『貞操婦女八賢誌』(七) −解題と翻刻−
高 木   元  

【解題】

前号迄に引き続き『南総里見八犬伝』の改作である『貞操婦女八賢誌』を紹介する。今回の最終輯で完結することになるが、残念ながら9輯は翻刻の底本とすべき早印本を発見できなかった。

近年は、デジタル画像で全冊の公開している機関も増えてきたが、その一方で、コロナ禍の影響に拠る閲覧制限をしている機関も少なくない。斯る状況の中で、所在が知れている現存本の全てを確認するに到らなかったのが心残りではある。今後も諸板調査を進めた上で、詳細な書誌調査に就いては別稿を期したい。また、拙サイトでの公開版については、適時更新する予定である。

さて、19世紀後半の戯作すなわち長編合巻や読本、人情本などは、明治期に到るまで長期間に渉って後印本が摺り続けられ大勢に読まれ続けた。その結果として、早印本の現存が比較的稀である。一般に、大勢に読まれ続けたテキストほど早印本の現存が尠いのは現在に到るまで普遍的な現象であると思われる。とりわけ板本の場合は、後印本の板行の度に表紙が新たに作成されたり、時には別本の表紙が流用されたりする。また、口絵や挿絵の重摺りなどの摺手数を省くなどの手抜きや、場合によっては板木が別の板元に売却されて改題改竄された上、一部板木の覆刻や彫り直しなど、板木に手を加えられることも尠くなかったのである。

本作の場合でも、内題や尾題の編(輯)数などの入木跡などが確認でき、出板当初の計画と板行時点で加えられた改竄に関しては、現存本からある程度は推定することが可能である。

今回底本に使用した後印本は比較的多く流布しているもので、本来は「6輯」に相当するはずであるが「六輯」と成っている本は未見、原本である『南総里見八犬伝』に倣った所為か、管見本は全て「第九輯(編)」と入木されている。

ところで、前述した通り本作の活字翻刻本は明治期に多数存するにもかかわらず、研究史上で本作に関する言及は極めて尠い。『八犬伝』の 原本オリジナル ではなく、数多出された抄録本や改作本が無視されてきた所為かもしれないが、寧ろ幕末明治初期の文学に拘わった末期の戯作者についての関心が低かった故かもしれない。管見に入った数少ない論考のうち、橋口祀長「『貞操婦女八賢誌』について」(「文学研究」30号、1969)は、『八犬伝』を「女性向きに書き直したもの」と位置付け、「読本の人情本化という点で一顧の価値ありと思う」として、丁寧な梗概を紹介している。

「読本の人情本化」という分析の当否は措くとして、天保改革を跨いだこの期の長編作には未完結のままで終わってしまった作が多い。それらの長編物の中で、バタバタとではあるが兎にも角にも完結させているのは、未完ではあったが構成のしっかりした原作テキストの改作であった点と、抄録など数多く手掛け『八犬伝』を自家薬籠中にしていた2代目為永春水の手腕に拠ると云えなくもない。

いずれにしても、文学史上の位置付や趣向の分析などについても、ひとまずは別稿を期したい。

【書誌】第9輯(3巻3冊)

書型 中本 18・6×12・5cm

表紙 水色地に麻の葉絞り模様を白抜きにし、飾輪模様の中に8人の座った女性を描く。

外題 左肩「貞操婦女八賢誌 九編(中下)(13・2×2・7cm)。 題簽の柿色地に文様を白抜き。無界。

見返 なし〔白〕

 (序題なし)みづぬるはるころ柳北軒りうぼくけんふでとりて\〈東都の|戯作者〉 爲永春水誌[印](上半分の半ばに黄土色で文様を摺る)

口絵 第1〜2図 見開き2図(丁付なし)。4人ずつ8賢女を描く。濃淡の薄墨と艶墨を使用。上部の花には薄桃色を施す。

[坦山]八賢女今顕楮上\稗史功成固寓言\董齋正書[法眼]」桃色地に墨摺。右側に黄色と青緑を用いて草花と蝶を描く。

内題貞操婦女八賢誌ていそうおんなはつけんしだいしふ巻之一(〜三)

尾題 「貞操婦女八賢誌第九輯巻之三大尾

編者 「東都 為永春水編次」(内題下)

畫工 記載なし

広告 なし

刊記 なし

諸本 館山市博・早稲田大・西尾市岩瀬文庫・山口大棲妻・東洋大・ 東京女子大・三康図書館・千葉市立美術館(9輯は上のみ存)・架蔵(端本)

【凡例】

一 人情本刊行会本などが読みやすさを考慮して本文に大幅な改訂を加えているので、本稿では敢えて手を加えず、可能な限り底本に忠実に翻刻した。

一 変体仮名は平仮名に直したが、助詞に限り「」と記されたものは遺した。

一 近世期に一般的であった異体字も生かした。

一 濁点、半濁点、句読点には手を加えていない。

一 明らかな欠字や誤記の部分は、〔 〕に入れ私意で補正を示した。

一 丁移りは 」で示し、各丁裏に限り」1 のごとく丁付を示した。

一 底本は、早印本が発見できなかったので、Webで公開されている早稲田大学本に拠った。

【付記】

翻刻掲載を許可された早稲田大学図書館に心より感謝申し上げます。なお、本稿は JSPS科研費 21K00287 の助成を受けたものです。

【表紙】(上中下巻同一意匠)

 表紙

【序】

 序
 序

【序】
當初そのかみかん景帝けいていときせい長者ちやうじやいへ四女子しぢよしありて姉妹はらからともみなけんなり 長者ちやうじや 男子なんしのなきをうら四女しぢよその父母ふぼやしなはんがためにともちかつせずさら男子なんしよそほひをなして雙親ふたをやつかふことじつ男子なんしふといへどもをよばざることとほかるべしそのかうかんいたすところのちつひ昇天しやうてんせしを里客さとびたためほこらたててこれを四女祠しちよしといへるよし」のせ虞初新志ぐしよしんしえたりいま所謂いはゆる 八賢女はつけんぢよもとこれ一佛いちぶつ八躰はつたい化身けしんよつせうするところとも男子なんしわざをなして豊嶋としまのために忠功ちうかうありかれ四女しぢよにてかみあふかれ八女はちぢよにてほとけたうと和漢わかん神佛しんぶつそのしなかはれとまたこれ忠孝ちうかう一對いつたい美談びだんたゞゆべきもの遮莫さばれつたな筆頭ふでをもてそか全傳ぜんでんすのみかハ長編ちやうへんなるに」躬自みづからうみ此輯このしふにしてきよくむすへハなほ腹案ふくあんもれたることまたなしとしもすべからず有繁さすが遺憾ゐかんならぬにあらねバ異日ゐじつ寸暇すんかるよしあらバ後傳こうでんをしも編次あみついで〓処そこ麁漏そろうをきなはんのみ

  みづぬるはるころ柳北軒りうぼくけんふでとり

〈東都の|戯作者〉爲永春水誌[印] 


【口絵第一図】

 口絵
 阿多氣おたけ 八代やつしろ  青柳あをやぎ 阿梅おうめ

【口絵第二図】

 口絵
 阿也壽おやす 阿袖おそで  阿道おみち 阿嘉女おかめ

【巻頭】                      【題】

 題
   [坦山]
   八賢女今顕楮上       八賢女今楮上に顕る
   稗史功成固寓言       稗史功成も固より寓言なり
      董齋正書[法眼]

貞操婦女八賢誌ていそうおんなはつけんしだいしふ巻之一

東都 爲永春水編次 

   第五十三回 〈雷火らいくわのりものやぶりていつ賢女けんじよたすく|方煙はうとう二消ふたつながらきへあく少年しやうねんはしら す〉

再説ふたゝびとく 舟月ふなつき与伊太よいたハかの泡之助あはのすけ前髪わかしゆくびをおうめ首級しゆきうおもへるのみか八代やつしろをさへ一向ひとむきにおみちならんとおもたがへてすでとりこなしたりしかバみなこれ自己おのれ手柄てがらなりとこゝろうちにみづからほこりて稲毛いなげ陣屋ぢんやたちかへりしがおみち妖術えうじゆつありといふことかねてつたへもきゝたれバ竝々なみ/\ならぬ曲者くせものなりとてきびしく獄屋ごくやにつなぎおき」日毎ひごと白洲しらすひきいだしてそののうへハふもさらなり同悪どうあく處女おとめ行辺ゆくへ白状はくでうせよとてせめとへども八代やつしろはじめより吾儕わらはたびおんなにておみちとやらんいへるものにハさらにあらずとふのみにて種々さま%\拷問がうもんすといヘどもとぢたるまなこひらきもせずとばかりにしてるにぞ与伊太よいた殆々ほと/\もてあまして肚裏はらのうちおもふやうこの處女おとめ大膽だいたんなるちからにてハなか/\に白状はくでうすべきやうもなしそのうへ幻術げんじゆつあるものなれバなが獄屋こくやつなくうち取迯とりにがさんもはかられずされバとて熟々うま/\生捕いけどりたるを鑿義せんぎもとげずくびうちおとさバそれがしがかへつて落度おちどとなるべきか此うへハ處女をとめをバおうめくび侶倶もろとも鎌倉表かまくらおもてつか1 はすべしすれバ自己おのれ手柄てがらあらはれこれにうへ主意しあんハなしとすでおもさだめしかバあはれむべし八代やつしろ桎梏あしかせてかせかけたるを網轎あみのりものにうちせてかね塩漬しほづけおきたるまたかのうめ贋首にせくびをひとつのつぼいれたるまゝこれをもとももたらしつゝ与伊太よいたハみづから警固けいごしつ稲毛いなげ陣所ぢんしよたちいでしにをりしも五月さつき下浣すへつかたこのあさよりそらよくはれ路次ろじさはりもあらざれバ十里じふりあま行程みちなれども鎌倉かまくらまでハ日着ひづけにせんとしきりに人夫にんぶいそがせつゝやゝ加奈河かながはゑきをすぎ輕井沢かるゐざはまでいたりしころにはかそらのかきくもり疾雨ときあめさつふりいだせしにかみさへはげしくなりはためくにぞ人夫にんぶみちゆきなやみてかたへあり」あふ松蔭まつかげへかののりものかきゆれバ与伊太よいたをはじめ夥兵くみここの形勢ありさま詮術せんすべなくともぬれじとまつにひとかたまりになりたるところ一声いつせへはげしきいかづち真一文字まいちもんじおちかゝれバうたれていのち[歹責]おとすもありなきも忽地たちまち悶絶もんぜつしてふしかさなりつゝたをれたるそれなかにも八代やつしろかゝるときとてちつともどうぜずいまいかづちひゞきにて桎梏あしかせてかせわれたるに網轎あみのりものさへやぶれしをてんたすけよろこびつゝしづかうちよりすゝいでれバ与伊太よいた主従しゆう%\生死せうしれぬ形容ありさまなるにぞひと完尓につことうちゑみのからんとしたりしときかののりもののかたはらに飛脚ひきやくおぼしき一個ひとり下奴しもべこれもおなじく」2 いかづち悶絶もんぜつせしか俯伏うつぶしまろびたるまゝ生体せうたいなきがくびかけたる状筥でうばこむすびしひものおのづときれうちよりおち一通いつつうありこゝろともなくうちれバ当名あてな岩鞍いはくら典物てんもつどのへ鎌倉かまくらよりとかきたるのみした名前なまへれねどもこの典物てんもつとハいぬゆめまさしくうちたるかの泡之助あはのすけかたき同名どうめいなにもあれこの書翰しよかんよま仔細しさい分明ふんみやうならんと封切ふうきやぶりておしひら繰返くりかへてうちおどろこの文面ぶんめん様子やうすでハおさいあまのはからひにて光姫みつひめさまと鳩若はとわかぎみひそか守護しゆごしたてまつり秩父山ちゝぶやまたてこも義兵ぎへいあぐべきくはだてあるをかの典物てんもつ見出みいだせしゆへしまいへすぎとし横領わうれうなしたる逆臣ぎやくしんどもが扇谷家あふぎがやつけ随身ずいしんしていま鎌倉かまくらにあるをもてそのものどもへ内通ないつうなしもし討手うつて差向さしむけられなバ典物てんもつすなはち案内者あんないじやとなりちからそへんとひおくりしこりやこれまさしく返書へんしよにてならず人数にんず発向はつかうなせバそのときちからあはされよ首尾しゆびよくかれうちたひらげなバ管領くわんれいへまうしあげかならず取立とりたてさせんとある一大事いちだいじ密書みつしよなるはからずに入りたるハこれ若君わかぎみひめうへのうんめでたきゆへならんとふときたをれしくだん飛脚ひきやく忽地たちまち蘇生われにかへりけんそれるよりおどろきて大事だいじ一通いつつううばはれてハ」3 使つかひたちやつこ落度おちどおんなもどせとむしやぶりつくを八代やつしろさはがずふりはなしゑりがみつかんでづでんどうなげられながらもかの下奴しもべなほ密書みつしよ取返とりかへさんとおきんとしたる肩先かたさき片膝かたひざもたせて推据おしすへたるそのとき与伊太よいたいきふきかへしこれもおなじくおどろきて取迯とりにがしてハ一大事いちだいじ周章あはてふためきはしりよりたゞうち[石欠]きりかゝるをみぎひだりをかはし足下そくかやいばふみとゝもつたる密書みつしよふところきおさめつゝ完尓につこわらおもひがけなきいかづちたす〔ママ〕のがれしこの縛索なはめいまこそ名乗なのコレ与伊太よいた吾儕わらはハおみちにあらねどもかのみちとハ過世すぐせよりのがれぬなか義姉妹ぎきやうだい

  挿絵
  密書みつしよより八代やつしろ身退しんたいをさだむ   八代 飛脚 与伊よい太」4

とも豊嶋としま由縁ゆかりある八女はちゞよ一個ひとりよばれたる八代やつしろなりとらざるかこゝまで吾儕わらはかごおくつてやつたれいぶりにハ其方そなたからだ生作いけづくりその庖丁ほうてう切味きれあぢ饗應ふるまひくれんとひつゝもまた〓然から/\とうちわらひし處女おとめ似氣にげなき不敵ふてきたましひこと手煉てなみつたれバおよびがたしとおもひながらも与伊太よいたいま一生いつせう懸命けんめいふたゝやいばをひらめかしてうつてかゝるをものともせず那方あち這方こち須臾しばしりちがはしてもつたる白刄しらはうばひとりこれハとおどろく与伊太よいたをバひだりのかたよりしたかけてかたなぐりに[石欠]きりさげたるすきすまし這方こなたなる以前いぜん飛脚ひきやく腰刀こしがたなひそか5にすらりとぬきはなしこゑをもかけずうしろより脇腹わきばらがけてつきかゝるを八代やつしろはやくも見返みかへりてをひねりつゝよこさまにてうはらひしやいば雷光いなづまこれかうべをうちおとされ血烟ちけふたて両人りやうにんみぎひだりにしたりけり八代やつしろこれにハもくれずひとりつく%\思案しあんをなすにおうめくひ贋首にせくびなるにをおみち見違みちがへてからめとつたるほどなれバかの賢女けんぢよにハつゝがなからんすれバ二個ふたりのうへよりこゝろかゝるハ密書みつしよ文面ぶんめんゆめさへもあるなれバまづ岩鞍いわくらおもむきておよしとやらんが様子やうすためしそのうへくだん典物てんもつをおよしうたすかわ うつか」にもかくにもはからずバ若君わかぎみ姫君ひめぎみ両方ふたかたのおんのうへにもおよぶべしすべこそあれとうちうなづ与伊太よいた伴當ともかつがせきたりし柳篭やなぎごりをバひらきるにその所持しよぢせし旅包たびづゝみ路用ろようかね懐釼くわいけん日外いつぞやめしあげられたるがみなこのうちおさめあるにぞまづそのしなにつけつまたかのつぼれたりし泡之助あはのすけくびをさへとりいだしつゝかきいだきてはやくもそのおちうせしを与伊太よいた夥兵くみこ伴當ともびと最前さいぜんいかづち息絶いきたえたるまゝいまもなほ心のつかでたりしかまた手煉てなみおそれしかさゝゆるものもなかりしとぞそれさておき青柳あをやぎ日外いつぞや瀬戸せと危難きなんをりからさん賢女けんじよ〈お梅お道|八代をいふ〉見失みうしなひ」6 そのから[石欠]きりぬけしかバ何卒なにとぞ行衛ゆくゑも〔と〕めんと相模さがみ武蔵むさしあいだをバくまなくたづねめぐるうち武蔵むさし国分こくぶはからずもおやす回會めぐりあいしかバたがひにりし物語ものがたりをひつはれつするほどあるかなしみあるよろこぶそのおもむきのべんとするにくだ/\しけれバすべてハもらしつされおもはぬ對面たいめん二女ふたりちからたるにぞかのうめゆく方ハさらなりおかめたけ在家ありかをもこゝろあはせてたづねんと只管ひたすら諸方しよほう奔走はせまはる奈何いかになしけん青柳あをやぎちかころよりやみ殊更ことさらへがたけれバ所沢ところざはよばるゝゑき旅店はたごやに二三にち逗畄とうりうしつゝたりしが病目やみめしだいこゝろよけれバ」青柳あをやぎ畄守るすのこしおやす一個ひとり近郊きんがうたづねてんとていでたるまゝくれたれどもかへまちわびしさに青柳あをやぎのこしかたなどおもひつゞけてなぐさめかねしそのところへ十五六なるおんな按摩あんま御用ごようハなきかと障子しやうじしにふを青柳あをやぎ呼入よひいれさいはかたつよくはれバやはらげくれよとたのむにぞくだん案摩あんま〔ハ〕心得こゝろえやがうしろにたちまはりかたよりこしへともみかくるを青柳あをやぎしづかにかへりて吾儕わらは此頃このごろ逆上のぼせにやくれにいたれバいよ/\かすみて和女そなたかほさへくもへぬがとしおほくハらざる様子やうすかゝ療治りやうぢいでやるハ和女そなたさて両眼りやうがん自由じゆう7 なるかととひかけられくだん按摩あんま歎息たんそくして貴女あなたもお不明わるいとかわたしもふとしたやまひから近頃ちかごろつふれたにはか盲女めくら一個ひとりはゝやしなひかね詮術せんすべなさに旅客たびゝとしゆなさけ青銅おあしもらそれ世過よすぎおやつゆいのちをつなぐものまだもみなれ細腕ほそうでかぬ療治りやうぢそれゆへにお気味きみわるくもこらへてとふもなみだのうるみこゑまことしやかにきこゆれどもとよかれ瞽女めくらにあらずまへいでたるあく少年しやうねんかの太郎たらうはてなりさき岩鞍峠いはくらとうげにて典物てんもつがためにはるかなる深谷みたにそこなげられたるにさいはひにしてつゝがなくいのちひとつハひろひしかど大六たいろくくびころしてうば」ひし黄金こがねのこりなくみな旅包たびづゝみいれたるまゝ那処かしことうげおきたるゆへたくはへのあらざれバまた奈何いかにともすべきやうなくされども奸智かんち曲者くせものなれバ女姿おんなすがたになりしをさいはかり盲女めしいいつはりて這頭こゝらあたりに坤吟さまよひき〔た〕旅店やどや々々/\あざむきつゝ按广あんまこと旅客たびゝと小錢こぜになんどをぬすみとりわづかにそのおくれるなりともらざれバ青柳あをやぎかれことばふかあはれなほ物語ものがたりをうちほどしきりに眠気ねむけもよふしておぼへずうと/\ねむれるを太郎たらうすましてさぐりつゝ青柳あをやぎこしにまとひし胴巻どうまきをそろり/\と引出ひきいだぬすらんとするほどに」8 青柳あをやぎ忽地たちまちおどろさめ偸女ぬすびとおんなのがさじと跳蒐おどりかゝるをふりはなすはづみに行灯あんどんうちしてさすがにあふいつ賢女けんじよへぬ病眼やみめのそのうへに黒白あやめかずなりしかバ口惜くちをしひまにこなたハたりと太郎たらうへだて障子しやうじ蹴外けはづして隣座敷となりざしきにげいでたるかゝさはぎにこゝもまたおなじくあかしをゆりしてやみハあやなし太郎たらうハかの胴巻どうまきうばひしまゝはやくもその落失おちうせける

  第五十四回 〈こがねうしな ふて青柳あをやぎ 良友りやういうたり|あだとらへて阿道おみち旧事きうじぐ〉

案下そのときくだん隣座敷となりざしきとまあはせし旅客たびゝとありこれすなはち別人べつじんならず手古奈てこな女児むすめかめなるがかれすぎ鎌倉かまくらにてちゝあだたる愛嬉あいきうつておやすともはしりしとき由井ゆゐ濱辺はまべ小舟こぶねのうちにりたるまゝおしながされて忽地たちまちやすわかれしのみかそのすでおやうかりしをから舮擢ろかいあやつりて武蔵むさしくに柴崎しばさきくだんふね漕寄こぎよせしかバおかめひとおもふやう假令たとへ追隊おつて捕圍とりかこみしとて武勇ぶゆうすぐれしおやすゆへ[石欠]抜きりぬけことうたがひなけれどかれ安危あんきたづぬべくまたふたつにハ愛嬉あいき女児むすめかのたまをもうちとつてちゝ遺恨いこんむくはんと」9 かり坂東ばんどう順礼じゆんれいしづ處女おとめ姿すがたをやつし遠近おちこちとなくはせめぐ今宵こよひこの歇店やどりもとめてたびつかれやすむるをりから隣座敷となりざしき騒動そうどうあかしをさへもうちされ什麼そも奈何いかにさはところ這方こなたより青柳あをやぎなほのがさじとはせいでたる出合であいがしらにおかめをバかの宇女うめ太郎たらうおもたがへてねぢたをさんとくみくにぞおかめハいよ/\おどろきつゝ仔細しさいもとよ相手あいてをさへやみにしあれバわかぬにことさら火急くわきうをりからなれバたゞ一言いちごん問答もんどうをもなすべきいとまのあらざるゆへとりおさへんとこれもまたともこぶしをはたらかしてたがひにあらそそのをりしも夜道よみちいそいでかへ」りしおやす一間ひとますゝたづさきたりし桃灯てうちんかげにそれるよりも二女ふたりなかをおしへだおもひがけなしおかめさん青柳あをやぎさんとこのていハとふに青柳あをやぎおどろきてへぬ病眼やみめ桃灯てうちんひかりにそれとすかしあきれて後方あとべをしされバおかめこれハとまたびつくともことばもあらざるにぞおやすひとりうちゑみまづかの二個ふたり引合ひきあは仔細しさい奈何いかにたづぬれバ青柳あをやぎいとおもなげにさて貴女あなたがおうはさをおやすさんよりきゝおよびしおかめさまにておはせしか私事わたくしこと青柳あをやぎとておやすさんとハ義姉妹ぎきやうだいかうしたさはぎになつたのももとハ此身の不都束ふつゝかゆへその仔細しさいハ」10 う/\とさきねむりをもよふせしときおんな按广あんま胴巻どうまき引出ひきいだせしをはんとして灯火あかしきへしにうしなひおかめくだん按广あんまおもことこゝおよびしよしを辞短ことばみぢかに物語ものがた只管ひたすら麁忽そこつ勧解わぶるにぞおかめふたゝおどろきてそれとくにもるならバあのときはや曲者くせものちからあはせてとらへんにらぬこととて是非ぜひもなやとハふものゝ胴巻どうまきうばさつたる偸女ぬすびとおんなこのまゝにてハすておかれぬ青柳あをやぎさんハあのやうにおもお不明わるい様子やうすゆへ我等わたしら二個ふたりでおやすさんいで曲者くせもの追止おひとめんといふにおやす点頭うなづいともたゝんとするところ青柳あをやぎしづかにおし」とゞめお二個ふたりさんのおこゝろざしハこのにとつてうれしいなれどあの胴巻どうまきうしなひしとてたかれたるわづかかねかへさんとてお二個ふたりのお怪我けがでもあつてハまぬ熟々つく%\おもへバ曲者くせものこの騒動そうどうのありしゆへおもひかけなくおかめさんにこの對面たいめんハせしならんもしもなくバかべ一重ひとゑ障子しやうじひとへにありながららですぎゆくこともあらんかすれバかねうばはれしハかへつこのさいはひにてかの塞翁さいわううまとやらいへるたとへこれなるべしそれことハうちすてひたきことあまたありひたき的話はなしもあるなれバととゞめられても両人りやうにんさすがに」11 うちすてがたくなにとかせんと躊躇たゆとうをりしもおもひがけなき庭口にはぐちよりその曲者くせもの私等わたしらさきよりとらへておきました気遣きづかひあるなとひつゝもおうめみち賢女けんじよがかの宇女うめ太郎たらういましめてしづ/\としていできたれバ青柳あをやぎやすゆめかとばかりよろこびつまたうたがひつ須臾しばしあきれてたるにぞおみちうめゑまともにおかめ會釋ゑしやくして這方こなた二個ふたりむかひていふやう青柳あをやぎさんにハ瀬戸せとにてわかれおやすさんにハとりわけてそのまへたゝかひにお行方ゆくへれずなりしゆへ生死しやうしほどはかりかねこゝろをなやましたりしにつゝがなきおもじハよろこび」 なにこれすべきそれつきても私等わたしら二個ふたりこの曲者くせもの引連ひきつれつるをさぞいぶかしくおもはれんがまづその所謂ゆへきいてたべとすぎ瀬戸せと[石欠]きりぬけ品川しながはむらにいたりしことよりおうめ病気びやうきくすりもとめにおみちゆきたる途中とちうにて太郎たらうやいばにかゝりおそでいのちおとせしことまたそのしほをおみちたづさ品川しながはむらたちかへりしにそれよりさきにおそで亡魄なきたまうめ臥房ふしど姿すがたをあらはしそのゑにしハうすけれどもやが自己おのれとおなじのおそでといへるいち賢女けんじよありてなが姉妹きやうだいむすばんとたくせしことまでおちもなく物語ものがた〔り〕つゝおみちふ」12やうわたしいへ秘法ひほふにていまだおとこあはざる處女おとめしたしほをもつてその疵口きずぐちにそゝぎかくれバ如何いかなる破傷風はせうふうにてもせずといふことなしとくにぞさいはいもと生血いきちにてやまひいやし給へとへどもおうめさんにもなか/\に左右さうなくこれもちひ給はずあらそはてしなきをりしも夥兵くみこ一個いちにんしたがへてすゝ一口ひとり壮者わかものあやしきしほとひつゝもつぼをかけらんとするをらじと引合ひきあふそのはづみにつぼしほをおうめさんの真上まうへ撲地はたとうち〓盈こぼせバあつ一声ひとこゑ息絶いきたへ給ふにわたしばかりか壮者わかものこれハとばかりおどろくを夥兵くみこ

  挿絵
  因果いんぐわ応報おうほう宇女うめまたうめからめらる  お梅 宇女太郎 おみち」13

たりとわたしがけおどかゝつてくまんとするを懐釼くわいけんすらりとぬきはなしこしのつがひを[石欠]きりはなしたるかへやいは壮者わかものをもたゞうちふりあぐれバとびしさりつゝ壮者がヤレまち給へおみちさまいふよしありととゞむるを這方こなたかずいからしこのおよひてなにをか聞くべきおうめさんをバうしなふうへハ俺身わがみいま一生いつせう懸命けんめい冥途めいどとも連行つれゆかんとまた[石欠]きりかゝるを飛退のいておこゝろ急迫せくことはりながらまづこのしな御覧ごらんあれと花田はなだしぼ風呂敷ふろしきつゝみしくびさし出せし容子やうすありなふるまひにしばらやいばをとゞめその斬首きりくびハとたづぬれバかの壮者わ〔かもの〕ことばひそわたくし14 ことこのあるじ老女らうぢよがためにハおひにしてお理喜りきとも従弟いとこなる網六あみろくよばるゝもの六浦むつらへいたりしかへ{がけ矢口やぐちわたしはからずもとりちがへたる風呂敷ふろしきづゝひらいてれバこのくびゆへ腹立はらたゝしさにそのほとりへうちすてんかとおもひしがまたつく%\と思按しあんをなすにうはさきゝ瀬戸せと騒動そうどうその處女おとめかねくお理喜りきとも主筋しゆうすじとかいまこのくびるところ若衆わかしゆ姿すがたゆれどもなほおとこともおんなとも自己おのれにハわきがたきにこの小包こづゝみ所持しよぢせしもまたこれひとりの處女おとめなれバなほこのくびがお理喜りき由縁ゆかり處女おとめくびにして昨日きのふ瀬戸せとにてうたれしをくだん處女おとめが」たづさへたるかそれとてもまたはかられずにもかくにももちかへりて叔母おばせなバ分明ふんみやうならんとそのまゝもちかへ〔り〕みち大井おほゐさとまでをりしも稲毛いなげ陳代ぢんだい舟月ふなつき与伊太よいた叔母おばいまし引立ひきたてつるにはからず行遭ゆきあふてのつぴきならぬ手詰てづめ難義なんぎはれしこと箇様かやう/\その様子やうす物語ものがた〔り〕なにハ左もあれこの人数にんずにて俺屋わがや捕圍とりかこまるゝときハお二女ふたりともにすくひがたしことにハ叔母おば人質ひとじちられしよはみもあるなれバだますになしと思案しあんをさだめまた恁々しか%\ひこしらへかれこゝろ由断ゆだんをさせんとこの夥兵くみこをさへしたがへて脊戸せどまでつゝ容子やうすきくに」15 いま二名ふたりかのしほにてあらそはてしあらざれバ故意わざしほをうばへるふりにておうめさまにハうちかけしにかへつそれあだとなり忽地たちまちいきたえられしがくなるべしともおもはねバ不思義ふしぎこのくびをおうめさまとひこしらへおみちさまをバとりにがせしと与伊太よいたまへあざむきてお二名ふたりさまをもわが叔母おばをもすくはんものと思按しあんをせしにその甲斐かひなきこそ口惜くちおしけれとくやめバわがうたがひハはれてもはれぬハしほの利目きゝめいへ秘法ひほふきゝつるがハそも爭何いかなるゆへならんとあきまどへるそのをりからたほふしたるおうめさんがひとりむつくとおきなほ〔り〕二個ふたりさんの問答もんどう」をうつゝともなくきゝしとおもへバ忽地たちまちゆめさめたるごとぬぐふたやうになやみもせて心地こゝちつねかはらずといふによろこわたしより網六あみろくなほ怡悦いゑつたへずおうめさまのおなやみおこたらせ給ひしうへちつともはやおち給へとはれながらもあとことさすがこゝろならざれバなほあやぶみてゆきかぬるを網六あみろくしば/\うながして箇様かやう々々/\なし給へと准備よういふねさへおしへしかバ今更いまさらいなまんやうもなくくだんふねにうちりつゝ岸辺きしべにありてまつほどにそのひま網六あみろく我家わがやはやくもをかけて忽地たちまちそのはせりしがしばらくあつてかの老女らうじよいましめたるまゝわがふねせつゝおきへとおしいだすハかねての手筈てはづなるゆへに」16 はやくも老女らうじよなわとき網六あみろく赤心まごゝろ箇様かやう々々/\報告つぐるにぞ老女らうじよもはじめてうたがはれけんともよろこぶそのうちに私等わたしら二女ふたりふねをおしたてやゝ芝浦しばうらこぎよするにぞ約速やくそくなれバ網六あみろくくがより此処こゝあはせてさて爭何いかにせんと談合だんかうにおうめさんの御病気びやうきすみやかにおこたるからハ賢女けんじよ安危あんき存亡そんぼうしばしもうちすておくべきならねハこれより諸国しよこくたづねめくることついでにおそでとかよばるゝ処女おとめのうへをさへこゝろつけて見ばやといふくだん老女らうじよ網六あみろくともゆかんとひぬるをとゞめて〓里そこたもとわかそれよりのちたゞ二女ふたりまづ當國とうごくよりおちもなくはせめぐらんとおもさためて泊々とまり/\旅店はたごやにも」こゝろくばりつゝ今宵こよひこのとま〔り〕しゆへ給仕きうじおんな寄近よびちかづけそれとハなしに相宿あいやど容子やうすこれかれこゝろみしにおく一間ひとまに二三にちまへより逗畄とうりうせらるゝ處女おとめあり一名ひとりひさしくやみしとて座敷ざしきこもりてほかへもいでまたいま一名ひとりなにやらんたづねひとのあるよしにてちかほとりを走回はせまは〔り〕今宵こよひもいまたかへられずといふ年記としごろ恰好かつかうなにとやらおもあはすることあれバおうめさんともしめあはひそか様子やうすうかゞはんとこの庭口にはぐちまてしのびより立听たちきゝなせバ声音ものこし青柳あをやぎさんにたるゆへさてハとおもふそのをりから一院ひとま障子しやうじはなしてには迯出にげだこれなる」17 曲者くせものつきあかりにすかし見れバ姿すがた女子おなこ打扮いでたてども日外いつぞやそでやいばにかけし太郎たらうにてありしかバおどろきつまたよろこびつ有無うむはせずひつとらへぐる/\まきいましめて引立ひきたてたれどはしなくらすなほ様子やうすうかゞひしに生死せうじほどはかりかねこゝろいためたおやすさんおまへばかりか不思義ふしきにもおかめさんさへこの宿やどとま〔り〕あはせて青柳あをやぎさんといましよ對面たいめんのおはなしぶりこれもたしかに過世すくせよりゑんあるおかたさつせしゆへすゝいでつゝのうへの秘事ひめごとさへもへだてなくくハうちあけはべりしなりとこれまでありつる物語ものがた〔り〕辞閑ことばしづかにのぶるにぞおうめおちたるところおぎなひ」言話ことばそへたる長談ちやうだん青柳あをやぎやすハいふもさらなり傍聞かたへきゝせしおかめさへ小膝こひざすゝむをおぼへぬまでにみゝかたぶきゝたる必竟ひつきやう二名ふたり物語ものがた〔り〕はてまた爭何いかなることにかなるつぎめぐりてしらん

貞操婦女八賢誌第九輯巻之一18

貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんしだいしふ巻之二

東都 為永春水編次 

  第五十五回 〈所沢ところざは驛路のうまやぢ勇婦ゆうふ奸悪かんあくく|岩鞍いわくら白屋のくさやいち賢女けんじよ塵世ちりのよのがる〉

再説ふたゝびとく青柳あをやぎやすハおみち長譚ながものがたりをうちきくごと驚嘆きやうたんして須臾しばしことばいでざりしがおやすしば/\点頭うなづききけバきくほどいとあやうきお二名ふたりさんのおん浮沈ふちんすべよくのがれ給ひしかどそれつきてもいたましきハおそでさんのあへない最期さいごやいばにかけしのみならず青柳あをやぎさんの胴巻どうまきさへぬすつたる曲者くせものはやくもとらへられ」たるハこのうへもなきよろこびなりまた私等わたしらのうへにもつもはな〔し〕ありぬるハとてまづかめをバあらためておうめ二人ふたりひきあはさて三個さんにん來由こしかたをかはる/\に物語ものかたるにぞこゝにいたりてお理喜りきとも忠死ちうし様子やうすおのづられ鍬八くわはち孤忠こちう苦七くしち奸悪かんあくたけ安危あんき存亡そんぼうなほはかられぬをあやぶみつゝともひたいあはせたるそのなかにおうめがいふやういま私等わたしら因縁いんゑんあるもの薄命はくめいならぬハあらざりしもおの/\危窮ききうをまぬかれてこゝ五女いつたり會合くわいがうせしこと不思議ふしぎといふもあまりありかのそでさんのつげかりたるそのもおなじおそでとやらんいへる賢女けんぢよ有無ありなしハ」1 今更いまさらはか〔り〕られねどもまづさしあたりて気遣きづかはしきハおたけさんと八代やつしろさんこれより五名ごにんこゝろあはたづねめぐらバとをからず安否あんひらざることハあるまじそれつけてもにくむべきハこの太郎たらうとかよばるゝ曲者くせものたゝかバなほ旧悪きうあく白状はくでうすることあるべきかとふにおみち点頭うなづきいましおき太郎たらう引出ひきいだしつゝいからし[人尓]なんぢ日外いつぞや日暮里につほりにていもとそで殺害せつがいなしたるその吾儕わらはゆきあはせしかどこゝろ急迫せくまゝあやまってとりにがしたる口惜くちおしいま旡念むねんはれざりしに今宵こよひこゝにてとらへしハ天罸てんばつのがれ[人尓]なんぢが身のはていもところせし一伍一什いちぶしじうハおそで末期まつごきゝたれとも」[人尓]なんぢ素性すぜうふたつにハこれまでなしたる悪事あくじ段々だん/\さァ真直まつすぐ白状はくでうせよはずバうじやとかたへなる手頃てごろぼうひろそびら肩先かたさききらひなく急所きうしよよけてめつたうち皮肉ひにくやぶれてばしるまでにせめさいなまれて太郎たらうさすが不敵ふてき曲者くせものなれども苦痛くつうたへずやありにけんその素性すぜうふにおよばずおそでがいせし首尾はじめおはりかつ迯水にげみづさとにおいてたましめあは戸塚とつか大六だいろくあざむころまたたまともはしりて岩鞍いはくらとうげにいたりしとき山猫やまねこ打扮いでたつたる異形いきやう〓〓くせものあらはれいでそれがためにいとふか千尋ちひろたになげおとされしがさいはひにしてつゝがな」2 けれどにいさゝかのたくはへもなく詮術せんすべなさにこのやうなる盗心ぬすみごゝろいでたるなりとことつまびらかに白状はくてうなすにぞおみちこれをうちきゝまつ懐中くわいちうおさめたるかの胴巻どうまき取返とりかへして青柳あをやぎわたさて賢女けんじよむかひてふやうこの曲者くせもの積悪せきあくかくのごとくであるときハ天命てんめいのがれぬ罪人つみうどなりことさらいもとあだなれバわたしいまこゝでと懐釼くわいけん片手かたてたちかゝるをおうめ須臾しばしとおしとゞめ這処こゝ母屋おもやいととほ別室はなれざしきであるゆへに最前さいぜんよりの騒動そうだうまたこれかれ問答もんどううちものらざるにや下女げじよひとりだもたらねどこの曲者くせものこゝにてころ」せし様子やうすひとられなバ俺們われ/\うたかひをうくるばかりかこのいへあるじ難義なんぎおよぶべしひとなきところつれゆきひそかすこそからめとふにそばからおかめがさしより√おうめさんのおことばまことにもつて道理どうり至極しごくいまこのもの白状はくでうのうちかのたまとまうせしハ真間まゝ愛嬉あいき女児むすめにてわたしためにハかたき隻割かたわれ岩鞍いわくらやまにて〓〓者くせものとらへられしとあるからハ那里かしこにいたりてたづねなバせんひとッもかのもの在家ありかそれ見出みいだしてうらみをかへこともあらんかみなさんなんとでござんせうとはれて点頭うなづく賢女けんじよなかにもおみちハうちゑみさら俺們われ/\四人よにんものも」3かめさんと侶倶もろともまづ岩鞍いはくらへとこゝろざしおもむみちにて這奴こやつをバおもひのまゝ[石欠]きりさいなみころうらみほうぜんとふに談合だんかう一決いつけつして旅店やどやまへたづぬるともこゝはからずあひしゆへ今宵こよひにはか出立しゆつたつするとて旅篭はたご勘定かんじやうなどしつゝ太郎たらうをバ聲立こゑたてざるやう手拭てぬぐひをもてくちむす目深まぶかかさかぶらしめ五人ごにんなか打交うちまぜてかの旅店はたごやまぎいでやゝ所沢ところざはさとはづれなる廣野ひろのおもむきたりしときおみち遺恨いこんたへざるにや賢女けんじよことばたずひきたてたりし太郎たらう矢場やには〓処そこ蹴仆けたほして准備ようい懐釼くわいけんぬきはなし右手めてとりつゝにらまへて」[人介]なんち光棍わるものこれまでになしつるつみのめぐり冥罸めうばつおもあたりしかとのゝしせめつゝ太郎たらうあるきりあしをきりあくまで苦痛くつうをさせたるうへつひかうへをうちおとかたへありゑのきこずゑくだんくびむすつけまたそのゑのきけづりて矢立やたてふでとりいたこれ奸賊かんぞく太郎たらうくびなりいぬそのつきそれいもとがいせしうらみやいば今月こんげつ今宵こよひほうずるものなり道女みちじよかきつゝふで侶倶もろともやいば[革室]さやぬぐおさめてこれにてむねはれたるハとひと完尓につことうちむにぞ最前さいぜんよりして見物けんぶつなしたるおうめ賢女けんじよハおみち做方しかたのいさぎ」4 よきをひとしくかんじあへりつゝみなうちつれ秩父ちゝぶ岩鞍いはくらさしてぞ辿たど〔り〕けるこゝ岩鞍いはくらさとはづれにつた青壁あをかべ竹柱たけばしらいとわびしき白屋くさのや阿由およしよばるゝいち賢女けんじよありかれ甲斐かひ國分こくぶなるゆめやま水門みなとといへる郷士がうしひとり女児むすめでありけるが岩鞍いはくら衛守ゑもり子息しそくたる泡之助あはのすけとハ幼稚おさなきより総角結いひなづけせしなかなるゆへ今稔ことし夘月うづき中院なかばごろ甲斐かひより遥々はる%\輿入こしいれしてすで婚姻こんいんさかづきをもとりかはさんとせしをりしも鎌倉かまくら官領家くわんれいけより火急くわきうのおんめしあるよしを申越まうしこせしと典物てんもつつぐるによりて猶豫ゆうよもならずさかづきさへもなしあへずかの典物てんもつを」

  挿絵
  八代やつしろしんよしためす  このつぎめぐり本文ほんもん合見あはせみるべし 八代 お由 」 5

引連ひきつれにはか發足ほつそくしたるにぞおよしこのきたりてよりいまだ幾程いくほどならざるに良夫おつと畄守るすあつけられ馴染なしみうす腰元こしもとなぐさめられつ今日けふ翌日あすくらしてるうちにかの泡之助あはのすけ伴當ともつれたる一個ひとり下奴しもべがあはたゞしくたちかへりつゝ報知つぐるやうさて大變たいへんなることこそおこりぬ火急くわきうのおめしとあるにより夜道よみちいとはず鎌倉かまくらへひたすらみちいそほど岡津おかつ矢部やべあいだなる二又ふたまた河原がはらにかゝりしとき自己おのれいさゝかあしいためて一里いちりばかりおくれしをなほ追付おひつかんとこゝろはげましあしひきつゝはせいたりれバ無慙むざんわか旦那だんなにハ」6 くひとうとをことにしてあけそみつゝたほれしかたへ典物てんもつさまにも痍疵てきずふてむねん/\とがみを四辺あたりにらんで立れし形勢ありさまびつくなしつゝさしよつ仔細しさい爭何いかにとひかくれバ典物てんもつさまにハ太息といきわれ泡刀[人尓]あはどの侶倶もろともにひたすらみちむさぼりて脇目わきめもふらずいそをりしも往方ゆくてしげりし夏草なつくさかげにかくれしあまた光棍わるものおの/\白刄しらはたづさへたるが不意ふいおこつて泡之助あはのすけわれ等に[石欠]ってかゝりしに〔お〕もひがけなきことなれバ泡之助あはのすけにハうけそんじ肩先かたさきふかきりさげられしがさすが父公ふこう子息しそくゆへ深痍ふかでながらにわたひ」秘じゆつつくしてたゝかはれしかとしよ太刀だちまなこもくらみけんつひ箇所かしよきすふてかうべをさへもうちおとさるゝをわれ眼前がんぜん〔に〕ながらもおほくのもの捕圍とりかこまれすくはんとするにすべもなくかすりながらわれとても箇所かしよさん箇所がしよからぶりたるをなほことともせでふせほど太刀たちさきをあしらひかねてやかの曲者くせものまたもとの夏草なつくさかげにおどりはやくも何所どこへかにげうせけんさらかげだもへざるにぞてき一人いつにんとらざりし遺恨いこんやるかたあらねども鎌倉かまくらよりの火急くわきうのおめしことおくれてハ岩鞍いはくら家名かめいかゝこともあらんかわれ泡刀祢あはとの名代みやうだいこれより」7 かのおもむきてようむねをもうけたまはりすべよくこしらへたちかへれバなんぢこゝよりとつかへこれのよしをおよしどのに報知つげなげきをなぐさめよとはれしまゝにそのよりいきせきもどつてまいりしとおほいきついかたるにぞはつとばかりにおよし仰天ぎやうてんあきれてすべもあらざりしがにもかくにも典物てんもつかへきたりしそのうへでなほ様子やうすきゝ糺し做べきやうもあらんとて心許こゝろはかりの仏事ふつじなどひそかになしてまつほどにそれより五日いつかほとすぎてかの典物てんもつたちかへ〔り〕よしむかひていへるやうさてはからざる たび大變たいへん下奴しもべらせにきかせ給はん自己おのれすくさま鎌倉かまくらなる」管領家くわんれいけ罷出まかりいで泡之助あはのすけにハ急病きうびやうゆへその後見うしろみたる岩鞍いはくら典物てんもつ名代みやうだいとして推参すいさんせしだん申入まうしいるれバ喚入よびいれ給ひ泡之助あはのすけこと病気びやうきとあらバ[人尓]なんぢにまうしつくべきなりその仔細しさいほかならす先年せんねん豊島としま内乱ないらんありてやゝ騒動そうどうおよびしかバ鎌倉かまくらよりして討隊うつてをさしむけその内乱ないらん取鎮とりしづかの一族いちぞくうちゑらびて豊島としま城主じやうしゆすへおくところ近頃ちかごろほのかにうはさけバおさいよばるゝ似非ゑせあま鳩若はとわか光姫みつひめ守立もりたて秩父ちゝぶやま楯篭たてこも籏上はたあげなさんとするよしなり泡之助あはのすけ秩父ちゝぶ年頃としころめる郷士がうしけバかの案内あんないよくりたらんひそかやま鑿穿せんさく8 していよ/\かれ楯篭たてこも逆意きやくいありとた〔き〕はめなバすみやかに注進ちうしんせよ不意ふい討隊うつてをさしくだたつからすべししかるときにハそのはうかみへの忠節ちうせつこのうへなしと扮拊いひつけられしハもん冥加みやうが早速さつそくうけしたれどもそれつけても口惜くちおしきハかの泡刀称あはどののなりゆきおんこのゑんありて輿入こしいれまでもせられしを今更いまさら甲斐かひへもゆきがたかるべしなほこのいへましまさバそれがしあしくハはからふまじとふハこゝろ一物いちもつのありともるやらざるやおよしなみだをうちはらひあのあはさまとハ稚児おさなきより総角いひなづけせしなかなるにまだ婚姻こんいんさずともなずバこのいでまじ」とおもさだめてしものをいかで甲斐かひもどるべきたゞこのうへのねがひにハ墨染すみぞめ形容ありさまほとけつかへてなきびと迹吊あととふらはんとおもへるをよきにはかりて給はれとふに典物てんもつうちあんじそのおことば無理むりならねどさるもの日々ひゞうとしとことはざにもふなるをあまとなりたるそのうへでのち口惜くやしおもはるゝことなどあらバなきひとかへつためにもあしからんとくあんなし給へとへるばかりで此後このゝちしば%\のぞめどさらゆるさずたゞ念比ねんごろ款待もてなしさをなぐさめなどするほどにたぬ日数ひかず何時いつしかすき五月さつき中院なかばになりしころ典物てんもつはからずもかの烏羽うば9 たま捕獲とらへえかれ側女そばめとなせしよりはじめハおよし欺止あざむきとゞめてれんとおもさだめしこゝろ何時いつはてあまになるなら勝手かつてになれついでこのよがしに款待もてなし以前いぜんかはりしかどおよしもとこれ賢女けんじよゆへ薄命はくめいおもひあきらめさらなげきのいろをもせずのぞみし出家しゆつけゆるされたるを決句けつくよろこ面持おももちにて母屋おもやにあらんハわづらはしと此里このさとはづれいほりをむすびころもすみそめなしつゝほとけみちにハいりたれどもおも仔細しさいのあるゆへにやになき良夫おつと百ヶ日ひやくかにちはつるまでハとひなしてなほ黒髪くろかみらざりけり

  第五十六回 〈首級しゆきうのこ〔し〕八代やつしろ阿由およしはげます|のりものあいぐしたまたくみく〉

されバおよしかの白屋くさのや奴婢ぬひをもつかはずたゞ一名ひとりはつながらのいま道心どうしんおこなひすましてほど典物てんもつかたよりハこめだにこゝろよくハおくらずちかきわたりの里人さとびとあはめぐあるときハもちまた菜物あはせものなんどこゝろつけらすなるひとなさけにやう/\とそのわづかおくるのみされどもおよししともおもはず一心ひたすらほとけみち分入わけい唱名しやうみやうこゑさらたへ左右とかくする五月さつきあつ水無月みなつきすへわづかになりしころ或日あるひ門辺かどべたゝずみて」10 うちうかゞふ六十六かねうちらして仏名ぶつみやう幾度いくたびとなくとなへつゝ報謝ほうしやへる形勢ありさまをおよしかきやぶれよりさしのぞてうちうなつあれおんなろくどのいざうちをまいらせん這方こち這方こちへとよびいれられろくよろこすゝるをおよしつゝゑまにまだ嫋若うらわかきおんにて廻國くわいこく修行しゆぎやうなさるゝハ余義よぎなきことさつしられにつまされていたはしい土用どようなかば俄照にはかで日中ひなかわけいとあつきをこのゑんさきかぜよくれバ霎時しばしかげ出來できるまでまづやすらひてゆき給へといふになたもうちゑみておなさけふかいそのおことばさらバおふせしたがひてすこしのあいたゑん」のはし拝借はいしやくいたすでござりませうとひつゝこしをうちかくれバお由ハありあふふる茶碗ちやわん暖湯ぬるゆくみりさしいたすをろくとつておしいたゞ四辺あたりしば/\まはしてつくろひなきお住居すまゐぶりうけしところ庵主あんしゆにも廿才はたちらぬお年記としばへほとけ御弟子みでしとなられしにハさだめてさいもありそうなといはれておよし歎息たんそくなしおん吾儕わらは過世すくせよりむすびしゑにしのあれバにやしよ對面たいめんとハおもはれずつゝましからずバおんをもおんのうへをも報知つげ給へ吾儕わらはがうへをもいでてせめてハさをはらさんとふにろく点頭うなづき私事わたしこと八代やつしろとていや11 しき處女おとめはべれども過世すくせよりして[女兄]妹きやうだいゑにしあるもの八女やたりありそれ在家ありかもとめんため諸國しよこくめぐかり修行者しゆきやうしやしてまた貴女あなた道心どうしんハとはれてつゝまんやうもなく吾儕わらはよしばれてこの郷士がうし岩鞍いはくらつまさだまるものなりしがはからず良夫おつと泡之助あはのすけ横死わうしによりて詮術せんすべなくその亡跡なきあととふらふため姿すがたかへころもすてられつすてのなるはてろくどの便びんおもふて給はれとひつゝまぶたをしばたゝくを熟々つく%\きい八代やつしろ大口おほぐちあいてうちわらさてせうどくかねておんこのさと賢女けんじよとやらん貞女ていじよ」とやらんひとうはさたかけれバたづきたりつよびれられしにくとるとハことかはり現在げんざいあだをつい〓里そこおきながら阿容おめ々々/\うたんともせでほとけ三昧ざんまいそれほどいのちおしいのかさげはてたるこのふるまひういふところ放心うか々々/\ながするのもけがドレ徐々そろ/\もどりませうとハ渋茶しぶちや一碗いちわんでもたゞもらふてハまぬなにがなおまへおき土産みやげがとおひひらきて。をゝある/\これ日外いつぞや途中とちうにてふとりししななるがおまへのやうな臆病おくびやう不思義ふしぎなほこの妙薬みやうやくこれのこしてほどあとゆるりとなさん」12 せとひとッのつぼとりいだしゑんほとりにさしおきて回答}{いらへ}もかず八代やつしろハそのまゝつゝといであとにおよし忙然ぼうぜんあまりのことあきれはてとゞめもあへずたりしがさるにてもあのおんなろく心得こゝろえがたきことば端々はし%\ことこれなるつぼうち合点がてんゆかずとさしつてくだんつぼひらるに塩漬しほづけにせし一級ひとつくびありいぶかしながらとりれバさきあへなくさりしと人傳ひとづてにのみきゝおよびしかの泡之助あはのすけ首級くびなるにぞこれハとばかりおどろきつまたかなしみつ霎時しばし首級しゆきうかきいたきておぼへずなみだにくれけるがわれこゝろとりなほひとりつく%\思按しあんすに」

  挿絵
  ふところを見すかす風や辻か花  烏羽うば玉 大六 」13

最前さいぜんかれことばのうちに現在げんざいあだをつい〓処そこすへおきながらといふたるのみかいまこのくび臆病おくびやうなほくすりおくりし様子やうすいづれにしてもかのものかたき家名けみやう在所ざいしよをもりたるものか。ともらバくはしくとひたゞさんにそこにこゝろのつかざりしハわがながらもうとましやいまだとをくもいたるまじあとめてをゝそれところもすそとりあげつゝはしいでんとするをりしも門口とぐちにおろす鋲打轎びやううちのりものこれにつきたまがその扮打いでたち花美はでやかに綺羅きらかざりしはれ衣装いしやう許夛あまた伴當ともびと引連ひきつれたるなかにもれい大六だいろくはじめ風呂場ふろばくみなりしをたま執成とりなしにて」14 若黨わかとうとまでなりあがりしをこのともくはへしがたまハおよしいほり門口とぐちつゝかへりてそののりものハしばしのあいだこらおきひかへてよと伴當ともひとのこしおき大六だいろくばかしたがへてないはず徐々しづ/\折戸をりどうちいりたれバ出合であひがしらにおもはずもおよしかほあはせてをりわるさとおもヘどもすてもおかれずうちゑみめづらしやたまさま先々まづ/\これへともどれバたまいとゑま會釈ゑしやくをしつゝ一間ひとまとほさてこれまでハ貴女あなたのうへをさぬもあらねども出家しゆつけされたそのときより母屋おもやつうわづらはしと這処こゝかんきよのおまかせつい無沙汰ぶさたにハすぎますれど可惜あたらさかりの御身おんみをバあまとなしつゝくちはたすハなにとももつていたはしゝと典物てんもつどのとも常々つね%\からおうはさいたしてりしところおもひがけなく鎌倉かまくらより大石おほいし兵衛允ひやうゑのじやう儀方のりかたぬしのその後室こうしつきこへたる青春せいしゆんゐんよばれ給ふが定正さだまささまのあふせうけおんむかへられんため遥々はる%\この下向けかうありよつこのよし典物てんもつどのが自身じしんこれまいらるべけれどそれでハものかど貴女あなたほうでも遠慮ゑんりよがち女子おなご女子おなご同士どうしとやらわたしまいつてとつくりとおはないたせと吩咐いひつけられまいりましたと完尓にこやかにのぶるにおよしまた15 さらてんゆかねバさしよつすてられしわたくし管領くわんれいさまよりめさるゝとハとふをたまひきとつてその不審ふしんことはりながら扇谷あふぎがや〔つ〕管領くわんれいさま奈何いかにしてかしろめしけん泡之助あはのすけつまよしへるハすこぶる美人びじんきこへありいまだ婚姻こんいんせざるうち良夫おつとにおくれてすでいまあまともなるべきよしなるがあたら美人びじんをやみ/\と法師ほふしになさんハいとおしいまよりかためしよせ嬖妾そばめなさまくおもふなれバとくめしつれよとあふせなるよし当所とうしよ大石おほいし儀方まさかたぬしのもとよ領地れうちなるゆへに使つかひをもつていひさるべきをきみ御諚ごじやうおもけれバ家來けらいまかせになりがたしとて」後室こうしつさまのしのびやかにおんりありしとことなりもつともまへあはさまにみさほたてての発心ほつしんなるを假令たとへ管領くわんれいあふせにもせよ今更いまさら側妾そばめなんどにハなるべきこゝろハあるまじけれど其処そこにいふなく地頭ぢとう[人尚]もしこのこといなまれなバだいつたはる岩鞍いはくら家名かめいかゝるのみならず大石おほいしさまにも鎌倉かまくらしゆをそこなひ給ふべけれバ是非ぜひとも得心とくしんさせよとある後室こうしつさまのきびしいお言話ことばこゝのところをきゝわけいへのためまたひとためすてさきいで扇谷家あふぎがやつけ部屋へやさまとよばれ給はなか/\におんためにもあしかるまじはべらず」16 やとときすゝむるをおよしきゝつゝ形容かたちをあらためおもひがけなきかうのおめしことにハおまへ右左かにかくことわけてのおことばきゝいれぬにハあらねども一旦いつたんうと思ひさだめてころもすみそめたるをとふをたまきゝあへずそれゆへにこそわざわざとわたしこれまでまいつたわけ[人尚]なほこのうゑにも聞入きゝいれなくバいたましながらくびうつてさしいだせとある後室こうしつさまもなきとき鎌倉かまくら言解いひわけなしとのあふせことわり中へたちたる私等わたしらこゝろうち推量すゐりやうしてゆかうとあれバそれでよしいのちすててもいやとなら准備ようい首桶くびおけあれにありそのしなこれへと言葉ことばの下」あつ回答いらへ大六だいろく携來たづさへきたりし首桶くびおけをおよしさきにつきつけつゝいないはせぬ手詰てづめのせつぱおよしもとよすていのちもさら/\おしまねども良夫おつとあだうつまでとことよそへて黒髪くろかみをもらで時節じせつうかゞふのみか最前さいぜんはからずおんな六部ろくぶはれしことさへありぬるを今更いまさら狗死いぬじになすべきならずさりとて側女そばめいかでかなられんなにとしてのがれんと思按しあんのうちにたま時刻じこくがうつるおへんなにと/\ととひつめられ詮術せんすべもなくへたるをりしもおもひがけなきおくよりふすまさつとおしひらあらはれいでたる以前いぜん八代やつしろ六部ろくぶ姿すがた引替ひきかへ小手こて臑當すねあて17 かろ扮打いでたちこれハとおどろ二女ふたりなかたちふさがりつゝこゑ掉立ふりたてどくたま奈何いかなれバこれまで許多あまたの人をそこねしその奸悪かんあくらで現在げんざいしゆうなる泡之助あはのすけ殺害せつがいしたる典物てんもつあくをたすけてかくまでに賢女けんぢよくるしめまいらするや積悪せきあく忽地たちまちめぐなんぢ持参ぢさん首桶くびおけなんぢくびこそりぬべし其処そこうごくなとよばはりつゝゑりがみつかんでひきへるを吐嗟あなやおもへどさすが曲者くせものとられしかひなをふりはなしついになれ下婢女げすおんながいらざるところへさし所為わざ門辺かどべにおろせしおんのりものにハ後室こうしつさまもましますをらざることして後悔こうくわいすなと」ふときかどなるのりものより忽地たちまちこゑをふりたて八代やつしろいしくもはからふたれそれまいつておさいあま無明むみやうゑひさまさせんとひつゝかごおしひら徐々しづ/\いづ一個ひとり女僧あまみどりかみ切捨きりすてたるをうしろざまに撫下なでさげつゝにハ道衣だうゑちやくせしがかの白屋くさのやすゝやゝ上座かみくらにぞなほりける必竟ひつきやうこゝにおさいあまのりいでたるそのうへにてまた爭何いかなる物語ものがたりかある\R{〓そ}ハつぎまき分解ときわくるをらん

貞操婦女八覧誌第九輯巻之二18

貞操ていそう婦女おんな八賢誌はつけんしだいしふ 巻之三

東都 為永春水編次 


  第五十七回 〈さい計得はかりえためうりき一賢いつけんあらはれあらはのちのそで

されまたたまおもひがけなきこの形勢ありさまおどろきつかつあやしみてあいたるくちをむすびもあへず須臾しばしあきれてたりしがもとよてき曲者くせものなれバおさいまへすゝりおん大石おほいし儀方のりかたさまの後室こうしつぞとのたまふておよしどのをバ鎌倉かまくらいざなくかもなくバくびうけとらんとありつるにいままたおさいあまのりて此ふるまひハなに事ぞやとなじとはれて完尓につことうち白癡女しれものいまださとらずやさらさいきかねふりのゆめさまさせん吾儕わらはまこと大石おほいし後室こうしつなんどふものならずをんなながらも豊嶋としまの家を再興さいかうなさんとこの年頃としごろ方をあつめ時をつおさいあまとハすなはちこれなり今やかうなりときいたりてこのちゝ山にかたそろへいあげんとなしつる折しもこの八代やつしろがとひつゝもかたへきつかへれバ八代これつい吾儕わらは日外いつぞや品革しなかはむらにてふな与伊太よいた搦捕いけどら輕井沢かるゐざはまでかるゝをりしも箇様かやう々々/\ことによりかみたすけ羅轎あみのりものうちやぶられつ」1 のがれしとき一名ひとり飛脚ひきやくふところにせし密書みつしよはからずとりしにおさいこう秩父ちゝぶみねたてこもりつゝおはするをかの典物てんもついだして訴出うつたへいでたる返翰へんかんにてならず鎌倉表かまくらおもてより討隊うつてをさしむけられんとある文体ぶんていなるにうちもおかれずそれのみならでいぬおもひがけなく辻堂つじどうにて箇様かやう々々/\ゆめくびをもたることさへあれバおよしさんにも對面たいめんしていよ/\夫と見きはめなバ良人おつとあだをも報告つげばやと〓処そこあんさだめつゝ秩父ちゝぶ山へわけのぼり尼公のすみか索覓たづねもとめてこれことをまうしあげしにそのときこうのたまふにハ吾儕わらは岩鞍いはくら典物てんもつふるまいのあるべしとハかねて心をつけおきしがあはすけつまよしへるハ賢女けんぢよきこえあるものにてかれまた豊嶋としまいへ宿縁しゆくゑんあるべき處女おとめなりとハ法力ほうりきにてきはめたれバ[人尓]なんぢハおよしいほりにいたりやう々々/\ひなしてかれこゝろひいわれまたすべきやうありとのたまひしゆへ這処こゝかゝことにハおよびしとふをおさいひきとつていま八代やつしろかいふとほり渠をバさきにこのつかはし吾儕わらは大石おほいし儀方まさのり後室こうしつなりとひこしらへ典物てんもつはじめたまが心のうちをもさぐり見つお由が様子やうすためしに典物てんもつ奸悪かんあく玉がはくよし処女おとめ2貞心ていしんせつこと大概おほかたさつせしゆへじつをあらはして這処こゝにハのりいでたるなり典物てんもつといひたまといひまたこの戸塚とつか大六だいろくこれまでなし積悪せきあくぶつ不思議ふしぎ通力つうりきにて吾儕わらはかねりたるうへなほ目前もくぜんしうへハはやのがれてん冥罸めうばつへいあぐはじめに[人尓]等なんぢらつみせめ当家とうけ由縁ゆかり賢女けんじよくるしめたりしむくひをせん網六あみろくいづれに大六だいろくいましめよとことばしたより一個ひとり壮者わかものさいあま伴當ともびとうちより忽地たちまちおどいで周章あはてふためく大六だいろくをおさへてなはをかくるにぞいよ/\おどろきます/\あきるゝ」たまハはや一生いつせう懸命けんめいされどもかんたけたるものゆへまたとらへんとたちかゝる八代やつしろくゞかたへありあふ花桶はなおけ圍爐裡いろりなかなげめバおけみづはい忽地たちまちぱつとたちあがりうちくらむばかりなるけふりのうちに立紛たちまぎにはへひらりととびりつゝかきをくゞりてにげいづるをのがしハせじと八代やつしろともおはんとするところをおさいきうにおしとゞ八代やつしろかれふにおよばずはやくまでになりたるうへハたまのみか典物てんもつふくろねづみことならぬをかれにハあだあるものもありそれがらのこしおけとはれて点頭うなづ〔く〕八代やつしろが」3 おもはずかたへ大六だいろくいましめたるまゝ引居ひきすへたるかの網六あみろくかほあは[人尓]なんぢ日外いつぞやぐちにてとことばをかくれバ網六あみろくういふおんハそのをりたび女中ぢよちうおはせしかとふをおさい引取ひきとつ八代やつしろにハまだ報告つげざるゆへしんおもふもことはごくかれ[人尓]なんぢもかねてるお理喜りきとも従弟いとこにてやう々々/\ことりおうめみちだい厄難やくなんすくひしこうあるものなるが賢女けんぢよあとしたひつゝ這頭こゝらあたりをたづあゆむをかれ伯母おばなる老女らうぢよとも躱家かくれがともなひつゝ今日けふ伴當ともにハつれたるなりとかたるに八代やつしろこれまでうたがおもひし首級くびことさへこゝにはじめてさとりしのみかおうめお」みちつゝがなきをいとよろこばしくおもひけるこのときまでもおよしたゞ忙然ぼうぜんとしてたりしがおさいまへかたちあらた吾儕わらはがおもひらざれバかの典物てんもつ為躰ていたらく[人尚]もしそれかとうたがへどもまさしき證拠しようこのあらざるゆへ現在げんざい良夫おつと讐敵あだかたき阿容おめ々々/\としてまへおきつゝつきおくりしハ俺身わがみながらに甲斐かひなきをいま尼公あまきみ八代やつしろさまのおしへにそれりたるハこれにうへたまものなしくいふうちもこゝろがせけバ何卒なにとぞ吾儕われら典物てんもつ討手うつてやくをおんゆるしなしくださらバ只今たゞいまよりすぐさま那処かしこおもむきてうらみほうはべりたしといふにおさい点頭うなづきて」4 [人尓]なんぢ心底しんている事ながらすでさきにもいへるとほりかの典物てんもつうちるべき手はづはやしおきたれバとりにがすべきやうもなしはやらバかへつてあやまちあるべしもとよ豊嶋としま宿縁しゆくゑんある賢女けんじよ八名はちにんすなはちありてその一個ひとりをおうめまたみちといひ青柳あをやぎといひおやすといひおたけといひこの八代やつしろもその一個ひとりにてすで七名なゝたりなりけるに[人尓]なんぢまたその一個ひとりにてとも豊島としま帰依きえぶつなりし八躰はつたい弥陀みだしんなりされ[人尓]なんぢいまよりして豊嶋としまいへつかへこと勿論もちろんことなれバはとわかぎみ光姫みつひめぎみよりきぬ一重ひとかさたまはるものなりこれ[人尓]なんぢつけはれ讐討あだうち

  挿絵
  しん典物てんもつかこむ  おさいの尼 お袖 八代 」5

いたされよとひつゝ伴當とももたらきたりしやう花栄はでそめなしたる寧楽晒ならざらし麻衣あさぎぬにおなじさらしした帷子かたびらごみ〓子鎧くさりかたびらさへそへいざとてさしいだせバおよしハはつとさがかのたまものうけておしいたゞきつゝさてふやうよろこばしき素性すぜういへ宿縁しゆくゑんあるのみか八女はちじよ一名ひとりなりとありてめうあまたまはりものもつとも吾儕わらはハそのはじめ墨染すみぞめなししときあだだに首尾しゆびよくうちおほせなバこの生涯せうがい御仏みほとけつかえまいらせんとちかひしかどすくよりしておんいへちなみあるよしくからハいかでいなみまいらすべきよしと」6 いふすでにはや一旦いつたんほとけさゝげしなれバよしといふたまものころもへていまよりハそであらたのりはべらんみなさまそでされよと忽地たちまちあらはす烈女れつじよ本性ほんせうさいあま八代やつしろともかんずるそのなか網六あみろくおぼへずひざをすゝめそのおことばつきてまたおもあはすることこそ侯へ八代やつしろさまにハしろしめすらんかの神宮屋かにはやなるおそで處女おとめがおうめさまをバ女子おなごらずおやゆるせし良夫おつとぞとおもつめたる一念いちねんりきにやその宇女太うめたやいばにかゝりいのちおとせどなきたまのおうめさまの枕辺まくらべにあらはれいでつゝはるゝにハ良夫おつとおもこれまでに」したひし甲斐かひいまハはや存命ながらへがたきこのいのちまへはや本復ほんぶくして時節じせつ〔を〕たバとをからずおそでばるゝいつ賢女けんじよ不思議ふしぎのりふよしあらんわたしゑにうすくしておんかゝるもこれまでなれどせめてわたしとおなじそのいつ賢女けんじよ末永すゑながわたしとおもふてむつましくともたてあげ給ふをくさかげよりこのそでがかならずまつりますとはれしよしをおうめさまのはなしにきいてハりましたれどなかばしんなかばいぶかこうさまにも報知つげざりしにいまよしさまはからずもおんをおそであらためられしにはじめてさとりし貞女ていじよ7赤心まごゝろぜん二名ふたりのおそでさまいづれおとらぬ一對いつつい賢女けんぢよかゞみで侯はんとかたるにおさい八代やつしろもおよしのおそで驚嘆きやうたんしてみゝあたらしくぞおもふなるべし案下そのときさいそらうちやりひとりしば/\点頭うなづきすでときこそいたりつれおそで八代やつしろりやう處女おとめ疾々とく/\よういそがすにぞ心得こゝろえはべりといさよろこぶおそで手速てばや最前さいぜん〓子鎧くさりかたびらくだしつゝうへにハはれ麻衣あさぎぬすそみぢかにまとふたるその打扮いでたちがるなるにかねしよなす一刀いつとうこしにたばさみなほれバそのひま八代やつしろもゆるみしおび引締ひきしめなどしてたくはやとゝのひしかバさいあまハうちやりてあはれめでたき二女ふたりが」こつがらさらこのうちたつべしはづやう々々/\ ぞとその計策けいさくさゝやしめ網六あみろくその伴當ともびとにかの大六たいろくひきたてさせおの/\〓処そこをぞたちいでける

  第五十八回 〈八女はちじよそくしてしま再栄ふたゝびさかふ結局けつきよくやゝまつた八仏はちぶつ縁記ゑんぎ

休題そハおきて岩鞍いはくら典物てんもつ泡之助あはのすけをバがいせしのち万般よろづ自己おのれ随意まにまになるに近頃ちかごろちゝ山奥やまおくにおさいあま楯籠たてこもりことさへはやきゝいだ鎌倉表かまくらおもて内通ないつうしたれバ今日けふ追捕つひほ沙汰さたあるか翌日あす討隊うつてむかはんかそのをりにこそさきくはゝるい8 なきはたらきしてこれ出世しゆつせ小口こぐちとせバおもひのまゝたつべしと鎌倉かまくらよりの返答へんとうまちしにおもひがけなく大石おほいし殿どののその後室こうしつ入来じゆらいありておよしめさるゝおもむきなるにぞかれ鎌倉かまくらへさしあげなバゑんにつながるゆへためあしかるべきやうもなしかゝことにハ怜悧気さかしげなれバとかのたま後室こうしつそへておよし白屋くさのやつかはしたるより那処かしこしゆ奈何いかゞあらんとおもひつゞけてこゝろもこゝろならざるをりしもにげかへりたるたまがあはたゞしげに報知つぐるやう大石おほいし殿どの後室こうしつといひしハまことハおさいあまにて鎌倉かまくらよりの返書へんしよをも八代やつしろ横取よこどりなし秩父ちゝぶ内通ないつうしたることまた泡之助あはのすけころせしことさへかれはやくもりしゆへおよ あだうたせんとする那処かしこ形勢やうす恁々しか%\にて吾儕わらはとらへらるべきをわづかのがかへりしといきつきあへずかたるにぞ什麼そも爭何いかに典物てんもつ一回ひとたび仰天ぎやうてんせしがまたこれてき曲物くせものゆへおもなほして冷笑あざわら才覚さいかくあるおさいあま計畧けいりやくうらをかきこの逆寄さかよせしたれバとてたけれたるをんなさる智恵ぢゑこの岩鞍いわくらひとさとみなはいたみなるにかゝときためにもとわれ山猫やまねこ姿すがたをなしひと器量きりやうあるものどもをバためしていへ扶持ふちおけ〔け〕バそのものよびつどまねかでたるおさいあま搦捕からめとりがらに」9 せんとたまきたれといざなひつゝやゝたかどのはせのぼかねあいとさだめ法螺ほらがい〔ママ〕とつてふきならせバ忽地たちまちいへ四方しほうよりとつあげたる鯨波ときこゑとも許多あまた兵等つはものらたかどのがけてとりかこひとしやじりをさしむけたるこの形状ありさま典物てんもつハうちおどろきついぶかりて四辺あたりきつおろすにみなこれはい荘人ひやくせうてきまじりてしなれバ典物てんもつこゑをふりたて汝等なんぢらごろおんわすてきくだりしものなるかとふときよせそのなかよりあらはいでたるにんゆうこれすなはち別人べつにんならずおうめみち青柳あをやぎやすかめ賢女けんじよなりけるがかれ此程このほど所沢ところざはよりこの秩父ちゝぶきたりしをおさいの」あまはやくもりてかの山奥やまおくかくま今日けふやくにハたちしなりそのときくだん賢女けんじよはるか那方かなたあげつゝおろかなり岩鞍いはくら典物てんもつこの一郷いちがう荘客ひやくせうハみな泡之助あはのすけ領民れうみんなるを[人尓]なんぢ泡之助あはのすけ殺害せつがいなし當所とうしよ横領おうれうなすといへどもいかで[人尓]なんぢ信腹しんふくすべきぞおさいあまのおしへによりて俺們われ/\にんかいといておよしどのゝあだうちのこらずたすけさするものなりめうゑひのはやさめなバくびわたせとよばはりつゝ屋根やね階子はしごをうちかけすで間近まぢかつめよするにぞおどろ\R{〔さ〕{き}ながらもさすが典物てんもつから/\とうちわらあしまとひの荘客ひやくせうどもハそむきたりともおしむにらずごろ扶持ふちせしこうともがら10 奴原やつばら蹴散けちらせとしたむかひて下知げじなすをりしもそのこうたるものどもハくびしつゝこゝにありとおさいあまさきたてそで八代やつしろ兩人りやうにん許多あまた首級しゆきうたづさへつゝのぼきたりしそのなかにもおそでこんたへざりけんすゝむかひつきつ奈何いかに典物てんもつ今更いまさらはでもそのおぼへつらん良夫おつとばかりかしうとたるもり殿どのをも殺害せつがいなしとう横領わうれうなすのみならずその栄利ゑのりもとめんために秩父ちゝぶみね楯篭たてこもるおさいこうないつうせしはんかたなきだい罪人ざいにん吾儕わらは豊嶋としま宿縁しゆくゑんありてさへ袖女そでじよあらためたる奉公ほうこうはじめのひと手柄てがら主家しゆうかにとつてハ」にん罪人つみうどわがにハまた良人おつと讐敵かたきそれのつせうせよとはれて典物てんもつながらにいかり面色めんしよくばしるまでそうまなこひらきて殘念ざんねん口惜くちおしくなるうへハ是非ぜひおよばずかたりてきかせんうけたまはれもとわれこそハ下毛國しもつけのくに庚申山かうしんやまおく山猫やまねこにや旡太んたいつにて三毛みけさくといふものなりしが鎌倉かまくらかたうつため賊巣ぞくそうやぶられてよりかりもり門生うちでしとなりつひかれをバ毒殺どくさつなしまた泡之助あはのすけ殺害せつがいしてこの横領わうれうなしつゝもおさいあまさへにんせしハ元來もと鎌倉かまくらにもうらみあれバかゝることよりとりいつこの威勢いきをひつきたるうへ管領家くわんれいけをもせめほろぼし」11 うらみほうじ二ッにハ生涯せうがい栄花ゑいぐわきはめんとおもひにおもひし大望たいもうおんなごときの才覚さいかくにてたのきつたるかたものさへうちとられしぞやすからね假令たとへ何程なにほど捕圍とりかこむともわれやいばあてがたきこゝしよせし一品ひとしなありいぬ岩鞍いはくらやまにててんよりおつるをひろひとりしすなはちにしきはたにして豊嶋としまいへ再興さいこうにハなくてかなはぬ重宝ちやうほうなるべしいま[人尓]等なんぢらかこみとい引退ひきしりぞかバそれれでよし[人尚]もしむかなさんとせバこゝにてひきさきすつべきぞと懐中くわいちうなしたるにしきはたをおしひろげつゝ両手りやうてにとりいざ〔ハ〕引裂ひきさかこの形勢ありさまにおうめさて日外いつぞや六浦むつらなる瀬戸せとなん」のそのをりしもふところにせしにしきはたりゆうしつゝとびいですくひをしとへたるハこれ俺們われ/\凡眼ぼんがんのいまだおよばぬところにてはたもとはたにて岩鞍いはくらやまおちきたりしをこの典物てんもつひろひしかとおもふのみにて御宝みたからしちられしうへからハさすがをもくだしかねにらまへつめつゝひかへたるそれなかにもおさいあまハいさゝかさはげるていもなくうち含笑ほゝゑみつゝやよ典物てんもつ[人尓]なんぢはた所持しよじなすべしとおもひしゆへかくまでにせいをもつて取巻とりまきしにあんたがはずわれとわがくちばしりたるおろかさよよ/\とひつゝもくちもんとなゆれバ不思議ふしぎ二疋にひき山猴やまざるがひとつの葛篭つゞらひきもてきたりて典物てんもつが」12 まへさしおくをこれハといぶかほどもなく葛籠つゞらうちよりやぶりてあらはいでたる少女しやうじよたけおどかゝつて典物てんもつもちたるはたうばそのまゝこゑをふりたて吾儕わらは日外いつぞや苦七くしちためめいさいをとぐべきをおさいこうめう智力ちりきにて二ッのさるきうすくはれちゝやまともなはれてより尼公にこうさまのおしへによりうでながらに武術ぶじゆつとしこそおと八女はちじよ一名ひとり豊嶋としまつかへしはじめにちゝ去稔そのかみうしなひしにしきはたとりたりとふに典物てんもついかりたへ少女しやうじよおもだんしてだいはたうばはれたれバはや典物てんもつ死物しにものぐるまづなんぢからとひつゝもおたけ

  挿絵
  八賢女はちけんぢよそくして閑室かんしついう   お亀 お梅 お袖 青柳 お道 お竹 お安 八代 」13

がけて[石欠]きりかゝるをおうめハすかさずおしへだてそのときおそで小躍こおどりしてはたつゝがなきうへハいまこそかへすうらみやいばかくやれといひつゝも白刄しらはぬきうつかゝるを典物てんもつさはがずかへりてかへうちぞとよばはりつゝともやいば打合うちあはせ一上いちじやう一下いちげ[石欠]きりむすいづれにおろかハあらねども兇勇きやうゆうまん曲者くせもの忠貞ちうていせつ刀尖きつさきおよびがたくやうけそんじて肩先かたさき一太刀ひとたち[石欠]きりまれよろめくところまた一討ひとうちしよ深痍ふかで典物てんもつやいばすてつゝたほるゝをおそでたりとしかゝりこんかたなおもれといく太刀たちとなくさしとほくびうちおとしてさしあげしハ」14 あはれ勇々ゆゝしきはたらきなりそれるよりたますきすましにげんとするをおかめにはとびかゝ[人尓]なんぢ愛嬉あいき女児むすめきけわがためにハあだかたかくいふ吾儕わらはたれとかおも愛嬉あいきがためにめいをはりし手古奈てこな三郎さふらう女児むすめかめおもるやとばかりにてひらめかしたるやいばいなづま吐嗟あなやさけたまくびちうにぞとんだりけるかゝをりしも耳元みゝもとよりにはかきこゆる貝鐘かいがね太鞁たいこ何事なにごとぞとおさいをはじめ八女はちじよおどろくそのうちにおしきたりし一隊ひとて軍兵ぐんびやうさきにすゝみし大将たいせうちかづくまゝにこゑふりたて。ャァてき」なりしま殘黨ざんとう汝等なんぢら女子じよし分際ぶんざいとしておよびなきくはだて世上せじようさはがすつけものわれたれとかおもひぬるすなはち管領くわんれい定正さだまさなりわれ大任たいにんかふむりながらこゝにんをさしむけこと輕々かろ%\しきたれども近頃ちかごろ河鯉かはごひしろにありて放鷹はうようなさんといまこゝとほりかゝりてくにしのびずみづか退たいなさんがためにはせむかひしとらざるかぞくかうべならべよとおもひがけなき管領くわんれいことばしんはれやらずおさいあま賢女けんじよ霎時しばしためらふそのうちにおみちさきよりおそでかめあだむくひし形勢ありさまいとうらやましくおもひしにごろねらひし定正さたまさきくより忽地たちまちおどいでめづらしや」15 かたき定正さだまさ吾儕わらはかはじんくわんしぶ典膳てんぜん女児むすめなるみちじよなりしをわすれしかさきにハさき松原まつばらにてたゞひとうちおもひしを[人尓]なんぢうんつきざるところかうちもらしぬる口惜くちおしさハわするゝひまもなかりしにいままねかざるに自己おのれからのつこゝいでたるハてんよりあだうたしむる冥助めうじよおもへバいかでのがさんやいばうけよとのゝしりつゝおもてらず[石欠]きつてかゝるを定正さだまさ左辺あち右辺こちをかはしヤレ孝女かうじよふよしありいかりをおさめてまづきやれとふハまさしく女子おなごこゑにてはじめの音声おんせいならざれバこれハといぶかるそのひまにかの定正さだまさぶかかぶりしかぶとるをれバとし四十よそぢ」をへしとおぼしきいつ婦人ふじんにてありしかバおみちハいよ/\てんゆかずさいいかにと猶豫ゆよするうちくだんおんなうまよりおり伴當ともひとひとりもしたがへずはるか後辺あとべのこおき徐々しづ/\としてとほ各位おの/\かならずいぶかり給ふな吾儕わらは管領くわんれい補佐ほさしん巨田おほた持資もちすけつまにして山吹やまぶきよばるゝものさきわかきみ定正さだまさぬししまいへせめほろぼせしもおみちちゝなる典膳てんぜん所領しよれううばひ給ひしもみなこれ讒者ざんしや所為わざにてひとへきみこゝろよりいでたることにハはべらぬかしよつ良夫つまいさめまいらせきみにもすでさきくやませ給ふしきにて豊嶋としまいへ悪黨あくとうどものいま鎌倉かまくらへつらふやからハこんのこらず」16 つみせられしまのおいへさいはひに鳩若はとわかどのゝおはすれバ本領ほんれうあんいたさるべしとすなはち御教書みきやうしよこれにありと懐中くわいちうよりして取出とりいだしおさいあまわたすにぞおもらざるこのしゆにおさいハはつとかうべげかの御教書みきやうしよ敬々うや/\しくうけいたゞきつゝよみおはり俺們われ/\そゞろにかたをかたらひかゝさはぎをなしつるをおんにくしみハさらになく主家しゆうか再興さいこうさせ給へるこれしかしながら持資もちすけさまのおん執成とりなしといかばかりか有難ありがたきまでかたじけなしとふに山吹やまぶきまたいふやうかゝめでたきおん使つかひかうふ吾儕わらはこのやうなるいといかめしき打扮いでたちにて定正さだまさぬしのつくりごえしておどろかしまいらせしを心得こゝろえがたくおもはれんがおみちとやらが孝心かうしんを」あだになさじとおもふがゆへこのおんかぶとハおほけなくも定正さだまさぬしのめしなるを至孝しいかうにめでおみちらせん豫譲よじやうれいにおん首級しるしおもふてうらみをはらせよとなさけことばにおみちよろこあだうらみこれまでとくだんかぶと懷釼くわいけんにて三刀みかたなさしつゝおさむるにぞ山吹やまぶきなほゑまかくてハかたみ遺恨いこんハあらねどなほ親義よしみむすばんために豊嶋としま息女そくぢよ光姫みつひめぎみ扇谷あふぎがやつ若君わかぎみたる朝興ともおきぬしのおんうちぎみになされたききみおふせで侯へバこのもおんうけあるべきかといふにおさいハいよ/\よろこ管領くわんれいさまのよめぎみ光姫みつひめさまをまいらせんこと とう面目めんぼくこのうへなけれバひめにも申あけたるうへしておんうけいたさんとことみな」17 まろくおさまるをりしもかの鍬八くははち網六あみろく伯母おば老女らうじよ侶倶もろともはしきたりて報告つぐるやう俺們われ/\いぬより秩父ちゝぶみねめしせられいやしきをバ引揚ひきあげられ光姫みつひめ鳩若はとわか両君ふたきみおんそばちかくさしおかれしにせんねんうせさせ給ひしときゝおよびたるはつたいかの阿弥陀あみだぶつ霊像れいぞう忽然こつぜんとしてかへらせ給ひ以前いぜんかはらず厨子づしうち安置あんちなしつゝおはするをたゞいまはからずいだせしゆへこのことらせまうさんためまゐりしよし物語ものがたるにぞおさいあまはつ賢女けんじよ傍聞かたへぎゝせし山吹やまぶき信心しん%\ きもめいじけるかくのち鳩若はとわかまる豊嶋としまいへ相續そうぞくなし光姫みつひめまた管領家くわんれいけならず輿入こしいりまします」にぞ両家りやうけにぎはこのうへなしさて大六だいろく悪人あくにんこと%\ばつせられ八女はちじよその善人ぜんにんハいよ/\忠信ちうしん孝貞かうてい赤心まごゝろをもてつかへしかバ豊嶋としま倍々ます/\さかゆるにぞおさいあま宿願しゆくぐわんこゝむなしからざりしをなほのちつたへんと豊嶋としま所領しよれうのそのうちにて浄々しやう%\ゑらかのはつたい弥陀仏みだぶつ八所やところうつしつゝこゝ八ヶ寺はつかじ建立こんりうせしとぞこれなんいまろく阿弥陀あみだ元木もとき木餘きあまりしよそへ八躰はつたい霊像れいぞう末世まつせにいたれどくちはてそれ縁記ゑんきつゞりなし芽出めでたくこゝふんでさしお

貞操婦女八賢誌第九輯巻之三大尾18

【後ろ表紙】

  後ろ表紙


【補遺】

偶然、初輯を5分冊した後印と覚しき貸本屋本の端本が管見に入った。その第2冊目(第2回)の巻頭に、2丁の「附言」(板心は「女八賢巻の〔巻数を削る〕 ○〔丁付なし〕」)が付されていた。

附言

こゝにしるせるふたひら巻首くわんしゆいだせし石濱いしはまのおかめがことの條下くだりにいたりて抄録せうろくすべき 古図こづなれどはやくへんのいとぐちを看官かんくわん諸君きみたちつげたしと書房ふみやこのみにおうぜしわざ也

 いま花川戸はなかはど町入まちいりくちなる六地蔵ろくぢざう石燈篭いしとうろう

 〔図略〕一尺三寸余\二尺八寸\七月廿二日\横一尺八寸六分

竿石さをいし文字もじあれども磨滅まめつしてよみがたしわづかに七月二十二日兵衞ひやうゑ八字はちじおぼろ けに古老こらういふ回禄くわいろくせざる以前いぜんまでハ應安おうあん元年といふ文字もじかすかにえしとぞ 應安おうあんといふ年号ねんがうハ 後光厳帝ごくわうげんてい御時おんときにしていと/\ふるき古物こぶつなり市中まちなかにハまれなる ものといふべきか

 ふる隅田川すみだがは水上みなかみ

  〔図略〕丁付なし

 いまの隅田川すみたかは水上みなかみ

  〔図略〕

武蔵國むさしのくに隅田川すみだがは豊嶋郡としまごふり葛飾郡かつしかごふりさかひかはをさしていふ

 伊勢物語 むさしの国としもつふさの国との中にいとおほきなる

     川ありそれをすみだ川といふ>

すみだかはせつハいにしへよりしう/\にてむづかしきこといま隅田すみだかはせうするハ武蔵國むさしのくに秩父郡ちゝぶのこほりよりはじめて男衾をぶすま榛沢はんざはさかひをとほりそれより大里おほさとこほりなかながれて足立郡あだちごほりいづ戸田川とだがはすゑ淺草川あさくさかはをさして隅田すみたかはいふ

又云 ふる隅田川すみたかはとハ上野國かうつけのくに利根川とねかはにて武蔵國むさしのくに埼玉郡さいたまこほりおついま此所このところ川俣かはまた といふこれより葛飾郡かつしかこほり埼玉さいたま郡のさかひをながれふる利根とねいづる此処にてもと荒川あらかは落合おちあひその二流ふたながれいつとなりてふる隅田すみだいづこれいにしへのすみたかはなるべしいま 中川なかかはしやうする川上かきかみふる隅田すみた川筋かはすぢなるべし

 江戸 教訓亭主人記 [印]丁付なし


#『貞操婦女八賢誌』(七) −解題と翻刻−
#「大妻女子大学文学部紀要」55号(2023年3月31日)
#【このWeb版は異体字を通行字体に直すなど、活字ヴァージョンとは小異があります】
# Copyright (C) 2024 TAKAGI, Gen
# この文書を、フリーソフトウェア財団発行の GNUフリー文書利用許諾契約書ヴァー
# ジョン1.3(もしくはそれ以降)が定める条件の下で複製、頒布、あるいは改変する
# ことを許可する。変更不可部分、及び、表・裏表紙テキストは指定しない。この利
# 用許諾契約書の複製物は「GNU フリー文書利用許諾契約書」という章に含まれる。
#                      高木 元  tgen@fumikura.net
# Permission is granted to copy, distribute and/or modify this document under the terms of
# the GNU Free Documentation License, Version 1.3 or any later version published by the
# Free Software Foundation; with no Invariant Sections, no Front-Cover Texts, and no Back-
# Cover Texts.
# A copy of the license is included in the section entitled "GNU Free Documentation License".

Lists Page