『貞操婦女八賢誌』(四) −解題と翻刻−
高 木 元
【解題】
前号に引き続き、『南総里見八犬伝』の改作である『貞操婦女八賢誌』3輯を紹介する。
本作は人情本風の3巻3冊で構成されており、読者対象を女性とした企画であったと思われる。だが、既述した通り、内容的には稗史小説と呼ぶべきもので読本の如き章回体様式を採用している。しかし、この3輯だけは5巻5冊と規格外の造本になっており、この点を「四編以下を嗣作した二世為永春水は、読本に近付けようとして、四編を五冊とするなど、それなりの努力は試みているが、初代春水の執筆した分をふくめて、偶然によりかかった事件の連続でストーリーは展開し、『八犬伝』の雄大な構想に及ぶべくもない。合巻風の作品であり、八賢女も、九編末尾の挿絵によってそれと理解される体のものである。」(『日本古典文学大辞典』4巻、岩波書店、1984。執筆は神保五弥)と酷評されている。
神保氏ら大正生まれ以前世代の近世文学研究者たちにとっての戦前からの桎梏(近世小説など国文学研究の対象にはならないと云う同調圧力)が存した時代背景を充分に理解しておく必要はあるが、それでも、我々は今、その不適当な位置付けや評価は糺して措かなければなるまい。
稗史小説は主として半紙本読本で担われたものである。そして、一般に中本型読本は世話読本が多く、洒落本からの流れを汲み、人情本への橋渡しとして位置付けられてきた。これで大筋は説明が就くのであるが、中本型読本にも稗史小説に近いものは存在していた。すでに述べてきたことではあるが、「人情本の元祖為永春水の『武陵埜夜話』3巻3冊(文政11年)は匡郭を取り払った人情本風の造本ではあるが、色模様のない敵討物で、会話文を導入し愁嘆場を強調した作品である。同じく『小説坂東水滸傳』前後2編各3巻3冊(文政13〜14年)は一名「千葉系譜星月録」とあり、千葉家の御家騒動を「星塚佐七、星合於仙、星井志津馬、星野正作、星川主水、星影利光、星石賢吾」の七人の活躍で解決するという構想の『八犬傳』模倣作である。[…]半紙本の史伝物を指向する作品も見られる。」(拙稿、第2章第1節「中本型読本の展開」、『江戸読本の研究』、ぺりかん社、1995)また、この時期の人情本にも中本型読本的な伝奇性を残した作品も多かったのである。
とりわけ、この稗史小説的な中本を担ったのが為永春水であったといっても差し支えないであろう。つまり、中本という書型が保有する自由な実験が可能であった場において、世話読本たる人情本とは別途の稗史小説へ向けた試みがなされていたと見ることが出来るのである。
しかし、半紙本と違って、中本5巻5冊という仕立ての前例はほとんど見られず、大半は1巻1冊、1巻2冊が多く、また1巻3冊という構成も見受ける。したがって、2代目の為永春水(もしくは板元)が第3輯(のみ)を5巻5冊にしたのは「読本風にする」ということを意図したものだとはいえない。むしろ、第1輯と第4、5輯は上下2帙に分けられており、実質的には各輯6巻6冊となっている(外題と内題の編数が齟齬していることは後の「巻端附言」でも触れられている)。ならば、初代から2代へと嗣作された時に、3輯(2巻6冊)に1冊分足りない稿本5冊のままで出板を急いだものとも考え得る。
一方、改作は所詮二番煎じで、原作が築いた確乎たる評判(商品価値)の上に成立しているのであるから、容易に原作を凌駕し得るはずもないし、その固有の〈文学的価値〉を原作と比しても無意味である。ならば、舞台の設定変更や構想趣向の転用などにその妙を見て評価すべきで、その意味で本作は、「南総里見八犬伝」を「武蔵〔国〕豊島〔家〕 八賢女」として再構成したもので、実に良く出来た改作だと、むしろ積極的に評価出来ると思うのは僻目であろうか。
それかなしか、後摺本も流布してるし、何より明治になって実に多くの活字翻刻本が出されていることからも、良く読まれていたものと想像できる。
【書誌】三輯(5巻5冊)
書型 中本 18.6×12.5cm
表紙 丁子色水色白色地に縦縞飾模様
外題 左肩「貞操婦女八賢誌 編 壹(〜五)」(13.3×2.7cm)。題簽の上部(花を白抜き)から柿色、下部(船を白抜き)から空色のボカシを施す。
見返 なし〔白〕
序 「柳北の釣夫 為永春水記」(序1オ〜序2オ)
口絵 第一〜三図 見開き3図(丁付なし)。濃淡の薄墨を施す。
内題「貞操婦女八賢誌三輯巻之一(〜五)」
尾題「貞操婦女八賢誌三輯巻之一(〜五)終」
編者「東都 狂訓亭主人編次」(内題下)
畫工 記載なし
刊記 なし
諸本 館山市博・早稲田大・西尾市岩瀬文庫・山口大棲妻・東洋大・東京女子大・三康図書館・千葉市美。
翻刻 (一)参照
備考 この三輯だけが5巻5冊となっている。なお、後印本の詳細な調査報告については後日を期したいが、千葉市美蔵本の三輯五巻巻末には刊記「長次郎事勸善堂春水撰\四郎兵衛事歌川國直画圖\善次郎事溪齋英泉画圖\弘化二年乙巳歳\書肆\大坂心齊橋筋博労町河内屋茂兵衞\同 心齋橋筋南久太郎町秋田屋市兵衞\江戸京橋弥左エ門町大嶋屋傳右衞門板」が附されている。
【凡例】
一 人情本刊行会本などが読みやすさを考慮して本文に大幅な改訂を加えているので、本稿では敢えて手を加えず、可能な限り底本に忠実に翻刻した。
一 変体仮名は平仮名に直したが、助詞に限り「ハ」と記されたものは遺した。
一 近世期に一般的であった異体字も生かした。
一 濁点、半濁点、句読点には手を加えていない。
一 明らかな欠字や誤記の部分は、原文の近くに〔 〕に入れ私意で補正を示した。
一 丁移りは 」で示し、各丁裏に限り」1のごとく丁付を示した。
一 底本は、保存状態の良い善本であると思われる館山市立博物館所蔵本に拠った。
【付記】
翻刻掲載を許可された館山市立博物館に心より感謝申し上げます。
なお、本稿はJSPS科研費JP17K02460の助成を受けたものです。
【表紙】5冊とも同一意匠
【序】
稗史小説の児童に益ある惟目を欣喜しめ心を遊玩しむるの謂にあらず或ハ勸懲の一助とし或ハ入学の一捷徑とす尓はれ予が如き旡力の走筆〓をよく分解すべくもあらねど尚僥倖に捨られねバ嚮に婦女八賢誌九巻を綴り」孝貞義節を專にしていさゝか姦淫を禁戒と欲するものから毛頴の行所意の如くならでそが儘にして竟に止みつ有右而ある事五稔あまり六稔と言ふ這回にいたり猶其次篇を輯録てよと書肆が望みの屡々なれバ辞べき言」序ノ一
語も盡て今将五巻を編次つ第四輯とハなすものから唯飽食の幼稚の為に解し易きをもて要とすれば世間夛識の鳳君子かならず叱言為給ひそといふ
柳北の釣夫 為永春水記」
【口絵第一図】丁付なしウオ
腰越の阿安
【口絵第二図】丁付なしウオ
「勇婦於道」「竒婦阿多毛」\汐木焚く煙りの末や雲のみね
騒がしき軒の柏や今朝の冬\「神宮屋平左エ門」「夛塚の知縣大六」
【口絵第三図】丁付なしウ
武州豊嶋の郷の旧景
貞操婦女八賢誌三輯
東都 教訓亭主人編次
第十九回 〈船樓ふなやぐらに二賢にけん雌雄しゆふを爭あらそふ|腰越こしごえに乙女をとめ乙女をとめを救すくふ〉
再説ふたゝびとく梅太郎うめたろうハ日外いつぞや夛塚おほつかにてはからずも勇婦ゆうふ青柳あをやぎの物語ものがたりにて始はじめて聞きゝし養父やうふの横死わうし駭おどろくうちにも遺言ゆいげんの錦にしきの御み籏はたを尋たづね出だし再度ふたゝび家名かめいを興おこさんと思おもふものから又また更さらに是これぞといふ手掛てがゝりもなく空むなしく月日つきひを送おくる程ほどに今日けふなん錦にしきの籏はたを御み戸帳とちやうにして船樓ふなやぐらの催もよふしあり貴賤きせんを撰ゑらまず拜はいを免ゆるすと」港ちまた〔ママ〕の風説ふうぜつもつぱらなれバ是これぞ得難えがたき倖さいはひと心強こゝろつよくも只たゞ一個ひとり三重さんぢうの樓やぐらに錺かざりある錦にしきの御籏みはたを奪うばひ取とりさゝゆる仕女おんなを数いく十個じうにんか或あるひハ敲うちすゑ投なげ仆たふし又また取とりつくを蹴けかへして圍かこみを脱のがれんと働はたらけども如何いかにせん階子はしごの下したにハ數多あまたの下仕おすへの女中ぢよちう達たち手てに手でに得物えものを引提ひつさげて討うつて取とらんとひしめくにぞ脱のがれ去さるべき道みちのなけれバ其所そこに必死ひつしをきわめたる程ほどもあらせず八代やつしろとか名乗なのりて樓やぐらへ登のぼり來くる捕手とりての處女おとめハ折容おめたる色いろなく那かの三重さんぢうの二重にぢう目めまですら/\と走登はせのぼり樓やぐらをきつと見みあげつゝ夫それなる女中ぢよちうに物もの言いはん當時たうじ鎌倉かまくらに並ならびなき管領くわんれいさまの御おん内君うちぎみ花はなの方かたの催もよほしある此この舩樓ふなやぐらに憚はゞかりなく」1登のぼりて騒さわがすのみならず錦にしきの御籏みはたを奪うばはんとハ身みの程ほど知しらぬ不敵ふてき者もの豊嶋としまの残黨ざんとうと聞きくからハ猶なほゆるされぬ覚期かくごして此この八代やつしろが縛いましめを敏々とく/\受うけよと喚よばはりつゝ第だい三重さんぢう目めの樓たかどのへ飛鳥ひちやうのごとく駈かけ登のぼるをお梅うめハ見みつゝ些ちつとも騒さわがず身繕みづく〔ろ〕ひして打うち含笑ほうゑみ忠孝ちうかうふたつを身みひとつに思おもひ込こめたる此この梅うめを假令たとひ数百すひやくの軍勢ぐなぜいにて十重とゑ廾重はたゑに取巻とりまくとも物ものの数かずとも思おもはぬをいらざる女子おなごの腕立うでだてせずと怪我けがせぬ先さきに降伏あやまりやと言いはれて八代やつしろ冷笑あざわらひ旡益むやくの問答もんどうせんよりハ縛いましめうけよと言いひつゝも准備やうゐの十手じつてを振ふりあげてヤツト聲こゑかけ打うちかゝるをお梅うめハ寄よせじと身みをひそめ透すきをうかゞひ〓きりつくる刄やいばを潜くゞつて八代やつしろが組くまんとするを組くませじと互たがひに爭あら〔そ〕ふ虚々きよ/\実々じつ/\這方こなたハ十手じつて那方かなたハ」短刀たんたう一上いちじやう一下いちげと〓きりむすぶ双方そうほう劣おとらぬ働はたらきハ最いと目めざましくぞ見みへにける恁かくてある事こと半〓はんときばかり尓されども勝負しやうぶハ見みへざりしがいかにや爲しけん打うち合あふはづみにお梅うめが持もちたる短刀たんたうの鍔元つばもとよりして折おれるにぞ八代やつしろ得えたりと打込うちこむ十手じつてをはづして引組ひつくむお梅うめが早速さそく心得こゝろえたりと八代やつしろも十手じつてを投捨なげすて組合くみあふて上うゑになりまた下したになる最いとも危あやふき折をりこそあれ俄にわかに暴風ぼうふう吹起ふきおこり荒波あらなみはげしく立たつ程ほどにさしも大たいそうに造つくり立たてし三重さんぢうの樓舩やぐらぶねも何なにかハもつてたまるべき瞬またゝく間ひまにくつがへり大浪おほなみの中なかへ打込うちこまれて何所いづくともなく流ながされける其その中なかにお梅うめ八代やつしろの両りやう勇婦ゆうふハ組合くみあふたるそのまゝに」2くつがへる舩ふねと諸侶もろともに高樓かうろうより轉まろび落おち千尋ちひろの底そこにしづみしと思おもひの外ほか嚮さきにお梅うめが乗のり來きたりし小舩こぶねの中なかへ倖さいはひにも二個ふたり一所いつしよに落おちしかども斯かくまで荒あらき波風なみかぜなれバ須臾しばしも其所そこに猶豫たゆたはず且そのうへ高たかき樓たかどのより轉まろび落おちし事ことなれバ両個ふたりひとしく息絶きぜつして艫櫂ろかいをあやつるにあらざれバ浪なみのまに/\ふき流ながされ行衛ゆくゑ覚さだめずなりにけり
前話休題はなしふたつにわかる 爰こゝに發説また鎌倉かまくらの西にしにあたりて腰越こしごゑといへる一村ひとむらあり鎌倉かまくらよりハ道みちも僅わづかに隔へだゝ〔た〕りけれバ常つねに住すむ人ひとも稀まれにして丗よに繕つくろひなき片鄙へんぴなり這こゝに一箇いつこの賢女けんぢよありて名なをバお安やすと喚よばれ」けるが双親ふたおやハ世よを早はやく去さりて孤みなしことなりしを里人さとびとの爲ために育そだてられ成長ひとゝなるにしたがひて容顔やうがんの美麗びれいなる〓氏へんしが玉たまをもあざむくべく姿形すがたかたちのやさしき事こと春はるにあへる楊柳やなぎのごとし今年ことし僅わづかに十七なれども其その才さいハ老女おうなも及およばず且そのうへ力ちからあくまで強つよく武藝ぶげいの道みちにも賢かしこけれども常つねにハ殊ことに柔和にうわにして仮かりにも仁ひとと爭あらそはねバ村中むらぢうハ言いふもさらなり近郷きんごうまでも聞きゝ傳つたへて誉ほめざる者ものもなかりしかバ或あるひハ娵よめに貰もらひたし聟むこになりたしなぞ言いひ入いるゝあれバ又またハ好色いろこのみの若郎わかうど等らハ是これが爲ために胸むねを焦こがし言いひ寄よる者ものも多おほかりしかども如何いかなる事ことにや此このお」3安やすハ只たゞ能よき程ほどに断ことはりて聟むこをも求もとめず他ひとにも嫁かせず况まして浮うきたる事ことなぞハ聊いさゝか見みかへる事こともなく其その身みハ片瀬川かたせかはへ網あみを入いれ漁すなどりするを行業なりはひとして細ほそき烟けむりを立たてつゝも世よを最いと易やすく送おくりけるが這この日ひハ殊ことに空そら晴はれて波風なみかぜともに靜しづかなるに心こゝろにおもふよしもあれバ早朝あさまだきより舩ふねを乗のり出だし片瀬川かたせがはを上流あち下流こちと網あみを入いれつゝあさりまはれど小魚こうをすこしを得えたるのみにて尓さばかりの猟ゑものもあらねどされバとて又また他ほかを求もとめず一個ひとり小舩こぶねの中なかに在ありて身みの行末ゆくすゑを思おもひめぐらし默然もくねんとして居ゐる折をりしも俄にわかに沖おきの方かたに當あたりて暴風ぼうふうはげしく吹ふき起おこり最いと凄すさましく見みゆる」
【挿絵第一図】
片瀬川かたせがわにはからず三賢さんけんを會くわいす
」4」
にぞお安やすハ舩ふねを芦間あしまに漕こぎ入いれ須臾しばし風間かざまを待まちつゝも空そら打うちながめて居ゐたりける斯かゝる折おりしも川下かはしもより忽然こつぜんとして一ひとッの小舩こぶね浪なみに引ひかれてたゞよひ來きつおなじ芦間あしまへ流ながれ入いるにぞ於お安やすハ見みつゝ怪あやしみながら近寄ちかよるまゝによく/\見みれバ年としの頃ころ十七八かいまだ廾才はたちにいたらざる容貌すがたやさしき二個ふたりの處女おとめ何いづれも身輕みがるき衣装いでたちなるが組合くみあふたる侭まゝ舩底ふなぞこに仆たふれて息いきハ絶たえてありお安やすハいよ/\駭おどろきつゝも思おもひ合あはする事ことあれバ櫂かいを逆手さかてに取とり直なをし那かの舩縁ふなべりへ打うちかけて這方こなたの舩ふねに引付ひきつけつゝおなじ所ところに繋つなぎ止とめ扨さて那かの舩ふねに乗のり移うつりて二個ふたりの體からだをさぐり」5見みるに聊いさゝか呼吸こきうの通かよひあるにぞ准備やういの薬くすりを口くちにふくめ先まづ其その一個ひとりを呼よび生いくる事こと十聲とこゑばかりに及およびしときアツト言いひつゝ息いき吹ふきかへし四辺あたりを烏鷺々々うろ/\見みまはして忙然ぼうぜんたる事こと半〓はんときばかり須臾しばらく言語ことばもあらざりしをお安やすハ見みつゝ打うち含笑うなづき如何いかにお心こゝろ付つきましたかお怪我けがハなきかと介抱いたはれバ件くだんの處女おとめハ不審氣いぶかしげに何処いづこのお方かたか知しらねどもついに見み馴なれぬ吾女こなさんが情なさけハ嬉うれしきやうなれど若もしやお前まへも敵方てきがたのと疑うたがふ言語ことばをおしとゞめ吾〓わたしハ爰こゝより程ほど遠とふからぬ腰越こしごゑ村むらに成長ひとゝなり網引あびきの業わざに世よを渡わたる安やすと呼よばるゝ賎いやしい者もの最前さいぜん俄にわかの大暴おほあれに波なみを凌しのぎに此この芦間あしまへ舩ふねをかけると」程ほどもなく風随たゞよひ來きたりしひとつの小舩こぶね中なかにハお前まへと是これなるお女中ぢよちう組合くみあひながら氣絶きぜつの様子やうす不審いぶかしながらも捨すておかれねバお前まへを先さきへ呼よび生いけて様子やうすを聞きいた其そのうゑにて此このお女中ぢよちうをも介抱かいほうし及およばずながらお二個ふたりのお心こゝろの和やわらぐやう爲しやうと思おもふて此この仕合しあはせ別べつに子細しさいハござんせねバ吾〓わたしにお心置こゝろおきハない隱つゝましからぬ事ことならバ具つぶさに様子やうすを語かたり給へと赤心まごゝろ面おもてに顕あらはれしお安やすが言語ことばをつく%\聞きゝて處女おとめハ心安堵こゝろおちゐたれども猶なほ疑うたがひハ晴はれがたく言いはんと為しつゝ猶豫たゆだふをお安やすハ推すいして打うち点頭うなづきお前まへの疑念ぎねんハ然さる事ことながら岸きしをはなれし此この舩ふねなれバ他ほかに洩もれ聞きく者ものもなし品しなに」6よりてハ這方こちからもお話はなしいたす子細しさいもあれバ假令たとひはゞかる事ことありとも枉まげて打明うちあけ語かたりてよと再度ふたゝび問とはれて那かの處女おとめハ須臾しばし思按しあんの躰ていなりしが四辺あたりを見みまはし言語ことばを密ひそめ心こゝろありげなお前まへの言語ことば斯かく念頃ねんごろに問とひ給ふを言いはずハ恩義おんぎを弁わきまへぬ仇あだし女子おなごと思おもはれん世よに隱つゝましき事ことながら吾〓わたしハ豊嶋としまの家臣みうちびと何某なにがしが處女むすめなれども實父じつぷの上うへハ先まづ置おきて産うみにも増まして恩おん深ふかき養父やうふといふハ武藏むさしなる多塚おほつかといふ里さとの長おさ杢兵衞もくべゑと称よぶ者ものなりしが領主りやうしゆ平塚ひらつか家けの内命ないめいにて越こしの長尾ながをへ密使みつしの大役たいやく首尾しゆびよくなして帰かへる路みち松井田宿まつゐだじゆくの野中のなかにて扇あふぎが谷やつの」捕手とりてに出合いであひ遁のがれぬ所ところと戰たゝかひしかども那方かなたハ多勢たせい這方こなたハ小勢こぜい殊ことに老木おいきの杢兵衛もくべいなれバ終つゐに其その場ばで命いのちを落おとし夫それのみならで大切たいせつなる錦にしきの御籏みはたその上うへに沙金しやきん巨夛あまたを失うしなひたれバ豊嶋としまの家いゑを再興さいかうの便宜びんぎを其所そこに失うしなふて又また詮せん術すべもなきものから尓さりとて片時へんしも捨すて置おかれねバ義婦ぎふ青柳あをやぎと心こゝろを合あはせ吾〓わたしハ遠とふく木柴きしば苅かる此この鎌倉かまくらに忍しのび居ゐて御籏みはたの在所ありかを尋たづねしに今日けふ舩樓ふなやぐらの催もよほしハ得えがたき此この身みの倖さいわひと思おもへバいとゞ嬉うれしくて心こゝろ太ふとくも只たゞ一個ひとり那かの舩樓ふなやぐらに走はせ登のぼり首尾しゆびよく御籏みはたハ手てに入いりしかども数多あまたの女中ぢよちうに捕とり圍かこまれ殊ことに」7是これなる八代やつしろとか名乗なのりし處女おとめの武勇ぶゆう力量りきりやう終ついに刄やいばを打折うちをられ互たがいに組合くみあふ折おりこそあれ俄にわかの風かぜに舩ふねくつがへり那かの三重さんぢうの樓やぐらより轉まろび落おつると思おもひしのみ夫それから先さきハ何様どうなりしか知しらで這所こゝまで吹流ふきながされお前まへの情なさけに蘇生よみがへりし御恩ごおんハ譬たとへん方かたもなく身みを粉こにするとも此この惠めぐみを報むくはにやならぬ義理ぎりなれども既すでに御籏みはたの手てに入いる上うへハ片時へんしもはやく豊嶋としま家けへ携たづさへ行ゆきて亡父なきちゝの先さきの恥辱ちじよくを清すゝがねバ遺言ゆいげんうけし此この梅うめが草葉くさばの蔭かげへ言いひ訳わけなし吾〓わたしが功こうなる其その上うへハ身みを犬馬いぬむまの労ろうにかへてもかならず御恩ごおんを報ほうじます斯かういふうちも心急こゝろせく捕手とりての女中ぢよちうの蘇生よみがへらぬ先さき少すこしも速はやく此この場ばをと言いひつゝ」お梅むめが立たちあがるをマア/\待まつてお梅むめさん吾〓わたしが一言ひとこといふ事ことありと言いひつゝ這方こなたに仆たふれ臥ふしたる那かの八代やつしろが起おきあがるを見みるより於梅おむめも又またお安やすも駭おとろき騒さわぐを八代やつしろがおし鎮しづめつゝ形容かたちをあらため知しらぬ事とてお梅むめさん嚮さきにハ恩おんあるお前まへに對たいし危あやふひ事ことでござりましたと聞きいてお梅むめハ不審ふしん顔がほ吾〓わたしに恩おんを受うけたとある左様さうしてお前まへの身みのうゑハと問とひかへされて八代やつしろハ涙なみだにうるむ目めの縁ふちを袖そでにて卒度そつと打うち覆おほひ言いふも面おもなき事ことながら吾〓わたしが実じつの爺とゝさんも多塚おほつか村むらの百姓ひやくしやうにて名なを籾七もみしちと呼よばれつゝ貧まづしき者もので侍はべりしが三年さんねん塚ごしの大病たいびやうに家財かざいも田畑たはたも賣うり」8盡つくし斯かくても足たらぬ年貢ねんぐの未進みしん欺なげいて見みても聞きかればこそ那かの強慾ごうよくな大六だいろく殿どの終ついに旡慈悲むじひに爺とゝさんを牢ひとやの中うちにつながれて日毎ひごとに不納ふなうを責せめらるれバ只たゞさへ病苦びやうくのそのうゑに呵嘖かしやくに合あふてハ須臾しばらくもたもたず僅わづか半月たゝざる間あいだに牢ひとやの中うちに死去みまかり〔り〕給ひ尓されども非道ひだうの大六だいろく殿どの猶なほ飽あき足たらでや吾〓わたし等らまで牢ひとやに入いれんと言いはれしをお前まへの親おや御ご杢兵衞もくべゑさまのさま%\に執成とりなし給ひ苛からき命いのちを助たすかりても在所ざいしよに住居すまゐもならざれバ吾〓わたしの丁度てうど七才なゝつのとき嚊かゝさんと只たゞ二個ふたり住すみも馴なれたる多塚おほつかを涙なみだながらに立出つゝさして行ゆくべき方かたもなけれど此この鎌かま」倉くらに聊いさゝかの由縁ゆかりのありしを心當あてに尋たづねて聞きけバ其その人もいつの程ほどにか世よを去さりて頼たのまん方かたもあら磯いその由井ゆゐが濱辺はまべにさまよひ來きつ詮方せんかたなさに親おやと子こが其所そこに覚悟かくごを極きわめつゝ身みを沈しづめんと爲する所ところを扇あふぎが谷やつ家けの奥おく女中ぢよちう繁咲しげさきさまといふお方かたが御代參だいさんのお歸かへりがけ夫それと見みるより御お駕籠かごの中うちから吾〓わたし等ら親子おやこを呼よび止とゞめ子細しさいを委くわしく聞きかれたうゑ情深なさけふかくも嚊かゝさんと吾〓わたしを舘やかたへ伴ともなひ行ゆきお部屋へやの中うちに養やしなはれ二月ふたつき三み月送おくるうち倖さちなきうゑに倖さちなきハ又また嚊かゝさんに死別しにわかれ夫それから後のちハ何事なにごとも繁咲しげさきさまの御お世話せわにて吾〓わたしが十四になる年としから下仕おすゑ」9女中ぢよちうに加くわえられ武家ぶけに奉公ほうこうするからハ物書ものかく道みちハ言いふに及およばず釼術けんじゆつ柔術やはらの一手ひとて二手ふたてハ知しらねバならぬと隙ひまある毎ごとに繁咲しげさきさまより教おしへられ御恩ごおんに月日つきひを過すぐるうち御ご朋輩ほうはいの妬ねたみにて繁咲しげさきさまにハ奥様おくさまより御ご不興ふけうを蒙かうむりたまひ夫それが病やまひの根ねとなりて今いまより三稔みとせ先さきの秋あき終ついに空むなしくなり給へバ其その悲かなしさと口惜くちおしさに袖そでハ涙なみだの乾かはく間まも泣なき明あかし又また泣なき暮くらし日数ひかずハ歴ふれど忘わすられぬ歎なげきの中うちに今度こんどの催もよほし錦にしきの籏はたを御み戸張とちやうとハ他ひとの譏そしりも恥はづかしく爰こゝぞ御ご恩おんの報ほうじ所どころと繁咲しげさきさまに心嗣なりかはり港ちまた〔ママ〕の噂うはさに事こと寄よせて及およばずながら奥おくさまをお諌いさめもふせし甲か斐ひも」なく反かへつて此この身みに罪つみを得えて御み舩ふねの中うちに押込おしこめられしに又またはからずもお梅うめさんの捕手とりての役やくをゆるされて恩おんあるお方かたの娘御むすめごとも知しらで勝負しやうぶを爭あらそひしハ危あやふひ事ことでござんしたと身みの越方こしかたを物語ものがたれバお梅うめハさらなりお安やすさへ感嘆かんたんしてぞ巳やまざりける
第廾回 〈芦間あしまの忍術にんじゆつ暗あんに錦籏きんきを奪うばふ|漁村ぎよそんの扁舟へんしう暁あかつきに三女さんぢよを送おくる〉
當下そのときお安やすハ嚮さきよりの二個ふたりが言話はなしをつく%\聞きゝて思おもはず小膝こひざを〓はたと打うち天晴あつぱれ愛度めでたきお両女ふたりのお物語ものがたりを聞きくに付つけ禀まうすも鳴呼おこなる事ことながら吾〓わたしが實じつの爺とゝさんハ基もと鎌倉かまくらの商人あきびとなれども」10利欲りよくに泥なづむ事ことをせず武術ぶじゆつを好このむのみならす力ちから飽あくまで強つよけれバ自おのづと相撲すまふの妙みやうを得えて強つよきを蹇くじき弱よわきを助たすくる侠客おとこぎにて在ありしかバ人ひとにも敬うやまひ立たてられしに其その身みの運うんや拙つたなかりけん四十もいまだ越こえざるに一稔ひとゝせ疫病ときのけを煩わづらふてさま%\医療ゐりやうを尽つくせしかども終ついに薬くすりのしるしなく末期まつごの極きわの枕辺まくらべに吾〓わたしを近ちかく呼よび寄よせて我われハ素もとより商人あきびとなれども利慾りよくの爲ために心こゝろを寄よせ生涯しやうがいを過すごさん事こと最いと口惜くちおしく思おもふにより何卒なにとぞ武士ふじの小官はしくれともなり鎗やり一筋ひとすぢの主ぬしにもならんと思おもひし事ことも爲果しはたさで今いまを最期さいごとなりしこと旡念むねんといふも餘あまりあり其方そなたハいまだ幼少おさなくて殊ことに女子おなごの身み」なれども我わが存念ぞんねんを受繼うけつぎで成長せいちやうの後のち武勇ぶゆうをあらはし身みをも家いゑをも興おこすべし遺言いひおく事ことハ是これのみなれバ必かならず忘わするな怠おこたるなと言いはれし時ときハ吾〓わたしハ五いつッ幼少心おさなごゝろに悲かなしくて如何いかにすべきと思おもふうち又また嚊かゝさんも世よを去さりて親族しんそくとてもあらざれバ此この腰越こしごゑに引移ひきうつり里人さとびと達たちの情なさけにて成長ひとゝなるにしたがひて彼かの遺言ゆいげんを須臾しばらくも忘わすれず爭いかで武ぶ名めいを顕あらはさんと思おもへど未熟みじゆくの吾〓わたしゆゑ身みひとつにして叶かなひがたく神かみの冥助みやうぢよを蒙かうむらんと此所こゝより程ほども遠とふからぬ江えの嶌しまの弁才天べんざいてんに夜毎よごとに歩あゆみを運はこびつゝ祈念きねんに他事たじハなかりしに願ぐわん満日まんにちに及およびし夜よ社檀しやだんに思おもはず」11眠ねむりしに忽地たちまち音楽おんがくの聲こゑと侶ともに神女しんぢよの御姿みすがた顕あらはれ給ひ最いと清きよらかなる御み聲こゑにて汝なんぢ美び名めいを世よに挙あげんとするその宿願しゆくぐわんハ空むなしからねといまだ時運じうんの至いたらねバ今いまよりこゝろを勵はげまして汝なんぢが過世すぐせの因縁ゐんえんある七なゝッの星ほしに回めぐり逢あひ汝なんぢと侶ともに八ッの星ほし全まつたく集あつまる事ことを得えバ周あまねく四し海かいに名なをあげて後のちの世よまでも賢女けんぢよと称いはれん汝なんぢ其その星ほしを得えんと思おもはゞ日ひ毎ごとに片かた瀬せ川がはにいたり見みよかならず二ふたッの星ほしに逢あはんと宣のたまふよと思おもひしに忽地たちまち夢ゆめハ覚さめしかバ是これかならず霊夢れいむならんと猶なほも神前しんぜんに祈念きねんして夫それより神かみのおしへに任まかせ日毎ひごとに此この川かはへ船ふねを」浮うかべ待まつ甲斐かひありて今日けふといふ今日けふお二個ふたりさんに逢あひし事こと偏ひとへに神かみの導みちびきか吾〓わたしがよろこび此このうゑなしと語かたるを打うち聞きく八代やつしろお梅うめ是これ又また竒中きちうの一大いちだい竒事きじと驚嘆きやうたんしてぞ居ゐたりける其そのときお梅うめハ両婦ふたりに對むかひ其そのお話はなしを聞きくにつけ思おもひ合あはする事ことありとて那かの青柳あをやぎが身みのうゑの事ことお斉さいの尼あまのおしへの事ことまで一伍いちぶ一什しゞうを譚ものがたり尓さうして見みれバ此この三個みたりもまた青柳あをやぎといふ處女むすめも腹はらこそ異かはれ過世すぐせから互たがひに結むすばる縁えんあれバ今いまより〓〓きやうだいの義ぎをむすび苦楽くらくを侶ともにするならバ嘸さぞ頼母たのもしうござんしやうと言いはれてお安やすも八代やつしろも侶ともによろこぶ不思義ふしぎの」12竒き縁えん爰こゝに三女さんぢよを會くわいせしむるも弁才天べんざいてんの冥助みやうちよなるか量はかり知しられぬ事ことなりけり恁かくて三個みたりの長譚ながものがたりに永ながき日ひも稍やゝ黄昏たそがれて塒ねぐらへ急いそぐ群鳥むらどりの羽音はおとにお安やすハ打うちおどろき餘あまり話説はなしに実みが入いりて日ひの暮くるるさへ忘わすれました尓されども這こゝ等らハ人里ひとさと遠とふく洩もれ聞きく人ひとハあらねどもお両婦ふたりさんの御勞おつかれをも顧おもはぬ吾〓わたしの心こゝろなさ見み苦ぐるしくとも今宵こよひ一夜ひとよハ吾〓わたしの住居すまいでゆる/\と何なにかの話説はなしをいたしませう倖さいわひの此この宵闇よひやみ路次ろじを忍しのぶに便たよりもよしいざ諸侶もろともにと言いひつゝも此方こなたの芦間あしまに舫もやひ置おきたる那かの網舩あみぶねに乗のり移うつれバ二個ふたりも續つゞひて」乗のりうつる其その時ときお安やすハ今いままで乗のり居ゐし小舩こぶねの舳先へさきに手てを掛かけて何なんの苦くもなく俯伏うつぶせにくつがへらせて押流おしながし是これで心こゝろの殘のこりハなひと言いひつゝ完尓につこと打笑うちわらひし其その力量りきりやうを感歎かんたんして両婦ふたりハ目めと目めを見合みあはせつゝ最いとたのもしくぞ思おもひける有右かくてお安やすハお梅うめ等ら両女ふたりを舩ふねより丘おかに登のぼらせつゝその身みハ舩ふねを芦間あしまに繋つなぎ投網とあみを肩かたに打うちかけて両女ふたりに先立さきだち案内しるべを為つゝ程ほど遠とふからぬ我わが家やの方かたへ足あしを速はやめて急いそぎ行ゆく跡あとハ淋さみしき薄闇うすやみに渺々びやう/\たる河原かはらのありさま最いと物凄ものすごき折をりこそあれ右方かなた左方こなたの芦間あしまより現あらはれ出いでたる二個ふたりの婦女おんな互たがひに」13顔かほをすかし見みて。お理喜りきさん。お友ともさんか。そして首尾しゆびハと問とひかけられ此方こなたの婦女おんなは完尓につこと打笑うちゑみ其所そこに誤ぬかりハござんせん豫かねて約束やくそくした通とふり吾〓わたしハ彼方かなたの芦間あしまから始終しゞうの様子やうすを立聞たちぎくにお梅うめとやらが錦にしきの籏はたをたしかに所持しよぢせし様子やうすゆゑ透すきを窺うかゞひ覘ねらひ寄より習ならひ覚おぼへし忍しのびの術じゆつにて豫かねて准備よういの小包こづゝみと御籏みはたの包つゝみと摺替すりかへて則すなはち爰こゝにと言いひながら懐ふところよりして件くだんの籏はたを取とり出いだしつゝ四辺あたりを見みまはし首尾しゆびよく奪うばひ取とりたれどもお梅うめとやらが心付こゝろづき今いまにも尋たづねて來こんも知しれずお前まへハ御籏みはたを携たづさへて些ちつとも速はやく此この子細わけを」
【挿絵第二図】
〓〓はらから不思義ふしぎに錦にしきの籏はたを奪うばふ」14」
お道みちさまへ禀もふしあげ御籏みはたをお渡わたしもふしなバ能よいお差圖さしづの有あるハ必定ひつじやう吾〓わたしハ爰こゝ等らに忍しのび居ゐて今いま一ひと手段しゆだんござんすと言いひつゝ御籏みはたをわたすにぞ那方かなたの婦女おんなハ受取うけとりてそんなら吾〓わたしハ例いつもの場所ばしよへ。アヽ合点がつてんでこさんすと互たがひに囁さゝやき頷うなづきつゝ道みちを違ちがへて芦原あしはらを何所いづこともなく走はせ去さりける
作者さくしや云いはく 畢竟ひつきやう是これなる両個ふたりの女おんなハ善ぜんか悪あくか 〓そも甚麼いかに後回のちのめぐりに解とき分わくるを読よみ得えて委くわしきを知しり給へ
却説かくて勇婦ゆうふお安やすハ両婦ふたりを我家わがやへ伴ともなひつゝ圍爐裏ゐろりの埋火うづみひ掘出ほりいだし先まづ行燈あんどうに灯ひを照てら〔ら〕し両婦ふたりを其所そこに安措やすらはせその」15身みも倶ともに圓居まとゐして最前さいぜんからの御話説おはなしでハお労つかれのみかお腹なかさへ嘸さぞお空食ひもじうござんしやう何なにがな御ご膳ぜんのお菜さいをと思おもへど何なにをもふすにも斯かゝる卑賤さもしき世渡よわたりゆゑ思おもふのみにて夫それさへならずお口くちに合あはぬハ知しりながらも初うゐ見參げんさんを祝ことぶくしるし片瀬川かたせがはにて手猟てりやうの雑魚うろくず是これなと焼やいてお夜食やしよくをと言いふを両女ふたりハおしとゞめ〓いろふを聞きかず立たちあがり圍爐裏ゐろりに柴しばを折焚をりたきつゝ手てづから夜食やしよくを安排あんばいして最いと念頃ねんごろに勧すゝむるにぞ二個ふたりも今いまハ〓いろひかねて其その赤心まごゝろを悦よろこびつゝ賓きやくも主あるじも諸侶もろともに稍やゝ夕餞ゆふぜんも果はてしかバ又またもや互たがひに身みのうゑを説ときつ説とかれつ」閑談かんたんに斯須しばし時刻じこくのうつる程ほどにお梅うめハ嚮さきに取とりかへせし御み籏はたの包つゝみを取出とりいだし此この一品ひとしなの手てに入いるからハ吾〓わたしハ一旦ひとまづ古郷こきやうへ帰かへり豊嶋としまのお家いゑへさしあげて親おやの恥辱ちじよくを清すゝいだうゑ過世すぐせの縁えんある皆みなさんに復また再會さいくわいを遂とげませうと言いひつゝ包つゝみを打開うちひらけバ錦にしきの籏はたにハあらずして中なかにハ綾あやの女おんなの片袖かたそて是これハとばかり打うち駭おどろくお梅うめハさらなり八代やつしろもお安やすも倶ともに仰天ぎやうてんして互たがひに目めと目めと見合みあはすのみ呆あきれてしばし忙然ぼうぜんたり其そのときお安やすハお梅うめに對むかひ何なにハ兎ともあれ大切たいせつな御み籏はたを人手ひとでに渡わたしてハお前まへの功こうも無むになる道理たうり其その盗人ぬすひとハ」16知しらねどもいまだ時刻じこくも遅おくれねバ尋たづねて知しれぬ事ことハあるまい今いまから直すぐにお梅うめさん八代やつしろさんも諸倶もろともにと言いはれて八代やつしろ一議いちぎに及およばずなるほどお前まへの被仰おつしやるとふり一時いつときなりとも猶豫ゆうよハされぬ先まづさし當あたつて氣き掛がゝりハ片瀬川かたせがはなる芦間あしまの小舩こぶね那処かしこを一旦ひとまづ尋たづねたうゑと言いひつゝ二個ふたりハ立上たちあがるをお梅うめハ急きうにおしとゞめお二個ふたりさんのおこゝろざしハ身みに余あまる程ほど嬉うれしひなれど吾〓わたしが側そばを少すこしも放はなさず大切たいせつに守護しゆごする御み籏はたを摺替すりかへて取とるほどの奴やつ放心うか〓〓/\這辺こゝらに居ゐませうかよし又また此この地ちに居ゐるにもせよ此所こゝハ鎌倉かまくらへ遠とふからねバ扇あふぎが谷やつの捕手とりての」人数にんす忍しのび居をらんも量はかられず尓しかするときハ盗ぬすまれし御み籏はたを取とり得えぬのみならで反かへつて吾〓わたし等ら三口さんにんに不思義ふしぎの難義なんぎあらんも知しれずよし夫それとても吾〓わたしハ覚期かくご恐おそるゝ事ことハなけれどもお二個ふたりさんをもまきぞへせられ志願こゝろざしをも立通たてとふさで命いのちを落おとさバ世よの人ひとの物笑ものわらひともなりませう夫それのみならで八代やつしろさんハ仮染かりそめながら扇あふぎが谷やつの禄ろくを契たべたるお身みなれバ今いまこそ吾〓わたしと義ぎを結むすび苦楽くらくを倶ともにするとても御み籏はたを倶ともに尋たづねてハ吾〓わたしに對たいして信しんありとも扇あふぎが谷やつこそ不仁ふじんなれ大恩だいおんうけたと被仰おつしやつた繁咲しげさきさまへ義ぎが立たつまい兎とても角かくても奪うば」17はれ〔し〕ハ吾〓わたしが不覚ふかく是非ぜひもなしお両個ふたりさんの心こゝろハ知しらねど一旦ひとまづ多塚おほつかへ赴おもむきて那かの青柳あをやぎさんにも様子やうすを語かたり再ふたゝび御み籏はたを取戻とりもどす手段しゆだんを其所そこに定さだめませうと義理ぎりを説とひたる才女さいぢよが言葉ことばに両個ふたりハ深ふかく感服かんぷくして終ついに其その意いに随したがひける其その中なかに八代やつしろハ欣然きんぜんとして形容かたちをあらため既すでに先さきにも禀もうせし通とふり七ッの歳としに死しに別わかれた親おやの石碑せきひハありながら香花かうはなさへも備そなへずに此この年月としつきを過すごせしに今いま時ときありて斯かくまでに世よに類たぐひなき賢女すぐれびとに因ちなみを結むすびて古郷ふるさとの親おやの牌前ひぜんに手向たむける水みづハ千部せんぶの經きやうにも弥増いやまして草葉くさばの蔭かげより双親ふたおやがさぞ悦よろこぶで」ござんせうと恁かゝる時ときにも親おやを忘わすれぬ其その孝心かうしんを感かんじつゝ猶なほも余談よだんに及およふほどに春はるの夜よなれバはかなくも暁あかつきの鐘かね告つげ渡わたり鶏鳴けいめい東隣とうりんに聞きこゆるにぞお安やすハ駭おどろき外とに出いでて空そらの様子やふすを打うちながめまだ東雲しのゝめにハ間あいだもあれバ少すこしも路次みちの小暗こぐらきうち芦間あしまの小舩こぶねに打乗うちのりて夜明よあけぬ先さきに藤沢ふぢさわまで皆みなさんお仕度したくなさんせと言いはれて頷うなづく八代やつしろお梅うめ身繕みづくろひするその間ひまにお安やすハ家内やうちを取片付とりかたづけ一ひと風呂敷ふろしきに引包ひきつゝみて卒いざ諸倶もろともにと言いひつゝも三個さんにんひとしく背戸せど口くちより舩場ふなばをさして急いそぎける
貞操婦女八賢誌ていそうおんなはつけんし三輯さんしふ巻之一終」18
貞操婦女八賢誌ていそうおんなはつけんし三輯さんしふ巻之まきの二
東都 教訓亭主人編次
第廾一回 〈戸田とだの河原かはらに苦七くしち袖乞そでごひを誘いざなふ|夛塚おほつかの知縣ちけんに二賢にけん義婦ぎふを救すくふ〉
前話こゝに不題また武藏むさしの國くに夛塚村おほつかむらの知縣ちけん戸と塚つか大六だいろくハ婬行いたづら非ひ道だうの曲者くせものなれバ過すぎし日ひ青柳あをやぎを搦からめ捕とりてより梅太郎うめたらう等らが詮義せんぎハせで朝暮ちやうぼ青柳あをやぎを居間ゐまに侍はべらせ酒興しゆけうに事ことよせ種々さま%\と艶行いやらしきことを言いひかくる其その躰てい曽かつて公おほやけならねバ腹立はらたゝしくも口くち惜おしくて或あるひハ罵のゝしり恥はづかしめ承諾うけひく氣色けしきハなきものから」大六だいろくハ猶なほ懲こりずまにおどしつすかしつ欺計こしらへて其その情慾じやうよくをはたさんと思おもヘど義氣ぎきある青柳あをやぎの爭いかでか不正ふせいに従したがふべき恁かくて數日すじつを經ふるほどに大六だいろくも今いまハ堪こらへかねて青柳あをやぎをきびしく縛いましめ一間ひとまの中うちへ押込おしこめて更さらに三度さんどの食事しよくじさへ思おもふほどにハあたへもせず以前いぜんに替かはりし振ふるまひハ是これみな大六だいろくが姦計かんけいにて尓しかして苦くるしめ置おくときハ其その堪たえがたさに自おのづから心こゝろにしたがふことも有あらんと斯かくハはからひたりしとなん偖さてもまた神宮屋かにはやにてハ素もとより異血まゝしき處女むすめなれどもお袖そでが容貌すがたの美麗うつくしきによりこれをおとりに大家たいけへ取入とりいり金かねの蔓つるにありつかんと夫婦ふうふ密ひそかに相談さうだん」1
して其その内心したごゝろでありけるに此このほどお袖そでハはからずもお張はりに欺あざむき誘引いざなはれ家出いへでなせしを一筋ひとすぢに梅太郎うめたらうが連つれ出だしたりと思おもへバ旡念むねんさ限かぎりなくいかにもして取戻とりもどさんと思おもふ折をりしも様子やうすを聞きけバその夜よ戸塚とつか大六だいろくが杢もく兵衛べゑの家いへにおし寄よせて家財かざいを殘のこらず闕所けつしよなし食客しよくかく青柳あをやぎを搦捕からめとりしと其その噂うはさもつぱらなれバ夫婦ふうふハ是これを聞きくよりも聊いさゝか心地こゝちよく思おもヘども梅太郎うめたらうハ亡命かけおちなしお竹たけも終ついに身みを遁のがれて両個ふたりともに行衛ゆくゑ知しれねバ意い恨こんハ猶なほも晴はれがたく敏とく青柳あをやぎを拷問ごうもんさせ梅太郎うめたらうが在家ありかを尋たづね怨うらみを報むくはんと思おもふにぞ」那かの大六だいろ〔く〕に金子こがねを贈おくり頻しきりに吟味ぎんみを急いそげども大六だいろくハ只たゞ青柳あをやぎが艶色ゑんしよくに心こゝろまよひいかにもして手てに入いれんと思おもへバ是これ等らの事ことに懸念けねんせず空むなしく月つき日ひを過すぐるほどに神宮屋かにはや夫婦ふうふハ意恨いこんに堪たへず金かねに爲なさんと思おもひし處女むすめを誘さそひ出だされしのみならず五十ごじう両りやうの金かねまでも盗ぬすみ去さられし事ことなれバ此このまゝにてハ濟すまされず兎とても角かくても大六だいろくが心こゝろに叶かなふやうにもてなし那かの青柳あをやぎを拷問ごうもんなさねバ怨うらみを報むくふ日ひハあらじと種々さま%\思按しあんを回めぐらせしに其その頃ころ戸田とだの川縁がはべりに両個ふたりの女おんな乞食こじきありて其そのさま〓〓きやうだいのごとくなるが髪餝すがた衣粧かたちハやつれたれ」2ども容貌かほかたちのうるはしき事こと鄙ひなにハなか/\有ありがたしと噂うはさする者もののありけれバ神宮屋かにはや夫婦ふうふハ是これを聞きくより一ひとツの謀計はかりことをもふけしかバ早速さつそく家いゑの老僕おとななりける苦七くしちといへるに所存しよぞんを明あかし夥数おほくの錢ぜにを齋もたらして戸田とだの川縁かわべりに赴おもむかせつゝ件くだんの乞食こじきに夫それをあたへて密ひそかにたのみたき事ことあれバ今宵こよひ神宮屋かにはやまで參まいるべし事ことなるうゑハ褒美ほうびの金かねハ両人ふたりが望のぞみに任まかせんとひそやかに言いひ聞きかせけれバ二個ふたりの乞食こじきハ思おもはずも多おほくの銭ぜにを貰もらひしのみか此この夛塚おほつかにて分限者ぶげんしやと名なに聞きこへたる神宮屋かにはやより斯かく念頃ねんごろに呼よばるゝ事ことゆゑ何なにか」子細しさいハ知しらねども褒美ほうびと聞きゝて打うち欣よろこびいかにも今宵こよひ參まいるべしと両女ふたりが答こたへに苦七くしちもよろこび猶なほ左右かにかくと約やくをなして急いそぎ神宮屋かにはやへ立帰たちかへり主あるじに首尾しゆびよきを語かたりつゝ其その日ひの暮くるるを待まつほどにはや晩鐘いりあひもいつか過すぎて夜よも初更しよかうにぞ及およびける其そのとき神宮屋かにはやの裏口うらぐちへ忍しのび寄より來くる以前いぜんの乞食こじき苦七くしちハ夫それと見みるよりも豫かねて手繰てはづを定さだめし事ことゆゑ庭にわづたひに案内しるべをなし夫婦ふうふが居間ゐまに伴ともなひ行ゆきて密ひそかに斯かくと報知つげけれバ主あるじ夫婦ふうふハ端近はしちかふ〓先えんさきに立出たちいでつゝ両女ふたりが容貌すがたをつく%\見みるに實げに聞きゝたるに弥いや増ませし風俗ふうぞく」3のみか立居たちゐ振舞ふるまひ賤いやしき者ものと思おもはれねバ主あるじハ深ふかく欣よろこびつゝ那かの袖乞そでごひをさし招まねき汝等なんぢら両婦ふたりを呼よび寄よせしハ深ふかき子細しさいのある事ことながら何なにに寄よらず我わが言いふこと頼たのまれてハ呉くれまじきかと言いはれて両女ふたりハ臆おくする色いろなく吾〓わたし等ら如ごとき賤いやしき者ものを人ひとらしくも呼よび寄よせられ斯かく念頃ねんごろに宣のたまふものを假令たとへいかなる事ことにもせよ身みに叶かなひさへする事ことなら仰おふせハ背そむきもふすまじと言いふに主あるじハます/\欣よろこび先まづ彼かの両個ふたりに浴ゆあみさせ新あらたに衣類ゐるいをあたへつゝ一間ひとまの中うちに件ともなひ行ゆき酒食しゆしよくを出いだして饗應もてなしたるうゑ四辺あたりの人ひとを遠とふざけて主あるじハ言話ことばを密ひそめ」つゝ憑たのみといふも他ほかならぬど箇様々々かやう/\の事ことにより一個ひとりの處女むすめお袖そでをバ梅うめ太郎が爲ために連出つれだされしにその夜よまた如此々々しか/\の事ことありて梅うめ太郎が家いへを闕所けつしよせられ食客しよくかく青柳あをやぎといへる處女むすめハ其その場ばにて召捕めしとられしかど那かの梅うめ太郎が在家ありかハ素もとより妹いもとお竹たけも遁にげ去さりて終ついに行ゆく衛ゑの知しれざれバ我わが怨うらみハ猶なほ晴はれがたく尓さりとて他ほかに手段しゆだんもあらねバ當所たうしよの知縣ちけん大六だいろくどのに金銀きん%\夥数あまたを賄賂まいないして那かの青柳あをやぎを拷問がうもんさせ梅うめ太郎等らが在家ありかをバ白状はくじやうさせて搦捕からめとり此この欝憤うつぷんを散さんぜんと思おもひしかども如何いかにせん大六だいろくどのハ」4青柳あをやぎが只たゞ艶色ゑんしよくにのみ迷まよはれて吟味ぎんみの沙汰さたも有あらざれバ斯かくていつまで在ありたりとも意恨ゐこんの晴はるゝ日ひハあらじと思おもひしゆゑに種々さま/\と日夜にちや心こゝろを苦くるしめしにはからず汝等なんぢら両女ふたりを得えてひとつの竒計きけいをもふけしなり其その子細しさいハ別義べつぎならず汝等なんぢらを彼所かしこに連行つれゆき此この者ものハ鎌倉かまくらなる由縁ゆかりの人ひとの處女むすめなるが薄命ふしあはせにて親おやに死別わかれ我等われらが方かたにたより來きて何いづれにも佳よき方かたへ奉公ほうこう為したしと望のぞむゆゑ不都束ふつゝか者ものにハ侍はべれども若もし思おぼし召めしもあらんにハお側そばの塵ちりをも拂はらはせ給へと言話ことばを工たくみに勧すゝめなバ素もとより好色こうしよくの大六だいろく殿どのゆゑかならず両女ふたりを抱かゝへ」
【挿絵第三図】
苦七くしち戸田とだ河原かはらに乞食かたいを説とく」5」
らるべし其そのとき汝等なんぢら心こゝろを合あはせ大六だいろく殿どのを甘言すかし欺計こしらへ折おりよくハ青柳あをやぎを拷問ごうもんさする様やうに爲すべし若もし夫それとても心迷こゝろまよひて拷問こうもんすべき氣色けしきなくバ折おりを窺うかゞひ青柳あをやぎを入いれ置おく一間ひとまに忍しのび入いり密ひそかに彼嬢かれを盗ぬすみ出いだし我方わがかたへ送おくるべし尓しかする時ときハ此方こなたにてきびしく彼嬢奴かれめを貴せめ問とひて一々いち/\白状はくぜうさせたるうゑ憎にくしと思おもふ梅うめ太郎たらうお竹たけも倶ともに搦からめ捕とり今いまの怨うらみを晴はらすべし然さハ言いへ是これ等らの秘事ひめごとを大六だいろく殿どのに推量さとられてハ労ろうして功こうなきのみならで我身わがみのうゑにもかゝる事ことゆゑ假令たとへ青柳あをやぎを盗ぬすみ出だすとも誰たが所爲しわざとも知しれざるやう必かならず心こゝろを用もちゆべし其その時ときにハ」6我わが方かたにも豫かねて手繰てはづを定さだめ置おき首尾しゆびよく那嬢かれを奪うばひ去さりなん憑たのみといふハ此この事ことなりと言いはれて二個ふたりの袖乞そでごひハ思おもはず莞尓につこと打笑うちゑみて如何いかなる事ことかと思おもひしに青柳あをやぎとかいふ娘公むすめごを拷問がうもんさするか連つれ出だすか二ッに一ッの今いまのお頼たのみ箇様かやうに禀もうさバ何なにとやらん鳴呼おこなる者ものと笑わらはれんが吾〓わたし等ら両個ふたりも腹はらからの袖乞そでごひにてハ候はず親おやハ京家きやうけに仕官みやづかへして由所よしある者ものにて侍はべりしが讒者ざんしやの舌したにかけられて終ついに浪人らうにんの身みとなりゆき夫それれより諸國しよこくにさまよふうち双親ふたおやをさへ死去うしなふて寄方よるべなけれバ是非ぜひなくも斯かゝる賎いやしき業わざもしつ僅わづかに命いのちを」つなげども悲かなしさ難面つらさ堪たへがたく人に情なさけのあるならバ如何いかなる方かたにも身みを寄よせて爭いかで此この苦くを遁のがれんと思おもひし甲斐かひにはからずも今宵こよひ此この家やへ招まねかれしハ吾〓わたし等ら二個ふたりが身みの僥倖しあはせ命いのちに替かへても力ちからを尽つくし首尾しゆびよく爲遂しとげし其そのうゑでハ何卒なにとぞ二女ふたりが身みの落付おちつき偏ひとへにお願ねがひもふしたしといふに主あるじハ打うち点頭うなづき思おもふに増ましたる両女ふたりが種性すじやういかにも頼たのみし大役たいやくを爲なしたるうゑハ望のぞみの隨意まに/\よきにはからひ得えさすべしと言いひつゝ妻つまにも其その意ゐを得えさせ新あらたに衣装いしやうを調とゝのへて両個ふたりを美々びゞしく粧よそはせ次つぎの日自みづから大六だいろくが邸やしきへ両女ふたりを伴ともなひゆき豫かねて」7約束やくそくせし如ごとく如し此か々々/\のよし言いひこしらへて両婦ふたりを目見めみへに出いだせしに按あんに違たがはず大六だいろくハ美色びしよくをよろこぶ婬行者いたづらものゆゑ忽地たちまち両婦ふたりを召抱めしかゝゆる旨むね返答へんたうに及およびしかバ爲しすましたりと神宮屋かにはやハ心中しんちう密ひそかに歓よろこびつゝそこ/\にして立たち去さりける有右かゝりしほどに大六だいろくハはからずも佳か人じんを得えてはや塊たましひも身みに添そはず心こゝろ頻しきりに放氣うかるゝにぞ其その夜よ俄にわかに酒席しゆせきをもふけ件くだんの両個ふたりに酌しやくを取とらせて既すでに数す献こんに及およびしに彼かの處女おとめ等らハ肚裏はらのうちに思おもひ設もうけし事ことやありけん言話ことばをたくみ興きやうを添そへて猶なほも數盃すはいを吃のまするにぞ謀計はかりこととハ大六だいろくが鈍おぞくも」思おもひ知しらざれバいよ/\大吃すゝみます/\醉ゑいて終ついに席せきにも堪たえがたくや其その侭まゝ其所そこに打臥うちふして果はてハ鼾いびきとなりにける當刻そのときハ夜よも稍やゝ更ふけて子ねの時ときばかりになりしかバ家内やうちハ都すべて寐ねしづみて大六たいろくが辺ほとりにハ只たゞ那かの両個ふたりの處女おとめのみ他ほかに扈従つきそふ者ものもなけれバ両個ふたりの處女おとめハ大六だいろくが辺ほとりへ卒度そつと忍しのび寄より寐ね息いきを須臾しばし考かんがへて顔かほ見合みあはせつゝ完尓につこと打笑うちゑみまんまと首尾しゆびよくお安やすさんお前まへの智惠ちゑで易々やす/\と此家このやへ入込いりこむ而巳のみならず此この邪智じやち深ふかき大六だいろく奴めを。お前まへと両個ふたりの口先くちさきにて欺だまして醉よはせたうゑからハ這奴こやつハ最早もはや死人しにんも同前どうぜん此この間まに速はやく」8八代やつしろさん。なるほど彼かれ是これ手間てまどつて目めを覚さまさせてハ面倒めんだうものそんなら直すぐに青柳あをやぎさんを一間ひとまの中うちより救すくひ出だし豫かねて手て繰はづを爲した通とふり那あの片村むらはづれの一家ひとつやへ。伴ともなひゆきてお梅うめさんに何なにかの様子やうすを咄はなしたうゑ落おち付つく先さきハ後あとの事こととハ言いへ知しらぬ此この家やの勝手かつて若もし右往左往あちこちと迷歩うろつきて咎とがめられてハ一いち大事だいじと言いふを八代やつしろおしとゞめ。其その事ことならバ氣き遣づかひなし霄よひに吾〓わたしが侍婢こしもとを歎だまして聞きいて置おきましたが慥たしかに奥おくの小院こざしきとか這所こゝから直すぐに庭にはづたひにサアござんせと立たちあがる最いとも腎かしこき八代やつしろが才智さいちに驚おどろくお安やすさへ侶ともに下立おりたつ庭面にはもせの其その月代つきしろが八代やつしろハ先さきに」立たちつゝ小院こざしきをこゝろざしてぞ忍しのびける
第廾二回 〈三女さんぢよ暗夜あんやに走はしつて群舘ぐんくわんを騒さはがす|奸夫かんぷ奸夫かんふを計はかつて反身かへつてみを亡ほろぼす〉
却説かくて青柳あをやぎハ斯かゝるべしとハ神かみならで知しるよし絶たへてあらざれバ明暮あけくれ難面つれなき大六だいろくが仕方しかたも邪婬こひの叶かなはぬ仇あたと思おもへバいとゞ腹はら立たゝしく尓されども遁のがるゝ道みちのなけれバ若もし此このまゝに賊手ぞくしゆにかゝり命いのちを捨すてなバ是これまでに思おもひ立たちたる宿願しゆくぐわんも亦また梅太郎うめたらうと義ぎを結むすびし言話ことばも空むなしき露つゆと消きへ死ししての後のちまで夲意ほいなからん然さハいへ放心々々うか/\如右かくてあらバ終ついにハ命いのちを失うしなふべし」9尓しからんにハ賊手ぞくしゆにかゝり耻はぢに耻はぢを重かさねんより自みづから死しぬるが増ましならん勇者ゆうしやハ死しを見みておそれずとか女子をなごに似氣にげなき事ことながら死すべき時ときに死しせざれバ死しにも増ましたる耻はぢとやらヲヽ夫それがよい/\と心こゝろの中うちにハ思おもへども身みハ縛いましめの蔦つたかづら我身わがみで我身わがみの自由じゆうならねバ死しぬも死しなれぬ因果ゐんぐわさを慰なぐさむる人ひともあらし吹ふく夜寒よさむの衣ころも身みを冷ひやし枕まくらさへせで欝々うつ/\と物思ものおもはしき折をりこそあれ誰たれかハ知しらず入口いりくちなる銅かな戸どを卒そつ度と押明おしあけて忍しのび入いり來くる二個ふたりの處女おとめ這方こなたハ不審ふしんの晴はれざれバ聲こゑをかけんとする口くちをおさへて手速てばやく青柳あをやぎが」縲絏いましめを伐きり解ほどき耳みゝに口寄くちよせ囁さゝやくを青柳あをやぎハ聞きくよりも或あるひハ呆あきれ且かつ欣よろこびそんなら両個ふたりのお女中ぢよちうさんもやつぱり過すぐ世せの縁ゑんありてお梅うめさんと因ちなみを結むすび此この多塚おほつかへお出いでのところ神宮かにはの家いへの大變たいへんと私わたしの難義なんぎをお聞きゝゆゑ姿すがたをやつし入いり込こんで酒食しゆしよくにふける大六だいろくゆゑ計はかりおふせて易々やす/\と手て繰はづ違たがへず吾〓わたしをバ救すくひ出いだして下くださんしたかシテお両個ふたりのお身分みぶんハと問とひかけられて八代やつしろが那あの吾〓わたし等らハ鎌倉かまくらでと言いはんとするをお安やすがおし禁とめ其そのお話説はなしハ跡あとでもなる事こと爰こゝにあんまり間ひまどつて若もし大六だいろくか尓さもなくとも家内かないの者ものが目めを覚さまさバ是これまで折角せつかく」10爲しおふせた手て繰はづも水みづの泡あわとなり反かへつて難義なんぎにならうも知しれぬ八代やつしろさんハ此間このひまに速はやく青柳あをやぎさんを伴ともなふて爰こゝかまはずと裏門うらもんから那あの村尾むらはづれの草屋ひとつやへと言いはれて八代やつしろ打頷うちうなづきそりや合点がつてんでござんすがお前まへひとりを殘のこしてハと言いふをお安やすハおしとゞめナニ氣き遣づかひハござんせん吾〓わたしが爰こゝへ殘のこるのも若もし大六だいろくが目めを覚さまし追手おつてをかける時ときの爲ためゆゑそんな事ことにハ懸念けねんなく倖さいわひ雲くもに入いる月つきの小こ暗ぐらきうちに卒いざ敏はやくと急せり立たてられて八代やつしろも又また青柳あをやぎも辞いろひかねつゝ手速てばやく小褄こづま取上とりあげて密ひそかに立たち出でる裏門うらもん口ぐち小こぐらき方かたに身みを寄よせて潜戸くゞりど卒度そつと」推明おしあけつゝ既すでに出いでんとする折おりしも此この物音ものおとに駭おどろき覚さめけん庖所くりやの大戸おほど押明おしあけて僻者くせもの待まてと言いひつゝも用心棒ようじんぼうを打振うちふり々々/\現あらはれ出いでたる両個ふたりの小僕こもの青柳あをやぎと八代やつしろを敵仆うちたをさんと彼是ひしめくを跡あとより徐々そろ/\忍しのび來くるお安やすハ夫それと見みるよりも飛鳥ひちやうのごとく駈かけ寄よつて二個ふたりの男おとこの襟えりがみを〓つかんで此方こなたへ引戻ひきもどし。爰こゝかまはずと些ちつともはやく。そんなら跡あとを憑たのむぞへ。アイ合点がつてんでござんすと言いふを後うしろに聞きゝ捨すてて両個ふたりハ先さきへ走はしり行ゆく其時そのとき二個ふたりの小僕こもの等らハお安やすが腕うでを振ふりはなち猶なほ懲こりずまに打うちかゝるを右みぎと左ひだりへ引外ひつぱづしツト身みを寄よせて突出つきいだす掌こぶしの當身あてみに二ふた」11個りの男おとこハ須臾しばしも得え堪たへず仰向のけさまにウント言いひつゝ仆たふるゝを見み向むきもやらず裾すそはせおり青柳あをやぎ等らに追おひつかんと足元あしもと見みへぬ薄闇うすやみに千草ちくさ百草もゝくさ蹈分ふみわけて頻しきりに路次みちを急いそぎつゝ二町ふたまち三町みまち來きし折をりしも片辺かたへに茂しげりし笹原さゝはらよりあらはれ出いでたる一個ひとりの癖者くせもの頭巾づきん目深まぶかに冠かむりしかバ男おとこか女おんなか知しらねどもお安やすの姿すがたを透すかし見みて打うち点頭うなづきつゝ亦また以前もとの小お笹ざゝの中なかにぞ隠かくれける
〈作者さくしやいはく此この曲者くせものの|わけ廾七回くわいに出いだす〉
却説かくてまた大六だいろくが郡舘やしきにてハ嚮さきにお安やすになやまされし二個ふたりの小僕こものハ稍やゝ須臾しばし倶ともに氣き絶ぜつや爲したりけん起おきもあがらで居ゐたりしが既すでに半〓はんときばかりにしてやうやく」蘇生われにかへりしかバ打うち駭おどろきつゝ四辺あたりを見みるに那かのお安やす等らハ何地いづちへ往ゆきけん更さらに影かげだも見みへざれバ互たがひに目めと目めを見合みあはすのみ又また詮術せんすべもなきものから然さハとて止やむべきにあらざれバ急いそぎ大六だいろくが居間ゐまにいたり事こと如此しか/\/\と報知つぐるにぞ其その時ときまでも大六だいろくハ猶なほ熟睡うまゐして居ゐたりしが今いま此この知しらせを聞きくよりも俄然がぜんとして起直おきなほり且かつ駭おどろき且かつ怒いかりて偖さてハ女子をなごと氣きをゆるさせ大切たいせつなる罪人つみんどを奪うばひ去さられし口くち惜おしさよ是これみな神宮屋かにはや平へい左衛門ざゑもんが深ふかくも謀はかりし事ことならめ尓さもあらバあれ此この報むくひ今いまにぞ思おもひ知しらせんとて忽地たちまち人數にんづを准備よういしつ大六だいろく自みづから先さきに找すゝみて夥兵くみこ等らに」12下知げちして言いふやう汝等なんぢら手て緩ぬるき働はたらきして捕迯とりにがさんもはかられねバ各々おの/\刃やいばを抜連ぬきつれて家内やうちの奴等やつら残のこりなく皆みな悉こと%\く〓きり尽つくして彼かの青柳あをやぎ等ら三個さんにんを再ふたゝび首尾しゆびよく取とりかへすべし心得こゝろへたるかと言いひつゝも軈やがて件くだんの神宮屋かにはやなる表口おもてぐちより裏口うらぐちより三七二十一むにむざんに〓きり入いるにぞ思おもひがけなき事ことなれバ〓みせと庖所くりやに熟睡うまゐせし雑人ぞうにん小こ僕ものハ周章あはて騒さはぎて喃あれ盗奴ぬすびとよ泥坊どろぼうよと叫さけぶを這方こなたの夥兵くみこ等らハ躍おどりかゝつて〓きりまはる這方こなたハ多勢たせい那方かなたハまた不意ふいをうたれしのみならず雑人ぞうにんどもの甲斐かひなさハひとりとして敵對てきたふ者ものなく我先われさきにと」迯廻にげまはるにぞ那かの夥兵くみこ等らハいよ/\勇いさみて或あるひハ袈裟けさ掛がけ腰車こしぐるままたハ肩先かたさき臑掌すねこぶし其そのさま瓜うりを切きるごとく瞬間またゝくひまに十四五しうしこ名にん枕まくらを並ならべて死ししたりける尓されども戸と塚つか大六だいろくハ神宮屋かにはや夫婦ふうふに出合いであはず况まして青柳あをやぎ等ら三女さんにんの何いづれに隱かくれ居ゐるを知しらねバ猶なほも夥兵くみこらを励はげまして奥おくと納戸なんどを心こゝろざし會釈ゑしやくもなくぞ〓入きりいりぬ案下そのとき神宮屋かにはや平へい左衛門ざゑもんハ有右かゝるべしとハ露つゆ知しらで嚮さきに二個ふたりの袖乞そでごひに竒計きけいを示しめして郡舘ぐんくわんへ奉公ほうこうさせし事ことなれバ近ちかきに青柳あをやぎを拷問がうもんさするか尓さなくバ密ひそかに連出つれだすならめ然しかるときハ左とやせまじ右かくやせまじと姦計かんけいに夫ふう婦ふ額ひたいを集あつめつゝ閑談かんだん数す」13刻こくに及およぶほどに更行ねよとの鐘かねに心こゝろつき夫婦ふうふ互かたみに臥房ふしどに入いりしが忽地たちまち家や内うち騒々そう%\しく小僕こものの呼よばゝり叫さけぶ聲こゑ耳みゝに響ひゞきてすさましく何事なにごとやらんと起上おきあがり準備よういの手鎗てやりを引提ひつさげつゝ身みが構まへなして居ゐる所ところへ間隔あわいの襖ふすま蹴けはなして先さきへ找すゝみし戸塚とつか大六だいろく夥兵くみこを後方あとべに従したがへつゝ聲こゑ高たかやかに喚よばはるやう汝なんぢ姦賊かんぞくいかなれバ我わが恩沢おんたくを蒙かうむりて数年すねん當所たうしよに家いゑ居ゐを構かまへ商賣なりはいに利りを貪むさぼりながら其その恩報おんほうハ思おもひもせで素性すじやう知しれざる婦女をんなをかたらひ我われを計はかりて熟々うま/\と重おもき罪つみある青柳あをやぎを奪うばひ去さらせし汝なんぢこそ賊ぞく婦ふに増ましたる罪つみなりかし頓とく三女さんにんの賊ぞく婦ふをわたし」
【挿絵第四図】
三女さんじよ暗あんに知縣ちけんを走はしる」 14」
我わが縛いましめを受うけなバよし不ふの字じを言いはゞ汝等なんぢらをも小僕こものに等ひとしく〓尽きりつくして後のちに賊ぞく婦ふの在家ありかを尋たづねん尓さでも白状はくじやうせざるかと言いはれて駭おどろく平へい左衛門ざゑもんお踏ふみも倶ともに仰天ぎやうてんして偖さてハ二個ふたりの袖乞そでごひのまんまと青柳あをやぎを連つれ出だしたるに追おつ手ての人にん数ずに迫せまられて我方わがかたへハ來くる事こと叶かなはず他方たほうへ走はしりしものなるか然さるにても連つれ出だすならバ豫かねて手て繰はづをなさんと言いひしに女子をなごの淺あさき心こゝろから憖なまじいなる事こと爲出しいだして毛けを吹ふきて此この大疵おほきずを求もとめたる物ものならんと流石さすが姦かん智ちの平へい左衛門ざゑもんも那かの二個ふたりの袖乞そでごひをお安やす八代やつしろの二に賢女けんぢよと悟さとらぬも現げに道理ことはりなり恁かくてまた平へい左衛門ざゑもんハ事ことの」15破やぶれと思おもひしかども遁のがるゝたけハ弁舌べんぜつにて言いひ遁のがれんと思し按あんしつ妻つまにも急度きつと瞬目めくばせして大六だいろくに打對うちむかひ思おもひ寄よらざる御ご難題なんだい小拙それがし事ことハ梅太郎うめたらうに處女むすめを奪うばひ去さられしゆゑ其その遺ゐ恨こんやる方かたなく爭いかで青柳あをやぎを拷問がうもんなし梅うめが行衛ゆくゑを尋たづね求もとめて今いまの恨うらみを報むくはんと思おもひこそすれゆゑもなく仇あたに組くみせし青柳あをやぎを救すくひ出だすべき所謂いわれなし是これにて賢察けんさつあるべしと言いはせもあへず大六だいろくハ忿然ふんぜんとして眼まなこを〓みはり汝なんぢ何程なにほど言語ことばを工たくみ我われを惑まどはさんと欲ほりするとも汝なんぢが方かたより口入くにうせし両個ふたりの賊ぞく婦ふが青柳あをやぎを奪うばひ去さりしが慥たしかな證据しやうこ斯かくても遁のがるゝ道みちありや」汝なんぢがごとき白徒者しれものを白状はくじやうさせんと間ひまどるうち大事だいじの賊婦ぞくふを捕迯とりにがさバ千度ちたび悔くゆとも詮せんなからん夥卒ものども這奴こやつ等ら夫婦ふうふを殺ころして先まづ我わが怨うらみを晴はらさせよと言いはれて駭おどろく神宮屋かにはや夫婦ふうふ猶なほ言いひ解とかんとする折おりしも頭かしらの令げぢに従したがふ夥兵くみこ等ら各々てに/\得え物ものを打振うちふり々々/\夫婦ふうふを中なかに捕とり稠こんで討うつてとるべき勢いきほひに平へい左衛門ざゑもんも今いまハしも奸口かんこう利弁りへんを用もちゆる間ひまなく妻つまのお踏ふみを後うしろに囲かこひ手て鎗やりをもつて防ふせぎ戰たゝかふ勢いきほひ剛がうにハ見みゆるものから素もとより武ぶ道だうを知しるにあらねバ多おほくの夥兵くみこに〓きり立たてられ薄痍うすで四五しごヶか所しよ屓おひしかバ防ふせぎがたくや思おもひけん引外ひつぱづして」16迯出にげいだすを大六だいろく透すかさず飛とびかゝつて肩先かたさきより乳ちの下したまで後袈裟うしろげさにぞ〓きり下さげたり此この有様ありさまに駭おどろき怖おそれしお踏ふみハ心こゝろも身みに添そはず尓されども猶豫ゆうよする場所ばしよにあらねバ爰こゝぞ一生いつしやう懸命けんめいと捕手とりての中なかを潜くゞり抜ぬけ迯にげんとすれども女子をなごの甲斐かひなさ終ついに右みぎより左ひだより眉間みけん肩先かたさき嫌きらひなく盲手めつた〓ぎりに〓きりなされ其所そこに命いのちを落おとせしかバ大六だいろくハ心地こゝちよげに夫婦ふうふが死骸しがいを見みやりつゝ猶なほも夥兵くみこを勵はげまして家や内うちを殘のこらず尋たづぬれども那かの三個さんにんの處女おとめハさらなり婢女ぬい等らも惣すべて迯にげたりけん人影ひとかげさへも見みへざれバ大六だいろくハ憤いら」怒だつのみ終ついに望のぞみを失うしなふて又また詮術せんすべもなき侭まゝにつく/\思おもひ回めぐらせバ我われ一朝いつちやうの忿いかりに任まかせ神宮屋かにはや夫婦ふうふを殺ころせしかども賊婦ぞくふの行衛ゆくゑ知しれざれバ其その尾をを〓きつて頭かしらを放はなすの理ことはりに似にて今更いまさらに猶なほ欝憤うつぷんハ晴はれがたし兎とても角かくても此この侭まゝにて賊ぞく婦ふを取とりも戻もどさずバ我わが一分いちぶんの立たゝざるのみか他ひとの批判ひはんも免まぬかれず尓さらバ今いまより手て分わけを為なして近郷きんがう近在きんざい隣國りんごくまで尋たづね求もとめて搦捕からめとり今いまの思おもひを散さんぜんと俄にわかに手繰てぐりをなす折おりしも忽地たちまち大六だいろくが郡舘やしきの方かたに猛火みやうくわ盛さかんに燃もへあがり天てんをも焦こがす勢いきほひなれバ大六だいろく再ふたゝび打駭うちおどろき邸やしきの方かたに失火しつくわ有あるぞ」17夥卒ものども急いそげと言いひつゝも慾よくに目めのなき大六だいろくなれバ一品ひとしなにもせよ我わが品しなを焼やいてハ損そんのうまる瀬せなしと處女おとめが詮義せんぎも打捨うちすてて息いきをもつかず走はせ去さりける
實げにや天道てんだうハ善ぜんに与くみし悪あくを懲こらすと那かの青柳あをやぎが義心ぎしんなる一回ひとたび悪手あくしゆに囚とらはるれども又またはからざる助たすけあり神宮屋かにはや夫婦ふうふが奸悪かんあくなる始はじめハ巨萬こまんの黄金こがねを積つむとも畢ついに非命ひめいの死しを遁のがれず只たゞ大六だいろくが非道ひだうのみ天てん爭いかでか是これをゆるさん〓そハ末すへの巻まきに解分ときわくるを見みて知しらん
貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし三輯さんしう巻まき之の二終」 〔白〕」18
貞操ていそう婦女をんな八賢誌はつけんし三輯しう巻之六〔三〕(ママ)
江戸 教訓亭主人編次
第廾三回 〈樹間じゆかんの草屋會四賢女そうをくしけんぢよをくわいす|老婦ろうふの赤心餞別一簡せきしんいつくわんをはなむけす〉
再説さても青柳あをやぎ八代やつしろハ於安おやすに跡あとを振ふり任まかせて大六だいろくが舘やしきを立出たちいでつゝ足あしをはやめて往ゆくほどに稍やゝ村むらはづれに來きし折おりしもひと叢むら茂しげりし木立こだちの隙ひまより立たちあらはれし一人ひとりの處女むすめ先さきにすゝみし八代やつしろと顔かほ見み合あはせつ小聲こゞゑにて むすめ「 八代やつしろさんか 八「お梅うめさんか 梅「シテ大六だいろくの舘やしきの都合つがうハ 八「首尾しゆびハ寔まことに上々吉じやう%\きち即すなはち爰こゝへ青柳あをやぎさんをト言いふ」とき跡あとより青柳あをやぎが 青「お梅うめさんでござんすか扨さても/\トばかりにて互たがひに涙なみださしぐむハ流石さすが婦女をんなの情じやうならんか霎時しばらくあつて青柳あをやぎハ二個ふたりに對むかひて容かたちをあらため 青「 那かの大六だいろくが邪曲よこしまより旡失むしつの罪つみに囚とらはれて迚とても逅のがれぬ命いのちとハ心こゝろで覚悟かくごを為しましたなれど因ちなみを結むすび義ぎをかためたお梅うめさんに最もう一度いちど會あつて言いひたい事こともあり聞きゝたいこともあるものを這この侭まゝ死しぬとハ口惜くちをしひと思おもふた念ねんの届とゞいてか今夜こよひはからず皆みなさんの救佐たすけに萬死ばんしを逅のがれたハ浮うき木きにあいし盲亀かめよりもまだも得えがたい僥倖さいわいと思おもへバ命いのちをなげうつて御ご恩おん報ほうじハいたします夫それにつけても不思義ふしぎなハお梅うめさんハ過すぎし頃ころ御籏みはたを尋たづねて」1
豊嶋としま家けへ亡父ぼうふの汚名おめいをあがなはんと首途かどでありし其その日ひよりいまだ幾いく程ほども立たゝざるに古郷こきやうへお帰かへりありしのみかお二個ふたりさんを伴ともなふて私わたしの必死ひつしを救すくはれしハどふも心こゝろに解げせませぬ御籏みはたハお手てに入いりましたか亦またハいらぬか気きがゝりな早はやふ聞きかせて下くださんせト問とはれてお梅うめハうち点頭うなづき 梅「 其その疑うたがひハお道理だうりながら是これにハ種々いろ/\子細わけのあること併しかし爰等こゝらハ往來わうらいゆへ長話語ながばなしもおかしなもの狹せまくハあれど那あれなる小家こいへへ 青「そんなら其所そこで何なにかの話語はなしを 八「言いつたり聞きいたりいたしませう 梅「サアござんせト 八代やつしろ於お梅うめ先さきに立たちまた後あとにつき林はやしの中うちに入いるほどに五十歩ごじつぽばかりにしてあやしげなる白屋くさのやにぞいたりける其その時ときお梅うめハ先さきへすゝみて門かどの戸と卒そつ度と引ひきあくれバ」内うちにひとりの老人おうなありて最いとまめ/\しく応答もてなすにぞ青柳あをやぎも八代やつしろもつゞいて一間ひとまへすゝみ入いる却説かくて老女おうなハ火桶ひおけを運はこびぬる茶ちやをすゝめなどするはしにお梅うめハ青柳あをやぎに對むかひていふやう 梅「最前さいぜんお前まへがお尋たづねの私等わたしらが身みの上うへハ話語はなせバながい事ことながら其その故ゆへハ箇様かう/\ト 彼かの鎌倉かまくらにて花はなの方かたが錦にしきの籏はたを御み戸帳とちやうにして諸人しよにんに參拝さんぱいをゆるすよしを聞きゝつたへて小舩こぶねに乗のり舩樓ふなやぐらに紛まぎれ登のぼりて御籏みはたを取とりかへさんとせしはじめより八代やつしろと組撃くみうちして滾まろびて小舩てんまに落おちし事こと其その後ゝち片瀬川かたせがはへ流ながれ來きてはからずお安やすにたすけられ迭かたみに身みの上うへを明あかせしに八代やつしろハ云々しか/\なりお安やすが身みもとハ箇様かう/\と彼かの神夢しんむの事こと繁咲しげさきが事ことすべて尼公あまぎみに宿因しゆくいんあるその」2概略がいりやくを説示ときしめし夫それにつけても旡念むねんなハ折角せつかく手てに入いる錦にしきの御籏みはたいつの程ほどにか摺すり替かへられ似にても似につかぬ此この小こづゝみと言いひつゝ腰こしに付つけたりし帛包ふくさづゝみを取とり出いだし中なかにハ綾あやの片袖かたそでが入いれてあるゆゑ若もし萬一ひよつと鑿義せんぎの手蔓てづるにならうかと思おもへバ今いまに捨すてもせず携たづさへてハ居ゐるものゝ今いままで苦中くちうの苦くを堪しのび命いのちにかけて取とりかへせし御籏みはたを鈍おぞくも摺替すりかへられ言いひ甲斐がひなしと人ひとさんに思おもはるゝさへ面おもなきに青柳あをやぎさんハ取とりわけて松井田まつゐだ宿じゆくよりはる%\と世よに亡親なきおやの遺言ゆいげんまで傳つたへしものをと口くち惜おしくも腹立はらたゝしくもござんせう尓さハ言いへ今いまさら百もゝ千ち度たび悔くゆとも詮せんなき吾〓わたしの不幸ふかう只たゞ此この上うへハ」皆みなさんの思おぼし召めしこそ願ねがはしと始終しゞうを聞きいて青柳あをやぎハ慰なぐさめかねつ稍やゝ須臾しばし溜息ためいきついて居ゐたりしが思おもひかへしてお梅うめに對むかひ大事だいじの御籏みはたをうしなひしハ最いとも夲意ほいなき事ことながら過世すぐせの縁ゑんある御お両女ふたりに邂逅めぐりあひしも不思義ふしぎの倖さいわひ今いまより四個よたりが心こゝろを合あはせ隈くまなく尋たづね求もとめなバ取とりかへす日ひも遠とふからし夫それより先さきに問とひたきハお前まへの養家ようかの騒動さうどうと吾〓わたしが知縣ちけんへ捕とらはれしをどふして知しつてござんしたと言いはれて八代やつしろ小膝こひざを找すゝめ其その疑うたがひハ尓さる事ことながら日外いつぞや腰越こしごゑを立たち去さりてより心急こゝろせくまゝ路次みちをいそぎて其その次つぎの日ひの黄昏たそがれに此この夛塚おほつかに近寄ちかよる折おりしも俄にはかに降出ふりだすむら雨さめを霎時しばしさけんと」3立寄たちよりし木影こかげに計はからず出會であいし老女おうなお梅うめさんとハ知己しるひとにて這回こたび養家ようかの騒動さうどうとお前まへの難義なんぎの一伍いちぶ一什しゞう箇様かやう々々/\と報知つげられて駭おどろく中なかにもお梅うめさんハお前まへハ素もとよりお竹たけさんまたお袖そでさんの事ことさへも按あんじハ嘸さぞとおもヘども他ほかに思按しあんもなかりしにと言いふをお梅うめハ語ごをついて其その折をり會あふた老女おうなといふハお前まへもかね%\噂うはさに聞きく長堤なわての孫三まごさが実じつの〓あね夫それゆゑ吾們わたしら三女さんにんを最いと念頃ねんごろに慰なぐさめて此この家やへ密ひそかに伴ともなはれお前まへを救すくふ相談さうだんにさま%\心こゝろを労らうせしかども吾〓わたしハ以前いぜんと姿すがたハ異かはれど知縣ちけんの鑿義せんさく嚴きびしけれバ昼ひるハ里さとへも出でる事こと〓かなはず八代やつしろさんとお安やすさんのみ終日ひめもす四方よもを」
【挿絵第五図】
青柳あをやぎを救すくふて三さん賢女けんぢよ金沢かなざはに走はしる」4」
走回はせめぐりて縡ことの様子やうすを窺うかゞひしに心こゝろに浮うかむ事ことありとて一ひとッの竒計きけいを新作意おもひつきその次つぎの日ひよりお両女ふたりハ仮かりに袖乞そでごひと身みをやつせしに終つゐに謀計ぼうけい其その圖づに當あたり今宵こよひの夲意ほんゐを遂とげられしこと皆みなお両女ふたりの方寸ほうすんよりたくみ出いだせる所ところなりと聞きいいてよろこぶ青柳あをやぎハ厚あつき情なさけを感かんじける斯須しばらくあつて青柳あをやぎハ嚮さきにお梅うめが取出とりいだせし帛包ふくさづゝみを打うちひらき中なかなる綾あやの片袖かたそでを左視とみ右視かうみつゝ訝いぶかし氣げに稍やゝうち按あんじて居ゐたりしが心こゝろに思おもふよしやありけん完尓につこと笑ゑみつゝ打うち点頭うなづき慥たしかにおぼへの此この片袖かたそで是これと御籏みはたと摺替すりかへたらバ其その盗人ぬすびとも大おほかたハ心當こゝろあたりがござんすといはれてお梅うめも」5八代やつしろも膝ひざのすゝむを覚おぼへぬまでに青柳あをやぎの顔かほうち守まもりて 梅「 何なにか様子やうすハ知しらなひが此この片袖かたそでが手てがゝりとハ奈何いかなる子細わけぞ教おしへてト問とはれて此方こなたも膝ひざおしすゝめ 青「サアそのわけハ長ながい事こと過頃すぎし七月ふづきの中なかの五日いつかお前まへが首途かどでありしより四五しご日にちを經ふるほどにお袖そでさんハなほさらにお前まへの事ことのみ思おもひくらして終つゐにお張はりにたばかられおなじ月つきの末すへの五日いつかに湯ゆが嶋しまの祭礼さいれいを見物けんぶつに事ことよせて箇様かやう々々/\の縡ことありしそのとき私わたしも湯立ゆたてを見みんとて湯ゆが嶋しまにいたりしにはや縡ことすみし跡あとなれバ夲意ほいなく思おもふ戻もどり道みち丸塚山まるつかやまへ來きしときハ日ひハ入いり」はてゝ宵月よひづきの木この間まをもりて照てり渡わたる折おりしも向むかふにあやしき人影ひとかげ様子やうす奈何いかにと窺うかゞふに云々しか%\の事ことありしを彼かのお張はりがお袖そでをとらへ手てごめにしたる條くだりより仙女せんぢよ真弓まゆみがお張はりを殺ころしお袖そでと名な乗のりあいし事こと且かつお袖そでハ真弓まゆみが實じつの妹いもとなりし事ことその父ちゝの事こと母はゝの事ことお袖そでが節義せつぎ真弓まゆみが至孝しいかうまた真弓まゆみハ錦にしきの御籏みはたをもて父ちゝの仇あたなる扇あふぎが谷やつを狙ねらひ撃うたんと思おもふによりお袖そでが望のぞみに応おうぜざりし事こと其その時とき青柳あをやぎハ錦にしきの御籏みはたとり復かへさんとて真弓まゆみと挑いどみ戦たゝかひし折おりあやまつてお袖そでを深谷みたにへ落おとせし事こと夫それより猶なほもあらそひしに真弓まゆみハ不思義ふしぎの術じゆつあつて」6小笹をざゝの中なかへ飛とび入いりしまゝ影かげを隠かくしてついに見みへず其所そこに望のぞみをうしなひしかバ獨ひとり夛塚おほつかへ戻もどる道みちにて鍬八くわはちに行ゆき會あひつゝ神宮かにはの騒動そうどうを聞きゝしゆゑまた如此しか々々/\にはからひてお竹たけを鍬八くわはちに委置ゆだねおき其その身みハ夛塚おほつかの家いへにいたらんとせしに大六だいろくのために捕とらはれしその事ことの終おわりまで一伍いちぶ一什しゞうを物語ものがたり 青「 其その以前いぜん丸塚山まるづかやまにて神女しんぢよ真弓まゆみと挑いどみしときたしかに見畄みとめた綾あやの小袖こそでに寸分すんぶん違ちがはぬ此この片袖かたそでそうして見みれバ那あの御籏みはたハふたゝび真弓まゆみがうばひしか夫それれとてもはかられずト聞きいてお梅うめも八代やつしろも側聽かたへぎゝせし老女おうなさへその英才ゑいさいと明弁めいべんを歎賞たんしやうするのみ又またさらに思おもひ兼かね」てぞ居ゐたりけるそが中なかに八代やつしろハ心こゝろにうかみし事ことやありけん思おもはず小膝こひざをはたと打うち 八「 青柳あをやぎさんのお話語はなしで思おもひあはせる事ことがござんすその子細しさいともふしますハ私わたしがいまだ合あふぎが谷やつの奥おくにつとめて居ゐる時分じぶん十六七の一人ひとりの娘むすめその名なもたしかお道みちとやら錦にしきの籏はたを奥おくさまへ進あげるを功かうにお側そばつとめを願ねがひのとふり免許ゆるされしに基もとより理發りはつの娘むすめゆゑ奥おくさまのお氣きに入いりて夫それから思おぼし召めしつかれた那あの御み戸帳とちやうの舩樓ふなやぐらそふして見みるとお道みちとやらハまことハ仙女せんぢよ真弓まゆみにて御籏みはたをおとりに合あふぎが谷やつへ近寄ちかよる手段しゆだんでござんせうト迭かたみに意中ゐちうを語かたり合あひ稍やゝ時ときうつる折をりこそあれ」7外面そともの方かたより聲こゑ高たかく 「這所こゝハ夛塚おほつかの里さとちかきに郡館くんくわんへの聞きこへもおそれず忍しのび咄はなしハ膽きも太ふとしト言いはれてみな/\うち驚おどろく折をりしも門かどの戸とおし明あけて這方こなたへ入來いりくる婦女をんなあり是これ則すなはちお安やすなり其その時ときお安やすハ人々ひと%\にうち對むかひつゝ完尓につこと笑わらひ やす「 私わたしが今いまの大聲おほごゑを嘸さぞ腹立はらたゝしう思おもはんせうが爰こゝであんまりなが話説はなしして萬一まんいち追人おつてのかゝつた時ときハ後悔こうくわい先さきに立たゝずとやら夫それハ言いはずと皆みなさんが敏とく心得こゝろえてハござんせうなれども智者ちしやにも一失いつしつとか其所そこを思おもふて那様あのやうに驚おどろかしたも隔へだてぬ心こゝろかならず悪あしう思おもはんすなト言いはれて皆婦みな/\心こゝろ落着おちゐてお安やすが頓才とんさいに感かんじつゝ果はてハ笑わらひを催もよほしける」其その中なかに青柳あをやぎハお安やすに對むかひて容かたちを正たゞし 青「 最前さいせんハ事こと繁しげくて再生さいせいのお禮れいをバろく/\禀まうす隙ひまもなく其その侭まゝにして過すぎました今宵こよひの御ご恩おんハ生しやうを變かへても忘却ぼうきやくハいたしませんトいふをお安やすハ聞きゝあへず やす「 互たがひに宿因しゆくゐんあるものを救すくふのも救すくはれるも頼母たのもしづくでござんすものを恩おんの義理ぎりのが入いるものでト清きよきお安やすが言ことの葉はに青柳あをやぎハなほ感佩かんぱいして楽たのしき事ことに思おもひつゝしばらくして又また言いふやう 青「 過刻さつき私わたしと八代やつしろさんが郡舘ぐんくわんを立出たちでるとき跡あとをお前まへに振ふり任まかせ其その侭まゝ爰こゝへまゐつた跡あとにて何なにも故障こしやうハござんせぬか心こゝろがゝりでござんしたト言いへバお梅うめも八代やつしろも奈何いかに々々/\と尋たづぬる」8
にぞお安やすハ聞きゝつゝうち点頭うなづき やす「那あの時とき跡あとへ引ひき殘のこり二個ふたりをその場ばで打うち倒たをせし後のちハ〓さゝへる者ものもなけれバお前まへ方がたにおくれまじと道みちを急いそひで此この家やの門かどへ來きつゝ様子やうすを窺うかゞへバ皆みなさんのお話語はなし最中さいちう夫それゆゑ態わざと這入はいらぬハお話語はなしの腰こしを折をらんも心こゝろなく又またふたつにハ追手おつての者ものがもし來きたらんもはかられねバその要心えうじんをも思おもふゆゑ外そとから委細いさいのお話語はなしを今いままで聞きいて居をりましたト言いはれて皆々みな/\感歎かんたんしつゝ最いと頼母たのもしくぞ思おもひける
〈作者さくしやいはくお安やすかこの家やへ來くる道みちにて笹原さゝはらより曲くせもの出いててお安やすが姿をうかゝひ見みしこと既すてに|二の卷まきの末すへに出いでたりされどもお安やすハそれを知しらねバ今いまこゝにいはず後のちに至いたりて詳つまひらかならん
〉
却説かくてまた此この家やの老婦おうなハ衆婦みな/\の明論めいろん義談ぎだんを聞きく毎度こと%\に且かつ驚おどろき且かつ感かんじつゝ歎賞たんしやう」するのみいまだ一句いつくも出いださゞりしが此この時とき漸々やう/\後方あとべより膝ひざをすゝめて四女よにんに對むかひ 老「 貴婦あなたがたのお話説はなしへ私わたしが口くちを出だしますハ片腹かたはら痛いたうござゐませうが私わたしの在所ざいしよハ鎌倉かまくらに程ほど遠とふからぬ金澤かなざはの瀬戸せとともふす片かた田舎ゐなかにかすかに消光くらして居をりましたが夫おつとにハはやくわかれ跡あとへ殘のこつた二個ふたりの娘むすめお埋喜りきお友ともといひますを手てひとつで育そだてるうち縁えんあつてか娘等むすめらハさる大家たいけの婢女こしもとづとめ首尾しゆびの能よいのを僥倖さいわいに瀬戸の家いへをバ他ひとに譲ゆづり一人ひとりの弟おとゝを心當こゝろあてに此この夛塚おほつかへ引移ひきうつり纔わづかに一稔ひとゝせを過よぎるうち主家しゆうかに大變たいへんさし起おこりてちり%\ばら/\になり行ゆきたまひ二個の處女むすめの」9行衛ゆくゑさへ定さだかに知れずに居をりますゆゑ案あんじ煩わづらひ年としを經へしに此頃このごろ風ほのかに様やう子を聞きけバ娘等むすめら二個ふたりハ以前いぜん住居すまゐし金澤かなざはへ身みを落おちつけ細ほそき煙けむりを立たてるよし夫それから私わたしが思おもひ付ついた貴嬢あなた方がたのお身みの落付おちつき今いまお話語はなしの様子やうすでハ錦にしきの御旗みはたの盗人ぬすみても鎌倉かまくらうちに居ゐるハ必定ひつぢやうそふして見みると鎌倉かまくらへ忍しのんで御籏みはたを尋たづぬるにハ金澤かなざはハよい隱家かくれかしかし出で過すぎた私わたしの猿さる智惠ぢゑおかしな婆ばゞとお笑わらひなく若もしお心こゝろにかなひしなら認したゝめ置おいた此この文ふみを娘等むすめらにお渡わたしあらバ急度きつとお世話せわをいたしませうト言いひつゝ片側かたへの苧を桶ごけの中うちより心こゝろの真実まこと巻まきこめし文ふみを手てばやく取出とりいだしいざとて」お梅うめが前まへに置おく真心まごゝろ見みゆる言ことの葉はを四婦よたりハ聞きゝつゝ欣喜よろこび感かんしお梅ハ文ふみを取とりおさめて うめ「 今いまにはじめぬお前の深切しんせつ其そのお言葉ことばに隨したがつて是これから直すぐに金澤かなさはの瀬戸せととやらへ尋たづね行ゆき二個ふたりの衆しゆうに會あつた上うへ何なにかの事ことをナア衆婦みなさん 青「なるほど夫それが宜ようござんす やす「そんなら直すぐに旅立たびだちの 老「用意よういハこゝにござんすト言いひつゝ取とり出だす管笠すげがさ草鞋わらじ 八「 何なにから何まで抜目ぬけめのなひ うめ「お禮れいハ言話ことばに尽つきませぬト 言つゝ皆婦みな/\立たちあがり草鞋わらじ履はく手てもかひ%\しくやがて戸口とぐちへ立出たちいづるを止とゞめかねたる老女おうなより四個よたりも名殘なごりのおしまるゝを思おもひ直なほして菅笠すげがさに隱かくす涙なみだの露草つゆくさを踏分ふみわけながら足早あしばやに南みなみをさして辿たどり行ゆく」10
第廾四回 〈清水しみづを汲むすんで義婦ぎふ短刀たんとうを拾ひろふ|月夜げつやを走はしつて孝女かうぢよ孤忠こちうを聞きく〉
武ぶ州しう久良岐くらき郡ごふり六浦むつらの荘しやう金澤かなざはハ大道村だいどうむら耕地かうちの西にし往來わうらいの右みぎの方かたなる岩がん石せきに切きり付つけたる地ぢ藏ぞうの鼻筋はなすじをかけて西にしを相州さうしう東ひがしを武州ぶしうとす故ゆゑに鼻はなかけ地ぢ藏ぞうまたハ界さかいの地ぢ藏ざうともいふなり鎌倉かまくら志しに陰陽いんよう権介ごんのすけ國道くにみちが東鑑あづまかゞみを見みるに六浦むつらハ鎌倉かまくら四し境けうのうちに入いりたるをもつて四し境けうハ則すなはち鎌倉かまくらといふべしとありしかれども凡例ぼんれいにハ金澤かなざはは武ぶ州しうにして相州さうしうにハあらず昔むかし實時さねとき顕時あきとき居住きよぢうありてよりじつに一いつ卿きやう〔ママ〕のごとし亦また金澤かなざはを家か号がうとするも此この時ときよりの事ことなりと」あり今いまこの編へんに瀬戸せとの地ちを中央ちうわうにとり是これより次第しだいに東西とうざい南北なんぼく村々むら/\及および名所めいしよ古跡こせきをわかつものハ明神みやうじんの勧請かんじやう諸社しよしや諸山しよさんに先さきだつを以もつてなりまづ明神みやうじんの前まへより西にしハ六浦村むつらむら大道村だいどうむら三艘村さんぞうむら北きたハ釜利谷村かまりやむら谷津村たにつむら南みなみハ野島村のじまむら東ひがしハ洲す崎村さきむら町屋村まちやむら寺前村てらまへむら小柴村こしばむら富岡村とみおかむら中里村なかざとむら氷取澤村ひとりざはむら是これをすべて金沢かなざは十三ヶ村むらといふ其その外ほかハ所々しよ/\の小名こなにして一村いつそんにハあらず亦またむかしより這この金澤かなざはに西湖せいこのおもむきありといふ其その誦しやうする詩歌しいかも彼かの瀟湘しよう/\の詩歌しいかにして其その作者さくしやハ歌うたを藤原ふぢわらの為相ためすけ卿きやう詩しハ唐僧とうそう瑩けい玉澗ぎよくかんなり其その風景ふうけいに比ひする名所めいしよハ小泉こいづみを夜よるの雨あめとし。洲崎すさきを晴嵐せいらん。乙おつ友ともを帰帆きはん。平潟ひらかたを落雁らくがん。野の」11嶌しまを夕照せきしやう。称名寺しやうみやうじを晩鐘ばんしやう。瀬戸せとを穐月あきのつき。内川うちかはを暮雪ぼせつ。とす此この外ほかに四景しけいあり。瀬戸せとの二橋にきやう重山しげやまの春花しゆんくわ。海上かいしやうの落花らくくわ。能見堂のうけんどうの畫ぐわ。すべて是これを十二景けいと言いふなりと云云しか/\
〈以上いじやう金沢かなざは名所めいしよ|杖つゑに見えたり〉
時ときしも弥生やよひの末すへなれバ四方よもの桜さくらハ咲乱さきみだれまん/\たる蒼海そうかい峨々がゞたる高山かうさん春はるの景色けしきを持もたざるハなく君きみが嵜さきのひとつ松まつハ霞かすみこめて釣つりたるゝ扁舟へんしう濱西ひんせいにたゞよふ眺望てうぼう一時いちじに尽つくしがたしさるほどにお梅うめ青柳あをやぎ等らの四賢しけん女ぢよハ夛塚おほつかの里さとをはなれてよりさして急いそぐの旅たびにあらねバ名所めいしよ古跡こせきを遊覧ゆうらんしつゝ其そのうちにも錦にしきの御旗みはたの手てがゝりもあるべきかと心こゝろを付つけて行ゆくものから是これぞと思おもふ事こともなく翌日よくじつ申さるの刻こく」過すぐるころ同國どうこく金沢かなざはなる富士ふじ坂ざかを越こへて能見堂のうけんどうの辺ほとりへいたりしかバ霎時しばし這この堂どうに立寄たちよりて四方よもの風景ふうけいをも一覽いちらんし且かつハ遠路えんろの疲労つかれをも休やすめんと思おもひにけれバいざとて四嬢よにん諸倶もろともに堂だうの檜〓ひえんに腰こしうちかけ這この絶景ぜつけいを左右あちこちと余念よねんもなく詠ながめて居をり其その時ときお安やすハ後辺あとべより進すゝみ出いでて人々ひと%\に向むかひ やす「あんまり景色けしきの見事みごとさにみなさんに噺はなさうと思おもふ事ことさへわすれました其その子細わけハ他ほかでもない私わたしが今いまがた此この跡あとの冨士ふじ坂ざかを通とふるときしきりに咽のどが乾かはくゆゑ清水しみづに口くちを潤うるをさうと道みちの片側かたへの山水やまみづを手てにむすびつゝ吃のまんとするとき那方かなたに茂しげりし小草をぐさのうちに一振ひとふりの短刀たんとうあり不思義ふしぎに思おもひ手てを伸のばしてとり」12
あげ見みるに表装こしらへも拙つたなきものと見みへざれバ抜ぬきはなしてよく/\見みるに長ながさハ尺しやくに足たらずといへども抜羣ばつくんの鋭刄きれものならんと思おもへバ流石さすがに捨すてかねて落おちたる物ものを不拾ひろはずと聖ひじりの道みちにハあるとか聞きけども斯かくて朽くちんハ旡益むやくなり今いまさし當あたつて青柳あをやぎさんの身みに寸鉄すんてつもなきものを此この短刀たんとうの主ぬしの出でるまで須臾しばし此方こなたへ借かりうけて今いまさし當あたる用ように充みてんと思おもへバその侭まゝ携たづさへて即すなはち爰こゝにト言いひつゝも帯おびの間あいだより取とり出いだし青柳あをやぎにわたすになん衆皆みな/\聞きゝつゝ欣喜よろこび感かんじ今いまにはじめぬお安やすが竒才きさいを歎賞たんしやうのほかなかりけるその中なかに青柳あをやぎハ悦よろこびの色面いろおもてにあらはれ稍やゝ短刀たんとうを請うけとりつゝ幾回あまたゝびおし戴いたゞきてつく%\見みつゝ不審氣いぶかしげにお安やすの」辺ほとりへすゝみよりて 青「 何様どうも不審ふしんな此この短刀たんとう表装こしらへを見みておしはかるに無銘むめいなれども長船おさふねにて若もし刀尖きつさきから一寸いつすん手前てまへに少すこしの瑕きずハござんせぬ歟かト問とはれてお安やすハ驚おどろきながら やす「なるほどお前まへの察さつしの通とふり少すこしの瑕きずがござんすがそれを何様どうして青柳あをやぎさんが 青「サァ夫それにハいろ/\子細わけのある事こと私わたしの實じつの爺とゝさんハ丸塚まるづかさまの元もとの老臣ろうしん菊坂きくさか小六ころくともふすもの過すぎし嘉吉かきつの戰たゝかひ破やぶれ御お家いへ没落ぼつらくのその砌みぎり爺とゝさんの末期まつごに及および私わたしを側そばへ呼よび寄よせて遺言ゆいげんありし其その折おりに此この短刀たんとうの事こと箇様かう々々/\と言いはれた事ことを心こゝろにしめて片時かたとき忘わすれぬ這この短刀たんとうハ基もと丸塚まるづか家けの重宝ちやうほうなりしを爺とゝさんより三代さんだい先さきなる」13菊阪きくさか嘉門かもんといふ人の時とき軍功ぐんこうによつて拜領はいれうあり夫それより家いへの重宝ちやうほうとして幾いく年月としつきを送おくりしにお家いへ没落ぼつらくのその以前いぜん讒者ざんしやの爲ために御ご不ふ興けうを得えて爺とゝさんの休役きうやくの折をり短刀たんとうをさへ召めしあげられしに何人なにびとの手てに落入おちいりしか其その後ゝち行衛ゆくゑハ知しれずなりしを殘のこり惜をしく思おもはれしにや繰くり返かへしつゝ宣のたまひしに今いまはからずもお安やすさんの惠めぐみに私わたしの手に入たハ千万金せんまんきんにもまさつた賜物たまもの有難ありがたいとも嬉うれしいとも譬たとへる物ものハござんせぬト言いひつゝ欣喜よろこぶ青柳あをやぎの心こゝろを察さつしてお梅うめ等らも倶ともに眉まゆをぞひらきける却かくて物語ものがたりはてしかバ又またもや余談よだんにおしうつりしばし疲労つかれをやすめ居をり其その時とき八代やつしろハ四辺あたりを見みまはすに堂だうの」
【挿絵第六図】
能見堂のうけんだうに四し賢女けんじよ風色ふうしよくを觀くわんず」14」
那方あなたの小高こだかき所ところに遠とふ眼鏡めがねを掛かけ置おきて詣もうづる人にハ放ほしいまゝに見みするよしを書付かきつけあるにぞ戲たはむれに立寄たちよりつゝ遠とふ眼鏡めがねを引ひきよせ見みるに間あはひ遥はるけき麓路ふもとぢよりして山川さんせん草木さうもくいへバさら也人家じんかに烟けむりの立たてるまで手てに取とるごとく見へにける浩かゝる折をりしも宝藍はなだ染ぞめの単衣ひとへぎぬを上着うへにまとゐ管すげの小笠をがさを手に持もちし旅装束たびしやうぞくのひとりの處女むすめ洲崎すさきの街まちを這方こなたへと歩あゆみ來くるありけるが八代やつしろハ心こゝろともなく熟々つく%\見るにはからんや那かの扇あふぎが谷やつ家けに身みを寄よせしお道みちにてありけれバ瞬またゝきもせず猶なほよく見るに終つゐに姿すがたハ木隠こかくれて往方ゆくゑも知しらずなりにけり殘のこり惜をしさハ限かぎりなけれど斯かくて詮方せんすべもなきまゝにお梅うめ」15青柳あをやぎお安やす等らに箇様かう々々/\と物語ものがたるにぞみな/\聞きゝつゝ歎息たんそくしてもし見みゆるかとかはる%\立寄たちよりて覗のぞき見みれども影かげをだも見みる事ことなけれバ終つゐに望のぞみをうしなひぬ折をりしもあれ青柳あをやぎハ心こゝろに浮うかみしことやありけん人々ひと%\にうち對むかひ 青「お梅うめさんや皆みなさんハ何様どうお思おもひか知しらなひが爰こゝから麓ふもとの街ちまたまでハ遥はるかの道みちとハ言いひながら心こゝろを揃そろへて急いそぐなら若もし其その人ひとに逢あふことの千せんにひとつもあらうも知しれぬ是これにて思おもひ合あはすれバ最前さいぜん巷ちまたの風聲ふうぶんに合あふぎが谷やつの殿とのさまが此この程ほど鎌倉かまくらへ在着ざいちやくあり今日けふしも祈願きぐわんの事ことありて當所とうしよ称名寺しやうみやうじへ參詣さんけいあるよしそふして見みるとお道みちさんもこゝらわたりを徘回はいくわいし」姿すがたをやつし隙ひまを窺うかゞひ爺とゝさんの怨うらみを復かへし埋うもれし家いゑを起おこさんと謀はかる事ことのなきとも言いはれず然さハ言いへさきにお道みちさんハ一旦いつたん花はなの方かたの奥勤おくづとめを許容ゆるされしうゑからハこゝらわたりを旅装束たびしやうぞくで歩行あるかしやんす筈はづハなひが是これにハ子細わけのある事ことかそれかあらぬか不審いぶかしし何なにハ兎ともあれ麓ふもとへ下くだり若もし仇打あだうちの様子やうすあらバ余所よそながら力ちからになり其そのうゑで何なにかの事ことを うめ「 なるほどお前まへのお言いひの通とふり爰こゝで彼是かれこれ氣きを揉もゝふより些ちつともはやく麓ふもとの方かたへサァござんせトお梅うめが言葉ことば誰たれか一議いちぎに及およぶべきみな/\即時そくじに同意どうゐして能見堂のうけんだうを立出たちいでつゝ梺ふもとをさして辿たどりゆく不題こゝにまた花はなの」16方かたの奥おくへ立たち入いりし那かのお道みちハ定正さだまさに近ちか寄よりて父ちゝの怨うらみを復かへさんとおもひし甲斐かひもあら波なみに舩樓ふなやぐらをくつがへされ御籏みはたの行衛ゆくゑも知しれざれバ花はなの方かたハこゝろのうちに深ふかくお道みちを怨うらみ給ひ其その日ひ帰舘きくわんのあると其その侭まゝお道みちを前まへに喚出よびいだし今日けふの始末しまつを云々しか%\と言葉ことば短みじかく言聞いひきかせ御籏みはたの行衛ゆくゑ鑿せん儀ぎの爲ためとて身みの暇いとまを賜たまはりしかバ其所そこに望のぞみを失うしなひしかども扨さて詮方せんすへのなき侭まゝにその夜よ初更しよかうの比ころ及おひに合あふぎが谷やつの舘やかたを出いでて兼かねて心こゝろを合あはせたるお理喜りき於お友とも等らの〓〓けうだいが住すむ金澤かなざはなる瀬戸せとをさして足あしを早はやめて行ゆくほどに名なに聞きこへたる朝あさ比ひ奈なの切通きりどふしもはや過すぎて大道村だいどうむらに」來きし頃ころハ稍やゝ子ねの刻こくにぞ近付ちかづきける斯かゝる折をりしも後方あとべより窺うかゞひ々々/\來くる者ものありて近寄ちかよる侭まゝにお道みちの袂たもとを引止ひきとゞめつゝ小聲こゞゑになり 「お道みちさまでハござゐませんかト言いはれて驚おどろき振ふりかへり木この間まをもれる薄月うすづきに顔かほすかし見みて完尓につこりわらひ みち「 誰だれかと思おもへバ其方そちやお友とも何様どうして今頃いまころ此道このみちを とも「 ハイ御ご不ふ審しんハさる事ことながら兼かねて貴嬢あなたの仰おふせゆゑ鎌倉かまくらの地ちを徘回はいくわいし賢女すぐれひとに會合あふならバ道理どうりを説といて味方みかたに招まねき合あふぎが谷やつ家けを打うちほろぼし旦那だんなさまのお怨うらみをかへさでやハ置おかうかと〓〓けうだい心こゝろを合あはせまして今日けふも那辺あち這辺こちまはりしゆゑ暮くれに及およんで腰越こしこゑより片瀬川かたせがはへと」17參まゐりし時とき箇様かやう々々/\の事ことありしト那かのお梅うめ八代やつしろが船楼ふなやぐらより小舩こぶねへ落おち入いり片瀬川かたせがはまで流ながれ來きしをお安やすにたすけられしはじめより御籏みはたの由来ゆらい神夢しんむの不思義ふしぎまたお梅うめ八代やつしろお安やす等らが身みの上うへの事ことまでも立聞たちぎゝせしその跡あとにて御籏みはたと片袖かたそでとすりかへし事こと一伍いちぶ一什しゞうを物語ものがたり とも「お聞きゝの通とふりの子細わけなれバ那かのお梅うめ等らの三婦さんにんを味方みかたになさバ貴孃あなたの片腕かたうで千万せんまん人にんの士卒しそつより頼母たのもしからんと思おもひしゆゑ折をりを見みあはせ言いひ寄よらんと〓あねハ直すぐさま其その場ばから三婦さんにんの跡あとをつけ私わたくしハまた此この御籏みはたを折をりを見み合あはせ些ちつともはやく貴嬢あなたにお渡わたしもふそうと只今たゞいま帰かへる此この道みちでお目め見みへいたすも不思ふし」儀ぎな僥倖さいわい シテまた貴孃あなたハ何故なにゆゑにお供とももなしに夜中よるよなか此辺こゝらをお歩行ひろいあそばす<ト問とはれてお道みちもありし事ことども落おちもなく言いひ聞きかすにぞお友ともハしきりに歎息たんそくしつゝお道みちの心こゝろを察さつし遣やり最いと便びんなくぞ思おもひける
貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし三輯巻之三了」18了
楊太真遺傳やうきひのつたへしくすり 精製くはしくせいし桐きりの箱入はこいり
處むす女め香かう 〈一廻り|百二十文〉
そも/\此この御薬おんくすりハ本朝につほん無類むるいの妙方めうはうにて男女なんによに限かぎらず顔かほの艶つやをうるはしくして生うまれ變かはりても出来できがたき程ほどに色いろを白しろくし肌目きめ細こまかになる功こう能のうあり しかしながら此この類たぐひの薬くすり世間せけんに多おほく白粉おしろい 洗粉あらひこ 化粧水けしやうみづ 其その外ほか油あぶら薬くすりなとを製せいして皆みなこと%\く顔かほの薬くすりになるおもむきを功能こうのう書がきにしるしてあれどもその書付かきつけの半分はんぶんも功能こうのうなし依之これによつて此この御披露ごひろうを御ご覧らうじても久ひさしいものゝ弘ひろめ口上こうじやうなど看消みけなし給ふべき事ことならんがこれハなか/\左様さやうに麁末そまつなる薬くすりにてハこれなく只たゞ一度ひとたび用もちひ給ふても忽たちまちに功能こうのうの顕あらはれる妙薬めうやくなり一廻ひとまはり用もちひ給ひてハ御おん顔かほの」色いろ自然しぜんと桜さくらのごとくなり二廻ふたまはり用もちひ給はゞ如何様いかやうに荒症あれしようの肌目きめも羽二重はぶたへ絹きぬのごとき手障てざはりとなるのみならず◯にきび ◯そばかす◯腫物はれものの跡あと◯しみの類たぐひ少すこしも跡あとなく治なほりてうるはしくなる事請合うけあい也◯朝あさ起おきて顔かほを洗あらひこの玉粧香ぎよくしやうかうをすり込こみたまはゞ些ちつとも白粉おしろいを付つけたる様やうなる気色けしきもなく只たゞ自然おのつから素皃すがほの白しろくうるはしき様やうになれバ娘御むすめご方かたハいふに不及およはず年重としかさねし御方おんかたが用もちひ給ひても目めに立たゝずして美うつくしくなる製法せいほふゆゑ御おん疑うたかひなく御用もちひ遊あそばされ真まことの美人びじんとなり給ふべし
為永春水精剤
〈髪かみの艶つやを出いだし|髪垢ふけをさる〉 妙薬めうやく 初はつみどり
〈このくすりハ髪かみを洗あらはずに|あらひしよりもうつくしくなる|こうのう有 代三十六文〉
江戸數寄屋橋御門外弥左エ門町東側中程
書物并繪入讀本所
文永堂 大嶋屋傳右衞門」
賣弘所
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」 丁付なし
貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし三輯さんしふ巻まき之の四
東都 狂訓亭主人編次
第廾五回 〈狂女きやうじよ大おほいに騒さわがす洲す崎さきの晴嵐せいらん|定正さだまさ暗あんに逃のがる平潟ひらかたの暮雪ぼせつ〉
單表こゝにまた管領くわんれい扇あふぎが谷やつ修理大夫しゆりのだいぶ定正さだまさハ去いぬる文明ぶんめい三年さんねんの秋あき聊いさゝかの所労しよろうあるをもて鎌倉かまくらを辞じし去さりつ釆地りやうちなれバ上野かうづけの國くに白井しらゐに在城ざいじやうしたりしに稍やゝ疾病いたつきの全快おこたりしかバ此このほど鎌倉かまくらに在着ざいちやくあり然しかるに定正さだまさ祈願きぐわんありて歳毎としごとに金沢かなざわなる称名寺しやうめうじへ詣もうづるものから疾病いたつきに犯おかされて三歳みとせがほども不參ふさん」せり心こゝろならず思おもふをもて這回こだひ在着ざいちやくのあると其その侭まゝ餘事よじハさしおき称名寺しやうめうじへ先まづ參詣さんけいのあるべき旨むね市中しちうハ素もとより在郷ざいごうまで最いと嚴重おごそかに觸ふれられしかバ人々ひと%\駭おどろき思おもへども其その日ひの夫ぶ役やくを逃のがるゝ道みちなくその准備よういをぞ爲したりける恁かくて文明ぶんめい六年ろくねんの春はる弥生やよひも念すへの七日なぬかなるが定正さだまさ夥あまたの供人ともびとを将ゐて金澤山きんだくざん称名寺しやうめうじへ夙まだきより參籠さんらうありて其その日ひ申さるの刻こく過すぐる頃ころ鎌倉かまくらへとて帰還きくわんある路次ろじの歩あゆみもいかめしく洲崎すさきのこなたの松原まつばらを通とふりかゝりし折をりこそあれ誰たれれかハ知しらず向むかふより走はしりて此方こなたへ來くる者ものあり近寄ちかよる侭まゝによく/\見みれバ歳としハ廾才はたちをまだ越こへぬ婢いやしからざる獨ひとりの」1乙女おとめ身みにハ妙たへなる振袖ふりそでを着きて丈たけの黒髪くろかみ振ふり乱みだし小笹をざゝの枝えだを携たづさへ持もちしハ心乱こゝろみだれし婦女ものなるべし定正さだまさの行列ぎやうれつへ面おもても振ふらず駈入かけいるにぞ前走さきばしりの雑色ぞうしき等ら駭おどろきながら立寄たちよりておし隔へだてつゝ声こゑふり立たて管領くわんれいさまのお通とふりなるに旡ぶ禮れいな婦女おんな奴め何所いづこへか行ゆく其所そこ退のかずやとたしなむれども乙女おとめハ耳みゝにも入いれたる体ていなく挑さゝゆる士卒しそつを打仆うちたをし又またハ蹴けかへし突退つきのけて持もちたる小笹おざゝを打振うちふり々々/\獨ひとり完尓にこ々々/\笑わらひながら定正さだまさの馬前ばぜん近ちかく寄よるを寄よせじと爭あらそふほどにはじめハ婦女おんなと侮あなどりしも今いまハなか/\あしらひ兼かねて一個ひとりの乙女おとめに雑色ぞうしき等らハさん%\に追立おひたてられもてあまし」たる其その折おりしも這方こなたに茂しげみし松蔭まつかげより立現たちあらはれし一個いつこの美嬢たをやめ宝藍はなだしぼりの單衣ひとへぎぬを上着うはきに覆おほひし旅たび粧装よそほひ裾短すそみじかなる出立いでたちなるが携たづさへたりし管笠すげがさを遥はるかに後方あとべに投捨なげすてて今いま定正さだまさの行列ぎやうれつを乱妨らんぼうなせる狂女きやうぢよの側そばへつか/\と身みを寄よせて弱腰よわごししつかと抱止だきとむるを那方かなたハ騒さわがず身みをひねり振ふりほどき飛とびかゝつて持もつたる小笹をざゝをひらめかし打うつてかゝれバ右左みぎひだりと身みをかわしつゝつと寄よりて組くむよと見みへしが瞬間またゝくひまに狂女きやうぢよを下したに組敷くみしきて准備よういの腰帯こしおび引ひき解ほどき其その侭まゝ狂女きやうぢよをいましめつゝ處女おとめハ聲こゑを振ふりあげて皆みなさんかならず騒さわがれなはや曲者くせものハ捕とらへ」2しと言いはれて人々ひと%\欣喜よろこびつ又また働はたらきに駭おどろきつァット感かんじて停やまざりけり斯かゝる時ときしも定正さだまさハ馬上はしやうに在ありて那かれ是これのありさまを得とくと見みつ鐙際あぶみぎはに従したがふたる近臣きんしん何某なにがしを近付ちかづけて如此しか々々/\と令げぢするにぞ心得こゝろえ果はてて處女おとめの側そばに歩あゆみ寄よりつゝ言話ことばを正たゞし如何いかなる人ひとか知しらねども斯かく乱妨らんぼうなす白徒しれものを處女おとめの身みにて捕とらへしハ天晴あつぱれの働はたらきなりと賞美しやうびのあまりに辱かしこくも和女そこに對面たいめん為し給はんと自みづから管領家くわんれいけの宣のたまふなり敏とく此方こなたへ參まゐりてよと言いはれて處女おとめハ欣喜よろこびつゝ狂女きやうぢよを其その侭まゝ引立ひきたてて那かの近臣きんしんの跡あとに付つき馬前ばぜん間近まちかく找すゝむになん定正さだまさも馬うまより下おりて道傍みちのべなる松蔭まつかげの芝生しばふに床しやう」几ぎを建たてさせて尻しりを掛かけつゝ處女おとめに對むかひ今いま其方そなたの働はたらきを馬上ばしやうながらに一覧いちらんせしに處女おとめの身みにハ有ありがたき抜群ばつくんの手並てなみなり基もとより賤いやしき者ものにハあらじ隠つゝましからずハ和女そなたの素性すじやうあからさまに言いひ聞きかせよと問とはれて處女おとめハ臆おくする色いろなく仰おふせを返かへすハ憚はゞかりながら吾〓わたくし事ことハ當春たうはるよりお屋形やかたの大奥おほおくへお側そばづとめに出いでました道みちと喚よばるゝ不束者ふつゝかもの定さだめてお聞きゝもございませう錦にしきの御籏みはたの事ことにつき在所ありかをさがしに參まゐれよとの仰あふせをうけしその夜よよりお屋形やかたを立出たちいでて鎌倉かまくらの地ちハいふに及およばず近ちかきわたりの在々ざい/\まで隈くまなく尋たづね侍はべりしかども是これぞと思おもふ手てがゝりなく」3夫それより武藏むさし下總しもふさへとこゝろざして參まいる道みち程ほとが谷や駅〔し〕ゆくに遠とふからぬ坂井木さかゐぎとかいふ峠とふげにて計はからず持病ぢびやうの癪しやくに侵おかされ麓ふもとの駅しゆくまで歩あゆみがたさにある辻堂つぢだうに立寄たちよりて斯須しばし苦痛くつうを堪しのぐうちはや日ひも暮くれて宵月よひづきも曇くもりがちなる薄闇うすやみに誰たれかハ知しらず辻堂つぢだうへ忍しのび寄より來くる曲者くせものあり様子やうす如何いかにと窺うかゞふに腰こしに付つけたる盤ろ纏よふを目めがけ盗ぬすみ取とらんとする程ほどに遣やらじと爭あらそふ其その折おりしも彼かの偸児くせものの懐ふところより落おつるハ慥たしかに錦にしきの籏はたと見みるより手早てばやく取上とりあげるを那方かなたも白徒しれもの左右さうなく渡わたさず迭かたみに引ひき合あふ時ときしもあれ俄にわかに降ふり出だす村雨むらさめにあやめもわかずなるまゝに」終つひに御み籏はたハ手に入りしかども路用ろようを奪うばひ去さられしのみか偸児くせものをさへ取迯とりにがし心殘こゝろのこりに思おもヘども又また詮術せんすべもなきまゝに一旦ひとまづお屋形やかたへ立戻たちもどり是これ等らのよしを禀もうしあげ其その後ゝち曲者くせものの鑿せん穿ぎをもいたしませうと思おもふゆゑ其その夜よハ程ほどが谷やに止宿やどりをもとめ其所そこに一夜ひとよを明あかせしに兎とに角かく痍つかへの全快おこたらねバ心こゝろならずハ侍はべりしかども同所とうしよに両日ふつか逗畄とうりうして今日けふなん巳みの時とき過すぐる頃ころ旅宿やどりを出いでつゝ路次みちを急いそぎ今いまがた當所たうしよに參まゐりしに巷ちまたの噂うはさを承うけたまれバ君きみにハ祈願所きぐわんしよ称名寺しやうめうじに今朝けさより御ご參籠さんらう御在まし/\てはやお帰かへりとの様子やうすゆゑ御行列ごぎやうれつの美々びゞ敷しきを余所よそながらも拜おがまんと最前さいぜんより」4して那方こなたなる小こ松まつの蔭かげに身みをひそめ君きみの通御つうぎよを俟まつほどにお行列きやうれつをも弁わき〔ま〕へず乱妨らんぼうなせる白徒しれものを見みかねて〓さゝへましたのも出で過すぎた仕方しかたとお咎とがめのあらんハ豫かねて知しりながらもあまり不ふ敵てきの女をんなゆゑ思おぼし召めしをも顧かへりみず斯かくの通とふりでござゐますと実事まこと虚事そらことうちまぜて一伍いちぶ一什しゞうを譚ものがたる卑下ひげせし言話ことばを定正さだまさハ實正まことなりと思おもふにぞ些ちとも疑うたがふ氣色けしきなく其その勇力ゆうりきと明弁めいべんと且かつ容貌ようほうの艶ゑんなるを見みつゝいよ/\嘆賞たんしやうして扇あふぎを笏しやくに小こ膝ひざを找すゝめ天晴あつはれめでたき處女おとめかな今日けふの働はたらきのみならで錦にしきの籏はたさへ取とりかへせしとハ男子おのこといふとも及およびなし只たゞ怨うらむらくハ」
【挿絵第七図】
狂人きやうじん狂きやうならず不狂人ふきやうじんかえつて狂きやうず」5」
其その時ときに和女そちが持病ぢひやうに侵おかされずハ其その偸児くせものをも捕とらへんに是これのみ遺い恨こんに思おもへども籏はただに此方こなたへ取とり置かバ偸児くせものも又また自然おのづと知しれなん其その一條いちじやうハ左とまれ右かくまれ嚮さきより和女そちが様子やうすを見みるに力量りきりやうといひ才智さいちといひ殊ことに容顔ようがんの孅弱たをやかなる一回ひとたび漢王かんわうに見參まみへなバ忽たちまち傾國けいこくの名なを得うるべし我われハ武帝ぶていに及およばずとも和女そなたを李家りかの處女むすめとするとも誰たれかふさはしからずと言いはん若もし我わが心こゝろのまに/\ならバ花はなの方かたにもよしを明あかし厚あつく目めを掛かけ使つかはんに和女そちが心こゝろハ稲舩いなぶねの否いなにあらずハ応いらへをせよいざ敏々とく/\と打解うちとけたる言話ことばに駭おどろき且かつ耻はぢてお道みちハ顔かほをさと赤あからめ冥加みやうがにあまるお言話ことばハ」6身みにあまる程ほど有ありがたふも又また嬉うれしふもござゐますれど如何いかにせん奥おくさまより錦にしきの御籏みはたの盗賊とうぞくを捕とらへて來こよとたまさかに重おもき仰おふせを蒙かうむりながら假令たとへ御み籏はたハ手てに入いるとも盗賊とうぞくを捕とらへもせで爭いかでおめ/\奥おくさまに何様どう御お目め見みへがなりませう夫それゆゑ今いまハお返応へんじがと言いへバ定正さだまさ打頷うちうなづきなるほど和女そちが言いふ所ところひとつとして旡理むりならねバ一旦ひとまづ屋形やかたへ誘ともなひ行ゆき後のち兎とも角かくもはからはん先まづ携たづさへ來きし錦にしきの籏はたを一覽いちらんせんと仰おふするにぞお道みちハハット応いらへつゝいそがはしく腰こしにつけたる小包こつゝみを打うちひらき取出とりいだしたる錦にしきの籏はたをうや/\敷しく定正さだまさの床几しやうぎのほとりへ持行もちゆきて跪ひざまづきつゝ」件くだんの御み籏はたを進まゐらするよと思おもひの外ほか隱かくし持もちたる懐釼くわいけんを抜手ぬくても見みせず定正さだまさの脇腹わきはら目掛めがけて突つきかゝりしに定正さだまさ運うんや宜よかりけんお道みちの掌頸たなくび俄にわかに乱みだれて股もゝのあたりを突つきかする僅わづかの浅痍あさでと言いひながら思おもひ寄よらざる事ことなれバ駭おどろきながら後辺あとべの方かたへ一間いつけんばかり飛とびしざるをこハ口惜くちおしと言いふ間まもなく躍おどりかゝつて一討ひとうちと焦燥いらだつお道みちが必死ひつしの勢いきほひ咄嗟あなやとばかり近臣きんしん等らハ主人しゆじんの前まへに立たちふさがり防ふせくをお道みちハ事ことともせず〓いかれる侭まゝに聲こゑはりあげきたなし定正さだまさ敏とく出いでて怨うらみの刄やいばを試こゝろみよ斯かく言いふ吾〓わなみハ武藏むさしの國くに氷川明神ひかわみやうじんの神祇官じんきくわん渋谷しぶや典膳てんぜんの」7處女むすめ道みち今年こんねん積つもつて十八歳じうはつさい吾〓わなみか父ちゝなる典膳てんぜんハ汝なんぢが爲ために不意ふゐをうたれ非命ひめいに死ししたるのみならず所領しよりやうをさへ奪うばはれし其その旡念むねんさハ片時かたときも忘わするゝ間まなき倶不ぐふ戴天さいてん憂うき年月としつきを送おくりしにはからず時ときをうどん花げの春はる俟まち得えたる今日こんにち只たゞ今いま汝なんぢに復かへす怨うらみの一ひと太刀たち敏々とく/\うけよと言いひつゝも飛鳥ひちやうの如ごとくに走はせ回めぐる其その時とき這方こなたに蹲踞うづくまりし以前いぜんの狂女きやうぢよハ身みを起おこし空縄そらなはなるにや〓縛いましめられたる彼かの腰帯こしおびを引ひきはづし豫かねて准備よういの短刀たんとうを袖そでの中うちより取出とりだしてお道みちをさゝゆる扇あふきが谷やつの士卒しそつの中なかへ〓きつて入いり吾〓わらはを誰たれとか思おもひつる最前さいぜん狂女きやうぢよと見みせたるハ汝なんぢ」等らを謀計たばかるため實情まことハ渋谷しぶや典膳てんぜんさまの御恩こおんに是これまで成長ひとゝなりたるお道みちさまのお腰元こしもと友ともと言いひしハ吾〓わらはなるぞおのれ定正さだまさお主しゆうの仇あだ思おもひ知れやと言いひかけてお道みちと侶ともに尖刀きつさきを並ならべて〓込きりこむ勇婦ゆうふの働はたらき譬たとへバ餓うへたる虎とらをもて群羊むらかるひつじを駈かるごとく只たゞこの両女りやうぢよに〓立きりたてられ扇あふぎが谷やつの近臣きんしん等ら士卒しそつも侶ともに辟易へきえきして備そなへを立るに遑いとまもなく我われ撃畄うちとめんと騒動どよめくのみ終ついに乱みだれて逃にげ迷まよふ其その時とき管領くわんれい定正さだまさハ薄痍うすでに屈くつせぬ大将たいしやうゆゑ以前いせんの馬に打跨うちまたがり逃にぐる自方みかたを罵のりはけませども崩くづれ立たつたる碎くせなれバ爭いかでか〓さゝゆる事ことのなるべき雑兵ぞうへう等どもに」8誘さそはれてみな逸足いちあしを蹈乱ふみみだしつゝ逃にぐるを両女ふたりハ呼彼よびかけ々々/\蓬きたなし返かへせ定正さだまさと言いひつゝ短刀たんとう打振うちふり々々/\一町ひとまちばかり追おふほどに何時いつの間まにかハ日ひの暮くれて頃ころしも弥生やよひの下旬すゑなれバ宵闇よひやみなるに空そらさへもかき曇くもりたる雨あめ催もよひにお道みち等ら二女ふたりハ便びんなく思おもヘど尓さりとて少すこしも猶豫ためらはず聲こゑをかぎりに喚よひかけつゝ猶なほ洩もらさじと追おふたりける恁かゝる折おりしも片辺かたへなる一叢ひとむら茂しげりし薮蔭やぶかげより顕あらはれ出いでたる一手ひとての軍勢ぐんぜい整ひとしく婦女おんな武者むしやなるが這那これかれ惣すべて廾名はたゝりばかり前面さきに找すゝみし大将たいしやうハ歳としも四十才よそぢをこよろぎの五十才いそぢにハまだ程ほど遠とふきが丈たけの黒髪くろかみ押切おしきりし姿すがたハ」殊勝しゆしやうに見みゆれとも心こゝろハ猛たけき女丈夫おんなますらを准備やうゐの長刀なぎなた脇挾わきばさみ競きそふて追おひ來くるお道みち等ら両個ふたりをさへぎり畄とゞめて一同いちどうに鬨ときを吐どつとぞ揚あげたりける
第廾六回 〈道みちを〓とゞめて愛嬉あいき一賢いつけんを檎とりこにす|鞘さやを返かへして義女ぎちよ孝婦かうふに會くわいす〉
再説ふたゝひとくお道みち等ら両個ふたりが今いま定正さだまさを追おひ撃うたんと競きそひかゝりし向むかふの方かたへ立たちあらはれたる一個いつこの勇婦ゆうふハ稲村いなむらか崎さきの女隠居おんなゐんきよ真間まゝの愛嬉あいきと喚よはるゝ者ものにて定正さだまさはじめ花はなの方かたの心こゝろにも〓かなふをもて今日けふなん称名寺しやうめうじの參籠さんろうにさへ伴ともなはれしと知しられける」9當下そのとき愛嬉あいきハ鼡ねづみ聯綾りんずの小袖こそでの上うゑに玄色くろ縮緬ちりめんの袿着かいどりしたる其その侭まゝに裾すそ小短こみじかく取とりあげて綾あやの鉢卷はちまき結むすび〆しめ白柄しらえの長刀なぎなた脇わきばさみてお道みちをきつと白眼にらまへつゝ渋谷しぶやの乙女むすめ道みちとやら勿体もつたいなくも管領くわんれいさまを親おやの敵かたきの仇人あだびとのと身みの程ほど知しらぬもほどがある尓さハいへ和女そちが今いまの働はたらき乙女おとめに似氣にげなき大膽だいたん武勇ぶゆう若もしも今いまより心こゝろをあらため管領くわんれいさまへ降參かうさんなさバ命いのちを助たすくるのみならず功こうによりてハ身みの立たつやう愛嬉あいきが〓成とりなし爲しやうほどに思おもひ直なほして降參かうさんしや夫それともにまだ迷まよひ覚さめずハ此この長刀なぎなたの切味きれあぢを見みせてさまさせんと言いはれてお道みちハ〓いかりに得え堪たへず疾視にらまへ」つめたる必死ひつしの覚悟かくごに太刀たち取とり直なほして些ちつとも撓たゆまずさてハ其方そなたが聞及きゝおよびし真間まゝの愛嬉あいきでありけるよな耳みゝ穢けがらはしき降參かうさん呼よばはり差出さしでて怪我けがを爲し様やうより道みちをひらいて敏とく通とふしや夫それともたつて〓さゝゆるなら先まつ其方そなたから一討ひとうちにと言いひつゝ找すゝむ不敵ふてきの廣言くわうげん憎にくさも憎にくしと愛嬉あいきに従したがふ惴はやりに惴はやりし婦女おんな武者むしや各手てに%\得物えものを引提ひつさげ々々/\ヤツト被かけたる諸聲もろこゑと倶ともに整ひとしく衝つきひらめかす鎗やり長刀なぎなたを後前あとさきに飛越とびこえ反越はねこゑひるまず撓たゆまずお友ともと侶ともに聲こゑ掛かけ合あふて右みぎにうけ又また左ひだりに流ながす至妙しめうの働はたらき當あたるに前まへなく目瞬またゝく間ひまに六ろく七しち個にん矢や庭にわに命いのちを隕おとしつゝ遺のこるも」10痛いた痍でを負おはぬハなく忽地たちまち溌はつと乱みだれ立たつを両女ふたりハ得えたりとます/\找すゝみ愛嬉あいきを目め掛がけて撃うつて掛かゝる折をりもこそあれ定正さたまさの近臣きんしん雑色ぞうしき打連うちつれて時分しぶんを計はかりかへし來きつ准よう備いの松明たいまつ打振うちふり打振うちふり推捕おつとり稠こめて洩もらさじと力ちからを合あはせて戦たゝかふほどにお道みちお友ともの両りやう勇婦ゆうふもいよ/\心こゝろを励はげまして必死ひつしの働はたらき撓たゆむにあらねど嚮さきに洲崎すさきの松原まつばらより今いまにいたりて一牌ひとゝきあまり奮戟ふんげき突戦とつせん間ひまなきのみか後詰つゝく自方みかたのあるにもあらで僅わづかに主従しゆう%\両女ふたりなれバ流石さすが女子をなごの氣労きづかれして乱みだるゝ足あしを踏ふみしめ/\戦たゝかひ危あやふく視みへにける浩かゝる所ところに片辺かたへなる芒すゝき小笹をざゝの茂しげみより吐どつと」揚あげたる鬨ときの聲こゑと侶ともに射ゐ出いだす多数あまたの征箭そやに扇あふきが谷やつの雜色ぞうしき等らハ射ゐられて矢や庭にわに五六ごろく人にんおなじ枕まくらに仆たふるゝにぞ伏勢ふせせいありと思おもひにけれバ駭おどろき騒さわぐをお道みち等らハ計はからぬ援兵たすけに力ちからを得えて尖刀きつさきするどく戦たゝかふたり案下そのとき那方かなたの笹原さゝはらより顕あらはれ出いでたる四個よたりの美婦たをやめ持もちたる弓箭ゆみやをからりと投なげ捨すて准備やういの短刀たんとう打振うちふりながら扇あふぎか谷やつの多勢たせいの中なかへ面おもてもふらず〓きり入いるハ是則これすなはち別人べつじんならずお梅うめ青柳あをやぎ八代やつしろお安やすの四し賢女けんぢよにてぞ有ありにける恁かくてお梅うめ等らの四し賢女けんぢよハ四方しはう八面はちめんに〓きりまはりてお道みちに力ちからを合あはするにぞ愛嬉あいきハ是等これらの様子やうすを視みて自方てのものをひそかに」11招まねきて縡こと如此しか々々/\と秘ひ計けいをしめし五名いつたりばかりを忍しのはせて其その身みハ猶なほも諸軍しよぐんに先立さきだち士卒しそつ等らを罵勵のりはげましつゝ那あれ討捕うつとれよ逃のがすなと嚴きびしく下知げちをなす程ほどに多勢たせいを憑たのむ小卒しやうそつ等ら入乱いりみだれまた立代たちかはりて頻しきりに挑いどみ戦たゝかふものから宵闇やみなるに炬たいまつさへ打落うちおとされし事ことなれバ敵てき味方みかたの弁わきまへなく心こゝろならずも同士どし撃うちして空あだに命いのちを隕おとすもあり尓されバお梅うめ等ら四し賢女けんぢよも於お道みちお友ともの両りやう勇婦ゆうふも東方あち西方こちと走回はせめぐりて別々わかれ/\になりしかども些ちつともひるむ氣色けしきなく千変せんべん万化ばんくわの秘術ひじゆつを尽つくし〓嘖おめきさけんで撃合うちあひ突合つきあひ頻しきりに捷かつに乗のるほどに扇あふぎが谷やつの軍兵くんびやう等らハこの」勢いきほひに碎易へきゑきして畢つゐにこらへず皆みな諸侶もろともに人ひと〓ひやく撲うつてぞ崩くづれしかバ六個むたりの勇婦ゆうふハいよ/\找すゝみてお梅うめ八代やつしろお友ともの三個みたりハ扇あふぎが谷やつの近臣きんしん等らを追おひ撃うたんと走行はせゆけバ青柳あをやぎお道みちの二に賢女けんぢよハ愛嬉あいきを追ひつゝ二町ふたまち三町みまち或あるひハ四し五こ町五ご六ろく町ちやうよき程ほどに追おひ捨すてて定正さだまさをもらせしうゑハ尓さのみ戦たゝかひを好このむにあらねバ早はやくも迹あとを瞞くらましつ己おのが隨意まに/\退しりぞきける其その中なかにお安やす一個ひとりハ始はじめよりして衆しゆうに先立さきだち敵てきの迯にぐるを追おふほどにあやめもわかぬ闇やみなれバ十町とまちあまりも來きしと思おもふに敵てきハ早はやくも落失おちうせたりけん四辺あたりに近ちかき人音ひとおとなけれバ了つゐに望のぞみをうしなふて残のこり惜おし氣げに彳たゝずみ居ゐしが斯かくて」12止やむべきにあらざれバ元もと來きし道みちへと踵きびすを回めぐらし豫かねて約やくせし瀬戸せと村むらをこゝろざしつゝ行ゆく折おりしも思おもひがけなき薮蔭やぶかげよりヤツト掛かけたる聲こゑと侶ともに投出なげいだしたる鍵縄かぎなわに引ひきかへされて仆たふるれバ忽地たちまち出いづる多數あまたの夥兵くみこおりかさなりつゝお安やすをおさへ終ついに縄なわをぞ掛かけたりける可憐あはれむべしお安やすが薄命はくめい此この末すゑ憂目うきめにあふや否いなや今いま這回こゝにしも説とき尽つくさず〓そハ後のちの回めぐりに委くわしからん
閑話休題あだしごとハさておきつお道みちハ計はからず援兵たすけを得えて難なんなく敵てきを追おひしりぞけつ一旦ひとまづ爰こゝを立退たちのひて折おりを見合みあはせ定正さだまさを撃うつて夲意ほんゐを遂とげなんと思おもふものからお友ともにさへ別わかれて行衛ゆくゑの知しれざれバはや此所このところを落失おちうせしが若もし撃うたれしかと右とつ左おひつ思し」按あんに首かうべを傾かたむけても如方によほう暗夜あんやの事ことなれバ尋たづねんとする便たよりもなく其そのうゑ放心うつ々々/\此辺こゝらに居ゐて扇あふぎが谷やつの大軍たいぐんの再度ふたゝびおし寄よせ來きたりなバ戦たゝかひ労つかれし身みひとつもて這回こだひ▼〔こたび〕ハ防ふせぎとめ難がたし今いま定正さだまさを撃うち得えぬのみか此この身みをさへに失うしなはゞ智ちなき者ものとや笑わらはれん時ときを俟まつこそよからめと肚はらに問とひ肚はらに応こたへて案内あんない知しつたる道みちなれバ闇やみにも迷まよはず徐々しづ/\と瀬戸せと河原がはらなる隱家かくれがを目當めあてに道みちを急いそぎつゝはや程ほど近ちかき明神みやうじんの杜もりの這方こなたに來きし折おりしも迹あとより窺うかゞふ曲者くせものあり。とも知しらずして行過ゆきすぐるを那かの曲者くせものハすかし見みてお道みちのさしたる短刀たんとうの鐺こじりをしつかと握にぎりとめ」13氷ひ川かわの神職しんしよく渋谷しぶやが處女むすめ何いづれへ迯にぐるかマア待まちやと言いはれてお道みちハ些ちつとも騒さわがず静しづかに後方あとべを見みかへりて誰たれかハ知しらぬが入いらざる腕立うでだて出過ですぎて後悔こうくわいせぬ様やうに其所そこ放はなしやいのと言いひつゝも身みをひねつて振ふりほどくを曲者くせものハ猶なほ放はなさじと鐺こじりを握にぎりし其その侭まゝにて些ちつとも動うごかぬ大力だいりきにお道みちハ駭おどろき且かつ怒いかりてヱイヤと引ひけバヱイヤと引ひくはづみにお道みちの短刀たんとうハ差さしたるまゝにすらりと抜ぬけてお道みちハ前まへへ曲者くせものハ鞘さやを片手かたてに握にぎりしまゝ後うしろの方かたへたぢ/\と二足ふたあし三足みあしよろめくを得えたりとお道みちハ此この間ひまに片辺かたへの小草おぐさに身みを隱かくし其その侭まゝ行衛ゆくゑハ知しれずなりぬ其その時とき件くだんの曲者くせものハ」
【挿絵第八図】
青柳あをやぎ再ふたゝびお道みちを試ためす」14」
最いと夲意ほゐなげに彳たゝずみて跡あと見送みおくりつゝ數多あまたゝび嘆息たんそくしてぞ居ゐたりしが心こゝろにそれと点頭うなづきて瀬戸せとの方かたへと走はしりゆく
前話そハおきて不題こゝにまた武藏むさしの國くに久良岐郡くらきごふり金澤かなざわなる瀬戸せと村むらの片辺かたほとりに藁わらの一棟ひとむね最いと低くひき ▼〔ひくき〕古ふるびし杉すぎの生垣いけがきにからげ付つけたる枝折しをり戸どハ浮世うきよに不楽わびし隱家か〔く〕れがと言いはでも知しれし住居すまゐなり折おりしもあれ那かのお道みちハ曲者くせものと挑いどみしとき習ならひ覚おぼえし術じゆつをもて其その場ばを遁のがれ去さりつゝも稍やゝ此この庵いほりに來きしほとに四辺あたり見みまはし枝折しをり戸どを卒度そとおし明あけつゝ内うちに入いりて勝手かつておぼへし事ことなれバ暗くらきにまよはずかゝぐり/\火ひ桶おけの側そばへ這はひ寄よりて火箸ひばしの先さきもて埋火うづみびを」15掘ほり出いだしつゝ附木つけぎにうつして先まづ燈火ともしびを照てらし置おき懐ふところよりして父ちゝ典膳てんぜんの位牌ゐはいを取とり出だし佛檀ぶつだんへうや/\しく備そなへつゝ遥はるか下さがつて手てをつかへモシ父上ちゝうへさま嘸さぞ御ご旡念むねんでござんせう其その御ご旡念むねんがはらしたさに千辛せんしん万ばん苦くに月つき日ひを經へて今日けふといふ今日けふ定正さだまさを計はかりおふせて一撃ひとうちにと思おもひし事ことも奈末與美なまよみの腕うでの乱みだれに思おもはずも聊いさゝか痍疵てきずを負おはせしのみにて不覚ふかくをとりし口惜くちおしさ夫それのみならず片腕かたうでとも憑たのみしお友ともハ行衛ゆくゑ知しれず今いままで此この家やへ帰かへらぬハ若もし乱軍らんぐんの中うちにしも可惜あたら命いのちを隕おとせしか心こゝろがゝりハ夫それのみならで最前さいぜん數多あまたの兵士へいし等らに捕とり圍かこまれてお友ともと二個ふたり既すでに」戦たゝかひ労つかれしかバ危あやふかりしを倖さいはいに援たすけられたる四個よにんの女中ぢよちう何所いづこの人ひとぞと問とひもせず禮れいさへ言いはれぬ必死ひつしの場所ばしよゆゑ畢ついにその侭まゝ別わかれしが奈何いかになりけん氣き掛がゝりなと言いひつゝ外面そともを見みやりつゝほろりとこぼす一雫いつてきの涙なみだに實情まことあらはるゝ孝女かうぢよの心こゝろを哀あはれとも知しる人ひとぞなき一家ひとつやに縡こと訪とふハ只たゞ松風まつかぜのみ最いと物凄ものすごく更ふけ渡わたる其その時ときお道みちハ父ちゝの位牌ゐはいと腰こしに結むすびし錦にしきの籏はたを倶ともに佛壇ぶつだんの中うちに納おさめて嚮さきより片辺かたへに置おきたりし鞘さやなき短刀たんとうを手てに取とり上あげつく%\見みつゝ訝いぶかし氣げに。合点がてんのゆかぬハ先刻さつきの曲者くせもの暗くらき夜よなれバ夫それぞともたしかに姿すがたハ見みとめねど婦女おんなに似氣にげなき」16不敵ふてき者ものゆゑ那かれを相手あいてに間ひま取どりて大軍たいぐん再度ふたゝび寄よせ來きたらハその時ときこそハ防ふせぎがたし大事だいじの前まへの小事しやうじぞと思おもふて其その場ばハ遁のがれしかども父上ちゝうへさまの遣物かたみぞと片時かたとき放はなさぬ短刀たんとうのと言いふ時とき那方かなたの垣間かきまより。其その鞘さや是これにござんすと言いひつゝ立たち出でる一個ひとりの乙女おとめおめたる色いろなく枝折しおり戸どを明あけて母屋おもやの〓側えんがはへ找すゝみ登のぼるをお道みちハ見みつゝ打うち駭おどろきしが又また更さらに處女おとめの顔かほを熟つら/\視みて。其方そなたハ最前さいぜん明神みやうじんの杜もりで出合であひし曲者くせものならずや嚮さきの手並てなみに懲こりもせで爰こゝまで來きしハ夏虫なつむしの火ひに寄よるより果敢はかなきを知しらで命いのちを捨すてに來きしか卒いざ手ての内うちを知しらせんと言いひつゝ苛急いらつて撃うたんと」找すゝむを〓とりとゞめたる腕かいなと侶ともに這方こなたハ速はやくも聲こゑをかけ。マア待またしやんせお道みちさん吾〓わたしが此所こゝへ參まゐつたも種々いろ/\深ふかい子細しさいある事こと先まづ其その刃やいばをおさめてよと言いはれてお道みちハ訝いぶかしながら先まづ短刀たんとうを片辺かたへに置おき處女おとめの顔かほを右視とみ左視かうみて。合点がてんの行ゆかぬ今いまの言話ことば吾〓わたしの名なまで知しつたる和女そちハ。サア其その不審ふしんハ道理だうりながら吾〓わたしハお前まへと宿因しゆくいんある菊坂きくさか小六ころくの娘むすめ青柳あをやぎ定さだめて覚おぼへがござんせう去いぬる七月ふづきの念すゑの五日いつかその日ひも丁度ちやうど霄闇よひやみの星ほしさへ暗くらき雨空あまそらに圖塚山まるつかやまの藪蔭やぶかげにてお袖そでさんの必死ひつしの難なんをと言いへバお道みちも打うち頷うなづき。計はからず助たすけて〓妹きやうだいの名乗なのりをしたる吾〓わたしの嬉うれしさ。迭たがひに」17積つもるお的話はなしに親身しんみの実情まことハ見みへながら邂逅たまさか會あふた妹公いもとごの願ね〔が〕ひも〓かなへず錦にしきの籏はたを手蔓てづるに敵かたきへ近寄ちかよつて親公おやごの仇あたを報むくはんとハ寔まことに得えがたい孝女かうぢよの操みさほ。其その折をり後方うしろに聞きく人ひとのありとも知しらねバ身みのうゑの一伍いちぶ一什しゞうを物ものがたる時ときしも片辺かたへに仆たふれたる痍負ておひの悪女あくぢよが窺うかゞひ寄より吾〓わたしの所持しよぢなす御み籏はたをバ取とるを遣やらじと爭あらそふうち御み籏はたハさつと引ひき解ほどけ。現あらはれ出いでたる雲くもに龍りやう夜目よめにも夫それと視みしゆゑに取とりかへさんと思おもヘどもあやなき闇やみに途どをうしなひ。爭あらそふはづみに突つきあたり可〓かわいや妹いもとハ深谷みたにの底そこへ落おちて行衛ゆくゑハしら%\とはや明あけ近ちかき月代つきしろに。顔かほ見み合あはせて這方こなた」より名な乗のり掛かけんと思おもふうち不思義ふしぎの術じゆつにお前まへの姿すがた夲意ほゐなく其その場ばで見失みうしなひ残のこり惜おしさを今いま爰こゝで再會めぐりあひしもつきせぬ竒縁きゑん。そんなら最前さいぜん明神みやうじんの杜もりで出會であいし曲者くせものも。やつはり吾〓わたしが戯たはむれにお前まへの心こゝろをひき見みるため。そふとハ知しらず今いままでも心こゝろにかゝりし短刀たんとうの。鞘さやハ爰こゝにと青柳あをやぎが懐ふところよりして取とり出いだすをハ道みちハ受取うけとり完尓につこりと迭たがひに笑わらふ美人びじんと美人びじん猶なほ這回このめぐりハ長ながけれども此この巻まきにしも説とき尽つくされねハ斯須しばらく爰こゝに筆ふでをとゞむ〓そハ又また後回かうくわいに分解ときわくるを听きゝねかし
貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし三輯さんしう巻まき之の四了」18
貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし三輯さんしふ巻まき之の五
東都 狂訓亭主人編次
第廾七回 〈佛縁ぶつえんを現あらはして青柳あをやぎ一賢いつけんを説とく|夥兵くみこを刺さして阿お力りき義忠ぎちうを誼のぶ〉
當下そのとき這所こゝへ來きかゝるハいとも怪あやしき一個ひとりの修行者しゆぎやうじや鼡木綿ねづみもめんの單衣ひとへぎぬの裾すそ小短こみじかく取とりあげておなじ色いろなる脚半きやはん甲掛かうかけ藺織いをり笠がさもて面おもてを隱かくし鮮さゝやかなる笈おひを背負せおひて折おり戸どのほとりに身みを寄よせつゝ裡面うちの様子やうすを窺うかゞふに今いま青柳あをやぎとお道みちとの問答もんどうほのかに聞きこへしかバ駭おどろきながらも左右さうなく入いらず竊足ぬきあししつゝ近ちか」寄よりて〓側えんがわの這方こなたなる生垣いけがきの間まに身みをひそめ猶なほも様子やうすを聞きいて居おり裡面うちにハ二個ふたりが夫それぞとも神かみならぬ身みの知しるよしなけれバお道みちハ短刀たんとうの鞘さやを受取うけとり先まづ其その刃やいばをおさめつゝ心こゝろありげなお前まへの言話ことば然されどもお前まへと吾〓わたしとハ聊いさゝか由縁ゆかりのありとも知しらで况まして過世すぐせの縁ゑんありとハ心得こゝろえがたきお前まへのお的話はなし是これにハ何なんぞ子細しさいあらん奈何いかに々々/\と疑問うらとへバ青柳あをやぎ完尓につこと打うち笑ゑみて其その疑うたがひハ尓さる事ことながらお前まへも覚おぼへてござんせう思おもひ出いだせハ去年こぞの秋あき所ところも戸田とだの川舩かはふねでお前まへハ神子みこさん吾〓わたしハ順禮じゆんれい鈍おぞくも老女おうなに欺あざむかれ不覚ふかくの〓縛なはめに引ひかるゝ道みちお前まへハ不思義ふしぎの妙術みやうじゆつにて逃のがれし跡あとハ吾〓わたし」1ひとり奈何いかなる憂目うきめに逢あふ事ことかと思おもひの外ほかに計はからずも引ひかるゝ先さきハ神宮かにはなる那かの藪中山さうちうざん満化寺まんぐわじにてお斉さいの尼あまに見參げんざんなし始はじめて聞きゝし過世すぐせの因縁いんえん其その子細しさいハ他ほかならず去いぬる長録ちやうろく初はじめの年とし豊嶋としまの家いへに内乱ないらん起おこり奸臣かんしん了ついに時ときを得えて國家こくかをさへに横領わうりやうなし剰あまさへお家いへの正統しやうとうなる光姫みつひめさま
〈始はじめ路みち姫ひめに作つくりしハ誤あやまり|なり以後いご惣すべて光姫みつひめに作つくる〉
と鳩若はとわかさまを殺害せつがいなさんと計はかりしを光姫みつひめさまの乳母めのとなる浅江あさえと喚よばれし忠義ちうぎの女中ぢよちう速はやくも其その機きを推すゐせしかバ密ひそかに両君ふたきみ
〈光姫みつひめ|鳩若はとわか〉
伴ともなひて武藏むさし下総しもふさの間あいだに忍しのばせ其その身みハ自みづから尼あまとなりお斉さいの此丘びくと法名ほうみやうなし躍念佛おどりねぶつに事こと寄よせて再ふたゝび豊と」嶋しま家け興立かうりうの自み方かたを集あつむる今いま最中さいちうお斉さいの尼あまとなられし事こと只たゞ此この一條いちじやうのみならず其その昔むかし豊嶋家としまけにて一木いちぼくを以もつて八體はつたいを作つくりなしたる弥陀みだ佛ぶつあり信仰しんがう殊ことに厚あつかりしに豊と嶋しま家け内乱ないらんの時ときに臨のぞみて忽然こつぜんとして失うせたりき不思義ふしぎといふハ是これのみならでお斉さいの尼あまの仮かり寐ねの夢ゆめに彼かの八體はつたいの阿弥陀あみだ佛ぶつ現然げんぜんと立たち給ひ汝なんぢ豊嶋家としまけ再興さいかうの赤心まごゝろ尤もつとも賞しやうすべし吾わか八體はつたいも豊嶋家としまけに深ふかき因ちなみのあるをもて當たう家けの衰亡すいぼうを見みるに忍しのひず須臾しばらく佛身ぶつしんをひるがへし人間界にんげんかいに生しやうをなし八個やたりの乙女おとめと化現けゞんして當たう家け再興さいかうの力ちからを尽つくさんゆめ/\疑うたがふ事ことなかれと宣のたまふ程ほどに」2夢ゆめ覚さめたり夫それよりしてお斉さいの尼あまハいよゝます/\佛恩ぶつおんの辱かたじけなきを思おもふをもて道徳だうとく堅けん固ごの尼に僧そうとなり爭いかで件くだんの八賢女はつけんぢよを尋たづね出いだして自方みかたとなし豊と嶋しまの家いへを再興さいこうせんと豫かねて自じ得とくの神占かんうらにて種々さま%\在所ありかを卜うらなひしにいまだ時じ運うんの到いたらねバ八個はちにん爰こゝに倶ぐ足そくせねども一木ひときをもつて造つくりたる弥陀みだの化身けしんであるものを迭たがひに親おやハ異かはるとも過すぐ世せを言いはゞ〓妹きやうだい同然とうぜん軈やがて八賢はつけん倶ぐ足そくして心こゝろを一ひとッに當たう家けを佐たすけん和女そなたも豊嶋としまに由緒ゆかりある丸塚まるつか殿どのの浪人ろうにんの處女むすめのみかハ八個はちにんの一個ひとりと喚よばるゝ上うへからハ今いまより八個やたりの在家ありかをもとめ一日ひとひもはやく豊嶋としま家けを再ふたゝび」興おこす計はかりこと呉々くれ%\憑たのむハ此事このことなり又また彼かの捕とらへし田舎ゐなか神女みこもおなじ賢女けんぢよの一個ひとりなれども那かれハ心こゝろに願ねがひあれバ竒術きじゆつを以もつて遁のがれしならん尓されども因ゐんあり縁えんあれバ再會さいくわいハ猶なほ遠とふからじと最い〔と〕委細こまやかなる尼君あまぎみの仰おふせに駭おどろく此この身みの素性すじやう今いま佛縁ぶつえんを身みにうけて其その名なの爰こゝに知しれたる者ものお前まへと吾〓わたしのみならずまだ此この他ほかに三個みたりあり其その一個ひとりハお前まへの妹公いもとこお袖そでさんの結髪ゆひなづけ梅うめ太郎たらうとハ仮かりの名なにて實情まことハ豊嶋としまの忠臣ちうしんなりし神宮かには秀齊しうさいの處女むすめお梅うめ次つぎハ八代やつしろ次つぎハお安やすと一個ひとり々々/\の身みのうゑと其その身みの事ことさへ取とりまぜて一伍いちぶ一什しゞうを如此かう々々/\と事こと落おちもなく物語ものかたれバ」3お道みちハ倩つら/\聞きゝ了おはりて思おもはず小膝こひざをはたと打うち偖さてハ日外いつぞや戸田とだ川がはの小舩こぶねで逢あひしもお前まへにて那あのとき悪婦あくふとおもひたる彼かの舩長ふなおさも尼君あまぎみのやつぱり私等わたしら二個ふたりをバ誘いざなはんとの事ことなりしかとも知しらざれバ願ねがひある此この身みを賊手ぞくしゆに囚とらはれてハ思おもひ立たちたる仇討あたうちの其その宿願しゆくぐわんも〓かなはねバ竒術きじゆつをもつて身みを遁のがれしが今いまのお前まへのお的話はなしではじめて知しつた吾〓わたしの身みのうへ恁かくまで勝すぐれし人々ひと%\に過世すぐせの縁えんのあらんとハ計はからざりける今霄こよひの嬉うれしさ夫それにて思おもひ合あはすれバ心當こゝろあたりがござんすと那かののお友ともより聞きゝたりし片瀬かたせ川がはにての縡ことの來由もとすへ其時そのとき御旗みはたを」奪うばひし事こと夫それよりしてお理喜りきハお梅うめ等ら三個みたりを賢婦すぐれびとぞと思おもふをもて會あふて自方みかたに憑たのまんと跡あとを慕したふて行ゆきしのみ今日けふまで音信おとづれのなかりし事ことまたお道みちハ錦にしきの旗はたの再ふたゝび手てに入いる事ことを得えてお友ともと計はかりて定正さだまさを覘ねらひ撃うたんとせしほどに思おもはずも腕かいなの乱みだれにはからぬ不覚ふかくを取とりたりしに又また計はからざる援たすけを得えて今いま爰こゝに及およびし事ことまで縡こと如此しか々々/\と報知つぐるにぞ青柳あをやぎハ聞毎きくごとにあるひハ駭おどろき又またハ感かんじて頻しきりに膝ひざをすゝめける其その時ときお道みちハ佛檀ぶつだんより以前いぜんの御籏みはたを取出とりいだして貌かたちをあらため言話ことばを正たゞし寔まごとに得えがたい今霄こよひのお的話はなし假令たとへ過すぐ」4
世せの因縁ゐんえんなくとも恁かくまで義ぎある賢女けんぢよ等らを知しらで御籏みはたをしば/\奪うばひ物思ものおもはせしのみならずお前まへとさへも両三度ふたゝびみたび讐敵あたかたきの思おもひをせしハ吾わが身みながらも鈍おぞましやと最いと面おもなげに賠話わぶるにぞ青柳あをやぎ聞きゝつゝ打うちけしてアレお道みちさん其その様やうな心こゝろづかひハ入いらぬ事こと互たがひに因ちなみを結むすぶからハ親おやこそ異かはれ替かはらぬハ〓妹きやうだい遠慮えんりよのないが隔へだてぬ心こゝろ此末このすへともに吉よいにつけ凶わるきにつけて何事なにごとも心こゝろを合あはせ相談そうだんして豊嶋としまの家いへの再興さいかうをと言いへバお道みちも打うち点頭うなづきなるほど嬉うれしひお前まへのお言話ことば夫それにつけてもお梅うめさん等らハ何故なぜ此この家やへハござんせぬやら心こゝろがゝりハ是これのみならでお友ともハいかにせし事こと」
【挿絵第九図】
浅江あさえ幼主ようしゆをたすけて豊島としま城しろを落をつ」5」
ぞとお道みちが言いへバ青柳あをやぎも倶ともに案あんじる胸むねと胸むね互たがひに顔かほを見合みあはせて思おもひかねてぞ居ゐたりしがお道みちハきつと心付こゝろづきお前まへハ何なにと思おもふか知しらねど此この地ちハ鎌倉かまくらへ遠とふからねども人煙ひとざと少まれに山やま多おほければ若もしや闇路やみぢに踏ふみまよひあられぬ方かたへ往ゆきもされしか夫それにても心得こゝろえぬハ勝手かつて覚おぼへしお友ともさへいまだ此この家やへ帰かへらぬハ是これも又また訝いぶかしゝ且かつ定正さだまさの追手おつての軍兵つはもの再ふたゝび推寄おしよせ來くる事ことありて不思義ふしぎの災わざはひなしとも言いはれず〓そも其その侭まゝに打捨うちすてて爰こゝにて物ものを思おもはんより這こゝ等らあたりを那あち此こちと隈くまなく尋たづねて伴ともなひ來きたらん誘いざもろともにと言いひつゝも短刀たんとうを腰こしに跨よこたへ錦にしきの籏はたを」6携たづさへていそがはしく身みを超おこせバ青柳あをやぎもまた其その意ゐにしたがひ立たちあがらんとする折おりしも何時いつの間まにかハ忍しのび入いりけん黒装束くろしやうぞくせし四個よたりの夥兵くみこ〓えんの下したより這はひ出いでてお道みち青柳あをやぎの二個ふたりを目掛めがけ持もつたる十手じつてを打振うちふり々々/\ヤツト掛かけたる聲こゑと侶ともに双方そうほう整ひとしく組付くみつくを二婦ふたりハ騒さわがずふりはなし准備やうゐの短刀たんとう抜手ぬくても見みせず右みぎと左ひだりに二個ふたりの夥兵くみこを水みづもたまらず撃きり下さぐるを猶なほ懲こりずまに近寄ちかよる二個ふたりヱゝ面倒めんだうなと青柳あをやぎお道みち襟えりがみ取とつて三間さんげんばかり外面そともの方かたへ投付なげつけたり尓されども屈くつせぬ二個ふたりの夥兵くみこ勇ゆう婦ふに投付なげつけられながらも猶なほ起上おきあがりて組くみつかんと」蠢うこめきまはる其その所ところへ表おもての方かたより背戸せど口ぐちより走はしり出いでたる二個ふたりの婦女おんな件くだんの夥兵くみこが起おきんとするを起おこしもやらず押伏おしふせて懐劒くわいけん抜持ぬきもち差通さしとふすをお道みちハ駭おどろき是これを見みるに一婦ひとりハお友とも今いま一婦ひとりハ修行者しゆぎやうじや姿すがたに出立いでたてども是これなんお友ともが姉あねなりしお理喜りきにてぞありにける斯かゝる折をりしも納戸なんどの方かたよりアツト誉ほめたる聲こゑと侶ともに仕切しきりの襖ふすま押明おしあけて徐々しづ/\入來いりくる八代やつしろお梅うめ完尓につこり笑わらふて坐ざにつくを視みるよりお道みちも青柳あをやぎもあまりの事ことに駭おどろき呆あきれ是これハ/\とばかりにて須臾しばらく言語ことばもあらざりける案下そのときお梅うめと八代やつしろハお道みちに對むかひて貌かたちを正たゞし互たがひに口誼かうぎの果はてし後のちお梅うめハしづかに小膝こひざを找すゝめ嚮さきにハ」7
火急くわきうの場所ばしよなるに暗くらさハ暗くらし敵てきハ大勢おほぜい了ついに六個むたりが六所むところへ散々ちり%\になりゆきしに八代やつしろさんと吾〓わたしとハ始はじめよりして扇あふぎが谷やつの士卒しそつに對むかひて戦たゝかひしが二町ふたまちばかり追おふほどに速はやくも敵てきハ迯失にげうせしかバ恁かくて猶ゆう豫よする場所ばしよならずと八代やつしろさんと諸侶もろともに瀬戸せと村むらさして來くる道みちにて是これなるお友ともに喚よひ畄とめられ駭おどろきながら様子やうすを聞きくに日外いつぞや多塚おほつかの一家ひとつやにて老女おうなのおしへし瀬戸村せとむらの其その〓妹きやうだいの一個ひとりなるよし嬉うれしさハ只たゞ是これのみならで日頃ひごろ尋たづぬるお道みちさんさへやつぱり瀬戸せとの一家ひとつやに忍しのびて在おはすることのよし聞きくとひとしく八代やつしろ」さんも吾〓わたしも侶ともに小躍こおどりして夫それよりお友ともをしるべに立たて嚮さきに此この家やへ來きつゝ見みるに青柳あをやぎさんハ急速いちばやくも這所こゝに在おはするのみならずお道みちさんとの問答もんどう最中さいちう様子やうす奈何いかにと思おもふゆゑひそかに背戸せどの方かたより廻まはり納戸なんどの中うちに忍しのび居ゐて残のこらず洩もれ聞きく始終しゞうのお的話はなしそれに付つけても氣きがゝりハお安やすさんの身みの行衛ゆくゑ今いままで爰こゝへござんせぬハ若もしも撃うたれハ爲し給はぬか夫それかあらぬか奈何いかにやと言いへバお道みちも青柳あをやぎも八代やつしろも又またお友とも等らも互たがひに眼めと眼めを見合みあはすのみ思おもひかねてぞ居ゐたりける其その中なかに彼かのお理喜りきハ夥兵くみこの死骸しかいを片辺かたへにかひやりお梅うめ青柳あをやぎ八代やつしろに先まづ初しよ對たい」8面の禮いやを誼のべ次つぎにお道みちに打うち對むかひ吾〓わたくし事ことハ過すぎし日ひに片瀬かたせ川かはにてお友ともに別わかれお梅うめさま等らのお跡あとを追おひ折おりもあらバお道みちさまの思おぼし召めしをバ言解いひときて自方みかたにお勧すゝめもふそうと夛塚村おほつかむらまで參まゐりしに青柳あをやぎさまの危急きゝうの御ご様子やうす夫それゆゑにこそお二個ふたり
〈八代やつしろ|お安やす〉
ハ袖乞そでごひとまで身みをやつし神宮かには屋や夫婦ふうふと大六だいろくどのを欺あざむきおふせて青柳あをやぎさまをお救すくひなさる思おぼし召めしと推すいせしゆゑに其その夜よひそかに大六だいろくどのゝ邸やしきに間ま近ちかき小笹おざゝの中うちに身みをひそめ様子やうす奈何いかにと窺うかゞひしに按あんに違たがはずお二個ふたりが青柳あをやぎ様さまを伴ともなふて邸やしきをお逃のかれなさるゝまで始終しゞうの様子やうすを見み定さだめしが」若もし大六だいろくが心付こゝろづき追手おつてをかけんも計はかられねハ須臾しばらく其その場ばに忍しのび居ゐて猶なほも様子やうすを窺うかゞひしに大六たいろくハ唯たゞ一筋ひとすじに神宮かには屋や夫婦ふうふが所爲しわざと思おもへバ直すぐさま人数にんずを催もよほふして自みづから神宮かには屋やへ走はせ向むかひ家内かない残のこらず〓きり尽つくしてお三個さんにんをバ捕とりかへさんと最いと愚おろかにも打立うちたつにぞ其その時ときまでも吾〓わたくしハ小笹おざゝの中うちに忍しのび居ゐしかこゝろの裏うちに思おもふやう今いま大六だいろくが神宮かには屋やへ夛勢たせいをもつて押おし寄よせて家内かない残のこらず〓きり尽つくすともお三個さんにんの在所ありか知しれねバ再ふたゝび諸方しよほうへ手分てわけして捕とらへんとこそ計はかるならめ尓しかするときにハ皆みなさまの御お身みに禍わざはひなしとも言いはれす奈何いかにも計はかりて大六だいろくに追手おつてを」9出ださせぬ一趣向しゆかうはて何なにがなと種々さま%\に獨ひとり思し按あんをめぐらせしにひとつの苦く計けいを新作意おもひつき那かの大六たいろくが神宮かには屋やへ自みづから発向むかひし其その跡あとにてひそかに邸へ忍しのび入いり家いへの後園うしろに積貯つみたくはへたる山やまにひとしき秣まぐさの中なかへ時分じふんを計はかりて火ひを放はなせしに折をりから夜よ風かぜのはげしくて猛火みやうくわ盛さかんに燃もえあがるにぞ按あんに違たがはす大六だいろくハ放火ほうくわに膽きもをや冷ひやしけんお三個さんにんのお行衛ゆくゑさへ鑿穿せんさくするに間いとまなく只たゞいたつらに神宮かには屋やの家内かないを残のこらず〓きり尽つくせしのみ人にん数ずを邸やしきへ引ひき揚あけしかバ其その間ひまに吾〓わたしハ豫かねて便たよりハ聞きゝながら絶たえて久ひさしく逢あはざりし母はゝの住居すまゐへ尋たづねゆき様子やうすを聞きけ〔ば〕」皆みなさまにハ今いまがた此この家やをお立たちありて吾〓わたくしどもの隱家かくれがへお越こしありしと聞きゝしより夫それにて些すこしハ心こゝろ安堵おちい其その夜よハ母はゝと語かたり明あかして翌日よくじつ巳みの牌とき過すぐる頃ころ知縣ちけんにはゝかりなきにもあらねバ修行者しゆぎやうじや姿すがたに身みをやつし那かの地ちを發足ほつそくなしつゝも嚮さきに當たう地ちへ參まゐり着つきしに巷ちまたの人ひとの噂うはさを聞きくに洲す崎さきのあなたの松原まつばらにて管領くわんれいさまの行列ぎやうれつを乱妨らんほうなせる婦女おんなありて今いま戦たゝかひの最中さいちうと聞きくに胸むねまづ轟とゝろきて急いそぎ洲崎すさきへ到いたらんとする道みちの程ほどにて日ひハ暮くれつ宵闇よひやみなれども覚おほへし道みちゆゑ足あしに任まかせて行ゆき着つきしにはや戦たゝかひハ果はてし後のちにて四辺あたりに人氣ひとけもあら」10あら〔ママ〕ざれバ夲意ほゐなく那処かしこを立たち去さりて此この家やへ來きつゝ計はからずもお道みちさまと青柳あをやぎさまの迭かたみに積つもるお的話はなしを洩もれ聞きくのみか今いま爰こゝでお梅うめさま方がたお両女ふたりにもお目めにかゝりし吾〓わたくしの欣喜よろこび是これに増ますものなしと赤心まごゝろあらはす言ことの葉はにみな/\感嘆かんたん為たりける
第廾八回 〈瀬戸せとの暁天きやうてんに於お道みち秘書ひしよを焼やく|客路かくろの暮堤ぼていに悪僕あくぼく愚直ぐちよくを欺あざむく〉
案下そのときお梅むめハ默然もくねんとしてお理喜りきが的話はなしを聞きゝ居ゐたりしに稍やゝあつて首かうべをもたげ寔まことに悪あくの其その身みに報むくふ今いまにはじめぬ」事ことながら那かの神宮かには屋やの渾家つまといふハ現在げんざい吾〓わたしの伯母おばなれども素もとより心こゝろ頑かたくなにて夫おつとの悪あくを諌いさめハせず却かへつて悪事あくじを伎倆たくみしゆゑ畢つゐに其その身みを大六だいろくが非道ひだうの刄やいばに失うしなひし事こと自じ業がう自じ得とくといひながら假令たとへ吾〓わたしに難面つれなくとも血ち筋すじハ絶たへぬ伯母おばなるをおもへバいとゞ愁傷いたましとほろりと飜こぼす一雫いつてきの泪なみだに現あらはす賢女けんぢよの操みさほ感かんずる中うちにも八代やつしろハ四辺あたりにきつと氣きを配くばり皆みなさん何なんとか思おもはんす今いままで千草ちぐさに啼なき連つれし耳みゝ姦かしましき蛙かはずの聲こゑ一時いちじに止やみしも心得こゝろえず若もしや此この家やへ敵兵てきへいのひそかに押寄おしよせ來きしものか尓さも有あらバあれ今いま爰こゝで六女むたりが必死ひつしをきはめなバ怕おそるゝにしも足たらねども」11唯たゞ氣きがゝりハお安やすさん今いままで此所こゝへもござんせぬハ奈何いかになりゆき給ひしか何なにハ兎ともあれ此この家やを立たち去さり行衛ゆくゑを尋たづね諸侶もろともに何いづれの國くにへか逃のがれ去さらずハ不思義ふしぎの禍わざはひなしとも言いはれじ皆みなさん奈何いかに思おもはんすと言いはれてお梅うめも青柳あをやぎも尤げにもと氣きの付つく其その中なかにお道みちハ屡々しば/\打うち点頭うなづき吾〓わたしの危急ききうを救すくはんと夥あまたの敵てきに〓きり入いりて其その後ゝち行衛ゆくゑの知しれずといふお安やすさんをバ其その侭まゝに片時かたとき打捨うちすて置おきがたし去來いざさらバ諸侶もろともにと言いひつゝ立たちしが又また更さらに片辺かたへに置おきし錦にしきの籏はたをうや/\敷しく手てに取とりあげお梅うめに渡わたして偖さていふやう昨日きのふまでも今日けふまでも只たゞ一筋ひとすじに」爺とゝさんの讐あだとし思おもふ定正さだまさを撃うち果はたさんと思おもふにより他ひとの寶たからと知しりながら屡々しば/\御み籏はたを奪うばひし事こと今いまさら悔くひても其その詮せんなし夫そを憎にくしとて捨すてられず恁かくも賢すぐれし人々ひと%\に因ちなみを結むすびしうゑからハ讐あだを撃うつ日ひのなくてや果はてん尓さすれバ此この身みに自得じとくせし竒術きじゆつも今いまハありて益えきなし素もとよりかゝる幻術ようじゆつハ人ひとの耳じ目もくを迷まよはすのみにて仁じん義ぎを守まもる真しん勇ゆう婦ふの深ふかくも耻はづる所爲わざなれバ今いまあらためて術じゆつをかへし再ふたゝび用もちゆる事ことあらしと言いひつゝ豫かねて懐中くわいちうに秘ひめ置おきたりし竒術きじゆつの書しよを出いだせバお理喜りきもまたお友とももおなじく取とり出だす忍術にんじゆつの秘書ひしよを」12お道みちハ受うけ取とりて皆みな諸侶もろともに片辺かたへなる圍爐裏ゐろりの中うちへ投なげ込こむにぞ時ときしも吹ふき來くる夜嵐よあらしにさつと燃立もへたつ一〓いちゑんの猛火めうくわと侶ともに件くだんの秘書ひしよハ煙けむりとなりてぞ失うせにける斯かゝる折おりしも外との方かたより俄にわかに起おこる陣鐘ぢんがねと侶ともに聞きこゆる鬨ときの聲こゑに這方こなたハ覚期かくごの四し賢女けんぢよ二に勇ゆう婦ふ敵てきに合あふてハ面倒めんだうと身繕みつくろひしつ背戸せど口ぐちよりひそかに忍しのびて立出たちいでしハ最いとも危あやふき事ことになん話説分両頭ものがたりふたつにわかる偖さても多塚おほつかの里長さとおさなりし杢もく兵衞べゑが處女むすめお竹たけハ思おもひ寄よらずも大六だいろくに家財かざい残のこらず闕所けつしよせられ其その身みも畢つゐに捕とらはれしを又また計はからずも青柳あをやぎの輔たすけに其その場ばを逃のがれつゝ那かの鍬八くわはちに」
【挿絵第十図】
苦七くしちが甘舌かんぜつ鍬八くわはちを計はかる」13」
伴ともなはれ指さして行ゆくべき當あてハなけれと須臾しばしも猶豫ゆよするところにあらねバ兄あに梅太郎うめたらうが鎌倉かまくらへ行ゆくと聞きゝしを心當こゝろあてに相模路さがみじさして趣おもむきしに倖さちなき時ときとて途中とちうにてお竹たけハ俄にわかに病やまひに侵おかされ一歩ひとあしとても歩行あゆみ得えねバ鍬八くわはちハます/\駭おどろき恁かくてハなか/\此この侭まゝにて鎌倉かまくらまでハ行ゆきがたしとハ言いへ這辺こゝらに放心うか々々/\して若もしも追隊おつてに出合であひなバ其その時とき逃のがるゝ道みちハなしと千々ちゝに心こゝろハくだけども力ちからづくでも及およばぬのハ世よにいふ主しゆうと病やまひにて是非ぜひなく其その地ちの旅店りよてんを憑たのみ奥おくの一院ひとまを借かり受うけつゝお竹たけを其所そこに忍しのはせて種々さま%\医療いりやうを尽つくせども左とに右かく急快きうくわいの驗しるしなく」14空むなしく〓〓つきひを經ふるほどに速はやくも秋あき過すぎ冬ふゆ去さりて其その年としも了ついに暮くれつ明あくれバ文明ぶんめい六ろく年ねんの春はるもなかばに及およびしかどもお竹たけハ枕まくらに臥ふしたるのみ重おもるといふにハあらねども頓とみに全快おこたる様子やうすなければ鍬八くわはちハたゞ手てひとつにて看病かんびやう怠おこたる事ことハなけれど這この地ちに足あしを止とゞめてよりはや八月やつきにもなりしかバ盤纏ろようも今いまハ残のこり少すくなく尓されども追隊おつての沙汰さたなけれバ夫それのみすこしハ心易こゝろやすく其その次つぎの日ひより鍬八くわはちハ近ちかき四辺わたりの百姓ひやくせうに昼ひるハ終日ひめもす雇やとわれて僅わづかの錢ぜにを貰もらひつゝ薬くすりと旅龍はたごの料りやうに足たし夜よハ終夜よもすがら看病かんびやうして須臾しばしも撓たゆまぬ赤心まこゝろハ最いと有ありがたき老僧ろうぼくなり不題そハおきて爰こゝにまたおなじ多塚おほつかの」里さとなりし那かの神宮かには屋やの奴僕おとな苦七くしちハ嚮さきに平へい左衛門ざゑもんが言話ことばに随したかひ戸田とだ河原がわらより袖乞そでごひをひそかに誘いざなひ來きたりしかバ定さだめて夥あまたの褒美ほうびあらんと思おもひの外ほかに其その沙汰さたもなく只たゞ口禁くちどめをされたるのみ鐚ひた壱いち文もんにもありつかねバ苦七くしちハ心中しんちう心こゝろよからず尓されども爲なすべき様やうもなくて徒事いたづらごととなりゆきしに其その夜よ俄にわかに郡舘ぐんくわんより大六だいろく自みづから走向はせむかひて夫婦ふうふをはじめ家内やうちの者ものを残のこりなく〓尽きりつくせしとき苦七くしちハ奸智かんちに闌たけたる者ものゆゑひそかに床下ゆかしたへ忍しのび入いりからく命いのちを助たすかりても身みに半錢はんせんの貯たくわへもなく此この侭まゝにてハ何國いづくへも走は〔し〕りがたしと思おもへども當所たうしよに長居ながゐもおそれあれバ夫それより直すぐさま相模路さがみじへと」15心こゝろざしつゝ往道ゆくみちにて圖と視みれバ片辺かたへの田たの畔くろにて余跡目よそめもふらず耕作者たがへすものあり近寄ちかよるまゝによく/\視みれバ豈あに計はからんや豫かねて知しる荘官しやうや杢兵衛もくべゑが家いへの老僕おとな鍬八くわはちにてぞありけれバ偖さてハ這奴こいつお竹たけを伴ともなひ此辺こゝらあたりに忍しのび居ゐてかゝる所爲わざをもなすならん然さすれバ青柳あをやぎ梅太郎うめたらう
また彼かの両婦ふたりの袖乞そでごひも此辺こゝらに忍しのびて居ゐるものか基もと大六だいろくが神宮かにはや屋を乱妨らんぼうなせし起おこりといふハ那かの青柳あをやぎ等らが迯にげたる故ゆへにて他ほかに子細しさいのありとも知しらねバ今いま鍬八くわはちをひそかに欺あざむき那等かれらが在家ありかを聞きゝ出いだし搦からめ補とつて伴ともなひ行ゆかバそれを功こうに神宮かには屋やの跡式あとしきハみな吾物わがものならんと忽地たちまち奸計かんけいを新作意おもひつき軈やがて」件くだんの鍬八くわはちが辺ほとりへ近ちかく找すゝみ寄より夫それにござるハ多塚おほつかなる鍬八くわはちどのにハあらずやと言いひかけられて鍬八くわはちハ打駭うちおどろきつゝ見みかへりて尓しか宣のたまふハ神宮かには屋やなる苦七くしち叟おとこで在おはするかと言いへバ這方こなたも打うち点頭うなつきいかにも吾們われらハ苦七くしちなりおん身みと吾われとハ其その以前かみより久ひさしき馴染なじみでありつるに去いぬる七月ふづきの騒動そうどうに速はやくもおん身みハ嬢じやうさま
〈お竹たけを|いふ〉を救すくひ出いだして迯にげられたる後のち何國いづくに忍しのび在おはするとも風かぜの便たよりも聞きかざりしに偖さてハ這辺こゝらに世よを忍しのびてと言いはれてはつと鍬八くわはちが〓とゞろく胸むねハ有うや旡むやの関せきに人目ひとめを忍しのぶ身みハ包つゝむとすれど顕あらはるゝ目色めいろをさとる奸かん智ちの苦七くしち打うち含笑ほうゑみつゝ小膝こひざを」16找すゝめ鍬八くわはちどのよ尓さばかりに駭おどろき給ふも人ひとにぞ寄よる假令たとへ吾們われらが聞きゝたりとも知しらぬ振ふりして通とふすのが其所そこが豫かねての念頃ねんごろだけ包つゝむも程ほどのあるものなり然さハ言いへ日頃ひごろ腹はら悪あしき神宮かには屋や夫婦ふうふに使つかはるゝ吾們われらなるゆゑ其その様やうに疑うたがはるゝも道理だうりながらおん身みも這辺こゝらに在おはすれバ在所ざいしよの様子ようすも聞きかれしならんが昨夜ゆうべ俄にわかに神宮かには屋やへ子細しさいハ何なにか知しらねどもお知縣だいくわんの大六だいろくさま多おほくの夥兵くみこを引ひき倶ぐして案内あんないもなく撃うつて入いり旦那だんな夫婦ふうふハいふに及およばず家内やうちの者ものども残のこりなく〓きり尽つくされし其その中なかに吾們われらひとりハ運うんよくも不思義ふしぎに命いのちを助たすかりて爰こゝまで迯にげてハ來きしなれども」盤ろ纏ようの貯たくはへとてもなく况まして行ゆくべき先さきもなけれバ此所こゝよりおん身みの住すみ給ふ方かたへ吾們われらを伴ともなふて此この場ばの難義なんぎを救すくひ給はゞ報知つげまいらする一言ひとことあり其その子細しさいハ他ほかならねども豫かねておん身みも知しらるゝ通とふりお知縣だいくわんの非道ひだうなる情なさけといふてハ露つゆ程ほどもなく尓さのみ咎とがなき神宮かには屋やさへ聞きかるゝ通とふりの仕合しあはせなれバ梅太郎うめたらうさま御ご兄弟きやうだい且かつ青柳あをやぎとか喚よばるゝ乙女おとめの鑿せん義ぎハ今いまもいよ/\嚴きびしくおん身み這辺こゝらに忍しのび居ゐて今日けふまで追隊おつてに出合いであはざるハ倖さいはひにして遁のがれしなり然しかるに吾們われらハ主しゆうに放はなれ他ほかに寄辺よるべもなき身みなるにおん身みと旧ふるきよしみもあれバ今いまより」17おん身みと心こゝろを合あはせお竹たけさまをバ何いづれにまれ遠とふき方かたへ伴ともなひゆき其所そこに斯須しばらく忍しのばせて折おりを見合みあはせお地頭ぢとうへお知縣だいくわんの非道ひだうを訴うつたへ理非りひ明白めいはくにあらはれなバ神宮かにはと荘官しやうやの両家りやうけをバ以前いぜんのごとく取立とりたてて約束やくそくなれバ神宮かには屋やへ梅太郎うめたらうさまを養子ようしとなしお袖そでさまと娶合めあはせなバ那あの嬢この願ねがひの叶かなふのみか亡なきお旦那だんな
〈平方衛門へいざへもん|夫婦ふうふをいふ〉
も夲意ほゐならん又またお竹たけさまハ何いづれにても能よき聟むこさまを撰えらみむかへて杢兵衛もくべゑさまの跡あとを立たてなバ双方そうはう全まつたき事ことを得えて箇程かほど芽出度めでたき事ことハあらじと口くちから出でるまゝ弁べんに任まかせて實まことしやかに説とき惑まどはすにぞ正直しやうぢき一圖いちづの鍬八くわはち」なれバ始はじめの程ほどハ疑うたがひしが畢つゐに伎倆たくみの罠わなに落おちてお竹たけが病氣びやうきの事ことの来由もとすへ今いま猶なほ旅店りよてんにある事ことまで一伍いちぶ一什しゞうを譚ものがたるにぞ苦七くしちハ心中しんちう密ひそかによろこびはや謀計はかりごと成就じやうじゆしぬと思おもふものから色いろにも出いださで軈やがて鍬八くわはちに誘いざなはれ彼かの旅店りよてんにぞ到いたりける必竟ひつきやう苦七くしちが計はかり得えて又また甚〓いかなる事ことをかなす〓そハ次つぎの巻まきに分解ときわくるを听きゝねかし
貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし三輯さんしう巻之まきの五終」18
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#『貞操婦女八賢誌』(四) −解題と翻刻−
#「大妻女子大学文学部紀要」52号(2020年3月31日)
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