【解題】
本作は一柳斎豊広画で3巻3冊、文化5年に慶賀堂から刊行された。同年同板元刊の『敵討枕石夜話』と共に、曲亭馬琴の中本型読本としては最後の作品である。ただ、序文の年記は文化丙寅(3)年と成っており、刊行が1年遅れたものの思われる(見返しの年記「戊辰」は入木されている)。
後摺本としては、序文を文化7年の山東京山序に付け替えた本がある。序文に拠れば文亀堂(伊賀屋勘右衛門)板である。この序文中に「此繪草紙」と見えており、本作が中本型読本としては珍しく挿絵中に詞書が書込まれている点、やや合巻寄りの性格が窺える。此時期に何作か見られるような絵題簽付の体裁で出されたものである。
この本の更に後摺本として、「翰山房梓」「乙亥」と見返に象嵌した半紙本3巻5冊があり、刊記は「文化十二年己亥年孟春新刻/書肆/江戸日本橋通一町目/須原屋茂兵衛/京三條通柳馬場西へ入/近江屋治助」となっている(天理図書館本)。目録などを彫り直し、内題等の「巷談」を削り「坡提庵」(以下「提」の字は「こざと偏」であるが便宜的に土偏にする)とし、巻下巻末の「附言」も省かれている。この体裁の本には、刊記を欠いた本(学習院大本)の他に、「河内屋喜兵衛/大文字屋與三郎」板があり(広島大本)、また天保期の後摺本と思われる『粂平内坡提庵』(外題)という江戸・丁子屋平兵衛から大坂・河内屋茂兵衛まで4都6書肆が刊記に並ぶ、口絵の薄墨をも省いた半紙本5冊もある(個人蔵)。何時の改竄だか判らないが、口絵の薄墨板(薄雲の姿4オ)を掘り直した本もある(立命館大学林美一コレクション蔵)。
実は本作には序文と口絵を彫り直した中本3巻5冊の再刻板が存在する(都立中央図書館本)。幕末期の出来だと推測されるが、改装裏打されている上、見返や刊記を欠くため出板事項は未詳である。口絵には濃淡2色の薄墨が入れられ、本文は内題の「巷談」を削り「坡提庵」とした板を用いているようであるが、挿絵第6図(巻中3ウ4オ)は薄墨板が無いと間が抜けてしまうためか削除されている。
新刻された序末には「于時乙丑鶉月仲旬/飯台児山丹花の窗下に/曲亭馬琴誌/松亭金水書」とあるが、この「乙丑」は不可解である。慶応元年ならば既に馬琴は歿しているし、文化2年なら原板の序より早くなってしまうからである。また、どう見ても馬琴の文体とは考えられず、恐らくは松亭金水の仕業ではないかと思われる。金水はこの時期に『敵討枕石夜話』の再刻本『観音利生記』の序文を書いており、更に『〈江都|浅草〉観世音略記』(中本1冊、弘化4年、文渓堂板)を編んだりと、浅草関連の本に手を染めているのである(拙稿「馬琴の中本型読本−改題本再刻本をめぐって−」(『讀本研究』第五輯上套、後に『江戸読本の研究』所収)。
さて内容であるが、「援引書籍目録」に江戸の地誌や風俗関係の書を20点も挙げ、本文中でも割注を用いて考証を加えるなど、近世初期の江戸風俗に対する興味を示しつつ、作品背景として用いている。この点に就いて大高洋司氏は、山東京伝の『近世奇跡考』巻之1の11・12・17、巻之2の4・10・11、巻之3の8、計7ヶ所の引用と、『骨董集』上之巻の20所収「耳垢取古図」と本作挿絵第15図(巻下11ウ12オ)との関係を指摘されている(「いずみ通信」11、1988年10月)。
言及していない資料を用いて、薄雲をはじめ、雁金屋の采女、向坂甚内、久米平内等に関わる伝承を散りばめつつ、形の上では敵討ものとなっているが、複数の伝承を酌み合わせた点に面白さが存する。そして「巷談」を標榜し、「皆虚なり比喩なり」(附言)といいながらも、考証を等閑視はしていないのである。
なお、後摺本で付け替えられた京山序、並びに再刻本の序文と口絵とを、本稿末に掲げた。
【書誌】
編 成 中本 3巻3冊 18.5cm×12.9cm
表 紙 鶸無地(雲英末雄氏旧蔵本)
題 簽 無し(剥離跡12.5cm×2.4cm)(同右)
見 返 四周子持枠。右側に「巷談坡堤庵」、その左に「曲亭馬琴戲編 戊辰發販」「一柳齋豊廣畫 慶賀堂梓」、間に「題詞」「大堤春水満 相映送春衣/日暮逢公子 不知何處歸」。
叙 題 「巷談坡堤庵叙」 叙末に「文化丙寅ふみひろけ月なぬかのゆふべ/曲亭馬琴みづから叙」
目録題 「巷談坡堤庵總目録」
内 題 「巷談坡堤庵巻上(中下)」
柱 刻 「坡堤庵巻上(中下) ○(丁付)」
尾 題 「巷談坡堤庵巻下 大尾」
匡 郭 単辺 15.9×10.8cm
丁 付 上巻 叙1丁半(1オ〜2オ) 口絵3丁3図(2ウ〜5オ) 目録1丁半(5ウ〜6ウ) 本文18丁半(7オ〜25オ) 計24丁半。 中巻 本文30丁(1オ〜30ウ) 計30丁。 下巻 本文28丁(1オ〜28ウ) 附言3丁(29オ〜31ウ) 刊記半丁(31ウ) 広告1丁(丁付なし) 計32丁。
行 数 叙7行 本文と附言9行
刊 記 「文化五戊辰年/正月吉日發販」「江戸通油町/村田次郎兵衞/同日本橋新右衞門町/上總屋忠助梓」
その他 「筆耕 嶋五六六謄冩」「剞[厥刀]/綉像 朝倉卯八刀/筆耕 三猿刀」
諸 本 後摺本(文化7年山東京山序、半紙本5冊)、再刻本(乙丑序、中本5冊)。解題参照。
翻 刻 林美一氏『未刊江戸文学』14、17号(未刊江戸文学刊行会)。
【凡例】
〓→胤 〓→誤 〓→憖 〓→曽 〓→弟 〓→弔 〓→雁この他、JISに規定されていない字に就いては原本通りにした。尚、これは問題の多いJIS漢字コードに義理立てしたわけではなく、本稿の機械可読テキストを公開する場合の便宜を考慮した為である。更に同様の趣旨から、敢えて字体の勝手な改竄で悪評高いJIS90年版(JIS X 0208-1990)に準拠して作成した。
〓→陰 〓→隠 〓→條 〓→歟 〓→霊 〓→解 〓→形
〓→負 〓→析 〓→疑 〓→遷 〓→面 〓→答 〓→修
〓→携 〓→偏 〓→暦 〓→佯 〓→崛 〓→雜 〓→寄
【翻刻】
巷談坡堤庵叙
如是我聞、如来龍華會の説法は、悉皆比喩の手管に出づ、ぼん/\凡夫の智惠輪ハ、とけども却疑念あり、疑ふ故に應報なき、これや一切衆生のうへ、下から見れバ木瓜の花、草木非情なれバ智惠もなし無智なる故に疑はず、疑ざれバ得道す、今」また義を取るこれに斉し、余か説ところ偏綴ならねど、疑ずしてその身に引被、善を奨し悪を懲さず、宵寢まどひの油かすりて、物讀ぬにハ勝るべし、されば此書ハ阿耨夛羅、三冊揃ひし假名物かたり、趣向ハ元来無盡意にて、舎利發端から結巻まで、隨縁新編清浄を根とす、實相室」1 咲の梅とゝもに、春を含る作者の勤行、彼雪山の薪ならで、こつてハ思案にあたはじとて、漫に筆を走らするのみ 文化丙寅ふみひろけ月なぬかのゆふべ
【口絵第一図】雁金屋うねめ「名はそれとしらすともしれ猿沢の/あとを鏡か池にしつめは うねめ」2ウ3オ
【口絵第二図】久米平内左衛門・三浦屋薄雲「我袖の蔦や時雨てむら紅葉 薄雲」3ウ4オ
【口絵第三図】道哲法師・向坂甚内「俗情原淺薄豈識道心堅到得/成因果方知各一天 巡誉道哲」4ウ5オ
援引書籍目録
○
戲作は原寓言を宗とすなれハ。古書を引てその事實を述るとしにもあらねど。亦是好事の一癖のみ。古人小説を批するに。動すれバ史傳を附會し。假を弄して真となすの類にあらず。且文辞に時代の錯誤あるは強て用捨の筆に操るもの也。閲者怪給ふことなかれ。」
巷談坡堤庵總目録 全本三冊
巷談坡堤庵巻上
黄金長者の廓通
いづれの御時にかありけん。武藏國豊島郡渋谷の郷に。渋谷庄司宗順といふ。いと冨たる郷士ありけり。家は保元平治以来数代相續し。貨は蓬莱の玉の枝。燕の子やす貝なんど。世にも亦稀なるべきを。数かぎりなく倉廩におさめたり。まいて黄金は弥生の茶〓ならで。笆するばかりに充満。白銀は師走の深雪ならで。簷にもおきあまりつべし。こゝをもて人靡て。黄金の長者と稱ふ。妻は朝霧と呼れて。年は廿のうへをやゝ三ッ四には過ず。容止の比」なきのみならで。心ざまいと怜悧ければ。夫婦の睦しきこと魚と水とのごとく。一子を金王と名つけて。はづかに三才なり。家隷おほかる中に。粂平内左衛門といふものありけり。原は九州の諸侯に仕たるが。故あつて壮年に浪人し。この五七年已前に江戸に来り。劍術の指南して生活とはしたれども。その性剛毅にして。露ばかりも諂ふことなきをもて。家は究て貧かりけり。しかるに渋谷庄司は。彼が武藝の弟子なりしかば。その赤貧を憐みて。近曽渋谷の宅地に呼びとり。別に室をしつらひて。其処に住し。よろづ叮嚀に扶持しけり。この平内が武藝に秀たるはいふもさら也。膂力又人に」7
勝れ。石平道人の門に遊びて。二王坐禅の法術さへ得たり。さるによつて。庄司は平内を家の老黨よりもたのもしく思ひて。なほ師の禮を竭し。心くまなく款待にぞ。平内もふかくその庇を感激して信やかに仕へけり。この頃浅草の郷内。三谷といふ処に。遊女の長ども夥軒をならべたり。三谷はいにしへ三谷戸といふ歟。今も浅草川を宮戸川といふ。三谷と宮と訓おなじ。後世字音に稱て三谷と呼。又山谷とも書り。この邉に花川戸[古名舩川戸]など稱るところあるをもてしるべし。さて彼此の風流士の交加するを三谷かよひといふ。[今この地に妓院なしといへども。なほ三谷かよひととなふることは。古言の餘波なるよし。昔々物語にいへり]その為体今とは大に事かはりて。美男」 土手の馬くはんを無下に菜摘かな。
といへりしはこれ也。その花馬日夲橋より三谷まで。口附の馬士或は二人。或は一人。路すがら小室節うたふ。駄賃は馬士の衆と寡とによつて定めあり。馬は人/\白馬を徴む。このときの流行小唄に。春の日の糸ゆふわけて柳手折るはたれ/\ぞ。白き馬にめしたると」10 のごよな。とうたへり。すべて色は白きをよしとして。白〓組などいふ侠者さへあり。故に馬も白馬を愛おもへり。[以上諸説をならべ抄す]妓楼の名たゝるもの。西田屋[庄司氏]三浦。兵庫屋。巴雁金屋なんど。妓には勝山。高尾。薄雲。高橋。定家。吾妻。奥州。[大鑑又両巴巵言にくはし]枚挙に遑あらず。但しこの名目に初代二代三代あり。音曲は。まづ浄瑠璃に虎屋永閑。近江語斎。説経には村山金太夫。大坂七郎太夫[惣かのこに出たり]哥は隆達節[これを投ぶしといふ]籠斎節。土手節。籬節。いなもの節など。なほくさ/\あるべし。間話はさておく。渋谷庄司は今この泰平の時に生あひ。齢さへなほわかくて。財宝に事缺く身に」しあらねば。一たびは風流たる遊びをもして。老後の語くさにせばやとて。ある日浅草寺の観世音に詣たるかへさ。三浦の薄雲とかいへる遊女にあひそめしより。花の朝雪の夕。折にふれてかよひ路の数もかさなりぬ。薄雲は冨人にしも愛るにあらねど。庄司が男風流の人なみに勝れて。その志又他に超たれば。いと憎からず待して。川竹の浅き流れに。深き心の底さへうちあかし。比目の契に連理の枕をならべ。飽ぬ別れに暁の鐘を恨るも切なり。かゝるすぢに誠あるはいと稀なれば。塒の鶏も八声をとゞめて。方なる卵や生ぬべき。しかあれど庄司が妻は。聊も」11 妬のこゝろなく。風ふかば沖津しら浪と詠しけん。いにしへの賢き女にも勝りて見ゆれば。夫もさすがに羞て。いよ/\妻にも信やかにぞありける。彼薄雲は。年来一ッの牡猫を養て。これを愛すること人の親の子をおもふに異ならず。出るにもかいもて抱きて。束の間もそのほとりを放つことなし。されば世の人女三の宮の故事さへ思ひ出。彼を渾名して猫児といふ。俳諧師晋其角が。 浅草河原の暗撃
こゝに又鳥越の片ほとりに。向坂甚内といふ武士の浪人ありけり。その心ざま〓悪なるものなるが。年なほ三十にも満ず。殊更に婬酒を嗜み。不義の銭を掠とりて。糞土のごとく遣ひ捨。い」ぬるころ薄雲が許にかよひしに。薄雲は渋谷庄司に志を運びぬる折なれば。たえて一夜もあはざりける。しかれども庄司は黄金の長者と呼るゝほどの財主なれば。甚内これと張あふことかなはず。既に銭竭ていかにともせんすべなく。世の胡慮となりしかば。ふかくうらみ憤り。他國に赴くとて家をば人に賣わたし。なほ処をも定めず彼此にかくれゐて。庄司をや撃ん。薄雲をや殺さんとて。もつはらその便を窺ふに。庄司は久しく花街に至らず。薄雲も近曽引籠りてありと聞えしほどに。力及ばて黙止せしに。この日薄雲が浅草寺へ詣るよしを聞しりて」15 潜によろこび。舩川戸のこなた。人家まばらなる芦の中にかくろひて。今か/\と待居たり。とはしらずして薄雲は。心いそがはしければ。河原の好景にも眼をとめず。寺を出て河原つたひに。西南を投てたどりゆくを。甚内はすこし遣り過して。芦の繁みより。跳出。刀を閃して打てかゝれば。妓有も老女も阿呀とばかり驚き怕れ。命を限りに迯たりける。薄雲も路を横ぎりて走り避んとするを。甚内はやく追とめて。〓四五寸切著れば。薄雲は一声叫て。仰さまに倒るゝを。起しもたてず乗かゝりて。胸のあたりを刺んとす。薄雲は刺れじと。黄金の」笄を抜持て。甚内が左の耳をしたゝかに突たりければ。耳垂房を突ぬきて。血の出ること夥し。さる程に二人の男女は。迯つゝも家あるかたに向ひ。賊の人をころすあり。とく出あひ給へと呼たつれば。里人等手に/\棒を引提て走出たり。甚内はこの形勢を見て。とゞめの刀を刺に及ばず。何地ともなく脱去りぬ。さて老女と妓有は。里人等とゝもに。薄雲を扶起して。さま%\に勦るに。痍は幸に灸処を外れたれば。いまだ死なず。さはとて人を走らせて。妓院に縁由を告しらすれば。時を移さず三浦が家僕等。轎を扛して出来り。やがて手負を扶乗」16 し。里人に厚く謝して。勦り冊つゝ立帰れは。主人は嚮より門方に立望て。轎なから裡に擡入れさせ。俄頃に醫師を呼びて療治もつはら心を竭し。この日附添てゆきたる老女と妓有を呼びて。縁故を問に。二人言をひとしくしていふやう。賊は頭巾をもてふかく面を裹。不意に蘆の中より跳出たれは。何人なりとも認得ず。まいていかなる意趣ありて。刃傷におよびしにや。更に考るところなしと答ふ。かくては仇をしるべき手がゝりもなし。こは全く薄雲に遺恨あるにはあらで。物をとらん為にやあらん。とかく薄雲か」 巷談坡堤庵巻上畢
巷談坡堤庵巻中
薄雲が猫
渋谷庄司宗順は。薄雲が横死せしをしらず。ある日浅草寺へ参詣したりけるに。日来相識れる柳巷の何がし男に行あひて。薄雲が子を産し事。且自害して亡たる首尾。審に聞て驚き怪み。さすがに憐みおもひて心たのしまず。やがて家路に赴くとて。榧寺のほとりを過るとき。何となく川風の膚を浸すとおぼえしが。立かへりてより心持いと悩しく。假初にうち臥てながく首あがらず。醫師をえらみ。張氏が論ずるところ。孫氏が」説ところ。陰陽補写の術を盡すに。衆議全く鬼病なるべしと一決して。鬼邪十三穴に鍼さし。湯藥醫論に隨て。方劑を定むといへども。針灸藥餌もそのかひなきがごとく。顔色やうやく憔悴す。妻の朝霧はいふもさら也。闔宅の奴婢等に至るまで。安き心もなく。日に/\氷川の神社。渋谷の八幡に参詣し。家公の病痾平愈を祷るの外他事なし。こゝに久米平内左衛門は。はじめより庄司が病体をいと不審おもひしが。その傍に人なき折を伺ひ。ちかく膝をすゝめていふやう。このごろ君が夜毎に魘れ給ふを見れは。醫師の考申すに違はず。」1 こは全く鬼病なるべし。縦いかばかり怪しき事ありとも。われには匿し給ふべきにあらず。心におもふ限をは。語り給へかしといへば。庄司やゝ枕を擡て。げにいはるゝごとく。わが身心持あしかりつるその日より。夜毎に怪しきものを見て。心はなはだ穩ならず。この事は妻にも明白に告がたきをもて。けふまでは黙止せしなり。そはかゝる條なりとて。薄雲に疎なりし始終を物がたり。さていふやう。われ彼が自害せしともしらで。いぬる日浅草寺へ詣しとき。人にその事を聞て。何となく哀れにおぼえてより。俄頃に心持あしうなりて。つや/\睡ること」なし。殊に怪しきは。人定て後。彼薄雲。夜な/\わが枕方に来て。通宵去らず。こなたを見つる眼の光も。ありし面影には異にして。その竒怪言語をもて説盡すべうもあらず。われ中ぞらにして彼に疎くなりゆきしは。養猫とあやしき名のたちたるを憎みてなれど。こは世の人の流言にて。その身に于ておぼえなければ。却てふかくわれを恨み。自害して亡たるもの歟。又面目なくて刃に伏したるもの歟。今にしてはます/\暁得がたし。因わが病源は薄雲が寃鬼のなすところといへども。妻にしらせんも鈍ましければ。心ひとつ」2 に思ひくしたる也。さていかにしてこの陰鬼を退くべきといふ。平内左衛門つく/\と聞て。人死するときは三魂天に帰し。六魄地に帰し。消て一物の遺すなし。譬は。火の滅て迹なきがごとし。しかれども女子小人たま/\臨終に執着して。悪念を引ときは。且く凝滞して銷鑠〈○キエヌ〉せず。是亦嗅きものを焼に。その物は灰となれども。嗅気は暫時残るに似たり。さはあれ死したるものゝ再び形をあらはして。人に見ゆべき理なし。人死して形既に腐爛すなるに。躯にかけがえなくば。出て人に見ることなし難からん夫鬼神は形なし。輪廻の説は浮屠氏の誣言のみ。薄雲が寃鬼は。君」 兄弟の太刀合
かゝりしかは光陰はやく過て。金王十一才瀬太郎九才になりぬ。父の庄司は薄雲が遺言にまかし。瀬太郎をば。久後法師に」せんと思ひし程に。手習学問のみを教へ。金王をは平内左衛門に領て。もつはら武藝をならはしけるを。妻の朝霧は。その志夫とは異にして。瀬太郎に實母の仇を撃し。又家をも嗣し。金王を出家さして。薄雲の菩提を弔せ。わが清き心の中を。なき人にもしらせばやとおもひて。をり/\此事を夫に申すゝめ。平内にもたのみ聞えて。金王ともろともに瀬太郎に武藝をならはしける。されば彼兄弟が太刀を合し。的を射たる所を。今も禿山といふ。こは童のつどひたる処なればなるべし。又日毎に馬を走らしたる処を。駒牽澤と稱て。今も渋谷に」12 ありとかや。是は扨おき金王瀬太郎は。文を學び武を習ひ。春と暮秋と過して。兄は十九弟は十六才になりぬ。瀬太郎はその面影も。よく父に肖て。心ざまも尋常に秀て賢かりしかば。是に家を嗣すべうもやと思ふに。朝霧又しば%\瀬太郎を賞美し。兄も弟も母こそかはれ君が子也。殊さら瀬太郎は才學兄に超。又彼には実母の仇あり。何事も彼の人には告ざるをもて。わらはを実の母と思ふめれど。これを法師とし給ふ事。大に宜からず。おなじくは金王に出家さし給へかしといふに。庄司答て。薄雲に痍つけたるものは。誰也とも得しれざるを。いかにして瀬太郎に」仇を撃すべき。加之彼はその手にて死たるにはあらで。事に迫りて自害せしからは。仇を撃ずとも。敢て不孝とはいふべからず。又瀬太郎は幼きより。實母のある事をしらせたりしかば。今憖にかゝる事をいひ出んは。疑を慝の媒なり。家督を定ることは。なほ折もあるべしと回答ける。粂平内左衛門はやくその気色を暁得。潜に庄司にいへりけるは。いにしへより愛に溺れて庶子に家を嗣し。その家滅亡に及びぬる事。和漢に例多し。金王丸も今はとしころになり給ひぬ。などて家嫡の披露をし給はざるぞといふ。庄司點頭て。われもこの事を思はざるに」13 あらねど。朝霧がとにかくに請すゝめて。金王に出家させよといふ。つら/\子どもが挙止に心をつくれば。金王が才。瀬太郎に及ばず。こゝをもて黙止せし也といふを。平内かさねて。夫弟をして。兄に超しむるは。父その子に無礼非義を教る也。且長子といへども。母賊ければ。下て臣の列に著。これ古今の通礼なり。みづから惑をとつて過給ひそと諌ければ。庄司がいふやう。御邊のいふところ善といへども。一家帰伏せざれば。禍を生ずるの端となるべし。われ近日二人の子どもが武藝を試み。いづれにもあれ。勝れるものに家を嗣すべし。これ天命に任」するなれば。誰かうらみ誰か叛かん。この事に就ては。よろづ足下を労することあるべしと回答するに。平内はなほ爭ひ諌ることを得ず。こゝろ得果て退けり。さて庄司は妻の朝霧と。二人の子どもにも。その事を聞えて日を卜。もつはら件の用意をなせり。しかるに朝霧は。いかにもして太刀合の日。瀬太郎に勝せんと思ひて。潜に平内左衛門を招き。子どもらが事に于ては。よくもあしくも御身が心ひとつもて。ともかうもなりぬべきことぞかし。豫て申しらせつるごとく。いづれも夫の子にしあれど。瀬太郎は義理ある子なり。彼には母の仇をもうたして。家をも」14 嗣せざれば。一度誓ひつる言葉の徒事となるのみならず。わらはが清き胸鏡も。隈なき影をうつしがたし。しかあれど。この年来瀬太郎に實の母ありし事をしらせずして。わが産るごとくにもてなしたるは。彼憖に養育の恩をおもひ。金王を超て。家督たらんことを辞すべきかとて。奴婢等にもその口を鉗おきしかば。わらはを實の母とし慕ひて。孝心等閑ならざるも可愛し。御身その日に至らば。必心してようせさせ給へと耳語けれは。平内点頭て。仰うけ給はりぬ。しかれども勝と負は天なり命なり。人おの/\命運のよくするところは。人力に」及びかたからんとぞ回答ける。金王は年こそ長たれ。武藝は瀬太郎に劣りて見ゆれは。奴婢等も今度の太刀合には。金王かならず負て。弟に家を嗣れ給ふべしとさゞめきあひしとぞ。かくてその日にもなりしかば。渋谷庄司夫婦は。前栽に假屋を修理。家の老黨等を將て假屋に入り。高く幕をしぼらせたり。その為体いと晴がまし。今もその処を物見の臺といふ。さて粂平内左衛門は。乳母子等とゝもに。金王瀬太郎をかひがひしく打扮せて。東のかたよりは金王丸。西の方よりは瀬太郎。しづやかに歩み出て圏のうちに入り。礼義を厚してまづ射」15 法を試るに。いかにかしけん。この日に限りて瀬太郎が發つ矢。的に當らず。金王十分に勝得たり。朝霧はこの景迹を見て。いと本意なくおぼえ。心の中に神仏を祈念して。後の勝負いかにと見るところに。次は馬術を方て。その勝劣を試るに。動すれば瀬太郎が馬遥に後れて。これさへ金王に及ず。今ははや太刀を合する雌雄によつて。兄弟命運を定むるなれば。朝霧はいよ/\安きこゝろもなく。乳母子等も迭に拳を握り堅め。瞬もせで瞻居たり。時に兄弟木刀に手をかけつゝ。やと声して打あひけるが。一往一来一上一下。悉くその法にかなひ。活人」 道哲が垣間見坂
道哲法師出家のゝち。僅両三年にして。師父の聖僧遷化し給ひしかば。件の精舎を辞し去り。浅草金龍山の片」ほとり。何がし寺に移轉して。且くこゝに寓居し。昼夜の勤行怠ることなく。道心ます/\堅貞なり。さるあひだ養母朝霧は。年来の心つくしも。徒事となりて。彼に家を嗣せざるをいと遺憾おもひながら。今はいかにともせんすべなく。せめて實の母あることをしらして。その仇を撃せまほしくはあれど。この事ははじめよりふかく匿て告ざれば。今故なくていひ出るとも。彼實言とはすべからず。なほ折をうかゞひて。面あたり説示さんといたすに。彼法師となりては。見ゆる事も稀にして。とかくいひ出るよすがもなく。心ならずも三年あまりを過したり。こゝを」20 もて何にまれ。道哲が事とだにいへば。物乏しからぬやうに賄て。金銭衣服なんどはいふもさら也。をり/\の贈物。その品勝て數がたし。これによつて。同宿の青道心等も。その餘澤を受る程に。みな道哲をうやまひて。いみじき人に思ひけり。こゝに亦向坂甚内は。むかし薄雲に手を負せし日。事の發覚れんかと怕れて。直に鎌倉に脱ゆき。彼此に潜居たりけるに。追補の沙汰も聞えねば。なか/\に憚る気色もなくなりて。われにひとしき徒を相語ひ。常に街を横行して。口論に事をよせ。人の銭財を虎落とりしかば。人みな虎狼のごとく怕れ。これと」途に行あへば。避かくれずといふものなし。しかれども彼に寇せられんことを怕れ。慥に訴あぐる人もあらざれは。かくして夥の年月をおくりけるに。積悪終に發覚て。忽地に追放され。彼地の住居かなはざれば。ふたゝび江戸にたちかへりて。これも浅草寺のほとりに住みて。もつはら彦袁道が技に耽り。打つゞきて。過分の金銭を得たりける。件の甚内。齢は既に四十にあまり。小動ぎのいそぢに程ちかくはあれど。色と酒とを嗜むこと。壮年の昔にかはらず。金あるにまかして夜毎に三谷がよひして。雁金屋の畷女といふにおもひそめ。たえて他の」21 客にあはせず。畷女は心ざま風流たること。三千の君に超。才色両ながら備るといへども。その性閑稚(ママ)にして。聊もたはれたることを好まず。まいて甚内がむくつけきを厭て。いつも強面もてなせば。甚内ます/\思を焦し。軈て親方に相語ひ。夥の金をもて畷女が身請し。おのれが隠家に將てかへりぬ。畷女は金にまかする身にしあれど。世の中の男多かるに。かゝる悪棍に伴るゝ事。胡地に恨を残せし王照君がいにしへさへ思ひいでられ。只顧志を堅して従ふ気色なかりければ。甚内ふかく憤りて。或は罵り或は賺し。頻にその志を折んとはすれど。さすが」に威勢をもて迫らんも風情なけれは。画る餅を見て餓を防ぐこゝちしつ。いつも夲意なく夜にあかしぬ。畷女はとてもかくても世を形なくおもひて。ふかく仏の道に心をよせ。旦夕に観世音の名号を唱へ。讀経するを身の勤とするにぞ。甚内はこれを気疎き事に覚て。彼に経を讀せじとすれば。畷女はいとゞうるさくて。端ちかう居て仏名を念じ。又月あかゝる夜は。庭に出て看経しけり。しかるに甚内が家は。道哲が住ける寺と後あはして。笆只一重を隔たれは。道哲は畷女か讀経の声をもれ聞て。いと殊勝にも覚しかば。透笆の」22 間より半面をさし出して。彼処をさし覗けば。年紀廾あまりの女。こなたに向て経よみ居たり。その形容。眉は初春の柳葉に似て。常に雨の恨雲の愁を含。顔は弥生の桃花のごとく。暗に風の情月の意を藏し。口を開くとき花のはじめて燃るにひとしく。声を發るとき鶯のしばなくに異ならず。正是沈魚落雁閉月羞花の美人なり。道哲はこの女子を見るといへども。敢こゝろを動すことなく。只その為体のいとあやしければ。しばしうち瞻たるを。甚内は物の隙より見て思ふやう。彼青道心は。黄金長者の愛子なるよし。此わたりにしらざるものもなし。彼頭を圓くす」 巷談坡堤庵巻下
鏡が池の辞世
向坂甚内は。道哲を謀らんとしてその事成らず。却いたく畷女に罵られ。彼亦卒然として脱れ去しかば。只是挿頭の花を散し掌の中なる玉をうしなへる心地しつ。よしやいかに推辞とも。この日来強て本意をとくべかりしものを。今は悔ともそのかひあるべうもあらず。宝の山に入りながら。手を空しうせしこそ遺憾けれとて。ひたと呆れて居たりけるが。なほ思ふところありて。畷女等をば追はず。軈て隣れる寺に至りて。住持に對面し。さていふやう。それ」がしは御寺に近く住む。向坂甚内といふもの也。しかるに愛妾畷女といふものを。當院の同宿道哲とかいふ悪僧に偸まれたり、彼等この日来。笆越に相語よるを。われもをさ/\しりてはあれど密夫は出家の事なり。をり/\女に教訓せば。おもひかへす事もやとて黙止せしに。今宵わが家にあらざるを見て。密會折しも。それがし不意に立かへりて。その顛末を責問に。彼等いひとくに言葉なければ。周章きて奔去ぬ。定めて寺内に〓居べし。彼畷女は全盛比なき遊女なりしを。それがし如此々々の金をもて身價を贖ひ。近曽家に迎とりたるに。彼僧いちは」1 やくよばひて。われを辱しむること。夥の金を盗み去りしにも勝れり。とく道哲と畷女を出し給へ。彼等をうちかさねて。〓て四段になさゞる間は。得こそ帰るまじけれと。いきまきあらく述たりける。住持はいふもさら也。所化等も曩に甚内が道哲を罵りたるを。笆越にもれ聞て。いと苦々しく思ひつるに。今甚内が怒れる気色にて。遽しく来たりしかば。こはよき事にはあらじと思ひながら。住持立出て。その事を聞。心の中まづ五分の恐怖を生じ。斑らかに冗たる頭を掻て答けるやう。道哲は甲夜に寺を出て今に帰らず。彼既に不義御身に見られ」たらんに。いかでか阿容々々と帰るべき。よしや帰り来ることありとも。かゝる愚者を舎藏て。嗅気を精舎に残さんや。彼道哲は。拙寺の徒弟にもあらず。父母の頼によつて。權く同宿となすのみ。しかれども。この事世に聞ゆるときは。わが寺の恥なり。畷女とやらんが身價は。道哲が父母に縁由を告て。贖せまうすべし。今夜はまげて帰り給へ。遠からずこなたより。有無の返答及ふべしといふを。甚内聞もあへず。われも是武士の果なり。覚期くてこゝへやは来たるべき。元来畷女が身價贖ん事をおもはず。はやく道哲と畷女出給へ。かく申つるに。なほ彼等を出し給はずは。和尚も又」2 わが仇也。縁由を聞えあげて。今にからきめ見すべきと。声高やかに〓りて已ず。所化等ま%\に勧解。故なくこれを帰さんとすれども。更帰るべき気色く。夜もやゝあけなんとすれば。住持にもてあまし。近曽本堂修覆んとて。諸方より寄進金二包まりありしかば。なほ彼是掻あつめて。これを甚内に取らせ。和睦證文一封をとりかはしけるにぞ。甚内はしすましたりとこゝろに咲み。件の金を懐して。わが家にかへりけるが。さすがに影護ありけん。二三日のゝち。俄頃に雜具運び出して。そのゆく所しれずなりぬ。住持甚内が立帰るとやかて」 甚内橋の仇撃
小妙は斯ともしらず。轎を傭ひて忙しくかへり来れは。畷女がいづ地ゆきけん。家にしもあらず。引ちらしたる硯箱のほとりに。一封の遺書あるを見て。こはいかにと驚きさわぎ。彼武士にも如此々々の故を告て。遺書を讀すれば。道哲が身に過なき」14 事の訳。又わが身遁世の望ある事などくはしう書しるし。義理に迫りて親に先たつ不孝を思へば。後の世もいとおぼつかなし。何事も過世の悪業と思ひ諦給へかしなど。筆のはこびもいとあはれに見ゆめれば。小妙は忽地後悔して。声を惜ず泣ければ。彼武士も痛しくおぼえて。さま%\にいひ慰め、みなもろともに鏡が池の畔に到れば。汀の松に袿を投かけて。はき捨たる草履も。なほあたゝか也。小妙はこれを見て或は恨み。或はうち歎てせんすべをしらず。さて件の武士は。水練を入れて畷女が屍を引あげさし。小妙には一包の金を与て」 粂平内が誓言」
そのとき粂平内左衛門は。猛に刀を引抜て。腹へがはと突たつれば。人みな大に驚きて。さま%\勦て故を問に。平内今般の声を励し。やよ必しも留給ふな。かくあらんは豫ての覺期也。まづ縁故を申べし。抑三浦の薄雲はこの平内が女児也。むかし某九州を流浪して東へ来りしころ。妻なるものいたく煩て。心地死ぬべく見えたるに。貧しければ醫療の便なく。稚き女児を三浦が家に賣て。藥の價としつれども。定業は脱れがたく。妻は遂に身まかりぬ。かくて女児は人となつて。名を薄雲と呼れ。全盛比なしと風の便には聞しかど。子を賣る親の身を恥て。一たびも信せず。しかるに庄司どのに馴れ睦み。川竹のためし」22 まれに。子さへ産ぬれど。命運薄く。貞操いたつらに。孤松はやく桔〓せり。されども彼が産たる子を。朝霧ふかく慈み給ふ事。義理を立て家を嗣せ。人の疑ひをとかん為也と思ひしかば。兄弟武藝を方ぶ日。わが孫には曲れる矢。癖ある馬に乗らし。又木刀の折たるも豫てかく拵おきて。金王丸に勝し。遂に家督となしたるは。平内が寸志ぞかし。加之瀬太郎出家して後。堕落の聞えありといへども。朝霧の方なほ憐ふかく。われを使として金銀衣服を送り給ふこと。しば%\なるを。たえて与へず。これを秘おきたることは。その金をもて。畷女とやらんが身を贖ひ。潜に刺殺して。道哲が惑ひの雲を切」 ○比舎〈○トナリ〉の小童この書を閲して余に問て云。向坂甚内。薄雲に手を負したれど。命を断に至らず。薄雲は庄司を怨み。自害してうせたるを。道哲母の仇として。甚内を撃けるはいかにぞや。経に曰。棄 恩入 無為報 恩者と。しかれば父母の仇なりとも。撃ざるをもて出家とするにはあらずや。余答て云。甚内薄雲を殺さずといへども。彼不良の所行をなしたるによつて。薄雲これを庄司が所為かと思ひあやまり。忿恨〈○イカリウラム〉してみつから死す。かくは甚内か殺せるにひとし。もし彼を仇ならずといはゞ。人」を殺して吾にあらず。兵〈○ハモノ〉也といふに何ぞ異ならん。且釋氏教を垂てより。不孝不義の仏あることを聞ず。縦仏家の徒なりとも。母の仇を撃ざるは不孝也。見よ道哲が容貌を変て仇を〓。已ことを得ずして甚内等と血戦し。不意に仇を報ひ得たる事。實に出家人の所為なり。好で人を殺すにあらざる事明けし ○亦問道哲は一箇の清僧として慮淺く。夜行を婦女子とゝもにしたるゆゑに。一たび堕落の譏を得たり。もし柳下惠にあらずは。俗家といへともかばかりの思慮はあるべし。といふ人あるは」29 いかに。答て云。夫命に吉凶あり。脱得ざるを禍といふ。世々の高僧厄難にあふもの夛し。もしその無量の權智をもて。何ぞこれを避脱れざる。これ天の命ずるところ。實に脱がたければ也。道哲が畷女と夜行せしも又しかり。千慮の一失ふかく咎るに足らず。かゝることなくは。いかで母の仇をしり。且その仇を撃んや。これ禍を轉じて福とするもの也。 ○亦問。朝霧が道哲に家を嗣せんとせしは。わが邪なきを明さんが為也。しかるを仇あることをも告ず。おのれ實母のおもゝちし、おめ/\と出家させたるはいかにぞや。余儼然として答て云。小子慎」め。婦人の淺見かくのごとき事いと夛し。もし婦人といへども。義理分明に。毫髪も誤なくは。この書に載する許多の人物。みな君子賢者なり。賢不肖。善人悪人。おの/\その行ふところ。成敗に就て勧懲をなすが。小説者流の夲意なり。悉皆君子賢者のみならば。何をもて勧懲の〓をとかん。 ○亦問。粂平内左衛門はいかに。答て云。彼は一世の任侠也。勇あり義あり。おもひあまりて心足らず。故にその死然を得ず。 ○亦問。畷女はいかに。答て云。この女子少許志気あり。しかれども甚」30 内いつはりの艶簡をもて。道哲を引といひしとき。彼憖に才学ぶりて。竊に法事ありと稱す。この故に道哲欺れて来れり。彼もし艶きたる書を贈らば。道哲決して来べからず。君子は欺べし陥べからずとは。夫この謂か。當にしるべし。道哲を陥るゝものは畷女なり。この報によつて。その身遁世の志を遂ることを得ず。終に鏡が池に投み。更に二代の高尾と生れ。亦憂苦に死して道哲が寺に葬られ。道哲は高尾によつて名いよ/\高く。高尾は道哲によつてその寂を示す。嗚呼故あるかな。 ○亦問。こゝに説ところは。半虚にして半實なるか。答て云皆虚なり」比喩なり。仏家に所謂善巧方便のたぐひと見て可也。 右金-聖-歎カ外-書。醉-卿祭-酒カ總-評ニ做テ蛇-足ノ辨ヲ添フ。恐ラクハ大-方之嗤-笑ヲ惹クシ。恥ツ可シ々々。
【参考資料】
叙言 識花に二度咲の花あり月に后の月ありはじめあればをはり初もの外題は緑の青表帋中はくれなゐの赤本花咲老漢の花と共にひらきて閲ばかち/\山の手に鋼鐵をならす戯作の本店曲亭馬琴子の作なりぬしはどうやら」口ノ1オ 見申た黄金の長者の郭通ひを發端とし浅草河原の暗闘月も朧の薄雲が亰町の猫通ひたる揚屋入の全盛話一寸太夫を雁金屋溶女が傳土手の道鐵甚内橋の縁故までいと信だちてうつしとりたる鏡が池の昔語引書は則洞房語園・丸鏡・事跡合考外が濱」口ノ1ウ 數本の書を参考し趣向をたてたる此繪草帋御評判はありそ海の巌に背を〓文亀堂の宿主如才の如の字もなき作に序せよといふにいな舩のいなみがたなく馬琴子かために月花の脇櫂を盪ていきまきあらく詈つゝ/あたるぞ/\といふ事/しかり 二、再刻本の序文 [土巷]談坡堤庵の序 青き葉の繁るが中に此頃は雨に色づく梅もめづらしと詠れたる五月雨のをやみなき徒然に例の書賈はつれ%\の伽草を思ひ出てや新著の冊子を小止なく乞るゝまゝに倭と漢土の古事を是彼と思ひ合すれど婦幼の愛よろこぶべきやすらかなるはなし種は最まれなりそれ」大聲は俚耳に不入と既に古人の金言ありそも童蒙の伽艸に君子の拍掌せらるゝ深理の妙説は馬耳東風の類ひなるべしと兼てはかりし戲文の著述なれば百年遺笑のわざくれと他の謗を心とせず唯一向に児女達の愛翫せる趣向を旨とすれば街談〓説の浅々しきを種としつ黄金長者の廓通に」序ノ1 むかし/\の物語を菱川の画の古くうつして三谷通ひを眼前にしるす廓の古雅風流彼薄雲が猫の故事澁谷の里の名にしおふ金王丸の名をかりては駒牽沢の稱をも稚く説て禿山継母が慈愛義士の傳堤の道哲の孝心悟道鴈金屋の畷女が薄命を鏡が池の水鏡に清くうつせし節婦の情」甚内橋の復仇に勾坂が積悪の報を示し粂の平内の因縁にむすび結びし江戸鹿乃子ゆかりを尋ぬる紫の一本芒武藏野の千艸の花の露しげきその名所を假用して百年餘りの星霜を經にし古跡の一奇談かたり傳えて耳近きを綴り合する坡堤の菴博識君たちの覧にはあらず」序ノ2 婦女子の眼気をさまし善を勧め悪を懲老婆心のみ 于時乙丑鶉月仲旬
昔々物語 そゝろ物語 事迹合考 江戸名所記 江戸咄 江戸惣鹿子 いなもの 浅草拾遺物語 両巴巵言 箕山大鑑 五元集 若菜合 諸買物重宝記 丸鑑 この類數夲 たきつけ草 洞房語園」5 紫一夲 菱川師宣繪巻物 奥村政信妓像折本 新著聞集 通計二十餘部
○黄金長者の廓通
○浅草河原の暗撃
○薄雲が猫
○兄弟の太刀合
○道哲が垣間見坂
○鏡が池辞世の和歌
○甚内橋の仇討
○久米平内左衛門が誓言
目録完」6
【挿絵第一図】8ウ9オ
ならざるものゝ花街かよひするは稀也。しかるべき艶冶郎。彼処に到らんと思ふのはじめ。隔なき友の功者なるに。意気地を傳受し。小袖袴刀など。もつはら時勢粧を盡し。よき伽羅をもとめて焼こめ。物のいひざま立ふるまひなども。その徒に笑れじとするほどに。稽古の間或は四五箇月。或は半年余に及び。しかして後その友に導れて。彼地に到るといへども。いまだ遊女を呼ばず。かくすること数遍にして。いよ/\風流の藪澤の趣を解し。さてはじめて妓にあひしとぞ。この故に銭なき人の企及ぶべきにあらず。人その衣裳の花美なると。ものゝいひざまの風流たるをもて。何がしは三谷か」9 よひするならんといひあへりしとかや。すべてそのころの武士は。路をゆくに袴のそば高くとりて膝をあらはし。膝頭の下には。紙を三角に折て巻著るを。三里かくしといふ。これ灸の迹をかくす也。髪は立髪。巻立その好にまかし。額立派に抜て。長き両刀を〓。巻羽織とて。羽織のさがりを前にて結びあはし。遊里にかよふ人は。ます/\かひ/\しく出立なり。こは何故ぞといふに。貴も賤も。男は柔弱なるを羞とし。途中に於ていかなる椿事の出来らんとき。走りまはりに便よくせんが為也。殊さら柳巷は繁花の魔処にて。ゆくも帰るも夜道」をもつはらとすれば。常よりもなほ一際勇く出立けり。[以上昔昔物語の説なり要を摘]今も稀に菱川師宣が筆に。その圖のこれるを見ることぞかし。又山谷かよひするもの舩に乗らず轎に乗らず。多くは馬にてかよへり。これを土手馬といふ。若菜合[嵐雪評]に其角が。
京町の猫かよひけり揚屋町といへりしはこれが事也。三浦が家は京町にありし。ゆゑに京町の猫とはいへり。この遊女全盛」
【挿絵第二図】12ウ13オ
比なかりし程に。年を經て花紫といふ阿曽比。衣服の模様に大なる猫をつけたり。是薄雲が全盛を慕ふもの也。[この圖奥村源八政信が妓女合の折本に見えたり花紫が定もんはむかふ梅也]かゝりし程に彼猫も。よく主に狎て。常住坐臥その裳にまつはる為体。あまりに怪しく見ゆれば。人みな薄雲は猫に憑れたりといひ罵る折しも。薄雲懐胎てけり。よつてますます風聞高くなりしかば。渋谷庄司傳聞て。いと浅ましくおぼえ。是より後は不通に交加せず。薄雲は夥の嫖客あれども。誠心もてあふ人は。庄司のみなれば。豫てより。わが身にかゝる事あり。こは全く君が子なり。産おとしなばよきに〓育」13 給はるべしとて。潜に聞えおきたりしに。今ははや臨月もやゝ近づきぬれど。絶て音耗なければ。心のうちふかく不審み。過にし春は夢にして。人の心に秋風のたつことは。かくも早きかと恨みながら。明白には人に語らず。片しく袖も涙に浸して。思ひ寝の心くるしきさへあるに。主人が老女をもて。汝が腹なる子の父は誰なるぞ。来ませる嫖客に心あてありやなど問るゝもいと悲しくて。この事はつや/\思ひわきまへ侍らずとのみ回答て。何事もいはず。さて月も満て安らかに産せしが。生れ出たるは男子なり。世にある人は氏族親族つどひて。さゞれ石の巖までもと祝くべきに。」遊女の子を産るは。いと羞也。とわれも思ひ。人も怪むめり。さるあひだ庄司にかくと書簡にしらして。情由を訴知さへ。筆もあやなく見ゆめれど。庄司はます/\気疎く思ひて。果敢々々しく回答もせざりければ。縦わが身にさゝやかナル過ありとも。誓しことを仇にして。その事は露ばかりも聞え給はず。かくも強面はいかにぞや。元来疎るべきおぼえそなし。こは嫡室の妬ふかきに怕れ給ふもの歟。又遊女に子をうませたりなどいはれんを厭ひ給ふかとて。とさまかうさま思ひやる程。鈍ましくも形なくて。昼さへ燃る胸の火の。よしやわが身は消るとも。此うらみ一たび聞えでやはと」14 憤激し。少し肥立て後。頃日の願ほどきに。浅草寺の観世音へ詣。路の次にゆくべき処もあればなどいひこしらへ。心しりたる老女と。妓有〈○ワカキモノ〉の男と只二人を將て。淺草寺へ詣るにも。いとゞしく心いそがれ。潜に渋谷に赴きて。面あたり庄司に恨を述んとて。思ひ定めしも哀れ也。
【挿絵第三図】17ウ18オ
【挿絵第四図】18ウ19オ
痍平愈するの後。しづやかに問考なば。事おのづからしることもあらんとて。ます/\看病等閑ならずぞもて扱ひける。かくて薄雲が痍は。日を追て少し愈なんとすれば。人みなよろこびあひぬれど。その身はこゝろ鬱々としてたのしめる気色もなく。ある夜人定て後。畜猫のこのころ病の床を去らず。物をもはか/\しく得食はで。いと愁るがごとく。この夜も主の枕方にありけるを見かへりて。汝は年来よくわが心をしりて。いふことをも聞わくるなるに。今聞えおくことを。よくなしてんや。わが身去年の春より。黄金の長者に馴まゐらせ。子まで」19 産たる誠心は。彼人ならで誰かはしらん。しかるに中ぞらに遠ざかり給ひぬか。恨のかず%\は。言の葉につくすべうもあらねど。面あたり思ふ程を聞えて。児を逓与し。わが身の随意になるをまちて。尼ともなるべくおもひ定め。いくそばくその心を竭し。潜に渋谷へ赴んとする途中。わが身忽地傷られ。命さへ危かりき。その時仇を何人とも認ねど庄司の君の人に命じて。かくはからせ給ふかとおぼし。熟縁故を考るに。わが身汝を鐘愛し。汝も又われを慕ふことのふかければ。世の人いたく怪しみて。あらぬ事さへいへりしとぞ。」わが身もをさ/\この事を。いと朽をしくは思ひながら。全く妬むものゝ讒言なれは。誰を咎むべきやうもなくて過つるが。もし庄司の君。この言を傳聞。畜生の子を孕るかと思ひ誤りて。ふかくも疎み給へるもの歟。又嫡室のもの妬み甚しくて。かよひ路に関を居。あはせぬかの二ッを出べからず。われ汝を愛するゆゑに。情郎に疎るゝならば。汝恩を禀て報ずるに。仇をもてするにあらずや。色を賣。媚を鬻なる遊女の。躯に痍をつけられて羞に羞をかさねたれば。とても存命果べきとは思はず。わが身なからん後に。汝彼君の家に至り。わが汚されたる名を」20 雪ぎ。清き志のほどをしらせよかし。わが身に父あれども。稚き時わかれまゐらせてより以来。たえて信もなし。今この事を委んもの。汝ならではありともおぼえぬに。よう心を得よかしとかき口説も。さながら人にものいふごとく。涙に胸のみふたがれと。人に聞れじとすれば声をだに得立ず。袂を顔に押あてゝ。しばし泣しづみけるにぞ。猫は只頭を低て。もろともに涙さしぐみけり。さてはいひつる事を聞わきたりと思ふに。いとうれしくて。しのび/\に書写たる一封をとり出て。猫の首環に結び著しかば。猫はいと名残をしげにて。高く」鳴つゝ外面へ走去りぬ。薄雲はこの景迹を見て。今は心安しとて。用意の剃刀を袿の袖に楚と巻そえ。既に咽喉をかき切らら(ママ)んとすれば。憖に嬰児の面影さへ目に見えて。覚期きはめし拳も撓み。思はず撲地と轉輾しが。打おどろきて身を起し。さてもわが子は果報なきものかな。由緒ある人の胤にはあれども。父とも鳴ぬ簑虫の。涙の雨にそぼ濡て。秋の蛍と消てゆく。母が顔だに認らぬ間に。死別する不便さは。うしとも憂しやうかれ女の。わかれといふは後朝に。うらみし鐘もけふは又。諸行無常を身にぞしる。親子の因。うす」21 雲が暗きに迷ふ子ゆゑの闇は。真如の月も出やらぬ。けふ晦日を命日とは。後にしりてぞ歎くべき。と思ふほど顕身の。息の内なる束の間も。名残をしやいと惜しやと。心のかぎり声立て。泣ぬは泣にいやましたり。これさへ今般の惑ひぞ。と思ひかへして眼を閉。念佛十遍ばかり唱つゝ。忽地刃に命を断て。暁の燈とゝもに消にけり。享年廾一才なり。天明て後に人はしめてこれをしり。頻に驚きさわぐといへども既に縡切れたれば。いかにともせんすべなく。主人は千々の黄金をうしなへる心持しつ。親きも疎きも哀悼て。そも何事のありて」
【挿絵第五図】22ウ23オ
自害したるかといぶかしめど書遺せしものなければ。縁故しるべうもあらず。元来薄雲に親兄弟さへあることを聞ねば。後の事も。主人よりよきにはからひて。榧寺とかいふ蘭若に葬て。跡叮嚀に弔ひ得させけり。しかるに浅茅が原に小七といふもの夫婦住みて紙を漉て活業とせしが。妻を小妙といふ。女児ひとりもちて。今茲五才になりぬ。極て貧きものなるに。彼小七久しく病て。いかにともすべなけれは。夫婦談合して女児を三浦が家に賣りて。金五両あまりを得たり。小七が児はなほいはけなけれども。こゝろざま」23 怜悧て。容止も尋常に勝れて見ゆれば。是を時雨と名づけて薄雲に領たりしに。いまだいくばくならで。薄雲身まかりしほどに。時雨はいたくうち泣て。哀慕やるかたなかりけり。こは日来薄雲が。彼を愛ること。子のごとくしたりしかば。稚ごゝろにも。その恩を感じてうち歎くめり。しからばなき人の調度などは。時雨にとらせよとて。これが母の小妙を呼て。縁由を説示し。薄雲が手道具を残りなく与へける。小妙は貪て飽ことをしらざるものなれば。今薄雲が横死して。おもひもかけず得つきたるをふかく歓び。両三」年はこれを賣食にして。その日をおくりしが。時雨八九歳に及びては。磨ざる玉のやうやく光をあらはすがごとく。顔とし%\に麗しくなりにければ。小妙ははじめ僅なる身價を得て。彼を手放したることを悔て。をり/\三浦が家に至り。小七が長病に手かはりして。看病するものゝなきを歎き。舊の身價を贖侍らんに。あはれ時雨をかへし得させ給へとてかき口説ぬ。主人もはじめの程は。たえて承引気色なかりしが。あまりにかこたれて已ことを得ず。身價五両を返し納させて。時雨が身の」24 暇とらせけり。小妙はかくたばかりて。時雨を將てかへり。一両月をおきて。ふたゝび堺町の雁金屋へ。三十両に賣しとぞ。三浦も後にこの事をしりて。ふかく憤るといへども。舊の身價を贖せたれば。明白に咎ことあたはず。時雨は成長の後全盛比なく。雁金屋の畷女と呼れしはこれなり。
【挿絵第六図】3ウ4オ
がこゝろより生じて。君が眼中にあり。是むかし眼を病もの。天を仰瞻に。かならず華を見るといふが如し。華は實に天にあるにあらず。眼の病のいたすところ也。君が薄雲を見給ふも。又しかり。理に暗きものゝ悟るべきにあらねば。亡者人間に往来するの談。公然として疑はず。尤一笑を發するにたえたり。心易かれ、それがし今夜その病根を除き候べしといふに。庄司大に歓て。潜にその事を示しあはし。この夜平内は人にもしらさず。庄司が〓の裾に躱れ伏して。時刻をまつに。遠き寺々の鐘幽に聞え。やゝ丑三とおぼしきころ。薄雲が姿。忽然とあらはれて。庄司が枕方」4 にあり。その形容長なる黒髪をふり乱して。雪より白き無垢の小袖の裳を引き。胸のあたりより溜り流るゝ鮮血は。負丘の山にありといふ。赤泉に異ならず。しばしまなじりをかへして庄司を疾視。又〓然とうち泣けり。そのとき妻の朝霧と。看病したる奴婢等は。屏風のあなたに睡輾て前後をしらず。平内も頻に眠を催すを。みづから志を励して睡魔を退けつゝ。今この景迹をよく/\見究め。岸破と反起て無手と引組。上を下へと挑みしが。平内が膂力尋常に勝れたれは。遂に妖怪をとつて壓。短刀を引抜て数回刺ほどに。やうやくよはりて動き得ず。衆」皆この胖響にはじめて覺。こは何事ぞとさわきまどふに。燈悉くゆり滅して物の善悪もわかたねば。とかくしてふたゝび燭を点して見るに。思ひもかけず平内は妖怪を刺留てありしかば。ます/\驚き怪みて。更に口を開くものなし。平内はしづかに刺とめたるものを引起すに。薄雲が幽霊と見えつるは。大なる猫なりけり。庄司はこれを見て。ふかく平内が智勇を賞嘆〈○ホメル〉し。かばかりのものに。久しく悩されたるこそ安からねといふに。朝霧は更に心を得ず。怪みおそれてその故を問は。平内首尾を説こと一遍。庄司も今は匿に堪ず。薄雲が近曽子を産たる事。又自害して亡たる事。且」5 頃日如此々々の物の怪ありしを。彼遊女が寃するよと思ひつる故に。たえて告ることもなかりけるに。粂氏の勇力によつて。その寃鬼ならざるをしれりとて。ありし事どもを物かたるに。朝霧はふかく薄雲が横死をあはれみ。遊女にして子を産は。父を定かに指がたかめれど。君と恩愛濃なりし事は。わらはもをさ/\しりてぞ侍る。しかるを忽地に疎み給へば。いかて些の怨なるらん。この怪みにあひ給ふも。ふかき故こそあらめとて。只顧に悔かこてば。闔宅の男女その事を聞て。駭然として舌を掉ひ顔うち見あはするばかり也。しかるに庄司は。重病頓に愈て。心持」
【挿絵第七図】6ウ7オ
清々しくなりしかば。やをら身を起して。死たる猫をよく/\見つゝ眉根をよせ。怪しきかなこの猫は。薄雲が愛やしなひたるものに露たがはず。しかもその首環に何やらん著たるあり。解て見給へかしといへば。平内はじめて心つき。忙しく取て朝霧に逓与すを。燈にさしよせて熟視れば。上に書おきとしるしたるにぞ。いよ/\不審て。血に塗れしを破らじとてしつかにうちひらきて讀むに。痛しきかな。薄雲が終に臨て書遺せし。水莖の蹟にして。はじめには身の形なきを書つらね中ころには庄司が薄情をうらみ。君が誓言の他なるより。われに誠心な」7 しとやし給ふ。かく子まで産せ給ひしを。外に見給ふは。こゝろ穢し。児の父は誰なりや。君こそよくしり給ひけめ。さめぬ枕に秋風のたてはにや。尾花がすゑも招きつくせど。たえて見かへり給はぬは。淺はかなる流言を。實事と聞て諱給ふか。さなくは内の物妬みに。指も食れんかとおどろ/\しくて。情なく過給ふなるべし。世に遊女に実なしといふは。譯だにしらぬむくつけ人のいひそめたりけん。嫖客にぞ虚言はおほかめれ。とてもかくても恨のかず%\。筆には筑波の峯より高く。みなの川の底測しらすべうもあらねど。憖に産たるは男児にて。面影もよく」君に肖て侍るなるを。明白に人にも告ざりし。心くるしさ。いかにあらんかとおもひ給へる。彼も亦母ありて父なくは。物ごゝろしりての後は。さそな悲しう侍るべし。一たび見えまゐらせて。この恨をも聞え。児を君に逓与しまゐらせて。わが身はともかうもなりなんと思ひ定め。神詣に假托て。君が住家へとて赴く折しも。君はやくもこの事を知て人をかたらひ。わが身をうしなはんとし給ふこそ。しうねくもいとおそろし。わらはが太刀をつけられし時。笄もてその人の耳を突破たる事など。よくしりて坐すべければ。くはしうは申さず。このころ家公の叮嚀に」8 勦りたまはして。痍も憖に愈なんとはすなれど。わが身數遍恥見せられ。剰身体に太刀の痕を著られて。彼こそ如此如此の女子よと。いはれんも面なきに。なでう存命侍るべき。よて今畜猫に一封をよせまゐらせて。おもふ事の十が二二(ママ)を聞え侍り。生あるものとて猫だにも。恩を感じては主の別を哀み。いふことをさへ聞わきて。かく使し侍るものを。君が怜悧御こゝろをもて。いかでか是非に惑ひ給ふべき。わが申つるを道理とも思ひあはし給はゞ。嬰児を養とり。成長ば法師となして母が菩提を弔はし給へかし。申さん事は是のみならねど。涙の」露もおきあまる。死出の道芝いそがれて。筆のはこびもあやなきを。よきに察し給へかしく。と書てそのおくに。
わが袖の蔦やしぐれてむらもみぢ。
と書とゞめたるは。刄に伏して懐を述。末期の一句としられたり。朝霧これらをよみをはり。いたくうち泣て夫に見すれば。庄司も今さらに胸さへさわぎて。軈てそのふみを巻かへして讀くだち。哀悼の涙禁ずることあたはず。寔にわれ慮淺して。よくその事を聞定めず。疎じ遠ざかりて一言を通ぜざれは。彼いたく恨を抱きて。死たるを。いかに悔るとも及ばねど。人を相語て殺さんと」9 はかりしなどいはれん事。いと朽をし。さて痛しき事かなとて。慚愧〈○ハヂイル〉して已ざれば。朝霧はいよゝいたく悲て。はふり落る涙をかき拭ひ。今この筆の迹を見れば。わが身物妬のふかき故に子まで産せ給ひし人を。わりなくあはせざりけるかと。疑れしこそ浅ましけれ。白銅鏡曇らぬ心はわが夫も。よくしろしめすべけれどその人既に死したれば。いかにいひとくとも。世の人口を掩がたく。草葉の蔭にてなき人に。怨られんも胸くるし。只このうへは薄雲の産りし児を〓とり。成長の後。家を嗣して。わが誠心をもしらし給へ。わらは又子とし慈み。あらき風に」
【挿絵第八図】10ウ11オ
も當じとて。かき口説つゝよゝと泣ば。平内掌を丁と打。今縁故を考れば。薄雲が疎れまゐらせしも。この猫の故なれば。彼畜生心ありてこれを朽をしく思ひ。主のぬれ衣を乾ん為に。おのれ薄雲の寃鬼と変じ。庄司ぬしを悩して。その身を殺し。終に人を感じ動して。主の宿意を果せる事。人間却て及ぶべからず。鳴呼忠なるかな義なるかな。こは/\不思議の因縁なりとて。頻に嗟嘆したりければ。庄司もふかく後悔し。猫をは薄雲が菩提処なる。榧寺に送りて〓させ。夥の施物をおくりて。薄雲が追善し。又猫の為にも経よませけるとぞ。今なほ彼寺に」11 猫塚ありといふ。さる程に庄司夫婦は。粂平内と相語て。三浦が家に人を遣し。薄雲が産たる児を養とりて。これを瀬太郎と名づけ。〓子金王が弟と披露して。乳母を〓て養育に。朝霧は瀬太郎を愛慈むこと。生の子なる金王にもまさりしかば。奴婢もおのづから等閑ならずおもひて。重く敬ひ傅きける。
【挿絵第九図】16ウ17オ
殺人。向上。極意。十字手裏劍。沓ほう身。手を摧て戦ふ処に。いかにかしけん瀬太郎が木刀。鍔際よりほつきと折れ。圏子の外へ跳出れば。衆皆夲意なき勝負かなといひあひぬ。朝霧はふたゝび太刀を更て。雌雄を決せさし給へとすゝむるを。庄司頭を左右に掉て。金王は既に弓馬の両藝に勝たり。よしや太刀合に負るとも。三ッにその二ッを得たれば。甲乙は明らけし。しかるを太刀合に全くその雌雄を析ずといへども。瀬太郎が太刀の折れたるは是天のしからしむるところなり。もし真劍ならは。いかでか太刀を更るに遑あらんといふに。平内も」17 宜ふ所大に道理に稱へり。みな金王丸の勝利なりと申せしかば。朝霧もあらそひ阻むことを得ず。ふかく望をうしなひて。心鬱々とたのしまず。かくて五七日の後。平内は庄司に瀬太郎が祝髪の事を申すゝめ。君などてはやく事をなし果し給はざるとさゝやきける程に。庄司げにとうけ引て。道玄坂のあなたに。年来庄司が帰依僧ありしかば。この聖僧に瀬太郎が剃髪の事を頼み遣し。袈裟僧衣度牒なんど。すべての僧具をとゝのへ。用意全く備りければ。庄司は瀬太郎を將て件の精舎に至る。聖僧すなはち二三十人の僧を聚會。鐘を」
【挿絵第十図】18ウ19オ
鳴し経を誦み。瀬太郎を剃度するよしを。三世の諸佛に告奉るに。剃手の法師。遂に瀬太郎が頭髪ヲ剃落せば。聖僧偈を授。度牒を与て。法名道哲と賜ふ。抑道哲法師は。その性淳朴〈○スナホ〉なり。元より兄を超て聊も家督たらんと欲する志なかりしかば。われを出家させ給ふこと。人の狐疑を避んとて。父のふかき慮より出たるなり。しかれは家の為にして。わが身を全さすべき。父母の慈にこそと思ひて。心の中却て歓び。是より師父に隨従し。僅両三年の修行に。はやく風播の論を究め。なほ八宗に渉猟せんとするの志あり。後世」19 この地を世田ヶ谷と稱ることは。瀬太郎法師。且くこゝにありし故なりといふ。又一説に道玄坂は元道哲坂なり。哲を玄に訛るのみ。しかれども土俗の傳ふところ。道玄は大和田氏。和田義盛が一族也。建暦三年五月。義盛滅亡のとき。この岩崛にかくれ住みて。賊となるといふ。かゝれば道玄と道哲は別人なるべし。
【挿絵第十一図】23ウ24オ
れども。柳を折り花を挿頭の少年なり。今畷女が艶妖なるにこゝちまどへりと猜して。次の日畷女にさゝやきけるは。われ近曽隣れる寺の悪僧が。汝を眷恋して。うつゝなきを見るに。いと傍痛し。彼を誑りて。こよなき遊びをせんと思ふなり。箇様々々なる艶書をおくりて。今夜彼を誑引よせてんやといふに。畷女眉根をよせて。さらぬだに。女子は罪障ふかくて。後の世もいとおぼつかなきものと聞くに。戯れにもあれ。法師を隨さんは罪ふかき所為にこそ。これのみは許し給へかしといはせもあへず。甚内眼を〓して。汝この日来。何事もわがいふ事をうけ引」24 ねど。われ思ふ旨あれば。いたく責ず。しかるをかばかりの事をさへ肯ぬとて已べきか。いかにいよ/\さはせまじきやとて。わりなく硯をさしよすれば。畷女思ふやう。今この事をうけ引ずは。この人それを幸にして。いかなる恥見せんも量がたし。よし/\すべきやうこそあれと思案して。書翰さら/\と書写けるが。艶書にはあらで。今宵こゝろざす仏事あれば。招き進らせたきよしを。男の手してものせしごとく。いと美しう書て。文箱におさめ。人をもて道哲におくらしけり。道哲これを見て。さてはこのころ旦夕に讀経する女子の。仏事営むにこそ。さらばこの寺の住職を」招ずして。われを呼ぶこと心得がたしと思ひながら。ふかく推辞べきにあらねば。行べきよしを返事しつ。さて日も暮にけれは。新しき袈裟衣を被て。甚内が家に到り。かくと案内したりければ。奥より女の声して。こなたへ入らせ給へと應て出迎んともせざれば。その声をしるべに。おくまりたる座敷に赴くに。このごろ経よみける女。只一人居て。よくこそ来たまひつれといふも。狎たるさまなり。道哲は坐につきて。そこら見まわせども。近きほとりには。持仏堂もなし。こは不審と思ふに。いひ出べき言葉もなくて。念珠つまくりて居たり」25 ける。浩処に主人とおぼしくて。いとすさまじげなる男。長き朱鞘の刀を横たへ。外面よりあらゝかに入りて。道哲を撲地と蹴たふし。この悪僧。いかなれば膽ふとくも。わが傍妻を犯しけるぞ。日来汝等が笆越に相語ひつるを。しらずとやおもふ。いかにしてこの怨を散べきと罵ること甚し。道哲は思ひかけざれば。顔うちあからめて起なほり。こは何事をか宣ふ。今宵仏事ありとて。招るゝに推辞かたけれはまゐれり。その手書なほ懐にあり。これ見給へとてさし出すを。甚内遽しく押開きて見るに。艶たる言語はなく」て。只仏事に就て招くまでの書翰なれば。案に相違せしが。さわぎたる気色もなく。から/\とうち笑ひ。かばかりの奸計は。縦小児なりとも實とはせず。汝等豫て示しあはし。もし見あやしめられば。かくいはんとて。書写おきたるにこそ。もしその剃立頭を打碎ずは。いかで實を吐出さんと罵ること。いよ/\高うなりて。書翰をとつて散々に引裂捨。赤松の下枝よりも。なほ堅かるべき拳を揚て。直に道哲を打んとするを。畷女立ふたがりて打せず。声を激していへりけるは。ぬしよく聞給へ。御身わりなくわらは」26 に迫りて艶書をかゝし。この清僧を誑引よせんとする謀は。われよくしりぬ。この清僧は。黄金の長者の愛子にて。物に乏しからぬ事は。人もをさ/\しりて侍れば。わらはを囮にして虎穴に陥れ。夥の金を虎落とらんとの下こゝろ也。しかれども。わが身出家人になまめきたる書を寄せ。こゝろ見られん事を厭ふがゆゑに。仏事ありと書たれば。實ぞとおもひて来給ひけん。もし艶書ならばなでう手にもふれ給ふべき。よしそれはとまれかくまれ。御身既にわらはに不義を許し給ふから。これを責ら」るゝ理なし。わが身今よりこの清僧を伴ひて退りなん。なほそれにても阻べき條ありやといふ。甚内は既に肚裏の計較を畷女にいひ當られしかば。いかにともすべなくて。只がや/\と罵りて已ず。そのとき畷女は道哲にむかひ。はからざる事にかゝづらひて。さこそ物憂おもひ給はめ。わが身は雁金屋の畷女と呼れたる阿曽比なりしが。命薄して。このむくつけ人に伴れ。針の席に坐するがごとく。更に浮世のはかなきを観念し。尼となるべき志願あり。今宵の因に弟子とも見給ひて。わらはがゆくべき処まで送」27 りて給はるべし。しかあらざれば。わが身この家を逃るゝことを得ず。身を捨て人を救ふは出家の常也。まげてわらはを助け給へかしといふ。そのいふ所偽ならず聞ゆれば。道哲答て。愚僧が過なき事を。かく明白に申とき給へば。ふかく推辞とにもあらねど。却人の疑を慝んかと思へば。さうなくはうけ引がたしといふに。畷女含笑て。彼百朋の玉は泥の中に投いれても穢されず。性空は室積に宿り。西行は江口に到る。しかれどもこれを〓ものなし。世の中をいとふまでこそかたからめ。假の宿をなど惜み給ふべきといへば」
【挿絵第十二図】28ウ29オ
道哲げに悟てすなはち送りゆかんことを諾ぬ。さて畷女はふたゝび甚内に對て。今も申つるごとく。既に許を受たれは。この清僧に伴れて退るなりといひかけて。つと外面へ立出れば。道哲も後方につきて。忙しく走り去。何地までか送らせ給ふと問に。畷女答て。わが家は浅茅が原にありて。こゝより路も遠からず。夜もいと深たれば。ひとりはいかでたどりゆくべき。寔に清僧の事によりて。わが身を脱たるぞ。こよなき幸にはありける。是も過世よりの因縁なるべきに。なほこのうへの惠には。彼処まで送らせ給へかしといふに推辞がた」29 くて。その家に到りしかば。畷女が母なりける小妙。縁由を聞。且道哲は黄金長者の愛子なりと聞て。心の中ふかくよろこび。この人と厚く交はば。得つくべしとおもひて。さま%\に款待し。わりなく留たりける程に。夜もしら/\と明はなれぬ。道哲はかゝる家に長居しつる事。究めて越度なれと思へども。悔てかへるべきにあらねば。東雲引わたすころ。別を告て帰らんといふを。畷女親子なほ叮嚀にとゞめ。とかくする程に早飯もりならべてもて出たれば。これをさへ推辞がたくて。飯たうべける間に。辰の刻も過ぬべし。さはいつまでか」あらんとて。尻切はきもあへず走り出て。わが寺ちかく来るころは。日もいよ/\高く登て。さすがに晴がましくぞおぼえける。今も金龍山のほとりに。垣間見坂あひそめ川など称る所あり。好事のもの道哲が事によつて名つくるかといへり。
巷談坡堤庵巻中畢」30
【挿絵第十三図】3ウ4オ
いそがはしく手書かいしたゝめ。心きゝたる所化二人に。物よくいひ含て渋谷へ遣はしければ。庄司住持の言語を聞且の手書披き見て驚き忿り。妻の朝霧にもしか%\の由を物たりていふやう。道哲が母の薄雲は。遊女にこそあれ頗志気ありしものなるに。彼が心ざま犬にも劣り。われ憖に這奴を出家せたるゆゑに。かくもこよなき面目をうしなひぬ。寔に憎てもなほ憎べしと罵りて。手づから返書を写め。住持が甚内にとらせたる金の外に二十両の金子を寺に布施し。二人の使僧にも二包の銀子を与へ。道哲もし立帰ることありとも。かならず憐をかけ給ふべからず。」4 われも又子とはおもひ候はじと。厳しく申遣しけり。是より先道哲は。畷女親子に引とめられて。已ことを得ず彼が家に夜をあかし。こよなき懈かなとおもふから。忙しく走り帰りて。つと入らんとすれば。門もる男門内へ入れ立ず。この悪僧いかに恥をしらねばとて。阿容々々と帰りつる事よ。其許か隣家の傍妻を盗去りたればこそ。院主は面目を失ひて。夥の金を取られ給ひぬ。さるによつて夜のうちより。使僧を其許の親里へ遣し給ひたるが。今ははや帰り来べきころなり。いたく打れざるを身の幸にして。とく/\脱去候へといふ。道哲」聞て大に呆れ。われは汚れたる行ひをなすものにあらず。前夜仏事ありとて。甚内とやらんが家に招れ。箇様々々の事によつて。已ことを得ず。浅茅が原へ。彼女子を送り遣しけるに。親子の款待いと切なれば。速に帰ることを得ざりしなり。よし/\。さらば彼甚内を伴ひ来て。身に過なきをしらすべしといひかけて。隣家に走りゆくに。家は寂として裡に人もあらず。よも遠くへはゆかじとて。しばし立在ども帰り来ず。あまりに思ひ惑ひて。ふたゝび寺の門前に到るとき。渋谷へ使したる両僧立かへり。道哲を尻目にかけて裡に入るを。道哲いそがはしくその袖を引とめ。身に」5 過なき一五一十を告て。師兄わが為に説明し給はるべしといふに。両僧答て。しかりといへども。その夜かへらずして人の疑ひを慝給へば。縦ひいかに宣ふ(ママ)とも。誰かこれを信とせん。是耳を塞で鈴を盗の類なり。加之甚内は名たゝる癖者也。憖に彼と爭はゞ。却て羞に羞を累る事もあらんか。畷女が身價は渋谷より贖ひ給ひたるが。尊父の怒殊に甚し。まづ何地にも身を〓し。いよ/\過なきに于ては。時をまつて勧解給へ。しからずは忽地捕れて。からきめ見給ふべしといひかけて門内に走り入り。そのゝちは出あふものもなかりしかば。道哲はます/\心苦しくて。とさまかうさま思ひたゆたひしが。後悔その詮あらざれば。すご」すごと立去て。再び淺茅が原に赴き。畷女親子に縁由を物かたりしていふやう。われ慮淺くして。こゝに一夜をあかせしかば。遂に人に疑れて。堕落の汚名を蒙たり。所謂宋襄の仁。微生が信。世の胡慮なること。身の愚なるより起れは。人を恨るによしなく。とても身ををく宿もあらねば。諸國を偏歴して。旅に死ぬべく思ふ也といへば。畷女聞てふかく驚き。こはみなわらはが過なり。よしや回國修行し給ふとも。人の疑をとくべきにあらず。背門方に空房の侍るなれば。しばし其処に住せ給へ。わらはよきにはからひて。遠からず御寺へかへしまゐらすべしといふに。小妙も又さま/\言を竭して慰めけり。道」6 哲はその言いとおぼつかなくはあれど。さし當て膝を容べき宿もなければ。ぜひなく件の空房を借りて。心にもあらぬ日をおくるに。畷女も痛しくおもひけん。ある日その草菴におとづれていへりけるは。かくて坐すること。さこそ胸くるしくもおぼすらめ。わらは元来遁世の志願あれど。しらせ給ふごとく。母は頑に慾ふかきものなれば。しばし折をうかゞふのみ。わが身尼とならば。御身に過なき事を。人もおのづから思ひ當りてん。燕雀は大鵬の志をしらずとかいふことあり。世の誹謗にかゝづらひて。道心を誤給ひそといふに。道哲は彼が気質の丈夫にも勝れるに感悟し。これよりして回國のおもひをたちぬ。さる程に朝霧は道哲が往方」
【挿絵第十四図】7ウ8オ
をいと心もとなく思ひて。潜に久米平内左衛門を呼ていふやう。道哲が色にまどひて。父の不興を禀たるは。彼が罪にあらず。出家は年長たるものだに。遂ることいと難しといふ。況廾歳にも足らぬ男子の。かばかりの過はあるべきことぞかし。彼定めて彼此に呻吟てやあらん。御身いかにもしてその在処を索。物乏しからぬやうに。心をそへて給はれかしと聞えて。一裹の金を逓与しければ。平内はこゝろを得て。しのび%\に道哲が往方を探問。既に浅茅が原にあることをしるといへども。いかなる心にや。彼金をわたさず。みづから索ゆくことヲせで。朝霧には彼人の在処もしれたれば。心安かれなど。よきにいひこしらへければ。朝」8 霧はふかく歓びて。その後もをり/\衣服金銀を。平内もて道哲に送り遣しけれど。平内はその人に与ずして。おのれ残りなくとりてけり。かゝりしかば道哲はしばしが程こそありけれ。既に貯禄盡ていかにともすべなし。畷女が母の小妙は。道哲が父は冨たる人なりと聞て。金を貪りとらん為に。信やかに款待たれ。今そのよるべなきを見て。はじめにも似ず。とく出てゆけかしと思ふ気色なるを。畷女はいと傍いたくて。母を諌るに。小妙はうち腹たちて。なほかしがましく罵りける。道哲はこれらの景迹を見るに久しくこゝにあるべうもおぼえず。あまりに慰かねて。ある日」橋場のかたに〓佯し。路の傍なる茶店に尻をかけて。二三椀の茶を喫し。墨田川原にゆく舩の跡なきを見ても。憶良〈○ムネヨシ〉が言の葉さへ思ひ出られ。[万葉集山上憶良が歌に世の中は何にたとへん朝びらきこき行舩の跡なきかごと]わが身の形なきをはかなみけり。そのときあるじの婦道哲を熟視て。聖僧はこのごろ浅茅が原に坐する。黄金の長者の愛子。道哲法師にておはすべし。わらはは聖僧の實母。三浦の薄雲太夫につかはれたる女の童なり。近曽年季果て。この家に嫁り侍りといふ。道哲聞て不審み。わが母は朝霧と呼れ給ひて。父の嫡室なり。別に母ありといふことは甞聞ざるものをといふ。彼婦かさねて。さて」9 は縁故を得しらでや坐する。聖僧は花街にて生れ給ひ。箇様々々の事によつて。襁褓より渋谷へ〓ひとり給ひたるなり。その故は如此々々なりとて。薄雲が始終をおちもなく物がたり。またいふやう。薄雲の君。浅草にて人に傷られ給ひしとき。笄をもて仇の耳垂房をつらぬき給ひぬ。その手にて死し給ふにもあらねど。この故にこそ自害してうせ給へり。しかれば彼癖者が殺せしにひとしとて。そのころ人みな申あへりと告るに。道哲ははじめてこの事を聞て大に驚き。彼婦にはよきに回答て其処を立出。つく%\と思ふやう。われけふまで産の母をしらず。又仇あることをしらず。かゝる」故に父わが身を法師にはし給ひけめ。こはみな實父養母の深き慈みなりとはいへとも。今不意に母の仇ある事を聞くこと。神明假に彼婦に托して告給ふかとおぼし。非如禅録に。父母為 人所 (されて)殺無 一挙 心動 念方始名為 初發心菩薩 とありとも。父母の仇を報はざるは人倫の所為にあらず。むかし禅師公暁。父の仇実朝を撃。識者論じて云。公暁仏門に入るといへども。實朝は父頼家の仇なり。これを撃ずは有べからず。當時これを否して。悪禅師と稱るは。凡智の決断浮薄の至也といへり。われ今弥陀の利劍を引携。母の仇を撃て。孝養に備ふべし。しかはあれ。三衣を着」10 して人を殺さんは仏の御意に叛けり。とせんかくせんと思ひたゆたひしが。佶と心つくことありて。直に浅茅が原に立かへり。その事とはなしに畷女親子にいへりけるは。わが身安然として女あるじに養るゝこといと心くるし。人常の産なければ。常の心なしとて。兼好は阿部野に莚を織たりときく。われもさばかりの事をばなして。口を餬するのたつきとすべきなりとて。次の日より頭巾をもて頭を果み。僧にもあらず俗にもあらぬ打扮して。名を長官と稱へ。日毎に街に出て。人の耳の垢をとり。僅に一銭を乞て。生活とせり。そのこゝろ耳に痍ある人に」
【挿絵第十五図】
あはゞ。探問て母の仇をしらんが為也。されは耳の垢とり長官とて。その名いと高く聞え。惣鹿子第六巻にもこれを載せ、又英氏の筆にも。その圖をのこせり。かくて半年あまりを經たりけるに。ある日。年のよはひ五十を過たる武士。小妙が家に来りて。何事やらん相語事半〓あまりに及びしが小妙はいとうれしと思ふ気色にて。畷女を物かげに招き。目今おくに坐する人は。富家の長臣にて。御身を殿の妾に進らせなば。夥の金を給はらんと宣ふ。しかれば是親子もろとも浮みあがるべき條なり。轎をはこなたよりせよと宣はすれば。われは」12 ゆきて轎夫を傭ひ来べし。御身ははやく髪をもとりあげ給へかしといふ。畷女聞て呆れ果。こはふしぎなる事ヲ宣ふものかな。わが身一たび親の為に花街に身を賣。思はぬ人に伴はれしを。辛じて脱れ得たれば。今は心安く世をわたらんと思ひつるに。またもや金にこゝちまどひ。給事せよと仰するは。こゝろを得ず。この事のみはゆるし給へといはせもあへず。小妙大に腹をたてゝ。さては親は餓て死ぬまても。御身は心のまゝに世を經んとやいふ。それは彼青道心に。妹夫のかたらひせし事などのあればなるべし。われも又人にゆるしたる言葉の。徒事とはならず。かく不孝の子に」かゝらんとおもへばこそ。憖に物をもおもへ。今は覚期究たりとうち恨て。庖丁の刀をとつて。既に咽喉へ突立んとするを。畷女忙しく抱とめ。やよ母御はやまり給ふな。わらは行まじといふにはあらず。こゝろに誓し事のあれば。とくにも承引ざりし也といへば、小妙少し気色を和げ。しからば目今ゆくべきか。いなその事は後に申さめ。しからばそれも偽りなり。母を活んとも死さんとも。御身が心ひとつにあり。とく/\回答し給へとて。しばしもまつべうあらざれば。畷女はなか/\におもひ絶。かくまで宣ふを。いかで推辞侍らん。さらば参るべしといふに。小妙は忽地かや」13 かやとうち笑ひ。げに賢くも聞わき給ひぬ。御身は母にかはりて賓を款待し給へ。いで一走りにゆきて来んとて。裳を〓て出去けり。畷女は豫てより尼となるべき志願ありしに。われゆゑに道哲を。あしさまにいはすること。いとねたくは思ひなから。遂には墨の衣に容をかえて。わが平生の志をも人にしらし。かの人の為に世の疑をとかんものをと思ひ定たるに。いま思はずも。この一件のことにかゝつらひ。宿志を果さんとすれば不孝に陥り。孝ならんすれは人に信あらず。とてもかくてもわが玉の緒の絶べきときなりとうち歎て。事の首尾を審に書」遺し。そのおくに
名はそれとしらずともしれ猿沢の跡を鏡が池にしづめばとかいしたゝめ。筆をおきもあへず背門より走り出て。鏡が池に投ける。あはれはかなき身の果なり。
【挿絵第十六図】15ウ16オ
送葬の助とし。いと夲意なげにかへりけり。かゝりし程に。道哲は。その夕ぐれに帰り来て。畷女が入水の事を聞。亦辞世の歌を見ておどろき哀み。はじめよりの物語して。畷女が遁世の望いと切なりし事を告れは。小妙はます/\後悔して泣より外の事もなし。かくてあるべきあらねば。その夜畷女が亡骸を。駒込鰻鱧縄手なる。正行寺に葬。楓玄少真とかや。四箇字の法名を。一片の石にのこしけり。さればにや道哲は。いよ/\志を励して。只一日もはやく。母の仇を報んとて。八百あまり八の町々を。縦横に偏歴するに。ある日鳥越橋のほとりに。人夥つど」16 ひて。しかた咄を聞居たれば。この群集に目をつけて。外の方に立在。耳の垢をとらせ給へ/\と呼はりぬ。このときしかた話に名たゝるものあまたありて。長谷川町に鹿野武左衛門、横山町に何がし休慶。中橋の四郎斎。伽羅小左衛門なんど。[惣かのこに出つ] みな利口能辨なるものどもなり。今こゝに人をつどへたるも。その類にて。洛に名を得てし。露の五郎兵衛。ひやうたんかしく等には勝るとも。劣るべうはおぼえず。平家物語の斎藤瀧口時頼入道が。嵯峨野に隠遁したりけるを。横笛といふ女房が尋来たれども。瀧口は遂に逢ず。そのゝち横笛」も尼となりて。瀧口がもとへ歌をよみてつかはしける事を。今の世の事にとりまじへて。いとあはれに物かたれば。人みな嗚呼と感じて已ず。この長ものかたりに思ひの外日も暮にければ。みな/\おのが家路へとて出去ぬ。しかるに向坂甚内は。往に金龍山のほとりを立去。この鳥越は舊住ける処なれば。橋のこなたなる小家に引うつり。ふかく籠りて居たりしに。今道哲がひとり橋をわたりて来るを見て。ねたくやありけん。夥計の悪棍五七人と示しあはし。既に近くなるまゝに甚内遽しく刀の笄をぬき出し。吭をめがけて丁と打を。道哲右の袖に受とめ」17 たり。彼逃しそと呼はれば。悪棍どもはら/\と走りすゝみ。打殺さんと鬩ば。道哲も已ことを得ず。戒刀を引抜て。しばし挑み戦ふといへども。彼は大勢なれば勝べくも覚ず。仇を撃べき身の。よしなき盗賊などの為に死んは朽をし。いかにもして切抜んと思へども。輙く脱すべうもあらざれば。右に當左に當。千変万化して戦ふ折しも。編笠ふかくしたる武士。物のかげより走り出件の悪棍等を切たふすこと。杖もて草を拂ふが如し。道哲はこれに力を得。甚内とわたり合て諸膝薙たふし。とゞめをさゝんとて。月影によく見れば。思ひもかけぬ向坂甚内なるが。耳垂房に舊き疵」
【挿絵第十七図】18ウ19オ
あり。此ものもしわが母の仇にはあらぬかと思ふに心うれしく。首かき切て立あがれば。悪棍どもゝ残なく撃れ。助太刀したる武士もいづ地行けんふつに見えず。さて道哲は。心しづかに甚内が打かけたる笄をぬきて見れば。蔦のもんを彫つけて。その下に
しのぶには明やすくとも朧月 薄雲とあり。さてはこの笄は。わが母の。甚内が耳をつらぬき給ひたるとき。彼奪とつて。刀につけたりとおぼし。しかればはからずして仇を撃。又ふしぎに助太刀を得たる事。神明仏陀の冥助あらせ給ふならんと思ふに。いと尊くも忝く(ママ)て。仇の首を袖に裹みて。浅茅が原へ立かへり。はじめて日来」19 仇をねらひし事を。小妙に物かたるに。小妙は道哲が実母を。三浦の薄雲なりと聞て。ふかく驚き怪み。女児畷女がいとけなかりしとき薄雲に使れたりし事。又わが身の悪心にて。雁金屋へ賣かえたることなど。聊も藏さずいひ出て。慚愧すること限なし。道哲もこの物語にあやしき縁しを感嘆し。小妙に実母の墓処を聞てふかく歓び。その夜潜に薄雲が墓に参詣し。仇人甚内が首を手向。年来母の墳墓もしらず。近きほとりにありながら。徒に過ぬる事を悔歎きぬ。寔にはからずして志を遂ること。橋場の女が一言によればとて。道哲は次の日彼茶店」に尋ゆくに。こゝかと思ふ家もなし。あまりに不審ければ。是彼と人に問にしれるものもあらず。これも又一ッのふしぎなり。もし亡母の假にあらはれて。仇ある事を告給ふかとて。縁由を小妙にも物がたり。数行の感涙にむせびけり。彼甚内は。世に聞えたる悪棍なるに。その支黨等に至るまで。こと%\く撃れしかば。里人等ふかく歓び。それが住けるほとりの橋を。甚内橋と呼ぶとかや。かくて道哲は日本堤のこなたに草の庵を締。たえず念仏して。現世には父母兄の延命を祷り。又亡母薄雲と畷女が後世を弔ひ。行すまして居たりける。さる程に道哲が仇撃の事。且道心堅」20 貞なる事ども。世に高く聞えしかば。はじめ疑ひて。追遣ひたる何がし寺の住持も。ふかく慚愧後悔し。みづから日本堤の庵を訪ひて。往には甚内にはかられて。かゝる清僧にぬれ衣を被せたる事。わが慮の淺きに起れりとて。いと叮嚀にこれを勧解。又渋谷庄司が家に到て。縁由を告。親子再會の事を申すゝめければ。朝霧はいふもさら也。庄司もふかく歓びて。さらば對面を遂べしとて。両三日の後朝霧、金王丸。平内左衛門等を將て。道哲が菴に赴きしかば。道哲はこは思ひかけずとて。忙しく出むかへ。わが身の懈によつて。且くも父母を苦しめ奉りたる罪」いとふかし。しかるを却てみづから訪せ給ふこと。勿体なしとよろこび聞えて兄金王平内等にも別後恙なきを祝し。さて神仏の冥助によつて。はからずも実母は三浦の薄雲なる事をしり。不思議に仇人甚内を撃とりし事。亦畷女が事など。是彼審に物がたれば。みな頻に嗟嘆して已ず。朝霧はわきてうれしと思ふ気色にて。道哲に對ひ。縁故をしり給はねば。なほ不審もあらんが。御身はわが為に義理ある子なれば。いかにもして家を嗣せんとて。さま%\に心を竭せしかど。命運の〓るところは。人の力に及ばず。元わが身は庄司どのゝ前妻撫子と呼れし人の婢なりしに。撫子世をはやくし給」21 ひて。わが身幸に殿の鐘愛を蒙り。後妻とまでなりあがれど。その貴賤を論ずるときは。薄雲どのと異なる事なし。しかれば金王も母は又賤しきものを。彼に出家さして。なき人の菩提を弔せ。御身を家督として。一トたび疑れしわが身の清きか濁れるかを明さばやと思ひながら。その事を告んには。御身も又義理にかゝつらひて。固辞たまふべきかとて。遂に実の母ある事を。告ず過にし悔しさよと。年来思ふことのかぎり。涙とゝもにかき口説ば衆皆その節操を稱讃〈○ホメル〉し。道哲は忝さに。不覚に落涙したりける。
【挿絵第十八図】23ウ24オ
はらはばやとて。如此はかるに。思ひの外に彼等に穢たる行はなく。畷女は遁世の望かなはざるヲ歎き。忽地鏡が池へ身を投たり。こはわが一生涯の誤にして。慷慨言葉に竭しがたし。又いぬるころ道哲が。鳥越橋にて向坂甚内等にとりまかれ。いと危かりし折しも。某幸に行かゝり。悪棍どもを切殺して。輙く母の仇をうたせき。亦薄雲が仇を。向坂甚内としりたるは。むかし浅草河原にて。彼が傷つけられしと聞えたるころ。女児が仇人やは迯さしと思ひながら。絶て人にも語らず。潜にこれを探り索るに。向坂甚内といふものゝ所為なるよしを告るものあるによつて。しのび/\に是を狙撃んとはかるに。忽地逐」24 電して。この十七八年は音つれを聞ざりしに。天運循環して宿志を遂。しかも孫が助太刀せし事。老後の満足何かこれにますことあらん。かくては朝霧の方に邪なきことも。明かに世に聞え。今亦道哲が堅貞なるを見るからは。たえて心残ることなし。只悔らくは。壮年には貧に迫りて女児を賣。老ては賢女畷女をころし。剰朝霧の方の。道哲に給はりける金銀衣服を。速に逓与ざりしこそ。慾にせずとはいひながら。かへす/\も面なけれ。この誤あれば。皺肚かき切て。懺悔の一句を遺すのみ。縦身は今亡ぶるとも。わが靈ながくこの土にとゞまり。世に縁遠き女子の為に。よき夫を得さすべし。これ」畷女に志を遂させざりし。因果を後に示すもの也。庄司どのゝふかき庇は。今生に報ひ盡さす。ねがはくは子孫の守護神となつて。家門繁昌あらしむべしといひ訖り。直に刀をとりなほして。吭かき切り死にけり。道哲が哀悼はいふもさら也、庄司夫婦金王丸も。且驚き且哀み。渋谷に扛しかへりて。あつくこれを葬りける。その折しも平内が所持の調度を展見れは。朝霧より受とつたる。金銀衣服には。悉く封をして。このうち金いくばくは。畷女が葬式の料として。その母小妙にとらせたりと書写してありしかば。庄司が一家の男女。ます/\これを感嘆す。さて朝霧は。その」25 金をもて平内が石像二躯を刻して。一體は淺草寺の内に安置し。又一體をは畷女が菩提処なる。駒込鰻鱧縄手。正行寺に安置せり。正行寺平内か石像の傳。江戸砂子續編に見えたり。されば今の世の婦女子。婚縁のねがひあるもの。書翰を平内が石像におくれば。驗ありといふ。又。朝霧は。畷女が菩提の為に。淺草寺後門の辺に。地藏〓一尊を建立し。畷女が遺書を文箱に入れて。〓の御手にもたしまゐらせけり。今文箱地藏と稱るは是なるべし。かくて渋谷庄司は。朝霧金王等にも思ふ程を聞えて。道哲が草庵を修造し。一箇」の大刹となさんとするに。道哲かたく辞していへりけるは。父母の鴻恩莫大なるを。愚意をもて推辞奉るべきにあらねど。わが身寸分の徳なくして。一寺開山の祖師と仰がるべき謂なし。なほ仏道修行年を積ての後。道高き沙門を招待して。開山とせまほしけれと申すにぞ。父母その清潔にして名聞に拘らざるを感じ。強てこれをすゝめず。道哲は一生件の草菴を守りて。實母薄雲。外祖父平内左衛門。畷女の為に常念佛して。二六時中称名の声を絶ず。程經て念誉上人を開基として寺とはなしぬ。さるによつて道哲は。常念仏發端」26 の願主なれども。この僧高名なるが故に。世の人開山のやうにおぼえ。今もて土手の道哲と稱ふ。道哲齢かたぶきたるころ。三浦の遊君二代の高尾。故あつてこの寺に葬り。法名傳誉妙身といふ。件の高尾は。ふかく楓を愛せしとて。墓の傍に一株の楓を栽たり。しかるにいと怪しかりけるは。高尾が没する日。畷女が墓碑の楓玄少真といふ四箇字の法名。楓の字忽然と消て。玄少真の三字のこれり。少に玄をそえて〓となる少真〓身。真身同韻にて。畷女と高尾が法名の自然と似かよひたるのみならず。高尾が墓に楓を栽れば。畷女が墓の楓といふ字消ること。正」
【挿絵第十九図】27ウ28オ
に高尾は畷女が後身にて。遂に道哲が寺に葬らるゝこと。過世の因縁によるかとて。聞く人竒異のおもひをなしたり。當寺に安置するところの汗かきの阿弥陀如来は。安阿弥が作にして道哲が持仏なり。この外高尾が襟掛地藏。同所持の羽子板を藏む。みな世挙てしるところなり。是より先畷女が母の小妙も。既に先非を悔て頭を圓め。浅茅が原妙亀山のほとりに。菴を締び。八十餘才にして往生せしとぞ。こはみな巷談街説に傳ふるのみ。敢その虚實を論ぜす。拙き筆を走らするものは。只婦幼の為に善を勧。悪を懲さん為也かし。
巷談坡堤庵巻下 畢」28
附言
○亦問。渋谷庄司はいかに。答て云。愚にあらず。賢に遠し。
編者 曲亭馬琴子 筆耕 嶋五六六謄写 画工 一柳齋豊廣
剞[厥刀] 綉像 朝倉卯八刀 筆耕 三猿刀
文化五戊辰年 江戸通油町
正月吉日發販 村田次郎兵衞
同日本橋新右衞門町
上總屋忠助梓
巷談坡堤庵巻下 大尾」31
一、後摺改竄本京山序
文化午の春」2オ
飯台児山丹花の窗下に
曲亭馬琴誌[乾坤一草亭]
松亭金水書[印]」
四、再刻本の口絵
# 「愛知県立大学文学部論集」(国文学科編)第41号 1992 所載。
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# 高木 元 tgen@fumikura.net
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