『英名八犬士』(二) −解題と翻刻−
高 木  元 

【解題】

一年空いてしまったが、今回は(二)として魯文の切附本『英名八犬士』三編と四編を紹介する。

本作は、前回(一)の解題で触れた通り曲亭馬琴『南総里見八犬伝』の抄録ダイジエストなのであるが、その方法については一考の余地があろう。基本的には原本の本文を切り貼りしているのであるが、魯文が原本106冊を所蔵していたとは考えにくい。読本は貸本屋で借りて読むのが普通であった高価な本だからである。貸本屋もしくは板元(伊勢屋忠兵衛)から借りて作業をしていたものと想像されるが、とすれば実際的には〈書き抜き〉という方法に拠って本文を作成していたに違いない。出来るだけ本文を短くするために、繰り返して述べられることや考証などを削除するのは当然として、なくしても意味の通じる助詞などを極力省き、さらに会話文の中途で別の話者の話している部分に繋げてしまうなど、それなりに工夫して、内容的には連続性をもって読めるような本文を作成しているのである。散見される誤字脱字や衍字なども、その作業の過程で生じたものであろうか。また、振仮名についても原本が総ルビなのに対してパラルビとなっているが、何度も出てくる犬士の名前に振仮名を付しながらも、難読だと思われる漢語に振仮名がなかったりする。これは馬琴が原本を執筆する時のように、本文を書いてから後で振仮名を付していくという過程を経たからであろうか。

稿本が残されていないので実際的なことは不明であるが、近世後期の仕来りから考えて挿絵の画稿も魯文が描いていたものと思われる。原本に存する場面は、ほぼ準拠した絵柄を踏襲しているが、新たに書き加えられた絵柄も少なくない。また、口絵挿絵に入れられる詩句や顛詞などにも「埜狐」などと魯文の別号が書かれていることが多く、画稿が魯文の手になることを証していると思われる。

なお、三編は原作の第3輯27回から第4輯33回半ばまで、四編は原作第4輯33回の続きから37回の半ばまでに相当する。

【書誌】
 英名八犬士 三編

書型 錦絵風摺付表紙、中本1冊(48丁)
外題 「英名八犬士/三編/直政」
見返 「えいめいはつけんし/三へむ」
序  「安政二乙卯夏/戀岱 愚山人筆記」[ロ文事]
改印 [辰二][改](安政3年2月)
内題 「英名八犬士三編/江戸 鈍亭魯文鈔録」
板心 「八犬士三編」
画工 「直政」(外)
丁数  48丁
尾題英名八犬士ゑいめいはつけんし三編」「鈍亭主人録」[呂文]
板元 「東都神田松下町 書房 公羽堂壽梓」[伊勢忠](48丁裏)
底本  架蔵本。

 英名八犬士 四編
書型 錦絵風摺付表紙、中本1冊(46丁)
外題英名八犬士えいめいはつけんし/四編」
見返 「英名八犬士 四篇」
序 走馬燈まはりとうらう/筆記せる者ハ戀岱の愚山人なりけり」
改印 [辰四][改](安政3年4月)
内題英名八犬士えいめいはつけんし四編/鈍亭魯文鈔録」
板心 「八犬士四編」
画工 「一容齋直政画」(外・挿絵)
丁数  46丁
尾題 「英名八犬士四編
板元 「神田松下町 伊勢屋忠兵衛版」(46丁裏)
底本  架蔵本
備考  架蔵本に欠けている表紙と見返の図版は国文学研究資料館本に拠る。なお、錦絵表紙本四編の大部分の丁は初板袋入本の被せ彫りだと思われ、本文や挿絵に若干の異同がある。
諸本【初板袋入本】二松学舎・服部(1〜5、8)【改修錦絵表紙本】国文学研究資料館(ナ4/680)・館山市立博物館・江差町教育委員会(123567)・林・松井(34、1〜2丁欠品川屋久助板)・山田(8)・高木(1236)【改題改修袋入本】国学院・向井・高木(3〜8、78、4)。外題『里見八犬伝』、序と口絵を削り、新に口絵1図(半丁)を加え、内題に「里見八犬伝/曲亭馬琴識」と入木。架蔵本一本八編の後表紙見返に「日本橋區/馬喰町二丁目/壹番地/文江堂/木村文三郎」とある。

【凡例】
一、基本的に底本の表記を忠実に翻刻した。濁点や振仮名、仮名遣いをはじめとして、異体字等も可能な限
  り原本通りとした。これは、原作との表記を比較する時の便宜のためである。
一、本文中の「ハ」に片仮名としての意識は無かったものと思われるが、助詞に限り「ハ」と記されたもの
  は、そのまま「ハ」とした。
一、序文を除いて句読点は一切用いられていないが、句点に限り私意により「。」を付した。
一、大きな段落の区切りとして用いられている「○」の前で改行した。
一、丁移りは 」で示し、裏にのみ 」15 のごとく数字で丁付を示した。
一、明らかな衍字には〔 〕を付し、また脱字などを補正した時は〔 〕で示した。
一、底本には架蔵本を用い、架蔵本に欠けている四編の表紙と見返の図版に限り、国文学研究資料館蔵本に
  拠って補った。また、四編では多くの丁で被せ彫りによる改刻が行われているが、挿絵の背景に相違が
  ある一図(12ウ13オ)のみ服部氏蔵本に拠った。


【三編表紙】
 英名八犬士 三編 直政

【表紙】

表紙

【見返・序】

見返
 えいめいはつけんし/三へむ

 一犬當戸鼠賊不能進矣犬乎犬乎勝於猫兒似乕
   ぬは玉の夜をもる犬ハ猫ならて
     あたまのくろきねすみはゝかる

嗚呼あゝめうなるかも本傳ほんでん九集くしう局結けつきよくまさ百六巻もゝむまき新竒しんき 極至こくし意味いみ深長しんちやう善惡ぜんあく應報おうほう勸懲くわんてうのいたるところ およそ江湖中かうこちう許多きよた稗史はいし八犬傳はつけんでんみぎいつるハあらしと思ふ。
  安政二乙卯夏
[改][辰二]

戀岱 愚山人筆記[ロ文事] 

【口絵第一図】1

口絵第一図

犬塚いぬつか信乃しの戌孝もりたか

両虎りやうこ深山しんさんいとむとき錚然しやうせんとして かせおこり二りう青〓せいたんに戰ふとき 沛然はいせんとしてくもおこる二犬士けんし芳流ほうりう か 上にあらそひし未曾有みそうはれ わさけい勇悍ゆうかんおとらすまさに一さうめい玉すら嗚呼あゝおしむへし いまたこれを知る卞和へんくわなき事を

賛詞[文] 

【口絵第二図】2

口絵第二図

犬飼いぬかい見八信道のぶみち12

かわるまてハ舩にもあふきかな 愚山人[呂][文]

【本文】

英名八犬士三編

江戸 鈍亭魯文鈔録 

網干あぼし左母二郎さもじらう蟇六ひきろく老僕おとな背介せすけ行合ゆきあひ今宵こよひ荘官せうくわんがり壻入むこいりのあるよしをうち聞ておどろきあきれて憤激ふんげきししばらく奸智かんちをめぐらしつゝ心に思ふよしや有けん。にはか要用やうようの事ありとてちと家具かぐ衣裳いしやう沽却うりしろなしてこれを路費ろようとしつ行装たびよそほひをとゝのへこゝろかまへをしたりける。さる程に濱路ハ既に必死の覚期かくご氣色けしきにハあらはさずこの形勢ありさま二親ふたをや心放こゝろゆるしつ。黄昏時ハいとゝしくいそがはしさに紛れてそのくれはてつ。初更しよかうちかづく甲夜暗に濱路ハ臥房を脱出ぬけいでてこゝは納戸なんどの背庭にて頽たる假山あり。夏樹なつき繁枝しげりえかりはらはず人のかよはぬところなれバ用意ようゐ繊帶くみおび引伸のばし松ヶ枝に投かけてはやくひれんとする程に彼左母二郎はこの」3 折に蟇六ひきろくが家の築垣ついがきくちたるところよりしのびいりつきやまのほとりにいたれバ前面むかひ女子をなご泣音なきこゑす。うちおとろきてすかし見れハ別人ならぬ濱路はまぢなり。天のあたへよろこびて矢庭やにわ襟上ゑりがみ掻〓かきつかみ手拭てぬぐひはまする猿〓さるくつわわきしか掻込かいこんで松ヶまつがえ傳ふて将てさりぬ。かゝりし程に庖厨くりやにハしき用意ようゐとゝのひしかバ蟇六ひきろく夫婦は濱路はまぢよぶ他地いづちへゆきけんかげもなし。こハ一大事におよびたりとて忙然ほうぜんとして有けるが蟇六ひきろくにはかに心づき左母二郎さぼじらう宿所しゆくしよにありやとく見てよと小厮こものはしらすにやがはせかへり左母二郎が逐電ちくてんせしさまを告るに夫婦ふうふ遺恨いこんたへすしてにわか僕僮をとこども召聚よひつどひ両三人を一隊ひとくみに四方へおつ手をいたしやりつ。まづさしあたる今宵の婚姻こんいんはや壻入むこいりに程もなし。その折濱路をすハ何とかいはんと屈託くつたくかうべともに病しけり。浩所かゝるところに土太郎は宮川にはかは辛苦銭ほねおりちん不足ふそくとしかの荘官せうかん豪求いたぶり酒價さかてを得ばやと入来れバ蟇六ひきろくハ心によろこ今宵こよひわけ箇様かやう/\とことばせわしくとき示しかれら二人りを追禁おひとめ引搨ひきずりきたらバ辛労銭ほねおりちん多少をろんぜす。たのむ/\と相譚かたらへバ土太郎聞てうち点頭うなづきいで追禁おひとめんと出んとすれバ蟇六ハ挿替さしがへの一刀をとう出てわたすをとつこしおびとぶがごとくに走去けり。

話分両頭こゝにまた寂寞しやくまく道人どうじん肩柳けんりうといふ行者ありけり。かつたきゞつみ烈火れつくわふむ自若じじやくとして焼爛やけたゝるることなし。諸國しよこく靈山れいざん名勝めいせうをいくたびとなく登陟とうしよく神人しん%\異物いぶつ邂逅かいこうして不老のじゆつたりとなん。げにその為体ていたらく烏髪くろきかみ長髯なかきひげなほ壯年の人の如し。しかれども百年ひやくねん前の事迹じせきを問ふに應答おふたう眼前まのあたりに見たるごとく説示ときしめさゞる事のなけれバ人僉みな敬信きやうしん感服かんふくせり。又左の肩尖かたさき一塊いつくわいしびねあり」4 けり。これによりてその形體かたちなゝめなり。かくてこの夏肩柳けんりう豊嶌郡としまこほり鳴錫めいしやくして愚民くみん等にしめすやう來ぬる六月十九日申の下剋日ほつの時に丁りてまさ火定くわしやうに入らんとす。その地ハ豊嶋としま本郷ほんこうのほとり圓塚まるつか山のふもとなるへし。深信しん/\有縁うゑん道俗とうそくハおの/\一そくの柴を布施ふせして來くわいせよとふれたりける。かくて尊信そんしんの里人等ハ肩柳けんりう指揮さしつしたがまる塚山の麓なる茅萱ちかや芟拂かりはらひ一坐の土壇とたんつき立つひろく穴を穿しはあまたなけ入たり。さる程にその日にもなりしかハ寂寞じやくまく道人肩柳はその打たち異様いやうにして觀念くわんねんまなことちたる讀經とくきやうの音声にこらずれす。をり/\人を眼光まなこさしいとすさまし。壇下たんかにハをち〔彼〕此の老弱ろうにやく男女群参くんさんして人ならぬ処もなし。かくてはや黄昏たそかれちかくなりしかハかねてこゝろを得たる者件のしばに火をはなてハせん々として燃揚もへあか暑中しよちう猛火みやうくわにおそれ」

挿絵

網乾あほし荘官せうくわん假山つきやましのんてひそか節婦せつふ畧奪りやくたつす〉」5

まとひてたんのほとりにある者ハ散動とよめきたつ退しりそきけり。當下肩柳けんりう霎時しはしねんしてたん下を直下みをろ財宝さいほう棄捐きゑんときすゝむこゑの中より群集くんしゆ老弱らうにやく火坑くわかうのぞきなけうつ錢ハいく十百といふをしらす。その銭すてなけをはれは肩柳自葬しそう引導いんとうして声高やかにときつゝせん々たる猛火めうくわの中へ身をおとらせてとひ入れハ火〓ゑんはつ立冲のほあふらしゝむらこかれ骨もとゝめす倏忽たちまち灰燼くわいしんとなりて失にけり。

○さる程に初夜しよや過て人散跡ちりあと小挑灯てうちん行轎たひかこまとさけつゝ引添そふて歩をいそかし來るものハ則網乾あほし左母さも二郎なり。さき濱路はまち豪奪わりなくかすめて途に行轎かごやとひつゝそかまゝ道を乱走らんそうして岐蘇路きそちを京へ入らんとて圓塚まるつかよきるになん。そをかく二人の轎夫かこかきハなほ滅残きえのこ火定くわしやう火光ほかけをよるへに間近くかきすえて左母二郎に酒價をねたりかけるにそ」6 これもてゆきねと懐中より両〓ふたさしの銭とりいだしわたすを受ず両人齋ひとしく一足ひとあしふみならして息杖つきたて女ハさらなりこしなる盤纏ろようも衣ぐるみぬいなくなれと訛声たみこゑ高く左右よりたけりかゝれハ抜打にきらりとあびせる刄の雷光いなつま打込うちこむ息杖いきつえうけながし二三合たゝかほど轎夫かこかき二人駈悩かけなやまされて手疵てきず〓〓よろめくめつたうち網干あほしが刄ハにしあふ村雨むらさめ宝刀みたちなれバ打振うちふるごと水氣すいきたちて八方はつほうさん乱し茅萱ちかやにうつりしハきえつ。足下暗くなるものから左母二郎さほしらうハかろうして轎夫かごかき二人をたゝみかけ血刀ちかたな引提ひきさげいきつをり土太郎ハやゝ追蒐おつかけきつ。滅残きえのこる火にすかし見てこゑをもかけずうしろより打込うちこむ刄に身をひねくさひらく奮撃ふんけき突戦とつせんつい土太どた郎をも切倒きりたふし刄を鮮血ちしほ推拭おしぬくふに生血のりをハかで白露つゆぬれたり。左二郎さしらうハ宝刀の竒特きどく感嘆かんたんいよ/\浅からず」

挿絵

圓塚山まるつかやまの火こう肩柳けんりうしやくしめしてつひ自焼じせうす〉」7

かくて轎の内に伏沈ふししづ濱路はまちをやをらたすけ出してそのいましめ釋捨ときすて潜然さめ%\泣沈なきしつむをかたへくひせしりをかけさま/\とかきくときいぬる神宮河かにはかは漁猟すなとりのをり信乃しの水中すいちうにてころさんとせし蟇六ひきろく夫婦ふうふ蜜議みつぎより村雨むらさめ宝刀みたち摺替すりかへてたびねかしとたのまれしかどそのおりに信乃がかたなをわが刀室さや納替おさめつ。又わが刀ハ荘官の刀室さやおさめつ。三方みところがへにかえていままでもちしことなど説示ときしめかつこの宝刀みたち室町殿むろまちとのたてまつらバ数百貫のぬしとなる立身りつしんうたがひなきものなり。なげきをとゞめてこのやまをとくうちこえ給はすやおはれ給ふか手をひかんかいかにぞやと身をよせてそびらなでをとりつ辞巧ことはたくみなぐさめけり。濱路はまぢなみだせきあへずよに養親おや奸曲よこしま網乾あぼし邪智じやちからにはじめのうらみいやましてむね潰れたる有為うゐ轉変てんへん。いかで宝刀をとりかへしてゆめになり」8 とも丈夫おつとにわたさんとおもへバこゝろをはけましてやうやくになみだをおさめ網干あぼしが心にしたがふべきていにもてなし村雨むらさめ宝刀みたちぬきはなし丈夫の仇人かたきよひかけて撃んとすれバ網干ハあはておどろいかり小太刀引抜うけながしつけ入りて濱路はまぢ乳下ちのしたはたる。〓られてあつ魂消たまぎる一声ひるやいば踏落ふみおと跳蒐をどりかゝつてつきまろがし村雨の大刀たち掻取かいとりさやにおさめ小太刀を大地だいち衝立つきたててほとりのくひぜしりうちかけ鑷子けぬきとう出ておとがひ掻拊かきなでちとしたひげ抜てをり。さるほどに濱路ハすで灸所きうしよ深痍ふかで起直おきなほれども乱髪みだれがみかほにかゝるを振拂ふりはら左母二郎さぼじらうをのゝしりつ心もとなき良人つまのゆくへ今一たびのあふよしもなからんのちたれかハつげまことおや胞兄弟はらから練馬ねりま殿どのうちにありとほのかきくのみ名をらす。去歳こぞは練馬家ほろびうせてその老黨ろうだう若黨わかとうみなうたれきと世上の」風聞ふうぶん。よにおしからぬいのちすらをしむ丈夫おつとにあふ日まて実の親が存亡いきしにをしるよしあらんその日まで有繋さすがに惜き命ぞかし。たすくる神もなき世うらみつなきつかき口説くどくを左母二郎さもじらう欠伸あくびのびして長物語ながものがたりハいよ/\いまはしこのいとまらせんず。いで/\と村雨の刀を引提ひさげきらめかす刄のひかりさきだちて火定くわじやうあなのほとりよりたれとハしらず打出うちいだ手練しゆれん銑〓しゆりけんあやまたず左母二郎が左の乳下ちのしたうらかくまでに打込だり。灸所きうしよ痛手いたでしはしたへず大刀ふりおとして仰反のけそつたり。ときに又あやしむべし坑のほとりに忽然こつぜんたちあらはるゝものありけり。これすなはち別人べつじんならず火定にをはりしめしたる寂寞じやくまく道人どうじん肩柳けんりうなり。はじめことなるそが形容ありさまよはひ二十はたちばかりとおぼしく一くせあるべき面魂つらたましひ凡庸たゞうとならじと見えてけり。當下そのとき寂寞」9 肩柳けんりう呼吸いき環會しておきあがる左母二郎をきりたふ村雨むらさめ太刀たちきつと見てさらに餘念よねんハなかりけり。

案下それハ某生再説額蔵ハこの朝信乃にわかれてわか身に假傷つくらんにも迂路まはりみちしてなか/\に月の出るをまつこそよけれと肚裏はらのうち思しつ。初更すぎたる比及ころおひまる塚山をこゆるになん。火定くわしやうありとかみちにて聞し茶毘だびハいまたきへすしてその邊明かけけるにと見れバ鮮血ちしほまみれつゝたふれたる男女なんによあり。また白刄しらはを手に拿る一個の癖者くせもの立在 たゝす〔み〕たり。やうこそあらめと端なく進ます松の樹蔭にかくらひてその為体ていたら〔く〕を窺ひけり。さる程に肩柳ハさやとりあげやいばおさふしたる濱路はまぢ引越ひきをこくすりとう出て口にくゝまし女子/\と呼活よびいけられ見れバ怪しき介抱かいほうおどろき悶掻バ肩柳ハゆるめす深痍ふかてあれども灸所にあらず。心をしづめてきゝねかし。」

挿絵

あだのゝしり濱路はまぢせつす/むざんやな かふとの下の きり/\す〉」10

われハすなはちそなたのため異母はらかはりの兄犬山道松みちまつよばれしもの故ありて去歳の秋より姿を変名を更め寂寞いん肩柳と世に唱(うたは)する假修驗。ゆく所にて火定を示し愚民の銭をうながす事軍用くんようためにして君父の讐をむくふにあり。抑わか主君練馬ねりま倍盛ますもり朝臣豊嶋としま平塚の一族いちそく共侶池袋ぶくろにてうたれ給ひわが父犬山貞與さだとも入道道策大人自餘の老黨らうたうかすを竭して打死せり。われ亦命ををしむにあらねと不思議ふしぎに戦場を殺奔きりぬけて遂に復讐しう大義たいきを企家につたふ間諜しのひ秘術ひじゆついん形五遁のだいほう火遁の術を行ひて修驗者しゆけんしやさまかえあるときハ烈火れつくはふみ愚民ぐみん等に信を起させ火定くわしやうに終をしめしつゝ銭を召ひ財を聚めて軍用に充んとするに火に入ると見せて火の外に姿すがたを隱す。これを名つけて火遁といふ。今や君父の讐敵あたかたき管領くわんれひあふ 谷定」11 政等をうたんとおもふに一人たすけなし。人の心を結はんにハ金銭にますものなしと尋思しあんはかなき火とんの術もて愚民をあざむ詐欺たはかりはつかに銭を召たれとも人を欺き物をかすめ汚名おめいを遺さん事のくやしく慚愧ざんぎたへす退きて身ひとつ也とも定正を狙撃ねらひうたんと思ひさためて再ひこゆ圓塚まるつか山はからすゆきあふ旅人の闘諍とうしやうこゝにはしめて此彼かれこれ怒罵どは哀傷あいじやう竊聞たちきくに女子ハ大塚の村長むらおさ蟇六ひきろくか養女也。われに異母はらかはり女弟いもとあり。乳名をさなゝ正月むつきといへり。云云しか%\の故ありて大塚なる村長蟇六とかいふものに生涯せうがいつう約束やくそくしてそか養女につかはしたりと父の告させ給ひしハこれなるへしと思ひしかハその危窮ききうを見るにしのびず銑〓しゆりけんを打かけて女弟があだうちとめたり。聞くにそなたハ幼稚をさなきより結髪いひなつけの夫あり。そが為に苦節をまもりてことのこゝにおよへるなめり。しかれとも幸福さいわい豪奪ごうだつせられて身を」

挿絵

忠義ちうき節操せつそうくわん會してめい女の由来ゆらい圓塚まるつか山のまとひ〉」12

けがさず死に至るまでみさほをかえず今にも親を思ふ。その貞その孝むなしからず。不憶ゆくりなく兄に環會めぐりあひ即坐そくざに仇を殺すに及びてそのうつところ此彼かれこれひとしくきずハ左のの下なり。今生の薄命はくめいハ前生のいんくわ歟。来世はその身の功徳くどくによりて佛果ぶつかを得んことうたがひなし。われ復讐ふくしうの志願成らすハ亦復また/\あだの手に死なん。苟且かりそめながら修行者すぎやうじや姿すがたをかえしちなみあれば又世をしのぶ烏髪うはつの入道父か法名をかたどりて犬山道節どうせつ忠與たゞとも名告のるへし。かゝれハ撃ともうたるゝとも存命なからふへくもあらぬ身の後れ先だつ冥土よみぢ伴侶みちづれ身後しごにハ親子の對面させん。それを今の思ひでにせよ。女弟いもと々々 /\ 叮嚀ねんころとき示し又いたはりつ手おひなれたる勇士の介抱 かいほ〔う〕たけく見えても骨肉こつにくまことハこゝに顕れたり。濱路はまぢハ苦しきかうべもたげ原来さてハおん身ハわらはか家兄いろね歟。仇さへうちて給はりし思ひかけなき介抱ハあふを別れの」13 今般いまハ對面たいめんわらはが丈夫おつともとの管領くわんれい持氏もちうじ朝臣あそん譜代ふだい大塚おほつか匠作せうさくぬしにはまご犬塚いぬづか番作ばんさく一戌かずもり大人うしの一子犬塚信乃しの戌孝もりたかとなんよばれたる弱冠わかうどはべるかし。そのはやくみなしことなりしかバ伯母をばむこがり身をせて所領しよれう田園でんはた横領わうれうせられおや遺訓いくん村雨むらさめ宝刀みたちたつさへ許我こが殿とのまゐらんとせしさきの夜に左母二郎さもしらうために宝刀を横取よこどりせられしとぞ。さりともしらでわか良人つまハ許我へ参らバなか/\に麁忽そこつをいひときがたかるへし。ねがふハおん身のたすけのみ。こゝよりたゞ許我こがへ赴き良人の安否あんぴひ定めて宝刀を逓与わたし給はらバこよなき恩義おんぎはべるめり。きゝいれてたへ家兄いろねきみたの言葉ことばこゑかれてものいふことほとはし血汐ちしほにすべハなかりけり。道節どうせつきゝ嘆息たんそくし夫を思ふ今般の願言ねぎこと推〔辞〕いなむべきにあらねどもそハ家事かじにして私なり。われハ月ごろ君父くんふあだ扇谷あふきかやつ定正さだまさたばかりよつてうらみを」 かへさんとおもものからその便たよりをざりしに不思議ふしぎに手に入るこの名刀めいたう。これをもてあだちかづき宿望しゆくまうとげ餘命よめいあらハそのときにこそそなたのをつと信乃しのとやらんが安否あんぴを問ひ村雨丸むらさめまるかへすべけれ。君父くんふためにハこの身をわすあに妹夫いもとむこの事をおもはんやとさとすに濱路はまぢのそみうしな忽地たちまちむねふたかりて一こゑあつさけびつゝそがまゝいきたへてけり。道節どうせつまぶたをしばたゝき儔稀たくひまれなる女弟いもと節操せつそう今般にのこせし一くだりうけさるも武士ぶし意地いち。せめてハこゝに亡骸なきがらおさめて冥府よみち苦惱くのふすくはん。さハとてやをらいたあげて火定のあなおしおろしのこれるしばなげ入るれバ夜風のまに/\埋火うづみひふたゝもへ煽々せん/\たる茶毘だひけむり鳥部野とりべのの夕もかくやと想像おもひやなげきハはじめにいやまして霎時しばしまもりて廻向ゑかうしつ。とくこの山をこえんとてかの名刀めいたうこしよこたへ」14 立去らんとする程に後方あとべうかゞふ額藏ハ村雨の太刀とりかへさんとこかけをひらりと走り出くせまてと呼とめつゝ刀のこしりを丁ととり両三歩引もどせバ驚きながらふりかへりてこじりかへしにはらひ除大刀抜んとする処をよこさまに引くんたる技も力もおとらすまさず勇者と勇者の相撲にハ両の山にたゝかふ如くいつはつへくもあらざりしかいかにしけん額藏がくざうハ年來はたを放さゝる護身嚢まもりふくろの長紐みだれて道節か大刀のにいくへともなく〓縁まつはりつゝいどむまに/\引ちぎられてふくろハ彼がこしつきたり。そを取らんとする程に思はずも手や緩みけん道節忽地たちまちふりほどきて大刀を引抜きうたんとすれバこゝろへたりとぬき合せて丁々發矢はつしたゝかふ大刀音一上一下手煉しゆれんの刀尖道節とうせついらつうつ大刀を額蔵かくさう左に受流うけながせば刀尖あまりて腕」

挿絵

さう玉を相換あいかえ額蔵かくさうるいをしる〉[京谷]15

よりながるゝちしほを物ともせず丁とかへせし大刀風するど刀尖きつさきふかく道節どうせつかたなるしひね〓傷きりやぶれバ黒血くろちさつとほとばしこぶの中に物ありけんいなごの如くとび散て額藏がくざうむな前へはたと當るをおとしもやらず左手にしかにぎり畄て右手に刄を閃かしまたすき間もなく切結ぶ。大刀すちあなどりかたけれバ道節ハうけとゞめ声をふりたてやよまて一等しばしいふことあり。なんじが武藝甚よし。われふくしうの大もうあり。あにてきけつせんやといはせもあへすまなこいからしさハわが本事てなみをしりたるな。命惜くバ村雨の宝刀みたちをわたしてとく去れ。かくいふわれをたれとかする。犬塚つか信乃しのが無二の死友犬川荘助義任よしたふなり。と名のれハ道節とうせつあざ笑ひわが大もうとぐるまでハ女弟いもとにすらうけ引ざる大刀を汝にあたへんやいなとらでやハとつけ廻しておどりかゝるを左邊ゆんてはらすきを」16 はかりて火坑くわこうなか飛入とびいり道節どうせつけむりとも往方ゆきかたハしらずなりにけり。額蔵がくざう吐嗟あなやをひかねて原來さてハ火遁くわとんじゆつをもてのがれ去し歟残念ざんねんなり。さるにても道節どうせつ瘡口きずくちより飛出とびいててわが手に入しハなになるらん。いと不審いふかし燃残もえのこる火光によせて熟視つら/\みるにあな不思議ふしぎ犬塚いぬづか信乃しのとわか秘蔵ひさうせしかう一双のたまひとしくちうの一字あらはれたり。こハ怎生そもあやしと沈吟うちあんじ忽地たちまちさとつ莞尓につこ此彼かれこれ思ひあはすれバかの犬山道節どうせつついにハわが同盟どうめい人となるべき因縁いんえんあらん。さるにてもわがたましめおきたりし護身嚢まもりぶくろかれ腰刀こしかたなにからみ取られつそが肉身にくしんより出たる玉ハ思はずわか手に入し事あやしといふもあまりあり。これによりておすときハわかたまかの宝刀みたちも後にハ復る時あらん。そハとまれかくもあれ犬塚生か許我の首尾心もとなき限りなれども今束の」

挿絵

〈入る月に ひわをふくろへ おさめけん/晋其角〉」17

に告るによしなし。はやく大塚へ立かへりてまたせんすべもあらんかし。かねてハ假傷にせきづを造らんと思ふ折から幽搨傷かすりておふたり。これも物怪もつけさいわひなる歟」とみつからとひおのづからこたへ手拭てぬぐひをもてきずつゝみ又愀然しうぜん火坑くわこうを見かへり濱路はまぢため回向ゑこうしつ退しりぞかんとするほど左母二郎さもじらう亡骸なきから撲地はたとつまつきひとりこゝろにうち点頭うなづきくひ掻落 きおとえのき伐掛きりかけそのみき推削おしけつ墨斗やたてふですみそめこれハ悪黨あくとう網干あほし左母二郎なり。或人あるひと秘藏ひさうの太刀をかすめて又處女しよぢよ濱路はまぢ拐挈かどはかしそのしたかはざるを怒てこゝに烈女を残賊さんぞくせる天罰てんばつよつてくだんのごとし。年月日時と書つけてそがまゝ墨斗やたてこしおさかうのこせバあやまりつたへて此彼これかれ情死ぜうしとするものなからん。これ節婦せつふ追薦ついせんのみとひとりこちつゝ歩を早めて大塚村おほつかむらへいそぎける。

案下某生再説それハさておき蟇六ひきろく亀篠かめざゝ濱路はまぢ左母二さもじ18 郎等を追畄おひとめさせたる土太どた郎等家内やうちのものゝ今將て來るかとまちとも/\音さへせねバむねうち騒ぎ心をあせるに十九日の月たかのぼりて今はや亥中ゐなかになりしかバ陣代ぢんだい簸上ひか〔み〕宮六ハ媒妁なかだち軍木五倍二と連拉つれたち詣來まうきにけり。夫婦ハ今さら周章あはてふためきてせんすへをしらず。蟇六ハ小気味きみわるげに出迎いてむかハ宮六五倍二ハ會釈ゑしやくして賓主ひんしゆむしろさだまりつ。檢拶あいさつすてをはれども墨付すみつきわるき今宵の仕義しき忽地たちまちしらけたり。かくて又盃をすゝめたる。賓主ひんしゆ辞讓ぢしやう果しなけれバ五倍二しきり焦燥いらたち婚姻こんれい催促さいそくしけれバ夫婦ハます/\こうし果當座とうざのがれすべつきて今宵濱逐電てんせし事明々地あからさまつぐるを聞て両人おどろいかりつゝひさ突進つきすゝんせき立けれハ蟇六夫婦は顔色かんしよくあをざめそのうたかひをとかせんために摺替すりかへ取たる村雨の一刀」 取出し當座たうざしちとてさし出せバきうすこし氣色けしきやわらげこのやいばをもて村雨丸とするにハたゞしき證据せうこありやとふにひき微笑ほゝえみ奇特きどくハ抜ハ忽地たちまち刀尖きつさきより水氣したゝさつ氣をふくみてうち振れバその水四方へ散乱さんらんせり。某すでこゝろみたれバ何のうたがひ候べきといふにきう六うちうなつき刄を抜きて火光ほかけにさしよせれとも水氣ハ顕れず。と見かう見てもしづくハなし。はてはら只管ひたすらに振れバ後方あとべはしら打當うちあて刀尖きつさき些曲りにけり。五倍ごばい二これを見てあざみわらへバきう六面しよく朱をそゝぎ一度ならず二度ならすわれをあなど老耄おいぼれめ覚せよと五倍二共侶もろともさしひけらかすこし刀のそりうちかけてつめよすれバ吐嗟あなやさは亀篠さゝハ腰うち抜してせんすべしらず。ひき六ハ只呆れはてさて來ハ伎倆たくみの裏をかきてこの贋物を」19 つかまされしとおもふものからかつおそれかつはぢあはたゞしくおこにげんとすれバ宮六きうろくハます/\いか血氣けつきゆう抜閃ぬきひらめかやいば稲妻いなつまあびせかけられ蟇六ひきろくそびらられてたをるゝをふたゝびうちこむやいばした亀篠かめざゝ宮六きうろくいだきとめれバ五倍二ごばいじうちとびかゝりさまたけすなとかたな引抜ひきぬき肩尖かたさきふかくつんざいたり。いたでをおふたる夫婦ふうふものハなほのがれんと悶掻もがくおり濱路はまぢ左母二郎さもしらうおいかねて一人いちにんとつてかへしたる背介せすけ主人しゆじんによしをつげんと縁頬えんがはよりすゝちかづき書院しよいん障子せうじ引開ひきあくれバ目前めさきやいばびんをられてこゑあつさけひもあへずうしろざまにまろびおちそがまゝ簀子すのこしたにかくれてつうをしのひておともせず。さるほど宮六きうろくいかりまかして蟇六ひきろく痛手いたでおは五倍二ごばいじもまた亀篠かめざゝ〓殪きりたふしおの/\絶命とゞめをさしたりける。浩処かゝるところ額藏がくざうは」

挿絵

いんどくの悪報あくほう蟇六ひきろく亀篠かめざゝ横死わうしす〉」20

みちをはやめてかへりつ。書院しよいんのかたにすゝみてれバあるし夫婦ふうふ〓仆きりたをされ仇人かたきハ日ごろみしりたる陣代ぢんだい簸上ひがみ宮六ろく属役しよくやく軍木ぬるで五倍二ごばいじ也。おの/\やいばをおしぬぐはしらんとするほどしゆうかたきよびかけて二人敵手あいて自得じとくげい秘術ひじゆつつく奮撃ふんけき突戦とつせんいまだ十合とたちをよばずしてにげんとしたる宮六きうろく幹竹割からたけわりきりたふし眉間みけんられてにげゆく軍木ぬるでをなほにがさじとほど宮六きうろく五倍二ごばいじとものち太刀たちおとはしかたな抜連ぬきつれ額藏がくざう駈隔かけへだてたるそがひまに両三人のしも五倍二ごばいじかたひきかけ宿所しゆくしよさし迯去にげさるにぞ額藏がくざう若黨わかたう左右さゆうきりふたゝおはんと走出はせいづ衡門かぶきもんほとりにて濱路はまぢ左母二郎さもじらうおひかねて立かへるをとこともに交合ゆきあひければまづ血刀ちがたなぬぐおさかつ衆人もろびとにうちむかひあるじ夫婦ふうふ横死わうしことあだ撃畄うちとめたるよしをつげて」21 も明ハ城中より検察けんさつ夥兵くみこ來つべし。おそくハ問注もんちう所へ出訴して復讐ふくしうの趣をつまひらかのべんのみ。よくわろくも額蔵か一己いちこのうへにあるべけれバかならずしも狼狽うろたへ給ふな。逃亡にげうせたる婢女をんなばらたづね聚會つどへ給へかしといとねんごろにさとしけり。却説かくてその夜明はなれて六月廿日も巳のころ及になりける。爰に簸上ひがみ宮六が弟同苗どうめう社平軍木ぬるで五倍二ごばいじ同僚あいやく卒川いさかは菴八いほはち許夛あまた火兵くみこ荘客ひやくせうばらに案内させ荘官か書院の上坐に床几せうぎを立させまづ此彼かれこれ死骸しがい展檢てんけんをはりて額藏等闔宅やうち奴婢ぬひをこと%\く召よせて事の顛末てんまつをたづね問ふに額藏明白をうつたふる。社平ハ兄の宮六が當坐のはぢくろめんと信乃しの額蔵に罪をおわさい〔いさ〕かは共侶もろともにまげてさぎからすとくろむる権勢けんせい。兄宮六が亡骸なきから轎子のりもの扛乗かきのせさせ宿所に遣し」

挿絵
両敵りやうてき相遇あいあふ義奴ぎぬうらみむくふ〉」22

又額藏にハてがねをかけ夥兵くみこひき立てさせ簀子すのこの下にしのび居たる老ぼく助を引出しはんだにうちせ額蔵共侶もろとも城の問注所もんちうしよへつれゆきぬ。

話分両頭ものがたりふたつにわかるさる程に犬塚信乃戌孝もりたかハ幾日もあらで許我こがに赴き執權しつけん横堀ふひと在村かやしきにいゆきて由緒ゆいしよのべ村雨の宝刀を推参すいさんせしことの趣執次とりつぎによりて愁訴しうそしてけり。かくてまつことやゝ久しうして在村出て對面たいめんしなほその父祖の由緒ゆいしよ軍功くんこうたゞし明め持参の宝刀相違さういなくバ老臣等と相譚かたらふて御所様〈成氏をいふ〉に聞へあけん。旅舘りよくはん退まかりてまちさむらへといふに安堵おちゐ領承れうぜうし客店に立かへりぬ。かくてその詰旦あけのあさ信乃ハ宝刀のちりほこりをぬくわんとて引抜てやいばを見るに村雨にハあらさりけり。是は」23 いかにとおどろきつゝこハ何とせんとばかりにやいば撲地はたとなげうちはらわたたつ遺恨いこん後悔こうくはいよにせんすべハなかりけり。かくて有べきにあらざれバやいばさやおさめつゝ宝刀みたち贋物にせものなる事を御所こしようつたへまうさんとて立出たちいでんとするほど城中じやうちうより在村ありむら使つかひ來りて柳筥やないはこより一領ひとかさね衣裳いしやうをとう出て在村の指揮さしづによりおんむかひきたれり。とく/\いで給へといふに信乃しの使つかひとともに在村ありむらやしきに赴き對面たいめんこひにけれどはや登営とゑいして宿所しゆくしよにあらず。せんすべなさにみちびきせられてゑい中へまゐほどに在村がをるところをしらず。このゆへに宝刀みたち紛失ふんじつの趣きをうつたふるによしなくいよゝ心をくるしめけり。しばらくしてくだん謁者まうしつぎ信乃をしるべしてたき見の間におもむけバ上壇ぜうだん翠簾みすをたれて成氏なりうぢ朝臣あそんしとねまうけそが下に横堀よこぼり在村ありむらその老臣ろうしん侍坐ぢざしたる左右」 にハあまた近臣きんしんながれたり。又廊下ほそどのほとりにハ身甲はらまきしたる武士ぶし數人すにん齊々せい/\として非常ひしやういましめいとはれかましく見えたりける。すで成氏なりうじ著座ちやくざし給ひいまだ翠簾みすをバあけられず。當下そのとき在村ありむらはるか信乃しのにうちむか宝刀みたちまゐらせ候へといはれて信乃ハ一期いちご浮沈ふちんと思へどさはかずかうへもたくたんの宝刀ハ何ものに搨替すりかへられてうせたれバ穿鑿せんさくまて日の宥免ゆうめんねかふよしいはせもはて在村ありむら忽地たちまちいかれるこゑふりたて人をあざむく表裏ひやうり乱言らんごんおもふに這奴しやつてきがたの間諜者まはしものうたがひなしとく生拘いけどれと焦燥いらだてあまた力士りきし群立むらだつたり。信乃ハ力士を右左に投退なげのけ飛鳥ひちやうの如く身をはたらかしてほとりへもよせつけず。翠簾みすの内にハ成氏なりうじ朝臣あそんあれ撃畄うちとめよと下知し給へバうけ給はるとあまた近臣きんしんおの/\やいばぬきかさし撃てかゝれバ」24 かいくゞり信乃ハたゝみ蹴揚けあげつゝひまはかりてとびかゝり先にすゝみし一人か刄をうはふて〓殪たをし十餘人に痍をおはせ八九人を〓伏て廣庭ひろにわおとり軒端のきはの松より屋上に飛登鮮血ちしほすゝり咽喉のんとうるほし遠見の為にたてられたる芳流閣ほうりうかくと名つけたる三そうろう閣にからうしてよち登りさらに後方を見かへれハ百の士卒廣庭にたむろしておとさんと弓杖ゆんつゑたてたり。進退しんたいほと/\きはまりつよき敵あらハ登り來よくみ戦歿うちしにせんものと思ふ外他事なかりけり。さる程に前管領くわんれい成氏なりうしあまたの士卒をうたせつゝます/\いかりて力士を聚會つとへ信乃を搦捕からめとるものにハ加恩かおん千貫文をたまはるへしとおちもなくふれさせたれともかの武藝ふけい看懲みこりして承らんといふ者なし。當下在村ありむらハ成氏にやからすやう獄吏ひとやつかさ犬飼見八信道ハおん」

挿絵

信乃しの所存しよそん齟齬そこして在村ありむらためとりことせられんとする〉」25

抜萃とりて職役しよくやく固辞いなみまうしあまつさへしひて身のいとまを乞奉りしとかにより月ころ禁獄きんこくせられたり。かれハ古人二階松かいまつ山城介か武藝ふけい允可いんか高弟こうていにて拳法やはら無双ふさうの力士なり。且そのつみなためて信乃を搦捕からめとらせ給へ。この議いかゝとすゝめもふせハとく/\とおほするにそ在村ありむらハ時を移さすくたん犬飼いぬかひけん八を獄舎ひとやよりひき出させそのいましめをときゆるし君命を述傳のへつたへて大刀身甲はらまき肱盾臑盾すねあてに十手をそへてとらせにけれハつゝしん領承れうせう在村ありむら辞別しへつして三けん階子はしこはせのほり孫廂まこひさしのあなたより芳流閣ほうりうかく筥棟はこむねに血刀さけて立たる信乃をはるかにうち見いらかふみて進む程にうち仰きつ。主従しゆう/\あやふまさるものなかりけり。その時信乃ハ見八か今たゝひとりのぼり來ぬを見るより心におもふよふきやつおほえある力士ならん遮莫さもあらバあれ一個ひとりてきなり引」26 くみ刺迭さしちかへ死するにかたきことやハよきてきこそこさんなれ。目にものせんと血刀ちがたなはかまそばもて推拭おしぬぐ高瀬たかせごと方桴はこむねたつたるまゝするをまて見八けんはちも犬塚が武藝ぶげい勇悍ゆうかんあなどりがたく搦捕からめとるともうたるゝとも勝負せうぶ一時いちじけつせんともつたる十手じつてひらめかしとぶかごとくに進登すゝみのぼくまんとすれどもよせつけず双方おとらぬ手煉しゆれんはたらき一上一下虚々實々きよ/\じつ/\見八ハ被籠きこみくさり肱當こてはづれ裏缺うらかくまでに切裂きりさかれしかど大刀たちかず信乃ハ刀のつゞかて初めに淺痍あさでひしより漸々しだいいたみおぼゆれども足場あしばはかりたゆます去らすたゝみかけてうつ大刀を見八右手めでうけなかしてかへすこぶしにつけ入りつゝ眉間みけんのぞみはたうつ十手を丁と受畄うけとむる信乃がやいば鍔除つばきはより折れてはるか飛失とびうせつ。見八けんはちたりと無手むづと組むをそがまゝ左手ゆんで引著ひきつけて」

挿絵

水閣すいかく扁舟へんしう両雄りやうゆうはか〔ら〕活路くわつろたり〉」27

もみつ〓るゝちからあし此彼かれこれ齋一ひとしく踏辷ふみすべらして河邊のかたへころ々と身をまろばせし覆車ふくしやの米たわら高低かうべりけはしき桟閣がけつくり削成けづりなしたるいらかいきほとゞまるべくもあらざめれとかたみとつたるこぶしゆるめず幾十尋いくとひろなるの上よりすゑはるかなる河水かはみづ水際みきはつなげ小舟こぶねの中へう〔ち〕かさなりつゝとうおつれハかたふへり立浪たつなみともつなちやう張断はりきりて射るごと早河はやかは真中たゞなか吐出はきいだされつゝしか追風おひて虚潮ひくしほさそふ水なる下舟くだりふね行方ゆくへもしらずなりにけり。思ひかけなき為体ていたらく士卒しそつひとしくさはぎたちてやが云々しか%\つぐるになん。成氏なりうじ聞てかついかり且うたがふてにはか塹門すいもん推開おしひらか准備ようい快舩はやふね四五そう分配てくばりして士卒しそつを乗せつらかぢとらしてとぶごとくに追蒐おつかけたれども二三里か間にハ影も得みえす。其処より舩を返しつゝ在村ありむら成氏なりうじにまうしつゝ」28 本藩ほんばん武者頭むしやかしら新織にひおり太夫敦光あつみつ追捕おつて大将たいしやうえらみ定めて君命くんめいのべつたおごそかおきてしかバ太夫うけ給はり異儀いぎに及ばず俄頃にはか行装たひのよそほひとゝのへつゝ夥兵くみこ三十餘人よにんを将て滸我こが城下せうかをあちこちと坂東ばんどう河原かはら下流ながれふて葛飾かつしかのかたにおもむきけり。

不題こゝにまた下總國しもふさのくに葛飾郡かつしかのこほり行徳きやうとくなる入江橋いりえばし梁麓はしつめ古那屋こなや文五兵衞ぶんごべゑといふものありけり。かれハこの土地とちにふりたる居停はたこや主人あるしなり。つま一昨歳おとゝしまかりつどもたゞ二人あり。冢子うひこ小文吾こぶんごといふ。今茲ことしすで廾歳はたちなり。そが身長たけハ五尺九寸膂力ちからハ百人にもてきすべくいち人にさがとして武藝ぶげいこの劔術けんじゆつ拳法やはら相撲すまひの手まで習得ならひえずといふ事なし。そのつぎハ女子にて十九歳になりぬ。その沼藺ぬいとよばれたり。こはとし二八のはる隣郷りんごうなる市川いちかは舟長ふなおさ山林やまはやし房八ふさはちといふ」 壮佼わかうどとつぎつ。その年のをはりにやはやく男児おのこうめりけり。そハ大八と名づけたる。今茲ことしハはや四才なるべし。さても文五兵衞ふんこへいいとまあるをり/\ハ入江いりえたちつりするをたのしみとせり。時に文明十年六月廾一日この濱辺はまべにも牛頭天王ごづてんわうまつるよしありて戸毎いへごとさけもり遊樂あそびいとまなき日なれども文五兵衛ぶんごべいハさるすぢにもふけらず霎時しばしなりともたのしまんとて釣竿つりざほたつさへてひとり入江に立出たちいでつゝさしはりをおろせしかどもとき下〓なゝつちかづきて虚潮ひきしほ最中もなかなれば小沙魚こはぜひとつのえものもなけれどすけわざとてたちらずたのしみいまだなかばならず。と見れハあやしき放舟はなれふねしほひかなみゆられて河深かはふかよりながつ。こなたのきしつくを見れハ舩中せんちう両個ふたり武士ぶしあり。此彼かれこれたふれてせるがごとし。かゝるものをこゝらにをか土地とち煩労わづらひ29 なるべしと思へバ竿さほをとりなほして衝流つきなかさんとしてつら/\見るに一人の武士ハ頬尖ほうさきあさありてかたち牡丹ぼたんはなたり。是なんかねみしりたるその人にハあらずやと思へバうちもおきがたくやがてそのふね乗移のりうつりてほゝあざあるかの人をいだおこしてこゑたかやかによびつかへしついたはれどもとばかりにして呼吸いきふきかへらず。こうはて宿所しゆくしよはせくすりをとりてこばやとてたつときおもはず素肌すはだにてたふれし武士ぶし腋腹わきはらをしたゝかに〓てけれバ死活しくわつはうにやかなひけん忽地たちまちうんと身をおこ四下あたりを見かへりおどろさまに文五兵衛ハ小膝こひざつきてこゝハ下総葛飾かつしかなる行徳のいり江なり。それかしハ里の旅店はたこやふん五兵衛と呼るゝものこゝのあし原につりするをりこのふねながよつたり。あの頬さきに痣ある人ハ滸我こが御所ごしよなる走卒犬飼いぬかひ見兵衛ぬしの一子」

挿絵

〈江村の釣翁かひとゆくりなく雙狗さうくみしる/野狐〉」30

見八信道のぶみちとのなりとかねみしれるよしあれバさま%\にいたはる程に思はすおん身がいき給へり。その顛末てんまつハいかにぞやと問へバしば/\嘆息たんそくしいでや事のまことつげん。われハ武蔵むさしの大塚村に由緒ゆいしよある郷士がうし犬塚信乃戍孝もりたかといふものなり。此度こたびをや遺言ゆいげんなれバ村雨むらさめといふ名刀をはる/\滸我こがもたらせしにあにはからんやくだんの宝刀ハ人のためぬきかへられにせ物でありしを知らで見参けんざんの日にはしめて知りそをうつたふるにいとまなく間諜まはし者かとうたがはれ狐疑こぎふかき在村ありむらが下しにしたがふ力士等がため生拘いけとられんハ口惜くちおしと已ことを得ず血戦けつせんしていと高き屋のむねつたひのぼしばらいきをつくほとにこの犬飼見八とやらんかたゞひとり追登おひのほり來つ。ときうつるまて挑戦いとみたゝかひわが大刀たちつひに折れしかハ引組ひきくんもみあふ程に齋一ひとしくあし踏辷ふみすべらしてくみたるまゝ大河たいかなるふね中」31 おちにきとおもひしがそのをしらずかつはじたゝかふたる時ハさしも心つかざりし見八けんはち面部めんぶあざ牡丹ぼたんの花に似たるをれバそれかと思ひあはする事あり。わか故郷こけうなる大塚おほつか糠助ぬかすけといふ百姓ひやくせうありけり。その臨終りんしうにいへることあり。そのこと如此しか%\なり箇様々々かやう/\  と行徳の入江橋いりえはしにて嬰児みとりこ共侶もろとも身をしづめんとしたるをり武家ぶけ飛脚ひきやくさとしによりはづか二歳にさいの一子をおくりたるおもむき説示ときしめ當時そのときくだん武家ぶけ飛脚ひきやくは成氏朝臣あそん御内人みうちびときゝたるのみにてわかれしとぞ。かゝれバ親子をやこ再會さいくわひのよすがなきに似たれども糠助ぬかすけ乳名をさなゝ玄吉けんきちとぞづけたる。そハ生れながらにして右の頬尖ほうさきあざありて牡丹ぼたんの花に似たりといへり。今犬飼いぬかひ面部めんぶあざもこれかれ符節ふせつを合することし。是のみならずくたん飛脚ひきやく主用しゆうよふのかへるさなれバ私に稚児おさなごたづさへがたし。」

挿絵

文五ふんこ兵衞へい往古むかしものかたり見兵衞けんへい旅舎やどや養子やうしあつくる〉」32

このあたりの定宿ちやうやど預置あづけおかさねむかへとるべしといはれし事のありと聞り。もしやたづぬる人ならずやといふに文五兵衛小膝こひざうち自今たゞいまおん身が物語ものがたりはわれも吻合ふんがうすることあり。滸我こが御所ごしよなる走卒はしりつかひ見兵衛ぬしハおん使に往返ゆきかひごとにわがいへ定宿ぢやうやどにせられたり。かゞなふれバ十九年のむかしにやなりぬらん。その子をわが家へあづけし事あり。かくてあまたとし一昨歳おつゝしあきころ里見殿さとみどのへおん使つかひのかへるさにその子共侶もろともわが家に止宿ししゆくしていひけるやうわれすでに老たれバなかく役義やくきをつとめがたし。よりて拙郎せかれ見八けんはち見習みならはせばやと思ひつゝ従者ずさにしてきたれり。かれ総角あげまきの比よりして二階松にかいまつ山城やましろぬしををしへうけ弱輩じやくはいながら高弟かうていせうぜられる。この子をやしなひとりし時内室うちかたをわけて字育はぐくまれし恩義おんぎあり。かゝれバ子息しそく小文吾とハ乳兄弟にして其」33 年も同しかるべし。かつ小文吾も武げいこのめり。これによりて小文吾と見八と兄弟の義をむすばせなバ久後ゆくすへまでもたのもしからん。といふに某一議に及はずやがてそのまかしつゝ勸盃けんはいの義をとりおこなふにかくてその詰朝あけのあさ犬飼親子ハ滸我こがかへりわが妻ハいく程なく持病ぢびやうつかへさしつめていとも果敢はかなく世をりつ。見兵衛ぬしは去歳の夏これも黄泉よみちひととなりぬと風の便たよりに聞えたり。しらねハこそあれたゝかふてことのこゝに及へるハ只是すく世の業報こうほう。初わが呼活よびいけし見八とのハいきもせておん身ひとり甦生そせいせし。そも命運によるものなれバ今さらに誰をかうらまん。この亡骸なきからハわが子とはかりてともかくも葬るべし。おん身ハはしりてかけかくし後日のたゝりまぬかれ給へとてさり給へといそがせバ信乃ハ聞てかう〔べ〕をうちり人の人たるべきよしハじんに本づき義によりたゞよく耻をしれバなり。」 又かつ和殿わどのが物がたりにてこの犬飼見八ハ糠助ぬかすけか子ならん事さだかに知れり。知りつゝわれのみ存命ながら〔へ〕てハ一旦うけがひし糠助が遺托いたくにそむくこれ不義なり。われこゝろさしとげすして死せんこと遺憾なれども薄命のいたす所いかにせんすべなし。吾〓わなみたのもし親族しんぞくなけれど只大塚なる荘官せうくわん小廝こもの額蔵がくぞうと呼るゝ男と年頃ひそかに義を結びつ。たゝ是異姓ゐせいの兄弟なり。その本名ハ犬川荘助義任よしたうといふものぞとよ。もしこのうへのなさけあらバわがうへをかれつげてたへと見八か腰刀をきらりと引抜わか腹につきたてんとするほどせりと思ひし見八ハ〔ハ〕忽地岸破がばと身をおこして信乃が利腕きゝうでとめたり。是ハと見かへる信乃よりも文五兵衛ハおどろき呆れて思はづほつ息吻いきつきけり。當下そのとき見八ひざおしすゝめ嗚呼ああ賢なるかな犬塚ぬし一言にして義をつらぬくその肺肝はいかん34 を知れハこそ卒尓あからさまとゞめたれ。まづこのやいはおき給へといひつゝ取てさやに納めなう犬塚主古那屋こなやの翁今猛にはかに身をおこせしわが為体ていたらくあはたゞしきをいぶかしくおもはれけん。さきそれかし芳流閣ほうりうかくむね踏外ふみはづして落ぬるとき水際みぎはの舟にうけられしと思ひしのちハわれにもあらす死してこの江にながよりしをつぐるが如き人ありてわが枕邊まくらべに立とおもへバなきおやの名とわか名さへよばるゝに打おどろきてやゝ人こゝちはつきしかどさめ果ずゆめたり。かくて心をしづめつゝそのいふよしをつばらに聞けバかの幾條いくくだり問答もんだうなりき。かゝりし程に犬塚ぬしは道を立義により自殺じさつと見えし為体ていたらくおどろきあはて身を起し馴々なれ/\しくもとゞめたり。しかハあれども犬塚ぬし和殿わどのによりてそれかしか実父のうへを知るゆゑに今君命をよそにしてわが私をあつうする烏滸をこのもの」

挿絵

信乃しのいさんでみづからやいばさんとす〉[呂文]」35

とな思ひ給ひそ。まづわがうへをつばらに告ん。某がおや見兵衞けんべい微禄びろく卑職ひしよくのものなれども生平つね陰徳いんとくを旨として偽飾いつはりかざることを好ます。ある時二親吾〓わなみを召よせやしなひとりしおもむきを説示ときしめ實父じつふ像見かたみ護符嚢まもりふくろを見せられたれバおさなこゝろにいとかなしくやるかたもなきなげきせり。これよりしていとゞなほこゝろざしを奨しつゝ斯行ひ年を經て去歳こぞ二親をうしなひぬ。後いみはてて召出され父のしよくつぎたりしにまた此春ハ役をてんじて獄舎長ひとやかしらになされたり。その時某おもふやうわか亡養父なきちゝ慈悲じひふかく無益むゑき殺生せつせうせし事なかりき。われその子として獄舎長をうけ給はらんハ物憂ものうき事なり。かつ執権しつけん横堀よこほり在村ハ権威けんいたくましうして人をしへたぐること大かたならすバつみなうして獄舎ひとやつなかれはかなく命を隕すもの夛かり。たとひ職役しよくやくなれハとてつみなき人を呵責かしやく36 せんこと忍かたきわさになん。今われ轉役てんやくの義を辞しまうさんにゆるされずバ身退くともはなはだしき不忠にあらず。養父母すでに世をさり給ふにしつおやの存亡生死をこゝろにかけずハ不孝ならん。退糧らうにんせバなか/\に幸なるべしと尋思しあんしつ〓て一通の願状ねかひふみをたてまつり獄舎長ひとやかしらしまうせしかバ横堀よこほり怒拒いかりこばみて忽地獄屋につながれしににはかつみを免されて癖者くせもの信乃をからめよとことなる嚴命心得かたし。これ在村が奸智かんちもて信乃が手をころさんとはかりけめとすいすれとのがるゝ道なし。たゞすみやか勝負せうぶけつして不測ふしきの功を立るにいたらバ恩賞おんせうにハ身のいとまを乞受退しりぞき去らんと思ひしのみ。わが為にハじつおやの恩人なるを知らされバしきり挑戦いどみたゝかひにき。嗚呼あゝあやうきかも危かりし。親と親との精霊みたま擁護おうごかたみ命恙つゝがなくこゝに素懐そくわいを遂る」

挿絵

小文吾こふんごくひ初のことほきに碗中わんちうよりたまる〉」37

ことまことにこよなきさいはひなり。さきにハたゞその大かたをそは聞しつるをやの事なほ精細つまびらかに聞まほし犬塚ぬしとかきくとくに信乃ハ只管ひたすら感嘆かんたんしてそがじつ父糠助か終焉しうゑんのをりたくせしことを物語りて往時むかし安房あは洲嵜すさきにて和殿が生れし七夜しちやの日に魚のはらしんの字をしるせし玉あり。そを證にし給はゞまぎれあらじといはれたり。その玉今もありやと問へハ見八ハはたつけたるふくろひもとき出してたなそこの さし示し懐舊くわいきうの目皮しばたゝき物数ものかすにしていふにハあらねど某がやう父の名乗なのり隆道たかみちとなへたり。よりてまた某が名を信道のぶみちと命けられたり。道ハすなはち養父やうふ隻字せきしのぶハ玉の文字をひやうせり。まことおやかたみと聞て玉の出処しゆつしよハます/\なり。こハ犬塚ぬしのたまものなりといはれて信乃ハひたひを拊そハ某も本意にかなへり。」38 それかしもこの玉に毫釐つゆたかはぬをもてるなり。その玉にハかうあり。もと云云しか%\ゆゑありて家狗かいいぬ痍口きづくちよりくだんの玉ハあらはれ出てそれかしが手にりぬ。只この竒異きゐあるのみならず某が左のかひな忽然こつぜんとしてあざ出きてかたち牡丹ぼたんの花に似たり。わが友犬川荘助そうすけ感得かんとくの玉これにおなじ。その玉にハの字あり。よりて義任よしたう名告なのれどもかりあざな額蔵がくざうといふ。かれ身柱ちりけのほとりより右のかひなの下まであざあり。そのかたち相同じ。かゝれバ糠助ぬかすけ老人をぢか子もわれと異姓ゐせいの兄弟ならんといとなつかしき心地こゝちしつ。いよゝ過世すくせあるを知れり。わが玉を見給はゞうたが立地たちどころ氷解ひやうかいせんといひつゝまもりひも解披ときひらきて玉とあざとをせしかバ見八けんはち唱歎せうたんして天地をはいし義をむすびぬ。文五兵衛ハ驚嘆きやうたんして両人にうちむかひかくいへバ〓滸をこ」に似たれどわが小文吾こふんご過世すくせある歟。かれ一顆ひとつの玉をもてり。かれが玉ハ孝悌こうていていの字あり。されバ名告なのりもみつからゑらみて悌順やすよりと名つきたり。件の玉の出処しゆつしよあかさバ小文吾がなほ襁褓むつきなるとき食初くひそめわんの中へ衝立つきたてはしにかゝりて滾々ころ/\とまろぶ物あり。とりて見れハくだんの玉なり。もとわん中にあるべきにあらでいでしハもつとも不思議ふしぎこと歟。もとめがたきたからなれバやがて小文吾が護符嚢まもりふくろいれたるをかれハ今なほ秘蔵ひそうせり。加旃しかのみならず小文吾ハ市人の子にげなく総角あげまきの頃よりして武藝ぶげいこのみ年八ばかりの頃なりけん十五さいなるわらべ相撲すまひをとりて敵手あいてをいたくなげたれどもはてハ己も尻居しりゐすへりてあたりの石にいさらゐうたせしかバ大きなるあざいで来にけり。年をまゝ消失きへうせハせであざ生憎あやにくこくなりつ。かたち牡丹ほたんはなに似たり。」39 しかれどもこれらのこと奇異きいわたるをもて人につげず。元来もとよりかれ武藝ぶげいたしむもいさゝか因縁いんゑんあり。いとはつかしき事ながらそれがし素姓すせうをいへバ安房あは半國はんこくぬしなりける神餘しんよ光弘みつしろ朝臣あそん近臣きんしん那古なこ七郎がおとゝ也。そのかみ山下さんけ定包さだかね逆謀ぎやくほうにより光弘みつしろ横死わうしし給ひしときあににて候七郎ハ金碗かなまり孝吉たかよし舊僕もとのしもべ杣木そまき朴平ほくへい洲嵜すさき無垢三むくざうたゝかふて無垢三むくさう〓倒きりたふせしかどその身もつい深痍ふかでふて朴平ほくへいうたれたり。そのときそれがし十八歳弱冠じやくくわん多病たびやうなりければ定包さだかげ〔ね〕うつべき志願しくわんもかなはずはゝの舊里なるをもてこの行徳ぎやうとく落畄おちとゞま客店はたごやとなるに及びて家號いへなを古那屋なや唱初となへそめ市人になりしかど父祖ハ武弁ぶべん家臣かしんなり。よりて拙郎せがれ小文吾こぶんご自然しぜん武藝ぶげいたしむものか。かれ身長みたけハ五尺九寸膂力ちからかぎりハいかばかりなるべき。さきにこの」

挿絵

小文吾こふんご任侠にんきやうわるもの犬太いぬたとりひしぎて里人のうれひをのそく〉」40

里に〓〓もかり犬太いぬたといふ悪棍わるものあり。膂力ちからあくまてつよこゝろたけくしてゆがめり。酒と賭博とばくを好めるまゝに年來としころ浦里うらさと横行わうきやうしてさる癖者くせものなりけれども領主りやうしゆ弓箭ゆみやおとろへて訴糺うつたへたゞすべくもあらず。人みな毒蛇とくじやごとおそれてよけとふほどに犬太ハ酔狂すいきやうのあまりさと眞中たゞなかに一條のなわ引渡ひきわた紙牌かみふだむすひさげてこの所をよきらんとするものハぜに百文をすべし。もしせんなくてよきるものあらバ犬太がくびを得さすべし。と書付かきつけてそのほとりなるいししりをかけてをり。是によりひとみなみちさりあへずほと/\難義なんきおよひにけり。このとし小文吾こぶんご十六歳ひそかに犬太が悪行あくきやういきとふくだんなわ引断ひきちぎつて人をとうさんとするほどに犬太ハいた怒哮いかりたけつてこぶしかためてうたんと進むを引外はづしあしとばしてはたと蹴られてだうたふるゝをおこしもたてずのぼしかゝつて中〓むねのあたりふみにじれば」41 胸骨むねほね折けてしゝてけり。さても彼犬太ハ當初そのかみ鎌倉かまくら追放ついはうせられてわがさとへ來つるものなり。同類たうるいもなく妻子さいしもなけれバころしたりとてたゝりハあらず。これにより世の人ハついに拙郎に綽號あだなして犬田小文吾と喚做よびなしたり。某ハくだんの事を次の日人に聞しかバおとろきて拙郎せかれよひつけ血気けつきの勇をいましめて教訓きやうくんの辞をつくせしかバ小文吾ほと/\後悔こうくわいして刄を帯るともぬき候はし。人とあらそふともうち候はしとぞちかひける。かくて又近きころ鎌倉かまくらに大先だつ念玉修驗しゆげん觀得くわんとくといふ両個ふたりの山伏あり。并に我慢がまん悪僧あくそうなれバ武げいを嗜相撲すまひを好めり。先祖せんそハ兄弟に今なほちかきやからなれども年頃としころ先達しよくの所得をあらそふてはたさず双方あかしの文書あれバ両管領くわんれいも黒白をさだめかねて和談わたんすゝめ給ひしとぞ。よりてねんくわん得ハ且くそのあらそひ」

挿絵

八幡やわた社頭しやとうりやう修驗しゆけん角觝すまひをこゝろみる〉」42

とゝめて昔惟高惟仁同胞の親王宝位みくらゐを争ひ給ひしたとへをひき相撲の勝まけをもて師弟していとならんとかたみ誓紙せいしを取かはしつゐにおの/\彼此に名たゝる相撲すまひもとめけり。さる程にねん玉ハ小文吾がことをつたへ聞けん。この行徳にまう來てかれにかたらひつ。觀得くわんとくハ小文吾か妹夫市川の里人なる山林ふさ八郎がちからあくまで人にすぐれて拳法相撲をよくすと聞て彼処かしこにいゆきて相譚かたらひけり。かくて本月十八日の未明より八幡の社頭しやとうにて東西に桟敷さじきかけわたしてねん觀得くわんとくの両修げん者とともにこれをき彼此のさと人にも見せけり。初ハ小文吾とふさ八が子ともの小せり合あり。その小相撲九ばんはてて第十ばんハ山林と犬田がむすびの相撲すまひなれハ見るものをのみ勝負せうふを俟バ行司ハ左右の気息きそくに合してヤッと引たる團扇うちわと共双方」43 齋一ひとしく立あかり半〓はんときはかりもみあふ程に小文吾ハ左を差たる山林かかひなひらりとふりほとけハ足からかけんとする処をそひらはたうちしかバ房八ハ両三歩ふたあしみあしはしるが如く跌飛けしとんうつふしになんたふれたる。ねたしと思ふものまても勝負にとつかけたる声霎時しばしなりも止さりけり。是よりして小文吾と房八とむつましからず。某ハかねてよりしは/\とゞめたりけれとも彼等は好む事にして人のもとめ推辞いなみがたくかつおくしたりなンどゝいはれやすらんと外聞をいとふのみにてつひに用ひす。なましいなることしてけりと手まねにさとはて相撲すまふ打出すが如うらべのかたにふへ大鼓たいこの音聞えけり。文五兵衛見かへりてあな笑止せうし無益むやく話説はなしにみが入りて両所のつかれをもかへりみす日のくるゝをも忘れたり。あの俚樂うちはやし牛頭ごつ天王の神輿みこし洗の供奉ふね也。とやらかうやら黄昏たそがれて」近きわたりも路の程しのふに便たよりよくなりぬ。いざ給へといひかけて先に進みてくがに登らんとする程に水際みきはあしかきわけて〓てへさきに進み近つき袱包ふろしきつゝみを左手にもちふなべりに手をかくるをと見れハ是別人ならす犬田小文吾なりけれハ三人今さら心安堵おちゐてさて見八ハいそかはしく信乃を見かへり小文吾と引あはすれハ口議こうぎをはり小文吾ハ父にむかひ某家尊かぞ大人うしのむかひに出てさいぜんこゝにたづね来つ。彼処かしこまて近つきてたち聞をつ〔す〕る程にかの玉の事あざの事孝心義膽ぎたん異聞ゐもん珎説ちんせつこと顛末てんまつをうち聞くに幸にわれもまた過世あるよしを知る。よろこたとふるにものもなし。とく出て對面たいめんせはやと思ひつゝ又おもふやう今彼人々をともなはゞ家にハ人あり影護うしろめたし。宿所にかへりて物よくとゝのまたこゝに来てむかふるとき對面する共遅からじとむねに揣りて宿所に退き婢児們をなごどもを出し遣し暮かゝる日」44便たよりよけれバふたゝびこゝに來て見れハなほことはて大人うし長譚ちやうだんそれかしかうへもの々しげにときほこらかし給ふこと傍痛かたはらいたく候ひきと中をつくれバ文五兵衛えみつゝはげたるかうべなでいざ賓客まろうどを伴ん先に走りて案内しるべをせよといひあへず立んとつ〔す〕るを小文吾霎時しばし推禁おしとゞ犬飼いぬかいぬしの打扮いてたちを見ハ里人にあやしまれん。加之それのみならず犬塚いぬづかぬしのきぬはかまに染たり。短長ゆきたけ不便ふべんの物なるべけれど単衣ひとへをもて來れり。これを脱かえさせ給へといひつゝくだん袱包ふろしきつゝみとけうちより両口ふたふりの刀さへあらはれ出たり。小文吾信乃に又いふやう就中なかんづく犬塚ぬしハこしめぐりかろけん。この両刀ふたふりハいぬるころある人よりあがなひ得たり。當座ばかりにおび給はゞ幸ならんとおくるになん。信乃見八ハ小文吾がこと倉卒そうそつあはひにしてあくまで心をつくしたるめぐみを謝して衣を脱更ぬきかえかたみたすけてその浅ぬのもてまきつゝむすぶ程に。文五兵衛ハ信乃見八がぬき

挿絵

両雄りやうゆういへおくりて小文扁舟こふね押流おしなか〔す〕〉[愚山人]」45

すてたるきぬはかま肱盾こて臑盾すねあてもひとつにまとめふろしき推包おしつゝみはしむすへハ小文吾あたりを見かへりてわか大人うし賓客まろうどたちいざなふてとくかへり給へ。それがしハこの舩を推流〔お〕しながして後より退まからん。物とりわすれ給ふなとこゝろをつくれバ点頭うちうなつきつ信乃見八を見かへりてゆるさせ給へと水きはに立バ信乃見八ハ後よりをり立しからバ大哥あにきいはるゝまに/\をぢ共侶もろともに宿所て俟んと小文吾にしわかれ文五兵衛があとつきて古那屋をさして誘引いさなはる。小文吾ハ後目おく端折はしをもすそ精悍かひ/\しく長き刀をそびらめぐらしふねおきたる袱包ふろしきつゝみをそがまゝ取てしつか背負せおひ舩の港板みよしかたさし入れて力にまかして突放つきはなせバふねハ後ざまにゆらめき走りて大うみのかたへぞ出にける。小文吾今ハ心安しともと水際みきはかへりのぼるに日ハはやくれて夜やみなるにあし46 左右にかきわけ家路いへぢをさして悠々ゆう/\たちかへらんとつ(〔す〕)ほど一反いつたんばかりやりすぐして蘆原あしはらほとりより一刀ひとふりよこた手拭てぬくひもて頬被ほうかむりせし一個ひとり癖者くせもの忽然こつぜんとあらはれ出て竊歩ぬきあししつゝ小文吾かこしりを丁とにぎとめ両三歩ふたあしみあし引戻ひきもどせバちつとさはがずひね揺一揺ひとゆりゆりつゝ振拂ふりはらふて見かへらんとする肩尖かたさきおさへはた衝背つきそむけその手をかけて小文吾が袱包ふろしきづゝみ真中たゞなかつかんで引倒ひきたふさんとあらそふほどに包を一布引綻ひきふくろばしつ内よりおつ麻衣あさきぬのあやなき烏夜やみにともしらすをふりかへ跳蒐おどりかゝつ癖者くせものが右のたゞむきとりひしがんとるをひるます振放ふりはなかたみおとらぬ拳法やわら奥妙おうめう〓定ねらひさだめつくせものはなほもうたんとすゝところつき出す小文吾がこぶしすゝ郤含はづみにて癖者くせもの腋肚わきはらを大くうたして霎時しばしたへず一声あつさけびつゝ」

挿絵

暗夜あんや癖者くせもの蘆原あしはら小文吾こぶんご抑留よくりうす〉[呂文]」47

一間あまり逡巡あとすさりして尻居しりゐだうたふれたるおときけどもにはぬ小文吾ハ袱包ふろしきつゝみゆるびかたく引よせてむすなほして歩早あしはやのがれて宿所しゆくしよかへりけり。少選しばらくして癖者くせものハわれにかへりておこふたゝはん踏出ふみだす足に〓掛けかく麻衣あさきぬを手はやくとりなでて見つ烏夜やみかざしてすかし見つひとりうなづ莞尓につことうちきぬ推團おしまろめてふところおさめて手をくみかうべかたむ思按しあん路次みちも引かえて塩濱しほはまのかたへ走去はせさりぬ。

鈍亭主人録[呂文]

英名ゑいめい八犬士はつけんし三編

【三編巻末】

三編巻末

 東都神田松下町    書房  公羽堂壽梓[〈伊世〉忠]48




『英名八犬士』四編

【四編表紙】

四編表紙

 英名八犬士えいめいはつけんし 直政画

【見返・序】

見返・序

走馬燈まはりとうらう 〈又走犬燈〉     英名八犬士四篇

〓輪擁騎駕炎精  飛繞人間不夜城
風鬣追星来有影  霜蹄逐雷去無声
秦軍夜潰咸陽火  〓炬宵馳赤壁兵
更憶雕鞍年少日  章臺踏碎月華明
[改][辰四]

いんをおしくわとくこと走馬燈まはりとうろごと人間にんけん万事ばんじ塞翁さいをううまたり。さき馬琴ばきん老翁ろうをう八犬士傳はつけんしでん妙案めうあんありそをそがまゝに抜翠ぬきがきして犬馬けんばろうにもおよばねども梓主ふみやために筆記せる者は戀岱の愚山人なりけり。

【口絵第一図】1

見返・序

【口絵第二図】2

見返・序
 負ふた子に髪なふらるゝ暑哉
 ひら/\とかさす扇や雲の峯


【本文】
英名えいめい八犬士はつけんし四編

江戸  鈍亭魯文鈔録 
       ○

かゝりしほど文五兵衛ぶんごべゑ信乃しのけん八をともなふて宿所しゆくしよかへをくまりたる子舎こざしき安措やすらはして手づから酒食しゆしよく安排あんばいしいと叮嚀ねんころすゝめつゝ饗膳けうぜんやゝはつころ小文吾ハかへりつ。思ひがけなく癖者くせもの抑畄よくりうせられていとみし時袱包ふろしきつゝみふくろびて信乃が麻衣あさきぬおとせしかど烏夜やみなりけれハ心もつかす。安ずるに彼奴かやつ蘆原あしはらかくろひてふねの中なる密談みつだん竊聞たちきゝせしものなる歟。何にまれかのくだりよそもれてハ仇にやならん。こゝろかゝりの一ッなりとハいわねども父にむかひてそれがしいさゝかおもふむねあり。某在宿ざいしゆくせざる日ハわきて心を用ひ給へ。昨今さくこん止宿ししゆくたび人はなけれどもさきころより溜流とうりうせる修驗者すげんじや念玉坊ねんぎよくばうあす他所たしよよりかへり來つべし。」3かの人のみならす。いぬる日八幡やはた相撲すまひより妹夫いもとむこの房八はいたくうらめり。某世上せじやうの人氣をかんがへこゝろにくきことあらバこの二彦ふたかたを他所へうつさんいかにそやといふになりといらへけり。見八是をうち聞てげにこの処をりやうしたる千葉ちば滸我こが殿との躬方みかたなり。且横堀よこほり在村ハその猜忌ものねたみたくまし。かれ見八かつゝがなく犬塚うしと義をむすひて逐電ちくてんせしと傳へも聞かハなほにくむことはなはだしからん。人の視聽しちやうさくるにハ名をかへるにますものなし。かゝれハけんの字に玉をくわへてけふよりげん八ととなへんと思ふハいかにと相譚かたらへハしかるへしといらへけり。はや夜ハふけて子の半更なかはとおほしきころかどうちたゝき声ふり立おのれ塩濱しほはまから四郎なり。神輿洗みこしあらひのかへるさに濱辺はまべわかき者共かいた闘諍いさかひをしたるにより怪我けがせしものも亦多かり。そが中にハこゝの弟子でし又市川なる山林が弟子もあり。關取せきとりいゆき」 てともかくもあつかふて給ひねかし。とく/\ませとおし足音おと高くはせ去けり。小文吾ハ二犬士にも父にもつげて立出ゆかんとするを押止おしとゞめ小文吾が腋刀わきざし取て紙索をひねりつばすかししとゝめに引とほしてしかと結ひ又小文吾が右の手を胸前むなもと近く引よせて紙索こよりをもて右の巨指おほゆび季指こゆびの本さへ〓結わむすびしてあまれるはしを引ちぎれハ小文吾ハ呆果あきれはてて何し給ふと問せも果ず文五兵衛ハひさすりよせ親の心を子ハ知らすや。紙索こよりもろきものなれともむすひてやいばとゞむるに引断ひきゝきらされハぬくこと得ならす。國の法度はつともまた親の教訓きやうくんも此紙索におなし。やぶらんと思ふとき破るハいともやすけれと破れハ非法ひほう不孝なり。大刀ハすなはち男子の精神たましゐ身を守る徳こそあれ人をるべき為にハおびず。両手ハ則使役しえき至宝たから萬事をへんする徳あるのみ。」4 ひとうつべき物にハあらず。たとひいかほど腹立はらたゞしくしのびがたき事にあふともこの紙索こよりきれやすきれふたゝむすびがたしと思ひかへしてたへ忍びおやなげきをかくるなと生平つねにハまして義理ぎりふか庭訓にはのおしえに小文吾はかたじけなさのかうべもたげそれがし一旦いつたんいかりまかしておやわすともそむくのあやまちをしいだすべき。もしこの紙索をきることあらバ侠者おとこといはるゝえうはなし。そをわすれざるためにとてかけし紙索の指環ゆびのわまるおさま喧嘩けんくは和談わだん。夜ハはやふけて候バ某ハまかるなり。まり給へといひかけて一刀ひとこしとつわきばさみ信乃現八にわかれはや外面とのかた立出いづれハ両人りやうにん戸口とくち目送みおくり文五兵衛ハ子舎こざしきかやをたれて両人をやすらはせその納戸なんど退しりぞきけり。却説かくてその詰旦あけのあさ文五兵衛ハとくおき早膳はやいひ調理とゝのへて両人が起いつるをまつほどに現八ハいそがはしくかやよりいでて某ハ暁方あけがた

挿絵

文五兵衛ふんこひやうへ我子わがこ庭訓ていきんして両士りやうしをかくまふ〉」5

よりとくさめて候へどもいかにせん犬塚うじ未明まだきより金瘡てきづはなはだしく腫疼はれいたみその苦腦くのうまた甚し。きずさいわひ灸所きうしよはづれてあさけれどきのふ終日ひねもす河風かはかぜ吹暴ふきあらされたるにより破傷風はせうふうになれるなり。それがしさま%\にこゝろつくして看病みとらんとほつすれども腰著こしづけ藥籠やくらうもなし。をぢよばんもこゝろにず。しばらくおきねと犬塚ぬしのいはるゝに黙止もだしたりといふに文五兵衛うちおどろきそハおもひかけなき事なり。昨夕よんべまでハすくやかにうち晤譚かたらふたる人のはかりがたきハ病難びやうなんのみ。まづ容體を見てこそとそがまゝ裡面うち進入すゝみ りそが血色けつしよくおとろへを見つゝ文五兵衛ハ嘆息たんそくし現八に目をくわ共侶もろともつぎおもむきて声をひそめさて苦々にが/\しき容體ようだいなり。療治りやうぢかんゆるかせならば本ぶくこゝろもとなし。されバとて浮世うきよしの地の醫師くすしにハ」6 せがたし。それがしが兄なりける那古七郎が相傳さうでんせし破傷はせう風の奇方あり。その傳法に云破傷はせう風腫疼はれいたみまさに死なんとしたるときとし少き男女の鮮血ちしほ各五合をとりて合しそのきつにそゝぎあらへハそのきづハ立所にいえ日にして本ふくするといへり。しかれどもちしほ五合をとりたらバと〔ら〕るゝ人ハ必死なん。よしやその人死なずといふともぜにあり威勢いきほひあるものならでハもとめがたき薬剤也。おん身かふん分いかにぞやととへバげん沈吟うちあん醫療いれうことさら仁術なるに人をそこなふハ不仁の術にてしのびかたき所行わざならずや。たゞ武蔵なる志婆うら破傷はせう風の賣藥ばいやくあり。こハ効驗こうげんの良剤なり。某たゞに彼処へおもむきそのくすりもとめて来へしといふに文五兵衛ハけん八が義に勇志をかんじてとゞめず。早飯あさいひをすゝめなどして路費ろよう薬料をおくり」

挿絵

けん八金さうくすりをもとめんとて志婆浦しばうらにいたる〉」7

笠に脚絆きやはん草鞋わらんじまでをちもなく逓与を現八受とりて某思ふよしあれバ信乃に辞別いとまこひをせざるなり。 のちに犬つかたつねなバ翁云云とつけてたべと刀を取てこしよこたへ文五兵衛にぢし別れてかさ深/\とうちいたゞき背とよりしのひ出にけり。

かくて文五兵衛ハけん八を出し遣れどその人の事心もとなくなほ當然さしあたる信乃か病著いたつきとやせまじかくやせまじと思ひかねつゝ小文吾が帰宅かへりまちわびひとり言して門傍へ立出て見んとする折から走奴あるきとかとなへらるゝ荘官せうくわんの使入來り店前みせさきより訛音たみこへかけて古那屋のだん那をはするか。荘官殿より火急の要用とく/\来ませとよび立けり。文五兵衛ハいとゞしく安からぬ胸裏むねのうちに荘官より召るゝハかの事ならんかこのことかと思ひかねて沈吟うちあんじ乃がふしたる子舎こさしきに赴きつ扨云云と密語つ」8外面とのかたに立出つ。走奴あるきと共に荘官せうくわんの宿所をさしていそきけり。さるほと犬田いぬた小文吾こぶんごハその夜さり塩濱しほはまにおもむきて闘諍いさかひ為体ていたらくとひきはやが市川いちかはなる山林がり人をつかはして和睦わほくよし相譚かたらはするにふさ八ハ宿所に在らす。ゆきたるかたもしれずといふ。これによりつぎの日また市川へ人をつかはしたりけれども房八ふさはちつひざりしかバ和睦わぼく後日こにちの事にしてきずつけられし市川人を駕籠かこに乗せおくつかはしなどするほど下〓なゝつさがりになりにけり。小文吾こぶんご宿所しゆくしよのことしばらくもむねたへねバかうあつかはつるとやがて里人さとびとわかれて家路いへぢをさしてかへりきつ。栞嵜しはざき並松原なみまつはらよぎをり忽地後に人ありて犬田いぬたまてよびかけたり。是すなはち別人べつじんならず房八ふさはちなり。そのさがぜんあくか知らねと色白にして骨法ひとがらよく犬塚いぬづか信乃に似たりけり。小文」 吾ハうち微笑ほゝゑみたれなるらんと思ひしに市川のせななりけり。神輿洗みこしあらひ捫擇もんちやくにて昨夕よんべもけふもよばしたれど一向いつかうに面出しせす。さりとて他人の事でハなし和主わぬしが分まで骨折ほねをりてやうやくなかばおさめたりといはせもはて冷笑あざわらひやよ小文吾こぶんごあの截判さいばんの片手打今みちにして聞及きゝをよへり。房八ハ女房にようはうあにおそれてりつゝも知らぬかほしてたりしと世間の人にいはれてハしゝての名折なをれいきての耻辱ちゞよくまきなほす確執でいりたねはなもたねハたゝぬ。思按しあんさだめて挨拶あいさつせよとたけたてれとちつとさはがず房八それハそなたの僻案ひかみ甲乙かうおつつけてわけたらバ片手打かたてうちともいはれやせん。一夜ひとよ一日ひとひまてどもざりしそなたをたててこなたからおくらしたるハはなならずやといふをかでそで巻揚まきあげそハいひわきになること侠骨おとこすたりしおれなれバいかばかりでもよからずやハとあなどられたる故事こじ来歴らいれき。いぬる日」9 八幡やはたはれ相撲すまひ美事和主に負たれハ生涯せうかい土俵とひやうに足踏かけしと思ひたへてこの如くけふまで惜し額髪ひたひかみそり落したるあを冶郎。もし武士ならバ弓箭ゆみやを棄て發心ほつしん入道せしこゝろ。よはみに祟る此度の確執でいり相撲の日より怖気おちけかつきて生れしさとかた入れす。われからつぶすといはれなバ釈迦しやかでも還俗けんぞくせざらんや。女房によぼうれバ阿舅あにとハいはさぬ。黒白しろくろわく覚期かくごせよときそかゝれとあらそはず。そなたハいたく逆上のほせし歟。相撲すまひ遺恨ゐこん拳法やわらもてかへすとならバ大人気おとなけなし。けふハ吾〓わなみことおほかり。いふことあらバあすまたかん。今宵こよひ一宿ひとよさあつけよと和解なだめわかれ去んとすれバたもとしかひきとゞめ物体もつたいつけてぬめらかしにげてもにがさぬ今こゝで挨拶あいさつせずやと敦圉いきまきつゝもすそたか褄取つまとつたり。小文吾今さらもてあまししからんにハいかにせバ十分じうぶんそなたハおもてをおこすとへバとりたるたもとはなかうして」

挿絵

〈栞嵜に房八宿恨を霽す〉」10

おこすと身を反り刄をきらりとぬきかくる。ひぢ推畄おしとめかほうち目戍りそなたハさけまよはされて物にやくるふ。聞わきなし。人をころさバ身をころす。親のなけきも子の事も思ひかけずやとたしなめとつたる臂を衝放つきはなせバいよ/\せき下駄けた脱捨ぬきすて小文吾刄におくれし歟。生酔なまへひあつか胸悪むねわろし。とく/\勝負せうぶけつせよと又ぬきかけてつめよすれバ小文吾も今ハたへかねてともに抜んと手をかけ鍔際つばきは見れハ親の慈悲じひかけ紙索こよりとめられていかりとゝもに手をおさめ相手にならねバあきはてさばかりやいばがおそろしくバ倶にこぶしくたくるまて打あふてうんためさん。とくすゝめと立對たちむかへど小文吾ハかけられしゆび紙索こよりのいとをしさにかうべたれて見かへらす。房八呵々かかと打わらひかばかりの臆病おくひやう者を人かましく打なハなか/\にわかこぶしけがさん。是をくらへとあしとは蹴居けすへかたふみ被たり。」11 小文吾ハその足うけとめ向上る面色朱をそゝたへいかりを忍べとの親の教訓おしへにもとりなばさきだつ不かう友にハ不しん思ひかへして恨の涙見せしと汗に紛らしてかほを背けてついゐたり。當下そのときこかけにかくろひてやうすを見つゝゑみながら見れ出し修驗しゆげん觀得くわんとく扇を颯とおしひらきて房八をあふぎたてあはれめでたし心地よし。かくてこそいぬる日の相撲すまひの耻を雪ぎたれ。竒妙/\と小ばないからしもはや十分してのけたれバ窮寇きうこうハ追ふへからす。尾を引犬田ハ打栄なし。こハこの儘に打おきて例の酒肆さかやで一こん酌ん。とくいかずやと誘引いざなへバ房八ハぬぎ捨し下駄げた穿はきそろへ又小文吾がほとりに立より疾視にらまへてやよ犬田いふべき事のなほあれどもそハわれ今宵いゆきていはん。もししかへしをせんと思はゞ寐刄ねたばあはしてまつてゐよ。その折畄守を使ふなといとにくさげにおし觀得くはんとくを先に立酒やへとてぞ伴はる。」

挿絵 

挿絵

藁塚わらづか犬田いぬた急難きうなんゆるくす〉」12 」             【改刻本挿絵】

且くして小文吾ハかうべもたげ手をこまぬきさるにても房八が日ごろににげなき無法の挙動ふるまひ敵手あいてにならぬハ親のいましめ相撲すまひまけぬわれにしもたゞかちがたきハ馬鹿はか者の無法なりきと嗟嘆さたんして乱れしびんをかきなでつ再び歩をいそかしてゆくことはづかに三町ばかり。藁塚わらづかのほとりより捕手とりての兵八九人簇々むら/\はしり出てのがさじ遣らじと捕籠とりこめたり。思ひかけなき小文吾ハおどろきながらたゆたへバ野装束せうそくせし一個ひとりの武士この地の荘官せうくわんを先に立し文五兵衛を搦捕からめとりかげよりあらはれ出るを小文吾ハきつと見て親の縲絏なはめに再びおとろき思はず其処そこについをれバくだんの武士ハ立むかひやをれ小文吾われハこれ滸我こが殿の御内にて武者長を奉る新織にひおり帆太夫敦光なり。癖者くせもの犬塚信乃といふものきのふ云云の事によりて御所をさはがし奉り捕手とりての兵犬かひ見八と組撃して芳流閣の屋のむねより」13 河原おもてつながれし舩の中に滾おちあとくらまし落うせたり。これにより某追捕ついほ嚴命げんめいうけ奉り昨夕よんべ通宵よすから路次みちを急きてこの浦に來たりつゝおきたゝよふ舩をたり。おもふに信乃ハ見八を水中に推投おししづめくがよりのがれ去りたるもの歟。しからバなほこの浦にしのび居ることもやあらんとひそか穿鑿せんさくしてけるになんぢが親の宿所にのみ昨夕両個ふたり旅客たひゝと泊れり。その一個ひとりハ今朝立去ぬ。又一個ハ滞畄とうりうせり。此彼共に武士なりとことつまびらかに聞えたり。よりて文五兵衛をよびのぼしおこそかたゝし問しに返荅へんとふ甚た胡論うろんなり。彼滞畄の旅客こそ正しく犬つか信乃ならめ。そをいつはらハ文五兵衛も亦是同罪どうざいたるにより犇々ひし/\いましめつ。われみづから古那屋こなやおもむ家捜やさがしせんと来つる。荘官せうくわんか告るによりて汝と見識みしりさへきり畄めことのこゝに及るなり。親の」 縲絏なはめすくはんと思はゞ汝先に進みてくだんの旅客を搦捕からめとらせよ。異議いぎに及はゝ親もろともに身をいましめなはかけんす。有かまゝにとくまうせとおどしつすかしつ説示ときしめせハ小文吾ハ親のうへ義をむすひたる友の事浮沈う〔ふ〕ちん存亡そんぼうこの時なりと思へと色にハちつとも出さす。ぬかつきたるかうべもたげ仰の趣うけ給はり候ひぬ。しかれとも某ハきのふより宿所にあらす。たゞ皈宅きたく中途ちうとにて親の縲絏なはめおどろくのみ。されハこそそのくせ者我家に滞畄したりとも武勇するどき太刀風ならハたとひ夛勢たせいをもてすとも捕逃とりにかさしとハいひかたし。三十六けい欺詐だますよしとす。おん隊勢てせい遠離とほさけて某にまかし給はゞ何事も親の為なり。ひとり宿所へ立帰りその旅客たひゝとなほ在らハ詐計たばかり搦捕からめとらん。こ〔の〕義ハいかゝとこしらへて當坐をのがるゝ才子弁舌べんぜつ説賺ときすかされて帆大夫ほたゆう然也さなり/\と」14 打頷うちうなづなんじ意見いけん説得ときえあり。信乃ハ万夫ばんふ無當ふたうゆう。わが隊兵てのもの〓立きりたてられ此度こたびまたとらずば過失あやまちはわれにあらん。しからばしばらく汝にまかせん。ようせよかしと骨法圖すがたえとり出し小文吾これハかの癖者くせもの犬塚いぬづか信乃しのが骨法圖なり。すべてこの引合ひきあわ一毫つゆはかりたらんにハ詐計たばかりより搦捕からめとれ。かならず遅々ちゝすへからず。あけなバ有無うむをまうしよ。こゝろへたるかと逓与わたすになん小文吾これをうけおさめすでにかういのちがけなる奉公ほうこうを仕れハねかふハ親の縲絏なはめをゆるしてそれかしあづけさせ給へかしといわせもはて帆大夫ほたゆうかうへともこえふり立いなそハたへかなはぬ事なり。なんじなりとて一ッあななるむじなならん歟。こうあるまでハ文五兵衛は人保ひとじちなり。おやすくふもつみなふもすべて汝か心にあらん。そを今願ふ事かハと叱懲しかりこらせバ小文吾ハ忽地たちまちのぞみうしなふて又いふよしもなかりけり。當下そのとき

挿絵

〈かきがらの水のむ鳥や蝉の聲〉魯文」15

帆大夫ほたゆう小文吾こぶんごしばらゆるしいそがして文五兵衛ぶんごへいひかせつゝ荘官せうくわんさしてゆくあと目送みおくる子よりおやハなほものいひたげに見かへりつゝあとへ牽るゝ縛索しばりなはなはてやふへだてられ看々みる/\見えずなりにけり。小文吾ハ愀然しうせんとうちなげきて有けるがきつとこゝろをはげまして家路いへぢをさしてかへりきつ。そがまゝ子舎こざしきおもむくにけん八ハらずして信乃しのたゞひとり病臥やみふしたり。こハいかにとおどろきてまづそのやうをたづねるに信乃ハやうやくおきなほりつその金瘡てきづあけがたよりにはかはれいたみたる苦惱くなうたへかたき事また現八はくすりもとめんとて武蔵むさしなる志婆浦しばうらに赴きしを信乃ハのちに知れること又文五兵衛ハさきに荘官よりよばるゝとて出てゆきし事をつぐるに呼吸こきうせわしくこゑほそれり。小文吾うれひの中にまた一層いつそうのうれひをまして心くるしさかぎりなけれどさりげなくなぐさめていそかはしくかゆ烹復にかへて」16 すゝむるに信乃ハその疼痛いたみすこしおこたれはにやわつかはしをとりおりから高やかに呼門おとなひつゝうち面に入るものありけれは小文吾店前みせさきはしいてと見れハ是別人ならす鎌倉かまくら修驗者すけんさ念玉ねんきよくなり。ついてわろしとおもへとも小文吾やか行燈あんとんさげ別室はなれさしきあん内してもとところにかへり來つ。思はすも嘆息たんそく腹裏はらのうちに思ふやうかの修驗者すけんさに今宵しも宿かすことハ影護うしろめたし。されハとて今更に他処へうつさハうたかはれん。させるあく心あらすともみつ事を知らハ身のあたなり。さし殺して口をふさかん。そハともかくもすへけれとせんすへなきハ病臥やみふせしおくなる人のうへなりけり。けふ大夫にうけひし事いひのはされぬ手つめ難題なんたい。そのをり逓与わたされし骨相圖すかたゑこそ心にくけれ。またよく見はやとふところ掻探かいさくれともなかりけり。原来さてはみちにておとせしならん。もしみちにして人にひらはうつた〔へ〕られなハ」

挿絵

妙眞めうしんかなしみよめかへす〉[呂文]」17

そのうたかひいよ/\吾〓わなみかゝるへし。そこらくまなくたつねんとて立遶たちめくれともあらされハはて尋思しあんのかた胡座あくらいかにすへきとむねに問ひ胸にこたへてうきかす/\のいひあはさねと子坐しきなる信乃もゆく末へ來しかたをおもふにつき自害しかいせんとしかそ覚期かくこきはめたるいともせちなる壮夫ますらをの清きこゝろそあはれなり。

○夜ハはや五ッ半輪はんりんの月にかえたるつと挑燈ちやうちん轎子かこらさし來るものハ山林ふさ八か母そくの名ハ戸山とてまた黒髪くろかみおしけなくきつたるまゝ短髷をとこわけ妙眞めうしんよふわか孀婦こけなり。小文吾ハかうへわたけ鬱悒いふせくおもへとさりけなくいさこなたへと上坐にすゝめて巨戸おほと推開おしひらけハ轎子かこよこさまに舁居かきすえすたれあけて我子をきそのまゝに小文吾かいもと沼藺ぬいなり。しはらくして妙眞ハ小文吾にうちむかひいといひかたき事なれとも」18 夫婦めをと口舌くぜつもつれよりにくからぬ〓婦よめ離別りべつことわりにくまれにつるこゝろくるしさはじめをいへバいぬる日の八幡やわた相撲すまひに房八がおん身にまけてかへりしより額髪ひたいかみ剃落そりおとせし昨夕よんべ俄頃にはか濱辺はまべ捫擇もんちやくやわらげ給ひしおん身の截判さいばん如才ぢよさいあるにハあらざめれどさきわろさにふさ八ハ憤恨いきとほりはなはだしく女房去りてこの確執でいり黒白こくひやくわくるとて母のいさめも用ひぬ短慮たんりよ媒〓なかうど古人こじんになりつ。今さらたれとて相譚かたらふものなし。よりてわなみがくみしてつ。お沼藺ぬい誠心まことハ知りながらはてしなけれバなぐさめてたすけて轎子かごするをり大八だいはち跡追あとおふてくハことはり母と子のわかれをむしが知らせてすかるをはらふて出られもせずやむことを得ず合轎あひこししてつれきし離別りへつ情由わざ〓々てゝごにもこれらのおもむきとりなし申給ひねと酸鼻なみだぐみたるしうとの言葉にハよゝとぞ泣沈なきしづむ。當下そのとき小文吾ハこまぬきたる手をとき妙眞めうしんきつと見て大家はゝご離縁りゑんおもむきハ大かた心を得たれとも沼藺ぬいおやむすめなり。又このいへおやいへなり。おや他行たきやう離縁りえんことわ承引うけひかば道理どうりそむかん。老父をやぢ今宵こよひかへらん逗畄とうりうせんさだかならぬ畄守るすにハよしや女弟いもとでも一宿ひとよさとゞめがたし。おや在宿ざいしゆくしたらん日に又出なほして給ひね。それがしが知ることかハと立んとすれハたもとを引とめ阿舅あにごそハことばかたがはん。氣をとりしつめきゝ給へ。たとひてゝごゐまさずともこゝはてゝごの家ならずや。てゝご宿所しゆくしよてゝご女児むすめて来てかへせバ畄守のやくうけとり給ふが道なるべし。また大八ハ坐艸わらのうへより左のこぶしの人なみならで物をとることかなはねバ〓弱者かたわものとて持あまし母にそはして来せしと思はるゝにやらずはべれど」19 〓弱かたはまご可愛かあいさのしほにましてはべるものをらるゝ母につけせしハほだされて房八ふさはちたけきこゝろもをれよかしまごもろともよめをしもよびかへさんとおもふなり。そをうたがふて大八だいはちとめじとならバかれ旅客たびゝと房銭はたごを出さバ渡世とせいまけ宿やどかし給へ犬田いぬたどの。獨行ひとりたびにハあらざりき。しかも母と子と同行二人かくても推辞いなみ給ふかといと雄々をゝしげにいゝとけ小文吾こぶんご乃がこと今宵こよひかぎ手逼てづめ難義なんぎ女弟いもとなりとてとゞめおきていかでか密議みつきらすへき。いひこしらへてかへさんものをととけどもくつせず冷笑あざわら客店はたごやの事なれバ旅客たびゝとにして宿借やどかるともはや甲夜よひすぎ座席ざせきもなしとばかりいはゞ大八ハ祖母おばしてかへしもせん。沼藺ぬいとゞめよといはれんか。かれいまをやいへなりとてかへさるゝとも離別りべつでうなし。」

挿絵

賢母けんぼさとして小文吾こふんご心服しんふくさす〉」20

まげ今宵こよひかへ去状さりでうもたしてまたませといはせもはて妙真めうしんハおん離別りべつでうのぞましさに云云かにかく固辞いなみ給ふ。こゝろがたし。一文一通いつゝうおつとなりともつまるに離別りべつでうとらせざるものあるべしや。さぬハ吾〓わなみ情誼なさけ逓与わたせふたゝむすばれぬ離縁りべつでうハこゝにありといひつゝおびあいだより一通のでうを取出てほとりちかくさしよするを小文吾こぶんご受取うけとりんとてひらけハ去状さりでうならでさきみちにておとしつる犬塚いぬづか信乃しの骨相圖すがたゑなり。はつおどろく當惑たうわく難義なんぎハいよゝますかゝみ妙真めうしんかほうち目戍まも滸我こが御所ごしよより火急くわきう穿鑿せんさく信乃しのとやらんを舎蔵かくまふものハ親族しんぞく縁者ゑんしやつみせられんとおごそかふれられしハわが市川いちかはさとのみならすこゝもなべての事なるべし。これらのよしをおもふにより女房によばうる」21 ふさ八をわりなしとのみいひがたし。其去状をうけ納めておいはさらなり大八をも畄め給はゞわかみも本うけじとならバ荘官くわんがりもて参りてうつたへにはによしあしわけんのみ。おん身ハ事を好み給ふか。いないかでかハ事を好ん。しからバおいをうけとり給ふか。そハ又ことなん義あり。さらバその去状さりてうもてうつたふへきか。いかにぞやととひ譴られて小文吾ハこうじ果つゝうち点頭うなつき大家さのみなはやり給ひそ。去状しかと納たり。おや子ハ某あづかるへし。有無のこたへハわが父のかへりて後と房八にしかつたへ給ひねかし。夜ハはやふけたり。いそがせ給へとやゝうちとける辞の花柯から妙真なみたおしぬぐひ小文吾に告別いとまごひしてかこにハのらて引そへつゝ東の町をさして行。

○さるほどに山林ふさ八ハ女房ひを去りしかど心に」

挿絵

〈小文吾ぶんごいもと遠退とうさけんとしてふさ八を引入る〉」22

おもふよしあれバ更闌こうたけて只ひとりしつかに戸口に近づきてうちの様子をうかゞふに小文吾沼いとゝもにうちなげこへ喩す声いとしめやかに聞えけり。いハやうやくなみたとゞめ不りよのことよりこの身の厄難やくなん。やよ家兄よき商量だんかふを聞してたべ。かなくものを思はんより大八を納戸にふさして〓々とゝさまをまちはへらん。嗚呼胸いたやと身を起せバやをれお沼藺ぬい何処とこへゆくぞたとひ親の家なりとも畄守すれバ兄がまゝにせん。われハ祈願きくわんの事ありて齋戒ものいみすれバ親類しんるいでも他家たけより来つるものを畄めず。况おくへ一あしも入ことをゆるさんやと敦圉いきまきあらき心ハうらうへ。只子舎に病臥やみふしせし信乃を見せじと慢にいひ黒むれバ涙連なみたぐみそハそら言ではべるべし。今よひハしのぶ花妻つまあるか。人にハかくし給ふとも妹にへだてのあるべきやハとゑんじて進」23 めバまなこいから尾陋ひろう推量すいりやう竒怪きつくわいなり。しひ納戸なんどへゆかんとならハわが齊戒ものいみ障碍さまたげすなる。さらバこゝにもおくことかなはず。不便ふひんなれとも心からぞと掻〓かいつかみわりなく戸口とぐちおしおろせバあなやとさけぶ母のこゑ驚覚おどろきさむ稚児をさなこも共たててぞ泣叫なきさけぶ。小文吾さこそと共侶もろともよはる心をおににしつ泣声なきこゑおくきかせじと樞戸くゞりどはた〓開けひらきておし出さんとするほど外面とのかたより手をかけて沼藺ぬい肩尖かたさき推戻おしもとひらりと内に入るものあり。小文吾これをきつと見て房八ふさはちなる。小文吾か。なんとおもふて真夜中まよなかに。とはずもれたる確執でいり後段ごだん別にいふべきこともあり。他人たにんになりて潔白いさぎよはたさんために夜をこめて。それで来つるか。しかりとかたみ問荅もんだう由断ゆだんせず。當下そのとき小文吾一刀ひとこし引著ひきつけまつあらせず房八ふさはちかひなかゝげこゑをふりたて小文吾和郎わろも」 男ならバ栞嵜しほりざきにてふまれたるはぢをしはぢと思へかし。いふかひなき臆病おくびやう者をあひ手に取らんハ大人氣おとなげなけれどちと見もきゝもせし事あり。さて女房を去りたれどもかれ所蔵しよざう衣裳いせう調度ちやうどをまだ返さねバ後日ごにち異論ゐろん奥歯おくばに物をはさましてハよくころぶと人もやいはん。そを返さんとてもたらつ。物檢あらためて受納うけおさめよといふを小文吾聞あへず取出したる血つきの麻衣あさきぬ。これハいかにとさしよするを小文吾ハ見ておどろまさしくそれハとかけはらふてひだりへ取なほし 昨夕よんべ入江の芦原あしはらにて √しかも甲夜闇よひやみ黒白あやめわけ背負せおふてかへる一包袱ふろしき たれとハしらずうしろより ひきとゞむるを 振拂ふりはらかたみ手煉しゆれん如法夜によほうや引綻ひきふくろばせしふろしき裂口さけめもりおちたるこのきぬ √とハ知らずして突退つきしりぞ皈宅きたくのちも事おほく心もつかで今こゝに √うち見てむねつぶるゝ歟」24 原來さてハそのをり癖者くせものふさなんじ所為わさなりきといまよめたる離別りべつでう 三行みくだりなかば夜照よめ遠見とほめ黄昏時たそがれときにゆくりなくみちひろふて又みちはゝ逓与わたせし乃が骨法圖ゑすがた √しからバ機密きみつみなしり女房にようぼうりしハたゝり注連しめなは連係まきぞへせられぬの用心。そこらにかくせし喪家そうか犬塚いぬつかそとよりもれてハものもなし。荘官せうくわん屋敷やしきつながれしおや縲絏なはめとかんとならバ信乃しのからめ吾〓わなみ逓与わたいな小ざかしきなんぢ贅託せいたく罪人つみんど舎蔵かくまふわれにハあらずといはせもはてこしり突立つきたてこのおよびてなほちんずるや。こばまおく踏入ふみこみなはかけんずいかにぞやとかたみひるまあらそひに沼藺ぬいかなしさやるかたなく兄とおつとの間にいり彼方かなた此方こなた和諭なだめつゝこゑうちくもり泣涸なきからす。小文吾ことこのむにあらねどすで大事だいじを知られしかバたゝきらんとがまへ」

挿絵

白刄はくしんまじはるとき小兒せうにあやまつ〓殺けころさる〉」25

たり。當下そのとき房八ふさはちます/\焦燥いらちてあなくるしき女子をんな截判さいばん喧嘩けんくわ側杖そばつえ打れんより其処そこ退のかずやと敦圉いきまきたちさまにはた爪頭つまさきくるふて大八だいはち腋肚わきはらてければあつ一声ひとこゑさけひもあへずそがまゝいきたへにけり。沼藺ぬいもそのいたけるまゝに横轉輾よこまろびふしてよゝとなくふさ八これを物ともせずすゝ前面むかひ小文吾こぶんご立塞たちふさがるを抜打ぬきうちこぶしするどちやううつやいばつばもて受畄うけとめれば紙索こよりれつ。小文吾こぶんごいまあたなる堪忍かんにんの二反故ほこうらみ刀尖きつさきぬきあはしつゝ丁々ちやう/\しのぎけづかたみ大刀風たちかぜ四下あたり蹴立けたてたゝかふたり。沼藺ぬいハやうやくおこしてれバわが息絶いきたへたり。こハかなしやとかへれバ兄と良人おつと生死せうしさかひ夫子つまにハられころされてわがひとつぞなまじひにいけ甲斐かいなき火宅くわたくくるしみ」26 刄のしたたまたえなハたへよと忽地にこゝろざしはけましてかきいたきたる大八を撲地はたなげ捨身を起すかなしみあまりて些も擬議ぎゞせずうちあはしたる白刄の中へ〓〓まつはりとゞむる女の念力身をなけかけて良人のたもとすがるをすかさずふりおとす房八いかれるまなこかへしてさまたげすなと蹴倒けたふせバ踏かへされておきんとしたるいたゝきの上にきらめく良人をつとの刄踏入ふみこみて小文吾をうたんとうちこぶしくるふて藺が下〓はたる。灸所きうしよ深痍ふかで霎時しばしたへあつさけびてたふれけり。是ハとおどろてき透間すきまを得たり。すゝむ小文吾がひらめかしたる白刄しらは電火いなづま房八ハ右の肩尖かたさきばらりずんと〓割きりさかもつたるかたなからりとすて尻居しりゐたう平伏へたはりすをふたゝうたんと振揚ふりあぐる刄の下に房八ハやよまて犬田いふことありとせわしくとゞめ」

挿絵

にんやぶつて犬田山林とたゝかふ〉[呂文]27

息吻いきつきあへぬ深痍ふかで苦痛くつう。小文吾ハいふかしとおもへバちと由断ゆだんせず卑怯ひけうなり山林いふ事あらバとくいはでこのにおよひて何をか聞かんとたしなむれバまなこみはりそのうたがひハことはりなれどもわが本心ほんしんを初よりあかさバことに義をまも和殿わどのいかでかわれをるべき。かつこのきずをと手をあぐれバ小文吾ハなほこゝろずと思ひながら單衣ひとへそで断離ちぎりつゝ手拭とむすあはして瘡口きすぐちしかと巻てはしひき結びやをれ房八あさかり。いふ事あらバいへ聞かんとよびかけられていきなう阿舅あにき犬田どの。しほり嵜にて理不盡りふじんなるわが為体ていたらくハ豫より殿にいかりを發さしてうたれて難義なんぎすくはんと思ひにけれど事らず。さりとてやむべきことならず。わがはゝにハかねてよりしめしあはせしよしあれば」28 沼藺ぬい別に假托かこつけ甲夜よひより和殿わどの色をこゝろみ今宵ふたゝび推て來てやうやく本意ほゐとげにきと告れハ小文吾眉根まゆねをうちよせなほゆゑありやととひなじれハ房八ふさはち聞て声をはげましされバこそ其事なれ。ことながくとも聞給へ。それがしはかなき今般いまわさんげ一昨年おとゝしの秋世をりしわが父のやまひあやうかりしときひそかに母とそれがし枕邊まくらべよび近つけて告るやうそも/\わが父ハ杣木そまきぼく平とよばれたる安房あは青海巷あをみこむらの百姓なりき。もとの領主りやうしゆ神餘じんよ光弘みつひろ朝臣あそんの忠臣金碗かなまり八郎孝吉たかよしぬしの武藝ふげい景慕けいぼしその劔法たちすぢうけんとてかの家に任へし事あり。かくてまた年を佞臣ねいじん山下定包さたかね逆謀ぎやくぼうによりてその家つひみだれたり。わが父ハ是氣ある人ゆへいかでか定包をうたんとて洲嵜すさき無垢三むくざうといふ壮夫ますらを相譚かたらひ」 つかの定包さだかね遊山ゆさんうかゞ落羽畷おちばなはて埋伏まちぶせしてのりたる馬をこゝろあておとせしハあだならで領主りやうしゆ光弘みつひろにぞをはしける。無垢三むくざう當坐とうざうたれわが父ハ那古なご七郎と血戦けつせんして七郎を〓臥きりふせ〔せ〕たれどもそのつひ生拘いけどられてやが刑戮けいりくせられけり。このくだり錯〓まちがひハみな定包さだかね奸計たばかりなるをわが父そゞろにおもひまよふてかくハ領主りやうしゆおかせしかバ金碗氏かなまりうじハ里見をたすけこうり名をとげのちろくして自殺じさつせり。當時そのとき吾〓わなみハ十四歳母ハさきに身まかりぬ。ひとり安房國あはのくに亡命かけおちしてこの地に漂泊ひやうはくするほどにこゝの小廝こものになりにけり。是よりして年あまた心をせめて仕へしかバ先主人愛歓めでよろこびて家督かとく男児おのこなきゆゑに吾〓わなみ女壻むこにし給ひぬ。しかるに去歳こぞより通家えんじやになりし房八がしうとふん五兵衛は」29 那古なこ七郎がおとゝなり。渠そのむこあにあだなる杣木そまき朴平ぼくへいまごなるよしをつたへもかバその女児むすめをもて阿容々々おめ/\斉眉そはすべき。しられねバこそ口舌くぜつもなけれどうらみかくしてよしむすばゝつひ子孫しそんうれひのこさん。人のうらみとかんとならバ陰徳いんとくにますものなし。房八ハおやかはりて祖父ぢぢため汚名おめいきよかの舊怨きうゑんとくことあらバまことにこよなき孝行こう/\ならん。戸山もこゝろを雄々をゝしうしてわが子を諫奨いさめはけまし給へとひそか遺言ゆいげんせられたり。父ハ義理ぎり惺〓さかしき事すでにかくのごとし。われハ親におよばずともその子としてこゝろさしを司さるべきやと思ひおこしつ。祖父おほぢの汚名をきよめため杣木そまきの杣の木篇きへんとりて下なる木の字にあひ合し山林とのれるハ其頃よりのことなりき。さるによりわが舅殿しうとご親子のために人に事なる志を」

挿絵

病客びやうきやくくすりぢしくすり延齡よはひをのぶ[埜狐]30

つくして後におやの遺言明地あからさまに告ばやと思へどもをりもなし。されバいぬる日八幡やはた相撲すまひわさも力も和殿わどのにハ及ぶべくもあらざれとも怪我けがにもかたじとねんじつゝはたしてまけしハよろこびなれ。何でふねたく思ふへき。かくてきのふハ祇園會ぎおんゑ神輿洗みこしあらひばやとてこの濱にあそびつ。入江橋をわたる程に父ハはるか水際みぎわなる芦分舩あしわけふねの中にしてあやしき両個ふたり壮佼わかものとうち相譚かたらひ給ふになん。われそかほとりにちかづきて思はず竊聞たちきゝしてけるに犬塚犬飼値遇ちぐ竒譚きたん和殿わどのも亦その相似あひにたるたまさへあざさへあるよしを聞くにます/\感激かんげきしてひとりつら/\おもふやう當所たうしよ千葉ちば釆地りやうちにして滸我こが御所ごしよ御方みかたなり。犬つかかひ穿鑿せんさくせられて難義なんぎに及ぶことあらバひそかしうとに力をあはしてわが性命せいめいおとすとも」31 その危窮ききうすくはざらんや。しからんにハわがちゝ遺言ゆいけんはたさん事たゞこの時にあるべしとひそかに思ひさだめたり。かくてその日ハはやくれて彼人びとハ古那屋こなやへとてともなはれつ。和殿わどのハひとりとゞまりてくだんの舩を推流しつきのきぬども背負せおひつゝたちかへらんとせらるゝにぞとものいはんと芦原あしはらよりたちあらわれて引畄ひきとめしを和殿わどの癖者くせものなりとして振拂ふりはらふたるいきほひにいよ/\よびもかけられずしばら挑争いどみあらそほど吾〓わなみあはらをいたくうたれてたふるゝはしにいちはやく和殿わどの走去はしりさりたりき。あとにハおとせし麻衣あさころもあり。もし他人たにんひらはれなバ殃危わざはひ其處そこおこ〔ら〕んとおもへバやがてとりあげて更闌こうたけ宿所しゆくしよかへりつ。はゝにすらまだつげざりしに犬塚生いぬづかうし追捕ついほの事はや荘官せうかんよりふれられたり。當下そのときわれ又おもふやうわがしうと客店はたごやなり。かの人々ひと%\舎蔵かくまふとも」

挿絵

侠客けうきやくころしてじんたり〉」32

人の出入でいりおほけれバいくほどもなくあらはれてみな一統いつどうつみせられん。さらバとて今更いまさらむすびたる人々ひと%\いだるべくもあらず。所詮しよせん今わがいのちおとして其処そこ危窮ききうすくはずはつひまぬかれがたかるべし。きのふ入江の芦原あしはらにてつく%\と闕窺かいまみしにかの犬塚いぬづか面影をもかげハわが面影に似たるやうなり。されバわがこのくびをもて犬塚生うぢ首級しゆきういつわ滸我こがのおん使つかひ逓与わたしなバ嶽丈しうと父子おやこたゝりもなく犬塚生いぬづかうぢおとしやる便宜びんぎハこれにますものあらじ。されども似ざるところあり。われ相撲すまひを好めるゆゑにひたひ髪をそらざれバその面影ハ似たりともこのまゝにてハ欺きがたしと心づきてハ霎時しばしもあらず八幡やはた相撲すまひまけたれバ生涯せうがい土俵どひやうあしふみかけじと今朝けさ俄頃にわか額髪ひたひがみそり落させ鏡を把て照し」33 れハ年紀としのほどさへ面影おもかげさへ犬塚生いぬづかうじによくたり。よりていよ/\深念しあんけつひそかに母に云云しか%\と思ふよしを告しかハ母ハなみださしくみてゆるすべくもあらざれバわれも有繋さすがこひかねて自殺じさつ遺書かきおきするほどに母ハはやくも闕窺かいまみとゞめかたしと思はれけんなきつゝやうやくゆるされけり。わがはゝも又男たましひあるにより今生こんじやう告別いとまごひ思ふ事皆いひつくしつことのやうをらんため俄頃にわか沼藺ぬい離別りべつして親家さとへかへすといひこしらへ離別りべつの事ハ母にまかしてわれはやこのはまつるとき栞嵜しほりざきにてゆくりなく和殿わどの宿所しゆくしよかへるにあひぬ。をりふし往返ゆきゝの人もなし。わかうたれんにハ便宜びんぎなり。和殿わどのは身かはりにこゝろなくとも犬塚生いぬつかうじとわが面影おもかげたりとたれにもかわらじ。わがするののちわがくびもてかのかはりにたて」 ばやとこゝろつかざることハあらじと思へバちつと躊躇たゆたは濱里はまで確執ていり假托くみつけ理不盡りふじん譴罵せめのゝし蹴倒けたふしてもなほあらそはでおやを思ふて堪忍たへしのふその孝心かうしんにハすへもなく本意ほゐとげわかれたるみちより酒をくまんとて只管ひたすら誘引いざな觀得くわんとくさきたてつゝきて取てかへして稲塚いなつかほとりまてつるとき和殿わとのすて難義なんぎあり。滸我こがより犬塚いぬづか追捕ついほ大將たいせう新織しんおり帆大夫ほたゆふとやらんが夥兵くみこにとりかこまあまつさへ嶽丈しうと文五兵衛殿どのハいましめられてひかれたり。吐嗟あなやむねさわげともすくふべくもあらされバ藪蔭やぶかげかくろひて一五一十いちぶしゞうを見聞たり。かくて和殿わどのハ去りし跡に一通あり。取上て見れバかの骨相圖すがたゑなり。麻衣あさきぬといひ繪圖ゑづといひ不思議ふしぎ他人たにんひらはれずわが手に入るハことさいは今宵こよひけつし」34本意ほゐとけんとおもへばこゝろいさみあり。かねてしめしあはしたるなか宿におもむきてひそかはゝぬるまちつゝ云云しか%\密報さゝやきかの骨相圖すがたゑ逓与わたせしハ和殿わどのが心をさわがして今宵うたれんためなりき。さるにより甲夜よひの間は背門せどほとり潜來しのびきて犬塚生の大病も和殿わどの苦心くしんもよく知たり。願ふハ阿舅あにき犬田殿わがくび取て役にたて嶽父をぢ縲絏なはめと犬塚生の危窮きゝうすく手段てたてをめぐらせふるきうらみとくとしならバこれを一期いちごの功にして昔杣木そまき朴平ぼくへい定包さたかねうたんとて領主りやうしゆおかしてあまつさへ那古七郎をうちとりつ且故主こしゆうなる金碗氏かなまりうじにもこのゆへはらを切らせしものなれどもいまその孫房八が云云しか%\義烈ぎれつによりて孝子こうし義男ぎだん冤枉むじつのつみ嶽丈しうと縲絏なはめときにきと口碑こうひのこし給はらバ祖父おぢ汚名おめいきよむべくちゝ遺訓いくんむなし」

挿絵

房八ふさはちちゝのさんげものがたり〉」35

せずしてはえあるわがよろこ百歳もゝとせじゆたもち富貴ふつきの人とならんよりこれにますことあるべしやは。よろこびにつきてなほ不便ふびんなるハ沼藺ぬい大八だいはち親子おやこ三人みたりがおなじ日におなじところいのちおとすもまたこれ祖父おほぢ悪報あくほう妻子やからにハ一毫つゆばかり意中ゐちう機密きみつつげざればいかりうつしてさるとのみおもふてさぞなうらみけん。われこそ必死ひつしきはめたれ沼藺ぬいとしなほ二十はたちらず。わがなからんのちなましい後家こけたてさせんハ便びんなきわざなり。こと假託なつけ離別りべつせバかへりてかれためならんとおもひしゆゑにつれもなくもてなせしこそくやしけれ。こうなるべしとかねてよりさとらバいかでかかへすべき。大八たいはちさへもつけやりしハかれ成長ひとゝなるのちまで外猶父をぢご教育もりたのまためなり。しかおもひしハ仇事あだことにて過失あやまちとハいひながらつまをも子をもにかけてころして」36 つひに身を殺す輪囘りんえ応報おうほうかくまでにありけるもの歟犬田どの。この悪縁あくゑんむすびしゆへ沼藺ぬい枉死わうしハ夫の餘殃よわう嶽父おぢなげきも和殿わどのうらみも想像おもひやりつゝ面目なし。ゆるし給へと血にそみし左手をあげておろかむまでに心のまことうちあかすたぐひまれなる孝順こうじゆん節義せつぎ深痛ふかでくつせぬ長物語なかものがたりに小文吾みゝそはだてつゝむねうち感嘆かんたんの目をしばたゝきてなみだはらひ思ひかけなし山林やまはやし和殿わどのおや遺訓いくんまもりて舊怨きうゑんをとかんため身をころしてじんをなす心操こゝろばへこそ微妙いみじけれ。和殿の祖父おゝぢあやまちをかせしつみハ重くとも子孫しそん三世の今にしてその汚名をすゝぐ孝順和漢わかんおほくあるべしやハ。犬塚生いぬつかうし面影おもかけは和殿とよく相似あいにたるものから累世るいせ主君しゆくんの為にも身を殺してそのかは忠臣ちうしんハいとまれなるに和殿わどのとわれハ通家えんじやにして犬塚生は」

挿絵

三兇さんけう一侠いつきやう外裏ぐわひりうかゞふ〉」37

相識しるひとならず。かつ八幡やわた相撲すまひよりこゝろよからず見えしかバ究難きうなん今宵こよひせまれども外にたも憂苦ゆうくつげてその智恵ちえからんとほつせず。まいて身がはりの事なとハ企及くわだておよぶべきにあらねバ一切思ひかけさりしに今ゆくりなきたすけを得て父の縲絏なはめとくよすかにもわが同盟どうめいの士をすく便点てたてにもならるゝこと意外ゐぐわひに出てよろこはしく又かなしさも一しほなり。人をころして人を救ふハもとよりわがねかひにあらず。犬塚いぬづかうぢ如此しかならん。しかりとて今更に推辞いなみてその意にしたかはずば水にこりて湯をことく和殿をこゝに狗死いぬしにさしてことにゑきなきをいかゞハせん。又沼藺ぬいと大八が枉死わうしハいよ/\意外のわざはひ哀傷あいじやうなみたむねみち遺憾いかんはらわたたつといへどもみな薄命はくめいのいたすところうちなけくのみせんすべなし。さばれいもとが身をころせしも狗死ならず。わが」38 家に相傳つたふ破傷風はせうふう方あり。男女年なほ少壮わかきものゝちしほおの/\五合ごんがうを合してそのかさそゝあらへハよくをこしてせひかへきずたちまちにいゆるゝことはゝきちりはらふか如し。便すなはち是わか伯父をぢなりし那古なこ七郎の傳方でんほうなりとそ。父に口授くじゆされしかと求めて得へき藥剤くすりならねハほどこしかたしと思ひしのみ。犬塚生ハそのあかつきより破傷風によりていのちあやうし。このゆへに犬かひうじ志婆浦しばうらの藥を求めんとて今朝しもかの処へおもむきたれともみちとふけれバいまたかへらす。たとひ和殿わどの便点てたてまかして今宵こよひ危窮きゝうのがるゝとも彼人の命をはらバまた何のえきあらん。されハ沼藺ぬい枉死わうしによりてはからす男女のちしほをえたり。不幸ふこうの中のさいはひ。是ハこれ犬塚生の孝心義胆ぎたん世にすぐれしをあはれみ給ふ神明しんめい佛陀ふつだ冥助めうぢよならん。心安かれ山林」 和殿わどのさきつ世ハ相ころしたる讐敵あだかたき今ハ舊怨きうゑん氷觧ひやうかいして恩義は千曳ちひきの石より重かり。功徳くどくをなかく口碑こうひに傳へて義烈きれつ亀鑑きかんにせさらんやハ。とハいへ親子三人共こゝに命をおとす事うらみのうへのうらみなれ。けんにして且雄々をゝしき大家なりともかうとし聞かハなけき給はん。嗚呼あゝ何とせんとばかりにあい苦そやるせなかりけり。ふさ八聞て莞〓につことうちみされハこそあれわかつま不慮ふりよに命を隕したるちしほ自然しぜんと彼人の藥になるも天の冥福めうふく。わか過失あやまちもかくてこそいさゝか面を起すに似たれ。夫婦の恩愛今更いはぬ心のかなしみ千萬言もなほ足らし。不覚に時を移さんよりとく/\ち血を取給へ。一たちにして死したりとも全體みのうちハまだひへへからす。温熱ぬくまり失なばいかにしてしぼるとも血をえんや。とく/\といそかせバ小文吾この議に従ふてやうやくに立」39 あがれども四下あたりにさせるうつはなし。何をがなと見かへれバねんぼうわすれたるかの梭尾貝ほらがひよこたはりて行燈あんどんのほとりにあり。こハ究竟くつきやうの物にこそとひとりごちつゝ左手に取てふしたる女弟を引おこせバあつさけびしこゑと共に鮮血ちしほさつほとばし瘡口きづくちに貝を推著おしつけて貝の半分なかばに受たりける。房八くるしきこゑの下とくこの布を觧〓ときしりぞけてわが血も取らずや犬田殿といふにその布とかんとつ(〔す〕)るにのう霎時しばし吾〓わなみにも告別いとまごひをと外面より密音しのびね立てとゞむるハ是戸山の妙眞也。われにもあらで房八と沼藺ぬいがほとりに身をなげかけてむせかへり泣沈なきしづみつゝ且くして目をぬぐのう房八かねてのなげきいやましてかへらぬたび伴侶みちづれよめさへ孫さへ放遣はなちはなちやるわが身ひとつをいかにしてあすよりハ又誰をよすかになぐさめん。しや利鎌とかま嫋艸わかくさしもに先立」

挿絵

賢母けんぼ我子わがこ義死ぎしにのぞみ憂苦ゆうくつげんとす〉」40

さちなさよ。さるにても大八が最期さいごこと遺憾のこりをし。やよ孺児わこ祖母ばゝなるぞ物いはずやと亡骸なきからいだきとりつゝ揺動ゆりうごかしてまたむせかへる千行ちすぢなみだ岩走いははしたきのいとせめてくだくるむねくるしさをやるかたもなきなげきせり。 沼藺ぬひハさすがに姑〓しうとめこゑけども哀傷あいしやう深痍ふかでいきつきあへず房八ふさはち共侶もろともよはる心をはげまして母御よさのみうちなげきてやみわづらひ給ふなよ。父の遺訓いくんはたさんとて身をころせバ母に孝ならず子に又不慈ふぢあやまちあり。ひとつハにして両个ふたつなり。孝道かうだうまことかたいかな。便りすくなき母の事たのむハ阿舅あにき犬田殿いぬたどの。われなまじひに顕身うつせみの息ある程こそ苦惱くるほしけれとくこの布をときてよといそかされて小文吾ハなぐさめかねつゝ嘆息たんそくしわれあやまち妹夫いもとむこうてハ又あやまちて妹ハ良人おつとに撃れたり。父といふとも」41 たれをかうらみん。大家はゝごなげきハことわりなれども今更いまさら千萬せんまん口説くどくえうなし。後世ごせのいとなみ肝要かんえうならんといさめやがふさ八がほとり近く身をよせてぬの引觧ひきとけほとばし鮮血ちしほうく法螺ほらの貝かで無常むじやうの風はやき死天しで山伏やまぶしわけのぼいはつかたかの峯入に夫婦ふうふ手をひき子をおふ往方ゆくへハ十万おく佛土ぶつど母ハしば/\唱名せうめうこゑなみだ口隱くもりけり。

○さるほど犬塚いぬづか信乃しのさきに小文吾と房八か打合したる大刀たちおと子舎こざしききこえしかバ事こそあれと安からぬむねしづ苦痛くつうしのひて身をおこさんとしつれどもこしの立ねバ枕辺まくらべなる刀をとりつえにしつ身を坐行ゐざらしてハいきいく間もあらぬいへの内をひつゝ前房おもやあはひなる障子せうじのほとりに來つる時ふさ八ハふてそのつまその子の横死わうしの事さへきゝてハ」

挿絵

〈むざんやなかぶとの下のきり/\す〉」42

病苦びやうくよそになるまで感涙かんるいとゞめあへず人をおもへバもよはりてはづか障子せうじ一隔ひとへにしてそのところへよる事ならず苦痛くつうしきりにへがたけれバそがまゝにふしてをり。かくてまた小文吾こぶんご信乃しのためふさ夫婦ふうふ鮮血ちしほかひるにおよびて信乃しの愀然しうせんとしてやうやくにかうべもたげつゝ思ふやういまわがいのちおはるともいかでかハ義士きし節婦せつふをもて藥剤くすりにせらるべき。人々ひと%\心操こゝろばへたふとぶべくよろこぶべくしやしてかつうくべからず。かの房八ふさはちかうなるなるたぐひ古今こゝんおほがたし。わがあすたもちがたけん。いきの内に對面たいめんしてこゝろざしつげばやとて障子せうじこしに手をかけてもあくるばかりの力だになくなりはてし身の衰微をとろへをいとくちをしく思ひけり。當下そのとき文吾ぶんご鮮血ちしほかひうけしかバふさ八ハとく/\おくへとあごもてしきりすゝむるに」43 そ小文吾すいしてうち点頭うなづき甲夜よひよりことなることに紛れて一度もかのひとの病をふにいとまなけれバ今さらにこゝろもとなし。かくまでに調ひし良藥りやうやくむなしうせんや。さハとてしつかに身を起しつゝあふるゝまでにもりたる梭尾貝ほらかひ右手めてもちて子舎へとていそかはしく障子を莎羅と引開てすゝみゆかんとする程に思はす信乃に足ふみかけつゝつまづきあはてて持たる貝を忽地たちまちはたとうち落せば信乃は肩よりはぎこむら〔腓〕まですき間もなく血をそゝかれつきぬ〔う〕すけれバ肌膚はたへとほりて彼瘡口きずぐちに流入りけんあつさけひて仰反のけぞつたり。小文吾いよゝおとろあはてと見れバ是信乃なりけり。不思議ふしぎに獲たる良藥をうち落せしこそいと惜けれど後悔こうくわいこゝにたつよしもなくうなぢわきへ手をかけて起せどもはや気息きそくなし。声ふり立て呼活ハ〓」 念玉かさめもやせんと思へバおくはゞかりあり。いかにすべきと気を悶てなほさま%\にいたはるにぞ妙真めうしんもこの為体ていたらくをよそに見んハさすがにて行燈あんどん灯口ひぐち推向おしむけていかに/\と問ふ程に信乃はねむりの覚るが如く身をふるはして目を開き吻といきしておきなほる面色めんしよく忽地たちまち囘陽くわいやうしてかれたる枝に花さく如くはれいろつきし金瘡たちきず瞬間またゝくひまに結痂てしや熱〓しりぞき身ハ軽く元氣平日ひころにいやまして心地清々しくなりにけり。小文吾ハこの光景ありさまに愆の藥のこうに面を起していと夲意ありとぞ稱ける。當下そのとき信乃ハ形を儼し小文吾にうちむかさきに大刀音の聞えしよりいと心もとなさに苦痛くつうを忍び身を坐行ゐざりしてこゝまではつれども障子をあくること得ならず俯つゝ縡の趣をうち聞くからに感ふかゝり。さばれ」44 彼夫婦の血をもてわが破傷風せうふうそゝがんハ忍びがたき所行なれバ推辞いなみばやと思ふ程につままどひの失にてうちかけられし鮮血ちしほこう病痾やまひ立地たちところ本復ほんぶくしつ。今更いまさらするに由なしとて其恩を謝しかんかつ妙真めうしんなぐさめ共侶もろとも房八ふさはちがほとりにいゆきて對面たいめん姓名せいめいなのりてその義勇きゆうほめ恩徳おんとくよろこびてそのあはれ今生こんせうにしてまじはる日の久しからざるをなげきけり。そかなか房八ふさはちたへなんとするを引起してよろこはしげにきつかへりとくわがくびもて帆大夫ほたゆうあざむきて水陸すいりくの守兵を退しりぞうしろやすく和君わくんを落してあるじの翁の縲絏なはめとかせん。介錯しやくたのむ犬田殿いぬたどのとく/\くびをといそがせバ小文吾しきり嗟嘆さたんしてそハなほはやかり山林やまばやし。さばれ痍ハ灸所きうしよかゝれり。たとひ名医めいかどに」

挿絵

りやう修驗すげん本名ほんみやうをあかして犬士けんしる〉」45

たつとも存命ながらへべくもあらざれバわれまたそのしたがはざらんや。とハいへ今更いまさら影護うしろめたきハやむことを今宵こよひ宿やとせしかの修驗者しゆけんしや念玉ねんぎよくのみ。かれ別室はなれざしきにをり甲夜よひすくころまでハ尺八さくはち吹遊ふきすさみつ。そののちおともせず。かれ熟睡うまゐして一毫つゆはかりことのやうをらずハゆるさん。いま人心ひとこゝろゑみうちやいばかくせバわれたゞ彼かことをのみいかに/\とおもひつゝかへるいとまあらさりき。まつその臥房ふしとうかゞふてもしいふかしきあらバとくわざはひたゝん。はやくうしろふせがずバ心盡しも仇事あだことならんとさゝやつげおこせバ信乃しのきゝてうち点頭うなつきいはるゝおもむきいまさらにおもあはすることこそあれ。それがし子舎こざしきありとき別室はなれさしきのかたとおぼしく密譚かたらこへしたり。たゞその事のみならすさきそれがし彼処かしこなる障子せうじのあなたにありしときしば/\簀子すのこきしむ」46 音せり。もしその修驗者すげんざならすやといふに小文吾うちおどろきてそハ念玉にうたかひなし。かつ密談みつだんの声せしハしめしあはせしものありてひそか背門せどより來つるならん。このくたりの事はやもれ密訴みつそせられバのがれがたし。いでや大事をあやまちぬと後悔こうくわいしつゝ〓釘めくぎ舌潤くひしめ信乃共侶もろともに身ををこ齋一ひとしく別小室はなれこさしきへ赴かんとするほど出居いでゐ前房おもやの間なる障子せうじのあなたに人ありて思ひかけなく声をふりたてやをれ人々しばらまて安房あはの國守こくしゆ里見さとみ義實よしさね朝臣あそん功臣こうしん金碗かなまり八郎孝吉たかよし獨子ひとりご大輔孝徳たかとく法師ほうしヽ大坊ちゆたいばう同藩どうはんもと伏姫君ふせひめきみかしづきなりし蜑嵜あまさき十郎照武てるたけ冢男ちやうなん十一郎照文てるぶみ等こゝにあり。いま對面たいめんして疑念ぎねんをとかん。しばらく等とよびかけて障子をさつおしひらきならびたちつゝ近つくをと見れハこれ別人べつじんならず。大先達だいせんだつ念玉ねんぎよくあさ法衣ころもに」 白栲しろたへ脚絆きやはん穿はき頭陀袋づだふくろそひらにして左手ゆんで網代あじろかさもち手に錫杖しやくちやうつき立つゝ上坐かみくらにぞ著たりける。これは是ヽ大ちよ〔ゆ〕だいなり。また修驗道しゆけんどう觀得くわんとく〓髪しはうかみ髻結もとゆひしてだんすじ白木しらき小四方こしほう書札しよさつ四五つうのしたるを恭々うや/\捧持さゝけもちて丶大が次のむしろつきまた何等なんらのことをかいふ。ハ次のまきとき分るをらん。

英名八犬士四編

  江戸戯作者   鈍亭魯文筆記
  浮世繪師    一容齋直政画
  神田松下町   伊勢屋忠兵衛版」47

【四編巻末】
挿絵


#『英名八犬士』(二) −解題と翻刻−
#「人文研究」第36号(千葉大学文学部、2007年3月)
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