『貞操婦女八賢誌』(四) −解題と翻刻−
高 木   元  

【解題】

前号に引き続き、『南総里見八犬伝』の改作である『貞操婦女八賢誌』三輯を紹介する。

本作は人情本風の三巻三冊で構成されており、読者対象を女性とした企画であったと思われる。だが、既述した通り、内容的には稗史小説と呼ぶべきもので読本の如き章回体様式を採用している。しかし、この三輯だけは五巻五冊と規格外の造本になっており、この点を「四編以下を嗣作した二世為永春水は、読本に近付けようとして、四編を五冊とするなど、それなりの努力は試みているが、初代春水の執筆した分をふくめて、偶然によりかかった事件の連続でストーリーは展開し、『八犬伝』の雄大な構想に及ぶべくもない。合巻風の作品であり、八賢女も、九編末尾の挿絵によってそれと理解される体のものである。」(『日本古典文学大辞典』四巻、岩波書店、一九八四。執筆は神保五弥)と酷評されている。

神保氏ら大正生まれ以前世代の近世文学研究者たちにとっての戦前からの桎梏(近世小説など国文学研究の対象にはならないと云う同調圧力アカハラが存した時代背景を充分に理解しておく必要はあるが、それでも、我々は今、その不適当な位置付けや評価は糺して措かなければなるまい。

稗史小説は主として半紙本読本で担われたものである。そして、一般に中本型読本は世話読本が多く、洒落本からの流れを汲み、人情本への橋渡しとして位置付けられてきた。これで大筋は説明が就くのであるが、中本型読本にも稗史小説に近いものは存在していた。すでに述べてきたことではあるが、「人情本の元祖為永春水の『武陵埜夜話』三巻三冊(文政十一年)は匡郭を取り払った人情本風の造本ではあるが、色模様のない敵討物で、会話文を導入し愁嘆場を強調した作品である。同じく『小説坂東水滸傳』前後二編各三巻三冊(文政十三〜十四年)は一名「千葉系譜星月録」とあり、千葉家の御家騒動を「星塚佐七、星合於仙、星井志津馬、星野正作、星川主水、星影利光、星石賢吾」の七人の活躍で解決するという構想の『八犬傳』模倣作である。[…]半紙本の史伝物を指向する作品も見られる。」(拙稿、第二章第一節「中本型読本の展開」、『江戸読本の研究』、ぺりかん社、一九九五。)また、この時期の人情本にも中本型読本的な伝奇性を残した作品も多かったのである。

とりわけ、この稗史小説的な中本を担ったのが為永春水であったといっても差し支えないであろう。つまり、中本という書型が保有する自由な実験が可能であった場において、世話読本たる人情本とは別途の稗史小説へ向けた試みがなされていたと見ることが出来るのである。

しかし、半紙本と違って、中本五巻五冊という仕立ての前例はほとんど見られず、大半は一巻一冊、一巻二冊が多く、また一巻三冊という構成も見受ける。したがって、二代目の為永春水(もしくは板元)が第三輯(のみ)を五巻五冊にしたのは「読本風にする」ということを意図したものだとはいえない。むしろ、第一輯と第四、五輯は上下二帙に分けられており、実質的には各輯六巻六冊となっている(外題と内題の編数が齟齬していることは後の「巻端附言」でも触れられている)。ならば、初代から二代へと嗣作された時に、三輯(二巻六冊)に一冊分足りない稿本五冊のままで出板を急いだものとも考え得る。

一方、改作リメイクは所詮二番煎じで、原作が築いた確乎たる評判(商品価値)の上に成立しているのであるから、容易に原作を凌駕し得るはずもないし、その固有の〈文学的価値〉を原作と比しても無意味である。ならば、舞台の設定変更や構想趣向の転用などにその妙を見て評価すべきで、その意味で本作は、「南総里見八犬伝」を「武蔵〔国〕豊島〔家〕 八賢女」として再構成したもので、実に良く出来た改作リメイクだと、むしろ積極的に評価出来ると思うのは僻目であろうか。

それかなしか、後摺本も流布してるし、何より明治になって実に多くの活字翻刻本が出されていることからも、良く読まれていたものと想像できる。

【書誌】三輯(五巻五冊)

書型 中本 18.6×12.5cm

表紙 丁子色水色白色地に縦縞飾模様

外題 左肩「貞操婦女八賢誌(〜五)(13.3×2.7cm)。題簽の上部(花を白抜き)から柿色、下部(船を白抜き)から空色のボカシを施す。

見返 なし〔白〕

柳北りうほく釣夫てうふ 為永春水記」(序1オ〜序2オ)

口絵 第一〜三図 見開き3図(丁付なし)。濃淡の薄墨を施す。

内題貞操婦女八賢誌ていさうおんなはつけんし三輯さんしふ巻之一(〜五)

尾題「貞操婦女八賢誌三輯巻之一(〜五)

編者「東都 狂訓亭主人編次」(内題下)

畫工 記載なし

刊記 なし

諸本 館山市博・早稲田大・西尾市岩瀬文庫・山口大棲妻・東洋大・東京女子大・三康図書館・千葉市美。

翻刻 (一)参照

備考 この三輯だけが5巻5冊となっている。なお、後印本の詳細な調査報告については後日を期したいが、千葉市美蔵本の三輯五巻巻末には刊記「長次郎事勸善堂春水撰\四郎兵衛事歌川國直画圖\善次郎事溪齋英泉画圖\弘化二年乙巳歳\書肆\大坂心齊橋筋博労町河内屋茂兵衞\同 心齋橋筋南久太郎町秋田屋市兵衞\江戸京橋弥左エ門町大嶋屋傳右衞門板」が附されている。


【凡例】

一 人情本刊行会本などが読みやすさを考慮して本文に大幅な改訂を加えているので、本稿では敢えて手を加えず、可能な限り底本に忠実に翻刻した。

一 変体仮名は平仮名に直したが、助詞に限り「ハ」と記されたものは遺した。

一 近世期に一般的であった異体字も生かした。

一 濁点、半濁点、句読点には手を加えていない。

一 明らかな欠字や誤記の部分は、原文の近くに〔 〕に入れ私意で補正を示した。

一 丁移りは 」で示し、各丁裏に限り」1のごとく丁付を示した。

一 底本は、保存状態の良い善本であると思われる館山市立博物館所蔵本に拠った。

【付記】 翻刻掲載を許可された館山市立博物館に心より感謝申し上げます。 なお、本稿はJSPS科研費JP17K02460の助成を受けたものです。

【表紙】5冊とも同一意匠

 表紙  表紙  表紙  表紙  表紙

【序】

 序 序


はい小説せうせつ児童じどうえきあるたゞ欣喜よろこばしめこゝろ遊玩なぐさましむるのいひにあらずある勸懲くわんちやう一助いちじよとしある入学にふがく一捷いつせふけいとすはれごと旡力むりやく走筆そうひつをよく分解ふんかいすべくもあらねどなほ僥倖さいはひすてられねバさき婦女八賢誌をんなはつけんし九巻こゝのまきつゞり」孝貞かうていせつもつぱらにしていさゝか姦淫かんいん禁戒いましめんほりするものから毛頴ふでゆくところごとくならでそがまゝにしてつひみつ有右而かくてあること五稔いつとせあまり六稔むとせ這回けふにいたりなほその次篇じへん輯録あらはしてよと書肆ふみやのぞみの屡々しば/\なれバいらふべきこと序ノ一 つきいまはた五巻いつまき編次つゞりなしだいしふとハなすものからたゞ飽食はうしよく幼稚えうちためやすきをもてえうとすれば世間せけん夛識たしきほう君子くんしかならず叱言しつげんたまひそといふ

柳北りうほく釣夫てうふ 為永春水記」


【口絵第一図】丁付なしウオ

 口絵第一図  腰越こしごえやす

【口絵第二図】丁付なしウオ

 口絵第二図ゆうみち」「竒婦きふ阿多毛おたけ」\しほけむりのすゑくものみね
 さわがしきのきかしは今朝けさふゆ\「神宮屋かにはや平左エ門へいざゑもん」「夛塚おほつか知縣ちけん大六だいろく

【口絵第三図】丁付なしウ

 口絵第三図 しうしまさと旧景きうけい

貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし三輯さんしふ巻之一

東都 教訓亭主人編次
 

第十九回 〈船樓ふなやぐら二賢にけん雌雄しゆふあらそふ|腰越こしごえ乙女をとめ乙女をとめすくふ〉

再説ふたゝびとく梅太郎うめたろう日外いつぞや夛塚おほつかにてはからずも勇婦ゆうふ青柳あをやぎ物語ものがたりにてはじめきゝ養父やうふ横死わうしおどろくうちにも遺言ゆいげんにしきはたたづ再度ふたゝび家名かめいおこさんとおもふものからまたさらこれぞといふ手掛てがゝりもなくむなしく月日つきひおくほど今日けふなんにしきはた戸帳とちやうにして船樓ふなやぐらもよふしあり貴賤きせんゑらまずはいゆるすと」ちまた〔ママ〕風説ふうぜつもつぱらなれバこれ得難えがたさいはひと心強こゝろつよくもたゞ一個ひとり三重さんぢうやぐらかざりあるにしき御籏みはたうばりさゝゆる仕女おんないく十個じうにんあるひハうちすゑなげたふまたとりつくをかへしてかこみをのがれんとはたらけども如何いかにせん階子はしごしたにハ數多あまた下仕おすへ女中ぢよちうたち得物えもの引提ひつさげうつらんとひしめくにぞのがるべきみちのなけれバ其所そこ必死ひつしをきわめたるほどもあらせず八代やつしろとか名乗なのりやぐらのぼ捕手とりて處女おとめ折容おめたるいろなくかの三重さんぢう二重にぢうまですら/\と走登はせのぼやぐらをきつとあげつゝそれなる女中ぢよちうものいは當時たうじ鎌倉かまくらならびなき管領くわんれいさまのおん内君うちぎみはなかたもよほしあるこの舩樓ふなやぐらはゞかりなく」1のぼりてさわがすのみならずにしき御籏みはたうばはんとハほどらぬ不敵ふてきもの豊嶋としま残黨ざんとうきくからハなほゆるされぬ覚期かくごしてこの八代やつしろいましめ敏々とく/\うけよとよばはりつゝだい三重さんぢうたかどの飛鳥ひちやうのごとくかけのぼるをおうめつゝちつともさわがず身繕みづく〔ろ〕ひしてうち含笑ほうゑみ忠孝ちうかうふたつをひとつにおもこめたるこのうめ假令たとひ数百すひやく軍勢ぐなぜいにて十重とゑ廾重はたゑ取巻とりまくともものかずともおもはぬをいらざる女子おなご腕立うでだてせずと怪我けがせぬさき降伏あやまりやとはれて八代やつしろ冷笑あざわら旡益むやく問答もんどうせんよりハいましめうけよといひつゝも准備やうゐ十手じつてふりあげてヤツトこゑかけうちかゝるをおうめせじとをひそめすきをうかゞひきりつくるやいばくゞつて八代やつしろくまんとするをくませじとたがひにあら〔そ〕虚々きよ/\実々じつ/\這方こなた十手じつて那方かなたハ」短刀たんたう一上いちじやう一下いちげきりむすぶ双方そうほうおとらぬはたらきハいとざましくぞへにけるかくてあること半〓はんときばかりされども勝負しやうぶへざりしがいかにやけんうちふはづみにおうめもちたる短刀たんたう鍔元つばもとよりしておれるにぞ八代やつしろたりと打込うちこ十手じつてをはづして引組ひつくむおうめ早速さそく心得こゝろえたりと八代やつしろ十手じつて投捨なげすて組合くみあふてうゑになりまたしたになるいとあやふきをりこそあれにわか暴風ぼうふう吹起ふきおこ荒波あらなみはげしくたつほどにさしもたいそうにつくたて三重さんぢう樓舩やぐらぶねなにかハもつてたまるべきまたゝくひまにくつがへり大浪おほなみなか打込うちこまれて何所いづくともなくながされけるそのなかにおうめ八代やつしろりやう勇婦ゆうふ組合くみあふたるそのまゝに」2くつがへるふね諸侶もろとも高樓かうろうよりまろ千尋ちひろそこにしづみしとおもひのほかさきにおうめのりきたりし小舩こぶねなかさいはひにも二個ふたり一所いつしよおちしかどもかくまであら波風なみかぜなれバ須臾しばし其所そこ猶豫たゆたはそのうへたかたかどのよりまろおちことなれバ両個ふたりひとしく息絶きぜつして艫櫂ろかいをあやつるにあらざれバなみのまに/\ふきながされ行衛ゆくゑさだめずなりにけり

前話休題はなしふたつにわかる こゝ發説また鎌倉かまくら西にしにあたりて腰越こしごゑといへる一村ひとむらあり鎌倉かまくらよりハみちわづかへだゝ〔た〕りけれバつねひとまれにしてつくろひなき片鄙へんぴなりこゝ一箇いつこ賢女けんぢよありてをバおやすよばれ」けるが双親ふたおやはやりてみなしことなりしを里人さとびとためそだてられ成長ひとゝなるにしたがひて容顔やうがん美麗びれいなる〓氏へんしたまをもあざむくべく姿形すがたかたちのやさしきことはるにあへる楊柳やなぎのごとし今年ことしわづかに十七なれどもそのさい老女おうなおよばずそのうへちからあくまでつよ武藝ぶげいみちにもかしこけれどもつねにハこと柔和にうわにしてかりにもひとあらそはねバ村中むらぢうふもさらなり近郷きんごうまでもきゝつたへてほめざるものもなかりしかバあるひハよめもらひたしむこになりたしなぞるゝあれバまた好色いろこのみ若郎わかうどこれためむねこがものおほかりしかども如何いかなることにやこのお」3やすたゞよきほどことはりてむこをももとめずひとにもせずましてうきたることなぞハいさゝかかへることもなくその片瀬川かたせかはあみすなどりするを行業なりはひとしてほそけむりをたてつゝもいとやすおくりけるがこのことそらはれ波風なみかぜともにしづかなるにこゝろにおもふよしもあれバ早朝あさまだきよりふねのり片瀬川かたせがは上流あち下流こちあみれつゝあさりまはれど小魚こうをすこしをたるのみにてばかりのゑものもあらねどされバとてまたほかもとめず一個ひとり小舩こぶねなかあり行末ゆくすゑおもひめぐらし默然もくねんとしてをりしもにわかおきかたあたりて暴風ぼうふうはげしくふきおこいとすさましくゆる」

【挿絵第一図】

 挿絵第一図  片瀬川かたせがわにはからず三賢さんけんくわいす 」4

にぞおやすふね芦間あしまこぎ須臾しばし風間かざままちつゝもそらうちながめてたりけるかゝおりしも川下かはしもより忽然こつぜんとしてひとッの小舩こぶねなみひかれてたゞよひつおなじ芦間あしまながるにぞやすつゝあやしみながら近寄ちかよるまゝによく/\れバとしころ十七八かいまだ廾才はたちにいたらざる容貌すがたやさしき二個ふたり處女おとめいづれも身輕みがる衣装いでたちなるが組合くみあふたるまゝ舩底ふなぞこたふれていきたえてありおやすハいよ/\おどろきつゝもおもあはすることあれバかい逆手さかてなをかの舩縁ふなべりうちかけて這方こなたふね引付ひきつけつゝおなじところつなさてかのふねうつりて二個ふたりからだをさぐり」5るにいさゝか呼吸こきうかよひあるにぞ准備やういくすりくちにふくめまづその一個ひとりいくこと十聲とこゑばかりにおよびしときアツトひつゝいきふきかへし四辺あたり烏鷺々々うろ/\まはして忙然ぼうぜんたること半〓はんときばかり須臾しばらく言語ことばもあらざりしをおやすつゝうち含笑うなづき如何いかにこゝろつきましたかお怪我けがハなきかと介抱いたはれくだん處女おとめ不審氣いぶかしげ何処いづこのおかたらねどもついになれ吾女こなさんなさけうれしきやうなれどもしやおまへ敵方てきがたのとうたが言語ことばをおしとゞめ吾〓わたしこゝよりほどとふからぬ腰越こしごゑむら成長ひとゝなり網引あびきわざわたやすよばるゝいやしいもの最前さいぜんにわか大暴おほあれなみしのぎにこの芦間あしまふねをかけると」ほどもなく風随たゞよひきたりしひとつの小舩こぶねなかにハおまへこれなるお女中ぢよちう組合くみあひながら氣絶きぜつ様子やうす不審いぶかしながらもすておかれねバおまへさきいけ様子やうすきいそのうゑにてこの女中ぢよちうをも介抱かいほうおよばずながらお二個ふたりのおこゝろやわらぐやうやうとおもふてこの仕合しあはべつ子細しさいハござんせねバ吾〓わたしにお心置こゝろおきハないつゝましからぬことならバつぶさ様子やうすかたり給へと赤心まごゝろおもてあらはれしおやす言語ことばをつく%\きゝ處女おとめ心安堵こゝろおちゐたれどもなほうたがひハれがたくいはんとつゝ猶豫たゆだふをおやすすいしてうち点頭うなづきまへ疑念ぎねんさることながらきしをはなれしこのふねなれバほかもれきくものもなししなに」6よりてハ這方こちからもおはなしいたす子細しさいもあれバ假令たとひはゞかることありともまげ打明うちあかたりてよと再度ふたゝびはれてかの處女おとめ須臾しばし思按しあんていなりしが四辺あたりまはし言語ことばひそこゝろありげなおまへ言語ことばかく念頃ねんごろひ給ふをはずハ恩義おんぎわきまへぬあだ女子おなごおもはれんつゝましきことながら吾〓わたし豊嶋としま家臣みうちびと何某なにがし處女むすめなれども實父じつぷうへまづおきうみにもましおんふか養父やうふといふハ武藏むさしなる多塚おほつかといふさとおさ杢兵衞もくべゑよぶものなりしが領主りやうしゆ平塚ひらつか内命ないめいにてこし長尾ながを密使みつし大役たいやく首尾しゆびよくなしてかへみち松井田宿まつゐだじゆく野中のなかにてあふぎやつの」捕手とりて出合いであのがれぬところたゝかひしかども那方かなた多勢たせい這方こなた小勢こぜいこと老木おいき杢兵衛もくべいなれバつゐそのいのちおとそれのみならで大切たいせつなるにしき御籏みはたそのうへ沙金しやきん巨夛あまたうしなひたれバ豊嶋としまいゑ再興さいかう便宜びんぎ其所そこうしなふてまたせんすべもなきものからさりとて片時へんしすておかれねバ義婦ぎふ青柳あをやぎこゝろあは吾〓わたしとふ木柴きしばこの鎌倉かまくらしの御籏みはた在所ありかたづねしに今日けふ舩樓ふなやぐらもよほしハがたきこのさいわひとおもへバいとゞうれしくてこゝろふとくもたゞ一個ひとりかの舩樓ふなやぐらはせのぼ首尾しゆびよく御籏みはたりしかども数多あまた女中ぢよちうとりかこまれことに」7これなる八代やつしろとか名乗なのりし處女おとめ武勇ぶゆう力量りきりやうついやいば打折うちをられたがい組合くみあおりこそあれにわかかぜふねくつがへりかの三重さんぢうやぐらよりまろおつるとおもひしのみそれからさき何様どうなりしからで這所こゝまで吹流ふきながされおまへなさけ蘇生よみがへり御恩ごおんたとへんかたもなくにするともこのめぐみをむくはにやならぬ義理ぎりなれどもすで御籏みはたいるうへ片時へんしもはやく豊嶋としまたづさゆき亡父なきちゝさき恥辱ちじよくすゝがねバ遺言ゆいげんうけしこのうめ草葉くさばかげいひわけなし吾〓わたしこうなるそのうへ犬馬いぬむまろうにかへてもかならず御恩ごおんほうじますういふうちも心急こゝろせ捕手とりて女中ぢよちう蘇生よみがへらぬさきすこしもはやこのをといひつゝ」おむめたちあがるをマア/\まつておむめさん吾〓わたし一言ひとこといふことありとひつゝ這方こなたたふふしたるかの八代やつしろおきあがるをるより於梅おむめまたやすおとろさわぐを八代やつしろがおししづめつゝ形容かたちをあらためらぬ事とておむめさんさきにハおんあるおまへたいあやふことでござりましたときいておむめ不審ふしんがほ吾〓わたしおんうけたとある左様さうしておまへのうゑハとひかへされて八代やつしろなみだにうるむふちそでにて卒度そつとうちおほふもおもなきことながら吾〓わたしじつとゝさんも多塚おほつかむら百姓ひやくしやうにて籾七もみしちよばれつゝまづしきものはべりしが三年さんねんごし大病たいびやう家財かざい田畑たはたうり8つくかくてもらぬ年貢ねんぐ未進みしんなげいててもきかればこそかの強慾ごうよく大六だいろく殿どのつい旡慈悲むじひとゝさんをひとやうちにつながれて日毎ひごと不納ふなうせめらるれバたゞさへ病苦びやうくのそのうゑに呵嘖かしやくふてハ須臾しばらくもたもたずわづか半月たゝざるあいだひとやうち死去みまかり〔り〕給ひされども非道ひだう大六だいろく殿どのなほあきらでや吾〓わたしまでひとやれんとはれしをおまへおや杢兵衞もくべゑさまのさま%\に執成とりなし給ひからいのちたすかりても在所ざいしよ住居すまゐもならざれバ吾〓わたし丁度てうど七才なゝつのときかゝさんとたゞ二個ふたりすみなれたる多塚おほつかなみだながらに立出つゝさしてゆくべきかたもなけれどこのかまくらいさゝか由縁ゆかりのありしを心あてたづねてきけその人もいつのほどにかりてたのまんかたもあらいそ由井ゆゐ濱辺はまべにさまよひ詮方せんかたなさにおや其所そこ覚悟かくごきわめつゝしづめんとところあふぎやつおく女中ぢよちう繁咲しげさきさまといふおかたが御代參だいさんのおかへりがけそれるより駕籠かごうちから吾〓わたし親子おやことゞ子細しさいくわしくきかれたうゑ情深なさけふかくもかゝさんと吾〓わたしやかたともなきお部屋へやうちやしなはれ二月ふたつきおくるうちさちなきうゑにさちなきハまたかゝさんに死別しにわかそれからのち何事なにごと繁咲しげさきさまの世話せわにて吾〓わたしが十四になるとしから下仕おすゑ9女中ぢよちうくわえられ武家ぶけ奉公ほうこうするからハ物書ものかくみちふにおよばず釼術けんじゆつ柔術やはら一手ひとて二手ふたてらねバならぬとひまあるごと繁咲しげさきさまよりおしへられ御恩ごおん月日つきひすぐるうち朋輩ほうはいねたみにて繁咲しげさきさまにハ奥様おくさまより不興ふけうかうむりたまひそれやまひとなりていまより三稔みとせさきあきついむなしくなり給へバそのかなしさと口惜くちおしさにそでなみだかはなきあかまたなきくら日数ひかずれどわすられぬなげきのうち今度こんどもよほにしきはた戸張とちやうとハひとそしりもはづかしくこゝおんほうどころ繁咲しげさきさまに心嗣なりかはりちまた〔ママ〕うはさことせておよばずながらおくさまをおいさめもふせしも」なくかへつこのつみふねうち押込おしこめられしにまたはからずもおうめさんの捕手とりてやくをゆるされておんあるおかた娘御むすめごともらで勝負しやうぶあらそひしハあやふことでござんしたと越方こしかた物語ものがたれバおうめハさらなりおやすさへ感嘆かんたんしてぞやまざりける

第廾回 〈芦間あしま忍術にんじゆつあん錦籏きんきうばふ|漁村ぎよそん扁舟へんしうあかつき三女さんぢよおくる〉

當下そのときやすさきよりの二個ふたり言話はなしをつく%\きゝおもはず小膝こひざはた天晴あつぱれ愛度めでたき両女ふたりのお物語ものがたりきくまうすも鳴呼おこなることながら吾〓わたしじつとゝさんハもと鎌倉かまくら商人あきびとなれども」10利欲りよくなづことをせず武術ぶじゆつこのむのみならすちからあくまでつよけれバおのづ相撲すまふみやうつよきをくじよわきをたすくるおとこぎにてありしかバひとにもうやまたてられしにそのうんつたなかりけん四十もいまだこえざるに一稔ひとゝせ疫病ときのけわづらふてさま%\医療ゐりやうつくせしかどもついくすりのしるしなく末期まつごきわ枕辺まくらべ吾〓わたしちかせてわれもとより商人あきびとなれども利慾りよくためこゝろ生涯しやうがいすごさんこといと口惜くちおしおもふにより何卒なにとぞ武士ふじ小官はしくれともなりやり一筋ひとすぢぬしにもならんとおもひしこと爲果しはたさでいま最期さいごとなりしこと旡念むねんといふもあまりあり其方そなたハいまだ幼少おさなくこと女子おなご」なれどもわが存念ぞんねん受繼うけつぎ成長せいちやうのち武勇ぶゆうをあらはしをもいゑをもおこすべし遺言いひおくことこれのみなれバかならわするなおこたるなとはれしとき吾〓わたしいつ幼少心おさなごゝろかなしくて如何いかにすべきとおもふうちまたかゝさんもりて親族しんそくとてもあらざれバこの腰越こしごゑ引移ひきうつ里人さとびとたちなさけにて成長ひとゝなるにしたがひて遺言ゆいげん須臾しばらくわすれずいかでめいあらはさんとおもへど未熟みじゆく吾〓わたしゆゑひとつにしてかなひがたくかみ冥助みやうぢよかうむらんと此所こゝよりほどとふからぬしま弁才天べんざいてん夜毎よごとあゆみをはこびつゝ祈念きねん他事たじハなかりしにぐわん満日まんにちおよびし社檀しやだんおもはず」11ねむりしに忽地たちまち音楽おんがくこゑとも神女しんぢよ御姿みすがたあらはれ給ひいときよらかなるこゑにてなんぢめいあげんとするその宿願しゆくぐわんむなしからねといまだ時運じうんいたらねバいまよりこゝろをはげましてなんぢ過世すぐせ因縁ゐんえんあるなゝッのほしめぐなんぢともに八ッのほしまつたあつまことあまねかいをあげてのちまでも賢女けんぢよいはれんなんぢそのほしんとおもはゞごとかたがはにいたりよかならずふたッのほしあはんとのたまふよとおもひしに忽地たちまちゆめさめしかバこれかならず霊夢れいむならんとなほ神前しんぜん祈念きねんしてそれよりかみのおしへにまか日毎ひごとこのかはふねを」うかまつ甲斐かひありて今日けふといふ今日けふ二個ふたりさんにひしことひとへかみみちびき吾〓わたしがよろこびこのうゑなしとかたるをうち八代やつしろうめこれまた竒中きちう一大いちだい竒事きじ驚嘆きやうたんしてぞたりけるそのときおうめ両婦ふたりむかそのはなしきくにつけおもあはすることありとてかの青柳あをやぎのうゑのことさいあまのおしへのことまで一伍いちぶ一什しゞうものがたさうしてれバこの三個みたりもまた青柳あをやぎといふ處女むすめはらこそかは過世すぐせからたがひにむすばるえんあれバいまより〓〓きやうだいをむすび苦楽くらくともにするならバさぞ頼母たのもしうござんしやうとはれておやす八代やつしろともによろこぶ不思義ふしぎの」12えんこゝ三女さんぢよくわいせしむるも弁才天べんざいてん冥助みやうちよなるかはかられぬことなりけりかく三個みたり長譚ながものがたりながやゝ黄昏たそがれねぐらいそ群鳥むらどり羽音はおとにおやすうちおどろきあま話説はなしいりくるるさへわすれましたされどもこゝ人里ひとさととふもれひとハあらねどもお両婦ふたりさんの御勞おつかれをもおもはぬ吾〓わたしこゝろなさぐるしくとも今宵こよひ一夜ひとよ吾〓わたし住居すまいでゆる/\となにかの話説はなしをいたしませうさいわひこの宵闇よひやみ路次ろじしのぶに便たよりもよしいざ諸侶もろともにとひつゝも此方こなた芦間あしまもやひおきたるかの網舩あみぶねうつれバ二個ふたりつゞひて」りうつるそのときやすいままで小舩こぶね舳先へさきかけなんもなく俯伏うつぶせにくつがへらせて押流おしながこれこゝろのこりハなひとひつゝ完尓につこ打笑うちわらひその力量りきりやう感歎かんたんして両婦ふたり見合みあはせつゝいとたのもしくぞおもひける有右かくておやすハおうめ両女ふたりふねよりおかのぼらせつゝそのふね芦間あしまつな投網とあみかたうちかけて両女ふたり先立さきだち案内しるべを為つゝほどとふからぬわがかたあしはやめていそゆくあとさみしき薄闇うすやみ渺々びやう/\たる河原かはらのありさまいと物凄ものすごをりこそあれ右方かなた左方こなた芦間あしまよりあらはいでたる二個ふたり婦女おんなたがひに」13かほをすかして。お理喜りきさん。おともさんか。そして首尾しゆびハとひかけられ此方こなた婦女おんな完尓につこ打笑うちゑ其所そこぬかりハござんせんかね約束やくそくしたとふ吾〓わたし彼方かなた芦間あしまから始終しゞう様子やうす立聞たちぎくにおうめとやらがにしきはたをたしかに所持しよぢせし様子やうすゆゑすきうかゞねらならおぼへししのびじゆつにてかね准備ようい小包こづゝみ御籏みはたつゝみ摺替すりかへすなはちこゝにといひながらふところよりしてくだんはたいだしつゝ四辺あたりまはし首尾しゆびよくうばりたれどもおうめとやらが心付こゝろづいまにもたづねんもれずおまへ御籏みはたたづさへてちつともはやこの子細わけを」

【挿絵第二図】

 挿絵第二図 〓〓はらから不思義ふしぎにしきはたうばふ」14

みちさまへもふしあげ御籏みはたをおわたしもふしなバよい差圖さしづある必定ひつじやう吾〓わたしこゝしのいまひと手段しゆだんござんすといひつゝ御籏みはたをわたすにぞ那方かなた婦女おんな受取うけとりてそんなら吾〓わたしいつもばしよへ。アヽ合点がつてんでこさんすとたがひにさゝやうなづきつゝみちちがへ芦原あしはら何所いづこともなくりける

作者さくしやいはく 畢竟ひつきやうこれなる両個ふたりおんなぜんあく甚麼いかに後回のちのめぐりときわくるをよみくわしきをり給へ

却説かくて勇婦ゆうふやす両婦ふたり我家わがやともなひつゝ圍爐裏ゐろり埋火うづみひ掘出ほりいだまづ行燈あんどうてら〔ら〕両婦ふたり其所そこ安措やすらはせその」15とも圓居まとゐして最前さいぜんからの御話説おはなしでハおつかれのみかおなかさへさぞ空食ひもじうござんしやうなにがなぜんのおさいをとおもへどなにをもふすにもかゝ卑賤さもしき世渡よわたりゆゑおもふのみにてそれさへならずおくちあはぬハりながらもうゐ見參げんさんことぶくしるし片瀬川かたせがはにて手猟てりやう雑魚うろくずこれなとやいてお夜食やしよくをとふを両女ふたりハおしとゞめいろふをきかたちあがり圍爐裏ゐろりしば折焚をりたきつゝづから夜食やしよく安排あんばいしていと念頃ねんごろすゝむるにぞ二個ふたりいまいろひかねてその赤心まごゝろよろこびつゝきやくあるじ諸侶もろともやゝ夕餞ゆふぜんはてしかバまたもやたがひにのうゑをときとかれつ」閑談かんたん斯須しばし時刻じこくのうつるほどにおうめさきりかへせしはたつゝみを取出とりいだこの一品ひとしなるからハ吾〓わたし一旦ひとまづ古郷こきやうかへ豊嶋としまのおいゑへさしあげておや恥辱ちじよくすゝいだうゑ過世すぐせえんあるみなさんにまた再會さいくわいとげませうといひつゝつゝみを打開うちひらけバにしきはたにハあらずしてなかにハあやおんな片袖かたそてこれハとばかりうちおどろくおうめハさらなり八代やつしろもおやすとも仰天ぎやうてんしてたがひに見合みあはすのみあきれてしばし忙然ぼうぜんたりそのときおやすハおうめむかなにもあれ大切たいせつはた人手ひとでわたしてハおまへこうになる道理たうりその盗人ぬすひとハ」16らねどもいまだ時刻じこくおくれねバたづねてれぬことハあるまいいまからすぐにおうめさん八代やつしろさんも諸倶もろともにとはれて八代やつしろ一議いちぎおよばずなるほどおまへ被仰おつしやるとふり一時いつときなりとも猶豫ゆうよハされぬまづさしあたつてがゝりハ片瀬川かたせがはなる芦間あしま小舩こぶね那処かしこ一旦ひとまづたづねたうゑとひつゝ二個ふたり立上たちあがるをおうめきうにおしとゞめお二個ふたりさんのおこゝろざしハあまほどうれしひなれど吾〓わたしそばすこしもはなさず大切たいせつ守護しゆごするはた摺替すりかへるほどのやつ放心うか〓〓/\這辺こゝらませうかよしまたこのるにもせよ此所こゝ鎌倉かまくらとふからねバあふぎやつ捕手とりての」人数にんすしのらんもはかられずしかするときハぬすまれしはたぬのみならでかへつ吾〓わたし三口さんにん不思義ふしぎ難義なんぎあらんもれずよしそれとても吾〓わたし覚期かくごおそるゝことハなけれどもお二個ふたりさんをもまきぞへせられ志願こゝろざしをも立通たてとふさでいのちおとさバひと物笑ものわらひともなりませうそれのみならで八代やつしろさんハ仮染かりそめながらあふぎやつろくたべたるおなれバいまこそ吾〓わたしむす苦楽くらくともにするとてもはたともたづねてハ吾〓わたしたいしてしんありともあふぎやつこそ不仁ふじんなれ大恩だいおんうけたと被仰おつしやつ繁咲しげさきさまへたつまいてもかくてもうば17はれ〔し〕吾〓わたし不覚ふかく是非ぜひもなしお両個ふたりさんのこゝろらねど一旦ひとまづ多塚おほつかおもむきてかの青柳あをやぎさんにも様子やうすかたふたゝはた取戻とりもど手段しゆだん其所そこさだめませうと義理ぎりとひたる才女さいぢよ言葉ことば両個ふたりふか感服かんぷくしてついそのしたがひけるそのなか八代やつしろ欣然きんぜんとして形容かたちをあらためすでさきにももうせしとふり七ッのとししにわかれたおや石碑せきひハありながら香花かうはなさへもそなへずにこの年月としつきすごせしにいまときありてかくまでにたぐひなき賢女すぐれびとちなみをむすびて古郷ふるさとおや牌前ひぜん手向たむけみづ千部せんぶきやうにも弥増いやまし草葉くさばかげより双親ふたおやがさぞよろこぶで」ござんせうとかゝときにもおやわすれぬその孝心かうしんかんじつゝなほ余談よだんおよふほどにはるなれバはかなくもあかつきかねつげわた鶏鳴けいめい東隣とうりんきこゆるにぞおやすおどろいでそら様子やふすうちながめまだ東雲しのゝめにハあいだもあれバすこしも路次みち小暗こぐらきうち芦間あしま小舩こぶね打乗うちのり夜明よあけさき藤沢ふぢさわまでみなさんお仕度したくなさんせとはれてうなづ八代やつしろうめ身繕みづくろひするそのひまにおやす家内やうち取片付とりかたづひと風呂敷ふろしき引包ひきつゝみていざ諸倶もろともにとひつゝも三個さんにんひとしく背戸せどくちより舩場ふなばをさしていそぎける
貞操婦女八賢誌ていそうおんなはつけんし三輯さんしふ巻之一18


貞操婦女八賢誌ていそうおんなはつけんし三輯さんしふ巻之まきの

東都 教訓亭主人編次

第廾一回 〈戸田とだ河原かはら苦七くしち袖乞そでごひいざなふ|夛塚おほつか知縣ちけん二賢にけん義婦ぎふすくふ〉

前話こゝに不題また武藏むさしくに夛塚村おほつかむら知縣ちけんつか大六だいろく婬行いたづらだう曲者くせものなれバすぎ青柳あをやぎからりてより梅太郎うめたらう詮義せんぎハせで朝暮ちやうぼ青柳あをやぎ居間ゐまはべらせ酒興しゆけうことよせ種々さま%\艶行いやらしきことをひかくるそのていかつおほやけならねバ腹立はらたゝしくもくちしくてあるひハのゝしはづかしめ承諾うけひく氣色けしきハなきものから」大六だいろくなほこりずまにおどしつすかしつ欺計こしらへその情慾じやうよくをはたさんとおもヘど義氣ぎきある青柳あをやぎいかで不正ふせいしたがふべきかく數日すじつるほどに大六だいろくいまこらへかねて青柳あをやぎをきびしくいまし一間ひとまうち押込おしこめさら三度さんど食事しよくじさへおもふほどにハあたへもせず以前いぜんかはりしふるまひハこれみな大六だいろく姦計かんけいにてしかしてくるしおくときハそのたえがたさにおのづかこゝろにしたがふこともあらんとかくハはからひたりしとなんさてもまた神宮屋かにはやにてハもとより異血まゝしき處女むすめなれどもおそで容貌すがた美麗うつくしきによりこれをおとりに大家たいけ取入とりいりかねつるにありつかんと夫婦ふうふひそかに相談さうだん1 してその内心したごゝろでありけるにこのほどおそでハはからずもおはりあざむ誘引いざなは家出いへでなせしを一筋ひとすぢ梅太郎うめたらうつれしたりとおもへバ旡念むねんかぎりなくいかにもして取戻とりもどさんとおもをりしも様子やうすきけバその戸塚とつか大六だいろくもく兵衛べゑいへにおしせて家財かざいのこらず闕所けつしよなし食客しよくかく青柳あをやぎ搦捕からめとりしとそのうはさもつぱらなれバ夫婦ふうふこれきくよりもいさゝか心地こゝちよくおもヘども梅太郎うめたらう亡命かけおちなしおたけついのがれて両個ふたりともに行衛ゆくゑこんなほはれがたくとく青柳あをやぎ拷問ごうもんさせ梅太郎うめたらう在家ありかたづうらみをむくはんとおもふにぞ」かの大六だいろ〔く〕金子こがねおくしきりに吟味ぎんみいそげども大六だいろくたゞ青柳あをやぎ艶色ゑんしよくこゝろまよひいかにもしてれんとおもへバこれこと懸念けねんせずむなしくつきすぐるほどに神宮屋かにはや夫婦ふうふ意恨いこんたへかねさんとおもひし處女むすめさそされしのみならず五十ごじうりやうかねまでもぬすられしことなれバこのまゝにてハすまされずてもかくても大六だいろくこゝろかなふやうにもてなしかの青柳あをやぎ拷問ごうもんなさねバうらみをむくハあらじと種々さま%\思按しあんめぐらせしにそのころ戸田とだ川縁がはべり両個ふたりおんな乞食こじきありてそのさま〓〓きやうだいのごとくなるが髪餝すがた衣粧かたちハやつれたれ」2ども容貌かほかたちのうるはしきことひなにハなか/\ありがたしとうはさするもののありけれバ神宮屋かにはや夫婦ふうふこれきくよりひと謀計はかりことをもふけしかバ早速さつそくいゑ老僕おとななりける苦七くしちといへるに所存しよぞんあか夥数おほくぜにもたらして戸田とだ川縁かわべりおもむかせつゝくだん乞食こじきそれをあたへてひそかにたのみたきことあれバ今宵こよひ神宮屋かにはやまでまいるべしことなるうゑハ褒美ほうびかね両人ふたりのぞみにまかせんとひそやかにいひきかせけれバ二個ふたり乞食こじきおもはずもおほくのぜにもらひしのみかこの夛塚おほつかにて分限者ぶげんしやきこへたる神宮屋かにはやよりかく念頃ねんごろよばるゝことゆゑなにか」子細しさいらねども褒美ほうびきゝうちよろこびいかにも今宵こよひまいるべしと両女ふたりこたへ苦七くしちもよろこびなほ左右かにかくやくをなしていそ神宮屋かにはや立帰たちかへあるじ首尾しゆびよきをかたりつゝそのくるるをまつほどにはや晩鐘いりあひもいつかすぎ初更しよかうにぞおよびけるそのとき神宮屋かにはや裏口うらぐちしの以前いぜん乞食こじき苦七くしちそれるよりもかね手繰てはづさだめしことゆゑにわづたひに案内しるべをなし夫婦ふうふ居間ゐまともなゆきひそかかく報知つげけれバあるじ夫婦ふうふ端近はしちか〓先えんさき立出たちいでつゝ両女ふたり容貌すがたをつく%\るにげにきゝたるにいやせし風俗ふうぞく3のみか立居たちゐ振舞ふるまひいやしきものおもはれねバあるじふかよろこびつゝかの袖乞そでごひをさしまね汝等なんぢら両婦ふたりせしハふか子細しさいのあることながらなにらずわがふことたのまれてハくれまじきかとはれて両女ふたりおくするいろなく吾〓わたしごといやしきものひとらしくもよせられかく念頃ねんごろのたまふものを假令たとへいかなることにもせよかなひさへすることならおふせハそむきもふすまじとふにあるじハます/\よろこまづかの両個ふたりゆあみさせあらた衣類ゐるいをあたへつゝ一間ひとまうちともな酒食しゆしよくいだして饗應もてなしたるうゑ四辺あたりひととふざけてあるじ言話ことばひそめ」つゝたのみといふもほかならぬど箇様々々かやう/\ことにより一個ひとり處女むすめそでをバうめ太郎がため連出つれだされしにそのまた如此々々しか/\ことありてうめ太郎がいへ闕所けつしよせられ食客しよくかく青柳あをやぎといへる處女むすめそのにて召捕めしとられしかどかのうめ太郎が在家ありかもとよりいもとたけにげりてついゆくれざれバわがうらみハなほはれがたくさりとてほか手段しゆだんもあらねバ當所たうしよ知縣ちけん大六だいろくどのに金銀きん%\夥数あまた賄賂まいないしてかの青柳あをやぎ拷問がうもんさせうめ太郎在家ありかをバ白状はくじやうさせて搦捕からめとりこの欝憤うつぷんさんぜんとおもひしかども如何いかにせん大六だいろくどのハ」4青柳あをやぎたゞ艶色ゑんしよくにのみまよはれて吟味ぎんみ沙汰さたあらざれバかくていつまでありたりとも意恨ゐこんるゝハあらじとおもひしゆゑに種々さま/\日夜にちやこゝろくるしめしにはからず汝等なんぢら両女ふたりてひとつの竒計きけいをもふけしなりその子細しさい別義べつぎならず汝等なんぢら彼所かしこ連行つれゆきこのもの鎌倉かまくらなる由縁ゆかりひと處女むすめなるが薄命ふしあはせにておや死別わかれ我等われらかたにたよりいづれにもよきかた奉公ほうこうたしとのぞむゆゑ不都束ふつゝかものにハはべれどももしおぼめしもあらんにハおそばちりをもはらはせ給へと言話ことばたくみにすゝめなバもとより好色こうしよく大六だいろく殿どのゆゑかならず両女ふたりかゝへ」

【挿絵第三図】

 挿絵第三図 苦七くしち戸田とだ河原かはら乞食かたいく」5

らるべしそのとき汝等なんぢらこゝろあは大六だいろく殿どの甘言すかし欺計こしらへおりよくハ青柳あをやぎ拷問ごうもんさするやうべしもしそれとても心迷こゝろまよひて拷問こうもんすべき氣色けしきなくバおりうかゞ青柳あをやぎいれおく一間ひとましのひそか彼嬢かれぬすいだ我方わがかたおくるべししかするとき此方こなたにてきびしく彼嬢奴かれめせめひて一々いち/\白状はくぜうさせたるうゑにくしとおもうめ太郎たらうたけともからいまうらみをはらすべしこれ秘事ひめごと大六だいろく殿どの推量さとられてハろうしてこうなきのみならで我身わがみのうゑにもかゝることゆゑ假令たとへ青柳あをやぎぬすすとも所爲しわざともれざるやうかならこゝろもちゆべしそのときにハ」6わがかたにもかね手繰てはづさだ首尾しゆびよく那嬢かれうばさりなんたのみといふハこのことなりとはれて二個ふたり袖乞そでごひハおもはず莞尓につこ打笑うちゑみ如何いかなることかとおもひしに青柳あをやぎとかいふ娘公むすめご拷問がうもんさするかつれすか二ッに一ッのいまのおたの箇様かやうもうさバなにとやらん鳴呼おこなるものわらはれんが吾〓わたし両個ふたりはらからの袖乞そでごひにてハ候はずおや京家きやうけ仕官みやづかへして由所よしあるものにてはべりしが讒者ざんしやしたにかけられてつい浪人らうにんとなりゆきそれれより諸國しよこくにさまよふうち双親ふたおやをさへ死去うしなふ寄方よるべなけれバ是非ぜひなくもかゝいやしきわざもしつわづかいのちを」つなげどもかなしさ難面つらたへがたく人になさけのあるならバ如何いかなるかたにもせていかでこののがれんとおもひし甲斐かひにはからずも今宵こよひこのまねかれしハ吾〓わたし二個ふたり僥倖しあはせいのちかへてもちからつく首尾しゆびよく爲遂しとげそのうゑでハ何卒なにとぞ二女ふたり落付おちつきひとへにおねがひもふしたしといふにあるじうち点頭うなづきおもふにましたる両女ふたり種性すじやういかにもたのみし大役たいやくなしたるうゑハのぞみの隨意まに/\よきにはからひさすべしとひつゝつまにもそのさせあらたに衣装いしやう調とゝのへて両個ふたり美々びゞしくよそはせつぎの日みづか大六だいろくやしき両女ふたりともなひゆきかねて」7約束やくそくせしごと々々/\のよしひこしらへて両婦ふたり目見めみへいだせしにあんたがはず大六だいろく美色びしよくをよろこぶ婬行者いたづらものゆゑ忽地たちまち両婦ふたり召抱めしかゝゆるむね返答へんたうおよびしかバすましたりと神宮屋かにはや心中しんちうひそかによろこびつゝそこ/\にしてたちりける有右かゝりしほどに大六だいろくハはからずもじんてはやたましひはずこゝろしきりに放氣うかるゝにぞそのにわか酒席しゆせきをもふけくだん両個ふたりしやくらせてすでこんおよびしにかの處女おとめ肚裏はらのうちおももうけしことやありけん言話ことばをたくみきやうへてなほ數盃すはいのまするにぞ謀計はかりこととハ大六だいろくおぞくも」おもらざれバいよ/\大吃すゝみます/\ゑいついせきにもたえがたくやそのまゝ其所そこ打臥うちふしはていびきとなりにける當刻そのときやゝふけときばかりになりしかバ家内やうちすべしづみて大六たいろくほとりにハたゞかの両個ふたり處女おとめのみほか扈従つきそものもなけれバ両個ふたり處女おとめ大六だいろくほとりへ卒度そつとしのいき須臾しばしかんがへてかほ見合みあはせつゝ完尓につこ打笑うちゑみまんまと首尾しゆびよくおやすさんおまへ智惠ちゑ易々やす/\此家このや入込いりこ而巳のみならずこの邪智じやちふか大六だいろくを。おまへ両個ふたり口先くちさきにてだましてよはせたうゑからハ這奴こやつ最早もはや死人しにん同前どうぜんこのはやく」8八代やつしろさん。なるほどかれこれ手間てまどつてさまさせてハ面倒めんだうものそんならすぐ青柳あをやぎさんを一間ひとまうちよりすくかねはづとふあの片村むらはづれ一家ひとつやへ。ともなひゆきておうめさんになにかの様子やうすはなしたうゑおちつくさきあとこととハらぬこの勝手かつてもし右往左往あちこち迷歩うろつきとがめられてハいち大事だいじいふ八代やつしろおしとゞめ。そのことならバづかひなしよひ吾〓わたし侍婢こしもとだましてきいおきましたがたしかおく小院こざしきとか這所こゝからすぐにはづたひにサアござんせとたちあがるいとかしこ八代やつしろ才智さいちおどろくおやすさへとも下立おりたつ庭面にはもせその月代つきしろ八代やつしろさきに」たちつゝ小院こざしきをこゝろざしてぞしのびける

第廾二回 〈三女さんぢよ暗夜あんやはしつ群舘ぐんくわんさはがす|奸夫かんぷ奸夫かんふはかつ反身かへつてみほろぼす〉

却説かくて青柳あをやぎかゝるべしとハかみならでるよしたへてあらざれバ明暮あけくれ難面つれなき大六だいろく仕方しかた邪婬こひかなはぬあたおもへバいとゞはらたゝしくれどものがるゝみちのなけれバもしこのまゝに賊手ぞくしゆにかゝりいのちすてなバこれまでにおもたちたる宿願しゆくぐわんまた梅太郎うめたらうむすびし言話ことばむなしきつゆきへしてののちまで夲意ほいなからんハいへ放心々々うか/\如右かくてあらバついにハいのちうしなふべし」9しからんにハ賊手ぞくしゆにかゝりはぢはぢかさねんよりみづかぬるがましならん勇者ゆうしやておそれずとか女子をなご似氣にげなきことながら死すべきときせざれバにもましたるはぢとやらヲヽそれがよい/\とこゝろうちにハおもへどもいましめつたかづら我身わがみ我身わがみ自由じゆうならねバぬもなれぬ因果ゐんぐわさをなぐさむるひともあらしふく夜寒よさむころもひやまくらさへせで欝々うつ/\物思ものおもはしきをりこそあれたれかハらず入口いりくちなるかなそつ押明おしあけしの二個ふたり處女おとめ這方こなた不審ふしんはれざれバこゑをかけんとするくちをおさへて手速てばや青柳あをやぎが」縲絏いましめほどみゝ口寄くちよさゝやくを青柳あをやぎきくよりもあるひハあきかつよろこびそんなら両個ふたりのお女中ぢよちうさんもやつぱりすぐゑんありておうめさんとちなみをむすこの多塚おほつかへおいでのところ神宮かにはいへ大變たいへんわたし難義なんぎをおきゝゆゑ姿すがたをやつしいりんで酒食しゆしよくにふける大六だいろくゆゑはかりおふせて易々やす/\はづたがへず吾〓わたしをバすくいだしてくださんしたかシテ両個ふたりのお身分みぶんハとひかけられて八代やつしろあの吾〓わたし鎌倉かまくらでといはんとするをおやすがおしとめその話説はなしあとでもなることこゝにあんまりひまどつてもし大六だいろくもなくとも家内かないものさまさバこれまで折角せつかく10おふせたはづみづあわとなりかへつて難義なんぎにならうもれぬ八代やつしろさんハ此間このひまはや青柳あをやぎさんをともなふてこゝかまはずと裏門うらもんからあの村尾むらはづれ草屋ひとつやへとはれて八代やつしろ打頷うちうなづきそりや合点がつてんでござんすがおまへひとりをのこしてハとふをおやすハおしとゞめナニづかひハござんせん吾〓わたしこゝのこるのももし大六だいろくさま追手おつてをかけるときためゆゑそんなことにハ懸念けねんなくさいわくもつきぐらきうちにいざはやくとせりたてられて八代やつしろまた青柳あをやぎいろひかねつゝ手速てばや小褄こづま取上とりあげひそかたち裏門うらもんぐちぐらきかたせて潜戸くゞりど卒度そつと推明おしあけつゝすでいでんとするおりしもこの物音ものおとおどろさめけん庖所くりや大戸おほど押明おしあけ僻者くせものまてひつゝも用心棒ようじんぼう打振うちふり々々/\あらはいでたる両個ふたり小僕こもの青柳あをやぎ八代やつしろ敵仆うちたをさんと彼是ひしめくをあとより徐々そろ/\しのるおやすそれるよりも飛鳥ひちやうのごとくかけつて二個ふたりおとこえりがみをつかんで此方こなた引戻ひきもどし。こゝかまはずとちつともはやく。そんならあとたのむぞへ。アイ合点がつてんでござんすとふをうしろにきゝすて両個ふたりさきはし其時そのとき二個ふたり小僕こものハおやすうでりはなちなほこりずまにうちかゝるをみぎひだり引外ひつぱづツトせて突出つきいだこぶし當身あてみふた11おとこ須臾しばしたへ仰向のけさまウントひつゝたふるゝをむきもやらずすそはせおり青柳あをやぎひつかんと足元あしもとへぬ薄闇うすやみ千草ちくさ百草もゝくさ蹈分ふみわけしきりに路次みちいそぎつゝ二町ふたまち三町みまちをりしも片辺かたへしげりし笹原さゝはらよりあらはれいでたる一個ひとり癖者くせもの頭巾づきん目深まぶかかむりしかバおとこおんならねどもおやす姿すがたすかうち点頭うなづきつゝまた以前もとざゝなかにぞかくれける 〈作者さくしやいはくこの曲者くせものの|わけ廾七くわいいだす〉 却説かくてまた大六だいろく郡舘やしきにてハさきにおやすになやまされし二個ふたり小僕こものやゝ須臾しばしともぜつたりけんおきもあがらでたりしがすで半〓はんときばかりにしてやうやく」蘇生われにかへりしかバうちおどろきつゝ四辺あたりるにかのやす何地いづちゆきけんさらかげだもへざれバたがひに見合みあはすのみまた詮術せんすべもなきものからハとてむべきにあらざれバいそ大六だいろく居間ゐまにいたりこと如此しか/\/\報知つぐるにぞそのときまでも大六だいろくなほ熟睡うまゐしてたりしがいまこのらせをきくよりも俄然がぜんとして起直おきなほかつおどろかついかりてさて女子をなごをゆるさせ大切たいせつなる罪人つみんどうばられしくちしさよこれみな神宮屋かにはやへい左衛門ざゑもんふかくもはかりしことならめもあらバあれこのむくいまにぞおもらせんとて忽地たちまち人數にんづ准備よういしつ大六だいろくみづかさきすゝみて夥兵くみこに」12下知げちしてふやう汝等なんぢらぬるはたらきして捕迯とりにがさんもはかられねバ各々おの/\やいば抜連ぬきつれ家内やうち奴等やつらのこりなくみなこと%\きりつくしてかの青柳あをやぎ三個さんにんふたゝ首尾しゆびよくとりかへすべし心得こゝろへたるかとひつゝもやがくだん神宮屋かにはやなる表口おもてぐちより裏口うらぐちより三七二十一むにむざんきりるにぞおもひがけなきことなれバみせ庖所くりや熟睡うまゐせし雑人ぞうにんもの周章あはてさはぎてあれ盗奴ぬすびと泥坊どろぼうよとさけぶを這方こなた夥兵くみこおどりかゝつてりまはる這方こなた多勢たせい那方かなたハまた不意ふいをうたれしのみならず雑人ぞうにんどもの甲斐かひなさハひとりとして敵對てきたふものなく我先われさきにと」迯廻にげまはるにぞかの夥兵くみこハいよ/\いさみてあるひハ袈裟けさがけ腰車こしぐるままたハ肩先かたさき臑掌すねこぶしそのさまうりるごとく瞬間またゝくひま十四五しうしこにんまくらならべてしたりけるれどもつか大六だいろく神宮屋かにはや夫婦ふうふ出合いであはまし青柳あをやぎ三女さんにんいづれにかくるをらねバなほ夥兵くみこらはげましておく納戸なんどこゝろざし會釈ゑしやくもなくぞ〓入きりいり案下そのとき神宮屋かにはやへい左衛門ざゑもん有右かゝるべしとハつゆらでさき二個ふたり袖乞そでごひ竒計きけいしめして郡舘ぐんくわん奉公ほうこうさせしことなれバちかきに青柳あをやぎ拷問がうもんさするかなくバひそか連出つれだすならめしかるときハやせまじかくやせまじと姦計かんけいふうひたいあつめつゝ閑談かんだん13こくおよぶほどに更行ねよとのかねこゝろつき夫婦ふうふかたみ臥房ふしどいりしが忽地たちまちうち騒々そう%\しく小僕こものよばゝさけこゑみゝひゞきてすさましく何事なにごとやらんと起上おきあが準備ようい手鎗てやり引提ひつさげつゝみがまへなしてところ間隔あわいふすまはなしてさきすゝみし戸塚とつか大六だいろく夥兵くみこ後方あとべしたがへつゝこゑたかやかによばはるやうなんぢ姦賊かんぞくいかなれバわが恩沢おんたくかうむりて数年すねん當所たうしよいゑかま商賣なりはいむさぼりながらその恩報おんほうおもひもせで素性すじやうれざる婦女をんなをかたらひわれはかりて熟々うま/\おもつみある青柳あをやぎうばらせしなんぢこそぞくましたるつみなりかしとく三女さんにんぞくをわたし」

【挿絵第四図】

 挿絵第四図 三女さんじよあん知縣ちけんはしる」 14

わがいましめをうけなバよしはゞ汝等なんぢらをも小僕こものひとしく〓尽きりつくしてのちぞく在家ありかたづねんでも白状はくじやうせざるかとはれておどろへい左衛門ざゑもんふみとも仰天ぎやうてんしてさて二個ふたり袖乞そでごひのまんまと青柳あをやぎつれしたるにおつにんせまられて我方わがかたへハことかなはず他方たほうはしりしものなるかさるにてもつれすならバかねはづをなさんとひしに女子をなごあさこゝろからなまじいなること爲出しいだしてふきこの大疵おほきずもとめたるものならんと流石さすがかんへい左衛門ざゑもんかの二個ふたり袖乞そでごひをおやす八代やつしろ賢女けんぢよさとらぬも道理ことはりなりかくてまたへい左衛門ざゑもんことの」15やぶれとおもひしかどものがるゝたけハ弁舌べんぜつにてのがれんとあんしつつまにも急度きつと瞬目めくばせして大六だいろく打對うちむかおもらざる難題なんだい小拙それがしこと梅太郎うめたらう處女むすめうばられしゆゑそのこんやるかたなくいか青柳あをやぎ拷問がうもんなしうめ行衛ゆくゑたづもとめていまうらみをむくはんとおもひこそすれゆゑもなくあたくみせし青柳あをやぎすくすべき所謂いわれなしこれにて賢察けんさつあるべしとはせもあへず大六だいろく忿然ふんぜんとしてまなこみはなんぢ何程なにほど言語ことばたくわれまどはさんとほりするともなんぢかたより口入くにうせし両個ふたりぞく青柳あをやぎうばりしがたしか證据しやうこかくてものがるゝみちありや」なんぢがごとき白徒者しれもの白状はくじやうさせんとひまどるうち大事だいじ賊婦ぞくふ捕迯とりにがさバ千度ちたびゆともせんなからん夥卒ものども這奴こやつ夫婦ふうふころしてまづわがうらみをはらさせよとはれておどろ神宮屋かにはや夫婦ふうふなほとかんとするおりしもかしらげぢしたが夥兵くみこ各々てに/\もの打振うちふり々々/\夫婦ふうふなかとりんでうつてとるべきいきほひにへい左衛門ざゑもんいまハしも奸口かんこう利弁りへんもちゆるひまなくつまのおふみうしろにかこやりをもつてふせたゝかいきほがうにハゆるものからもとよりだうるにあらねバおほくの夥兵くみこきりたてられ薄痍うすで四五しごしよひしかバふせぎがたくやおもひけん引外ひつぱづして」16迯出にげいだすを大六だいろくすかさずびかゝつて肩先かたさきよりしたまで後袈裟うしろげさにぞきりげたりこの有様ありさまおどろおそれしおふみこゝろはずされども猶豫ゆうよする場所ばしよにあらねバこゝ一生いつしやう懸命けんめい捕手とりてなかくゞにげんとすれども女子をなご甲斐かひなさついみぎよりひだより眉間みけん肩先かたさききらひなく盲手めつたぎりきりなされ其所そこいのちおとせしかバ大六だいろく心地こゝちよげに夫婦ふうふ死骸しがいやりつゝなほ夥兵くみこはげましてうちのこらずたづぬれどもかの三個さんにん處女おとめハさらなり婢女ぬいすべにげたりけん人影ひとかげさへもへざれバ大六だいろくいらだつのみついのぞみをうしなふてまた詮術せんすべもなきまゝにつく/\おもめぐらせバわれ一朝いつちやう忿いかりにまか神宮屋かにはや夫婦ふうふころせしかども賊婦ぞくふ行衛ゆくゑれざれバそのきつかしらはなすのことはり今更いまさらなほ欝憤うつぷんはれがたしてもかくてもこのまゝにてぞくとりもどさずバわが一分いちぶんたゝざるのみかひと批判ひはんまぬかれずらバいまよりわけして近郷きんがう近在きんざい隣國りんごくまでたづもとめて搦捕からめとりいまおもひをさんぜんとにわか手繰てぐりをなすおりしも忽地たちまち大六だいろく郡舘やしきかた猛火みやうくわさかんにもへあがりてんをもこがいきほひなれバ大六だいろくふたゝ打駭うちおどろやしきかた失火しつくわあるぞ」17夥卒ものどもいそげとひつゝもよくのなき大六だいろくなれバ一品ひとしなにもせよわがしなやいてハそんのうまるなしと處女おとめ詮義せんぎ打捨うちすていきをもつかずりける

げに天道てんだうぜんくみあくこらすとかの青柳あをやぎ義心ぎしんなる一回ひとたび悪手あくしゆとらはるれどもまたはからざるたすけあり神宮屋かにはや夫婦ふうふ奸悪かんあくなるはじめ巨萬こまん黄金こがねつむともつい非命ひめいのがれずたゞ大六だいろく非道ひだうのみてんいかでこれをゆるさんすへまき解分ときわくるらん
貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし三輯さんしうまき 〔白〕18


貞操ていそう婦女をんな八賢誌はつけんししう巻之〔三〕(ママ)
江戸 教訓亭主人編次 

第廾三回 〈樹間じゆかん草屋會四賢女そうをくしけんぢよをくわいす老婦ろうふ赤心餞別一簡せきしんいつくわんをはなむけす

再説さても青柳あをやぎ八代やつしろ於安おやすあとまかせて大六だいろくやしき立出たちいでつゝあしをはやめてゆくほどにやゝむらはづれにおりしもひとむらしげりし木立こだちひまよりたちあらはれし一人ひとり處女むすめさきにすゝみし八代やつしろかほあはせつ小聲こゞゑにて むすめ八代やつしろさんか 「おうめさんか シテ大六だいろくやしき都合つがう首尾しゆびまこと上々吉じやう%\きちすなはこゝ青柳あをやぎさんをいふ」ときあとより青柳あをやぎ「おうめさんでござんすかさても/\ばかりにてたがひになみださしぐむハ流石さすが婦女をんなじやうならんか霎時しばらくあつて青柳あをやぎ二個ふたりむかひてかたちをあらため かの大六だいろく邪曲よこしまより旡失むしつつみとらはれてとてのがれぬいのちとハこゝろ覚悟かくごましたなれどちなみむすをかためたおうめさんに一度いちどあついひたいこともありきゝたいこともあるものをこのまゝぬとハ口惜くちをしひとおもふたねんとゞいてか今夜こよひはからずみなさんの救佐たすけ萬死ばんしのがれたハうきにあいし盲亀かめよりもまだもがたい僥倖さいわいおもへバいのちをなげうつておんほうじハいたしますそれにつけても不思義ふしぎなハおうめさんハすぎころ御籏みはたたづねて」1 豊嶋としま亡父ぼうふ汚名おめいをあがなはんと首途かどでありしそのよりいまだいくほどたゝざるに古郷こきやうへおかへりありしのみかお二個ふたりさんをともなふてわたし必死ひつしすくはれしハどふもこゝろせませぬ御籏みはたハおりましたかまたハいらぬかがゝりなはやきかせてくださんせはれておうめハうち点頭うなづき そのうたがひハお道理だうりながらこれにハ種々いろ/\子細わけのあることしかし爰等こゝら往來わうらいゆへ長話語ながばなしもおかしなものせまくハあれどあれなる小家こいへ「そんなら其所そこなにかの話語はなしつたりきいたりいたしませう サアござんせ 八代やつしろうめさきたちまたあとにつきはやしうちるほどに五十歩ごじつぽばかりにしてあやしげなる白屋くさのやにぞいたりけるそのときうめさきへすゝみてかどそつひきあくれバ」うちにひとりの老人おうなありていとまめ/\しく応答もてなすにぞ青柳あをやぎ八代やつしろもつゞいて一間ひとまへすゝみ却説かくて老女おうな火桶ひおけはこびぬるちやをすゝめなどするはしにおうめ青柳あをやぎむかひていふやう 最前さいぜんまへがおたづねの私等わたしらうへ話語はなせバながいことながらそのゆへ箇様かう/\ かの鎌倉かまくらにてはなかたにしきはた戸帳とちやうにして諸人しよにん參拝さんぱいをゆるすよしをきゝつたへて小舩こぶね舩樓ふなやぐらまぎのぼりて御籏みはたとりかへさんとせしはじめより八代やつしろ組撃くみうちしてまろびて小舩てんまおちことそのゝち片瀬川かたせがはながてはからずおやすにたすけられかたみうへあかせしに八代やつしろ云々しか/\なりおやすもとハ箇様かう/\かの神夢しんむこと繁咲しげさきことすべて尼公あまぎみ宿因しゆくいんあるその」2概略がいりやく説示ときしめそれにつけても旡念むねんなハ折角せつかくにしき御籏みはたいつのほどにかすりかへられてもつかぬこのづゝみとひつゝこしつけたりし帛包ふくさづゝみいだなかにハあや片袖かたそでれてあるゆゑもし萬一ひよつと鑿義せんぎ手蔓てづるにならうかとおもへバいますてもせずたづさへてハるものゝいままで苦中くちうしのいのちにかけてとりかへせし御籏みはたおぞくも摺替すりかへられいひ甲斐がひなしとひとさんにおもはるゝさへおもなきに青柳あをやぎさんハとりわけて松井田まつゐだ宿じゆくよりはる%\と亡親なきおや遺言ゆいげんまでつたへしものをとくちしくも腹立はらたゝしくもござんせういまさらもゝたびくゆともせんなき吾〓わたし不幸ふかうたゞこのうへハ」みなさんのおぼめしこそねがはしと始終しゞうきい青柳あをやぎなぐさめかねつやゝ須臾しばし溜息ためいきついてたりしがおもひかへしておうめむか大事だいじ御籏みはたをうしなひしハいと夲意ほいなきことながら過世すぐせゑんある両女ふたり邂逅めぐりあひしも不思義ふしぎさいわいまより四個よたりこゝろあはくまなくたづもとめなバとりかへすとふからしそれよりさきひたきハおまへ養家ようか騒動さうどう吾〓わたし知縣ちけんとらはれしをどふしてつてござんしたとはれて八代やつしろ小膝こひざすゝそのうたがひハことながら日外いつぞや腰越こしごゑたちりてより心急こゝろせくまゝ路次みちをいそぎてそのつぎ黄昏たそがれこの夛塚おほつか近寄ちかよるおりしもにはか降出ふりだすむらさめ霎時しばしさけんと」3立寄たちよりし木影こかげはからず出會であい老女おうなうめさんとハ知己しるひとにて這回こたび養家ようか騒動さうどうとおまへ難義なんぎ一伍いちぶ一什しゞう箇様かやう々々/\報知つげられておどろなかにもおうめさんハおまへもとよりおたけさんまたおそでさんのことさへもあんじハさぞとおもヘどもほか思按しあんもなかりしにとふをおうめをついてそのをりあふ老女おうなといふハおまへもかね%\うはさ長堤なわて孫三まごさじつあねそれゆゑ吾們わたしら三女さんにんいと念頃ねんごろなぐさめてこのひそかにともなはれおまへすく相談さうだんにさま%\こゝろらうせしかども吾〓わたし以前いぜん姿すがたかはれど知縣ちけん鑿義せんさくきびしけれバひるさとへもことかなはず八代やつしろさんとおやすさんのみ終日ひめもす四方よもを」

【挿絵第五図】

 挿絵第五図 青柳あをやぎすくふてさん賢女けんぢよ金沢かなざははしる」4

走回はせめぐりてこと様子やうすうかゞひしにこゝろうかことありとてひとッの竒計きけい新作意おもひつきそのつぎよりお両女ふたりかり袖乞そでごひをやつせしにつゐ謀計ぼうけいそのあた今宵こよひ夲意ほんゐとげられしことみな両女ふたり方寸ほうすんよりたくみいだせるところなりときいいてよろこぶ青柳あをやぎあつなさけかんじける斯須しばらくあつて青柳あをやぎさきにおうめ取出とりいだせし帛包ふくさづゝみうちひらきなかなるあや片袖かたそで左視とみ右視かうみつゝいぶかしやゝうちあんじてたりしがこゝろおもふよしやありけん完尓につこゑみつゝうち点頭うなづきたしかにおぼへのこの片袖かたそでこれ御籏みはた摺替すりかへたらバその盗人ぬすびとおほかたハ心當こゝろあたりがござんすといはれておうめも」5八代やつしろひざのすゝむをおぼへぬまでに青柳あをやぎかほうちまもりて なに様子やうすらなひがこの片袖かたそでがゝりとハ奈何いかなる子細わけおしへてはれて此方こなたひざおしすゝめ サアそのわけハながこと過頃すぎし七月ふづきなか五日いつかまへ首途かどでありしより四五しごにちるほどにおそでさんハなほさらにおまへことのみおもひくらしてつゐにおはりにたばかられおなじつきすへ五日いつかしま祭礼さいれい見物けんぶつことよせて箇様かやう々々/\ことありしそのときわたし湯立ゆたてんとてしまにいたりしにはやことすみしあとなれバ夲意ほいなくおももどみち丸塚山まるつかやましときハり」はてゝ宵月よひづきをもりてわたおりしもむかふにあやしき人影ひとかげ様子やうす奈何いかにとうかゞふに云々しか%\ことありしをかのはりがおそでをとらへごめにしたるくだりより仙女せんぢよ真弓まゆみがおはりころしおそでりあいしことかつそで真弓まゆみじついもとなりしことそのちゝことはゝことそで節義せつぎ真弓まゆみ至孝しいかうまた真弓まゆみにしき御籏みはたをもてちゝあたなるあふぎやつねらうたんとおもふによりおそでのぞみにおうぜざりしことそのとき青柳あをやぎにしき御籏みはたとりかへさんとて真弓まゆみいどたゝかひしおりあやまつておそで深谷みたにおとせしことそれよりなほもあらそひしに真弓まゆみ不思義ふしぎじゆつあつて」6小笹をざゝなかとびりしまゝかげかくしてついにへず其所そこのぞみをうしなひしかバひと夛塚おほつかもどみちにて鍬八くわはちゆきひつゝ神宮かには騒動そうどうきゝしゆゑまた如此しか々々/\にはからひておたけ鍬八くわはち委置ゆだねおその夛塚おほつかいへにいたらんとせしに大六だいろくのためにとらはれしそのことおわりまで一伍いちぶ一什しゞう物語ものがたその以前いぜん丸塚山まるづかやまにて神女しんぢよ真弓まゆみいどみしときたしかに見畄みとめあや小袖こそで寸分すんぶんちがはぬこの片袖かたそでそうしてれバあの御籏みはたハふたゝび真弓まゆみがうばひしかそれれとてもはかられずきいておうめ八代やつしろ側聽かたへぎゝせし老女おうなさへその英才ゑいさい明弁めいべん歎賞たんしやうするのみまたさらにおもかね」てぞたりけるそがなか八代やつしろこゝろにうかみしことやありけんおもはず小膝こひざをはたとうち 青柳あをやぎさんのお話語はなしおもひあはせることがござんすその子細しさいともふしますハわたしがいまだあふぎやつおくにつとめて時分じぶん十六七の一人ひとりむすめそのもたしかおみちとやらにしきはたおくさまへあげるをかうにおそばつとめをねがひのとふり免許ゆるされしにもとより理發りはつむすめゆゑおくさまのおりてそれからおぼめしつかれたあの戸帳とちやう舩樓ふなやぐらそふしてるとおみちとやらハまことハ仙女せんぢよ真弓まゆみにて御籏みはたをおとりにあふぎやつ近寄ちかよ手段しゆだんでござんせうかたみ意中ゐちうかたやゝときうつるをりこそあれ」7外面そともかたよりこゑたかく 「這所こゝ夛塚おほつかさとちかきに郡館くんくわんへのきこへもおそれずしのはなしハきもふとはれてみな/\うちおどろをりしもかどおしあけ這方こなた入來いりく婦女をんなありこれすなはちやすなりそのときやす人々ひと%\にうちむかひつゝ完尓につこわらやすわたしいま大聲おほごゑさぞ腹立はらたゝしうおもはんせうがこゝであんまりなが話説はなしして萬一まんいち追人おつてのかゝつたとき後悔こうくわいさきたゝずとやらそれはずとみなさんがとく心得こゝろえてハござんせうなれども智者ちしやにも一失いつしつとか其所そこおもふて那様あのやうおどろかしたもへだてこゝろかならずしうおもはんすないはれて皆婦みな/\こゝろ落着おちゐておやす頓才とんさいかんじつゝはてわらひをもよほしける」そのなか青柳あをやぎハおやすむかひてかたちたゞ最前さいせんことしげくて再生さいせいのおれいをバろく/\まうひまもなくそのまゝにしてすぎました今宵こよひおんしやうかへても忘却ぼうきやくハいたしませんいふをおやすきゝあへず やすたがひに宿因しゆくゐんあるものをすくふのもすくはれるも頼母たのもしづくでござんすものをおん義理ぎりのがるものできよきおやすこと青柳あをやぎハなほ感佩かんぱいしてたのしきことおもひつゝしばらくしてまたふやう 過刻さつきわたし八代やつしろさんが郡舘ぐんくわん立出たちでるときあとをおまへまかそのまゝこゝへまゐつたあとにてなに故障こしやうハござんせぬかこゝろがゝりでござんしたへバおうめ八代やつしろ奈何いかに々々/\たづぬる」8 にぞおやすきゝつゝうち点頭うなづき やすあのときあとひきのこ二個ふたりをそのうちたをせしのちさゝへるものもなけれバおまへがたにおくれまじとみちいそひでこのかどつゝ様子やうすうかゞへバみなさんのお話語はなし最中さいちうそれゆゑわざ這入はいらぬハお話語はなしこしをらんもこゝろなくまたふたつにハ追手おつてものがもしきたらんもはかられねバその要心えうじんをもおもふゆゑそとから委細いさいのお話語はなしいままできいりましたいはれて皆々みな/\感歎かんたんしつゝいと頼母たのもしくぞおもひける 〈作者さくしやいはくおやすかこのみちにて笹原さゝはらよりくせものいてておやすが姿をうかゝひしことすてに|二のまきすへいでたりされどもおやすハそれをらねバいまこゝにいはずのちいたりてつまひらかならん〉 却説かくてまたこの老婦おうな衆婦みな/\明論めいろん義談ぎだんきく毎度こと%\にかつおどろかつかんじつゝ歎賞たんしやう」するのみいまだ一句いつくいださゞりしがこのとき漸々やう/\後方あとべよりひざをすゝめて四女よにんむか貴婦あなたがたのお話説はなしわたしくちしますハ片腹かたはらいたうござゐませうがわたし在所ざいしよ鎌倉かまくらほどとふからぬ金澤かなざは瀬戸せとともふすかた田舎ゐなかにかすかに消光くらしりましたがおつとにハはやくわかれあとのこつた二個ふたりむすめ埋喜りきともといひますをひとつでそだてるうちえんあつてか娘等むすめらハさる大家たいけ婢女こしもとづとめ首尾しゆびよいのを僥倖さいわいに瀬戸のいへをバひとゆづ一人ひとりおとゝ心當こゝろあてこの夛塚おほつか引移ひきうつわづか一稔ひとゝせよぎるうち主家しゆうか大變たいへんさしおこりてちり%\ばら/\になりゆきたまひ二個の處女むすめの」9行衛ゆくゑさへさだかに知れずにりますゆゑあんわづらとししに此頃このごろほのかやう子をきけ娘等むすめら二個ふたり以前いぜん住居すまゐ金澤かなざはおちつけほそけむりをたてるよしそれからわたしおもつい貴嬢あなたがたのお落付おちつきいま話語はなし様子やうすでハにしき御旗みはた盗人ぬすみて鎌倉かまくらうちにるハ必定ひつぢやうそふしてると鎌倉かまくらしのんで御籏みはたたづぬるにハ金澤かなざはハよい隱家かくれかしかしすぎわたしさる智惠ぢゑおかしなばゞとおわらひなくもしこゝろにかなひしならしたゝおいこのふみ娘等むすめらにおわたしあらバ急度きつと世話せわをいたしませういひつゝ片側かたへごけうちよりこゝろ真実まことまきこめしふみばやく取出とりいだしいざとて」おうめまへおく真心まごゝろゆること四婦よたりきゝつゝ欣喜よろこびかんしお梅ハふみりおさめて うめいまにはじめぬお前の深切しんせつその言葉ことばしたがつてこれからすぐ金澤かなさは瀬戸せととやらへたづゆき二個ふたりしゆうつたうへなにかのことナア衆婦みなさん 「なるほどそれうござんす やす「そんならすぐ旅立たびだち用意よういハこゝにござんすいひつゝとり管笠すげがさ草鞋わらじ なにから何まで抜目ぬけめのなひ うめ「おれい言話ことばつきませぬ 言つゝ皆婦みな/\たちあがり草鞋わらじはくもかひ%\しくやがて戸口とぐち立出たちいづるをとゞめかねたる老女おうなより四個よたり名殘なごりのおしまるゝをおもなほして菅笠すげがさかくなみだ露草つゆくさ踏分ふみわけながら足早あしばやみなみをさして辿たどく」10

第廾四回 〈清水しみづむすん義婦ぎふ短刀たんとうひろふ|月夜げつやはしつ孝女かうぢよ孤忠こちうく〉

しう久良岐くらきごふり六浦むつらしやう金澤かなざは大道村だいどうむら耕地かうち西にし往來わうらいみぎかたなるがんせきつけたるぞう鼻筋はなすじをかけて西にし相州さうしうひがし武州ぶしうとすゆゑはなかけぞうまたハさかいざうともいふなり鎌倉かまくら陰陽いんよう権介ごんのすけ國道くにみち東鑑あづまかゞみるに六浦むつら鎌倉かまくらけうのうちにりたるをもつてけうすなはち鎌倉かまくらといふべしとありしかれども凡例ぼんれいにハ金澤かなざはしうにして相州さうしうにハあらずむかし實時さねとき顕時あきとき居住きよぢうありてよりじつにいつきやう〔ママ〕のごとしまた金澤かなざはがうとするもこのときよりのことなりと」ありいまこのへん瀬戸せと中央ちうわうにとりこれより次第しだい東西とうざい南北なんぼく村々むら/\およ名所めいしよ古跡こせきをわかつものハ明神みやうじん勧請かんじやう諸社しよしや諸山しよさんさきだつをもつてなりまづ明神みやうじんまへより西にし六浦村むつらむら大道村だいどうむら三艘村さんぞうむらきた釜利谷村かまりやむら谷津村たにつむらみなみ野島村のじまむらひがし崎村さきむら町屋村まちやむら寺前村てらまへむら小柴村こしばむら富岡村とみおかむら中里村なかざとむら氷取澤村ひとりざはむらこれをすべて金沢かなざは十三ヶむらといふそのほか所々しよ/\小名こなにして一村いつそんにハあらずまたむかしよりこの金澤かなざは西湖せいこのおもむきありといふそのしやうする詩歌しいかかの瀟湘しよう/\詩歌しいかにしてその作者さくしやうた藤原ふぢわら為相ためすけきやう唐僧とうそうけい玉澗ぎよくかんなりその風景ふうけいする名所めいしよ小泉こいづみよるあめとし。洲崎すさき晴嵐せいらんおつとも帰帆きはん平潟ひらかた落雁らくがん11しま夕照せきしやう称名寺しやうみやうじ晩鐘ばんしやう瀬戸せと穐月あきのつき内川うちかは暮雪ぼせつ。とすこのほか四景しけいあり。瀬戸せと二橋にきやう重山しげやま春花しゆんくわ海上かいしやう落花らくくわ能見堂のうけんどうぐわ。すべてこれを十二けいふなりと云云しか/\以上いじやう金沢かなざは名所めいしよつゑに見えたり〉 ときしも弥生やよひすへなれバ四方よもさくら咲乱さきみだれまん/\たる蒼海そうかい峨々がゞたる高山かうさんはる景色けしきもたざるハなくきみさきのひとつまつかすみこめてつりたるゝ扁舟へんしう濱西ひんせいにたゞよふ眺望てうぼう一時いちじつくしがたしさるほどにおうめ青柳あをやぎ四賢しけんぢよ夛塚おほつかさとをはなれてよりさしていそぐのたびにあらねバ名所めいしよ古跡こせき遊覧ゆうらんしつゝそのうちにもにしき御旗みはたがゝりもあるべきかとこゝろつけゆくものからこれぞとおもこともなく翌日よくじつさるこくすぐるころ同國どうこく金沢かなざはなる富士ふじざかこへ能見堂のうけんどうほとりへいたりしかバ霎時しばしこのどう立寄たちよりて四方よも風景ふうけいをも一覽いちらんかつ遠路えんろ疲労つかれをもやすめんとおもひにけれバいざとて四嬢よにん諸倶もろともだう檜〓ひえんこしうちかけこの絶景ぜつけい左右あちこち余念よねんもなくながめてそのときやす後辺あとべよりすゝいで人々ひと%\むかやす「あんまり景色けしき見事みごとさにみなさんにはなさうとおもことさへわすれましたその子細わけほかでもないわたしいまがたこのあと冨士ふじざかとふるときしきりにのどかはくゆゑ清水しみづくちうるをさうとみち片側かたへ山水やまみづにむすびつゝのまんとするとき那方かなたしげりし小草をぐさのうちに一振ひとふりの短刀たんとうあり不思義ふしぎおものばしてとり」12 あげるに表装こしらへつたなきものとへざれバぬきはなしてよく/\るにながさハしやくらずといへども抜羣ばつくん鋭刄きれものならんとおもへバ流石さすがすてかねておちたるもの不拾ひろはずひじりみちにハあるとかけどもかくくちんハ旡益むやくなりいまさしあたつて青柳あをやぎさんの寸鉄すんてつもなきものをこの短刀たんとうぬしるまで須臾しばし此方こなたりうけていまさしあたようみてんとおもへバそのまゝたづさへてすなはちこゝひつゝもおびあいだよりいだ青柳あをやぎにわたすになん衆皆みな/\きゝつゝ欣喜よろこびかんいまにはじめぬおやす竒才きさい歎賞たんしやうのほかなかりけるそのなか青柳あをやぎよろこびの色面いろおもてにあらはれやゝ短刀たんとううけとりつゝ幾回あまたゝびおしいたゞきてつく%\つゝ不審氣いぶかしげにおやすの」ほとりへすゝみよりて 何様どう不審ふしんこの短刀たんとう表装こしらへておしはかるに無銘むめいなれども長船おさふねにてもし刀尖きつさきから一寸いつすん手前てまへすこしのきずハござんせぬはれておやすおどろきながら やす「なるほどおまへさつしのとふすこしのきずがござんすがそれを何様どうして青柳あをやぎさんが サァそれにハいろ/\子細わけのあることわたしじつとゝさんハ丸塚まるづかさまのもと老臣ろうしん菊坂きくさか小六ころくともふすものすぎ嘉吉かきつたゝかやぶいへ没落ぼつらくのそのみぎとゝさんの末期まつごおよわたしそばせて遺言ゆいげんありしそのおりこの短刀たんとうこと箇様かう々々/\はれたことこゝろにしめて片時かたときわすれぬこの短刀たんとうもと丸塚まるづか重宝ちやうほうなりしをとゝさんより三代さんだいさきなる」13菊阪きくさか嘉門かもんといふ人のとき軍功ぐんこうによつて拜領はいれうありそれよりいへ重宝ちやうほうとしていく年月としつきおくりしにおいへ没落ぼつらくのその以前いぜん讒者ざんしやためけうとゝさんの休役きうやくをり短刀たんとうをさへめしあげられしに何人なにびと落入おちいりしかそのゝち行衛ゆくゑれずなりしをのこしくおもはれしにやかへしつゝのたまひしにいまはからずもおやすさんのめぐみにわたしの手に入たハ千万金せんまんきんにもまさつた賜物たまもの有難ありがたいともうれしいともたとへるものハござんせぬいひつゝ欣喜よろこぶ青柳あをやぎこゝろさつしておうめともまゆをぞひらきけるかく物語ものがたりはてしかバまたもや余談よだんにおしうつりしばし疲労つかれをやすめそのとき八代やつしろ四辺あたりまはすにだうの」

【挿絵第六図】

 挿絵第六図 能見堂のうけんだう賢女けんじよ風色ふうしよくくわんず」14

那方あなた小高こだかところとふ眼鏡めがねかけおきもうづる人にハほしいまゝするよしを書付かきつけあるにぞたはむれに立寄たちよりつゝとふ眼鏡めがねひきよせるにあはひはるけき麓路ふもとぢよりして山川さんせん草木さうもくいへバさら也人家じんかけむりたてるまでるごとく見へにけるかゝをりしも宝藍はなだぞめ単衣ひとへぎぬ上着うへにまとゐすげ小笠をがさを手にもち旅装束たびしやうぞくのひとりの處女むすめ洲崎すさきまち這方こなたへとあゆるありけるが八代やつしろこゝろともなく熟々つく%\見るにはからんやかのあふぎやつせしおみちにてありけれバまたゝきもせずなほよく見るにつゐ姿すがた木隠こかくれて往方ゆくゑらずなりにけりのこしさハかぎりなけれどかく詮方せんすべもなきまゝにおうめ15青柳あをやぎやす箇様かう々々/\物語ものがたるにぞみな/\きゝつゝ歎息たんそくしてもしゆるかとかはる%\立寄たちよりてのぞれどもかげをだもことなけれバつゐのぞみをうしなひぬをりしもあれ青柳あをやぎこゝろうかみしことやありけん人々ひと%\にうちむか「おうめさんやみなさんハ何様どうおもひからなひがこゝからふもとちまたまでハはるかみちとハいひながらこゝろそろへていそぐならもしそのひとふことのせんにひとつもあらうもれぬこれにておもあはすれバ最前さいぜんちまた風聲ふうぶんあふぎやつ殿とのさまがこのほど鎌倉かまくら在着ざいちやくあり今日けふしも祈願きぐわんことありて當所とうしよ称名寺しやうみやうじ參詣さんけいあるよしそふしてるとおみちさんもこゝらわたりを徘回はいくわいし」姿すがたをやつしひまうかゞとゝさんのうらみかへうもれしいゑおこさんとはかことのなきともいはれずへさきにおみちさんハ一旦いつたんはなかた奥勤おくづとめ許容ゆるされしうゑからハこゝらわたりを旅装束たびしやうぞく歩行あるかしやんすはづハなひがこれにハ子細わけのあることかそれかあらぬか不審いぶかししなにもあれふもとくだもし仇打あだうち様子やうすあらバ余所よそながらちからになりそのうゑでなにかのことうめ「 なるほどおまへのおいひとふこゝ彼是かれこれもゝふよりちつともはやくふもとかたサァござんせうめ言葉ことばたれ一議いちぎおよぶべきみな/\即時そくじ同意どうゐして能見堂のうけんだう立出たちいでつゝふもとをさして辿たどりゆく不題こゝにまたはなの」16かたおくたちりしかのみち定正さだまさちかりてちゝうらみかへさんとおもひし甲斐かひもあらなみ舩樓ふなやぐらをくつがへされ御籏みはた行衛ゆくゑれざれバはなかたハこゝろのうちにふかくおみちうらみ給ひその帰舘きくわんのあるとそのまゝみちまへ喚出よびいだ今日けふ始末しまつ云々しか%\言葉ことばみじかく言聞いひきか御籏みはた行衛ゆくゑせんためとていとまたまはりしかバ其所そこのぞみうしなひしかどもさて詮方せんすへのなきまゝにその初更しよかうころおひあふぎやつやかたいでかねこゝろあはせたるお理喜りきとも〓〓けうだい金澤かなざはなる瀬戸せとをさしてあしはやめてゆくほどにきこへたるあさ切通きりどふしもはやすぎ大道村だいどうむらに」ころやゝこくにぞ近付ちかづきけるかゝをりしも後方あとべよりうかゞ々々/\ものありて近寄ちかよまゝにおみちたもと引止ひきとゞめつゝ小聲こゞゑになり 「おみちさまでハござゐませんかはれておどろりかへりをもれる薄月うすづきかほすかし完尓につこりわらひ みちだれかとおもへバ其方そちやとも何様どうして今頃いまころ此道このみちともハイしんハさることながらかね貴嬢あなたおふせゆゑ鎌倉かまくら徘回はいくわい賢女すぐれひと會合あふならバ道理どうりとい味方みかたまねあふぎやつうちほろぼし旦那だんなさまのおうらみをかへさでやハおかうかと〓〓けうだいこゝろあはせまして今日けふ那辺あち這辺こちまはりしゆゑくれおよんで腰越こしこゑより片瀬川かたせがはへと」17まゐりしとき箇様かやう々々/\ことありしかのうめ八代やつしろ船楼ふなやぐらより小舩こぶねおち片瀬川かたせがはまでながしをおやすにたすけられしはじめより御籏みはた由来ゆらい神夢しんむ不思義ふしぎまたおうめ八代やつしろやすうへことまでも立聞たちぎゝせしそのあとにて御籏みはた片袖かたそでとすりかへしこと一伍いちぶ一什しゞう物語ものがたとも「おきゝとふりの子細わけなれバかのうめ三婦さんにん味方みかたになさバ貴孃あなた片腕かたうで千万せんまんにん士卒しそつより頼母たのもしからんとおもひしゆゑをりあはせらんとあねすぐさまそのから三婦さんにんあとをつけわたくしハまたこの御籏みはたをりあはちつともはやく貴嬢あなたにおわたしもふそうと只今たゞいまかへこのみちでおみへいたすも不思ふし僥倖さいわい シテまた貴孃あなた何故なにゆゑにおとももなしに夜中よるよなか此辺こゝらをお歩行ひろいあそばす<トはれておみちもありしことどもおちもなくいひきかすにぞおともハしきりに歎息たんそくしつゝおみちこゝろさついと便びんなくぞおもひける 貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし三輯巻之三18了

      楊太真遺傳やうきひのつたへしくすり  精製くはしくせいしきり箱入はこいり  
     むすかう 〈一廻|百二十文〉
そも/\この御薬おんくすり本朝につほん無類むるい妙方めうはうにて男女なんによかぎらずかほつやをうるはしくしてうまかはりても出来できがたきほどいろしろくし肌目きめこまかになるこうのうあり しかしながらこのたぐひくすり世間せけんおほ白粉おしろい 洗粉あらひこ 化粧水けしやうみづ そのほかあぶらくすりなとをせいしてみなこと%\くかほくすりになるおもむきを功能こうのうがきにしるしてあれどもその書付かきつけ半分はんぶん功能こうのうなし依之これによつてこの御披露ごひろうらうじてもひさしいものゝひろめ口上こうじやうなど看消みけなし給ふべきことならんがこれハなか/\左様さやう麁末そまつなるくすりにてハこれなくたゞ一度ひとたびもちひ給ふてもたちまちに功能こうのうあらはれる妙薬めうやくなり一廻ひとまはもちひ給ひてハおんかほの」いろ自然しぜんさくらのごとくなり二廻ふたまはもちひ給はゞ如何様いかやう荒症あれしよう肌目きめ羽二重はぶたへきぬのごとき手障てざはとなるのみならずにきびそばかす腫物はれものあとしみのたぐひすこしもあとなくなほりてうるはしくなる事請合うけあいあさおきかほあらひこの玉粧香ぎよくしやうかうをすりこみたまはゞちつと白粉おしろいつけたるやうなる気色けしきもなくたゞ自然おのつから素皃すがほしろくうるはしきやうになれバ娘御むすめごかたハいふに不及およはず年重としかさね御方おんかたもちひ給ひてもたゝずしてうつくしくなる製法せいほふゆゑおんうたかひなく御もちあそばされまこと美人びじんとなり給ふべし
為永春水精剤 
かみつやいだし|髪垢ふけをさる〉 妙薬めうやく はつみどり

 〈このくすりハかみあらはずに|あらひしよりもうつくしくなる|こうのう有 代三十六文〉

江戸數寄屋橋御門外弥左エ門町東側中程           
書物繪入讀本所
文永堂 大嶋屋傳右衞門

賣弘所

 広告> 広告」 丁付なし


貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし三輯さんしふまき

東都 狂訓亭主人編次 

第廾五回 〈狂女きやうじよおほいさわがさき晴嵐せいらん定正さだまさあんのが平潟ひらかた暮雪ぼせつ

單表こゝにまた管領くわんれいあふぎやつ修理大夫しゆりのだいぶ定正さだまさいぬ文明ぶんめい三年さんねんあきいさゝか所労しよろうあるをもて鎌倉かまくらりつ釆地りやうちなれバ上野かうづけくに白井しらゐ在城ざいじやうしたりしにやゝ疾病いたつき全快おこたりしかバこのほど鎌倉かまくら在着ざいちやくありしかるに定正さだまさ祈願きぐわんありて歳毎としごと金沢かなざわなる称名寺しやうめうじもうづるものから疾病いたつきおかされて三歳みとせがほども不參ふさん」せりこゝろならずおもふをもて這回こだひ在着ざいちやくのあるとそのまゝ餘事よじハさしおき称名寺しやうめうじまづ參詣さんけいのあるべきむね市中しちうもとより在郷ざいごうまでいと嚴重おごそかふれられしかバ人々ひと%\おどろおもへどもそのやくのがるゝみちなくその准備よういをぞたりけるかく文明ぶんめい六年ろくねんはる弥生やよひすへ七日なぬかなるが定正さだまさあまた供人ともびと金澤山きんだくざん称名寺しやうめうじまだきより參籠さんらうありてそのさるこくすぐころ鎌倉かまくらへとて帰還きくわんある路次ろじあゆみもいかめしく洲崎すさきのこなたの松原まつばらとふりかゝりしをりこそあれたれれかハらずむかふよりはしりて此方こなたものあり近寄ちかよまゝによく/\れバとし廾才はたちをまだへぬいやしからざるひとりの」1乙女おとめにハたへなる振袖ふりそでたけ黒髪くろかみみだ小笹をざゝえだたづさもちしハ心乱こゝろみだれし婦女ものなるべし定正さだまさ行列ぎやうれつおもてらず駈入かけいるにぞ前走さきばしり雑色ぞうしきおどろきながら立寄たちよりておしへだてつゝこゑふりたて管領くわんれいさまのおとふりなるにれい婦女おんな何所いづこへか其所そこ退のかずやとたしなむれども乙女おとめみゝにもいれたるていなくさゝゆ士卒しそつ打仆うちたをまたかへし突退つきのけもちたる小笹おざゝ打振うちふり々々/\ひと完尓にこ々々/\わらひながら定正さだまさ馬前ばぜんちかるをせじとあらそふほどにはじめハ婦女おんなあなどりしもいまハなか/\あしらひかね一個ひとり乙女おとめ雑色ぞうしきハさん%\に追立おひたてられもてあまし」たるそのおりしも這方こなたしげみし松蔭まつかげより立現たちあらはれし一個いつこ美嬢たをやめ宝藍はなだしぼりの單衣ひとへぎぬ上着うはきおほひしたび粧装よそほひ裾短すそみじかなる出立いでたちなるがたづさへたりし管笠すげがさはるか後方あとべ投捨なげすていま定正さだまさ行列ぎやうれつ乱妨らんぼうなせる狂女きやうぢよそばへつか/\とせて弱腰よわごししつかと抱止だきとむるを那方かなたさわがずをひねりりほどきびかゝつてもつたる小笹をざゝをひらめかしうつてかゝれバ右左みぎひだりをかわしつゝつとりてくむよとへしが瞬間またゝくひま狂女きやうぢよした組敷くみしき准備ようい腰帯こしおびひきほどそのまゝ狂女きやうぢよをいましめつゝ處女おとめこゑりあげてみなさんかならずさわがれなはや曲者くせものとらへ」2しとはれて人々ひと%\欣喜よろこびまたはたらきにおどろきつァットかんじてやまざりけりかゝときしも定正さだまさ馬上はしやうりてかれこれのありさまをとく鐙際あぶみぎはしたがふたる近臣きんしん何某なにがし近付ちかづけ如此しか々々/\げぢするにぞ心得こゝろえはて處女おとめそばあゆりつゝ言話ことばたゞ如何いかなるひとらねどもかく乱妨らんぼうなす白徒しれもの處女おとめにてとらへしハ天晴あつぱれはたらきなりと賞美しやうびのあまりにかしこくも和女そこ對面たいめん給はんとみづか管領家くわんれいけのたまふなり此方こなたまゐりてよとはれて處女おとめ欣喜よろこびつゝ狂女きやうぢよそのまゝ引立ひきたてかの近臣きんしんあと馬前ばぜん間近まちかすゝむになん定正さだまさうまよりりて道傍みちのべなる松蔭まつかげ芝生しばふしやうたてさせてしりかけつゝ處女おとめむかいま其方そなたはたらきを馬上ばしやうながらに一覧いちらんせしに處女おとめにハありがたき抜群ばつくん手並てなみなりもとよりいやしきものにハあらじつゝましからずハ和女そなた素性すじやうあからさまにいひきかせよとはれて處女おとめおくするいろなくおふせかへすハはゞかりながら吾〓わたくしこと當春たうはるよりお屋形やかた大奥おほおくへおそばづとめにいでましたみちよばるゝ不束者ふつゝかものさだめておきゝもございませうにしき御籏みはたことにつき在所ありかをさがしにまゐれよとのあふせをうけしそのよりお屋形やかた立出たちいで鎌倉かまくらハいふにおよばずちかきわたりの在々ざい/\までくまなくたづはべりしかどもこれぞとおもがゝりなく」3それより武藏むさし下總しもふさへとこゝろざしてまいみちほと〔し〕ゆくとふからぬ坂井木さかゐぎとかいふとふげにてはからず持病ぢびやうしやくおかされふもとしゆくまであゆみがたさにある辻堂つぢだう立寄たちよりて斯須しばし苦痛くつうしのぐうちはやくれ宵月よひづきくもりがちなる薄闇うすやみたれかハらず辻堂つぢだうしの曲者くせものあり様子やうす如何いかにうかゞふにこしつけたるよふがけぬすらんとするほどらじとあらそそのおりしもかの偸児くせものふところよりおつるハたしかにしきはたるより手早てばや取上とりあげるを那方かなた白徒しれもの左右さうなくわたさずかたみひきときしもあれにわか村雨むらさめにあやめもわかずなるまゝに」つひはたハ手に入りしかども路用ろよううばられしのみか偸児くせものをさへ取迯とりにが心殘こゝろのこりにおもヘどもまた詮術せんすべもなきまゝに一旦ひとまづ屋形やかた立戻たちもどこれのよしをもうしあげそのゝち曲者くせものせん穿をもいたしませうとおもふゆゑそのほど止宿やどりをもとめ其所そこ一夜ひとよあかせしにかくつかへ全快おこたらねバこゝろならずハはべりしかども同所とうしよ両日ふつか逗畄とうりうして今日けふなんときすぐころ旅宿やどりいでつゝ路次みちいそいまがた當所たうしよまゐりしにちまたうはさうけたまれバきみにハ祈願所きぐわんしよ称名寺しやうめうじ今朝けさより參籠さんらう御在まし/\てはやおかへりとの様子やうすゆゑ御行列ごぎやうれつ美々びゞしき余所よそながらもおがまんと最前さいぜんより」4して那方こなたなるまつかげをひそめきみ通御つうぎよまつほどにお行列きやうれつをもわき〔ま〕へず乱妨らんぼうなせる白徒しれものかねてさゝへましたのもすぎ仕方しかたとおとがめのあらんハかねりながらもあまりてきをんなゆゑおぼめしをもかへりみずかくとふりでござゐますと実事まこと虚事そらことうちまぜて一伍いちぶ一什しゞうものがた卑下ひげせし言話ことば定正さだまさ實正まことなりとおもふにぞちとうたが氣色けしきなくその勇力ゆうりき明弁めいべんかつ容貌ようほうゑんなるをつゝいよ/\嘆賞たんしやうしてあふぎしやくひざすゝ天晴あつはれめでたき處女おとめかな今日けふはたらきのみならでにしきはたさへとりかへせしとハ男子おのこといふともおよびなしたゞうらむらくハ」

【挿絵第七図】

 挿絵第七図 狂人きやうじんきやうならず不狂人ふきやうじんかえつてきやうず」5

そのとき和女そち持病ぢひやうおかされずハその偸児くせものをもとらへんにこれのみこんおもへどもはただに此方こなたとり置かバ偸児くせものまた自然おのづれなんその一條いちじやうまれかくまれさきより和女そち様子やうするに力量りきりやうといひ才智さいちといひこと容顔ようがん孅弱たをやかなる一回ひとたび漢王かんわう見參まみへなバたちまち傾國けいこくるべしわれ武帝ぶていおよばずとも和女そなた李家りか處女むすめとするともたれかふさはしからずといはもしわがこゝろのまに/\ならバはなかたにもよしをあかあつかけ使つかはんに和女そちこゝろ稲舩いなぶねいなにあらずハいらへをせよいざ敏々とく/\打解うちとけたる言話ことばおどろかつはぢておみちかほをさとあからめ冥加みやうがにあまるお言話ことばハ」6にあまるほどありがたふもまたうれしふもござゐますれど如何いかにせんおくさまよりにしき御籏みはた盗賊とうぞくとらへてよとたまさかにおもおふせかうむりながら假令たとへはたるとも盗賊とうぞくとらへもせでいかでおめ/\おくさまに何様どうみへがなりませうそれゆゑいまハお返応へんじがとへバ定正さだまさ打頷うちうなづきなるほど和女そちところひとつとして旡理むりならねバ一旦ひとまづ屋形やかたともなのちかくもはからはんまづたづさにしきはた一覽いちらんせんとおふするにぞおみちハットいらへつゝいそがはしくこしにつけたる小包こつゝみうちひらき取出とりいだしたるにしきはたをうや/\しく定正さだまさ床几しやうぎのほとりへ持行もちゆきひざまづきつゝ」くだんはたまゐらするよとおもひのほかかくもちたる懐釼くわいけん抜手ぬくてせず定正さだまさ脇腹わきはら目掛めがけつきかゝりしに定正さだまさうんかりけんおみち掌頸たなくびにわかみだれてもゝのあたりをつきかするわづか浅痍あさでひながらおもらざることなれバおどろきながら後辺あとべかた一間いつけんばかりびしざるをこハ口惜くちおしもなくおどりかゝつて一討ひとうち焦燥いらだつみち必死ひつしいきほ咄嗟あなやとばかり近臣きんしん主人しゆじんまへたちふさがりふせくをおみちことともせずいかれるまゝこゑはりあげきたなし定正さだまさいでうらみのやいばこゝろみよかく吾〓わなみ武藏むさしくに氷川明神ひかわみやうじん神祇官じんきくわん渋谷しぶや典膳てんぜんの」7處女むすめみち今年こんねんつもつて十八歳じうはつさい吾〓わなみちゝなる典膳てんぜんなんぢため不意ふゐをうたれ非命ひめいしたるのみならず所領しよりやうをさへうばはれしその旡念むねんさハ片時かたときわするゝなき倶不ぐふ戴天さいてんうき年月としつきおくりしにはからずときをうどんはるまちたる今日こんにちたゞいまなんぢかへうらみのひと太刀たち敏々とく/\うけよとひつゝも飛鳥ひちやうごとくにはせめぐそのとき這方こなた蹲踞うづくまり以前いぜん狂女きやうぢよおこ空縄そらなはなるにや〓縛いましめられたるかの腰帯こしおびひきはづしかね准備ようい短刀たんとうそでうちより取出とりだしておみちをさゝゆるあふきやつ士卒しそつなかきつ吾〓わらはたれとかおもひつる最前さいぜん狂女きやうぢよせたるハなんぢ謀計たばかるため實情まこと渋谷しぶや典膳てんぜんさまの御恩こおんこれまで成長ひとゝなりたるおみちさまのお腰元こしもとともひしハ吾〓わらはなるぞおのれ定正さだまさしゆうあだおもひ知れやとひかけておみちとも尖刀きつさきならべて〓込きりこ勇婦ゆうふはたらたとへバうへたるとらをもて群羊むらかるひつじるごとくたゞこの両女りやうぢよ〓立きりたてられあふぎやつ近臣きんしん士卒しそつとも辟易へきえきしてそなへを立るにいとまもなくわれ撃畄うちとめんと騒動どよめくのみついみだれてにげまよそのとき管領くわんれい定正さだまさ薄痍うすでくつせぬ大将たいしやうゆゑ以前いせんの馬に打跨うちまたがにぐ自方みかたのりはけませどもくづたつたるくせなれバいかでさゝゆることのなるべき雑兵ぞうへうどもに」8さそはれてみな逸足いちあし蹈乱ふみみだしつゝにぐるを両女ふたり呼彼よびかけ々々/\きたなしかへ定正さだまさひつゝ短刀たんとう打振うちふり々々/\一町ひとまちばかりふほどに何時いつにかハくれころしも弥生やよひ下旬すゑなれバ宵闇よひやみなるにそらさへもかきくもりたるあめもよひにおみち二女ふたり便びんなくおもヘどさりとてすこしも猶豫ためらはずこゑをかぎりによひかけつゝなほもらさじとふたりけるかゝおりしも片辺かたへなる一叢ひとむらしげりし薮蔭やぶかげよりあらはいでたる一手ひとて軍勢ぐんぜいひとしく婦女おんな武者むしやなるが這那これかれすべ廾名はたゝりばかり前面さきすゝみし大将たいしやうとし四十才よそぢをこよろぎの五十才いそぢにハまだほどとふきがたけ黒髪くろかみ押切おしきり姿すがたハ」殊勝しゆしやうゆれともこゝろたけ女丈夫おんなますらを准備やうゐ長刀なぎなた脇挾わきばさきそふてるおみち両個ふたりをさへぎりとゞめて一同いちどうときどつとぞあげたりける

第廾六回 〈みちとゞめ愛嬉あいき一賢いつけんとりこにす|さやかへし義女ぎちよ孝婦かうふくわいす〉

再説ふたゝひとくみち両個ふたりいま定正さだまさうたんときそひかゝりしむかふのかたたちあらはれたる一個いつこ勇婦ゆうふ稲村いなむらさき女隠居おんなゐんきよ真間まゝ愛嬉あいきよはるゝものにて定正さだまさはじめはなかたこゝろにもかなふをもて今日けふなん称名寺しやうめうじ參籠さんろうにさへともなはれしとられける」9當下そのとき愛嬉あいきねづみ聯綾りんず小袖こそでうゑ玄色くろ縮緬ちりめん袿着かいどりしたるそのまゝすそ小短こみじかとりあげてあや鉢卷はちまきむす白柄しらえ長刀なぎなたわきばさみておみちをきつと白眼にらまへつゝ渋谷しぶや乙女むすめみちとやら勿体もつたいなくも管領くわんれいさまをおやかたき仇人あだびとのとほどらぬもほどがあるハいへ和女そちいまはたら乙女おとめ似氣にげなき大膽だいたん武勇ぶゆうもしいまよりこゝろをあらため管領くわんれいさまへ降參かうさんなさバいのちたすくるのみならずこうによりてハたつやう愛嬉あいき〓成とりなしやうほどにおもなほして降參かうさんしやそれともにまだまよさめずハこの長刀なぎなた切味きれあぢせてさまさせんとはれておみちいかりにたへ疾視にらまへ」つめたる必死ひつし覚悟かくご太刀たちなほしてちつともたゆまずさてハ其方そなた聞及きゝおよびし真間まゝ愛嬉あいきでありけるよなみゝけがらはしき降參かうさんよばはり差出さしで怪我けがやうよりみちをひらいてとくとふしやそれともたつてさゝゆるならまつ其方そなたから一討ひとうちにとひつゝすゝ不敵ふてき廣言くわうげんにくさもにくしと愛嬉あいきしたがはやりにはやりし婦女おんな武者むしや各手てに%\得物えもの引提ひつさげ々々/\ヤツトかけたる諸聲もろこゑともひとしつきひらめかすやり長刀なぎなた後前あとさき飛越とびこえ反越はねこゑひるまずたゆまずおともともこゑかけふてみぎにうけまたひだりになが至妙しめうはたらあたるにまへなく目瞬またゝくひまろくしちにんにわいのちおとしつゝのこるも」10いたはぬハなく忽地たちまちはつみだたつ両女ふたりたりとます/\すゝ愛嬉あいきがけうつかゝをりもこそあれ定正さたまさ近臣きんしん雑色ぞうしき打連うちつれ時分しぶんはかりかへしよう松明たいまつ打振うちふり打振うちふり推捕おつとりこめもらさじとちからあはせてたゝかふほどにおみちともりやう勇婦ゆうふもいよ/\こゝろはげまして必死ひつしはたらたゆむにあらねどさき洲崎すさき松原まつばらよりいまにいたりて一牌ひとゝきあまり奮戟ふんげき突戦とつせんひまなきのみか後詰つゝく自方みかたのあるにもあらでわづか主従しゆう%\両女ふたりなれバ流石さすが女子をなご氣労きづかれしてみだるゝあしふみしめ/\たゝかあやふくへにけるかゝところ片辺かたへなるすゝき小笹をざゝしげみよりどつと」あげたるときこゑともいだ多数あまた征箭そやあふきやつ雜色ぞうしきられてにわ五六ごろくにんおなじまくらたふるゝにぞ伏勢ふせせいありとおもひにけれバおどろさわぐをおみちはからぬ援兵たすけちから尖刀きつさきするどくたゝかふたり案下そのとき那方かなた笹原さゝはらよりあらはいでたる四個よたり美婦たをやめもちたる弓箭ゆみやをからりとなげすて准備やうい短刀たんとう打振うちふりながらあふぎやつ多勢たせいなかおもてもふらずきりるハ是則これすなはち別人べつじんならずおうめ青柳あをやぎ八代やつしろやす賢女けんぢよにてぞありにけるかくておうめ賢女けんぢよ四方しはう八面はちめんきりまはりておみちちからあはするにぞ愛嬉あいき是等これら様子やうす自方てのものをひそかに」11まねきてこと如此しか々々/\けいをしめし五名いつたりばかりをしのはせてそのなほ諸軍しよぐん先立さきだち士卒しそつ罵勵のりはげましつゝあれ討捕うつとれよのがすなときびしく下知げちをなすほど多勢たせいたの小卒しやうそつ入乱いりみだれまた立代たちかはりてしきりにいどたゝかふものから宵やみなるにたいまつさへ打落うちおとされしことなれバてき味方みかたわきまへなくこゝろならずも同士どしうちしてあだいのちおとすもありされバおうめ賢女けんぢよみちともりやう勇婦ゆうふ東方あち西方こち走回はせめぐりて別々わかれ/\になりしかどもちつともひるむ氣色けしきなく千変せんべん万化ばんくわ秘術ひじゆつつく〓嘖おめきさけん撃合うちあひ突合つきあひしきりにかつるほどにあふぎやつ軍兵くんびやうハこの」いきほひに碎易へきゑきしてつゐにこらへずみな諸侶もろともひとひやくうつてぞくづれしかバ六個むたり勇婦ゆうふハいよ/\すゝみておうめ八代やつしろとも三個みたりあふぎやつ近臣きんしんうたんと走行はせゆけ青柳あをやぎみち賢女けんぢよ愛嬉あいきを追ひつゝ二町ふたまち三町みまちあるひハろくちやうよきほどすて定正さだまさをもらせしうゑハのみたゝかひをこのむにあらねバはやくもあとくらましつおの隨意まに/\退しりぞきけるそのなかにおやす一個ひとりはじめよりしてしゆう先立さきだちてきにぐるをふほどにあやめもわかぬやみなれバ十町とまちあまりもしとおもふにてきはやくも落失おちうせたりけん四辺あたりちか人音ひとおとなけれバつゐのぞみをうしなふてのこたゝずしがかくて」12やむべきにあらざれバもとみちへときびすめぐらしかねやくせし瀬戸せとむらをこゝろざしつゝゆくおりしもおもひがけなき薮蔭やぶかげよりヤツトかけたるこゑとも投出なげいだしたる鍵縄かぎなわひきかへされてたふるれバ忽地たちまちいづ多數あまた夥兵くみこおりかさなりつゝおやすをおさへついなわをぞかけたりける可憐あはれむべしやす薄命はくめいこのすゑ憂目うきめにあふやいないま這回こゝにしもときつくさずのちめぐりにくわしからん

閑話休題あだしごとハさておきつおみちはからず援兵たすけなんなくてきひしりぞけつ一旦ひとまづこゝ立退たちのひおり見合みあは定正さだまさうつ夲意ほんゐとげなんとおもふものからおともにさへわかれて行衛ゆくゑれざれバはや此所このところ落失おちうせしがもしうたれしかとおひあんかうべかたむけても如方によほう暗夜あんやことなれバたづねんとする便たよりもなくそのうゑ放心うつ々々/\此辺こゝらあふぎやつ大軍たいぐん再度ふたゝびおしきたりなバたゝかつかれしひとつもて這回こだひ▼〔こたび〕ふせぎとめがたいま定正さだまさうちぬのみかこのをさへにうしなはゞなきものとやわらはれんときまつこそよからめとはらはらこたへて案内あんないつたるみちなれバやみにもまよはず徐々しづ/\瀬戸せと河原がはらなる隱家かくれが目當めあてみちいそぎつゝはやほどちか明神みやうじんもり這方こなたおりしもあとよりうかゞ曲者くせものあり。ともらずして行過ゆきすぐるをかの曲者くせものハすかしておみちのさしたる短刀たんとうこじりをしつかとにぎりとめ」13かわ神職しんしよく渋谷しぶや處女むすめいづれへにぐるかマアちやとはれておみちちつともさわがずしづか後方あとべかへりてたれかハらぬがらざる腕立うでだて出過ですぎ後悔こうくわいせぬやう其所そこはなしやいのとひつゝもをひねつてふりほどくを曲者くせものなほはなさじとこじりにぎりしそのまゝにてちつともうごかぬ大力だいりきにおみちおどろかついかりてヱイヤひけヱイヤくはづみにおみち短刀たんとうさしたるまゝにすらりとけておみちまへ曲者くせものさや片手かたてにぎりしまゝうしろかたへたぢ/\と二足ふたあし三足みあしよろめくをたりとおみちこのひま片辺かたへ小草おぐさかくそのまゝ行衛ゆくゑれずなりぬそのときくだん曲者くせものハ」

【挿絵第八図】

 挿絵第八図 青柳あをやぎふたゝびおみちためす」14

いと夲意ほゐなげにたゝずみてあと見送みおくりつゝ數多あまたゝび嘆息たんそくしてぞたりしがこゝろにそれと点頭うなづき瀬戸せとかたへとはしりゆく

前話そハおきて不題こゝにまた武藏むさしくに久良岐郡くらきごふり金澤かなざわなる瀬戸せとむら片辺かたほとりにわら一棟ひとむねいと低くひき ▼〔ひくき〕ふるびしすぎ生垣いけがきにからげつけたる枝折しをり浮世うきよ不楽わびし隱家か〔く〕れがはでもれし住居すまゐなりおりしもあれかのみち曲者くせものいどみしときならおぼえしじゆつをもてそののがりつゝもやゝこのいほりしほとに四辺あたりまはし枝折しをり卒度そとおしあけつゝうちりて勝手かつておぼへしことなれバくらきにまよはずかゝぐり/\おけそばりて火箸ひばしさきもて埋火うづみびを」15いだしつゝ附木つけぎにうつしてまづ燈火ともしびてらふところよりしてちゝ典膳てんぜん位牌ゐはい佛檀ぶつだんへうや/\しくそなへつゝはるさがつてをつかへモシ父上ちゝうへさまさぞ旡念むねんでござんせうその旡念むねんがはらしたさに千辛せんしんばんつき今日けふといふ今日けふ定正さだまさはかりおふせて一撃ひとうちにとおもひしこと奈末與美なまよみうでみだれにおもはずもいさゝか痍疵てきずおはせしのみにて不覚ふかくをとりし口惜くちおしそれのみならず片腕かたうでともたのみしおとも行衛ゆくゑれずいままでこのかへらぬハもし乱軍らんぐんうちにしも可惜あたらいのちおとせしかこゝろがゝりハそれのみならで最前さいぜん數多あまた兵士へいしとりかこまれておとも二個ふたりすでに」たゝかつかれしかバあやふかりしをさいはいにたすけられたる四個よにん女中ぢよちう何所いづこひとぞとひもせずれいさへはれぬ必死ひつし場所ばしよゆゑついにそのまゝわかれしが奈何いかになりけんがゝりなとひつゝ外面そともやりつゝほろりとこぼす一雫いつてきなみだ實情まことあらはるゝ孝女かうぢよこゝろあはれともひとぞなき一家ひとつやことふハたゞ松風まつかぜのみいと物凄ものすごふけわたそのときみちちゝ位牌ゐはいこしむすびしにしきはたとも佛壇ぶつだんうちおさめてさきより片辺かたへおきたりしさやなき短刀たんとうげつく%\つゝいぶかに。合点がてんのゆかぬハ先刻さつき曲者くせものくらなれバそれぞともたしかに姿すがたとめねど婦女おんな似氣にげなき」16不敵ふてきものゆゑかれ相手あいてひまりて大軍たいぐん再度ふたゝびきたらハそのときこそハふせぎがたし大事だいじまへ小事しやうじぞとおもふてそののがれしかども父上ちゝうへさまの遣物かたみぞと片時かたときはなさぬ短刀たんとうのととき那方かなた垣間かきまより。そのさやこれにござんすとひつゝたち一個ひとり乙女おとめおめたるいろなく枝折しおりあけ母屋おもや〓側えんがはすゝのぼるをおみちつゝうちおどろきしがまたさら處女おとめかほつら/\て。其方そなた最前さいぜん明神みやうじんもり出合であひし曲者くせものならずやさき手並てなみこりもせでこゝまでしハ夏虫なつむしるより果敢はかなきをらでいのちすてしかいざうちらせんとひつゝ苛急いらつうたんと」すゝむをとりとゞめたるかいなとも這方こなたはやくもこゑをかけ。マアまたしやんせおみちさん吾〓わたし此所こゝまゐつたも種々いろ/\ふか子細しさいあることまづそのやいばをおさめてよとはれておみちいぶかしながらまづ短刀たんとう片辺かたへ處女おとめかほ右視とみ左視かうみて。合点がてんゆかいま言話ことば吾〓わたしまでつたる和女そちハ。サアその不審ふしん道理だうりながら吾〓わたしハおまへ宿因しゆくいんある菊坂きくさか小六ころくむすめ青柳あをやぎさだめておぼへがござんせういぬ七月ふづきすゑ五日いつかその丁度ちやうど霄闇よひやみほしさへくら雨空あまそら圖塚山まるつかやま藪蔭やぶかげにておそでさんの必死ひつしなんをとへバおみちうちうなづき。はからずたすけて〓妹きやうだい名乗なのりをしたる吾〓わたしうれしさ。たがひに」17つもるお的話はなし親身しんみ実情まことへながら邂逅たまさかふた妹公いもとごね〔が〕ひもかなへずにしきはた手蔓てづるかたき近寄ちかよつて親公おやごあたむくはんとハまことがたい孝女かうぢよみさほそのをり後方うしろきくひとのありともらねバのうゑの一伍いちぶ一什しゞうものがたるときしも片辺かたへたふれたる痍負ておひ悪女あくぢようかゞ吾〓わたし所持しよぢなすはたをバるをらじとあらそふうちはたハさつとひきほどけ。あらはれいでたるくもりやう夜目よめにもそれしゆゑにりかへさんとおもヘどもあやなきやみをうしなひ。あらそふはづみにつきあたり可〓かわいいもと深谷みたにそこおち行衛ゆくゑハしら%\とはやあけちか月代つきしろに。かほあはせて這方こなた」よりのりかけんとおもふうち不思義ふしぎじゆつにおまへ姿すがた夲意ほゐなくその見失みうしなのこしさをいまこゝ再會めぐりあひしもつきせぬ竒縁きゑん。そんなら最前さいぜん明神みやうじんもり出會であい曲者くせものも。やつはり吾〓わたしたはむれにおまへこゝろをひきるため。そふとハらずいままでもこゝろにかゝりし短刀たんとうの。さやこゝにと青柳あをやぎふところよりしていだすをハみち受取うけとり完尓につこりたがひにわら美人びじん美人びじんなほ這回このめぐりながけれどもこのまきにしもときつくされねハ斯須しばらくこゝふでをとゞむまた後回かうくわい分解ときわくるきゝねかし

貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし三輯さんしうまき18


貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし三輯さんしふまき

東都 狂訓亭主人編次 

第廾七回 〈佛縁ぶつえんあらはして青柳あをやぎ一賢いつけんく|夥兵くみこしてりき義忠ぎちうぶ〉

當下そのとき這所こゝかゝるハいともあやしき一個ひとり修行者しゆぎやうじや鼡木綿ねづみもめん單衣ひとへぎぬすそ小短こみじかりあげておなじいろなる脚半きやはん甲掛かうかけ藺織いをりがさもておもてかくさゝやかなるおひ背負せおひおりのほとりにせつゝ裡面うち様子やうすうかゞふにいま青柳あをやぎとおみちとの問答もんどうほのかにきこへしかバおどろきながらも左右さうなくらず竊足ぬきあししつゝちかりて〓側えんがわ這方こなたなる生垣いけがきをひそめなほ様子やうすきい裡面うちにハ二個ふたりそれぞともかみならぬるよしなけれバおみち短刀たんとうさや受取うけとまづそのやいばをおさめつゝこゝろありげなおまへ言話ことばされどもおまへ吾〓わたしとハいさゝか由縁ゆかりのありともらでまし過世すぐせゑんありとハ心得こゝろえがたきおまへのお的話はなしこれにハなん子細しさいあらん奈何いかに々々/\疑問うらとへ青柳あをやぎ完尓につこうちゑみそのうたがひハことながらおまへおぼへてござんせうおもいだせハ去年こぞあきところ戸田とだ川舩かはふねでおまへ神子みこさん吾〓わたし順禮じゆんれいおぞくも老女おうなあざむかれ不覚ふかく〓縛なはめひかるゝみちまへ不思義ふしぎ妙術みやうじゆつにてのがれしあと吾〓わたし1ひとり奈何いかなる憂目うきめことかとおもひのほかはからずもひかるゝさき神宮かにはなるかの藪中山さうちうざん満化寺まんぐわじにておさいあま見參げんざんなしはじめきゝ過世すぐせ因縁いんえんその子細しさいほかならずいぬ長録ちやうろくはじめとし豊嶋としまいへ内乱ないらんおこ奸臣かんしんついとき國家こくかをさへに横領わうりやうなしあまさへおいへ正統しやうとうなる光姫みつひめさま 〈はじめみちひめつくりしハあやまり|なり以後いごすべ光姫みつひめつくる〉 と鳩若はとわかさまを殺害せつがいなさんとはかりしを光姫みつひめさまの乳母めのとなる浅江あさえよばれし忠義ちうぎ女中ぢよちうはやくもそのすゐせしかバひそか両君ふたきみ光姫みつひめ鳩若はとわかともなひて武藏むさし下総しもふさあいだしのばせそのみづかあまとなりおさい此丘びく法名ほうみやうなし躍念佛おどりねぶつことせてふたゝしま興立かうりうかたあつむいま最中さいちうさいあまとなられしことたゞこの一條いちじやうのみならずそのむかし豊嶋家としまけにて一木いちぼくもつ八體はつたいつくりなしたる弥陀みだぶつあり信仰しんがうことあつかりしにしま内乱ないらんときのぞみて忽然こつぜんとしてうせたりき不思義ふしぎといふハこれのみならでおさいあまかりゆめかの八體はつたい阿弥陀あみだぶつ現然げんぜんたち給ひなんぢ豊嶋家としまけ再興さいかう赤心まごゝろもつとしやうすべしわか八體はつたい豊嶋家としまけふかちなみのあるをもてたう衰亡すいぼうるにしのひず須臾しばらく佛身ぶつしんをひるがへし人間界にんげんかいしやうをなし八個やたり乙女おとめ化現けゞんしてたう再興さいかうちからつくさんゆめ/\うたがことなかれとのたまほどに」2ゆめさめたりそれよりしておさいあまハいよゝます/\佛恩ぶつおんかたじけなきおもふをもて道徳だうとくけんそうとなりいかくだん八賢女はつけんぢよたづいだして自方みかたとなししまいへ再興さいこうせんとかねとく神占かんうらにて種々さま%\在所ありかうらなひしにいまだうんいたらねバ八個はちにんこゝそくせねども一木ひときをもつてつくりたる弥陀みだ化身けしんであるものをたがひにおやかはるともすぐはゞ〓妹きやうだい同然とうぜんやが八賢はつけんそくしてこゝろひとッにたうたすけ和女そなた豊嶋としま由緒ゆかりある丸塚まるつか殿どの浪人ろうにん處女むすめのみかハ八個はちにん一個ひとりよばるゝうへからハいまより八個やたり在家ありかをもとめ一日ひとひもはやく豊嶋としまふたゝび」おこはかりこと呉々くれ%\たのむハ此事このことなりまたかのとらへし田舎ゐなか神女みこもおなじ賢女けんぢよ一個ひとりなれどもかれこゝろねがひあれバ竒術きじゆつもつのがれしならんれどもゐんありえんあれバ再會さいくわいなほとふからじとい〔と〕委細こまやかなる尼君あまぎみおふせおどろこの素性すじやういま佛縁ぶつえんにうけてそのこゝれたるものまへ吾〓わたしのみならずまだこのほか三個みたりありその一個ひとりハおまへ妹公いもとこそでさんの結髪ゆひなづけうめ太郎たらうとハかりにて實情まこと豊嶋としま忠臣ちうしんなりし神宮かには秀齊しうさい處女むすめうめつぎ八代やつしろつぎハおやす一個ひとり々々/\のうゑとそのことさへとりまぜて一伍いちぶ一什しゞう如此かう々々/\ことおちもなく物語ものかたれバ」3みちつら/\きゝおはりおもはず小膝こひざをはたとさて日外いつぞや戸田とだがは小舩こぶねひしもおまへにてあのとき悪婦あくふとおもひたるかの舩長ふなおさ尼君あまぎみのやつぱり私等わたしら二個ふたりをバいざなはんとのことなりしかともらざれバねがひあるこの賊手ぞくしゆとらはれてハおもたちたる仇討あたうちその宿願しゆくぐわんかなはねバ竒術きじゆつをもつてのがれしがいまのおまへのお的話はなしではじめてつた吾〓わたしのうへかくまですぐれし人々ひと%\過世すぐせえんのあらんとハはからざりける今霄こよひうれしさそれにておもあはすれバ心當こゝろあたりがござんすとかののおともよりきゝたりし片瀬かたせがはにてのこと來由もとすへ其時そのとき御旗みはたを」うばひしことそれよりしてお理喜りきハおうめ三個みたり賢婦すぐれびとぞとおもふをもてあふ自方みかたたのまんとあとしたふてゆきしのみ今日けふまで音信おとづれのなかりしことまたおみちにしきはたふたゝことておともはかりて定正さだまさねらうたんとせしほどにおもはずもかいなみだれにはからぬ不覚ふかくりたりしにまたはからざるたすけいまこゝおよびしことまでこと如此しか々々/\報知つぐるにぞ青柳あをやぎ聞毎きくごとにあるひハおどろまたかんじてしきりひざをすゝめけるそのときみち佛檀ぶつだんより以前いぜん御籏みはた取出とりいだしてかたちをあらため言話ことばたゞまごとがたい今霄こよひのお的話はなし假令たとへすぐ4 因縁ゐんえんなくともかくまである賢女けんぢよらで御籏みはたをしば/\うば物思ものおもはせしのみならずおまへとさへも両三度ふたゝびみたび讐敵あたかたきおもひをせしハわがながらもおぞましやといとおもなげに賠話わぶるにぞ青柳あをやぎきゝつゝうちけしてアレみちさんそのやうこゝろづかひハらぬことたがひにちなみをむすぶからハおやこそかはかはらぬハ〓妹きやうだい遠慮えんりよのないがへだてこゝろ此末このすへともによいにつけわるきにつけて何事なにごとこゝろあは相談そうだんして豊嶋としまいへ再興さいかうをとへバおみちうち点頭うなづきなるほどうれしひおまへのお言話ことばそれにつけてもおうめさん何故なぜこのへハござんせぬやらこゝろがゝりハこれのみならでおともハいかにせしこと

【挿絵第九図】

 挿絵第九図 浅江あさえ幼主ようしゆをたすけて豊島としましろつ」5

ぞとおみちへバ青柳あをやぎともあんじるむねむねたがひにかほ見合みあはせておもひかねてぞたりしがおみちハきつと心付こゝろづきおまへなにおもふからねどこの鎌倉かまくらとふからねども人煙ひとざとまれやまおほければもし闇路やみぢふみまよひあられぬかたゆきもされしかそれにても心得こゝろえぬハ勝手かつておぼへしおともさへいまだこのかへらぬハこれまたいぶかしゝかつ定正さだまさ追手おつて軍兵つはものふたゝ推寄おしよことありて不思義ふしぎわざはひなしともはれずそのまゝ打捨うちすてこゝにてものおもはんよりこゝあたりをあちこちくまなくたづねてともなきたらんいざもろともにとひつゝも短刀たんとうこしよこたにしきはたを」6たづさへていそがはしくおこせバ青柳あをやぎもまたそのにしたがひたちあがらんとするおりしも何時いつにかハしのりけん黒装束くろしやうぞくせし四個よたり夥兵くみこえんしたよりいでておみち青柳あをやぎ二個ふたり目掛めがけもつたる十手じつて打振うちふり々々/\ヤツトかけたるこゑとも双方そうほうひとしく組付くみつく二婦ふたりさわがずふりはなし准備やうゐ短刀たんとう抜手ぬくてせずみぎひだり二個ふたり夥兵くみこみづもたまらずきりさぐるをなほこりずまに近寄ちかよ二個ふたりヱゝ面倒めんだうなと青柳あをやぎみちえりがみつて三間さんげんばかり外面そともかた投付なげつけたりされどもくつせぬ二個ふたり夥兵くみこゆう投付なげつけられながらもなほ起上おきあがりてくみつかんと」うこめきまはるそのところおもてかたより背戸せどぐちよりはしいでたる二個ふたり婦女おんなくだん夥兵くみこおきんとするをおこしもやらず押伏おしふせ懐劒くわいけん抜持ぬきもち差通さしとふすをおみちおどろこれるに一婦ひとりハおともいま一婦ひとり修行者しゆぎやうじや姿すがた出立いでたてどもこれなんおともあねなりしお理喜りきにてぞありにけるかゝをりしも納戸なんどかたよりアツトほめたるこゑとも仕切しきりふすま押明おしあけ徐々しづ/\入來いりく八代やつしろうめ完尓につこりわらふてにつくをるよりおみち青柳あをやぎもあまりのことおどろあきこれハ/\とばかりにて須臾しばらく言語ことばもあらざりける案下そのときうめ八代やつしろハおみちむかひてかたちたゞたがひに口誼かうぎはてのちうめハしづかに小膝こひざすゝさきにハ」7 火急くわきう場所ばしよなるにくらさハくらてき大勢おほぜいつい六個むたり六所むところ散々ちり%\になりゆきしに八代やつしろさんと吾〓わたしとハはじめよりしてあふぎやつ士卒しそつむかひてたゝかひしが二町ふたまちばかりふほどにはやくもてき迯失にげうせしかバかくゆうする場所ばしよならずと八代やつしろさんと諸侶もろとも瀬戸せとむらさしてみちにてこれなるおともとめられおどろきながら様子やうすくに日外いつぞや多塚おほつか一家ひとつやにて老女おうなのおしへし瀬戸村せとむらその〓妹きやうだい一個ひとりなるよしうれしさハたゞこれのみならで日頃ひごろたづぬるおみちさんさへやつぱり瀬戸せと一家ひとつやしのびておはすることのよしきくとひとしく八代やつしろ」さんも吾〓わたしとも小躍こおどりしてそれよりおともをしるべにたてさきこのつゝるに青柳あをやぎさんハ急速いちばやくも這所こゝおはするのみならずおみちさんとの問答もんどう最中さいちう様子やうす奈何いかにおもふゆゑひそかに背戸せどかたよりまは納戸なんどうちしののこらず始終しゞうのお的話はなしそれにつけてもがゝりハおやすさんの行衛ゆくゑいままでこゝへござんせぬハもしうたれハ給はぬかそれかあらぬか奈何いかにやとへバおみち青柳あをやぎ八代やつしろまたともたがひに見合みあはすのみおもひかねてぞたりけるそのなかかの理喜りき夥兵くみこ死骸しかい片辺かたへにかひやりおうめ青柳あをやぎ八代やつしろまづしよたい8面のいやのべつぎにおみちうちむか吾〓わたくしことすぎ片瀬かたせかはにておともわかれおうめさまのおあとおりもあらバおみちさまのおぼしをバ言解いひとき自方みかたにおすゝめもふそうと夛塚村おほつかむらまでまゐりしに青柳あをやぎさまの危急きゝう様子やうすそれゆゑにこそお二個ふたり八代やつしろ|おやす〉 ハ袖乞そでごひとまでをやつし神宮かには夫婦ふうふ大六だいろくどのをあざむきおふせて青柳あをやぎさまをおすくひなさるおぼめしすいせしゆゑにそのひそかに大六だいろくどのゝやしきちか小笹おざゝうちをひそめ様子やうす奈何いかにうかゞひしにあんたがはずお二個ふたり青柳あをやぎさまともなふてやしきをおのかれなさるゝまで始終しゞう様子やうすさだめしが」もし大六だいろく心付こゝろづき追手おつてをかけんもはかられねハ須臾しばらくそのしのなほ様子やうすうかゞひしに大六たいろくたゞ一筋ひとすじ神宮かには夫婦ふうふ所爲しわざおもへバすぐさま人数にんずもよほふしてみづか神宮かにははせむか家内かないのこらずきりつくしてお三個さんにんをバとりかへさんといとおろかにも打立うちたつにぞそのときまでも吾〓わたくし小笹おざゝうちしのしかこゝろのうちおもふやういま大六だいろく神宮かには夛勢たせいをもつておしせて家内かないのこらずきりつくすともお三個さんにん在所ありかれねバふたゝ諸方しよほう手分てわけしてとらへんとこそはかるならめしかするときにハみなさまのわざはひなしともはれす奈何いかにはかりて大六だいろく追手おつてを」9させぬ一趣向しゆかうはてなにがなと種々さま%\ひとあんをめぐらせしにひとつのけい新作意おもひつきかの大六たいろく神宮かにはみづか発向むかひそのあとにてひそかに邸へしのいへ後園うしろ積貯つみたくはへたるやまにひとしきまぐさなか時分じふんはかりてはなせしにをりからかぜのはげしくて猛火みやうくわさかんにもえあがるにぞあんたがはす大六だいろく放火ほうくわきもをやひやしけんお三個さんにんのお行衛ゆくゑさへ鑿穿せんさくするにいとまなくたゞいたつらに神宮かには家内かないのこらずきりつくせしのみにんやしきひきあけしかバそのひま吾〓わたしかね便たよりハきゝながらたえひさしくはざりしはゝ住居すまゐたづねゆき様子やうす〔ば〕みなさまにハいまがたこのをおたちありて吾〓わたくしどもの隱家かくれがへおしありしときゝしよりそれにてすこしこゝろ安堵おちいそのはゝかたあかして翌日よくじつときすぐころ知縣ちけんにはゝかりなきにもあらねバ修行者しゆぎやうじや姿すがたをやつしかの發足ほつそくなしつゝもさきたうまゐつきしにちまたひとうはさくにさきのあなたの松原まつばらにて管領くわんれいさまの行列ぎやうれつ乱妨らんほうなせる婦女おんなありていまたゝかひの最中さいちうきくむねまづとゝろきいそ洲崎すさきいたらんとするみちほどにてくれ宵闇よひやみなれどもおほへしみちゆゑあしまかせてゆきつきしにはやたゝかひハはてのちにて四辺あたり人氣ひとけもあら」10あら〔ママ〕ざれバ夲意ほゐなく那処かしこたちりてこのつゝはからずもおみちさまと青柳あをやぎさまのかたみつもるお的話はなしもれきくのみかいまこゝでおうめさまがた両女ふたりにもおにかゝりし吾〓わたくし欣喜よろこびこれますものなしと赤心まごゝろあらはすことにみな/\感嘆かんたん為たりける

第廾八回 〈瀬戸せと暁天きやうてんみち秘書ひしよく|客路かくろ暮堤ぼてい悪僕あくぼく愚直ぐちよくあざむく〉

案下そのときむめ默然もくねんとしてお理喜りき的話はなしきゝたりしにやゝあつてかうべをもたげまことあくそのむくいまにはじめぬ」ことながらかの神宮かには渾家つまといふハ現在げんざい吾〓わたし伯母おばなれどももとよりこゝろかたくなにておつとあくいさめハせずかへつ悪事あくじ伎倆たくみしゆゑつゐその大六だいろく非道ひだうやいばうしなひしことがうとくといひながら假令たとへ吾〓わたし難面つれなくともすじたへ伯母おばなるをおもへバいとゞ愁傷いたましとほろりとこぼ一雫いつてきなみだあらは賢女けんぢよみさほかんずるうちにも八代やつしろ四辺あたりにきつとくばみなさんなんとかおもはんすいままで千草ちぐさなきつれみゝかしましきかはずこゑ一時いちじやみしも心得こゝろえもしこの敵兵てきへいのひそかに押寄おしよせしものかあらバあれいまこゝ六女むたり必死ひつしをきはめなバおそるゝにしもらねども」11たゞがゝりハおやすさんいままで此所こゝへもござんせぬハ奈何いかになりゆき給ひしかなにもあれこのたち行衛ゆくゑたづ諸侶もろともいづれのくにへかのがらずハ不思義ふしぎわざはひなしともいはれじみなさん奈何いかおもはんすとはれておうめ青柳あをやぎげにもとそのなかにおみち屡々しば/\うち点頭うなづき吾〓わたし危急ききうすくはんとあまたてききりりてそのゝち行衛ゆくゑれずといふおやすさんをバそのまゝ片時かたとき打捨うちすておきがたし去來いざさらバ諸侶もろともにといひつゝたちしがまたさら片辺かたへおきにしきはたをうや/\しくりあげおうめわたしてさていふやう昨日きのふまでも今日けふまでもたゞ一筋ひとすじに」とゝさんのあだとしおも定正さだまさうちはたさんとおもふによりひとたからりながら屡々しば/\はたうばひしこといまさらひてもそのせんなしにくしとてすてられずかくすぐれし人々ひと%\ちなみをむすびしうゑからハあだうつのなくてやはてすれバこの自得じとくせし竒術きじゆついまハありてえきなしもとよりかゝる幻術ようじゆつひともくまよはすのみにてじんまもしんゆうふかくもはづ所爲わざなれバいまあらためてじゆつをかへしふたゝもちゆることあらしとひつゝかね懐中くわいちうひめおきたりし竒術きじゆつしよいだせバお理喜りきもまたおとももおなじく忍術にんじゆつ秘書ひしよを」12みちうけりてみな諸侶もろとも片辺かたへなる圍爐裏ゐろりうちなげむにぞときしもふき夜嵐よあらしにさつと燃立もへたつ一〓いちゑん猛火めうくわともくだん秘書ひしよけむりとなりてぞうせにけるかゝおりしもかたよりにわかおこ陣鐘ぢんがねともきこゆるときこゑ這方こなた覚期かくご賢女けんぢよゆうてきふてハ面倒めんだう身繕みつくろひしつ背戸せどぐちよりひそかにしのびて立出たちいでしハいとあやふきことになん話説分両頭ものがたりふたつにわかるさて多塚おほつか里長さとおさなりしもく兵衞べゑ處女むすめたけおもらずも大六だいろく家財かざいのこらず闕所けつしよせられそのつゐとらはれしをまたはからずも青柳あをやぎたすけそののがれつゝかの鍬八くわはちに」

【挿絵第十図】

 挿絵第十図 苦七くしち甘舌かんぜつ鍬八くわはちはかる」13

ともなはれさしゆくべきあてハなけれと須臾しばし猶豫ゆよするところにあらねバあに梅太郎うめたらう鎌倉かまくらゆくきゝしを心當こゝろあて相模路さがみじさしておもむきしにさちなきときとて途中とちうにておたけにわかやまひにおかされ一歩ひとあしとても歩行あゆみねバ鍬八くわはちハます/\おどろかくてハなか/\このまゝにて鎌倉かまくらまでハゆきがたしとハ這辺こゝら放心うか々々/\してもし追隊おつて出合であひなバそのときのがるゝみちハなしと千々ちゝこゝろハくだけどもちからづくでもおよばぬのハにいふしゆうやまひにて是非ぜひなくその旅店りよてんたのおく一院ひとまかりうけつゝおたけ其所そこしのはせて種々さま%\医療いりやうつくせどもかく急快きうくわいしるしなく」14むなし〓〓つきひるほどにはやくもあきすぎふゆりてそのとしついくれあくれバ文明ぶんめいろくねんはるもなかばにおよびしかどもおたけまくらふしたるのみおもるといふにハあらねどもとみ全快おこたる様子やうすなければ鍬八くわはちハたゞひとつにて看病かんびやうおこたことハなけれどこのあしとゞめてよりはや八月やつきにもなりしかバ盤纏ろよういまのこすくなくされども追隊おつて沙汰さたなけれバそれのみすこしハ心易こゝろやすそのつぎより鍬八くわはちちか四辺わたり百姓ひやくせうひる終日ひめもすやとわれてわづかぜにもらひつゝくすり旅龍はたごりやう終夜よもすがら看病かんびやうして須臾しばしたゆま赤心まこゝろいとありがたき老僧ろうぼくなり不題そハおきてこゝにまたおなじ多塚おほつかの」さとなりしかの神宮かには奴僕おとな苦七くしちさきへい左衛門ざゑもん言話ことばしたかひ戸田とだ河原がわらより袖乞そでごひをひそかにいざなきたりしかバさだめてあまた褒美ほうびあらんとおもひのほかその沙汰さたもなくたゞ口禁くちどめをされたるのみひたいちもんにもありつかねバ苦七くしち心中しんちうこゝろよからずされどもなすべきやうもなくて徒事いたづらごととなりゆきしにそのにわか郡舘ぐんくわんより大六だいろくみづから走向はせむかひて夫婦ふうふをはじめ家内やうちもののこりなく〓尽きりつくせしとき苦七くしち奸智かんちたけたるものゆゑひそかに床下ゆかしたしのりからくいのちたすかりても半錢はんせんたくわへもなくこのまゝにてハ何國いづくへもは〔し〕りがたしとおもへども當所たうしよ長居ながゐもおそれあれバそれよりすぐさま相模路さがみじへと」15こゝろざしつゝ往道ゆくみちにてれバ片辺かたへくろにて余跡目よそめもふらず耕作者たがへすものあり近寄ちかよるまゝによく/\れバあにはからんやかね荘官しやうや杢兵衛もくべゑいへ老僕おとな鍬八くわはちにてぞありけれバさて這奴こいつたけともな此辺こゝらあたりにしのてかゝる所爲わざをもなすならんすれバ青柳あをやぎ梅太郎うめたらう またかの両婦ふたり袖乞そでごひ此辺こゝらしのびてるものかもと大六だいろく神宮かにはや屋を乱妨らんぼうなせしおこりといふハかの青柳あをやぎにげたるゆへにてほか子細しさいのありともらねバいま鍬八くわはちをひそかにあざむ那等かれら在家ありかきゝいだからとつともなゆかバそれをこう神宮かには跡式あとしきハみな吾物わがものならんと忽地たちまち奸計かんけい新作意おもひつきやがて」くだん鍬八くわはちほとりへちかすゝそれにござるハ多塚おほつかなる鍬八くわはちどのにハあらずやといひかけられて鍬八くわはち打駭うちおどろきつゝかへりてしかのたまふハ神宮かにはなる苦七くしちおとこおはするかとへバ這方こなたうち点頭うなつきいかにも吾們われら苦七くしちなりおんわれとハその以前かみよりひさしき馴染なじみでありつるにいぬ七月ふづき騒動そうどうはやくもおんじやうさま 〈おたけを|いふ〉をすくいだしてにげられたるのち何國いづくしのおはするともかぜ便たよりもきかざりしにさて這辺こゝらしのびてといはれてはつと鍬八くわはちとゞろくむねやのせき人目ひとめしのつゝむとすれどあらはるゝ目色めいろをさとるかん苦七くしちうち含笑ほうゑみつゝ小膝こひざを」16すゝ鍬八くわはちどのよばかりにおどろき給ふもひとにぞ假令たとへ吾們われらきゝたりともらぬふりしてとふすのが其所そこかねての念頃ねんごろだけつゝむほどのあるものなり日頃ひごろはらあし神宮かには夫婦ふうふ使つかはるゝ吾們われらなるゆゑそのやううたがはるゝも道理だうりながらおん這辺こゝらおはすれバ在所ざいしよ様子ようすきかれしならんが昨夜ゆうべにわかに神宮かには子細しさいなにらねどもお知縣だいくわん大六だいろくさまおほくの夥兵くみこひきして案内あんないもなくうつ旦那だんな夫婦ふうふハいふにおよば家内やうちものどものこりなくきりつくされしそのなか吾們われらひとりハうんよくも不思義ふしぎいのちたすかりてこゝまでにげてハしなれども」ようたくはへとてもなくましゆくべきさきもなけれバ此所こゝよりおんすみ給ふかた吾們われらともなふてこの難義なんぎすくひ給はゞ報知つげまいらする一言ひとことありその子細しさいほかならねどもかねておんらるゝとふりお知縣だいくわん非道ひだうなるなさけといふてハつゆほどもなくのみとがなき神宮かにはさへきかるゝとふりの仕合しあはせなれバ梅太郎うめたらうさま兄弟きやうだいかつ青柳あをやぎとかよばるゝ乙女おとめせんいまもいよ/\きびしくおん這辺こゝらしの今日けふまで追隊おつて出合いであはざるハさいはひにしてのがれしなりしかるに吾們われらしゆうはなほか寄辺よるべもなきなるにおんふるきよしみもあれバいまより」17おんこゝろあはせおたけさまをバいづれにまれとふかたともなひゆき其所そこ斯須しばらくしのばせており見合みあはせお地頭ぢとうへお知縣だいくわん非道ひだううつた理非りひ明白めいはくにあらはれなバ神宮かには荘官しやうや両家りやうけをバ以前いぜんのごとく取立とりたて約束やくそくなれバ神宮かには梅太郎うめたらうさまを養子ようしとなしおそでさまと娶合めあはせなバあのねがひのかなふのみかなき旦那だんな平方衛門へいざへもん夫婦ふうふをいふ〉 も夲意ほゐならんまたたけさまハいづれにてもむこさまをえらみむかへて杢兵衛もくべゑさまのあとたてなバ双方そうはうまつたこと箇程かほど芽出度めでたきことハあらじとくちからるまゝべんまかせてまことしやかにときまどはすにぞ正直しやうぢき一圖いちづ鍬八くわはち」なれバはじめほどうたがひしがつゐ伎倆たくみわなおちておたけ病氣びやうきこと来由もとすへいまなほ旅店りよてんにあることまで一伍いちぶ一什しゞうものがたるにぞ苦七くしち心中しんちうひそかによろこびはや謀計はかりごと成就じやうじゆしぬとおもふものからいろにもいださでやが鍬八くわはちいざなはれかの旅店りよてんにぞいたりける必竟ひつきやう苦七くしちはかりまた甚〓いかなることをかなすつぎまき分解ときわくるきゝねかし

貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし三輯さんしう巻之まきの18

 後ろ表紙>



#『貞操婦女八賢誌』(四) −解題と翻刻−
#「大妻女子大学文学部紀要」52号(2020年3月31日)
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