〔白〕
序「于時弘化二年秋九月念の五日狂訓亭の\東籬に於て菊花
深き所に筆を採る\二世 爲永春水諄言」(一丁半。丁付なしオ〜丁付なしオ)
口絵 第一〜二図 見開き二図(丁付なし)。濃淡の薄墨を施す。
題「仁義〜」(薄墨地、上半分に雲を白抜き。半丁。丁付なしウ)
内題「貞操婦女八賢誌四輯巻之一(〜三)」
尾題「貞〓婦女八賢誌四輯巻之三了」
編者「東都 爲永春水編次」(内題下)
畫工 〔記載なし〕
広告「〈楊太真遺傳|精製桐の箱入〉處女香\為永春水精剤\江戸數寄屋橋御門外弥左エ門町東側中程\書物并繪入讀本所\文永堂 大嶋屋傳右衞門」(二巻末)
刊記なし
諸本 館山市博・早稲田大・西尾市岩瀬文庫・山口大棲妻・東洋大・
東京女子大・三康図書館・千葉市立美術館。
翻刻 初輯の書誌 参照
備考 巻一の九丁欠(十三丁が二葉存)
下帙
書型 中本 18.6×12.5cm
表紙 弁柄色地に白抜き紺碧色で文様の入った茶碗などを散らす。
外題 左肩「婦女八賢誌 編 四(〜六)」(13.3×2.7cm)。
題簽の上部山吹色無地から下部空色にボカシ下げ地に花を白抜。双柱飾枠。
見返 なし〔白〕
序「巻端附言\柳北軒主人再識」(半丁。丁付なしオ)
口絵 二図。見開き一図(ノド。八けん 四ヘン 口ノ一ウ〜八けん 四ヘン 口ノ二オ)、半丁一図 (ノド。八けん 四ヘン 口ノ二ウ)。濃淡の薄墨を施す。
内題「貞操婦女八賢誌四輯巻之四(〜六)」
尾題「貞操婦女八賢誌四輯巻之六了」
編者「東都 爲永春水編次」(内題下)、「東都作者 柳北軒主人春水編」六巻末
畫工 記載なし
広告「〈楊太真遺傳|精製桐の箱入〉處女香\為永春水精剤\江戸數寄屋橋御門外弥左エ門町東側中程\書物并繪入讀本所\文永堂大嶋屋傳右衞門」(五巻末)
刊記 なし
諸本 館山市博・早稲田大・西尾市岩瀬文庫・山口大棲妻・東洋大・
東京女子大・三康図書館・千葉市立美術館。
翻刻 初輯の書誌 参照
備考 巻五の七丁欠(六丁が二葉存)
【上帙表紙】三冊同一意匠
【序】
【凡例】
一 人情本刊行会本などが読みやすさを考慮して本文に大幅な改訂を加えているので、本稿では敢えて手を加えず、可能な限り底本に忠実に翻刻した。
一 変体仮名は平仮名に直したが、助詞に限り「ハ」と記されたものは遺した。
一 近世期に一般的であった異体字も生かした。
一 濁点、半濁点、句読点には手を加えていない。
一 明らかな欠字や誤記の部分は、〔 〕に入れ私意で補正を示した。
一 丁移りは 」で示し、各丁裏に限り」1 のごとく丁付を示した。
一 底本は、保存状態の良い善本であると思われる館山市立博物館所蔵本に拠った。
【付記】
翻刻掲載を許可された館山市立博物館に心より感謝申し上げます。
なお、本稿は JSPS科研費 JP17K02460 の助成を受けたものです。
貞操婦女八賢誌四輯巻之一
粤に狂仙亭春笑といへる僻児あり髫歳の頃より稗史を好みて是が為に春の日の暮るをゝしみ復秋の夜も長しとせず恁てもいまだ飽足らねバ或とき狂訓亭の白屋を敲きはじめて架空に筆を採りてより算ふればはや十稔になりぬ尓るに自今三稔前〈天保|十四年〉俺師為永の叟は老病了に身を迫て憑みすくなく見えしとき予を枕邉に喚近づけ〓生涯のはかりことなく唯戯墨にのみ過ぬる事思へバ夢の世なりけり遮莫虚名を人に」知られて既に一家を弘めしを這儘にして朽果さんハ遺恨尤なきにあらねバ〓今より戲名を嗣て才に俺鬼を慰めよとゆふべの烟り跡もなく竟にはかなくなり給ひき嗚呼悲しい哉在世数百の編輯ありしも硯の湖の水枯て乾かぬハ袖の涙のみ斯て止べきにあらざれバせめては遺訓を空にせじと其後綴れる巻毎に春笑の名を載ずして為永春水とハあらはすものから聊思ふよしもあれバ嗣号の旨を録さざりしに既に」(なし)
三稔の當時までも推躱さんはさすがにて戯房に秘し懇丹を遐〓人に報知まつらんと憶ひ起せし柴門へ書賈文永堂の主来つて婦女八賢誌第四輯の序なきを責是将推辞によしなければ僅に懐旧の情を舒てそが端文に換ることしかり看官烏許とな咲ひ給ひそ
于時弘化二年秋九月念の五日狂訓亭の
東籬に於て菊花深き所に筆を採る
二世 爲永春水諄言 」
【口絵第一図】
石濱の舞子\亀太郎\
真間の愛嬉
醉へや人さくらも肩にかゝる日そ 狂柳亭春鳥」(丁付なし)
【口絵第二図】
悌婦於安\孝女於梅
孝悌の両婦未だ世に顕れず\雪中の梅花應に春を俟なるべし」(丁付なし)
【巻頭・題】
仁義禮智忠信孝悌\称之謂八行貞操誠\節勇烈和順及称謂\八行彼里見之八犬\士是豊島之八賢女
仁義禮智忠信孝悌、これを称して八行と謂ふ。貞操誠節勇烈和順、称すに及びて八行と謂ふ。
彼は里見之八犬士、是は豊島之八賢女
貞操婦女八賢誌四輯巻之一
東都 爲永春水編次
第廾九回〈駅舎に病で阿竹郷信を听く|奸計を逞て苦七暗夜を走る〉
再説鍬八ハ苦七の甘舌に欺かれ了に旅店に伴ひつゝ先次の間に憩はせ其身ハお竹の臥房にいたり今日の容体を尋ねて後苦七が事をも知らせんと屏風のうちをさし覗くに於竹ハ病に労れてやうと/\眠りし様子ゆへ鍬八ハ右辺左辺と夜着の裾など推付て寐顔をつく%\打詠め」アヽ永々の御病氣ゆゑお可愛相に此頃ハめつきりとした御顔の痩これに就ても兄さま〈梅大郎|をいふ〉か青柳さまでもお側に居て御介抱なされたら夫を力に御病氣の全快道もあるべきに何をいふにも此爺が唯手ひとつの御介抱届かぬうへに此ほどより藥の代の調方に尽 僅の錢に身を售つて昼ハ終日人に雇はれお側に付添ふ者もなくお心細さもいや増て猶御病氣に障らうと思へど他に術もなく世とて時とて此やうに倖なきうゑにも倖なくて年端もゆかぬ孃さまに苦労をさせますいたわしさよと獨言つゝ思はずも」1
ほろりと飜す一滴の泪を急におし拭ひアヽ我ながら返らぬ繰言他が聞いでまだしも僥倖此様な事言ふ手間で藥の仕度二ッにハ苦七どのが嘸待かねドレ次の間へト言ひつゝも藥土瓶を手に提て出るを苦七ハ待うけてコレ鍬八どの孃さまハ変つた事も在さぬかと問はれて鍬八打点頭別に變りハあらねども此程よりのお労れでか今すや/\とお寐入ばな此間に藥を煎あげお目が覚たら貴所と侶にお目にかゝつて何かの相談先夫までハ貴所も其所で寛りと休んで下されよアヽ世が世なら酒ひとつと言ひ度」場じやが何言ふにも其日/\に追はるゝ貧苦不足で有うが許しやれト言ふを苦七が打消てその挨拶ハ人にも寄る貴方と下奴ハ昔から一ッ在所に成長兄弟よりなを睦ましくひとつ小鍋の茶粥さへ迭ひに喰ひし中なるを今さら何の遠慮かある心置なく用あらバ何なりと使ひたまへ下奴もこれまで神宮屋に遣はれつけた體ゆへ手を空しくしてあらんより動くが反つて勝手なり藥がなくバ医者へ走らん汚れた物ハ何もなきか水がなくば汲んで來んト奸智に闌し苦七ゆゑ何がな鍬八が氣に」2
入らんと〓ふ言話を鍬八が心に伎〓ありとも知らねバ頷きつ又喜悦て貴所が然ういふ心なら下奴が為にハ大きな補佐今より侶々お竹さまの力となつて御病氣の一日も速く全快なバ怨み累なる大六をト言ふを須臾と押禁め嗟音高し壁に耳既に嚮にも言ふ通り那知縣の執念もおん身等主僕の行衛をバ今猶鑿義の最中なるに昨夜神宮の騒動よりいよ/\鑿義の巌しけれバ忍び/\に這所まで追隊のまはり居らんも知れずよし然うなくとも 人心 此家の主も油断ハ」ならじ〓を知りながら放心々々と此家に斯てあらん事氷のうゑに居るよりも増て危き事ならずやおん身ハ何と思すか知らねど假令嬢さまハ御病気でも斯る危うき場所に居て追隊に補へられんより何れの地にまれ御供して身の幅廣くなりて後心安らに御介抱せば孃さまの御病気も自と全快たまひなん夫に就ても梅さまのお行衛をだに知るならバよき分別もあるべきにト言ひかけて四辺を見まはし些小膝を找ませておん身みハ実じつに梅うめさまのお行衛ゆくゑハ知しりたまはぬか若もしすこしにても此所こゝぞといふこゝろ」3
當あたりのあるならバ包つゝまず我等われらに語かたりたまへ悪わるいやうにハ計はからふまじと問とはれて鍬八くわはち尓されバとよ梅うめさまハ去年こぞの秋あき唯たゞ相模さがみ路ぢへとばかりにて行先ゆくさきをさへ報知つげられねバ今いまハ何國いづくに居ゐたまふとも知しるよしハあらねども鎌倉かまくらハ繁花はんくわの地ゆゑ若もしも那所かしこに居ゐたまはんかと思おもふのみにて尋たづねんにも孃じやうさまハ此この始末しまつゆへつい其その侭まゝに打捨うちすてたれバ今いまハ尋たづぬる當あてもなし〓そハ是非ぜひもなき事ことなれバ今いまさら言いふとも詮せんなけれど夫それよりも先まづさし當あたるお竹たけさまのおん身みの安あん危き尓さほど鑿せん義ぎの嚴きびしくハなか/\此辺こゝらに片時かたときも斯かくて」あらんハ寔まことに危あやうしとハ言いへ今いまの御ご様子やうすでハ起臥おきふしさへも自由じゆうならぬ那あの孃じやうさまを奈何いかにして此この家やを伴ともなひ出いでらるべき當惑とうわくハ只たゞ是これのみならで身みに半錢はんせんの貯たくはへもなく他國たこくへ行ゆくとも便びんなからん此この了簡れうけんハ我等われらに及およばず御おん身みの異見ゐけんハ奈何いかにぞやと言いふを苦七くしちハ听きゝあへず斯かゝる火急くわきうの場ばにのぞみ末すへの末すへまで考かんがへてハなか/\間まに合あふ事ことでなし假合たとへ盤ろ纏ようの貯たくはへなくともおん身みと二個ふたりが心こゝろを合あはせ此この場ばを遁のがれ去さらんにハ袖乞そでごひしても孃じやうさまに空腹ひもじい思おもひハさせますまじ些ちつと心こゝろなき所爲わざながら今いまにも夜食やしよくを勝手かつてより出いだすを待まつて」4
二個ふたりが腹はらを先まづ十分じうぶんにこしらへて孃じやうさまにも藥くすりをすゝめ今こ宵よひ二に更かうの鐘かねと侶ともに倖さいわひ那あれなる明あき葛籠つゞらに孃じやうさまを救すくひ入いれ脊せ屓をふて密ひそかに裏口うらくちより忍しのび出いでなバ家や内うちのものも氣きの付つく事ことハなかるべしハテ脊せに腹はらハ替かへがたし我われ等らに任まかせて置おきたまへと言いはれても猶なほ鍬八くわはちハ基もとより正路しやうろの男おとこゆゑ応いらへかねつゝつく%\と思おもひまはせバ此この月つき比ごろ厚あつき惠めぐみを受うけながら旅はた籠ごの代しろをも渡わたさすに這所こゝを去さらんハ道みちてなしとハ思おもへども今更いまさらに苦七くしちが言こと話ばに順したがはねバみす/\危あやうき此この場ばの手詰てづめ不義ふぎとハ知しれどお主しゆうの為ため今宵よひハ此この儘まゝ迯にぐる」
【挿絵第一図】
苦七くしちたくみに鍬八くははちを説とく」5」
とも再ふたゝび世よに出でし其その時ときハかならず仇あだに見み過すぐすまじと心こゝろの裡うちに誓ちかひつゝ須臾しばらくあつて打うち点頭うなづきいかにもおん身みの言いはるゝ通とふり些すこしハ道みちにそむくとも見み咎とがめられぬ其その先さきに遁のがるゝにしくハなし只たゞ此このうゑハ御おん身みの隨意まに/\よきに計はからひたまはれと言いふを苦七くしちハ打うち听きゝて欺あさむき得えたりと思おもふにそ心こゝろに笑ゑみを含ふくめども更さらに色いろにも顕あらはさず尚なほも余談よだんに時ときうつりはや黄たそ昏がれになるほとに宿屋やどやの婢女ぬい們らが心得こゝろえて頓やがて夕膳ゆふぜんをすゝむるにぞ二個ふたりハ程ほどなく喰くひ仕舞しまふときお竹たけが起おきたる様やう子すゆゑ鍬八くわはちハ一間ひとまにいたり藥くすりをすゝめ粥かゆをすゝらせ偖さて」6
苦七くしちか事こと如此しか々々%\と一伍いちぶ一什しゞうを譚ものがたり斯かる危あやうき場所はしよなれば今こ宵よひ密ひそかに此この家やを立たち出いで何國いづくへなりとお供ともして追隊おつての難なんを遁のがれ申さんお心こゝろ支し度たくをなされてよと言いはれてお竹たけハ駭おどろくのみ苦七くしちにさせる悪心あくしんありとも幼稚おさな心こゝろに知しるよしなけれバ鍬八くわはちが言ふに任まかせ心構こゝろがまへを爲したりける恁かくて其その夜よも稍やゝ更ふけつ遠えん寺じの鐘かねも算かぞふれバはや亥ゐの刻こくになる程ほどに今宵こよひハ他ほかに相宿あいやどもなく勝手かつてに婢女ぬい等らが糸いと繰くる音おとと奴おの僕こ等らが藁わら打うちながら厳いと可笑おかし氣げに物もの言いふ声こゑも次第しだい々々/\に止やみ果はてて跡あとハ鼾いびきの声ばかり夜よハ深々しん/\と」
更ふけるにぞ時分じぶんハよしと臥ふし房どより苦七くしちハ卒度そつと起出おきいでて鍬八くわはちと侶倶もろともに片かた辺へに有あり合あふ空あき葛籠つゞらにお竹たけを密ひそかに救すくひ入いれ苦七くしちハ声こゑを低ひそませて吾われ們らハ先まづ此この葛つゝ籠らを屓おふて脊戸せどより徐々そろ/\忍しのび出いづべしおん身みハ後あとを見みまはりて一品ひとしなにても取とり落おとさぬやうよく/\心こゝろをつけたまへと言いはれて鍬八くわはち打うち点頭うなづき右辺あち左辺こちを見みまはりて僅わづかの荷物にもつを携たづさへつゝと見みれバ苦七くしちハ逸速いちはやくも葛籠つゞらを屓おふて脊戸せど口ぐちへはや忍しのび出でし様子やうすゆゑ後おくれハせじと鍬八くわはちが立たち出でる方かたハ宵よひ闇やみの足元あしもと暗くらき掾先えんさきを心急こゝろせく侭まゝよくも見みず駈かけ出いださんと」7
做するはづみに誰たが所爲しわざにや踏段ふみだんに引ひき渡わたしたる一筋ひとすじの索なはに片足かたあしからまれて後しり方ゐに〓どうと仆たをるゝとき掾えんの端はしにて腰こし骨ぼねをしたゝかに打うちしかバ起おきんとするに腰こし立たゝねバこハ口惜くちおしと身みをもがき心こゝろ頻しきりに焦燥いらだつ折おりしも此この物音ものおとに駭おどろき覚さめけん庖厨くりやに臥ふしたる奴隷おのこ等らがすハ盗賊とうぞくの入いりたるぞ出いでよ出いでよと喚よばはりつゝ手てに手でに棒ぼうなど引提ひつさげて今いま鍬八くわはちが仆たをれたる辺ほとり近ちかく找すゝみ寄より這この為体ていたらくを視みるよりも衆客みな/\再度ふたゝび打駭うちおどろき呆あきれて須臾しばし茫然ぼうぜんたりしが其その中なかにて一個ひとりの奴隷おのこ鍬八くわはちが形容すがたに氣きをつけ左視とみ右視かうみつゝ獨ひとり」
点頭うなづき人々ひと%\に對むかひ言いふやう這この野夫おやぢ奴めハ去年こぞよりして児こ女めろと侶ともに此この家やに宿やどり永ながの月つき日ひを送おくるほどに盤ろよ纏うも殘のこらず遣つかひ果はたし斯かくてハ児女こめろに藥くすりさへあたゆる事ことのならずとて涙なみだを流ながして欺なげくゆゑなみ/\の旅店はたごなら錢ぜになき客きやくハ泊とめられずとて追出おひいださんも易やすけれど基もとより這こ方ちのお旦那だんなハ生得うまれついての佛性ほとけせうゆゑ不便ふびんとや思おもはれけん種いろ種いろと口くち利きいて夫それより這奴こやつハ日ひ雇ように出いで些すこしの錢ぜにハ取とるものから其その日ひを送おくるに不ふ足そくなるにや旅篭はたごハ次第しだいに貸かしになる夫それのみならで医い者しやどのゝ藥くすりの礼れいさへ二月ふたつき三月みつき滞とゞこほりしを拂はらひも」8
せで見みれバ身輕みがるき旅たび仕度じたく殊ことに荷物にもつを携たづさへて此この掾端えんばなにうろつくハ夜よ迯にげをなさんとするなるべし是これにて思おもひ廻めぐらすに最前さいぜん見み馴なれぬ男をとこをバ此この家やへ伴ともなひ來きたりしも斯かゝる伎倆たくみをなさんとて豫かねて計はかりし事ことならんと言いへバ一個ひとりの弱奴わかうどが尓さなり/\と打うち点頭うなづき一院ひとまの裡うちを見みまはして偖さてこそ児女こめろの見みへざるハ那かの荷擔かたうど奴めが逸速いちはやくも伴ともなひ出いでしに疑うたがひなし然さもあらバあれ此このうゑハ是これなる野夫おやぢを縛いましめて旦那だんなに來由よしを報知つげ禀まうさん人々ひと%\四辺あたりに心こゝろをつけかならず取とりな迯にがしそと言いへバ其その餘よの奴隷おのこ等らも現々げに/\尓しかりと言いひ」
つゝも右左みぎひだりより取付とりつかれ縡ことの難義なんぎに鍬八くわはちハ言いひ解とかんにも詮術せんすべなく。とハ言いへ這所ここに捕とらへられてハお竹たけが安危あんきも氣き遣づかはしこハ奈何いかにせんとばかりにて獨ひとり心こゝろを苦くるしむるのみ遁のがるゝ道みちハあらざりけり
第三十回 〈竒中きちうの一竒いつき猴さる能よく人ひとを助たすく|苦中くちうの一苦いつく奸かん復また賢けんを畄とゞむ〉
前話休題そハおきて爰こゝにまた苦七くしちハ伴くだんの葛籠つゞらを屓おふて鍬八くわはちに先立さきだちつゝ速はやくも庭にわへ下立おりたちしが豫かねて心こゝろに伎倆たくみあれバ宵よひより仕組しくみし鍵索かぎなはを卒度そつと踏段ふみだんに掛かけ渡わたし獨ひとり莞尓につこと」10
打笑うちゑみながら脊戸せど口ぐちより走はしり出いで北東うしとらの方かたを心こゝろざし足あしに任まかせて行ゆく程ほどにはや一里いちり餘よも迯にげ延のびつ屡々しば/\後方あとべを顧かへりみるに追おひ來くる人ひともあらざれバ計略けいりやく其その圖づに當あたりぬと思おもへバ心こゝろも落付おちつきて頓やがて片辺かたへの松蔭まつかげへ件くだんの葛籠つゞらを下おろしつゝ身中みうちの汗あせをおし拭ぬぐひ偖々さて/\骨ほねを折をらせたり尓さハいへ首しゆ尾びよく計はかりし上うへハ黄金こがねの花はなを咲さかするもはや遠とふからぬ事ことなるべし夫それに就つけても此この児女こめろを奈何いかにも計はかりて梅うめ太郎たらう等らが行衛ゆくゑを知しらバ白状はくぜうさせんと言いひつゝ葛籠つゞらの蓋ふたを明あけ病やみ労つかれたるお竹たけをバ會釈ゑしやくもなく引ひき出いだし」
圓つばらなる眼めを視みひらき最前さいぜんまでも今いままでも実じつと見みせたハおん身みをバ連つれ出いださんと思おもふゆゑ最もう斯かうなつてハ持前もちまへを出ださねバ縡ことが速すみやかならず孃じやうさまイヤサお竹たけ稚ぼうおん身み日外いつぞや多塚おほつかにて兄あに梅うめ太郎たらうが家いへ出でせしとき行ゆく先さきハ斯かう/\と定さだめておん身みに言いひ置おきつらん包つゝまず我等われらにおしへなバおん身みハ此この侭まゝ佐たすけ帰かへさん若もし夫それともにつゝみ隱かくさバ大六だいろくど
のゝ館やしきへ連つれ行ゆき火ひ水みづの拷問がうもん為してなりと急度きつと在家ありかを言いはさねバ此この身みの望のぞみがかなひがたし御おん身みハいまだ幼稚おさなきうゑに病やまひ労つかれし其その體からだを苛てひどに責せめにあはん」11
より今いま速すみやかに我われ等らに知しらさバおん身みに少すこしも咎とがめハなし兄あにとハ言いへど梅太郎うめたらうハ肉身にくしん分わけし兄妹けうだいならず這こ奴やつハ豊と嶋しまの浮浪ふらう人にん神宮かには秀齊しうさいの獨子ひとりこにておん身みに縁えんも結由ゆかりもなきを何時いつまでもつゝみ躱かくして其その身みに罪つみを被かふむらんハ最いと愚おろかしき事ことならずや頓々とく/\行衛ゆくゑを我われに告つげて身みの明白あかりをバ立たて給へと威おどしつ欺すかしつ問とひ掛かくるをお竹たけハ始終しゞうを听きくよりも呆あきるゝまでに打うち駭おどろき偖さてハ其方そなたが最前さいぜんからいと老実まめし氣げにもてなせしハ吾〓わなみを歎だまして連つれ出いださん深ふかき伎倆たくみで有ありしよな。とも知しらざれバ今いままでも甘あまき言葉ことばを信まこととして計はかられ」
しこそ口惜くちおしけれ基もとより吾〓わなみハ兄君あにぎみの在まします方かたハ知しらねどもよし知しる迚とても汝なんぢがごとき人ひとを謀はかりて身みを立たつる大だい悪あく无道ぶだうの白徒しれものに争いかでか実まことを報告つぐべきぞト歳としに似氣にげなき利発りはつの一言いちごん憎にくさも憎にくしと思おもふにぞ苦七くしちハ忿いかれる声こゑはりあげ此この児女あまがさかし気げに口くちから先さきへ生うまれしとて言いはせて置おけバ種々さま%\と大人おとなを懼おそれぬ今いまの言分いひぶん我われ梅太郎うめたらうの行衛ゆくゑをバ尋たづね知しらんと思おもへバこそ今いままで言話ことばを和やはらげて手荒てあらき所爲わざもせざりしが汝なんぢ実まことを報知つげじと言いはゞ病人びやうにんでも幼女こどもでも其所そこに用捨ようしやがなるべきか知縣ちけんへ伴ともなひ行ゆかざる」12
先さきに一ひと拷悶がうもんして実じつを吐はかせん覚期かくごをせよと言いひつゝも片かた辺へに有あり合あふ枯枝かれえだの手頃ごろなるを拾ひろひ取とり既すでに敲うたんと立たちかゝれバお竹たけハ嗟あなやと打うち駭おどろき葛籠つゞらを楯たてに身みを沈しづめ右みぎと左ひだりへ請うけ外はづす少女心おとめごゝろの一生いつしやう懸命けんめいされども病やまひに労つかれし身みハ進退しんたい侶ともに自由じゆうならずふらつく足あしを踏ふみ止とめかね樹きの根ねに爪突つまづき〓どうと臥ふすを得えたりと苦七くしちハ飛とびかゝりお竹たけが黒髪くろかみ手てに巻まいて膝ひざの辺ほとりへ引ひき付つけつゝいよ/\忿いかりに得え堪たへずや白眼にらまへつめつゝ声こゑ振ふり立たて此この児女めろが膽きも太ふとくも遁のがれんとするとて遁のがすべき今いま真直まつすぐに白状はくじやうせバよし猶なほ」
是これにても実じつを吐はかずハ我わが携たづさへたる此枝このえだの折おれるまで敲うち居すへなん苦痛くつうを見みぬ間まに頓とく言いはずやト責せめられながらも些ちつとも怖おそれず首かうべを左右さゆうに打うち振ふつておのれ悪あく僕ぼく奈何いかなれバ斯かくまで吾〓わなみに難面つれなきや敲殺うちころさば敲うち殺ころせ汝なんぢに言いふべき言話ことばハなし只たゞ口惜くやしきハ爺とゝさまの仇あたも報むくはず二ふたッにハ兄あに公うへの安危あんきさへ知しらで賊ぞく手しゆに命いのちを歿おとす是これのみ迷まよひの種たねなりかし身みに病やまひだになきならバ汝等なんぢらこときにやみ/\と斯かく手込てごめにハなるまじきに口惜くちおしや欝憤むねんやと言いふさへいとゞ苦くるし氣げなるお竹たけを猶なほも引ひき居すへて苦七くしちハ面色めんしよく夜叉やしやのごとく」13
或あるひハ赤あかくあるひハ青あをくます/\怒いかりに老猴らうこうふしぎにお竹たけをすくふ堪たへずやありけん持もつたる小枝こえだを振ふり揚あげつゝおのれ尓さほどに死しにたくバ今いま一敲ひとうちに殺ころして得えさせん死しゝたるうゑにて後悔こうくわいすなと言いふより速はやく立たちかゝり打うちひしがんとする折をりしも不思義ふしぎや於竹おたけの懐ふところより光明くわうめうさつと晃きらめき出いでて苦七くしちが眼まなこを打うつほどに流石さすが強氣がうきの白徒しれものなれども打うち駭おどろきつゝ仰のけさまに仆たふれて須臾しばし忙然ぼうぜんたりしが又また懲こりずまに立たちあがり只たゞ一敲ひとうちと駈寄かけよる時ときしも生茂おひしげりたる松蔭まつかげより現あらはれ出いでたる二隻にひきの大おほ猴ざる其そのさま牝牡めをのごとくなるが忽然こつぜんとして走はしり近ちかづき一隻ひとつハ苦七くしちの右手めてに取とり付つき一隻ひとつハ脊そびらに飛とびかゝつて矢場やにはに」
【挿絵第二図】
」13」
其所そこへ引仆ひきたをし顔かほ體からだのきらひなく二隻にひきの猴さるして掻かきむしれバ苦七くしちハいよ/\周章あわて騒さはぎ振ふり拂はらつて遁のがれんと揉もがけバ手足てあしにまとひつき掻かき破やぶりまた噛かみ立たてられ苦七くしちハ惣身そうしん赤あけに染そみてもだへ苦くるしむ其そのうちに猴さるハ一聲ひとこゑ叫さけびもあへず苦七くしちが咽のどへ喰くひつきしが忽地たちまち息いきハ絶たへにける斯かゝる不思義ふしぎの佐たすけを得えてお竹たけハ駭おどろき且かつ呆あきれて猶なほ疑うたがひハ晴はれざる所ところに件くだんの猴さるハ苦七くしちが死骸しがいを四下あたりの谷たにへまろばして仆たをれ臥ふしたるお竹たけをバいたはるごとく救すくひ起おこしつやをら葛籠つゞらの中うちに居すはらせ二隻にひきの猴さるハ後前あとさきより押おしもしつ曳ひきもしつ山路やまぢを」14
さして往ゆくほどにお竹たけハ心易こゝろやすからねど立たつ事ことさへも叶かなはぬ身みハ又また詮術せんすべもあらざれバ曳ひかるゝ侭まゝにおめ/\と何國いづくともなく伴ともなはれける嗚呼あゝ今いまお竹たけが身みの浮沈ふちん二隻にひきの猴さるに誘いざなはれしハ倖こうか不倖ふこうか什〓そも奈何いかに下の回ちにいたりて分解ぶんかいすべし 前話はなし分両頭ふたつにわかる 偖さても稲村いなむらが埼さきの女をんな隱居ゐんきよ真ま間まの愛嬉あいきハ此この程ほど洲崎すさきの縄手なわてにてお安やすを搦からめ捕とりしより思おもふよしのあるをもて深ふかくもつゝみて他ひとに報知つげず密ひそかに一院ひとまの裡うちに置おきて索なわを許ゆるし衣服ゐふくを宛あたへ且かつ朝夕あさゆふの食事しよくじさへ心こゝろを尽つくせし饗応もてなし振ぶりにお安やすハ更さらに合点がてんゆかず心こゝろなら」
ずも放心々々うか/\と十日とふかばかりを過すごせしに或あるとき一個ひとりの腰元こしもとが件くだんの一院ひとまに歩あゆみ來きつお安やすがほとりへ〓すゝみ寄より此この程ほどよりして最いと永ながき春はるの日ひを只たゞ一院ひとまにのみ垂籠たれこめて在おはすれバ徒然つれづれも嘸さぞならんに主人しゆじん愛嬉あいきも御おん目めに懸かゝり問とひ慰なだめんと思おもヘども扇あふぎが谷やつ家けへはゞかりの又またなきにしもあらざれバ心こゝろならずも日ひを送おくりしが今宵こよひハ殊ことに春雨はるさめの最いとしめやかに降ふりなして物もの凄さびしさも一入ひとしほなれバ密ひそかに母屋おもやへ伴ともなひ參まゐらせ何なにハなくとも御酒ごしゆひとつ勸すゝめもふさんと思おもふにより吾〓わらはをしるべに遣つかはされたり誘いざたまへ這処こなたへと言いひつゝも先さきに立たちて間毎々々まごと/\の」15
紙間ふすまをバ押開々々おしあけ/\徃ゆく程ほどにお安やすハ引ひかれて行ゆきながらいよ/\不審ふしんハ晴はれがたく我われあやまつて捕とらわれしを斯かく念頃ねんごろに款もて待なさるゝ事ことなか/\に心こゝろよからず傳つたへ聞きく真間まゝの愛嬉あいきハ扇あふぎが谷やつ家けへ取とり入いつて不義ふぎの財宝たからを貯たくわへたるよし尓さる白徒しれもので有ありながら此この程ほどよりの懇切ねんごろ態ぶりハ深ふかき伎倆たくみある事ことかこハ唯たゞ事ことでハあるまじと思おもへど阿容おめたる血氣けしきなく彼かの腰元こしもとの後あとにつきて猶なほ幾間いくまをか過すぐるほどに頓やがて奥おくまりたる一院ひとまに至いたると彼かの腰元こしもとハ座ざの端はしより仰付おふせつけられしお安やすさまを則すなはち是これまでお供ともしてと言いふを愛嬉あいきハ听きゝあへず遽いそがはしく出いて迎むかへて這方こなたへ」
這方こちへと手てを携とりつゝ稍やゝ上座かみくらに押おし居すゆるをお安やすハ辞いなみて席せきにつかず僅わづかに下坐しもざに座ざを占しめて初しよ對面たいめんの禮れいをなし寒暖かんだんを演のべ安否あんぴを問とふに言話ことば遺づかひも叮嚀ていねいに最いと敬うやまひてものすれども然さりとて些すこしも臆おくする体ていなく挨拶あいさつも済すみて後のちお安やすハ形容かたちをあらためて吾〓わらはハ基もとより賤しづの者ものにて聊いさゝか才さいも智ちもなきのみか嚮さきにハ洲崎すさきの縄手なわてにて義ぎの為ために身みを忘わすれ僅わづかに乕威こゐを駭おどろかせしに運うん拙つたなくも擒とりことなれバ今けふハ首かうべを討うたるゝか翌あすハ命いのちをめさるゝかと思おもひのほかに索なはを許ゆるされ一院ひとまの裡うちに餌飼やしなはれて衣食ゐしよくハ素もとより旦あけ」16
暮くれの髪かみの飾かざり化粧けわひさへ御心みこゝろをつけさせられ最いと念頃ねんごろに做なし給ふこと捕とらはれの身みにハ似合にあはしからでなか/\に心こゝろよからず頓々とく/\首かうべを刎はねさせ給へ義ぎの爲ために死しぬ吾〓わらはが命いのち迚とても武運ぶうんに尽つきたらバ死しぬこそ寔まことの夲意ほんゐならめと言ふを愛嬉あいきハ慰なぐさめておん身みハ義婦ぎふなり勇婦ゆうふなり假令たとへ擒とりこになられしとて争いかでか刃やいばを當あてらるべき定正さだまさぬしハ兎とまれ角かくまれ愛嬉あいきが荘園しやうえんに代かへてなりとおん身みの命いのちハ助たすけもふさん夫等それらの事ことに懸け念ねんなく心こゝろのどけく打うちくつろぎて先まづ一献いつこんを過すごされよと言いひつゝ後方あとべを見みかへれバ腰元こしもと等らが心得こゝろえて豫かねて准備よういの酒〓さけさかなを」
所ところせきまで安排おきならぶるを愛嬉あいきハ見みつゝ咲ゑまし氣げに頓やがて盃さかづきを手に取とりあげ誘いざ毒試どくみして進まゐらせんと言いひつゝ干ほしてお安やすにさすを坐ざを找すゝみつゝ受うけいたゞき思おもひ寄よらざる今宵こよひの御ご馳走ちそうお盃さかづきまで賜たまはる事ことよろこび此このうゑや侍はべるべきと言いふを愛嬉あいきハ听きゝあへず〓そハ堅かたくろしお安やすどの斯かう打うち解とけてなまなかに介意ゑんりよがあつてハ面白おもしろからず今こ宵よひ一夜ひとよハ上下かみしもの別わかちを捨すてて腰元こしもとども何なににてもあれ覚おぼへし事ことを代かはる%\藝げい尽づくし為してお安どのを慰なぐさめよと言いはれて夥あまたの腰元こしもとが迭たがひに顔かほのみ打うちあかめさし俯向うつむきたる其その中なかにて年老としおひたるが」17
找すゝみ出いで御ご前ぜんさまのお言話ことばながらお腰元こしもとの少女わかもの等らが些ちとのたしなみあれバとて鎌倉かまくら成長そだちのお安やすさまにお目に懸かけなバなか/\にお笑わらひ草ぐさになるのみにて不興ふきやうにやなり侍はべらん夫それより矢張やはり御意ぎよゐに入いりの亀太郎かめたらうが舞まひの手をト言いへバ愛嬉あいきハ打うち含咲ほうゑみ吾〓わらはも尓しかハ思おもひしかどまづ腰元こしもと等らが拙つたなき藝げいをはじめにさせて其後そのゝちに亀太郎を見みせ進まゐらせんと打角せつかく心こゝろに工たくみ置おきしを和女そちが速はやくも海口しやべりてハはや貯たくはへてハ置おきがたし頓とく亀太郎かめたらうを這方こなたへ召めせと言いはれて件くだんの腰元こしもとハ応いらへと侶ともに身みを起おこし次つぎの間ま指さしていたりしが頓やがて」
一間ひとまに皈かへり來きて誘いざ亀太郎かめたらうどの這方こなたへと呼よばれて入いり來くる美少年びしやうねんハ年としまだ二八にはちに足たらねども容貌かほかたちの艶妖あてやかなる昔古むかしの在吾ざいご中将ちうじやうか光源氏ひかるげんじの幼稚おさなだちかと思おもふばかりの美艶うるはしきが愛嬉あいきに對むかひて禮いやをなし又またお安やすにも一礼いちれいして完尓につこと笑ゑみつゝ座ざに着つきしハ愛あいらしくもまた床ゆかしくて愛嬉あいきをはじめ腰元こしもと等らもみな恍惚くわうこつとして見みとれける畢竟ひつきやう亀かめ太郎が一間ひとまに召めされて復また甚麼いかなる縡ことをかなす〓そハ下回しものめぐりに解とき分わくるを視みて知しらん貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし第だい四し輯しう巻之一了」18
貞操婦女八賢誌ていそうおんなはつけんし四し輯しう巻まき之の二
東都 爲永春水編次
第丗一回〈一席いつせきの〓曲ぶきよく顕あきらかに賊情ぞくじやうを示しめす|月下げつかの艶書ゑんしよ密ひそかに悌婦ていふを〓はげます〉
案下そのとき愛あい嬉きハ咲えまし氣げに亀太郎かめたらうを指ゆびさしつゝ於お安やすに對むかつて示しめすやう這この若わか衆しゆハ武藏むさしなる石濱いしはまの舞子まいこなりしが此この程ほど鎌倉かまくらへ登のぼりしとて世話せわする者もののありしゆゑ招まねき寄よせて試こゝろみしに其その藝げいといひ縹到きりやうといひ爪つまはづれの艶やさしきまで男をとこの児こにハ珍めづらしくまた有ありがたき少年しやうねんゆゑ吾〓わらはが方かたへ畄とめ置おきしも」
今宵こよひの興けうを添そへんがためいざ舞まひの手てを〓さかなにして今いま一献いつこんを過すごされよと言いはれてお安やすハ盃さかづきをおし頂いたゞくのみ最初はじめより好このまぬ酒さけゆゑよくも呑のまず復また此この舞子まひこ亀太郎かめたらうとやらハ年としも二八にはちに足たらずとも女子をなごばかりの其その中なかへ此この少年しやうねんを畄とゞめ置おき酒さけの相手あいてをさせん事こと傍痛かたはらいたく思おもヘども尓さりとて色いろにも顕あらはさず唯たゞよき程ほどに言いひなして誉ほめず誹そしらぬ客振きやくぶりを那かの亀太郎かめたらうハ密ひそかに見みて心こゝろに感かんじ居ゐたりけり有斯かゝりしほどに腰元こしもと〓らハ豫かねて准意ようゐをせしことなれバ鼓つゞみを拍うち笛ふへを吹ふき立たてしらぶる声こゑと侶倶もろともに扇あふぎを携とつて立たちあがる態ふりも形容すがたも美麗うるはしき」1
亀太郎かめたらうハ鴬うぐひすの今いま谷たにの戸とを出いで初そめしより猶なほも妙たへなる声こゑふり立たて唄うたひかなづる今様いまやうのその艶曲えんぎよくも澄すみわたり耳みゝをあやしめ目めを駭おどろかす舞まひの袂たもとのふりもよき実げにその技わざの至妙しめうを得えたる又またあるべしとも視みへざりし尓されバ愛あい嬉きハ言いふもさらなり老女ろうぢよ従女こしもと婢女ぬい下仕はしたまで忙然ぼうぜんとして見み惚とれつゝ膝ひざの找すゝむを覚おぼへぬまでに須臾しばしハ時ときを移うつすほどに頓やがて〓曲ぶきよくも果はてしかバお安やすハ最早もはやよき折おりと思おもへバ屡々しば/\暇いとまを乞こふて其その座ざを去さらんと身みを起おこすを愛嬉あいきハしばしと袖そでを引ひき止とめ四辺あたりの人ひとを遠とほざけて身みを摺すり寄よせつゝ言話ことばを低ひそめ御おん」
身みを此この程ほど伴ともなひしより些ちと頼たのみたき仔細しさいあれバ今いまハ逢あふて憑たのまんか翌あすハ逢あふて咄はなさんかと思おもふばかりで虚あだに過すぎしも他見たけんを憚はゞかるのみならずおん身みの心こゝろを思おもひかねて今いままで言いはで延のばせしかど斯かう打うち解とけしうゑからハ何時いつまでかつゝむべき吾〓わらはに一個ひとりの處女むすめありて名なを烏羽玉うばたまと呼よばれしが親おやの慾目よくめか知しらねども顔かほ形容かたちも醜みにくからねバ扇あふぎが谷やつ家けへ召出めしいだされしに定正さだまささまの御意ぎよいに叶かなひ了つひに側妾そばめと爲し給ひて寵愛てうあい日に増まし夜よに長ちやうずれども花はなの方かたの妬ねたみつよく稍やゝもすれバ處女むすめが事ことを悪あしさまに言いひなして追おひ」2
退しりぞけんと為し給ふゆゑ吾〓わらは 母子おやこ が出世しゆつせも叶かなはず若もしこの侭まゝにてあらんにハ處女むすめが身みのうゑ二ッにハ吾〓わらは が些ちとの荘園しやうえんさへ失うしなふ事ことにならうも知しれず夫それを推知しりつゝ放心々々うか/\と手てを虚むなしく為してあらんより怨うらみ重かさなる花はなの方かたを人ひと知しれず刺さし殺ころしなバ他ほかに邪〓じやま する者ものもなく處女むすめ ハさし詰づめ内君うちぎみ同様どうやう尓さふなるときハ扇あふぎが谷やつ家けを起おこすも仆たをすも吾〓わらはが自由じゆう。とハ言いふものゝ花はなの方ハ管領家くわんれいけの内君うちぎみなれバ仮かり初そめの物詣ものまふでにも夥あまたの供人ともびとかしづけバなか/\近寄ちかよること難かたし何いづれ奥殿おくでんへ紛まぎれ入いり人ひとなき折おりを見みすまして縡ことを計はかるに」
しくハなし尓さすれバ武勇ぶゆうハ何なにほどあるとも男おとこで出來できぬ此この大たい役しかるに此この程ほと洲崎すさきにて密ひそかにおん身みの様子やうすを見みるに武術しゆつといひ力量りきりようさへ女子おなこにハまた有ありがたく最いと憑たのもしく思おもふゆゑ夥兵くみこの者に吩咐いひつけて此この家やへ伴ともなひ來きさせしも只此この大事だいじを憑たのまんためおん身み吾〓わらはが刺し客かくとなつて花はなの方かたを亡失なきものとし怨うらみを晴はらして給はらバ吾〓わらはが所持しよぢなす荘園しやうゑんの半限なかば をわけておん身に譲ゆづり長ながく栄花ゑいくわを倶ともにせんに争いかで受うけひき給はらずやと他事たじなく言いはれてお安やすハ騒さはがず打うち含笑ゑみつゝ形容かたちをあらため是これハまた異ゐなお憑たのみ」3
既すでに嚮さきにも禀もふすとふり吾〓わらはハ賤しづの乙女おとめなれバ網引あびきの業わざか縫針ぬひはりの事ことハしも心得こゝろえたれバ夫それ等らの事ことをお憑たのみなら身みにふさはしき所為わざなれども和君わぎみのためにハ御ご主人しゆじんにも齋ひとしき花はなの方さまを殺ころして呉くれとのお憑たのみハ吾〓わらはにハ及およばぬ事ことこハ幾重いくえにも許ゆるさせたまへと言いふを愛嬉あいきハ押返おしかへしいかに謙退うちばに言いはるゝとて〓そハまた余あまりに介意ゑんりよすぎたりおん身み嚮さきにハ義ぎの為ために洲崎すさきの縄手なはてに戦たゝかふて了つひに命いのちも惜おしみ給はず今また吾〓わらはが頼たのむにいたつて否いなみ給ふぞ心得こゝろえねと再ふたゝび言いはれて些ちつとも臆おくせず然さう被仰バ禀もふしませう」
吾〓わらはハ基もとより鄙ひなにハ成長そだてど義ぎの爲ため人ひとの爲ならハ命いのちも何か惜おしみ侍はべらん然しかるに和君わぎみの今いまの仰おふせ義ぎにもあらず道みちにもあらず利慾りよくの為ために内君うちぎみさまを人ひと知しれず殺ころせとハ〓そハお言話ことばとも覚おぼへませぬ假令たとへ嫉妬しつとの念ねん深ふかき花はなの方さまにもせよ貴女あなたの為にハ御ご主人しゆじん同前どうぜんそれを吾〓わらはに殺ころさせてお娘公むすめこ烏羽うば玉たまさまの一旦いつたんお身ハ立たつにもせよ不義ぶぎの富貴ふうきハ浮うかべる雲くもとか女子おなごの知しらぬ漢書からふみにも教おしへてありとか听きくからハ人ひとハ得え知しらず此この安やすハ不義ふぎの荷擔かたんハいたしませぬ昔むかしを今にいたるまで臣しんとして君きみを害がいし身みを立たつる者もの」4
ありといヘども其その家いへ久ひさしく保たもつ事ことなし和君わぎみハ才さいあり勇ゆうありながら是等これらの道理どうりを悟さとり給はで自みづから不義ふぎに墮入おちいらるゝ事こと然さりとてハ歎なげかはし思おもふに千慮せんりよの一失いつしつか願ねがふハ御みこゝろ改あらためられ思おぼし止とゞまり給ひなバ自他じたの幸さいはひ此このうゑ侍はべらじ吾〓わらはか所存しよぞんハ只たゞ是これのみ尚なほ御ご思按しあんをなされてよと憚はゞかる色いろなく応こたふるにぞ愛嬉あいきハ听きゝつゝ喜欣よろこばす心中しんちう忿いかりを含ふくむゆゑ生応なまいらへして居ゐたりしが流石さすが奸智かんちの白徒しれものゆゑ忽地たちまち完尓につこと打咲うちゑみて嗚あゝ呼言いはれたりお安やすどの吾〓わらはも基もとより逆意ぎやくゐなけれど今いま如此々々しか/\と禀まうしたハおん身みの心こゝろを引ひき見みるため」
【挿絵第三図】
艶曲ゑんきよくを尽つくして愛嬉あいきお安やすをもてなす
」5」
かならず氣きにな懸かけられそと言いはれてお安やすも打うち含咲ほゝえみはや夜よもいたく更ふけたるに誘いざお暇いとまをと言いひつゝも立たつを愛嬉あいきハ止とめもせず最初はじめに異かはりし〓待もてなしをお安やすハ可笑おかしく思おもヘども更さらにまた色いろにも出いださず頓やがて別わかれて長なが廊下ろうか 那かの腰元こしもとに誘いざなはれて元もとの一間ひとまにいたりしときハ春はるの夜よなれバ更ふけやすくて稍やゝ丑満うしみつにぞなりにける當下そのときお安やすハつく%\と思おもひまはせバ此このほどより懇切ねんごろらしき〓待もてなしを訝いぶかしとのみ思おもひ居ゐしに按あんに違たがはぬ今宵こよひの様子やうす尓さはれ斯かくまで逆心ぎやくしんのありとハ知しらで暮くらせしに最いとおそろしき愛嬉あいきが伎倆たくみ我われ捕とらはれとなりしより」6
義ぎの為ために死しぬ一命いちめいをなまなか遁のがれ去さらんとせバ後のちの世よまでの物笑ものわらひと思おもひしゆゑに覚期かくごして首くび討うたるゝ日ひを今けふ翌あすと待まつより他ほかハなかりしに今宵こよひの様子やうすを見みるからハ此この身みばかりか義ぎを立たてて這所こゝに命いのちを没おとせしとて誰たれかまた此この事ことを因ちなみを結むすびし〓妹けうだい〈お梅むめ等ら|をいふ〉に知しらせて呉くれるものもなく唯たゞ犬死いぬじににならんにハ死しして甲斐かひなき我わが身みのうゑ。とハ言いへ愛嬉あいきも白徒しれものなりなか/\此この家やを遁のがれんとて手た易やすく遁のがす事ことでハなしこハ奈何いかにしてよからんと獨ひとり思按しあんにくれ竹たけの夜よハ猶なほ次第しだいに更ふくるにぞ何時いつのほどにか雨あめ晴はれて廾日はつかばかりの」
月代つきしろさへ雲間くもま をもれて椽側えんがはの障子しやうじの透すきよりさし入いれつ庭にはの千草ちぐさ に鳴なき連つるゝ蛙かわづの声こゑも物もの憂うくて心こゝろがらなる旅りよ泊はくの悲かなしみ膓はらはたを断たつばかりなり斯かくてもお安やすハ左右かにかくに思おもひかねつゝ稍やゝ須臾しばし火桶ひおけの側そばに身みを寄よせたる侭まゝ首かうべを垂たれて居ゐたりしが偖さて止やむべきにあらざれバ頓やがて臥房ふしどに入いらんとて衣きぬ脱ぬぎ替かへんとするほどに懐ふところよりして何なにやらん下したにバツタリ落おちるにぞ何なになるらんと心こゝろに怪あやしみ拾ひろひ取とりてよく視みるに一通いつつうの艶書えんしよなりお安やすハいよ/\訝いぶ〔か〕しく何者なにものか此このやうなる烏呼おこなる所為わざをせしならんと私語つぶやきながらも」7
捨すても置おかれず先まづ上書うはがきを読下よみくだすに
お安君 まいる 亀太郎 より
とぞ認したゝめたりお安やすハいよ/\合点がてんゆかず亀太郎かめたらうとハ最前さいぜんの舞まひ若衆わかしゆの名ななりしが渠かれハ年としまだ二八にはちに足たらぬ少年しやうねんであるものを斯かく艶いやらしき所為わざハせまじ是これもまた那かの愛嬉あいきが吾〓わらはを計はからん伎倆わるだくみか尓さるにても少すこしの間まも油断ゆだんせぬ我わが懐ふところへ奈何いかにしてか此この艶書えんしよを密ひそかに入いれて置おきしならん」
今いままで知しらでありし事こと吾われながら最いと鈍おぞかりき何なにハ兎ともあれ女子をなごの身みで斯かゝる艶書ゑんしよを手てにふれんハあるまじき事ことながら此この侭まゝにして打うち捨すてなバ奈何いかなる奸計たくみのあらんも知しれず假令たとへ艶書えんしよを読よめバとて我わが心こゝろさへ清きよくあらバ誰たれか又また不義ふぎといはん然さうじや/\と獨ひとり点頭うなづき封ふうおし切きつて開ひらき視みるに
密ひそかにしめし参候吾〓わらは事こと今宵こよひの中うちに父ちゝの讎あたなる真間まゝの愛嬉あいきを討うち果はたし申べくと兼かねて覚期かくごいたし居をり候へバ夲望ほんもうを遂とげしうゑハ外ほかに」8
望のぞみもある身みゆゑ直すぐさま此この家やを立退たちのき申候就ついてハ御おん前まへさまの御おん事こと此この程ほどより蔭かげながら承うけたまはり御いたわしく存ぞんじ候処ところ幸さいはひの事ことゆゑ御ご同道どう/\いたし申べくと態わざと艶書えんしよのやうに認したゝめ差さし上あげ候得えども基もと吾〓わらはこと男姿をとこすがたに身みをやつしても実じつハ手古奈てこなの三郎さふらうが娘むすめにて候へバ御おん氣遣きづかひ御ご無用むやうに御ご座ざ候くわしきことハ後のちほど御おん目めにかゝり申上ベく候去さりながら痩やせ腕うでにて斯かゝる大望たいもうをなす事ことゆゑ若もしも運うん拙つたなく返討かへりうちにもなり候ハヾ夫迄それまでの事ことと思召おぼしめし被下くださるへく候めでたくかしく」
かめ女
お安さま かしく
ト操返くりかへしまた讀よみかへしてお安やすハ駭おどろき且かつ呆あきれ偖さてハ舞まひ若わか衆しゆと思おもひしハ寔まこと手古奈てこなの娘むすめなりしか吾〓わらはも手古奈てこなに縁えんあるよしハ亡なき爺とゝさんの遺言ゆいけんにて豫かねてハ听きいてありながら今いま其その處女むすめが讎討あだうちを知しりつゝ余所よそに見みなすべき夫それのみならで吾〓わらはをバ最いとおしみてや此この様やうなる文ふみさへ贈おくりて夲望ほんもうを遂とげたる後のちハ侶倶もろともに此この家やを走はしり去さらんとまで密ひそかに知らせし赤心まごゝろを」9
知りてハ争いかで阿容々々おめ/\と一間ひとまの裡うちに居おらるべき假令たとへ間ま毎ごとの締しまりハありとも奥おくの一院ひとまへ忍しのびゆき余所よそながら助太刀すけだちして手安たやすく夲意ほんゐ を遂とげさせん嗚呼あゝ尓しかなりと点頭うなづく折をりしも俄にはかに奥おくの間ま騒さはがしく夥夛あまたの女子をなごの声こゑと思おぼしく嗟あな堪たへがたや苦くるしやと最いと姦かしましく听きこゆるにぞ偖さてこそ於亀おかめが讎討あだうちの今や最中もなかと覚おぼへたり時とき遅おくれてハ詮せんなしと言いひつゝ頓やがて身み構がまへなし奥おくをさしてぞ走はしりゆく
第丗二回 〈稻村いなむらが崎さきの隱室ゐんしつに智女ちゞよ讎を撃うつ|真間まゝの里さとの旧譚むかしものがたりに三郎暗あんに死しす」〉
自前話先それよりさきに真間まゝの愛嬉あいきハお安やすに機密きみつを憑たのみしところ思おもひの他ほかに性じやう強こわくなか/\受引うけひく様子やうすもなけれバ心中しんちう深ふかく憤いきどふれど尓さもなき体ていにもてなしつお安やすを一間ひとまへ戻もどせしが何なにとなく心こゝろよからず折角せつかく酔よひし酒さけさへも半なかばハ醒さめし心地こゝちゆゑ誘いざさらバ今一献いつこん亀太郎たらうに酌しやくを取とらせ快こゝろよく飲のまんものとまたもや酒席しゆせきをもふけつゝ氣きに入いりの腰元こしもと等らと亀太郎かめたらうのみを片辺かたへに置おきさしつさゝれつ盃さかづきの数かづ重かさなれバ愛嬉あいきハさらなり腰元こしもとまでも最前さいぜんの酔よひさへ何時いつか引出ひきいだせしかバみな十二分じうにぶんの機嫌きげんとなり主従しゆう%\の禮れいも乱みだれ居ゐずまひも」10
また崩くつるゝまでに醉えひを尽つくさずと言いふ事ことなけれバあるひハ席せきに得え堪たへずして下さがりて次つぎに仆たふるゝあれバ夫それさへならで俯伏うつぶしになりたるまゝに首かうべをあげず眠ねむりて前後ぜんごを知しらぬもありそのとき愛嬉あいきハ亀太郎かめたらうの膝ひざに片肱かたひじもたらしつゝ咲ゑめるがごとく白眼にらむが如ごとき艶いやらしげなる目尻まなじりにて卒度そと視みやりつゝ言話ことばを低ひそめ吾〓わらはが斯かゝる振舞ふるまひを和主そなたハ嘸さぞや心こゝろにて四十よそぢを越こえし身みを持もちながら年としにも耻はぢず此この様やうになまめかしきを可笑おかしくも腹立はらたゝしくも思おもはんが戀こひハ思按しあんの他ほかとやら年としハとれども心ハ處女をとめ斯かう言いはれてハ」
尓さばかりに憎にくしとのみハ思おもふまじ曲まけて今宵こよひハ添寐そひねして吾〓わらはが心こゝろを慰なぐさめよと言いひつゝ細ほそき手てを取とりて引寄ひきよせられつ亀太郎ハ呆あきれて応いらへもせざりしが四辺あたりを見みれバ腰元こしもと等らハみな醉えひ伏ふして正体しやうたいなく鼾いびきの声こゑのみ音おとせねバ何なに思おもひけん亀太郎かめたらうハ完尓につこと笑えみしがその侭まゝに愛嬉あいきが黒髪くろかみ手にからまきつゝ膝下しつかに引付ひきつ け忽地たちまち声をふり立たてて婬婦いんふ愛嬉思ひ知しれ昔年いつぞや下婦そちが奸計たくみにてはかなく命いのちを没おとし給ひし手古奈てこなの三郎さふらうが妾孕わきばらの處女むすめ武藏むさしにありて成長ひとゝなりし亀女かめちよとハ吾〓わらはなるそ是これまで苦中くちう の苦くを忍しのび姿すがたをやつし名なを」11
變かへて覘ねらひに覘ねらひし爺とゝさまの怨うらみの刄やいばはやうけよと言いふより速はやく懐ふところに躱かくし持もつたる利刀わきざしを抜手ぬくても見みせず肩先かたさきより乳ちの下深したふかく刺通さしとふされ打駭うちおどろく間まもあらバこそ尓されども流石さすがハ白徒しれものゆゑ痛痍いたでに屈くつせず刎起はねおきて片辺かたへにありし懐釼くわいけんを抜ぬかんと為しつゝ手てをかくるを抜ぬかしもやらず〓付きりつくるお亀かめが速するどき刄尖きつさきに愛嬉あいきが細首ほそくび撃落うちおとされ體からだハ前まへにぞ仆たふれける此この物音ものおとに駭おどろき覚さめけん四下あたりに臥ふしたる腰こしもとどもすハ曲者くせものといふ間まもあらず或あるひハ薙刀なぎなた又またハ懐釼くわいけん得物々々えもの/\を引提ひつさげて撃うつて蒐かゝるを縡ことともせず這婢きやつ們らも愛嬉あいきに媚こび」
【挿絵第四図】
お亀かめが智ち讎あたを咸殺みなごろしにす」12」
諂へつらひ悪あくを佐たすくる白徒しれものと思おもへバ些すこしも用舎やうしやせず左手ゆんでに愛嬉あいきが首くびを引携ひつさげ右手めてに小太刀こだちを打振々々うちふり/\競きそふて蒐かゝる従女こしもと們らを右みぎと左ひだりに受流うけながしまた〓きり結むすぶ奮撃ふんげき突戦とつせん暫時しばしが程ほどハ戦たゝかふものから這方こなたハ神術しんじゆつ至妙しめうの乙女をとめさしも夥あま多たの従女こしもとなれども争いかでか敵てきする事ことを得うべき隻手かたて薙切なぐりに〓きり立たてられあるひハ肩先かたさき腰車こしぐるま〓きらるゝ侭まゝに叫さけびもあへず其所そこに命いのちを落おとすもの僅わつかのうちに三さん四よ人にんその余よも痍疵てきづを屓をはぬハなく速はやかなはじとや思おもひけん刄やいばを捨すてて迯にげ迷まよふをお亀かめハ猶なほも遁のがさじと追おひ立たて〓きり立たてゆくほどに稍やゝ長なが廊下らうかにいたりし時とき」13
またもや向むかふに立たちふさがる女おんなの姿すがたを見みるよりも薄暗うすぐらけれバしかとハ知しれねど是これもたしかに腰元こしもとと思おもへバお亀かめハ些ちつとも駭さわがず持もつたる刄やいばを振揚ふりあげて只たゞ一撃ひとうちと〓きりつくるを身みをひらいて受うけ外はづしまた打うつ太刀たちを振拂ふりはらひ飛とび退のくはづみに片辺かたへなる廊下らうかの雨戸あまどを蹴けはづすにぞ庭にはよりさし込こむ月影つきかげに二女ふたりハ思おもはず顔かほ見合みあはせ√於安おやす さんでハござりませぬか√然さういふお前まへハ最前さいぜんの√サア亀太郎たらうとハ仮かりの名なにて√寔まことハ手古奈てこなのお娘御むすめご於お亀かめさんとハ最前さいぜんの艶書ゑんしよではじめて知しつたゆゑ私わたしも縁ゑん」
ある手古奈てこなのお家いへその讎討あだうちと听きゝながら争いかでか余所よそに見みなすべき深ふかき仔細しさいハ知しらずとも助太刀すけだちなして後うしろやすくお前まへの夲意ほんゐを遂とげさせんと思おもへバ些すこしも猶豫ゆうよせず奥おくの間まさして来くる道みちにて痍疵てきずを屓おひし腰元こしもとども迯にげつゝ來くるを踏ふみ仆たふしまたハ蹴返けかへし敲うち居すへながら這所こゝまで走はしり來きし折をりから又またもや向むかふに駈來かけくる女おんな暗夜くらがりなれバお前まへとも知しらねバ是これも腰元こしもとと思おもひの外ほかに尖するどき太刀たち筋すじあしらひ兼かねし折をりも折をり蹴けはづす雨戸あまどにさし込こみし月つきこそ二個ふたりが尽つきせぬ御ご縁えん危あやうひ事ことでござりましたと言はれてお亀かめも打うち含咲ほゝゑみ私わたしも」14
慥たしかに敵方てきがたと思おもひ違たがへし今いまの振舞ふるまひ迭たがひに怪我のなかりしも寔まことを照てらす月つきの賜たまものアヽ尓さるにてもお安やすさんお前まへの助力たすけを被かふむらずハ撃洩うちもらしたる腰元こしもと等らが速はやくも庖厨くりやへ迯にげ往ゆきて是これ等らのよしを男おとこどもに報知つげて再ふたゝび押寄おしよせ來こバ不思義ふしぎの禍わざわひあるべきに夫それなきゆゑに安々やす/\と敵かたきの首くびを斬畄しとめたり是見みられよと言いひつゝも携さげたる首くびをさし出いだすを月つきの光ひかりに左視とみ右視かうみつゝお安やすハ完尓につこと打咲うちえみて偖さても見事みごとになされたり尓さるにても何なにゆゑに愛嬉あいきを爺公てゝごの敵かたきとして今宵こよひ夲意ほんゐハ遂とげられしと問とはれてお亀かめハ歎息たんそくし言いふも面おもなき事ことな」
がら私わたしの実じつの母はゝさんハ手古てこ奈の家いへの側女そばめなりしが三郎さふらうとのゝ胤たねを孕やどし出産うみおとされたハ則すなはち私わたししかるに産後さんごの悩なやみつよく乳ちゝさへ出いでねバ是非ぜひなくも乳ちゝある者ものを尋たづねもとめ私わたしを里さと子ごにやられしに其後そのゝち了つゐに母はゝさんハ世よに亡人なきひととなられしとぞ恁かくてその年としの事ことなりしが風かぜ最いと寒さむき雪ゆき空そらに尾羽をは打うちからせし旅たびの女おんな十才とふばかりなる少女むすめを伴とも〔な〕ひ手古奈てこなの門かどへ徨たゝずみて一夜ひとよの舎やどりを乞こひしかバ基もとより私わたしが爺公てゝごなる三郎さふらうとのハ性さがとして情深なさけふかき人ひとなれバ不便ふびんとや思おぼしけん件くだんの親子おやこを母屋おもやへ喚よび入いれ二個ふたりが様子やうすを熟々つら/\視みるに母はゝハ三十才みそちに」15
まだ足たらず容貌かほかたちさへ卑いやしからぬに子こもまたいとゞ愛あいらしく殊ことに女めの児こと見みゆるにぞ先まづその来由らいゆを問とひたまひしに旅たびの女をんなハ恥はづかし氣げに吾〓わらはハ京家きやうけに仕つかへたる某なにがしが妻つまなるが運うん拙つたなくも夫おつとを亡失さきだて丗よに便たよりなき身みとなれバ都みやこに住居すまゐもなり難がたく些ちとの知己しるべを心當こゝろあてに此この東路あづまぢに下くだりしに其その人ひとさへも今いまハしも憑たのもし氣げなき〓待もてなしに其所そこにも足あしを止とめがたく舎やどる木こ蔭かげもあら礒いその真間ままの入江いりえにさまよひ來きて詮術せんすべもなき親おや子こが身みのうゑ哀あはれと思おぼし給はれと泪なみだを流ながして譚ものがたるにぞいとゞ不便ふびんに思おもはれて夫それより数日すじつ止とめ置おかれしに流石さすが」
都みやこの育そだちとて糸竹いとたけの道みちも拙つたなからず夜よとなく日ひとなく興きやうずる程ほどによく父君ちゝぎみの心こゝろに叶かなひ何時いつとハなしに側女そばめとなりつ恁かくて五稔いつとせあまりを過すぎしに那かの連子つれこさへ年とし闌たけてはや十五じうご才さいになりしとき思おもひ寄よらずも管領家くわんれいけ〈扇あふぎが谷やつ|をいふ〉より件くだんの少女むすめを召出めしいだされしに定正さだまさぬしの心こゝろに叶かなひ是これもまた管領家くわんれいけの竟つゐに側女そばめとなるほどに那かの母親はゝおやハ夫それよりして驕おごりの心こゝろ生しやうずる物ものから父ちゝ君ぎみにハ猶なほ正妻ほんさいあり其そのうゑはじめの恩おんあれバ兎とても角かくても此この侭まゝにてハ我わが身みを立たつる事ことハならじ奈何いかにやせんと思按しあんのうちに一ひとッの奸計かんけいを新作意おもひつき或日あるひ娘むすめに對面たいめんと」16
こしらへ遥々はる%\鎌倉かまくらに趣おもむきつ先まづ其その娘むすめと相談そうだんせしうゑ折おりを窺うかゞひ定正さだまさぬしに手古奈てこなの三郎さふらう逆意ぎやくいあり速はやく討手うつてを差さし向むけられずバ奈何いかなる事ことをなさんも知しれすと種々さま%\に讒ざんせしかハ鈍おぞくも女子おなごに欺あざむかれ定正さだまさぬしハ忿いかりに堪たえずや忽地たちまち夥夛あまたの軍兵ぐんびやうを下総しもふさへ遣つかはされ手古奈てこなの舘やしきを推捕おつとり稠こめ有無うむを言いはさず責せめたりしかバ父君ちゝぎみハ不意ふいを打うたれ言いひ解とかんにも術すべなくて是非ぜひなく禦ふせぎ戦たゝかふものから敵てきハ目めに餘あまる大勢おほぜいなり自方みかたハ些ちとの准備やういもなけれハ散々さん%\に〓立きりたてられ憑たのみ甲斐がひなき若黨わかとう下奴しもべ 撃うたるゝもあり逃にぐるも」ありて瞬間またゝくひまに家内やうちの男女なんによみな餘波のこりなく撃うたれしかバ今いまハしも是これまでと舘やしきの四方しほうに火ひを放はなち樓たかどのに駈登かけのぼり竟つゐにお腹はらを斬きれしとぞ却かくて後のち彼かの側女そばめハ扇あふぎが谷やつ家けへいよ/\取とり入いり頓やがて手古奈てこなの荘園しやうえんを殘のこりなく請こひ受うけつ其その身みハ鎌倉かまくらに落付おちつきて態わざと黒髪くろかみを切落きりおとし法名ほうめうばかり愛嬉あいきと喚よばれ上表うはべハ殊勝しゆしやうに見みせかけて定正さだまさぬしに媚〓こびへつらひ裡うちにハ淫いん酒しゆを縡こととして日夜にちや奢おごりに長ちやうぜしとなり偖さてまた吾〓わらはハ其そのはじめ里子さとこに遣やられし先さきといふハ武藏むさしの石濱いしばまなる町人ちやうにんにて最いと頼母たのもしき者ものなれバ吾〓わらはを実じつの娘むすめと思おもひ預あづかりしより」17
年とし經ふれども種々さま%\に言いひこしらへて更さらにまた手古奈てこなへ戻もどさず恁かくて吾〓わらはが五才いつゝの稔とし父君ちゝきみ自殺じさつし給ひしかバいよ/\吾〓わらはを憐あはれみて其その稔としより舞まひをならはせ糸竹いとたけの所爲わざを教おしへられ愛いつくしみハ猶なほ深ふかけれども吾〓わらはハ兎とに角かく父ちゝの横わう死しを稚心おさなごゝろに口惜くやしくて争いかで敵かたきを撃うたんものと舞まひの手振てふりに縡こと寄よせて太刀たち抜ぬく術すべをも試こゝろみつ時ときのいたるを俟まつほどに僥倖さちなき時ときとて里親さとおや夫婦ふうふ引続ひきつゞきて世よを去さりしかバ憑たのむ方かたなき身みひとつを自みづから心こゝろで〓はげましつゝ此この相模さがみ路ぢへ忍しのび來きて舞まひ若わか衆しゆとまで身みをやつし今宵こよひ夲意ほんいハ遂とげしかど猶なほ怨うらめしきハ」
定正さだまさぬし又また二ッにハ愛嬉あいきの娘むすめ彼かの鳥羽玉うばたまも讐あたの片割かたわれされバ一旦ひとまづ此この家やを立たち去さり時節じせつを俟まつて那かの二名ふたりを撃うたでやハ置おくべきか尓さるにても訝いぶかしきハ最前さいぜんお言話ことばに手古奈てこなの家いへに縁えんありとハ如何いかなる訳わけぞと問とひかけられ応いらへんとしてまた更さらにお安やすハ泪なみだに口くちごもり須臾しばし 言話ことばも出いでざりけり畢竟ひつきやう於お安やすが答こたへによりて亦また甚麼いかなる竒談きだんがある〓そハ次つぎの巻まきに解分ときわくるを听きゝねかし
貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし第だい四輯ししゆう巻之二了」18
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楊 太 真 遺 傳やうきひのつたへしくすり 精製くはしくせいし桐きりの箱入はこいり
處女香むすめかう 〈一廻り|百二十文〉
そも/\此この御薬おんくすりハ夲朝につほん無類むるいの妙方めうはうにて男女なんによに限かぎらず顔かほの艶つやをうるはしくして生うまれ變かはりても出来できがたき程ほどに色いろを白しろくし肌目きめ細こまかになる功こう能のうあり しかしながら此この類たぐひの薬くすり世間せけんに多おほく白粉おしろい 洗粉あらひこ 化粧水けしやうみづ 其その外ほか油あぶら薬くすりなどを製せいして皆みなこと%\く顔かほの薬くすりになるおもむきを功能こうのう書がきにしるしてあれどもその書付かきつけの半分はんぶんも功能こうのうなし依之これによつて此この御披露ごひろうを御ご覧らうじても久ひさしいものゝ弘ひろめ口上こうじやうなど看消みけなし給ふべき事ことならんがこれハなか/\左様さやうに麁末そまつなる薬くすりにてハこれなく只たゞ一度ひとたび用もちひ給ふても忽たちまちに功能こうのうの顕あらはれる妙薬めうやくなり一廻ひとまはり用もちひ給ひてハ御おん顔かほの」色いろ自然しぜんと桜さくらのごとくなり二廻ふたまはり用もちひ給はゞ如何様いかやうに荒症あれしようの肌目きめも羽二重はぶたへ絹きぬのごとき手障てざはりとなるのみならず◯にきび◯そばかす◯腫物はれものの跡あと◯しみの類たぐひ少すこしも跡あとなく治なほりてうるはしくなる事請合うけあい也◯朝あさ起おきて顔かほを洗あらひこの玉粧香ぎよくしやうかうをすり込こみたまはゞ些ちつとも白粉おしろいを付つけたる様やうなる気色けしきもなく只たゞ自然おのつから素皃すがほの白しろくうるはしき様やうになれバ娘御むすめご方かたハいふに不及およはず年重としかさねし御方おんかたが用もちひ給ひても目めに立たゝずして美うつくしくなる製法せいほふゆゑ御おん疑うたかひなく御用もちひ遊あそばされ真まことの美人びじんとなり給ふべし
為永春水精剤
〈髪かみの艶つやを出いだし|髪 垢ふけをさる〉 妙薬めうやく 初はつみどり 〈このくすりハ髪かみを洗あらはずに|あらひしよりもうつくしくなる|こうのう有 代三十六文〉
書物并繪入讀夲所
江戸數寄屋橋御門外弥左エ門町東側中程
文永堂 大嶋屋傳右衞門」
賣弘所
」(丁付なし)
貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし第だい四し輯しう巻まき之三
東都 爲永春水編次
第卅三回 〈月下げつかに會くわいして於お安やす旧縁きうえんを譚かたる|扁舟へんしうに乗のつて阿お亀かめ荒波くはうはに引ひかる〉
再説かくてまた悌婦ていふ於お安やすハ嚮さきよりお亀かめが過すぎ來こし方かたの長譚ながものがたりを打うち听きゝつゝ或あるひハ駭おどろき且かつ呆あきれて感涙かんるいそゞろに找すゝむを覚おぼへず歎なげきの中うちに我わがうゑを問とひかけられて応いらへさへ稍やゝ口くちごもりて居ゐたりしが須斯しばらくあつて首かうべをもたげ駭おどろき入いつたるお前まへの身みのうゑ孝かうといひ又また才智さいちといひ男をの子こも及およばぬ今いまのお的話はなし」
夫それに引ひき替かへ恥はづかしい私わたしが実じつの母はゝといふお前まへの爺公てゝご三郎さふらうさまの妾孕はらがはりの妹いもとにて名なをバお花はなと喚よばれしが過世すぐせの悪あく報ほうありしにや手古奈てこなの家いへに身みを置おきがたく終ついに悪漢わるものの手てに落おちて十五の春はるから松戸まつどの廓さとなる千葉ちば元もとといふ娼家しやうかに售うられ名なも花衣はなぎぬと喚よび替かへて賤いやしき遊女ゆうぢよとなられしに其その頃ころ私わたしの爺とゝさまハ松戸まつどの廓さとより程ほど遠とふからぬ市川いちかはの里さとに住すみ商人しやうにんながらも里人さとびと等らに劔術けんじゆつ柔術やわらを師範しはんなし佩刀たいとうをさへ免許ゆるされし森下もりした葉守はもりが一子ひとりこにて名なを春造しゆんぞうと喚よばれしがふと千葉ちば元もとなる那花衣はなぎぬに迭たがひに思おもひおもはれて通かよふ月つき日ひの」1
重かさなる侭まゝに何時いつしか懐姙たゝならぬ身みとなりて出産うみおとされたハ則すなはち私わたし是これにハ深ふかき仔細しさいもあれどお前まへも手古奈てこなのお娘公むすめごゆへ定さだめて様子やうすハ御ご存知ぞんじならんと听きくよりお亀かめハ打うち駭おどろきさてハ噂うはさに听きゝ及およびし花衣はなぎぬさまのお子こといふハそんならお前まへで御ござりましたか花衣はなぎぬさまハお愁〓いとしくも庭にわの古井ふるゐへ身みを沈しづめと言いひつゝ小膝こひざを找すゝむれハお安やすハ泪なみだをおし拭ぬぐひ母はゝハ死しんでも子こハ死しなず私わたしハ爺御てゝごに抱いだかれて市川いちかはの里さとへ連つれ行ゆかれしに悲かなしき時ときとて爺とゝさんの獨ひとりの親おやなる葉は守もりさまハ俄にわかの病氣びやうきに世よを亡さり給ひ跡あとにハ私わたしと爺とゝさんばかり殊ことさら」
私わたしハ當才とうざいゆゑ乳ちゝがなくてハ一日いちにちも養育やしなはれねバ右辺左辺あちこちと夜よとなく日ひとなく貰もらひ乳ぢして一稔ひとゝせばかりハ過すごされしかど自あれや他これやの物入ものいりにて貯たくはへさへも薄うすくなり市川いちかはにも住すみかねて些ちとの由縁ゆかりを心當こゝろあてに私わたしを抱だいて鎌倉かまくらへいたりしハ其その次つぐの稔とし此所こゝにて僅わづかの元手もとでを借受かりうけ旅篭はたご商賣しやうばいをはじめしに基もとより私わたしの爺とゝさんハ市人ちやうにんでハありながら親おやの氣質きしつを受嗣うけついでか釼術けんじゆつ柔術やわら相撲すまひの手てさへ好このむが侭まゝに自得じとくして弱よはきを佐たすけ強つよきを蹇くじけバ自おのづと他ひとにも立たてられしが尓さるにても男おとこの手てにて稚おさなき者ものを養育やしなはれじ倖さいはひ乳ちゝある孀やもめあれバ後妻のちぞひに貰もらはれよと」2
屡々しば/\すゝむる者ものあれども亡なき母はゝさま〈花衣はなぎぬ|をいふ〉に義理ぎりを立たてはじめの程ほどハ受引うけひかざりしが私わたしを可愛かわゆく思おもはれてか乳汁ちゝあると言いふに心引こゝろひかれ終ついに媒人なかうどの言話ことばにまかせ件くだんの孀やもめを娶めとり給ひ後妻のちぞひとハなされにき恁かくて月つき日ひを經ふるまゝに継まゝしき中なかとて隔へだてなく私わたしを実じつの子このごとく乳房ちぶさをふくめ養育やしなはれ最いと憑たのもしく嬉うれしさに産うみの母はゝぞと心得こゝろえて慕したへバいとゞ不ふ便びんともまた愛あいらしと思おもはれてか日ひに増まし夜よに増まし愛めでられて血ちこそハ分わけねその恩おんハ産うみにも異かはらずおもひしに親おや子この縁えんの薄うすきにや私わたしの丁度てうど 五才いつゝの稔とし爺とゝさんに死しに」
別わかれ涙なみだの袖そでも乾かはかぬに又また母はゝさんを亡うしなふて了つゐに孤女みなしごとなる程ほどに母はゝの由結ゆかりのあるをもて腰越こしごえ村むらへ引ひき取とられ他ひとの情なさけに漸々やう/\と成長せいちやうするに順したがつて亡なき爺とゝさんの遺言ゆいげんを思おもひまはせバ手古奈てこなの家いへにつながる縁えんハありながら今更いまさら尋たづね往ゆかんにも是これぞと思おもふ證拠しやうこもなく况まして賎いやしき今いまの身みで花衣はなぎぬが子こと名乗なのらんハ最いと恥はづかしと思おもふゆゑ仇あだに月つき日ひを過すごせしかバ現げん在ざい叔父おぢなる三郎さふらうさまの横わう死しを夢ゆめにも知しるよしなけれバ愛あい嬉きを讐あだとハ猶なほ知しらず仮初かりそめながら此この家いへに十日とふかあまりを過すごせしこと我身わがみ ながらも鈍おぞましや今宵こよひお前まへに出合であはずハ」3
讐あだとも知しらずやみ/\と渠かれが賊手ぞくしゆに殺ころされなん危あやうひ事ことでござりましたと言いへバお亀かめも打うち頷うなづき斯かくあらんとハ毫つゆ知しらねど嚮さきに母屋おもや でお前まへの噂うはさ聞きくとひとしく慕したはしくまた憑たのもしく思おもふゆゑ可惜あたら賢女けんぢよを埋木うもれぎと朽くち果はたさんハ痛いたましく術すべこそあれと艶書ゑんしよに縡こと寄よせ倶ともに此この家やを走はしらんと思おもひしハ亦また画餅あだならで名乗なのつて見みれバ迭たがひに従弟いとこ 是これもひとへに親々おや/\の引ひき合あはせ給ふものかまたハ過世すぐせの因縁ゐんえんか寔まことに竒くしき今宵こよひの出會であひ 尓さすれバお前まへの助太刀すけだちも不思義ふしぎに叔父おぢの讐あたを撃うつ是これさへ親おやの導引みちびきかと思おもへバ嬉うれしく辱かたじけなく心強こゝろつよさも」
弥いや増ましぬと迭たがひに心打こゝろうち明あけて意中ゐちうをつくす賢女けんぢよと賢女けんぢよ長譚ながものがたりに春はるの夜よの最いとはかなくも明あけ安やすく有明ありあけの月つきも影かげ薄うすき東雲しのゝめ近ちかくぞなりにける有右かゝる 折をりしも庖厨くりや の方かたにて癖者くせものハ何処いづこに居をる打うてよ搦からめよ遁のがすなと若わか黨とう下奴しもべの騒さはぐ声こゑ最いとかしましく聞きこゆるにぞ見付みつけられてハ面仆めんどうと点頭うなづき合あいつゝ廣場ひろにはへ下をり立たつ先さきの塗塀ぬりべいにお亀かめハ豫かねてこしらへ置おきけん懐ふところよりして縄なわ楷子はしごを取出とりいだしつゝ打うちかけてはや駈揚かけあがる速はや所為わざにお安やすも屓まけじと這はひ登のぼり外面そともへひらりと飛とび越こへつゝ足あしに任まかせて走はしるにぞ由井ゆゐが濱はま辺べに程ほど近ちかき波打なみうち際ぎはまで」4
来きし折をりしも後方あとべを佶きつと視み返かへれバ件くだんの若黨わかとう下奴しもべ們らか各手てに%\得物えものを引提ひつさげ々々/\お主しゆうの敵かたき遁のがさじと声こゑをかぎりに喚よび蒐かけつゝ頓やがて間ま近ぢかくなるほどにお安やすハ阿容おめたる氣色けしきなく那奴きやつ 等らも敵かたきの片割かたわれなるぞいで物もの見みせんと立たち戻もどる袖そでをお亀かめか引止ひきとめてそのお言話ことばハ無理むりならねど相手あいてに足たらぬ下奴しもべ等らを撃うつとも尓さのみ功こうにハならじ无益むやくの殺生せつしやうせんよりハ走はしるに如しくハあるまじと言いはれてお安やすハ忽地たちまち悟さとり礒辺いそべ傳づたひに幾町いくまちか走はしる片辺かたへにつなぎ捨すてし一艘いつそうの扁舟こぶねありお亀かめハ速はやくも視畄みとめしかバ是これ幸さいはひと言いふ間まもなく身みを躍おとらせて
【挿絵第五図】
月前げつぜんに両女りやうぢよ来方こしかたの譚ものがたりす
」5」
飛とび乗のるはづみに纜ともづなふつと張はり切きつて今いま引ひく波なみに誘さそはれつゝ四五しご反たんばかり澳おきの方かたへ瞬間またゝくひまに押おし流ながされこハ便びんなしと思おもふにぞお亀かめハ手足てあしを働はたらかせて舟ふねを岸辺きしべに寄よせんとすれども今いま引ひきさかる荒波あらなみに争いかでか艫ろ〓かいも及およぶべき汐しほのまに/\押おし流ながされ竟つゐにハ視みへずなりにけりお安やすハ舩ふねに乗のり遅おくれて噫あな口惜くちおしと身みをもがけど汐しほに引ひかれて行ゆく舟ふねの又また帰かへるべきよしもなきに後うしろハ敵てきに追おひ迫せまられ須臾しばしも這所こゝに猶ゆ豫よならねバ猶なほも礒辺いそべ を走はしりつゝ稻瀬いなせ川がはまで来きた〔た〕りしに此この程ほどの大汐おほしほにや常つねにかゝりし橋はしさへも押流おしながされてあらざれバ」6
流石さすがのお安やすも困こまり果はて奈何いかにやせんとためらふ程ほどに後うしろに近ちか寄よる追隊おつての人数にんず〓だみたる声こゑをふり立たてて嚮さきの一個ひとりハ逸速いちはやくも扁舟こぶねに乗のつて迯にげたれバ今更いまさらに是非ぜひもなし汝なんぢハ這所こゝまで追おひ迫つめたるに落おちたる橋はしの掛かゝらぬうちハ争いかでか遁のがるゝ事ことを得えん尓さすれバ最早もはや篭かごの鳥とり敏とく縛いましめを受うけずやと喚よばはる声こゑと侶倶もろともに携さげたる棒ほうを打うち棹ふり々々/\先さきへ找すゝみし二個ふたりの下奴しもべ女おんなと思おもひ侮あなどりて只たゞ一敲ひとうちと飛とびかゝるをお安やすハ静しづかに見みかへりて右みぎと左ひだりへ受うけ外はづし怯ひるむ二個ふたりが弱腰よはごしを双方そうほう斉ひとしく丁ちやうと蹴ける至妙しめうの術じゆつに須臾しばしも得え堪たへず咯あつと叫さけびて仆たふるゝにぞこハ手強て〔こ〕わ」しと言いひつゝも猶なほ懲こりずまに組付くみつく下僕しもべをあるひハ投退なげの け敲うち仆たふし透すきを見合みあはせ身みを躍おどらせて三間さんげんばかりの稻瀬いなせ 川がはを何なんの苦くもなく飛とび越こえたるお安やすが竒くしき早技はやわざに那かの下奴しもべ等らハ仰天ぎやうてんしあれよあれよと言いふばかり続つゞいて飛越とびこす術すべもなけれバ狐きつねの離はなれし唖方あほうのごとく茫然ぼうぜんとして居ゐたりけり於お安やすハすでに那かの川かはを難なんなく越こゆると其そのまゝに後あとをも視みずして走はしりしが忽地たちまち心こゝろに思おもふやう嚮さきにハ火急くわきうの折おりなるゆゑ行先ゆくさきをさへ定さだめすに那かの礒いそ辺べまで走はしりしにお亀かめハ扁舟こぶねに乗のると斉ひとしく波なみに引ひかれて行衞ゆくゑ知しれねバ何所いづこの浦うらへか漕こき寄よせけん」7
今更いまさら尋たつぬるよすがもなく心こゝろがゝりハ是これのみならす日外いつぞや洲崎すさきの戦たゝかひに此この身みは鈍おぞくも擒とりことなりしが余よの三さん賢女けんぢよ〈お梅うめ 青あを柳やぎ|八代やつしろをいふ〉ハ奈何いかゞなりけん亦また那かのお道みちハお梅むめ等らと義ぎを結むすびしか叛そむきしか夫それさへ知らぬ此この身みの不覚ふかく何なにハ兎ともあれ金澤かなざはなる瀬戸せと村むらに行ゆきて聞きかバ様子やうすの知れぬ事ことハあるまし先まづ那かの安危あんきを問とひ定さだめて後のちにお亀かめを尋たづぬるとも遅おそくハあらじと心こゝろを定さだめ夫それより道みちを引ひき違ちがへて金澤かなざはの方かたへと走はしるものから流石さすがに憚はゞかりのなき身みにあらねバ本道ほんどうをいたらんにハ追隊おつての難なんも計はかられずと態わざと山路やまぢに分わけ入いりてその日ひもやがて」
暮くるゝころ那かの瀬戸せと邑むらにぞいたりける案下そのときお安やすハおもふやう嚮さきにハ老女ろうぢよがおしへにて此この瀬戸せと村むらに躱かくれ住すむお理喜りき於お友ともの〓〓けうだいが草屋くさのやを尋たづねんと約束やくそくしたる事ことなれバ於お梅うめ等らの三賢女さんけんぢよもかならず那所かしこにいたりしならん尓さハ言いへ今いまハ日数ひかずを經へしに扇あふぎが谷やつ家けへ憚はゞかりあれバはや此この地ちにハ居おらざるか夫それさへ計はかり知しらざるに白地あからさまにハ尋たづねがたし奈何いかにやせんと思おもひながら往ゆくとハなしに瀬戸せと邑むらなる明神みやうじんの這方こなたへ来きたりしに葭簀よしず をもて囲かこひたる一軒いつけんの茶さ店てんありて内うちにハ六十才むそぢを稍やゝ越こへし白髪はくはつの叟おきなひとり居をりお安やすハ」8
是これぞ幸さいはひと找すゝみ入いりつ〔ゝ〕片辺かたへなる牀几しやうぎに腰こしを打うちかけて茶ちやをひとつと乞こひけれバ件くだんの叟おきなハお安やすが形容かたちを左視とみ右視かうみつゝ身みを起おこし頓やがて山茶やまぢやを茶碗ちやわんに汲くみ折をしきに乗のせて指さし出いだすをお安やすハ取とつて脇わきに置おき吾〓わらはハ旅たびのものなるが金沢かなざわの瀬戸せとまでハまだ何なにほどの里數みちのりかある願ねがふハ委くわしくおしへ給へと問とはれて叟おきなハ打うち笑わらひ瀬戸せととハ則すなはち這所こゝなるが偖さてハおん身みハ此この辺あたり不案内ふあんないにて在おはするな見みまゐらすれバお年としさへまだうら若わかき女中ちよちうの身みで黄昏たそがれ近ちかきに只たゞ一個ひとり這所こゝにて道みちを問とはるゝハ連つれのお人ひとに遅おくれしか尓さなくハ」道みちに迷まよはれしかと問とひ返かへしたる言ことの話はの最いと老実まめやかにぞ听きこへける
第卅四回 〈六浦郷むつらのさとに安女やすぢよ茶さ翁わうの譚ものがたりを听きく|洲崎すさき村むらに老僕ろうぼく過来こしかたを坐そゞろに報つぐ〉
阿お安やすハ叟おきなの言話ことばにつき是これ幸さいわひと思ふにぞ尚なほも言話ことばを技倆たくみにして否いな道連みちづれハあらぬなり吾〓わらはハ年頃としごろ鎌倉かまくらなる何某なにがしさまのお舘やかたに水仕みづし奉公ほうこうせし者ものなるが年とし毎ごとに三月やよひにハ走百病やぶいりのお暇いとまを三日四日づゝハ賜たまはるゆゑ吾〓わらはも昨日きのふ宿やどに下さがり今日けふハ左辺あち右辺こち知己しるべの方かたをまはる序ついでに此この里さとなるお理喜りきお友ともといふ〓〓けうだいハ鎌倉かまくらのお舘やかたにて朋輩ほうばいなりし縁えんもあれバ久ひさし」9
ぶりにて對面たいめんし過すぎ来こし方かたの的話はなしもせんと思おもふがゆゑに遥々はる%\と此この辺あたりまで来きたりしかど基もとより知しらぬ路次みちなれバ思ひの外ほかにひまどりて鈍おぞや一日ひとひを千歳ちとせともおもふて楽たのしむ走百病やぶいりの今日けふをバ仇あだに暮くらしたりおん身みハ此この地ちのお人ひとなら定さだめて件くたんの〓〓けうだいが栖すみかをも知りてならん何いづれの家いゑぞおしへ給へと問とはれて叟おきなハ眉まゆ打うち顰ひそめ偖さてハおん身みハ此この程ほどの騒さはぎをバ知り給はぬか今いまより旬日とふかほど後あとに管領くわんれいさまの行列ぎやうれつを乱妨らんぼうなせし乙女をとめありその本人ほんにんハお道みちとやら荷膽かたんの者ものも多おほからぬに女子をなごに似氣にげなき武藝ぶげい早技はやわざお供ともの衆しゆさへ」
あしらひかね一且ひとまづ鎌倉かまくらへ引ひき取とられしかバ其その跡あとにて那かの乙女をとめ等らハ豫かねて由縁ゆかりのありしにやおん身みの尋たづぬる〓〓けうだいの躱家かくれがへ忍しのび合あひしを速はやくも鎌倉へ洩もれ聞きこへけん其その暁あかつきに討隊うつてを向むけられ又また大軍おほいくさになるほどに多勢たせい に无勢ぶせい のみならず宵よひからの戦たゝかひに腕も拳こぶしも労つかれしにや或あるひハ戦たゝかひ或あるひハ走はしりて廾町はたまちばかりも往ゆくほどに討隊うつてハいよ/\追おひ迫せまりて既すでに危あやふきその折をりしも那かの乙女をとめ等らが往方ゆくかたより俄にわか〔か〕に黒雲くろくも立たちのぼり稍やゝ明あけそめし東雲しのゝめの空そらも再ふたゝび野干玉ぬばたまの黒白あやめも判わかぬ烏夜やみとなり村雨むらさめさつと降ふり來くるにぞ敵てきも自方みかたも駭おどろき呆あきれ」10
戦たゝかはんにも補とらへんにも如法によほう暗夜あんや に斉ひとしけれバ又また奈何いかんとも詮術せんすべなく了つゐに戦たゝかひハ果はてしとなり其その次つぎの日ひに此この先さきなる洲崎すさき 村むらの松原まつばらへ那かの乙女おとめ等らが首くびなりとて二ッの首級しゆきうを梟かけられつゝ一ッの首くびにハ賊ぞく婦ふ道女みちぢよ又また一ッにハ賊ぞく婦ふ梅女うめぢよと書かきたる木き札ふだを下さげられたれどもつく%\とその様子やうすを視みるに女子をなごの首くびにハ紛まぎれなけれど奈何いかなる仔細わけにや二ふたッながら顔かほの皮かはを引ひき剥むきあれバ定規さだかに夫それとも視分みわけがたく〓もし偽首にせくびにハあるまじきかと疑うたがふ者ものも夛おほかりし尓さる騒さはがしき世よの中なかなるにおん身みハ夫それとも知しらずして那かの〓妹けうだいに縁えんありなぞと賜のたまふ」
事ことを人ひと听きかバ同類どうるいなんどゝ疑うたがはれ連係まきぞひせられんも量はかりがたし且よし然さなくとも此この辺あたりハ乙女をとめの鑿義せんぎきびしきにおん身みの年頃としごろよく似にたれバ何いづれの家いへに行ゆかるゝとも宿やど貸かす者ものハ一個ひとりもあらじと言いひかけて空そらうち眺ながめアヽ長的話ながばなしに日ひハ暮くれぬ我等われらハ店みせを仕舞しまはんにおん身みも些すこしも明あかるきうち何処いづこへなりと往ゆきたまへかならず此辺こゝらに長居ながゐして无失むしつの濡衣ぬれきぬ着き給ふな誘いざ頓々とく/\と促うながしつゝ軈やがて其所そこ等らを片寄かたよする現げに鄙ひな人びとのむくつけき言話ことばのうちに赤心まごころあるハ那かの木訥ぼくとつにして仁じんに近ちかきも斯かゝる人ひとをや言いふならん閑話休題あだしごとハさておきつ於お安やすハ叟おきなが譚ものがたりを」11
听きく毎ごとに胸むね潰つぶれあるひハ駭おどろき且かつ悲かなしめども尓さりとて色いろにも顕あらはさず牀几しやうぎをはなれて身みを起おこし老叟おぢごよ克よくぞ報告つげられたり這処こゝでおん身みの咄はなしを听きかずハ那かの〓妹けうだいが住すむ方かたを左辺あち右辺こちと尋たづね佗わび果はてハ人ひとにも疑うたがはれて身みの禍わざはひともなるべきにこれみな叟おきなの賜たまものなりはや日ひも暮くれに及およびしに心こゝろなくも長居ながゐして嘸さぞやいぶせく思おもはれつらん先いで甲夜よひの間まに宿やど貸かす方かたまで些すこしも速はやく急いそがんと言いひつゝ茶代ちやだいを牀几しやうぎに置おきやがて茶さ店でんを立たち出いでしが肚裏はらのうちに思おもふやう然さるにても此この身みほど世よにあじきなき者ものハなし嚮さきにハ愛嬉あいき が擒とりことなり既すでに命いのちも危あやふかりしを」
不思義ふしぎにお亀かめが救すくひによつて遁のがるゝのみか過来こしかたを問とへバ譚かたれバ迭たがひに従弟いとこ嬉うれしと思おもふも僅わづかにて那かれハ礒辺いそべ の扁舟こぶね に乗のるより波なみに引ひか〔か〕れて行衞ゆくゑ知しれず今いままた這所こゝへ尋たづね來きて様子やうすを听きけバ這所こゝもまた再度さいどの討隊うつて に追おひ迫せまられお梅うめお道みちハ撃うたれしとか只たゞ疑うたがはしきハ其その首くびの面おもての皮かはを剥むき捨すてて梟かけたるこそ合点がてんゆかね若もし那かの叟おきなが言いへるごとく偽首にせくびをもて実まことと言いひなし捕とり迯にがしたる誤あやまちを塗ぬり隱かくさんと計はかりし物ものか尓しかあらんにハ嬉うれしけれど千せんに一ッも実まことなら生いきるも死しぬるも侶倶もろともにと誓ちかひし人ひとを亡失さきだてて今更いまさらに奈何いかにせん兎とても」12
角かくても這所こゝに居ゐて獨ひとり物ものを思おもはんより何いづれの國くにをも尋たづね回めぐり青柳あをやぎ八代やつしろの二個ふたりに偶あふて縡ことの実否じつぴを問とふにあらずハ争いかでか真まことを知しるよしあらん先まづ夫それよりもさし當あたる洲崎すさき村むらなる松まつ蔭かげに今いまハ日数ひかずを經へしゆゑに假令たとへ梟かけたる首くびハなくとも其その跡あとハ猶なほ那所かしこにあらん行ゆきて見みばやと思おもふにぞ足あしを速はやめて往ゆく程ほどに案内あんない知しつたる道みちなれバ甲夜よひ暗やみながらも迷まよふ事ことなく瀬戸せとの二橋にきやうも打越うちこへつ急いそぐが侭まゝに最いと速はやく洲崎すさき村むらなる縄なわ手てに出いでけり登その時ときお安やすハ四下あたりに氣きを付つけ右辺こゝか左辺かしこと視みまはしたる往方ゆくての道みちの傍かたはらに果はたして一木ひときの老松おいまつあり這所こゝ」
【挿絵第六図】
お安やす瀬戸せと村むらの茶店さてんに憩いこふ
」13」
なるべしと思おもふにぞ世よに亡人なきひとの忍しのばれて須臾しばし木蔭こかげ に徨たゝずみつゝ声こゑこそ立たてね心こゝろにて弥陀佛みだぶつ々々/\と唱となへてハ思おもはず泪なみだにくれけるが斯かくてハ果はてじと心こゝろを〓はげまし那かの松蔭まつかげを立出たちいでつゝ二三歩ふたあしみあし往ゆく折おりしも忽地たちまち後うしろに人ひとありて八代やつしろさまにハ在おはさぬかと喚よびかけられてお安やすハ駭おどろき我われを八代やつしろと見違みたがへて喚よび畄とめしハ〓そも何者なにものならん若もしも自方こなたへ由結ゆかりの人ひとか何なにハ兎ともあれ問とひ試こゝろみて名乗なのりてよくバ名乗なのらんと静しづかに後うしろを見みかへりて今いま喚よばれしハ何人なにびとぞと言いはれて彼方かなたの松蔭まつかげより現あらはれ出いでし其その人ひとハ五十才いそぢばかりの一個ひとりの老僕おやぢ」14
星ほしの光ひかりに於お安やすが顔かほをさし覗のぞきつゝ打うち含咲ほゝえ み偖さてハ和君あなたが八代やつしろさまかまだ一回ひとたびも見參まみへねバお見知みしりなきも道理ことわりなり私事わたくしことハ夛塚おほつかなる荘官しやうくわん杢もく兵衛べゑが家いへの老僕おとな鍬八くわはちともふすものなるが嚮さきに主家しゆうかの騒動そうどうの折をりお竹たけさまを伴ともなひて梅うめ太郎たらうさまのお後あとを慕したひ相模さがみ路ぢさして来くる路次みちにてお竹たけさまにハ俄にわかの御ご病氣びやうきつい仮初かりそめの事ことならで去稔こそと暮くれ又また今稔ことしとなれと快おこ方たり給ふ様子やうすもなく種々さま%\心こゝろを悩なやます折をりから豫かねて夛塚おほつかで見み知しりたる神宮かには屋やの老奴おとな苦七くしちといふ者ものふと途中とちうにて行ゆき合あはせしに渠かれハ」
基もとより技倆たくみありてや箇様かやう々々/\に言いひなせしに実事まことと思おもひ誤あやまりて鈍おぞくも渠かれに欺あざむかれ又また如此しか々々/\に計はかられて病やまひに労つかれし孃じやうさまを葛籠つゞらの中うちに救たすけ入いれ苦七くしちが速はやくも脊屓せおふて出いづれバ遅おくれハせじと小可やつがれも些ちとの荷物にもつを携たづさへて続つゞいて出いづる掾先えんさきに伎倆たくみの罠わなの鍵縄かぎなわのありとも知しらで掛かけ畄とめられ思おもはず〓どうと仆たふれたる此この物音ものおとを听きゝ付つけて追々おい/\駈かけ寄よる宿屋やどやの小奴こもの等ら盗人ぬすびとなりと喚よばはりつゝ既すでに我われ等らを〓縛いましめんと右左みぎひだりより立たち寄よる折おりしも其家そのやの主人あるじが出来いできたり騒さわぐ小奴こものを追おひ退しりぞけ我等われらを近ちかく找すゝませておん」15
身みハ去稔こぞより逗畄とうりうして那かの病人びやうにんをいたはり給ふ赤心まごゝろをよく知しるゆゑに盤纏ろようの尽つきしハ知しりながら尚なほ左右かにかくと心こゝろを付つけ些ちとの錢ぜににもなれかしと日雇ひようの口くちさへ丗話せわをして進まゐらせしハこれ誰たが為ためぞおん身みの辛苦しんくを佐たすけんため尓さすれバ客〓はたごの貸かしありとて〓そを催促はたるべき我われならぬに何なにとて夜迯よにげハ為し給ふぞ是これにハ何なんぞ仔細わけある事ことか四下あたりの人ひとハ遠とふざけたるに心隈こゝろくまなく報知つげられよと言いはれていよ/\面目めんぼくなく斯かくまで実義じつきのある人ひとに尚なほ躱つゝまんハ罪つみ深ふかしと思おもひにけれバ些ちつとも隠かくさずいぬる夛塚おほつかの騒そう動どうより今日けふしも苦七くしちに欺あざむかれ今いま這回こゝに及およびしまでの一伍一什いちぶしゝうを」
譚ものがたるにぞ主人あるじハ听きいて打うち駭おどろき尓さすれバ須臾しばしも猶豫ゆよ為しがたし敏とくその苦七くしちを追おひ畄とめずハ後のちに悔くゆとも詮せんなからん然さハ言いへおん身みハ掾端えんばなにてしたゝかに腰こしを打うちしとなれバ走はしる事ことハ不便ふべんならん幸さいはひ嚮さきに遠とふざけたる小厮こもの等らハ尚なほ庖厨くりやにあり渠かれ等らを追隊おつてに遣つかはしなバ假令たとへ時刻じこくハ遅おくれしとて二里にりか三里さんりの其その内うちにハ追おひ畄とめずといふ事ハあらじと言いひつゝ小厮こもの を喚よび近付ちかづ け縡こと如此しか々々/\と吩咐いひつくれハ誰たれか一議いちぎに及およぶべきみな一同いちどうに応いらへして軈やがて四方しほうへ手分てわけ しつ背門せど口ぐちよりぞ走はせ去さりける累々かさね/\し主人あるじが好意なさけに只たゞ感涙かんるいのすゝむをおぼへず恁かくて俟まつ事こと一時ひとゝきばかり稍やゝ子ねの」16
刻こくも過すぎし頃ころ最前さいぜんの小こ厮もの等らが二三個ふたりみたり帰かへり来きて額ひたいの汗あせを拭ぬぐひあへず主人あるじに對むかひて偖さて言いふやう嚮さきに我們われら ハこの家やを出いでて東ひがしの道みちへと急いそぎつゝ二里にりばかりも走はしるほどに圖と見みれバ往方ゆくての谷間たにあひに赤あけに染そみつゝ仆たをれし人ひとあり若もしや夫それかと思おもふにぞ立たち寄よりてよく/\見みるに果はたして甲夜よひに遁のがれ去さりたる那かの苦七くしちとやらに紛まぎれなけれバ尚なほ其その疵きずを改あらため視みるに其そのさま猛獣もうしうに掻かき裂さかれしか喰くひ殺ころされしごとくなれバ那かの乙女おとめもや存おはすると四下あたり隈くまなく尋たづねしかども少女おとめハさらなり葛籠つゞらさへ絶たへて其辺そこらに見みへざれバ先まづ此このよしを報つげもふさんと思おもへバ心こゝろもいそがしく飛とぶがごとくに」
走はせ帰かへりぬと此この譚ものがたりを打うち听きくに苦七くしちが横死わうしハ心地こゝちよけれど孃じやうさまのうゑ氣遣きづかはしく尓さハとて索たづね遭あはんにも些ちとの手てがゝりあらざれバ又また奈何いかにとも詮術せんすべなく一旦ひとまづ鎌倉かまくらへ立たち越こへて梅太郎うめたらうさまに偶回めぐりあひ是等これらのよしを報つげもふさバ又またよき思按しあんもあるべきと思おもふ旨むねを主人あるじに語かたれバ一議いちぎに及およばず応うべなひて些ちとの錢ぜにさへ取とり出いだし盤纏ろようにせよとて贈おくりたる其赤心まこゝろを欣喜よろこびつゝ頓やがて鎌かま倉くらへ赴おもむきつ蜜ひそかに様子やうすを問とひ試こゝろみしに那かの舩櫓ふなやくらの催もよふしのこと其その折おり錦にしきの御み籏はたをバ梅太郎うめたらうさまが取とり返かへさんとて那かの三重さんぢうの樓やぐらにて八代やつしろさまと組くみ合あふたる侭まゝ舩ふね侶倶もろともに覆くつがへり竟つゐに行衞ゆくゑを」17
知しらざる事こと又また梅太郎うめたらうさまハ男子おのこにあらで実じつハ乙女おとめでありしことまで這所こゝにはじめて听きゝしかバ駭おどろきつ又また悲かなしみつさま%\心こゝろを痛いためてもはや日数ひかずを經へし事ことなれバ今いまさらに詮方せんかたなく其その日ひハ仇あだに暮くらせしが尚なほも委くわしき様子やうすを听きかんと次つぐの日ひも又また鎌倉かまくらなる繁花はんくわの場所ばしよを駈かけまはり人ひと立だち繁しげき所ところに行ゆきてハ港ちまたの風聞ふうぶんを徨たち听ぎくに昨日きのふ金澤かなざはの洲崎すさき村むらにて管領くわんれいさまの行列ぎやうれつを乱妨らんぼうなせし乙女おとめあり其その本人ほんにんハお道みちとやら夫それに荷擔かたんの乙女おとめ等らにハお梅うめ八代やつしろ青柳あをやぎお安やすまだ此この他ほかにもありしとか其そのうちお道みちお梅うめ等らの二女ふたりハ其その場ばにて撃うちとられ今朝けさ」
より洲崎すさきの松蔭まつかげへ二ふたッの首くびを梟かけられしと取沙汰さた専もつばらなりしかバ其所そこに再ふたゞび打うち駭おどろき直すぐさま當所とうしよへ来きて見みれバ果はたして是これなる松蔭まつかげに梟かけたる首くびハありながら疑うたがはしきハ二ふたッとも顔かほの皮かわを剥むき捨すてあれバ定さだかに夫それとも判わからねども下さげたる木札きふだにあり/\と両女ふたりの名前なまへのしるしあれバ又また疑うたがふべき事ことにもあらで遺恨ゐこんの涙なみだやるかたなく密ひそかに袖そでを濡ぬらせしがはや斯かうなりてハ是非ぜひもなしせめてお首くびを竊ぬすみ取とり何いづれの方かたへも躱かくさんものとおもへど昼ひるハ人目ひとめしげく夜よハ又また守人もりての間ひまなけれバ其日そのひも其夜そのよも虚むなしく過すごし又また次つぐの日ひも画餅あだに暮くらして心頻こゝろしきりに焦燥いらだちしに」18
其その夜よハ甲夜よひより雨あめ降ふり出いてて最いと物凄ものさびしき縄手なはて道みち往來ゆきゝも在あらず守人まもりても今宵こよひハ定さだめて怠おこたりなんと思おもへバ密ひそかに忍しのび來きて間ひまを窺うかゞひ二ふたッの首くびを難なんなく竊取ぬすみとりつゝも此この松まつの根ねに埋うづめしを知しる者もの絶たえてなかりける夜よ明あけて件くだんの番卒ばんそつ等らハ首くびの失うせしに駭おどろきしかども〓そを白地あからさまに鑿義せんぎせバ番人ばんにん倶どもの落度おちどとなれバ失うせたる事ことハおし隱かくし訴うつたへもせず人ひとにも報つげず首桶くびおけのみを並ならべ置おきて何事なにごともなく済すみしとなり偖さて小可やつがれハ其その次つぎの日ひ獨ひとりつく%\思おもふやう奈何〔い〕かなれバお梅さまハお道みちとやらに荷か擔たんして可惜あたら命いのちを歿おとされしか仔細しさいハ何なにとも知しるよしなけれど討うち」
洩もらされし乙女おとめ等ら〈青柳あをやぎ八代やつしろ|お安やすをいふ〉も二女ふたの首くびに心こゝろを寄よせて必かならず這所こゝへ来き給ふべし尓さすれバ今日けふより日ひとなく夜よとなく此この松蔭まつかげに躱かくれ居ゐて一ひとッにハお梅うめさまの菩提ぼだいをも弔とむらふべく二ッにハ那かの乙女おとめ等らの尋たづね來き給ふ時ときを俟まつて委くわしき仔細しさいを聞きかんものと思おもひし事ことハ仇あだならで今宵こよひ和君あなたに出合いであ ふこと是これ亡魂なきたまの導みちびきか箇かほど嬉うれしきことハなしと言いひつゝ又またもむせかへる老おいの泪なみだぞ殊勝しゆしやうなりける畢竟ひつきやう鍬八くわはちが譚ものかたり果はててお安やすが応いらへ甚麼いかならん〓そハ次つぎの巻まきに解とき分わくるを聴きゝねかし
貞操婦女八賢誌ていそうおんなはつけんし第だい四輯ししう巻之三了」19
【下帙表紙】三冊同一意匠
【巻端附言】
巻端附言くわんたんふげん
本傳ほんでん第だい一いつ輯しふは六む巻まきを上下じやうげ二に帙ちつとし第だい二に輯しふハ三巻みまきをもて一いち帙ちつとす第だい三さん輯しふに至いたりては五いつ巻まきを一いち帙ちつとなし又また今また四し輯しふを綴つゞるに及およびて第だい一いつ輯しふの如ごとく六む巻まきを分わけて上下じやうげ二に帙ちつとせり但たゞし外題げだいのみ一いち帙ちつをもて一いつ編へんとしるせバ今いま第だい四し輯しふ下げ帙ちつに至いたりてハ外題げだいハ既すでに六編ろくへんとなれり外題げだいと本文なかみと編数へんすうの異かはりしハ只たゞ此この故ゆへなれバ看官みるひとあやしみ給ふ事ことなかれ旦かつ第だい三さん輯しふの序言じよげんに第だい四し輯しふ云々しか%\と録しるせしは作者さくしやの思おもひ違たがへしなれバ〓そもまたみゆるし給へとしかいふ
柳北軒主人再識
【口絵第一図】
美哉菖蒲杜若勇哉此同〓〓可憐一世薄命 おりき\おとも」八けん―四ヘン四 口ノ一ウ、口ノ二オ(ノド)
【巻頭・口絵第二図】
武州久良岐郡六浦荘の遠景
浦ノ江、刀切村、野嶌、瀬戸橋、一本松、洲嵜、金沢村、筆捨枩、能見堂
」八けん―四ヘン四 口ノ二ウ(ノド)
貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし四し輯しう巻まき之の四
東都 爲永春水編次
第卅五回〈粒銀こがねを宛あたへて勇婦ゆうふ老僕ろうぼくを〓はげます|夜よ路みちを侵おかして少年しやうねん阿お袖そでを救たすく〉
案下そのとき阿安おやすハ量はからずも鍬八くわはちが長譚ながものがたりに於お竹たけが薄命はくめい苦七くしち が奸悪かんあく亦また那かの二ふたつの首級しゆきうをば竊ぬすみて這所ここに埋うづめし事ことまで打うち听きく毎ごとに胸むね潰つぶれ駭おどろきもしつ歎なげきもしつ又また鍬八くわはちが赤心まごゝろを最いと憑たのもしく思おもふにも心得こゝろえがたきハ何故なにゆへに我われを八代やつしろと見違みたがへて斯かゝる密事みつじを報告つげたりけん先まづ其その所以ゆえを問とひ定さだめて後のちに」
我わが名なを明あかすとも遅おそくハあらじと思おもふにぞ些すこし小膝こひざを找すゝませて偖さてハ和主そなたが噂うはさに聞きゝし鍬八くわはち叟おぢでありしよな听きけバ听きく程ほど痛いたましきお竹たけさんの身みのなりゆき二稔ふたとせ越ごしの御病氣ごびやうきに和主そなたが辛苦しんくハ奈何いかなりけん心尽こゝろづくしも其その甲斐かひなく今いまハ生死しやうしも判わかずとか聞きくだに胸むねの潰つぶるゝもの和主わぬしが心こゝろを推量おしはかれバ悲かなしくもまた口惜くちおしからん然さるにても和主わぬしが赤心まごゝろ只たゞお竹たけさんのうゑのみならず這所こゝに二ッふたつ の首級くびをさへ竊ぬすみ躱かくせし義心ぎしん忠心ちうしん世よにハ稀まれなる志操こゝろざし賞しやうするに尚なほあまりあり夫それにつけても不思義ふしぎなハ竟ついに見參まみへし事こともなき吾〓わらはを八代やつしろと」1
喚よびかけしハ奈何いかなるゆゑぞと問とひ返かへせバ鍬八くわはち屡々しば/\頷うなづきて其その御ご疑念ぎねん ハさる事ことながら嚮さきにも既すでにもふせしごとく小可やつがれハ此この松蔭まつかげに昼夜ちうやを判わかず躱かくれ居ゐて若もし和君あなたがたのお出いでもやと往ゆき來きの人ひとに氣きをつけて俟まつがうちにも思おもふやう那かの三個さんにんの嬢じやうさまのうち青柳あをやぎさまハ豫かねてより迭たがひに知しりし中なかなれども其その餘よハいまだ面おもても見み知らず何なにを證拠あかしに名乗なのり合あはんと種々さま%\心こゝろを苦くるしめしが凝こつてハなか/\思按しあんにあたはず何なにハ兎ともあれ乙女おとめと視みバ其その年比としごろと様子やうすとを此この木蔭こかげより見み定さだめて坐そゞろに其その名なを喚よびて見みんと思おもひ付つきハ付つきしなれど〓もし過あやまたバ」
大事だいじぞと今日けふまで夥あまたの乙女おとめ等らが通とふりかゝるを見みかけしかど一度ひとたびも喚よび畄とめざりしに最前さいぜん和君あなたのお出いでの様子やうす星ほしの光ひかりにすかし見みるに年とし比ごろと言いひ恰好かつこうといひ威ゐあれども又また猛たけからず遖あはれ勇々ゆゝしき賢女けんぢよと見みしゆへ〓もしや夫それかと心こゝろに嬉うれしく猶なほも様子やうすを窺うかゞふとも御ご存知ぞんぢなくてや松蔭まつかげへ徐々しづ/\と歩あゆみ寄より這所こゝこそ首くびを梟かけたる跡あとと思おぼし召めしたる面体おもゝちにて遺恨ゐこんの外眥まなじり涙なみだをそゝぎ睨詰にらまへつめて在おはせしが軈やがて心こゝろを取直とりなほし口くちの内うちにて佛ほとけの御み名なを二声ふたこゑ三み声こゑ唱となへつゝ立たち去さり給ふ其その様子やうす青柳あをやぎさまにハあらねども八代やつしろさまかお安やすさまか二個ふたりに一個ひとりハ違ちがはじと思おもひ」2
定さだめて馴々なれ/\しくも口から出でる侭まゝ八代やつしろさまと斯かくハ喚よびかけもふせしなりと听きいてお安やすハ打うち含ほゝ咲ゑみ偖さても妙めうなる和主そなたの頓智とんち吾〓わらはが名なハ八代やつしろならず實まことハ則すなはち安やす女ぢよなれども誠忠せいちう義心ぎしんの計はかる処ところ當あたらずといヘども遠とほからず竟ついに遠謀えんぼう空むなしからで今宵こよひ面おもてを會あはせしこと迭たがひのよろこび此このうゑなしと言いはれて鍬八くわはちうち駭おどろき恥はぢたる首かうべを稍やゝもたけて〓々しば/\額ひたいの汗あせを拭ぬぐひ偖さてハ和君あなたハお安やすさまにて八代やつしろさまでハ在おはさぬよな慥たしかにお名なをも听きゝ定さだめず心急こゝろいそぎのせらるゝ侭まゝに坐そゞろに秘事みつじを明あかせし事こと返かへす/\も无ぶ念ねんにて今更いまさら言いひ解とく術すべもなく身みの愚おろかさを悔くゆるのみ面めん」
目ぼくもなき仕しあ合はせと賠話わぶるをお安やすハ听きゝあへず否いな麁忽そこつにハ似にたれども吾〓わらはが一言いちごんの辞ことばも聞きかず只たゞ其その様子やうすを見みしのみにて八代やつしろさんか吾〓わらはかと視極みきはめしハ是これ和主そなたが智ちなり誤あやまちとのみすべからずと執成とりな す言話ことばに鍬八くわはちハいよ/\恥はぢて居ゐたりしが須斯しばらくあつて再ふたゝび言いふやう斯かくもふさバ何なにとやら身みの非ひを餝かざるに似にたれども八代やつしろさまにあらずとて他あだし人ひとに聞きかれしならず和君あなたのお耳み〔ゝ〕へ入いれたる事こと是これ亦また不肖ふしやうの幸さいわひなりし〓そハ左とまれ右かくもあれ何なにより先さきに聞きかまほしきハお梅うめさまハ奈何いかなる仔細わけにてお道みちに荷擔かたんハ為し給ひし又また和君あなたがたのお身みの上うへ」3
包つゝましからずハ報知つげさせ給へと問とはれてお安やすハ躱つゝむによしなく那かの舩樓ふなやかたの事ことよりして片瀬かたせ川かはに流ながれ來きつはじめて三個みたり〈お梅うめ八代やつしろ|お安をいふ〉が面おもてを會あはし夫それより夛塚おほつかにいたりしに彼所かしこにもまた変へんありしを箇様かやう々々/\に計はからひ青柳あをやぎを救すくひ出いだし此この金澤かなざはに遁のがれ来きしに那かのお道みちが讐討あだうちを義ぎによつて助太刀すけだちなせし其そのゆゑハ如此しか々々/\なり其そのとき吾〓わらはハ鈍おぞましくも愛嬉あいきが爲ために擒とりことなり命いのちも既すでに危あやふかりしを不思義ふしぎにお亀かめに救たすけられしに亦またお亀かめにも別わかれたる其その崖略あらましを説示ときしめし夫それより吾〓わらはハ虎口ここうを遁のがれ最前さいぜん這所こゝより程ほど遠とほからぬ瀬戸せと村むらまて忍しのび」
来きつはじめて聞きゝし此この地ちの大変たいへん生死しやうじを倶ともにと誓ちかひたるお梅うめさんさへお道みちとやらさへ竟つゐに其その場ばで命いのちを歿おとしその首くびハまた洲す嵜さきなる此この松蔭まつかげへ梟かけられしと言いはれしときの口惜くちおしさ今いまハ日数ひかずを經へしことゆゑ假令たとへ那所かしこに首くびハなくとも怨うらみを遺のこせし其その跡あとを争いかでか一目ひとめ視みざるべきと這所こゝまで来きつゝ量はからずも和主そなたに遭あふて様子やうすを听きけバ速はやくも首くびを竊かくせしとか世よに有ありがたき赤心まごゝろに競くらぶれバ又また恥はづかしき此この身みの不覚ふかくを今更いまさらに悔くゆとも詮せんハあらぬかしと言いひつ須臾しばし歎息たんそくし首かうべをたれてぞ居ゐたりける鍬八くわはちハ夫それまでの長譚ながものがたりを」4
打うち听きゝて駭おどろきもしつ呆あきれもしつ今いま又ゝたお安やすが心根こゝろねを推量おしはかるほど痛いたましく慰なぐさめかねて居ゐたりしが稍やゝあつて小膝ひざを找すゝめ今こ稔としハ星ほしの悪わるくてか視みるにつけ聴きくにつけ善よき事とてハ稀まれにして幸なきうゑにも幸さちなくてお竹たけさまにハお行ゆくゑ知しれず憑たのみと思ひしお梅うめさまハ仇あだな嵐あらしに吹ふき散ちらされ今ハ此この世よに亡人ひととおなりなされて老おいの身のまた奈何いかにとも詮せん術すべなし只たゞ此うへの憑たのみハ和君あなた左とにも右かくにも御ご思按しあんをと言いはれてお安ハ点頭うなづくのみ流石さすが怜悧さかしき乙女をとめでも敏とみにハ応いらへのならざりしが斯かくてハ果はてじと思おもふにぞ軈やがて腰こし纏つけの財布さいふより粒こ」
【挿絵第七図】
阿安おやすはからす鍬八くわはちに遭あう
」5」
銀かね一包ひとつゝみを取出とりいだし鍬八くわはちに渡わたして言いふやう吾〓わらはとても今更さらによき思按しあんもあらねども這所こゝに梟かけたる二ふたつの首くびの面おもての皮かわを剥はぎしとあれバ〓もし贋首にせくびにハあるまじきかと思おもふ疑念ぎねんハ和主そなたもあるべし夫それ等らの實否じつぷ を糺たゞさん為ため吾〓わらはハ須臾しばし此この地に止とゞまり竊ひそかに動静ようすをさぐりて後のち青柳あをやぎ八代やつしろの二賢女けんぢよが在家ありかを索たづねて相譚かたらはん和主そなたハ夫それなる金を携たづさへ一且ひとまづ此地を立たち去さつて過すぎし日恩おんを受うけしと言ふ彼かの客店はたごやに尋たづね行ゆき客〓はたごの不足を償つぐなふて餘あまれる金かねを盤纏ろようとし武藏むさし相模さがみを隈くまなくめぐりお竹さまの行衛ゆくゑを索たづねハ些ちとの安否あんひハかならず」6
知しれなん吾〓わらはが思按しあんハ先まづ是これなり和主そなたが心こゝろ奈何いかにぞやと言いはれて鍬八くわはち感謝かんしやに堪たへず斯かくまで御心みこゝろつけ給ひし賜物たまものなれバ辞いろひもふさず那かの恩人おんじんに報むくひもふさん又またお竹たけさまの事ことハしも小可やつがれが命いのちに換かへてかならず安危あんき を听きゝ出いださん尊慮そんりよを易やすく思おぼし召めせと言いふにお安やすもよろこびて偖さても迭たがひの長話ながばなしに思おもはず小さ夜よを更ふかせしに聞きく人てなきこそ幸さいはひなれはや言いふ事ことも果はてたるに誘いざさらバ袂たもとを別わかたんかならず吉きつ左右さう知しらせてよと言いはれて点頭うなづく鍬八くわはちも応いらへと倶ともに身みを起おこし軈やがて別わかれて西東にしひがし了つゐに姿すがたも木こ隱がくれけり話説分両頭はなしふたつにわかる偖さてもいぬる夜よ圓塚まるつか山にて」
真弓まゆみと青柳あをやぎといどみ合あふときはづみを打うたれて谷底たにそこへ轉まろび落おちたる那かのお袖そでハ幸さいはひにして身みを傷やぶらねど須臾しばしが程ほどハ息絶いきたへしに誰たれかハ知しらず二三ふたこゑみ声こゑ喚よび生いくる聲こゑの耳みゝに入いり蘇生われにかへりて能よく見みれバ年としの頃ころ十七八か廾才はたちにハまだ足たらで緑みどりの前髪まへがみ艶つややかなる美少びしやう年ねんの膝ひざのうゑに脛はぎもあらはに抱いだかれていとしどけなき形容なりふりにお袖そでハはつと打うち駭おどろき抱いだかれし手てを棹ふり放はなし迯にげんとするを那かの若衆わかしゆハ静しづかに袖を引とゞめ乙女をとめ公ごよ尓さな驚おどろかれそ吾〓わらみハつや/\悪漢わるものならず這所こゝより程ほども遠とほからぬ忍しのぶが岡おかの片辺かたほとりにいとも閑しづかに世よを住すめる香場かには有女うめ太郎と喚よばるゝ者ものなり今朝けさしも」7
聊いさゝか諸要しよえうありて新発浦しばうらまでいたりしに昼ひるハ暑氣あつき の堪たへがたけれバ須臾しばし那所かしこに憩やすらひて夕凉ゆふすゞ立まゝ立たち出いでしが急いそがぬ路みちとて徐々しづ/\と夜風よかぜを肌はだに吹ふき透すかさせ思おもはず更ふけし短夜みじかよの鐘かねハ聞きけども尚なほ急いそがず歩あゆむとハなく這所こゝまて來きつ圖と視みれバ往方ゆくてに仆たをれし乙女をとめ見み捨すてて行ゆかんハ流石さすがにて抱いだき起おこして介抱いたわりしに蘇生よみかへりたハお前まへのみか吾〓わたしがよろこび此この上うへなし尓さるにても乙女をとめの身みで真ま夜よ中なかといひ只たゞ一個ひとりしかも素足はだしで此この辺ほとりに仆たふれて氣き絶ぜつ為したまひしハ戀こひしき人ひとの跡あと追おふてか又またハ継まゝしき母親はゝおやか姑しうとの難面つらさに家出いへで して」
這所こゝまでハ來きたりしに道みち往ゆきあへず持病ぢびやうにても起おこりて息いきの絶たへたるか奈何いかに々々/\と問とい〔ひ〕かけられお袖そでハ応いらへん言話ことばさへ身みの恥はづかしきと悲かなしさに口くちごもりつゝ居ゐたりしが聞きけバ其その名なも有女うめ太郎たらう苗字めうじ も香場かにはと名乗なのりしハ〓もしや夫それかと疑うたがひの雲くもさへ晴はれぬ月影つきかげに若衆わかしゆが顔かほをつく%\と視みるに容貌すがたハ艶やさしけれども吾わが戀人こひびとにハ似にもやらずなまじ其その名の似にたるゆゑ猶なほも思おもひの弥いや増まして泣なかじとすれどあやにくに落おつる泪なみだのやるせなく伏ふししづみたる娘氣むすめぎを哀あはれと見みてや有女うめ太郎たらうハ最いと真實氣まめしげに慰なぐさめつゝ尚なほも様子やうすを尋たづぬる」8
にぞお袖そでも今いまハ躱つゝむによしなくわがみのうゑの崖略あらましと梅太郎うめたらうの事ことお張はりかこと圓塚まるつか山やまの危難きなんさへ告つぐるをうち听きく有女うめ太郎たらうハ駭おどろき呆あきれし面色おもゝちして偖さてハお前まへハ多塚おほつかにて名なに聞きこへたる神宮かには屋やのお娘子むすめこにてありしよな痛いたましや處女をとめの身みで戀こひしき人ひとに見參まみへんと思おもふ心こゝろの一筋ひとすじにお張はりとやらに欺あざむかれかゝる難義なんぎ を做し給ふ事ことよにあるまじき事ことにハあらねど憎にくむべきハお張はりなり尓されども渠かれハ其その場ばをさらずお前まへの〓公あねこの手にかゝりお前まへハ反かへつて此この谷たにへ轉まろび落おちしにはからずもわが介抱かいほうに蘇生よみかへりし是これも何なにかの因縁ゐんえんか」
夫それに就つけてもお前まへの身みのうへ假令たとへお張はりの伎倆たくみにもせよ一且いつたん神宮かには屋やを家出いへで せしに今いま更さら阿容おめ々々/\夛塚おほつかへ帰かへるハ面おもなき所為わざならんお前まへの心こゝろハ奈何いかにぞやと問とはれてお袖そでハさし俯向さ〔う〕つむき応いらへかねてぞ居ゐたりける
第卅六回 〈艶 言ゑんげん 迷 易まよひやすく 貞 女ていちよ 名なを汚けがす|陰情いんじやう陽安あらはれやすく悪少あくしやう舘やかたを追おはる〉
當下そのとき香場かには有女うめ太郎たらうハお袖そでが心を大おほかたハ夫それと推すいして獨ひとり頷うなづき俯向うつむく顔かほをさし覗のぞきて斯かう言いはゞ何なにとやらさしてたやうにも思おもはれんか嚮さきよりお前まへの様子やうすをみるに神宮かにはへ帰かへる」9
きハなくて那かの梅うめさんの跡あとをしたひ鎌倉かまくらへゆくお心ならんか伴当ともびとをさへ連つれもせず處女をとめのみにて只たゞひとり遥はるけきみちを行ゆかんにハ又また悪漢わるもののてにかゝり奈いかなるうきにあわんもしれずよしさることのなきにもせよ鎌倉かまくらへとのみ梅うめさんの行ゆく先さきさへにさだかならぬを尋たづねんとして右辺あち左辺こちと旅たびから旅たびに日を送おくらバ不思義ふしぎの災わざはひなからずやハとハいへ此この侭まゝ夛塚おほつかへかへりてハはや梅うめさんに會あはせぬのみか胸歹むねくろき継まゝしき親おやに苛責せめられて今いまの歎なげきに百倍ひやくばいも増まして悲かなしきことあらん基もとよりお前まへと私わたしとハ聊いさゝか縁えんも由縁ゆかりもあらねど嚮さきに必死ひつしを救たすけしより」
聞きけバきくほど痛いたましさに種々さま/\思按しあんをめぐらすに一まづ私わたしの栖すむ方かたへ這所こゝよりお前まへを伴ともなひゆき偖さて鎌倉かまくらへハ人を遣はし梅うめさん在家ありか をバ慥たしかに其所そこと聞きゝ定さためし後のちお前まへを那かの地ちへ送おくり届とゞけバ聊いさゝか路次ろじのさはりもなく思おもひの侭まゝに會あはれなんさハ言いへ私わたしも獨ひとりみなるにお前まへを故ゆへなく伴ともなひゆき舎蔵かくまひ置おかバ四隣あたりの人ひとの性さがなき口くちに左右かにかくと言いひ囃はやされて後のち了ついに他あだし浮名うきなを立たてられなバ是これも又また後うしろめだし〓そを防ふせがんにハ表向うはへ のみお前まへを私わたしの妻つまと呼よばゞ他ひとの誹そしりハなかるへし夫それとても僅わつかの間うち假令たとへ夫婦ふうふになれバとて表向うはべばかりの事ことならバ〓もし梅うめさんに會あひ〔ひ〕しとて言いひ説とく」10
術すべハ何程いくらもあり是これにて思おもへバ吾〓わたしの名なを香場かには有女うめ太郎たらうと喚よばるゝも仮かりにもお前まへの夫をつととなる過世すぐせからの約束やくそくか〓そハ右とまれ左かくもあれはや東雲しのゝめになりぬるに夜明よあけて人目ひとめ に掛かゝりなバ障さはる事ことのあらんもしれず誘いざ給へ小暗こぐらきうちに我わが僑すむ方かたへ伴ともなひ行ゆき又また其そのうゑの思し按あんもあらん誘いざ頓々とく/\とすゝめられお袖そでも今いま更さら辞いなみがたく尓さハ言いへ現在げんさい総角結ゆひな〔つ〕けの良夫おつとの跡あとを慕したふ身みが人目ひとめを防ふせぐ爲ためなりとて仮かりにも人ひとの妻つまと喚よばれ日ひを送おくらんハ女子をなごの身みに又またあるまじき事ことなれども今いま其その言話ことばに順したがはで一個ひとり鎌倉かまくらへ往ゆく道みちにて〓もし悪奴わるものに出で」
會あひなバ是これにも増まして悲かなしからん最いと浅間あさましき事ことなれども仮かりに此この身みを妻つまと喚よばれ松まつの操みさほを破やぶらずハ不義ふぎに似にてまた不義ふぎならじと心こゝろの裡うちに思按しあんして伴ともなはれつゝ侶倶もろともに人目ひとめ忍しのぶの岡おか近ちかき那かの白屋くさのやにぞ伴ともなはれける什麼そも此この有女うめ太郎たらうハ何なに者ものぞ其そのはじめを尋たづぬるに基もとハ鎌倉かまくらの出産うまれにて賤いやしき者ものの子こなりしが容貌かほかたちの艶麗うるはしきこと女子をなごにしても見みまほしきまで最いともやさしき生立おひたちゆゑ両親ふたおやともに深ふかくよろこび年比としごろにもならんにハ女児をなごのこ▼ヤクシヤぞと偽いつはりて舞まひの一手ひとても習ならはせなバ何いづれ黄金こがねの蔓つるに取付とりつき此この子この蔭かげに立たつ二個ふたりハ老行おひゆく先さきも安やすらけく左手さでに團扇うちわを遣つかふ」11
べしと思おもふが故ゆへに稚児おさなきより糸竹いとたけの道みちハ言いふもさらなり舞まひの手て振ぶりも習ならはせつゝ幾いく年月としつきを經ふる程ほどに此この有女うめ太郎たらうが十五の稔とし両ふた親おやともに世よを去さりて倚辺よるべなき身みとなりけるに思おもひがけずもその稔としの秋あき扇あふぎが谷やつ管領家くわんれいけより童扈従わらはごしやうに抱かゝへられしにその容貌かほかたちの艶やさしきのみか最いと怜悧氣さかしげ なる生立おひたちゆゑ定正さだまさぬしの心こゝろにかなひ香場かには と言へる苗字めうじ さへ乞こへるが侭まゝに賜たまはりて寵愛ちやうあい日夜にちや に弥いや増ますにぞ是これより心こゝろに驕慢おごり 生しやうじ基もとより鳴呼おこの癖者くせものなれバ同おなじ奥おくに勤つとめ居ゐる女子おなごどもを哄誘そゝのかし婀娜あだなる名なさへ立たつものから有女うめ太郎たらうハ尚なほ飽あき足たらでや現在げんざい主君しゆくんの側妾おもひものなる那かの烏羽うば玉たまに」
心こゝろを寄よせしが流石さすがに憚はゞかりの関せきもあれバ打うち付つけにも言いひ寄よりかたく折をりもがなと思おもふうち頃ころしも春はるの中旬なかばとて人ひとの心こゝろも自おのづから浮うき立たつ空そらに東風こちかぜのそよと吹ふきつゝ梅うめが香かの時とき知しり顔がほに咲さき乱みだれ十日とうかばかりの甲夜よひ月づきさへ隈くまなく照てらす庭にわもせの氣色けしきに愛めでてや烏羽うば玉たまハ掾えん先さき近ちかく端居はしゐして物もの淋さびし氣げに見みゆるにぞ折をりこそよしと有女うめ太郎たらうハ膽きも太ふとくも忍しのび寄より月つきに寄よそへ花はなに譬たとへて心こゝろの丈たけをかき口説くどかれ基もと烏羽うば玉たまハ其その母はゝなる愛嬉あいきが氣きをや受うけ継つぎけん性さがとして色いろを好このみ最いと淫みだらはしき女子をなごなるに今いま有女うめ太郎たらうが言話ことばと言いひ其その容貌かほかたちの艶やさしきを」12
憎にくからずとや思おもひけん赤あからむ顔かほともろともに頻しきりに胸むねのうち騒さわぎ奈何いかにやせんと躊躇たゆだふ折をりしも忽地たちまち人ひとの色影けわいして此この小室こざしきへ来くる者ものあり是これ則すなはち定正さだまさぬしなり思おもひがけなき事ことなれバ二個ふたり ハはつと打うち駭おどろきしが流石さすがハ白徒しれもの色いろにも出いださず其その場ばハよきに言いひなして何事なにごともなく濟すみしかども是これより御み氣色けしきよろしからず幾程いくほどもなく有女うめ太郎たらうにハ身みの暇いとまを賜たまはりつ烏羽うば玉たまハ其その侭まゝに舘やかたの内うちへハ置おかれしかど寵愛ちやうあいハはじめに似にず最いと疎々うと/\しくなる程ほどに此この事こと速はやくも内君うちぎみなる花はなの方かたに听きこへしかバ基もとより妬ねたしと思おもはれし烏羽うば玉たまなれバ竊ひそかに」
【挿絵第八図】
扇あふぎが谷やつの奥殿おくでんに梅うめよく有女うめを誘いざなふ うば玉\有女太郎
」13」
よろこび尚なほ渠かれをさへ追おひ出いださんと両個ふたりが悪事あくじを種々さま%\とある事ことない事こと言いひこしらへ人ひとにも言いはせ自みづからも悪あしさまに讒ざんせしかバ定正さだまさいよ/\御み氣色けしきあしく尓さりとて追をひも出いだされず是これに依よつて那かの愛嬉あいき ハ深ふかく心こゝろを痛いためつゝ偖さてハお安やすを荷擔かたらひしなり〓そハ此この次つぎの年としなりき却かくてまた有女うめ太郎たらうハ其その身みの仕出しだせし事こととハ言いヘど昨日きのふまでも今日けふまでも寵愛ちやうあい他ほかに竝ならびなけれバ争いかでか烏羽うば玉たまを我わが手てに入いれ扇谷家あふぎがやつけの權臣きりものとも成なりおゝせんと思おもひしに其その事ことならざるのみならで舘やかたの裡うちさへ追おひ拂はらはれ今いま両親ふたおやもあらぬ身みハ鎌倉かまくらにも僑すみがたく些ちとの」14
知己しるべを心當こゝろあてに武蔵むさしの荏土えどへ尋たづね来きつ忍しのぶが岡おかの片辺かたへなる日暮ひぐらしの里さとに空房あきやありしを僅わづかの金かねにて購求かひもとめさせる家なり業わひも知しらぬ身みハ肩かたに拐おふこ▼○テンビンホウも乗のせがたく或あるハ里さとの稚児おさなごに筆ふで採とる道みちをおしへもしつ又またハ城下じやうかの乙女をとめ等らに糸竹いとたけの業わざ舞まひの手てなぞ覚おぼへしまゝに教おしへなどして細ほそき煙けむりを立たつるにも元來もとより浮薄ふはくの白者しれものなれバ人ひとを欺あざむく癖くせハ止やまでよからぬうはさも夛おほかりしとぞ尓さる程ほどに那かのお袖そでハ心こゝろならずも有女うめ太郎たらうが艶やさしき言話ことばの憑たのもしさに渠かれが僑家すみかへ伴ともなはれ人目ひとめばかりを渾家つまと喚よばれ仮かりに良人おつととかしづきつゝ今日けふと暮くれ翌日あすと明あかせバ四隣あたりの」
人ひとも訪とひ来くる客きやくもよき一對いつゝいの雛ひゐななり世よに浦山うらやましき女夫めをとかなと嬲なぶらるゝさへ口惜くやしくて一日ひとひも速はやく吾わが夫つまの在家ありか を知しらバ索遭たづねあひ両個ふたり同居いつしよに暮くらしなバ假令たとへ貧まづしき浮世うきよ でも熟なれぬ手技てわざに拷たへ禽水ふすまみづをも汲くまめ爨かしきもせめ昔話むかしばなしに似にたれども妻つまハ小川をがは に衣洗きぬそゝぎ所天おつとハ山で木き柴しば苅かるを鎌倉かまくらにまれ鄙ひなにまれ渾家つまよ良夫おつとと喚よび喚よばれ暮くらさバ奈何いかに嬉うれしからんを他あだし男おとこに他あだし名なを喚よばるゝ難面つら さ口惜くちおしさ尓さりとて外ほかに寄辺よるべなき身みを今更いまさらに甚麼いかにせんと思おもひ返かへしつ憂うき色いろを顔かほにも出ださで暮くらすにぞ俟まつに便たよりハあらずして俟またぬ月日つきひ の立たち安やすく七ふ月づきも他あだに暮くれ行ゆきつ捌は月づきも末すへになる」15
侭まゝに野の山やまの色いろも移うつりゆき此この身みばかりの秋あきならねと物思ものおもふ身みハいとゞ尚なほ乾かわかぬ袖そでの露つゆしぐれ泣なく音ねを余所よそに洩もらさじと忍しのぶ心こゝろを慰なぐさめハせで倶音ともね に携唱すだく虫むしの声こゑ軒端のきば の梅うめも色いろ替かへて憑たのもしげなき梔はぢ紅葉もみぢ 我われのみ立たつる操みさほをバ夫おつとに一言ひとこと報知つげたやと思おもへバいとゞ懐なつかしく那処かなたの空そらを三芳野みよしのの田たの面もの雁かりの便たよりさへまだあらずやと心こゝろのみ急せかるゝまゝに折々おり/\ハ有女うめ太郎たらうに尋たづねても嚮さきに鎌倉かまくらへ遣つかはしたる飛脚ひきやくの戻もどり来こぬ中うちハ奈何いかにとも詮術せんすべなし思おもふに斯かくまで帰かへりの遅おそきハ今いまに行ゆく衛えの知しれざるならん然さりとて三月みつきか四月よつきのほどにハ尋たづね出いださぬ事ことハ」
あるまじ在家ありかの知れし其そのうゑでハ友とも白髪しらがまで添そひとげて二に世せも三世さんせ も其その先さきまでも末すへいと長ながき縁ゑにしなるを假令たとへ會あふ日ひの遅おそくとも尓さのみな心急こゝろせかれそと慰なぐさめられても慰なぐさまぬ心こゝろを自みづから取とり直なをし俟まつに甲斐かひなく秋あきも過すき冬ふゆと替かはりつ其その稔としも夢ゆめかとばかり暮くれ行ゆきて明あくれバ文明ぶんめい六年ろくねんの春はるも弥生やよひとなるまでも鎌倉かまくらよりの音信おとづれなくお袖そでハいとゞ俟まち佗わびしくやるせなきまで悲かなしさに獨ひとり熟々つく%\思おもふやう此この家やの主人あるじハ誠心まめしげなるやさしき言話ことばにほだされて仮初かりそめながら九月こゝのつき俟まつ甲斐かひ今いまにあらし吹ふく風かせの便たよりも聞きこへぬハ〓もしも御おん身みに凶事きよじあつてか心こゝろがゝりハ是これのみならでいぬる七月ふづきの」16
廾七日圖塚山まるづかやまにて不思義ふしぎにもはじめて逢あふた〓あねさんの今いまハ何所いづこに居ゐ給ふとも知しらで月日つきひ を古郷ふるさとの養親やしなひおやの事ことさへも思おもひ出だされつ懐なつかしさに夛塚おほつかへ行ゆく人ひとあるときハ有女うめ太郎たらうにハ知しらさずして竊ひそかに動静ようす を聞きかせしに此この程ほど神宮かには屋やに大變たいへんあり情由わけハ何なにとも知しれねども那かの知縣だいくわんの大六だいろくどの夥あまたの人数にんずを引ひき連つれて俄にわかに夜中やちう に押おし掛かけ来きつ夫婦ふうふハさらなり家内やうちのものども僉みな残のこりなく斬きり尽つくし家財かざいも落おちなく召めし揚あげられしに此この事こと速はやくも鎌倉かまくらへ聞きこへ大六だいろくが旧悪きうあくあらはれて既すでに命いのちも危あやふかりしを奈何いかにして遁のがれけん積貯つみたくわへたる金子きんすを携たづさへ竊ひそかに彼かの」
地ちを逐電ちくてんして今いまハ行衛ゆくゑも知しれずとぞ世よハ種々さま%\な物ものなりと余よ所そ事ごとらしく譚ものがたるをお袖そでハ听きくより悲かなしさの又またひとつ増ます古郷こきやうの凶信きやうしん假令たとへ親公おやごの心こゝろざまハ好よくもあれ歹あしくもあれ幼少おさなきときより養やしなはれたる恩惠めぐみを争いかで忘わするべき尓さるにても此この身みほど世よに薄命あじきなき者ものハなし実まことの親おやも養親やしおやも非命ひめいに此この世よを去さり給ひみす/\敵かたきハ知しれながらも討うつ事こと難かたき女子をなごの甲斐かひなさ夫それに就つけても我わが良夫つまか亦また〓あねさんに面會めぐりあはバ怨うらみを報かへす術すべあらんと思おもへバいとゞ懐なつかしく左とやせん右かくやと胸むねをのみ痛いためても又また詮術せんすべなく果はてハ涙なみだに呉くれ竹たけの世よハ春はるながら春はるならぬ心こゝろの憂うさぞやるせなき有右かゝりし程ほどに」17日ひ
數かず經へて弥生やよひも下旬すへになりし頃ころ或ある黄昏たそかれに門口かどくちの枝折しをりを外そとより押おし明あけて内うちへ入いり来くる一個ひとりの男をとこ脚半きやはん甲掛かうかけいかめしく提さけたる笠かさを表面とのかたに置おきつゝ腰こしをかゞましく有女うめ太郎たらうさまハお宿やどにか小可やつかれハ去稔こぞの秋あき鎌倉かまくらへ遣つかはされし飛脚ひきやくの者ものでござりますと听きいてよろこぶお袖そでと倶ともに有女うめ太た郎らうも走はしり出いで〓そハ俟まち兼かねし此方こなたへと言いひて一室ひとまへ伴ともなひけり必竟ひつきやう飛脚ひきやくを喚よひ入いれて復また什麼いかなる譚ものがたりかある〓そハ次つぎの回めぐりを見みて知しらん
貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし第だい四輯ししう巻まき之の四了」」18
貞操婦女八賢誌〔て〕いそうおんなはつけんし四し輯しう巻まき之五
東都 爲永春水編次
第卅七回 〈節せつを守まもりて阿お袖そで 凶信きやうしんを歎なげく|言ことばを巧たくみて少年しようねん淫情いんじやうに迫せまる〉
再説ふたゝびとく有女うめ太郎たらうハ嚮さきに鎌倉かまくらへ遣つかはしたる飛脚ひきやくの皈かへりしと聞きくよりも直すぐさま一室ひとまへ喚よび入いれて動静ようす甚麼いかにと索たづぬるにぞお袖そでハ心こゝろもいそ/\と暖茶ぬるちやをすゝめ火ひ桶をけを出いだし側居ついゐて言語ことばを待まつ程ほどに件くだんの飛脚ひきやくハ額ひたいなる汗あせを〓々しば/\おし拭ぬぐひ小可やつがれハ去稔こぞの七月ふづき梅うめ太郎たらうさまとやらの在おはする方かたを尋たづね来こよとお憑たのみ故ゆへに」
須臾しばしも猶豫ゆよせず先まづ鎌倉かまくらにいたりつゝ足あしに任まかせて左辺あち右辺こちと名なと年比としごろとを心當こゝろあてに尋たづねても尋たづねても或あるハ梅うめ次郎じらう梅之助うめのすけなど似寄によりの名前なまへハ聞きゝ出だしても更さらに梅うめ太郎たらうといふ名なさへ听きかず尓さりとて此この侭まゝ帰かへりてハ憑たのまれたる甲斐かひもなし猶なほも隈くまなく尋たづねんと東ひがしハ金澤かなざはの果はてよりして西にしハ大礒おほいそ小田原をだはらまで幾回いくたびとなく駈かけめぐるうち何時いつしか秋あきも稍やゝ暮くれて冬ふゆも中旬なかばになりしかど更さらに些すこしの手掛てがゝりもなく尋たづね佗わびつゝ又また基もとの鎌倉かまくらへいたりしに或ある人ひとの話はなしを聞きけバ今いまより十日とうか程ほど跡あとに比この先さきなる客店はたごやに泊とまり合あはせし若衆わかしゆあり其その名なもたしか梅うめ太郎たらうとか」1
生國しやうこくハ武藏むさしなるよし何なにか索たづぬる品しなありとて七月ふづきの頃ころより逗畄とうりうせしがつれ%\の餘あまりにや宿屋やどやの處女むすめを哄誘そゝのかしついした事ことから実じつとなり何時いつしか處女むすめハ懐〓みごもりて親おやの耳みゝにも入いるほどに縡ことむづかしとや思おもひけん那かの梅うめ太郎たらうハ娘むすめを伴ともなひ夜よに紛まぎれて逐電ちくてんしつ今いまに行衞ゆくゑハ知しれずと言いふにぞ打うち駭おどろきしが疑うたがひの猶なほ晴はれざれバ件くだんの宿屋やどやに泊とまりをこひつゝ余所よそ々々/\しく那かの梅むめ太郎たらうが様子やうすを聞きゝしに嚮さきの的話はなしに毫つゆ違たがはず年頃としごろといひ容貌かほかたちまで尋たづぬる人ひとによく似にたれバ〓もし家出いゑで して行ゆきたる先さきの知しれもやせんと宿屋やどや の奴婢ぬい等らを」
種々さま%\に欺だましつ透すかしつ問とひ試こゝろみしにはしなきハ女子をなごの癖くせとて一個ひとりの奴婢ぬいが報つぐるやう是こハ寔まことに秘事ひめごとながら竊ひそかにおん身みに報知つげもふさん実じつ這こ方なたの孃じやうさまにハ他ほかに定さだまる聟むこがねありて近ちかきに祝言しうげん為し給はんと豫かねて結納しるしも受取うけとり置おきしに那かのお若衆わかしゆに哄誘そゝのかされ懐〓身たゞならぬみとなられしゆゑ今更いまさら祝言しうげんもなりがたく尓さりとて此この侭まゝ家いゑに置おきてハ聟むこどのに言解いひわけなしと表面うはべ ハ逐電ちくてんと言いひなして実じつハ親公おやごの差圖さしづにて津つの國くになる浪花なにはの浦うらに些ちとの由縁ゆかりのあるを憑たのみて二個ふたりを那かの地ちへ遣つかはしたるよし低ひそやかに譚ものがたるにぞ大おほかたハ夫それと」2
思おもヘど猶なほその人ひとを見みぬうちハたしかに帰かへつて箇様かやう々々/\とお的話はなしもなりがたく幸さいわひ他ほかに用事やうじもあれバそれより浪なに花はへ赴おもむきて又また左辺あち右辺こちと索たづねしに遠里とほざと小野をのの這方こなたなる些ちとの人家じんかのある所ところに聊いさゝかの小室こいゑを購かひ得えて其所そこにしのびて在おはするよし知しる者ものありておしへしかバ直すぐさま其その家やへ索たづねゆき先まづ外面とのかたよりさし覗のぞき裡うちの様子やうすを竊ひそかに見みるに年としの頃ころ十七八じうしちはちの今いま業平なりひらとも言いはるべき最いと艶やさし氣げなるお若衆わかしゆと二八にはちばかりの美女たをやめが火桶ひおけを中なかにさし對むかひいと樂たのし氣げに何なにやらん〓さゝやく情由わけハ知しれねども言話ことばつきから形容かたちまで東國あづま」
育そだちと見みしゆゑに偖さてハ件くだんのお若衆わかしゆが豫かねて索たづぬる梅うめ太郎たらうにて又また那かの處女をとめが鎌倉かまくらなる客店はたごやの處女むすめならんと思おもへバ聊いさゝか思按しあんに及およばず案内あないを為しつゝ内うちに入いり小可やつがれハ武藏むさしなる忍しのぶが岡おかの辺ほとりより遥々はる%\參まゐりし者ものなるが同國どうこく夛塚おほつかの荘しやう官くわんなりし杢もく兵衛べゑさまの御ご養子ようしなる梅うめ太郎たらうさまとハ貴公あなたかと打うち付つけに問とひしかバ件くだんの若衆わかしゆハうち駭おどろき夫それハとばかり口くちごもり須臾しばし応いらへもならざりしが何なに思おもひけん形容かたちを改あらためなるほどおん身みの言いはるゝごとく吾〓わなみが梅うめ太郎たらうといふ者ものなるが忍しのぶが岡おかの辺ほとりにハいさゝか知己ちかづきの人ひともなし是こハ何なにゆゑと問とひ返かへされ」3
つゝむべき事ことならねバ日外いつぞや仰おふせのありしごとくお袖そでさまのお身みのうゑを箇様かやう々々/\と譚ものがたれバ彼かのお若衆わかしゆハ不興氣ふきやうげに折角せつかく遥々はる%\武藏むさしより這所こゝまで索たづねて下くだされしを斯かく言いはんハ氣きの毒どくながら最初はじめよりして那かのお袖そでハ吾〓わなみが心こゝろに協かなはぬゆゑ難面つれなくしても懲こりずまに慕したはるゝほど胸悪むねわるくそれゆゑ物ものにかこつけて夛塚おほつかを迯出にげいでしに猶なほも吾〓わなみが跡あと追おふてよしなき家いへ出でをせしゆゑに縁えんなきお方かたのお世話せわになりおん身みの足あしまで勞ろうせし事こと返かへす/\も氣きの毒どくなれども我われ夛塚おほつかにありし日ひだに心こゝろに協かなはぬお袖そでなり今いまハ這地このち に身みを落おちつけ見みらるゝごとく渾家つまさへ」
あるに何なにとて武藏むさしへ帰かへらるべき假令たとへ総角結ゆひなづけハ為したりともまだ祝言しうげんを為したでハなし又また婚姻こんいんを為したりとも心こゝろに協かなはぬ女房にようぼうなら離縁りえんせまじき物ものでもなし吾〓わなみが事ことハ思おもひ絶たへ他ほかの男おとこに身みを寄よするとも勝手かつてにせよと斯かく言いひしと那かれに言いふて賜たまはれかしお袖そでといふ名なを聞きくさへも小胸こむねに障さはつて心地こゝちよからずおん身みも敏々とく/\帰かへられよと取付とりつき端はもなき返答へんとうに小可やつがれも呆あきれ果はてしが斯かゝる所ところに長居ながゐハおそれとそこ/\其その家やを立たち去さりて種々さま%\思按しあんを為して見みても又また詮せん術すべもあらざるゆゑすごすごとして立たち帰かへりしハ最いとも面おもなき仕合しあはせと始終しじうの様子ようすを」4
譚ものがたるを听きくにお袖そでハ胸むね潰つぶれ便たよりのありしハ吉きつ左右さうとよろこぶ甲斐かひも懐なつかしく夫おつとハいつか仇あだし野のの増穂ますほ の芒すゝきに招まねかれて何時いつか此この身みに秋風あきかぜの立たちしと知しらで今日けふと俟まち昨日きのふと過すぎて飛鳥あすか川がは假令た〔と〕へ御心みこゝろ替かはれバとて親おやのゆるせし妹脊いもとせの和合なかとし思おもひ賜たまはらバ斯かく難面つれなくハなるまじに今いまハ情なさけも難波なには江えの片葉かたはの芦あしの片かただより他あだし男おとこに身みを寄よせよ勝手かつてにせよとハあんまりな怨うらめしいお心根こゝろねと流石さすがの才女さいぢよも戀こひゆへにハ取とり乱みだしつゝ人目ひとめさへ憚はゞかりかねて泣なきしづみ又また打うちかこちかき口説くどきて須臾しばし情根しやうねもあらざりしが何なに思おもひけん有女うめ太郎たらうが片辺かたへにおきし脇わき」
【挿絵第九図】
有女うめ太郎たらうたくみにお袖そでを憐あはれむ
」5」
差ざしを手速てばやく取とつて抜ぬきはなし既すでに自害じがいと視みゆるにぞ有女うめ太郎たらうハ打駭うちおどろき噫あなやとばかり拳こぶしを押おさへこハ何故なにゆゑの生害しやうがいなるぞ物ものにや狂くるひ給ひしかと禁とゞむるを聞きかず頭かうべをうち棹ふり何故なにゆへとハ情なさけなや逢あいたい視みたい戀こいしいと思おもふ心こゝろのやるせなく藁わらの上うへから養やしなはれし親おやの恩惠めぐみも余所よそにして家いへ出でなしたるのみならず
お前まへにさへも箇様かやう々々/\と最いと恥はづかしい事ことまでも打明うちあけしゆへ遥々はる%\と浪なに花はの果はてまで此このお人ひとの索たづねゆきつゝ邂逅たまさかに在家ありか を夫それと知しりながらよき音信おとづれでも聞きく事ことかこがれ/\し我わが良夫つまに秋あきの扇あふぎと捨すてられし美濃みのの小山おやまのひとつ松まつ獨ひとりいつまで存命ながらへて」6
世よに憂うき恥はぢをさらすべき放はなして殺ころして賜たまはれと言いひつゝまたもや取とり直なほす刄やいばを頓やがて扱もぎ奪とつて這方こなたを向むきつゝ有女うめ太郎たらうハ件くだんの飛脚ひきやくに目めを睫くはすれバ飛脚ひきやくハ何なにか心得こゝろえ顔がほに獨ひとり竊ひそかに点うな頭づきつゝそこ/\にして出いで行ゆきけり跡あと見送みおくりて有女うめ太郎たらうハ静しづかに刄やいばを〓さやにおさめ泣なき沈しづみたるお袖そでの顔かほをさし覗のぞきつゝ小膝こひざを找すゝめ言いはるゝ赴おもむき理ことはりなれども死しんでハ花はなも実みもあらず今いま私わたしが言いふ事ことを心こゝろを静しづめてよく聞きかれよ嚮さきに飛脚ひきやくが譚ものがたるを側そばで聞きくだに腹立はらたゝしき梅うめ太郎たらうが難面つれな〔き〕き言話ことば况ましてお前まへの心こゝろでハ嘸さぞや口惜くやしく思おもはれんと推おし量はかるほど」
痛いたましく就ついて種々さま%\思おもひ見みるに梅うめ太郎たらうハはじめからお前まへを悪忌いぶせくおもふゆゑ家出いへで なしつゝ逸速いちはやくも渾家つまを娶めとりしものならん尓さ程ほど情じやうなき男おとこと知しりて假令たとへ総角結ゆひなづけハ為したりともまだ祝言しうげんを為したでハなし強面つらき所夫おつとに操みさほを立たて可惜あたら命いのちを歿すてたりとて誰たれかお前まへを貞女ていぢよと言いはん死しハ易やすくして生せいハ難かたし今いま死しぬ命いのちを存命ながらへて難面つれなき男おとこの面當つらあてに由緒よしある人ひとに其その身みを任まかせ遖あはれ女夫めをとと添そひ遂とげて栄花さかへを見みるを樂たのしみに今いまの怨うらみをはらし給へ斯かく言いはゞ何なにとやらお前まへの心こゝろもまだ知らぬにうちつけなる言いひやうなれど仮初かりそめながら一稔ひとゝせ近ちかく」(6〔7〕)
渾家つまよ所夫おつとと人目ひとめ のみ喚よび喚よばれしを他ほかにせで今いまより実じつの女夫めをととなり生涯しやうがい其その身みを任まかせ給はゞ義理ぎりにつながる私わたしも男おとこかならず悪あしうハ計はからふまじ昨日きのふまでも今日けふまでも仮かりの夫婦ふうふと思おもふゆゑ私わたしの素性すじやうも報つげざりしが今いまこそ賤いやしき身みとハなれ實じつハ管領家くわんれいけの御内みうちにて五百貫ごひやくくわんを賜たまはりたる香場かには何某なにがしが一子ひとりこにて幼稚おさなき頃ころより召めし出いだされ君きみの小扈従こごしやうを勤つとめしに其その寵愛ちやうあい他たにまして其その侭まゝにて成長なりたゝバ出頭しゆつとうすべき威勢いきをひなりしを讒者ざんしやの爲ために誣しいられて了つゐに身みの暇いとまハ賜たまはれども此この身みに侵おかせる罪つみハなし君きみの疑うたがひはるゝ日ひハ必かならず帰参きさんを許ゆるさるべし然さう」
なるときハ私わたしハ武士さむらいお前まへハさしづめ奥おくさまと他ひとに敬うやまひ扈従かしづかれ栄耀えようハ心こゝろの侭まゝなるに斯かくてハ死しぬに増ますならん貞女ていぢよを立たつるも人ひとにぞ寄よる強面つらきがうゑにも強面つらかりし男をとこに心残こゝろのこさんより今いまいふよしの稲舟いなぶねの否いなにあらずハ今日けふよりして心こゝろの底意そこゐ うち解とけて末すへの松山まつやま末すへかけて添そひ遂とげる氣きハ在おはさぬか噫あなもどかしと言いひ寄よれバお袖そでハ又またも殃危まがつみの身みにまつはりし心地こゝちしつ腹立はらたゝしくハ思おもヘども一稔ひとゝせ近ちかく養やしなはれし厚あつき恩惠めぐみもあるものを流石さすがに掉ふりも放はなされず術すべよく此この場ばを遁のがれんと思おもふものから娘氣むすめぎの何なにと応いらへん言話ことばさへ泪なみだに胸むねの塞ふさがりて俯向うつむく脊そびらを有女うめ太郎たらうが靜しつかに」8
撫なでつゝうち含笑ほゝゑみ応いらへのならぬも无理むりならねど義理ぎりも情なさけも弁わきまへぬ男おとこの事ことをいつまでかくよ/\思おもふ事ことやハある機嫌きげん直なほして今宵こよひから實じつの女夫めをとと思おもはれよ回答いらへのないハ不ふ承知しやうちかいかに/\と問とひ詰つめられ余あまりの事ことに堪たへかねて捕とられたる手てを掉拂ふりはらひお袖そでハ形容かたちを佶きと改あらため其そのお言話ことばハ嬉うれしけれども奈何いかに難面つれなき人ひとにもせよ親おやの許ゆるせし良夫おつとを捨すて他あだし男おとこに身みを寄よせてハ強面つれなき所夫おつとに弥増いやまさる此この身みの不義ふぎハ奈何いかならん死しぬに死しなれぬ命いのちなら尼法師あまほうしとも姿すがたをかへ生涯しやうがい男おとこに膚はだふれず身みを潔白けつぱくになさんより外ほかに望のぞみハなきものを今更いまさら」
お前まへの渾家つまとなり後のちの栄花えいぐわを樂たのしめとハ〓そハ情なさけに似にて情なさけなし只たゞ此このうゑのお情なさけにハ此この身みに暇いとまを賜たまはりて隨意まに/\放はなち遣やりてよと言いふを這方こなたハ听きゝあへず冷笑あざわらひつゝ頭かうべを打掉うちふり否々いな/\それハ了簡りやうけん違ちがひ譬たとへて言いはゞ梅うめ太郎たらうが非命ひめいに此この世よを去さりしといふ音信たよりでもありしなら所夫おつとの菩提ぼだいを吊とふためとて尼あまになるも听きこへたが見みす/\男おとこハ浪花なにはにて他あだし女おんなを渾家つまとなし是これ見みよがしに暮くらすと言いふ正まさしき便たよりを听きゝながらお前まへばかりが物ものありげに尼法師あまほうしになれバとて梅うめ太郎たらうが何なにとか思おもはんよしなき事ことをせんよりも是これほど思おもふ私わたしの心こゝろ」9
尓さのみ憎にくうも思おほすまじ恁かくても否いなかと言いひ寄よりたる奸智かんちに闌たけし有女うめ太郎たらうが胸むねの裡うちこそおそろしけれ
第卅八回 〈錦きん籏きの竒き瑞ずい賢女けんぢよを走はしらす|〓〓はらからの孤忠こちう梟首きやうしゆに代かはる〉
休 話そハおきて再 説ふたゝびとくお梅うめお道みち八代やつしろ青柳あをやぎの四し賢女けんぢよハお理喜りきお友ともの〓〓はらからと侶ともに瀬せ戸との躱栖かくれがに集會しゆうくわいなし長譚ながものがたりに時とき移うつりて暁あかつき近ちかくなりし頃ころ俄にはかに陣鐘ぢんがね鯨波ときの声こゑ耳元みゝもとに聞きこへつゝ敵てき押寄おしよせぬと思おもふにぞ六個むたりの乙女おとめハかひ%\しく身みごしらへさへそこ/\に无益むやくの戰たゝかひせんよりハ遁のがるゝ丈たけハ遁のがれんと迭かたみに」
意中ゐちうを示しめし合あひまだ明あけやらで暁あかつきの小暗こぐらき空そらを幸さいはひに脊せ門どより密ひそかに忍しのび出いでしに扇谷あふぎがやつの夥兵くみこ等らハ速はやくも此この家やを捕とり囲かこみ遁のがれんとする乙女おとめ等らが往方ゆくての路みちに立塞たちふさがり這この遂ての頭人とうにんと思おぼしくて最いとむくつけき一個ひとりの武士ぶし小手こて臑當すねあてに身みをかためしが衆しゆうを放はなれて找すゝみ出いで〓だみたる声こゑをはり揚あげて此この乙女おとめ等らが膽太きもふとくも昨日きのふハ殿とのの行列ぎやうれつを乱妨らんぼうなせるのみならで今宵こよひ此この家やに集會しゆうくわいなし尚なを管領家くわんれいけに讐あだせんと伎倆たくむ様やう子すの速はやくも聞きこへ討隊うつてに對むかひし某それがしハ扇谷家あふぎがやつけの夥兵頭くみこがしら穴栗あなぐり千作せんさく光桁みつたけと喚よばるゝ者ものはや迯にげんとて迯にがすべき索なはをかゝるか首くびを」10
渡わたすか二ふたッにひとつの応いらへをせよと言いふをお道みちハ听きゝあへず找すゝみ出いでつゝ打うち含笑ほゝえみ噫あな可笑おかし氣げなる雜言ぞうごんかな昨日きのふ洲嵜すさきの松原まつばらにて父ちゝの讐あだたる定正さだまさを討うち洩もらせしハ残念さんねんと思おもふ矢先やさきへ討隊うつての小卒しやうそつ吾〓わなみが相手あいてに足たらねども汝なんぢも讐あだの片割かたわれなるを争いかでか許ゆるして帰かへすべき首かうべを伸のばして刄やいばを受うけよと乙女おとめに似合にやわぬ高言かうげんを憎にくさも憎にくしと夥兵くみこ等らが女子おなごと侮あなどり備そなへも立たてず携もつたる十じつ手てを打棹うちふりながら吐どつと喚おめいて飛とびかゝるをこハ物々もの/\しと言いひつゝも惴はやるお道みちの後うしろよりお理喜りきお友ともの〓〓はらからが竊ひそかに袖そでを引ひき止とゞめ勿体もつたいなしお道みちさま貴君あなたハ大だい事じのお身みなるに益えきなき戦たゝかひ」遊あそばして可惜あたらおん身みに疵きずつかバ後のちに悔くゆとも詮せんなからん這所こゝハ二人ふたりにお任まかせあつて貴女あなたハ自余じよの賢女けんぢよ等らと一旦ひとまづ此この場ばを立たち退のいて何いづれの里さとにもおん身みを忍しのび時ときのいたるを御おん待まちあれと言いひつゝ懐釼くわいけん抜ぬきひらめかし近寄ちかよる敵てきをうち拂はらひ前後ぜんご左右さゆうに〓きり立たて突つき立たて這こ所ゝを最期さいごと防ふせぎ戦たゝかひお道みちをはじめ四し賢女けんぢよを後安うしろやすく落おとさんと思おもふ心こゝろハ知しるものから四し賢女けんぢよも又またお理喜りき等らの必死ひつしを見捨みすてて争いかでか落おつべき侶ともに救たすけんとする折おりしも後方あとべにも又また敵てきありて其その勢せい凡およそ三十さんじう餘名よにん 各々おの/\手得えも物のを引携ひつさげ々々/\賊婦ぞくふ等ら何所どこへ迯にげんとするや頓とく索なは受うけよと喚よばはりつゝ武者むしや声ごゑあげて」11
寄よせかけたる前後ぜんごの敵てきに些すこしも臆おくせず尓されども戦たゝかひを好このむにあらねバ透すきもあらバ落おち延のびんと且かつ戦たゝかひ且かつ走はしりて一町ひとまちあまりも退しりぞく折おりしも又またもや往方ゆくてに伏勢ふせぜひありて先さきに找すゝみし十名しうにん許ばかり各手おの/\鉄炮てつぽうの筒先つゝさき揃そろへ寄よらバ打うたんと俟まちかけたる重かさね/\し大厄だいやく難なんに賢女けんぢよ等ら奈何いかなる竒術きじゆつありとも遁のがれ果はつべきやうもなけれバ這所こゝに必死ひつしを究きはめたる六個むたりの乙女おとめハなか/\に聊いさゝか阿容おめたる氣色けしきなく些ちとの少痍てきずを屓おふも厭いとはず群むらがる敵てきに〓きつて入いり右往うわう左往ざわうに駈回かけまはるを矢頃やごろハよしと伏兵ふせへい等らハ覘ねらひすまして鉄炮てつぽうの火蓋ひぶたをきらんとする折おりしも不思義ふしぎやお梅うめの懐ふところより錦にしきの御み」
籏はた飛とび出いでて虚空こくう遥はるかに昇のぼると斉一ひとしく黒くろ雲くも俄にわかに舞下まひさがり御み籏はたを包つゝむと思おもふほどに雲くものうちに金龍きんりやう現あらはれ今いま明あけ初そめし東雲しのゝめの空そらも忽地たちまち暗夜あんや のごとく村雨むらさめさつと降下ふりくだすにぞ那かの伏ふせ兵へい等らハ鉄炮てつぽうの火縄ひなわを消けされしのみならず思おもひがけなき天變てんへんに咫尺しせきの間あいだも視分みへわかねバ是こハそも奈何いかにと周章うろたへ騒さはぎ同志どし撃うち為するも夛おほかりけり四し賢女けんぢよハ量はからずも御み籏はたの竒瑞きずいを見みるからに嬉うれしくも又また勇いさましく先いで此この間ひまに何地いづちへか馳はしり去さらんと思おもふにも如によ法ほう闇夜あんや にひとしけれバ思おもひ/\に其その場ばを遁のがれみな散々ちり%\に落おち行ゆきたる其その中なかにお理喜りきお友ともハはじめよりして四し賢女けんぢよを後安うしろやすく」12
落おとさんと思おもへバ一歩いつぽ も退しりぞかず數す箇所かしよの痍疵てきずを屓おひながらも聊いさゝか阿容おめたる様子やうすなく目めに餘あまりたる大敵たいてきを物ものとも思おもはず〓きつて入いり死力しりよくを尽つくして働はたらく程ほどに敵てきにハ新隊あらての加くわはるのみか弓ゆみ鉄炮てつほうの准備そなへあれバほと/\危あやうく思おもひしに量はからざりける天変てんべんに黒白あやめも分わかずなりしかバ此この間ひまに四し賢女けんぢよの落おち給ひしか奈何いかにやと思おもへバ尚なほも其その場ばを去さらず近寄ちかよる敵てきを盲討めくらうちに薙なぎ立たて〓きり立たてするうちに須臾しばしがほどに雲くもおさまりさし昇のぼりたる旭あさひの影かげに小こ高たかき丘おかに駈かけ揚あがり四下あたりを〓きつと見みまはすに速はや四し賢女けんぢよハ落おちしと思おぼしく群むらがる敵てきの其その外ほかにハ女子をなごの影かげだに見みへざれバ今いまハしも」
【挿絵第十図】
錦籏きんき懐ふところをはなれて窮厄きうやくを解とく
」13」
心安こゝろやすし迭たがひに深痍ふかでを屓おふからハはや存命ぞんめいも〓かなふまじ雜兵們ぞうひやうばらの手てにかゝり死恥しにはぢをさらさんより先まづ潔いさぎよく自害じがいせんと〓あねに言いはれて妹いもとも点頭うなづきお主しゆうの為ために捨すつる身みを今更いまさら猶ゆ豫よする事ことやあるお覚悟かくごあれよ〓あねさんと言いひつゝ刄やいばを取直とりなほす二個ふたりが後うしろに窺うかゞふ夥兵くみこ ドツコイやらぬと組くみ付つくを右みぎと左ひだりに投退なげのけつ又また近寄ちかよ るを捻ねぢ仆たをし其その侭まゝ腰こしに押おし敷しいて刄やいばを咽のどに突立つきたてつゝ〓〓きやうだい迭かたみに顔かほ見み合あはせ完尓につこと笑わらふて息絶いきたへしハいと目め覚ざましき最期さいご なり恁かくて扇谷あふぎがやつの夥兵頭くみこがしら穴粟あなぐり千作せんさく光桁みつけた等らハ尚なほも夥兵くみこを驅催かりもよほし四賢しけん女ぢよを追おはせしかど速はや何地いづち へか遁のがれけん了ついに影かげさへ見みへず」14
とて手てを空むなしくも帰かへり来しかバ此このうゑハ詮術せんすべなし尓さりとて僅わづかの乙女おとめ等らを捕とり迯にがせしと上かみへ听きこへバ吾們われ/\が身みのうゑなりと竊ひそかに於お理喜りきお友とも等らが死首しにくびを討落うちおとし顔かほの皮かわを摺すり剥むきて面体めんてい解わからぬ様やうになしお道みちお梅の首くびと言立いひたて管領家くわんれいけへ奉りしに最いと訝いぶかしくハ思おぼせしかど〓もし這この首くびを贋首にせくひとせバ四個よたりの乙女おとめを一個ひとりも捕とらへず迯にがせしなんど世よに听きこへハ當家の武威ぶゐにもかゝはらんと枉まげて二ふたッの首くびをもてお道お梅うめに紛まぎれなしとて洲嵜すさきの松蔭まつかげへハ梟かけられけり却かくてまた四賢女ハ不思義ふしぎに危窮ききうを遁のがるゝものから如法によほう暗夜あんやに等ひとしけれバ四個よたり一處いつしよになる事こと〓かなはず中にも」
お梅うめお道みちの二個ふたりハ何所いづこを當あてといふにあらねど東ひがしの道みちへと走はしりつゝ野嶌のじまの礒辺いそべ に来きし頃ころハ雲くも消きへ旭あさひさし昇のぼりて後方あとへに追おひ來くる敵てきもなけれバ片辺かたへにあり合あふ礒いそ石に二個ふたりハやをら腰打こしうち掛かけ須臾しはし労つかれを憩やすむるにも心こゝろにかゝるハ青柳あをやぎ八代又また那かのお理喜りき等ら〓〓はらからも落おち延のびたるか〓うたれしかと思おもヘど這辺こゝらに猶豫ゆよなさバ再ふたゝび討隊うつての追おひ迫せまらん左とても右かくても這所こゝまで来きて今更いまさら他ほかに術すべもなし何いづれの家いゑにも舩ふねを求もとめ安房あわの須す崎さきへ渡わたるとも武む藏さしの柴浦しばうらへ寄よするとも順風おひてに任まかせて漕こぎ走はしらんと二個ふたりハ意中ゐちうを囁合さゝやきあひ軈やがて〓公ふなおさの家いへにいたり便舩びんせんを乞こひけれども昨日きのふ洲す」15
嵜さきの騒動そうどうと今朝けさまた瀬戸せとの戦ひに聞懼きゝおぢや為したりけん何いづれの家いへも戸とをさして喚よべど扣たゝけど応いらへもせねバ奈何いかにやせんと視みかへる方かたに繋つなぎ捨すてたる小舩こふねあり主ぬしハ誰たれとも知しらねども時ときにとつての幸さいはひと頓やがて二個ふたりハ乗のり移うつり纜ともづなさつと解とき捨すてて迭かたみに艫〓ろかいを操あやつりながら順風おひて に任まかせて漕こぎ行ゆくほとに其その日ひの申さるの頃ころをひに武藏むさしの柴しば浦うらに程ほど遠とほからぬ品皮しながはの浦うらに舩ハ入いりぬ思おもひがけなき速するどさに二個ふたりハ嬉うれしく岸きしに登のぼりて左辺あち右辺こちと見まはすに這辺こゝらハ邉へん鄙ひの浦うらなれバ漁人すなとりびとの家いへあれども客店はたごやらしき家いゑも見みえず物もの賣うる店みせさへあらざれとも飢うへ労つかれたる事ことなれバ日ひハ高たかくとも」此この辺あたりの海士あまが伏屋ふせやを憑たのみてなりと一碗いちわんの飯いゝをも乞こひ一いち夜やの宿やどをも借からんものと礒辺いそべに傳つたひて往ゆくほどに片かた辺へに一軒いつけんの草くさの屋やありて裡うちに糸操いとく る音おとのするにぞ爰こゝこそと思おもひつゝ折戸をりどを卒度そつと 押おし明あけて找すゝみ入いりつゝ案内あないを乞こへバ誰たそと応いらへて操くりかけし糸いとを静しづかに下したに置おき端近はしちかふ立たち出いづるハ六む十才むそち計ばかりの老女おうななるがお梅うめの顔かほを見みるよりも貴君あなたハ神宮かにはのお梅うめさまか何様どうして這所こゝへと問とひかけられお梅うめハ駭おとろきつく%\と老女おうなの顔かほを打うちながめ然さう言いふ和女そなたハ夛塚おほつかにて日外いつぞや吾〓わらはを躱かくまはれ深ふかき思惠めぐみを受うけたるのみかお理喜りきお友ともが母はゝなりと名な」16
乗のりて文ふみまで事こと詫づてし√其その老女おうなこそ則すなはち私わたしまづハ御ご無事ぶじな貴君あなたのお顔かほ何なにハ偖さて置おきマア這方こちへと言いひつゝ其辺そこら片寄かたよせて准備やういの花蓙はなござ上坐かみくらへ敷しき竝ならべたる饗應もてなし振ぶりにお梅うめハ更さらなりお道みちさへ思おもひがけなき面會めんくわいをよろこびながら坐ざに着つけバ老女おうな ハいそ/\暖茶ぬるちやをすゝめ火桶ひおけを運はこびなどしつゝお道みちの顔かほを訝いぶかし氣げに見みるをお梅うめがとりあへず和女そなたハいまだ知しらで有あらんか貴君あなたハ渋谷しぶやのお娘子むすめごお理喜りきお友ともが御ご主人しゆじんなる阿お道みちさまにて在おはするぞと言いはれて再ふたゝび駭おどろく老女おうな偖さてハ貴君あなたがお理喜りき等らが御ご主人しゆじんさまにて在おはせしか然さうとも知しらで嚮さきよりの」
无ぶ禮れいハお免許ゆるしあそばしませと言いひつゝ頭かしらを畳たゝみに埋うづめ詫わぶるをお道みちハ听きゝあへず打うち含笑ほゝゑみつゝ形容かたちを改あらためそんなら噂うはさに听きゝ及およびし那かの〓妹きやうだいが母はゝと言いひしハ和女そなたが事ことにてありしよな思おもひがけなき今日けふの對面たいめん積つもる的話はなしもあるものを誘いざ先まづ這方こちへと言いひつゝも最いと嬉うれし氣げに見みへにけり畢竟ひつきやうお道みち等ら老若ろうにやく三女みたりが此この白屋くさのやに面會めんくわいして後のち甚麼いかなる譚ものがたりかある〓そハ復また下しもの回 めぐりに解とき分わくるを听きゝねかし貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし第だい四し輯しう巻まき之の五了」17
【広告】
(上帙巻二巻末と同様の広告一丁存)
貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんし四し輯しふ巻まき之の六
東都 爲永春水編次
第卅九回〈泪なみだを躱かくして老女ろうぢよ義ぎ譚だんを听きく|笠かさを深ふかくして於お道みち良医りやうゐを索たづぬ〉
案下そのとき老女おうなハ駭然がいぜんとしておそる/\於お道みちの顔かほを打うち守まもりつゝ小こ膝ひざを找すゝめそんなら貴女あなたが娘等むすめらの厚あつき御ご恩おんを受うけしと言いふ典膳てんぜんさまのお娘子むすめごお道みちさまにて在おはせしか此この程ほどお理り喜きが譚ものがたりに委くわしく听きゝしお家いへの大變たいへん父君ぢゝきみさまにも撃うたれ給ひ其その御ご无念むねんを晴はらさんと御心みこゝろ尽つくしの崖略あらましを聞きくに」
胸むねのみ塞ふさがりて争いかで此この身みの年とし若わかくバ及およばずながらもお助力ちからにと思おもふのみにて老おいの身みの又また詮せん術すべもあらざればせめて娘等むすめら〓妹きやうたいハ命いのちを捨すてて孃じやうさま〈お道みち|をいふ〉の御ご夲望ほんもうを遂とげまいらせよ尓さハれ讐かたきハ管領家くわんれいけなりなか/\輙たやすき事ことならねバ死しなずハ夲意ほんゐハ〓かなふまじ死しねよ死しねよと呉々くれ%\も言いひ聞きかせてハ置おきましたれど其その期ごに及およびて臆おくれハせぬか奈何いかに々々/\と今日けふまでも夫それのみ心こゝろにかゝりしに最前さいせん港ちまた▼〔ママ〕の噂うはさを听きくに昨日きのふ金澤かなざはの洲崎すさきにて管領くわんれいさまの行列きやうれつを乱妨らんほうなせし乙女をとめあり委くわしい情由わけハ知しらねども乙女をとめの身みにて太膽だいたんな」1
氣きまぐれ者ものもあるものよと一口ひとりが言いへバ又また二口ふたりと其その沙汰さた這所辺こゝらに隠かくれなけれバ〓もしや夫それかと思おもふにも胸むねにキツクリ打うつ釘くぎの獨ひとり心こゝろを痛いためし折おりから思おもひがけずもお二個ふたりさまのお出いでに再ふたゝび打駭うちおどろき見みれバお髪ぐしの乱みだれといひ御衣装おめしものさへ左方あち右方こちと血ちにまみれしも心得こゝろへず偖さてハ港ちまた〔ママ〕の噂うはさに違たがはず昨日きのふ洲崎すさきの縄手なわてにて御ご夲望ほんもうを遂とげられしか娘むすめ二個ふたりがお供ともせぬハ老母ばゞが言話ことばを反古ほごにせで陣歿うちしにせしか尓さハなくて敵てきを怕おそれて迯にげましたか心こゝろにかゝる昨日きのふの始末しまつ御おん物語ものがたりあそばしてよと言いはれてお道みちハ面おもなげにありし次第しだいを譚かたるにぞお梅うめも過すぎし」
日ひに多塚おほつかを立たち出いでしより今日けふまでの始終しゞうの動静ようすを説とき示しめし斯かくまで危あやふき瀬戸せとの大厄たいやく錦にしきの御み籏はたの竒瑞きずいなくバ既すでに命いのちのたもちがたきを不思義ふしぎに其その場ばを遁のがれしかバ四個よたりの者ものさへ淺痍あさでを屓おひみな散々ちり%\になるほどなるに那かのの〓妹けうだいハはじめより俺們われ/\を落おとさんと群むらがる敵てきを縡ことともせず薙なぎ立たて〓きり立たて防ふせぐにぞ〓そを救すくふべき術すべもなく討死うちじにせしか〓抜きりぬけしか今いまさら何なにとも応いらへがたし情なさけなしとな怨うらまれそと言いはれて老女おうなハいとゞ猶なほ〓おどろく胸むねをおししづめ涙なみだ呑込のみこ みうち含ほゝ笑えみ偖さてハ二女ふたりが命いのちに替かへて貴女あなたがたを後うしろ安やすく落おとし」2
まゐらせんといたせしかでかした娘むすめ夫それでこそ老婆ばゞが顔かほをも起おこすといふもの我をりや泣なきハせぬ嬉うれしひぞと口くちにハ言いへど心こゝろにハ廾才はたちに足たらぬ娘むすめをバ二個ふたりが二個ふたり早世さきだてて殘のこりし老おいの身みひとつを今いまより後のちハ奈何いかにせんあじきなの浮世うきよ やいと憐おしの娘むすめやと思おもふ心こゝろを色いろにも出ださず泪なみだを笑え顔がほに紛まぎらはす胸むねの内うちこそ苦くるしけれ二個ふたりハ老女おうなの哀傷あいじやうを推量おしはかるほど不ふ便びんにて竊ひそかに袖そでを濡ぬらせしが頓やがてお梅うめハ小膝こひざを找すゝめ思おもふに増ました和女そなたの義勇ぎゆう娘むすめに命いのちを捨すてさせても忠義ちうぎを立たてしが嬉うれしひとハ〓よに有難ありがたき親心おやごゝろ涙なみだ一滴いつてきこぼさぬハ泣なくにも増まさる」
義母ぎぼの恩愛おんあい赤心まごゝろ見みへて最いと痛いたまし尓さるにても心得こゝろえぬハ遠とほからぬまで多塚おほつかにありし和女そなたが奈何いかなれバ這この浦辺うらべ なる海士あまが家やにと問とひかけられて尓されバとよ其その御ご疑念ぎねんハ理ことはりながら日外いつぞや老婆ばゞが草屋くさのやへ貴女あなたがたを躱居かくまゐし事こと速はやくも知縣ちけんに聞きこえけん既すでに討隊うつての對むかひしを漸々よう/\にして〓抜きりぬけつ些ちとの由ゆ縁かりのあるをもて此この家やに須臾しばし身みを寄よせしに彼かの知縣だいくわんの大六だいろくが舊悪きうあく竟ついに顕あらはれて頓やがて追放ついほうせられしかバ老婆ばゞが身みハ恙つゝがなく今日けふまで安全やすらに日ひを送おくるにも貴女あなたがたの事こと娘むすめが事こと心こゝろに掛かゝらぬ日ひもなかりしに思おもひ寄よらずもお二個ふたりさまに回會めぐりあふ」3
たる老おひのよろこび又また何事なにごとか是これに過すぎんと的話はなしのうちに片辺かたへなる囲ゐ爐裏ろりに柴しばを折焚をりたきつゝ滾たぎる藥鑵やくわんにつまみ込こむ山茶やまぢやも時ときの饗応もてなしか頓やがて棚たなより取下とりおろす揃そろはぬ五器ごきに山やま折敷おしき拭ぬぐふ片かた手てに盛もり立たつる麦むぎの冷飯ひやいゝそのほかに些ちとの鮮魚うろくず取添とりそ へて二ふた個りが前まへに指出さしだ しつゝお口くちに合あふべき物ものならねど聊いさゝか飢うゑを凌しのがせ給へと言いはれてよろこぶ二賢女にけんぢよハ辞いらふべき事ことならねバ會釈ゑしやくを為しつゝ箸はしを取とるに飢うへに臨のぞみし折をりからなれバ味あぢなき飯いゝも時ときとしてハ美味びみ珎膳ちんぜんにも弥いや増まして最いと心地こゝち能氣よげに箸はしを納おさめ尚なほも餘談よだんに及およぶほどに春はるの日ひながらいつか暮くれて〓昏いりあひの鐘かね」
いと幽かすかに遠山寺とほやまでらにぞ听きこへける登時そのとき老女おうなハ身みを起おこし左辺あち右辺こちの戸閉とざしをしつ行燈あんどうに灯ひをともしなどして基もとの席むしろに立戻たちもどり昨日きのふからの戦たゝかひに嘸さぞや労つかれて在おはさんに長譚ながものがたりハ無む益やくならん一室ひとまにお臥房とこものべ置おきたれバ御心みこゝろ静しづかに休やすらひ給へ此この家やの主人あるじハ網六あみろくとて老婆ばゞか為ためにハ甥おひなるが心こゝろやさしき壮わか佼ものにてお心遣こゝろづかひハなき者ものなれど夫それさへ今朝けさより網引あひきに雇やとはれ上総かづさの浦うらにいたりしかバ速はやくて四五しご日にちハ帰かへるまじ尓さすれバ此この家やハ老婆ばゞが外ほか訪とひ來くる人ひともあらざれバ海士あまが伏屋ふせやのいぶせきだに厭いとはせ給ふお心こゝろなくバ何時いつまでも此この家いへに忍しのびて時じ」4節せつを俟まちたまへと最いと老実気まめしげなる老女おうなが言話ことばに二個ふたりハよろこひ且かつ感かんじて頓やがて臥房ふしどに入いりけるが其その夜よ四更しかう▼○ヤツの頃ころよりしてお梅うめが痍疵てきず痛いたみ出だし身みうち俄にわかに発熱ほつねつして心地こゝち死しぬべく思おもふにぞお道みちハさらなり老女おうなさへ駭おどろき覚さめて種々さま%\と介抱かいほう等閑なほざりならねども薬くすりの貯たくはへとてもなく這辺こゝらハ邊鄙へんひの浦うらなれバ憑たのまんと思おもふ医師くすしさへ近ちかき四辺あたりにあらざれバ二個ふたりハ〓〓はたと當惑たうわくの首かうべを垂たれて居ゐたりしがお道みちハ佶きつと心こゝろづき何時いつまで考かんがへ居ゐたりとも薬くすりがなくてハお梅うめさんを夲復ほんぷくさする事ことハなるまじ思おもふに昨日きのふ野嶋のじまより終日ひめもす舩ふねにて走はしりしゆへ痍疵てきずに汐風しほかぜ吹入ふきいりて」
【挿絵第十一図】
老婆ろうば赤心まごゝろを二に賢女けんぢよにつくす
」5」
破傷風はしやうふうになりたるならん〓もし破傷風はしやうふうならんにハ吾〓わらはが家いへに先祖せんぞより傳つたはりし名法めいほうの妙薬めうやくハありながら〓そを求もとめん事こと最いと難かたし其その薬法やくほうを奈何いかにとならバ子ねの年としの誕生たんじやうにてしかも男おとこに情合あはざる女子をなごの乳ちの下したの血ち壱升いつしやうを取とりて其その疵口きずぐちを洗あらふ時ときハ奈何いかなる破傷風はしやうふうなりとも夲復ほんぶくせずと言いふ事ことなしと亡なき爺とゝさまのお話はなしにて慥たしかに听きいてハ居ゐるものゝ此この妙薬めうやくを求もとめんにハ一ひと個りの處女をとめを害がいせねバなか/\に得うる事ことならず。よしそれとても義ぎの為ためなり况まして我われゆゑ痍てを負おはれしお梅うめさんの一命いちめいに代かはる此この身みハ惜をしからねど子ねの年としならねバ夫それも詮せんなし益ゑきなき事ことを」6
言いはんより這所こゝより路次みちハ遠とほくとも柴浦しばうらか金かな曽木そぎまで行ゆかバかならず医師くすしもあらん尓しかして伴ともなひ來きたらんにハ又また良薬よきくすりの工く夫ふうもあらん爰こゝにて物ものを思おもはんより先いで一ひとト駈はしり
と言いひつゝも身繕みづくろひして立たちあがるを老女おうなハ周章あはてて推禁おしとゞめこハ勿体もつたいなしお道みちさま老婆ばゞが斯かうして居ゐるものを争いかでか貴女あなたのお駿足みあしを労ろうする事ことの侍はべるべき其そのうゑ柴浦しばうら金かな曽木そぎにハさせる医師くすしのありとも听きかず今いま破傷風はしやうふうと被仰おつしやつたにて思おもひ當あたりし事ことこそ侯へ日外いつぞや多塚おほつかにありし頃ころ折をりしも産神うぶすなの祭禮さいれいなりしが祭まつりの神酒みきや過すぎたりけん同村おなじむらの壮者わかものどもがはした喧〓げんくわ為したりしに僅わづかの」
疵きずに風かぜを引込ひきこ み竟ついに破傷風はしやうふうになりつゝも命いのちもほと/\危あやうかりしに多塚おほつかより程ほど近ちかき王子わうじ村むらに医師くすしありて取分とりわけ破傷はしやう風ふうを治ぢする神術しんじゆつありと報知つぐる者もののありしかバ直すぐさま其その人ひとを喚よび迎むかへ件くだんの療治れうぢを憑たのみしに忽地たちまち全快ぜんくわい為したりとか其頃そのころ噂うはさに听きゝ侍はべりしが今いま猶なほ王子わうじに居ゐるや否いなや年とし經へし事ことゆゑ定さだかに知しらねど〓もし其その名めい医ゐの今いま猶なほ居おらバお梅うめさまの御ご病氣びやうきも夲ほん復ぶくせずといふ事ことあらじ這所こゝより路次みちハ遥はるけくとも今いまより急いそがバ日ひのうちにハ件くだんの医師くすしを伴ともなひ來くるか又またハ薬くすりをもとめ來くるか老婆ばゞが命いのちに代かへてなりとも必かならず吉きつ左右さうお知しらせもふさん」7
須臾しばしの間あいだお淋さみしくとも畄守るす預あづかりてお梅うめさまの此このうゑ風邪かぜでもめさぬやう御心みこゝろつけて進あげられよと言いふをお道みちハ听きゝあへず夫それならバ猶なほ吾〓わらはが往ゆかん奈何いかにとならバ老おいの身みの假令たとへ健すこやかなりとても吾〓わらはが足あしにハよも及およばじ夫それのみならで和女そなたか畄守るすに四〓あたりの人ひとの訪來とひき しとき吾〓わらは一個ひとりが這所こゝに居おらバ夫それより怪あやしみを身みにうけて吾〓わらはばかりか病客やむひとの身みに禍わざはひの有あらんも知しれず尓さすれバ畄守居るすゐと看病かんびやうとハ和女そなたが年としにふさはしく医師くすしを喚よびに馳はしらん事こと少女をとめの吾〓わらはに似合にやはしく枉まげて我わが意ゐに任まかせよと言いひつゝ四辺あたりを見みまはして壁かべに掛かけたる簑笠みのかさを其その」
侭まゝ取とつて身みにまとひ稍やゝ明あけ近ちかき黎明いなのめの空そらに降ふり來くる邑雨むらさめも決句けつく忍しのぶに便たよりよしと勇いさみ找すゝんで立たち出いづるを今いまさら禁とゞめん言話ことばもなく昼餉ひるげの領れうにと藁苞わらづとにつゝんで出いだす握飯にぎりいゝを受うけ収おさめて腰こしにつけ頓やがて別わかれて出いで行ゆくを老婆ばゞハ戸口とぐちに立たち出いでて其所そこを曲まがりて斯かうゆきてと便宜びんぎ の道みちを指ゆびさしつゝ影かげ見みゆるまで見み送おくりけり恁かくてお道みちハ心急こゝろせくまゝ須臾しばしも路次みちに猶豫ゆうよせず足あしに任まかせて駈はしるほどに其その日ひも頓やがて午刻ひる近ちかき頃ころ王子わうじ村むらにいたりしかバ左辺あち右辺こちの百姓家ひやくせうやにて件くだんの名医めいいを索たづぬるに多おほくハ知しらずと言いふ人ひとのみ其その中なかにて一個ひとり二個ふたりが〓そハ此この村むらの事ことでハ」8
あるまじ這所こゝより一里いちり 西にしに行ゆけバ岩渕いわぶちといふ所ところありてさせる医師くすしのありとか听きけり那所かしこに往ゆきて尋たづねたまへと言いはれてお道みちハ望のぞみを失うしなひ慥たしかに王子わうじと听きいて來きしが〓もし听きゝ違たがへにもやと思おもへバ夫それより直すぐに岩渕いわぶちにいたり又また如此しか々々/\と索たづねしかど這所こゝにも尓さばかりの名医めいゐ ハなし〓もし稲付いなつきにハあらずやと言いはれて心こゝろハ焦燥いらだてども遥々はる%\這所こゝまで來きしものを此この侭まゝ帰かへらんハ口惜くちおしと又また彼かの稲付いなつきに行ゆきて問とへども更さらに名医めいい の在家ありか知しれねバ所詮しよせん這辺こゝらを索たづねめぐり可惜あたら日ひを暮くらさんより今いまより多塚おほつかの里さとにゆき那かの破傷風はしやうふうを病やみたる人ひとを問とひ糺たゞすが近道ちかみちと又また多塚おほつかに馳はしりゆき」
一軒いつけんの農家のうかにいたり先年せんねん産神うぶすなの祭まつりのとき箇様かやう々々/\の事ことありし由よし其その折おりの名医めいゐ といふハ王子わうじ村むらに居おりしとか今いまハ何いづれに居おらるゝや御こ存知ぞんじならバおしへてよと問とへバ主あるじハ首かうべを傾かたふけなるほと五稔いつとせばかり跡あとに言いはるゝ如ごとき怪我けが人にんありしがその時とき憑たのみし名医めいゐといふハ基もと鎌倉かまくらの医師くすしにて其その頃ころ医術ゐじゆつ修業しゆぎやうの為ため折おりよく王子わうしに居おられしゆゑ招まねきて療治れうぢ を憑たのみしが今いまハ鎌倉かまくらへ戻もとられしが其その後ゝちの事ことハ知しらずと言いふにぞお道みちハ忽地たちまち力ちからも抜ぬけ憑たのみと思おもひし綱つなも切きれ是これと知しつたらはじめから此この村むらに來きて様子やうすを索たづね敏とくに品皮しながはへ立たち帰かへり又また」9
よき思按しあんもあるべきに翌あすをも知しれぬ病人びやうにんを家いへに殘のこして左辺あち右辺こちと无益むやくの方かたを馳はせ廻めぐり可惜あたら一日ひとひを費ついやせし事こと我われながら最いと鈍おぞましかりし先いで此このうゑハ一足ひとあしなりと明あかるきうちに戻もどらんものと心こゝろ頻しきりに焦燥いらだてハ流石さすが大氣たいきの乙女をとめなれども思おもひの外ほかに道みち踏ふみ迷まよひ夲郷ほんごう村むらへと行ゆくべきを東ひがしの野道のみちへ分わけ入いりてはや黄昏たそがれも過すぎし頃ころ日暮ひぐらしの里さとに出いでしかバお道みちハいよ/\心急こゝろせけども今朝けさからの馳はしりつゞけに身みうち労つかれしのみならず頻しきりに咽のどの乾かはくにぞ何いつれの家いへにも立たち寄よりて一碗いちわんの湯ゆを貰もらはんと見みまはす向むかふに白屋くさのやあれバこれ」
幸さいはひと獨ひとり点頭うなづき找すゝみ入いらんと為したりしに裡うちに何なにやら女子をなごの聲こゑにて叫さけび苦くるしむ様子やうすゆゑこハ便びんなしと思おもひつゝ立たち去さらんと為したりしに俄にわかに胸むねの打うち騒さわげバ心こゝろともなく徨たゝずみて須臾しばし動静ようすを听きゝ居ゐたりけり
第四十回 〈節 義せつぎを守まもつて阿お 袖そで 奸 手かんしゆに死しす|生血せいけつを壷つぼして〓〓はらから志操しそうを全まつたふす〉
有か左く而てまた香場かには有女うめ太郎たらうハ嚮さきにお袖そでが必死ひつしを救すくひ我わが家やに伴ともなひ帰かへりし日ひより其その艶色ゑんしよにく心迷こゝろまよひ奈何いかにもして手てに入いれんと情なさけをかけて養やしなひ置おけども兎角とかく梅うめ太郎たらうが事ことを」10のみ明暮あけくれ慕したふ様子やうすなれバなまじいな事こと言いひ出だしてハかへつて心こゝろに順したがふまじと種々さま%\工夫くふうを凝こらせしにひとつの奸計かんけいを思おもひつき其その頃ころ名響なうての悪漢わるものに毒虫どくむしの左四郎さしらうとて一所いつしよ不住ふぢうの者ものありしを是これ幸さいはひと荷擔かたらひて仮かりに飛脚ひきやくに出いで立たゝせ箇様かやう々々/\に言いはせなバお袖そでハ必定ひつじやう梅うめ太郎たらうを深ふかく怨うらみて思おもひ切きらん其その圖づを計はかりて這方こなたより徐々そろ/\と水みづを向むけなバ手てを濡ぬらさずしてづるづると必かならず我われになびくべしと那かの左四郎さしらうを竊ひそかに憑たのみ事こと十分じうぶんに為しおふせしかどもお袖そでハ堅かたく操みさほを守まもり欺だましても透すかしてもいかな心こゝろに順したがはねど有女うめ太郎たらうハ尚なほ懲こりずまに威おどして見みんと」
片辺かたへ なる短刀たんとうすらりと抜ぬきはなしお袖そでの目先めさきへ突つき付つけて偖々さて/\しぶとい和女そなたの根生こんじやう嚮さきより手てを替かへ品しなを替かへ口説くどいても口説くどいても承引しやういんせずハ是非ぜひがない手荒てあらい仕事しごとも戀こひの意地いぢ二稔ふたとせ越ごしに喰くひ潰つぶされた其その腹愈はらいせに此この刀かたなでなぶり殺ごろしだ覚期かくごせよコレ光ひかるぞよ〓きれるぞよこんな痛いたい目め為しやうより応うんとさへ言いや奥おくさまと言いはれて栄耀ゑようハ自由じゆう自在じざいいらざる操みさほを立たてんとして可惜あたら命いのちを歿おとさんより思おもひ直なほして應おうと言いや是これでも否いやかと寄より添そへバお袖そでハ口惜くやしく腹立はらたゝしく突つき放はなさんにも女子をなごの甲斐かひなさ尓されども肌身はだみハ汚けがさじと思ふ」11
心こゝろの一筋ひとすじに捕とられたる手てを掉ふり拂はらひ涙なみだに聲こゑもうるませて情なさけない有女うめ太郎たらうさま去稔こぞの秋あきより今日けふまでも仮かりの女夫めうとと言いはるゝさへ主ぬしある身みにて淺間あさましひ悲かなしひ事ことと思おもひしに今いま更さら此この身みを慰殺なぶりごろしにされゝバとて立たてし操みさほハ破やぶられず此この事ことばかりハ堪忍かんにんしてと言いはせもあへず冷笑あざわらひ何なんぞと言いへバ操々みさほ/\と听きゝ度たくもない貞女ていぢよ立だて和女そなたハ操みさほを立たてる氣きでも去稔こその七月ふづきの暗くらき夜よに圓塚山まるつかやまの麓ふもとにて氣き絶ぜつなしたる其その折をりに和女そなたの肌はだを我わが肌はだで暖あたゝめもしつ抱いだきもしつまだ夫それのみか片辺かたへなる沢さわの石滴しみづをむすび來きて口くちから口くちへ移うつしたハ妹脊いもせ 結むすふの盃さかづきにも増まさりて」
深ふかき二人ふたりが情合なか今更いまさら肌身はだみ ハ任まかせぬと言いふたれバとて詮せんない事こと斯かくても操みさほを立たて抜ぬくか奈何いかに々々/\と問とひ詰つめられお袖そでハいとゞ打うち駭さわく胸むねをしづめて形容かたちを正たゞしそんならお前まへハはじめから私わたしを実じつの妻つまにせんと長ながの月日つきひを此この家いへに信切しんせつらしく畄とめ置おいて否應いやおう言いはせね倆伎たくみよな夫それと知しつてハ猶なほの事こと假令たとへ 命いのちハとらるゝとも争いかでか肌身はだみ を汚けがさんと言いひつゝ袖そでを振ふり切きつて迯にげんとするを迯にがさじと迭たがひに争あらそふ其そのはづみに奈何いかにやしけん有女うめ太郎たらうが右手めてに持もつたる短刀たんとうにてお袖そでが乳ちの下した八九はつく寸すん水みづもたまらす刺さし貫とふされ窮所きうしよの深痍ふかでに須臾しばしも」12
得え堪たへず叫あつと喚さけびて仆たふるゝにぞ有女うめ太郎たらうも仰天ぎやうてんし是こハ為し損そんじぬと思おもヘどもはや疵物きずものにせしうゑハ奈何いかにとも詮術せんすべなしと思おもへバいとゞ腹立はらたゝしく苦くるしむお袖そでを蹴けかへして足下そくかにしかと踏ふみ付つけつゝコレ苦くるしいかせつないか我われに飽あくまで強面つらかりし報むくひハ則すなはち斯かくのごとし斯かうなるからハ何なにもかも冥土めいどの土産つとに言いひ听きかせんなる程ほど和女そなたが察さつしの通とふり去稔こぞより我わが家やに畄とめ置おきしハ歎だまして心こゝろに順したがはせ思おもひの侭まゝに慰なぐさんで倦あきた時分じぶんに遊女あそびめに售うつて黄金こがねにせんものと思おもひの外ほかに手強てごわい女おんな一筋ひとすじ索なはでハゆくまじと時節じせつを俟まちしに量はからずも和女そなたが養家やうか の神宮かには屋やハ」
【挿絵第十二図】
暗夜あんやの再會さいくわいお道みち〓いもとをいたはる
」13」
知縣ちけんの為ために乱妨らんぼうされ夫婦ふうふをはじめ家内かないの奴們やつばらみな殘のこりなく死しに絶たへしと听きいて悲かなしむ和女そなたの様子やうす時分じぶんハよしと豫かねてより憑たのみ置おいたる左四郎さしらうを仮かりに飛脚ひきやくとこしらへて那かの梅うめ太郎たらうハ箇様かやう々々/\と和女そなたを熟うまく欺あざむかバ親おやにハ別わかれ男おとこにハ捨すてられし身みの寄辺よるべなく忽地たちまち我われになびかんと斯かくまで心こゝろを尽つくしても小胸こむねの悪わるい操立みさほだて是これでも貞女ていぢよが立たてたいか梅うめ太郎たらうが可愛かわいいかと踏ふみにじられていとゞ猶なほ深痍ふかで のうゑに呵責さいなまれ絶たへんとしたる息いきの下したより於お袖そでハ細ほそき聲こゑを立たて偖さてハ飛脚ひきやくと思おもひしも私わたしを欺だまさん倆伎たくみにて那かの梅うめさんが浪花なにはにて他あだし女子おなごを妻つまとなし此この身みを捨すてしも偽いつはりか」14
嬉うれしや夫それで落おち付ついた最期いまはのよろこび此このうゑなし夫それに就つけても今いま一トひと目めお顔かほが見みたい懐なつかしい又また二ふたッにハ実じつの〓あねさん別わかれて後のちハ音信たよりさへ知しらで暮くらせし二年にねん越ごし思おもひ立たゝれし夲望ほんもうを遂とげ給ひしか尓さハなくて可惜あたら 命いのちを歿おとされしが心こゝろがゝりの数々かづ/\を知しらで今いま死しぬ此この身みの不ふ運うん不ふ便びんと思おもふ人ひとハなきか空そら飛とぶ鳥とりの信たよりにも吾〓わらはが心を知しらせたやと喚さけび苦くるしむお袖そでをバ尻目しりめにかけて有女うめ太郎たらうハ欠あくびと侶ともに打うち含笑ほゝえ み偖々さて/\長ながい怨言よまいごと假令たとへ何時いつまで言いへバとて誰たが听きく者もののあるべきぞ最もうよい程ほどに苦くるしんだら此この世よの暇いとまを取とらせんと言いひつゝ短刀たんとう打うち掉ふつて」
既すでに刺さゝんとする折おりしも門かどの枝折戸しをりど蹴け開ひらきて裡うちに駈かけ入いる以前いぜんのお道みち怒いかれる聲こゑをふり立たてて〓いもとの讐かたき覚期かくごしやと言いふより速はやく懐釼くわいけんを抜ぬく手ても見みせず〓きりつくるを駭おどろきながらも流石さすがハ白徒しれもの身みを沈しづませて飛とびしさり畳たゝみを刎はねて丁てうとうけまた〓きり付つくる其その間ひまに行燈あんどうふつ゜と吹消ふきけして速はやくも跡あとを暗くらませつゝ何所いづこともなく迯にげゆくにぞお道みちハ心こゝろ焦燥いらだちてこハ口惜くちおしの夕暮ゆふぐれの空そらに雨あめさへ降ふりそゝぎ竟ついに影かげだに見みへざれバ追おひゆく當あてもなきのみか妹いもとが深痍ふかでも氣遣きづかはしと思おもひかへして立戻たちもどり准備ようゐの火ひ打うち取とり出だして手てばやく移うつす行燈あんどうの火影ほかげにお袖そでを抱だき起おこしコレ氣きを」15
たしかに持もつてたも〓あねのお道みちじや是これ〓いもとお袖そで々々/\と喚よび生いけられ僅わづかに細ほそき目めをひらき。ヲヽ懐なつかしい〓あねさんと言いつたばかりで舌したこわり物ものさへ言いへぬ四苦しく八苦はつくお道みちハ尓さこそと思おもふにぞさしくむ泪なみだうち拂はらひ土瓶どびんの暖湯ぬるゆ汲くみとつて口くちにふくませコレ妹いもと窮所きうしよなれども淺痍あさでなり苦痛くつうを忍しのびて今いま〓あねが末期まつごに听きかす一言ひとことを心こゝろを静しづめてよく听きけよ去いぬる七月ふづきに量はからずも圓塚山まるつかやまにて面會めぐりあひ嬉うれしと思おもふ間ひまもなく和女そなたハ深谷みたにへ轉まろび落おち〓そを救すくはんにも大事だいじの此この身み片へん時しも速はやく鎌倉かまくらへと思おもへバ氣強きづよく其その場ばを去さり錦にしきの籏はたを弄賣ゑばにして箇様かやう々々/\に欺あざむきしに」
讐かたきの運うんや宜よかりけん鈍おぞくも定正さだまさを討うち洩もらせしに又また量はからずも過世すぐせより深ふかき縁ゑんある四賢しけん女ぢよと義ぎを結むすびたる其その情由わけハまた此如しか々々/\の事ことなりし尓さすれバ和女そなたの戀こひ慕したふ良夫おつとといふも実まことハ女子をなご賢女けんぢよの一名ひとりでありしとハ今いままで知しらでありつらんと言いはれてはつと駭おどろくのみ問とひ返かへすべき力ちからもなく最いと恥はづかし氣げに俯向うつむくをお道みちハしつかと抱だき起おこし假令たとへ女子おなごでありとても良夫おつととおもひ此この様やうに命いのちを捨すてても破やぶらじと立たて抜ぬく操みさほを那かの人ひとが听きかバ何なに程ほど嬉うれしからん。恥はづかしとのみ思おもはれなと言いひつゝお袖そでが疵口きずぐちをつく%\見みつゝ何なにやらん心こゝろに浮うかむ事やありけん打うち点頭うなつきつゝコレ〓いもと和そ」16
女なたが命いのちを歿おとせしも思おもへバさら/\他事あだならず良夫おつとに斉ほと〔ママ〕しきお梅うめさんの病氣びやうきを〓なほす大だい妙薬めうやくといふ聲こゑ耳みゝに這入はいりてや苦痛くつうのうちに目めを視みひらき私わたしが死しんだが何故なにゆへに戀こひしひお方かたのお為ためとハと問とひ返かへされて尓されバとよ嚮さきにも的話はなした瀬戸せとの大厄たいやくお梅うめさんの痍疵てきずを負おひ破傷風きしやうふうになつたのも元もとを糺たゞせバ此この身みゆゑ何卒どうぞ 夲復ほんぶくさせたいと遥はるけき路み次ちを王わう子じまで医師くすしを索たづねし甲斐かひもなく空むなしく這所こゝまで帰かへり來きて量はからず遭あひし痍て負おひの和女そなた 乳ちの下した深ふかく〓きられしにて思おもひ合あはする家傳かでんの名法めいほう子ねの年としの誕生たんじやうにてしかも男おとこに」
交あはぬ處女おとめの乳ちの下したの血ちを壱升いつしやう取とりて其その疵口きずぐちに洗そゝぐ時ときハ忽地たちまち治ぢせすといふ事ことなしと听きいてハ居ゐれどなか/\に得えがたき薬くすりと思おもひ絶たへしに和女そなたハ私わしに一才ひとつ下した應仁おうにん二年にねんの誕生たんじやうにてたしか戊子つちのへねの年としと思おもひ當あたりし不幸ふかうの倖さいはひ和女そなたの血ちしほで那かの人ひとの夲復ほんぶくなさバ此この身みの面おもてを起おこすのみか和女そなたも立たてし貞てい操そうを血ちしほに顕あらはす心こゝろの潔白けつぱく又また此このうゑの事ことあらじと言いはれてお袖そでハ嬉うれし氣けに苦くるしき息いきの下したよりも頓々とく/\血ちしほを取とりてよと言いふにお道みちハ頷うなつくのみ義ぎの為ため人ひとの為ためなりとて現げん在ざい〓いもとの血ちを取とるハとたゆむ心こゝろを取直とりなほし時とき遅おくれなバ詮せんなしと」17
片辺かたへにあり合あふ茶壷ちやつぼをバ是これ幸さいはひと打うち明あけて頓やがてお袖そでが疵口きずぐちへ當あてれバさつ゜とほとばしる血ちしほに四辺あたり 染そめなして壷つぼに殘のこりし茶ちやの銘めいの初はつ紅葉もみぢさへ他あだならでからくれなゐに湧わきいづるをお道みちハやをら取とり納おさめ南无阿弥陀なむあみだ佛ぶつと唱となへつゝ手てをゆるむれバ其その侭まゝに忽地たちまち息いきハ絶たへにけりお道みちハ覚期かくごのうゑながらもまた今更いまさらの様やうに覚おぼへて血筋ちすじハ切きれぬ恩愛おんあいの泪なみだに須臾しばしくれけるが斯かくてハ果はてじと思おもふにぞ軈やがてお袖そでが死骸なきからを庭にはの小隅こすみへ掘ほり埋うめつゝ僅わづかに印しるしの石いしを建たて心こゝろばかりの回向 ゑかうして基もとの一室ひとまに立たち戻もどり泪なみだながらに彼かの壷つぼを携たづさへながら立たちあがる後うしろに窺うかゞふ」
毒虫どくむし左四郎さしらう物ものをも言いはず〓きり付つくる刃やいばの光ひかりに身みを捻ひねり手て速ばやく刀かたなを扱取もぎと つて汝なんぢもたしかに讐あだの隻別かたはれ〓いもとが冥土めいどの供ともせよと言いひつゝ丁ちやうと〓きりつくる刄やいばの冴さへに左四郎さしらうが首くびハ遥はるかに飛とび去さりて躯むくろハ前まへに仆たふるゝを見み向むきもやらず刄やいばを投なげ捨すて徐々しづ/\として出いで行ゆきけり必竟ひつきやうお道みちが血ちしほを携たづさへ品皮しながはへ帰かへるにいたりて復また甚麼いかなる竒談きだんかある〓そハ編へんを替かへ巻まきを改あらため第だい五ご輯しふのはじめに解とき分わくるを听きゝねかし
東都作者 柳北軒主人春水編
貞操婦女ていそうおんな八賢誌はつけんし第だい四し輯しふ巻まき之の六了」18
【後ろ表紙】
#『貞操婦女八賢誌』(五) −解題と翻刻−
#「大妻女子大学文学部紀要」53号(2021年3月31日)
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