義勇八犬傳 −解題と翻刻−
高 木  元 

【解題】

『南総里見八犬伝』の抄録本を紹介し続けてきたが、今回は『義勇八犬伝』を紹介したい。

此本は草双紙風の摺付表紙を備え、全丁に挿絵が入っていて、その周辺に仮名漢字混じりのパラルビで本文が記されている。よく、草双紙の余白に見られる地口や登場人物の台詞などの書き入れは一切見られない。また、初編と2編の表紙は独立した絵柄で、合巻の様に2冊続きの絵柄ではない。さらに、5丁で1冊の意識が見られないことから、草双紙に近い板面を持つ「切附本」と呼んで差し支えのない種類の本だと思われる。

さて、外題に出ている「國周」はどうやら表紙絵だけを担当したようである。初編序者の「岳亭」は二代目で、この抄録本は岳亭の手になるものと思われるが、初編巻末の「文亭抄録」は岳亭の別号であろうか、あるいは筆耕かもしれない。画工の「一松齋」は芳宗の号だと思われ、安政以降の切附本の挿絵を多く描いている。2編の扉に「春峩自画」とあるが、これも岳亭の別号か。この時期、岳亭は谷中忍川辺に居て忍川隠士とも号した。

2編の序文からは、板元が「新庄堂」すなわち江戸日本橋新右エ門町の糸屋庄兵衛板であることが分かる。さらに「戸根川に落たるを渡るに舩と三編に残しぬ」とあることから、続編を予定していたようだが、刊否は不明。

切附本は安政期に魯文が精力的に執筆した廉価な抄録本ダイジエストであるが、本書でも「其筋書にもたらぬ事を書入にして」「文を捨て繪を切り抜きし戯作の道」と自虐的に記している。既に魯文の『英名八犬士』などの切附本が出ていたが、それを全丁絵入りに仕立て直した点が新しかったのかも知れない。勿論、草双紙の抄録も流布していたが、挿絵の周囲に平仮名だけで綴られた合巻とは、異なるコンセプトだったのである。なお、挿絵の構図などは『英名八犬士』に拠ったかと思われるものも目に付く。

この本も、多く摺られて発兌され、多くの人々に読み捨てられてきたものと思われ、早印完本は管見に入っていない。印字の擦れで読めかねる箇所が多く、図版も良好なものが得られなかったが、あまり所在の知れていない本なので、大方のご教示を仰ぎたく、敢えて翻刻しておくことにする。

【書誌】

 初編

編成 中本1巻1冊 17.9cm×11.6cm
表紙 錦絵風摺付表紙「八犬傳 初編」「國周画」
見返 なし
叙末 「子初春\春信改 岳亭定岡述」
改印 「改八亥」
内題義勇ぎゆう八犬傳はつけんでん自序じしよ
柱刻 「八犬傳初 丁付(1〜31)」
匡郭 単辺無界(15.5×10.2cm)
刊末 「文亭鈔録\一松齋工筆」
諸本 架蔵本・館山市立博物館・個人蔵本
備考 文久3(1863)年8月改、翌元治元年春発兌。改印は館山市博本のみに存。架蔵本は22、31丁目欠。個人蔵本は23丁以下欠。管見に入った3本の中では、摺りと板心の加工具合から見て館山市立博物館本が一番早いものだと思われるが、初印本だとは思われない。

 二編

編成 中本1巻1冊 17.9cm×11.6cm
表紙 錦絵風摺付表紙「八犬傳 二編」
見返 なし
叙末 削除痕あり
改印 「改十亥」
内題義勇ぎゆう八犬伝はつけんでんじよ
柱刻 「八犬 丁付(一〜十)」
匡郭 単辺無界(15.4×10.3cm)
諸本 架蔵本・館山市立博物館本
備考 文久3(1863)年10月改。架蔵本と館山市立博物館本は共に10丁以下欠で、双方ともに板心に手を加えた跡が見られ、柱題の「八犬」より下の部分と丁付を削っている。また、序末の年記と序者名も削った跡が見え、後印本だと思われる。なお、架蔵本は入手当初、10丁以下に丁付を削った「初編」の23丁以下が合綴されていた。「初編」の個人蔵本が23丁以下ないのと考え合わせると、後印の際に手を加えられた改装本かと思われる。いずれにしても、早印完本の出現を待たないと出板時の様相は分からない。

【凡例】

 架蔵本を底本とし、破損等による読めない部分は他本を参照した。
 基本的に原本の表記を尊重したが、以下の点に手を加えた。
 異体俗体字については「JIS情報交換用漢字符号系」第1第2水準に定義されているものは生かし、それ以外は近似の字体を採用した。
 片仮名は、特に片仮名の意識で書かれたと思われるもの以外は平仮名に直した。
 本文には句読点が用いられていないが、通読の便宜のために適宜これを補った。
 丁移りは見開きの単位として」1オの如くに示した。
 印字の擦れなどから推読した部分は〔 〕に入れて示した。
 表紙、挿絵はすべて写真を掲載した。架蔵本に欠ける部分のみは別本で補った。

【翻刻】

〔表紙〕

表紙

〔扉〕

扉

犬も尾をふることの葉を 今もなを実に八人の星まつりより  ママ

 郷実義真\息女婦志姫」1オ

〔序〕

序

義勇ぎゆう八犬傳はつけんでん自序じしよ

いぬ意懐いかいの したがッて怨念おんねんずとかや。婦志姫ふしひめ八ッぶさ呼聞名いそなはれて冨山とやまいたより八犬士はつけんし銘々めい/\傳記でんき蓑笠さりつをう一世いつせのこ行末ゆくすへをしるせいだせり。」 草帋さうしのはじめに引上ひきあげその面影おもかげうつせよと問屋とひやこのみにひさしぶりなまけたふでとりなくしのぶがはいほりいで清水しみづもと轉宅てんたく八房やつぶさならぬ やつがれがいぬもあるけばばうとやら 八犬士はつけんしにはあらずとも八笑人はつせうじんともまちて東叡山とうゑいざんもりかげなる 南窓なんさう頬杖ほうづえしなから すゞりぬらこととはなりぬ
 子初春  

春信改 岳亭定岡述

 仁 義 禮 智 忠 信 孝 悌」2オ

〔口絵〕
口絵
 安房あは上總かづさの国主こくしゆ義真よしざね
 村長蟇六
 番作一子信乃
 金毬八郎孝則」3オ

〔本文〕
3ウ4オ
[よみはじめ] 龍門りうもんこいたきのぼりてりゆうとなるとかや。むかし安房あは上総かづさ國主こくしゆたりし郷実さとみ治部ぢぶ大夫義真よしざね朝臣あそん、御曹子そうしよばれしころ、すでに [つぎへ]
 郷實治郎義真
 五十之丞氏幹」4オ

4ウ5オ
[つゞき] 結城ゆふき氏友に一みなして落城らくじやうにおよび、氏幹うぢもと森口もりぐち両人りやうにんをしたがへて、いくさの中をきりぬけ、三日にして三浦みうらにやどり、安房の國へわたらん、となせるとき、りゆう上天しやうてんするをて、武運ぶうんをよろこびけるに、さて郷見さとみ義真よしざねは、白濱しらはまいでて、竿さほつりばりをたれてこひをつらんとなせるをり、此方こなたなるやなぎかげ非人ひにんありしが、義真よしざねつりするを見てわらひけるに、そのよしふ。大しまうまなし[つぎへ]
 金毬八郎
 義真」5オ

5ウ6オ
[つゞき] 安房國あはのくにこひなしといふ。その人をとふに、かな 毬八郎孝則たかのりなり。山級やましな一ッうつとらんと、 大唐もろこし豫譲よじやうをならび、うるしをのんで かくの姿すがたとなりし、と物語ものかたれば、義真よしさね定兼さだかねをうたんことをよろこび、臣下しゆう%\のけいやくをなしにける。
これよりかにゆでて惣身を あらひけるに、たちまもとのごとくなりにける。 れば味方みかたあつむるてだてやある、ととひけるに、 八郎うちうなづき、薮陰やぶかげに火をかけ [つぎへ]
 金毬八郎孝則
 村長 」6オ

6ウ7オ
[つゞき] 百姓ひやくしやうをあつめ、悪人あくにん定兼さだかねうたん事おさとし、義真よしざね味方みかたをなさしむ。さても、それより義真よしざねは、百姓ひやくせう三手みてにわけ、東條とうでうしろにおしよせのち山級やましなどく左衛門定包さだかね居城きよじやう討手うつてむけたりけるが、つひに定兼さだかねしろをえて、五十子いさらご御前ごぜん内室ないしつにむかへ、やがて息女そくぢよ婦世姫ふせひめをまうけけるに、三さいまでくちをきかず。異人来つて是をなをし八ある玉の数珠をあたへてもどりける。
これまでものかたりことながくして丁数てうすうかぎりあれはそのすぢをしるす也。
此処こゝに、冨山とやまより此方こなたむらに、いぬたゞ一ッの子をうみけるに、はゝの犬はおゝかみのとりけるにや、いぬばかりのこりける。しかるにうへつかれたるさまもなく [次へ]
 金毬八郎孝則」7オ

7ウ8オ
[つゞき] 生長せいちやうなしけるにぞ、人いぶかしくおもひけるに、あるあさ、犬ごやよりたぬきひきとびいでて、冨山とやまかた飛行とびゆきけるが、四五十日にして、たぬきはつひに不参こずなりぬ。しかるに、杉浦すきうらいそ之丞のしやう森口もりぐち九郎の両人、東條とうでうしろをまもりてありけるが、滝田たきだへかへる、かのいぬを見るに、骨太ほねふとくしてたくましければ城内ぜうない[つぎへ]
 異人いじんえん行者きやうじや化現けしん
 萬山不重君恩重\一髪不輕我命輕[内蔵之助良雄]」8オ

8ウ9オ
[つゞき] つれかへりけるに、 義興よしおき大いに心にかなひ、息女そくぢよ 婦世姫ふせひめにしたがひけるにぞ、のち には座敷ざしきあげおかれて、人も およばぬふるまひなり。
去程さるほど安犀あんざい景頬かげつらいくさにおよび、 義真よしざねてきしがたく、 討死うちじにとぞきはめけるが、 八房やつぶさ名付なづけたるいぬにむかひて いへるやう、なんぢわがむこにして 婦世姫ふせひめとめあはすべし。 てきの大せう景頬かげつらくびきたれ、と いひけるに、八ぶさ[つぎへ]
 杉浦礒之丞」9オ

9ウ10オ
[つゞき] くびうなだれてありけるが、その臣下しんか討死うちじにと究めければ、ときをまちておのよろひなげかけ、うついでんとなしたる時、廣庭ひろにはにほへる事つねならねば、家来けらいめいじて手燭しそくをうつしこれをるに、てき大将たいしやう安西あんざい景頬かげつらくびをくわへてかへりける。これためいくさやぶれ、勝利しやうりてよろこぶ事かぎりなし。なを八ッぶさたつとむこと、しんのごとくなりけるに、これよりして [次へ]
 八房
 義真」10オ

10ウ11オ
[つゞき] かのいぬ婦世姫ふせひめそはをさらず。あるはたもとをくはへ、すそにまとひけるに、〔或い〕寐所しんしよりて、ふし(と)〕をおなじくせんことをなすにぞ、はじめて義興よしおきこゝろづき、ことのやうすをかたるに、武士ものゝふ言出いひいでたるをやみがたく、息女そくぢよにやひめなみだながらこれちゝにかたり、つひに義興よしおき八房ぶさ息女そくぢよ[次へ]
 義真
 五十之助
 安犀あんざい景頬かげつらくび 」11オ

11ウ12オ
[つゞき] やりてけるも如何いかなる因縁いんえんといふへくにや、父母ちゝはゝともにわかれをかなしみ、臣下しんかこゑををしまずなみだにくれてけるが、いぬひめおひ、何方いづくともなくはせゆくにぞ、五十いそすけをはじめとして、家来けらいのめん/\おひかけていたるに、たにをこへ山をめぐりてつひに行衛ゆくゑしれずなりにけり。

さて金毬かなまり八郎は義興よしおき神夢しんむのつけに冨山とやま[つぎへ]
 婦世姫」12オ

12ウ13オ
[つゞき] さぐれとありければ、こゝろて、一人鉄炮てつほう引提ひきさげ、やかたをぞいでたちける。婦世姫ふせひめは、さへらざる〔深山〕かの八ッぶさのはごくみをて、このしよく露命ろめいをつなぎ、經文きやうもんねんなく、をりから前面ぜんめんきし鉄炮てつほうのおとして、二ッだまに八ッぶさのんどをうたれ、あまれるたま婦世姫ふせひめ[次へ]
 義興
 婦世姫」13オ

13ウ14オ
[つゞき] みぎした打破うちやぶられ、よこさまに伏倒ふしまろびぬ。ときなるかな、もやふかくして、はれもなく、ときむかひのきしに一人の獵人かりうどたちあらはれ、ながるゝみづをきつとて、やがて浅瀬あさせりたりけん、もつたる鉄炮てつほうかたにかけ、此方こなたさしわたりけるが、姫君ひめぎみの此ありさまに [つぎへ]
 八郎孝則
 婦世姫」14オ

14ウ15オ
[つゞき] おどろき周章あはてふためきくすりいだしてくちに入れ、とやかくとなしけれども、全身ぜんしんとふりてすくふべうもあらず。わが忠義ちうぎは不ちうとなりてつみかもせり、こゝろばかりの申わけに、はらかききつ姫君ひめぎみの御ともせん、とかたなぬきし、すでに脇腹わきはらにつき [つぎへ]
 義興
 婦世姫
 八郎孝則」15オ

15ウ16オ
[つゞき] たてんとなしたるとき、義真よしざね蔵人くらんどつれ此所このところきたり、自殺じさつ覚悟かくごかんじて、八郎がかみをきりて出家しゆつけをとげよ、とさとしける。をりから婦世姫ふせひめくびにかけたる数珠じゆじゆきれて、八ッのおや中天ちうてんにとびりける。

此所こゝに、武州豊嶋郡むさしのくにとしますがも大つかさとに、大つか番作ばんさくの一信乃しのは、両親りやうしんにつかへて孝心かうしん大かたならず。与四郎よしらう[つぎへ]
 信乃
 番作」16オ

16ウ17オ
[つゞき] づけたる抱犬かひいぬありしが、また村長むらをさなる蟇六は猫をかひて、雉子毛きじけなれば紀次郎きじらうづけけるが、あるひ番作ばんさくがかひいぬ、かの紀次郎きじらうをくひころしぬ。さてもこのうらみよりして、糠助ぬかすけといへるものをはかり、番作ばんさく村雨丸むらさめまる[次へ]
 蟇六
 むすめ
 亀笹」17オ

17ウ18オ
[つゞき] おくらせんとするに、番作ばんさくとをきをおもんぱかッて、村雨丸むらさめまる信乃しのわたし、うへをかたり、つひに切腹せつふくしてをはりける。去程さるほどに、ひき六は近村きんそん人々ひと%\風評ふうへうをおそれ、小者こもの額蔵がくざう薪水にたきわざたすけよ、といひつけて、そのゝち乃がかたにぞかよはせける。信乃しのは、伯母をば夫婦ふうふ本心ほんしんを さぐらんとての [つぎへ]
 大塚番作
 信乃」18オ

18ウ19オ
[つゞき] 間盗まはしものなるか、とおもひければ、かりそめにもこゝろゆるさず、日来ひごろ額蔵がくさうがふるまひにくばるに、温順おんじゆんにして小者こものず老やかなるに、すへはかんじける。ある日、信乃しのうでこぶを見て、和君わくんにもあざあり、われにも[つぎへ]
 信乃」19オ

19ウ20オ
[つゞき] にもあざあり。これ給へ、とするに、身柱ちりけのほとりにおな牡丹ぼたんあざあるにぞ、両人りやうにんと目をあはせたるときに、たもとあはひより一ッの白玉しらたままろびおつるに、額蔵がくざうはつく%\とて、我身わがみにもこのたまあり、とたがひにたまあはせ、これよりして額蔵がくさうは、ちゝ犬川いぬかは衛二ゑじ則任のりたうをとりて、犬川いぬかは荘助さうすけ義任よしたう名号なづけける。また、額蔵がくさうのいへるやう、まことにおん先考なきはゝは、人をるの先見せんけんたるよし、をしむべし/\、と嗟嘆さたんしてありければ[つぎへ]
 犬川額藏
 信乃」20オ

20ウ21オ
[つゞき] 信乃しの嘆息たんそくなしけるに、われまたおんとともにひさしくこゝあらんこと、後々のち/\ためにいとわろし。あすやまひにことよせて、一たび母やへかへらん、と思ふ也と、ともに番作ばんさく霊牌ゐはいはいし、いとむつましくかたらひけるが、ひき夫婦ふうふは此事をゆめにだにらず。一たびむすめ濱路はまぢ婿むことなして、番作ばんさく所持しよぢなせる田畑でんはた吾物わがものとなし、其後そのゝちは、いづれにも [つぎへ]
 金毬八郎」21オ

21ウ22オ
[つゞき] はからひて、かの村雨丸むらさめまるをとりんものと、ふたりは悪意あくいにかしこくも、たくみのほどこそおそろしけ□る。
去程さるほどに、犬塚いぬづか犬川の両人は義をむすひ〕兄弟けいていとなりて、やがて蟇六がいへひきとられけるが、ちゝ番作ばんさくが三十五日の逮夜たいやになりければ、信乃しのなき父母ふぼ菩提院ぼだいいんへおもむきしに、かへみちにて、額蔵がくさう出合であひ、わがいへかどかひいぬなる四郎をうめたるうめのほとりにいたり、かれがために [つぎへ]
 犬川額蔵
 犬塚信乃」22オ

22ウ23オ
[つゞき] 卒塔婆そとばたてん、とかのうめをけづり、仏名ぶつめうをしるし、南無阿弥陀仏なむあみだぶつ々々/\と十へんばかりとなへけるが、そのとしもあけて、そのつきにいたり、かの与四郎よしらうをうづめたるところのうめ殊更ことさらしげり、文字もじはきえて青梅あをうめおびたゞしくなりければ、つく%\見るに、一えだに八ッづゝなり。にいふ八ッぶさうめなりければ、信乃しのは奇なるかなとうちまもり、よく/\見るに、仁義じんぎ礼智れいち八字はちじあり。額蔵がくざうもなほうたがひ、両人たまいだしてくらべ見るに、よくたりければ、符節ふせつあはせてます/\[つぎへ]
 信乃
 蟇六が娘濱路」23オ

23ウ24オ
[つゞき] さんたんしたりける。一日あるひ蟇六ひきろくがむすめ濱路はまぢ信乃しの部屋へやいたり、さま%\と云寄いひよりけれども、信乃しのこゝろやいばをふくむところなれば、さら聞入きゝいいろなく、はゝ亀笹かめざゝ奸智かんちをめぐらしけるかひなく、またをつと蟇六ひきろくいひあはせ、一ッの工風くふうをめぐらし、乃が平生へいぜいこしをはなさぬ村雨丸むらさめまるを、れんことをたくみける。かく信乃しの糠介ぬかすけいへをおとなへしに、病気びやうきいとおもくして、わが身のうへをかたり、一玄吉げんきちをたのみて、さきとしおや身をなげんとして、飛脚ひきやく抱留だきとめられ、玄吉げんきちやりやす[次へ]
 信乃
 糠介」24オ

24ウ25オ
[つゞき] 心なしたるはなし、又路用ろようをもらひてわかれたること、のち、この大つかにきたり。なみだに袖をぬらしけるが、もしめぐあひ給ふことあらば、かれうまれながらにして、右の頬先ほうさきあざありて、かたち牡丹ぼたんたり。うまれたる七夜しちやには、わがつりたるたい包丁ほうてうせんとしたるに、はらうちたまありてひかりをはなせり。とりてるにまことゝいふ [つぎへ]
 糠介」25オ

25ウ26オ
[つゞき] にてしん文字もんじなり。されば臍帯へそのををそへてまもぶくろに入たり、とかたりりて、つひにまがりける。
こゝに、管領くわんれい浪人らうにん網乾あぼし左母さぼ二郎じらうといふ壮佼わかうどありけり。蟇六ひきろくがつまかめざゝ、左母さも二郎が美男びなんなるにめで、つね歌曲かきよく相手あいてにまねぎける。いつしかむすめ濱路はまぢを思ひそめ、艶書えんしよをもつていひおくるに、濱路はまぢにもふれずして、のち/\はかほもむかへぬやうなしけるは、おやげなき事どもなり。[つぎへ]
 糠介名玉を得る」26オ

26ウ27オ
[つゞき] さても、あるひき六は、信乃しの左母二郎さほじらう土太郎どたらうつれて、かみや川にいたり、ふねをうかめて、腰簑こしみのをつけ、しきりにあみうちおろしてありしが、かねてたくみし事なれば、あしふみはづして、川へざんぶとおちいりけるにぞ、皆々みな/\おどろく、その中に、信乃しのは手ばやく着類きるいをぬぎすて浪間なみまにひらりととび入り、ひき六を引かゝえて、ひたすらすくはんとするに [次へ]
 左母二郎
 濱路」27オ

27ウ28オ
[つゞき] 後につゞきて太郎が、乃をふかみに引入ひきいれんとするに、ひき六もふねをはなれてより、信乃しのをうしなはんとなしけるが、水練すいれんにたつしたれば、むかひのきしあがりける。そのひまに、左母さぼ二郎はわがさしたるかたなぬきとり、ひき六が刀とさしかへん、と約束やくそくなせしが、村雨丸むらさめまる名刀めいたう [つぎへ]
 土太郎
 信乃
 蟇六」28オ

28ウ29オ
[つゞき] なるにぞ、自身おのれかたなとすりかへ、やがてひき六が刀とわがかたなとをすりかへ、水をれておいたりける。これかみならぬ犬塚いぬづかも、たへてる事なかりける。

さても、濱路はまぢ信乃しの部屋へやにきたりていふやう、これまで御をしとふ事、まさごのかずのかぞへがたし。此程このほど其方そなたさまにはいづれへか旅立たびだち給ふとの事なるか、せめて夫婦いもせかたらひをすませておいて行ならば、たとへあこがれしねばとて、なにうらみん、と寄添よりそふにぞ、信乃しの天窓かうべをふつていふふやう、 [つぎへ]
 左母二郎」29オ

29ウ30オ
[つゞき] たとへしばらわかるゝとも、かたみに心かはらずば、つひに一ッになるときあらん。われ出世しゆつせ首途かどで也。さまたげせば、つまにはせじ、といひはなされて、濱路はまぢは、よゝと泣入なきいりける。
それより、信乃しのは、かの村雨丸むらさめまる持参ぢさんなして、出立しゆつたつなしければ、ひき六は、左母さぼ二郎を持て、舩中せんちう村雨丸むらさめまるたりければ、これ引手物ひきでものとして、あまたかねをもてるをむこにせん、といひふらせし [つぎへ]
 がく蔵
 信乃
 はまぢ」30オ

30ウ31オ
[つゞき] なれば、或日あるひ、人をして非火見ひがみきう六といへるもの、陣屋ぢんやつとめ参りしが、さいはひ、おほくの子金こがねもてれば、そのえんだんいたさん、といひれしに、亀笹かめざゝひき六、大きによろこび、相談さうだんなしてをさだめ、當日あたるひにもなりぬるに、濱路はまぢは、そのに家出なして行方ゆきがたしれず、いり來るは、さう六とて、今日けふをはれなる、あさ [つぎへ]
 唄二
 久六」31オ

31ウ
[つゞき] 上下かみしも中立なかだちがてら、唄二ばいじといへるてうつきそへ、入きたるに、出向でむかふものもそこ/\に、なんとしんたいきはまりし、と主人あるじひきむかひて、おくなるかたにいざなひける。これより、左母さぼ二郎じらうがすりかへたる村雨丸むらさめまるいだすくだりは、二のまきに書入かきいれ引つゞき出板しゆつはん仕候。
文亭鈔録
一松齋工筆」31ウ


〔表紙〕
表紙

〔扉〕
扉
江柳えやなぎげられな浮氷うきごほり

文廼屋仲丸賛\春峩自画」1オ

口絵
犬塚いぬづか信乃しの
犬貝いぬかい玄八げんはち」2オ

2ウ3オ
 成氏しげうぢ朝臣あそん
義勇ぎゆう八犬傳はつけんでんじよ
師克在和不在衆いくさにかつことはくわにあらずしゆうにあり犬塚いぬづか信乃しの森高もりたか古賀こが城内じやうない數千すせん討手うつて切抜きりぬけ宝龍閣ほうりうかくのぼ玄八げんはち綬合くみあひ戸根川とねがはおちたるをわたるにふねと 三へんのこしぬ。もとよりその筋書すじがきにもたらぬ こと書入かきいれにして 新庄堂とんや催促さいそくふせぐのみなれば、 うれるは画工ぐわこう手柄てがら にして馬琴ばきんおうにあらば、 さぞなげかはしくおもはんと つぶやき/\ぶんて繪をきし戯作げさくみち草如是 畜生ちくしやう菩提ぼだい〔心〕じんれいの、 たま/\に人のはたけくわ れる谷中やなかの〔道〕の片邊かたほと清水しみづもとふでそめぬ。
 宝竜閣ほうりうかく執権しつけん横堀よこほり不人ぶにん組子くみこらくす 」3オ

3ウ4オ
[よみ初め] さても、蟇六ひきろくは、濱路はまぢむこかねをえらみ、つひに久六五倍二ばいじ媒人なかだちとして入来いりきたりけるに、濱路はまぢ家出いへでなしけるにぞ、とやせんかくやと思案しあんなかば、両人りやうにんきたりけるにぞ、ひきかめさゝいでむかひ、こと様子やうすいつわり、村雨丸むらさめまる言訳いひわけに、むすめもどまでしるし、とりければ、久六は、うちうな
 久六
 蟇六」4オ

4ウ5オ
[つゞき] づき、なにはともあれ一見いつけんなし、そがうへにてあづかりおかん、とぬきはなせは、には新身あらみなまくら、久六はいろへんじ、蟇六ひきろくにうちむかひ、村雨丸といふ證拠しやうこのあるや、ときかれて、蟇六打笑うちえみつゝ、れはあめる刀のどく、おためしあれ、とありければ、久六きうろく座敷ざしき
 亀笹
 唄二
 久六」5オ

5ウ6オ
[つゞき] たち、ふれども/\、あめといへなもなくりのたつのみなれば、両人りやうにんいかりて、武士さふらひ非法ひほうなしたることなればゆるしはせぬ、と久六きうろくぬくても見せず、蟇六ひきろくかたさき、いたくきりさげたり。つま亀篠かめざゝは、さゝへんとするを、すかさず唄二はいじ切込きりこ脇指わきさしの、ふう婦ふたりをめつたうちをりからかへる額蔵がくざうが、主人しゆじんかたき[次へ]
 唄二首
 額蔵
 久六」6オ

6ウ7オ
[つゞき] ぬきあはせ、ふたりをもなく切捨きりすてける。こゝに、犬塚いぬつか信乃しのは、古賀こが城下じやうかにいたり、城内じやうないいひ出けるは、春王しゆんわうどのより、ちゝ番作ばんさくあづかりたる、村雨丸を持参ぢさんなせし、とありければ、執権しつけん横堀よこぼり不人ぶにん面會めんくわいなし、ことのよしをきゝて、その翌日よくじつ御所ごしよいでかの村雨丸むらさめまるをさし出せしに、上段じやうだんには、成氏なりうぢ朝臣あそん臣下しんかのめん/\なみたり。やがてかたなを見て、不人ぶにんは声かけ、犬塚いぬつかとやらをのがすな、とありければ、信乃しのも、いまはの一しやう懸命けんめい [つぎへ]
 横堀不人」7オ

7ウ8オ
[つゞき] うつてかゝる組子くみこなげのけ、たゝみをくゞる早業はやわざなれとも、数人すにんにかこまれ、せんかたなく、廣庭ひろにはとびくだり、芳流閣はうりうかくにはせ上り、よらきらん、と身がまへたり。今またはし子を登りるは、牢屋ひとやをゆるされ、着類きるい大小信乃しの討手うつての犬かひ玄八、くわんねんなせ、と打向うちむかひ、 信乃も得たり、とわたりあひかたなをくゞりて、くみあひしが、三ぢうむねより [つぎへ]
 玄八
 信乃 」8オ

8ウ9オ
[つゞき] あしふみはづして、りやう人は、戸根川とねがはにこそおち入りしが、きしにつなぎし小舟こふねなかへ、あわよくもおちいりける。友縄ともづなれて引汐ひくしをに、何方いづくともなくながれける。

こゝにまた、文五ぶんご兵衛といふものありしが、市川いちかはなるよこぼりに、いつりして日をくらし、おいたのしこれあり、と一人川場かはばわたすむかひに、二人の勇者ゆうしや組會くみあいながれよつたる小舟こぶねの内、文五ぶんご兵衛はきもをつぶし、人をたすけてわることあるまい、とふねひきよせて、れぬ、武者むしやよ、ゆう者、と呼立よびたつるに、信乃しのはやくもいきふきかへし、いさゐつぶさに物語ものかたれは [次へ]
 房八
 小文吾」9オ

9ウ10オ
[つゞき] 文五ぶんごべゑも、我子わがこなる 小文吾こぶんご牡丹ぼたんあざおもひあたり、なほも、子細しさいをたづねける。ときに、玄八はさいぜんよりこと様子やうすきゝたりしが、むつくとおきて、信乃しのにむかひ、われとてもたることあり、これ給へ、とうでをまくるに、おな牡丹ぼたんあざありて、又、たまてり。去程さるほど信乃しの[つぎへ]
 信乃
 玄八」10オ

10ウ
[つゞき] はしめてこゝろとけ、額蔵がくざうおな兄弟きやうだいなるをるものから、ひとしく両人りやうにんたまたる。
 (欠)
途中とちうにて、ちゝぶん五兵衛にとゞけられたる、信乃が 麻衣あさぎぬ
 小文吾
 文五兵エ」10ウ

  (以下欠)


#「人文研究」第35号(千葉大学文学部、2006年3月)
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