰 家主ノハ 劉氏李〓シト也 官吏等遂劉氏執縛トラヘ李〓トラヘテシテ招款クワンヲ尹 事ニシテシテ奏聞明皇歎ルコト 之其劉氏李ヱンハ 鸚鵡封緑衣使者 後宮シテカハシム 張説後緑衣侍者傳 爲 事好之傳

この他にも様々な出典があると思われるが、中本型読本としては比較的良くまとまったテキストである。本作に用いられた趣向は後に、文化11年刊の合巻『皿屋敷浮名染着さらやしきうきなのそめつけ』や、文化12年刊の読本『皿々郷談べいべいきようだん』でも利用されているのである。蛇足ながら、缺皿が皿を割る説明に「名詮自性」という語が用いられて居り、比較的早い用例として注意が惹かれる。

なお、前編見返しに記された「鵲飛山月曉 蝉噪野風秋」の2句は、『全唐詩話』(40巻2冊)に見える「上官儀『入朝洛堤歩月』\脈脈廣川流 驅馬歴長洲 鵲飛山月曉 蝉噪野風秋(『てうらんとして洛堤らくてい月に歩む』/脈脈として廣川くわうせん流れ 馬をりて長洲を かささぎは飛ぶ山月あけぼの 蝉はさわぐ野風の秋に)に拠る。『大唐新語』文章第18には「高宗貞観の後を承け、天下事無く、上官儀独り宰相と為る。嘗て凌晨入朝し、洛水の堤に循ひて歩み轡を徐ろにし、詩を詠じて曰はく、脈脈として廣川流る 馬を驅りて長洲を歴 鵲飛びて山月曙け 蝉噪ぎて野風秋なり 群公之を望むこと神仙の如し焉。」とある。この句は馬琴が気に入っていたと見え、『南総里見八犬伝』肇輯の自序に「八犬士傳序[〔蝉〕〈噪野|風秋〉]と、蝉の絵中に第3句を意匠化して使用している。

 

【書誌】

前 編 2巻2冊(底本は合1冊) 18.9cm×13.4cm
表 紙 貴重色無地
題 簽 左肩 枯葉色地墨刷の破片のみで外題は不明
見返し 白地墨刷 四周双辺 月下岩山の意匠 中央に「盆石皿山記ぼんせきさらやまのき」、右肩に「曲亭馬琴作/一柳斉豊広画」
    左下に「前編二冊/鳳来堂梓」その上に「鵠飛山月暁/蝉嘆野風秋」
序 題盆石皿山記自叙ぼんせきさらやまのきじじよ(「文化ひのえ寅のとし正月」)
目録題 なし
内 題盆石皿山記前編上ぼんせきさらやまのきぜんへん(下)
柱 刻 なし (丁付はノド)
尾 題 「盆石皿山記前編上(下) 匡 郭 16.2cm×10.9cm
丁 付 上巻 自叙2丁(序一オ序二ウ) 目録半丁(序三オ) 口絵半丁(序三ウ
       本文25丁( 上一オ下二十五終ウ) 計28丁
    下巻 本文21丁(下一オ下二十一ウ}) 跋2丁(跋一オ跋二大尾ウ
       刊記 半丁(後ろ表紙見返し) 計23丁
行 数 叙8行 本文9行 跋8行
刊 記 文化二年乙丑夏五月著述
     同三年丙寅春正月発行
        江戸四谷伝馬町二丁目
              住吉屋政五郎梓
印 記 なし
その他 国会本には、上巻六丁と七丁の間に封じ紙が残っているので初板初摺本と見做して良い。

 

後 編 2巻2冊(底本は合1冊) 19cm×13.3cm
表 紙 浅標色無地に紗綾形龍紋の型押し(改装されているかもしれない)
題 簽 左肩(原題簽なし、大惣の書題簽あり)
見返し 白地鶸茶刷 朝顔をあしらった飾枠。中央に「盆石皿山記後編」、右側に「曲亭馬琴戯作 今刊二冊」、左側に「一柳斉豊広画 鳳来堂梓」
序 題 「刊皿山記後編叙さらやまのきのちへんをかんするじよ\文化柔兆摂提格麦秋上浣\飯岱 曲亭馬琴重叙\[馬琴][ ]
目録題 なし
内 題盆石皿山記後編上ぼんせきさらやまのきこうへん(下)
柱 刻 「皿山後編上(下) 丁付」
尾 題 「盆石皿山記後編上」 「盆石皿山記後編大尾
匡 郭 15.9cm×11.1cm
丁 付 上巻 叙1丁半(一オ〜二ウ) 目録(二ウ) 口絵2丁半(三オ〜五オ)
       〔再識〕半丁(五ウ) 本文(六オ〜三十一ウ) 計31丁
    下巻 本文31丁(一オ〜三十一ウ) 跋1丁半(三十二オ〜三十三オ
      刊記 半丁(三十三ウ) 計33丁
行 数 叙7行 本文9行 跋8行
刊 記 文化三丙寅年皐月上浣著述
     同四丁卯年春正月吉日発販
        江戸書肆  通油町      鶴屋喜右衛門
              四谷伝馬町二丁目 住吉屋政五郎梓
印 記 上巻は一オ三十一ウ、下巻は一オ三十三ウに大惣の印記あり。
その他 架蔵本は表紙欠の汚本故、この書誌は国会本に拠る。国会本上巻7丁と8丁との間に封じ紙を破去した跡が見られる。
諸 本 半紙本仕立の後摺本が2種類ある。一方は4冊で、分冊方法は中本仕立のものと同じであるが、後編7ウ8オの挿絵(佐用丸を包んだ鹿皮が飛ぶ図)以外の薄墨は省かれている。他方は8冊に分冊したもので、内題を「絵本皿山奇談」とし「大坂書肆 心斉橋/北久宝寺町 相原屋義兵衛」という刊記を持つ。薄墨は全て省略されている。更に後、明治期に三木佐助が求板後摺したものもある。

 

【凡例】

1、PDF版は可能な限り板本の表記に近付けた。HTML版では検索の便を考慮し、異体字等は近似の字体に置き換えた。
2、片仮名は、助詞の「ハ」を除いて、特に片仮名の意識をもって書かれていると思われるもの以外は平仮名に直した。
3、表記上の誤りと思われる箇所は訂正せず 〔ママ〕 と傍記した。但し、脱字と思われるものは私意に拠り〔 〕内に補い、衍字と思われるものも〔 〕に入れて示した。
4、各丁に」印を付し、その裏に」1 のごとく丁付を示した。
5、見返し・口絵・挿絵は全て図版を掲載した。
6、底本として、前編は国立国会図書館所蔵の早印本(208-161)に拠り、後編は比較的早印だと思われる架蔵本を使用した。だが、架蔵本は表紙欠で落書の多い汚本故、図版は国会図書館本を使用させていただいた。記して深く感謝致します。

 

盆石皿山記前篇

【表紙】

表紙

【見返し】

 曲亭馬琴作 一柳齋豊廣畫

   盆 石 皿 山 記ぼんせきさらやまのき

  鵲飛山月暁     前篇二冊
  蝉噪野風秋     鳳來堂梓

 

自叙

自叙

【自叙】

盆 石 皿 山 記ぼんせきさらやまのき 自 叙じじよ [出思

さゝやかなる草紙さうし物語ものかたりつくりなして、せんせきのべんとするは、かの盆画ぼんぐわ盆石ぼんせきといふものにたり、いくにもらぬひらかなかに、山川さんせん草木さうもく人物じんぶつ禽獣きんじうかたち巧出たくみいだし、はつかにひとをよろこばして、ながのこしとゞめん事をおもはず、またかの瓶子かめはないけるものは、こゝろはなになしつ、えだたはめすかし、色妙いろたへにほひこまやかならんとほりするも、」 みなつか遊戯あそびにして、人に見するをたのしとす、まいてをとこひげむくつけに、かしらしろめくをいとひ、をんなかみながくて、姿すがためでたからんとよそほふも、かたみにおもはれすてられじとの下心したこゝろなるをや、をんなといふもの世になくハ、と兼好けんこう法師ほふしものかけるぞ、いとさとりがほなりける、けだしやいにしへにふみつくれる人ハ、みづからのたのしみにして、ひとに見すべきとにもあらず、今の草紙さうしつくれるものは、ひともてあそぶむねとして、あまねく見するをたのしとす、こゝをもて」序一 おのれまげこゝろざしかゞめみやびさりさとびもとづき、ことおこなひとひとしからずして、とくはづる事もあり、またとくそこなふ事もおほかり、さるあひだ、人にぐうと不ぐうとあり、もの巧拙こうせつ流行りうこうありて、こうなるもかならずよしさだめがたく、せつなるもかならずあしといひがたし、たゞたくみなるハ流行りうこうさきだち、つたなきハ流行りうこうおくるゝものから、これにさへなほこうこうあり、一人いちにんとなへ千萬せんまんにんするときハ、となへはじめしものこれ流行りうこうに先だつとせん、やつがりこの差別けぢめをおもはざるに」 あらねど、かもあしみじかさえもて、つるはぎながきをとかず、こうハ人のさま%\なれバ、千鳥ちどり百鳥もゝとり真鳥まとりむ、宇那堤うなでもりことも、かつ間田まだ御湯みゆとほきをもとめずして、久米くめ更山さらやまさら/\とかいつけ、盆石ぼんせき皿山さらやまづくるものハ、ふみのもとすゑに美作みまさかなる、缺皿かけざら紅皿べにざらことしるすにこそ、

   文化ひのえ寅のとし正月

曲亭主人みづから序 [〈琴|馬〉]序二

 

自叙・目録

 

  前編ぜんへん目録もくろく

    [第一 つま 鹿しか
    [第二 ふる しづく
    [第三 宇那堤うなでしひ
    [第四 竒怪あやし有身はらごもり
    [第五 ひらのさら

  統計つがう五箇ごかでう目録もくろくをはる

 

【口絵】

口絵・巻頭

                                  缺皿かけさら

                       客皿きやくさらの 十人まへ白牡丹はくぼたん

                             蓑笠隱居[馬琴]序三

 

【本文】

盆石皿山記ぼんせきさらやまのき前編ぜんへん

曲亭主人述  

   [第一 つま鹿しか

朝顔あさがほのあさな/\。たゝ一時ひとゝきをさかりとするも。見てたのしと思ふハ。顕身うつせみの人ごゝろなり。これハなほさきかえて盛久さかりひさしともいふべし。蜉蝣かけろふといふむしの。あしたしよふじてゆふべするも。それほどのたのしみハあるらん。されバいきとしいけるもの。たのしみといふ事なくてハ。と思ふにつけても。無益むやく殺生せつしよふのみハ。きはめてすまじきわざなるをや。一念いちねん無量むりやう懸念けねん五百しよふとて。かりにもものゝいのちをとれバ。そのむくひなき事あらず。たとひバ。てんむかひてつばきすれバ。そのつはわがおもてかゝりみきは」 にたちみづうてバ。その水わがころも湿うるほす。心なきものすら。すべてかくのごとし。いはんやしようあるものにたいし。善悪ぜんあくむくひなき事をず。 こゝに美作國みまさかのくに久米くめ更山さらやまかたほとりに。木村きむら源七げんしちといふものありけり。もと雲州うんしう富田とみた城主じようしゆ鹽冶ゑんや 駿河守するがのかみ師高もろたか家臣いへのこ也。主君しゆくん師高もろたかハ。さんぬる應永おうゑい元年ぐわんねん山名やまな満幸みつゆき謀反むほんくみし。ことやぶれてつひ自殺しがいし給ひけれバ。源七も敵陣てきぢんはしり入り。討死うちじにせばやと覚期かくごせしが。ふたゝび思ひめぐらせバ。目ざすにあまる大軍たいぐんに。われたゞ一騎いつきはせむかひ。よしやてき一人ひとり二人ふたりうちとりてするとも。九牛きう%\一毛いちもうにて。主君しゆくんあたむくふにもあらず。こゝ」上1 にて犬死いぬしにせんよりハ。命まつたうして亡君ぼうくん後世ごせをもとひまゐらせ。形勢ありさまをも見つべしと深念しあんし。わがあねに。三重之みへのすけとて。今慈ことし〔ママ〕七才なるが。近曽ちかごろみなしごとなりけれバ。いへやしなひおきたりしをともなたすけて。やうやく一方いつほうかこみきりぬけ。ちとのしるべあれバ。美作國みまさかのくにをこゝろざして落行おちゆく折しも。乱軍らんぐんの中にておひ三重之みへのすけを見うしなひしかバ。世ハはやかうとあさましく。しにおくれたる身をくやみ。ゆめをたどる心持こゝちして。われのみいなば美作みまさかや。久米くめ更山さらやまにぞつきにける。しかるにこの山のふもとなる。〓人かりうど長助ちやうすけといふものハ。源七が乳母うばをつとにて。由縁ゆかりあるものなれバ。これを」 便たよりてそのいへたづねゆき。主家しゆうか滅亡めつぼう。わがおひ三重之みへのすけが事まで。備細ことこまかに物がたれバ。乳母うばハさらなり。長助もまことあるものなれバふかくあはれみ。いつまでもこなたにおはせとて。世にたのもしく款待もてなすにぞ。源七もそのこゝろざしあさからざるを感悦かんゑつし。しばらあしとゞめしほどに。なす事もなくて。まづしいへやしなはるゝを心うく思ひ。一日あるひ長助とゝもに山にわけ入り。一ッの鹿しかてとりしに。いとおもしろき事におぼえしかバ。これよりして只管ひたすら殺生せつしようこゝろゆだね。其許そこ年老としおひたり。われかはりて活業なりわひをせん。心安く思ひ給へなどいひこしらへ。其後そのゝちハわれのみごとに」上2 かりくらすに。ゆみ元来ぐわんらいそのいへうまれて。百發百中ひやくはつひやくちう手煉しゆれんあり。年紀としハ廾五才にて。筋骨すぢほねすこやかなれバ。年來としごろそのわざなれたる長助よりも。えものかへりおほかりける。さて又長助ハ。晩稲おしねづけし女児むすめ只ひとりをもちて。今茲ことし十八才也。かゝる田舎いなか生育おひたつといヘども。容貌かほかたちみにくからず。らきかゝれるはつ花の。にほひそめにし時なれバ。源七が男態をとこぶりあてやかなるに。いつとなくこゝろありげなるを。父母ちゝはゝはやく見てとりて。素姓すじやうといひ古主こしゆうといひ。彼人かのひとむことせバ。千々ちゞ黄金こがねしよりも。女児むすめ僥倖しあはせならんとて。源七と晩稲おしねがさしむかるときハ。わざと」 そのはづせしも。ゆゑにあまおやごゝろ。すいをとほすとうれしくて。晩稲おしねハ思ふ心のうち。わりなく口説くどきよりいとの。むすべるにしをかさね。日をかさねつゝてかけとも。つまともつかでそのとしも。ほどなくくれて立かへる。はる弥生やよひのころなりけん。長助夫婦ふうふ俄頃にはかやみて。つひにむなしくなりにけり。そのよはひ六十むそぢこえて。思ひのこす事ハなけれど。いつとても親子おやこわかれ。かなしみなげくもことわりなるに。ましてや只一日のうちに。二親ふたおやうしなひし。晩稲おしねが身の便たつきなさ。ちからとするハ源七様。あなた一人とかこつにぞ。源七も長助夫婦ふうふが。一旦いつたん恩儀おんぎをおもひ。たとひこのまゝ朽果くちはつる」上3 とも。見すつる所存しよぞんさらになし。心づよくおはせよ。といひなぐさめてなき人の。あとねんごろとむらひぬ。こゝに又更山さらやま近在きんざい二宮にのみやといふむらに。錦織にしこり郡司ぐんじといふ老人ろうじんあり。そのいにしへハときめきて。何不そくなき身上しんしようなりしが。いかなるあやまちかありけん國守こくしゆ御氣色ごきしよくこうむり。所帯しよたい過半くわはん没収もつしゆせられしかバ。のこ田畑でんはたをも人にあづけたがやさせ。わがひさしく閑居かんきよして。ものほんまくらともとし。うたゑいじて思ひをのべ。世を風流ふうりうにくらせども。つまさきだつてなき人のかずに入り。といふものもなかりし程に。とかく老人ろうじん介抱かいほうハ。女子をなごにますものあらじとて。落穂おちぼといふてかけ一人ひとりをもてりける。」 されど郡司ぐんじよはひ七十をこえたれバ。あへていろこのむにもあらず。たゞかたうたこしさすらせ。さながら看病人かんびやうにんことならず。このとき落穂おちぼハ。としもいまだ二十はたちすぎず。姿すがたも又にほやかにて。こゝろきゝたる女子をなごなれど。不こうにしてはやく父母ふぼおくれしを。叔父をぢべんらうといふもの。居多あまた給銀きうぎんむさぼりて。近曽ちかごろ妾奉行てかけほうこういだしけるとぞ。しかるにかの〓人かりうど長助ハ。郡司ぐんじがむかし時めきさかへころひさしくつかへたるらいにてありしかバ。つねひおとづれし程に。郡司ぐんじも その老実りちぎなるをあいし。をり/\衣服いふくなどとらせしが。長助世をさりのちも。源七たえず出入いでいりて。」上4 むかしにかはらずうやまかしづきけるを。落穂おちぼハ見るたびに心ときめき。目元めもとに思ひをかよはせても。 源七もとより物がたきをとこなれバ。馴々なれ/\しくことばもかけず。郡司ぐんじ落穂おちぼ素態そぶりすいしながら。わかきものゝ他心あだこゝろ。たれもひとたびハかくぞあらめ。 おいたるわれにつかふれバ。てかけといふものみにて。 かれをとこほしげなるもにくからず。されど源七ハきはめて心たゝしきものなれバとて。いさゝかうたがはず。ころしもあきなかばなるに。郡司ぐんじ宅地やしき久米くめ川をまへせき入れ。塩垂山しほたるやま宇那堤うなでもりとほからで。にはいとひろけれバ。くさの花いろ/\にさきみだれ。かへでいろつきて。野山のやまにしきよそならず。に入」

挿絵

〈挿絵第一図〉上5」 れバ塩垂しほたる山の鹿しか。めづらしくかよひ來て。つまこゑたへ也けり。あるじハかねて敷嶋しきしまみちに心をよすれバ。これをゆふべの友として。るゝをおそしとまちわびしに。十日ばかりののち。かの鹿しか一夕いつせきることなし。こハいかにしつる。とその本意ほゐなくあかせしに。忽地たちまち源七ひ來しかバ。郡司ぐんじこの事をいひ出て。年來としごろわがには鹿しかなくこともなかりけるに。このあきハめづらかに。軒端のきばちかくなくきけバ。尋常よのつね鹿しかにかはりて。こへも又たへなるをもて。ふかくこゝろにあいせしが。夢野ゆめの鹿しかゆめにだも。〓昔ゆふべのみそのきかず。いと不審いぶかしきこと也とかたるに。源七横手よこてを」上6 ちやううち。その物がたりにつきて。思ひあはすることこそあれ。昨夜さくやこゝよりハ四五町あなたのずゑにて。一頭いつひき牝鹿めじかとめたり。そのかたちことひの大さありて。ハながく。いろあをくしてくろみおぶ。これハくじかめすなるべしといへバ。郡司ぐんじ大におどろきていふやう。格物論かくぶつろんに。鹿しか一千年いつせんねんにしてそのあをく。又百年にして白鹿はくろくとなり。又五百年にして玄鹿げんろくとなる。くじかハそのつの一ッありて。うしたりといへり。〓昔ゆふべ御身がとりしハ。千餘年せんよねんたるくじかなり。かつて古老ころう物語ものかたりに。塩垂しほたる山に牝牡めすをすひきくじかあり。神通しんつうてかろ%\しく人のまなこにかゝらずと」 きゝつるが。わがにはに來てなきしハ。そのをすなるべきに。牝鹿めじかころされたるによりて。〓昔ゆふべきたらずとおぼゆる也。さて/\いとをしきことかな。と悔歎くひなげくにぞ。源七も打おどろきて。何となく毛髪みのけいよだちぬ。郡司ぐんじ只顧ひたすらかの鹿しかあはれみて。これよりこゝちなやましく。元氣げんきやうやくおとろへて。すであやうく見えけれバ。源七も日毎ひごとに來りてやまひふに。郡司ぐんじおもきまくらあげ。わが老病ろうびよう今ハたのみすくなくて。けふをかぎりと思ふなり。われ日來ひごろ。御身がまことあるをしるがゆゑに。今般いまは一言いちごんのこして。たのむべき事あり。聞とゞけ給はるべきや。といふに」上7 源七聞て。何がさて長助世にありし時より。ふかくめぐみかうむり候へバ。かゝる折にこそ。御大事おんだいじをもうけたま〔は〕るべけれ。とく/\おふせ候へかし。と申せしかバ。郡司ぐんじいとうれしげにて。たのみたきハ落穂おちぼが事也。かれとしわかけれどこゝろきゝ。われにつかへまめ/\しけれバ。やむといヘども不自由じゆうならず。こゝろよ往生わうじよふする事。かの女子をなごあるによれり。しかれバわが身なからんのち。そののぞみをかなへてとらせんと思ふ也。そのゆゑハ。落穂おちぼすぎつるころより。御身を懸相けさうして。おもひをはこぶ事ひさし。あはれ今よりのち。御身かれつまともてかけとも見給ひてよ。しからバわが貯禄たくはえこと%\く御身にまゐらすべしと。いふもいとくるしげ也。落穂おちほまくらのほとりにありて。この事をきゝはた」 さず。かほうちあからめて。つぎはしり入りぬ。源七つら/\くだん遺言ゆいげんを聞てまゆひそめおふせもどくにハあらねど。それがしにハ晩稲おしねといふつまもあり。ことさらこの世帯せたいつけて。かの女子をなごよめらせ給はゞ。身元みもとたゝしきむこがねハいくらもあるべし。と辞退ぢたいするを。郡司ぐんじ聞て。いやとよ。男女なんによじよう貧福ひんふくにもかゝはらず。只思ふをとこ齋眉かしづくを。身のさいはひとするものぞ。かれがこゝろハとめいへつまとならんより。御身がてかけとなりはてん事をねがふとハ。われよく/\見ぬいたり。かならず辞退ぢたいし給ふなといふに。源七も當惑たうわくし。かくまでおふせ候へバ。まづつまにもいひきかせ。かさねていなやの返事へんじいたし候はん。といひをはりていへにかへり。晩稲おしね上8 如此じかの事あり。いかゞ思ひ給ふととふ晩稲おしね天性てんせいかしこき女にて。いさゝかも嫉妬しつとの心なく。しばし沈吟しあんしていふやう。御身ハわがをつとなれども。もとはゝ主君しゆくん也。又郡司ぐんじどのハちゝ古主こしゆうなり。恩義おんぎをもつていふときハ。いづれかろし〔し〕ともしがたし。しかるにちゝ古主こしゆう遺言ゆいげんによりて。御身そのせきうけつぎ。郡司ぐんじとなりて里人さとびとうやまはれ給はん事。よろこびこれにます事あらじ。世にある人ハ。側室そばめてかけとて。かず/\の女くるひするもをとこ生平つね也。はやく返事へんじして郡司ぐんじさまの心をも安め。落穂おちぼどのゝのぞみもかなへ給へかし。とあながちにすゝめけるにぞ。源七もこの上ハとて。つきの日郡司ぐんじもといた晩稲おしねこゝろさしせつなるをかたりて。承知せうちのよしを返事へんじすれバ。郡司ぐんじ大きに」 よろこびて。まことに御身が女房にようぼうハ。世にもまれなる賢女けんぢよ也。落穂おちぼかのをんなこゝろざしにあやかりて。よくみさほをつくし。家内かないむつましくせよといひをはり。ほどなくいきたえにける。

   [第二 ふるしづく

木村きむら源七ハ。思ひかけず錦織にしこり郡司ぐんじ遺跡いせき相續さうぞくし。いみどもはてのちおち傍妻そばめとして。かれ叔父をぢべん四郎をもよびむかへ。内外ないぐわいの事をまかせしに。べん四郎ハ元來ぐわんらいこゝろよからぬものなれバ。この世帯せたいハみなわがめひたまもの也とおんせ。しゆうしゆうとも思はずして。たゞさけのみよからぬわざのみしたりけれバ。落穂おちぼこれをきのどくに思ひ。をり/\」上9 けんしてたしなめこらしぬ。それくに二人ふたりわうなく。いへ二人ふたりつまなしとハいヘど。本妻ほんさい晩稲おしねねたみごゝろあらざるによりて。つまてかけとのあひたむつましく。さながら姉妹あねいもとのごとくなれバ。源七もふかくよろこび。いづれにしたしみ。いづれをうとむといふ事なく。月とくらし花とあかせしほどに。つまてかけもおなじ月よりごもりて。おなじ日に安産あんざんせしが。うまれし子ハ二人ふたりながらをんなにて。晩稲おしねうみしハ。夲妻ほんさいの子なれバとて。あねさだめて缺皿かけさらづけ。落穂おちぼうめるをバいもととして。紅皿べにさらづく。これハ久米くめのさら山によりてのなるべし。されバ月日に関守せきもりなく。缺皿かけさら紅皿べにさらすこやか生育おひたちて。その標致きりやうおとらずまさらず。たゞ智恵ちゑ才学さいかくのみ。ことかはりて。缺皿かけさらハよろ」 づのわざ怜利かしこくて。記憶ものおぼへも人にすぐれ。紅皿ベにさらハすべての事につたなくて。手習てならひ縫刺ぬひはりハさら也。落穂おちほひさしく郡司ぐんじにしたがひて。和哥わかみちさへ見なれ聞馴きゝなれたれバ。二人ふたり女児むすめ歌書かしよ草紙さうし物語ものかたりなどをよまするに。缺皿かけさらハ一をきゝて二三をしれど。 紅皿べにさらハとかくらちあかず。かくて缺皿かけさら紅皿べにさら十三才なりけるころ。ちゝの源七ハ。かねてこの殺生せつしよふの。とにかく思ひとゞまりがたく。今ハ世わたる便たつきにもあらねど。をり/\山に入りてけものがりするに。一日あるひまたれいのごとく。只ひとりゆみたづさへ彼此をちこちかりくらせども。この日ハたえてえものもなく。むなしくいへにかへらんとて。宇那堤うなでもりこえれバ。木立こだちひまなきその中に。およそ二囲ふたかゝへも」 上10 あるらんとおぼしきすぎに。女の姿画すがたゑはりつけて。鉄箸かなばしよりもなほふとき。一尺あまりのくぎうつたり。これハ世にいふうしときまゐりとて。人をのろ女子をなごのわざにこそ。と思ひつゝ。何心なくこれを見れバ。つま晩稲おしね姿画すがたゑなれバ。こハいかにときやうさめて。かたはらを見れバ。又あなたのすぎにハ。落穂おちほ姿画すがたゑはりつけて。おなじやうなるくぎうちおきしかバ。ます/\おどろあきれて。つく%\と思ふやう。二夲にほんくぎ引拔ひきぬけバ。くぎあなより二ッのへび晩稲おしね落穂おちほ年來としごろ嫉妬しつと氣色けしきもなくて。むつましく見えしかど。むねにたく火ハきゆなく。たがひ咒咀のろひころさんとて。かくあさましきわざをしつるか。と思ふにうちもおかれず。とかくして」

挿絵

〈挿絵第二図〉上11忽然こつぜんとあらはれ出。しばしくひあふをりこそあれ。かぜさつ吹來ふきゝたり。二まい姿画すがたゑ巻揚まきあげしが。へびもゆくへなくなりて。くぎと見えしハ鹿しかつのなり。あら不審いぶかしと思ふにも。ひとりわが身をかへりみれバ。主君しゆくん師高もろたか生害しようがいみきり。すみころもさまをかえ。なきあととふらまゐらすべきに。さハなくて。殺生せつしようをことゝし。あまつさへ神通しんつうたる鹿しかをころしたる。因果いんくわ眼前まのあたりむくひ來て。さしもむつましかりけるつまてかけが。十年の月日をて。たがひにころさんといのる事。これたゞ事とハ思はれず。二人ふたり女児むすめもふ便びんなれど。たゞ恩愛おんあいきずなたち。これをだいたねとして。しげまよひを」上12 苅萱かるかやの。ふりにしあとふにハしかじ。とひとすぢに思ひさだめ。山刀やまかたな引ぬきて。もとゞりふつときりはらひ。いづくともなく立出たちいでけり。さる程に晩稲おしね落穂おちほハ。 つぎの日にいたりても。源七かへりざりけれバ。おどろあやしみて。おひ/\人を出して彼此をちこち索〓たづねさがせとも。つひにその往方ゆくへしれず。家内かない愁傷しうせうどもがなげき。目もあてられぬ形勢ありさまなり。いでてより百日といふその日にもなりしかバ。世になき人と思ひあきらめ稲岡いなおか誕生寺たんじようじハ。法然ほふねん上人しようにんこゝにてうまれ給ひしせきにて。今なほ誕生たんしようむくとて。大なるむくあり。このてらすなはち菩提ぼだいしよなれバ。源七がはかたて法事ほふじ追善ついせんかたのごとくいとなみて」 つまてかけともろともに。かのてら参詣さんけいし。はなの水を手向たむけんとて。墓原はかはら古井ふるゐたちより。晩稲おしねまづ水をくまんとするに。このげた朽損くちそんじて。なはひろにあまり。うちくらくして水も見えず。釣瓶つるべも又おもけれハ。手繰揚たぐりあぐるかいなもたゆく。こハいかにせん/\ともてあますを。落穂おちほハ見かねて。とも%\なわをかけしが。何思ひけん釣瓶つるべちやうつきはなし。すぐ晩稲おしねすそをはらへハ。あはれむべし。晩稲おしね釣瓶つるべまきこまれ。千尋ちひろ井戸ゐどしづみけり。落穂おちほハ心にえみふくみ。わざとあはて風情ふぜいにて。あれよ/\とさけこゑに。所化しよけたちはして大きにおどろき。俄頃にはかさほいかり〔ママ〕おろし。やう」上13 やく引げたりけるが。晩稲おしねおつるとき。づゝにてかしら打碎うちくだき水にしづみて程へたれバ。はやこときれてせんかたなし。落穂おちほハいよ/\泣声なきこゑになりて。はやくわがいへつげしらせ給はるべしといふに。所化しよけたちこゝろえて人をはしらすれバ。べん四郎ハ缺皿かけさら紅皿べにさらともなひてはせ來り。ほうむりの事などなしはたさんとす。されバ缺皿かけさらハわが身ひとつのかなしさに。はゝがいにとりつきて。ともしなんとなげくにぞ。かくてあるべきにあらねバ。みなさま%\にいひこしらへ。源七がはかよりハ。すこへだて晩稲おしねほうむり。七日/\の法事ほふじなど。よきにあつらへ〔へ〕おきて。四人もろともにいへにかへりぬ。そも/\晩稲おしね落穂おちほハ」

挿絵

〈挿絵第三図〉上14年來としごろねたみこゝろもなかりしに。この時にあたりて。忽地たちまち虎狼こらうの心をさしはさみしハ。いかなる天所為しよゐにやあらむ。こうほうじてにんおこなはれ。頼朝よりともこうじて良臣りやうしんほろぶ妬婦とふ伎倆たくみぞおそろしき。かくて落穂おちほハ思ひのまゝに晩稲おしねあざむきころし。おのれ女あるじとなりて。継子まゝこ缺皿かけさらにくむ事。たゞ讎敵あたかたきのごとくすといへども。缺皿かけさらもとより怜利さかしくて。いさゝかもうらみず。おちまことはゝのごとくうやましたしむにも。なき父母の事一日もわするゝひまなく。人なき折ハつく/\と。身のはかなさもかこたれてせまたもとしぼりける。この時かのべん四郎ハ。はゞかるものなしとよろこひ。みづから落穂おちほ後見こうけんせうし。只管ひたすら酒を」上15 のみ。よからぬあそびに金錢きんせんついやして。程なくいへおとろへ。奴婢ぬひもみな身のいとまこひて。おのがさま%\いでさりける。落穂おちほもこれを氣疎けうとくおぼえ。べん四郎にたび/\けんすれども。つゆばかりももちひず。されバとて叔父をぢの事なれバ追出おひいだされもせず。せんかたなくて半年はんねんあまりの月日をおくりしに。思ひもよらず里人さとびとども。源七をともなひ來ていふやう。けふ塩垂さつた山にて源七どのを見かけしゆゑ。無体むたいに引とらへてつれ來れり。この人いまになきものとおもひしに。かみかくしとて。天狗てんぐなどのさそひゆきしとおぼえたり。いざ%\逓与わたまゐらするぞ。とみな口々くち%\にどよめけバ。落穂おちほハさら也。二人ふたり女児むすめゆめかと」 ばかりうれしくて。はしいですがりつき。なきわらひたちさわげど。源七ハ物もいはず。只きよろ/\と見まはしたる。まなこざしも生平つねにかはり。五體ごたいあかづきひげ生出おひいで。ありし姿すがたことなれバ。まづ心をしずめ〔め〕さするにハしかじとて。おくへつれゆき蒲團ふとんうちせてかすとそのまゝ。たはひなく眠臥ねむりこけあくあさやうやく人ごゝちつきたりと見えて。みづから起出おきいで。さてわれハいかにしていへにハかへりつらんと不審いぶかれバ。みな/\うれしくて。ありし事ども物かたるなかにも。缺皿かけさらはゝ晩稲おしね最期さいご形状ありさまなみだとゝもにかたれども。源七ハあへておどろかなしみもせず。何事もすぎさりし事ハ。たゞゆめのごとくにて。わがの事」上16 さへしらずといふ。やがてに入れかみゆいけれバ。さのみおとろへも見えずしてすこやかなり。缺皿かけさらハこの世にとも思はざりし。ちゝがふたゝびかへりしかバ。孝行こう/\日來ひごろにいやまして。人手ひとてもからずいたはれバ。落穂おちほハわがむごくあたりしを。ちゝつぐるかと推量すいりやうして。いよ/\缺皿かけさらにくむことはなはたし。しかれども源七ハ。そのこゝろにぶくなり。二人ふたり女児むすめあいしもせず。たゞ落穂おちほいろめでて。あけくれむつ相語かたらふ程に。落穂おちほ忽地たちまち懐[月壬]くわいにんして。やうやく月もかさなりぬ。

   [第三 宇奈堤うなでしひ

落穂おちほハ源七が。子どもあいせず。かへりてうるさき風情ふぜいなれバ。」 これをさいはひに。をり/\缺皿かけさらをあしさまにいひなして。下女げぢよのごとくにせめつかひ。さもなき事をはしたなくのゝしりて打擲ちやうちやくすれバ。紅皿べにさらも又これをよき事としてあねうやまはず。すこしのあやまちをもはゝつげ折檻せつかんさせ。よろづわがまゝに動止ふるまひける。ころしも九月のすゑなれバ。宇那堤うなでもりにゆきて。椎実しひのみひらよとて。落穂おちほあさまだきより。缺皿かけさらをつかはしける。缺皿かけさらはゝおふせをうけて。すで立出たちいでんとせしに。あきの日のならひとて。ひとむらさめのはら/\とふりるにぞ。ふるき竹笠たけかさを打かふり。ひとりかのもりにゆきて椎実しひのみをひらひぬ。浩処かゝるところ國守こくしゆ赤松あかまつ上総介かづさのすけ義則よしのりはり美作みまさか二ヶこく領分りやうぶん巡検じゆんけんため許多あまた上17従者ともびとめしつれて。この森蔭もりかげすぎ給ひしが。缺皿かけさら為体ていたらくを。つく%\とらんじて。轎子のりものたてさせられ。かの女子をなごめしぶべしとおふせあれば。近従きんじゆさふらひうけ給はり。缺皿かけさら轎子のりものちかくともなまゐる。とき赤松あかまつ殿どののたまふやう。われこのごろ當國たうごく巡檢じゆんけんするに。領分りやうぶんたみ百姓ひやくせう老弱ろうにやく男女なんによのわかちなく。むらがあつまり行列ぎやうれつ見物けんぶつす。しかるになんぢいまだとしをゆかざれバ。なほきそひても見るべきに。さハなくして見かへりもせず。只一心いつしんしひをひらふ事。これいかなるゆゑぞやとたずね給へバ。缺皿かけさらこたへて。わがはゝ。このもりにゆきて。しひひらさせよとハ申つれど。相公との行列ぎやうれつを見」 たてまつれとハきこえ候はず。よりてわたくし壮観みものに心をとめず。はゝの仰をおもしとするがゆゑに。かくしんかうむり候かと申けれバ。赤松あかまつ殿との大に感心かんしんあり。なんぢ年紀としハいくつぞ。ハ何といふととひ給ふに。缺皿かけさらよばれて十四才になり候とこたふ。赤松あかまつ殿とののたまふやう。なんぢまれなる孝女こうぢよなり。いましひひらふを見るに。頼政よりまさ故事ふることさへ思ひいでらるなんぢかの頼政よりまさしひうたをしるや。いかにとのたまへバ。缺皿かけさら莞尓につことして。むかし頼政よりまさ朝臣あそん三位さんゐのぞみふかゝりしに。よはひかたぶくまで四位しゐにておはしけれバ

  のぼるべきたよりなきもとしひひらひてわたるかな」上18

ゑいぜしかバ。七十五才にて三位さんゐじよせられ給ふよし。盛衰せいすいにハ見えたれど。玉海ぎよくかいせつによれバ。治承ぢじやう二年十二月廿四日。清盛きよもり入道にうどう浄海じようかいのすゝめによりて。頼政よりまさ三位さんゐじよせらる。これ第一だいゝち珎事ちんじ也としるしたり。盛衰せいすいハ。のちに。むろさうかきあつめ給へるものなれバ。作者さくしやふでふるひて。滑稽こつけいをつくせしと見ゆるところもあり。と聞及きゝおよびて候。又まへうたしひ四位しゐにいひかけたれど。しひハしひの假名かな四位しゐはしゐの假名かなにて。ひ。ゐ。のたがひあり。すべて頼政よりまさ朝臣あそんハ。世にたか哥人かじんにておはせしかバ。かれもその人のうた也。これもかの朝臣あそんゑい也と。附會ふくわいせつをなす事」 おほしとぞ。この事いかゞ候やらん。とはゞか氣色けしきもなく申上れバ。赤松あかまつ殿どのます/\かんじ給ひ。こハめづらしき才女さいぢよ也。さだめうたをもたしむなるべし何をやだいにして。よますべきとのたまひつゝ。かたはらを見かへり給へバ。もりの中にふる地蔵堂ぢざうだうありて。何人のぐわんだてせしにや。さらしほをうづたかくりて。そなへおきしが。さきあめにうたれて。そのしほ半解なかばとけたるを。近従きんじゆおふせてとりよせ給ひ。又まつ小枝こえだ手折たをらせて。しほうへさしはさみ。いかに女子をなご。これをだいにして。うたつかふまつれと仰けれバ。缺皿かけさら

  美作みまさかさらてふやまゆきとけて塩垂しほたるみねにかよふ松風まつかぜ上19

と申けれバ。主従しゆうじう感吟かんぎん大かたならず。鳴呼あゝせうしてやまざりける。赤枩あかまつ殿どの只管ひたすらそのさいめで給ひ。なんぢいまより給事みやつかへせよ。すぐともなひゆくべしとのたまへバ。缺皿かけさらうけ給はり。すべて女子をなごハ。おやのゆるしなくて。を人にせずとこそ申なれ。ねがはくハまづ父母ちゝはゝ仰下おふせくだされて。そのゝちにまゐり候はんと申にぞ。げにもつとも承引せういんあり。よく/\かれ住處ちうしよたづねさせられて。津山つやまのかたへすぎ給ふ。缺皿かけさらハ此問答もんどうひまどりぬれバ。かへりおそしとて。はゝいかりやし給はん。はやく家路いへぢおもむくべしとひとりごとし。ひらひあつめたるしひふくろを引かたげ。何ごゝろなく見あぐれバ。いくとせかしひこずゑに。一口ひとふりかたな

挿絵

〈挿絵第四図〉上20」 ありて。その下緒さけをはづかにえだにかゝりたれハ。かゝる所に。人のおきわするべきにもあらず。これハ近曽ちかごろの山洪水つなみながれ來て。おのつからこゝにかゝりつらんと思ひはかり。やがてわが家へ立かへれハ。落穂おちほ見るとこゑをかけ。何とてかくハおそかりし。はし使つかひ假托かこつけて。道草みちくさくふがつらにくし。けふハはやゆるし〔し〕がたしとのゝしりて。はうきふりげりう/\と打居うちすゆれバ。缺皿かけさらにげもやらず。母様はゝさまゆるし給へ。かさねてハはやく帰り候べしとぞわびたりける。かゝる折しも。赤松あかまつ近臣きんしん従者ともびと四五人をめしつれて入來り。この家のあるじ。源七が女児むすめ缺皿かけさら事。孝心こうしんさいすぐれしを。國守こくしゆ義則よしのり殿どのきこめされ。給事みやつかへ上21 させよとのおふせにて。すなはち衣服いふくりやうとして。金子きんす百兩ひやくりやうくだし給ふなれハ。明日みやうにち津山つやま旅舘りよくわんめしつれいづべしとのべをはれバ。落穂おちほあきれて回答いらへもせず。はしり入りてかくとつぐるに。源七はかま引かけて出むかへ。叮嚀ていねい挨拶あいさつし。はいなく御請おんうけを申すにぞ。近臣きんしんかの金子きんす逓与わたし。諸事しよじ手都合てつがうなどいひきけてかへりぬ。されバ落穂おちほハつく%\と思案しあんして。叔父をぢべん四郎を物蔭ものかげまねき。御身もきゝ給ふごとく。けふ思ひもかけず。缺皿かけさら國守こくしゆさるゝ事。はらたゝしくもおぼゆなり。わらハおもふに。赤松あかまつ殿とのも。缺皿かけさらが事を。人傳ひとつてきゝ給ひしのみにて。いまだ見給ひし事ハあるべからず。」 しかれハ今宵こよひ缺皿かけさらひうしなひ。わが女児むすめ紅皿べにさらを。缺皿かけさらなりいつはりて。國守こくしゆ御許おんもとへまゐらすべし。よしや紅皿べにさらハ。あねほどこゝろきかずとも。おや慾目よくめかしらねども。標致きりやうハたちまさりて見ゆるに。なほ花やかによそほかざらば。相公とのにもめでさせ給はぬ事あらじ。御身今夜こんやかやう/\にはからひ給へ。とさゝやけバ。べん四郎大によろこび。悪事あくじもとより得物えものなり。缺皿かけさらをつれゆきて。むろ遊女ゆうぢようりらバ。身價みのしろ骨折賃ほねをりちん。うまい/\と心に點頭うなづき一議いちぎにもおよば納得なつとくして。日のくるゝをまちつけつゝ。しよすぐころ暗号あひづさだめ。缺皿かけさら手拭てのぐひはませ。ふる葛籠つゞらなげ入れて。せなかに」上22 しつかおひぬれど。足腰あしこしたつしやな貪慾どんよく阿爺おやぢあとをも見ずしてはしり出。宇那堤うなでもりまで來りしに。ゆくさきしれぬ宵闇よひやみに。ばなそよぐと見えけるが。思ひもかけず一ッのおほかみべん四郎が痩〓やせすねへ。會釈ゑしやくもなくかみつけバ。あつ一声ひとこゑべん四郎。よこにどつさりたふるゝ時。ふる葛籠つゞらそこぬけて。缺皿かけさら撲地はたまろび出。この光景ありさまおどろあはてくち手拭てのごひかなぐりすて肢體みうちわな/\いのちきはのがるゝたけハのがれて見んと。だれしえだをかけて。しひこずゑ攣登よぢのぼり。こゝろの中に念仏ねんぶつし。みきをかゝへてたりける。さる程におほかみハ。べん四郎をあくまでくらひ。缺皿かけさらのぼりたる。しひの」 こずゑをうちまもり。尻声しりごゑながほゆるにぞ。こだまひゞき物凄ものすごし。ともよぶにやよりぬらん。いづちともなく居多あまたおほかみ彼此をちこちよりあつまり來て。食残はみのこしたるべん四郎が。死骸しがいのこらず啖竭くひつくし。なほあかずやありけん。たがひ生人氣ひとけかぎつけ/\。しひめぐりならびて。おちくはんとかまへたり。これを見る缺皿かけさらハ。さらたましひそはず。ふるへるまゝにふるへ。こはかなしさやるせなし。いつまでまもりつめるとも。はてしなしとや思ひけん。一頭いつひきおほかみしひせて。べつたりひらめに匍匐はらばへバ。又一頭いつひきがその上へ。次第しだい/\に跂累はひかさなり。その梯子はしご積上つみあげて。やうやく」上23 こずゑにちかつけバ。缺皿かけさら一枝ひとえだづゝ。うへへ/\と攣登よぢのぼりしが。はからずもひるたる。こずゑかたながさはり。すかながめてふかくよろこび。いましらずしてかたなある。しひにげのぼりしハ。神佛かみほとけみちびきなるべし。ちかづかバかなはぬまでも。きりはらはんとこしたばさみ。ふたゝびうへあぐれバ。むんじやりさはるハまさしくけもの。さてハうへにもおほかみあり。とてものがるゝみちなしと。なか/\にむねをすえ。くだんかたなを引ぬきて。あてえだきつおとせバ。どつさりもののおつるおとして。居多あまたおほかみ入乱いりみだれ。たがひかみあひいどみあひ。ほゆこゑいとかしましをもぬくべきいきほひなりしが。何とかしけん。紛々ふん/\」 と。みな東西とうざいにげうせて。松風まつかぜのみぞのこりける。かくてもしら/\とあけゆくころ。播州ばんしう佐用さよ山脇やまわき郷士ごうさむらひ廣岡ひろおか兵衛ひやうゑといふもの。所用しよようありて備中びつちう高瀬たかせおもむきしかへるさ。この所をとほりかゝりしが。と見れバしひのもとに。居多あまたおほかみくひころされ。あるひハ引裂ひきさかれてしたるに。こずゑを見れバ十四五才の女子をなごえだすがりまなことぢたゞ忙然ばうぜんたるさまなれバ。大におどろきあやしみつゝ。従者ともびと下知げぢして。女子をなごこずゑより扶卸たすけおろさせ。さま%\いたはりてそのゆゑとへバ。缺皿かけさらやうやく人ごゝちつきて。ありし事ども物がたるにぞ。兵衛ひやうゑふかくあはれみて。まことに御身ハいのち上24 めでたき女子をなごぞかし。思はずもかたなかゝりし。しひこずゑ迯登にげのぼりしハ。これ運命うんめいつきざるところ也。思ふに。またなるけものくまなるべし。くまなつよりあきあひだうへすむものにて。その熊棚くまだなといふ。かのくま御身にえだきりおとされ。一時いちじいかりじやうじて居多あまたおほかみを引さきつるが。やがて御身の僥倖しあはせとなりぬ。いざ給へ。いへおくりとゞけんといへハ。缺皿かけさらこたへて。かくめぐみかうむりて。介抱かいほうにあひまゐらする事。身にあまりてよろこばし。さりながら悪人あくにんにもせよ。眼前まのあたりおほかみおほ叔父をぢべん四郎を啖殺くひころされ。わが身ひとりいへにかへらんも面目めんぼくなし。もとこれはゝにくまれて。いへおひられたる事なれバ。たゞいさぎよ自害じがいして。はゝこゝろを」 やすむるこそ。たるものゝまことなれ。なまじいに身のよしあしをあかすときハ。はゝ悪事あくじあかすにひとし。南無阿弥陀佛なむあみだぶつといひもあへず。かたな咽喉のんどつきたてんとするを。兵衛ひやうゑばやくおしとゞめ。あくまで強顔つれなき継母まゝはゝに。孝心こうしんをたてとほし。身をころさんと思ひつめしハ。たぐひすくなき孝女こうぢよ也。いまいのちわれあづけ。身の落着らくぢやくをもおもひはからバ。われ又あしくハはからはじ。とさま%\にいひこしらへ。かゝせ來りし行橋たびのりものに。缺皿かけさら扶乗たすけのせ。つひ播州ばんしうともなひかへり。まづ下女げぢよのごとくにして召仕めしつかひしかバ。缺皿かけさらも又再生さいせいおんかんじ。こゝろつくして奉公ほうこうせり。

盆石皿山記前編上上25終

 

盆石皿山記ぼんせきさらやまのき前編ぜんへん

曲亭主人述
  

  [第四 あやしの有身はらこもり

さても落穂おちほハ。あけのちべん四郎が宇那堤うなでもりにて。おほかみにやくはれけん。くびのみありしとて。里人さとびとがもて來て備由ことのよしつげしかバ。うちおどろきつゝも。缺皿かけさらももろともに。くはれつらんと推量すいりやうし。べん四郎がくびをバてらおくりてうづめさせ。源七にしか%\の物がたりしていふやう。べん四郎どの。日來ひごろ悪事あくじしたらずして。缺皿かけさら盗出ぬすみいだし。きみ傾城けいせい賣代うりしろなさんとや思ひけん。〓昔ゆふべともなひ出たるを。わらはもねふてしらざりしが。目今たゞいま叔父をぢ缺皿かけさらも。宇那堤うなでもりにて。おほかみ啖殺くひころされし。とつぐるものあり。さていたまし」 きハ缺皿かけさら也。そも何とせんと泣声なきこゑになりてかき口説くどけバ。源七あへておどろきもせず。されバとてしたるものが。又いくべきにもあらず。といひてかなし氣色けしきもあらざれバ。了得さすが落穂をちほあきはてかほうちまもりつゝくちとぢたるがしばらくしていふやう。けふ國守こくしゆより缺皿かけさらむかひし給ふとも。そのひとなけれバいひわけせんもむづかしかるべし。わらはが思ふハ。紅皿べにさら缺皿かけさらにしておくりやらバ。事故ことゆゑなくおさまることもありなん。この事いかゞ思ひ給ふととふ。源七點頭うなつきて。かゝる事ハわれにとふまでもなし。とかく御身がこゝろまかせにはからひ給へとこたへけるにぞ。落穂おちほよろこびて俄頃にはか衣服いふくなどとゝのへ。紅皿べにさら摺磨すりみがきて。はなやかに打扮いでたゝせ。むかひおそしとまつ程に。一挺いつてう轎子のりものを」下1 らせ。若黨わかたう四五人さしそひて。國守こくしゆおふせとして。缺皿かけさらむかひにきたれり。とく/\と案内あないすれバ。落穂おちほ出むかへて。さま%\饗應もてなし。やがて紅皿べにさらを引あはすれハ。若黨わかたうこれを缺皿かけさら也とこゝろえ。轎子のりものへかきのせて津山つやま旅舘りよくわんへ立かへり。缺皿かけさらまゐりぬと申せバ。赤松あかまつ殿どの早速さつそく召出めしいだして見給ふに。その容止かほばせすこしはたるやうなれど。きのふ見給ひつる缺皿かけさらにハあらず。こハこゝろえずとおぼして。きびし縁由ことのよしとはせ給ふに。紅皿べにさら大に迷惑めいわくし。しばらくハちんじけるが。とひつめられてせんかたなく。はゝ落穂おちほ悪心あくしんにて。缺皿かけさらひうしなひ。わらはを缺皿かけさら也といつはりてまゐらせたり。と件々いち/\申上し程に。義則よしのり大にいかり給ひ。源七ハわが領分りやうぶんにありながら。われをあなどりていつわりを」 おこなふこそ安からね。いそぎ召捕めしとりたるべし。ともつてほかいきどほり給へハ。逸雄はやりを若侍わかさむらひうけ給はるといひもはてず。身拵みごしらへしてはしゆき。源七落穂おちほおつとりまき國守こくしゆ赤松あかまつ殿どの御諚ごじよふなり。いざまゐり候へとよばゝりて。引立んとする所を。源七はやくをかはし。さきにすゝみし二人ふたり捕手とりてに。もんどりうたせて投退なげのくれバ。こハくちをしと居多あまたさむらひ。われくみとめんとひしめくを。ほとりへもよせつけずあるひたふし突仆つきたふす。電光でんくわう石火せきくわ早技はやわざに。とりにがしなバかひなしと。に/\かたなぬきはなし。透間すきまもなくきつてかゝれバ。落穂おちほあはてをうしなひ。迯廻にげまは〓害わきばらへ。刀尖きつさきそれきりこまれ。うんとたふるゝ深手ふかで鮮血ちしほ。源七がひざかゝると見えしが。あやしいかなその形状かたち忽地たちまち一角いつかくくしか下2へんじ。ゑんよりには飛越とびこへて。往方ゆくへもしらずなりにけり。大勢おほぜい捕手とりてこれを見て。かつおどろかつあやしみ。忙然ばうぜんとしてありけるが。これたゞ事にあらずとて。まづ落穂おちほ引起ひきおこして。その痍口きずくちをあらためみれバ。懐[月壬]くわいにんしてすでに月をかさねしとおぼしく。胎内たいないなかばうまれ出けるが。そのかたち人間にんげんにハあらずして。いろあを鹿しかなれば。ます/\あやしみ。片息かたいきなる落穂おちはいたせ。津山つやまへつれかへりて。かくとつげまゐらすれハ。義則よしのりはなはだ不審いぶかり給ひ。さいは落穂おちぼいまたなであれバとて。縁故ことのもと糺明きうめいさせ給ふに。はじめハ身を」

挿絵

〈挿絵第五図〉下3はぢて。とかくいひかねけるを。いはすハ紅皿べにさらをもころすべしとあるにぜひなく。をつと源七が。塩垂山しほたるやまとしめじかたりし事。そのゝち源七いへして又立かへりし事。わが身の悪心あくしんにて。夲妻ほんさい晩稲おしねあざむころし。又叔父をぢべん四郎を相語かたらひて。缺皿かけさらおひうしなはんとせしちうにて。べん四郎も缺皿かけさらも。おほかみくはれしなるべしと思ふ事。くるしきいきした白状はくでうす。義則よしのりきこめして。しかれバその牡鹿をじかあだむくはため。おのれ源七とばけて。かれつまはづかしめ。すべて一族いちぞくわざはひせんとはかりしならん。これしかしながら落穂おちほ悪心あくしん天罸てんばつにて。畜生ちくせうはらみ死耻しにはぢをさらす事。因果いんぐわ覿面てきめん道理ことわり也。世のらしに。胎内たいない下4さしころし。落穂おちはとゝもに大路おほぢさらすべしとおふせありて。かたのごとくおこな〔は〕れしに。落穂おちほハます/\つうたへず。そのうちに。くるじににぞしたりける。義則よしのりのたまひけるハ。紅皿べにさら事。その心はゝおとらず。現在げんざいあねしへたげて。ひとり富貴ふうきをおもへるハ。人倫じんりん所爲しよゐにあらず。かれをバそのまゝはなつべしと仰付おふせつけられて。つぎの日白昼はくちうはらはる。紅皿べにさらハこの日來ひごろわがまゝ氣隨きずい生育おひたちしに。はゝおくいへをうしなひ。つながふねのよるべなく。なみだうしほそでにみちて。往方ゆくへさだめ吟呻さまよひける。おや因果いんぐわが子にむくふ。世の常吉ことわざむべ〔ママ〕なるかな。これハさておき。」 廣岡ひろおか兵衞ひやうゑハ。缺皿かけさら播磨はりまともなひかへりしより。すで三年みとせの月日をて。缺皿かけさら十六才のはるをむかへ。いよ/\まめやかに奉公ほうこうす。しかるに兵衞ひやうゑすまひする。山脇やまわききたのかた。おく長谷はせといふ深山しんざんに。山神廟やまのかみのほこらあり。廟内びやうないすこぶるひろけれども。とし/\にあれはてゝ。月とあめのみもるのきの。かたぶくまでに上久かみさびしが。このほこらへよな/\異形ゐぎやうのものあつまりて。拍子ひやうしおもしろく踊遊おどりあそぶといふ事を。このころもつはら風聞ふうぶんせしかバ。兵衞ひやうゑつたきゝて。わがむほとりの山を。妖怪ようくわいすみかとせんも夲意ほんゐならず。ひそかに退治たいぢせばやとおもひ。弓馬きうばわざ達者たつしや也。勇氣ゆうきも又人にすぐれたれバ。下5 ないのものにもしらせずして。一夕あるゆふへ弓矢ゆみや手挟たばさみて。只ひとりおく長谷はせいたり。かのほこら通夜つやして。妖怪ようくわいいづるをまつに。深々しん/\ふけまさり。とほてら/\のかねおとづれて。丑三うしみつころとおぼしきに。居多あまた松明たいまつをふりてらしてるものあり。これこそへんごさんなれ。と身構みかまへせしが。きつ思案しあんしてはりうへ攣登よぢのぼり。姿すかたをかくしてこれをまつに。程なくどや/\とうちに入るを見れバ。いづれもかしらつの一ッありてその面長つらながし。このうちに大将たいせうと見えて。一岌ひとかさ大きやかなる妖怪ようくわい上座じようさ無手むずおしなほれバ。のこるハゆう列坐ゐながれたり。時にへん大将たいせうのいふやう。むかし木村きむら源七に。わがつまころ」 され。その無念むねん骨髄こつずいてつし。年來としごろうらみむくはんとねらひしに。源七ハ勿論もちろんつまてかけみさほたゞしく。いさゝかあやまちなけれハ。そのひまうかゞふ事かなはざりしに。落穂おちほうみ紅皿べにさらハ。その才智さいち缺皿かけさらおよばず。生育おひたつまゝに世の人も。缺皿かけさらのみをほむるによつて。落穂おちほすこしくねたみの心をせうじたり。われこのきよじやうじ。神通じんつうをもつて源七に。つまてかけたがひ咒咀のろひころすていを見せしかバ。かれ忽地たちまち無常むじやうくわんじて妻子さいしすてたり。こゝにおいていよ/\落穂おちほ悪心あくしんつのらせ。夲妻ほんさい晩稲おしねをころさせて。缺皿かけさらうきめを見せ。われ又源七とばけ落穂おちはみごもらせ。つひ缺皿かけさらをもひうしなひて。その一家いつけころつくさんとした」下6 りしも。はからず國主こくしゆ武徳ぶとくによりて。わが姿すがたを見あらはされ。あまつさへわがをもころされたり。さるあひだ。源七が女児むすめ缺皿かけさら當國たうごく山脇やまわきにあれバ。まづこれをころしてのち。源七紅皿べにさらをもみなごろしにし。かさなるうらみきよめんとおもふ也。おの/\いかゞこゝろえ給ふといへバ。みなこゑそろへて。しかるべしとこたふ。兵衞ひやうゑこれをきゝすまして。かりまた征矢そや拔出ぬきいだし。十二そく三伏みつぶせわするゝばかり引しぼり。くだんおほ妖怪ばけもの真中たゞなかをねらひつゝ。矢声やこゑたか[弓票]ひやうはなせバ。燈火ともしび一度いちどにはつときえ變化へんげハ見えずなりにけり。兵衞ひやうゑやがてはりよりおりたち。用意ようゐ松明たいまつに火をうつして。ほこら隅々すみ/\を見れバ。鮮血ちしほすこししたゝりて。けもの尻尾しりをあり。そのさまうし毛色けいろあをし。さてハかの妖怪ようくわいハ。としくしかなるべきが。われにられて迯亡にけうせしとおぼえたり。むかし唐山もろこし淮南わいなん陣氏ちんし〔ママ〕といふもの。に出て二人ふたり女子をなごにあふ。あめふれどもそのころも湿うるほはず。陣氏ちんし〔ママ〕あやしみ。かゞみてらしてこれを見れバ鹿しかなり。すなはちかたなをもつてらんとするに。かたちえずなりぬとかや。又わがちやうにハみなもと経基つねもとおほきみ内裡おほうちたけおほしかはしり入り。天子てんしおびやかたてまつりしを。忽地たちまちころし給へり。しかれバ和漢わかんに。鹿しか妖怪ようくわいある事ためしなきにあらず。をしいかな今の鹿しかはづかにそのきりはしらせたる事よとひとりごとし。天明しのゝめのころかのたづさへいへに立かえり。つま小舟をぶねにありし事ども」下7 物がたれバ。小舟をぶねおどろきてをつと武勇ぶゆうかんじ。そのつゝがなきをよろこべり。この時缺皿かけさらハ。つぎにて。主人しゆじんはなしをもれきゝはしり出ていふやう。只今のたまひしをくに。父母ふぼ兄弟はらからはても。みなかの鹿しかむくひ〔ひ〕ならバ。ちゝいもとくるしめずと。わが身ひとりをとりころし。うらみをはらしてくれよかし。と前後ぜんごかくなげくにぞ。兵衞ひゆうゑ夫妻ふうふさま%\にいひこしらへ。なんぢなげきさる事なれど。因果いんぐわまぬかれがたきをいかにせん。ことさらちゝ源七も。なほにありとおぼゆれバ。それをこゝろ便たつきにして。ふかくうれふることなかれ。かゝる事を人しらバ。父母ふぼはぢをますにたり。あなかしこかの鹿しかがいひし事。傍輩ほうばいにもかたるべ」 からずといひをしゆれバ。缺皿かけさらもげにと思ひて。やうやくなみだをとゞめける。そのゝち兵衞ひやうゑハわが武勇ぶゆうしめさんためかの鹿しかを。かたな尻鞘しりさやつくり。つねにこれをおびて身をはなすことなし。そも/\この廣岡ひろおか兵衞ひやうゑちゝハ。もと雲州うんしう浪人ろうにんにて。外戚はゝかた所縁しよえんより。この山脇やまわき郷士ごうさむらひとなりて。いま二代におよべとも。赤松あかまつつかふ〔ふ〕るにもあらず。されど兵衞ひやうゑ武勇ぶゆう。日をおつ國中こくちうをしられ。國主こくしゆ義則よしのり然望こんぼう〔ママ〕のあまり。今茲ことし四月のころより。たび/\めされし程に。兵衞ひやうゑはじめて出仕しゆつしして。武藝ぶげい古實こじつなど申上しかバ。赤松あかまつ殿とのいよ/\あいし給ひ。そのゝちをり/\めされしに。ある時義則よしのり下8 ゆう一連いちれん数珠ずゞあり。兵衞ひやうゑ不審いぶかりてそのゆゑたづね申せバ。義則よしのりこたへて。この数珠すゞハ。美作國みまさかのくに稲岡いなおかせう誕生寺たんじやうじむくきり〔り〕つくれるものにして。わがちゝ律師りつし則祐そくゆうつねえりかけ出陣しゆつぢんし。数度すど武功ぶこうをあらはし給へり。よりてこの数珠ずゞわがいへにてハ。もつとも秘蔵ひさう重器ちゆうきなりとかたり給へバ。兵衞ひやうゑもかねて則祐そくゆう武勇ぶゆうしたひしかバ。くちにこそいはね。何となくほしげなるを。義則よしのりはやくすいして。尋常よのつね器物きぶつならバ。かれあたふるともをしむらねど。この数珠すゞのみハそののぞみをかなへがたし。とこゝろの中に應答うけこたへして。さらぬていにておはしける。」

   [第五 ひらさら

ときすでに六月炎暑ゑんしよこうにもなりけるが。廣岡ひろおか兵衞ひやうゑいへに。もちつたへたるさらまいあり。これ異朝もろこし後周ごしう柴世宗さいせいそうぎよ青磁せいぢにて。

  雨 過 青 天 雲 破 處あめせいてんをすぎてくもやぶるところ  這般しやはんの○コノヤウナル顔 色 做 將 来がんしよくもちきたるをなせ

といふ二しるしたれバ。世にまれなる陶器すへものなりとて。これを愛玩あいぐわんする事たまのごとし。もし奴婢ぬひあやまつてこのさら打碎うちくだくものあるときハ。そのつみ。人をころすにひとしく。忽地たちまちくびはねらるべし。と先祖せんぞよりいへおきてをたてたりける。かゝる秘蔵ひさう下9さらなれバ。生平つねにハとり出すこともなく。としに只いち土用どようかぜあてるのみ。よりてこれをとりあつかふもの。こゝろきゝたるにあらねバゆだねず。缺皿かけさらハそのせいしづかなる女子をなこにて。このにんたへたるもの也とて。今茲ことしかのさら出納だしいれをまかせしかバ。一日あるひ缺皿かけさらこれをぬぐひおさむる時。なつの日のならひにて。さしもの晴天せいてん見るうちにかきくもり。ゆふたちさつと降出ふりいだして。一声ひとこゑかみなりいたゞきの上へおつるばかりになりわたれバ。缺皿かけさらはつおそれて。思はずにもつさらをとりおとし。忽地たちまち微塵みぢん打碎うちくだきぬ。こハあさまし何とせんと慌忙あはてふためき。そのかけをひろひつゝ。つぎあはせてもまとま」 らぬ。のおさまりをあんじやり。周章しうせう大かたならざれば。傍輩ほうばい下女げちよ會合つどひて。あら笑止せうしや。御身このまゝあるときハ。つひいのちをとらるべし。はやく迯去にげさり給へかし。とく/\とせりたつれど。缺皿かけさらハなほ泣沈なきしづみ。はか%\しく回答いらへもせず。このこゑをもれきゝてや。臺所だいところにてまきわりてありし。奴隷しもべ勇蔵ゆうざうといふもの。薪割まきわり引提ひきさげつゝこゝに來て。缺皿かけさらかたはらにどつかとし。われつら/\思ふに。このさらのあらんかぎりハ。いへ罪人つみんどたゆべからず。一枚いちまいくだいころさるゝも。十まいくだいいのちをとらるゝも。そのつみハひとつ也。われ今のこ九枚くまいをも」下10 打碎うちくだき。以後いごうれひたつべしといひもあへず。かの薪割まきわりをふりあげて。はつしとうてくだんさらくだけ四方しほう飛散とびちつたり。こハ何事ぞと缺皿かけさらも。下女げぢよ一齊ひとしくおどろきさはぎ。狂氣きやうきやしたる勇蔵ゆうざう殿どのあやまちしてもいひわけの。ならぬおきてとしりながら。われからもとめてくだきしハ。としわかいあきて。はやくしにたいねがひかや。いとおぼつかなし短氣たんきなり。とみな口々くち/\にさゞめけバ。勇蔵ゆうざうすこしもおそるゝいろなく。さらのこらずくだくからハ。ころさるゝハかくのまへ。わが一命いちめいなげうつて。のち罪人つみんどあらせじとはかる事。いへため主人しゆじんため。又このいへ奉行ほうこうする。下男げなん下女げぢよ」 の爲なれバ。いのちハさら/\をしからず。とことばすゞしくいひはなす。浩處かゝるところ主人しゆじん兵衞ひやうゑ城中じやうちうよりかへり來て。この光景ありさまおどろいかり。まづそのゆゑ糺明きうめいするに。勇蔵ゆうさうはゞかところなく。缺皿かけさらあやまちわが所存しよそんつまびらかに申せしかバ。兵衞ひやうゑます/\いきどほりて。勇蔵をしばし白眼にらみなんぢ幼少ようせうより召仕めしつかふかひもなき。不忠ふちう不義ふぎ愚者しれもの也。あやまつ打碎うちくだくさへ。ころすべきにさだめおくを。みづからくだいしゆうあなどるこそ安からね。以後いごこらし両人とも。覚期かくごせよとのゝしりつゝ。缺皿かけさらと勇蔵を。高手たかて小手こていましめて。にはまつつなぎとめ。なほのゝしりて」下11 いふやう渠奴きやつら等ハ今夜こんやすはせ。思ふまゝくる〔し〕めて。そののち空井からゐ投下なげくだし。生埋いきうづめになしくれん。もしにがしなバ汝等なんぢらも。同罪どうざいなるぞといひわたし。一室ひとまに入休足きうそくせり。兵衛ひやうゑにはから井戸ゐどといふハ。もとめてほりしものにあらず。むかしよりこのあなありしを。便すなはち物数奇ものずきにて。井戸ゐどのごとくせしものにて。たえてそのふかさをしらず。日毎ひごとあくた掃入はきいるれど。つひうまりし事もなきに。かの二人今宵こよひそのうちなげこまれなバ。いきなから捺落ならくそこおちいるにことならず。とつま小舟をぶねもふかくあはれみ。侍児こしもとはしたもろともに。いたましくハ思ヘども。主人しゆじんいかりつよけれバ。いひ」 なだめんとするものもなく。うちこそりつゝさゝやきあひぬ。かくてそのくれすぎて。あめはれても身ハはれぬ。こゝろぐらき木下こしたやみはだやぶさゝれても。はらはんさへかなはねバ。おなじ縲絏なはめもわれゆゑに。つながつみのよしなやと。缺皿かけさら勇蔵を見かへりて。御身すぢなきわざをなし。みづから非命ひめいしゝ給ふも。過世すくせ悪因あくいんなるべけれど。かねてわらはとわけありて。方人かたうどやし給ひし。と人に思はれんもいとくちをし。今ハこの世のおもひでに。夲心ほんしんあかし給へといへば。 勇蔵莞然につことうちえみて。われハもと雲州うんしう富田とみた城主じやうしゆ塩谷ゑんや駿河するがのかみ師高もろたか家臣いへのこに。木村きむら源七けんしちが」下12 おひ同苗どうみやう三重之みへのすけといひしものにて。師高もろたか滅亡めつぼうときハ。はづか七才なりしが。叔父をぢ源七にともなはれ。富田とみたしろおちゆく折しも。乱軍らんぐんへだてられ。ひとり彼此をちこち吟呻さまよひありきしに。伯耆はうき黒坂くろさかにて。せん主人しゆじん左膳さぜんさまたすけられ。年來としごろ養育よういくも。郎君わかとの兵衛ひやうゑ様もろともに。武藝ぶげい稽古けいこ讀書よみかき算法さんほう下郎げらうにハ相應さうおうゆみの引やう太刀たちぬくすべまで。習得ならひえたりし鴻恩こうおんを。思ふにつけてあさましや。このいへおきてとて。さらくだけハその人の。いのちをとるとハ氣疎けうと成敗せいばい播州ばんしう皿屋敷さらやしきと。うたはるゝくちをしさ。子孫しそん長久ちやうきうもとひに」

挿絵

〈挿絵第六図〉下13」 あらず。何とぞ家法かほうをたてなほさんと。忠義ちうぎこつたる心から。日來ひごろねがひけふの今。わが身をすつ陰徳いんとくに。主家しゆうか繁昌はんぜうあらせたさ。さてこそかくハなしたれと。かたれバ缺皿かけさら大におどろき。さてハかねて聞及きゝおよぶ。三重之みへのすけとハ御身よな。わらはすなはち源七が。女児むすめにて候ぞや。ちゝはてわがうへの。はじめをいへバ如此しか%\也。をはりをかたれバかやう/\。とはなしつきゝ従弟いとこどち。たがい縲絏なはめ對面だいめん。しらぬ事とてこの年月としつき。ひとつ第宅やしきにありなから。あかしあはねハしりもせず。今般いまはきは名告なのりあふ。げにも親身しんみなきよりぞと。」下14 ともにかこつもあはれ也。されバなつ夜明よあけやすく。こずゑせみこゑするに。下女げぢよはしためをさまし。雨戸あまどくりつゝにはを見れバ。缺皿かけさら勇蔵ハ。の中から井戸ゐどなげ入れられしとおぼしくて。女のかみところ%\にみだり何となくすさまじけれバ。思はず襟元えりもとぞつとして。はしり入らんとする折しも。居多あまた捕手とりて乱入らんにうし。とつた/\とひしめけバ。兵衛ひやうゑ臥房ふしどよりはしり出。こハ狼籍ろうぜき推参すいさん也。何のつみありて。かくごめにハなし給ふ。といひもあへぬに。物頭ものがしら狛野こまの靱屓ゆきへすゝみ出。つみなきものを召捕めしとるべきか。前夜ぜんや相公との寐所しんじよへ。何」 ものともしれずしのび入り。さう数珠ずゞぬすみ迯去にげさる時。義則よしのりいざとくおはしませバ。むつくとおきてやり引提ひきさげのがすまじとおひ給ふに。かのぞく迯足にげあしはやくして。築垣ついがき飛越とびこえつゝ。往方ゆくへなくにげうせし。あとのこるハこの尻鞘しりさやくしかをもつてつくるところ。さだめ件々いち/\おぼえあらん。しかのみならず。へんかの数珠ずゞ懇望こんぼうする事。相公とのにもすいしましませは。盗賊とうぞくとはずとも。廣岡ひろおか兵衛ひやうゑうたがひ〔ひ〕なし。いそぎ召捕めしとまゐれとある。御諚ごぢやうによつてむかふたり。と縁由ことわけく程不審いぶかしく。疇昔ゆふべまでありつる尻鞘しりさや。いつの程にか赤松あかまつ殿どのの。しん下15 じよちかくハ。がもてゆきし。と思ふにます/\うたがひまどひ。しばし回答いらへもなかりける。狛野こまの靱屓ゆきへ焦燥いらち。いひわけあらバ城中じやうちうにて。みづから仔細しさいを申されよ。といひつゝきつ注目めくはせすれバ。大勢おほぜいおちあひ兵衞ひやうゑなはをかけ。おつとりかこんで引ゆけバ。つま小舟をぶねまろびいで。こハそも何のむくひぞと。あくがれなげくをなんぢよ。さま%\にいひこしらへ。やうやく套房なんどともなひ入れぬ。されバ家内かないの物思ひに。なつの日いとゞおそくれて。さめそぼ/\とふり出し。風もあらたすゞやか也。ふけゆくかねかずそひて。いと物凄ものすごにはおもぶハほたる誰魂たがたまかと。見る井戸ゐどより一團いちだんの。燐火おにび陰々いん/\燃上もえあがり。缺皿かけさらがありし世の。姿すがたかはらずあらはれ出。さもくるしげなるこはにて。くだんさらをかぞへける。一ッひとりか二人ふたり最期さいご。三ッみなになきたまの。ふかくしづみつゝいつッ。ッのちまたまよて。なゝッとハ丑三うしみつとき。九ッこゑもかれ%\に。とをといひつゝわつとなく姿すがたこゑもおぼろけに。見る人きもひやしけり。かくのごとくなる事ごとにして。この沙汰さた世上せじようたかきこえ。かの播州ばんしうさら屋敷やしき幽霊ゆうれい井戸ゐどといひつたへ。かたりつたへたりけれバ。兵衞ひやうゑつまます/\かなしくて。おつとりよわざはひにて。禁獄きんごくせられいのちあやうき事。みなこれ缺皿かけさら勇蔵ゆうざうころし給ひしたゝり下16 ならん。せめてなきあととふらひなバ。その功徳くどくにてをつといのちたすかる事もやとて。一日あるひ横坂よこさか圓應ゑんおう参詣さんけいし。ぢう對面たいめんして。怨霊おんれう得脱とくだつの事をたのみきこえ。すでに立かへらんとせしに。このてら門前もんぜんにて。おもひもかけず缺皿かけさら勇蔵にゆきあふたり。小舟をぶねハこれ幽霊ゆうれいならめと見てけれバ。あゝとばかりにうちおどろないはしり入らんとする。そでをひかへてかの二人ふたりハ。こゑひとしくして申やう。縁故ことのもとをしろしめさねバ。うたがひ給ふも道理ことわり也。われ/\そのころさるべしと思ひきはめしに。夜更よふけしづまりてのち兵衛ひやうゑさまひそかににはにたち出給ひ。わが先祖せんぞよりさだめたる家法かほうとハいひ」 ながら。さら一枚いちまいゆゑをもつて。人のいのちをとらん事。不じんとやいはんどうとやせん。しかるに名詮自性みやうせんじせうことわりにて。缺皿かけさら女子をなごに。かのさらをとりあつかはせしハ。これ缺損かけそんずべき前表ぜんひやうなり。又勇蔵がいへを思ひ。しゆうを思ひて。のこまいこと%\打碎うちくだきしハ。たぐひまれなる大丈夫だいじやうぶせうするになほあまりあり。さりながら。いま明白あからさまに二人をたすけ〔な〕バ。先祖せんぞおきてやぶるにたり。さらさへいへになくならバ。かさねてつみする人もなく。非法ひほうもこゝに事はてて。おきても今よりようなけれバ。わがよろ〔こ〕びこれにます事なし。汝等なんぢらはやく立退たちのきて。時節じせつをまちて帰参きさんせよ。いのちがはりの成敗せいばいぞ。とおふせはてず」下17 二人ふたりもとゞりかたなぬいてかききり給ひ。いましめなは解釋ときゆるして。あまつさへようの金子。十両を給はりしかバ。たゞこれゆめのこゝちして。ふかく主君しゆくん恩恵めぐみかんじ。二人もろともに宅地やしき立退たちのきあけて五六おちのびしに。みちにてきけ兵衛ひやうゑ様にハ。そのあさりよ召捕めしとられ。禁獄きんごくせられ給ひし。といふハ実事まことかおぼつかなしと。立かへりつゝよく/\きくに。そのうはさ虚言そらごとならず。何とぞ先途せんどを見とゞけて。再生さいせいおんほうたてまつるべくおもひさだめ。この横坂よこさか住家すみかをもとめ。圓應寺ゑんおうじ本尊ほんぞんハ。霊験れいげん掲焉いちじるし聞及きゝおよべハ。二人ごとにこゝにまうで主君しゆくん厄難やくなんすくはせ給へ。とねん」 ずるほかハ候はず。とかたれバ小舟をぶねハいよ/\不審いぶかり。わがをつとなさけにて。御身両人いのちたすかりしといふ事。さらまこととも思はれず。そのゆゑハ。缺皿かけさら幽魂ゆうこんかのから井戸ゐどよりな/\あらはれ。くだけしさらをかぞふるこゑきゝたるもあり。見たるもあり。その怨霊おんれうしづめために。わらはも御寺みてらまゐりし。といひきかするに缺皿かけさらハ。思はず襟元えりもとぞつとして。しばし疑念ぎねんはれざりける。勇蔵やゝ沈吟しあんして。何條なんでうさる事候べき。孤狸きつねたぬきがそのきよじやうじて。人をたぶらかすわざくれにこそ。それがし今宵こよひうかゞひて。性体せうたい見とゞけ候べしと申けれバ。ぶねもこれにしたがひて。たがいにその暗号あいづさだめ。主従しゆうじう内外うちとわかれ」下18 りぬ。さる程に勇蔵ハ。かの妖怪ようくわい為止しとめんとて。そのふけ兵衛ひやうゑにはしのゆき築山つきやまかげがくれてこれをまてバ。きゝしにたがは缺皿かけさら姿すがたからもとよりあらはれ出れハ。勇蔵しか見定みさだめて。用意ようゐ手裏しゆりけん拔出ぬきいだし。はつしとうてごたへし。忽地たちまち井戸ゐどおちいりしが。一反ひとはねはねておどいづるを。勇蔵透間すきまもなくはしかゝり。十刀とかたなあまりさしとほせバ。さしもの化精けしようよはりはて。やうやくいきたえはてたり。家内かない男女なんちよこの胖響ものおとおどろきつゝ。に/\手燭てしよくとつはしり出。みな/\これを熟視よくみるに。缺皿かけさら幽霊ゆうれいとおもひしハ。つの一ッある鹿しかにして」

挿絵

〈挿絵第七図〉下19蒼毛あをきけまだらはへ。大さうしのごとく。ハなくしてくび一連いちれん数珠ずゞかけたり。これなんすぎはる兵衛ひやうゑおく長谷はせにて。きりくしかなるべきが。そのあたむくはんとて。兵衞ひやうゑばけかの数珠ずゞ盗去ぬすみさり兵衞ひやうゑかたな尻鞘しりさやのこしとゞめて。つみおとさんとハなせしならん。とみな/\はじめてさとりつ。ふかく勇蔵を賞美せうびせり。さて勇蔵ハ。このくしか人夫にんぶかゝせて城中じやうちうまゐり。兵衛ひやうゑつみなき事。件々いち/\申上。すなはち数珠ずゞたてまつれバ義則よしのりおどろきよろこびて。早速さつそく兵衞ひやうゑ獄屋ごくやよりゆるいだし。只管ひたすら勇蔵が誠忠せいちうかんじ給へバ。兵衞ひやうゑつみなきあかりたちて。」下20 よろこびにたへず。くしか由來ゆらい缺皿かけさらが事。くはしく演説ゑんぜつせし程に。赤松あかまつ殿どのふたゝ驚嘆きやうたんあり。かの缺皿かけさらハ。前年せんねんおほかみくはれつるときゝたるが。さてハ年來としごろ兵衞ひやうゑいへやしな〔は〕れけるよな。いそぎ缺皿かけさら勇蔵をすべしとおふせありて。おんまへちかく召出めしいだされ。汝等なんぢらいま下賤げせん落下なりくだれども。そのこゝろ貴人きにんよりもしたはし。こと缺皿かけさらと勇蔵ハ。従弟いとこどち也ときく。われなかだちして夫婦ふうふとすべし。今より當家たうけ奉公ほうこうせよとおふせけれバ。両人うけ給〔り〕り。ありがたき御諚ごじやうにハ候へども。源七一旦いつたん家出いへでしてその存亡そんぼうをしらず。勇蔵がためにハ幼少ようせう養育よういく叔父をぢ也。かた/\もつて。二人が。いとまたまはり。源七紅皿べにさら往方ゆくへたづね」 今生こんじやう對面たいめんねがりなバ。その上ハまかりかへりて。御奉公ごほうこう仕り候べしと申上るにぞ。義則よしのります/\感心かんしんありて。路費ろよう百両をくだし給ひ。そのねがひにまかせ給ふに。兵衞ひやうゑ面目めんぼくにあまり。主従しゆうじうありがたしと御請おんうけ申て。やが御前ごぜん退しりぞきぬ。かの源七紅皿べにさらハ。今いづくにかよせたる。見る人。のちまきいづるをまちてしらん。

盆石皿山記前編下下21終

 

挿絵

挿絵

東都とうと飯台はんたいハ。下街したまちまへにして。山壇やまのてうしろにす。西方にしのかたとほのぞめハ。〓々こう/\たる士峯しほう皎々けう/\たる白雪はくせつながめ。南方みなみのかたちかかへりみれバ。渺々びやう/\たる東海とうかい瀞々せい/\たる緑波りよくはる。ひんがし天台てんだい靈山れいざんはいし。きた白馬はくば翠嶽すいがくあほぐこんにハ吉原よしはらそんにハ深川ふかゞはけん新駅しんじゆくこん不寝ねずにもぞくにも便たよりよき。かゝる勝地せうち一亭いつていあり。曲亭きよくていごうし。著作堂ちよさだうせうし。又簑笠さりつけん喚做よびなせり。そのなづくるところ三ッにして。そのむなぎハ一ッにこそ。主人しゆじん天禀てんりん滑稽こつけいちやうじ。」 しんにハ唯一ゆいち信言しんげんたうとみ。ぶつ夲来ほんらい空言くうげんむねとし。かの譬喩ひゆぼん種本たねほんハ。題目だいもくこうより融通とほりがよく。田夫でんふ山妻さんさい市井しせい童蒙どうもうひとたび著編ちよへんを見るときハ。たちまち春雨しゆんう睡眠すいみんさまし。はやく秋宵しうせう欝悶うつもんはらふ。かるがゆゑ先生せんせい戯号けごう國中こくちう洋縊よういつし。久方ひさかたそらおほふところ。あらかねのつちのす〔す〕るところ。天上玉帝てんとうさままもるところ。月天子おつきさまてらすところ。猪牙舩ちよきぶねのかよふところ。車子しやりきいたるところ。人のあゆむ所。霤吹しぶきのかゝるところ。およそあるもの称讃せうさんせざる事」跋1 なし。こゝをもて遠方ゑんほう賓客ひんかく近隣きんりん坊友ぼうゆう肉儿橋まないたばし下〓かひつちばししてハ。きりはらつとふ鶏明けいめいはやしとせず。著作堂ちよさだう臥龍ぐわりゆういほりなぞらへてハ。ゆきふみて來りて鵝毛がもうせず。嗚呼あゝたかいかな先生せんせいおほいなるかな先生せんせいさい。こゝろ尚古せうこにありて今俗こんぞくこととし。よく自己おのれしつつねはづいろあり。そのせい強記きやうき便敏べんびんにして。著述ちよじゆつ昼夜ちうやをすてず。おきてハしるふしてハよむ一篇いつへん作意さくゐはにぢりがき手簡てがみよりがるく。一帙いつちつ草藁さうこうハ。一旬いつしゆんを」 いでずしてなるたゞ先生せんせい滑稽こつけいと。戯編げへんとハまなべく。その強記きやうき強筆きやうひつとハ。一日いちにち真似まねがたし。これらハはづかじうが一さんしてだいすれども。そのことはなはだすぎたりとて。先生せんせいかつてゆるさねバ。ひそか書肆しよし相語かたらふて。みだり戯文けぶん一篇いつへんし。こゝにあがほとけたうとむものハ。

曲亭門人 嶺松亭琴我 [琴我]    
  [画工 一柳齋豊廣筆 [豊廣][哥川氏]]」跋2大尾

 

挿絵

丙寅  四天王剿盗異録してんわうせうとうゐろく  全十冊  勸善常世物語くわんぜんつねよものかたり  全五冊
發兌  三國一夜物語さんこくいちやものかたり  全五冊  新編水滸画傳しんへんすいこぐわでん  初編 十冊
曲亭  敵討誰也行燈かたきうちたそやあんどう  全二冊  盆石皿山記ぼんせきさらやまのき  前編 二冊
著述  ○盆石皿山記ぼんせきさらやまのき後編こうへん          来春追出
目録

○文化二年乙丑夏五月著述
○同 三 年 丙寅春正月發行

           江戸四谷傳馬町二丁目    
                     住吉屋政五郎梓奥付

 

盆石皿山記後編

【表紙】

表紙

【見返】

    曲亭馬琴戲作 今刊二冊

   盆石皿山記後編

    一柳齋豊廣畫 鳳來堂梓

 

叙

叙

【叙】

刊皿山記後編叙さらやまのきのちのへんをかんするじよ[雕窩]

去年こぞ早苗月さなへづきなかばにやありけん、鳳來堂はうらいだうもとめおうじて、皿山記さらやまのき二冊にさつつくれり、いまだ紙屋かみやいちくらをにぎはすにらねど、ひさくものゝためなきにしもあらず、よつて今茲ことしまたさつきのはじめより、この後編こうへんをものせよとて、こはるゝことしば/\也、かのさきはんせし二巻ふたまきは、もとすゑもはやわすれたるを、ふ」 たゝびうちひらきてよみくだち、俄頃にはか編次あみついで〔て〕全夲ぜんほんとす、さハ晋子しんしが、二夲にほんめは与市よいちもこまると口遊くちずさみし、あふぎかぜさへぬるき、なつくらしすゞりにむかひて、あせとゝもに絞出しぼりいだせる趣向しゆこうなれバ、おちかへりなく杜鵑ほとゝぎすならで、いつもはつのこゝちするはまれなるべく、後編こうへんいづれも前編ぜんへんに、不及しかずひとはいふめれど、彼岸ひがんざくらにほひうすく、芋名いもめい1 げつくもることおほし、しかれのちのながめこそ、はじめにもなほまされとて、ます/\この草紙さうしとこしなへおこなはれんことを、書肆ふみやためこひねがふのみ

 文化柔兆摂提格麦秋上浣

飯岱  曲亭馬琴重叙
[馬琴][著作堂]

 

〈後編目録〉

  後編目録こうへんもくろく
[第六 くしか皮〓かわしとね
[第七 大澤おほさは闇撃やみうち
[第八 因果いんぐわあしなべ
[第九 熊野路くまのぢつゆ
[第十 忠孝ちうこう世栄よのさかへ

通計つがう五箇ごかでう目録もくろくをはんぬ2

目録

〈口絵第一図〉

木村きむら三重之みへのすけ勇藏たけよし

ちごさくら 手折たをらばひと肩車かたくるま

口絵

〈口絵第二図〉

紅皿べにさら

なべしり かくまでゆきに としくれぬ」3

鹿しかつの まづうらかれの すがたかな

通紅つうこう寂靈じやくれい和尚おせう

口絵

〈口絵第四図〉                〈口絵第三図〉

 にしきたて故郷こきやうあきのやま                   皿山さらやま鉄山てつさん

   缺皿かけさら 重出かさねていだす」               かどへ おふむかへしの あつさかな」4

 

【再識】

前編ぜんへんさつのぶるところハ。木村きむら源七げんしちでん錦織にしごり郡司ぐんじこと晩稲おしね落穂おちぼ両婦りようふ善悪ぜんあく紅皿へにざら缺皿かけざら姉妹おとゝい邪正じやせう廣岡ひろおか兵衞ひやうゑ側隱そくいん赤松あかまつ義則よしのり仁慈じんぢ奴隷しもべ勇藏ゆうざう木村きむらうぢ小名をさなゝを|三重之みへのすけせうす〉誠忠せいちう鹽垂山しほたるやまくしか竒談きだん皿屋敷さらやしき古井ふるゐえんとうこれなり。それより以下いかいまゝたこゝにしるせり。いまだ前編ぜんへんよまざる人ハ。かならずまづかのさつけみし。しかしてこの後編こうへんをよみたもふべし。文辞ふんぢのいやしきハ。もと〓子はらはべためにして。せん自叙じじよとくごとし。かつ寸楮すんちよ ○サヽヤカナルカミ冊子さふし風情ふせいつくすことあたはず。されどながくてくた/\しくものせんにハまさる事もあらんかと也。」5

口絵

盆石皿山記ぼんせきさらやまのき後編こうへん

曲亭主人述  

  [第六 くしか皮〓かわしとね

赤松あかまつ上總介かづさのすけ義則よしのりハ。勇蔵ゆうざう缺皿かけさら忠義ちうぎによつて。たやすくしか妖怪ようくわい退治たいぢし。廣岡ひろおか兵衞ひやうゑため冤屈むじつのつみときて。その一家いつけつゝがなき事をたりしかバ。ふかく賞美せうびあつて。彼等かれらがねがひにまかせられ。木村きむら源七げんしち在処ありかたづねめぐれる路費ろようとして。きん百両ひやくりやうを給はり。こゝろざしとげたらんにハ。すみやかたちかへりて。奉公ほうこうすべきよしをおふせらる。さるほど勇藏ゆうざうハ。缺皿かけざらとゝもに行裝たびよそほひとゝのへ。赤松あかまつ殿どの御禮おんれいをまうし。兵衞ひやうゑ夫婦ふうふわかれつげて。ゆくへもさためず」 首途かどいでせり。これみな彼等かれら忠孝ちうこう天助てんじよによつて。主従しゆうじう一時いちじ面目めんもくほどこすとハいヘど。もし義則よしのり寛仁くわんじん大度たいと良將りやうせうおはさずハ。ありがたかるべき僥倖しあはせなり。こゝをもて廣岡ひろおか兵衞ひやうゑハ。國守こくしゆちとむくひをなしたてまつらばやとて。勇藏ゆうざうがうちとめたるくしかかはしとねつくらせ。これを義則よしのりけんじける。このしとねひろき事半席はんせきにあまり。も又やわらかにしてのみ退しりぞけこゝろまことたぐひなかりしほど赤松あかまつ殿とのふかくめでよろこび。常住しやうぢう坐臥ざぐわにはなち給ふことなし。ころしも文月ふつき上旬はじめつかたのことなるに。義則よしのりくだんしとねはしぢかうしかせて。には秋草あきくさをながめ給ふに。夕月ゆふつきくまなくいでて。ひよろ/\と白露しらつゆの。はぎ6ずゑにのぼれるなど。又ひとしほの風情ふぜいなれバ。すゞろをたちて。飛石とびいしつたひに彼此をちこち〓〓せうようし給へり。このとき義則よしのり嫡子ちやくし佐用丸さよまるとまうして。年才とし五ッになり給ふが。あとかはりて。かのしとねし給ひぬ。浩処かゝるところに今までよくはれたるそら俄頃にはか結陰かきくもりかぜさつとおろしほどこそあれ。しとね四隅よすみおのづからまきかへりて。佐用丸さよまるなかつゝみ。虚空こくうはるか飛揚ひようして。往方ゆくへもしらずなりけれバ。赤松あかまつ殿どのハさら也。かしづき老黨ろうだう乳母女おちめわらはなんど。おどろきさわぎて。弓矢ゆみや薙刀なぎなたたづさへ其処そこかこゝかとのゝしりあひ。只顧ひたすら散動どよめけども。雲居くもゐひらめのぼれるを。いかにともすべき」

挿絵

〈挿絵第一図〉7」 やうなし。遮莫さもあらバあれおつるところを見究みきはめよとて。城中じようちう城外じようがい野山のやまのきらひなく。通宵よもすがらたづねめぐれども。それかとおもふものも見えず。なほ海陸かいりくとなく。詰朝あけのあさより追人おつてをかけらるゝに。日ハいたずらにたちゆくのみにて。たえてそのおとづれきこえざりしほどに。義則よしのります/\いきどほりたへず。やすからぬ事かな。悪獣あくじういかばかり神通しんつうたれバとて。してはづかとゞめたる。たゞ一枚いちまいかわに。わがられし事。室町殿むろまちどの勿論もちろん隣國りんこく諸侯しよこうきかれんもおもぶせなり。こハ武運ぶうんにもつきしかとて。日毎ひごとくひしばり。蒼天あをそらをうちあほぎて。のゝしり給ふぞことはりなる。ましてや義則よしのり奥方おくがたハ。哀傷あいしやうそでさへかはかず。なきあかしなきくらし。あらふるしん8 ぶつ祈願きぐわんして。いま一たび佐用丸さよまるにあはせ給へとかこち給ひぬ。かゝりしほど廣岡ひろおか兵衞ひやうゑハ。此度こたびわざはひ。みなわがひとつのあやまち也と思へバ。いと影護うしろめたくて。ふかく引籠ひきこもりたりしが。つら/\縁故ことのもとかんがふるに。かのくしかあくまでしうねくして。死後しごなほたゝりをなせし事。唐山もろこしにもさるためしあり。太古たいこ大人たいじん女児むすめ馬皮うまのかわまかれてまたかゝり。女児むすめうまともろともに。かひこなりけるよしを。捜神記そうじんきのせたりしに。われこゝにこゝろつかずして。國守こくしゆわざはひをうつしながら。安然あんぜんとしてるべきいはれなしと思ひさだめ。やが赤松家あかまつけ老黨ろうだう狛野こまの靭屓ゆきゑにつきて申けるハ。佐用丸さよまるゆくへなくなり給ひし事。兵衞ひやうゑあやまちなり。させる」 とがめかうむらねど。そのつみハみづからしれり。しかれバ立地たちどころはらかきりて。つみあがなたてまつるべし。とハ思ひながら。兵衞ひやうゑしたりとて。若君わかぎみのかへり給ふにもあらず。たゞねかはくハわがくびをしばしわがむくろにあづけられ。いとまを給はらんにハ。高麗こま唐土もろこしはてまでもたづねめぐり。不幸ふこうにして落命らくめいあるとも。ほねひらひてたちかへり候べし。申ところいつはらざる証据せうこにハ。女房にようぼう小舩をぶね人質ひとじちとして。のこしおくべきにて候。あはれよきにしつし給はれかしとて。餘義よぎなきさまに申出しかバ。義則よしのり聞食きこしめして。今度こんどわざはひハ。かれ越度をちどにもあらず。ことのこゝにおよべるは。てんなりめいなり。われ頃日このごろあまた士卒しそつはしらせ。あまねたづねめぐら」9 せても。なは便たよりざるものを。かれ弥勇やたけに思ふとも。いとおぼつかなき事也かし。しかハあれ。兵衞ひやうゑ日來ひごろいさむもの也ときけり。もしきかずハ可惜あたら丈夫ますらをころさん。ともかくもかれがいふまゝになさせよとおふせける。兵衞ひやうゑむねうけて大によろこび。内室ないしつ小舩をぶねにハおいたる奴婢しもべをつけおきて。山脇やまわきのこしとゞめその團吉だんきちといふ下郎げらう一人をしたがへ。大和やまと河内かはちにハ深山みやまおほけれバ。まづこの両國ふたくにたづねばやとて。すで長旅ながたび用意よういをしつ。つひ播州ばんしう發足ほつそくせり。これハさておき紅皿へにざらハ。三年みとせ己前いぜん故郷ふるさと追放ついほうせられ。美作みまさか播磨はりまのうちにあしをとゞむる事をゆるされねバ。彼此をちこちさまよひて。つひ津國つのくにより大和路やまとぢまどいでて。待乳越まつちこえにかゝりける日。畠田はたけだのこなたより。戻馬もどりうまひきつゝ。旅人たびゞとまちがほなる馬士うまかたかれがひとりゆくを見て。こハ欠落かけおちもの也と思ひしかバ。あとになりさきにたち。仮初かりそめにものいひかけて。さま%\に勦慰いたはりなぐさめ。御身が疲労つかれたる形容ありさまを見るに。いといたまし。わがうまり給へ。いへともなひて今宵こよひハあるじせんといふ。しかれども紅皿べにざらハはやくその心をすいし。よきに回答いらへてとりあはず。かれをやりすぐさんと思ひて立在たゝずめハ。馬士うまかたまた停立たゝずみはしれバ人もうまももろともにはしるにぞ。いよ/\思ひなやめをりしも。ひと驟雨むらさめのさとふりて。忽地たちまちぼんくつがへすがごとくな」10 るに。馬士うまかたあはてふためきて。荷鞍にくらむすびつけたるかさをとらんとするに。あやにくにかぜにあふられて。とみにハひもとけやらず。紅皿べにざらハすハこのひまにとて。みち四五町はしぬけにけれど。あめハます/\ほどぬれたるきぬ手足てあしにまつはり。みちまたいたくぬめりて思ふまゝにハはしず。と見れバ路傍みちのべなる大榎おほえのきもとに。山神やまのかみ禿倉ほこらかとおぼしきがありけれバ。この軒下のきばにかくろひて。しばし晴間はれまをまつほどもあらせず。かの馬士うまかた漬〓どろまみれになりてたり。うまをバえのき繋畄つなぎとめつゝ。紅皿べにさら襟上えりかみつかみひきずりいだし。這奴こやつはなはだものをしらず。われハ慈眼ほとけのまなこをもて。なんぢがひとりゆくをあはれみ。わがうませ」 てわがいへともなはんといふを。あしうきけバこそ。にげかくれもすれ。そのならバすべきやうありとのゝしり。やがて紅皿べにざら手拭てのごひはませ。わりなくうませんとするところに。思ひもかけず禿倉ほこらうちより。三十餘歳みそぢあまり武士ぶしとびらをさと押開おしあけはしいで矢庭やには馬士うまかたかひなをとつて撲地はたなげつくれバ。こハくちをしとておきんとするを。かたなみねもてりうりうとうちすえ。此奴こやつにくむべし。つれのなき女子をなごあなどりて。かく理不盡りふじんなる所行わざをなすハ。勾引かどはかさんとの計較もくろみなるべし。 この街道かいどうにて。おり/\さる癖者くせものありときゝつるが。わがにかゝりてハゆるしがたし。観念くわんねんせよといひもあへず。ふたゝびかたなをふりあぐれバ。馬士うまかたわつさけび」11 て見かへるに。この人ハこれ二見ふたみ上野うへのあはひなる。犬飼いぬかひさとにて。錦織にしごり夘三二うさふじよばるゝ劍法けんじゆつ師匠しせうなれバ。おどろおそれて返答へんとうにもおよばず。うますておきて迯去にげさりけり。夘三二うさふじはるか目送みおくりて。から/\とうちわらひ。さて紅皿べにざらむかひていふやう。なんぢ為体ていたらくこのわたりのものともおぼえず。いかなるゆゑありて。とほまどきたるぞととへバ。紅皿べにざらこたへて。わらはは作州さくしう皿山さらやまなるものなるが。いかなるゆゑともしらず。親族うからやから俄頃にはかつみせられて。こと%\死亡しにうせ。わがくにさかひおはれて。まことによるべなきまゝに。そこはかとなく呻吟さまよひて。このところまでたりしに。かの馬士うまかたなさけを見せて。いへに」

挿絵

〈挿絵第二図〉12ともなはんといふ。こハまことこゝろもてしかいふにハあらず。すかしこしらへて妓院さとなどにらんとする底意したごゝろなりとおもひしかバ。むらさめ降出ふりいでたるをさいはひにして。只顧ひたすらはしぬけんといたせしに。かくはたさずしてすで難義なんぎにおよびしを。かくすくひ給はる事。再生さいせいおんいつの世にかわすはべらんといふ。夘三二うさふじ点頭うなづきて。さもこそあらめ。われ此禿倉ほこらはして。あまやどりせずハ。なんぢハかならず活地獄いけるぢごくおとさるべし。美作みまさかハわが故國ここくなるに。彼処かしこの人ときけバいとゞ見すつるにしのびがたしわがいへきたれ。よきにやしなさせんといふに。紅皿べにざらくらつきひかりを見るこゝちしつ。ともなはれて犬飼いぬかひいたりぬ。そも/\この錦織にしこり夘三二うさふじハ。みま13 作國さかのくに二宮にのみやむら郷士ごうし錦織にしこり郡司ぐんじおひ也。いと弱年わかきより義氣ぎきあるをとこにて。ひとたび郡司ぐんじやしなはれ。そのいへつぐべき人なりしに。養父ようふ郡司ぐんじつみありて。世帯せたい没収もつしゆせらるべしときこえたるころ。そのあやまちをわが引禀ひきうけ。みづからつみせられんことを申いでにけれバ。郡司ぐんじもいと便びんなく思ひて。あまた金銭きんせんをしまず。かれため命乞いのちごひせしほどにやうやく死刑しけいまぬかれて。故郷ふるさと追放おひはなさる。しかりしより夘三二うさふじちと由縁ゆかりをもとめ。大和やまと犬飼いぬかひきたりて。ならたる釼法けんじゆつ指南しなんし。こゝにあること十五六年におよびしかバ。里人さとびとうやまひて。他事たじなくもてなし。なかだちするものありて。久米氏くめうぢをんなめどり。市平いちへいといふ」 奴隷しもべ一人をめしつかひて。とむにハあらねど。をわたるにやすし。さても夘三二うさふじハ。その日紅皿べにざらともなひかへりて。つまにもかれがうへをものがたり。なほよく素生すじようとふに。たえて久しく音耗おとづれなき。作州さくしう伯父をぢ錦織にしごり郡司ぐんじ名迹みやうせき相續さうぞくしたりける。源七げんしちといふものゝ女児むすめ也と申にぞ。此母子ぼしよこしまなりしをしらねバ。夫婦ふうふいよ/\あはれみて。これより下女げじよとして叮嚀ねんごろやしなひ。はやく三年みとせの月日て。紅皿べにざらすでに十六さいになりぬ。しかるに今茲ことしはるのなかばより。夘三二うさふじつまかぜのこゝちとて打臥うちふしたるに。藥餌やくじしるしなくて。次第しだいによはりゆくばかりなれバ。紅皿べにざらひそかよろこび。あはれこの人いかにもなり」14 給へかし。われそのあとへおしなほりて。やすおくるべきにと思ひながら。さらにいろにもあらはさず。昼夜ちうや看病かんびやうしていとまめやかにもてなしける。心の中こそおそろしけれ。かくハ如月きさらぎのすゑにいたりて。夘三二うさふじつまつひにむなしうなりにけり。七々しち/\追善つひぜんかたのごとくいとなみつゝ。去者さるもの日々ひゞうとくなりゆくが世のならひなれバ。夘三二うさふじ独寐ひとりねまくらさみしさに。紅皿べにざらてかけとせり。かの女子をなごきはめ淫婦いんふなるに。世才せさい人にすぐれたれバ。只顧ひたすらこびてあるじの心にかなふやうに挙止ふるまふほどに。夘三二うさふじもいつしかにこゝちまどひて。後妻こうさいにもせまほしく思ヘども。われにハいたく年才としおとりしをもて。黙止もだ」 せしとぞ。されど何事なにごと夲妻ほんさいことなることなく。よろづ家事いへのことをうちまかせける。

  [第七 大澤おほさは闇撃やみうち

こゝにまた久米くめの鉄平てつへいといふものありけり。これハ夘三二うさふじつま従弟いとこにて。ちかきほとりに住居すまゐせしが。いとはやくよりみなしごとなり。としすでに廿五才におよべり。かれ内縁ないえんのものなれバ。夘三二うさふじ年来としごろ釼法けんじゆつ射藝しやげいをしへ。三年みとせあまりさきみやこのぼして。奉公ほうこうかせがせけれども。万能まんのうすぐれたるも一心いつしんたゞしきに不及しかず器量きりやう骨柄こつからハ人なみにこえたれど。そのおこなひよからずして。彼此をちこち漂泊ひやうはくし。つひの」15 よるべなさに。このころ犬飼いぬかひへかへりにけれハ。夘三二うさふじかれ放蕩ほうとういかるといヘども。つまりてほどもあらぬに。その従弟いとこなるものをひうしなはゞ。なき人もさこそ心憂こゝろうかるべけれと思ひかへし。さま/\教訓きやうくんしてやしなひおきぬ。しかるに紅皿べにざらハ。夘三二うさふじ声色せいしよくなづまで。門人もんじんもとよりたりける。舶来はくらい からわたり 鶴鵡おふむ寵愛ちやうあいし。又武稽ふげい指南しなんいとまある日ハ。山猟やまがりして。あしたよりゆふべまで。いへにある事まれなれバ。いたくうらみてうとましうおもふ折しも。鉄平てつへいとしもわかくて。よろづ風流みやびたるに。とせがほどに見なれたる。みやこぶりさへ。こゝの里人さとびとに似るべうもあらねバ。ひそかをもて思ひを」 はこばせしかバ。鉄平てつへい元來もとよりいろこのみなるに。紅皿べにざらかほよきにこゝろをうごかして。きもふとくもおんある人の傍妻そばめ密通みつゞうし。をり/\あるじが畄守るすうかゞひ相語かたらふを。夘三二うさふじさらにしらず。その年の八月はづき上旬はじめつかたあめの日のつれ/\なるまゝに。ひとりもたればしらによりて。孫氏そんし兵書へいしよよみつゝ。不圖ふとはしらかけたるかごうちに。鸚鵡おふむさへづるけバ。紅皿べにざら鉄平てつへいが。密言さゝめごとくち真似まねす。こハあやしとて。なほみゝそばだてゝきくに。うたがふべうもあらぬ。かの二人が密會しのびあふ相語かたらひなり。ものにおどろ鞅掌あはてざる夘三二うさふじも。いか心頭しんとうおこりて。たゞにうちもはたすべう思ひしが。やゝむね押鎮おししづめ。まづあたりをる」16 に。紅皿べにさら脊門せど板間いたま雨漏あまもりをとめんとて。鉄平てつへいとゝも彼処かしこにあり。又くりやのかたにハ。奴隷しもべ市平いちへいが。麁朶そだうちこなしてたりけれバ。ひそかまねき。たゞいまかゝる事あり。なんぢさだめてよく縁故ことのもとをしりてこそあらめ。彼等かれら不義ふぎ為体ていたらくつまぴらかにしらせよといふ。この市平ハとし五十にあまりて。にぶきものなれども。人をあはれむの心ふかゝりしほどに。はじめハ明白あからさまにもつげざるを。夘三二うさふじいたく責間せめとふにぞ。つひつゝみがたくて。やつがれしかと見とめたる事ハあらねど。のたまふごとく。かの二人の景迹ありさまにこゝろがたき事おほしといふ。夘三二うさふじ點頭うなづきて。われ明日みやうにちすべきやうあり。なんぢかならずこのくだり

挿絵

〈挿絵第三図〉17」 の事を彼等かれらしらせそとて。そのくちをとめ。つく%\とおもふやう。にハ怪有けうなるやつもあるものかな。かの紅皿べにざらハ。三年みとせ以前いぜんこのくに呻吟さまよひて。すで悪徒わるものため勾引かどはかされんとしたるを。すくさせしのみならず。年來としごろあはれみてやしなひおき。あまつさへつままかりてのちハ。傍妻そばめとしてよろづをゆだね。又鉄平てつへいハ。幼年ようねんより武藝ぶげいをしへ。成長ひとゝなりてハあまた路銀ろぎんもたらし。奉公ほうこうかせぎためみやこのぼしたるに。放蕩ほうとうにして事をとげず。路銀ろぎんハさら也。衣服いふく太刀たちなどさへうしなひて。おめ/\と立帰たちかへれるを。なほゆるしてやしなひおくに。かれもしいさゝか恩義おんぎをしらバ。させるこゝろざしつくさずとも。かゝる畜生ちくしよう18おこなひハすまじきに。かたちのみ人なみにて。こゝろいぬにもおとりたるものども也。這奴しやつくびをならべん事。今宵こよひうちすぐさじと思ひしが。又おもふやう。わがいへにてこれをころし。人をさわがせんハはぢのうへのはぢなり。とかく里遠さととほ山中さんちう誑引出おびきいだし。なぶりころしにしてくれんずと。すで思案しあんさだめ。さてつぎそらはれけれバ。その日の昼過ひるすぎて。紅皿ベにざら鉄平てつへいにいふやう。われ今夜こんや大澤おほさはへゆきて。むしきかんとおもへバ。汝等なんぢらをもともなふべし。割籠わりこ用意ようゐせよといひおきて。弓矢ゆみやたづきへつゝには立出たちいで巻藁まきわらてぞたりける。紅皿べにざら鉄平てつへいもかゝるべしとハ思ひもよらず。あゆのしらやきに。握飯にぎりいひ割籠わりごに」 つめ吸筒すひづゝむしろやうのもの。すべてたづさへゆくべきをハ。こと%\くとりあつむるほどに。日もやゝ西にしいりなんとす。このとき奴隷しもべ市平いちへいハ。主人しゆじん夘三二うさふじ日來ひごろはげしきこゝろざまにず。かの二人が不義ふぎ暁得さとりながら。今夜こんやむしきゝともなはんといふこそ。心にものあるなるべけれ。それをしりつゝかたなさびとなさん事。いたましと思ひしかバ。かの二人をものかげにさしまねきて。きのふよりかゝる事あり。もし大澤おはざはへゆき給はゞ。大なるわざはひあるべし。そのこゝろしてみちより逃去にげさり給へかしと密語さゝやけ両人りやうにんきゝおどろあきれ。しばし忙然ぼうぜんとしてたりしが。きつと思ひかへして。市平にむかひ。よくぞしらせ給ひたる。身におぼえハ」19 なけれど。のぞみ安全あんぜんはかりことをなすべしと回答いらへける。とき夘三二うさふじにはよりたちかへりて。はや時刻じこくになりぬ。いざゆくべしと。いふ。紅皿べにざらハ市平がものがたりにて。鸚鵡おふむくちさがなくて。わが密事みそかごとをあらはしたりときゝてふかくにくみ。つねのごとくとまりかふさまにて。ひそかにそのあまたしほつきまぜて。かごに入れおき。ぢかなるかねぬすみふところにし。三人もろともに立出たちいでけり。かの大澤おほさはといふハ。犬飼いぬかひよりはるか西北にしきたにあたれる。やまふもとなれバ。ゆきもつかざるうちすでにくれたり。夘三二うさふじハかくはかりぬれど。おもんはかりふかきものなれバ。たゞ仮初かりそめに。とりさへづり」 をきゝ。市平がおぼろけにいひしのみにて。みづからみとめたるにあらねバ。今宵こよひよく不義ふぎ證据せうこをあらはしてこそと思ひ。待乳山まつちやまのこなたをよぎるとき。鉄平てつへい紅皿べにざらを見かへりて。われハ石寺いしでらたちよりて。あとよりゆくべきに。汝等なんぢらハまづ彼処かしこいたりて。よきもとむしろしきまはしてまち候へといひかけて。みづからささやかなる挑灯ちやうちんをともし。みちよこぎりて。たちわかれしかバ。紅皿べにざらひそか鉄平てつへいそでをひかへて。かの人石寺ひといしでらたちよるとてわかれしハ。大なるさいはひなり。とくこのひまにつれて退のき給へ。やよ/\といそがせバ。鉄平てつへいしばし思案しあんして。いま吾儕われ/\さきへゆけと」20 いふハ。かのひとふかきはかりことありとおぼし。もしなまじい迯去にげさらんとせバ。みづから不義ふぎ證据せうこを見せて。いかにくゆるともかひあるべからず。それさきんずるときハ人をせいす。こゝにおよびて何ぞめゝしく迯走にげはしらん。われおいはかりことあり。そハかやう/\也と私語さゝやけ紅皿べにざらきゝうちおどろき。さすがに心决こゝろけつせざるを。鉄平てつへいしきり勸励すゝめはげまし。こゝよりこみちをめぐりてたゞ大澤おほざはへハいたらず。かへつて夘三二うさふじ遣過やりすぐして。そのあとへまはらんと計較もくろみぬ。夘三二うさふじ密計みつけいを市平がもらしたるをしらず。かの二人をほしいまゝにあゆませんにハ。じやうじてみだりがはしき挙止ふるまひをなすべし。そのとき」 あとよりつけゆきて。彼等かれらつみかぞへ。首打くびうちおとすべしと思ひけれバ。石寺いしでらのかたへ引わかれて。みちより ぬぎ〔ママ〕つゝ大澤おほざはにゆくに。みちにてハおひつかず。やがて彼処かしこいたりけるに。としふるまつもとに。人影ひとかげしてけれバ。すハこれならんとて。いよ/\ひそやかにあゆみよりて見るに。そのものどもにハあらずして。たびゞととおぼしき武士ぶしの。病臥やみふせるなりしかバ。こゝろいそがはしき折なれど。さすがにいたましくてうちもおかれず。その國処くにところ名氏みやうじをたづね。さま%\にいたはれバ。かの旅人たびゞと好意こゝろざしほどをよろこびきこえ。さていふやう。われハ播州ばんしう山脇やまわき郷士ごうしにて。」21 廣岡ひろおか兵衞ひやうゑよばるゝもの也。人をたづねために。いぬる月故郷ふるさとたびだち。河内國かわちのくに偏歴へんれきして。この大和路やまとぢいづる折しも。はからずぎやくうれひていとなやましくハあれど。こときうなるたびをすれバ。保養ほよういとまあらず。間日まびにハいつも旅宿りよしゆくをたちて。みちをゆくことやまざるものにひとし。しかるにけふ又間日まびなるをもて。今朝けさはやく宿やどりいで待乳越まつちごえして紀路きのぢおもむかんとせしに。思はずもみちまよひ黄昏たそがれおよび。あまつさへ寒熱かんねつしきりおこりて。一足ひとあしあゆみがたく。くすり懐中くわいちうしたれども。咽喉のんどかはきてたへがたけれバ。ちかきほとりに人住ひとすさとやあるとて。一人の従者ともびとを見せにつかはせしが。いまだかへらず。日はすでくれ」 てかゝる仕合しあはせ也といふ。夘三二うさふじ縁由ことのよしきゝてふかくいたましみ。こゝろうちに思ふやう。われたとひ今宵こよひ紅皿べにざら鉄平てつへいたすけおくとも。この旅人たびゞとすくはずは。人たるものゝ心にあらず。彼等かれらが事ハのちにしてまづこの人をいたはさせんにハと思ひて。いよ/\まめやかにもてなし。不知ふち案内あんない山辺やまべにてはげしきやまひおこり給へバ。さそな心くるしくおぼすらめ。此わたりハすべて九折つゞらおりにて。みちもさだかならねバ。従人ともびとをつかはし給ふとも。たやすく人のいへたづねゆかるべうもあらず。われハ犬飼いぬかひといふところひさしく住居すまゐする武士ぶし浪人らうにん錦織にしごり夘三二うさふじといふもの也。しばしまち給へ。われゆきて一挺いつてうかごやとひ。御身おんみせていへともなひ。一夜ひとよのあるじいたすべし。こゝろ」22 づよくおぼせとて。叮嚀ねんごろきこえおき。もてる挑灯ちやうちんをバ兵衞ひやうゑかしらうへにさし出たる。まつむすびさげ。なれみちなれバくらきをいとはず。人家じんかあるかたへはしりゆくにぞ。兵衞ひやうゑ只顧ひたすらそのこゝろさしをよろこびつゝ。なほもとところうちふしたるに。しばらくして熱気ねつきすこしさめたりしかバ。まつみきをかけて。やをらたちあがる折しもあれ。久米くめ鉄平てつへい紅皿べにざらこみちよりこゝにきたり。かの挑灯ちやうちん目當めあてにて。これなん夘三二うさふじなりとおもひしかバ。みちにて用意ようゐせし手矛てほこひらめかし。こゑをもかけず廣岡ひろおか兵衞ひやうゑが。馬手めて[月害]わきばらへぐさとさし穂先ほさき四五寸衝出つきいだせバ。こゝろえたりとぬきあはし。ほこ真中たゞなか切折きりをつたり。鉄平てつへいすか」 さずかたな引拔ひきぬき。たゝみかけてきるほどに。兵衞ひやうゑハこゝろたけしといヘども。やみたるうへに不意ふゐをうたれ。數ヶ所すかしよ深手ふかでによはりはてはたたふれてしたりける。鉄平てつへいすで為課しおほせかたな押拭おしぬぐひ。かの挑灯ちやうちんをとつてしがいを見るに。夘三二うさふじにハあらずして。見もなれぬ旅人たびびとなれバ。紅皿べにざらかほうち見あはし。あきれたつたる後方うしろのかたより。忽地たちまちひとおとすれバ。こなたの挑灯ちやうちんうちしつゝ。さゝやきあふて迯去にげさりけり。さるほど兵衞ひやうゑ従者ともびと團吉だんきちハ。彼此をちこちとなくたづねありきしに。ちかきほとりにハ宿やどかるべきいへもあらず。主君しゆくんの事いと心もとなさに。又もとみちたちかへれバ。思ひもかけずしゆう兵衞ひやうゑは。段々ずだ/\に」23 きりふせられ。まみれて死したれバ。おどろきあはていだおこし。いくれどもそのかひなく。あまりにあさましくてせんすべをしらず。かゝるところ錦織にしごり夘三二うさふじハ。待乳まつち茶屋ちややのほとりにてかご借出かりいた蕉火たいまつふりてらしていそがしるを。團吉だんきち木間このまにありてつら/\見るに。しゆうしがいかたはら〔て〕おけりし挑灯ちやうちんのしるしと。只今たゞいまさきにすえて來る武士ぶし衣服いふくもんと。つゆたがはざりけれバ。これうたがふべうもあらぬしゆう仇人かたきなりおのれハ下郎げらうなりといヘども。たうてきやハのがさじとて。いよ/\身をひそめてねらひゐるともしらず。夘三二うさふじはるかこゑをかけて。いかに旅人たびゞとかごかゝせてたれり。いざり給へといひつゝちかくよるを。團吉だんきちハせき」 にせいてそのいふところをもきゝとめず。木蔭こかげよりとんいで。やとこゑかけてきりつくるを。夘三二うさふじをひねりてかたな鍔元つばもとしかとり。こハ狼籍らうぜきなり。なに遺恨ゐこんありて。だましうちにハするぞといはせもあへず。團吉だんきちこゑたかうして。卑怯ひきやうなり。このおよびて。のがれんとするとも。いかでかのがさん。われハなんぢうたれたる。播磨はりま旅人たびゞと廣岡ひろおか兵衞ひやうゑ奴隷しもべに。だん吉とよばるゝものなり。わがしゆやまひおし紀路きのぢおもむかんとしするに。こゝに來たつてやまひはげしく見えつれバ。こひ宿やどをももとめんとて。われ彼此をちこちはしりめぐり。いまたちかへるに思ひもかけず。しゆうをうたせて仇人かたきだにしらざれバ。いとくちをしく思ひつるに。ひそかなんじ衣服いふくもんを見れバ。しゆうしがいのほとりに」24 すてある挑灯ちやうちんしるしこれおなじ。思ふになんぢ支黨どうるい相語かたらひて。このしがいかきもてゆかせ。埋躱うめかくさんとするにこそ。すで發覚あらはるゝからハなんぢ壮夫ますらを也。たゞいさぎよ名告なのりあひて。 勝屓せうぶけつせよとさけびつゝ。もぎはなしてらんとす。夘三二うさふじハこれをきゝてます/\あやしみ。かいつかみたるをゆるめず。馬手めて蕉火たいまつをあげて。かの旅人たびゞとを見るに。鮮血ちしほながれわたり。肢体みうちハつゞけるところもあらねバ。駭然がいぜんとして大におどろき。ちやう飛退とびのきつゝ両刀りやうとう投出なげいだし。こやはやまるべからず%\。われまこと兵衞ひやうゑ殿どのとやらんをころさず。つく%\と縁故ことのもとかんがふるに。わが機密きみつはやくれ。鉄平てつへいがこの人を。われなりと思ひあやまりて。かく刄傷じんぢやうおよべるなるべし。こハ一夕いつせき説盡ときつくすべう」

挿絵

〈挿絵第四図〉25」 もあらず。もろともわがいへ候へ。おのづから其許そこうたがはれなんといふに。團吉ハなほ心をゆるさず。されど両刀りやうとう投逓なげわたして。あかき心をしめすうへハ。理不盡りふじん討果うちはたしがたくて。しばしいきどほりしのび黙止もだしけり。さて夘三二うさふじハ。兵衞ひやうゑしがいかご扛乗かきのせさせて。團吉を誘引いざなひついにわがいへたちかへりて。二人の轎夫かごかきをバかへし。まづ團吉に。鉄平てつへい紅皿べにさら一件ひとくだりことものがたり。彼等かれら不義ふぎあるによつて。今宵こよひ大澤おほざは誑引おびきゆきて。くびはねんと思ひし事。又兵衞ひやうへがみちに病臥やみふしたるを見て。いたましさに。扶掖たすけひきいへともなはんと思ひ。待乳まつち茶屋ぢややのほとりにはしりゆき。かご借出かりいだしてたちかへるに。あへなく。兵」26 うたれしハ。かの鉄平てつへい。わがまつむすびおきたる挑灯ちやうちんを見て。われ也と思ひあやまりて。彼人かのひところし。紅皿べにざら逐電ちくてんせしならんと思ふ事など。くはしくときしらせ。さるにても鉄平てつへいが。はやくわが機密きみつさとりたる事いと不審いぶかしとて。やがて市平いちへい呼出よひいだし。なんぢくちさがなくて。きのふ鸚鵡あふむさへづりにつきて。わがとひし事を。かの二人にしらせたりとおぼし。とく明白あからさまにいへ。いはずハすべきやうありと責問せめとふにぞ。市平ハ人をたすけんと思ひて。かへつわざはひかもせしかバ。大に當迷たうわくしてのがるゝに言葉ことばなく。のたまふごとくきのふとはせ給ひし事を。彼人かのひとたちに私語さゝやき候ひしといふ。このとき夘三二うさふじハふたゝび團吉だんきちむかひ。きかせつるごとく」 兵衞ひやうゑ殿どのをうちたるものハわれならず。今ハ疑念ぎねんもはれたるべし。まづくだんの事を縣主あがたぬし訴聞うつたへきこえ。其許そこともろともに播州ばんしうおもむきて。かのひと親族うからやからともなひ。鉄平てつへい紅皿べにざらたづねめぐりて。つひにハ這奴しやつとらへあたむくはせ。わがくもりなき心のほどをもしらすべく思ふなり。そも/\廣岡ひろおかうぢハ。なにゆゑありて重病ぢうびやうをもいとはず。あはたゝしげにたびをバし給ひしととふに。團吉ハ兵衞ひやうゑ佐用丸さよまるたづねいでたる縁故ことのもとつまびらかに物がたれバ。夘三二うさふじます/\嘆息たんそくし。かゝれバ其許そこ主君しゆくん義士ぎしなり。われその妻子さいしちからあはせ。かのひとこゝろざしつがせずハあるべからずと憤激ふんげきせり。さてあけにけれど。思ふにたがはで紅皿べにざら鉄平てつへいハかへらず。鸚鵡あふむかごうちに」27 したれバ。これさへ彼等かれら所為わざかと思ふに。いよ/\いかりたへず。すなはち縣主あがたぬし縁由ことのよしうつたへ兵衞ひやうゑしがいをバ一片煙いつへんのけむりとなして。白骨はくこつつぼおさめ。これを團吉だんきちえりにかけさせ。いへをバ人にあたへてかへらざる心をしめし市平をて三人もろともに播州ばんしうおもむきしが。つぎの日人迹じんせきまれなる曠野あらのよぎとき夘三二うさふじハ市平を見かへりて。なんぢ下郎げらうとハいひながら。くちさがなくて。わが機密きみつを。鉄平てつへいにもらせしより。思ひもかけず廣岡ひろおかうぢわざはひせり。われいまなんぢくびはね家〓いへづととし。かのいへおくらんと思ふ也。とくにもころすべかりしに。人をさわがせじとて。こゝまでハめしつれたり。みづから思ひしるべしといひもあへず。くびちうに打おとし。これを」 たづさへ播磨はりまいたり。國守こくしゆ赤松あかまつ殿どの一件ひとくだりの事を申述まふしのべ。さて兵衞ひやうゑいへいたりて。小舩をぶね對面たいめんし。兵衞ひやうゑ枉死わうし。わがうへ。鉄平てつへい紅皿べにざらが事を。つまびらかときしらせ。これそのわざはひもとなれハ。ちうをはれりとて。市平がくびをとり出てさししめせバ。團吉だんきちえりにかけたるしゆう白骨はくこつをとりおろし。大澤おほざはいたるまで。みちすがらの事を申けり。小舩をぶねをつとがあへなきをかなしみ。見しにハかはる白骨はくこつの。つぼかきいだきて轉輾ふしまろび哀傷あいじやう大かたならざりける。そのとき夘三二うさふじハ。小舩をぶね諌励いさめはげまし。悲歎ひたんことわりならずとハ思はねど。いかになげき給ふとも。死{し}したる人のふたゝいくべきにあらず。それがし不才ふさいなれども。武藝ぶげいを」28 もつて人のたるもの也。御身おんみ助太刀すけだちして鉄平てつへいうたざるうちハ。わがいさきよしとするにらず。その心ぐるしさハ。この一家いつけの人にことなる事なし。とく/\なみだをとゞめて事をし給へとすゝむれバ。小舩をぶねもこれにはげまされて。かたちをあらため。御身のうへをきゝはべるに。もと美作國みまさかのくに二宮村にのみやむら郷士ごうし錦織にしごり郡司ぐんじおいにて。せん國守こくしゆのときゆゑありて。故郷こきやう立退たちのき給ひしとか。かゝれば缺皿かけざらちゝけん七とも。相語かたらへ由縁ゆかりある人ぞかし。又紅皿べにざらのたまはするハ。缺皿かけざらいもとの事にてはべるべし。わがかたにも如此しか%\の事ありとて。木村きむら源七が錦織にしごりうぢ名迹みやうせき相續さうぞくせし事より。晩稲おしね落穂おちぼが事。缺皿かけざら紅皿べにさら勇藏ゆうざうが事」 すべて一圏子ひとかまへ首尾はじめをはりを物がたり。もし勇藏ゆうざう缺皿かけざらがあらんにハ。心づよくも思ふべきに。彼等かれらちゝ往方ゆくへをしらんために。とほたびだちて思ふにかひなし。又缺皿かけざらいもとたる紅皿べにざら不義ふぎよりことおこつて。わがをつと枉死わうしせしハまことのがれがたきあく因緑いんえんはべるべし。のたまふにまかせて。助太刀すけだちをたのみまいらすべけれども。御身おんみもわらはもいまだおいくだちたるにもあらず。の人になきをたてられんもいとくちをし。こゝろざしあつきところハ。よろこぶにあまりあれど。この事のみはうけひきかたし。といふ。夘三二うさふじきゝて。この事。こと%\ことわり也。しかハあれど。御身ハ仇人かたき鉄平てつへいみしらず。われ又佐用丸さよまるみしらず。とかく」29 もろともに諸國しよこく編歴へんれき〔ママ〕し。さきに仇人かたきにあはゞ。われ助太刀すけだちしてうたせ。又佐用丸さよまるのゆくへをしらバ。御身護おんみもりかへりて國守こくしゆまゐらせ。ことふたつながらをつとこゝろざしつぎ給へ。かつ紅皿べにざらハわが伯父をぢ錦織にしごり郡司ぐんじ名跡みやうせきたる。源七とやらんが女児むすめにて。故郷ふるさと追放おひはなされたるもの也と。きけるは今がはじめにて。いよ/\にくむべき毒婦どくふぞかし。もしわが淫心いんしんおこさんかとうたがひ給ふも。遠慮とほきおもんはかりのいたすところなりとハいひながら。われもこれ一個いつこ丈夫ますらを也。かゝる事にはいさゝかくるしみ給ふべからずといひをはり。とこにかけたる〓〓ゑびらより。二條ふたすぢ拔出ぬきいだし。天地てんちはいしてちかひをなし。かの押折おしをりて見せけれバ。小舩をぶねも」 このうへハとて。赤松あかまつ殿どの夘三二うさふじまふすむねと。わが思ふほどをも申のべて。仇討あたうちの事をねがひたてまつり。かつをつと兵衞ひやうゑこゝろざしつぎて。佐用丸さよまるおん行方ゆくへをも。たづねまゐらせたきおもむきを申せしかバ。赤松あかまつ殿どの許容きよようあつて。みやこへもきこえあげ。さて敵討かたきうち免許めんきよ御教書みぎやうしよに。引出物ひきでものあまたとりそへ餞別はなむけし給ふにぞ。小舩をぶねハいふもさら也。夘三二うさふじもふかくよろこび。たび用意よういをいそがしけり。さるほど小舩をぶねハ。奴婢ぬひいとまをとらせ。奴隷しもべ團吉のみ。こゝろざしまめやかなるものなれバ。今度こんどかれして夘三二うさふじとゝもに首途かどいでし。をつと仇人かたきをぞたづねける。そも/\廣岡ひろおか兵衞ひやうゑさきくしかたゝりかゝりて。寃枉むじつのつみおちいりける」30 を。かの勇藏ゆうざう忠義ちうぎによつて。一たび汚名おめいきよめつるに。すで勇藏ゆうざう缺皿かけざらが。とほくこのはなるゝにおよびて。怨霊おんれうふたゝびわざはひし。一家いつけころしつくすにいたる。まさこれ前世ぜんぜ悪業あくごうさらくだかバころさんと先祖せんぞよりさだめたるを。兵衞ひやうゑときあらたむるといヘども。ひさしくとくそこなひし。因果いんぐわハこゝに脱得のがれえず。紅皿べにざらが事よりおこりて。そのはからずも鉄平てつへいためころさる。しかハあれ兵衞ひやうゑ陰徳いんとくつひむなしからずして。缺皿かけざら勇藏ゆうざうもろともに。久後ゆくすゑたえたる主家しゆうかおこす。これなし。さらによつていへめつし。さらによつてさかへをなす。先祖せんぞ悪政あくせい兵衞ひやうゑ陰徳いんとく。そのむくひある事。すべてかく」 のごとし。鳴呼あゝたれかおそれざらん。嗚呼あゝたれつゝしまざらんや。

盆石皿山記後編上31

 

盆石皿山記ぼんせきさらやまのき後編こうへん

曲亭主人述

   [第八 因果いんぐわあしなべ

久米くめの鉄平てつへいハ。大澤おほざはにて夘三二うさふじ也と思ひあやまり。なれ旅人たびゞと切害きりころしておどろきあはて紅皿べにざらて。山越やまごえ紀路きのぢ逃去にげさり。名手なてさと僑居たびずまゐしてふかくかくれ。なす事もなくていたづらに月日をおくれハ。紅皿べにざらぬすみもてたりしかねも。早晩いつしかつかはたして。朝夕あさゆふけぶりだにたてかね。ちと助力ぢよりきこはんと思ふにも。馴染なじみなきさとはそれも相語かたらひがたくて。隱慝あくじむくひかゝるべき事ながら。紅皿べにざら鉄平てつへいをうらみ。鉄平てつへい紅皿べにざらのゝしり。日に/\ものあらがひのみし」 て。こゝに半年はんねんあまりをて。としはる立かへりて。ゆたかなれども。いよ/\飢渇きかつせまりしかバ。鉄平てつへいつく%\思ふやう。何としいだしたる事もなくて。女子をなごかゝへ。うか/\とこゝにあらバ。もろともに餓死うへじにするのほかハあるべからず。とかく紅皿べにざら妓院さと ○クルワ うりて。その身價みのしろにて衣服いふく太刀たちなどをとゝのへ。よきしゆうどりして今の貧苦ひんくわすれんものをと。すでに心をけつしながら。もしこの事を明白あからさまつげんにハ。かのをんなます/\恨詈うらみのゝしりて。したがふべうもおぼえず。かれにハしかるべき武家ぶけなどへ。給事みやづかへいだすといつはり。ゆゑなくおくるにハしかじと思案しあんし。ある紅皿べにざら1 %\のものがたりすれバ。はじめのほどさらにうけひく氣色けしきなかりしが。紅皿べにざらもこのをとこ分際ぶんざいにて。われをやすらかにやしなふことハあたはじ。かゝる愚者しれものにかゝづらひて。生涯しようがいあやまたんハ。大なるそんなり。まづしばら奉公ほうこうしてのまはりをこしらへ。べちをとこを見たてゝ。久後ゆくすゑの事をもはかるべしと思ひかへし。ともかくもといらへけれバ。鉄平てつへいふかくよろこびて。しからバわれハ一両いちりやうにちはしりめぐり。人をたのみて御身おんみるべきかた聞定きゝさだむべしとて。詰朝あけのあさいへをたちいでひそか津國つのくに乳守ちもり妓院さとおもむきける。かくてそのゆふべ宿やどとりおくれし。五七人の高野こうや道者どうしや鉄平てつへい門方かどべ立在たゝずみて。こゝにとまらん。彼処かしこゆかんとて。かしがまし」 う散動どよめくを。紅皿べにざられて真實まめやかもてなし。さていふやう。こゝハ旅籠屋はたごやはべらねバ。夜具やぐ用意ようゐもせず。又まゐらすべきいひもなし。もたらし給ふこめあらバいだし給へ。かしきはべるべしといふ。道者どうしやどもきゝて。吾儕われ/\木賃きちんのみにて宿やどかるなれバ。まくらだにあらバことたりなん。又こめに/\携來たづさへきたれり。いま逓与わた三分一さんぶいち夜食やしよくとし。のこりハあす朝飯あさはんと。昼食ちうじきため割籠わりごつめてもてゆくなり。そのこゝろして給はれときこえつゝ。ますりておの/\ふくろこめをはかりいだし。これを紅皿べにざら逓与わたしけれバ。紅皿べにざらこれほどのこめにふるゝ事ハ。たえてひさしくあら」2 ざれバ。いそがはしくもてたちて。その三分一さんぶいちかしき。おのれまづあくまでくらひて。道者どうしやのほとりに飯櫃めしびつをさしいだし。こゝろのまゝにたうべ給へといふ。かくて道者どうしや夜餐やしよくくひをはり。切株きりかぶなどとりあつめたるをまくらとし。せま一室ひとまおしおふてねふりけり。紅皿べにざらハこの鉄平てつへいかへらざるをうたがひ思ひながら。おのが臥房ふしどり。さて未明みめいおきてふたゝびかしくとき。ひそかにそのこめをわかちとりて。をけにかくしれ。やゝたきおろして道者どうしや呼覚よびさませバ。道者どうしやハもろともに起出おきいでくちそゝぎ。朝飯あさいひくひをはりて。のこれるを割籠わりごつめるに。三人みたりほどらざ」 れハふかくあやしみ。日來ひごろいづとまりても。かくまでいひ不足ふそくせし事ハなし。ゆふべのいひつねよりハくひらざりしに。けふの昼食ちうじきあてたるが。夥足あまたたらざるハ不審いぶかしきこと也といふを。紅皿べにざらきゝもあへず。われハ逓与わたし給ひしまゝにかしきたり。これハ客人きやくじんたちのはかりあやまり給ふなるべし。よくも思ひめぐらさで。人をうたがひ給ふなとつぶやき。ほうのあたりふくよかにしてこたへける。道者どうしやどもことひとしくし。こハ心もぬ。三度さんどしよくを一人六ごうづゝ量出はかりいだして。七人がうへにて六七四舛五ごう逓与わたせしを。御身おんみもよく見てこそたるらめ。しかるに夜餐やしよく不足ふそくせしより。今朝けさいたり」3 てハ。およそ一舛いつせうあまりもぬすまれたりとおぼし。われ/\ハなみの旅人たびゞとにもあらず。高野こうや大師だいしまいるものなるに。かくうしろぐらきことをなすハ。冥利みやうりつきたるをんなかなとのゝしれバ。紅皿べにざらも大にいかり。身におぼえなき事をいひかけられてハたちがたし。いへにハをつとありむらにハおさあり。いかにまづしくハくらすとも。はづかなるこめぬすむものにあらず。ぬすまれたりといふ證据せうこあらバとくいだし給へ。とくいだし給へとさけびつゝ。つかみもかゝるべきいきほひなり。みな/\この形勢ありさまを見てから/\とうちわらひ。所詮しよせんろん無益むやく也。すべて高野こうやまうずるもの。よこしまをなすか。又これをしへたげんとするものハ。忽地たちまち大師だいし冥罰みやうばつかうふ

挿絵

〈挿絵第五図〉4」といひつたへたり。このいひかしきたるなべをもて來給へ。おの/\祈念きねんしてくだんなべかぶり。黒白こくびやくためすべし。もし吾儕われ/\御身おんみしへたぐるならバ。立地たちどころばつかうふり。又御身おんみいつはるならバ。しるしなき事あるべからず。とく/\といそがしたつれバ。紅皿べにざらなまじいにあらがひて。やむことをず。かのなべをもてるを。道者どうしやハおの/\塵手水ちりてふづして。高野山こうやさんかた遙拜ようはいし。ひとり%\になべをかぶりけれども。させるしるしも見えず。さらバあるじの女房にようぽうかぶり給へとすゝむるに推辭いなみがたく。紅皿べにざらなべをとつてかぶるとやがて。ひたとかしらてつきて。とりおろさんとするにはなれず。こハいかにとおどろかな〔し〕み。やよどう5 じやたち。はやく大師だいし勸解わびたてまつりて。たすけ給へとさけびしかバ。みな/\あるひハおそれみ。あるひあはれみ。なべつるをかけて。引放ひきはなさんとするに。えりのみたゞながくなりて。とみにはなるべうもあらざれバ。今さらにあきはて。されバこそこのをんなこめぬすめ冥罰みやうばつかうふりたれ。われ/\高野こうやまいりなバ。よきに申てさすべし。なんぢも又懺悔さんげして。三十三かの御山みやままいるべしといふ大願だいぐわんおこし。信心しん%\おこたることなくバ。なべやすらかにはなれなん。あら笑止せうしやと散動どよめきて。おの/\こゝをたちいでたり。さるほど紅皿べにざら鉄平てつへいかへらざるひまに。かのなべ打放うちはなさんと思ひて。かなづちをもてたゝきなどすれども。」たえてかけず。しいうて皮肉ひにくいたみてたへがたく。まことにすべきやうもあらねバ。今更いまさらあさましく。人に見られん事をはぢて。やれたるきぬをうちかぶり。はしらにもたれてたりける。さてまた鉄平てつへいハ。津國つのくに乳守ちもりいたりて。紅皿べにざら身賣みうりの事を相語かたらひ。かのをんなにハまづあらはにしらせざるおもむきしめしあはし。妓院さと主人あるじともなひつゝ。往來ゆきゝ三十里のみちつぎの日のゆふぐれにたちかへり。と見れバ紅皿べにざらものかつぎて。むしろ屏風びやうぶかげ蹲踞うづくまれるを。いとあやしみながらしば/\よびかけ。さるかたより客人きやくじんあり。とくいでたまへといふに。いらへもせず。鉄平てつへい大に焦燥いらだちて。いまともなひまゐらせ」6 たるハ。御身が給事みやづかへの事をせわし給ふ人なり。はやく立出たちいでて。もろともにたのみきこえんとハせで。などやかくしりのおもたきといきまけバ。紅皿べにざらこたへて。われハきのふより頭痛かしらいたみたへがたし。御身おんみよきにもてなしてかへし給へといはせもあへず。鉄平てつへいこゑをふりたてて。たとひ頭痛づゝうのすれバとて。その人にあはれざるほどの事ハあるべからず。とく/\とびたつれバ。紅皿べにざらとかく迷惑めいわくして。いましばらまち給へ。すこいえなバまみえんといふ。このとき鉄平てつへいハ。妓院さとのあるじをまねれ。只今たゞいま女子をなごせ候べきが。あやにくにかしらいたむと申なり。まづゆるやかにし給へときこえつゝ。たなすみなるをけうち」 に。こめのあるを見てひそかよろこび。又紅皿べにざらむかひて。客人きやくじん長途ちやうと給へバ空腹くうふくなるべし。われも又ものほしきをり也。なべはいづかたにある。このこめかしき夜餐やしよくまゐらせなんといへバ。紅皿べにざらいよ/\迷惑めいわくして。なべの事ハわれしらず。御身みづからたづね給へといふ。鉄平てつへいハそのゆゑさとらねバ。ふかく不審いぶかしみ。御身畄主るすしてありながら。只一ッのなべのゆくへを。しらずといふことやある。はやくおきたるところをしらせ給へ。やよ/\とてしば/\とはれ。ベに皿今ハこたへんやうもなく。おしだまりたりしが。しはらくしていふやう。御身よくものを思ひ給へ。いへ一〓ひとすぢぜにのこしおかずして。き」7 のふもかへり給はねど。今にもあれ立かへり給はんに。一塊ひとかたまり飯粒いひぼもなくハと思ひて。なべうりこめかひおきたりとあざむけバ。鉄平てつへい大にあきはて。この愚者しれものさら道理どうりをしらず。こめかふたりしもなべなくハ。何をもつてかしかん。まれびとおはするに。あくまでわれにはぢせける。にくさよとのゝしりつゝ。かべかけたるすり小木こぎひきとつて。紅皿べにざら百會ひやくゑのあたりを。ちからにまかせてちやうとうてば。ぐわんとひゞきてはねかへす。これを見る妓院さとのあるじも。もろともにあやしみて。江口えぐちきみ故事ふることならで。このをんな金仏かなぶつ再來さいらいにてやおはすらん。又うまはぢをしらぬ。鉄面皮てつめんひにやあるらんとて。」 きぬひまをさしのぞけバ。鉄平てつへいふたゝび摺小木すりこぎを。ひらめかしてはたとうつ。うてバうつほど紅皿べにざらが。かしらしきりなりわたり。施餓鬼せがきてら破鑼やぶれどらおとするがごとくなれバ。をんなも今ハたまりかね。にげんとすれバ鉄平てつへいが又とびかゝるを妓院さとのあるじ。こハ短慮たんりよ也とていだとめ。三人おしあふ伏屋ふせやうち鞅掌あはつるまゝに紅皿べにざらハ。圍爐裡ゐろりあしふみこみて。だうまろべ古袷ふるあはせのふはりとぬげいたゞきに。すつぽりかぶりしあしなべハ。なべてあきれぬものもなく。いき筑摩つくままつりならずハ。しころとられし落武者おちむしやの。をうしなふにことならず。縁故ことのもとをしらざれバ。鉄平てつへいます/\はらたちて。たはむれも事にこそよれ。そのなべわたせと焦燥いらちつゝ。」8 つるをかけとらんとすれバ。紅皿べにざらもろとも引よせられ。かしらいたむ〔む〕さけぶをかまはず。もぎはなさんと引にけり。されどくびぬけるとも。弥勒みろくの世までこのなべはなるべうもあらざれバ。鉄平てつへいいよ/\うたがまどひ。大息おほいきつきてゆゑふに。紅皿べにざら今ハつゝみがたく。高野かうや道者どうしや宿やどかして。こめぬすみし大師だいし冥罰みやうばつにや。ひとたびかつぎたるなべのはなれざる本末もとすゑを物がたれバ。鉄平てつへいうちおどろき。乳守ちもりの人にきかするも。面目めんもくなげに見えにけり。妓院さとのあるじもこの形容ありさま見聞けんもんして。たなごゝろを丁とうち。おしむべし/\。年紀としのわかくて容止かほばせ艶麗あてやかなるを見てハ。身價みのしろ百金ハたやすいだすべきものを。玉にきずかゞみさびなべつくつけたれバ。たえて」 ものようにたゝず。はる%\のみちともなはれて。畢竟ひつきやう路銀ろぎんついやせしと。つぶやき/\かへりけれバ。鉄平てつへい較計もくろみちがひて。しきりいきどほれどもすべきやうなく。いたくのゝしりてつと出んとするを。紅皿べにざらいそがはしくひきとゞめ。こハいづへとてゆき給ふ。いまともなひ給ひし人の言葉ことばにて。御身おんみがわれをたばかりて。妓院さとうり落着らくぢやくをなさんとし給ふ事ハよくしりぬ。しかるに思ひもかけずかゝる姿すがたとなりしを見て。いよ/\うとみ。おきざりにしてはしらんとすとも。やハはなさじと〓縁まつはるを。鉄平てつへい撲地はた突倒つきたふし。そハいふまでもなし。神仏かみほとけにも見すてられて。うまれもつかぬ廃人かたはものとなりたるをんなを。やしなひて何かせん。われハわが安穩あんおんを。はからんと思へバ。いといそがし。そ」9退のくべしとてふみにじり。はしいづ足首あしくびを。しかとらへ引戻ひきもどせバ。おとがひかへしあとをも見す。驀直まつしくら出去いでさるを。紅皿べにざらハなほらじとて。ふしまろびきたり。なふなさけなのをとこしばしまて。ちぎりし昵言むつごといつは。われをすててゆかんとならバ。大澤おはざはにてひところせし一件ひとくだりことうつたへて。からきめ見すべしとさけぶにぞ。鉄平てつへい奮然ふんぜんとしてはしりかへり。このをんないけおきてハ。わがためよからじと思ひしかバ。紅皿べにざら襟上えりがみつかみて。野中のなか古井ふるゐだう投入なげいれ。大なるいし引起ひきおこして。三ッ四ッうちこみ。なかをとくと見て。から/\と打笑うちわらひ。ひざのあたりのすなかきはらひ。いづともなく立去たちさりけり。嗚呼あゝ因果いんぐわ覿面てきめん

挿絵

〈挿絵第六図〉10」 のことはりたれかハつひのがん。むかし紅皿へにさらはゝなりける落穂おちぼハ。嫉妬しつとによつて本妻ほんさい晩稲おしね菩提処ぼだいしよしづめつるむくひにて。その畜生ちくしようはらみて。非命ひめいし。いままた女児むすめ紅皿べにざら野中のなかしづめらる。それ缺皿かけざら忠考ちうこう善報ぜんほうハ。さらくだくといヘども成敗せいばいのがれ。紅皿べにざら奸悪かんあく冥罰みやうばつハ。なべかぶりて情人じようじんためころさる。によつて善悪ぜんあくをしる事。こゝにいたりてたびなり。まきひら〔ら〕くのはらはべたち。くみみづからいましめにせよかし。

  [第九 熊野路くまのぢつゆ

缺皿かけざら勇藏ゆうざうハ。たくはへことかゝねど順礼じゆんれい行者ぎやうじや打扮いでたちあまね霊場れいぢやうを」11 めぐりて。げん七が往方ゆくへをしらんため西國さいこく三十しよ寺々てら%\偏歴へんれきして。つぎとしはる。ふたゝび紀路きのぢへ出たるに。廣岡ひろおか兵衞ひやうゑもと奴隷しもべ何がし。故郷ふるさとおもむくにゆきあひ。はじめて佐用丸さよまるの事。兵衞ひやうゑ枉死わうし夘三二うさふじ義心ぎしん紅皿べにざら鉄平てつへいが事。小舩をぶね夘三二うさふじ團吉だんきちとゝもに。をつと仇人かたきたづねに出たる事まで。つまひらかきゝしりて大におどろき。いかにもして小舩をふね環會めぐりあひ。もろともに仇人かたき鉄平てつへいうちとらんとて。ます/\神仏しんぶつ祈願きぐわんせり。かゝれバ缺皿かけざらハ。いもと紅皿べにざらがよからぬ所行わざをなせしより。事のこゝにおよべるをふかくうちなげきけるとぞ。このとき久米くめの鉄平てつへいハ。紅皿べにざらしつめて。名手なてさと立退たちのき熊野くまの山家やまが徘徊はいくわいして。回國くわいこく行者ぎやうじや打扮いでたち。」 ひとかどたち半椀はんわんいひこひ往來ゆきゝひとにつきて一銭いつせんもとめふし木蔭こかげ宿やどりて日をおくりぬ。しかるに彼此をちこちびとのかたりつたふるをきけバ。このごろなべかぶりしをんな高野山こうやさんへ三十三まいりするが。すで満願まんぐわんせしといふ。こハもし紅皿べにざら亡魂なきたまなどにやと思ふに。ます/\あやしけれバ。やがて彼山かのやまおもむかんとするに。そのゆふベ紅皿ベにざらにゆきあふたり。たがひにこハいかにとおどろきて。しばしがほとハよりもつかず。紅皿べにざら鉄平てつへいをいたくうらみのゝしり。もしともなはじとならバ。われもすべきやうありとて泣叫なきさけべば鉄平てつへいほと/\もてあまし。さていかにしていのちたすかりしととふに。紅皿べにざらこたへて。かの井戸ゐどにハみづなくて。おのづから拔道ぬけみちあり。ゆゑ12其処そこより跂出はひいてて。高野山こうやさんへ三十三まいりし。大師だいし勸解わびたてまつるといヘども。みゝしいほどもきかずして。なべハいまだはなれず。また那智なち御寺みてらまうてんと思ひて。こゝにきた〔た〕りしといふ。鉄平てつへい縁由ことのよしきゝて大に慚愧さんぎし。かれいのちつよきにあきれて。ふたゝびころすにしのびず。ぜひなくこれをともなひけり。さても錦織にしこり夘三二うさふじハ。團吉だんきちとゝもに小舩をぶね扶掖たすけひき。南海道なんかいどう経歴けいれきして。高野山こうやさん兵衞ひやうゑ白骨はくこつをおさめ。それより熊野くまの権現ごんげんまいらんとて。三人もろともに。羊腸ようちやうたる山ふところの細道ほそみちをわけれバ。いとあやしげなる乞丐こつがいをんなかさをふかくして。みちほとり立在たゝずめり。そのかしらいとおもげなれバ。こハ近曽ちかごろ人のうわさする。なべかぶりのをんななら」 んとて。ちかくなるまゝによく見れバ。かのなべかぶりハ紅皿べにさら也。すハよきものにあひぬ。これをとらへ責問せめとはバ。鉄平てつへい在処ありかもしれざる事ハあらじとて。つとはしりより。めづらしや紅皿べにざら夘三二うさふじ見忘みわすれたるかとよばはりつゝ。すで引捕ひきとらへんとすれバ。紅皿ベにざら阿呀あつおどろおそれ。あとをも見ずして逃走にげはしるを。夘三二うさふじハなほにがさじと追蒐おつかけたり。鉄平てつへいすこおくれて。おなじみちをりしも。夘三二うさふじ名告なのこゑきゝて。いそがはしくおひをおろし。木蔭こかげひそめてまつともしらず。夘三二うさふじおふこと一町いつてうばかりにして。忽地たちまち紅皿べにざらを見うしなひ。そこかこゝかとて見かへるところに。思ひもかけず。一叢ひとむらしげ小松こまつもとより。閃來ひらめきく手裏劔しゆりけんに。のどぶえうちぬかれ。きつ13 さきしろうなじいで撲地はたたふれて〔に〕たりける。小舩をぶね團吉だんきちハ。夘三二うさふじあとにつきて。もろともに追來おひきたりしが。この景迹ありさまを見て大きにおどろきさてハ仇人かたきハこのほとりにかくるとおぼゆるぞ。とく〓出さがしいだせとて。雨衣あまぎぬたてとしつ。主従しゆうじう小松こまつをかきわけ/\。わけうしろ大男おほをとこ忽然こつぜんたちあらはれ。こや/\とよびかくるを。主従しゆうじう見かへりて。ずか/\と左右さゆうよりつめよすれバ。かの大男おほをとこ小松こまつ押撓おしたはめしりをかけ。小舩をぶね主従しゆうじうをじろ/\と見やりつゝ。汝等なんぢらなにものなれバ。夘三二うさふじ方人かたうどするぞ。われ遺恨いこんあるによつて。和州わしう大澤おほさはにて討果うちはたすべかりしを。人違ひとたがへして旅人たびゞと切害せつがいし。けふまでハたすけおきぬ。汝等なんぢらいのちをしくハはやくゆけ。狼狽うろたへて」 後悔こうくわいせそと嘲弄ちやうろうす。小舩をぶね團吉だんきちハそれとさとりて歯怒はがみをなし。さてハ聞及きゝおよび久米くめの鉄平てつへいにてありけるよ。吾儕われ/\大澤おほざはにて汝がためうたれたる。播州ばんしう山脇やまわき郷士ごうし廣岡ひろおか兵衞ひやうゑつま小舩をぶね奴隷しもへ團吉だんきちよばるゝもの也。なんぢもと武士ぶし真似まねせしときゝつるに。おんほうずるにあたをもつてし。あまつさへその人を。詭討だましうちにする卑去ひきやうさよ。をつとあたしゆうあたよるときハ夘三二うさふじ殿どのたうてき古今こゝんまれなる大悪人だいあくにん。いかでかてんあみのがれたちあがつて勝屓せうぶけつせよといきまきて。こいくちくつろげつめかくれバ。鉄平てつへいから/\とうちわらひ。さきいてハ汝等なんぢらたすけがたし。みづからはやうにげハせで。思はぬ殺生せつしやうさするかな。いでしにたくハのぞみの」14 ごとく。このいとまをとらせんとて。おひうちにかくしもつたる。太刀たちぬきかざしてとびかゝるを。團吉だんきち逆戦むかへたゝかふといヘども。いかでか鉄平てつへいてきすべき。[月禺]かたさきふかくきりこまれ。あけそみたふるゝを。小舩をぶねいりかはりて透間すきまもなくきつてかゝるを。片手かたてにてはらのけした四五すん切下きりさぐれバ。あゝさけびて轉輾ふしまろびしが。かたなつえおこし。よろめきよろめく肩尖かたさきを。また一刀ひとかたなちやうる。られて肢體みうちまみれ。遺恨いこんなみだ湿うるほす。今般いまは苦痛くつう主従しゆうじうが。手足てあしかなはねバ鉄平てつへいを。にらみつめていきき。くちをしきかな。いひがひなくも。われさへあたやいばにかゝり。つひにこの夕露ゆふつゆきゆともしらで。缺皿かけざら勇藏ゆうざういづ」 國にあるらん。ゆめになりともしらせたや。それともしらずハたれか又。われにかはりて仇人かたきうたん。まこと神明しんめい佛陀ぶつだにも。見はなされたるはてかと。主従しゆうじうたがひ薄命はくめいを。なけくもいきした也けり。鉄平ハじろ/\と。こなたを見やりあなたを見かへり。あなかしましきくりこときくもうるさし。いきとめんとたちあがり。左右さゆう撲地はたかへして。あしもてかうべをしかとふみとめ。ぐさとつらぬく二刀ふたかたな。あはれはかなき最期さいごなり。かくて鉄平てつへいハ三人の懐中くわいちうをかいさぐりて。路銀ろぎんこと%\うばひとり。をあげてはるかまねけバ。紅皿べにざら彼処かしこ木蔭こかげよりはしつ。點頭うなづきあふたる折しもあれ。ちかくきこゆる」15 かねに。鉄平てつへいいそがはしくおひせなかにし。紅皿べにざらかさをふかくして。つらをかくし。のがさけんとおもヘども。このところ荊棘けいきよくふかくして。たゞ一條ひとすぢ細道ほそみちなるを。さけんとせバあやしめられん。いざはゞか氣色けしきもなくそなたにむかひてあゆみけり。こゝに缺皿かけざら勇藏ゆうざうハ。那智なちまふでんとて。このみちをたどりるに。深山烏みやまがらす頻鳴しばなきて。何となくむねうちさわげバ。後室こうしつ小舟をぶねの事いと心もとなし。今ごろハいづをかめぐり給ふらんなどいひ出て。くれかゝる山辺やまべをいそぎゆくむかひより。回國くわいこく修行者しゆきやうじやかさふかくしたる女道者をんなどうじやと。つれたちて出來いてくるに。みちほそやかなれバ。しばしかたはらに。立在たゝずみたがひ撞木しゆもくとりな」

挿絵

〈挿絵第七図〉16」 ほして。むかへ回向ゑかうかねかず。うちあはしつゝすぐし。ゆくこといまだいくばくならず。と見れバまつ下蔭したかげに。三人いたくられてしたるものあり。こハそもいかにといたましみ。缺皿かけざらもろともはしりよるに。あなあさまし。ころされたるハ小舩をぶね主従しゆうじう。今一人ハみしらねど。これなん近曽ちかころ傍輩ほうばいものがたりに聞及きゝおよべる。錦織にしごり夘三二うさふじなるべしと。思へハ見れバおなじ日に。おなじ山路やまちにけれど。今般いまはにもあはずして。やみ/\うたせしくちをしさよと。悔歎くひなげくハ。あなたにも。たちとゞまりて紅皿べにざらがしバ/\ゆびざ密語さゝやくを。こなたの二人はきつと見て。さてハ今ゆきあひし修行者しゆぎやうじやハ。まさしく仇人かたきといひもはてぬに。飛來とびくしゆ17 裏釼りけん勇藏が柄杓ひしやくにはつしとうけとめたり。是ハとこゑをかけざらがあぶないことやゆふまぐれ。がくれてはやく修行者しゆぎやうじやの。姿すがたえずなりにけり。

  [第十 忠孝ちうこう世榮よのさかへ

久米くめの鉄平てつへいハ。熊野路くまのぢにて夘三二うさふじ小舩をぶね反撃かへりうちにし。路銀ろぎんあまたうばひとりて。紅皿べにざらともなひ。丹波たんばのくに何鹿いかるかのこふり上林かんばやしきた〔た〕りて劍法けんじゆつ指南しなんをなし。久米くめうぢなるよりおもひよせて。皿山さらやま鉄山てつさん改名かいめいし。よろづはじめにハず。衣食住いしよくぢうの三ッ。そのところたるがごとし。こゝにまた通紅つうこう寂霊じやくれい和尚おせうとまうす。道高どうこう権智けんちひじり」 おはしけり。山陰道さんいんどううちにて。大伽藍だいがらん建立こんりうせんと思ひくはたて給ふ事久しといヘども。このころハ兵乱ひやうらんうちつゞきたるのちなれバ。合力こうりよくすべき檀那だんなもなく。隱岐おき石見いはみ出雲いづも伯耆ほうき因幡いなば但馬たじま丹後たんご。このしちこく勸化くわんけし給ふ事數年すねんにして。今茲ことし又二三人の従弟とてい丹波たんばに來り。若尾山わかをやま光明寺くわうみやうじ寄宿きしゆくし給へり。こゝをもて遠近ゑんきん道俗どうぞく日々ひゞまうで十念じうねんうくるに。利益りやくひゞきものおうずるがごとし。皿山鉄山てつさんハこの事を傳聞つたへきゝて。つく%\とおもふやう。さき紅皿べにざらが。はからずも廃人かたはものとなりたるとき。かれともなひて。胡慮ものわらひとならんもくちをしけれバ。古井ふるゐ推沈おししづめて。まつたころ18 したりと思ひしに。それにてもなほなず。熊野くまのまできたりて。いたくうらみのゝしりしかバ。やむことをずこゝへハしたり。しかれどもかれはぢ朝夕あさゆふひきこもり。たえて日影ひかげを見ることなく。われも又武藝ぶげい門人もんじんなどにしられんかと影護うしろめだくて。心をくるしむるのみ。ときしもあれ今光明寺くわうみやうじ名僧めいそうきたりて。病厄びやうやく祈祷きとうするに。應驗おうげん掲焉いちじるしきこゆ。われこゝろみ紅皿べにざら彼処かしこおもむき。加持かぢこはばやと思ひて。まづ紅皿べにざらに思ふほどをしらすれバ。すなはちゆくべしといふ。さて詰朝あけのあさ紅皿べにざらかごせ。鉄山てつさんみづから付添つきそひ光明寺くわうみやうじいたり。群集くんじゆう老弱ろうにやくにうちまじりてしばらくま」 つに。數声すせいかねたかひゞきて。寂霊じやくれい和尚おせう二人の徒弟とていしたがへ。屏風びやうぶうしろよりめぐりいでて。鹿皮しかのかわしとねしきまうけたる法坐ほふざうへのぼり給ふ。その形客ありさままゆしろひげながく。仙骨せんこつ飄然ひやうぜんとしてまこと尋常よのつねにあらず。さるほど渇仰がつこう結縁けちえん老弱ろうにやく。おの/\次第しだいによつてすゝみいづれバ。和尚おせうあるひ加持かぢあるひハ十ねんさづけ給ふに。みな礼拜らいはいして退出しりぞきいづ。とき鉄山てつさんハ。紅皿べにざらきぬうちかつがせたるまゝにて。ともないで。この婦人ふじん難病なんびやうあり。ねがはくハ和尚おせう加持かぢして給はるべしといふ。和尚おせうしばし見そなはしてかしらをうちふり。これ難病なんびやうにあらず。なんぢ夫婦ふうふ積悪せきあくむくひによつて。弘法こうぼふ大師だいし冥罰みやうばつ19かうふりぬ。われけつしてすくふことあたはず。しかれども懺悔ざんげにハ五ぎやくあく犯人つみんども。罪業ざいごう頓滅とんめつせざるにあらず。一心いつしん發起ほつきして一事いちじおほふことなく慨悔さんげせバ。来世らいせ苦艱くげんまぬかれなん。いかに/\ととひ給へバ。鉄山てつさん大に迷惑めいわくし。この事のみハゆるし給へとて逡巡あとずさりす。和尚おせうのたまはく。おろかなるかな。密計みつけい四知しちまぬかるゝ〔こ〕となし。汝等なんぢらいはずとも天地てんちすでにこれをしる。天地てんちこれをしるがゆゑに。われまたしれり。われまづこれをあかさんかとのたまへバ。紅皿べにざらおそる/\はひよりて。ひじりのたまふところことわりなり。わらハこれを申べし。ねがはくハすくひ給へと申つゝ。なほひざをすゝめ。その美作みまさかにありしとき。」 異服はらがはり〔ママ〕あね缺皿かけざらしへたげたる事。はゝ落穂おちぼが事。ちゝげん七が事晩稲おしねが事。又わが故郷こきやう追放おひはなされ。錦織にしこり夘三二うさふじめぐみ。そのつまりてのち傍妻そばめとなり。鉄山てつさん久米くめの鉄平てつへいといひしとき密通みつつうせしに。その事發覚あらはれ鉄山てつさんひそか大澤おはさはにて夘三二うさふじうたんとして。あやまつ旅人たびゞところせし事。又名手なてさとにありしとき。わが高野こうや道者どうしやこめぬすみたる冥罰みやうばつにや。かぶせられしなべいまはなれざる事。その折しも鉄山てつさん突落つきおとされて古井ふるゐうちおちいりし事。熊野くまのにて鉄山てつさん小舩をぶね夘三二うさふじ團吉だんきち反撃かへりうちにし。この丹波たんばに來りて。劔術けんじゆつ指南しなんする事」20 まで。首尾はじめをはりつまびらかに申けれバ。鉄山てつさん全身ぜんしんあせながし。當惑たうわくおもてにあらはれけり。そのとき和尚おせう莞尓くわんじとして。よきかな女人によにん。この懺悔さんげすこしく罪業ざいごうめつするにれり。われなんぢ心中しんちうさつするに。さき鉄山てつさんため古井ふるゐしづめられたるをいたくうらめり。しかるに熊野くまのにて。鉄山てつさん夘三二うさふじ反撃かへりうちにしたるの日。なほ同意どうゐして路銀ろぎんさへぬすませたるハ。いかなるゆゑぞやととひ給へバ。紅皿べにざらこたへて。のたまふ事にハあれど。わが身のくるしさに人をうらみ。おなじみち引入ひきいれんとおもふが。煩悩ぼんのうのやるかたなきにてはべり。このもし夘三二うさふじ傍妻そばめとならずハ。今の苦難くげん」 ハせじとおもひし初一念しよいちねんハ。鉄山てつさんをうらむるよりなほはなはだしかりしといはせもあへず。こハ心も夘三二うさふじなんぢため恩人おんじんならずやなんぢおんわすれて不義ふぎおこなひをなさずハ。かれころさんとハ思ふべからず。しかれバかれに何のうらみかあらん。いかに/\とのたまへバ。紅皿べにざら黙然もくねんとして回答いらへなしとき和尚おせう法坐ほうざをはなれてすゝみむかひ。

  さらくだいまぬかれ。なべいたゞき便すなはちしづめり
  黒白こくひやくすべわかつみづから淺深せんしんをおもへ

たかやかに説示ときしめし。珠數ずゞをもてきぬの上より。りう/\と」21 うち給へバ。紅皿べにざら五體ごたい朝日あさひしもとくるがごとく。忽地たちまちえずなりけれバ。鉄山てつさんうちおどろきつゝ。あはたゝしくかつぎしきぬ引除ひきのへるに。たゞ一ッのなべのみのこり。かたちきえてなかりけり。これを見るもの不可思議ふかしぎ法驗ほうげん感嘆かんたんし。一人ひとり徒弟とてい愀然しうぜんとしてすみころも湿うるほせり。暴悪ぼうあく無敵ふてき鉄山てつさんも。いよたつばかりおそろしくおぼえけん。顔色がんしよくつちのごとくなるを。和尚おせう見かへりてのたまはく。この女人によにんなんぢためころされ。寃魂べんこんかりかたちげんじて。つきまつはりし事。最期さいご一念いちねんによるとハいへどまさほとけ慈悲ぢひして。その因果いんぐわ諸人しよにんしめし。後世ごせ苦艱くげんを」

挿絵

〈挿絵第八図〉22まぬかれしめ給ふもの也。なんぢらバすみやかれ。ながくこゝにあらバわざはひあるべしとしめ し給ふにぞ。ます/\おどろまどひつる。周章あはてふためきて。てらもん出去いでさり。並松なみまつもとはしりゆくに。たれともしらずうちかくる手裏釼しゆりけん馬手めてたもとへはつしとたち。まつみきへぞぬひとめける。鉄山てつさん駭然がいぜんとして引拔ひきぬきれバ。すぎつるころ熊野くまのにて。順礼じゆんれいうちかけたる。わが削刀こがたなにてありしかバ。ます/\あやしをりしもあれ。缺皿かけざら勇藏ゆうざうかひ/\しく打扮いでたちて。両方りやうほうよりひつはさみ。いかに皿山さらやま鉄山てつさんなんぢ久米くめの鉄平てつへいたりしとき。大澤おふざはにてうたれ給ひし。廣岡ひろおか兵衞ひやうゑ恩顧おんこ家隷いへのこ木村きむら勇藏ゆうざう缺皿かけざら23なり。いぬるころ熊野くまのにて。後室こうしつ小舩をぶね錦織にしごり夘三二うさうじなんじため反撃かへりうちにせられ給ひしとき吾儕われ/\そのところへゆきあはするといヘども。ことおくれたるをもつてつひもらせり。いまわが打かけたる手裏劍しゆりけんを見て。なんぢ忽地たちまち恐怖きやうふいろをあらはす。たゞしすみやか打殺うちころさゞるハ。その日ゆきあひつる回國くわいこく修行者しゆきやうじやハ。なんぢなるべしとすいしながら。なほたしかにしらんがため也。かつ缺皿かけざらちゝ源七けんしちハ。錦織にしごりうぢ由縁ゆかりあり。しかれバなんぢ吾黨わがともがらため千釣せんきんあたかたきなり。わが両人りやうにんはからずもきのふこの光明寺くわうみやうじ参詣さんけいして。寂霊じやくれい和尚おせうゑつたてまつりしに。和尚おせう徒弟とていかく阿弥陀仏あみだぶつハ。ゆうざう叔父をぢ缺皿かけざらちゝなりける源七けんしち法師ほふしにて。不意ふゐ對面たいめんのぞみとげ。わがうへつまびらかものがたり。只このうへハ主家しゆうかあたむくはん事をおもふことしきりなりき。そのとき和尚おせうしめしてのたまはく。明日みやうにち仇人かたき皿山さらやま鉄山てつさん紅皿べにざらてこゝにたるべし。かの紅皿べにざら陽人このよのひとにあらず。われ汝等なんぢら忠義ちうぎかんずるのあまり。かの女人によにん済度さいどし。あたをもたやすうたせなん。汝等なんぢらその帰るをまつて。本望ほんもうとげよとのたまふをもつて。今朝けさよりこのてらきたり。紅皿べにざら懺悔さんげによつてなんじ暴悪ぼうあくこと%\くこれをきけり。今ハつばさありとものがるゝにみちなし。はやく雌雄しゆうけつせよとよばゝれバ。鉄山てつさんぎよつとせしがうちわらひ。ざかしき仇人かたきばゝり。」24 反撃かへりうち觀念くわんねんせよとのゝしりて。かたなをすらりとぬきはなせバ。缺皿かけざら勇藏ゆうざう左右さゆうより。やいばひらめかして打てかゝり。奮撃ふんげき突戦とつせんときうつし。勝屓せうぶもわかたざりけるが。忠義ちうぎこつたる二人が勇敢ゆうかん神明しんめい擁護おうご刀尖きつさきを。あしらひかねて鉄山てつさんが。うけながし/\。太刀たちすぢやうやくみだるゝところを。たりやおふと勇藏ゆうざうが。すきもあらせずふみこみ/\。みぎかひなを打おとせバ。缺皿かけざらたゞにつけりて。諸膝もろひざなぎきりたふすを。勇藏ゆうざうやがてもとゞりつかみ。くび掻切かききつたつたりける。をりしも下向げこう老弱ろうにやく男女なんによ四方しほうたちこみ見物けんぶつし。嗚呼あゝかんずるこゑ。しばしがほどなりやまず。かくて勇藏ゆうざう缺皿かけざらハ。群集ぐんじゆを」

挿絵

〈挿絵第九回〉25おしわけつゝ寺内ぢないれバ。門番もんばんをとことびらたてて。見物けんぶつひとさへぎとゞめたり。そも/\勇藏ゆうざう缺皿かけざらがこのてらまうでて。源七げんしち法師ほふし環會めぐりあひたる縁由ことのよしをたづぬるに。くだん両人りやうにん熊野くまのにて。小舩をぶね夘三二うさふじ反撃かへりうちにせられしあとかゝり。ゆきちがひたる修行者しゆきやうしやこそ。仇人かたきならめとて追蒐おつかけしが。つひにその往方ゆくへうしなひて。遺恨いこんやるかたなく。三人のしがいをバ。ちかき山寺やまでらほうふり。それより山陰道さんいんどういでて。丹波たんばまでたりしゆめうちたれともしらずつげていはく。汝等なんぢらちゝにもあひ。あたをもうたんと思はゞ。おしまづきにありて陰陽いんようならびゆくところいたるべし。とつぐると見てゆめさめたり。二人此事を」26 相語かたらひて。つら/\かんがふるに。おしまづきをおくときハくわう也。また陰陽いんやうならびゆくハみやうなり。しかれバこのほとりに光明寺くわうみやうじなどいふてらあらんかとて人にへバ。若尾山わかをざん光明寺くわうみやうじといふ精舎しようじや。しか%\のところにあり。こゝに通紅つうこう寂霊じやくれい和尚おせうとまうすひじり寄宿きしゆくし給ふなる。その利益りやく灼然いやちこ也とて。老弱ろうにやく日毎ひごと群集くんじゆすといふ。さてハゆめつげハこのてらまうでよとの事なるべしとて。やがて彼処かしこたづねゆくに。和尚おせう徒弟とていかく阿弥陀仏あみだぶつよばるゝ沙弥しやみハ。缺皿かけざらちゝ源七げんしちなり。たがひにこハいかにとて。かつよろこびかつうちなきて。両人りやうにん法衣ころもそですがり。年來としごろあくがれて諸國しよこくたづねめぐれる事より。すべて身にかゝづらひたる一件ひとくだり」 の事をものがたるにぞ。かく阿弥あみ名告なのりあはじと思ひながら。彼等かれら孝心こうしんせつなるに躊躇ちうちよして。あらけなくもはしかくず。師父しふ寂霊じやくれい和尚おせうはるかにこの景迹ありさまを見そなはして立出たちいで給ひ。いかに角阿弥かくあみほとけもと凡夫ほんぶなり。にあふ事をふかくなはぢそとのたまへバ。角阿弥かくあみはつとかしこみて。不覚そゞろ落涙らくるいし。さてその宇奈手うなでもりにて如此しか々々/\のあやしみを見て發心ほつしんし。數年すねん諸國しよこく修行しゆぎやうしつ。このはるはじめて寂霊じやくれい和尚おせうゑつして。弟子でしとなりし事。又わが法名ほうみやうかく阿弥陀あみだぶつよばるゝ事ハ。われ宇奈手うなでもりにてたりし鹿しかつのを。頭陀づだぶくろおさめひさしくもてりける」27 を。和尚おせう御覧ごらんじて。なんぢむかしこのくしかころせしより。一族いちぞくみなわざわひかゝれり。もしこれを済度さいどせざれバ、なんぢみちがたく。どもらもいづることなしとおふせて。おほけなくも牝牡めを両頭にひきくしかために。一七日の法事ほふじ執行しゆぎやうし給ひ。あまつさへかのくしかつの経巻きやうくわんぢくとなし給ひぬ。しかるにその両頭にひきくじか和尚おせう枕上まくらかみたちてまうすやう。冤魂べんこん執着しゆうぢやくしてあまた怨敵おんてきわざはひせしも。いま善智識ぜんちしき済度さいどによつて。畜生道ちくしようどう苦艱くげんまぬかれ。走獣けだものとして人間にんげんあたせしつみをしり。さら道徳どうとく無量むりやう慈雲ぢうんあほぐ。感悦かんゑつ何かこれにしかん。されバこゝろばかりのむくひをなしたてまつるべう思ヘども。たえて」 けんずべきものなし。たゞ宿願しゆくぐわんのごとく一箇いつか建立こんりうし給んにハ。よろしき施主せしゆみちびきまゐらすべしといひをはり。かきすごとくうせたるあとに。年才とし五ッか六ッばかりなる稚児をさなご鹿しかかわつゝまれ。かしらばかりをさしいだせるが。忽然こつぜんとしてまへにあり。和尚おせうやがてかわおしひらきて扶出たすけいだしたまふに。かわつゝまれてより。あまたの月日をたりとハ見えながら。このつゝがなくてなくこゑなどもいとたかきぞ不思議しぎなる。和尚おせうつく%\と見そなはして。これ平人たゞうとにあらず。伽藍がらん建立こんりうすべき施主せしゆならんとて。ふかくいたはり。ちゝとひ給へども。いふ事すべてさだかならず。ときいたらバおのづからしるゝ事あるべしとて。これをやしなひ。かのくしかをバしとね28 として。今なほ法坐ほうざしかせ給ふとものがたるに。缺皿かけざら勇藏ゆうざう大に驚嘆きやうたんし。これうたがふべうもあらぬ。赤松あかまつ殿どの嫡子ちやくし佐用丸さよまるきみなるべしとて。縁由ことのよし演説ゑんぜつすれバ。かく阿弥陀あみだぶつも。諸共もろともに。不測ふしぎ因縁いんえん感激かんげきし。かつ晩稲おしね夘三二うさふじ廣岡ひろおか兵衞ひやうゑ夫婦ふうふ枉死わうしいたみ。紅皿べにざら不肖ふせうたんじ。缺皿かけざら三重之みへのすけ〈勇藏が|おさな名也〉成長ひとゝなりて。そのこゝろざしうつらざるを稱賛せうさんして。すみころもそでしぼりぬ。そのとき寂霊じやくれい和尚おせうのたまはく。角阿弥かくあみいたくなげく事なかれ。ぜん善報ぜんほうありあく悪報あくほうあり。顕身うつせみたれのがれん。かの紅皿べにざらすで鉄山てつさんためころされたり。しかれども寃魂べんこん彼人かのひと〓縁まつはりて。しか%\のところにあり。明日みやうにちくだん両人りやうにん。うちつれたち」 てこのてらきたるべし。しかれ共生死しようしみちことにするがゆゑに。紅皿べにざらきぬをもてふかくおもておほひ。そのちゝを見ることあたはず。かく阿弥あみも又そのこゑきいて。そのを見ることあたはず。かつかならずしも哭泣こくきうすべからず。われなんぢため紅皿べにざら済度さいどせん。缺皿かけざら勇藏ゆうざうハこのをりうかゞいあたうつべしとのたまひしが。はたしてその言葉ことばのごとく。つゆたがふことなかりける。さるほど缺皿かけざらゆうざうハ。たやすあたうちとつて寺内じない退しりぞき。鉄山てつさんくびもつて。兵衛ひやうゑ夫婦ふうふ夘三二うさふじだんきちれいまつり。寂霊じやくれい和尚おせうおんしやして。佐用丸さよまる乞受こひうけ。やがて播州ばんしうたちかへれバ。寂霊じやくれい和尚おせうかく阿弥陀あみだぶつをさしそえて。赤松あかまつ殿どの縁由ことのよしをいはせ」29 給ふ。かくて佐用丸さよまるつゝがなく帰着きちやくし給ひしかバ。國守こくしゆ義則よしのり夫婦ふうふハ申すもさら也。家隷いへのこ老黨ろうどう天によろこよろこび。勇藏ゆうざう缺皿かけざらちう感激かんげきしてやまず。これしかしながら 寂霊じやくれい和尚おせうたまものなれバとて。その法徳ほうとくしやせんが為に。義則よしのりすなはち狛野こまの靭屓ゆきゑをもつてあまた錢財たから寄進きしんし。丹波たんばおい一箇いつか建立こんりうし給へり。今の永澤寺ゑいたくじこれならんこれによつて寂霊じやくれい和尚おせうハ。年來としごろ宿望しゆくぼうはたし給ひ。又かのくしかため禿倉ほこらたてどうこく石川いしかは鎮坐ちんざまします。春日かすが明神みやうじん末社まつしやとし給ひけるとぞ。これよりさき勇藏ゆうざうハ。小舩をぶねたまはりたる。仇討あたうち免許めんきよ御教書みぎやうしよ義則よしのり返進へんしんし。姓名せいめい木村きむら三重之みへのすけ勇藏たけよし名告なのり

挿絵

〈挿絵第十図〉30缺皿かけざら婚姻こんいんしてながく赤松あかまつつかへ。いとめでたき事のみ打つゞきて。缺皿かけざら三年みとせほどに三たりの男子なんしうみしかバ。二男になんにハ廣岡ひろおかうぢなのらせて主家しゆうかおこし。三男さんなんにハ錦織にしごりうぢなのらせて。郡司ぐんじ夘三二うさふじ祭祀まつりをたゝず。 かく阿弥あみハいよ/\寂霊じやくれい和尚おせうしたがひて。なき人/\の菩提ぼたいひ。八十さいにして大往生だいわうじようとげたりとなん。かゝる事ありやなしや。人のかたるまゝにかいしるして。童蒙どうもうため勧善くわんぜん懲悪ちやうあく一端いつたんとす。あなかしこ。

盆石皿山記後編大尾31

刊記

刊記

曲亭きよくていおきなしよあらはすこととしあり、およそ一年いちねん刊布かんふするところの新編しんへんあるひ八九はつくしゆあるひじうしゆみなこれ児戲ぢげ假名かな物語ものがたりといヘども、今古こんこ如是かくのごとく強記きやうき強筆きやうひつ作者さくしやあることまれなり、今茲ことし皿山さらやま前後ぜんごへんけみするに、ぶん錦手にしきでをつらねて通俗つうぞくむねとし、こと樂焼らくやきにたぐひして自然じぜんたくみあり、かつ南京なんきんきよきをあげてハ、姉手あねでなる缺皿かけざらがうへをつくし、丹波焼たんばやきをはりをしめしてハ、瀬戸せと紅皿べにざらくだけあかす、」 いにしへいまかふがへてハ、中津なかつ唐津からつとほきをく、むろかすみ清水きよみづはなものかハあきまたはぎ挾男鹿さをしか染著そめつけを見て、さらに夢野ゆめののはかなきをおもふ、浮屠ほとけ方便ほうべん行基ぎやうきやきとくあれバ、仙家せんか方術ほうじゆつ粟田焼あはたやきのぶるあり、もしその才器さいき客皿きやくざらの十人まへすぐれずは、あにこぞつ秘藏ひさうせんや、これをほむればへつらふにちかく、かれをそしれバにくむにたり、よくたゞこのさらはこ書付かきつけして、つたなふで32はしらすることしかり、

  時丙寅夏日書於飯岱著作堂
           門人  一竹齋達竹  
             [太右衛門][達竹]  
 畫工   一 柳 齋 豊 廣 [一柳齋]

 

刊記

盆石皿山記前編二冊 〈先達賣出し|おき申候〉
同    後編二冊 〈當春の新版|此度賣出し申候〉

文化三丙寅年皐月上浣著述
同四丁卯年春正月吉日發販
          通油町
             鶴屋喜右衞門
  江戸書肆
          四谷傳馬町二丁目
             住吉屋政五郎梓
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# 新訂『盆石皿山記』−解題と翻刻−
# タイプ印刷であった旧稿「研究実践紀要」7-8号(1984-5年6月20日、明治学院中学校・
# 東村山高等学校)
に拠りつつ、解題を含めて本文も全面的に改訂した。
#【このWeb版は異体字を通行字体に直すなど、PDFヴァージョンとは小異がある】
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