這般○コノヤウナル顔 色 做 將 来
といふ二句を録したれバ。世に稀なる陶器なりとて。これを愛玩する事璧のごとし。もし奴婢誤てこの皿を打碎くものあるときハ。その罪。人を殺すにひとしく。忽地首を刎らるべし。と先祖より家の掟をたてたりける。かゝる秘蔵」下9
の皿なれバ。生平にハとり出すこともなく。年に只一度土用の風に當るのみ。よりてこれをとり扱ふもの。こゝろ利たるにあらねバ委ねず。缺皿ハその性しづかなる女子にて。この任に堪たるもの也とて。今茲ハ彼皿の出納をまかせしかバ。一日缺皿これを拭ひおさむる時。夏の日のならひにて。さしもの晴天見るうちにかき曇。ゆふ立さつと降出して。一声の雷。項の上へ落るばかりに鳴わたれバ。缺皿噫と怕れて。思はず手にもつ皿をとり落し。忽地微塵に打碎きぬ。こハ浅まし何とせんと慌忙。その虧をひろひつゝ。継あはせてもまとま」
らぬ。身のおさまりを案じやり。周章大かたならざれば。傍輩の下女會合來て。あら笑止や。御身このまゝあるときハ。終に命をとらるべし。はやく迯去り給へかし。とく/\とせり立れど。缺皿ハなほ泣沈み。はか%\しく回答もせず。この声をもれ聞てや。臺所にて薪を割てありし。奴隷勇蔵といふもの。薪割を引提つゝこゝに來て。缺皿が傍にどつかと坐し。われつら/\思ふに。この皿のあらん限りハ。家に罪人絶べからず。一枚碎て殺さるゝも。十枚碎て命をとらるゝも。その罪ハひとつ也。われ今残る九枚をも」下10
打碎き。以後の愁を断べしといひもあへず。彼薪割をふり揚て。はつしと打バ件の皿。碎て四方へ飛散たり。こハ何事ぞと缺皿も。下女等も一齊驚きさはぎ。狂氣やしたる勇蔵殿。過してもいひ訳の。ならぬ掟としりながら。われから求めて碎きしハ。年わかい身を世に倦て。はやく死たい願ひかや。いとおぼつかなし短氣なり。とみな口々にさゞめけバ。勇蔵少しも怕るゝ色なく。皿を残らず碎くからハ。殺さるゝハ覚期のまへ。わが一命を擲て。後の罪人あらせじと計る事。家の為主人の為。又この家に奉行する。下男下女」
の爲なれバ。命ハさら/\惜からず。と詞すゞしくいひ放す。浩處へ主人兵衞。城中よりかへり來て。この光景に驚き怒り。まづその故を糺明するに。勇蔵憚る所なく。缺皿が過わが身の所存。詳に申せしかバ。兵衞ます/\憤りて。勇蔵をしばし白眼。汝ハ幼少より召仕ふかひもなき。不忠不義の愚者也。過て打碎くさへ。殺すべきに定おくを。みづから碎て主を侮るこそ安からね。以後の見懲し両人とも。覚期せよと罵りつゝ。缺皿と勇蔵を。高手小手に縛て。庭の松に繋とめ。なほ〓りて」下11
いふやう渠奴等ハ今夜蚊に吸せ。思ふまゝ苦〔し〕めて。その後空井へ投下し。生埋になしくれん。もし迯しなバ汝等も。同罪なるぞといひわたし。一室に入りて休足せり。兵衛が庭の空井戸といふハ。求めて堀しものにあらず。むかしよりこの穽ありしを。便物数奇にて。井戸のごとくせしものにて。たえてその深さをしらず。日毎に芥を掃入るれど。終に埋りし事もなきに。彼二人今宵その裡へ投こまれなバ。生なから捺落の底へ陥るに異ならず。と妻の小舟もふかく憐み。侍児婢もろともに。痛しくハ思ヘども。主人の怒りつよけれバ。いひ」
宥んとするものもなく。うちこそりつゝさゝやきあひぬ。かくてその夜も暮過て。雨ハ霽ても身ハ晴ぬ。心小ぐらき木下闇。膚を薮蚊に刺れても。拂はん手さへかなはねバ。おなじ縲絏もわれ故に。繁る罪のよしなやと。缺皿勇蔵を見かへりて。御身筋なきわざをなし。みづから非命に死給ふも。過世の悪因なるべけれど。かねてわらはと訳ありて。方人やし給ひし。と人に思はれんもいと朽をし。今ハこの世のおもひでに。夲心あかし給へといへば。
勇蔵莞然とうち笑て。われハ元雲州富田の城主。塩谷駿河守師高の家臣に。木村源七が」下12
甥。同苗三重之介といひしものにて。師高滅亡の時ハ。僅七才なりしが。叔父源七に伴れ。富田の城を落ゆく折しも。乱軍に隔られ。ひとり彼此を吟呻ありきしに。伯耆の黒坂にて。前主人左膳様に扶られ。年來の養育も。郎君兵衛様もろともに。武藝の稽古讀書算法。下郎にハ不相應。弓の引やう太刀ぬくすべまで。習得たりし鴻恩を。思ふにつけて淺ましや。この家の掟とて。皿を碎ハその人の。命をとるとハ氣疎き成敗。世に播州の皿屋敷と。唄るゝ朽をしさ。御子孫長久の基に」
〈挿絵第六図〉」下13」
あらず。何とぞ家法をたてなほさんと。忠義に凝たる心から。日來の願ひけふの今。わが身を捨る陰徳に。主家の繁昌あらせたさ。さてこそかくハなしたれと。語れバ缺皿大に驚き。さてハかねて聞及ぶ。三重之介とハ御身よな。わらはすなはち源七が。女児にて候ぞや。父の身の果わがうへの。はじめをいへバ如此%\也。をはりを語れバかやう/\。と話しつ聞つ従弟どち。互に縲絏の名對面。しらぬ事とてこの年月。ひとつ第宅にありなから。明しあはねハしりもせず。今般の際に名告あふ。げにも親身の泣よりぞと。」下14
共にかこつも哀れ也。されバ夏の夜明やすく。梢の蝉も声するに。下女婢めを覚し。雨戸繰つゝ庭を見れバ。缺皿勇蔵ハ。夜の中空井戸へ投入れられしとおぼしくて。女の髪の毛ところ%\に乱れ散り何となく凄じけれバ。思はず襟元ぞつとして。走り入らんとする折しも。居多の捕手乱入し。捕た/\と〓バ。兵衛臥房より走り出。こハ狼籍也推参也。何の罪ありて。かく手ごめにハなし給ふ。といひもあへぬに。物頭狛野靱屓すゝみ出。罪なきものを召捕べきか。前夜相公の御寐所へ。何」
ものともしれず諜び入り。御秘蔵の数珠を盗て迯去時。義則いざとく在しませバ。むつくと起て鎗引提。迯すまじと追給ふに。彼賊迯足はやくして。築垣を飛越つゝ。往方なく迯うせし。跡に残るハこの尻鞘。〓の尾をもつて作るところ。定て件々覚あらん。しかのみならず。御辺かの数珠を懇望する事。相公にも〓しましませは。盗賊ハ問ずとも。廣岡兵衛に疑〔ひ〕なし。いそぎ召捕り参れとある。御諚によつてむかふたり。と縁由聞く程不審く。疇昔までありつる尻鞘。いつの程にか赤松殿の。寝」下15
所ちかくハ。誰がもてゆきし。と思ふにます/\疑ひまどひ。しばし回答もなかりける。狛野靱屓氣を焦燥。いひ訳あらバ城中にて。みづから仔細を申されよ。といひつゝ佶と注目すれバ。大勢おち合て兵衞に索をかけ。追とり囲で引ゆけバ。妻の小舟ハ轉いで。こハそも何の報ぞと。あくがれ歎くを下男下女。さま%\にいひこしらへ。やうやく套房へ伴ひ入れぬ。されバ家内の物思ひに。夏の日いとゞ遅く暮て。小雨そぼ/\とふり出し。風も新に凉やか也。更ゆく鐘の数そひて。いと物凄き庭の面飛ぶハ蛍か誰魂かと。見る間に井戸より一團の。燐火」
陰々と燃上り。缺皿がありし世の。姿かはらずあらはれ出。さも苦しげなる声音にて。件の皿をかぞへける。一ッひとりか二人の最期。三ッみな四になき魂の。ふかく沈し筒五ッ。六ッの街を迷ひ來て。七ッ八ッとハ丑三時。九ッ声もかれ%\に。十といひつゝわつと泣。姿も声もおぼろけに。見る人膽を冷しけり。かくのごとくなる事夜毎にして。この沙汰世上に高く聞え。彼播州の皿屋敷。幽霊井戸といひ傳へ。かたり傳へたりけれバ。兵衞が妻ます/\悲しくて。夫が不慮の禍にて。禁獄せられ命危き事。みな是缺皿勇蔵を殺し給ひし祟」下16
ならん。せめてなき跡弔ひなバ。その功徳にて夫の命。助かる事もやとて。一日横坂の圓應寺に参詣し。住持に對面して。怨霊得脱の事をたのみ聞え。既に立かへらんとせしに。この寺の門前にて。おもひもかけず缺皿勇蔵にゆきあふたり。小舟ハこれ幽霊ならめと見てけれバ。噫とばかりにうち驚き寺内に走り入らんとする。袖をひかへて彼二人ハ。声を等して申やう。縁故をしろしめさねバ。疑ひ給ふも道理也。われ/\その夜殺さるべしと思ひ究しに。夜更人定りて後。兵衛様ひそかに庭にたち出給ひ。わが先祖より定たる家法とハいひ」
ながら。皿一枚の故をもつて。人の命をとらん事。不仁とやいはん非道とやせん。しかるに名詮自性の理にて。缺皿と呼ぶ女子に。彼皿をとり扱せしハ。是缺損ずべき前表なり。又勇蔵が家を思ひ。主を思ひて。残る九枚を悉く打碎しハ。類稀なる大丈夫。賞するになほあまりあり。さりながら。今明白に二人を助〔な〕バ。先祖の掟を破るに似たり。皿さへ家になくならバ。かさねて罪する人もなく。非法もこゝに事果て。掟も今より用なけれバ。わが歓〔こ〕びこれにます事なし。汝等はやく立退て。時節をまちて帰参せよ。命がはりの成敗ぞ。と仰も果ず」下17
二人の髻。刀を拔てかき剪給ひ。縛の索解釋して。剰路費の金子。十両を給はりしかバ。只是夢のこゝちして。ふかく主君の恩恵を感じ。二人もろともに宅地を立退。夜明て五六里落のびしに。途にて聞バ兵衛様にハ。その朝不慮に召捕られ。禁獄せられ給ひし。といふハ実事かおぼつかなしと。立かへりつゝよく/\聞に。その噂虚言ならず。何とぞ御先途を見とゞけて。再生の恩を報じ奉るべくおもひ定め。この横坂に住家をもとめ。圓應寺の本尊ハ。霊験掲焉と聞及べハ。二人日毎にこゝに詣。主君の厄難救はせ給へ。と念」
ずる外ハ候はず。と語れバ小舟ハいよ/\不審。わが夫の情にて。御身両人命助りしといふ事。更に誠とも思はれず。その故ハ。缺皿が幽魂。彼空井戸より夜な/\あらはれ。碎けし皿をかぞふる声。聞たるもあり。見たるもあり。その怨霊を鎮ん為に。わらはも御寺へ参りし。といひ聞するに缺皿ハ。思はず襟元ぞつとして。しばし疑念ハ晴ざりける。勇蔵やゝ沈吟して。何條さる事候べき。孤狸がその虚に乗じて。人を妖すわざくれにこそ。それがし今宵窺て。性体見とゞけ候べしと申けれバ。小舟もこれに従て。互にその夜の暗号を定め。主従内外に別れ」下18
去りぬ。さる程に勇蔵ハ。彼妖怪を為止んとて。その夜更て兵衛が庭に諜び行。築山の蔭に木がくれてこれをまてバ。聞しに違ず缺皿が姿。空井の下よりあらはれ出れハ。勇蔵楚と見定て。用意の手裏剱拔出し。はつしと打ハ手ごたへし。忽地井戸へ陷りしが。一反はねて踊り出るを。勇蔵透間もなく走り蒐り。十刀あまり刺とほせバ。さしもの化精よはり果。やうやく息ハ絶はてたり。家内の男女この胖響に驚きつゝ。手に/\手燭を秉て走り出。みな/\これを熟視るに。缺皿が幽霊とおもひしハ。角一ッある鹿にして」
〈挿絵第七図〉」下19」
蒼毛斑に生。大さ牛のごとく。尾ハなくして頸に一連の数珠を掛たり。是なん過し春。兵衛が奥長谷にて。尾を射切し〓なるべきが。その仇を報んとて。兵衞に化て彼数珠を盗去。兵衞が刀の尻鞘を残しとゞめて。罪に陥さんとハなせしならん。とみな/\はじめて暁つ。ふかく勇蔵を賞美せり。さて勇蔵ハ。この〓を人夫に扛せて城中に参り。兵衛が罪なき事。件々申上。すなはち数珠を獻れバ義則驚きよろこびて。早速兵衞を獄屋より宥し出し。只管勇蔵が誠忠を感じ給へバ。兵衞ハ罪なき明たちて。」下20
歓びに堪ず。〓の由來。缺皿が事。くはしく演説せし程に。赤松殿再び驚嘆あり。彼缺皿ハ。前年狼に啖れつると聞たるが。さてハ年來兵衞が家に養〔は〕れけるよな。いそぎ缺皿勇蔵を召すべしと仰ありて。御前ちかく召出され。汝等今下賤に落下れども。その志ハ貴人よりも慕し。殊に缺皿と勇蔵ハ。従弟どち也と聞。われ媒して夫婦とすべし。今より當家に奉公せよと仰けれバ。両人承り。有がたき御諚にハ候へども。源七一旦家出してその存亡をしらず。勇蔵が為にハ幼少養育の叔父也。かた/\もつて。二人が。身の暇を賜り。源七紅皿が往方を索ね」
今生の對面願ひ足りなバ。その上ハまかり帰りて。御奉公仕り候べしと申上るにぞ。義則ます/\感心ありて。路費百両を下し給ひ。その願ひにまかせ給ふに。兵衞も面目身にあまり。主従有がたしと御請申て。軈て御前を退ぬ。かの源七紅皿ハ。今いづくにか身を倚たる。見る人。後の巻の出るをまち得てしらん。
盆石皿山記前編下果」下21終
東都の飯台ハ。下街を前にして。山壇を後にす。西方遠く望ハ。〓々たる士峯の皎々たる白雪を眺め。南方近く顧バ。渺々たる東海の瀞々たる緑波を看る。東に天台の靈山を拜し。北に白馬の翠嶽を仰。艮にハ吉原。巽にハ深川。乾に新駅。坤に不寝。雅にも俗にも便よき。かゝる勝地に一亭あり。曲亭と号し。著作堂と稱し。又簑笠軒と喚做せり。其名るところ三ッにして。その棟ハ一ッにこそ。主人天禀滑稽に長じ。」
神にハ唯一の信言を尊み。佛に夲来空言を宗とし。彼譬喩品の種本ハ。題目構より融通がよく。田夫山妻市井の童蒙。一たび著編を見るときハ。忽春雨の睡眠を覚し。速秋宵の欝悶を掃ふ。故に先生の戯号。國中に洋縊し。久方の天の覆ふところ。あらかねの地の戴〔す〕るところ。天上玉帝の護るところ。月天子の照すところ。猪牙舩のかよふところ。車子の到ところ。人のあゆむ所。霤吹のかゝるところ。凡血の氣あるもの称讃せざる事」跋1
なし。こゝをもて遠方の賓客。近隣の坊友。肉儿橋を下〓の〓に比してハ。霧を拂て訪に鶏明を早しとせず。著作堂を臥龍の庵に擬てハ。雪を踏て來りて鵝毛を辞せず。嗚呼高かな先生の名。大なる哉先生の才。こゝろ尚古にありて今俗を事とし。よく自己を知て常に羞る色あり。その性強記便敏にして。著述昼夜をすてず。起てハ記し臥てハ讀。一篇の作意はにぢり書の手簡より手がるく。一帙の草藁ハ。一旬を」
出ずして成。只先生の滑稽と。戯編とハ得て学べく。その強記と強筆とハ。得て一日も真似がたし。これらハ僅に十が一チ二イ。讃して師の後に題すれども。その言はなはだ過たりとて。先生嘗聴さねバ。私に書肆を相語て。謾に戯文一篇を附し。こゝにあが佛を尊むものハ。
曲亭門人 嶺松亭琴我 [琴我]
[画工 一柳齋豊廣筆 [豊廣][哥川氏]]」跋2大尾
丙寅 四天王剿盗異録 全十冊 勸善常世物語 全五冊
發兌 三國一夜物語 全五冊 新編水滸画傳 初編 十冊
曲亭 敵討誰也行燈 全二冊 盆石皿山記 前編 二冊
著述 ○盆石皿山記後編 来春追出
目録
○文化二年乙丑夏五月著述
○同 三 年 丙寅春正月發行
江戸四谷傳馬町二丁目
住吉屋政五郎梓」奥付
盆石皿山記後編
【表紙】
【見返】
曲亭馬琴戲作 今刊二冊
盆石皿山記後編
一柳齋豊廣畫 鳳來堂梓
【叙】
刊皿山記後編叙[雕窩]
去年の早苗月なかばにやありけん、鳳來堂が需に應じて、皿山記二冊を作れり、いまだ紙屋の肆をにぎはすに足らねど、鬻ものゝ為に利なきにしもあらず、よつて今茲亦さつきのはじめより、この後編をものせよとて、乞るゝことしば/\也、かの前に版せし二巻は、もとすゑもはや忘れたるを、ふ」
たゝびうち開きて讀くだち、俄頃に編次〔て〕全夲とす、さハ晋子が、二夲めは与市もこまると口遊し、扇の風さへぬるき、夏の日くらし硯にむかひて、汗とゝもに絞出せる趣向なれバ、おちかへり鳴杜鵑ならで、いつもはつ音のこゝちするは稀なるべく、後編いづれも前編に、不及と人はいふめれど、彼岸櫻に匂ひうすく、芋名」1
月は曇こと夛し、しかれ婆後のながめこそ、はじめにもなほまされとて、ます/\この草紙の長に行れん事を、書肆が為に希ふのみ
文化柔兆摂提格麦秋上浣
飯岱 曲亭馬琴重叙
[馬琴][著作堂]
〈後編目録〉
後編目録
[第六 〓の 皮〓]
[第七 大澤の闇撃]
[第八 因果 の 鐺]
[第九 熊野路の露]
[第十 忠孝の世栄]
通計五箇條目録畢」2
〈口絵第一図〉
木村三重之介勇藏
児さくら 手折らば人の 肩車」
〈口絵第二図〉
紅皿
鍋の尻 かくまで雪に とし暮ぬ」3
鹿の角 まづうら枯の すがたかな
通紅寂靈和尚
〈口絵第四図〉 〈口絵第三図〉
錦着て立り故郷の秋のやま 皿山鉄山
缺皿 重出」 寐ぬ門へ おふむかへしの 暑かな」4
【再識】
前編二冊に述るところハ。木村源七が傳。錦織郡司が事。晩稲落穂両婦の善悪。紅皿缺皿姉妹の邪正。廣岡兵衞が側隱。赤松義則の仁慈。奴隷勇藏〈木村氏小名を|三重之介と称す〉が誠忠。鹽垂山〓の竒談。皿屋敷古井の縁故等是なり。それより以下。今亦こゝに記せり。いまだ前編を讀ざる人ハ。かならずまづ彼二冊を閲し。しかしてこの後編をよみたもふべし。文辞のいやしきハ。原〓子の為にして。前自叙に説が如し。且寸楮 ○サヽヤカナルカミ の冊子風情を盡すことあたはず。されど長くてくた/\しくものせんにハ勝る事もあらんかと也。」5
盆石皿山記後編上
曲亭主人述
[第六 〓の皮〓]
赤松上總介義則ハ。勇蔵缺皿が忠義によつて。輙く〓の妖怪を退治し。廣岡兵衞が為に冤屈を解て。その一家恙なき事を得たりしかバ。ふかく賞美あつて。彼等がねがひに任せられ。木村源七が在処を索めぐれる路費として。金百両を給はり。志を遂たらんにハ。速に立かへりて。奉公すべきよしを仰らる。さる程に勇藏ハ。缺皿とゝもに行裝を整へ。赤松殿に御禮をまうし。兵衞夫婦に別を告て。ゆくへも定めず」
首途せり。これみな彼等が忠孝の天助によつて。主従一時に面目を施とハいヘど。もし義則寛仁大度の良將に坐さずハ。有がたかるべき僥倖なり。こゝをもて廣岡兵衞ハ。國守へ些の報ひをなし奉らばやとて。勇藏がうち畄たる〓の皮を〓に作らせ。これを義則に献じける。この〓ひろき事半席にあまり。毛も又柔にして蚤を退。居こゝろ寔に比なかりし程に赤松殿ふかく愛よろこび。常住坐臥にはなち給ふことなし。頃しも文月上旬のことなるに。義則件の〓を端ぢかう布せて。庭の秋草をながめ給ふに。夕月も隈なく出て。ひよろ/\と白露の。萩」6
の葉ずゑに登れるなど。又一しほの風情なれバ。漫に坐をたちて。飛石つたひに彼此を〓〓し給へり。この時義則の嫡子佐用丸とまうして。年才五ッになり給ふが。跡に居かはりて。彼〓に坐し給ひぬ。浩処に今までよく晴たる天。俄頃に結陰。風さつとおろし來る程こそあれ。〓の四隅おのづから巻かへりて。佐用丸を中に包み。虚空遙に飛揚して。往方もしらずなりけれバ。赤松殿ハさら也。傅の老黨。乳母女の童なんど。駭きさわぎて。弓矢薙刀を携。其処かこゝかと罵あひ。只顧に散動けども。雲居に閃き登れるを。いかにともすべき」
〈挿絵第一図〉」7」
やうなし。遮莫落るところを見究よとて。城中城外野山のきらひなく。通宵索めぐれども。それかとおもふものも見えず。なほ海陸となく。詰朝より追人をかけらるゝに。日ハ徒にたちゆくのみにて。絶てその信も聞えざりし程に。義則ます/\憤に堪ず。安からぬ事かな。悪獣いかばかり神通を得たれバとて。死して僅に畄たる。只一枚の皮に。わが子を取られし事。室町殿ハ勿論。隣國の諸侯に聞れんも面ぶせなり。こハ武運にも竭しかとて。日毎に歯を切り。蒼天をうち仰ぎて。罵り給ふぞ理なる。ましてや義則の奥方ハ。哀傷に袖さへ乾かず。泣あかし泣くらし。あらふる神」8
佛に祈願して。今一たび佐用丸にあはせ給へとかこち給ひぬ。かゝりし程に廣岡兵衞ハ。此度の殃。みなわが身ひとつの誤也と思へバ。いと影護て。ふかく引籠居たりしが。つら/\縁故を考るに。彼〓飲までしうねくして。死後なほ崇をなせし事。唐山にもさる例あり。太古大人の女児馬皮に巻れて樹の又に掛り。女児と馬ともろともに。蠶と化けるよしを。捜神記に載たりしに。われこゝに心つかずして。國守に禍をうつしながら。安然として居るべき謂なしと思ひ定め。軈て赤松家の老黨狛野靭屓につきて申けるハ。佐用丸ゆくへなくなり給ひし事。兵衞が過なり。させる」
咎ハ蒙らねど。その罪ハみづからしれり。しかれバ立地に腹かき切りて。罪を償ひ奉るべし。とハ思ひながら。兵衞が死したりとて。若君のかへり給ふにもあらず。只ねかはくハわが首をしばしわが躯にあづけられ。身の暇を給はらんにハ。高麗唐土の果までも索めぐり。不幸にして落命あるとも。骨を拾ひて立かへり候べし。申ところ偽らざる証据にハ。女房小舩を人質として。残しおくべきにて候。あはれよきに執し給はれかしとて。餘義なきさまに申出しかバ。義則聞食て。今度の殃ハ。彼が越度にもあらず。事のこゝに及べるは。天なり命なり。われ頃日夥の士卒を走らせ。普く索めぐら」9
せても。なは便を得ざるものを。彼弥勇に思ふとも。いとおぼつかなき事也かし。しかハあれ。兵衞ハ日來義に勇むもの也と聞り。もし聽ずハ可惜丈夫を死さん歟。ともかくも彼がいふ隨になさせよと仰ける。兵衞ハ旨を承て大に歓び。内室小舩にハ老たる奴婢をつけおきて。山脇に残しとゞめその身ハ團吉といふ下郎一人を従へ。大和河内にハ深山も多けれバ。まづこの両國を索ばやとて。既に長旅の用意をしつ。遂に播州を發足せり。是ハさておき紅皿ハ。三年己前に故郷を追放せられ。美作播磨のうちに足をとゞむる事を許されねバ。彼此を呻」
吟て。遂に津國より大和路へ迷ひ出て。待乳越にかゝりける日。畠田のこなたより。戻馬率つゝ。旅人まちがほなる馬士。彼がひとりゆくを見て。こハ欠落もの也と思ひしかバ。後になり先にたち。仮初にものいひかけて。さま%\に勦慰め。御身が疲労たる形容を見るに。いと痛まし。わが馬に乗り給へ。家に伴ひて今宵ハあるじせんといふ。しかれども紅皿ハはやくその心を猜し。よきに回答てとりあはず。彼をやり過さんと思ひて立在ハ。馬士も亦停立。走れバ人も馬ももろともに走り來るにぞ。いよ/\思ひ悩る折しも。一驟雨のさとふりて。忽地盆を覆すがごとくな」10
るに。馬士ハ〓ふためきて。荷鞍に結びつけたる笠をとらんとするに。あやにくに風にあふられて。頓にハ紐の解やらず。紅皿ハすハこの隙にとて。路四五町走り拔にけれど。雨ハます/\降る程に濡たる衣の手足にまつはり。路又いたく滑りて思ふまゝにハ走り得ず。と見れバ路傍なる大榎の下に。山神の禿倉かとおぼしきがありけれバ。この軒下にかくろひて。しばし晴間をまつ程もあらせず。彼馬士ハ漬〓になりて追ひ來たり。馬をバ榎に繋畄つゝ。紅皿が襟上掴て引ずり出し。這奴甚ものをしらず。われハ慈眼をもて。汝がひとりゆくを憐み。わが馬に乗せ」
てわが家に伴んといふを。あしう聞バこそ。迯も躱もすれ。その義ならバすべきやうありと罵り。やがて紅皿に手拭はませ。わりなく馬に掻き乗せんとする処に。思ひもかけず禿倉の裡より。三十餘歳の武士。扉をさと押開て走り出。矢庭に馬士が肘をとつて撲地と投つくれバ。こハ朽をしとて起んとするを。刀の脊もてりうりうと打すえ。此奴憎べし。伴のなき女子と侮りて。かく理不盡なる所行をなすハ。勾引さんとの計較なるべし。
この街道にて。おり/\さる癖者ありと聞つるが。わが眼にかゝりてハ許がたし。観念せよといひもあへず。ふたゝび刀をふり揚れバ。馬士ハ噫と叫び」11
て見かへるに。この人ハ是。二見と上野の間なる。犬飼の郷にて。錦織夘三二と呼るゝ劍法の師匠なれバ。驚き怕れて返答にも及ばず。馬を捨おきて迯去りけり。夘三二ハ遙に目送りて。から/\とうち笑ひ。さて紅皿に對ていふやう。汝が為体此わたりのものともおぼえず。いかなる故ありて。遠く迷ひ來るぞと問バ。紅皿答て。わらはは作州皿山なるものなるが。いかなる故ともしらず。親族俄頃に罪せられて。悉く死亡。わが身ハ國の境を追れて。寔によるべなきまゝに。そこはかとなく呻吟て。この処まで來たりしに。彼馬士情を見せて。家に」
〈挿絵第二図〉」12」
伴んといふ。こハ誠の心もてしかいふにハあらず。賺こしらへて妓院などに賣らんとする底意なりとおもひしかバ。むら雨の降出たるを幸にして。只顧に走り拔んといたせしに。躱れ果さずして既に難義におよびしを。かく救ひ給はる事。再生の恩いつの世にか忘れ侍らんといふ。夘三二点頭て。さもこそあらめ。われ此禿倉に走り入りて。雨やどりせずハ。汝ハかならず活地獄へ堕さるべし。美作ハわが故國なるに。彼処の人ときけバいとゞ見すつるに忍がたしわが家に來れ。よきに養ひ得させんといふに。紅皿ハ暗き夜に月の光を見るこゝちしつ。伴れて犬飼に到りぬ。抑この錦織夘三二ハ。美」13
作國二宮村の郷士錦織郡司が甥也。いと弱年より義氣ある男にて。一たび郡司に養れ。その家を嗣べき人なりしに。養父郡司罪ありて。世帯を没収せらるべしと聞えたるころ。その過をわが身に引禀。みづから罪せられんことを申出にけれバ。郡司もいと便なく思ひて。夥の金銭を惜まず。彼が為に命乞せし程にやうやく死刑を脱れて。故郷を追放さる。しかりしより夘三二は些の由縁をもとめ。大和の犬飼に來りて。做ひ得たる釼法を指南し。こゝにあること十五六年に及びしかバ。里人等敬ひて。他事なくもてなし。媒するものありて。久米氏の女を娶り。市平といふ」
奴隷一人をめしつかひて。富にハあらねど。世をわたるに易し。さても夘三二ハ。その日紅皿を伴ひかへりて。妻にも彼がうへをものがたり。なほよく素生を問に。たえて久しく音耗なき。作州の伯父錦織郡司が名迹を相續したりける。源七といふものゝ女児也と申にぞ。此母子が邪なりしをしらねバ。夫婦いよ/\憐みて。是より下女として叮嚀に養ひ。はやく三年の月日經て。紅皿既に十六歳になりぬ。しかるに今茲春のなかばより。夘三二が妻風のこゝちとて打臥たるに。藥餌も驗なくて。次第によはりゆくばかりなれバ。紅皿ハ
竊に歓び。あはれこの人いかにもなり」14
給へかし。われその跡へおしなほりて。世を安く送るべきにと思ひながら。さらに色にも顕さず。昼夜看病していと信やかにもてなしける。心の中こそおそろしけれ。かくハ如月のすゑに至りて。夘三二が妻遂にむなしうなりにけり。七々の追善かたのごとく営つゝ。去者ハ日々に疎なりゆくが世のならひなれバ。夘三二も独寐の枕さみしさに。紅皿を妾とせり。彼女子究て淫婦なるに。世才人に勝れたれバ。只顧媚てあるじの心に稱やうに挙止ほどに。夘三二もいつしかにこゝちまどひて。後妻にもせまほしく思ヘども。われにハいたく年才の劣りしをもて。黙止」
せしとぞ。されど何事も夲妻に異なることなく。よろづ家事をうち任せける。
[第七 大澤の闇撃]
こゝに亦久米鉄平といふものありけり。これハ夘三二が妻の従弟にて。ちかきほとりに住居せしが。いとはやくより孤となり。年既に廿五才に及べり。彼内縁のものなれバ。夘三二も年来釼法射藝を教へ。三年あまり前に洛へ上して。奉公を〓せけれども。万能の勝れたるも一心の正しきに不及。器量骨柄ハ人なみに超たれど。その行ひよからずして。彼此を漂泊し。遂に身の」15
よるべなさに。このころ犬飼へかへり來にけれハ。夘三二彼が放蕩を怒るといヘども。妻の世を去りて程もあらぬに。その従弟なるものを追ひうしなはゞ。なき人もさこそ心憂かるべけれと思ひかへし。さま/\教訓して養ひおきぬ。しかるに紅皿ハ。夘三二が声色に泥まで。門人の許より得たりける。舶来 からわたり の鶴鵡を寵愛し。又武稽指南の暇ある日ハ。山猟して。朝より夕まで。家にある事稀なれバ。いたくうらみて疎しうおもふ折しも。鉄平が年もわかくて。よろづ風流たるに。三とせが程に見なれたる。都の手ぶりさへ。こゝの里人に似るべうもあらねバ。密に目をもて思ひを」
運せしかバ。鉄平元來色このみなるに。紅皿が〓きにこゝろを動して。膽ふとくも恩ある人の傍妻と密通し。をり/\あるじが畄守を窺て相語を。夘三二は更にしらず。その年の八月上旬。雨の日のつれ/\なるまゝに。ひとりもたれ柱によりて。孫氏が兵書を讀つゝ。不圖柱に掛たる〓の中に。鸚鵡の囀を聞けバ。紅皿と鉄平が。密言を口真似す。こハあやしとて。なほ耳を側だてゝ聞に。疑ふべうもあらぬ。彼二人が密會日の相語なり。ものに驚き鞅掌ざる夘三二も。怒り心頭に發りて。直にうちも果すべう思ひしが。やゝ胸を押鎮め。まづあたりを見る」16
に。紅皿ハ脊門の板間の雨漏をとめんとて。鉄平とゝも彼処にあり。又厨のかたにハ。奴隷市平が。麁朶を打こなして居たりけれバ。密に招き。只今かゝる事あり。汝ハ定めてよく縁故をしりてこそあらめ。彼等が不義の為体を審にしらせよといふ。この市平ハ年五十にあまりて。鈍ものなれども。人を憐むの心ふかゝりし程に。はじめハ明白にも告ざるを。夘三二いたく責間にぞ。遂に匿がたくて。僕も楚と見とめたる事ハあらねど。宣ふごとく。彼二人の景迹にこゝろ得がたき事多しといふ。夘三二點頭て。われ明日すべきやうあり。汝かならずこの件」
〈挿絵第三図〉」17」
の事を彼等しらせそとて。その口をとめ。つく%\とおもふやう。世にハ怪有なる奴もあるものかな。彼紅皿ハ。三年以前この國へ呻吟來て。既に悪徒の為に勾引されんとしたるを。救ひ得させしのみならず。年來あはれみて養ひおき。剰妻の身まかりて後ハ。傍妻としてよろづを委ね。又鉄平ハ。幼年より武藝を教へ。成長てハ夥の路銀を齎し。奉公〓の為に洛へ上したるに。放蕩にして事を遂ず。路銀ハさら也。衣服太刀などさへうしなひて。おめ/\と立帰れるを。なほ恕して養ひおくに。彼もし聊も恩義をしらバ。させる志ハ盡さずとも。かゝる畜生」18
の行ひハすまじきに。形のみ人なみにて。心ハ犬にも劣りたるものども也。這奴等が首をならべん事。今宵の中を過さじと思ひしが。又おもふやう。わが家にてこれを殺し。人をさわがせんハ恥のうへの恥なり。とかく里遠き山中へ誑引出し。なぶり殺しにしてくれんずと。既に思案を定め。さて次の日天も晴けれバ。その日の昼過て。紅皿鉄平にいふやう。われ今夜大澤へゆきて。虫を聞んとおもへバ。汝等をも伴ふべし。割籠の用意せよといひおきて。弓矢携つゝ庭に立出。巻藁射てぞ居たりける。紅皿も鉄平もかゝるべしとハ思ひもよらず。鮎のしら焼に。握飯を割籠に」
詰。吸筒蓆やうのもの。すべて携ゆくべきをハ。悉くとりあつむる程に。日もやゝ西へ没なんとす。この時奴隷市平ハ。主人夘三二が日來劇しき心ざまに似ず。彼二人が不義を暁得ながら。今夜虫聞に伴んといふこそ。心にものあるなるべけれ。それをしりつゝ刀の錆となさん事。いたましと思ひしかバ。彼二人をもの蔭にさし招きて。きのふよりかゝる事あり。もし大澤へゆき給はゞ。大なる禍あるべし。その心して途より逃去給へかしと密語バ両人聞て驚き呆れ。しばし忙然として居たりしが。佶と思ひかへして。市平に對ひ。よくぞしらせ給ひたる。身におぼえハ」19
なけれど。機に臨て安全の計をなすべしと回答ける。時に夘三二庭より立かへりて。はや時刻になりぬ。誘ゆくべしと。いふ。紅皿ハ市平がものがたりにて。鸚鵡が口さがなくて。わが密事をあらはしたりと聞てふかく憎み。常のごとくとまり餌を飼さまにて。竊にその餌に夥鹽を搗まぜて。〓に入れおき。手ぢかなる金を盗て懐にし。三人もろともに立出けり。彼大澤といふハ。犬飼より遙西北にあたれる。山の麓なれバ。ゆきもつかざる間に日は既にくれたり。夘三二ハかく謀ぬれど。慮ふかきものなれバ。只仮初に。鳥の囀」
を聞。市平がおぼろけにいひしのみにて。みづから認たるにあらねバ。今宵よく不義の證据をあらはしてこそと思ひ。待乳山のこなたを過るとき。鉄平紅皿を見かへりて。われハ石寺へ立よりて。跡よりゆくべきに。汝等ハまづ彼処に到りて。よき木の下に蓆布まはして待候へといひかけて。みづからささやかなる挑灯をともし。路を横ぎりて。立わかれしかバ。紅皿密に鉄平が袖をひかへて。彼人石寺へ立よるとてわかれしハ。大なる幸なり。とくこの隙につれて退給へ。やよ/\といそがせバ。鉄平しばし思案して。今吾儕を先へゆけと」20
いふハ。彼人ふかき謀ありとおぼし。もし憖に迯去らんとせバ。みづから不義の證据を見せて。いかに侮るともかひあるべからず。夫先ずるときハ人を征す。こゝに及びて何ぞめゝしく迯走らん。われ期に于て計あり。そハかやう/\也と私語バ紅皿聞て打おどろき。さすがに心决せざるを。鉄平頻に勸励し。こゝより経をめぐりて直に大澤へハ到らず。却夘三二を遣過して。その後へまはらんと計較ぬ。夘三二ハ密計を市平が漏したるをしらず。彼二人を〓にあゆませんにハ。夜に乗じて淫がはしき挙止をなすべし。そのとき」
後よりつけゆきて。彼等が罪を數へ。首打おとすべしと思ひけれバ。石寺のかたへ引わかれて。途より
拔〔ママ〕つゝ大澤にゆくに。途にてハ追つかず。やがて彼処に到けるに。年ふる松の木の下に。人影してけれバ。すハこれならんとて。いよ/\潜やかにあゆみよりて見るに。そのものどもにハあらずして。旅人とおぼしき武士の。病臥せるなりしかバ。心忙しき折なれど。さすがにいたましくてうちもおかれず。その國処名氏をたづね。さま%\に勦れバ。彼旅人も好意の程をよろこび聞え。さていふやう。われハ播州山脇の郷士にて。」21
廣岡兵衞と呼るゝもの也。人を索ん為に。いぬる月故郷を旅だち。河内國を偏歴して。この大和路へ出る折しも。はからず瘧を患ていと悩しくハあれど。事急なる旅をすれバ。保養に遑あらず。間日にハいつも旅宿をたちて。路をゆくこと病ざるものに等し。しかるにけふ又間日なるをもて。今朝はやく宿を出。待乳越して紀路へ赴んとせしに。思はずも路に迷て黄昏に及び。剰寒熱頻に發りて。一足も歩みがたく。藥ハ懐中したれども。咽喉かはきて堪がたけれバ。近きほとりに人住む里やあるとて。一人の従者を見せにつかはせしが。いまだ帰らず。日は既に暮」
てかゝる仕合也といふ。夘三二ハ縁由を聞てふかく痛しみ。心の中に思ふやう。われ縦今宵紅皿鉄平を助おくとも。この旅人を救はずは。人たるものゝ心にあらず。彼等が事ハ後にしてまづこの人を勦り得させんにハと思ひて。いよ/\信やかにもてなし。不知案内の深山辺にて劇しき病の發り給へバ。さそな心くるしくおぼすらめ。此わたりハすべて九折にて。路もさだかならねバ。従人をつかはし給ふとも。輙く人の家に索ゆかるべうもあらず。われハ犬飼といふ処に久しく住居する武士の浪人。錦織夘三二といふもの也。しばし待給へ。われゆきて一挺の轎を傭ひ。御身を乗せて家に伴ひ。一夜のあるじいたすべし。こゝろ」22
づよくおぼせとて。叮嚀に聞えおき。もてる挑灯をバ兵衞が頭の上にさし出たる。松が枝に結びさげ。熟し路なれバ闇きを厭ず。人家あるかたへ走りゆくにぞ。兵衞ハ只顧その志をよろこびつゝ。なほ舊の処に打ふしたるに。且して熱気も少しさめたりしかバ。松の幹へ手をかけて。やをら立あがる折しもあれ。久米鉄平ハ紅皿を将て経よりこゝに來り。彼挑灯を目當にて。是なん夘三二なりとおもひしかバ。途にて用意せし手矛を閃かし。声をもかけず廣岡兵衞が。馬手の[月害]へぐさと刺。穂先四五寸衝出せバ。こゝろえたりと拔あはし。矛の真中切折たり。鉄平すか」
さず刀を引拔。たゝみかけて切ほどに。兵衞ハこゝろ勇しといヘども。病たるうへに不意をうたれ。數ヶ所の深手によはり果。〓と倒れて死したりける。鉄平ハ既に為課て刀の血を押拭ひ。彼挑灯をとつて屍を見るに。夘三二にハあらずして。見もなれぬ旅人なれバ。紅皿と顔うち見あはし。呆て立たる後方より。忽地人の來る音すれバ。こなたの挑灯うち滅しつゝ。さゝやきあふて迯去けり。さる程に兵衞が従者團吉ハ。彼此となく索ねありきしに。近きほとりにハ宿かるべき家もあらず。主君の事いと心もとなさに。又舊の路に立かへれバ。思ひもかけず主の兵衞は。段々に」23
切ふせられ。血に塗れて死したれバ。おどろき〓て抱き起し。呼び活れどもそのかひなく。あまりに淺ましくてせんすべをしらず。かゝる処に錦織夘三二ハ。待乳茶屋のほとりにて轎を借出し蕉火ふりてらしていそがし來るを。團吉ハ木間にありてつら/\見るに。主の屍の傍に捨〔て〕おけりし挑灯のしるしと。只今前にすえて來る武士の衣服の紋と。つゆ違ざりけれバ。これ疑ふべうもあらぬ主の仇人なりおのれハ下郎なりといヘども。當の敵やハ脱さじとて。いよ/\身を潜めて〓るともしらず。夘三二ハ遙に声をかけて。いかに旅人。轎を扛せて來たれり。いざ乗り給へといひつゝ近くよるを。團吉ハせき」
にせいてそのいふ処をも聞とめず。木蔭より跳で出。やと声かけて切つくるを。夘三二身をひねりて刀の鍔元しかと取り。こハ狼籍なり。何の遺恨ありて。だまし討にハするぞといはせもあへず。團吉声を高して。卑怯なり。この期に及て。脱んとするとも。いかでか脱さん。われハ汝に撃れたる。播磨の旅人。廣岡兵衞が奴隷に。團吉と呼るゝものなり。わが主病を推て紀路へ赴んとしするに。こゝに來たつて病劇しく見えつれバ。湯を乞。宿をももとめんとて。我ハ彼此を走めぐり。今立かへるに思ひもかけず。主をうたせて仇人だにしらざれバ。いと朽をしく思ひつるに。潜に汝が衣服の紋を見れバ。主の屍のほとりに」24
捨ある挑灯の識と是おなじ。思ふに汝支黨を相語來て。この屍を扛もてゆかせ。埋躱さんとするにこそ。既に發覚るゝからハ汝も壮夫也。只潔く名告あひて。
勝屓を决せよと叫びつゝ。もぎはなして切らんとす。夘三二ハこれを聞てます/\怪み。かい掴たる手をゆるめず。馬手に蕉火をあげて。彼旅人を見るに。鮮血ながれわたり。肢体ハつゞける処もあらねバ。駭然として大に驚き。丁と飛退つゝ両刀を投出し。こやはやまるべからず%\。われ實に兵衞殿とやらんを殺さず。つく%\と縁故を考るに。わが機密はやく漏れ。鉄平がこの人を。われなりと思ひ誤りて。かく刄傷に及べるなるべし。こハ一夕に説盡すべう」
〈挿絵第四図〉」25」
もあらず。もろともわが家に來候へ。おのづから其許の疑ひ解なんといふに。團吉ハなほ心をゆるさず。されど両刀を投逓して。赤き心を示すうへハ。理不盡に討果がたくて。しばし憤を忍て黙止しけり。さて夘三二ハ。兵衞が屍を轎に扛乗せさせて。團吉を誘引。遂にわが家に立かへりて。二人の轎夫をバ帰し。まづ團吉に。鉄平紅皿が一件の事を物がたり。彼等不義あるによつて。今宵大澤へ誑引ゆきて。首を刎んと思ひし事。又兵衞がみちに病臥たるを見て。痛しさに。扶掖て家に伴んと思ひ。待乳茶屋のほとりに走りゆき。轎を借出して立かへるに。あへなく。兵」26
衞が撃れしハ。彼鉄平。わが松が枝に結びおきたる挑灯を見て。われ也と思ひ誤りて。彼人を殺し。紅皿を将て逐電せしならんと思ふ事など。くはしく説しらせ。さるにても鉄平が。はやくわが機密を暁りたる事いと不審しとて。やがて市平を呼出し。汝口さがなくて。きのふ鸚鵡の囀につきて。わが問し事を。彼二人にしらせたりとおぼし。とく明白にいへ。いはずハすべきやうありと責問にぞ。市平ハ人を助んと思ひて。却て殃を醸せしかバ。大に當迷して脱るゝに言葉なく。宣ふごとくきのふ問せ給ひし事を。彼人たちに私語候ひしといふ。この時夘三二ハふたゝび團吉に對ひ。聞せつるごとく」
兵衞殿をうちたるものハ我ならず。今ハ疑念もはれたるべし。まづ件の事を縣主へ訴聞え。其許ともろともに播州へ赴きて。彼人の親族を伴ひ。鉄平紅皿を索めぐりて。終にハ這奴等を捕て仇を報せ。わが曇なき心の程をもしらすべく思ふなり。抑廣岡氏ハ。何の故ありて重病をも厭ず。慌しげに旅をバし給ひしと問に。團吉ハ兵衞が佐用丸を索に出たる縁故を審に物がたれバ。夘三二ます/\嘆息し。かゝれバ其許の主君ハ義士なり。われその妻子に力を戮せ。彼人の志を継せずハあるべからずと憤激せり。さて天ハ明にけれど。思ふに違はで紅皿鉄平ハかへらず。鸚鵡も〓の中に」27
死したれバ。これさへ彼等が所為かと思ふに。いよ/\怒に堪ず。すなはち縣主に縁由を訴。兵衞が屍をバ一片煙となして。白骨を壺に蔵め。これを團吉が項にかけさせ。家をバ人に与へて帰らざる心を示し市平を将て三人もろともに播州に赴きしが。次の日人迹稀なる曠野を過る時。夘三二ハ市平を見かへりて。汝下郎とハいひながら。口さがなくて。わが機密を。鉄平にもらせしより。思ひもかけず廣岡氏に殃せり。われ今汝が首を刎て家〓とし。彼家に贈らんと思ふ也。とくにも殺すべかりしに。人をさわがせじとて。こゝまでハ召つれたり。みづから思ひしるべしといひもあへず。首宙に打おとし。是を」
携て播磨に到り。國守赤松殿に一件の事を申述。さて兵衞が家に到りて。小舩に對面し。兵衞が枉死。わがうへ。鉄平。紅皿が事を。審に説しらせ。これその殃の原なれハ。誅し了れりとて。市平が首をとり出てさし示せバ。團吉ハ項にかけたる主の白骨をとりおろし。大澤へ到るまで。路すがらの事を申けり。小舩は夫があへなき死をかなしみ。見しにハかはる白骨の。壺かき抱きて轉輾。哀傷大かたならざりける。その時夘三二ハ。小舩を諌励し。悲歎理ならずとハ思はねど。いかに歎き給ふとも。死{し}したる人の再び活べきにあらず。それがし不才なれども。武藝を」28
もつて人の師たるもの也。御身に助太刀して鉄平を撃ざる間ハ。わが身を潔とするに足らず。その心ぐるしさハ。この一家の人に異なる事なし。とく/\涙をとゞめて事を議し給へと勧れバ。小舩もこれに励されて。形をあらため。御身のうへを聞侍るに。原ハ美作國二宮村の郷士。錦織郡司の甥にて。前國守のとき故ありて。故郷を立退給ひしとか。かゝれば缺皿が父源七とも。相語バ由縁ある人ぞかし。又紅皿と宣はするハ。缺皿が妹の事にて侍るべし。わが方にも如此%\の事ありとて。木村源七が錦織氏の名迹相續せし事より。晩稲落穂が事。缺皿紅皿勇藏等が事」
すべて一圏子の首尾を物がたり。もし勇藏缺皿があらんにハ。心づよくも思ふべきに。彼等ハ父の往方をしらん為に。遠く旅だちて思ふにかひなし。又缺皿が妹たる紅皿が不義より事起つて。わが夫枉死せしハ寔に脱がたき悪因緑に侍るべし。宣ふに任せて。助太刀をたのみまいらすべけれども。御身もわらはもいまだ老くだちたる身にもあらず。世の人になき名をたてられんもいと朽をし。志の厚きところハ。よろこぶにあまりあれど。この事のみはうけ引かたし。といふ。夘三二聞て。この事。悉く理り也。しかハあれど。御身ハ仇人鉄平を認らず。われ又佐用丸を認らず。とかく」29
もろともに諸國を編歴〔ママ〕し。さきに仇人にあはゞ。われ助太刀して討せ。又佐用丸のゆくへをしらバ。御身護かへりて國守に進らせ。事両ながら夫の志を継給へ。且紅皿ハわが伯父錦織郡司が名跡たる。源七とやらんが女児にて。故郷を追放されたるもの也と。聞るは今がはじめにて。いよ/\憎べき毒婦ぞかし。もしわが淫心を發さんかと疑ひ給ふも。遠慮のいたす所なりとハいひながら。われも是一個の丈夫也。かゝる事には聊も苦しみ給ふべからずといひをはり。床にかけたる〓〓より。矢二條を拔出し。天地を拜して盟をなし。彼矢を押折て見せけれバ。小舩も」
このうへハとて。赤松殿に夘三二が申旨と。わが思ふ程をも申述て。仇討の事をねがひ奉り。且夫兵衞が志を継て。佐用丸の御行方をも。索まゐらせたき趣を申せしかバ。赤松殿許容あつて。洛へも聞えあげ。さて敵討免許の御教書に。引出物夥とり添て餞別し給ふにぞ。小舩ハいふもさら也。夘三二もふかく歓び。旅の用意をいそがしけり。さる程に小舩ハ。奴婢に身の暇をとらせ。奴隷團吉のみ。志信やかなるものなれバ。今度も彼を倶して夘三二とゝもに首途し。夫の仇人をぞ索ける。抑廣岡兵衞。往に〓の崇に係りて。寃枉に陷ける」30
を。彼勇藏が忠義によつて。一トたび汚名を雪つるに。既に勇藏缺皿が。遠くこの地を離るゝに及びて。怨霊ふたゝび殃し。一家を殲すに至る。正に是前世の悪業。皿を碎かバ殺さんと先祖より定たるを。兵衞が時に改るといヘども。久しく徳を傷し。因果ハこゝに脱得ず。紅皿が事より起りて。その身はからずも鉄平が為に殺さる。しかハあれ兵衞が陰徳。終に空しからずして。缺皿勇藏もろともに。久後絶たる主家を興す。これ他なし。皿によつて家を滅し。皿によつて栄をなす。先祖の悪政兵衞が陰徳。その報ある事。すべてかく」
の如し。鳴呼誰かおそれざらん。嗚呼誰か慎ざらんや。
盆石皿山記後編上果」31
盆石皿山記後編下
曲亭主人述
[第八 因果の鐺]
久米鉄平ハ。大澤にて夘三二也と思ひあやまり。見も馴ぬ旅人を切害しておどろき〓。紅皿を将て。山越に紀路へ逃去り。名手の里に僑居してふかく躱れ。なす事もなくて徒に月日を送れハ。紅皿が竊もて來たりし金も。早晩遣ひ果して。朝夕の煙だに立かね。些の助力を乞んと思ふにも。馴染なき里はそれも相語がたくて。隱慝の報ひかゝるべき事ながら。紅皿ハ鉄平をうらみ。鉄平ハ紅皿を罵り。日に/\ものあらがひのみし」
て。こゝに半年あまりを經て。年も暮れ春立かへりて。世ハ豊なれども。いよ/\飢渇に迫りしかバ。鉄平つく%\思ふやう。何としいだしたる事もなくて。女子を抱へ。うか/\とこゝにあらバ。もろともに餓死するの外ハあるべからず。とかく紅皿を妓院 ○クルワ に賣て。その身價にて衣服太刀などをとゝのへ。よき主どりして今の貧苦を忘れんものをと。既に心を决しながら。もしこの事を明白に告んにハ。彼婦ます/\恨詈りて。従ふべうもおぼえず。彼にハしかるべき武家などへ。給事に出すと偽り。故なく送り遣るにハしかじと思案し。ある夜紅皿に如」1
此%\の物がたりすれバ。はじめの程ハ更にうけ引氣色なかりしが。紅皿もこの男の分際にて。われを安らかに養ふことハあたはじ。かゝる愚者にかゝづらひて。生涯を過たんハ。大なる損なり。まづ且く奉公して身のまはりを拵へ。別に男を見たてゝ。久後の事をもはかるべしと思ひかへし。ともかくもと應けれバ。鉄平ふかく歓びて。しからバわれハ一両日走りめぐり。人をたのみて御身を遣るべき方を聞定むべしとて。詰朝家をたち出。潜に津國乳守の妓院へ赴きける。かくてその夕宿とり後し。五七人の高野道者鉄平が門方に立在て。こゝに歇らん。彼処へ行んとて。かしがまし」
う散動を。紅皿呼び入れて真實に待し。さていふやう。こゝハ旅籠屋に侍らねバ。夜具の用意もせず。又進らすべき飯もなし。齎し給ふ米あらバ出し給へ。炊侍るべしといふ。道者ども聞て。吾儕ハ木賃のみにて宿かるなれバ。枕だにあらバ事足なん。又米ハ手に/\携來れり。今逓与す三分一を夜食とし。残りハ翌の朝飯と。昼食の為に割籠へ詰てもてゆくなり。その心して給はれと聞えつゝ。舛を借りておの/\袋の米をはかり出し。これを紅皿に逓与しけれバ。紅皿ハ是ほどの米を手にふるゝ事ハ。たえて久しくあら」2
ざれバ。忙しくもて立て。その三分一を炊き。おのれまづ飽まで食ひて。道者のほとりに飯櫃をさし出し。こゝろの隨にたうべ給へといふ。かくて道者ハ夜餐食をはり。木の切株などとり集めたるを枕とし。挾き一室に押おふて睡けり。紅皿ハこの夜鉄平が帰らざるを疑ひ思ひながら。おのが臥房に入り。さて未明に起てふたゝび炊くとき。潜にその米をわかちとりて。桶にかくし入れ。やゝ焚おろして道者を呼覚せバ。道者ハもろともに起出て嗽ぎ。朝飯を食をはりて。残れるを割籠へ詰るに。三人が程足らざ」
れハふかく怪み。日來いづ地に歇ても。かくまで飯の不足せし事ハなし。ゆふべの飯も常よりハ食足らざりしに。けふの昼食に宛たるが。夥足らざるハ不審こと也といふを。紅皿聞もあへず。われハ逓与給ひしまゝに炊たり。これハ客人たちの量あやまり給ふなるべし。よくも思ひめぐらさで。人を疑ひ給ふなと呟き。頬のあたりふくよかにして答ける。道者ども言を齊し。こハ心も得ぬ。三度の食を一人六合づゝ量出して。七人がうへにて六七四舛五合逓与せしを。御身もよく見てこそ居たるらめ。しかるに夜餐の不足せしより。今朝に至り」3
てハ。凡一舛あまりも盗れたりとおぼし。われ/\ハなみの旅人にもあらず。高野大師へ参るものなるに。かく後ぐらき事をなすハ。冥利に盡たる婦かなと罵れバ。紅皿も大に怒り。身におぼえなき事をいひかけられてハ立がたし。家にハ夫あり村にハ長あり。いかに貧くハ暮すとも。僅なる米を盗むものにあらず。盗れたりといふ證据あらバとく出し給へ。とく出し給へと叫びつゝ。掴もかゝるべき勢なり。みな/\この形勢を見てから/\とうち笑ひ。所詮論ハ無益也。すべて高野へ詣ずるもの。邪をなすか。又これを冤んとするものハ。忽地大師の冥罰を蒙」
〈挿絵第五図〉」4」といひ傳へたり。この飯を炊たる鍋をもて來給へ。おの/\祈念して件の鍋を被り。黒白を試すべし。もし吾儕が御身を冤ならバ。立地に罰を蒙り。又御身が偽るならバ。驗なき事あるべからず。とく/\といそがしたつれバ。紅皿ハ憖にあらがひて。巳ことを得ず。彼鍋をもて來るを。道者ハおの/\塵手水して。高野山の方を遙拜し。ひとり%\に鍋をかぶりけれども。させる驗も見えず。さらバあるじの女房かぶり給へとすゝむるに推辭がたく。紅皿も鍋をとつてかぶるとやがて。ひたと頭に鋳てつきて。とりおろさんとするに放れず。こハいかにと驚き悲み。やよ道」5
者たち。はやく大師に勸解奉りて。助給へと叫びしかバ。みな/\或ハおそれみ。或ハ憐み。鍋の蔓へ手をかけて。引放さんとするに。項のみ只長くなりて。とみに放るべうもあらざれバ。今さらに呆れ果。されバこそこの婦。米を盗る冥罰を蒙りたれ。われ/\高野へ参りなバ。よきに申て得さすべし。汝も又懺悔して。三十三度彼御山へ参るべしといふ大願を發し。信心懈ることなくバ。鍋も安らかに放れなん。あら笑止やと散動て。おの/\こゝをたち出たり。さる程に紅皿ハ鉄平が帰らざる隙に。彼鍋を打放さんと思ひて。鎚をもて〓などすれども。」たえて缺ず。強て打バ皮肉痛みて堪がたく。寔にすべきやうもあらねバ。今更に淺ましく。人に見られん事を恥て。破たる衣をうちかぶり。柱にもたれて居たりける。さてまた鉄平ハ。津國乳守に到りて。紅皿が身賣の事を相語。かの婦にハまづあらはにしらせざる趣を示あはし。妓院の主人を伴ひつゝ。往來三十里の道を次の日の夕ぐれに立かへり。と見れバ紅皿ハ物を被ぎて。莚屏風の蔭に蹲踞れるを。いと怪みながらしば/\呼かけ。さるかたより客人あり。とく出たまへといふに。應もせず。鉄平大に焦燥て。今伴ひまゐらせ」6
たるハ。御身が給事の事をせわし給ふ人なり。はやく立出て。もろともにたのみ聞えんとハせで。などやかく尻のおもたきといきまけバ。紅皿答て。われハきのふより頭痛て堪がたし。御身よきに待してかへし給へといはせもあへず。鉄平声をふり立て。縦頭痛のすれバとて。その人にあはれざる程の事ハあるべからず。とく/\と呼びたつれバ。紅皿とかく迷惑して。今且く待給へ。少し愈なバ見えんといふ。この時鉄平ハ。妓院のあるじを招き入れ。只今女子を見せ候べきが。あやにくに頭の痛と申なり。まづ放やかに坐し給へと聞えつゝ。棚の隅なる桶の中」
に。米のあるを見て密に歓び。又紅皿に對ひて。客人も長途を来給へバ空腹なるべし。われも又物ほしき折也。鍋はいづかたにある。この米を炊て夜餐まゐらせなんといへバ。紅皿いよ/\迷惑して。鍋の事ハわれしらず。御身みづからたづね給へといふ。鉄平ハその故を暁らねバ。ふかく不審み。御身畄主してありながら。只一ッの鍋のゆくへを。しらずといふことやある。はやく置たる処をしらせ給へ。やよ/\とてしば/\問れ。紅皿今ハ答んやうもなく。おし黙て居たりしが。且くしていふやう。御身よく物を思ひ給へ。家に一〓の銭も残しおかずして。き」7
のふも帰り給はねど。今にもあれ立かへり給はんに。一塊の飯粒もなくハと思ひて。鍋を賣て米を買おきたりと欺けバ。鉄平大に呆れ果。この愚者更に道理をしらず。米を買たりしも鍋なくハ。何をもつて炊ん。賓も坐するに。飽までわれに恥見せける。憎さよと罵つゝ。壁に掛たる摺小木を引とつて。紅皿が百會のあたりを。ちからに任せて丁とうてば。ぐわんと響きて反かへす。これを見る妓院のあるじも。もろともに怪みて。江口の君の故事ならで。この婦ハ金仏の再來にてや在すらん。又生れ得て恥をしらぬ。鉄面皮にやあるらんとて。」
衣の隙をさし覗けバ。鉄平ふたゝび摺小木を。閃して〓とうつ。打バうつほど紅皿が。頭ハ頻に鳴わたり。施餓鬼の寺に破鑼の音するがごとくなれバ。婦も今ハたまりかね。迯んとすれバ鉄平が又跳かゝるを妓院のあるじ。こハ短慮也とて抱き畄。三人押あふ伏屋の中。鞅掌るまゝに紅皿ハ。圍爐裡へ足を踏こみて。〓と輾バ古袷のふはりと脱て頂に。すつぽりかぶりしあし鍋ハ。なべて呆れぬものもなく。息を筑摩の祭ならずハ。錏とられし落武者の。途をうしなふに異ならず。縁故をしらざれバ。鉄平ます/\腹たちて。戲も事にこそよれ。その鍋逓せと焦燥つゝ。」8
蔓に手をかけとらんとすれバ。紅皿もろとも引よせられ。頭痛〔む〕と叫ぶを管はず。もぎ放さんと引にけり。されど首ハ拔るとも。弥勒の世までこの鍋の放るべうもあらざれバ。鉄平いよ/\疑ひ迷ひ。大息つきて故を問ふに。紅皿今ハ匿がたく。高野道者に宿かして。米を盗みし大師の冥罰にや。一たび被ぎたる鍋のはなれざる本末を物がたれバ。鉄平うち驚き。乳守の人に聞するも。面目なげに見えにけり。妓院のあるじもこの形容を見聞して。掌を丁とうち。惜べし/\。年紀のわかくて容止の艶麗なるを見てハ。身價百金ハ輙く出すべきものを。玉に瑕鏡に錆。鍋を作り著たれバ。絶て」
物の用にたゝず。はる%\の路を伴れて。畢竟路銀を費せしと。呟き/\帰りけれバ。鉄平ハ較計ちがひて。頻に憤れどもすべきやうなく。いたく罵りてつと出んとするを。紅皿忙しく引とゞめ。こハいづ地へとて行給ふ。今伴ひ給ひし人の言葉にて。御身がわれをたばかりて。妓院へ賣。身の落着をなさんとし給ふ事ハよくしりぬ。しかるに思ひもかけずかゝる姿となりしを見て。いよ/\疎み。おき去にして奔らんとすとも。やハ放さじと〓縁を。鉄平撲地と突倒し。そハいふまでもなし。神仏にも見すてられて。生れも得つかぬ廃人となりたる婦を。養て何かせん。われハわが身の安穩を。はからんと思へバ。いといそがし。そ」9
こ退べしとて踏にじり。走り出る足首を。楚と捉て引戻せバ。頷蹴かへし後をも見す。驀直に出去るを。紅皿ハなほ遣らじとて。轉つ輾つ追ひ來り。喃情なの男しばしまて。契りし昵言ハ偽り歟。われを捨てゆかんとならバ。大澤にて人を殺せし一件の事を訴て。からきめ見すべしと叫ぶにぞ。鉄平奮然として走りかへり。この婦を活おきてハ。わが為よからじと思ひしかバ。紅皿が襟上掴て。野中の古井に〓と投入れ。大なる石を引起して。三ッ四ッ打こみ。井の中をとくと見て。から/\と打笑ひ。膝のあたりの砂かきはらひ。いづ地ともなく立去りけり。嗚呼因果覿面」
〈挿絵第六図〉10」
の理。誰かハ終に脱れ得ん。むかし紅皿が母なりける落穂ハ。嫉妬によつて本妻晩稲を菩提処の井に沈めつる報にて。その身畜生の子を孕て。非命に死し。今亦女児紅皿も野中の井に沈らる。夫缺皿が忠考の善報ハ。皿を碎くといヘども成敗の
井を脱れ。紅皿が奸悪の冥罰ハ。鍋を被りて情人の為に井に殺さる。井によつて善悪をしる事。こゝに至りて三たびなり。巻を開〔ら〕くのはらはべたち。汲見て自の戒にせよかし。
[第九 熊野路の露]
缺皿勇藏ハ。貯に事ハ虧ねど順礼の行者に打扮。普く霊場を」11
めぐりて。源七が往方をしらん為。西國三十餘ヶ処の寺々を偏歴して。次の年の春。ふたゝび紀路へ出たるに。廣岡兵衞が舊の奴隷何がし。故郷へ赴くにゆきあひ。はじめて佐用丸の事。兵衞が枉死。夘三二が義心。紅皿鉄平が事。小舩が夘三二團吉とゝもに。夫の仇人を索に出たる事まで。審に聞しりて大に驚き。いかにもして小舩に環會。もろともに仇人鉄平を討とらんとて。ます/\神仏に祈願せり。かゝれバ缺皿ハ。妹紅皿がよからぬ所行をなせしより。事のこゝに及べるをふかくうち歎きけるとぞ。この時久米鉄平ハ。紅皿を井に沈て。名手の里を立退。熊野の山家を徘徊して。回國の行者に打扮。」
人の門に立て半椀の飯を乞。往來の人につきて一銭を徴。野に臥木蔭に宿りて日をおくりぬ。しかるに彼此人のかたり傳るを聞バ。このごろ鍋を被りし婦。高野山へ三十三度参りするが。既に満願せしといふ。こハもし紅皿が亡魂などにやと思ふに。ます/\怪しけれバ。やがて彼山へ赴んとするに。その夕紅皿にゆきあふたり。互にこハいかにと驚きて。しばしが程ハよりもつかず。紅皿ハ鉄平をいたく恨罵り。もし伴じとならバ。われもすべきやうありとて泣叫べば鉄平殆もてあまし。さていかにして命助かりしと問に。紅皿答て。彼井戸にハ水なくて。おのづから拔道あり。故」12
に其処より跂出て。高野山へ三十三度参りし。大師に勸解奉るといヘども。聾ほどもきかずして。鍋ハいまだ放れず。亦那智の御寺へ詣んと思ひて。こゝに來〔た〕りしといふ。鉄平縁由を聞て大に慚愧し。彼が命つよきに呆れて。ふたゝび殺すにしのびず。ぜひなくこれを伴ひけり。さても錦織夘三二ハ。團吉とゝもに小舩を扶掖き。南海道を経歴して。高野山に兵衞が白骨をおさめ。それより熊野権現へ参らんとて。三人もろともに。羊腸たる山ふところの細道をわけ來れバ。いと怪しげなる乞丐女。笠をふかくして。道の次に立在めり。その頭いとおもげなれバ。こハ近曽人の噂する。鍋かぶりの女なら」
んとて。ちかくなるまゝによく見れバ。彼鍋かぶりハ紅皿也。すハよきものに逢ぬ。これを捕て責問バ。鉄平が在処もしれざる事ハあらじとて。つと走りより。めづらしや紅皿。夘三二を見忘れたるかと呼はりつゝ。既に引捕んとすれバ。紅皿阿呀と驚き怕れ。後をも見ずして逃走るを。夘三二ハなほ迯さじと追蒐たり。鉄平ハ少し後れて。おなじ路を來る折しも。夘三二と名告る声を聞て。忙しく笈をおろし。木蔭に身を潜めて待ともしらず。夘三二ハ追こと一町許にして。忽地紅皿を見うしなひ。そこかこゝかとて見かへる処に。思ひもかけず。一叢〓き小松が下より。閃來る手裏劔に。吭を打ぬかれ。刀」13
尖白く項に出。撲地と倒れて死〔に〕たりける。小舩團吉ハ。夘三二が後につきて。もろともに追來りしが。この景迹を見て大きに驚きさてハ仇人ハこのほとりに躱れ居るとおぼゆるぞ。とく〓出せとて。雨衣を盾としつ。主従小松をかきわけ/\。わけ入る後に大男。忽然と立あらはれ。こや/\と呼かくるを。主従見かへりて。ずか/\と左右より詰よすれバ。彼大男ハ小松を押撓て尻をかけ。小舩主従をじろ/\と見やりつゝ。汝等何ものなれバ。夘三二が方人するぞ。われ遺恨あるによつて。和州大澤にて討果すべかりしを。人違して旅人を切害し。けふまでハ助おきぬ。汝等命惜くハはやくゆけ。狼狽て」
後悔せそと嘲弄す。小舩團吉ハそれと暁りて歯怒をなし。さてハ聞及し久米鉄平にてありけるよ。吾儕ハ大澤にて汝が為に撃れたる。播州山脇の郷士。廣岡兵衞が妻小舩。奴隷團吉と呼るゝもの也。汝も原武士の真似せしと聞つるに。恩に報ずるに仇をもつてし。剰その人を。詭討にする卑去さよ。夫の仇主の仇義に仗ときハ夘三二殿の當の敵。古今に稀なる大悪人。いかでか天の羅を脱ん立あがつて勝屓を决せよといきまきて。〓くつろげ詰かくれバ。鉄平から/\と打わらひ。さ聞てハ汝等も助がたし。みづからはやう迯ハせで。思はぬ殺生さするかな。いで死たくハ望の」14
ごとく。この世の暇をとらせんとて。笈の中にかくし持たる。太刀拔かざして跳かゝるを。團吉逆戦ふといヘども。いかでか鉄平に敵すべき。[月禺]ふかく切こまれ。朱に染て倒るゝを。小舩入かはりて透間もなく切てかゝるを。片手にて拂ひ除。乳の下四五寸切下れバ。噫と叫びて轉輾しが。刀を杖に身を起し。よろめきよろめく肩尖を。又一刀丁と切る。切られて肢體血に塗れ。遺恨の涙地を湿す。今般の苦痛に主従が。手足かなはねバ鉄平を。にらみつめて息を吻き。朽をしきかな。いひがひなくも。われさへ仇の刄にかゝり。遂にこの野の夕露と消ともしらで。缺皿と勇藏ハ何」
國にあるらん。夢になりともしらせたや。それともしらずハ誰か又。われにかはりて仇人を討ん。寔に神明佛陀にも。見はなされたる身の果かと。主従互に薄命を。欺くも息の下也けり。鉄平ハじろ/\と。こなたを見やりあなたを見かへり。あなかしましきくり言。聞もうるさし。息の音とめんと立あがり。左右へ撲地と蹴かへして。足もて頭をしかと踏とめ。ぐさとつらぬく二刀。あはれはかなき最期なり。かくて鉄平ハ三人の懐中をかい探りて。路銀を悉く奪ひとり。手をあげて遙に招けバ。紅皿は彼処の木蔭より走り來つ。點頭あふたる折しもあれ。ちかく聞ゆる」15
鉦の音に。鉄平忙しく笈を脊にし。紅皿も笠をふかくして。面をかくし。脱れ避んとおもヘども。この処ハ荊棘ふかくして。只一條の細道なるを。避んとせバ怪られん。誘と憚る氣色もなくそなたに向ひてあゆみけり。こゝに缺皿勇藏ハ。那智へ詣んとて。この路をたどり來るに。深山烏の頻鳴て。何となく胸うち騒げバ。後室小舟の事いと心もとなし。今ごろハいづ地をか歴めぐり給ふらんなどいひ出て。暮かゝる山辺をいそぎゆくむかひより。回國の修行者と笠ふかくしたる女道者と。つれたちて出來るに。路ほそやかなれバ。しばし傍に。立在。互に撞木とりな」
〈挿絵第七図〉」16」
ほして。むかへ回向の鉦の數。うちあはしつゝ遣り過し。ゆくこといまだいくばくならず。と見れバ松の下蔭に。三人いたく切られて死したるものあり。こハそもいかにと痛しみ。缺皿もろとも走りよるに。あな浅まし。殺されたるハ小舩主従。今一人ハ認らねど。是なん近曽古傍輩の物がたりに聞及べる。錦織夘三二なるべしと。思へハ見れバおなじ日に。おなじ山路を來にけれど。今般にも得あはずして。やみ/\撃せし朽をしさよと。悔歎ハ。あなたにも。立とゞまりて紅皿がしバ/\指し密語を。こなたの二人は佶と見て。さてハ今ゆきあひし修行者ハ。正しく仇人といひも果ぬに。飛來る手」17
裏釼勇藏が柄杓にはつしと受とめたり。是ハと声をかけ皿があぶないことやゆふまぐれ。木がくれてはやく修行者の。姿ハ見えずなりにけり。
[第十 忠孝の世榮]
久米鉄平ハ。熊野路にて夘三二小舩等を反撃にし。路銀夥奪ひとりて。紅皿を伴ひ。丹波國何鹿郡。上林に來〔た〕りて劍法の指南をなし。久米氏なるよりおもひよせて。皿山鉄山と改名し。よろづはじめにハ似ず。衣食住の三ッ。その処を得たるが如し。こゝに亦通紅寂霊和尚とまうす。道高権智の聖」
おはしけり。山陰道の内にて。大伽藍を建立せんと思ひ企給ふ事久しといヘども。このころハ兵乱打つゞきたる後なれバ。合力すべき檀那もなく。隱岐石見出雲伯耆因幡但馬丹後。この七箇國を勸化し給ふ事數年にして。今茲又二三人の従弟を将て丹波に來り。若尾山光明寺に寄宿し給へり。こゝをもて遠近の道俗日々に詣て十念を受るに。利益響の物に應ずるが如し。皿山鉄山ハこの事を傳聞て。つく%\とおもふやう。向に紅皿が。はからずも廃人となりたるとき。彼を伴ひて。世の胡慮とならんも朽をしけれバ。古井に推沈めて。全く殺」18
したりと思ひしに。それにてもなほ死なず。熊野まで追ひ來りて。いたくうらみ罵りしかバ。巳ことを得ずこゝへハ倶したり。しかれども彼も恥て朝夕引こもり。たえて日影を見ることなく。われも又武藝の門人などにしられんかと影護て。心を苦むるのみ。時しもあれ今光明寺に名僧來りて。病厄を祈祷するに。應驗掲焉と聞ゆ。われ試に紅皿を将て彼処に赴き。加持を乞ばやと思ひて。まづ紅皿に思ふ程をしらすれバ。すなはち行べしといふ。さて詰朝紅皿を轎に乗せ。鉄山みづから付添て光明寺に到り。群集の老弱にうちまじりて且くま」
つに。數声の鐘高く響て。寂霊和尚二人の徒弟を従へ。屏風の後よりめぐり出て。鹿皮の〓を布設たる法坐の上に登り給ふ。その形客眉ハ白く髯ハ長く。仙骨飄然として寔に尋常にあらず。さる程に渇仰結縁の老弱。おの/\次第によつてすゝみ出れバ。和尚或ハ加持し或ハ十念を授給ふに。みな礼拜して退出づ。時に鉄山ハ。紅皿に衣打被せたるまゝにて。伴ひ出。この婦人難病あり。ねがはくハ和尚加持して給はるべしといふ。和尚しばし見そなはして頭をうち掉。これ難病にあらず。汝夫婦積悪の報によつて。弘法大師の冥罰」19
を蒙りぬ。われ决して濟ことあたはず。しかれども懺悔にハ五逆十悪の犯人も。罪業頓滅せざるにあらず。一心發起して一事も覆ふことなく慨悔せバ。来世の苦艱を脱れなん。いかに/\と問給へバ。鉄山大に迷惑し。この事のみハ許し給へとて逡巡す。和尚又宣く。愚なるかな。密計も四知を脱るゝ〔こ〕となし。汝等いはずとも天地既にこれをしる。天地これをしるが故に。われ亦しれり。われまづこれをあかさんかと宣へバ。紅皿おそる/\跂よりて。聖の宣ふところ理なり。わらハ是を申べし。願くハ済給へと申つゝ。なほ膝をすゝめ。その身美作にありしとき。」
異服〔ママ〕の姉缺皿を冤たる事。母の落穂が事。父源七が事晩稲が事。又わが身故郷を追放され。錦織夘三二が庇を得。その妻世を去りて後。傍妻となり。鉄山が久米鉄平といひしとき密通せしに。その事發覚。鉄山潜に大澤にて夘三二を撃んとして。過て旅人を殺せし事。又名手の里にありしとき。わが身高野道者の米を盗たる冥罰にや。被せられし鍋の今に放れざる事。その折しも鉄山に突落されて古井の中に陷し事。熊野路にて鉄山が小舩夘三二團吉を反撃にし。この丹波に來りて。劔術の指南する事」20
まで。首尾審に申けれバ。鉄山ハ全身に汗を流し。當惑面にあらはれけり。その時和尚莞尓として。善かな女人。この懺悔少しく罪業を減するに足れり。われ汝が心中を察するに。向に鉄山が為に古井に沈られたるをいたく恨めり。しかるに熊野路にて。鉄山が夘三二等を反撃にしたるの日。なほ同意して路銀さへ盗せたるハ。いかなる故ぞやと問給へバ。紅皿答て。宣ふ事にハあれど。わが身の苦さに人を怨み。おなじ道に引入れんとおもふが。煩悩のやるかたなきにて侍り。この身もし夘三二が傍妻とならずハ。今の苦難」
ハせじとおもひし初一念ハ。鉄山をうらむるよりなほ甚しかりしといはせもあへず。こハ心も得ぬ夘三二ハ汝が為に恩人ならずや汝等恩を忘れて不義の行をなさずハ。彼も殺さんとハ思ふべからず。しかれバ彼に何の恨かあらん。いかに/\と宣へバ。紅皿黙然として回答なし時に和尚法坐をはなれてすゝみむかひ。
盤を碎て井を脱れ。鍋を戴て便沈めり
黒白都て尓みづから淺深をおもへ
と高やかに説示し。珠數をもて衣の上より。りう/\と」21
打給へバ。紅皿が五體朝日に霜の解るがごとく。忽地見えずなりけれバ。鉄山うち驚きつゝ。遽しく被ぎし衣を引除るに。只一ッの鍋のみ残り。形ハ消てなかりけり。これを見るもの不可思議の法驗を感嘆し。一人の徒弟愀然として墨の衣を湿せり。暴悪無敵の鉄山も。身の毛いよたつばかりおそろしく覚けん。顔色土のごとくなるを。和尚見かへりて宣く。この女人汝が為に井に殺され。寃魂假に形を現じて。憑まつはりし事。最期の一念によるとハいへど正に佛の慈悲して。その因果を諸人に示し。後世の苦艱を」
〈挿絵第八図〉」22」
脱れしめ給ふもの也。汝去らバ速に去れ。長くこゝにあらバ禍あるべしと示
し給ふにぞ。ます/\驚き迷ひつる。周章て。寺の門を出去り。並松の下を走りゆくに。誰ともしらず打かくる手裏釼。馬手の袂へはつしとたち。松の幹へぞ縫とめける。鉄山駭然として引拔見れバ。過つるころ熊野路にて。順礼に打かけたる。わが削刀にてありしかバ。ます/\怪む折しもあれ。缺皿勇藏かひ/\しく打扮て。両方より引挾み。いかに皿山鉄山。汝久米鉄平たりしとき。大澤にて撃れ給ひし。廣岡兵衞恩顧の家隷。木村勇藏缺皿」23なり。いぬるころ熊野路にて。後室小舩。錦織夘三二等汝が為に反撃にせられ給ひし時。吾儕その処へゆきあはするといヘども。事後れたるをもつて終に漏せり。今わが打かけたる手裏劍を見て。汝忽地恐怖の色をあらはす。但速に打殺さゞるハ。その日行あひつる回國の修行者ハ。汝なるべしと猜しながら。なほ慥にしらんが為也。且缺皿が父源七ハ。錦織氏に由縁あり。しかれバ汝ハ吾黨の為に千釣の讐敵なり。わが両人はからずもきのふこの光明寺へ参詣して。寂霊和尚に竭し奉りしに。和尚の徒弟角阿弥陀仏ハ。勇」
蔵が叔父。缺皿が父なりける源七法師にて。不意の對面望を遂。わがうへ審に物がたり。只このうへハ主家の仇を報ん事をおもふこと頻なりき。その時和尚示して宣はく。明日仇人皿山鉄山紅皿を将てこゝに來たるべし。彼紅皿ハ陽人にあらず。われ汝等が忠義を感ずるのあまり。彼女人を済度し。仇をも輙く撃せなん。汝等その帰るを待て。本望を遂よと宣ふをもつて。今朝よりこの寺に來り。紅皿が懺悔によつて汝が暴悪悉くこれを聞り。今ハ翼ありとも脱るゝに道なし。はやく雌雄を决せよと呼れバ。鉄山驚とせしが打笑ひ。小ざかしき仇人呼ばゝり。」24
反撃ぞ觀念せよと罵りて。刀をすらりと拔はなせバ。缺皿勇藏左右より。刃を閃して打てかゝり。奮撃突戦時を移し。勝屓もわかたざりけるが。忠義に凝たる二人が勇敢。神明擁護の刀尖を。あしらひかねて鉄山が。受ながし/\。太刀すぢやうやく乱るゝ処を。得たりやおふと勇藏が。透もあらせず踏こみ/\。右の肘を打おとせバ。缺皿直につけ入りて。諸膝薙て切たふすを。勇藏やがて髻掴み。首掻切て立たりける。折しも下向の老弱男女。四方に立こみ見物し。嗚呼と感ずる声。しばしが程ハ鳴も止ず。かくて勇藏缺皿ハ。群集を」
〈挿絵第九回〉」25」
押わけつゝ寺内に入れバ。門番の男扉を閉て。見物の人を遮り畄たり。抑勇藏缺皿がこの寺へ詣て。源七法師に環會たる縁由をたづぬるに。件の両人熊野にて。小舩夘三二等が反撃にせられし後に來かゝり。行ちがひたる修行者こそ。仇人ならめとて追蒐しが。遂にその往方を見うしなひて。遺恨やるかたなく。三人の屍をバ。ちかき山寺に葬り。それより山陰道に出て。丹波まで來たりし夜。夢の中に誰ともしらず告ていはく。汝等父にもあひ。仇をも撃んと思はゞ。火ハ几にありて陰陽ならびゆく処に到るべし。と告ると見て夢ハ覚たり。二人此事を」26
相語て。つら/\考るに。几に火をおくときハ〓の字也。又陰陽ならびゆくハ明の字なり。しかれバこのほとりに光明寺などいふ寺あらんかとて人に問へバ。若尾山光明寺といふ精舎。しか%\の処にあり。こゝに通紅寂霊和尚とまうす聖の寄宿し給ふなる。その利益灼然也とて。老弱日毎に群集すといふ。さてハ夢の告ハこの寺に詣よとの事なるべしとて。やがて彼処へ索ゆくに。和尚の徒弟角阿弥陀仏と呼るゝ沙弥ハ。缺皿が父源七なり。互にこハいかにとて。且よろこび且うち泣て。両人法衣の袖に携り。年來あくがれて諸國を索めぐれる事より。すべて身にかゝづらひたる一件」
の事を物がたるにぞ。角阿弥は名告あはじと思ひながら。彼等が孝心の切なるに躊躇して。あらけなくも走り躱れ得ず。師父寂霊和尚遙にこの景迹を見そなはして立出給ひ。いかに角阿弥。佛も元ハ凡夫なり。子にあふ事をふかくな恥そと宣へバ。角阿弥はつとかしこみて。不覚に落涙し。さてその身宇奈手の森にて如此々々のあやしみを見て發心し。數年諸國を修行しつ。この春はじめて寂霊和尚に謁して。御弟子となりし事。又わが法名を角阿弥陀仏と呼るゝ事ハ。われ宇奈手の森にて得たりし鹿の角を。頭陀袋に蔵て久しくもてりける」27
を。和尚御覧じて。汝むかしこの〓を殺せしより。一族みな殃に係れり。もしこれを済度せざれバ、汝も道を得がたく。子どもらも世に出ることなしと仰て。おほけなくも牝牡両頭の〓の為に。一七日の法事を執行し給ひ。剰彼〓の角を経巻の軸となし給ひぬ。しかるにその夜両頭の〓和尚の枕上に立てまうすやう。冤魂執着して夥の怨敵に殃せしも。今善智識の済度によつて。畜生道の苦艱を脱れ。走獣として人間に仇せし罪をしり。更に道徳無量の慈雲を仰ぐ。感悦何かこれにしかん。されバこゝろばかりの報ひをなし奉るべう思ヘども。たえて」
献ずべきものなし。但し宿願のごとく一箇寺を建立し給んにハ。よろしき施主を導まゐらすべしといひをはり。かき消すごとく失たる迹に。年才五ッか六ッばかりなる稚児。鹿の皮に裹れ。頭ばかりをさし出せるが。忽然として前にあり。和尚やがて皮を押ひらきて扶出したまふに。皮に裹れてより。夥の月日を經たりとハ見えながら。この子恙なくて泣声などもいと高きぞ不思議なる。和尚つく%\と見そなはして。これ平人の子にあらず。伽藍を建立すべき施主ならんとて。ふかく勦り。父の名を問給へども。いふ事すべてさだかならず。時至らバおのづからしるゝ事あるべしとて。これを養ひ。彼〓の皮をバ〓」28
として。今なほ法坐に布せ給ふと物がたるに。缺皿勇藏大に驚嘆し。これ疑ふべうもあらぬ。赤松殿の嫡子。佐用丸君なるべしとて。縁由を演説すれバ。角阿弥陀仏も。諸共に。不測の因縁を感激し。且晩稲。夘三二。廣岡兵衞夫婦が枉死を悼み。紅皿が不肖を嘆じ。缺皿三重之介〈勇藏が|おさな名也〉が成長て。その志の移らざるを稱賛して。墨の衣の袖を絞りぬ。その時寂霊和尚宣く。角阿弥いたく歎く事なかれ。善に善報あり悪に悪報あり。顕身の世に誰か脱ん。彼紅皿ハ既に鉄山が為に殺されたり。しかれども寃魂彼人に〓縁て。しか%\の処にあり。明日件の両人。うちつれ立」
てこの寺へ來るべし。しかれ共生死道を異にするが故に。紅皿ハ衣をもてふかく面を掩ひ。その父を見ることあたはず。角阿弥も又その声を聞て。その子を見ることあたはず。且かならずしも哭泣すべからず。われ汝等が為に紅皿を済度せん。缺皿勇藏ハこの折を窺て仇を撃べしと宣ひしが。果してその言葉のごとく。露たがふことなかりける。さる程に缺皿勇藏ハ。輙く仇を撃とつて寺内に退き。鉄山の首を用て。兵衛夫婦。夘三二。團吉等が霊を祭り。寂霊和尚に恩を謝して。佐用丸を乞受。やがて播州へ立かへれバ。寂霊和尚も角阿弥陀佛をさしそえて。赤松殿に縁由をいはせ」29
給ふ。かくて佐用丸恙なく帰着し給ひしかバ。國守義則夫婦ハ申すもさら也。家隷老黨天に歓び地に喜び。勇藏缺皿が忠義を感激して巳ず。これ併 寂霊和尚の賜なれバとて。その法徳を謝せんが為に。義則すなはち狛野靭屓をもつて夥の錢財を寄進し。丹波に于て一箇寺を建立し給へり。今の永澤寺是ならん歟。是によつて寂霊和尚ハ。年來の宿望を果し給ひ。又彼〓の為に禿倉を建。同國石川に鎮坐まします。春日明神の末社とし給ひけるとぞ。是より先勇藏ハ。小舩に賜たる。仇討免許の御教書を義則へ返進し。姓名を木村三重之介勇藏と名告」
〈挿絵第十図〉」30」
缺皿と婚姻してながく赤松家に仕。いとめでたき事のみ打つゞきて。缺皿三年が程に三たりの男子を産しかバ。二男にハ廣岡氏を冒らせて主家を起し。三男にハ錦織氏を冒らせて。郡司夘三二が祭祀をたゝず。
角阿弥ハいよ/\寂霊和尚に従ひて。なき人/\の菩提を吊ひ。八十餘歳にして大往生を遂たりとなん。かゝる事ありやなしや。人の語るまゝにかい記して。童蒙の為に勧善懲悪の一端とす。あなかしこ。
盆石皿山記後編大尾」31
曲亭の翁書を著すこと年あり、凡一年刊布するところの新編、或ハ八九種、或ハ十餘種、皆是児戲の假名物語といヘども、今古如是強記強筆の作者あること稀なり、今茲皿山の記前後の編を閲するに、文ハ錦手をつらねて通俗を宗とし、事ハ樂焼にたぐひして自然の巧あり、且南京の清きを挙てハ、姉手なる缺皿がうへを盡し、丹波焼に終りを示してハ、瀬戸の紅皿が碎を明す、」
いにしへ今利を考てハ、中津唐津の遠きを引く、御室の霞清水の花ハ物かハ秋ハ亦、萩に挾男鹿の染著を見て、さらに夢野のはかなきをおもふ、浮屠の方便を行基焼に説あれバ、仙家の方術を粟田焼に述るあり、もしその才器客皿の十人前に勝れずは、豈世挙て秘藏せんや、これを誉れば諂ふにちかく、かれを誹れバ憎むに似たり、よく只この皿の箱書付して、拙き筆」32
を走らする事しかり、
時丙寅夏日書於飯岱著作堂
門人 一竹齋達竹
[太右衛門][達竹]
畫工 一 柳 齋 豊 廣 [一柳齋]」
盆石皿山記前編二冊 〈先達而賣出し|おき申候〉
同 後編二冊 〈當春の新版|此度賣出し申候〉
文化三丙寅年皐月上浣著述
同四丁卯年春正月吉日發販
通油町
鶴屋喜右衞門
江戸書肆
四谷傳馬町二丁目
住吉屋政五郎梓」33