『貞操婦女八賢誌』(三) −解題と翻刻−
高 木 元
【解題】
前号に引き続き、『南総里見八犬伝』の改作である『貞操婦女八賢誌』二輯を紹介する。
題名からも分かる通り、本作では八犬士に相当する主人公達を八賢女(女性)に変えている。しかも、原作で犬塚信乃が女装して育てられたことを踏まえて、信乃に相当すると思われる於梅(梅太郎)は男装にて育てられ変生男子と記される。この第二輯では、もう一人の女装して登場する犬士である犬坂毛野に相当すると思われる於亀が登場する。石浜で舞子をしていた於亀は若衆に身をやつして扇ヶ谷定正の寵愛を受けた愛嬉の屋敷に奉公することになる。つまり、女装の犬士を、男装する賢女と逆転して設定しているのである。
また、犬塚信乃の伯母夫婦である亀笹・蟇六や、犬山道節の乳母であった音音と〓平の面影をもった登場人物を描くなど、細かく原作を踏まえた人物設定がみられる。その一方で、第二輯では原作の筋からは離れて、於亀の出生をめぐる事情が、真間の里や市河(市川)、松戸など下総を舞台として、八賢女が生まれる前の親たちの世代のことが述べられている。
その後、芳流閣の場面を踏まえた場面に展開していくが、地上の高楼ではなく、船施餓鬼のためにしつらえた大船の三重の楼上が舞台となる。その船楼の上で梅太郎とその捕縛を命じられた八代とが、互いに仲間とは知らずに闘う設定となっている。
原作に出てくる村雨丸の宝刀は、ここでは錦の古籏で作った笹蔓錦の御戸帳(仏壇や厨子前面の仏像周囲を飾るための美しい布)や蜀光の錦となっていて、やはり転々と所持する者を変えている。
つまり、八犬伝の世界という大きな物語の構造を借りての改作であるのみならず、実に細かい趣向をも転用しているのである。
なお、二輯巻之一巻末に「門人校合」として狂文亭・為永春江と狂詠亭・為永春暁の名が記されている。『〈正史|實伝〉いろは文庫』三編下巻にも「為永連校正著」として両者の名前が見えている。「校合」の実体が何を意味するかは微妙であるが、『いろは文庫』には「校正著」とあるので分担執筆を意味していると取れなくもない。春水工房には大勢の弟子(為永連)がいて執筆に参与していたことが知られている。具体的な作業内容は良く分かっていないが、木越俊介氏は「為永工房発・読本の作り方」(『江戸大坂の出版流通と読本・人情本』、清文堂、2013)で、「歌舞伎の作劇法をヒントに、場面の趣向をつないで。全体の筋を保つという行き方をとったのであろう」と述べられている。本作でも、同様のことが指摘できると思われる。
【書誌】二輯(3巻3冊)
書型 中本 18.6×12.5糎
表紙 濃藍色地に麻葉絞模様、丸紋中に一部に杏色を施した女性を描き散らす。
外題 左肩「貞操婦女八賢誌 三編 上(中下)」(13.3×2.7糎)。題簽の上部から柿色、下部から空色のボカシを施す。
見返 なし〔白〕
序 「序引\干時天保巳亥孟陽\最上羊齋戯題」(序一オ〜序二オ)
口絵 第一〜三図 見開き三図(丁付なし)。濃淡の薄墨による重摺りを施す。
内題「貞操婦女八賢誌 二輯巻之一(〜三)」
尾題「貞操婦女八賢誌二輯巻之一(〜三)終」
編者「東都 狂訓亭主人著」(内題下)
畫工「〈繍像|九員〉英泉畫」(口絵第一図)
刊記 なし
諸本 館山市博・早稲田大・西尾市岩瀬文庫・山口大棲妻・東洋大・東京女子大・三康図書館・千葉市美。
翻刻 前々号参照
備考 初輯を上下帙に分けたため、二輯の外題は「三編」となっている。序者については未詳。後印本の調査報告については後日を期したい。
【凡例】
一 人情本刊行会本などが読みやすさを考慮して本文に大幅な改訂を加えているので、本稿では敢えて手を加えず、可能な限り底本に忠実に翻刻した。
一 変体仮名は平仮名に直したが、助詞に限り「ハ」と記されたものは遺した。
一 近世期に一般的であった異体字も生かした。
一 濁点、半濁点、句読点には手を加えていない。
一 丁移りは 」で示し、各丁裏に限り」1 のごとく丁付を示した。
一 底本は、保存状態の良い善本であると思われる館山市立博物館所蔵本に拠った。
翻刻掲載を許可された館山市立博物館に感謝申し上げます。
【表紙】
【序引】
【序引】続き
序引
癡黠相去一間而巳矣於彼乎稱癡
於此乎亦黠人界總若斯矣若夫癡
黠二途兩惡之管轄耶曲亭於稗史
也具筆場中黠者教訓於小説里諺
也徹頭尾落癡黠乎不可亦知也曲」
亭疇有八犬傳大動看官奇観教訓
之癡情亦慕彼黠而之有八賢之擧
讀之能令看官感發名教樂地予於
是乎言癡黠相去頗一間々不容髪
今此擧癡乎黠乎曲亭之犬也蓋尭
狗之黠乎教訓之賢乎抑亦癡婦之」序1
賢乎犬賢国音相近矣才子八人不
才子八人其癡黠之間糺諸高場氏
焉尓
干時天保巳亥孟陽
最上羊齋戯題 [羊齋][常斐|之印]」
序引
癡と黠と相い去ること一間のみ。彼に於て癡と稱し、此に於て亦黠たり。人界總て斯くのごとし。夫れ癡と黠との二途のごとき、兩惡の管轄ならんや。曲亭の稗史に於ける、具筆場中の黠は、小説里諺に於ける教訓なり。
頭尾に徹して、癡黠に落つるや、不可なり、亦知なり。
曲亭、疇に八犬傳有り。
看官を大動して奇観たり。教訓の癡情、亦彼を慕ひ、之を黠して八賢の擧有り、之を讀めば、能く看官をして名教樂地に感發せしむ。
予是に於いて、癡黠相去ること頗ぶる一間々髪容れざることを言て、今此に癡と黠とを擧げ、曲亭の犬や蓋し尭、狗の黠、教訓の賢、抑も亦、癡婦の賢、犬と賢と國音相い近し。才子八人、不才子八人、その癡黠の間。諸高場氏に糺さんのみ
時に天保己亥(天保十〈一八三九〉年)孟陽(正月)
最上羊齋戯題 [羊齋][常斐之印]」序2オ
【口絵第一図】 由井濱の舩樓に二賢女錦を争ふ
扇が谷の八代 豊嶋梅太郎」序2
扇が谷侍女\腰越の海士乙女」
【口絵第二図】 稲村崎の女隱居 眞間の愛嬉 月色を翫ぶ
眞間の愛嬉」丁付なし
従女 従女 舞子亀太郎」
【口絵第三図】
女順礼
未知名
行くれて木の下蔭を宿とせば
花や今宵のあるじならまし
・唖方三人豊腹揃 〈全本|十五冊〉 〈爲永春水作|歌川國直画〉」
・〈芳薫|功話〉好文士傳 〈初編五冊|二編五冊〉 春水作 英泉画」丁付なし
【本文】
貞操婦女八賢誌ていさうおんなはつけんし 二輯にしふ 卷之一
東都 狂訓亭主人編次
第十三回 〈松戸まつどの里さとに嫖客ひやうかく桃李とうりを詠ながむ|侠氣いきぢに依よつて花衣はなぎぬ財主ざいしゆを嫌きらふ 〉
葛飾かつしかや真間まゝの手古奈てこなと詠えいじけん葛飾かつしかなる真間まゝの里さとに最いと有徳うとくなる郷士かうしあり其その名なを手古奈てこなの三郎さぶろうと号よび家いゑハ保元ほうげんの古昔むかしより源平げんぺい両家りようけの諸士しよしに會まじ
合はり私しの黨とうの地侍ちざむらひとともに公役くやくを勤つとめ二百八十にひやくはちじう余よ年ねん以來このかた連綿れんめんと相續さうぞくし
財宝たからハ蓬莱ほうらいの玉たまの枝えだ燕窩えんくわの子達貝こやすがいなんどゝ丗よに稀まれなるべき倚品きひんを集あつ
め家いへの四方めぐりに並ならべし蒼庫ぬりごめに収おさめつゝ毎年としごとの蠧拂むしぼしにハ遠近おちこちの人々ひと%\が便宜つてを」
もとめて珎器ちんきを一視いつけんなし度たきとて惱うるさきまで問とはれしとぞされバ巨きよ
萬まんの金銀こがねしろかね是これを算かぞふる逞いとまもなく金精こがねのせいの發音うめくなど四隣あたりの人ひとハ言囃いひはやせり加旃しかのみならず田園でんえん夥おほく持傳もちつたへ是これを奴婢ぬひ等らに農業のうぎやうさすれバ食用しよくように價あたいを出いださず
八千代やちよの末すへも這家このいへの衰おとろへる事ことハあるまじと思おもはぬ人ひともなかりしとぞ
其頃そのころ此所こゝより程ほど遠とふからぬ松戸まつどといふ驛えきの船着ふなつきに軒のきを並ならべし妓院いろまちあり戀こひが窪くぼの俤おもかげを移うつして最いと風雅みやびたる妓女あそびも夥おほく都みやこに耻はぢぬおもむきハ後のちの世よにいたりて聊いさゝか似にたる風情ふせいハなけれど昔むかしハ全盛ぜんせいの一廓ひとくるわなりしが此この妓院ぎゐんの中なかに千葉ちば元もととなん稱よぶ樓いへに花衣はなぎぬといふ妓女あそびあり天性てんせいの容貌かたち艶美うるはしく沈魚ちんぎよ落雁らくかん閉月へいげつ差しう・(ママ)花くわと唐人もろこしびとハ賞ほめたりけん美人びじんハ這等これらをいふなるべきか笑わらひを含ふくめバ海棠かいどうの」1
露つゆを帯おびて咲さきかゝるに勝まされり猶なほ梅うめの薫かほりを添そへて鴬うぐいすよりも清きよき音聲ねいろなれバ一席ひとたび這婦これに會くわいする者ものハ老人おひも若輩わかきも忽たちまちに魂たましいを天外てんぐわいに飛とはし命いのちをだも輕かろんずる嫖士うかれおのこの夥おほけれど花衣はなぎぬハ放逸きづいにして愛相あいさうを繕つくろはず問とひ來くる客人まろふどを強顔つれなく歓待もてなして帰かへしけるが其その艶色えんしよくの世よに稀まれなるを愛めでて猶なほ懲こりずまに通かよふが夥おほかり彼かの真間まゝの郷士がうし手古奈てこなの三郎さふろうも何日いつしか此この花衣はなぎぬに放心うかれて通路かよひぢの数かずを重かさね情なさけを運はこぶ事ことしば/\なれど抑そも/\花衣はなぎぬハ財たからに懐なづまず恣すがた(ママ)の風雅みやびたるに愛めづる事ことなけれバ三郎さふろうが人品ひとがら賎いやしからず殊ことに黄金こがねに富とみたれども更さらにうち解とけたる氣色けしきもなく不會訳ふあしらい(ママ)のみなせしとぞ 放下一頭それハさておき且説こゝにまた市河いちかはといふ里さとに森下もりした葉は守もりとて劒法けんほうの師範しはんあり其その一いつ子し春造しゆんぞうと」
いへる者もの歳齢としごろ二十才はたちばかりにして容貌かほかたちも美うるはしく聡明さうめいにして温和おんくわなりさハいへ壯年さかりにおもむけバ己おのが名なに呼よぶ春はるの花はなの盛さかりを思おもふ頃ころなるに四方よもの満山やま/\笑わらひ初そめて心こゝろに係かゝる白雲しらくもと視みまがふ弥生やよひの春情うかれごゝろに他ひとの噂うはさも好このましく松戸まつどの里さとに移うつし植うへたる櫻さくら山吹やまぶき今いまを盛さかりと聞きくからに漫歩行そゞろあるきも足元あしもと輕かろく或日あるひ廓くるわに趣おもむきしが花王さくらの盛さかりハ言いふも更さらなり物言ものいふ花はなハ籬まがきの中うちに咲さき乱みだれさも嬋娟あてやかに粧よそほひつゝ客待きやくまつ姿すがたの種々さま%\なる天津あまつ乙女おとめの人間にんげん界かいに下くだり遊あそぶかと疑うたがはる夫そが中なかにも一個ひとりの美娼みやびめ衣服ゐふくの模様もようもうるはしく濃紫こひむらさきの衣きぬの綾あやに梅うめの折枝おりえだと舞扇まひあふぎを彩色いろぞめせしを着きたる一際ひときは目立めだつ全盛ぜんせいの阿曽美あそびが妙たへなる姿すがたを春造しゆんぞうも暫時しばし站たゝずみて看惚みとれけるを彼かの娼妓せうぎも外面そともを看みるとて」2
不圖ゆくりなく春造しゆんぞうと顔かほを視合みあはせ何なにやらん心こゝろありげに微妓ほゝえみし面おもての美麗うつくしさ正まさに花月くわげつを譬たとへても情じやうの濃こまかきハ這この妓ぎに不及およばず風かぜに誇引さそはる伽羅きやらの薫かほりハ春造しゆんぞうの魂たましいを奪うばふされバ心こゝろ躊躇たゆたひて在ありける中うちに日ひハ山やまの端はに近ちかく没おちて入相いりあいの鐘かねを告つげ渡わたれど廓さとにハ時ときこそいたれりとます/\花街ちまたの賑にぎはひつゝ歸路かへりぢ忘わするゝ程ほどなれども有繋さすが初心しよしんの覚束おぼつかなくて意こゝろハ後あとに引ひかるれど堪こらへて家路いへぢに趣おもむきしが是これぞ惑まどひを發おこすべき因縁ゐんえんなるか春造しゆんぞうハ其その性さが正たゞしき生質せいしつなれども今日けふ烟花くるわにて不圖はからずも視みし俤おもかげの忘わすれ難がたく唯たゞ彼かの美女びぢよの顔かほばせの眼前めさきに去さらず在ある如ごとく思おもひ絶た〔へ〕へんと幾度いくたびか胸むねの烟けむりを拂はらヘども涙なみだに哽むせぶ愚おろかさを氣きハ悟つきながら捨難すてかぬる戀慕れんぼの情念じやうねん頻しきりに發おこり頓やがて」
心こゝろを決けつしつゝ翌日あけのひも松戸まつどなる妓院いろまちさして急いそぎ行ゆき 彼かの千葉ちば元もとの樓たかどのに案内おとないて如し此か々々%\の衣服ゐふくを着ちやくせし全盛ぜんせいの婦人ふじんハと花車くわしやに尋たづぬる節ときしもあれ彼婦かなたも同おなじ意こゝろなりけん問とはれて欲ほしき面色おもゝちの無端はしたなきを耻はぢらひながら傍輩ほうばいに相方あいかたとなられじとや却かへつて花車くわしやに囁さゝやけバ思おもふ同志どちなる初筵ういむしろ塵ちりさへすへぬ款待もてなしに最いと賑にぎはしき旨趣おもむきを爲なしたる後のちに花衣はなぎぬハ他見ひとめを深ふかく耻はぢらひしとぞ竒めづらしきかな這この美婦たをやめハ光ひかる中将ちうじやうをも見みかへらず巨萬きよまんの財宝たからも愛めづる事ことなく艶麗えんれい美貌びほう類たぐひなけれど情なさけに疎うとき遊君きみなりと蔭言かげごとされし程ほどなるに今日けふの初會しよくわいハ例いつもに變かはりて心こゝろを尽つくし春造しゆんぞうの氣きに叶かなへんと笑えましげに何体どこやら嬉うれしき模様もやうなれバ夥あまたの女童めのわらは唄女うたひめなんど集會つどひし者ものも悦よろこびて」3
弥いよ/\興けうをぞ添そへたりけるがはや夜よも更ふける頃ころになりて酒席しゆせきも大略おほかたに鎮しづまりつ閨房ふしどへこそハ伴ともなはれたり斯かゝりし程ほどにうち觧とけて逢瀬あふせも淺あさき所爲わざならず互たがいに語かたる縁えにしの糸いとの結むすび目め堅かたく誓ちかひさへ初うゐ見参げんざんの閨ねやの戸とに兼言かねごと泄もれなバ若為いかばかり耻はづかしからんと思おもふめり
斯かくて別わかれの後朝きぬ%\に暁あかつき恨うらむ鶏鐘とりかねも今朝けさよりぞして推量おもひやる丈たけも届とゞけど恋衣こひごろも着きせ着きせらるゝ嬉うれしさに傳染匂うつりが思おもふ懸想文けさうぶみ日ひに幾度いくたびか音信おとづれの聞きかま欲ほしきが互たがいにて雨あめの夜よ雪ゆきの厭いとひなく通かよふばかりか花衣はなぎぬも帰かへしともなき心こゝろから身みの爲ためならぬと悟さとしても知しりつゝ留とむる居續ゐつゞけに比目ひよくの契ちぎり淺あさからず赤心まごゝろ明あかす嫖客まろうどハ春造しゆんぞうの外ほかにあらざれど」
【挿絵第一図】
目めうつりの中なかに此この花はなあの梢こずえ\万丁連 兎喬
」4」
柳街ながれに立たつる悲かなしさハ金こがねなけれバ何事なにごとも任まかせぬ廓さとの口惜くちおしく亦また春造しゆんぞうも一年ひとゝせ餘あまり通かよひ詰つめたる夥おほくの費ついへ當世いまハ萬よろづに乏ともしくなりつ左有さりとて馴染なじみ重かさねたる傍輩ほうばいなんどハなか/\に義理ぎり機はり強つよく情なさけもありて互たがいの事ことと憐あはれめど二階にかいを守まもる老女らうぢよ等らハ顰面しかみつらするのみならず果はてハ通かよふを妨嫌いぶせく思おもひ出入でいりに関せきを構すへんとせり這この故ゆゑに春造しゆんぞうハ花衣はなぎぬを慕したへども逢あふ夜よを我われから憚はゞかりつゝ顔かほ見みるのみにて立帰たちかへる胸むね苦ぐるしさの多おほけれど通かよひし姿すがたを格子かうしの中うちにハ知しらさで過すぎし夜よもありけり係かゝりし程ほどにこがれ脳なやみてやるせなく一日いちにち逢あはねば三秋さんしうの思おもひに増まさる恋こひしさに身み揚あがりてふ所爲わざも數かづを覚おぼへず紋日もんぴ物日ものびの入銀いりめさへ果はてしもあらぬ憂うき思おもひ今いまハ着替きがへの衣裳いしやうまで不足たらぬがちなる謗そし」5
りを承うけて悔くやしくあれど詮方せんかたなく春造しゆんぞうも父ちゝの不興ふけうを蒙かふむり顔かほを合あはする事ことばかりも遠とふざかり行ゆく悲かなしさの中なかに便びんなき花衣はなぎぬハ經水つきのものの巡めぐりも止とまり今いまハたしかに懐妊みごもりたると推量おもひにけれバ其その由よしを春造しゆんぞうの許もとへ告つげ送おくり全まつたく君きみの胤たねなれバ出産うまれし節ときハ兎とよ角かくよと兼々かね%\相談かたらひ置おきぬれども任まかせぬ浮丗うきよをかこちつゝ泪なみだのかはく遑いとまなし這この時とき真間まゝの三郎さふろうハ花衣はなぎぬを恋慕れんぼして千々ちゞの黄金こがねを蒔まき散ちらせバ其その心こゝろにしたがひなバ春造しゆんぞうを見継みつぐに便たよりよけれど川竹かはたけの身みに立たて難にくき松まつの操みさほを張はり通とふし意地ゐぢ強つよくして過すごしたるに當時いまハ情人おとこの爲ためなりとも迫せまりし時ときに折くじけてハ是これまで辛苦しんくの甲斐かひなき業わざとなりなんのみか蔭言かげことに笑わらはれん事ことも恥はぢならめ兎とにも角かくにも春造しゆんぞう主ぬしに克々よく/\相議かたらひものせんと毎日ひごとに」
送おくる玉章たまづさハ認したゝめるさへ目めに立たちて心知こゝろしられし傍輩ほうばいにも隱かくすとすれど顕あらはるゝ情なさけの胤たねを妊やどせしまで言いはるゝ怨襟つらさ悲かなしさの中なかに哀憎あいにく春造しゆんぞうハ何なに腹立はらたてて在あるやらん居立ゐたちの路みちを断たつのみかハ啻たゞ一言ひとことの報文かへりごともなさゞる様ようになりしかバ花衣はなぎぬハいたく疑うたがひて偖さてハ不宜よからぬ人ひと在ありて讒言さかしらごとなど有ありしゆゑか譬たとへ奈可いかなる所爲わざありとも一旦ひとたび誓ちかひし丈夫ますらをの今更いまさら這この身みを捨すてらるゝハ余あまりといへバ情なさけなしと恨うらみながらも倩つら/\と過越すぎこし方かたを思おもひやるに其その馴染なれそめの花心はなごゝろ弥生やよひの空そらの空そらだのめ放心うかれごゝろに在おはせしを妾わらはのみこそ惑まどひ入いる恋こひの山路やまぢの露つゆ深ふかみ濡ぬれたる名なさへ立たてられて在あるばかりかハ無間日とふからず赤兒やゝも出産もふけて二個ふたりが中なかの不変かはらぬ誓ちかひになる事ことと樂たのしむ甲斐かひも情なさけなき他ひとの心こゝろと怨うらみわび千々ちゞに胸むねをぞ」6
痛いためける斯かくまで思おもひ煩わづらひ居ゐる身みとも知らねバ千葉元ちばもとの樓いへに通かよへる客人まろふどハ多分おほかた花衣はなぎぬの美形うつくしきに放蕩うかれて戀情れんじやうをいどみ爭あらそひぬ夫そが中なかにしも手古奈てこなの三郎ろうハ雨あめの日ひ雪ゆきの夜よの嫌きらひなく通かよひ續つゞけていどみしが今いまハ意氣地ゐきぢの憤怒いかりを發おこし或日あるひ花衣はなぎぬに向むかひて言いふよう奈何いかに其方そなたハ何事なにごとの心こゝろに障さはることありてか一向ひたすらに強頬つらくハ動靜ふるまひたまふぞ我われハ貴嬢おんみを恋初こひそめて此この樓やに問來とひきし最初さいしよより寔まことの情なさけハうけねども此この身みの赤心まごゝろを知しらせなバ何日いつぞハ觧とけて逢あふ夜半よはの雪ゆきの翌日あしたに止とめらるゝ嬉うれしき節ときも來きたるかと心こゝろを尽つくすを憎にくしとのみ扱あつかはるゝハ餘あまりにも心強こゝろつよしと怨えんずれバ花衣はなぎぬハ微笑ほゝえみて數かづならぬ身みを左程さほどまで戀したはせ給ふハ何いかばかり嬉うれしきことに」
侍はべれども斯かう賤いやしき川竹かはたけの瀬せにし立身たつみを金銀こかねにのみ任まかせ侍はべらバ誰たれとてか可愛かあいと看みたまふ事ことあらんや又また娼妓けいせいの意地いぢてふものハ財宝たからに乏ともしき嫖客まろふども心こゝろの誠まことあるときハ苦樂くらくを倶ともに誓ちかふこそこれ遊君たはれめの意氣地ゐきぢに侍はべり財主ぬしハ賤婦わらはを哀あはれみたまへど妾わらはハ生涯しやうがい金こがねのために身みを任まかせても心こゝろをバ任まかせじものと此この年來としごろ思おもひ定さだめて侍はべるなれ財主ぬしにハ他ひとに知しられたる通家わけしりにて在おはすれバ唯たゞ這この上うへのお情なさけに妾わらはの事ことを思おぼし止とまりて此この廓さとの中うちに多おほき遊君あそびの片屈かたくなならで丗よにかしこきがしかも姿すがたの美麗うつくしく金こがねを尊とふとみ侍はべるのが家いへ毎ごとにはべるから夫それ等らの許もとへ通かよはせたまへ妾わらはに尽つくさせ給ひたる実情まことの半分なかばを行なしたまはゞ奈何いかに嬉うれしく貴意みこゝろに随したがひまゐらせ」7
ざる婦女ものやハ在あるべきかならず妾わらはが無禮なめげなる言ことの葉はなりと思おぼしたまふな氣随きずいを申が財主ぬしへの寔まこと心こゝろにあらぬ艶言やさことハ却かへつて不実ふじつに思おもひ侍はべれバ艶つやなく返答いらへまゐらすのみ妾わらはの事ことハなき縁えにしと通路かよひち断たゝせ給はれかしと放はなれ切きりし花衣はなぎぬの言葉ことばに手古奈てこなの三郎さふろうハ其その夜よも不快こゝろよからずして欝欝うつうつとこそ帰かへりける
【挿絵第二図】」
斯かくて手古奈てこなの三郎さふろうハ倩つら/\花衣はなぎぬの事ことを案あんずれバ彼かの遊女あそびめハ價あたひを定さだめて西門さいもん東戸とうこの漂客うかれびとに身みを任まかすべき諚おきてある事ことを思おもはで機はりとやら意氣地ゐきぢとやらん我わが侭まゝなる返答いらへをせしを是これ迄まで温厚なだらかに會釈あしらひしこそ口惜くちおしけれ我われ壮年としわかくとも真間まゝの長者ちやうじやと稱たゝへられたる身みを以もつて一いつ賤婦せんぷの爲ために耻はぢしめられ其その侭まゝに止やみなんや真まことの心こゝろハ兎とも角かくも吾わが一旦いつたんの情じやうを果はたし彼かれが意地ゐぢを折くじきもせバ聊いさゝか男子おとこの所爲わざといふべしと一個ひとり心こゝろに問とひ答こたへて竟つゐに娼家くつわの主あるじに相議かたらひ花衣はなぎぬの身請みうけして宿やどの花はなとなして是非ぜひを言いはせぬ事ことこそよけれと黄金こがねに倦あかして千案ちば元もとに計はからはせ承引うけひき難かねしを無理わりなく押付おしつけ種々さま%\に欺あざむきすかし頓やがて花衣はなぎぬを手古奈てこなの家いへに送おくりしとぞ」8
第十四回ノ上 〈籠居こもりゐを出いでて春造花衣爲問しゆんざうはなぎぬをとはんとす|急雨きふうを除のがれんと圓通大士宿堂ゑんつうだいしのどうにやどる〉
下説異条それハさておき市河いちかわの里さとなる春造しゆんぞうハ花衣はなぎぬと深ふかく契ちぎり通かよひ路ぢの繁しげかりしかバ律義りちぎ一哲いつてつなる父ちゝハ大おほひに憤いかり竟つゐに便室ひとまに押籠おしこめて更さらに出入でいりの口くちを閉とざし他人ひとに逢あふ事ことさへも許ゆるさねバ唯々たゞ/\欝情うつじやうに迫せまり居ゐたりしが此この程ほど風聞ほのかに花衣はなぎぬの噂うはさありて彼かの娼妓せうぎハ或人あるひとに身請みうけせられて當時いまハ松戸まつどに在あらずといふにぞ毋親はゝおやハ其その由よしを夫おつとに私語さゝやき漸やうやく春造しゆんぞうの籠居こもりゐを許ゆるさせしが春造しゆんぞうハはじめて友人ともだちにも出合いであひ其その身みの押籠おしこめられて在ありし間あいだの事ことをくわしく聞きけバ花衣はなぎぬハ真間まゝの里さとなる手古奈てこなの三郎さむらうに身みを購あがなはれて彼かれが別荘べつそうに囲かこはれて」
在ある由よしを告つげられしゆゑ心驚こゝろおどろき憤いきどふりしが亦また倩つら/\と推察おしはかるに我われ押籠おしこめられて逢あふ事ことを断たちしのみか便たよりさへ絶果たへはてたりし其その中うちに真間まゝの里さとへハ贖あがなはれたるか兎とにも角かくにも花衣はなぎぬの心底こゝろのそこを問定とひさだめて實じつと不実ふじつを知しるべきのみと思案しあんを極きわめ或日あるひ何氣なにげなく家いへを出いでて真間まゝの里さとへ行ゆきたりしが折おりから秋あきの頃ころなれバ空そら定さだめなき雲くもの色いろ忽地たちまちに結陰かきくもりて雷いかづちの音おとひゞきわたり雨あめ俄にわかに降出ふりいでて凌しのぐ便宜よすがもあらざれバ彼方かなた此方こなたを見廻みまはしながら喘々あへぎ/\走はしりつゝ途みちの行路ゆくての辻堂つぢだうに漸々やう/\と欠入かけいりて濡ぬれたる衣絹きぬを絞しぼりなんどし幽かすかに照てらす燈明とうめうに唯看とみれバ篇額がくにハ金字きんじをもつて圓通閣えんづうかくの三字さんじを写うつせり正中まんなかの須弥壇しゆみだんの上うへなるハ海老錠ゑびぢやうかけたる一筒ひとつの」9
厨子づしなり春造しゆんぞうハ心こゝろに思おもふ様よう日来ひごろ信しんじて利益りやくを祈いのれバ只たゞ仮初かりそめに雨あめを凌しのぐにも救世ぐせ大悲だいひの觀音くはんおん薩〓さつたの御堂みだうにこそハ入いりしならん這こハ有ありがたしと三拝さんぱいしつゝ探さぐる手元てもとに線香せんかうの落散おちちりたるを拾ひろひとり火ひを移うつして是これを捧さゝげ普門品ふもんぼんを唱となへながら雨あめの晴はるるを待まちわびたるにます/\烈はげしく降ふりしきり雷光いなづまハ草くさの葉はを映てらし霹靂へきれき耳みゝを劈つんざくにぞ弥々いよ/\神咒しんじゆ數百篇すひやつぺん誦居となへゐたるに不測ふしぎや頻しきりに睡魔ねむりを催もよほしけるが此時このとき外面そともに人ひとの俤おもかげしてけれバ何者なにものなるかと伺うかゞふ所ところに烈はげしき風かぜの吹入ふきいりて燈明とうめうを吹消ふきけしたり 春「モシ何人どなたか知しらなひが雨舎あまやどりならバ早はやく此間こつちへお這入はいりなせへ私わたしも先刻さつきから此所こゝで霽間はれまを待まつて居ゐ」
ますトいヘど外面そともに在ある人ひとハ答面へんじもなさでしづかなるが唯たゞ潸然さめ%\と泣なく体ていにてまた赤子あかごの泣聲なきごゑ聞きこへけれバ春造しゆんぞうハ甚はなはだあやしみかゝる夜中やちうに嬰兒みどりごを抱いだきて來きたるハ何故なにゆゑと思おもひながらも透すかし見みて 春「モシくらやみでわからなひがたしか婦人ぢよちうと見みうけましたがなぜ此方こつちへハお這入はいりなさいません子 ハヽア聴きこへた私わたし一個ひとりだから此様こんな所ところで男おとこと女おんなの對座さしむかひハうしろぐらひ所爲わざだと思おもひなさつてか子 決けして私わたしやァお心こゝろをお置おき被成様なさるような者もんぢやァござゐませんサア/\御ご遠慮えんりよなしに此所こゝへ這入はいつて乳ちゝをお上あげ被成なせへ其所そこに居ゐなさつたといつても他人ひとが難否なんぴをいふ日ひにハ同おなじ事ことだサア モシ濡ぬれなひ中うちに此方こつちへお這入はいり被成なさいナ ト」10
言いはれて漸やうやく堂だうの中うちへ入來いりきたり春造しゆんぞうの前まへに彳たゝずみしばらく言葉ことばもなかりしが涙なみだをうかめてか(ママ)悲かなしき聲こゑにて 女「モシ春しゆんさんおなつかしふござゐますトいふ聲こゑ聞きいて春造しゆんぞうハうち驚おどろき 春「ヲヤ左様さう言いふ聲こゑハ花衣はなぎぬかへ何様どうしてマア此この雨あめの降ふる夜ばんに此様こんな所ところへ來きたのだノウト言いへバ花衣はなぎぬハしほ/\としていとゞ哀あはれな涙聲なみだこゑ 花「アノウ先日いつそかお前まへに別わかれてから子思おもひがけなく他人ひとに請出うけだされて私わちきやァモウ/\何様どんなに苦労くらうを仕しますだらふ其その前後あとさきの事ことを文ふみに書かいてお前まへさんの所とこへ知しらせて上あげても使つかひの人ひとがお目めにかゝる事ことも出來できなひければ文ふみをあげるたよりもなひと言いつて帰かへつて来きますしお前まへさんの」
方ほうからハ些ちつとも便たよりをしてハお呉くれでなひから相談さうだんをする人ひとハなし死しなふと思おもつてもお前まへの胤たねの赤子ねんねへが腹中おなかに居ゐると思おもふと慈愛かあいそふでそれも出來できませず其中そのうちにハ何様どうかしてお前まへに逢あはれることもあらふかと詮方しかたなしに廓あつちをバ出でましたけれども始終しゞうこれまで病氣びやうきだと言いつて別荘りようの方ほうに煩わづらつて居ゐる様ように寐ねてばつかり居おりましたハ 春「ヱヽそれハマアとんだ事こつたそして今夜こんやハ何様どうして此所こゝへ來きたのだ何なんにしても安心こゝろならなひわけだノウ 花「サア夫それから私わちきの心こゝろにハ種々いろ/\と考かんがへて何様どうぞ此この赤子こを産落うみおとしてからお前まへの方ほうへ上あげて其その後ゝちに自害じがいでも仕しませうかと思おもつても私わちきがお前まへを戀こひ」11
慕したつて居ゐますのハ身みの勝手かつて今いま居ゐる所とこの三さんさんが澤出たんと金かねを出だしてお呉くれの上うへに長ながく別荘べつそうに居ゐて世話せわになると猶々なほ/\恩おんを仇あだで返かへす様ようになつて罪つみが深ふかくなりますから些ちつとも早はやく死しんで仕舞しまつてお前まへさんにも疑うたがはれなひ様よう三さんさんにも長ながく恩おんにならなひ様ようにと覚悟かくごを仕しましたらバ夫それを推量さとられて刄はものでもなんでも側そばにあるものを採上とりあげられて昼夜ちうや 側そばに番ばんをする人ひとがありますから命いのちを捨すてる事ことも出來できなひ苦くるしさをマアよく察さつしてお呉くんなさいまし夫それだけれどもお前まへさんもまた何様どんなに御お家うちがむづかしくッても一度いちどや二度にどハ便たよりが出來できそふなものだと恨うらんで」
【挿絵第三図】
節義せつぎの一念いちねん春造しゆんざうに赤子せきしを渡わたす
居おりましたハ 春「左様さういふ事ことならバ恨うらんだも尤もつともだが此身おゐらの方ほうもなか/\自由じゆうに便たより所どころか一間ひとまの中うちへ押込おしこめられて出口でぐちへ錠ぢやうを〆しめて置おかれたものヲ 花「ヲヤ左様さうでござゐましたか夫それでハ文ふみを上あげても届とゞかなひはづで有ありました子 ヱそれからア ノウ私わたくしハ是非せひ死しのふと思おもつても衞護人まもりてが居ゐますので夫それも叶かなはなひのを漸々やう/\と透すきを看みあはせて存念おもひを果はたして 春「ヱヽ 花「ちりの浮世うきよを跡あとに看みて觀音くわんおんさまの淨土じやうどとやらへ往生わうじやうをと願ねがふ心こゝろにあきらめても引戻ひきもどされる煩脳ぼんのうハ忘わすれかねるお前まへの事ことまことに苦くるしい今いまの身みをよくマア察さつしてお呉くんなさゐヨトさも哀あはれげに見みへにける」13
第十四回ノ下 〈花 衣はなぎぬ赤 子みどりごを春造しゆんざうに令抱いだかして去さる|慈兄じけい悔くやみて春造しゆんざうに語花衣事はなぎぬのことをかたる 〉
再説さても花衣はなぎぬハ涙なみだに哽むせびて在ありけるがそも愛着あいぢやくハ他ほかならず誓ちかひし言ことを忘わすられぬ君きみの面影おもかげ眼めに付つきて正念しやうねんを妨さまたぐる絆きづなとなり悶もだへ苦くるしむ折おりからに胎順つき不足たらでも平安やす/\と生産うまれたりしハ是これ這この兒ちご健すこやかにして骨逞たくましく久後ゆくすへ君きみの爲ためにもと觀音くはんおん菩薩ぼさつに願ねがひを立たて暫しばらくの遑いとま給たまはりて今夜こよひ僥倖さいわひ妾わらはが故ゆゑにと嬉うれしくも亦また難有ありがたく御心みこゝろを腦なやまし給たまひ這所こゝへ來きまして在おはする由よしを知しる事ことの侍はべりしかバ這この赤子ちごを与逓わたし參まゐらせんと斯かくハ黄泉よみぢを漸やう/\と顕あらはれてこそ參まゐりしなり愿ねがふハ這この兒こを養育やしなひ給たまひて」
哀あはれとハ見み給へかし妾わらはハ草葉くさばの蔭かげよりして他所よそながら守まもりとなり赤子やゝ の身みに添そひ侍はべり〔り〕なん餘波なごりハ尽つきぬ言ことの葉はに君きみの御み聲こゑの魂たましいに染そみて弥々いよ/\輪廻りんゑにさまよひ迷まよひの種たねとハなり侍はべる女心おんなごゝろの淺間あさましや大慈だいじ大悲だいひの〓ぼさつの誓ちかひハ廣大くはうだい無量むりように在ましませども自みづから着ぢやくし自みづから執しうする煩腦ぼんのうの魔まに迷まよふをバ救すくはせ給ふ方便てだてなしとや聞きくハ寔まことか悲かなしさに我われから苦くるしむ地獄ぢごくの責せめ今いまハいとまを告つげ參まゐらす後丗ごせを弔とむらひ賜たまはりねと言いふかと思おもへバ幻まぼろしの恣すがた・(ママ)ハ消きへて烟けむりのごとくはかなき影かげに春造しゆんぞうハ赤子ちごを抱いだきて半狂乱はんきやうらん歎なげき悲かなしむ耳みゝの元もとに最いとも妙たへなる御み聲こゑにてやよ春造しゆんぞう安堵おちゐて聞きけ汝等なんじら夫婦ふうふの信心しん%\に依よつて我わが圓通えんづうの神力しんりきを加くわへ愿ねがひを叶かなへ」14
とらするぞと聞きくよりこれハと驚おどろき覚さむれバ惣身そうしんすべて汗あせを流ながし仮寐うたゝねの梦ゆめにてありけれバ四辺あたりを看みるに此この時ときハ雨あめ降ふり止やみて月つき明あかく千草ちぐさの虫むしの音ね哀あはれを漆そへ淋さみしさいはん方かたなき折おり不測ふしぎや赤子おさなごの泣なく聲こゑ側かたはらに聞きこへけれバ再度ふたゝび驚おどろきこれを見みるにまさしく夢ゆめに見留みとめたる赤子おさなごに替かはらねバ春造しゆんぞうハまづ抱いだき上あげいたはりながら倩つく%\と考かんがゆるに疑うたがふ事ことなく正夢まさゆめにて花衣はなぎぬハ我われを慕したひ貞節ていせつを立通たてとふし三郎さふらうへハ言訳いひわけ尽つきて竟つゐに自害じがいをなせしものか然さるにても我わが胤たねを身みにやどせしを算かゞなふれバ八月やつきばかりになりもやせん在斯かゝれバ是これぞ我兒わがこにして戀こひしき妻つまの像見かたみなり噫あゝ我われながら愚おろかなりき押籠おしこめられて在ありつる中うちも密ひそかに脱出ぬけいで逢あひまみえ」
縡ことの子細しさいを語かたり聞きかせ彼かれが浮身うきみの動靜ありさまをも問とひ慰なぐさめんと思おもひしハ幾いく百度もゝたびの事ことなりしがよしや人ひとにハ知しれずとも父毋ふぼの憤いかりを恐氣おそれげなく私情しじやうを身侭みまゝになさん事こと人ひとたる道みちにあるべからずと戒いましめ過すごして悔くやしけれと言いひてかへらぬ繰言くりことなるか遮莫さもあらバあれ花衣はなぎぬが幽魂ゆうこん宙宇ちううに迷まよひ居おらバ我わが言いふ事ことを聞きゝねかし早はやく逢相見あひまみへざりしハ千般ちたび百回もゝたび悔くゆるとも又また甲斐かひもなき所爲わざなれバ唯たゞ此上このうへハ何事なにごとも定さだまる前丗ぜんぜの宿業しゆくごうと思おもひあきらめ一毫つゆばかりも陽世このよに念ねんを止とゞめずして常つねに信しんずる觀世音くはんぜおんの現げんに在いませる南海なんかいの補陀落ふだらく淨土じやうどへ往生わうぜうせよ夫それ人間にんげんの霊れいたるや天地あめつちの間あいだに生しやうたる物ものの長おさとするハ正たゞしき道みちの教おしえを立たて能よく行おこなひを糺たゞすが故ゆゑなり然しかるにおん身みの」15
【挿絵第四図】
撫子にかゝる涙や楠のつゆ
貞操ていさうハ古今こゝんの賢女けんぢよの類たぐひに耻はぢず最いと清潔いさぎよき所為わざなれども物ものに着ぢやくしておろかなる心こゝろを穢土えとに殘のこす時ときハ正果しやうくわの端はしをも得うる事ことなく三惡道さんあくだうへ墮落だらくせん然さハ言いへ此この身みも其方そなた故ゆゑに迷まどひて這所こゝへ來きしものなれバ正理せいりを説とくも烏呼おこがましけれど聖僧ひじりの言葉ことばを仮用かようしておん身みの爲ために諭さとすべし夫それ執着しうぢやくの念ねんに依よつて幻まぼろしの俤かげをあらはし在斯かゝる所為たぐひの事ことあるハ珎めづらしからぬ業わざながら迷まよふも悟さとるも毫末がうまつの境さかいなり凡およそ生いきとし活いけるものハ独ひとり生うまれて獨ひとり死しす蜉蝣ぶゆうの一期いちご槿花きんくわの榮さかへかならずしも羨うらやむべからず我わが身みも今いまより桑門よすてびとの數かずに入いりり貴嬢おんみの爲ために菩提心ぼだいしんを發おこし後生ごしやう善所ぜんしよの供養くやうをなさん又また此この赤子ちごハ兎とも角かくもはかりて養やしなひ壮健すこやかに」16
成長せいちやうなさせ丗よに立たつべし左さもある節ときハ有為うゐの浪なみ寄よせてハかへる風かぜさはぐ娑婆しやばに心こゝろを止とゞむハ益えきなし夫それ悟道ごだうの歌うたにも説きくよしあり
さま%\にたくみし桶おけの底そこぬけて
水たまらねば月つきもやどらず
思おもへかし悟さとれかし四大しだい一ひと回たび破はして且かつ何なににか倚よらん二氣にき散乱さんらんして更さらに一いち物もつなしとハ説とき給ひぬ佛果ぶつくわを得えよや花衣はなぎぬと在いますが如ごとく繰くりかへし南無なむ大だい悲ひ圓通えんづう薩陲さつたたすけ給へと念ねんじつゝ赤子みどりごを肌はだに掻かき抱いだき念々ねん/\魂路ころとやうたふ鳥どり妻つまハ空そらにて血ちの涙なみだ係かゝる所ところを跡あとに見みて其その身みも泪なみだの露雫つゆしづく力ちからなく/\真間まゝの里さとの手古奈てこなが構かまへし別荘べつそうへ尋たづね」
いたりて三郎さふらうに對たい面めなしたきおもむきを叮嚀ていねいに言いひ入いれけれバ彼かの人ひとも邪氣じやきに障さはられ二三にさん日にち實い家へにかへらず這この別荘べつそうにうち臥ふしてありけるが春造しゆんぞうの頼たのみを承諾うけひきやがて一間ひとまに請せうじ時候じこうの挨拶あいさつに及およびしかバ春造しゆんぞうハ遠慮えんりよながらも花衣はなぎぬの身みの上うへの事ことを問とふに三郎さふらうハ不興ふけうなる体ていもなく奈何いかにせしか眼めに涙なみだをうかめ 三「イヤ其その花衣はなぎぬハ昨日きのふの夕方ゆふがた不便ふびんの事ことをいたしましたト前後ぜんごの事ことをくはしく語かたり 三「よく/\思おもひ迫せまつたことか側そばに人ひとのなひ折おりをうかゞつて庭にはの古井ふるゐへ身みを投なげて哀あはれな最期さいごを仕しましたト聞きいて此方こなたハ左さもあらんと兼かねて覚悟かくごハ有ありながら又また今更いまさらに胸むね轟とゞろきしばらく言葉ことばもなかりしが漸やうやくに心こゝろを鎮しづめ三郎さふらうへ」17
向むかひ只向ひたすらに不遠慮ふえんりよなるを詫わびて身みを卑下ひげし彼かの花衣はなぎぬの許もとへ通かよひ初そめしより昨夜さくやの夢ゆめのことまでもくわしく語かたり 春「お心こゝろに障さはります様ような事ことをなが/\しく申てさぞ傍かたはらの思おもはくもと御お腹立はらたちでござゐませうがお心こゝろ廣ひろい御器量ごきりようと承うけたまはつて居おりますゆゑそれにあまへて段々だん/\の事ことをもお咄はなし申ます何卒なにとぞ失禮しつれいを御免ごめん被成なさつて此この上うへハよろしく御ご才角さいかくの御お差圖さしづをもお願ねがひ申度たふござゐますトしほ/\として物語ものがたり懐中ふところに抱いだきし水子みづこを見みするほどに三郎さふらうをはじめ側かたはらに居おり合あふ人ひとも膽きもを消けし寄集よりつどひつゝ是これを見みるに児ちごハ眠ねむりてありつるが此この物音ものおとにうち驚おどろき一聲ひとこゑ高たかく泣なき出いだせバ三郎さふらうハその始終しゞう嘆息たんそくのみに在あり〔り〕」
けるが思おもひ付つきて横手よこでを打うち〔り〕 三「イヤしかし丁度ちやうどいゝ幸さいはひな事ことが有あります此この別荘りようの畄守居るすゐに頼たのんで置おく夫婦ふうふ者ものが長家ながや内うちに居ゐますが十日とふかばかり以前あとに産さんをして乳ちゝが多分たいさうに出でて困こまるといふ事ことだマア/\早はやく乳ちゝを呑のませるがよからふ 春「へイ夫それハ實まことに這この兒この僥倖さいはひでござゐます左様さようならバ何卒どうぞ仰あふせにしたがひまして 三「ナニ/\ちつとも御ご遠慮えんりよなさる事ことハないト直すぐさま乳ちゝある人ひとを呼よび其その児こに乳房ちぶさを含ふくますれバ最いと嬉うれしげに吸すふ風情ふぜい愛あいらしくもまた哀あはれなり 三「サテ モシまづ此この児こをバ此この内宝かみさんに任まかして置おいてマア奥おくへお出いでなせへまだ種々いろ/\と深ふかひお咄はなしを仕度したい事こともあるからト春造しゆんぞうを奥おくへ伴ともなひ」18
密ひそやかなる間まに入いりて傍かたはらへ人ひとを近付ちかづけずして膝ひざをすゝめ 三「トキニ モシ春造しゆんぞうさん花衣はなぎぬが死去なくなつた所ところで斯かう言出いひだすと外聞ぐわいぶんを悪わるく仕しまひと思おもふ屓惜まけおしみで虚言こしらへごとを言いふかと疑うたがはれる訳わけだが實じつハ左様さういふ事ことでなひから能よく聞解きゝわけてお呉くん被成なせへしかし他人ひとに氣けどられまひと余あんまり深ふかく遠慮えんりよを仕過しすごしてまだ昨日きのふまでも花衣はなぎぬにさへ私わたしの実意じつゐを明あかさなひから墓はかなひ死しをも遂とげさせた後悔こうくわいの事ことだが子正直しやうぢきに言いふと私わたしが花衣はなぎぬを身請みうけしたのハ浮氣うはきな事ことでもなけれバ意地ゐぢづくと言いふでもなし其その最初はじめからお前まへが深ふかく言いひ約束かはしたお人ひとだとハ知しつて居ゐましたがお前まへが親御おやごの腹立はらたちを請うけて押込おしこめられて」
居ゐ被成なさる事ことを聞出きゝだして花衣はなぎぬが辛苦しんくの不便ふびんさに身請みうけをして此所こゝへ置おいたのハ頓やがてお前まへの勘氣かんき同前どうぜんな不首尾ふしゆびも直なほつて内外ないぐわいのことも済すんだらバ其その時とき何様どうかしてお前まへにお目めに係かゝつて相談さうだんをして花衣はなぎぬをお前まへの女房にようぼうに持もつてお貰もらひ申さふと底心したごゝろを定さだめて居ゐましたがト聞きいて春造しゆんぞうハ眉まゆにしはを寄よせ 春「何なにか深ふかひ思おぼし召めしの在あつた事ことでもござゐませうが廓さとに勤つとめた花衣はなぎぬを其その様ように御不便ごふびんを加くわへられますお心こゝろの底そこハ何様どう言いふ御ご思案しあんから出でました事ことか何分なにぶん私わたくしにハ思おもひ寄よられません事ことで 三「されバサそれを滅多めつたにハ口くちへ出だして言いはれなひ理わけがあるゆゑに是これまで少すこしも人ひとに知しらさずに置おきましたがト四辺あたりを見み」19
廻まはし小聲こごゑになり春造しゆんぞうの側そばに寄より 三「モシ寶じつハ花衣はなぎぬハ私わたしの爲ために腹はらがはりの妹いもとでござゐますゼ 春「ヱイ スリヤアノ真間まゝの長者ちやうじやと世よに聴きこへた其その許もとさまの御妹おいもふとでコレハ/\存ぞんじがけなひ花衣はなぎぬの身みの素生すじやう 三「兄あにの身分みぶんで妹いもととも知しらせず過すごした其その子細しさいハ一朝いつちやう一夕いつせきのお咄はなしにハなりかねますが大略あら/\お聞きかせ申ますから他人ひとに知しられて被下くださいますナトこれより手古奈てこなの三郎さふらうハ其その身みの所存しよぞん家内かないの始末しまつをくわしく春造しゆんぞうに物語ものがたる這こハまだ最いとも長々なが/\しく看官みるひと倦あきもしたまふならんと一休しばらくはなしを次編じへんにゆづる是これ六ろくの巻まきに記しるしたる石濱いしはまの於亀おかめが父ちゝの傳でんなれバ後のちに此この條下くだりを繰くりかへし照てらし合あはせて看みたまへかし」
○此この一冊いつさつハ八賢女はつけんぢよがいまだ幼おさなくまたハ世よに生うまれ出いでざる節ときの縡ことなれバ其その心得こゝろえにて夲傳ほんでんと混こんじたまふべからず追々おい/\嗣編じへんをよみ給はゞ委くわしく知しる由よしあれど爰こゝにハ紙員しいんの限かぎりありて任まかせぬのみか作者さくしやの愚案ぐあん思おもひ余あまつて筆ふで動うごかず只管ひたすら愛顧あいこを愿ねが〔ふ〕と言いふ
門人校合〈狂文亭 爲永春江 ○|狂詠亭 爲永春暁 ○〉
貞操婦女八賢誌ていさうおんなはつけんし二輯にしう卷之一了」20
貞操婦女八賢誌ていさうをんなはつけんし二に輯しう 卷之二
東都 狂訓亭主人編次
第十五回 〈妬婦とふ妊身みごもりて正室ほんさいに仇あたす|聖ひじり法力ほうりきを以もつて霊れうを鎭しづむ〉
再説またとくそも/\花衣はなぎぬの素生すじやうを悉細くわしくこゝに尋たづぬれバ。其その爺親てゝおやハ左門さもんと稱となへて則すなはち手古那てこな三郎が実父じつぷなり毋はゝハ左門が妾めかけにて名なを三輪木みわぎとぞ呼よばれけるされバ花衣はなぎぬハ三郎と腹変はらがはりの兄妹けうだいなり さて彼かの三輪木みわぎハ真間まゝの里さとなるいと/\貧まづしき者ものの娘むすめなりしが容皃かほかたちの美色うるはしきに依よりて年齢とし十七八歳はち(ママ)の頃ころより白拍子しらびやうしの業わざを勤つとめ諸方しはうの人々ひと%\に招まねかれ行ゆき 酒宴しゆえんの」
興けうを催もよふしつゝ細ほそき烟けふりを立たてたりしが父ちゝハ早はやく死亡みまかりて毋はゝのみ一人ひとりちから草ぐさ老おひゆく末すゑの遠とふからぬに暫時しばしなりとも安樂よをやすくやしなはんとの心こゝろにや兼かねてより手古那てこな左門さもんが彼かれ是これと不便ふびんを加くはえしゆゑ頓やがて妾てかけとなりつるが左門にハ夲妻ほんさいあれバ時節をりを見合みあはせて家内かないへ入なんまづ夫それまでハ毋はゝもろとも今いまの家居いゑゐ を造作ざうさくして心置こゝろおきなく活業くらせかしと其その手當あてなど心付こゝろづけ何なにくれとなく丗話せわすれバなか/\に心安堵おちいて今ハ酒宴しゆえんの席せきにも出いでず左門さもんをのみ大切たいせつになをざりならず心を用もちひ月日つきひ を送おくる其その中うちにいつしか左門の種子たねを身みに胎やどし酢すきもの好このむ三輪木みわぎの風情ふぜい母はゝハ嬉うれしき其その中なかに案あんじも」1
すれバ耻はづかしと隠かくす心の娘むすめをさし置をき左門さもんに斯かくと告つげしかバ左門も悦よろこび一方ひとかたならず先さきにハ夲妻つまに男子おのこゞを産うませ愛めで度たきことに思おもひつれど余あまり一人ひとりハ心細こゝろぼそし夫そをまた更さらに三輪木みわぎの懐胎くわいたい噂うはさを聞きくも最いと嬉うれしく時節じせつもいたらバ毋子おやことも家いへに引ひきとり養ゆしなひて一家いつけの栄さかへを倶ともになさせん夫そを樂たのしみに娘むすめにも心つよく思おもはせよと毋はゝにくれ%\うちかたらひ猶なほ三輪木みわぎにハ睦言むつごとの末すへは斯かうせん斯かうすべしと心の底そこにハ左さほどまで思おもはぬ事ことも男をとこの遊言いたづら嬉うれしがらする安堵きやすめに又また恩愛おんあいもかさなりけん折節ときによりてハ三四日或あるひハ四五日日夜にちやを續つゞけて三輪木わぎの家いゑに起臥おきふしして厚あつき惠めぐみの数かずそひて」
毋子おやこの僥倖さいはひ大おほかたならず実げに世上よのなかの人心ひとこゝろ足たるに任まかせて物こと不足たらぬ慾よくハ利りのみか戀こひも又また限かぎりなけれバ片時かたときもはなれともなきこゝろから逢初あひそめしより最いと深ふかき逢瀬あふせを恨うらみ猶なほ不足たらずと我われから罪つみをつくるもありて末すゑの松山まつやま浪なみも越こす歎なげきとなるが多おほくあり今此この條下くだりを讀よみたまひて婦女子ふぢよしの慎つゝしみとしたまへかし 左門「今日けふハ何様どうだへ 「 ハ イ何なにも氣きもちハ悪わるくハござゐませんが子妊身おなかの所爲せへか起居たちゐが不自由むづかしくッて行いけませんハ 左「左様さうか夫それハ何様どうしても太儀たいぎだらふヨ 此身おゐらも何程いくらか案あんじてハ居ゐるけれども産道こればかりハ男おとこにハちつともわからなひ事こった詮方しかたがなひのヨ 夫それだけれどもマア毋人おつかアが付つけて居ゐる」2
から一ひと安心あんしんだ 三「アノウお聞きゝ申スのも申難にくひ事こつてござゐますが子 私わちきがお種子たねを首尾しゆびよく平産うみましたらバ私わちきをバ何なんにして被下くださいますヱ 左「何なんとハ身分みぶんの事ことか 三「ハイサ何卒どうぞ御お部屋へやとか御ご夲妻ほんさいとか申ことを 左「今いまさら改あらたまつた事ことをいふノウ 今いまでも家内かないの納得なつとく次弟しだい(ママ)で何様どうでも仕様しようハあるけれど近隣きんじよへの遠慮えんりよ家來けらいの思おもはくを難かねて居ゐるのヨ 妻うちの心こゝろに妬ねたみをする様ような事ことハなひけれども三方さんばう四方しほうの氣きが揃そろはなひと和合なかよく行いかなひからマア モウ少すこし辛坊しんぼうして居ゐるが能いゝト 体ていよく言こひて當坐いつすん退のがれ三輪木みわぎの夲性うまれつきを知しるゆゑに理非りひを正たゞしく言いひ不聞きかせずものやわらかに會訳あしらひけれバ 春「それハモウ幾日いつかでもお待まち申ますが」
子 ト左門さもんの顔かほを看みつめて 三「アノ子 左「何なんだ 三「ヲホヽヽヽヽ アノこれハ只たゞ私わたしが仮初かりそめにお聞きゝ申スのでござゐますが子 アノウ御夲妻おくさまが被御座いらつしやらないと私わたしの様ような者ものでも正室おくさまにして被下くださいますか 左「それハ今いまの様ように妻さいさへなくハ其方そなたの行儀とりなり次第しだいで何様どうともならふけれど當時いまの所ところでハ何様どうも詮方しかたがなひ 三「左様そんなら只今たつたいまにも恐おそれながら御正室をくさまに若もしもの事ことがござゐましたらバ必かならず其そののお言葉ことばをおわすれ被成なさいますナヱ ト 念ねんをおしたる女おんなの痴情ちじやう左門さもんハ何なにとやら心こゝろに當あたれど病人びやうにんの氣きに障さわらんも如何いかゞなれバ其その日ひハ機嫌きげんよく家いゑに帰かへりしが獨ひとり倩つら/\思おもふ様よう三輪木みわぎの生質せいしつ斯かくまでに癡かたくななりとハ」3
推量おもはざりし我わが夲妻ほんさいに故障さはりをなすといふまでにハ有あるまじけれども婦女おんなのせまき心中こゝろより万一またいか何様やうの所爲ことを巧たくみて家いへに係かゝはる悪名あくみやうを我わが代よに立たてむも不快こゝろよからずさりとてさすがに我わが種子たねを懐妊やどしてあるに別離わかれて餘所よそになさんも情じやうなき業わざなり兎とやせん角かくやと思案しあんを做なすに只たゞ以來このゝちハ往來あしを疎とふくし自おのづから愛念あいねんの薄うすくなるようにはかるの外ほかハ有あるまじとそれより例日いつもの如ごとくに不行ゆかず只たゞ折節をりふしの音信おとづれに文ふみなど送おくりて安否おんぴを尋たづね家内かないの夛用たようを言いひたてゝ両月ふたつきばかりを過すごしけるが其その頃ころ左門さもんの正妻ほんさいなりし楓かへでといふが煩わづらひ臥ふして更さらに医師くすしの業わざに不及およばず妙薬めうやくといヘども効驗しるしなけれバ家内かないの」
【挿絵第五図】
妬婦とふの痴情ちじやう左門さもんに愛あいをうしなはる」4」
案あんじ一方ひとかたならず彼かれ是これと評義ひやうぎすれども病根びやうこん何なにともわかりがたく數人あまたの良医いしやの思案しあんにもれて日ひに増ます花はなの姿すがたさへ枯木こぼくの様ように痩衰やせおとろへ内外うちとの知己しるひと氣きの毒どくに思おもはぬ者ものもあらざれバ左門さもんをはじめ実子じつしなりける三郎さふらうハ孝心かうしんふかきものなるゆゑ幼子おさなけれども老実おとなしく昼夜ちうやをわかたず毋はゝの側ほとりを去はなれずにおろ/\するさへ哀あはれなり此この節とき異あやしいかな楓かへでの容体ありさま氣質きだてまで平生つねに変かはりて荒々あら/\しく殊ことに実子じつしの三郎さふらうを憎にくみ叱しかりなどする事こと甚はなはだしく邪見じやけんの形容すがたを顕あらはしけれバ左門さもんハ心中こゝろのうちに思おもひ當あたれる事ことありけるゆゑ近ちかき山林さんりんに引籠ひきこもりて行法おこなひすませし聖憎せいそうの許もとにいたり邪崇じやずいをはらひ除のぞき」5
貰もらはんと其その草庵さうあんに參まゐりけれバ奇きなるかな此この聖憎ひじりハ神通力じんづうりきの尊者そんじやにてありけん左門さもんの言葉ことばを待またずして 聖「イヤこれハ手古那てこなの長者ちやうじやどのか御ご内室ないしつの病氣びやうきの祈祷きとうの事ことで參まゐられたらう サア/\御ご同道どう%\申スでござらう今いま隱居ゐんきよいたしても元もとハ旦家だんかのその御お家いへ兼かねて噂うはさに聞きゝましたトいはれて左門さもんハ呆あきるゝのみ頓やがて連立つれだち家いへに帰かへり彼かの阿闍梨あじやりの指掌さしづに隨したがひ病人やむひと楓かへでの前まへに檀だんをかざり金剛こんがう密具みつぐを如法によほうに安置あんちし阿闍梨あじやりハ口くちに咒文じゆもんを唱となへ左門さもんを側そばにさし置おき漫みだりに他人ひとの出入でいりを許ゆるさず既すでに祈祷きとうの法ほうを修しゆし最いと高たからかに鈴れいを打うちならし大喝たいかつ一聲いつせい眼めをひらきて檀だんの上うへを白眼にらみ詰つめ 聖僧「汝なんぢ」
しらずや人間にんげんの執情しうぜう一念いちねん纔わづかに動うごけバ阿鼻あびの炎ほのふ盛さかんに焚もへ火車くわしや鬼卒きそつ地下ぢげに怒いかる汝なんぢハ我われを知しらずとも我われ能よく汝なんぢを悟さとつたるぞたとへ奈何いかやうに隱かくすとも不動ふどう火界くわかいの咒文じゆもんを以もつて汝なんぢが邪心じやしんの居所きよしよを焼やくべし出いでよ名なのれ。ト責せめかけて声こゑも烈はげしき老憎らうそうの法力ほうりき空むなしからずして楓かへでハ忽たちまち身みをふるはし左門さもんを看みて潜然さめ%\とうち歎なげき 楓「アヽ モウ/\お祈いのりを何卒どうぞお許ゆるし被成なさつて被下くださいまし今いままで包つゝみ隠かくしましたが心こゝろを改あらためて申ますトいふ声音ものごしハ楓かへでにあらで左門さもんハ兼かねて覚悟かくごある三輪木みわぎの音声こえに相違さうゐなけれバ左門さもんハ思おもはず膝ひざを進すゝめ胸むねを痛いためて猶豫ためらへバ阿闍梨あじやりハ念咒ねんじゆの文もんを寛ゆるめ 聖僧「少すこしハ許ゆるすさりな」6
がら夫人おくがたを腦なやます事ことなく左門さもん殿どのにいふ事ことあらバ早はやく申て立退たちのけヨト慈悲じひの詞ことばに合掌がつしやうする楓かへでが容体さまハかはらねど声こゑハたしかに三輪木みわぎにて 三「左門さもんさまヱ今いまハ何なにをかおかくし申ませう実じつハ私わたくしハ三輪木みわぎでござゐます嫉妬しつとハ女おんなの謹つゝしみながらお種子たねを妊やどした其その後ゝちからして御夲妻おくさまがなくハ何様どうか私わたくしの様ような者ものでも貴君あなたのお側そばに居ゐられませうかと存ぞんじました一念いちねんがお耻はづかしい事ことながら楓かへでさまの御身おみに徹てつしまして此この間あいだ中うちの御おん腦なやみ只今たゞいまの私わたくしのこゝろでハ其様そんな事ことハ思おもふまいと存ぞんじましても一旦いつたん發つくツた私わたくしの罪障ざいしやうが重おもうござゐますゆゑ自由じゆうに進退しんたいも出來できませず此この嫉妬しつとの罪咎つみとがて後生のちのよハ紺青こんぜう鬼きといふ鬼おにに生うまれかはると」
いふ誰たが言ことの葉はか耳根みゝそこへ貫つらぬく様ような恐おそろしさ何卒どうぞお慈悲じひに聖人せうにん様さまの御ご追福ついふくをお願ねがひ申上ますたとへお種子たねを産うみましても御お家いへへ御お引取ひきとり被下くださいまするな切せめて此この身みの産うみました小児ちいさいのまで浮うき苦労くらうをさせるが御お家いへに仇あたをした三輪木みわぎが罪つみを滅めつします道理だうり御ご不便ふびんにハ被ご御ざ座ゐませうが左様さうなさつて被下くださいまし何なにを申上あげますも。アレ身みをなやます罪つみの責せめお名残なごりをしい何様どうせうトいふかと思おもへバ忽たちまちに楓かへでの躰たいハ床とこの上うへに倒たふれて正躰せうたいなかりしが彼かの聖人せうにんの祈念きねんに依よつて夢ゆめの如ごとくに全快ぜんくわいして病中びやうちうの事ことハいさゝかも知しらず又まち左門さもんも其その故ゆゑを楓かへでに告つげねバ三輪木みわぎの事こともその頃ころに絶たへて沙汰さたなく過すごせしとぞさて」7
亦また三輪木みわぎの家いへにてハ手古那てこなの祈祷きとうの節ときなりけん 毋「コレサ/\お三輪みわや/\なぜ其様そんな悲かなしひ聲こゑをするのだへ目めを覚さましなヨ 三「アイ /\アゝ引 怖こわかつた夢ゆめか子へ 毋「夢ゆめか子へと言いつたッて此毋おいらが知しるものかナ異変おつな事ことを言いふ嬢こだヨヲホヽヽヽヽ先刻さつきから呼覚よびおこしたのを知しらなひのかそして何なんぞ怖こわひ夢ゆめを見みたのかへ 三「アヽ モウ/\怖こわひとも苦くるしひとも言いゝ様ようのなひ事こつてありましたハ何卒どうぞ湯ゆでも水みづでも少すこしお呉くれナトいふを聞きくより母親はゝおやハ今いま煎せんじたる薬くすりを汲くみ來きたりて介抱かいほうし臨月りんげつ近ちかき娘むすめの病氣びやうきいたはり慰なぐさめ過すごしけるが三輪木みわぎハ夢ゆめに見みたりしのみか心こゝろに徹てつせし嫉妬しつとの罪つみおもひ廻まはせば」
おそろしき手て古こ那なの前後あとさき我わが一念いちねんの執しうねくも楓かへでさまに着崇つきまとひ病苦びやうくに腦なやましさま%\の非道あらぬ事ことまで言罵いひのゝしり憎にくらしき所爲わざをなせし上うへハ奈何いかに不便ふびんと思おもひし人ひとも愛相あいそう尽つきざる事ことやあるべき我わが心こゝろにも恥はづかしき因果ゐんぐわの業ごうか情なさけなや現在げんざい毋はゝにも斯かくありしとはなしもならぬ夢ゆめの体相さまつくりし罪つみの悔くやしくも胸むねいと苦くるし此この身みの咎とが死しぬるがましの事ことなれど今いま死しに行ゆかバ懐妊おなかの赤子やゝを闇やみより闇やみに迷まよはせて又また猶なほさらの罪つみともなるべし兎とにも角かくにも身み一ッひとつを置所おきどころなき葉末はずへの露つゆとくにも消きえなバ斯かばかりの嘆なげきハよもや有あるまじと親おやを思おもひ子こを案あんじます/\重おもる産婦さんぷの腦なやみ其後そのゝち女をんなの」8
児こを産うみけるが斯かゝる歎なげきの積つもりしゆゑにや幼児おさなごを跡あとに殘のこし三輪木みわぎハ竟つゐに丗よを去さりぬ毋はゝハ悲かなしさ限かぎりなけれど娘むすめなけれバ詮方せんかたなくひそかに他人ひとを頼たのみて左門さもんに告つげしが左門さもんハこれを不便ふびんに思おもヘど内外うちとの者ものの蔭言かげことも家いへの耻はぢぞと心得こゝろえてひそかに三輪木みわぎの母はゝの許もとへ月日つきひを過すごす料れうを贈おくりて彼かの幼子おさなごを育そだてさせしがその赤子おさなごをばお花はなと呼よび祖毋そぼの介抱かいほう麁畧そりやくなけれバ蟲氣むしけもあらで育そだちしがお花はなが三才みつになりける年とし祖母そぼもはかなくなりし後のちお花はなハ便たよりなき身みとなり養やしなひ親おやの手てにありて果はてハ手古那てこなの縁えんも切きれてや運うんわろくして松戸まつどなる千葉ちば元もとの娼妓ぢよろうとハなりしとぞ斯かくて手古那てこなハ」
三郎さふらうの代だいとなり真柴ましばといふ妻つまもあり又また勝美かつみといふ妾てかけもありしが不圖ふと花衣はなぎぬを見初みそめしより妹いもとと知しらで通かよひしが花衣はなぎぬ更さらに情なさけなく三郎さふらうを側そばにも寄よせねバ意氣地ゐきぢとなりて身請みうけせんと其その身元みもとを探さぐり問とひしに豈あにはからんや亡父なきちゝ左門さもんの妾めかけなりける三輪木みわぎの腹はらに出生しゆつしやうなせし娘むすめにて同おなじ種たねなる妹いもとなりと聞きゝて大おほひに驚おどろきしが妹いもとと知しりてハ猶更なほさらに捨すてもおかれぬ亡父なきおやのかたみと思おもへバなつかしく春造しゆんぞうの事ことも聞きゝ傳つたへまづ倡家せうかより引ひきとりてと心こゝろの底そこに末々すゑ%\をも深ふかくはかりし事ことなるに彼かの花衣はなぎぬハ入水じゆすいせしとぞこれより後のちハ巻まきを重かさねてお亀かめの傳でんにくわしくしるせり」9
第十六回 〈錦籏にしきのはたを呈ていして真弓まゆみ花之方近はなのかたにちかづく|長谷寺はせでらの境内けいだいに於お陸りく茶ちやを鬻ひさく〉
爰こゝに仙卜せんぼく神女しんぢよ真弓まゆみ稚名おさなな於道おみちハ笹蔓さゝづる錦にしきの籏はたを得えて鎌倉かまくらに趣おもむき便宜つてを索もとめ扇ヶ谷あふぎがやつの奥方おくがた花はなの方かたに呈ていし笠森かさもり觀世音くわんせおんへ奉納ほうのうせらるゝ御み戸帳とちやうに用もちひ給はん事ことを告つげ奉たてまつり其その恩賞おんしやうにハ御側おんそば近ちかく給仕めしつかはれ度たきよしを願ねがひけれバ花はなの方かたハ大おほひに喜悦よろこび給ひ唯たゞ山内やまのうちの奉納ほうのうに勝かつべき錦にしきを參まゐらせたる功こう有ある者ものとのみ賞美しやうびあつて深ふかくも於道おみちの素生すじやうを尋問たづねられず直たゞちに従女こしもとの中うちに召出めしいだされて心置こゝろおきなく古參こさんにかはらず是これを仕つかはせ給ひしが於道おみちハ天性てんせいの美質びしつにて扇ヶ谷あふぎがやつの奥方おくがたに給仕みやづかへする女中ぢよちうの中うちにハ」
並ならぶものなき容色ようしよくなれども初はじめて見參めみへの折節おりからにハ兼かねて所存おもふむねのありけるゆゑ髪形容かみかたちより化粧けはひの風体さまを最いとおかしげに取繕とりつくろひ田舎いなか育そだちの處女むすめのごとく出立いてだちたれバ御殿ごてんの人々ひと%\左さまでに心こゝろも留とめざりしが側そば近ちかく召仕めしつかはるゝの節ときに至いたりて最初はじめの化粧けはひとはるかに変かはり衣裳ゐしやうの着様きよう衣紋ゑもん付つき人品ひとがら尊位けだかく威ゐを備そなへ素顔すがほの白しろく艶潤うるはしきさまハ紅粉べにおしろいを彩色いろどりたる女中ぢよちうに遥はるか増ましたれバ花はなの方かたをはじめとして多おほくの女中ぢよちうハ呆あきるゝばかり其その艶色えんしよくに耻はぢらひて自然しぜんと於道おみちに威ゐを取とられ會釈ゑしやくも麁略そりやくハなかりしが於道おみちハ萬端よろづに心こゝろを用もちひて上かみを敬うやまひ傍輩ほうばいに睦むつましく朝夕あけくれ勤つとめに油断ゆだんなく忽たちまち古參こさんの上うえに立たち花はなの方かたの御側おそばさらずと衆女ひと%\是これを敬うやまひけるが於道おみちハ偏ひとへに時節じせつを窺うかゞひ定正さだまさに」10
近ちかづき父ちゝの仇あたを復かへさんと思慮しりよをめぐらし居ゐたりしが此頃このころ定正さだまさハ五十子いさらごの塁るいに赴おもむき夫それより河肥かはごいに順暦じゆんれきして鎌倉かまくらへ帰かへらせ給ふと聞きこえしかバその期ときをこそと心こゝろに待まちしが時ときしも弥生やよひの初旬はじめなりけん彼かの笹蔓さゝづるの錦にしきを以もつて御み戸帳とちやうを仕立したて給ひ此月このつきの十七日にハ上總かづさの笠森かさもりへ奉納ほうのうあれバ其その以前いぜんに由井ゆゐの濱はまに船ふな飾整よそほひして大だい施餓鬼せがきを催もよほすべし尤もつとも女人によにんの回向えかうなれバ舩長ふなおさ〓工かこの外ほかハ男子なんしを舩中せんちうに件ともなふべからず但たゞし是これを拝おがまんと思おもふ者ものあらバ自他じた平等びやうどうの供養くやうなり貴賎きせんの參拝さんぱいを免ゆるすべしとて前日ぜんじつより其その旨むねを觸示ふれしめされけれバ聞きゝ傳つたへたる貴賎きせん男女なんによ由井ゆゐの濱辺はまべに群集くんじゆして未明あさまだきより船出ふなでを相あい待まち今いまか/\とさゞめき合あふハ開帳かいちやう佛ぶつを出いで」
迎むかふ講中かうぢうなんどがこぞるに等ひとし這こハ何故なにゆゑに上總かづさの國くにへ送おくれる戸帳とちやうを仰々ぎやう/\しく鎌倉かまくらにおゐて他人ひとに視みせばやの所爲わざをせらるゝ事ことぞと審いぶかるに全まつたく我侭がまんの所業しよぎやうなれバ追善つゐぜん菩提ぼたいの夲意ほんゐにハあらず山内やまのうちより奉納ほうのうありし蜀江しよくこうの錦にしきの御み戸帳とちやうにも勝まされる古渡こわたり無類むるいの珍物ちんぶつ笹蔓さゝづる錦にしきの御み戸帳とちやうを扇ヶ谷あふぎがやつの奥方おくがたより上總かづさの笠森かさもりへ奉納ほうのうせらるゝと世上せじやうに弘ひろく言いひ觸ふらさして山内やまのうちの威ゐを折くじく心こゝろの底そこの巧たくみとハ密ひそかに推量おしはかるものも在ありしとぞされバ三月さんぐわつ初はじめの七日なぬか巳刻みのこくの頃ころにいたりて兼かねて用意ようゐを調とゝのへたる花はなの方かたの御座船ござぶねにハ大おほきサ凡およそ八間はちけんばかり湊板みよしの方かたより艫ともの方かたに至いたる迄まで光ひかり輝かゞやく金具かなぐを打うつて二階にかい造づくりの上下うへしたにハ障子しやうじを立たてて紫むらさき文白もんじろの幕まくを張はり渡わたし竒き」11
麗荘れいさう觀目くわんめを驚おどろかす形容ありさまなり亦また奉納ほうのうの御み戸帳とちやうをバ一艘いつさうの異船ことぶねに舟楼ふなやぐらを高たかく修造しつらい三重さんぢうの頂上ちやうしやうに紫むらさきの天幕てんまくを張はりて這この所ところに笹蔓さゝづる錦にしきの御み戸帳とちやうを崇々うや/\しく飾かざり置おきその下したの間まにハ大おほひなる香炉かうろを備そなへ貴賎きせんを不諭ろんせす焼香しやうかうを許ゆるし名木めいぼく一〓いつちうを備そなゆる者ものハ名目めうもくを記しるして永代えいたい笠森寺かさもりでらの過去帳くわこちやうに留とゞめて現當げんたう二世にせの安樂あんらくを祈いのらすべしと參詣さんけいの男女なんによに告つげられしかバ這こハ有ありがたき御諚こじやうかな斯かゝる御み法のりの折節おりからに下しもざまの我々われ/\が上かみと倶ともに菩提ぼだいの心こゝろを發おこして些いさゝかのものを供養くやうする事ことを許ゆるし給ふならバなとて香料かうれうを惜おしむべきとて由井ゆゐが濱辺はまべに寄より集つどふ貴賎きせんの男女なんによハいふも更さらなり遅おくれてこれを聞きゝ傳つたふ市中まち/\の道俗だうぞく信者しんじや伽羅きやら沈香ぢんかうを携持たづさへもちて這所こゝ」
彼所かしこより小船こぶねに乗のりて岸きしを沖おきへと五六ごろく丁てう隔へだてて碇いかりを下おろしたる船楼ふなやぐらを目當めあてとして乗付のりつけ/\焼香しやうかうに時刻じこくをうつすも晴はれやかなり斯かくてまた鎌倉かまくらなる花盛場さかりば多おほきそが中なかに霊地ところも清淨きよき法庭のりのには大慈だいじ大悲だいひの境内けいだいハ廣大くわうだい無辺むへんの御ご利益りやくと春夏しゆんか秋冬しうとう嫌きらひなく參詣まゐり下向げかうの群集くんじゆして押合おしあふ人ひとの中なか見世みせや手遊てあそび人形にんぎやう諸しよ商人あきんど軒のきを並ならべて繁昌はんじやうハ譬たとへて言いはん方かたもなく賑にぎはふ御堂みだうの西東にしひがし粹すいも不粹ぶすいも汲分くみわけて出だす煎茶せんじちやの色いろもよく色いろを競きそふて水みづ茶屋ちややの最いと數多あまたなる處女おとめ等らが笑顔えがほつくらふ愛相あいさうに引ひかれて尻しりも長なが床几しやうぎ竟つゐ浮うかされて喜瀬きせ川がはや長ながき日影ひかげを宮戸川みやとかは千歳ちとせ壽ことぶく樂たのしみとか是これも他生たしやうの縁えんによる皆みな夫々それ/\の贔屓ひゐき連れん客きやくに絶間たへまのなき中なかに」12
舩屋ふなやのお亀かめと呼よばれしハ其その頃ころ名な高だかき評ひやうばん乙女むすめ元もとハ武藏むさしの石濱いしはまにて舞子まひこをなせし者ものなるが心こゝろに深ふかき望のぞみあれバ相模路さがみぢさして趣おもむきつ今いま鎌倉かまくらに身みを落付おちつけ此所こゝに茶店ちやみせを出いだせしよりまだ幾いく程ほどにもならざれと古今ここんに稀まれなる艶色ゑんしよくゆゑ是これが爲ために胸むねを焦こがし心こゝろを痛いためて折節おりふしハ浮うきたる事ことなど言いひかくる薄客うかれびとさへ多おほかりしかどもお亀かめハさらに心こゝろを移うつさず唯たゞよきほどに言ひなして爰こゝに日数ひかずを經ふるほどに今日けふハ殊ことさら由井ゆゐが濱はまに那かの舩樓ふなやぐらの催もよほしありとて此辺このあたりさへ賑にぎはしけれバ客待顔きやくまちがほに早朝まだきより」
廓みせをひらきて居ゐる所ところへ六十才むそぢばかりのひとりの老女らうぢよ四辺あたり見みまはし店先みせさきよりずつと入いりつゝ片辺かたへなる牀几せうぎに腰こしを打うち掛かけてお亀かめに對むかひ打うち含笑ほゝゑみ髪かみの餝かざりの花表はでやかなると衣服いふくの模様もやうの質素おとなしきを誉ほめなと為しつゝ扨さて言いふやう吾儕わたしが態々わざ/\來きた子細しさいハ豫かねてお前まへのお話語はなしに稲村いなむらが崎さきの女をんな隠居いんきよ真間まゝの愛嬉あいきのお屋敷やしきへいかな賤いやしい勤つとめにても御ご奉公ほうこうが為したいとか常々つね%\噂うはさがあつたゆゑ吾儕わたしもいろ/\気きを揉もんで那方かのかたさまの様子やうすを聞きくにあの御ご隠居いんきよハ日外いつぞやより扇ヶ谷あふぎ やつ家けに取入とりいりて大侯おだいみやうでも及およばぬ暮くらし夫それ故ゆゑ日毎ひごと」13
に驕奢おごりが長ちやうじあるとあらゆる樂たのしみもはや為し尽つくせしが此頃このごろハ若衆わかしゆの舞まひが見みたしとて男をとこの児こにて舞まひの手てに闌たけたる者ものを抱かゝへたしと鎌倉かまくら中ぢうを尋たづぬるよし其処そこで吾儕わたしが思おもふにハお前まへも元もとハ石濱いしはまで舞子まひこを為したとの噂うはさなるに常つねからお前まへの様子やうすを見みるに立たち振舞ふるまひなら才智さいちなら男をとこといふとも恥はづかしからぬお前まへの気性きしやうと知しるゆゑに吾儕わたしが趣向しゆかうでお前まへをバ仮かりに若衆わかしゆにこしらへて那かのお屋敷やしきへ出でたうへでハ其処そこハお前まへの才覚さいかくで男をとこで通とほす事にもならふお前まへの心こゝろハマ ア何様どうと言いはれてお亀かめハ打うち点頭うなづき」
何時いつに替かはらぬお前まへの信切しんせつ假令たとへ如何いかなる憂うき所為わざ為なしても一度いちと愛嬉あいきさまにお目めにかゝりて唯たゞ一言ひとこといひたい事があるゆゑにお前まへを憑たのみし甲斐かひありて便宜たよりを得えたる嬉うれしさよ那かの方かたざまに逢あはるゝなら若衆わかしゆハおろか奴やつこにも此この身みをやつすハ厭いとはしからずよきに計はからい給はれよと聞きいて老女らうぢよも笑ゑましげにお前まへが然さういふ心こゝろなら先さきハ何様どうとも此この姥おばが舌した三寸さんずんで言いひまはせバ必かならず任まかせて置おかしやんせと言いへバお亀かめも含ほゝ笑ゑみて此この身みに願ねがひあれバこそ女子をなごの身みにて大だいそれた仮かりにも男をとこと姿すがたをかへ人を偽あざむ」14
く耻はづかしさよと言いひつゝ跡あとハ胸むねの中うち言いふにいはれぬ身みのうへを夫それぞと余所よそへ知しられじと吸すひ付つけて出だす長管ながらうの喜世畄きせるもうさを忘わすれ艸ぐさ老女らうぢよハ深ふかき事情ことわけを知しるや白髪しらがの老おいの身みを最いと実面まめし気げに付つけて出だす喜世畄きせるを取とりて完尓にこやかに再度ふたゝびお亀かめに打うち對むかひお前まへの利り發はつを知しりながら言いふも愚おろかな事ことながら當たう時じときめく管領家くわんれいけの御ぎよ意いに叶かなひし愛あい嬉きさま必かならず麁そ相そうのないやうに心こゝろを付つけて何処どこまでも男をとこの夲意ほんいを忘わすれぬやう物ものの見み事ごとにすつぱりと。ヤ ア。サ ア剱つるぎの舞まひの一ひと手て所為わざ急せかずと心こゝろを落付おちつけてならふ」
事ことなら助すけ太刀だちになるべき人ひとをかたらひて大事だいじを取とつて夲望ほんもうをと言いはれてお亀かめハ小膝こひざをすゝめそんならお前まへハ何なにもかも委くはしい子し細さいを御存知ぞんじで吾儕わたしを手て引びきなさるかと言いへバ老女らうぢよハ目めにもらし涙なみだを袖そでにて押拭おしぬぐひお前まへに問とはれて箇様かう々々/\といふも面おもなき吾儕わたしが身のうへ始はじめ吾儕わたしハ下総しもふさの真間まゝの里さとに住詫すみわびし賎いやしき者ものの妻つまなりしが薄命ふしあはせにて夫つま子こを亡失うしなひ烟けむりを立たつるよしもなくほと/\難義なんぎの折柄おりからにお前まへの父公てゝご三郎さぶらうさまの出生うまれ給ひし時ときなれバ吾儕わたしに乳房ちぶさのあるを倖さいはひ父公てゝごの乳母めのとに抱かゝへられ何なに不足ふそく」15
なき身みとなりて御ご恩おんの中うちに幾いく稔月としつき送おくる惠めぐみハ知しりながら思し按あんの外ほかとて耻はづかしや御お家いへの若黨わかとう小忠二こちうじと互たがひに思おもひ思はれて忍しのふ枕まくらのその数かずハ阿漕あこぎが浦うらに曳ひく鯛たひの度たび重かさなれバ人目ひとめにも立たちし浮名うきなに詮方せんかたなく三郎さぶらうさまの十二の年とし二個ふたりひそかにお家いへを立たち退のき少すこしの知音しるべを心當こゝろあてに武藏むさしの芝浦しばうらに身みを落付おちつけ夫をつとハ網引あみひきの所為わざをなし吾儕わたしハ僅わづかの賃ちん仕事しごと或あるひハ人ひとに雇やとはれなどして細ほそき煙けむりを立たつるうち倖さちなき時ときとて小忠二こちうじが風邪かぜの心地こゝちと打うち臥ふせしが次第しだいに重おもる病勢びやうせいに薬餌くすりの甲斐かひもあらバこそ畢ついに」
黄泉あのよの鬼おにとなり憑たのむ木蔭こかげも荒磯あらいその芝浦しばうらにさへ住すみかねて此この鎌倉かまくらにさすらひ來きつゝ始はじめを言いへバ御ご主人しゆじんのお目めをかすめし御ご罸ばつぞと思おもへバ再度ふたゝび夫をつとに嫁かせず孀やもめぐらしに為し馴なれたる針はり持もつ業わざを渡世たつきとして一箇ひとりの口くちをやしないつゝ廾稔はたとせばかりを送おくる中うちも先非せんひを悔くはぬ日ひ迚とてもなく何卒どうぞ今いま一いち回息いきあるうち手古奈てこな 三郎が家か\名めいをいふ のお家いへに帰参きさんをと思おもヘど罪つみある此この身みゆゑ心こゝろばかりで詮せんもなく却かくて月日つきひを經ふる程ほどに風便ほのかに聞きけバ三郎さまハ非業ひがうの御ご最期さいごその子細わけハ那あのお妾めかけのといふ折おりしも長谷はせ寺でら詣まふでの遊客ゆうかくど」16
も四五しご個にん連つれ立だちどや%\とお亀かめが店みせに入いり來くるにぞ二女ふたりハおどろき其その儘まゝに此この物語ものがたりハ果はてにける
作者さくしや日いはく是これよりお亀かめが身みのなりゆき最いと長なが/\しき事ことなれバ今いま此この編へん綴つゞりがたし末回のちにいたりて細くはしかるべし看客みるひとよく/\心こゝろして前後ぜんごを合あはせて観給へかし
貞操ていさう婦女おんな八賢誌はつけんし二輯にしう卷之二了」〔白〕」17
貞操ていさう婦女おんな八賢誌はつけんし二輯にしう 巻之三
東都 狂訓亭主人編次
第十七回 由井ゆゐが濱はまに花はなの方かた舩樓ふなやぐらを備そなふ\金言きんげんを折くじかれて八代やつしろ耻辱はづかしめを蒙かふむる
新拾遺集しんしうゐしうに鶴つるが岡おか木こ高だかき松まつを吹ふく風かぜの雲くも井ゐにひゞく萬代よろづよの声こゑと詠よまれけん 抑そも/\ 相模國さがみのくに 鎌倉かまくら郡こぼり 由井郷ゆゐのごう雲井くもゐの峯みね 鶴つるが岡おか八幡宮はちまんぐうハ康平かうへい六年ろくねん秋あき八はち月ぐはつ伊豫守いよのかみ源頼義みなもとのよりよし 奥州おうしう征伐せいばつの時とき 初はじめて勸請くわんぜうあられしが永保えいほ元年ぐはんねんの二月にぐわつ 陸奥守むつのかみ源義家みなもとのよしいへ修造しゆぞうを加くわへ それより後のち代々よゝの武將ぶしやう尊信そんしん尤もつとも厚あつかりしとぞ今日けふなん三月やよひの初旬はじめつかた社頭しやとうの花はなハ爛漫らんまんと咲揃さきそろひ空そらに知しられぬ花はなの雪ゆき松まつの」
小枝こえだに降ふりつもる景色けしきのみかハ桃もゝ季すもゝ(ママ)山吹やまぶき椿つばき海棠かいだうの盛さかりあらそふ境内けいだいハ春はるの詠ながめの時ときを得えつ御園みそのの花はなに亦またまし榮はへて最いと興けう深ふかき其その旨趣よしを花はなの方かたに申まふせしかバ御み舘たちの女中ぢよちうハ心楽こゝろたのしく未明あさまだきより髪かみ化粧けはい劣おとらじ屓まけじと出立いでたつハ由井ゆゐの濱辺はまべにうち寄よする梅うめの花はな貝がい櫻貝さくらがい姫貝ひめがいぞとも准なぞらゆる従女こしもとあれバ稚おさなきハ唯たゞ児安貝こやすがい愛あいらしき姿すがた色いろ添そふ風情ふぜいとハ後刻のちの浦曲うらわを思おもひやる人ひとの噂うはさに有ありぬべしされバ某その日ひの巳みの刻こく頃ごろ 倶供〔と〕もびとを揃そろへつゝ扇ヶ谷あふぎがやつの舘やかたを練ねり出だし鶴つるが岡おかに社參しやさんを遂とげられ午うまの刻こくの半時なかばにいたる迄まで境内けいだいの花はなを〓遅しづやかに詠ながめ給ひ漸々やう/\に由井ゆゐの濱辺はまべに近付ちかづきて遥はるかに向方あなたを見渡みわたし給へバ貴賎きせんの道俗だうぞく男女なんによを撰えらまずさしもに廣ひろき砂原すなはらを絡繹らくゑきとして押おし續つゞき東ひがしハ景政かげまさの」1
塔とうの邊ほとりより西にしハ盛久もりひさの松まつの側かたはらまで連々れん/\たる事こと林はやしの如ごとし斯かくて花はなの方かたハ乗物のりものを由井ゆゐの若宮わかみやの辺ほとりに留止とゞめられ多おほくの従女こしもとに仰附かしづかれて既すでに礒際いそぎはにいたらせ給へバ通船かよひぶねに乗のせ參まゐらせて飾かざり備そなへし大船おほぶねに 預やがてぞ移うつしまゐらせけり 這この時ときます/\香木かうぼくを備そなへたる小船こぶねの這所こゝ彼所かしこより乗のり出いだし我われも/\と漕こぎつゞく御み戸帳とちやう拝はいの百千船もゝちぶね 往来ゆきゝのさまの賑にぎはしく弥生やよひの海うみの閑麗うらゝかに潮うしほも遠とほく引ひく霞かすみ江えの嶋しま山やまの晴はれ渡わたりて風景ふうけいいはん方かたもなし斯かくて花はなの方かたハ二階にかい造つくりの御み船ふねの上うへの間まに在ましまして遥はるかに沖おきの方かたを詠ながめ亦また陸くがの方かたを視みかへり給ひ榮はえある業わざをなしけりと心こゝろの中うちに喜悦よろこばれ兼かねての仰あふせなりけれバ參詣さんけいの貧まづしき者ものに永樂銭えいらくせんを施行せぎやうせられ如斯かくのごとくに計はからはゞ山内やまのうち殿どのへ」
聞きこえても外ほか聞ぎゝ悪わろくハ有あるべからず先さきに山やまの内うちの奥方おくがたより笠森かさもりの觀音くはんおんへ奉納ほうのうあられしと稱いふ錦にしきの御み戸帳とちやうハ蜀江しよくこうの錦にしきといふ噂うはさのみにて鎌倉かまくら中ぢうの人々ひと%\が今日けふ這この様ように群集くんじゆして持もて囃なすほどの事ことハあらざりし今いま奉納ほうのうの御み戸帳とちやうハ山内やまのうちの奉納ほうのうよりはるかに日數ひかずの遅後おくれたれど施行せぎやうを以もつて下しもを賑にぎはし錦にしきの戸帳とちやうも諸人しよにんに知しらせて後々のち/\迄までも語かたり傳つたえん斯かゝれバ此この度たびの催もよほしハ彼かの方かたざまの鼻はなを挫ひしぎ扇あふぎが谷やつの威ゐを輝かゞやかす誉ほまれとなりしぞ嬉うれしけれ定さだめて市街まち/\の風聴ふいちやうも這方こなたをこそ賞讃ほめてぞあらんと自慢じまん心ごゝろの在おはせしかバ其その下情かじやうを穿さぐり來こよとて八代やつしろと呼よぶ下仕おすへの女中ぢよちう未まだ青年としわかき處女おとめなれども心賢こゝろさかしき者ものなりとて今朝けさ最いと」2
早はやく風聞ふうぶんを聞きかする爲ために恣すがた・(ママ)を省やつさせひそかに出いだし遣やられしが只たゞ今いま歸かへり參まゐりしとお次つぎの衆しゆうの取次とりつげバ花はなの方かたハ鈍もどかはしげに夫そハ待侘まちわびしく在ありつるものを下仕すへ%\なりとも苦くるしからず目通めどふり許ゆるす疾とく這方こなたへと急いそがせ給へバ其その侭まゝに御お側そば女中ぢよちうハ聲々こゑ%\に呼よび立たて/\呼よび
次つげバ常つねにあらざる御おん仰あふせに心驚こゝろおどろく八代やつしろが固辞いなみ申まうせど聞きゝ入いれなく頓やがて御ご前ぜんへ誘引いざなへバ八代やつしろハ耻はぢらひ億おくれ怕々おづ/\其席そこに蹲踞うづくまるを花はなの方かたハ聲こゑ係かけ給ひ太儀たいぎにありしぞ八代やつしろとか蜜事みつじを申付まうしつけたれバ心置こゝろおきなく近ちかふ進すゝみて街ちまたの噂うはさを聞きかせよかし奈何いかに申まうして居おりつるぞ此度こたびの妾わらはが計はからひハ山内やまのうち殿どのに屓まけを取とらせ當家たうけの威光ゐくはうを増ます所爲わざとハ定さだめて言いひも傳つたふるならん左さハあらずやと」
仰あふすれバ八代やつしろハ漸やうやくに首かうべを少すこし上あげながら左右さゆうを顧かへりみ會釈ゑしやくして 八代「何どなたぞ何卒どふぞお取次とりつぎを 花「苦くるしふなひ早はやふ言いふて聞きかしやいノウ 八代「左様さようならバ御ご免めんを蒙かふむりまして申上まうしあげます 花「サア/\早はやふ聞きかしやいノウ 八代「有ありの侭まゝにハ恐おそれ多おほく申上まうしあぐるハ不遠慮ふえんりよとお叱しかり被遊あそばしましやうけれど申上まうしあげねバ不忠ふちうとなる他よその噂うはさも君きみの御お爲ために 女中がしら「早はやふ申上まうしあげやいのう 八代「かしこまりましてござゐます今朝けさお舘やかたを出いでまして諸所しよ/\の人立ひとだち彼所かしこの辻つぢ知しらぬ風俗ふりして聞きゝましたれバ氣々きゞ種々さま%\の噂事うはさごと一様いちようでハござりませぬが贔屓ひいき々々/\の評判ひやうばんハ勿体もつたいなひ事ことながら芝居しばゐの噂うはさと同おなじ事こと山内やまのうちさまを謗そしるがあれバ御お家いへを笑わらふ人ひとも亦また憎にくひ様ようでも理りの當然たうぜんを申まうす」3
者ものがござゐまして 女中衆「八代やつしろどの前後あとさきを心得こゝろえて御ご機嫌きげんにさはらぬ様ように宜よろしく申上もうしあげられよ 花「イゝヤ善悪よしあし何事なにごとも隱かくすに不及およばぬ早はやふ言いヤ 八代「彼是かれこれ申まうす其その中なか夲覺ほんがく寺じの門前もんぜんに倚よりこぞりました多おほくの諸民した%\夫それ等らが批判とりさた致いたすのをよく/\聞きいて居おりましたら御ご前ぜんの事ことを憚はゞかりなくお噂うはさ申ス憎にくい奴やつ 花「妾わらはが事ことを何なにと言いふて其方そちら迄まで腹はらを立たつたのぢヤ 八代「サア折角せつかく御お家いへの御ご威光ゐくはうを山内やまのうちの御繁昌ごはんじやうに劣おとらせまじと思おぼし召めして此この御催おもよふしの大だい施餓鬼せがき御ご丹誠たんせいを水みづの泡あはに申消まうしけすのも下賤げせんの癖くせ恐おそれ多おほくハござゐますが御ご前様ぜんさまの事ことを遠慮えんりよなく名聞めうもんらしい披成なされかた上總かづさの國くにの笠森寺かさもりでらへ御ご奉納ほうのうの品しなならバ何なにをお上あげ被成なされても御志おこゝろざしハ通とふるのに山内やまのうちから奉納ほうのうの蜀江しよくこうの」
【挿絵第六図】
旧主きうしゆのために梅うめ太郎たらう御み戸帳とちやうの舟ふねにおもむく」4」
錦にしきの御沙汰ごさたが羨うらやましいと思おぼし召めして大人氣おとなげのなひ此度こんどの御ご趣向しゆかう笹蔓錦さゝづるにしきと大壮たいそうに他見ひとめを飾かざる船樓ふなやぐら殊ことにハ名木めいぼく焼香しやうかうと仰出あふせだされた底心したごゝろも御ご殿てんに伽羅きやらがすくなひゆゑ小袖こそでに留木とめきの事ことを闕かいて召集めしあつめられるものであらふひけらかされる御み戸帳とちやうも元もとを糺たゞせバ他家ひとの物もの 女中「これハしたり八代やつしろどの譬たとへバ下賤した%\で申まうすとてマア其その様ような失禮しつれいを 花「イヤ聞きゝかけてハそれなりに聞きゝ捨すてられぬ這この身みの耻はぢ後のちの覚悟かくごになる事ことも又またあるまじきものでもなひ サア其その後ゝちハ何なんと言いふた包つゝまず申て聞きかせてたもトいと温順おだやかなる御尋おんたづねに亦また八代やつしろハ遠慮えんりよなく 八代「御ご殿てんの中うちでも委くはしくハ知しらぬ錦にしきの御み戸帳とちやうを何様どうして聞きゝ傳つたへて居おりますやら笹蔓錦さゝづるにしきの古渡こわたりのと仰山ぎやうさんに評判ひやうばん」5
しても以前いぜんハ武藏むさしの豊嶋としま家けに傳來でんらいした錦にしきの古籏ふるはた當時いまでハたしか敵てき味方みかたと爭あらそふ中なかの豊嶋としまの重宝ちやうほう越路こしぢの長尾ながをへ分捕ぶんどりになつた噂うはさハ聞きいたけれど扇あふぎが谷やつの管領くはんれいへ敵かたきとなつた両家りやうけ 長尾ながを\登嶋としま の中うちからさし上あげられる由わけもなひ関せきの東ひがしを管領くはんれいの御お家いへに似合にあはぬ麁そ忽こつの計はからひ非禮ひれいハうけぬ神佛かみほとけに備そなへる錦にしきの出所でどころが後うしろぐらくハ明あかるみへ出だした御お家いへの耻はちで有あらふと口くちさがなくも申まうしました 女中「アゝ コレ八代やつしろ餘あんまりな怒おそれ多おほひ其その言葉ことばそれを其方そなたハ阿容おめ々々/\と言いはれて聞きいて帰かへつたのか奈何いかに女子おなごの身みなれバとて御舘おやかたに仕つかへながらなぜ其その侭まゝに聞きゝ退のがして放心うか々々/\と御ご前せんへ出でやつた只たゞ今いまきくさへ口惜くちおしい下輩した%\の謗言そしりごと 八代「サア其その時ときハ私わたくしも勘忍かんにんならぬ悪態あくたいと腹立はらたゝしくぞんじ」
ましたが謗そしる中なかにも道理だうりかと思おもひ當あたる事ことがござゐましたゆゑ知しらぬ模様もやうで帰かへりますも密々みつ/\の御お下知げぢの事こと 聞きゝ逃のがしたハ臆病おくびやうとか思召おぼしめすのハ迷惑めいわくに 女中「シテ悪態あくたいも道理だうりとハ何故なにゆゑ申すかその分解わけをサア聞きゝませう八代やつしろどの御ご前ぜんの事ことを下輩した%\が謗そしるも道理どうりと言いやるのハお主しゆうさまをおろそかに思おもふ其方そなたの不届ふとゞき千萬せんばん不忠ふちうでござる慮外りよぐわいの言葉ことば 八代「イゝ ヱ不忠ふちうでござゐませぬ御前ごぜんさまの前まへばかりを諂へつらひかざる輕薄けいはくを忠義ちうぎと思召おぼしめしますか御役おやくハ賤いやしい下仕おすへでもお側そばを放はなれぬ八代やつしろが心こゝろの底そこハ一日いちにちに千度ちたび百度もゝたびお案おんじ申御ご災難さいないでも無なき様やうにと祈いのらぬ節ときハござゐませぬ近頃ちかごろ御お側そばの衆女みなさんが前後あとさき思おもはぬ御奉公ごほうこう災わざはひハ下しもからとやら山内やまのうちの御舘おやかたも扇あふぎが」6
谷やつの御舘おやかたも車くるまの両輪りようわに譬たとへた御家おいへ 同おなじ血ち脉すぢの管領くわんれい職しよく 両りよう管領くはんれいと崇うやまはれ勝劣まさりおとりハなひものを御前ごぜんの首尾しゆびの能よい様ようにと纔言ざんげんを申あげ山内やまのうちさまと御不和ごふわになる御家おいへの大事だいじを考かんかへずに兎とに角かく他見よそめの噂うはさにも角立かどだつ様ような御計おはからひ容易たやすい事ことと思召おぼしめすか山内やまのうちの奥おくさまと御前ごぜんさまとの麁縁すれ%\ハ御表おおもてさまの御ご大切たいせつ若もしも両家りようけの御爭おんあらそひとなりましたらバ其その時ときハ隙ひまを窺うかゞふ他心ひとごゝろ御家おいへも危あやうく御ご威光ゐくはうも自然しぜんとうすくなります道理だうり実じつハ此度こんどの御催おもよふしも下輩したがたの噂うはさの通とふり出所でところの慥たしかでなひ錦にしきの籏はたを御み戸帳とちやうとハ恐おそれながら御上おかみの御ご麁相そゝう今日けふの御お供ともでないゆゑに思おもひの侭まゝを申ますが笹蔓錦さゝづるにしきを差上さしあげて御側おそばへ近ちかく出度でたいと申て御お取立とりたての於お道みちさま異あやしいお人ひとじやござりませぬか万一まんいち御家おいへに仇あだあるものか敵かたきの方かたのまはし者ものか」
素生すじやうのわからぬ疑うたがはしきそれを放心うか々々/\御ご贔屓ひゐきあつて何様どうやらあぶなひ御ご油断ゆだんと常々つね%\お案あんじ申上あげます又また笹蔓さゝづるの御み戸帳とちやうも他所よその御お家いへの古衣ふるぎぬと聞きこへますれバ由よしなひ品しな今日けふ此この様ように晴はれがましく鎌倉かまくら中ぢうの人々ひと%\が持囃もてはやしても笠森寺かさもりでらへ御ご奉納ほうのうの後のちの日ひに豊嶋としまの家いへから取とりかへしに參まゐるまひとハ申されませず取とりかへされたら御舘おやかたの耻はぢとなりそな思おぼし召めし付つき恐おそれながら衆人みなさんから御前ごぜんへ御ご異見ゐけん申上あげてお止とゞめ被遊あそばす御ご恩案しあんあらバ夫それこそ忠義ちうぎの御奉公ごほうこうと乍憚はゞかりながら八代やつしろが存ぞんじまするト健氣けなげにも言出いひいだしたる主しゆう思おもひ女子おなごに稀まれなる諌いさめの言葉ことばも耳みゝにさからふ花はなの方かた御氣色みけしきあしく八代やつしろを白眼にらまへつめて在おはせしがお側そばの左右さゆうを見みかへりたまひ 花「何なにとか聞きゝしぞ衆女人みなのものこの八代やつしろが慮外りよぐわいの言葉ことば申付つけたる役目やくめを他よそに他よその誹そ」7
謗しりを請継うけついで妾わらはへ對たいし悪口あくこうをいたすに同おなじ諌いさめだて かたはらいたひ無禮ぶれいの少女もの 目め通どふり早はやく退しりぞけヨ急度きつと計はからひ糺明きうめいせいト仰おふせの下したより立たちかゝる役目やくめの女中ぢよちうハ八代やつしろを舌した長ながなりと心こゝろに憎にくみ扣ひかへて在ありし事ことなれバお下知げぢを待まち兼かねたりといふ風情ふぜいをなして追取おつとり巻まき ▲●×「サア立たちませい八代やつしろどの餘あまりと申せバ 失禮しつれい至極しごく ×「お側そばにお人ひともなひ様ように ●「お奥おくへ出でられぬ身みをもつて御船おふねながらも御前ごぜんへ御目見おめみへ ▲「勿体もつたいなひほど有難ありがたひ御恩ごおんを思おもふはづの所ところを ×「身みの程ほど知しらぬ罸ばちあたり ●「サア立たちませぬか不届ふとゞきものト言いはれてさすが八代やつしろハ年としもゆかねばはづかしく面目めんぼくなげに顔かほ赤あからめ眼めに涙なみだをうかめつゝ忠義ちうぎの心こゝろハ露つゆほども知しろし召めさずや口惜くちおしと思おもヘど何なにと詮方せんかたも荒あらけなき迄まで左右さゆうから手てを捕とらへてぞ引ひき」
下おろす首尾しゆびいと悪わるきその姿すがた御召おめしの時ときに引替ひきかへて八代やつしろさんへ恐悦きやうゑつと言いはれた同おなじ傍輩ほうばいにも顔かほ向むけならず物ものさへも言合いゝかはされぬ身みの咎とがといふにあらねど咎とがめの悲かなしさ しほ/\として艫ともの間まの端はしに押込おしこめおかれしハ不便ふびんにもまた哀あはれなり
【挿絵第七図】
」8」
這この時とき神宮かにわの孝子かうしなりける大塚おほつかの里さとの梅太郎うめたらうハ義父ぎふ杢兵衞もくべゑが越路こしぢより帰かへり来きたれる途中とちうにて横死わうしを遂とぐる其その期きハに失うしなひたりし豊嶋としまの重宝ちやうほう笹蔓錦さゝづるにしきの御籏おんはたを尋たづぬる爲ために故郷こけうを立出たちいで心こゝろを配くばる千辛せんしん万苦ばんく諸方しよほうを久ひさしく俳徊はいくわいなせしが今日けふ鎌倉かまくらの地ちに來きたり長谷寺はせでらの境内けいだいに休やすみたる折おりしも由井ゆゐが濱辺はまべの舩ふな施餓鬼せがき錦にしきの籏はたを御み戸帳とちやうに仕立したてられしと聞きくよりも胸むね轟とゞろかして驚おどろきしが思案しあんを極きはめ姿すがたを繕つくろひ彼所かしこよ此所こゝよと小舩こぶねをあさりて稲村いなむらが崎さきの辺ほとりまであはたゞしくぞ求もとめける
第十八回 〈 賢女勵レ志御戸帳於舩登けんちよこゝろざしをはげましてみとちやうのふねにのぼる|許レ罪才女舩樓向二捕手一つみをゆるされてさいぢよふなやぐらのとりてにむかふ 〉」9
斯かくて其日そのひの申さるノ刻こくの頃ころにいたり船ふねと陸くがとの參詣人さんけいびとまた見物けんぶつの貴賎きせん男なん女によも半分なかばに過すぎて帰路きろに趣おもむき施餓鬼せがき供養くやうの僧衆そうしゆうも早はや經文けうもんの紐ひもを結むすび船ふな樓やぐらをしりぞき小舩こぶねに乗のりて岸きしに上のぼり花はなの方かたの帰舘きくはんを待まちて寺てらに帰かへらんと扣ひかへたり此時このとき稲村いなむらが崎さきの方かたよりや乗のり出いだしけんと思おもふ一艘いつそうの早舟はやふねたちまち御み戸帳とちやうの舩ふねに乗付のりつけしが其その小舟こぶねより舩樓ふなやぐらの舩ふねに上のぼる者ものハ歳齢としごろ二に八はちばかりの美麗うつくしき處女むすめなり手てにハ名香めいかうの疊紙たとうがみを携たづさへ御み戸帳とちやうを守護しゆごせし下仕おすへの女中ぢよちう四五しご人にん扣ひかへたるに會釈ゑしやくして第だい三重さんぢうの上うへに登のぼりて彼かの香包かうづゝみを開ひらき焼香しやうかうをなすかと見みれバ左さハなくして手早てばやくも御み戸帳とちやうを引下ひきおろし押おし畳たゝみて腰帯こしおびを解ほどき十文字じうもんじに綾あやどりて背中せなかに屓おひ樓やぐらの上うへより聲こゑ高たかく」
二階にかいの間まに居ゐる下仕おすへに向むかひ 「御み戸帳とちやう守護しゆごの衆女みなさんへ御ご苦労くらうを係かけましてお氣きの毒どくにハ存ぞんじますが這この御み戸帳とちやうの元もとの主ぬし豊嶋としま左衞門さゑもん信國のぶくにの家け來らい神宮かには秀齋しうさいの娘むすめ梅うめと申もの養父やうふ杢兵衞もくべゑが過失あやまちうしなひたる錦にしきの籏はた 只たゞ今いま申賜まうしたまはりまして古主こしゆうの豊嶋としまへ持帰もちかへり君きみと父ちゝとの耻辱ちぢよくを雪きよめ古郷こきやうへ飾かざる錦にしきの籏はた笹蔓さゝづるの名なハ帰參きさんの手てづる花はなの方かたさまへ此この段だんをよろしき様ように御ご披露ひろうを御お頼たのみ申上あげますト聞きいて驚おどろく下仕おすへの女中ぢよちう思おもひがけなき大膽だいたんの言葉ことばに何なんと返答へんとうなく暫時しばらく猶豫ためらひ在ありけるがさすがに建武けんむ年中ねんぢうより今いまにいたつて合戰かつせんの絶たへぬ丗界せかいに生うまれ出でて武家ぶけに仕つかゆる女中ぢよちうなれバ互たがいに顔かほを見合みあはせしが氣きを励はげ〔ま〕まして樓やぐらの上うへを白眼にらみながらに大音だいおん上あげ ▲●×「扇あふぎが」10
谷やつの御ご威光ゐくはうも御ご場所ばしよがらをも弁わきまへぬ田舎ゐなか處女むすめが大膽だいたんな願ねがひとあらバ御舘おやかたの役人やくにん衆しゆうへ傳手つてを求もとめて叶かなはぬまでも願ねがはひで恐おそれ多おほくも御み戸帳とちやうを手込てごめにせうとハ命知いのちしらず堪忍かんにんならぬ覚悟かくごしやト異口ゐく同音どうおんに聲こゑかけて先まづ一番いちばんに走はせ上のぼるハ下仕おすへの中なかの勇壮きせうもの身繕みづくろひして頂上ちやうじやうの階子はしごを既すでに飛上とびあがり引下ひきおろさんと組付くみつけバ後あとより續つゞいて三四さんよ人にん登のぼる階子はしごの上あがり口くち梅太郎うめたらうハ一聲ひとこゑ叫さけんで組くまれし手て先さきを振ふりほどきはづみをうつて投出なげだせバ下したより登のぼる階子はしごの口くち續つゞく女中ぢよちうの首あたまの上うへより投落なげおとされて一同いちどうに上あがる階はし子ごを踏ふみはづしばた/\/\と仰のけさまに倒たふれて急所きうしよの同志どしうちに唯たゞがや/\と騒さわぐのみ折おりしも海上かいしやうに異あやしげなる黒雲くろくもの靉〓あいたいとして霏〓たなびき上のぼると見みへしが見み越こしが嶽たけのかたに當あたつて春雷しゆんらいの音おと空そらに」
響ひゞきけれバ船長ふなおさ等らハ大おほきに周章あはて驚彼すはや戊亥いぬゐの大風たいふうが吹出ふきいださんとするきざしなるぞ源氏げんじ山やまの山やまおろしに吹ふき散ちらされな用意ようゐせよと〓立ひしめきたちて碇いかりを引上ひきあげ岸きしの方かたへ漕こぎ近付ちかづけんと梶かぢを取直とりなほし艫ろを押おしならべ立たち騒さはぐ又また御座ござ船ぶねの二階にかいの間まにハ遠とふ眼鏡めがねをもつて先刻せんこくより沖おきの景色けしきと御み戸帳とちやう船ぶねの往通ゆきかよひを見みて在おはせしが唯たゞ今いま異あやしき白痴しれものあつて御み戸帳とちやうを奪うばひ取とらんとするを守護しゆごの女中ぢよちうが左さハさせじと爭あらそひたれども竟ついに不及およばず船樓ふなやぐらより下したの間まへ打うち落おとさるゝ其その風情ふぜい言ことの葉はぐさハ聞きこへねど事ことの模様もやうハ手てにとるごとく眼前がんぜんに見みへけるゆゑ花はなの方かたハ御み顔色けしき損そんじ最いと腹立はらたゝしき御聲おんこゑにて 花「アレ見みよ只たゞ今いま船樓ふなやぐらへ恣すがた・(ママ)やさしき處女むすめが參まゐり錦にしきの戸帳とちやうを盗取ぬすみとり逃にげんとするを女子おなごどもか」11
押止おしとゞめて遣やらじとすれど既すでにおよばぬ形容ありさまハ凡常よのつねならぬ曲者くせものぞや取とり逃にがさぬ中うち此この船ふねより早はやく加勢かせいの者ものを遣やりヤ トはげしき仰あふせに御側おそばの女中ぢよちう是これハと驚おどろき沖おきの方かたを遥はるかに視みやれバ汐しほけむり俄にわかに立たつて浦うら千鳥ちどりの群むれ飛とぶまゝに風かぜそよぎ今いま迄ゝでありし百もゝ千ち船ぶねハ皆みな悉こと%\く渚なぎさに帰かへり只たゞ御み戸帳とちやうの船ふねばかり大船たいせんといひ高樓たかやぐらの船足ふなあしおもく自由じゆうをなさず海うみの景色けしきの變かはりしさへ心こゝろに怖おそるゝ女中ぢよちう達たち雷いかづちの音おと高たかくなれバものおそろしくなか/\にお下知げちを請うけて梅うめ太郎の打手うつてに往ゆかんと言いう者ものなし元來もとより御お供ともハ女中ぢよちうのみ侍さむらひ衆しゆうハ由井ゆゐの若宮わかみやに扣ひかへさせ舩ふねにハ水主かこのものばかり奈何いかになさんと〓ひしめけバ花はなの方かたハ氣きを苛いらつて立たち上あがり給ひ 花「女子おなごの催もよほす
【挿絵第八図】
」12」
所爲わざにもせよ管領職くわんれいしよくの奥方おくがたと稱いは
るゝ妾わらはが眼前がんぜんに最いと口惜くちおしき此この有ありさま さりとて一人ひとりの處女こむすめが狂氣きやうきに等ひとし
きいたづらを取押とりおさへんとて侍達さむらいたちを陸くがまで呼よびに遣やられうか 誰たれなりとも女子おなごの中うちにて捕手とりての役やくを申付つけよ八汐やしほハ在あらぬか奈何いかにせしぞト いら立だち給ふ 其その席せきへ下家したやの間まより階子はしごを上のぼり御前ごぜんに手てを下さげ 中老ちうろう八汐やしほ 八汐「俄にわかの事ことのお人ひと撰えらみ誰たれ彼かれと申ましても遠慮えんりよを致いたす大事たいじのお役やく手間てまどりましてハ取とり逃にがして 花「イヽ ヤ通かよひの船ふねの者ものハ何所いづくへか迯去にげさつて戸帳とちやうを飾かざりし元もと船ぶねの外ほかに左右さゆうに船ふねもなし此この方ほうから乗のり付つくるまでハ迯にげ道みちのなひ船樓ふなやぐら 前後あとさき思おもはぬ不覺ふかくものを捕とるとて難かたひ事ことでなひ 些ちつとも早はやふ
捕手とりての役やくをト仰あふせの中うちに風かぜ荒あらく見み越こしが」13
嶽たけより吹下ふきおろし高波たかなみ立たつて御座ござ船ぶねさへゆらめき出いだし浮うき沈しづみます/\雷鳴らいめいはげしくなれバ捕手とりての役やくを心こゝろに怖おそれ顔かほ見合みあはせても眼めのくろめく八重やゑの汐路しほぢの汐しほ烟けむり言葉ことばもなくて扣ひかへたり其その時とき八汐やしほハ花はなの方かたに向むかひ礼義れいぎ正たゞしく 八汐「御ご機嫌きげんをそむきました麁忽そこつの者ものを間あいだもなく御ご免めんをお願ねがひ申ますのハ恐おそれ多おほふござゐますが火急くわきうの事ことゆゑ申上あげます先刻せんこくの落度おちどに付ついて押込おしこめ申付つけ置おきました八代やつしろが忠義ちうぎの志こゝろざし申過すごしを恐おそれ入いつて後悔こうくわいいたし居おります最中さいちう只たゝ今いまの一いち大事たいじ何卒とうぞ手柄てがらをいたしまして夫それを功こうに御詫言おわびこと命いのちを係かけて勤つとめますると健氣けなげな願ねがひを申ますゆゑ恐おそれながら伺うかゞひますト取次とりつぐ口上こうじやう花はなの方かたハさしかゝりたる」
大役たいやくを誰たれにと思おもひ寄より給はねバ是非ぜひなしとや思おぼしけん 花「しからバ暫時ざんじハ免ゆるして遣やりや功こうを立たてたら其その時ときハ罪つみもゆるして取とり立たてる早はよふ/\トせき立たち給ふ御意ぎよゐに一座いちざハホツ ト息いき八汐やしほハ急きうに艫ともの間まへいたりて八代やつしろを呼よび出いたし 八汐「其方そなたの願ねがひハ此この八汐やしほがとりなし申てお聞きゝ濟すみ些ちつとも早はやふ小こ船ぶねに乗のつて 八代「ヱヽ有ありがたふ存ぞんじまするトいふより早はやく立たち上あがり小褄こつま取とる手ても手てばしこく艫ともに縻つなぎし傳馬船かよひぶねに忽たちまちひらりと乗のり移うつれバ水主かこの中なかにも撰えらまれし達者たつしやの二人ふたりが艪ろを押おし切きつてヱイ/\聲ごゑに漕こぎ行ゆけバ樓やぐらの船ふねも渚なきさの方かたへ漕こぎ返かへさんと梶かぢを取とり艪拍子ろびやうしうつて聲こゑ限かぎり風かぜに向むかふて働はたらく難澁なんじう樓やぐらの上うへにハ梅うめ太郎が乗のり來きし小船こぶねに迯にげ去さられ殊ことに階子はしごの下したにてハ下仕おすへの」14
女中ぢよちうが追おつ取とり巻まき階子はしごを下くだらバ其その足あしを〓〓なぐりて補とらんとかまへたり船ふねを浦辺うらべへ寄よせられてハ敵てきの大勢おほぜいかさなりて奈何いかにするとも退のがれまじいかゞハせんと胸むねをいためいさゝか勇氣ゆうきの折くじけしがまた倩つく%\と思おもふ様よう兎とても退のがれぬ一いち大事だいじ命係いのちがけとハ最初はじめから知しれたる所爲わざをなしながら何なに今更いまさらに驚おどろくべき既すでに豊嶋としまの名なを出いだし笹蔓錦さゝづるにしきの御み籏はたをバ我わが手てに入いれて背せに負おひたれバ再度ふたゝび敵てきの手てに渡わたさんや命いのちの限かぎり切扱きりぬけなん叶かなはぬ時ときハ此この侭まゝに青海原あをうなばらの底そこに沈しづみ浮うかむ瀬せぞなき我わが魂たまを御み籏はたに止とゞめて守護しゆごを遂とげいつしか古郷こきやうに送おくるべしとおもひ極きはめて憤然ふんぜんと四方しはうを白眼にらみ 船樓ふなやぐらに突立つゝたちあがりし容体ありさまハ大丈夫ますらをめきて手た弱女をやかに花はなと」
見みまがふ顔かほばせに柳やなぎの眉まゆの清きよくして雪ゆきより白しろき腕たゞむきを長ながく延のばして柱はしらをとらへ褄つまからげせし裾すそ高たかけれバ紅くれなひの湯ゆ具ぐ脛はぎに係かゝりて風かぜのそよぐに肌はだを顕あらはし紅白こうはくの花はなの咲さけるがごとしそも/\宋朝そうのよの女おんな大將だいしやう 一丈いちじやう青せいがいまだ梁山泊りようさんぱくに入いらざる姿すがたか堀川ほりかは御所ごしよに夜討ようちを防ふせぎし静しづか御ご前ぜんの俤おもかげに准なぞらふべきか譬たとへていはん方かたもなし此この時とき風かぜはます/\強つよく沖おきの方かたへと吹ふきおくれバ八代やつしろの乗のる早船はやふねハ順風じゆんぷうゆゑにいと早はやく既すでに御み戸帳とちやうの船ふねに近付ちかづけども波なみと風かぜとにゆりあげられゆり下おろされて幾度いくたびか右みぎよ左ひだりと漕こぎまはり近付ちかづくかとすれば隔へだてられ同おなじ所ところをくる/\と廻めぐる危あやうさ怖おそろしさ遥はるかに此方こなたの御ご座ざ船ぶねさへ」15
【挿絵第九図】
浪なみ風かぜ荒あらきを凌しのぎかねまた陸くがよりも早船はやふねにて無理むりに帰館きくわんを催促うながしつゝまづ花はなの方かたに進すゝめ申漸々やう/\陸くがへ上あげ參まゐらせて濱辺はまべに暫時しばらく御おん乗物のりものを備そなへ直なほして沖おきの方かたをまたゞきもせず見みそなはせバ多おほくの女中ぢよちうハ左右さゆうに居ゐならび花はなの吹雪ふゞきと白浪しらなみの飛とび散ちる礒いそに花はな紅葉もみぢ卯うの花はな菖蒲あやめ萩はぎ桔梗きゝやうと名なに呼よぶ四季しきの美人びじん草さう入相いりあひの鐘かねに猶なほちらでおの/\沖おきを詠ながめて居おれりされバ晴はれなる八代やつしろが捕手とりての業わざも舩ふねの上うへ苛立いらだつまでに心こゝろせけども水主かこが手練しゆれんの」
【挿絵第十図】
艪ろにも任まかせずまた/\暫時しばらくはたらきしが此度こたびハ漸やうやく一丈ひとたけばかりに乗のり近ちか付づけバ八代やつしろハ兼かねて用意ようゐをなしたるか鍵かぎ縄なわの端はしを繰くりしごきヱヽ イと一ひと聲こゑかけながら大おほ舩ふねの縁へりにうちかけれバ彼方かなたにても心得こゝろえて力ちからを極きわめ引ひき寄よせつゝ頓やがて階子はしごをさし下おろせバゆらめく足元あしもと踏ふみしめて難なんなく上のぼる八代やつしろが傍輩ほうばいに會釈ゑしやくをし 八代「衆女みなさんの手てにさへ余あまるを鳴呼おこがましいと思おぼし召めさふが奥おくさまの御お下知げぢでござゐますから何卒どうぞ御ご免めんを」16
遊あそばせへ ▲●×「イヱ/\些ちつともその様ような御ご遠慮ゑんりよハ入いりませぬ 何所どこから參まゐつた處女むすめぢややら 町した方がたにハ珍めづらしい上品ひんの能よひ嬢こと 油断ゆだんのうち御み戸帳とちやうを引ひき下おろして古主こしゆうの家いへへ持もつて行ゆく元もとハ豊嶋としまの家いへの籏はた他家ひとの宝たからを御み戸帳とちやうとハ管領くわんれい職しよくに似合にあはぬ所わ爲ざと何様どうやら理屈りくつのある様ように豊と嶋まか歳増女としまか娘むすめの癖くせに思おもひの外ほかの大膽だいたんもの命いのちを捨すてても笹蔓錦さゝづるにしきを取返とりかへしてと覚かく」
悟ごのはたらきかならず油断ゆだんをなさんすな ト聞きいて八代やつしろ完尓につこと笑わらひ 八代「たとへ豊嶋としまの重宝ちやうほうでも扇ゲ谷あふぎがやつの奥方おくがたさまの御お手てに入いつた笹蔓さゝづる錦にしき 今更いまさら他ひとの手てに渡わたさふかとハ言いへ今日けふのお催もよほし此この船樓ふなやぐらの上うへにある龍りようの腮あぎとの玉たまとやらいふにもまさる錦にしきの籏はた必死ひつしでなくてハ出來できなひ業わざ定さだめて覚おぼへの曲者くせもので私わたしの手てにハいかゞの大役たいやく衆女みなさん加勢かせいをして下くださんせト言葉ことばは卑下ひげして言いひながらも勇氣ゆうきハたゆまぬ八やつ代しろが身繕みづくろひして早襷はやだすき怖おそるゝ色いろもなか/\に臆おくせぬ女丈夫おんなますらをが梢こずへをわたる猿ましらの如ごとく一重いちぢう二重にぢう三重さんぢうの樓やぐらの上うへを白眼にらまへながら 八代「いかに豊嶋としまの御み内うちの女中ぢよちう」17
扇あふぎが谷やつの御ご威光ゐくはうをおそれぬ所爲わざハ健氣けなげでもおよばぬ事ことを女子おなごだてらに前後あとさき思おもはぬ愚おろかのはたらき翼つばさがなふてハのがれぬ海上かいしやうサア尋常じんじやうにその錦にしきを此方こなたへわたして詫言わびことしや管領くはんれいの御おん内君うちぎみ花はなの方かたの仰あふせを請うけ捕手とりてに向むかふ八代ゆつしろが慈悲じひの縄目なわめに用捨ようしやをしてト言いふを聞きゝとる梅うめ太郎たらうさてハ手覺ておぼへあるものならんと隠かくし持もつたる白刄しらはを抜ぬき出だし御み籏はたの結目むすびめしめ直なほし下したより上のぼる八代やつしろを今いまや遅おそしと待まちかけたり
貞操ていさう婦女おんな八賢誌はつけんし二に輯しう卷之三了」〔白〕」18
【後ろ表紙】
#『貞操婦女八賢誌』(三) −解題と翻刻−
#「大妻女子大学文学部紀要」51号(2019年3月31日)
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# 高木 元 tgen@fumikura.net
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