『南総里見八犬伝』の抄録本を紹介し続けてきたが、今回は『義勇八犬伝』を紹介したい。
此本は草双紙風の摺付表紙を備え、全丁に挿絵が入っていて、その周辺に仮名漢字混じりのパラルビで本文が記されている。よく、草双紙の余白に見られる地口や登場人物の台詞などの書き入れは一切見られない。また、初編と2編の表紙は独立した絵柄で、合巻の様に2冊続きの絵柄ではない。さらに、5丁で1冊の意識が見られないことから、草双紙に近い板面を持つ「切附本」と呼んで差し支えのない種類の本だと思われる。
さて、外題に出ている「國周」はどうやら表紙絵だけを担当したようである。初編序者の「岳亭」は二代目で、この抄録本は岳亭の手になるものと思われるが、初編巻末の「文亭抄録」は岳亭の別号であろうか、あるいは筆耕かもしれない。画工の「一松齋」は芳宗の号だと思われ、安政以降の切附本の挿絵を多く描いている。2編の扉に「春峩自画」とあるが、これも岳亭の別号か。この時期、岳亭は谷中忍川辺に居て忍川隠士とも号した。
2編の序文からは、板元が「新庄堂」すなわち江戸日本橋新右エ門町の糸屋庄兵衛板であることが分かる。さらに「戸根川に落たるを渡るに舩と三編に残しぬ」とあることから、続編を予定していたようだが、刊否は不明。
切附本は安政期に魯文が精力的に執筆した廉価な抄録本であるが、本書でも「其筋書にもたらぬ事を書入にして」「文を捨て繪を切り抜きし戯作の道」と自虐的に記している。既に魯文の『英名八犬士』などの切附本が出ていたが、それを全丁絵入りに仕立て直した点が新しかったのかも知れない。勿論、草双紙の抄録も流布していたが、挿絵の周囲に平仮名だけで綴られた合巻とは、異なるコンセプトだったのである。なお、挿絵の構図などは『英名八犬士』に拠ったかと思われるものも目に付く。
この本も、多く摺られて発兌され、多くの人々に読み捨てられてきたものと思われ、早印完本は管見に入っていない。印字の擦れで読めかねる箇所が多く、図版も良好なものが得られなかったが、あまり所在の知れていない本なので、大方のご教示を仰ぎたく、敢えて翻刻しておくことにする。
【書誌】
初編
編成 中本1巻1冊 17.9cm×11.6cm
表紙 錦絵風摺付表紙「八犬傳 初編」「國周画」
見返 なし
叙末 「子初春\春信改 岳亭定岡述」
改印 「改八亥」
内題 「義勇八犬傳自序」
柱刻 「八犬傳初 丁付(1〜31)」
匡郭 単辺無界(15.5×10.2cm)
刊末 「文亭鈔録\一松齋工筆」
諸本 架蔵本・館山市立博物館・個人蔵本
備考 文久3(1863)年8月改、翌元治元年春発兌。改印は館山市博本のみに存。架蔵本は22、31丁目欠。個人蔵本は23丁以下欠。管見に入った3本の中では、摺りと板心の加工具合から見て館山市立博物館本が一番早いものだと思われるが、初印本だとは思われない。
二編
編成 中本1巻1冊 17.9cm×11.6cm
表紙 錦絵風摺付表紙「八犬傳 二編」
見返 なし
叙末 削除痕あり
改印 「改十亥」
内題 「義勇八犬伝序」
柱刻 「八犬 丁付(一〜十)」
匡郭 単辺無界(15.4×10.3cm)
諸本 架蔵本・館山市立博物館本
備考 文久3(1863)年10月改。架蔵本と館山市立博物館本は共に10丁以下欠で、双方ともに板心に手を加えた跡が見られ、柱題の「八犬」より下の部分と丁付を削っている。また、序末の年記と序者名も削った跡が見え、後印本だと思われる。なお、架蔵本は入手当初、10丁以下に丁付を削った「初編」の23丁以下が合綴されていた。「初編」の個人蔵本が23丁以下ないのと考え合わせると、後印の際に手を加えられた改装本かと思われる。いずれにしても、早印完本の出現を待たないと出板時の様相は分からない。
【凡例】
一 架蔵本を底本とし、破損等による読めない部分は他本を参照した。
一 基本的に原本の表記を尊重したが、以下の点に手を加えた。
一 異体俗体字については「JIS情報交換用漢字符号系」第1第2水準に定義されているものは生かし、それ以外は近似の字体を採用した。
一 片仮名は、特に片仮名の意識で書かれたと思われるもの以外は平仮名に直した。
一 本文には句読点が用いられていないが、通読の便宜のために適宜これを補った。
一 丁移りは見開きの単位として」1オの如くに示した。
一 印字の擦れなどから推読した部分は〔 〕に入れて示した。
一 表紙、挿絵はすべて写真を掲載した。架蔵本に欠ける部分のみは別本で補った。
【翻刻】
〔表紙〕
〔扉〕
犬も尾をふることの葉を 今もなを実に八人の星まつりより 兵亭
郷実義真\息女婦志姫」1オ
〔序〕
義勇八犬傳自序
犬は意懐を展随ッて怨念を散ずとかや。婦志姫八ッ房に呼聞名はれて冨山に至り帝より八犬士の銘々傳記は蓑笠翁を一世お残す行末をしるせ出せり。」
草帋のはじめに引上其面影を圖せよと問屋の好みに久しぶりなまけた管を鳥が啼忍川の菴を出て清水が元に轉宅の八房ならぬ
やつがれが犬もあるけば棒とやら
八犬士にはあらずとも八笑人
の友まちて東叡山の森かげなる
南窓に頬杖しなから
硯を濡す事とはなりぬ
子初春
○扨も金毬八郎は義興が神夢のつけに冨山を [つぎへ]
婦世姫」12オ
[つゞき] 探れとありければ、心を得て、一人鉄炮を引提、やかたをぞ出たちける。婦世姫は、名さへ知らざる〔深山〕、彼八ッ房のはごくみを得て、木菓の食に露命をつなぎ、經文に念なく、折から前面の岸に鉄炮のおとして、二ッ玉に八ッ房は咽をうたれ、あまれる玉に婦世姫は [次へ]
義興
婦世姫」13オ
[つゞき] 右つ乳の下打破られ、横さまに伏倒びぬ。時なるかな、靄ふかくして、はれ間もなく、時に向ひの岸に一人の獵人たちあらはれ、流るゝ水をきつと見て、やがて浅瀬や知りたりけん、持たる鉄炮肩にかけ、此方を指て渡りけるが、姫君の此ありさまに [つぎへ]
八郎孝則
婦世姫」14オ
[つゞき] おどろき周章、薬を出して口に入れ、とやかくとなしけれども、全身とふりて救ふべうもあらず。我忠義は不忠となりて罪を醸せり、心ばかりの申わけに、腹かき切て姫君の御供せん、と刀ぬき出し、すでに脇腹につき [つぎへ]
義興
婦世姫
八郎孝則」15オ
[つゞき] 立んとなしたるとき、義真蔵人を連て此所に来り、自殺の覚悟感じて、八郎が髪をきりて出家をとげよ、とさとしける。折から婦世姫が首にかけたる数珠きれて、八ッの親玉中天にとび去りける。
○此所に、武州豊嶋郡すがも大塚の里に、大塚番作の一子信乃は、両親につかへて孝心大かたならず。与四郎と [つぎへ]
信乃
番作」16オ
[つゞき] 名づけたる抱犬ありしが、また村長なる蟇六は猫をかひて、雉子毛なれば紀次郎と名づけけるが、あるひ番作がかひ犬、かの紀次郎をくひ殺しぬ。扨もこの恨みよりして、糠助といへる者をはかり、番作に村雨丸を [次へ]
蟇六
むすめ
亀笹」17オ
[つゞき] 送らせんとするに、番作遠きを慮ッて、村雨丸を信乃に渡し、身の上をかたり、つひに切腹して終りける。去程に、蟇六は近村の人々が風評をおそれ、小者額蔵を薪水の労を佐けよ、と言つけて、其後は信乃が方にぞ通はせける。信乃は、伯母夫婦が本心を
さぐらんとての [つぎへ]
大塚番作
信乃」18オ
[つゞき] 間盗なるか、と思ひければ、苟にも心を赦さず、日来、額蔵がふるまひに気を配るに、温順にして小者に似ず老実なるに、末はかんじける。ある日、信乃が腕の瘤を見て、和君にも痣あり、吾にも[つぎへ]
信乃」19オ
[つゞき] にも痣あり。これ見給へ、と背を見するに、身柱のほとりに同じ牡丹の痣あるにぞ、両人目と目を見あはせたる時に、袂の間より一ッの白玉まろび落るに、額蔵はつく%\と見て、我身にもこの玉あり、とたがひに玉を見あはせ、是よりして額蔵は、父犬川衛二則任をとりて、犬川荘助義任と名号ける。また、額蔵のいへるやう、寔におん身の先考は、人を知るの先見卓よし、惜むべし/\、と嗟嘆してありければ[つぎへ]
犬川額藏
信乃」20オ
[つゞき] 信乃も嘆息なしけるに、我またおん身とともに久しく爰に在んこと、後々の為にいとわろし。翌は病ひにことよせて、一ト度母やへかへらん、と思ふ也と、ともに番作が霊牌を拝し、いとむつましく語らひけるが、蟇六夫婦は此事を夢にだに知らず。一トたび娘濱路が婿となして、番作が所持なせる田畑を吾物となし、其後は、いづれにも [つぎへ]
金毬八郎」21オ
[つゞき] 計らひて、彼村雨丸をとり得んものと、ふたりは悪意にかしこくも、工みのほどこそおそろしけ□る。
去程に、犬塚犬川の両人は義を〔結ひ〕て兄弟となりて、やがて蟇六が家に引とられけるが、父番作が三十五日の逮夜になりければ、信乃は亡父母の菩提院へおもむきしに、帰る道にて、額蔵に出合、わが家の門かひ犬なる与四郎を埋たる梅の樹のほとりにいたり、汝がために [つぎへ]
犬川額蔵
犬塚信乃」22オ
[つゞき] 卒塔婆を建ん、と彼梅をけづり、仏名をしるし、南無阿弥陀仏々々と十遍ばかり唱へけるが、其年もあけて、其月にいたり、彼与四郎をうづめたるところの梅の殊更茂り、文字はきえて青梅おびたゞしく生ければ、つく%\見るに、一枝に八ッづゝなり。世にいふ八ッ房の梅なりければ、信乃は奇なるかなと打守り、よく/\見るに、仁義礼智の八字あり。額蔵もなほ疑ひ、両人玉を出してくらべ見るに、よく似たりければ、符節を合せてます/\[つぎへ]
信乃
蟇六が娘濱路」23オ
[つゞき] さん嘆したりける。一日、蟇六がむすめ濱路は信乃が部屋に至り、さま%\と云寄けれども、信乃は心に刄をふくむところなれば、更に聞入る色なく、母亀笹は奸智をめぐらしけるかひなく、また夫蟇六と云あはせ、一ッの工風をめぐらし、信乃が平生腰をはなさぬ村雨丸を、手に入れんことをたくみける。斯て信乃は糠介が家をおとなへしに、病気いと重くして、我身のうへをかたり、一子玄吉をたのみて、先の年おや子身を投んとして、飛脚に抱留られ、玄吉を遣て安き [次へ]
信乃
糠介」24オ
[つゞき] 心なしたる咄、又路用をもらひてわかれたること、後、この大塚にきたり。泪に袖をぬらしけるが、もし巡り逢給ふことあらば、渠は生れながらにして、右の頬先に痣ありて、形牡丹に似たり。生れたる七夜には、我釣たる鯛を包丁せんとしたるに、腹の内に玉ありて光をはなせり。とりて見るにまことゝいふ [つぎへ]
糠介」25オ
[つゞき] 字にて信の文字なり。されば臍帯をそへて守り袋に入たり、と語りて、つひに身まがりける。
爰に、管領家の浪人、網乾左母二郎といふ壮佼ありけり。蟇六がつま亀ざゝ、左母二郎が美男なるにめで、常に歌曲の相手にまねぎける。いつしか娘濱路を思ひそめ、艶書をもつて云おくるに、濱路は手にもふれずして、後/\は面もむかへぬやうなしけるは、親に似げなき事どもなり。[つぎへ]
糠介名玉を得る」26オ
[つゞき] 扨も、ある日、蟇六は、信乃左母二郎土太郎を連て、かみや川に至り、舩をうかめて、腰簑をつけ、しきりに網を打おろしてありしが、兼てたくみし事なれば、足ふみはづして、川へざんぶと落いりけるにぞ、皆々おどろく、その中に、信乃は手ばやく着類をぬぎ捨、浪間にひらりと飛入り、蟇六を引かゝえて、ひたすら救はんとするに [次へ]
左母二郎
濱路」27オ
[つゞき] 後につゞきて土太郎が、信乃を深みに引入れんとするに、蟇六も舩をはなれてより、信乃をうしなはんとなしけるが、水練にたつしたれば、向ひの岸に上りける。其隙に、左母二郎は我さしたる刀を抜とり、蟇六が刀と差かへん、と約束なせしが、村雨丸の名刀 [つぎへ]
土太郎
信乃
蟇六」28オ
[つゞき] なるにぞ、自身が刀とすり替、やがて蟇六が刀と我刀とをすりかへ、水を入れて置たりける。是、神ならぬ身の犬塚も、たへて知る事なかりける。
扨も、濱路は信乃が部屋にきたりて云やう、是まで御身をしとふ事、まさごの数のかぞへがたし。此程、其方さまには何れへか旅立給ふとの事なるか、せめて夫婦の
語ひを済せておいて行ならば、たとへあこがれ死ばとて、何うらみん、と寄添にぞ、信乃は天窓をふつて云ふやう、 [つぎへ]
左母二郎」29オ
[つゞき] たとへ且く別るゝとも、迭に心かはらずば、遂に一ッになる時あらん。我も出世の首途也。さまたげせば、妻にはせじ、と云放されて、濱路は、よゝと泣入ける。
夫より、信乃は、かの村雨丸を持参なして、出立なしければ、蟇六は、左母二郎を持て、舩中に村雨丸を得たりければ、是を引手物として、あまた金をもてるを聟にせん、と云ふらせし [つぎへ]
がく蔵
信乃
はまぢ」30オ
[つゞき] なれば、或日、人をして非火見久六といへるもの、御陣屋を勤め参りしが、幸ひ、多くの子金を持れば、其縁談を致さん、といひ入れしに、亀笹蟇六、大きによろこび、相談なして日をさだめ、當日にもなりぬるに、濱路は、其夜に家出なして行方しれず、入來るは、さう六とて、今日をはれなる、麻 [つぎへ]
唄二
久六」31オ
[つゞき] 上下中立がてら、唄二といへる町人付そへ、入來るに、出向ふものもそこ/\に、何としんたいきはまりし、と主人蟇六出むかひて、奥なる方にいざなひける。是より、左母二郎がすり替たる村雨丸を出すくだりは、二のまきに書入れ引つゞき出板仕候。
文亭鈔録
一松齋工筆」31ウ
〔表紙〕
〔扉〕
江柳に釣り上げられな浮氷
文廼屋仲丸賛\春峩自画」1オ
犬塚信乃
犬貝玄八」2オ
成氏朝臣
義勇八犬傳の序
師克在和不在衆と犬塚信乃森高古賀の城内に數千の討手を
切抜て宝龍閣に登り
玄八と綬合て戸根川に
落たるを渡るに舩と
三編に残しぬ。本より其筋書にもたらぬ
事を書入にして
新庄堂の催促を防ぐのみなれば、
うれるは画工が手柄
にして馬琴翁の世にあらば、
さぞ嘆かはしく思はんと
つぶやき/\文を捨て繪を切り抜きし戯作の道草如是
畜生菩提〔心〕仁義礼智の、
たま/\に人の畑に鍬を入
れる谷中の〔道〕の片邊り清水が元に筆を染ぬ。
宝竜閣に執権横堀不人の組子落す
」3オ
[よみ初め] 扨も、蟇六は、濱路に聟かねを撰み、つひに久六五倍二を媒人として入来りけるに、濱路は家出なしけるにぞ、とやせん斯やと思案なかば、両人入り来りけるにぞ、蟇六亀さゝ出むかひ、事の様子を偽り、村雨丸を言訳に、娘の戻る迄の印、と在りければ、久六は、うちうな
久六
蟇六」4オ
[つゞき] づき、何はともあれ一見なし、そが上にて預りおかん、と抜はなせは、名には似げ新身の生くら、久六は色を變じ、蟇六にうち向ひ、村雨丸といふ證拠のあるや、と聞れて、蟇六打笑つゝ、振れは雨降る刀の奇どく、おためし有、とありければ、久六座敷に
亀笹
唄二
久六」5オ
[つゞき] 立、ふれども/\、雨といへなもなく散りのたつのみなれば、両人怒りて、武士を非法なしたることなればゆるしはせぬ、と久六が抜ても見せず、蟇六が肩さき、いたく切さげたり。妻亀篠は、さゝへんとするを、すかさず唄二が切込む脇指の、夫婦ふたりをめつた討、折からかへる額蔵が、主人の敵と [次へ]
唄二首
額蔵
久六」6オ
[つゞき] 抜あはせ、ふたりを手もなく切捨ける。爰に、犬塚信乃は、古賀の城下にいたり、城内に云出けるは、春王どのより、父番作が預りたる、村雨丸を持参なせし、と在ければ、執権横堀不人、面會なし、事のよしを聞て、その翌日、御所に出、彼村雨丸をさし出せしに、上段には、成氏朝臣、臣下のめん/\並居たり。やがて刀を見て、不人は声かけ、犬塚とやらを遁すな、と在ければ、信乃も、今はの一生懸命 [つぎへ]
横堀不人」7オ
[つゞき] 討てかゝる組子を投のけ、畳をくゞる早業なれとも、数人にかこまれ、せん方なく、廣庭に飛下り、芳流閣にはせ上り、寄ば切ん、と身がまへたり。今又階子を登り来るは、牢屋をゆるされ、着類大小信乃が
討手の犬かひ玄八、くわん念なせ、と打向ひ、
信乃も得たり、とわたり合、刀をくゞりて、くみ合しが、三重の家の棟より [つぎへ]
玄八
信乃 」8オ
[つゞき] 足踏はづして、両人は、戸根川にこそ落入りしが、岸につなぎし小舟の中へ、あわよくも落入ける。友縄切れて引汐に、何方ともなく流れける。
爰にまた、文五兵衛といふ者ありしが、市川なる横ぼりに、例も釣りして日を暮し、老の楽み是に有、と一人川場を見わたす向ひに、二人の勇者組會て流れよつたる小舟の内、文五兵衛は肝をつぶし、人を助けて悪い事も有まい、と舟引よせて、名も知れぬ、武者よ、勇者、と呼立るに、信乃は早くも息吹かへし、いさゐ具さに物語れは [次へ]
房八
小文吾」9オ
[つゞき] 文五べゑも、我子なる
小文吾が牡丹の痣に思ひあたり、猶も、子細をたづねける。時に、玄八はさいぜんより事の様子聞居たりしが、むつくと起て、信乃にむかひ、我とても似たることあり、是見給へ、と腕をまくるに、同じ牡丹の痣ありて、又、玉を持てり。去程に信乃も [つぎへ]
信乃
玄八」10オ
[つゞき] はしめて心とけ、額蔵と同じ兄弟なるを知るものから、ひとしく両人玉を得たる。
(欠)
途中にて、父文五兵衛にとゞけられたる、信乃が
麻衣を
小文吾
文五兵エ」10ウ
(以下欠)