『貞操婦女八賢誌』(五) −解題と翻刻−
高 木   元  

【解題】

前号に引き続き、『南総里見八犬伝』の改作である『貞操婦女八賢誌』の第四輯を紹介する。

この四輯は上下二帙に分割されているが、それぞれが三巻三冊と一般的な人情本風の仕立になっている。第一輯は上下二帙各三巻三冊、第二輯は一帙三巻三冊であった。しかし、第三輯だけは一帙五巻五冊となっており、この事情については前回の解題で、従来の憶測を否定的に捉えた見解を記したが、この第四輯は第一輯と同様の構成に戻っている。

さて、四輯上帙の序にて、狂仙亭春笑が師匠である為永春水から名跡を譲られ「二世 為永春水」となったにもかかわらず、三年間公表せずに「為永春水」として著作してきたが、此処に嗣号の旨を公表するとし、また下帙の「巻端附言」で、本作の混雑した構成、すなわち四輯下帙は外題では「六編」となっており本文の編数と齟齬している点を説明している。

近世末期になると読本も合巻も短編読切から続物の長編作が増え、天保改革以後は人情本も長編化する。結果的に複数の作者によって嗣作された長編作も少なくない。その中には筋の一貫性が損なわれたり、構成が破綻したものある。本作は『南総里見八犬伝』に基づき、里見家を豊島家に変えた比較的構想の堅固な改作であるいうこともあり、構成の破綻や筋の齟齬は見受けられない。それどころか、単に八犬士を八賢女に置き直したのみならず、原作で女装して登場する犬塚信乃と犬坂毛野に相当する梅太郎と亀太郎を美少年として登場させたり、悪人側も女性として描き直されている人物が多い。

さらに、原話の各場面のエピソードを巧みに換骨奪胎しており、後に姉であるお道(原作の犬山道節に相当。以下の括弧は同様)と邂逅し、破傷風に罹った梅太郎を直す「子歳生まれの処女の血」を提供して犠牲死する(沼藺)のはお袖(濱路)と改変されている。また、八賢女たちは集散離合を繰り返すことになるが、お道(犬山道節)は仇敵である扇が谷定正を襲撃するが失敗し、荒芽山で四賢女が集合するが敵に囲まれ、原作で八犬士を守って犠牲死する尺八と力二郎の兄弟に相当するお理喜とお友の姉妹の犠牲死で生き延びる。また、対牛楼の場では、愛嬉(馬加大記常武)を父の仇として狙う舞若衆の亀太郎(旦開野=犬坂毛野)は、宴席で幽閉されているお安(犬田小文吾)に艶書を渡して意中を告げ、愛嬉を討ち共に脱出するという具合に原作を踏まえた展開になっている。

【書誌】四輯(上下2帙各3巻3冊)

上帙
書型 中本 18.6×12.5cm
表紙 上部濃藍から下部水色にボカシ下げ地に様々な貝類を白抜きにする。後ろ表紙は柿渋色無地。
外題 左肩「婦女八賢誌 (〜三)」(13.3×2.7cm)
 題簽の上部柿色地に花を白抜から下部空色にボカシ下げ地に船を白抜。双柱飾枠。
見返 なし〔白〕
于時ときに弘化こうくわ二年にねんあき九月くがつすへ五日いつか狂訓亭きやうくんていの\東籬とうりおい菊花きくくわ ふかところふでる\二世 爲永春水諄言」(一丁半。丁付なしオ〜丁付なしオ)
口絵 第一〜二図 見開き二図(丁付なし)。濃淡の薄墨を施す。
「仁義〜」(薄墨地、上半分に雲を白抜き。半丁。丁付なしウ)
内題貞操婦女八賢誌ていそうおんなはつけんし四輯ししうまき(〜三)
尾題貞〓ていそう婦女おんな八賢誌はつけんししう巻之三
編者「東都 爲永春水編次」(内題下)
畫工 〔記載なし〕
広告「〈楊太真遺傳やうきひのつたへしくすり精製くはしくせいしきり箱入はこいり處女香むすめかう為永春水精剤江戸數寄屋橋御門外弥左エ門町東側中程書物繪入讀本所文永堂 大嶋屋傳右衞門」(二巻末)
刊記なし
諸本 館山市博・早稲田大・西尾市岩瀬文庫・山口大棲妻・東洋大・ 東京女子大・三康図書館・千葉市立美術館。
翻刻 初輯の書誌 参照
備考 巻一の九丁欠(十三丁が二葉存)

下帙
書型 中本 18.6×12.5cm
表紙 弁柄色地に白抜き紺碧色で文様の入った茶碗などを散らす。
外題 左肩「婦女八賢誌 (〜六)(13.3×2.7cm)
 題簽の上部山吹色無地から下部空色にボカシ下げ地に花を白抜。双柱飾枠。
見返 なし〔白〕
「巻端附言\柳北軒主人再識」(半丁。丁付なしオ)
口絵 二図。見開き一図(ノド。八けん 四ヘン 口ノ一ウ〜八けん 四ヘン 口ノ二オ、半丁一図 (ノド。八けん 四ヘン 口ノ二ウ。濃淡の薄墨を施す。
内題貞操婦女八賢誌ていそうおんなはつけんし四輯ししうまき(〜六)
尾題貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんししふまき
編者「東都 爲永春水編次」(内題下)、「東都作者 柳北軒主人春水編」六巻末
畫工 記載なし
広告「〈楊太真遺傳やうきひのつたへしくすり精製くはしくせいしきり箱入はこいり處女香むすめかう為永春水精剤江戸數寄屋橋御門外弥左エ門町東側中程書物繪入讀本所文永堂大嶋屋傳右衞門」(五巻末)
刊記 なし
諸本 館山市博・早稲田大・西尾市岩瀬文庫・山口大棲妻・東洋大・ 東京女子大・三康図書館・千葉市立美術館。
翻刻 初輯の書誌 参照
備考 巻五の七丁欠(六丁が二葉存)


【上帙表紙】三冊同一意匠

 表紙
【序】
 序序

【凡例】

一 人情本刊行会本などが読みやすさを考慮して本文に大幅な改訂を加えているので、本稿では敢えて手を加えず、可能な限り底本に忠実に翻刻した。

一 変体仮名は平仮名に直したが、助詞に限り「」と記されたものは遺した。

一 近世期に一般的であった異体字も生かした。

一 濁点、半濁点、句読点には手を加えていない。

一 明らかな欠字や誤記の部分は、〔 〕に入れ私意で補正を示した。

一 丁移りは 」で示し、各丁裏に限り」1 のごとく丁付を示した。

一 底本は、保存状態の良い善本であると思われる館山市立博物館所蔵本に拠った。


【付記】
 翻刻掲載を許可された館山市立博物館に心より感謝申し上げます。 なお、本稿は JSPS科研費 JP17K02460 の助成を受けたものです。


貞操婦女八賢誌四輯巻之一

こゝ狂仙亭きやうせんてい春笑しゆんせうといへる僻児ひがものあり髫歳あげまきころより稗史はいしこのみてこれためはるくるるをゝしみまたあきながしとせずかくてもいまだあきらねあるとき狂訓亭きやうくんてい白屋くさのやたゝきはじめて架空ねなしごとふでりてよりかゞなふればはや十稔とゝせになりぬしかるに自今いまより三稔みとせさき〈天保|十四年〉俺師わがし為永ためながおきな老病らうびやうついせめたのみすくなくえしとき枕邉まくらべよびちかづけわれ生涯せうがいのはかりことなくたゞ戯墨ぎぼくにのみすぎぬることおもゆめなりけり遮莫さはれ虚名きよめいひとに」られてすで一家いつかひろめしを這儘このまゝにして朽果くちはたさんこんもつともなきにあらねいましいまより戲名けめうつきわづかわがなぐさめよとゆふべのけむあともなくついにはかなくなり給ひき嗚呼ああかなしいかな在世ざいせ数百すひやく編輯へんしふありしもすゞりうみみづかれかわかぬそでなみだのみかくやむべきにあらざれせめてはくんあだにせじと其後そのゝちつゞれるまきごと春笑しゆんせうのせずして為永ためなが春水しゆんすいあらはすものからいさゝかおもふよしもあれ嗣号しがうむねしるさざりしにすでに」(なし) 三稔みとせ當時いままでもおしかくさんはさすがにて戯房がくやひめ懇丹こんたん遐〓おちこちびと報知つげまつらんとおもおこせし柴門しばのとしよ文永堂ぶんゑいどうあるじきたつて婦女八賢誌おんなはつけんしだい四輯ししふじよなきをせむこれはた推辞いなむによしなければわづか懐旧くわいきうじやうのべてそが端文たんぶんかゆることしかり看官みるひと烏許おことなわらひ給ひそ

  于時ときに弘化こうくわ二年にねんあき九月くぐわつすへ五日いつか狂訓亭きやうくんてい

  東籬とうりおい菊花きくくわふかところふで

二世 爲永春水諄言 」


【口絵第一図】

 口絵

石濱いしはままひかめらう真間ままあい
醉へや人さくらも肩にかゝる日そ 狂柳亭春鳥」(丁付なし)


【口絵第二図】

 口絵

悌婦ていふ於安おやす孝女かうぢようめ
孝悌の両婦未だ世に顕れず\雪中の梅花まさに春を俟なるべし」(丁付なし)

【巻頭・題】

 口絵

仁義禮智忠信孝悌\称之謂八行貞操誠\節勇烈和順及称謂\八行彼里見之八犬\士是豊島之八賢女  

 仁義禮智忠信孝悌、これを称して八行と謂ふ。貞操誠節勇烈和順、称すに及びて八行と謂ふ。 彼は里見之八犬士、是は豊島之八賢女

貞操ていそう婦女おんな 八賢誌はつけんし 四輯し しう巻之まきの

東都 爲永春水編次 

   第廾九回〈駅舎ゑきしややん阿竹おたけ郷信きやうしんく|奸計かんけいたくましふ苦七くしち暗夜あんやはしる〉

再説ふたゝびとく鍬八くわはち苦七くしち甘舌かんぜつあざむかれつい旅店りよでんに伴ひつゝまづつぎやすらはせそのたけ臥房ふしどにいたり今日けふようだいたづねてのちしちことをもらせんと屏風べうぶのうちをさしのぞくに於竹おたけやまひつかれてやうと/\ねむりし様子やうすゆへ鍬八くわはち右辺左辺おちこち夜着よぎすそなど推付おしつけがほをつく%\打詠うちながめ」アヽ永々なが/\病氣びやうきゆゑお愛相あいそう此頃このごろめつきりとしたかほやせこれにつけてもあにさま〈うめ大郎|をいふ〉か青柳あおやぎさまでもおそば介抱かいほうなされたらそれちから病氣びやうき全快おこたるみちもあるべきになにをいふにもこのぢゞたゞひとつの介抱かいほうとゞかぬうへにこのほどよりくすりしろ調方あだてつき わづかぜにつてひる終日ひめもすひとやとはれおそばつきものもなくお心細こゝろぼそさもいやましなほ病氣びやうきさわらうとおもへどほかすべもなくとてときとてこのやうにさちなきうゑにもさちなくて年端としはもゆかぬじやうさまに苦労くらうをさせますいたわしさよと獨言ひとりごちつゝおもはずも」1 ほろりとこぼ一滴いつてきなみだきうにおしぬぐアヽわれながらかへらぬ繰言くりことひときかいでまだしも僥倖しあはせこのやうこと手間てまくすり仕度したくふたッに苦七くしちどのがさぞまちかねドレつぎひつゝも藥土瓶くすりどびんさげいづるを苦七くしちまちうけてコレ鍬八くわはちどのじやうさまかはつたことおはさぬかとはれて鍬八くわはちうち点頭うなづきべつかはあらねどもこのほどよりのおつかれでかいますや/\とお寐入ねいりばなこのくすりせんじあげおさめたら貴所こなたともにおにかゝつてなにかの相談そうだんまづそれまで貴所こなた其所そこゆるりとやすんでくだされよアヽならさけひとつとたいじやがなにふにもその/\にはるゝひん不足ふそくあらうがゆるしやれふを苦七くしち打消うちけしてその挨拶あいさつひとにも貴方こなた下奴わしむかしからひと在所ざいしよ成長ひとゝなり兄弟けうだいよりなをむつましくひとつ小鍋こなべ茶粥ちやがゆさへたがひにひしなかなるをいまさらなん遠慮えんりよかある心置こゝろおきなくようあらなになりと使つかひたまへ下奴わしもこれまで神宮屋かにはやつかはれつけたからだゆへむなしくしてあらんよりうごくがかへつてかつなりくすりがなくしやはしらんよごれたものなにもなきかみづがなくばんでかんたけ苦七くしち ゆゑなにがな鍬八くわはちが氣に」2 らんとへつらこと鍬八くわはちこゝろ伎〓たくみありともらねうなつきつまた喜悦よろこび貴所こなたういふこゝろなら下奴わしためおほきな補佐たすけ いまより侶々とも%\たけさまのちからとなつて病氣びやうきひとはや全快おこたりうらかさなる大六だいろくふを須臾しばし押禁おしとゞあなおとたかかべみゝすでさきにもとふあの知縣だいくわん執念しうねんもおん主僕しゆぼくゆくいまなほせん最中さいちうなるにゆふ神宮かには騒動そうどうよりいよ/\せんきびしけれしのび/\に這所こゝらまでおつのまはりらんもれずよしうなくとも 人心ひとごゝろ このあるじ油断ゆだん」ならじりながら放心うか/\々々とこのかくてあらんことこほりのうゑにるよりもましあやうことならずやおんなにおぼすからねど假令たとへじやうさま病気びやうきでもかゝあやうき場所ばしよ追隊おつてとらへられんよりいづれのにまれともしてはゞひろくなりてのち心安こゝろやすらに介抱かいはうせばじやうさまの病気びやうきおのづ全快おこたりたまひなんそれつけてもうめさまのお行衛ゆくゑをだにるならよき分別ふんべつもあるべきにひかけて四辺あたりまはしすこし小膝こひざすゝませておんじつうめさまのお行衛ゆくゑりたまはぬかもしすこしにても此所こゝぞといふこゝろ」3 あたりのあるならつゝまず我等われらかたりたまへわるいやうにはからふまじとはれて鍬八くわはちされとようめさま去年こぞあきたゞ相模さがみへとばかりにて行先ゆくさきをさへ報知つげられねいま何國いづくたまふともるよしあらねども鎌倉かまくら繁花はんくわの地ゆゑもし那所かしこたまはんかとおもふのみにてたづねんにもじやうさまこの始末しまつゆへついそのまゝ打捨うちすてたれいまたづぬるあてもなし是非ぜひもなきことなれいまさらふともせんなけれどそれよりもまづさしあたるおたけさまのおんあんほどせんきびしくなか/\此辺こゝら片時かたときくて」あらんまことあやうしといま様子やうす起臥おきふしさへも自由じゆうならぬあのじやうさまを奈何いかにしてこのともなひいでらるべき當惑とうわくたゞこれのみならで半錢はんせんたくはへもなく他國たこくゆくとも便びんなからんこの了簡れうけん我等われらおよばずおん異見ゐけん奈何いかにぞやとふを苦七くしちきゝあへずかゝ火急くわきうにのぞみすへすへまでかんがへてなか/\ことでなし假合たとへようたくはへなくともおん二個ふたりこゝろあはこののがらんに袖乞そでごひしてもじやうさまに空腹ひもじいおもさせますまじちつこゝろなき所爲わざながらいまにも夜食やしよく勝手かつてよりいだすをつて」4 二個ふたりはらまづ十分じうぶんにこしらへてじやうさまにもくすりをすゝめよひかうかねともさいわあれなるあき葛籠つゞらじやうさまをすくをふひそか裏口うらくちよりしのいでうちのものもことなかるべしハテはらかへがたしわれまかせておきたまへとはれてもなほ鍬八くわはちもとより正路しやうろおとこゆゑいらへかねつゝつく%\とおもひまはせこのつきごろあつめぐみをうけながらはたしろをもわたさすに這所こゝらんみちてなしとおもへども今更いまさら苦七くしちことしたがはねみす/\あやうこの手詰てづめ不義ふぎれどおしゆうためよひこのまゝにぐる」

【挿絵第一図】

 題 苦七くしちたくみに鍬八くははちく」5

ともふたゝそのときかならずあだすぐすまじとこゝろうちちかひつゝ須臾しばらくあつてうち点頭うなづきいかにもおんはるゝとふすこみちにそむくともとがめられぬそのさきのがるゝにしくなしたゞこのうゑおん隨意まに/\よきにはからひたまはれとふを苦七くしちうちきゝあさむたりとおもふにそこゝろゑみふくめどもさらいろにもあらはさずなほ余談よだんときうつりはやたそがれになるほとに宿屋やどや婢女ぬい心得こゝろえやが夕膳ゆふぜんをすゝむるにぞ二個ふたりほどなく仕舞しまふときおたけおきたるやうゆゑ鍬八くわはち一間ひとまにいたりくすりをすゝめかゆをすゝらせさて6 苦七くしちこと如此しか々々%\一伍いちぶ一什しゞうものがたあやうき場所はしよなればよひひそかにこのたちいで何國いづくへなりとおともして追隊おつてなんのがれ申さんおこゝろたくをなされてよとはれておたけおどろくのみ苦七くしちにさせる悪心あくしんありとも幼稚おさなこゝろるよしなけれ鍬八くわはちが言ふにまか心構こゝろがまへをたりけるかくそのやゝふけえんかねかぞふれはやこくになるほど今宵こよひほか相宿あいやどもなく勝手かつて婢女ぬいいとくるおとおのわらうちながらいと可笑おかしものこゑ次第しだい々々/\やみはてあといびきの声ばかり深々しん/\と」 ふけるにぞ時分じぶんよしとふしより苦七くしち卒度そつと起出おきいで鍬八くわはち侶倶もろともかたありあき葛籠つゞらにおたけひそかにすく苦七くしちこゑひそませてわれまづこのつゝふて脊戸せどより徐々そろ/\しのいづべしおんあとまはりて一品ひとしなにてもとりおとさぬやうよく/\こゝろをつけたまへとはれて鍬八くわはちうち点頭うなづき右辺あち左辺こちまはりてわづかの荷物にもつたづさへつゝと苦七くしち逸速いちはやくも葛籠つゞらふて脊戸せどぐちへはやしの様子やうすゆゑおくせじと鍬八くわはちたちかたよひやみ足元あしもとくら掾先えんさき心急こゝろせまゝよくもかけいださんと」7 るはづみに所爲しわざにや踏段ふみだんひきわたしたる一筋ひとすじなは片足かたあしからまれてしりどうたをるゝときえんはしにてこしぼねをしたゝかにうちしかおきんとするにこしたゝ口惜くちおしをもがきこゝろしきりに焦燥いらだつおりしもこの物音ものおとおどろさめけん庖厨くりやふしたる奴隷おのこがす盗賊とうぞくりたるぞいでいでよとよばはりつゝぼうなど引提ひつさげいま鍬八くわはちたをれたるほとりちかすゝこの為体ていたらくるよりも衆客みな/\再度ふたゝび打駭うちおどろあきれて須臾しばし茫然ぼうぜんたりしがそのなかにて一個ひとり奴隷おのこ鍬八くわはち形容すがたをつけ左視とみ右視かうみつゝひとり」 点頭うなづき人々ひと%\むかふやうこの野夫おやぢ去年こぞよりしてめろともこの宿やどながつきおくるほどにろよのこらずつかはたかく児女こめろくすりさへあたゆることのならずとてなみだながしてなげくゆゑなみ/\の旅店はたごならぜになききやくとめられずとて追出おひいださんもやすけれどもとよりのお旦那だんな生得うまれついての佛性ほとけせうゆゑ不便ふびんとやおもはれけんいろいろくちきいそれより這奴こやつよういですこしぜにるものからそのおくるにそくなるにや旅篭はたご次第しだいかしになるそれのみならでしやどのゝくすりれいさへ二月ふたつき三月みつきとゞこほりしをはらひも」8 せで身輕みがるたび仕度じたくこと荷物にもつたづさへてこの掾端えんばなにうろつくにげをなさんとするなるべしこれにておもめぐらすに最前さいぜんなれをとここのともなきたりしもかゝ伎倆たくみをなさんとてかねはかりしことならんと一個ひとり弱奴わかうどなり/\とうち点頭うなづき一院ひとまうちまはしてさてこそ児女こめろへざるかの荷擔かたうど逸速いちはやくもともないでしにうたがひなしもあらあれこのうゑこれなる野夫おやぢいましめて旦那だんな來由よし報知つげまうさん人々ひと%\四辺あたりこゝろをつけかならずとりにがしそとその奴隷おのこ現々げに/\しかりとひ」 つゝも右左みぎひだりより取付とりつかこと難義なんぎ鍬八くわはちいひとかんにも詮術せんすべなく。と這所こことらへられてたけ安危あんきづかはしこ奈何いかにせんとばかりにてひとこゝろくるしむるのみのがるゝみちあらざりけり

   第三十回 〈竒中きちう一竒いつきさるよくひとたすく|苦中くちう一苦いつくかんまたけんとゞむ〉

前話休題そハおきてこゝにまた苦七くしちくだん葛籠つゞらふて鍬八くわはち先立さきだちつゝはやくもにわ下立おりたちしがかねこゝろ伎倆たくみあれよひより仕組しくみ鍵索かぎなは卒度そつと踏段ふみだんかけわたひと莞尓につこと」10 打笑うちゑみながら脊戸せどぐちよりはしいで北東うしとらかたこゝろざしあしまかせてゆくほどにはや一里いちりにげのび屡々しば/\後方あとべかへりみるにひともあらざれ計略けいりやくそのあたりぬとおもこゝろ落付おちつきやが片辺かたへ松蔭まつかげくだん葛籠つゞらおろしつゝ身中みうちあせをおしぬぐ偖々さて/\ほねらせたりいへしゆよくはかりしうへ黄金こがねはなさかするもはやとふからぬことなるべしそれつけてもこの児女こめろ奈何いかにもはかりてうめ太郎たらう行衛ゆくゑ白状はくぜうさせんとひつゝ葛籠つゞらふたやみつかれたるおたけ會釈ゑしやくもなくひきいだし」 つばらなるひらき最前さいぜんまでもいままでもじつせたおんつれいださんとおもふゆゑうなつて持前もちまへさねことすみやかならずじやうさまイヤサたけぼうおん日外いつぞや多塚おほつかにてあにうめ太郎たらういへせしときゆくさきう/\とさだめておんおきつらんつゝまず我等われらにおしへなおんこのまゝたすかへさんもしそれともにつゝみかく大六だいろくど のゝやしきつれゆきみづ拷問がうもんてなりと急度きつと在家ありかはさねこののぞみがかなひがたしおんいまだ幼稚おさなきうゑにやまつかれしそのからだてひどせめにあはん」11 よりいますみやかにわれらさおんすこしもとがなしあにへど梅太郎うめたらう肉身にくしんわけ兄妹けうだいならずやつしま浮浪ふらうにん神宮かには秀齊しうさい獨子ひとりこにておんえん結由ゆかりもなきを何時いつまでもつゝみかくしてそのつみかふむらんいとおろかしきことならずや頓々とく/\行衛ゆくゑわれつげ明白あかりたて給へとおどしつすかしつかくるをおたけ始終しゞうきくよりもあきるゝまでにうちおどろさて其方そなた最前さいぜんからいと老実まめにもてなせし吾〓わなみだましてつれいださんふか伎倆たくみありしよな。ともらざれいままでもあま言葉ことばまこととしてはかられ」 しこそ口惜くちおしけれもとより吾〓わなみ兄君あにぎみましますかたらねどもよしとてなんぢがごときひとはかりてたつだいあく无道ぶだう白徒しれものいかでまこと報告つぐべきぞとし似氣にげなき利発りはつ一言いちごんにくさもにくしとおもふにぞ苦七くしち忿いかれるこゑはりあげこの児女あまがさかしくちからさきうまれしとてはせておけ種々さま%\大人おとなおそれぬいま言分いひぶんわれ梅太郎うめたらう行衛ゆくゑたづらんとおもこそいままで言話ことばやはらげて手荒てあら所爲わざもせざりしがなんぢまこと報知つげじとはゞ病人びやうにんでも幼女こどもでも其所そこ用捨ようしやがなるべきか知縣ちけんともなゆかざる」12 さきひと拷悶がうもんしてじつはかせん覚期かくごをせよとひつゝもかたあり枯枝かれえだの手ごろなるをひろすでうたんとたちかゝれたけあなやとうちおどろ葛籠つゞらたてしづみぎひだりうけはづ少女心おとめごゝろ一生いつしやう懸命けんめいされどもやまひにつかれし進退しんたいとも自由じゆうならずふらつくあしふみとめかね爪突つまづきどうすをたりと苦七くしちとびかゝりおたけ黒髪くろかみまいひざほとりへひきつけつゝいよ/\忿いかりにたへずや白眼にらまへつめつゝこゑたてこの児女めろきもふとくものがれんとするとてのがすべきいま真直まつすぐ白状はくじやうよしなほこれにてもじつはかわがたづさへたる此枝このえだれるまでうちすへなん苦痛くつうとくはずやせめられながらもちつともおそれずかうべ左右さゆううちつておのれあくぼく奈何いかなれかくまで吾〓わなみ難面つれなき敲殺うちころさばうちころなんぢふべき言話ことばなしたゞ口惜くやしとゝさまのあたむくはずふたッにあにうへ安危あんきさへらでぞくしゆいのち歿おとこれのみまよひのたねなりかしやまひだになきなら汝等なんぢらこときにやみ/\と手込てごめなるまじきに口惜くちおし欝憤むねんやとふさへいとゞくるなるおたけなほひきすへ苦七くしち面色めんしよく夜叉やしやのごとく」13 あるひあかくあるひあをくます/\いかりに老猴らうこうふしぎにおたけをすくふたへずやありけんもつたる小枝こえだふりあげつゝおのれほどにしにたくいま一敲ひとうちころしてさせんしゝたるうゑにて後悔こうくわいすなとふよりはやたちかゝりうちひしがんとするをりしも不思義ふしぎ於竹おたけふところより光明くわうめうさつときらめいで苦七くしちまなこうつほどに流石さすが強氣がうき白徒しれものなれどもうちおどろきつゝのけさまにたふれて須臾しばし忙然ぼうぜんたりしがまたこりずまにちあがりたゞ一敲ひとうち駈寄かけよときしも生茂おひしげりたる松蔭まつかげよりあらはいでたる二隻にひきおほざるそのさま牝牡めをのごとくなるが忽然こつぜんとしてはしちかづき一隻ひとつ苦七くしち右手めて一隻ひとつそびらとびかゝつて矢場やにはに」

【挿絵第二図】

 挿絵第二図13

其所そこ引仆ひきたをかほからだのきらひなく二隻にひきさるしてかきむしれ苦七くしちいよ/\周章あわてさははらつてのがれんともが手足てあしにまとひつきかきやぶりまたかみたてられ苦七くしち惣身そうしんあけみてもだへくるしむそのうちにさる一聲ひとこゑさけびもあへず苦七くしちのどひつきしが忽地たちまちいきたへにけるかゝ不思義ふしぎたすけをておたけおどろかつあきれてなほうたがはれざるところくだんさる苦七くしち死骸しがい四下あたりたにへまろばしてたをふしたるおたけいたはるごとくすくおこしつやをら葛籠つゞらうちすはらせ二隻にひきさる後前あとさきよりおしもしつひきもしつ山路やまぢを」14 さしてゆくほどにおたけ心易こゝろやすからねどたつことさへもかなはぬまた詮術せんすべもあらざれひかるゝまゝにおめ/\と何國いづくともなくともなはれける嗚呼あゝいまたけ浮沈ふちん二隻にひきさるいざなはれしこう不倖ふこう什〓そも奈何いかににいたりて分解ぶんかいすべし 前話はなし分両頭ふたつにわかる さて稲村いなむらさきをんな隱居ゐんきよ愛嬉あいきこのほど洲崎すさき縄手なわてにておやすからとりしよりおもふよしのあるをもてふかくもつゝみてひと報知つげひそかに一院ひとまうちおきなわゆる衣服ゐふくあたかつ朝夕あさゆふ食事しよくじさへこゝろつくせし饗応もてなしぶりにおやすさら合点がてんゆかずこゝろなら」 ずも放心々々うか/\十日とふかばかりをすごせしにあるとき一個ひとり腰元こしもとくだん一院ひとまあゆつおやすがほとりへすゝこのほどよりしていとながはるたゞ一院ひとまにのみ垂籠たれこめおはすれ徒然つれづれさぞならんに主人しゆじん愛嬉あいきおんかゝとひなだめんとおもヘどもあふぎやつへはゞかりのまたなきにしもあらざれこゝろならずもおくりしが今宵こよひこと春雨はるさめいとしめやかにふりなしてものさびしさも一入ひとしほなれひそかに母屋おもやともなひまゐらせなになくとも御酒ごしゆひとつすゝめもふさんとおもふにより吾〓わらはをしるべにつかはされたりいざたまへ這処こなたへとひつゝもさきたち間毎々々まごと/\の」15 紙間ふすま押開々々おしあけ/\ゆくほどにおやすひかれてゆきながらいよ/\不審ふしんはれがたくわれあやまつてとらわれしをかく念頃ねんごろもてなさるゝことなか/\にこゝろよからずつた真間まゝ愛嬉あいきあふぎやつとりつて不義ふぎ財宝たからたくわへたるよし白徒しれものありながらこのほどよりの懇切ねんごろぶりふか伎倆たくみあることかこたゞことあるまじとおもへど阿容おめたる血氣けしきなくかの腰元こしもとあとにつきてなほ幾間いくまをかすぐるほどにやがおくまりたる一院ひとまいたるとかの腰元こしもとはしより仰付おふせつけられしおやすさまをすなはこれまでおともしてとふを愛嬉あいききゝあへずいそがはしくいてむかへて這方こなたへ」 這方こちへとりつゝやゝ上座かみくらおしすゆるをおやすいなみてせきにつかずわづかに下坐しもざしめしよ對面たいめんれいをなし寒暖かんだん安否あんぴふに言話ことばづかひも叮嚀ていねいいとうやまひてものすれどもりとてすこしおくするていなく挨拶あいさつすみのちやす形容かたちをあらためて吾〓わらはもとよりしづものにていさゝさいもなきのみかさき洲崎すさき縄手なわてにてためわすわづかに乕威こゐおどろかせしにうんつたなくもとりことなれけふかうべうたるゝかあすいのちをめさるゝかとおもひのほかになはゆるされ一院ひとまうち餌飼やしなはれて衣食ゐしよくもとよりあけ16 くれかみかざ化粧けわひさへ御心みこゝろをつけさせられいと念頃ねんごろなし給ふこととらはれの似合にあはしからでなか/\にこゝろよからず頓々とく/\かうべはねさせ給へため吾〓わらはいのちとて武運ぶうんつきたらしぬこそまこと夲意ほんゐならめと言ふを愛嬉あいきなぐさめておん義婦ぎふなり勇婦ゆうふなり假令たとへとりこになられしとていかでやいばあてらるべき定正さだまさぬしまれかくまれ愛嬉あいき荘園しやうえんかへてなりとおんいのちたすけもふさん夫等それらことねんなくこゝろのどけくうちくつろぎてまづ一献いつこんすごされよとひつゝ後方あとべかへれ腰元こしもと心得こゝろえかね准備ようい酒〓さけさかなを」 ところせきまで安排おきならぶるを愛嬉あいきつゝゑまやがさかづきを手にりあげいざ毒試どくみしてまゐらせんとひつゝほしておやすにさすをすゝみつゝうけいたゞきおもらざる今宵こよひ馳走ちそうさかづきまでたまはることよろこびこのうゑやはべるべきとふを愛嬉あいききゝあへずかたくろしおやすどのうちとけてなまなかに介意ゑんりよがあつて面白おもしろからずよひ一夜ひとよ上下かみしもわかちすて腰元こしもとどもなににてもあれおぼへしことかはる%\げいづくてお安どのをなぐさめよとはれてあまた腰元こしもとたがひにかほのみうちあかめさし俯向うつむきたるそのなかにて年老としおひたるが」17 すゝいでぜんさまのお言話ことばながらお腰元こしもと少女わかものちとのたしなみあれとて鎌倉かまくら成長そだちのおやすさまにお目にかけなか/\におわらぐさになるのみにて不興ふきやうにやなりはべらんそれより矢張やはり御意ぎよゐりの亀太郎かめたらうひの手を愛嬉あいきうち含咲ほうゑみ吾〓わらはしかおもひしかどまづ腰元こしもとつたなげいをはじめにさせて其後そのゝちに亀太郎をまゐらせんと打角せつかくこゝろたくおきしを和女そちはやくも海口しやべりはやたくはへておきがたしとく亀太郎かめたらう這方こなたせとはれてくだん腰元こしもといらへともおこつぎさしていたりしがやがて」 一間ひとまかへいざ亀太郎かめたらうどの這方こなたへとよばれていり美少年びしやうねんとしまだ二八にはちらねども容貌かほかたち艶妖あてやかなる昔古むかし在吾ざいご中将ちうじやう光源氏ひかるげんじ幼稚おさなだちかとおもふばかりの美艶うるはしき愛嬉あいきむかひていやをなしまたやすにも一礼いちれいして完尓につこゑみつゝつきあいらしくもまたゆかしくて愛嬉あいきをはじめ腰元こしもともみな恍惚くわうこつとしてとれける畢竟ひつきやうかめ太郎が一間ひとまめされてまた甚麼いかなることをかなす下回しものめぐりときわくるをらん貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんしだいしう巻之一18

貞操婦女八賢誌ていそうおんなはつけんししうまき

東都 爲永春水編次 

   第丗一回〈一席いつせき〓曲ぶきよくあきらか賊情ぞくじやうしめす|月下げつか艶書ゑんしよひそか悌婦ていふはげます〉

案下そのときあいえま亀太郎かめたらうゆびさしつゝやすむかつてしめすやうこのわかしゆ武藏むさしなる石濱いしはま舞子まいこなりしがこのほど鎌倉かまくらのぼりしとて世話せわするもののありしゆゑまねせてこゝろみしにそのげいといひ縹到きりやうといひつまはづれのやさしきまでをとこめづらしくまたありがたき少年しやうねんゆゑ吾〓わらはかたとめおきしも」 今宵こよひけうへんがためいざまひさかなにしていま一献いつこんすごされよとはれておやすさかづきをおしいたゞくのみ最初はじめよりこのまぬさけゆゑよくものままたこの舞子まひこ亀太郎かめたらうとやらとし二八にはちらずとも女子をなごばかりのそのなかこの少年しやうねんとゞさけ相手あいてをさせんこと傍痛かたはらいたおもヘどもさりとていろにもあらはさたゞよきほどひなしてほめそしらぬ客振きやくぶりをかの亀太郎かめたらうひそかにこゝろかんたりけり有斯かゝりしほどに腰元こしもとかね准意ようゐをせしことなれつゞみうちふへたてしらぶるこゑ侶倶もろともあふぎとつたちあがるふり形容すがた美麗うるはしき」1 亀太郎かめたらううぐひすいまたにいでそめしよりなほたへなるこゑふりたてうたひかなづる今様いまやうのその艶曲えんぎよくすみわたりみゝをあやしめおどろかすまひたもとのふりもよきにそのわざ至妙しめうたるまたあるべしともへざりしされあいふもさらなり老女ろうぢよ従女こしもと婢女ぬい下仕はしたまで忙然ぼうぜんとしてとれつゝひざすゝむをおぼへぬまでに須臾しばしときうつすほどにやが〓曲ぶきよくはてしかやす最早もはやよきおりおも屡々しば/\いとまふてそのらんとおこすを愛嬉あいきしばしとそでひき四辺あたりひととほざけてすりよせつゝ言話ことばひそおんこのほどともなひしよりちとたのみたき仔細しさいあれいまふてたのまんかあすふてはなさんかとおもふばかりであだぎしも他見たけんはゞかるのみならずおんこゝろおもひかねていままではでのばせしかどうちとけしうゑから何時いつまでかつゝむべき吾〓わらは一個ひとり處女むすめありて烏羽玉うばたまよばれしがおや慾目よくめらねどもかほ形容かたちみにくからねあふぎやつ召出めしいだされしに定正さだまささまの御意ぎよいかなつひ側妾そばめ給ひて寵愛てうあい日にましちやうずれどもはなかたねたみつよくやゝもすれ處女むすめことあしさまにひなしてひ」2 退しりぞけんと給ふゆゑ吾〓わらは 母子おやこ 出世しゆつせかなはずもしこのまゝにてあらんに處女むすめのうゑ二ッに吾〓わらは ちと荘園しやうえんさへうしなことにならうもれずそれ推知しりつゝ放心々々うか/\むなしくてあらんよりうらかさなはなかたひとれずさしころしなほか邪〓じやま するものもなく處女むすめ さしづめ内君うちぎみ同様どうやうふなるときあふぎやつおこすもたをすも吾〓わらは自由じゆう。とふものゝはなの方管領家くわんれいけ内君うちぎみなれかりそめ物詣ものまふでにもあまた供人ともびとかしづけなか/\近寄ちかよることかたいづ奥殿おくでんまぎひとなきおりすましてことはかるに」 しくなしすれ武勇ぶゆうなにほどあるともおとこ出來できこのたい役しかるにこのほと洲崎すさきにてひそかにおん様子やうするに武しゆつといひ力量りきりようさへ女子おなこまたありがたくいとたのもしくおもふゆゑ夥兵くみこの者に吩咐いひつけこのともなひさせしも只この大事だいじたのまんためおん吾〓わらはかくとなつてはなかた亡失なきものとしうらみをはらして給はら吾〓わらは所持しよぢなす荘園しやうゑん半限なかば をわけておん身にゆづなが栄花ゑいくわともにせんにいかでうけひき給はらずやと他事たじなくはれておやすさはがずうちゑみつゝ形容かたちをあらためこれまたなおたのみ」3 すでさきにももふすとふり吾〓わらはしづ乙女おとめなれ網引あびきわざ縫針ぬひはりことしも心得こゝろえたれそれことをおたのみならにふさはしき所為わざなれども和君わぎみのために主人しゆじんにもひとしきはなの方さまをころしてくれとのおたの吾〓わらはおよばぬこと幾重いくえにもゆるさせたまへとふを愛嬉あいき押返おしかへしいかに謙退うちばはるゝとてまたあまりに介意ゑんりよすぎたりおんさきため洲崎すさき縄手なはてたゝかふてつひいのちおしみ給はず今また吾〓わらはたのむにいたつていなみ給ふぞ心得こゝろえねとふたゝはれてちつともおくせずう被仰もふしませう」 吾〓わらはもとよりひな成長そだてためひとの爲ならいのちも何かおしはべらんしかるに和君わぎみいまおふせにもあらずみちにもあらず利慾りよくため内君うちぎみさまをひとれずころせと言話ことばともおぼへませぬ假令たとへ嫉妬しつとねんふかはなの方さまにもせよ貴女あなたの為に主人しゆじん同前どうぜんそれを吾〓わらはころさせてお娘公むすめこ烏羽うばたまさまの一旦いつたんお身たつにもせよ不義ぶぎ富貴ふうきうかべるくもとか女子おなごらぬ漢書からふみにもおしへてありとかきくからひとらずこのやす不義ふぎ荷擔かたんいたしませぬむかしを今にいたるまでしんとしてきみがいたつもの4 ありといヘどもそのいへひさしくたもつことなし和君わぎみさいありゆうありながら是等これら道理どうりさとり給はでみづか不義ふぎ墮入おちいらるゝことさりとてなげかはしおもふに千慮せんりよ一失いつしつねがこゝろあらためられおぼとゞまり給ひな自他じたさいはこのうゑはべらじ吾〓わらは所存しよぞんたゞこれのみなほ思按しあんをなされてよとはゞかるいろなくこたふるにぞ愛嬉あいききゝつゝ喜欣よろこばす心中しんちう忿いかりふくむゆゑ生応なまいらへしてたりしが流石さすが奸智かんち白徒しれものゆゑ忽地たちまち完尓につこ打咲うちゑみあゝいはれたりおやすどの吾〓わらはもとより逆意ぎやくゐなけれどいま如此々々しか/\まうしおんこゝろひきるため」

【挿絵第三図】

 挿絵第三図 艶曲ゑんきよくつくして愛嬉あいきやすをもてなす 」5

かならずになかけられそとはれておやすうち含咲ほゝえみはやもいたくふけたるにいざいとまをとひつゝもたつ愛嬉あいきとめもせず最初はじめかはりし〓待もてなしをおやす可笑おかしおもヘどもさらにまたいろにもいださずやがわかれてなが廊下ろうか かの腰元こしもといざなはれてもと一間ひとまにいたりしときはるなれふけやすくてやゝ丑満うしみつにぞなりにける當下そのときやすつく%\とおもひまはせこのほどより懇切ねんごろらしき〓待もてなしいぶかしとのみおもしにあんたがはぬ今宵こよひ様子やうすはれかくまで逆心ぎやくしんのありとらでくらせしにいとおそろしき愛嬉あいき伎倆たくみわれとらはれとなりしより」6 ため一命いちめいをなまなかのがらんとせのちまでの物笑ものわらひとおもひしゆゑに覚期かくごしてくびうたるゝけふあすまつよりほかなかりしに今宵こよひ様子やうするからこのばかりかたて這所こゝいのちおとせしとてたれかまたこのことちなみむすびし〓妹けうだい〈おむめ|をいふ〉にらせてくれるものもなくたゞ犬死いぬじににならんにして甲斐かひなきわがのうゑ。と愛嬉あいき白徒しれものなりなか/\こののがれんとてやすのがことなしこ奈何いかにしてよからんとひと思按しあんにくれたけなほ次第しだいふくるにぞ何時いつのほどにかあめはれ廾日はつかばかりの」 月代つきしろさへ雲間くもま をもれて椽側えんがは障子しやうじすきよりさしれつには千草ちぐさ なきるゝかわづこゑものくてこゝろがらなるりよはくかなしみはらはたたつばかりなりかくてもおやす左右かにかくおもひかねつゝやゝ須臾しばし火桶ひおけそばよせたるまゝかうべたれたりしがさてやむべきにあらざれやが臥房ふしどらんとてきぬぬぎかへんとするほどにふところよりしてなにやらんしたバツタリおちるにぞなになるらんとこゝろあやしみひろりてよくるに一通いつつう艶書えんしよなりおやすいよ/\いぶ〔か〕しく何者なにものこのやうなる烏呼おこなる所為わざをせしならんと私語つぶやきながらも」7 すておかれずまづ上書うはがき読下よみくだすに

  お安君 まいる   亀太郎 より

とぞしたゝめたりおやすいよ/\合点がてんゆかず亀太郎かめたらう最前さいぜんまひ若衆わかしゆなりしがかれとしまだ二八にはちらぬ少年しやうねんであるものをかくいやらしき所為わざせまじこれもまたかの愛嬉あいき吾〓わらははからん伎倆わるだくみさるにてもすこしの油断ゆだんせぬわがふところ奈何いかにしてかこの艶書えんしよひそかにいれおきしならん」 いままでらでありしことわれながらいとおぞかりきなにもあれ女子をなごかゝ艶書ゑんしよにふれんあるまじきことながらこのまゝにしてうちすて奈何いかなる奸計たくみのあらんもれず假令たとへ艶書えんしよよめとてわがこゝろさへきよくあらたれまた不義ふぎといはんうじや/\とひと点頭うなづきふうおしきつひらるに

ひそかにしめし参候吾〓わらはこと今宵こよひうちちゝあたなる真間まゝ愛嬉あいきうちはたし申べくとかね覚期かくごいたしり候へ夲望ほんもうとげしうゑほかに」8 のぞみもあるゆゑすぐさまこの立退たちのき申候ついおんまへさまのおんことこのほどよりかげながらうけたまはり御いたわしくぞんじところさいはひのことゆゑ同道どう/\いたし申べくとわざ艶書えんしよのやうにしたゝさしあげどももと吾〓わらはこと男姿をとこすがたをやつしてもじつ手古奈てこなの三郎さふらうむすめにて候へおん氣遣きづか無用むやう候くわしきことのちほどおんにかゝり申上ベく候りながらやせうでにてかゝ大望たいもうをなすことゆゑもしうんつたな返討かへりうちにもなり候夫迄それまでこと思召おぼしめし被下くださるへく候めでたくかしく」
かめ女 

お安さま かしく

  挿図挿図挿図

操返くりかへしまたよみかへしておやすおどろかつあきさてまひわかしゆおもひしまこと手古奈てこなむすめなりしか吾〓わらは手古奈てこなえんあるよしなきとゝさんの遺言ゆいけんにてかねきいてありながらいまその處女むすめ讎討あだうちりつゝ余所よそなすべきそれのみならで吾〓わらはいとおしみてやこのやうなるふみさへおくりて夲望ほんもうとげたるのち侶倶もろともこのはしらんとまでひそかに知らせし赤心まごゝろを」9 知りていか阿容々々おめ/\一間ひとまうちらるべき假令たとへごとしまありともおく一院ひとましのびゆき余所よそながら助太刀すけだちして手安たやす夲意ほんゐ とげさせん嗚呼あゝしかなりと点頭うなづくをりしもにはかにおくさはがしく夥夛あまた女子をなごこゑおぼしくあなたへがたやくるしやといとかしましくきこゆるにぞさてこそ於亀おかめ讎討あだうちの今や最中もなかおぼへたりときおくれてせんなしとひつゝやががまへなしおくをさしてぞはしりゆく

   第丗二回 〈稻村いなむらさき隱室ゐんしつ智女ちゞよ讎をつ|真間まゝさと旧譚むかしものがたりに三郎あんす」〉

自前話先それよりさき真間まゝ愛嬉あいきやす機密きみつたのみしところおもひのほかじやうこわくなか/\受引うけひく様子やうすもなけれ心中しんちうふかいきどふれどもなきていにもてなしつおやす一間ひとまもどせしがなにとなくこゝろよからず折角せつかくひしさけさへもなかばさめ心地こゝちゆゑいざさら一献いつこん太郎たらうしやくらせこゝろよのまんものとまたもや酒席しゆせきをもふけつゝいり腰元こしもと亀太郎かめたらうのみを片辺かたへきさしつさゝれつさかづきかづかさな愛嬉あいきさらなり腰元こしもとまでも最前さいぜんよひさへ何時いつ引出ひきいだせしかみな十二分じうにぶん機嫌きげんとなり主従しゆう%\れいみだずまひも」10 またくつるゝまでにえひつくさずとことなけれあるひせきたへずしてさがりてつぎたふるゝあれそれさへならで俯伏うつぶしになりたるまゝにかうべをあげずねむりて前後ぜんごらぬもありそのとき愛嬉あいき亀太郎かめたらうひざ片肱かたひじもたらしつゝゑめるがごとく白眼にらむごといやらしげなる目尻まなじりにて卒度そとやりつゝ言話ことばひそ吾〓わらはかゝ振舞ふるまひ和主そなたさぞこゝろにて四十よそぢこえもちながらとしにもはぢこのやうになまめかしきを可笑おかしくも腹立はらたゝしくもおもはんがこひ思按しあんほかとやらとしとれども心處女をとめはれてばかりににくしとのみおもふまじまけ今宵こよひ添寐そひねして吾〓わらはこゝろなぐさめよとひつゝほそりて引寄ひきよせられつ亀太郎あきれていらへもせざりしが四辺あたり腰元こしもとみなふし正体しやうたいなくいびきこゑのみおとせねなにおもひけん亀太郎かめたらう完尓につこえみしがそのまゝ愛嬉あいき黒髪くろかみ手にからまきつゝ膝下しつか引付ひきつ 忽地たちまち声をふりたて婬婦いんふ愛嬉思ひ昔年いつぞや下婦そち奸計たくみにてはかなくいのちおとし給ひし手古奈てこな三郎さふらう妾孕わきばら處女むすめ武藏むさしにありて成長ひとゝなり亀女かめちよ吾〓わらはなるそこれまで苦中くちう しの姿すがたをやつしを」11 かへねらひにねらひしとゝさまのうらみのやいばはやうけよとふよりはやふところかくもつたる利刀わきざし抜手ぬくてせず肩先かたさきより下深したふか刺通さしとふされ打駭うちおどろもあらこそされども流石さすが白徒しれものゆゑ痛痍いたでくつせず刎起はねおき片辺かたへにありし懐釼くわいけんぬかんとつゝをかくるをぬかしもやらず〓付きりつくるおかめするど刄尖きつさき愛嬉あいき細首ほそくび撃落うちおとされからだまへにぞたふれけるこの物音ものおとおどろさめけん四下あたりふしたるこしもとどもす曲者くせものといふもあらずあるひ薙刀なぎなたまた懐釼くわいけん得物々々えもの/\引提ひつさげうつかゝるをことともせず這婢きやつ愛嬉あいきび」

【挿絵第四図】

  挿絵第四図かめあた咸殺みなごろしにす」12

へつらあくたすく白徒しれものおもすこし用舎やうしやせず左手ゆんで愛嬉あいきくび引携ひつさげ右手めて小太刀こだち打振々々うちふり/\きそふてかゝ従女こしもとみぎひだり受流うけながしまたきりむす奮撃ふんげき突戦とつせん暫時しばしほどたゝかふものから這方こなた神術しんじゆつ至妙しめう乙女をとめさしもあま従女こしもとなれどもいかでてきすることべき隻手かたて薙切なぐりきりたてられあるひ肩先かたさき腰車こしぐるまらるゝまゝさけびもあへず其所そこいのちおとすものわつかのうちにさんにんその痍疵てきづはぬなくはやかなはじとやおもひけんやいばすてにげまよふをおかめなほのがさじとたてきりたてゆくほどにやゝなが廊下らうかにいたりしとき13 またもやむかふにたちふさがるおんな姿すがたるよりも薄暗うすぐらけれしかとれねどこれもたしかに腰元こしもとおもかめちつともさわがずもつたるやいば振揚ふりあげたゞ一撃ひとうちきりつくるををひらいてうけはづしまたうつ太刀たち振拂ふりはら退くはづみに片辺かたへなる廊下らうか雨戸あまどはづすにぞにはよりさし月影つきかげ二女ふたりおもはずかほ見合みあはせ√於安おやす さんでござりませぬか√ういふおまへ最前さいぜんの√サア太郎たらうかりにて√まこと手古奈てこなのお娘御むすめごかめさんと最前さいぜん艶書ゑんしよではじめてつたゆゑわたしゑん」 ある手古奈てこなのおいへその讎討あだうちきゝながらいかで余所よそなすべきふか仔細しさいらずとも助太刀すけだちなしてうしろやすくおまへ夲意ほんゐとげさせんとおもすこし猶豫ゆうよせずおくさしてみちにて痍疵てきずひし腰元こしもとどもにげつゝるをたふしまた蹴返けかへうちすへながら這所こゝまではしをりからまたもやむかふに駈來かけくおんな暗夜くらがりなれまへともらねこれ腰元こしもとおもひのほかするど太刀たちすじあしらひかねをりをりはづす雨戸あまどにさしこみつきこそ二個ふたりつきせぬえんあやうことでござりましたと言はれておかめうち含咲ほゝゑわたしも」14 たしか敵方てきがたおもたがへしいま振舞ふるまひたがひに怪我のなかりしもまことてらつきたまものアヽさるにてもおやすさんおまへ助力たすけかふむらず撃洩うちもらしたる腰元こしもとはやくも庖厨くりやにげゆきこれのよしをおとこどもに報知つげふたゝ押寄おしよせ不思義ふしぎわざわひあるべきにそれなきゆゑに安々やす/\かたきくび斬畄しとめたり是られよとひつゝもさげたるくびをさしいだすをつきひかりに左視とみ右視かうみつゝおやす完尓につこ打咲うちえみさて見事みごとになされたりさるにてもなにゆゑに愛嬉あいき爺公てゝごかたきとして今宵こよひ夲意ほんゐとげられしとはれておかめ歎息たんそくふもおもなきことな」 がらわたしじつはゝさん手古てこ奈のいへ側女そばめなりしが三郎さふらうとのゝたねやど出産うみおとされたすなはわたししかるに産後さんごなやみつよくちゝさへいで是非ぜひなくもちゝあるものたづねもとめわたしさとにやられしに其後そのゝちつゐはゝさん亡人なきひととなられしとぞかくてそのとしことなりしがかぜいとさむゆきそら尾羽をはうちからせしたびおんな十才とふばかりなる少女むすめとも〔な〕手古奈てこなかどたゝずみ一夜ひとよやどりをひしかもとよりわたし爺公てゝごなる三郎さふらうとのさがとして情深なさけふかひとなれ不便ふびんとやおぼしけんくだん親子おやこ母屋おもや二個ふたり様子やうす熟々つら/\るにはゝ三十才みそちに」15 まだらず容貌かほかたちさへいやしからぬにもまたいとゞあいらしくことゆるにぞまづその来由らいゆひたまひしにたびをんなはづかし吾〓わらは京家きやうけつかへたるなにがしつまなるがうんつたなくもおつと亡失さきだて便たよりなきとなれみやこ住居すまゐもなりがたちと知己しるべ心當こゝろあてこの東路あづまぢくだりしにそのひとさへもいましもたのもなき〓待もてなし其所そこにもあしとめがたくやどかげもあらいそ真間まま入江いりえにさまよひ詮術せんすべもなきおやのうゑあはれとおぼし給はれとなみだながしてものがたるにぞいとゞ不便ふびんおもはれてそれより数日すじつとめおかれしに流石さすがみやこそだちとて糸竹いとたけみちつたなからずとなくとなくきやうずるほどによく父君ちゝぎみこゝろかな何時いつなしに側女そばめとなりつかく五稔いつとせあまりをすぎしにかの連子つれこさへとしたけてはや十五じうごさいになりしときおもらずも管領家くわんれいけあふぎやつ|をいふ〉よりくだん少女むすめ召出めしいだされしに定正さだまさぬしのこゝろかなこれもまた管領家くわんれいけつゐ側女そばめとなるほどにかの母親はゝおやそれよりしておごりのこゝろしやうずるものからちゝぎみなほ正妻ほんさいありそのうゑはじめのおんあれてもかくてもこのまゝにてわがたつことならじ奈何いかにやせんと思按しあんのうちにひとッの奸計かんけい新作意おもひつき或日あるひむすめ對面たいめんと」16 こしらへ遥々はる%\鎌倉かまくらおもむきつまづそのむすめ相談そうだんせしうゑおりうかゞ定正さだまさぬしに手古奈てこな三郎さふらう逆意ぎやくいありはや討手うつてさしむけられず奈何いかなることをなさんもれすと種々さま%\ざんせしかおぞくも女子おなごあざむかれ定正さだまさぬし忿いかりにたえずや忽地たちまち夥夛あまた軍兵ぐんびやう下総しもふさつかはされ手古奈てこなやしき推捕おつとりこめ有無うむはさずせめたりしか父君ちゝぎみ不意ふいたれいひとかんにもすべなくて是非ぜひなくふせたゝかふものからてきあま大勢おほぜいなり自方みかたちと准備やういもなけれ散々さん%\〓立きりたてられたの甲斐がひなき若黨わかとう下奴しもべ うたるゝもありにぐるも」ありて瞬間またゝくひま家内やうち男女なんによみな餘波のこりなくうたれしかいましもこれまでとやしき四方しほうはなたかどの駈登かけのぼつゐにおはられしとぞかくのちかの側女そばめあふぎやつへいよ/\とりやが手古奈てこな荘園しやうえんのこりなくこひうけその鎌倉かまくら落付おちつきわざ黒髪くろかみ切落きりおと法名ほうめうばかり愛嬉あいきよば上表うはべ殊勝しゆしやうせかけて定正さだまさぬしに媚〓こびへつらうちいんしゆこととして日夜にちやおごりちやうぜしとなりさてまた吾〓わらはそのはじめ里子さとこられしさきといふ武藏むさし石濱いしばまなる町人ちやうにんにていと頼母たのもしきものなれ吾〓わらはじつむすめおもあづかりしより」17 としれども種々さま%\ひこしらへてさらにまた手古奈てこなもどさずかく吾〓わらは五才いつゝとし父君ちゝきみ自殺じさつし給ひしかいよ/\吾〓わらはあはれみてそのとしよりまひをならはせ糸竹いとたけ所爲わざおしへられいつくしなほふかけれども吾〓わらはかくちゝわう稚心おさなごゝろ口惜くやしくていかでかたきうたんものとまひ手振てふりことよせ太刀たちすべをもこゝろみつときのいたるをまつほどに僥倖さちなきときとて里親さとおや夫婦ふうふ引続ひきつゞきてりしかたのかたなきひとつをみづかこゝろはげましつゝこの相模さがみしのまひわかしゆとまでをやつし今宵こよひ夲意ほんいとげしかどなほうらめしき定正さだまさぬしまた二ッに愛嬉あいきむすめかの鳥羽玉うばたまあた片割かたわれされ一旦ひとまづこのたち時節じせつまつかの二名ふたりうたでやおくべきかさるにてもいぶかしき最前さいぜん言話ことば手古奈てこないへえんありと如何いかなるわけぞとひかけられいらへんとしてまたさらにおやすなみだくちごもり須臾しばし 言話ことばいでざりけり畢竟ひつきやうやすこたへによりてまた甚麼いかなる竒談きだんがあるつぎまき解分ときわくるをきゝねかし

貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんしだい四輯ししゆう巻之二18

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      楊 太 真 遺 傳やうきひのつたへしくすり  精製くはしくせいしきり箱入はこいり 

     處女香むすめかう    〈一廻|百二十文〉 

そも/\この御薬おんくすり夲朝につほん無類むるい妙方めうはうにて男女なんによかぎらずかほつやをうるはしくしてうまかはりても出来できがたきほどいろしろくし肌目きめこまかになるこうのうあり しかしながらこのたぐひくすり世間せけんおほ白粉おしろい 洗粉あらひこ 化粧水けしやうみづ そのほかあぶらくすりなどをせいしてみなこと%\くかほくすりになるおもむきを功能こうのうがきにしるしてあれどもその書付かきつけ半分はんぶん功能こうのうなし依之これによつてこの御披露ごひろうらうじてもひさしいものゝひろめ口上こうじやうなど看消みけなし給ふべきことならんがこれなか/\左様さやう麁末そまつなるくすりにてこれなくたゞ一度ひとたびもちひ給ふてもたちまちに功能こうのうあらはれる妙薬めうやくなり一廻ひとまはもちひ給ひておんかほの」いろ自然しぜんさくらのごとくなり二廻ふたまはもちひ給はゞ如何様いかやう荒症あれしよう肌目きめ羽二重はぶたへきぬのごとき手障てざはとなるのみならずにきびそばかす腫物はれものあとしみのたぐひすこしもあとなくなほりてうるはしくなる事請合うけあいあさおきかほあらひこの玉粧香ぎよくしやうかうをすりこみたまはゞちつと白粉おしろいつけたるやうなる気色けしきもなくたゞ自然おのつから素皃すがほしろくうるはしきやうになれ娘御むすめごかたいふに不及およはず年重としかさね御方おんかたもちひ給ひてもたゝずしてうつくしくなる製法せいほふゆゑおんうたかひなく御もちあそばされまこと美人びじんとなり給ふべし

為永春水精剤 
かみつやいだし|髪 垢ふけをさる〉 妙薬めうやく  はつみどり   〈このくすりかみあらはずに|あらひしよりもうつくしくなる|こうのう有  代三十六文〉

書物繪入讀夲所

 江戸數寄屋橋御門外弥左エ門町東側中程         
文永堂 大嶋屋傳右衞門
賣弘所 」(丁付なし)

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貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんしだいしうまき之三

東都 爲永春水編次 

   第卅三回 〈月下げつかくわいしやす旧縁きうえんかたる|扁舟へんしうのつかめ荒波くはうはひかる〉

再説かくてまた悌婦ていふやすさきよりおかめすぎこしかた長譚ながものがたりうちきゝつゝあるひおどろかつあきれて感涙かんるいそゞろにすゝむをおぼへずなげきのうちわがうゑをひかけられていらへさへやゝくちごもりてたりしが須斯しばらくあつてかうべをもたげおどろいつたるおまへのうゑかうといひまた才智さいちといひおよばぬいまのお的話はなしそれひきかへはづかしいわたしじつはゝといふおまへ爺公てゝご三郎さふらうさまの妾孕はらがはりいもとにてはなよばれしが過世すぐせあくほうありしにや手古奈てこないへおきがたくつい悪漢わるものおちて十五のはるから松戸まつどさとなる千葉ちばもとといふ娼家しやうかられ花衣はなぎぬへていやしき遊女ゆうぢよとなられしにそのころわたしとゝさま松戸まつどさとよりほどとふからぬ市川いちかはさと商人しやうにんながらも里人さとびと劔術けんじゆつ柔術やわら師範しはんなし佩刀たいとうをさへ免許ゆるされし森下もりした葉守はもり一子ひとりこにて春造しゆんぞうよばれしがふと千葉ちばもとなる那花衣はなぎぬたがひにおもひおもはれてかよつきの」1 かさなるまゝ何時いつしか懐姙たゝならぬとなりて出産うみおとされたすなはわたしこれふか仔細しさいもあれどおまへ手古奈てこなのお娘公むすめごゆへさだめて様子やうす存知ぞんじならんときくよりおかめうちおどろきさてうはさきゝおよびし花衣はなぎぬさまのおといふそんならおまへざりましたか花衣はなぎぬさま愁〓いとしくにわ古井ふるゐしづめとひつゝ小膝こひざすゝむれやすなみだをおしぬぐはゝんでもなずわたし爺御てゝごいだかれて市川いちかはさとゆかれしにかなしきときとてとゝさんのひとりのおやなるもりさまにわか病氣びやうきり給ひあとわたしとゝさんばかりことさら」 わたし當才とうざいゆゑちゝがなくて一日いちにち養育やしなはれね右辺左辺あちこちとなくとなくもらして一稔ひとゝせばかりすごされしかどあれこれやの物入ものいりにてたくはへさへもうすくなり市川いちかはにもすみかねてちと由縁ゆかり心當こゝろあてわたしだい鎌倉かまくらへいたりしそのつぐとし此所こゝにてわづか元手もとで借受かりうけ旅篭はたご商賣しやうばいをはじめしにもとよりわたしとゝさん市人ちやうにんありながらおや氣質きしつ受嗣うけついでか釼術けんじゆつ柔術やわら相撲すまひさへこのむがまゝ自得じとくしてよはきたすつよきをくじおのづひとにもたてられしがさるにてもおとこにておさなもの養育やしなはれじさいはちゝあるやもめあれ後妻のちぞひもらはれよと」2 屡々しば/\すゝむるものあれどもなきはゝさま〈花衣はなぎぬ|をいふ〉に義理ぎりたてはじめのほど受引うけひかざりしがわたし可愛かわゆおもはれてか乳汁ちゝあるとふに心引こゝろひかれつい媒人なかうど言話ことばにまかせくだんやもめめとり給ひ後妻のちぞひなされにきかくつきるまゝにまゝしきなかとてへだてなくわたしじつのごとく乳房ちぶさをふくめ養育やしなはいとたのもしくうれしさにうみはゝぞと心得こゝろえしたいとゞ便びんともまたあいらしとおもはれてかめでられてこそわけねそのおんうみにもかはらずおもひしにおやえんうすきにやわたし丁度てうど 五才いつゝとしとゝさんにしにわかなみだそでかはかぬにまたはゝさんをうしなふてつゐ孤女みなしごとなるほどはゝ由結ゆかりのあるをもて腰越こしごえむらひきられひとなさけ漸々やう/\成長せいちやうするにしたがつてなきとゝさんの遺言ゆいげんおもひまはせ手古奈てこないへにつながるえんありながら今更いまさらたづゆかんにもこれぞとおも證拠しやうこもなくましいやしきいま花衣はなぎぬ名乗なのらんいとはづかしとおもふゆゑあだつきすごせしかげんざい叔父おぢなる三郎さふらうさまのわうゆめにもるよしなけれあいあだなほらず仮初かりそめながらこのいへ十日とふかあまりをすごせしこと我身わがみ ながらもおぞましや今宵こよひまへ出合であは3 あだともらずやみ/\とかれ賊手ぞくしゆころされなんあやうことでござりましたとかめうちうなづかくあらんとつゆらねどさき母屋おもや でおまへうはさきくとひとしくしたはしくまたたのもしくおもふゆゑ可惜あたら賢女けんぢよ埋木うもれぎくちはたさんいたましくすべこそあれと艶書ゑんしよことともこのはしらんとおもひしまた画餅あだならで名乗なのつたがひに従弟いとこ これもひとへに親々おや/\ひきあはせ給ふものかまた過世すぐせ因縁ゐんえんまことしき今宵こよひ出會であひ すれまへ助太刀すけだち不思義ふしぎ叔父おぢあたうつこれさへおや導引みちびきかとおもうれしくかたじけな心強こゝろつよさも」 いやましぬとたがひに心打こゝろうちあけ意中ゐちうをつくす賢女けんぢよ賢女けんぢよ長譚ながものがたりにはるいとはかなくもあけやす有明ありあけつきかげうす東雲しのゝめちかくぞなりにける有右かゝる をりしも庖厨くりや かたにて癖者くせもの何処いづこうてからめのがすなとわかとう下奴しもべさはこゑいとかしましくきこゆるにぞ見付みつけられて面仆めんどう点頭うなづきあいつゝ廣場ひろにはたつさき塗塀ぬりべいにおかめかねてこしらへおきけんふところよりしてなわ楷子はしご取出とりいだしつゝうちかけてはや駈揚かけあがはや所為わざにおやすまけじとのぼ外面そともへひらりととびへつゝあしまかせてはしるにぞ由井ゆゐはまほどちか波打なみうちぎはまで」4 をりしも後方あとべきつかへくだん若黨わかとう下奴しもべ各手てに%\得物えもの引提ひつさげ々々/\しゆうかたきのがさじとこゑをかぎりによびかけつゝやがぢかくなるほどにおやす阿容おめたる氣色けしきなく那奴きやつ かたき片割かたわれなるぞいでものせんとたちもどそでをおかめ引止ひきとめてそのお言話ことば無理むりならねど相手あいてらぬ下奴しもべうつとものみこうならじ无益むやく殺生せつしやうせんよりはしるにしくあるまじとはれておやす忽地たちまちさと礒辺いそべづたひに幾町いくまちはし片辺かたへにつなぎすて一艘いつそう扁舟こぶねありおかめはやくも視畄みとめしかこれさいはひともなくおとらせて

【挿絵第五図】

広告 月前げつぜん両女りやうぢよ来方こしかたものがたりす 」5

るはづみにともづなふつとつていまなみさそはれつゝ四五しごたんばかりおきかた瞬間またゝくひまおしながされこ便びんなしとおもふにぞおかめ手足てあしはたらかせてふね岸辺きしべせんとすれどもいまひきさかる荒波あらなみいかでかいおよぶべきしほのまに/\おしながされつゐへずなりにけりおやすふねおくれあな口惜くちおしをもがけどしほひかれてゆくふねまたかへるべきよしもなきにうしてきせまられ須臾しばし這所こゝならねなほ礒辺いそべ はしりつゝ稻瀬いなせがはまできた〔た〕りしにこのほど大汐おほしほにやつねにかゝりしはしさへも押流おしながされてあらざれ6 流石さすがのおやすこまはて奈何いかにやせんとためらふほどうしろにちか追隊おつて人数にんずだみたるこゑをふりたてさき一個ひとり逸速いちはやくも扁舟こぶねつてにげたれ今更いまさら是非ぜひもなしなんぢ這所こゝまでおひつめたるにおちたるはしかゝらぬうちいかでのがるゝことすれ最早もはやかごとりとくいましめうけずやとよばはるこゑ侶倶もろともさげたるほううちふり々々/\さきすゝみし二個ふたり下奴しもべおんなおもあなどりてたゞ一敲ひとうちびかゝるをおやすしづかにかへりてみぎひだりうけはづひる二個ふたり弱腰よはごし双方そうほうひとしくちやう至妙しめうじゆつ須臾しばしたへあつさけびてたふるゝにぞこ手強〔こ〕」しとひつゝもなほこりずまに組付くみつく下僕しもべをあるひ投退なげの うちたふすき見合みあはおどらせて三間さんげんばかりの稻瀬いなせ がはなんもなくこえたるおやすしき早技はやわざかの下奴しもべ仰天ぎやうてんしあれよあれよとふばかりつゞいて飛越とびこすべもなけれきつねはなれし唖方あほうのごとく茫然ぼうぜんとしてたりけりやすすでにかのかはなんなくゆるとそのまゝにあとをもずしてはしりしが忽地たちまちこゝろおもふやうさき火急くわきうおりなるゆゑ行先ゆくさきをさへさだめすにかのいそまではしりしにおかめ扁舟こぶねるとひとしくなみひかれて行衞ゆくゑれね何所いづこうらへかこきせけん」7 今更いまさらたつぬるよすがもなくこゝろがゝりこれのみならす日外いつぞや洲崎すさきたゝかひにこのおぞくもとりことなりしがさん賢女けんぢよ〈おうめ あをやぎ八代やつしろをいふ〉奈何いかゞなりけんまたかのみちむめむすびしかそむきしかそれさへ知らぬこの不覚ふかくなにもあれ金澤かなざはなる瀬戸せとむらゆき様子やうすの知れぬことあるましまづかの安危あんきさだめてのちにおかめたづぬるともおそあらじとこゝろさだそれよりみちひきちがへて金澤かなざはかたへとはしるものから流石さすがはゞかりのなきにあらね本道ほんどうをいたらんに追隊おつてなんはかられずとわざ山路やまぢわけりてそのもやがて」 るゝころかの瀬戸せとむらにぞいたりける案下そのときやすおもふやうさき老女ろうぢよがおしへにてこの瀬戸せとむらかくむお理喜りきとも〓〓けうだい草屋くさのやたづねんと約束やくそくしたることなれうめ三賢女さんけんぢよもかならず那所かしこにいたりしならんいま日数ひかずしにあふぎやつはゞかりあれはやこのらざるかそれさへはからざるに白地あからさまたづねがたし奈何いかにやせんとおもひながらゆくなしに瀬戸せとむらなる明神みやうじん這方こなたたりしに葭簀よしず をもてかこひたる一軒いつけんてんありてうち六十才むそぢやゝへし白髪はくはつおきなひとりりおやす8 これさいはひとすゝいり〔ゝ〕片辺かたへなる牀几しやうぎこしうちかけてちやをひとつとひけれくだんおきなやす形容かたち左視とみ右視かうみつゝおこやが山茶やまぢや茶碗ちやわんしきにせてさしいだすをおやすつてわき吾〓わらはたびのものなるが金沢かなざわ瀬戸せとまでまだなにほどの里數みちのりかあるねがくわしくおしへ給へとはれておきなうちわら瀬戸せとすなは這所こゝなるがさておんこのあたり不案内ふあんないにておはするなまゐらすれとしさへまだうらわか女中ちよちう黄昏たそがれちかきにたゞ一個ひとり這所こゝにてみちはるゝつれのおひとおくれしかなくみちまよはれしかとかへしたることいと老実まめやかにぞきこへける

   第卅四回 〈六浦郷むつらのさと安女やすぢよわうものがたりく|洲崎すさきむら老僕ろうぼく過来こしかたそゞろぐ〉

やすおきな言話ことばにつきこれさいわひと思ふにぞなほ言話ことば技倆たくみにしていな道連みちづれあらぬなり吾〓わらは年頃としごろ鎌倉かまくらなる何某なにがしさまのおやかた水仕みづし奉公ほうこうせしものなるがとしごと三月やよひ走百病やぶいりのおいとまを三日四日づゝたまはるゆゑ吾〓わらは昨日きのふ宿やどさが今日けふ左辺あち右辺こち知己しるべかたをまはるついでこのさとなるお理喜りきともといふ〓〓けうだい鎌倉かまくらのおやかたにて朋輩ほうばいなりしえんもあれひさし」9 ぶりにて對面たいめんすぎこしかた的話はなしもせんとおもふがゆゑに遥々はる%\このあたりまでたりしかどもとよりらぬ路次みちなれ思ひのほかにひまどりておぞ一日ひとひ千歳ちとせともおもふてたのしむ走百病やぶいり今日けふあだらしたりおんこののおひとならさだめてくたん〓〓けうだいすみかをも知りてならんいづれのいゑぞおしへ給へとはれておきなまゆうちひそさておんこのほどさはぎを知り給はぬかいまより旬日とふかほどあと管領くわんれいさまの行列ぎやうれつ乱妨らんぼうなせし乙女をとめありその本人ほんにんみちとやら荷膽かたんものおほからぬに女子をなご似氣にげなき武藝ぶげい早技はやわざともしゆさへ」 あしらひかね一且ひとまづ鎌倉かまくらひきられしかそのあとにてかの乙女をとめかね由縁ゆかりのありしにやおんたづぬる〓〓けうだい躱家かくれがしのひしをはやくも鎌倉へもれきこへけんそのあかつき討隊うつてむけられまた大軍おほいくさになるほどに多勢たせい 无勢ぶせい のみならずよひからのたゝかひに腕もこぶしつかれしにやあるたゝかあるひはしりて廾町はたまちばかりもゆくほどに討隊うつていよ/\せまりてすであやふきそのをりしもかの乙女をとめ往方ゆくかたよりにわか〔か〕黒雲くろくもたちのぼりやゝあけそめし東雲しのゝめそらふたゝ野干玉ぬばたま黒白あやめわか烏夜やみとなり村雨むらさめさつとふりるにぞてき自方みかたおどろあきれ」10 たゝかはんにもとらへんにも如法によほう暗夜あんや ひとしけれまた奈何いかんとも詮術せんすべなくつゐたゝかはてしとなりそのつぎこのさきなる洲崎すさき むら松原まつばらかの乙女おとめくびなりとて二ッの首級しゆきうかけられつゝ一ッのくびぞく道女みちぢよまた一ッにぞく梅女うめぢよかきたるふださげられたれどもつく%\とその様子やうするに女子をなごくびまぎれなけれど奈何いかなる仔細わけにやふたッながらかほかはひきむきあれ定規さだかそれとも視分みわけがたくもし偽首にせくびあるまじきかとうたがものおほかりしさるさはがしきなかなるにおんそれともらずしてかの〓妹けうだいえんありなぞとのたまふ」 ことひと同類どうるいなんどゝうたがはれ連係まきぞひせられんもはかりがたしよしなくともこのあた乙女をとめ鑿義せんぎきびしきにおん年頃としごろよくたれいづれのいへゆかるゝとも宿やどもの一個ひとりもあらじとひかけてそらうちながめアヽ長的話ながばなしくれ我等われらみせ仕舞しまはんにおんすこしあかるきうち何処いづこへなりとゆきたまへかならず此辺こゝら長居ながゐして无失むしつ濡衣ぬれきぬ給ふないざ頓々とく/\うながしつゝやが其所そこ片寄かたよすげにひなびとのむくつけき言話ことばのうちに赤心まごころあるかの木訥ぼくとつにしてじんちかきもかゝひとをやふならん閑話休題あだしごとハさておきつやすおきなものがたりを」11 ごとむねつぶれあるひおどろかつかなしめどもさりとていろにもあらはさず牀几しやうぎをはなれておこ老叟おぢごよく報告つげられたり這処こゝでおんはなしをきかかの〓妹けうだいすむかた左辺あち右辺こちたづはてひとにもうたがはれてわざはひともなるべきにこれみなおきなたまものなりはやくれおよびしにこゝろなくも長居ながゐしてさぞやいぶせくおもはれつらんいで甲夜よひ宿やどかたまですこしはやいそがんとひつゝ茶代ちやだい牀几しやうぎきやがてでんたちいでしが肚裏はらのうちおもふやうさるにてもこのほどにあじきなきものなしさき愛嬉あいき とりことなりすでいのちあやふかりしを」 不思義ふしぎにおかめすくひによつてのがるゝのみか過来こしかたかたたがひに従弟いとこうれしとおもふもわづかにてかれ礒辺いそべ 扁舟こぶね るよりなみひか〔か〕れて行衞ゆくゑれずいままた這所こゝたづ様子やうすきけ這所こゝもまた再度さいど討隊うつて せまられおうめみちうたれしとかたゞうたがはしきそのくびおもてかはむきすてかけたるこそ合点がてんゆかねもしかのおきなへるごとく偽首にせくびをもてまことひなしとりにがしたるあやまちをぬりかくさんとはかりしものしかあらんにうれしけれどせんに一ッもまことならいきるもぬるも侶倶もろともにとちかひしひと亡失さきだて今更いまさら奈何いかにせんても」12 かくても這所こゝひとものおもはんよりいづれのくにをもたづめぐ青柳あをやぎ八代やつしろ二個ふたりあふこと実否じつぴふにあらずいかでまことるよしあらんまづそれよりもさしあた洲崎すさきむらなるまつかげいま日数ひかずしゆゑに假令たとへかけたるくびなくともそのあとなほ那所かしこにあらんゆきばやとおもふにぞあしはやめてゆくほど案内あんないつたるみちなれ甲夜よひやみながらもまよことなく瀬戸せと二橋にきやう打越うちこへいそぐがまゝいとはや洲崎すさきむらなるなわいでけりそのときやす四下あたり右辺こゝ左辺かしこまはしたる往方ゆくてみちかたはらはたして一木ひとき老松おいまつあり這所こゝ

【挿絵第六図】

挿絵第六図やす瀬戸せとむら茶店さてんいこふ 」13

なるべしとおもふにぞ亡人なきひとしのばれて須臾しばし木蔭こかげ たゝずみつゝこゑこそたてこゝろにて弥陀佛みだぶつ々々/\となへておもはずなみだにくれけるがかくはてじとこゝろはげまかの松蔭まつかげ立出たちいでつゝ二三歩ふたあしみあしゆくおりしも忽地たちまちうしろにひとありて八代やつしろさまにおはさぬかとびかけられておやすおどろわれ八代やつしろ見違みたがへとめ何者なにものならんもし自方こなた由結ゆかりひとなにもあれとひこゝろみ名乗なのりてよく名乗なのらんとしづかにうしろをかへりていまよばれし何人なにびとぞとはれて彼方かなた松蔭まつかげよりあらはれいでそのひと五十才いそぢばかりの一個ひとり老僕おやぢ14 ほしひかりにやすかほをさしのぞきつゝうち含咲ほゝえ さて和君あなた八代やつしろさまかまだ一回ひとたび見參まみへ見知みしりなきも道理ことわりなり私事わたくしこと夛塚おほつかなる荘官しやうくわんもく兵衛べゑいへ老僕おとな鍬八くわはちともふすものなるがさき主家しゆうか騒動そうどうをりたけさまをともなひてうめ太郎たらうさまのおあとした相模さがみさして路次みちにておたけさまににわかの病氣びやうきつい仮初かりそめことならで去稔こそまた今稔ことしとなれとおこたり給ふ様子やうすもなく種々さま%\こゝろなやまをりからかね夛塚おほつかりたる神宮かには老奴おとな苦七くしちといふものふと途中とちうにてゆきあはせしにかれもとより技倆たくみありてや箇様かやう々々/\ひなせしに実事まことおもあやまりておぞくもかれあざむかれまた如此しか々々/\はかられてやまひつかれしじやうさまを葛籠つゞらうちたす苦七くしちはやくも脊屓せおふていづおくせじと小可やつがれちと荷物にもつたづさへてつゞいていづ掾先えんさき伎倆たくみわな鍵縄かぎなわのありともらでかけとめられおもはずどうたふれたるこの物音ものおときゝつけ追々おい/\かけ宿屋やどや小奴こもの盗人ぬすびとなりとよばはりつゝすでわれ〓縛いましめんと右左みぎひだりよりたちおりしも其家そのや主人あるじ出来いできたさわ小奴こもの退しりぞ我等われらちかすゝませておん」15 去稔こぞより逗畄とうりうしてかの病人びやうにんをいたはり給ふ赤心まごゝろをよくるゆゑに盤纏ろようつきりながらなほ左右かにかくこゝろつけちとぜににもなれかしと日雇ひようくちさへ丗話せわをしてまゐらせしこれためぞおん辛苦しんくたすけんためすれ客〓はたごかしありとて催促はたるべきわれならぬになにとて夜迯よにげ給ふぞこれなん仔細わけあること四下あたりひととふざけたるに心隈こゝろくまなく報知つげられよとはれていよ/\面目めんぼくなくかくまで実義じつきのあるひとなほつゝまつみふかしとおもひにけれちつともかくさずいぬる夛塚おほつかそうどうより今日けふしも苦七くしちあざむかれいま這回こゝおよびしまでの一伍一什いちぶしゝうを」 ものがたるにぞ主人あるじきいうちおどろすれ須臾しばし猶豫ゆよがたしとくその苦七くしちとめのちくゆともせんなからんへおん掾端えんばなにてしたゝかにこしうちしとなれはしこと不便ふべんならんさいはさきとふざけたる小厮こものなほ庖厨くりやにありかれ追隊おつてつかはしな假令たとへ時刻じこくおくれしとて二里にり三里さんりそのうちとめずといふ事あらじとひつゝ小厮こもの 近付ちかづ こと如此しか々々/\吩咐いひつくれたれ一議いちぎおよぶべきみな一同いちどういらへしてやが四方しほう手分てわけ しつ背門せどぐちよりぞはせさりける累々かさね/\主人あるじ好意なさけたゞ感涙かんるいのすゝむをおぼへずかくまつこと一時ひとゝきばかりやゝの」16 こくすぎころ最前さいぜんもの二三個ふたりみたりかへひたいあせぬぐひあへず主人あるじむかひてさてふやうさき我們われら このいでひがしみちへといそぎつゝ二里にりばかりもはしるほどに往方ゆくて谷間たにあひあけそみつゝたをれしひとありもしそれかとおもふにぞたちりてよく/\るにはたして甲夜よひのがさりたるかの苦七くしちとやらにまぎれなけれなほそのきずあらたるにそのさま猛獣もうしうかきさかれしかくひころされしごとくなれかの乙女おとめもやおはすると四下あたりくまなくたづねしかども少女おとめさらなり葛籠つゞらさへたへ其辺そこらへざれまづこのよしをつげもふさんとおもこゝろもいそがしくとぶがごとくに」 はせかへりぬとこのものがたりをうちくに苦七くしち横死わうし心地こゝちよけれどじやうさまのうゑ氣遣きづかはしくとてたづあはんにもちとがゝりあらざれまた奈何いかにとも詮術せんすべなく一旦ひとまづ鎌倉かまくらたちこへ梅太郎うめたらうさまに偶回めぐりあひ是等これらのよしをつげもふさまたよき思按しあんもあるべきとおもむね主人あるじかた一議いちぎおよばずうべなひてちとぜにさへいだ盤纏ろようにせよとておくりたる其赤心まこゝろ欣喜よろこびつゝやがかまくらおもむきつひそか様子やうすとひこゝろみしにかの舩櫓ふなやくらもよふしのことそのおりにしきはた梅太郎うめたらうさまがかへさんとてかの三重さんぢうやぐらにて八代やつしろさまとくみふたるまゝふね侶倶もろともくつがへつゐ行衞ゆくゑを」17 らざることまた梅太郎うめたらうさま男子おのこにあらでじつ乙女おとめでありしことまで這所こゝにはじめてきゝしかおどろきつまたかなしみつさま%\こゝろいためてもはや日数ひかずことなれいまさらに詮方せんかたなくそのあだくらせしがなほくわしき様子やうすきかんとつぐまた鎌倉かまくらなる繁花はんくわ場所ばしよかけまはりひとだちしげところゆきちまた風聞ふうぶんたちくに昨日きのふ金澤かなざは洲崎すさきむらにて管領くわんれいさまの行列ぎやうれつ乱妨らんぼうなせし乙女おとめありその本人ほんにんみちとやらそれ荷擔かたん乙女おとめうめ八代やつしろ青柳あをやぎやすまだこのほかにもありしとかそのうちおみちうめ二女ふたりそのにてうちとられ今朝けさ」 より洲崎すさき松蔭まつかげふたッのくびかけられしと取沙汰さたもつばらなりしか其所そこふたゞうちおどろすぐさま當所とうしよはたしてこれなる松蔭まつかげかけたるくびありながらうたがはしきふたッともかほかわむきすてあれさだかにそれともわからねどもさげたる木札きふだにあり/\と両女ふたり名前なまへのしるしあれまたうたがふべきことにもあらで遺恨ゐこんなみだやるかたなくひそかにそでぬらせしがはやうなりて是非ぜひもなしせめておくびぬすいづれのかたへもかくさんものとおもへどひる人目ひとめしげくまた守人もりてひまなけれ其日そのひ其夜そのよむなしくすごまたつぐ画餅あだくらして心頻こゝろしきりに焦燥いらだちしに」18 その甲夜よひよりあめふりいていと物凄ものさびしき縄手なはてみち往來ゆきゝらず守人まもりて今宵こよひさだめておこたりなんとおもひそかにしのひまうかゞふたッのくびなんなく竊取ぬすみとりつゝもこのまつうづめしをものたえてなかりけるあけくだん番卒ばんそつくびうせしにおどろきしかども白地あからさま鑿義せんぎ番人ばんにんども落度おちどとなれうせたることおしかくうつたへもせずひとにもつげ首桶くびおけのみをならおき何事なにごともなくすみしとなりさて小可やつがれそのつぎひとりつく%\おもふやう奈何〔い〕なれお梅さまみちとやらにたんして可惜あたらいのち歿おとされしか仔細しさいなにともるよしなけれどうちもらされし乙女おとめ青柳あをやぎ八代やつしろ|おやすをいふ〉も二女ふたくびこゝろせてかなら這所こゝ給ふべしすれ今日けふよりとなくとなくこの松蔭まつかげかくひとッにうめさまの菩提ぼだいをもとむらふべく二ッにかの乙女おとめたづ給ふときまつくわしき仔細しさいきかんものとおもひしことあだならで今宵こよひ和君あなた出合いであ ふことこれ亡魂なきたまみちびきほどうれしきことなしとひつゝまたもむせかへるおいなみだ殊勝しゆしやうなりける畢竟ひつきやう鍬八くわはちものかたはてておやすいらへ甚麼いかならんつぎまきときわくるをきゝねかし

貞操婦女八賢誌ていそうおんなはつけんしだい四輯ししう巻之三19

【下帙表紙】三冊同一意匠

挿絵第六図

【巻端附言】

附言

巻端附言くわんたんふげん

本傳ほんでんだいいつしふまき上下じやうげちつとしだいしふ三巻みまきをもていちちつとすだいさんしふいたりてはいつまきいちちつとなしまたまたしふつゞるにおよびてだいいつしふごとまきわけ上下じやうげちつとせりたゞ外題げだいのみいちちつをもていつへんとしるせいまだいしふちついたりて外題げだいすで六編ろくへんとなれり外題げだい本文なかみ編数へんすうかはりしたゞこのゆへなれ看官みるひとあやしみ給ふことなかれかつだいさんしふ序言じよげんだいしふ云々しか%\しるせしは作者さくしやおもたがへしなれもまたみゆるし給へとしかいふ

柳北軒主人再識 


【口絵第一図】

口絵第一図 美哉菖蒲杜若勇哉此同〓〓可憐一世薄命  おりき\おとも」八けん―四ヘン四 口ノ一ウ、口ノ二オ(ノド)

【巻頭・口絵第二図】

口絵第二図 武州久良岐郡六浦荘の遠景

浦ノ江、刀切村、野嶌、瀬戸橋、一本松、洲嵜、金沢村、筆捨枩、能見堂八けん―四ヘン四 口ノ二ウ(ノド)

貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんししうまき

東都 爲永春水編次 

   第卅五回〈粒銀こがねあたへ勇婦ゆうふ老僕ろうぼくはげます|みちおかし少年しやうねんそでたすく〉

案下そのとき阿安おやすはからずも鍬八くわはち長譚ながものがたりにたけ薄命はくめい苦七くしち 奸悪かんあくまたかのふたつの首級しゆきうをばぬすみて這所ここうづめしことまでうちきくごとむねつぶおどろきもしつなげきもしつまた鍬八くわはち赤心まごゝろいとたのもしくおもふにも心得こゝろえがたき何故なにゆへわれ八代やつしろ見違みたがへかゝ密事みつじ報告つげたりけんまづその所以ゆえさだめてのちに」 わがあかすともおそあらじとおもふにぞすこ小膝こひざすゝませてさて和主そなたうはさきゝ鍬八くわはちおぢでありしよなきけほどいたましきおたけさんののなりゆき二稔ふたとせしの御病氣ごびやうき和主そなた辛苦しんく奈何いかなりけん心尽こゝろづくしもその甲斐かひなくいま生死しやうしわかずとかきくだにむねつぶるゝもの和主わぬしこゝろ推量おしはかかなしくもまた口惜くちおしからんるにても和主わぬし赤心まごゝろたゞたけさんのうゑのみならず這所こゝ二ッふたつ 首級くびをさへぬすかくせし義心ぎしん忠心ちうしんまれなる志操こゝろざししやうするになほあまりありそれにつけても不思義ふしぎつい見參まみへこともなき吾〓わらは八代やつしろと」1 びかけし奈何いかなるゆゑぞととひかへ鍬八くわはち屡々しば/\うなづきてその疑念ぎねん さることながらさきにもすでにもふせしごとく小可やつがれこの松蔭まつかげ昼夜ちうやわかかくもし和君あなたがたのおいでもやとゆきひとをつけてまつがうちにもおもふやうかの三個さんにんじやうさまのうち青柳あをやぎさまかねてよりたがひにりしなかなれどもそのいまだおもて知らずなに證拠あかし名乗なのりあはんと種々さま%\こゝろくるしめしがこつなか/\思按しあんにあたはずなにもあれ乙女おとめその年比としごろ様子やうすとをこの木蔭こかげよりさだめてそゞろそのびてんとおもつきつきしなれどもしあやま大事だいじぞと今日けふまであまた乙女おとめとふりかゝるをかけしかど一度ひとたびとめざりしに最前さいぜん和君あなたのおいで様子やうすほしひかりにすかしるにとしごろ恰好かつこうといひあれどもまたたけからずあはれ勇々ゆゝしき賢女けんぢよしゆへもしそれかとこゝろうれしくなほ様子やうすうかゞふとも存知ぞんぢなくてや松蔭まつかげ徐々しづ/\あゆ這所こゝこそくびかけたるあとおぼめしたる面体おもゝちにて遺恨ゐこん外眥まなじりなみだをそゝぎ睨詰にらまへつめおはせしがやがこゝろ取直とりなほくちうちにてほとけ二声ふたこゑこゑとなへつゝたちり給ふその様子やうす青柳あをやぎさまにあらねども八代やつしろさまかおやすさまか二個ふたり一個ひとりちがはじとおもひ」2 さだめて馴々なれ/\しくも口からまゝ八代やつしろさまとかくびかけもふせしなりときいておやすうちほゝさてめうなる和主そなた頓智とんち吾〓わらは八代やつしろならずまことすなはやすぢよなれども誠忠せいちう義心ぎしんはかところあたらずといヘどもとほからずつい遠謀えんぼうむなしからで今宵こよひおもてあはせしことたがひのよろこびこのうゑなしとはれて鍬八くわはちうちおどろはぢたるかうべやゝもたけて〓々しば/\ひたいあせぬぐさて和君あなたやすさまにて八代やつしろさまでおはさぬよなたしかにおをもきゝさだめず心急こゝろいそぎのせらるゝまゝそゞろ秘事みつじあかせしことかへす/\もねんにて今更いまさらすべもなくおろかさをくゆるのみめんぼくもなきしあはせ賠話わぶるをおやすきゝあへずいな麁忽そこつたれども吾〓わらは一言いちごんことばかずたゞその様子やうすしのみにて八代やつしろさんか吾〓わらはかと視極みきはめこれ和主そなたなりあやまちとのみすべからずと執成とりな 言話ことば鍬八くわはちハいよ/\はぢたりしが須斯しばらくあつてふたゝふやうかくもふさなにとやらかざるにたれども八代やつしろさまにあらずとてあだひときかれしならず和君あなたのお〔ゝ〕れたることこれまた不肖ふしやうさいわひなりしまれかくもあれなによりさききかまほしきうめさま奈何いかなる仔細わけにておみち荷擔かたん給ひしまた和君あなたがたのおうへ3 つゝましからず報知つげさせ給へとはれておやすつゝむによしなくかの舩樓ふなやかたことよりして片瀬かたせかはながつはじめて三個みたり〈おうめ八代やつしろ|お安をいふ〉がおもてあはそれより夛塚おほつかにいたりしに彼所かしこにもまたへんありしを箇様かやう々々/\はからひ青柳あをやぎすくいだこの金澤かなざはのがしにかのみち讐討あだうちによつて助太刀すけだちなせしそのゆゑ如此しか々々/\なりそのとき吾〓わらはおぞましくも愛嬉あいきためとりことなりいのちすであやふかりしを不思義ふしぎにおかめたすけられしにまたかめにもわかれたるその崖略あらまし説示ときしめそれより吾〓わらは虎口ここうのが最前さいぜん這所こゝよりほどとほからぬ瀬戸せとむらまてしのび」 つはじめてきゝこの大変たいへん生死しやうじともにとちかひたるおうめさんさへおみちとやらさへつゐそのいのち歿おとしそのくびまたさきなるこの松蔭まつかげかけられしといはれしときの口惜くちおしいま日数ひかずしことゆゑ假令たとへ那所かしこくびなくともうらみをのこせしそのあといかでか一目ひとめざるべきと這所こゝまでつゝはからずも和主そなたふて様子やうすはやくもくびかくせしとかありがたき赤心まごゝろくらぶれまたはづかしきこの不覚ふかく今更いまさらくゆともせんあらぬかしとひつ須臾しばし歎息たんそくかうべをたれてぞたりける鍬八くわはちそれまでの長譚ながものがたりを」4 うちきゝおどろきもしつあきれもしついまゝたやす心根こゝろね推量おしはかるほどいたましくなぐさめかねてたりしがやゝあつて小ひざすゝとしほしわるくてかるにつけきくにつけよき事とてまれにして幸なきうゑにもさちなくておたけさまにゆくれずたのみと思ひしおうめさまあだあらしふきらされ今このに亡ひととおなりなされておいの身のまた奈何いかにともせんすべなしたゞ此うへのたのみ和君あなたにもかくにも思按しあんをとはれてお安点頭うなづくのみ流石さすが怜悧さかしき乙女をとめでもとみいらへのならざりしがかくはてじとおもふにぞやがこしつけ財布さいふより

【挿絵第七図】

口絵第二図 阿安おやすはからす鍬八くわはちう 」5

かね一包ひとつゝみ取出とりいだ鍬八くわはちわたしてふやう吾〓わらはとても今さらによき思按しあんもあらねども這所こゝかけたるふたつくびおもてかわはぎしとあれもし贋首にせくびあるまじきかとおも疑念ぎねん和主そなたもあるべしそれ實否じつぷ たゞさんため吾〓わらは須臾しばしこの地にとゞまひそか動静ようすをさぐりてのち青柳あをやぎ八代やつしろの二賢女けんぢよ在家ありかたづねて相譚かたらは和主そなたそれなる金をたづさ一且ひとまづ此地をたちつてすぎし日おんうけしと言ふかの客店はたごやたづゆき客〓はたごの不足をつぐなふてあまれるかね盤纏ろようとし武藏むさし相模さがみくまなくめぐりお竹さまの行衛ゆくゑたづちと安否あんひかならず」6 れなん吾〓わらは思按しあんまづこれなり和主そなたこゝろ奈何いかにぞやとはれて鍬八くわはち感謝かんしやへずかくまで御心みこゝろつけ給ひし賜物たまものなれいろひもふさずかの恩人おんじんむくひもふさんまたたけさまのことしも小可やつがれいのちかへてかならず安危あんき きゝいださん尊慮そんりよやすおぼせとふにおやすもよろこびてさてたがひの長話ながばなしおもはずふかせしにきくなきこそさいはひなれはやことはてたるにいざさらたもとわかたんかならずきつ左右さうらせてよとはれて点頭うなづく鍬八くわはちいらへともおこやがわかれて西東にしひがしつゐ姿すがたがくれけり話説分両頭はなしふたつにわかるさてもいぬる圓塚まるつか山にて」 真弓まゆみ青柳あをやぎといどみふときはづみをうたれて谷底たにそこまろおちたるかのそでさいはひにしてやぶらねど須臾しばしほど息絶いきたへしにたれらず二三ふたこゑみこゑいくこゑみゝ蘇生われにかへりよくとしころ十七八か廾才はたちまだらでみどり前髪まへがみつややかなる美少びしやうねんひざのうゑにはぎもあらはにいだかれていとしどけなき形容なりふりにおそではつとうちおどろいだかれしふりはなにげんとするをかの若衆わかしゆしづかに袖を引とゞめ乙女をとめおどろかれそ吾〓わらみつや/\悪漢わるものならず這所こゝよりほどとほからぬしのぶがおか片辺かたほとりにいともしづかにすめ香場かには有女うめ太郎とよばるゝものなり今朝けさしも」7 いさゝ諸要しよえうありて新発浦しばうらまでいたりしにひる暑氣あつき たへがたけれ須臾しばし那所かしこやすらひて夕凉ゆふすゞ立まゝたちいでしがいそがぬみちとて徐々しづ/\夜風よかぜはだふきすかさせおもはずふけ短夜みじかよかねけどもなほいそがずあゆむとなく這所こゝまて往方ゆくてたをれし乙女をとめすてゆか流石さすがにていだおこして介抱いたわりしに蘇生よみかへりまへのみか吾〓わたしがよろこびこのうへなしるにても乙女をとめなかといひたゞ一個ひとりしかも素足はだしこのほとりにたふれてぜつたまひしこひしきひとあとふてかまたまゝしき母親はゝおやしうと難面つらさに家出いへで して」 這所こゝまできたりしにみちゆきあへず持病ぢびやうにてもおこりていきたへたるか奈何いかに々々/\とい〔ひ〕かけられおそでいらへん言話ことばさへはづかしきとかなしさにくちごもりつゝたりしがその有女うめ太郎たらう苗字めうじ 香場かには名乗なのりもしそれかとうたがひのくもさへはれ月影つきかげ若衆わかしゆかほをつく%\とるに容貌すがたやさしけれどもわが戀人こひびともやらずなまじその名のたるゆゑなほおもひのいやましなかじとすれどあやにくにおつなみだのやるせなくふししづみたる娘氣むすめぎあはれとてや有女うめ太郎たらういと真實氣まめしげなぐさめつゝなほ様子やうすたづぬる」8 にぞおそでいまつゝむによしなくわがみのうゑの崖略あらまし梅太郎うめたらうことはりかこと圓塚まるつかやま危難きなんさへつぐるをうち有女うめ太郎たらうおどろあきれし面色おもゝちしてさてまへ多塚おほつかにてきこへたる神宮かにはのお娘子むすめこにてありしよないたましや處女をとめこひしきひと見參まみへんとおもこゝろ一筋ひとすじにおはりとやらにあざむかれかゝる難義なんぎ 給ふことよにあるまじきことあらねどにくむべきはりなりれどもかれそのをさらずおまへ〓公あねこの手にかゝりおまへかへつてこのたにまろおちしにはからずもわが介抱かいほう蘇生よみかへりこれなにかの因縁ゐんえんか」 それつけてもおまへのうへ假令たとへはり伎倆たくみにもせよ一且いつたん神宮かには家出いへで せしにいまさら阿容おめ々々/\夛塚おほつかかへおもなき所為わざならんおまへこゝろ奈何いかにぞやとはれておそでさし俯向〔う〕つむいらへかねてぞたりける

   第卅六回 〈艶 言ゑんげん 迷 易まよひやす貞 女ていちよ けがす|陰情いんじやう陽安あらはれやす悪少あくしやうやかたおはる〉

當下そのとき香場かには有女うめ太郎たらうそでが心をおほかたそれすいしてひとうなづ俯向うつむかほをさしのぞきてかうはゞなにとやらさしてたやうにもおもはれんかさきよりおまへ様子やうすをみるに神宮かにはかへる」9なくてかのうめさんのあとをしたひ鎌倉かまくらへゆくお心ならんか伴当ともびとをさへつれもせず處女をとめのみにてたゞひとりはるけきみちをゆかんにまた悪漢わるもののてにかゝりかなるうきにあわんもしれずよしさることのなきにもせよ鎌倉かまくらへとのみうめさんのゆくさきさへにさだかならぬをたづねんとして右辺あち左辺こちたびからたびに日をおく不思義ふしぎわざはひなからずやいへこのまゝ夛塚おほつかへかへりてはやうめさんにあはせぬのみか胸歹むねくろまゝしきおや苛責せめられていまなげきに百倍ひやくばいましかなしきことあらんもとよりおまへわたしいさゝえん由縁ゆかりもあらねどさき必死ひつしたすけしより」 きけきくほどいたましさに種々さま/\思按しあんをめぐらすに一まづわたしすむかた這所こゝよりおまへともなひゆきさて鎌倉かまくら人を遣はしうめさん在家ありか たしか其所そこきゝさためしのちまへかのおくとゞいさゝ路次ろじのさはりもなくおもひのまゝあはれなんさわたしひとりみなるにおまへゆへなくともなひゆき舎蔵かくまひおか四隣あたりひとさがなきくち左右かにかくはやされてのちついあだ浮名うきなたてられなこれまたうしろめだしふせがんに表向うはへ のみおまへわたしつまばゞひとそしなかるへしそれとてもわつかうち假令たとへ夫婦ふうふになれとて表向うはべばかりのことならもしうめさんにあひ〔ひ〕しとていひとく10 すべ何程いくらもありこれにておも吾〓わたし香場かには有女うめ太郎たらうよばるゝもかりにもおまへをつととなる過世すぐせからの約束やくそくまれかくもあれはや東雲しのゝめになりぬるに夜明よあけ人目ひとめ かゝりなさはことのあらんもしれずいざ給へ小暗こぐらきうちにわがすむかたともなまたそのうゑのあんもあらんいざ頓々とく/\とすゝめられおそでいまさらいなみがたく現在げんさい総角結ゆひな〔つ〕良夫おつとあとした人目ひとめふせためなりとてかりにもひとつまよばおくらん女子をなごまたあるまじきことなれどもいまその言話ことばしたがはで一個ひとり鎌倉かまくらゆくみちにてもし悪奴わるものあひこれにもましかなしからんいと浅間あさましきことなれどもかりこのつまよばまつみさほやぶらず不義ふぎてまた不義ふぎならじとこゝろうち思按しあんしてともなはれつゝ侶倶もろとも人目ひとめしのぶのおかちかかの白屋くさのやにぞともなはれける什麼そもこの有女うめ太郎たらうなにものそのはじめをたづぬるにもと鎌倉かまくら出産うまれにていやしものなりしが容貌かほかたち艶麗うるはしきこと女子をなごにしてもまほしきまでいともやさしき生立おひたちゆゑ両親ふたおやともにふかくよろこび年比としごろにもならんに女児をなごのこ▼ヤクシヤぞといつはりてまひ一手ひとてならはせないづ黄金こがねつる取付とりつきこのかげたつ二個ふたり老行おひゆくさきやすらけく左手さで團扇うちわつかふ」11 べしとおもふがゆへ稚児おさなきより糸竹いとたけみちふもさらなりひのぶりならはせつゝいく年月としつきほどこの有女うめ太郎たらうが十五のとしふたおやともにさり倚辺よるべなきとなりけるにおもひがけずもそのとしあきあふぎやつ管領家くわんれいけより童扈従わらはごしやうかゝへられしにその容貌かほかたちやさしきのみかいと怜悧氣さかしげ なる生立おひたちゆゑ定正さだまさぬしのこゝろにかなひ香場かには と言へる苗字めうじ さへへるがまゝたまはりて寵愛ちやうあい日夜にちや いやますにぞこれよりこゝろ驕慢おごり しやうもとより鳴呼おこ癖者くせものなれおなおくつと女子おなごどもを哄誘そゝのかし婀娜あだなるさへたつものから有女うめ太郎たらうなほあきらでや現在げんざい主君しゆくん側妾おもひものなるかの烏羽うばたまに」 こゝろせしが流石さすがはゞかりのせきもあれうちつけにもりかたくをりもがなとおもふうちころしもはる中旬なかばとてひとこゝろおのづかうきたつそら東風こちかぜのそよとふきつゝうめときがほさきみだ十日とうかばかりの甲夜よひづきさへくまなくてらにわもせの氣色けしきめでてや烏羽うばたまえんさきちか端居はしゐしてものさびゆるにぞをりこそよしと有女うめ太郎たらうきもふとくもしのつきよそはなたとへこゝろたけをかき口説くどかもと烏羽うばたまそのはゝなる愛嬉あいきをやうけつぎけんさがとしていろこのいとみだらはしき女子をなごなるにいま有女うめ太郎たらう言話ことばその容貌かほかたちやさしきを」12 にくからずとやおもひけんあからむかほともろともにしきりにむねのうちさわ奈何いかにやせんと躊躇たゆだふをりしも忽地たちまちひと色影けわいしてこの小室こざしきものありこれすなはち定正さだまさぬしなりおもひがけなきことなれ二個ふたり はつとうちおどろきしが流石さすが白徒しれものいろにもいださずそのよきにひなして何事なにごともなくすみしかどもこれより氣色けしきよろしからず幾程いくほどもなく有女うめ太郎たらういとまたまはりつ烏羽うばたまそのまゝやかたうちおかれしかど寵愛ちやうあいはじめにいと疎々うと/\しくなるほどこのことはやくも内君うちぎみなるはなかたきこへしかもとよりねたしとおもはれし烏羽うばたまなれひそかに」

【挿絵第八図】

挿絵第八図 あふぎやつ奥殿おくでんうめよく有女うめいざなふ  うば玉\有女太郎 」13

よろこびなほかれをさへいださんと両個ふたり悪事あくじ種々さま%\とあることないことひこしらへひとにもはせみづからもあしさまにざんせしか定正さだまさいよ/\氣色けしきあしくりとてひもいだされずこれよつかの愛嬉あいき ふかこゝろいためつゝさてやす荷擔かたらひしなりこのつぎとしなりきかくてまた有女うめ太郎たらうその仕出しだせしことヘど昨日きのふまでも今日けふまでも寵愛ちやうあいほかならびなけれいかで烏羽うばたまわが扇谷家あふぎがやつけ權臣きりものともなりおゝせんとおもひしにそのことならざるのみならでやかたうちさへおひはらはれいま両親ふたおやもあらぬ鎌倉かまくらにもすみがたくちとの」14 知己しるべ心當こゝろあて武蔵むさし荏土えどたづしのぶがおか片辺かたへなる日暮ひぐらしさと空房あきやありしをわづかかねにて購求かひもとめさせるなりわひらぬかたおふこ▼○テンビンホウせがたくあるさと稚児おさなごふでみちをおしへもしつまた城下じやうか乙女をとめ糸竹いとたけわざまひなぞおぼへしまゝにおしへなどしてほそけむりをたつるにも元來もとより浮薄ふはく白者しれものなれひとあざむくせまでよからぬうはさもおほかりしとぞほどかのそでこゝろならずも有女うめ太郎たらうやさし言話ことばたのもしさにかれ僑家すみかともなはれ人目ひとめばかりを渾家つまよばかり良人おつととかしづきつゝ今日けふ翌日あすあか四隣あたりの」 ひととひきやくもよき一對いつゝいひゐななり浦山うらやましき女夫めをとかなとなぶらるゝさへ口惜くやしくて一日ひとひはやわがつま在家ありか 索遭たづねあひ両個ふたり同居いつしよくらしな假令たとへまづしき浮世うきよ でもなれ手技てわざたへ禽水ふすまみづをもまめかしきもせめ昔話むかしばなしたれどもつま小川をがは 衣洗きぬそゝ所天おつと山でしばるを鎌倉かまくらにまれひなにまれ渾家つま良夫おつとばれくら奈何いかうれしからんをあだおとこあだばるゝ難面つら 口惜くちおしささりとてほか寄辺よるべなき今更いまさら甚麼いかにせんとおもかへしつうきいろかほにもさでくらすにぞまつ便たよあらずしてまた月日つきひ たちやすづきあだくれゆきづきすへになる」15 まゝやまいろうつりゆきこのばかりのあきならねと物思ものおもいとゞなほかわかぬそでつゆしぐれなく余所よそもらさじとしのこゝろなぐさせで倶音ともね 携唱すだくむしこゑ軒端のきば うめいろかへたのもしげなきはぢ紅葉もみぢ われのみたつみさほおつと一言ひとこと報知つげたやとおもいとゞなつかしく那処かなたそら三芳野みよしのかり便たよりさへまだあらずやとこゝろのみせかるゝまゝに折々おり/\有女うめ太郎たらうたづねてもさき鎌倉かまくらつかはしたる飛脚ひきやくもどうち奈何いかにとも詮術せんすべなしおもふにかくまでかへりのおそいまゆくれざるならんさりとて三月みつき四月よつきのほどにたづいださぬこと」 あるまじ在家ありかの知れしそのうゑでとも白髪しらがまでひとげて三世さんせ そのさきまでもすへいとながゑにしなるを假令たとへあふおそくとものみな心急こゝろせかれそとなぐさめられてもなぐさまぬこゝろみづからとりなをまつ甲斐かひなくあきふゆかはりつそのとしゆめかとばかりくれゆきあく文明ぶんめい六年ろくねんはる弥生やよひとなるまでも鎌倉かまくらよりの音信おとづれなくおそでいとゞまちわびしくやるせなきまでかなしさにひとり熟々つく%\おもふやうこの主人あるじ誠心まめしげなるやさしき言話ことばにほだされて仮初かりそめながら九月こゝのつきまつ甲斐かひいまにあらしかせ便たよりもきこへぬもしおん凶事きよじあつてかこゝろがゝりこれのみならでいぬる七月ふづきの」16 廾七日圖塚山まるづかやまにて不思義ふしぎにもはじめてふたあねさんのいま何所いづこ給ふともらで月日つきひ 古郷ふるさと養親やしなひおやことさへもおもされつなつかしさに夛塚おほつかひとあるとき有女うめ太郎たらうらさずしてひそかに動静ようす きかせしにこのほど神宮かには大變たいへんあり情由わけなにともれねどもかの知縣だいくわん大六だいろくどのあまた人数にんずひきつれにわか夜中やちう おしかけ夫婦ふうふさらなり家内やうちのものどもみなのこりなくきりつく家財かざいおちなくめしあげられしにこのことはやくも鎌倉かまくらきこ大六だいろく旧悪きうあくあらはれてすでいのちあやふかりしを奈何いかにしてのがれけん積貯つみたくわへたる金子きんすたづさひそかかの逐電ちくてんしていま行衛ゆくゑれずとぞ種々さま%\ものなりとごとらしくものがたるをおそできくよりかなしさのまたひとつ古郷こきやう凶信きやうしん假令たとへ親公おやごこゝろざまよくもあれあしくもあれ幼少おさなきときよりやしなはれたる恩惠めぐみいかわするべきさるにてもこのほど薄命あじきなきものなしまことおや養親やしおや非命ひめいこのさり給ひみす/\かたきれながらもうつことかた女子をなご甲斐かひなさそれつけてもわが良夫つままたあねさんに面會めぐりあはうらみをかへすべあらんとおもいとゞなつかしくやせんかくやとむねをのみいためてもまた詮術せんすべなくはてなみだくれたけはるながらはるならぬこゝろさぞやるせなき有右かゝりほどに」17 かず弥生やよひ下旬すへになりしころある黄昏たそかれ門口かどくち枝折しをりそとよりおしあけうち一個ひとりをとこ脚半きやはん甲掛かうかけいかめしくさけたるかさ表面とのかたおきつゝこしをかゞましく有女うめ太郎たらうさま宿やどにか小可やつかれ去稔こぞあき鎌倉かまくらつかはされし飛脚ひきやくものでござりますときいてよろこぶおそでとも有女うめらうはしいでまちかね此方こなたへとひて一室ひとまともなひけり必竟ひつきやう飛脚ひきやくれてまた什麼いかなるものがたりかあるつぎめぐりらん

貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんしだい四輯ししうまき」」18

貞操婦女八賢誌〔て〕いそうおんなはつけんししうまき之五

東都 爲永春水編次 

   第卅七回 〈せつまもりそで 凶信きやうしんなげく|ことばたくみ少年しようねん淫情いんじやうせまる〉

再説ふたゝびとく有女うめ太郎たらうさき鎌倉かまくらつかはしたる飛脚ひきやくかへりしとくよりもすぐさま一室ひとまれて動静ようす甚麼いかにとたづぬるにぞおそでこゝろもいそ/\と暖茶ぬるちやをすゝめをけいだ側居ついゐ言語ことばまつほどくだん飛脚ひきやくひたいなるあせ〓々しば/\おしぬぐ小可やつがれ去稔こぞ七月ふづきうめ太郎たらうさまとやらのおはするかたたづよとおたのゆへに」 須臾しばし猶豫ゆよせずまづ鎌倉かまくらにいたりつゝあしまかせて左辺あち右辺こち年比としごろとを心當こゝろあてたづねてもたづねてもあるうめ次郎じらう梅之助うめのすけなど似寄により名前なまへきゝしてもさらうめ太郎たらうといふさへかずさりとてこのまゝかへりてたのまれたる甲斐かひもなしなほくまなくたづねんとひがし金澤かなざははてよりして西にし大礒おほいそ小田原をだはらまで幾回いくたびとなくかけめぐるうち何時いつしかあきやゝくれふゆ中旬なかばになりしかどさらすこし手掛てがゝりもなくたづわびつゝまたもと鎌倉かまくらへいたりしにあるひとはなしいまより十日とうかほどあとこのさきなる客店はたごやとまあはせし若衆わかしゆありそのもたしかうめ太郎たらうとか」1 生國しやうこく武藏むさしなるよしなにたづぬるしなありとて七月ふづきころより逗畄とうりうせしがつれ%\のあまりにや宿屋やどや處女むすめ哄誘そゝのかしついしたことからじつとなり何時いつしか處女むすめ懐〓みごもりおやみゝにもるほどにことむづかしとやおもひけんかのうめ太郎たらうむすめともなまぎれて逐電ちくてんしついま行衞ゆくゑれずといふにぞうちおどろきしがうたがひのなほはれざれくだん宿屋やどやとまりをこひつゝ余所よそ々々/\しくかのむめ太郎たらう様子やうすきゝしにさき的話はなしつゆたがはず年頃としごろといひ容貌かほかたちまでたづぬるひとによくたれもし家出いゑで してゆきたるさきれもやせんと宿屋やどや 奴婢ぬいを」 種々さま%\だましつすかしつとひこゝろみしにはしなき女子をなごくせとて一個ひとり奴婢ぬいつぐるやうまこと秘事ひめごとながらひそかにおん報知つげもふさんじつなたじやうさまにほかさだまるむこがねありてちかきに祝言しうげん給はんとかね結納しるし受取うけとりおきしにかの若衆わかしゆ哄誘そゝのかされ懐〓身たゞならぬみとなられしゆゑ今更いまさら祝言しうげんもなりがたくさりとてこのまゝいゑおきむこどのに言解いひわけなしと表面うはべ 逐電ちくてんひなしてじつ親公おやご差圖さしづにてくになる浪花なにはうらちと由縁ゆかりのあるをたのみ二個ふたりかのつかはしたるよしひそやかにものがたるにぞおほかたそれと」2 おもヘどなほそのひとぬうちたしかにかへつて箇様かやう々々/\とお的話はなしもなりがたくさいわほか用事やうじもあれそれよりなにおもむきてまた左辺あち右辺こちたづねしに遠里とほざと小野をの這方こなたなるちと人家じんかのあるところいさゝか小室こいゑかひ其所そこにしのびておはするよしものありておしへしかすぐさまそのたづねゆきまづ外面とのかたよりさしのぞうち様子やうすひそかにるにとしころ十七八じうしちはちいま業平なりひらともいはるべきいとやさなるお若衆わかしゆ二八にはちばかりの美女たをやめ火桶ひおけなかにさしむかひいとたのなにやらんさゝや情由わけれねども言話ことばつきから形容かたちまで東國あづまそだちとしゆゑにさてくだんのお若衆わかしゆかねたづぬるうめ太郎たらうにてまたかの處女をとめ鎌倉かまくらなる客店はたごや處女むすめならんとおもいさゝ思按しあんおよばず案内あないつゝうち小可やつがれ武藏むさしなるしのぶおかほとりより遥々はる%\まゐりしものなるが同國どうこく夛塚おほつかしやうくわんなりしもく兵衛べゑさまの養子ようしなるうめ太郎たらうさまと貴公あなたかとうちつけひしかくだん若衆わかしゆうちおどろそれとばかりくちごもり須臾しばしいらへもならざりしがなにおもひけん形容かたちあらためなるほどおんはるゝごとく吾〓わなみうめ太郎たらうといふものなるがしのぶおかほとりにいさゝか知己ちかづきひともなしなにゆゑととひかへされ」3 つゝむべきことならね日外いつぞやおふせのありしごとくおそでさまのおのうゑを箇様かやう々々/\ものがたかの若衆わかしゆ不興氣ふきやうげ折角せつかく遥々はる%\武藏むさしより這所こゝまでたづねてくだされしをいはんハどくながら最初はじめよりしてかのそで吾〓わなみこゝろかなはぬゆゑ難面つれなくしてもこりずまにしたはるゝほど胸悪むねわるくそれゆゑものにかこつけて夛塚おほつか迯出にげいでしになほ吾〓わなみあとふてよしなきいへをせしゆゑにえんなきおかたのお世話せわになりおんあしまでろうせしことかへす/\もどくなれどもわれ夛塚おほつかにありしだにこゝろかなはぬおそでなりいま這地このち おちつけらるゝごとく渾家つまさへ」 あるになにとて武藏むさしかへらるべき假令たとへ総角結ゆひなづけたりともまだ祝言しうげんたでなしまた婚姻こんいんたりともこゝろかなはぬ女房にようぼうなら離縁りえんせまじきものでもなし吾〓わなみことおもたへほかおとこよするとも勝手かつてにせよとかくひしとかれいふたまはれかしおそでといふくさへも小胸こむねさはつて心地こゝちよからずおん敏々とく/\かへられよと取付とりつきもなき返答へんとう小可やつがれあきはてしがかゝところ長居ながゐおそれとそこ/\そのたちりて種々さま%\思按しあんてもまたせんすべもあらざるゆゑすごすごとしてたちかへりしいとおもなき仕合しあはせ始終しじう様子ようすを」4 ものがたるをきくにおそでむねつぶ便たよりのありしきつ左右さうとよろこぶ甲斐かひなつかしくおつといつかあだ増穂ますほ すゝきまねかれて何時いつこの秋風あきかぜたちしとらで今日けふ昨日きのふぎて飛鳥あすかがは假令〔と〕御心みこゝろかはとておやのゆるせし妹脊いもとせ和合なかとしおもたまはかく難面つれなくなるまじにいまなさけ難波なには片葉かたはあしかただよりあだおとこよせ勝手かつてにせよとあんまりなうらめしいお心根こゝろね流石さすが才女さいぢよこひゆへにみだしつゝ人目ひとめさへはゞかりかねてなきしづみまたうちかこちかき口説くどき須臾しばし情根しやうねもあらざりしがなにおもひけん有女うめ太郎たらう片辺かたへにおきしわき

【挿絵第九図】

挿絵第九図 有女うめ太郎たらうたくみにおそであはれむ 」5

ざし手速てばやつてぬきはなしすで自害じがいゆるにぞ有女うめ太郎たらう打駭うちおどろあなやとばかりこぶしおさへこ何故なにゆゑ生害しやうがいなるぞものにやくるひ給ひしかととゞむるをかずかうべをうち何故なにゆへなさけなやあいたいたいこいしいとおもこゝろのやるせなくわらうへからやしなはれしおや恩惠めぐみ余所よそにしていへなしたるのみならず おまへにさへも箇様かやう々々/\いとはづかしいことまでも打明うちあけしゆへ遥々はる%\なにはてまでこのひとたづねゆきつゝ邂逅たまさか在家ありか それりながらよき音信おとづれでもきくことかこがれ/\しわが良夫つまあきあふぎすてられし美濃みの小山おやまのひとつまつひとりいつまで存命ながらへて」6 うきはぢをさらすべきはなしてころしてたまはれとひつゝまたもやとりなほやいばやがもぎとつ這方こなたむきつゝ有女うめ太郎たらうくだん飛脚ひきやくくはすれ飛脚ひきやくなに心得こゝろえがほひとひそかにうなづきつゝそこ/\にしていでゆきけりあと見送みおくりて有女うめ太郎たらうしづかにやいばさやにおさめなきしづみたるおそでかほをさしのぞきつゝ小膝こひざすゝはるゝおもむことはりなれどもしんはなもあらずいまわたしことこゝろしづめてよくきかれよさき飛脚ひきやくものがたるをそばきくだに腹立はらたゝしきうめ太郎たらう難面つれな〔き〕言話ことばましておまへこゝろさぞ口惜くやしおもはれんとおしはかるほど」 いたましくつい種々さま%\おもるにうめ太郎たらうはじめからおまへ悪忌いぶせくおもふゆゑ家出いへで なしつゝ逸速いちはやくも渾家つまめとりしものならんほどじやうなきおとこりて假令たとへ総角結ゆひなづけたりともまだ祝言しうげんたでなし強面つらき所夫おつとみさほたて可惜あたらいのち歿すてたりとてたれかおまへ貞女ていぢよはんやすくしてせいかたいまいのち存命ながらへ難面つれなおとこ面當つらあて由緒よしあるひとそのまかあは女夫めをとそひとげ栄花さかへるをたのしみにいまうらみをはらし給へかくはゞなにとやらおまへこゝろもまだ知らぬにうちつけなるひやうなれど仮初かりそめながら一稔ひとゝせちかく」(6〔7〕) 渾家つま所夫おつと人目ひとめ のみばれしをほかにせでいまよりじつ女夫めをととなり生涯しやうがいそのまかせ給はゞ義理ぎりにつながるわたしおとこかならずあしはからふまじ昨日きのふまでも今日けふまでもかり夫婦ふうふおもふゆゑわたし素性すじやうつげざりしがいまこそいやしきなれじつ管領家くわんれいけ御内みうちにて五百貫ごひやくくわんたまはりたる香場かには何某なにがし一子ひとりこにて幼稚おさなきころよりめしいだされきみ小扈従こごしやうつとめしにその寵愛ちやうあいにましてそのまゝにて成長なりたゝ出頭しゆつとうすべき威勢いきをひなりしを讒者ざんしやためしいられてつゐいとまたまはれどもこのおかせるつみなしきみうたがひはるゝかなら帰参きさんゆるさるべしう」 なるときわたし武士さむらいまへさしづめおくさまとひとうやま扈従かしづか栄耀えようこゝろまゝなるにかくぬにますならん貞女ていぢよたつるもひとにぞ強面つらきがうゑにも強面つらかりしをとこ心残こゝろのこさんよりいまいふよしの稲舟いなぶねいなにあらず今日けふよりしてこゝろ底意そこゐ うちとけすへ松山まつやますへかけてそひとげおはさぬかあなもどかしといひよれそでまた殃危まがつみにまつはりし心地こゝちしつ腹立はらたゝしくおもヘども一稔ひとゝせちかやしなはれしあつ恩惠めぐみもあるものを流石さすがふりはなされずすべよくこののがれんとおもふものから娘氣むすめぎなにいらへ言話ことばさへなみだむねふさがりて俯向うつむくそびら有女うめ太郎たらうしつかに」8 なでつゝうち含笑ほゝゑいらへのならぬも无理むりならねど義理ぎりなさけわきまへぬおとこことをいつまでかくよ/\おもことある機嫌きげんなほして今宵こよひからじつ女夫めをとおもはれよ回答いらへのない承知しやうちかいかに/\とつめられあまりのことたへかねてとられたる掉拂ふりはらひおそで形容かたちあらたその言話ことばうれしけれども奈何いかに難面つれなきひとにもせよおやゆるせし良夫おつとすてあだおとこせて強面つれなき所夫おつと弥増いやまさこの不義ふぎ奈何いかならんぬになれぬいのちなら尼法師あまほうしとも姿すがたをかへ生涯しやうがいおとこはだふれず潔白けつぱくになさんよりほかのぞみなきものを今更いまさら」 おまへ渾家つまとなりのち栄花えいぐわたのしめとなさけなさけなしたゞこのうゑのおなさけこのいとまたまはりて隨意まに/\はなりてよとふを這方こなたきゝあへず冷笑あざわらひつゝかうべ打掉うちふ否々いな/\それ了簡りやうけんちがたとへはゞうめ太郎たらう非命ひめいこのりしといふ音信たよりでもありしなら所夫おつと菩提ぼだいふためとてあまになるもきこへたがす/\おとこ浪花なにはにてあだおんな渾家つまとなしこれよがしにくらすとまさしき便たよりきゝながらおまへばかりがものありげに尼法師あまほうしになれとてうめ太郎たらうなにとかおもはんよしなきことをせんよりもこれほどおもわたしこゝろ9 のみにくうもおほすまじかくてもいなかといひよりたる奸智かんちたけ有女うめ太郎たらうむねうちこそおそろしけれ

   第卅八回 〈きんずい賢女けんぢよはしらす|〓〓はらから孤忠こちう梟首きやうしゆかはる〉

休 話そハおきて再 説ふたゝびとくうめみち八代やつしろ青柳あをやぎ賢女けんぢよ理喜りきとも〓〓はらからとも躱栖かくれが集會しゆうくわいなし長譚ながものがたりにときうつりてあかつきちかくなりしころにはかに陣鐘ぢんがね鯨波ときこゑ耳元みゝもときこへつゝてき押寄おしよせぬとおもふにぞ六個むたり乙女おとめかひ%\しくごしらへさへそこ/\に无益むやくたゝかひせんよりのがるゝたけのがれんとかたみに」 意中ゐちうしめひまだあけやらであかつき小暗こぐらそらさいはひによりひそかにしのいでしに扇谷あふぎがやつ夥兵くみこはやくもこのとりかこのがれんとする乙女おとめ往方ゆくてみち立塞たちふさがこの頭人とうにんおぼしくていとむくつけき一個ひとり武士ぶし小手こて臑當すねあてをかためしがしゆうはなれてすゝいでだみたるこゑをはりあげこの乙女おとめ膽太きもふとくも昨日きのふ殿との行列ぎやうれつ乱妨らんぼうなせるのみならで今宵こよひこの集會しゆうくわいなしなを管領家くわんれいけあだせんと伎倆たくむやうはやくもきこ討隊うつてむかひしそれがし扇谷家あふぎがやつけ夥兵頭くみこがしら穴栗あなぐり千作せんさく光桁みつたけよばるゝものはやにげんとてにがすべきなはをかゝるかくびを」10 わたすかふたッにひとつのいらへをせよとふをおみちきゝあへずすゝいでつゝうち含笑ほゝえあな可笑おかしなる雜言ぞうごんかな昨日きのふ洲嵜すさき松原まつばらにてちゝあだたる定正さだまさうちもらせし残念さんねんおも矢先やさき討隊うつて小卒しやうそつ吾〓わなみ相手あいてらねどもなんぢあだ片割かたわれなるをいかでゆるしてかへすべきかうべのばしてやいばうけよと乙女おとめ似合にやわ高言かうげんにくさもにくしと夥兵くみこ女子おなごあなどそなへたてもつたるじつ打棹うちふりながらどつおめいびかゝるをこ物々もの/\しといひつゝもはやるおみちうしろよりお理喜りきとも〓〓はらからひそかにそでひきとゞ勿体もつたいなしおみちさま貴君あなただいのおなるにえきなきたゝかひ」あそばして可惜あたらおんきずつかのちくゆともせんなからん這所こゝ二人ふたりにおまかせあつて貴女あなた自余じよ賢女けんぢよ一旦ひとまづこのたち退のいいづれのさとにもおんしのときのいたるをおんまちあれといひつゝ懐釼くわいけんぬきひらめかし近寄ちかよてきをうちはら前後ぜんご左右さゆうきりたてつきたて最期さいごふせたゝかひおみちをはじめ賢女けんぢよ後安うしろやすおとさんとおもこゝろるものから賢女けんぢよまた理喜りき必死ひつし見捨みすていかでおつべきともたすけんとするおりしも後方あとべにもまたてきありてそのせいおよそ三十さんじう餘名よにん 各々おの/\手得えも引携ひつさげ々々/\賊婦ぞくふ何所どこにげんとするやとくなはうけよとよばはりつゝ武者むしやごゑあげて」11 せかけたる前後ぜんごてきすこしおくせずれどもたゝかひをこのむにあらねすきもあらおちのびんとかつたゝかかつはしりて一町ひとまちあまりも退しりぞおりしもまたもや往方ゆくて伏勢ふせぜひありてさきすゝみし十名しうにんばか各手おの/\鉄炮てつぽう筒先つゝさきそろよらうたんとまちかけたるかさね/\し大厄だいやくなん賢女けんぢよ奈何いかなる竒術きじゆつありとものがはつべきやうもなけれ這所こゝ必死ひつしきはめたる六個むたり乙女おとめなか/\にいさゝ阿容おめたる氣色けしきなくちと少痍てきずおふいとはずむらがてききつ右往うわう左往ざわう駈回かけまはるを矢頃やごろよしと伏兵ふせへいねらひすまして鉄炮てつぽう火蓋ひぶたをきらんとするおりしも不思義ふしぎやおうめふところよりにしきはたいで虚空こくうはるかのぼると斉一ひとしくくろくもにわか舞下まひさがはたつゝむとおもふほどにくものうちに金龍きんりやうあらはれいまあけそめ東雲しのゝめそら忽地たちまち暗夜あんや のごとく村雨むらさめさつと降下ふりくだすにぞかのふせへい鉄炮てつぽう火縄ひなわされしのみならずおもひがけなき天變てんへん咫尺しせきあいだ視分みへわかそも奈何いかに周章うろたへさは同志どしうちするおほかりけり賢女けんぢよはからずもはた竒瑞きずいるからにうれしくもまたいさましくいでこのひま何地いづちへかはしらんとおもふにもによほう闇夜あんや にひとしけれおもひ/\にそののがれみな散々ちり%\おちゆきたるそのなかにお理喜りきともはじめよりして賢女けんぢよ後安うしろやすく」12 おとさんとおも一歩いつぽ 退しりぞかず箇所かしよ痍疵てきずおひながらもいさゝ阿容おめたる様子やうすなくあまりたる大敵たいてきものともおもはずきつ死力しりよくつくしてはたらほどてき新隊あらてくわはるのみかゆみ鉄炮てつほう准備そなへあれほと/\あやうおもひしにはからざりける天変てんべん黒白あやめわかずなりしかこのひま賢女けんぢよおち給ひしか奈何いかにやとおもなほそのらず近寄ちかよてき盲討めくらうちなぎたてきりたてするうちに須臾しばしがほどにくもおさまりさしのぼりたるあさひかげたかおかかけあが四下あたりきつまはすにはや賢女けんぢよおちしとおぼしくむらがるてきそのほか女子をなごかげだにへざれいましも」

【挿絵第十図】

口絵第二図 錦籏きんきふところをはなれて窮厄きうやくく 」13

心安こゝろやすたがひに深痍ふかでふからはや存命ぞんめいかなふまじ雜兵們ぞうひやうばらにかゝり死恥しにはぢをさらさんよりまづいさぎよ自害じがいせんとあねはれていもと点頭うなづきしゆうためすつ今更いまさらすることやあるお覚悟かくごあれよあねさんとひつゝやいば取直とりなほ二個ふたりうしろにうかゞ夥兵くみこ ドツコイやらぬとくみつくみぎひだり投退なげのけまた近寄ちかよ るをねぢたをそのまゝこしおししいやいばのど突立つきたてつゝ〓〓きやうだいかたみにかほあは完尓につこわらふて息絶いきたへいとざましき最期さいご なりかく扇谷あふぎがやつ夥兵頭くみこがしら穴粟あなぐり千作せんさく光桁みつけたなほ夥兵くみこ驅催かりもよほ四賢しけんぢよおはせしかどはや何地いづち へかのがれけんついかげさへへず」14 とてむなしくもかへり来しかこのうゑ詮術せんすべなしさりとてわづか乙女おとめとりにがせしとかみきこ吾們われ/\のうゑなりとひそか理喜りきとも死首しにくび討落うちおとかほかわすりむき面体めんていわからぬやうになしおみちお梅のくび言立いひたて管領家くわんれいけへ奉りしにいといぶかしくおぼせしかどもしこのくび贋首にせくひとせ四個よたり乙女おとめ一個ひとりとらへずにがせしなんどきこ當家の武威ぶゐにもかゝはらんとまげふたッのくびをもてお道おうめまぎれなしとて洲嵜すさき松蔭まつかげかけられけりかくてまた四賢女不思義ふしぎ危窮ききうのがるゝものから如法によほう暗夜あんやひとしけれ四個よたり一處いつしよになることかなはず中にも」 おうめみち二個ふたり何所いづこあてといふにあらねどひがしみちへとはしりつゝ野嶌のじま礒辺いそべ ころくもきへあさひさしのぼり後方あとへてきもなけれ片辺かたへにありいそ石に二個ふたりやをら腰打こしうちかけ須臾しはしつかれをやすむるにもこゝろにかゝる青柳あをやぎ八代またかの理喜りき〓〓はらからおちのびたるかうたれしかとおもヘど這辺こゝら猶豫ゆよなさふたゝ討隊うつてせまらんてもかくても這所こゝまで今更いまさらほかすべもなしいづれのいゑにもふねもと安房あわさきわたるともさし柴浦しばうらよするとも順風おひてまかせてこぎはしらんと二個ふたり意中ゐちう囁合さゝやきあやが〓公ふなおさいへにいたり便舩びんせんひけれども昨日きのふ15 さき騒動そうどう今朝けさまた瀬戸せとの戦ひに聞懼きゝおぢたりけんいづれのいへをさしてよべたゝけどいらへもせね奈何いかにやせんとかへるかたつなすてたる小舩こふねありぬしたれともらねどもときにとつてのさいはひとやが二個ふたりのりうつともづなさつとときすてかたみに艫〓ろかいあやつりながら順風おひて まかせてこぎゆくほとにそのさるころをひ武藏むさししばうらほどとほからぬ品皮しながはうらに舩りぬおもひがけなきするどさに二個ふたりうれしくきしのぼりて左辺あち右辺こちと見まはすに這辺こゝらへんうらなれ漁人すなとりびといへあれども客店はたごやらしきいゑえずものみせさへあらざれともうへつかれたることなれたかくとも」このあたりの海士あま伏屋ふせやたのみてなりと一碗いちわんいゝをもいち宿やどをもらんものと礒辺いそべつたひてくほどにかた一軒いつけんくさありてうち糸操いとく おとのするにぞこゝこそとおもひつゝ折戸をりど卒度そつと おしあけすゝいりつゝ案内あないたそいらへくりかけしいとしづかした端近はしちかたちいづ十才むそちばかり老女おうななるがおうめかほるよりも貴君あなた神宮かにはのおうめさまか何様どうして這所こゝへとひかけられおうめおとろきつく%\と老女おうなかほうちながめ和女そなた夛塚おほつかにて日外いつぞや吾〓わらはかくまはれふか思惠めぐみうけたるのみかお理喜りきともはゝなりと16 のりふみまでことづてし√その老女おうなこそすなはわたしまづ無事ぶじ貴君あなたのおかほなにさてマア這方こちへとひつゝ其辺そこら片寄かたよせて准備やうい花蓙はなござ上坐かみくらしきならべたる饗應もてなしぶりにおうめさらなりおみちさへおもひがけなき面會めんくわいをよろこびながら老女おうな いそ/\暖茶ぬるちやをすゝめ火桶ひおけはこびなどしつゝおみちかほいぶかしるをおうめがとりあへず和女そなたいまだらでらんか貴君あなた渋谷しぶやのお娘子むすめご理喜りきとも主人しゆじんなるみちさまにておはするぞとはれてふたゝおどろ老女おうなさて貴君あなたがお理喜りき主人しゆじんさまにておはせしかうともらでさきよりの」 れい免許ゆるしあそばしませとひつゝかしらたゝみうづわぶるをおみちきゝあへずうち含笑ほゝゑみつゝ形容かたちあらためそんならうはさきゝおよびしかの〓妹きやうだいはゝひし和女そなたことにてありしよなおもひがけなき今日けふ對面たいめんつも的話はなしもあるものをいざまづ這方こちへとひつゝもいとうれへにけり畢竟ひつきやうみち老若ろうにやく三女みたりこの白屋くさのや面會めんくわいしてのち甚麼いかなるものがたりかあるまたしも めぐりにときわくるをきゝねかし貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんしだいしうまき17

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 (上帙巻二巻末と同様の広告一丁存)

貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんししふまき

東都 爲永春水編次 

   第卅九回〈なみだかくして老女ろうぢよだんく|かさふかくしてみち良医りやうゐたづぬ〉

案下そのとき老女おうな駭然がいぜんとしておそる/\みちかほうちまもりつゝひざすゝめそんなら貴女あなた娘等むすめらあつおんうけしと典膳てんぜんさまのお娘子むすめごみちさまにておはせしかこのほどものがたりにくわしくきゝしおいへ大變たいへん父君ぢゝきみさまにもうたれ給ひその无念むねんはらさんと御心みこゝろつくしの崖略あらましきくに」 むねのみふさがりていかこのとしわかおよばずながらもお助力ちからにとおもふのみにておいまたせんすべもあらざればせめて娘等むすめら〓妹きやうたいいのちすてじやうさま〈おみち|をいふ〉の夲望ほんもうとげまいらせよかたき管領家くわんれいけなりなか/\たやすことならねなず夲意ほんゐかなふまじねよねよと呉々くれ%\いひきかせておきましたれどそのおよびておくせぬか奈何いかに々々/\今日けふまでもそれのみこゝろにかゝりしに最前さいせんちまた▼〔ママ〕うはさをきく昨日きのふ金澤かなざは洲崎すさきにて管領くわんれいさまの行列きやうれつ乱妨らんほうなせし乙女をとめありくわしい情由わけらねども乙女をとめにて太膽だいたんな」1 まぐれものもあるものよと一口ひとりまた二口ふたりその沙汰さた這所辺こゝらかくれなけれもしそれかとおもふにもむねキツクリくぎひとこゝろいためしおりからおもひがけずもお二個ふたりさまのおいでふたゝ打駭うちおどろぐしみだれといひ御衣装おめしものさへ左方あち右方こちにまみれしも心得こゝろへさてちまた〔ママ〕うはさたがはず昨日きのふ洲崎すさき縄手なわてにて夲望ほんもうとげられしかむすめ二個ふたりがおともせぬ老母ばゞ言話ことば反古ほごにせで陣歿うちしにせしかなくててきおそれにげましたかこゝろにかゝる昨日きのふ始末しまつおん物語ものがたりあそばしてよとはれておみちおもなげにありし次第しだいかたるにぞおうめすぎし」 多塚おほつかたちいでしより今日けふまでの始終しゞう動静ようすしめかくまであやふ瀬戸せと大厄たいやくにしきはた竒瑞きずいなくすでいのちのたもちがたきを不思義ふしぎそののがれしか四個よたりものさへ淺痍あさでひみな散々ちり%\になるほどなるにかの〓妹けうだいはじめより俺們われ/\おとさんとむらがるてきことともせずなぎたてきりたてふせぐにぞすくふべきすべもなく討死うちじにせしか〓抜きりぬけしかいまさらなにともいらへがたしなさけなしとなうらまれそとはれて老女おうないとゞなほおどろむねをおししづめなみだ呑込のみこ みうちほゝさて二女ふたりいのちへて貴女あなたがたをうしやすおとし」2 まゐらせんといたせしかでかしたむすめそれでこそ老婆ばゞかほをもおこすといふものりやなきせぬうれしひぞとくちへどこゝろ廾才はたちらぬむすめ二個ふたり二個ふたり早世さきだてのこりしおいひとつをいまよりのち奈何いかにせんあじきなの浮世うきよ やいとおしむすめやとおもこゝろいろにもさずなみだがほまぎらはすむねうちこそくるしけれ二個ふたり老女おうな哀傷あいじやう推量おしはかるほど便びんにてひそかにそでぬらせしがやがておうめ小膝こひざすゝおもふにまし和女そなた義勇ぎゆうむすめいのちすてさせても忠義ちうぎたてしがうれしひと有難ありがた親心おやごゝろなみだ一滴いつてきこぼさぬなくにもまさる」 義母ぎぼ恩愛おんあい赤心まごゝろへていといたましさるにても心得こゝろえとほからぬまで多塚おほつかにありし和女そなた奈何いかなれこの浦辺うらべ なる海士あまにとひかけられてされとよその疑念ぎねんことはりながら日外いつぞや老婆ばゞ草屋くさのや貴女あなたがたを躱居かくまゐことはやくも知縣ちけんきこえけんすで討隊うつてむかひしを漸々よう/\にして〓抜きりぬけちとかりのあるをもてこの須臾しばしせしにかの知縣だいくわん大六だいろく舊悪きうあくついあらはれてやが追放ついほうせられしか老婆ばゞつゝがなく今日けふまで安全やすらおくるにも貴女あなたがたのことむすめことこゝろかゝらぬもなかりしにおもらずもお二個ふたりさまに回會めぐりあふ3 たるおひのよろこびまた何事なにごとこれすぎんと的話はなしのうちに片辺かたへなる爐裏ろりしば折焚をりたきつゝたぎ藥鑵やくわんにつまみ山茶やまぢやとき饗応もてなしやがたなより取下とりおろそろはぬ五器ごきやま折敷おしきぬぐかたたつむぎ冷飯ひやいゝそのほかにちと鮮魚うろくず取添とりそ へてふたまへ指出さしだ しつゝおくちふべきものならねどいさゝかうゑしのがせ給へとはれてよろこぶ二賢女にけんぢよいらふべきことならね會釈ゑしやくつゝはしるにうへのぞみしをりからなれあぢなきいゝときとして美味びみ珎膳ちんぜんにもいやましいと心地こゝち能氣よげはしおさなほ餘談よだんおよぶほどにはるながらいつかくれ〓昏いりあひかね」 いとかすかに遠山寺とほやまでらにぞきこへける登時そのとき老女おうなおこ左辺あち右辺こち戸閉とざしをしつ行燈あんどうをともしなどしてもとむしろ立戻たちもど昨日きのふからのたゝかひにさぞつかれておはさんに長譚ながものがたやくならん一室ひとまにお臥房とこものべおきたれ御心みこゝろしづかにやすらひ給へこの主人あるじ網六あみろくとて老婆ばゞためおひなるがこゝろやさしきわかものにてお心遣こゝろづかなきものなれどそれさへ今朝けさより網引あひきやとはれ上総かづさうらにいたりしかはやくて四五しごにちかへるまじすれこの老婆ばゞほかひともあらざれ海士あま伏屋ふせやのいぶせきだにいとはせ給ふおこゝろなく何時いつまでもこのいへしのびて4せつまちたまへといと老実気まめしげなる老女おうな言話ことば二個ふたりよろこひかつかんじてやが臥房ふしどいりけるがその四更しかう▼○ヤツころよりしておうめ痍疵てきずいたうちにわか発熱ほつねつして心地こゝちぬべくおもふにぞおみちさらなり老女おうなさへおどろさめ種々さま%\介抱かいほう等閑なほざりならねどもくすりたくはへとてもなく這辺こゝら邊鄙へんひうらなれたのまんとおも医師くすしさへちか四辺あたりにあらざれ二個ふたり〓〓はた當惑たうわくかうべたれたりしがおみちきつこゝろづき何時いつまでかんがたりともくすりがなくてうめさんを夲復ほんぷくさすることなるまじおもふに昨日きのふ野嶋のじまより終日ひめもすふねにてはしりしゆへ痍疵てきず汐風しほかぜ吹入ふきいりて」

【挿絵第十一図】

口絵第二図 老婆ろうば赤心まごゝろ賢女けんぢよにつくす 」5

破傷風はしやうふうになりたるならんもし破傷風はしやうふうならんに吾〓わらはいへ先祖せんぞよりつたはりし名法めいほう妙薬めうやくありながらもとめんこといとかたその薬法やくほう奈何いかにとならとし誕生たんじやうにてしかもおとこ情合あはざる女子をなごした壱升いつしやうりてその疵口きずぐちあらとき奈何いかなる破傷風はしやうふうなりとも夲復ほんぶくせずとことなしとなきとゝさまのおはなしにてたしかきいるものゝこの妙薬めうやくもとめんにひと處女をとめがいせねなか/\にことならず。よしそれとてもためなりましわれゆゑはれしおうめさんの一命いちめいかはこのしからねどとしならねそれせんなしゑきなきことを」6 はんより這所こゝより路次みちとほくとも柴浦しばうらかな曽木そぎまでゆかかならず医師くすしもあらんしかしてともなきたらんにまた良薬よきくすりふうもあらんこゝにてものおもはんよりいでひとはしり とひつゝも身繕みづくろひしてたちあがるを老女おうな周章あはて推禁おしとゞめこ勿体もつたいなしおみちさま老婆ばゞうしてるものをいかで貴女あなたのお駿足みあしろうすることはべるべきそのうゑ柴浦しばうらかな曽木そぎさせる医師くすしのありともきかいま破傷風はしやうふう被仰おつしやつたにておもあたりしことこそ侯へ日外いつぞや多塚おほつかにありしころをりしも産神うぶすな祭禮さいれいなりしがまつり神酒みきすぎたりけん同村おなじむら壮者わかものどもがはした喧〓げんくわたりしにわづかの」 きずかぜ引込ひきこ つい破傷風はしやうふうになりつゝもいのちもほと/\あやうかりしに多塚おほつかよりほどちか王子わうじむら医師くすしありて取分とりわけ破傷はしやうふうする神術しんじゆつありと報知つぐるもののありしかすぐさまそのひとよびむかくだん療治れうぢたのみしに忽地たちまち全快ぜんくわいたりとか其頃そのころうはさきゝはべりしがいまなほ王子わうじるやいなとしことゆゑさだかにらねどもしそのめいいまなほうめさまの病氣びやうきほんぶくせずといふことあらじ這所こゝより路次みちはるけくともいまよりいそのうちにくだん医師くすしともなるかまたくすりをもとめるか老婆ばゞいのちかへてなりともかならきつ左右さうらせもふさん」7 須臾しばしあいださみしくとも畄守るすあづかりておうめさまのこのうゑ風邪かぜでもめさぬやう御心みこゝろつけてあげられよとふをおみちきゝあへずそれならなほ吾〓わらはゆか奈何いかにとならおい假令たとへすこやかなりとても吾〓わらはあしよもおよばじそれのみならで和女そなた畄守るす四〓あたりひと訪來とひき しとき吾〓わらは一個ひとり這所こゝそれよりあやしみをにうけて吾〓わらはばかりか病客やむひとわざはひのあらんもれずすれ畄守居るすゐ看病かんびやう和女そなたとしにふさはしく医師くすしよびはしらんこと少女をとめ吾〓わらは似合にやはしくまげわがまかせよとひつゝ四辺あたりまはしてかべかけたる簑笠みのかさそのまゝつてにまとひやゝあけちか黎明いなのめそらふり邑雨むらさめ決句けつくしのぶに便たよりよしといさすゝんでたちいづるをいまさらとゞめん言話ことばもなく昼餉ひるげれうにと藁苞わらづとにつゝんでいだ握飯にぎりいゝうけおさめてこしにつけやがわかれていでゆく老婆ばゞ戸口とぐちたちいで其所そこまがりてうゆきてと便宜びんぎ みちゆびさしつゝかげゆるまでおくりけりかくておみち心急こゝろせくまゝ須臾しばし路次みち猶豫ゆうよせずあしまかせてはしるほどにそのやが午刻ひるちかころ王子わうじむらにいたりしか左辺あち右辺こち百姓家ひやくせうやにてくだん名医めいいたづぬるにおほらずとひとのみそのなかにて一個ひとり二個ふたりこのむらこと8 あるまじ這所こゝより一里いちり 西にし岩渕いわぶちといふところありてさせる医師くすしのありとかきけ那所かしこきてたづねたまへとはれておみちのぞみをうしなたしか王子わうじきいしがもしきゝたがへにもやとおもそれよりすぐ岩渕いわぶちにいたりまた如此しか々々/\たづねしかど這所こゝにもばかりの名医めいゐ なしもし稲付いなつきあらずやとはれてこゝろ焦燥いらだてども遥々はる%\這所こゝまでしものをこのまゝかへらん口惜くちおしまたかの稲付いなつきゆきへどもさら名医めいい 在家ありかれね所詮しよせん這辺こゝらたづねめぐり可惜あたらくらさんよりいまより多塚おほつかさとにゆきかの破傷風はしやうふうやみたるひととひたゞすが近道ちかみちまた多塚おほつかはしりゆき」 一軒いつけん農家のうかにいたり先年せんねん産神うぶすなまつりのとき箇様かやう々々/\ことありしよしそのおり名医めいゐ といふ王子わうじむらりしとかいまいづれにらるゝや存知ぞんじならおしへてよとあるじかうべかたふけなるほと五稔いつとせばかりあとはるゝごと怪我けがにんありしがそのときたのみし名医めいゐといふもと鎌倉かまくら医師くすしにてそのころ医術ゐじゆつ修業しゆぎやうためおりよく王子わうしられしゆゑまねきて療治れうぢ たのみしがいま鎌倉かまくらもとられしがそのゝちことらずとふにぞおみち忽地たちまちちからたのみとおもひしつなこれつたらはじめからこのむら様子やうすたづとく品皮しながはたちかへまた9 よき思按しあんもあるべきにあすをもれぬ病人びやうにんいへのこして左辺あち右辺こち无益むやくかたはせめぐ可惜あたら一日ひとひついやせしことわれながらいとおぞましかりしいでこのうゑ一足ひとあしなりとあかるきうちにもどらんものとこゝろしきりに焦燥いらだて流石さすが大氣たいき乙女をとめなれどもおもひのほかみちふみまよ夲郷ほんごうむらへとゆくべきをひがし野道のみちわけいりてはや黄昏たそがれすぎころ日暮ひぐらしさといでしかみちいよ/\心急こゝろせけども今朝けさからのはしりつゞけにうちつかれしのみならずしきりにのどかはくにぞいつれのいへにもたちより一碗いちわんもらはんとまはすむかふに白屋くさのやあれこれ」 さいはひとひと点頭うなづきすゝらんとたりしにうちなにやら女子をなごこゑにてさけくるしむ様子やうすゆゑこ便びんなしとおもひつゝたちらんとたりしににわかにむねうちさわこゝろともなくたゝずみて須臾しばし動静ようすきゝたりけり

  第四十回 〈節 義せつぎまもつ そで 奸 手かんしゆす|生血せいけつつぼして〓〓はらから志操しそうまつたふす〉

また香場かには有女うめ太郎たらうさきにおそで必死ひつしすくわがともなひかへりしよりその艶色ゑんしよ心迷こゝろまよ奈何いかにもしてれんとなさけをかけてやしなおけども兎角とかくうめ太郎たらうことを」10のみ明暮あけくれした様子やうすなれなまじいなことしてかへつてこゝろしたがふまじと種々さま%\工夫くふうこらせしにひとつの奸計かんけいおもひつきそのころ名響なうて悪漢わるもの毒虫どくむし左四郎さしらうとて一所いつしよ不住ふぢうものありしをこれさいはひと荷擔かたらひかり飛脚ひきやくいでたゝ箇様かやう々々/\はせなそで必定ひつじやううめ太郎たらうふかうらみておもらんそのはかりて這方こなたより徐々そろ/\みづむけぬらさずしてづるづるとかならわれになびくべしとかの左四郎さしらうひそかたのこと十分じうぶんおふせしかどもおそでかたみさほまもだましてもすかしてもいかなこゝろしたがはねど有女うめ太郎たらうなほこりずまにおどしてんと」 片辺かたへ なる短刀たんとうすらりとぬきはなしおそで目先めさきつきつけ偖々さて/\しぶとい和女そなた根生こんじやうさきよりかへしなかへ口説くどいても口説くどいても承引しやういんせず是非ぜひがない手荒てあら仕事しごとこひ意地いぢ二稔ふたとせしにくひつぶされたその腹愈はらいせこのかたなでなぶりごろし覚期かくごせよコレひかるぞよきれるぞよこんないたやうよりうんとさへおくさまとはれて栄耀ゑよう自由じゆう自在じざいいらざるみさほたてんとして可惜あたらいのち歿おとさんよりおもなほしておうこれでもいやかとそで口惜くやし腹立はらたゝしくつきはなさんにも女子をなご甲斐かひなされども肌身はだみけがさじと思ふ」11 こゝろ一筋ひとすじられたるふりはらなみだこゑもうるませてなさけない有女うめ太郎たらうさま去稔こぞあきより今日けふまでもかり女夫めうとはるゝさへぬしあるにて淺間あさましひかなしひことおもひしにいまさらこの慰殺なぶりごろしにされゝとてたてみさほやぶられずこのことばかり堪忍かんにんしてとはせもあへず冷笑あざわらなんぞと操々みさほ/\きゝたくもない貞女ていぢよだて和女そなたみさほたてでも去稔こそ七月ふづきくら圓塚山まるつかやまふもとにてぜつなしたるそのをり和女そなたはだわがはだあたゝめもしついだきもしつまだそれのみか片辺かたへなるさわ石滴しみづをむすびくちからくちうつした妹脊いもせ むすふのさかづきにもまさりて」 ふか二人ふたり情合なか今更いまさら肌身はだみ まかせぬとふたれとてせんないことかくてもみさほたてくか奈何いかに々々/\とひつめられおそでいとゞうちさわむねをしづめて形容かたちたゞしそんならおまへはじめからわたしじつつまにせんとなが月日つきひこのいへ信切しんせつらしくとめおい否應いやおうはせね倆伎たくみよなそれつてなほこと假令たとへ いのちとらるゝともいかで肌身はだみ けがさんとひつゝそでふりつてにげんとするをにがさじとたがひにあらそそのはづみに奈何いかにやしけん有女うめ太郎たらう右手めてもつたる短刀たんとうにておそでした八九はつくすんみづもたまらすさしとふされ窮所きうしよ深痍ふかで須臾しばしも」12 たへあつさけびてたふるゝにぞ有女うめ太郎たらう仰天ぎやうてんそんじぬとおもヘどもはや疵物きずものにせしうゑ奈何いかにとも詮術せんすべなしとおもいとゞ腹立はらたゝしくくるしむおそでかへして足下そくかにしかとふみつけつゝコレくるしいかせつないかわれあくまで強面つらかりしむくすなはかくのごとしうなるからなにもかも冥土めいど土産つとかせんなるほど和女そなたさつしのとふ去稔こぞよりわがとめおきだましてこゝろしたがはせおもひのまゝなぐさんであき時分じぶん遊女あそびめうつ黄金こがねにせんものとおもひのほか手強てごわおんな一筋ひとすじなはゆくまじと時節じせつまちしにはからずも和女そなた養家やうか 神宮かには

【挿絵第十二図】

口絵第二図 暗夜あんや再會さいくわいみちいもとをいたはる 」13

知縣ちけんため乱妨らんぼうされ夫婦ふうふをはじめ家内かない奴們やつばらみなのこりなくしにたへしときいかなしむ和女そなた様子やうす時分じぶんよしとかねてよりたのおいたる左四郎さしらうかり飛脚ひきやくとこしらへてかのうめ太郎たらう箇様かやう々々/\和女そなたうまあざむおやわかおとこすてられし寄辺よるべなく忽地たちまちわれになびかんとかくまでこゝろつくしても小胸こむねわる操立みさほだてこれでも貞女ていぢよたてたいかうめ太郎たらう可愛かわいいかとふみにじられていとゞなほ深痍ふかで のうゑに呵責さいなまたへんとしたるいきしたよりそでほそこゑたてさて飛脚ひきやくおもひしもわたしだまさん倆伎たくみにてかのうめさんが浪花なにはにてあだ女子おなごつまとなしこのすてしもいつはりか」14 うれしやそれおちつい最期いまはのよろこびこのうゑなしそれつけてもいまひとかほたいなつかしいまたふたッにじつあねさんわかれてのち音信たよりさへらでくらせし二年にねんおもたゝれし夲望ほんもうとげ給ひしかなくて可惜あたら いのち歿おとされしがこゝろがゝりの数々かづ/\らでいまこのうん便びんおもひとなきかそらとりたよりにも吾〓わらはが心をらせたやとさけくるしむおそで尻目しりめにかけて有女うめ太郎たらうあくびとともうち含笑ほゝえ 偖々さて/\なが怨言よまいごと假令たとへ何時いつまでとてきくもののあるべきぞうよいほどくるしんだらこのいとまらせんとひつゝ短刀たんとううちふつて」 すでさゝんとするおりしもかど枝折戸しをりどひらきてうちかけ以前いぜんのおみちいかれるこゑをふりたていもとかたき覚期かくごしやとふよりはや懐釼くわいけんぬくせずきりつくるをおどろきながらも流石さすが白徒しれものしづませてびしさりたゝみはねてうとうけまたきりつくそのひま行燈あんどうふつ゜と吹消ふきけしはやくもあとくらませつゝ何所いづこともなくにげゆくにぞおみちこゝろ焦燥いらだちてこ口惜くちおし夕暮ゆふぐれそらあめさへふりそゝぎついかげだにへざれひゆくあてもなきのみかいもと深痍ふかで氣遣きづかはしとおもひかへして立戻たちもど准備ようゐうちとりしてばやくうつ行燈あんどう火影ほかげにおそでだきおこコレを」15 たしかにもつてたもあねのおみちじやこれいもとそで々々/\いけられわづかにほそをひらき。ヲヽなつかしいあねさんとつたばかりでしたこわりものさへへぬ四苦しく八苦はつくみちこそとおもふにぞさしくむなみだうちはら土瓶どびん暖湯ぬるゆくみとつてくちにふくませコレいもと窮所きうしよなれども淺痍あさでなり苦痛くつうしのびていまあね末期まつごきか一言ひとことこゝろしづめてよくきけいぬ七月ふづきはからずも圓塚山まるつかやまにて面會めぐりあひうれしとおもひまもなく和女そなた深谷みたにまろおちすくはんにも大事だいじこのへんはや鎌倉かまくらへとおも氣強きづよそのにしきはた弄賣ゑばにして箇様かやう々々/\あざむきしに」 かたきうんかりけんおぞくも定正さだまさうちもらせしにまたはからずも過世すぐせよりふかゑんある四賢しけんぢよむすびたるその情由わけまた此如しか々々/\ことなりしすれ和女そなたこひした良夫おつとといふもまこと女子をなご賢女けんぢよ一名ひとりでありしといままでらでありつらんといはれてはつとおどろくのみとひかへすべきちからもなくいとはづかし俯向うつむくをおみちしつかとだきおこ假令たとへ女子おなごでありとても良夫おつととおもひこのやういのちすててもやぶらじとたてみさほかのひときかなにほどうれしからん。はづかしとのみおもはれなとひつゝおそで疵口きずぐちをつく%\つゝなにやらんこゝろうかむ事やありけんうち点頭うなつきつゝコレいもと16 なたいのち歿おとせしもおもさら/\他事あだならず良夫おつとほと〔ママ〕しきおうめさんの病氣びやうきなほだい妙薬めうやくといふこゑみゝ這入はいりてや苦痛くつうのうちにひらきわたしんだが何故なにゆへこひしひおかたのおためかへされてされとよさきにも的話はなし瀬戸せと大厄たいやくうめさんの痍疵てきず破傷風きしやうふうになつたのももとたゞこのゆゑ何卒どうぞ 夲復ほんぶくさせたいとはるけきわうまで医師くすしたづねし甲斐かひもなくむなし這所こゝまでかへはからずあひおひ和女そなた したふかられしにておもあはする家傳かでん名法めいほうとし誕生たんじやうにてしかもおとこに」 あは處女おとめした壱升いつしやうりてその疵口きずぐちそゝとき忽地たちまちせすといふことなしときいれどなか/\にがたきくすりおもたへしに和女そなたわし一才ひとつした應仁おうにん二年にねん誕生たんじやうにてたしか戊子つちのへねとしおもあたりし不幸ふかうさいは和女そなたしほでかのひと夲復ほんぶくなさこのおもておこすのみか和女そなたたてていそうしほにあらはすこゝろ潔白けつぱくまたこのうゑのことあらじとはれておそでうれくるしきいきしたよりも頓々とく/\しほをりてよとふにおみちうなつくのみためひとためなりとてげんざいいもととるとたゆむこゝろ取直とりなほときおくれなせんなしと」17 片辺かたへにあり茶壷ちやつぼこれさいはひとうちあけやがておそで疵口きずぐちあてさつ゜とほとばしるしほに四辺あたり そめなしてつぼのこりしちやめいはつ紅葉もみぢさへあだならでからくれなゐにわきいづるをおみちやをらおさ南无阿弥陀なむあみだぶつとなへつゝをゆるむれそのまゝ忽地たちまちいきたへにけりおみち覚期かくごのうゑながらもまた今更いまさらやうおぼへて血筋ちすじれぬ恩愛おんあいなみだ須臾しばしくれけるがかくはてじとおもふにぞやがておそで死骸なきからには小隅こすみほりうめつゝわづかしるしいしたてこゝろばかりの回向 ゑかうしてもと一室ひとまたちもどなみだながらにかのつぼたづさへながらたちあがるうしろにうかゞふ」 毒虫どくむし左四郎さしらうものをもはずきりつくやいばひかりにひねばやかたな扱取もぎと つてなんぢもたしかにあだ隻別かたはいもと冥土めいどともせよとひつゝちやうきりつくるやいばさへ左四郎さしらうくびはるかにとびりてむくろまへたふるゝをむきもやらずやいばなげすて徐々しづ/\としていでゆきけり必竟ひつきやうみちしほをたづさ品皮しながはかへるにいたりてまた甚麼いかなる竒談きだんかあるへんかへまきあらただいしふのはじめにときわくるをきゝねかし

東都作者 柳北軒主人春水編 

貞操婦女ていそうおんな八賢誌はつけんしだいしふまき18

【後ろ表紙】

口絵第二図


#『貞操婦女八賢誌』(五) −解題と翻刻−
#「大妻女子大学文学部紀要」53号(2021年3月31日)
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