要 旨 仮名垣魯文に関する研究は『安愚楽鍋』や『西洋道中膝栗毛』など著名なテキストを除いて著しく遅れていた。この数年間、国文研で組織された魯文研究会に参加した方々の努力に拠って、魯文の著編述活動の全貌が明らかにされつつある。ところが、他作の雑著に提供した序跋や錦絵の填詞、端唄本、引き札などについてはインデックスが整備されていないこともあり、その全体像は必ずしも見えていない。本稿では管見に入った資料に拠り、作家としての出発をした鈍亭時代から晩年に至るまでの魯文の文筆活動、すなわち売文業の諸相を垣間見ることにしたい。
一 緒言
魯文の人生の軌跡やその業績を辿る時、所謂〈雑書〉の序跋類にも多くの筆の跡を見出すことに気付く。近代的な職業作家像からは遠く隔たっているかもしれないが、近世期の戯作者像から考えれば、岡山鳥や高井蘭山等を引合いに出す迄もなく、何の違和感も感じられない。小説家というよりは〈物書き〉として実に広範な活動をしていたからである。戯作者の原稿料は、所謂印税方式を採っていなかったために、甚だ安かったものと想像されるが、若き日の魯文も口に糊すために依頼された原稿は何でも引受けたに相違ないし、また与えられた仕事で能力を発揮して見せなければ、次の仕事が貰えなかったはずである。しかし、そのことが直ちに消極的な意味しか持ち合わせなかったわけではない。
魯文の場合は、安政期(万延元年以前)の鈍亭時代には〈切附本〉と呼ばれる粗製濫造された廉価な抄出本に本領を発揮する。また、この時期には慕々山人と称して艶本を多く執筆していたことも知られている。この両者に共通しているのは〈抄録〉という方法である。魯文自身は「糟粕」と表現することが多いが、長編テキストをダイジェストするには相応の学識と才能が必要であった。
例えば近世小説の雄『南総里見八犬伝』を抄出した袋入本『英名八犬士』全8編(安政2〜4)は、文字通り原文の切り貼りで作られているのであるが、その文章の繋ぎ方を丁寧に観察するに、非常に良く工夫されていることが分る。この仕事の一方で、艶本『佐勢身八開傳』(安政3年刊、中本3冊)を執筆している。艶本は著名なテキストを換骨奪胎したものが多く、この『八犬伝』のパロディも、実に魯文の戯作センスが横溢していて良くできたテキストだと思う。さらにこの時期に、合巻『當世八犬傳』(安政3年夏、芳宗画、糸屋庄兵衛板)をも手掛けており、名場面を繋ぐ形式に拠ってわずか10丁で終わらせ、世界一短い『八犬伝』となっている。後に『八犬伝』を草双紙化して長い間刊行が続いた『仮名読八犬伝』の28〜31編(慶応元〜明治元年、芳幾画、広岡屋幸助板)を担当する。という具合に、一度仕込んだネタを手を変え品を替えて利用して多くの執筆を続けていたのである。
さて、これらの抄録本類は魯文の文業の一端として扱うことが可能であり、それなりの評価も可能だと思われる。しかし、問題は自作以外の雑書に供せられた序跋類である。例えば〈画譜〉〈絵手本〉の類に魯文の序文を見出すことができる。また、〈花柳本〉や〈割烹案内〉など明治期の活字本にも序を書いている。中でも多いのが音曲関係の本で、〈都々逸本〉〈端唄本〉には数多くの筆の跡が見られる。〈錦絵の填詞〉や〈報條〉〈引き札〉、さらには調査が及んでいないが〈新聞記事〉や〈俳諧〉〈狂歌〉などに至るまで、多くの雑書に遺されている筆の跡を辿ることも、魯文研究にとって(社会史的研究としても)不可欠の作業であると言い得よう。
しかし、斯様な落穂拾いは決して楽な作業ではない。多くの場合、著編者や画工板元名以外の人名が書誌データとしてデータベース化されておらず、愚直に片端からそれらしい本を繙いて見る以外に、発見するための術がないからである。幸い国文研には全国の文庫や図書館から収集されたマイクロ資料が集積されており、これらの調査に多大な便宜を供与してくれた。ただし、今後はマイクロ化されていないコレクションなどの調査が不可欠になる。
以下、本稿では基礎資料とすべき叩台として、管見に入った冊子体資料の略書誌(所在情報)と序文を列挙してみることにする。というのも、此種の本の中味に関しては題名から知れることが多く、序跋類は様式の枠の中で書かれた戯文として、魯文の著作の一端と見做して差し支えないからである。なお、今回は序跋類に着目したため、一枚刷の錦絵や双六、報條や引札などは扱わないことにする。
甚だ不完全なものであることは承知しているが、未載の資料や、多々存するであろう不行き届きについて、大方の御教示を伏して庶幾うものである。
注
(1) 拙稿「鈍亭時代の魯文 ―切附本をめぐって―」(「社会文化科学研究」第11号、千葉大学大学院社会文化科学研究科、2005年9月)。
(2) 拙稿「『英名八犬士』―解題と翻刻― 」(一・二・三)(「人文研究」第34・36・37号、千葉大学文学部、2005・2007・2008年3月)以下、四で完結予定。
(3) 国文学研究資料館2006年度秋季特別展『仮名垣魯文百覧会展示目録』に、いくらかの資料が谷川惠一、青田寿美、高橋則子、山本和明氏らに拠って紹介されている。
安政期に鈍亭号で2点、文久期に仮名垣号で1点の〈絵手本〉に序文を寄せているのが見出された。その後、慶応以降に〈漫画〉〈画譜〉〈図会〉に序文を寄せているが、これらの画譜は基本的に整版本であり、序文も整版である。
ここでは『萬國人物志』2編 (中本1冊、魯文譯、芳虎画、酉三改〔文久元年〕、山田屋庄次郎板。パリ装飾芸術美術館図書室〔Bibliotheque Musee des Arts Decoratifs / PARIS〕以下MAD〈A024〉)のような、魯文自身の編著作に記された序文(自序)は含まないことにする。
浮世繪手本(中本1冊、卯七・改(安政2・7)、一壽齋芳員、蓬左文庫蔵尾崎コレクション〈尾24-50 / S988〉)
巨瀬性が馬ハ萩を喰。雪舟が鼠ハ縛縄を喰切。馬沓をもつて蟹となす抔人口に會炙すれども。其事情きはめて定かならず。また菱川が姿繪に春情を動かし。應擧が幽霊に魂を消なんどハ。ちと野暮過て箱根から。先の頃。哥舞妓仕入の吃又が大津繪ハ。名に響たる大入にて。戯場のまうけ歟。書房が徳歟。國芳さんが名画の離魂。其教子の芳員ぬしハ。當時日の出の名筆画才。天地万物有非の情一トたび筆を走らすれバ。萬画忽ち體をなし。しかも初心に習ひ易く。筆数いらずに利をせめて。細画と看する浮世繪手本。當世風の筆づかひ。見ざらめやハ習はざらめやハ。是に序をせし僕もそろ/\学んと思ふにそ
安政二卯歳
戀岱野夫 鈍亭魯文戯誌 [文]
早學初編叙
宋の井興が画る龍。吟る如くにして。沛然と雲起り四明の僧が画る虎。嘯に似て蕭然と風を生ず。吾朝の古廟の繪馬。闇夜鬼を乗て奔走。畧画の猫。よく家鹿を防禦。倶に丹誠。神に入るの妙なり。遮莫起伏升降の画法。得て習ひ安く学難かり。余が友人一光齋芳盛ぬし。丹青に毫を染るをもて。活業とするに光陰あり。平常に机下に属する。教弟」等を導くに。そが最初筆を[王民]江の浅きに衝せ。終に入楚の硯海に深からしめんと欲する随意。其道の枝折ともなれかしとて。寸馬豆人のいとまめやかに。山川草木の草画及び。禽獣蟲魚網羅に洩さず。画き集めし一巻を。頓に繪本早学とハ題号らる。曽て子が意匠を労せるや井講四明の僧に及ぶ事遠しと雖初心の為に要とすなれば。得て習ひ安く学ふに近しと」そが理解を簡端に序して。填詞をかいしるすも。所謂蛇を画て。足を添るすさみそやあらんかし
時維安政四丁巳葉月初旬毫採于戀岱小説書屋稗史著作郎 鈍亭魯文題 [鈍亭][呂文子]
諸職画通初編 (中本1冊、一立齋廣重画、松林堂、MAD〈A252〉)
壷の中に天地を収むる。仙人の術ハいざ不知。寸楮に萬物の象をなし。情景を目前に窺する事。画の道に勝れるハあらさるべし。茲に立齋廣重先生。亡父の意を継木の梅。未青軸の荘年ながら。其業前の翁に耻ず家の風をも吹傳え。芳き名を四方にかをらし。出藍の誉殆高かり。されバ長者二代なしと。世の諺に云めれど。楠氏の正行大星力弥の義勇を生ぜし如く。蛭の子の」蛭となり。瓜の蔓に南瓜の生ずと。羅鑑定し本蔵功目。自身の詫より時珍の評判。能を挙たる漫画の一帙。これを開けハ奇に驚き。これを学べバ巧に感ず。嗚呼此父にして此子あり。人形画児ハ天窓かく。寺子仲間の涎くりと一ッに混ずることなかれ。又板下と刻成とハ画面が變るなんどゝ。身代りの偽ふでならぬ筆法傳授の繪習鑑其證人ハ寺朋友の
文久三亥春
假名垣魯文書之 [印]
一魁漫畫 初編 (中本1冊、一魁齋芳年筆、篤尚堂板、MAD〈A023〉)
一魁漫画 初編序
呉道子普く諸經にわたりて地獄変相の圖を画き探幽轉諸物を求て百鬼夜行の象を工めりされば画材と号る物総て非情を有情につかひ形なきを形とし具せざるを具るを働きと稱滑稽といふ彼雷槌に翅が生蛇の目傘に足を生ずる類をさして狂画と愛るは僧正以来の好事になん茲に余が友一魁主人玄々妙手の玄冶店が末門に業は興せど其業社中の末に下らず青年にして老工を耻ず一度筆を揮ときんば百圖百象紙上に浮び一編の漫画手中に溢る実にや諸木に魁の名詮自性芳しき名を年毎に薫らする梅の莟の筆頭に開きて春を知りなんかし
假名垣魯文誌
※刊記「慶應二丙寅年五月發行\書林\大坂\伊丹屋善兵衛・河内屋喜兵衞・河内屋茂兵衛」、後印本。
都名所画譜 初編 (中本1冊 朝香樓芳春筆 国文研・立命館大ARC)
都名所画譜初編之叙 [行事改印]
萬物形象あり形象といへば則画なり其画の徳たる一字不通の徒も是を披閲て其物なるを知るに至る故に年歳画の道行れて梓刻の画帙多かる中に此一冊史ハ余が友人一楊齋主人遠境に杖を走見わたせば柳櫻を混まぜてと和歌に詠りし都の勝地を矢立の筆に記しおけるを書肆いつの暇にか探知りけん紙魚の住家を訪て懇に板下を乞ひ求め梓の花を咲せつゝ美屋古名所画譜と題するは彼下の句と画名に因む春の錦の意にや有けむかし
慶應丙寅\孟春
應需 假名垣魯文誌[文]
※刊記「明治十三年一月出版/求古堂・松嵜半造」潜龍堂画譜小言
〓元英が談叢に依て虎を画くに林木を以てせざるを知る。夫虎は〓鼠を怖れ避るを常とす。〓鼠は多く深林の枝上に隠栖し林中虎の過るを見れば必ず鳴噪して自ら己が毛を抜て虎の身に投ずるに其着處蟲を生じ偏身瘡を生し腐爛して終に死に至る。故に林木の中虎至らず。画学の逸史虎を画くに平原曠野茅葦叢薄の中を交ゆるも曽て林木を作ざるは誠に謂あり。五雑爼に虎林中に在る微證を挙、噫鳥獣に花木を添るも」其好憎の意を知らずして画く者筆勢の活溌たるも〓鼠に逢へる虎に似て死画といふとも不可ならず潜龍堂の画方能その古実に渉り画法全く得るものとす。丹精亦以て惟ふ可し。則ち此小言を記して序に換ゆ。 明治十二年極月念>三日武総橋辺旧虎\新舗の書屋に記す
假名垣魯文漫題 [猫印]
暁齋鈍画初編序詞
善怪きを記する者を鬼の董狐と称して古語あり惺々先生人呼んで画鬼と稱す 余 猶此に餘賛して画中の董狐と称するも亦不可ならずとせん先生元来狩野家の門に在壮年画風自然その範圍を放れ一家の運筆縦横自在暗に鬼を哭かしめ神を驚かすの竒形を画す曽て聞く陳平傀儡を作りて漢高白頭の囲を觧き魯班木鳶を削て天を飛んで三日に至ると是皆その伎の神に通ずるの故なり或ハ云張僧〓壁上に龍を画き晴を點ずるとき則ち雷電し而して飛騰し兆典司不動を画くに背後の火焔紙上を焦すと同一の妙先生の」手裡にあり余先生を知る二十餘年藍より出て藍より青きハ世以て知る所硯池波上に魚躍り活溌の筆勢豈鈍画の題號然りとするに堪んや今茲内國第二回勸業博覧會場出品の一画その定價百圓金然るも衆目視指し夙に購求を競ひしを以て先生の聲價枯木上の鴉と等に殆ど高きを証するなり故に此事を緒言とす 于時明治龍集十四年第六月新橋竹川街京文社樓にいろは新聞校閲の間紅塵深き處に題す
辱知 假名垣魯文記[文]
序
蹄齋北馬老人の筆頭の達者なるは。神行戴宗の鉄脚も遅とし。老て倍益盛なるは。東方朔の気力をも少しとすべし。漫画の萬里に毫を飛し。百冨士の高根に墨水を降らして登龍の体裁あり。此小冊は老人木曽路に筆を走て。六十九次を目前に画れたる遺墨中の名勝にして。眺望の奇観。敢て比すべき」ものなく。前に初編刻成て。次で二編の發兌近し。是に序せよと需に応じ。木曽の棧道ふみも見ぬ。筆のかさ杖とりあへず。漫書なる旅の記も。翁が達爛に似もやらで。僅に半丁をすぎずして。疾草臥て筆を休めつ 巳の春
戯作者の抜参り\假名垣小僧\魯文しるす [文]
三 端唄・都々逸
魯文が歌澤に入門し端唄や都々逸の作者や撰者としても活動をしていたことは知られているが、具体的な魯文の活動の様相を明らかにすることは容易ではない。序文を記したものでも、単に序を寄せただけのものなのか、撰者としての撰集なのか、自作集なのかの区別が明確に出来ないからである。また、「鈍亭魯文」や「仮名垣魯文」は当然として、「仁田澤鈍通」「杉の本鈍通」「鈍通子」(元祖)や「骨董屋」「雅楽」「野狐庵」「妻恋やもめ」などという別号も使用しているようだ。ただ、他の作でも見掛ける「竹葉」「瓢亭念魚」などが、魯文自身かどうかは断定できるだけの資料が見当たらない。この手の端唄本は無数に残存しており精確な書目も備わっていないため、魯文の足跡を辿るには甚だ心もとないが、取り敢えず管見に入ったものを集めてみた。
いろはがな冠どどいつ(中本1冊、国学院高藤田小林・上田図花月・都中央〈5644-69〉)
倭漢を吟で。猛鬼神の心を和らげし。雲上人ハ。侍人に會て詩を献し酒客に。釼菱の酒札をあたへし。不意の幸福なり。雅俗今昔の人情を察すに雅人俗人をあなどりて。文盲と呼ハ俗人雅人を嘲て。偏屈と称ふ大鵬燕雀を笑へども。藪蚊の眼毛に巣を喰ふ□螟に。へこまされたるためしもあり。過たるハ猶不及と。吾輩の田夫へひく無益論。餅はもちやと發客の。主人が目ざす堕落者四十八字のどゝ一を。足下述意ハなゐかいなと鼻唄交りの注もんちやく。おつときたさと請合拍子例のずるけの催促も。まゝよ/\て半月斗に横たにかぶりを振なから。意趣とか何とか題号て。金針の折倉卒にやうやく稿成た。假名の浄書蚯蚓ののたくり涎童。頭上とゝもに。かくのことし
嘉永甲寅仲秋葉月
戀岱麓 野狐庵主人記[文]」虚八百の粹個等浄談泊の遊戯堂に會合して度々一の新案を著作なすところ
鯰・晋呑・徳・狐・直つもりにしかず\かきつめて\言の葉の\にしきの衣\つゞりあけけり 半可通人
○初桜天狗の書たふみ見せん 晋子」 今昔人情不レ同
古調賀曲又新 度々逸居士めでた/\が\三ッかさなりて\庭に鶴亀\五葉の松
野狐庵主人著述」
端唄つれ/\草 全
夕暮序
徒然なる儘に日ぐらしの硯に向ひ。心に移りゆく架空寓言を。著作るといひたらんにハ。どふやら高上らしく聞ゆれど。質の利上の覚記や。借金の断手簡に、青息ついたるそか折から、例の書房入來り夕ぐれの替歌に序せよと乞ふ。取あへず披閲る百花堂主人が撰に成れり双丘の」兼好法師が往古のわざくれハ。也哉法師が今様の洒落にしかず仇な殺し文句の一曲にハ。色好まざらん玉の盃の底抜上戸も。杯盤狼藉の不礼講を恥。芋喰僧正のむくつけきも。栗喰娘のおてんばなるも是を学で通ならしめ。甚九を踊る鼎かぶりも二上リ本調子の意氣なるを歓び。爪弾に情を運ばすなど。みな此ぬしの意中に巧てこれや仏家の方便妄語。衆上済度の大通知識。実に有がたいとまうしやす余ハ元来の野暮鴬片言ながら文友がひにホウ補戯興と序する而巳
安政二\卯初夏
妻戀の寡をのこ\鈍亭のあるじ\魯文しるす[文]」
春と秋といづれ歟情の深からん。勝り劣りなしと云。貫之ハ秋の方衰情深くて趣き多しといへり。且秋ハ律の調にて。糸竹の調子も殊更によしといふ。されバ旦と夕の情愛これにひとし。五条わたりの黄昏に。白き扇に夕顔の花もてあしらひしも。夕暮比の洗髪。仇な娘も爺さんも。夕暮譽て下涼。鈴の音につ〔チヤン・ ラン〕/\。ゆふくれ急ぐ見世出前。またみせ足らぬ小册迄口が掛て閙がしい。好男美嬢の御催促。納涼がてらの夕暮に。御立寄を取あへず。ヘイ新板の替唄で厶り舛
筆顛道人述[念魚]
業平蜆 行平鍋 」
√夕ぐれになまけ仕事のすみきらず月に不自由のまず著述仕かけた作ができぬぞへマタできぬかへするけものこれてもお間にはあわせ舛 野狐庵
鈍亭魯文披閲 [文]」
人の目をくらまさんにもあらバこそ元より山の天狗でもなしとハ故人風來山人の狂詠なり近頃十把一トからげの木の葉連中三杉四杉の杉林に黨を會し群をつどひておのがまに/\諸藝をつらね一番落をとらんとする者大都會に幾ばくぞやしかハあれども鼻高きが故に貴からずうなるを以貴しとすの先言あれバ余もその群に交て終に三熱の魔界に堕し扇歌和尚が跡をしたひ直に此道の僧正坊とならんと欲す而巳
安政二乙卯初春
妻戀鈍亭の食客 石川亭板等 [印]」「常磐津・富本・清元・長唄・都々一\〔舩〕入\東天狗連\正月二日夜より\千客万来」
見臺につかへる鼻の高みくら熱湯のんでうなる諸天狗
妻こひの\やもめ [文]」
詩を譜バ唐人をきどり。和歌を詠れバお公家の声色をつかひ。端唄を編バ作者だと思ふ。悉皆天狗の愚を売て利をせんと思へバなり。此頃板元鎌倉の新文句を乞へる侭にこいつハ大方売るだろう利を見てせざるハ勇なしと傍から音頭を鳥がなく。東ッ子の好きやりの一曲しめろやィと寿て序す
安政二卯水無月
○往事歌沢老婆が門に入て\何天狗とハよはゝれし堕落漢
鈍亭魯文述 [印]
薪こる鎌倉くづしの唱哥鳥が啼東の地にてきほひ勇める侠客等がもてはやす事とはなりぬさるからに春霞三筋ひくなる唄女が酒の席ことほぎの会にもこれをしも魁にすなるは鎌くらてふ名にふさはしくてこや此道の大天窓ならんかも彼地の海より出るてふ松の魚の一とふしとも愛さらめやは味はざらめやは
辰の春
鈍通子しるす[印]
吸かはす酒にさくらも酔やせん\かたにかゝつてもとる一と枝\葉唄絲竹」(見返)
〔流・行〕さくらのかえ唄 いなせぶし
大天狗連 宗匠坊 ゑらみ本うた
√さくらヱゝ/\きりしまさゞんかなんばのさつきか今みやかはぎぎやうさんなきくたいけんじあやめヱゝかきつはたァにおみなァへし
√たほさけ/\れんげはなさつせろにほひがすきならハツハはくほたんひィじんそうかョ 」
端唄録家仙
晋の七賢ハ竹林に群をつどひておのが随意に遊戯をつくし端唄の六仙ハ一節の語呂にもとづき替唄の趣向にたわけをつくす一弦」虚を吼て万看実を唄ふ嗚呼
たい屈の口へ飛込薮蚊かな\野慕庵
鈍通子・かな和尚・梅暮里禮・鈴亭谷峩・放心喜廓・瓢亭念魚」
√さくハヱヽ/\ 種員 種清 西馬に魯文か万亭か あの金水 春水 錦鵞 英寿 谷峩に山東庵 」
√たんとかけ/\合巻よみ切目先をかへ唄サツサはやく新はんうりだすこつたよ
栗毛舎 蹄里作」
都々一宗匠坊高座をくだりて以来愛宕鞍馬の群ならぬすつてんてんつく天狗連鵜の真似をするからす連中水にハおとる白湯を呑で嘴をとがらせつゝ唄ふハさくらの伊奈世ぶしその上汁をすくひ取して例の小冊に仕立たるハ梓主の小刀細工人の褌て角力とる設利につよき利喜市の疾わざその残編の口序にやとわれ土方の子には劣りたる余か微才の筆のさき口さきにてわらかすくとしかなり
弥生のころ
骨董屋鈍通子のふる[文]√今のヱヽ/\はやりの合巻繪草紙ハすなごの白ひやうし アレ浮世繪ハみな豊國でにがほ國貞のいへのかぶ
√国よし/\工風の名人りやく画ハ廣重 サヽサ東にしきは御江戸の事だよ」
骨董屋鈍通子選\歌川登理女戯畫
凡例
一近頃端唄大に流行して其道の大天狗新文句をあらそひ専ら替歌を需故に筆硯に親む風雅雄等和歌どり俳諧どりなどおのが隨意妙案を綴りなせりしが中にその節曲をしらば只替歌を礎として文句に補綴ともがら多きが故に三弦にかくる時呂律の違ひしば/\なれバ唄ふ者の咽にからまり語呂の〔つた〕はらざるもまゝ有是手尓葉を知らずして和哥を」詠じ表則をもわきまへず詩を作るの類ひにして端聞利た風のそしりまぬかれ難く當時端唄の章本と唱るもの大半ハみな然り唄本好の花王達玉石を混ることなかれ
一譬バ此唄の節曲語呂合√さくらヱゝ/\桐しまさゞんかなんばのさつきか今みやかはきぎやうさんなきくたいけんじあやめかきつはたにおみなへしィ√〔たんぼさけ/\れんげばなさかしやれにほひが・すきならハ□□□はくぼたん□□びじんそうか□〕 ○すべてのおつ合みなその元唄の曲調を正して而作らずんばかたいかな三弦に合せんこと
丙辰夏
〈音曲長老・端唄問丸〉 杉の本鈍通 [文]
文運の昌んなるや。九夏の夕辺の蚊の音よりも囂しく。さるからに浄瑠璃端唄も。作者各輩顰に做ふて漢の倭の引書にいと雅言体もいできて。古代とハいたく異なり。斯物替り星移り。そが節譜さへ言魂を訂し。曲調を改むものから。記録の小冊も心氣を勞し。新規をつくして目前の段取。合巻仕立で見せつけしも。画組で威す書房が脚色。文章句々の拙なきハ。孑孑あがりの例の濁音。その文運の聲曲も。高く聞ゆることあらバ。野夫蚊も功の者とやいはまし
丙辰九夏三伏\
〈音曲長者。小唄問丸〉 杉廼本鈍通 [文]」
〔口絵〕端唄指南\歌澤於流(おりう)。 天狗連會首\骨董屋雅楽
夕されバ門辺涼しく風たちて 人の袖にもよするさゝ波\鈍亭賛 [呂文]」
発端 薪樵りしと詠じけん鎌倉も、昔の様とうつて変りし大都会、金の成る木の植ゑ所。何から何まで抜目なく行届きたる十が眼、在るが中にも音曲の余興ながらの小唄さへ、今ハ端唄と一変して、三筋の弦の世渡に、身過ハよみと歌沢が流を汲し師範の門札、涼しき夏の雪の下に、いと風雅なる家造して、女主人のうら若き、歳も二八のぼつとり者。彼笹丸〔さゝ・まる〕が教子の、節さへ名さへ於流とて、さつはりとした愛嬌者。「ヲヤ雅楽さん、谷まさん、鈍通さん。御揃で仮宅へでも御出のつもりかへ」と莞爾笑めバ、出過の鈍通「ヘヽお師匠さんが久しいもんだぜ。今日等の様な暑い日に仮宅へ出掛たら、此が本の日向の西瓜だらう」「マァ何でも良から、皆さん裸になつてお涼なはいナ。今おつ母が帰りますと葛水でも拵へさせますからサ。そして鈍通さんが今度お拵の総まくりの端唄を、今日絵草紙屋で取て参つたから、雅楽さん谷まさん二ッ三ッおさらいなさいましな」「ヲヽそうよ、おらァ魚辰に頼て明日の晩ハ中橋連の助に行つもりだから、ナント一番新文句で見つけて呉やう」「ヲヽそいつハ奇妙だ。そして今から晩までに大概覚へられやうかのう御師匠さん」「そりやァ御前はん方ハ端唄を御作んな程でありますから、造作ハ御座居ますまい」「ィャ/\さうでねへ。こと鈍通子なぞハ毎日端唄を作のが商売でさへ、三味線に掛つちやァ一句も出ねへで、ぎゝ/\つかへてばつかし居るじやァねへか」「ヲヤ/\、大部俺を痛め付けるが、俺だつて『すちやらか』や『さくら』位ハ出来ねへでなるものか」「ヲヤ鈍通さんが少し熱くなつた様でありますねホヽヽヽ」「アハヽヽヽヽ」
○ 聲曲端唄弦々猫 鈍通」2ウ〜3オ
〔脚色歌澤・画組歌川〕艶競端唄合奏 〔鈍亭魯文述・〔立川國郷・一惠齋芳幾 〕〕 画
二編三編追々出板
隆達が破れハ菅笠しめ緒のかづら長く傳はりそれから見れバあふ見のやと彼の一蝶が小唄の節にひき續いての端唄の流行作者机上の徒然に三筋の絲に調べあげたる正律の唱歌本なり
聲曲堂 三筋町猫新道 大吉屋利市 [共][サ]」奥目録
流「ヲヤ/\皆さん未だ総まくりにさらひもしないうちお帰りかェ。まァいゝじやァありませんか」雅「それでもあんまり夜が更たから、また明日の晩来てさらひませう」谷ま先生ハ、モウ先へ帰て今時分ハ白川夜船たらう。サア/\鈍通子お発としよう」鈍「左様/\総まくりの全部ハ二編三編と続て明日明後日と二晩で読切じやァねへ、さらいきりとしやせう」流「そんなら余りおそう/\でござりました。雅楽さん家元へ御出なすつたら宜敷く」雅「ァィそう申しやせう。そんなら」と表へ立出ると、八ッの拍子木「カチ/\/\」「先此編ハこれぎり続て二編の御評判宜敷く。めでたし/\/\/\。
鈍通作 國郷画」20オウ〔北廓文唱・元地錦繍〕 東都逸 語絃集〔放心斉喜廓選・〔鈍亭魯文校・一惠斉芳幾画〕〕
初編近刻
元禄の五元集ハ半面美人の誉れ高く今様の語絃集ハ板面美冊の制巧を尽せりそが言の葉の人情性躰苦界のあなをよく穿て僅の小唄に腸をゑぐるの奇冊なり
聲曲堂 三筋町猫新道 大吉屋利市 [共][サ]」奥目録
栄枯盛衰は古今にかわらすきのふハ島の御座舩に緋扇かさす官女たちも今日は壇の浦に舩まんちうをひさき仲の町はりのおいらんも山の神と変するあれは岡場所の賣妓も御新造さんとなる事あり柳巷花街もかゝり火に焼野となりし飛鳥川きのふの渕はけふの瀬とかわつた世界の仮宅細見その数々の玉を拾ふて石川亭の呑公かつきたまさこの葉唄すてしまた此道のお初會なれは 余ハひきつけをたのまれてヘイあなたへといふことしかり
安政三辰春
つま恋の 骨董菴主人戯誌[文]」
端唄稽古三味撰序
前に一筆庵英泉子が稽古三味撰と号る物一挺ありそハ古近江が器と等く世に聞えたる名作にしてそか音色の妙なるや紫檀棹に花櫚胴の花を咲せ三筋の綴絲三巻に能三流の調子を合奏滑稽の章句且人情の穴を穿ち聴者をして頤を解しむ事實に絃々猫とや称へんそを手」ほどきの師匠として今弾習ふ替三味撰ハ八乳の皮にハ似もつかぬ余が面の厚皮もて僅の紙ごま二十員稍張揚し例の不細工未手尓遠葉の絲道もあかぬ端唄の稽古三味線意の駒に無智をあて心の猿緒を打励し細き三絲の鳩胸より絞り出したる愚案のちぶくら音〆の悪い安棹も根緒胴係の飾をつけて海老」尾美しく製巧なバ轉珍ちんと贔屓ゐりて書房の糸ぐら賑ハすことのありもやせんかと自惚に一寸と一撥當ることしかり
戀岱の茅舎に端唄稽古のいとま江戸
鈍亭魯文戯誌[文]維時安政丙辰の文月竹や/\の賣聲に颯々と褊急て草稿成おなじく冬初旬刻成發市す」
端唄稽古三味撰
江戸 杉廼本鈍通戯述抑爰にと話説す。時代ハずつと往古。物替り星月夜。かまくら山の賑ひハ諸國の人の箒溜とてはうき千里の遠をいとはず民の止る大都會。實に昌平の御恩澤ハ。津々裏店のすみから隅まで行届きたる御改政仁義八百威儀三千。代地と新地門前地を増て六千余町の中に。黄門通の東横町鯛まる新道と云る街に。近頃流行歌澤の流に生る燕子花。それがゆかり」の花菖蒲。似たりや似たり仁田沢と。表札打たる格子戸ハ細き三筋の糸渡り。こも渡世の端唄の稽古所。昼夜出這入好者の連中。てうしはづれの上戸も有バ。カンをはつさぬ下戸もあり。節の佳いハイの若衆にもあらず。聲の錆たハ銕物屋の番頭と極らず。親不孝の塩辛聲ハ。糠みそに響てかう/\の味を替らせ。お陀佛の胴満こへハ隣の堅法華が自我経をさまたぐ。あるハ耳を閉ぐ破鐘の梵音。耳をそばだつ頻伽の清音。善も悪も混雜て替る/\のけいこの形容ハくち繪に譲りて本文の。章々句々を知らまく欲せバ。且下回に解分を聴ねかし。」
人の眼をくらまさんとハおもへども葉うたにさかすはなも実もなし\鞍馬山人
○ 東都 〔音曲長者・小唄問丸〕 杉廼本鈍通戯述 [印]
○ 仝 〔滑稽狂画・一流元祖〕 光盛舎佐久丸画 [印]」
端唄獨稽古序 [〓戲三弦]
神樂催馬樂は。あがりたる。代のわざくれにて。榮花物語の川ぞひ柳風吹バ。徒然草のふれ/\小雪。土佐日記の舩子の唄。これらハ今の童謡に等しく。新に節譜を定めたる。唄ひものにハあらざるべし。中興三弦来舶て以来。俗謳小唄と一變して。隆達弄齋八兵衛吉兵衛おの/\一派の節を設け此道いよ/\盛んとなれり彼の一蝶ハ朝妻舩に。あだし艶なる浮名を流し。晦日の月の小紫ハ。篭の鳥かやうらめしと。小唄に苦界のはかなきをかこてり。其松の葉の」落こぼれてこゝに緑の色を顕し此頃端唄の流行たるや歳々に倍し月々に弥増あらゆる通家意匠を勞じ手をかえ品を替唄の新梓發兌先を競ふこも昌平の餘澤にして萬民〓腹の餘興なるべしされば歡喜の雀踊は當振の手おどりによも似たらましと机上のつれ/\僕も亦濁たるこハ音ほのめかして獨稽古にはじかくになん
安らけき\まつりこと\三ッのとし\はしめの夏
滑稽道場\鈍亭のあるじ\魯文しるす[文] 〔音曲・問丸〕
BIULO本は前半の9丁のみ、外題「諸通家正律\はうた獨稽古\〔てうしつき・かへうたいり〕」。
新板やくはらひ (中本1冊 共紙表紙3丁 忍頂寺文庫〈G169/228-48-6〉・都中央〈5641-11〉)
○やくはらひ
戀岱/魯文記 [呂][文]√アヽラしぶとひな/\こんばんこよひのかきだしにみゝをそろへてはらひませうくるたひるすのあげくにハいゝわけ小わけの万八もあんまりつらのかわざいふ地蔵のかほも三年ごしまゐ月みそか十四日あしのかよひや帳めんに一年つもつた一両のはしたハ三百六十日こよひとつまる大晦日はるまでまつてくれの内もふきゝあきたなきことも口のつるぎもはわたゝぬなまくらものゝしたさきうそをつくぼうさつまたにとつたやらぬとぬかすならなべかまちやがまやかんまで此うけとりがかゐつかんで二朱の物でもかまひなくふるどうぐやへさらり/\」
○役しやづくし
√アヽラ見せたいな/\八百八丁の御ひゐきに役者尽してはらひませう一夜のまくあき元日の日の出にまふや杏銀づる名に立花のうつまきもあい河原さき三がにち坂東の彦たんなお門をきつとながむれバ千代の竹三や万代の松本こま蔵立ならぶ若てぞろひハ江戸の花すゐ市川のかざりゑび八代目出たき座がしらハ親代/\のゆすりはやしらぎ岩井の若水をくめや粂三の按摩ハいろかをこゝに三ッ大のしらかハ當時の立お山ほかにあら吉中村の福助内へ入豆の花さく所作のはなれわざはやく見たいと関三のよい評ばんを菊次郎ほめる声さへ高」しまやりかく浮世ハ色あくの葉むらやしげる森田さへいりハ大谷友右衛門人の中山文五郎あたりはつさぬ千両の富十郎ハ〓ゐ上三都にひゝく評ばんをあくまげどうのでんぼうがわる口ほざくその所へ此頭取がとんていでくびすじつかんですでんどううしろかへりや中がへり檜ぶたいの正めんからをくびやうぐちへ東西/\
○角力づくし
√アヽラめでたいな/\角力づくしてはらひませう一夜あけたるにぎわひにうれ式守とよろこびハ人の来村もあら玉のはるに大関小柳のすがたをうつす鏡岩横づなとつて七五三」かさりみなよりあふて楮王山常やま/\のめでたさにかないハいとゝ六ッがみねゆたかな御代の君かたけ四本柱の門かざり松とたけとの御用来なみのり舟や宝川恵方ひかし西のかた上にハ羽をのす鶴かみね下にハあら岩かめの介のぼる出世ハ雲龍のその名ハ四方にひゞきなた四かいがたけもしつかにてかすみたなびくいつくしまとそのきけんハ一りきの氣も荒馬やあら熊のぞうにのはらかぞうがはな黒岩あらぬくもさ山ひろきみくにの和田か原外にハあらし谷嵐天下はれてのこうぎやうハこゝがかんしん大角力なに大男しらま弓あくまけとうをかいつかみ土俵のそとへころり/\
○あめりかやくはらひ」
√アヽラうるさいな/\毎年渡かいの御ちそふに大筒につゝではらひませう鉄ほう玉かあらたまのはる立かへる君がよの一夜あけたる若水をもらひにきたのゑびす國とふる交易にハとりをとつけつこうとねたりごとためしもながき長さきのとふのねむりや唐人のねごとにましるはつ夢に宝舟やらくろふねの浪のりぞめのじやうき舟いかりをヲロシヤあめりかも海路はるかの恵方からともに入くる沖のかた浦賀みなとをながむれバそらに帆をのす異国せんをりてハかためけんちうにわが神こくのいさきよく世ハばんじやくのかゝみもちぐそくひらきやかち栗のかちてかぶとを七五三かざり弓ハふくろへ四かいなみおさまる御代の万ぜいらくまづ何ごとも七くさの唐土のふねのわたらぬさきすととん/\とうちはやすおりからあくまのけとうじんさまたげなさんとするところをいせの神かせふくハ内おにハそと海みなそこのさかまく浪へさぶり/\」
京町の猫揚屋町に通ひたりし元禄の五元集ハさまをよく写せし宝晋齋が滑稽なり仮宅の心意気を都々一に模ぎせしハ安政の放心齋が洒落なり余ハその机下に属していろはの尻取を綴りなせしハ所謂尻馬に乗類ひにして似た山の嘲をまぬかれがたししかハあれども美聲の君たちが三筋の糸にかけたらましかハ拙き文唱もさらに仇めくことのあらんかしも
安政三\たつの春
出放臺\多和琴誌 [呂]」遊女菩薩黛と化して乏民を賑はす圖
画賛曰\傾城の 賢なるハ この柳腰 色香も ふかき花の まゆずみ 戀岱 鈍通子」
○都々一ごげん集 放心齋喜廓ゑらむ \ 浮世人情\曲輪文唱 連月廿日限り」
あかつきの ちわいとなりか あの ほとゝぎす ないて わかれの 紙ぎぬた 野狐庵
ふみのかけはしいひよる つてにわたりかけたる 恋のみち 喜くわく
なにかしあんに きをもみ うらの ゑりにさしこむ ゆきのかほ しら山やすら
毒くはゞさらに ゑんりよも ないしよをあけて ゆきのあしたの ふぐとじる 鈍通子」
浮世風呂の混雑たるや土佐上下に外記袴半太羽織も義太股引も湯へ入る時ハ賢愚を論ぜず豊後可愛や丸はだかおのがさま%\種々ざつた端唄にこつたる大天狗ハ隅の闇間に身をひそめ都々一の浮調子ハ夕部ののろけの自問自答音曲物真似声色の入湯わづか八錢八声嗚呼結構な入加減いつも初湯の心地こそすれ
鈍通子戯述」1オ
浮世風呂端唄入混初編東都 野狐庵鈍通子著抑錢湯の徳たるや。九夏三伏の暑ときハ。ざつと一ト風呂に暑気をはらひ玄冬素雪の寒き夜は。首たけしづんで肌を暖め。僅に八銅をなげうつて五塵六欲の垢を落し。小錢二孔の糠袋に。五尺の體の光りを増り。湯の盤の銘に曰。苟日々に新にして日々あらたなる毎夜の仕込。長湯もあれバみじか湯もあるハさま%\世の中の。肌むづかしき湯の中に垢の他人の入混」群集。嗚呼けつこふな入加減。法蓮陀佛なァまいだァと。音曲七分信心ハ。讃仏乗の因縁にて。唄ふも舞も乗地の聲々。まづ端うたからはじまりさよふ 〔ゆをだす・拍子木〕√チヨン/\/\/\/\チヨヽヽヽヽヽ引チヨン √とうせい/\」11オウ
右端唄以通俗爲要故文字有俗文章\有戯且加流行采當盛爲小本云爾
音曲長者小唄問丸 仁田山鈍通子[杉之本]僕以戯作之原稿誤写不正可爲紙虫住家也
于時安政四丙辰年
小本所 三絃堀猫新道 葉唄屋宇和吉梓」20ウ
浮世風呂哇入混二編序
僕前年端唄の入混と外だいして湯の中の放屁の如き編綴もなき戯言を著せしに幸にして大賣をとりしと聞けり板元の番頭初湯の味をしめしより湯かげんの心地よきをおぼへ今年二番風呂の注文ありかしこまつたと丁稚を待せ〓序二十員こぎつけたるハ例の早湯の癖ならじ
戊午孟夏
元祖鈍通[文]」1オ○〔文稚丹前・筆頭侠客〕 根本 信田きつね校 [◇卍]
人間常浴\世の中の はだむづかしき 湯の中に あかの他人を 入込にして よみ人しらず
○〔音曲長者・小唄問丸〕 元祖 仁田澤鈍通選 [ 品]」
序換
汲かはす酒に\さくらも酔やせん\肩にかゝりて\戻るひと枝」
行者は昼夜をすてぬ両國の橋上ゆく水の流ハたへずしてしかも元の水にあらぬ角田川の舟遊さん吹よ川風あがれよすだれ中の藝者の一ふしハ物本末」あるしりとり文句とゝ逸どい/\どんぶりと倶に浮たる舩中一座ゆさんのゆの字そはじめなるべし
ゆく水の流はたへぬ角田川すれちかふたる猪牙とやね舩」
隅田川棹さす月の都鳥嫦娥にまかふ舟の唄女
鈍亭」
○是よりどゝいつ\はじまりさよふ ろぶん
√ アヽあんまりいしつきだろがめやをでゝどうちつとやらかそふはうたハおくびのでるほどうたつたてのちとふうをかへすバなるめへおや/\をそろしい蚊だぞうしろのかやをまへとみせてこふはいだしたところを二ばんめの口上いゝとみせるつもりだかおぼつかねア
蓼太翁の句意に習ふて
√五月雨や\ある夜ひそかに\雲間をいでゝ\はれてあふのを\松の月」
趣向ありと。雖作せされバ其味を知らず。□下にたゝんと萬巻の土用干に。三伏の時炎天に腹をあぶる唐辺僕あれバ。耳学文の知識体。□聞風土の古事來歴で俗を迷す白癡あり。されバ好其中庸を。得て叶へるハ俳風の柳樽に過たるハあらじ。雅中の俗。仝中の□が神祇釈教戀無常。何でも一句十七文字。寄取見どり花ハ紅ひ。色色なる本來寓言無一物も捻華無上に微笑たつぷり サア/\お手に開巻御覧と云云
鈍亭魯文戲誌[文]
大津繪ぶし
李白月下に獨酌して五言絶の端唄を唄へば紫姫石山に参籠して大津繪ぶしをうたふめり夫ハちんふん漢土の酔客是ハ皇國無双の藝者ちよつと坐付の仇文句に雲陰れにし感吟あり爰に予が友岳亭主人常に遊戯三昧の四ッ手に駕して普く妓院の穴をうがちそが心意氣を端唄に綴り毎度書房を潤せり実に吾輩の大天窓と称んに難あらじ
戊午冬のなかば
妻戀閑人題[印]」
※丁付なし。口絵に「梁左・おねこ・魯文・中丸・さく丸」が描かれる。「芳盛□狂画」。「喰積や目だつこまめのあたまがち\魯文賛」(2ウ)。二代目岳亭は「出子散人」とも称し所謂〈頭でっかち〉だったらしく、これを揶揄している趣向の画賛である。
都々逸うかれ駒 (中本1冊、10丁。BIULO〈JAPAF.125(5)〉)
獨々逸宇佳連駒序
式亭三馬が花押ハ。意馬心猿の譬を表し。余が友汗亭六馬の大人ハ同じ心を戯号によべり。夫六馬とハ何の謂ぞ。意馬六塵の境界に。心の猿の鎖を放知。東方朔が齢にあやかり。八千歳も生延んと。金馬門にハあらずして黒門街の市中にかくれ。珍文韓語のかまくろしきハ。馬耳東風と聞流し。三弦の手綱撥のむち。トテちん/\の轡の音。ひきだす駒の合の手に。おまへと」奈らバ何處までもと。馬士唄ならぬ都々逸の。唱哥を作ッて自ら宇なり。自らひいて樂めり。そが形勢や司馬姓が。弾る琴の調にかよひ。けろり閑たる静住座臥。馬は馬連はね者の。おなじ牧なる鈍亭が。是を梓に上せんと。そばから太鼓をたゝくになん
妻戀坂に隠れなき\貝割の生戯作者未孟夏
野狐庵魯文述[文]」
※「外題芳盛画\六馬撰\盛光画」、見返「どゞいつうかれごま\光齋」、口絵「ころ/\とかめハころげて日のながき\恩愛のきづなをかけし三味線に娘の所作を引語りせり\岳亭梁左賛\作者六馬」、板心「とゝいつ」。「都々逸仕立所\汗亭六馬、よしもり門人盛みつゑがく\めてたし\大當り、岳亭校合」。
新ばん撰み都々逸 二編 (中本2冊)
月雪花をば三すじの糸にのせてながめる仇文句 為永春水
白紙に染る朧な被参候ハ戀のつぼみの筆の先 仮名垣魯文
ねぐら定めぬ蝶鳥さへも花のいろ香にやひかされる 松亭金水
庚申秋 應需 東琳書画」
※為永春水・仮名垣魯文・松亭金水の撰による都々逸集。『東都一節文句集\雪月花』(中本1冊、阪大小野文庫)は改題後印本。
洋語讀入倭度々逸 初へん (中本1冊、20丁。国文研〈未登録〉)
洋語讀入倭度々逸
友人蘭奢亭香織大人。普く當時の流行を究理し。貴所おはやう直々の。甘口俗語をぺけしにして漢語の野暮をぐつと看破り。儘世さんど笠横文字を。倭言葉に讀入たるハ。唐詩肴の出物に等き。腐廃の所にあらずと雖。世に傳染ハ請合なり
辛未秋
香織が天性ばら垣のあるし\魯文題盡戯記 [呂]
※外題に「蘭奢亭薫撰\錦亀堂藏板」、見返「洋語讀入やまと度々逸 初篇\香織さく\芳春画\辻亀板」、口絵「外國人稽古之圖」(色摺)、板心「どゝ一」、奥目録「明治三庚午歳春開版目録\地本繪草紙問屋 御蔵前須賀町 錦亀堂 辻岡屋亀吉」。
葉柳どゝいつ (中本1冊 国会〈特44-173〉)「種彦の艸菴に門人十柳子集會の圖」
柳亭・種春・仙魚・呂洲・安彦・真似彦・露照・露香・竹彦・舛彦・春彦
植こみのやなき光や朝の雨 仮名垣魯文[文]
※「浄書作丸」「岳亭春信校合\種彦門人十柳子作\一光齋芳盛画」「明治十三年四月廿三日御届\編輯兼出版人 本所區緑町四丁目五十一番地 荒川吉五郎版」
四 地口本
〈地口|雛形〉 駝洒落早指南 初編 (中本1冊、国文研〈ヤ9-2〉)
駝洒落早指南初編叙
虎渓に三笑あり。苦樂共に頤を解。腮の鎖はづるゝをおもはず。滑稽に三笑あり。常に口から出放題の。駝洒落を吐て自己喜び笑ふ門にハ福亭に。集會同盟の粋狂連。類ハ倶共洒落のめす。駝洒落の員が三万三千三百三十三句に及べりかゝる笑句の言すてに。なさんも惜と山王の。例の櫻木にのぼせ。苦虫喰の娵いぢる。姑婆にお臍でお茶を沸させ。抹香嘗たる閻魔面を。和げ令んと。駝洒落の開山。一惠斎が狂画をそへ。だじやれの問屋松林堂に与へてわらひの種蒔三馬が口調に做僕ハ
[改九戌] 〔文久二壬戌・季秋發市〕
仮名垣魯文戲述[文]
五 近代風俗本
東京粹書 初編 (野崎左文〈憑空逸史〉著・幻花女仙評、中本、活版、明治14年6月、粋文社、国会図書館(YDM27538)・実践女子短大(未見・TKB/531)
東京粹書跋
散花を觴中に浮べ。照月を盃洗に汲み。絲竹の音調あはれにをかしく。面白う唄ひ奏で。しらべの拍子しとやかに。立舞ふさま。靜佛の俤を摸し。今樣の酒席交際の宴會には。猛き丈夫の心を和らげ。自己には眼に見えぬ。鬼髭の逆立をも鎭まらするは。悉皆奇楠の薫り座中にほのめく故にしあれば。凡そ社會の親睦には。校書の按排無んばある可からず。只看る花顏の翠袖徐々として新道に往還ひ。柳腰の紅裙靡々として棧橋を徘徊るの嬌姿は。葭町に栖む玉簪の翡翠も。扶桑橋に寄る銀盤の白魚も。及ばさること遠くして。柳橋の緑の眉。東台の花の唇。一まとめに見る心地せらるゝは。新橋南北の狹斜巷にて。府下花柳の粹地中。一に位する所と謂ふべし。夫れ粋」とは單純の謂にして。書に文粹あり禪機に粹菩提あり。粹な由縁と我ながらは。比翼塚の文句に遺り。イヨサの粹書で氣はザンザとは。昔時の小唄に留まれり。夫子の鄭聲は淫なりと曰ひしも。一度淫肆に沓を入れ。その情を昧ひ知り。而して後の教戒ならん。誠に夫子は通なり粹なり。色海の濤を渡り。惑溺の淵に臨まざれば。焉んぞ善く綺羅叢裡の薫蕕を辨ずるに至らん。拙猫々道人の如き、漫に花柳巷を淫肆と視て近く接せず。頻りに藝妓の濫轉を憎みて。常に筆誅を事とするも。絲竹の節操あるを悟り得ざるに。獨り吾友憑空逸史は。年齒未だ而立に遠く。之を藝妓の徒に比すれば。赤襟脱りの若猫ながら。天性の調絃、自然の侑醉。猫爺輩が肩を竝べて。烏滸がましく姉さんぶれども。伎藝の巧拙世に所謂。三ッ兒の爲」に教へられて。淺瀬を渉る類ひになん。逸史頃ろ三線のかんを偸み。新たに東京粹書を著し。余の古顏の廢れを棄ず。坐敷締りの跋を頼む。嗚呼此粹書一度廣告をなすに及ばゝ。註文のお約束は云ふも更なり。次編の後口間斷なく。箱奴にあらぬ書肆の糶夫が。足に甲馬を附るに至らん。筆硯萬福大吉利市と拙き稿にも燧火を打ちて。逸史の足下に呈すと云爾。
于時明治十四年五月五日の宵の間。新橋竹川町京文社の編輯局にいろは新聞校合の餘暇走筆に記す
猫々道人 假名垣魯文 [猫の印]
※刊記「明治十四年五月十七日御届\同六月四日出板\定價金四拾錢\著者 野崎城雄\京橋區西紺屋町拾四番地\出板人 山田孝之助\同區銀座貳丁目壹番地\刊行所 粹文社\同區西紺屋町十四番地\發賣所風雅鳳鳴二新誌開新社\同區銀座貳丁目拾壹番地\東都大賣捌\新橋竹川町 いろは新聞 京文社\尾張町壹丁目 近事評論 扶桑新誌共同社(以下略)」。広告「東京日日」(明治14年5月30日、6月11日、6月13日、6月15日、8月5日)。
〈開化|教訓〉 道戯百人一首 (極小本1冊、大阪府立中之島図書館〈子526〉〉、国文研〈ラ6-103〉)夫道戯とハ何の者ぞ各自道に戯れて花にうかれ月に嘯き雅に興ずるあれバ俗に耽るあり夕顔棚の下涼み男ハてゝら女ハ二布三十一文字の風流も洒落一口の言棄もそれ/\道戯のすさみにして雅中の俗調俗中の雅致いづれ歟風流ならざらんや乍麼此道戯百人一首ハ天明調の古きを温ね言葉ハ今様の新しきに依り挿繪ハ二世廣重兄が」尊父譲りの筆軽にさら/\さつと畫かれし略画に骨あり見所ろある百人一首の大一座一盃献じ天皇の初献の禮に始りて掛幕も畏き順徳院の御製ならねど股引や腹掛の侠客も交る雅俗の莚此端書の酌人衆所謂藝妓の名代ハ金春近き
新橋の 猫々道人[文]
※立齋廣重編、文盛堂梓、明治16年、猫々道人序詞、前島和橋校閲。「明治十六年二月廿八日出版御届\同年三月十日刻成 定價廿錢\編輯人 東京府平民 安藤徳兵衛[徳] 京橋區南紺屋町廿七番地\出板人 同 榊原友吉[友] 日本橋區若松町二十壱番地\発兌人 高崎修助[修] 同區濱町二町目\同 長島爲一郎[爲] 武陽□□□□」
稻葉猴雪燈新話 (中本1冊、和装、国文研)
稻葉猴雪燈新話 緒言
世に稲葉小僧〔又因幡とも〕と唱せし盜賊武州無宿入墨新助が事跡の概略ハ亡友豐芥子が手本稲葉小僧傳に當時の公判と彼が口供と又諸家より届出し盜み品の員數書とを併せて詳記せし物の外其行事を探るべき引証を知らず該賊その産武州足立郡新井方村の農家の一子にて幼稚き頃より窃盜掏摸の惡手僻あり然も其狡術に妙を得しより田舎小僧と綽名せしを訛りて稲葉と言ひがめし由一説に彼一度稲葉美濃守侯〔或ハ因州藩〕の中間たりし由傳ふれど此事曾て本據あらす其頃稲葉小僧ハ泥坊でござる取られる奴ハべらぼでござると樗蒲暮節に唄ひそめ該賊が惡名世に高きより其行事を物々しく作案せしハ岳亭定岡が神稲水滸傳」を始めとし其の他稗史合巻劇場の脚色にも古人鶴屋南北が新作以來近年もまた翻案して」演劇せり然れ共其實とする所ろ武家方數百邸に忍び單身梁上の君子と化し盜み得たる財寶ハ悉く酒色の爲に散ぜしのみ其出沒中新吉原町の娼樓茗荷屋の遊女深雪野と漆膠の約あり此深雪野後に野晒阿雪と綽名せられ騙賊を業として新助が刑せられし天明の晩年遂に磔刑となりし顛末詳細に著述して劇場に所謂世話物の体を模擬せり記事の拙なきハお馴染の猫毛の頴とみゆるし有て末ながく御愛讀を希望ふと先前文に御披露かた%\外題の起原を此に掲げていよ/\本文の始まり左様
明治十六年十月
假名垣魯文記
※摺付表紙「稻葉猴雪燈新話 全\二書房發兌」、見返「稲野年恒画\發行所三友社」、内題下署名「東京 假名垣魯文 戲述\孤蝶園若菜 編輯」、刊記「明治十六年十月九日出版御届\同十八年一月十二日再版御届\同十八年二月發賣\定價四拾五錢」「編輯人 若菜貞爾\出版人 鈴木喜右衛門\大賣捌 鶴聲社」。国会本刊記「明治廿一年四月廿九日印刷\同五月四日翻刻出版\隆港堂發兌」。
清元名曲梅の春通解 (中本1冊、阪大〈G-45〉・京大)千字文の闕書を補綴し校正全きを得るの日其鬢髪雪を頂きて蛍窗の許を離れし唐山人の苦心を惟へバ古書に摩滅あり古語に訛傳あり其誤謬を識者の考案遂に校訂の真を供ふれども俚諺俗語下里巴人の曲に至てハ訂して益なきものとするより音曲諸流の訛傳誤る儘に語り継古来作者の苦心を滅し其微意を失すること名工往古の妙技を後世の傭工等濫」りに瑕瑾を修飾ひて反つて原題を害する如し古人一夕の戯述といへども章々句々悉皆出据所あり然れども流行古今の變称漢音呉音の響き現今清朝に至つて一變するに等しく我國語にして雅俗の差異あり地方の称呼あり故に謡曲に於る世を経て傳寫の手に誤まられ作者の原意漸々に空しからむ嘆息の餘り前に村田正風が常磐津の老松考あり後に高橋廣道が同」曲の関乃扉考あり共に遺憾の情に出る歟茲に文友風来山人夙に漢籍の餘力に則り遥に洋書の深淵を探り蛍雪の餘光稗史小説院本戯冊凡て眼に触る書ハ雅俗を問はず胸裡に収て自著を補ひ年来机上に倦ことなく頃日燈下の隨筆に世に清元と称へ來る艶曲梅乃春の章句中當流の婦幼輩に作者の妙處を解さしめんと該曲の考証一本を」綴り直しぬ抑彼梅乃春の章句たるや風調雅俗に渉り竒句妙文演曲中の巨擘にして當流第一に坐す可きも往々傳寫の誤句あるを山人が老婆心切博く諸書を引証し古人が佳作を全ふせること實に風来三世の承景此強記を以て知るべき而巳
明治十六年十一月
猫々道人魯聞誌[文]
※外題「〔清元・名曲〕梅乃春通解 全」、見返「風来山人著\〔清元・名曲〕梅乃春通解\大栄堂蔵版」、刊記「明治十六年七月十二日御届\同年十二月六日出板、編輯人・河原栄吉\出版人・加藤忠兵衛\發兌人・法木徳兵衛」。本文活版、序文は整版。
割烹店通志 (中本1冊、阪大小野文庫〈918.5-ONO-187〉)
〔酒客・必携〕割烹店通誌序言
強飯酒戰の暴食ハ無禮講の宴に生じ。禮家饗膳の度外にして。必ず太平の器にあらす。凡て飲食を節用せんこと。衣服居住の設けより。第一に心得可しとは。衛星上の教にして。命ハ食にあり。然れ共その食に依て身の健康を。害するも亦尠なからず。故に膳部の式。調理の撰。古人往々之を辨ず。蓋し献立の式古今異同ありて舊新その製等しからず。彼甲陽軍鑑に。所謂公界も見ぬ奥山家の。分限なる百姓。料理する術も知らず。海老を汁とし。鯛を山椒味噌に索。鴈白鳥を焼物に。鯉を菓子とし。蜜柑をさ」しみとせバ。能肴ども。何れを取りて喰ふ可きやうなく。皆捨る云々と。此説や鯉を菓子といふのみこそさもあれ。其餘ハ今様に。異るハあらじと思へど。献立式外に出るを以て。しか云たりしにやされバ隆盛の今世。山海の珍味を競ふて。割烹の製ます/\精く。會席料理と稱する食店。互に鮮魚新菜を鹽梅し。佳肴風味を盡す中に。逸く其業に注意して。調理饗膳賓客をして。喫味の感を發さしめしハ獨り山谷の八百善にあり。其製料理通一本の著述に擧ぐ是に依て。此を味ふの粹士あれ共。一席可不可を評するのもにて曾て割烹を論窮するの通誌を」看ず。東柳散人。よく府下盛場に渉り。舌に百味の甘辛を辨じ。口に酒樓の待遇を説く。昔日京師の人。豆腐百珍芋百珍の編述あり。散人の述る所ろ。一品百味に止まらず。數家調煎の精麁。屋樓の廣挾。宴席の風致。待遇の厚薄。載て洩さず評して餘さず。是なん。酒客必携の冒頭空しからずして。且割烹店通誌の名眞に實ありとせん歟。故に賛成の贅語を序とす
明治十八年第三月中院
應需 好食外史 假名垣魯文叟題
※見返「前橋栄五郎編\〔酒客・必携〕割烹店通誌\東亰 前橋書店梓」、口絵中「廣重」、内題下署名「前橋東柳戯編」、刊記「明治十八年三月九日御届\仝 年仝月廿七日出版\定價貮拾錢\編輯兼出版人 前橋榮五郎」。
【附言】 本稿は国文研における魯文プロジェクトの月例研究会や研究大会での発表に基づくものです。多くの知見を与えて下さった参加者のみなさま、取り分け資料について御教示いただいた谷川惠一氏、青田寿美氏に感謝申し上げます。
A Summary of "Robun's Literary Hackworks"
Studies of Kanagaki Robun's literary works are not advanced, with the exception of well-known texts such as "Aguranabe" 安愚楽鍋 (Sitting Cross-Legged at the Beef Pot) and "Seiyoudoutyuu; hizakurige" 西洋道中膝栗毛 (Shank's Mare to the West). The whole picture of Robun's work is only now being revealed by the efforts over the last few years of the National Institute of Japanese Literature's Robun Research Group. However, because of a lack of a proper index of Robun's minor commercial writings, such as forewords to other authors' miscellaneous books, captions for Ukiyo-e prints, handbills, flyers, and collections of short romantic ditties, much of this output remains unknown. This article therefore aims to describe Kanagaki Robun's hack writing as one part of his overall literary output, particularly from the years when he used the pen name "Dontei" to his later years, based on materials I have recently discovered.
Translated by Ms.Orna Shaughnessy. I can never thank you enough.
【追補】(活字翻刻本の序文)
化競丑満鐘戯叙(和装中本1冊、架蔵)
理外の談ネを書綴りて奇を好む人氣を誘ひ非常の形象を繪に顕し凡筆の圍を出る業戲作と狂画の二個にあり世に謂怖い物見たし怪談耳を掩はず恐しくも面白きハ土佐氏の百鬼夜行見る眼に凄きハ應擧の幽霊殊に怪の筆のすさみ趣向の奇なる文句の妙ある十種の曲亭老人が彼丑満のかねて聞へし世をふる寺の院本製を流水灌所に垢を注ぎて彩る表紙の七変化も生捉物の妖怪退治その原本も筥根の先へ消て絶なんことを惜み魔性を化粧の製立栄茲に發兌の共隆社が旧きを慕ふ人魂の後を引出す表紙の緒ち狸和尚の勧化帳へ化地蔵の略縁起めく叙詞を添よと需に應じ轆轤首の嘔吐長いハ恐れと一寸法師の短く誌す
酉の時雨月
金花猫翁佛骨庵魯文[文]素岳書※「明治十八年九月廿五日翻刻御届\同年十一月出版\(定價金三拾五錢)\著作人 故曲亭馬琴\翻刻出版人 東亰亰橋區銀座貮丁目六番地 千葉茂三郎\發兌所 東亰亰橋區銀座貮丁目六番地 稗史出版 共隆社\賣捌所 東京及各地方 書肆繪双紙店\東亰地本同盟組合之章[組合][証]」
今古實録 (和装半紙本)
今古實録序詞
我往古、一度文物の端を開き、稍盛典の時を得しも、中世の戰國乱離を極め、古書歴史ハ多く兵燹に罹り、其存する者、數部を闕けり。此年暦文物も又廢れ、學事を保する者、纔に浮屠氏に過ず。近世、足利氏、以降元龜天正の頃まで、武門に博識の徒出しもあれど、猶干戈止む時なく、文學たま/\公卿武家に波及するのみ。期に僧侶なくんバ、平家物語、太平記、諸軍記の編述、今世に傳ふるなきに至らん歟。故に、我國の軍記史略に多く佛語を引く者ハ、蓋し釋氏の手に成しを以てなり。坊間貸本と稱ふる俗書の今に傳ふるも、是又僧徒の著述に成る物數卷、その事跡虚を省き、最も實に近きを撰み、尚ほ引証に依て、校正全き榮泉社中の藏版に於る、世の貸本を網羅して、略盡せるの功、勉たりと云も可ならん。此に於て、今古實録の題名、目下世間に普きも、亦宜ならずや。以て簡端に序すると爾云。
明治十九年第四月佛骨庵主 假名垣魯文叟誌※原文に句読点なし。「小僧殺横濱竒談」など、今古実録の後印本に付されたもの。
梅見時春に成駒(国文研〈メ6-443〉
梅見時春に成駒序
春雨や楽屋を冠る傀儡師と寶晋齋が句作に縁み絶ず硯の水に潤ふ机友魁蕾史が胸の機関佛出さふと鬼を出そふと出没自由の意匠に出る伊吹おろしの風謡のまに/\小倉の野邊の一本芒筆の穂頭をひらめかし人のこゝろに春風さそふ花の下なる若駒が足なみ進む行事を挙て成駒贔顧の看に供ふ体裁演劇の脚色にあらねと其傳実に正本なり此親にしてこの児ある福々田の」種蒔さんば倉卒寸暇の稿成駒新年識筆の草子に題し賣出し俳優の當利比して大吉利市を保証者は壮史の古川に机を並ぶる両文社の新富老人
假名垣魯文述※中本1冊。大和綴。「一名成駒屋福助詳伝」。扉「俳名中村福助之肖像\實名山本榮二郎」(石版写真)。内題下「魁蕾史閲\岩原梨園子綴」。「明治廿年十二月廿八日出版御届\明治廿一年二月十日出版發兌\定價丗五錢\編輯蒹出版人 東京府士族 岩原全勝 芝區南佐久間町二丁目十八番地\出版所 京橋區本材木町三丁目七番地\取次所 京橋區南鞘町十八番地 正文堂」
新橋藝妓評判記初編(和装横本1冊、国文研〈ム7-277〉)
藝妓評判記附序
白門新柳記の一書、近來隣邦より發兌して、圓儉小肥の支那定め、遠く別嬪の名を聞も、近く面貌を見るに如ず。我東海の姫氏國ハ、素より本塲の新橋花柳奈何、金凌新柳の歌妓輩に劣らんや、と粹史が筆の力瘤に、校書の美名品行を評して、以て雅属に供るも、多くハ雜誌部中に載、線香一本立の寧賛ならず。悉皆鋪借折半の等類なるを、遺憾の餘り、廣く金春の縦横を探り、深く鴉森の奧を尋ね、之によしあしの批評を附すハ、古く浪花に行れし、彼八文字屋自笑翁が顰に倣ふすさみと雖も、記者が評言の微意あるや、猫妓に對する董狐の筆頭、毀譽褒貶の混交なるを、傳傍誹譏立見連が只管記者の腦勞氣と看做し、先生お高ィ/\、と虚賛成惡賞讚をするもあらば、此奴話せぬ奴なる可し、夫位附の白きを知ッて、髪の毛の艶を守る赤襟脱りの黄口青妓等、記者が活眼の黒表紙、」此評言を、姉さんの叱〓に比して、宴席の待仕酣酌客應對に心を用ひば、遂に大極上々吉の能藝妓衆と稱されなん。或ハ當込の俳優の噂舞臺にあらぬ坐敷をそゝり、得意の人氣を失ひて、その醜聞を猫洒落誌にひッかき散らさるゝ事勿れ、と序者が一時の老猫心箱丁代りの挑灯持轉ばぬ先に、モシお浮雲なう、と往來を照らすにこそ
時に九月末の三日秋雨の中止、蟹迺屋壯史が誘引に促され、烏森の湖月樓に一酌の間盃洗の水を硯に受て猫々道人魯文醉記※22丁。「明治十四年九月廿五日御届 〔定價拾三錢〕\編輯蒹出版人 東京赤坂區青山北町三丁目五十六番地 中村鉄太郎\發賣所 同京橋區西紺屋町十四番地 粹文社\大賣捌所\新橋竹川町いろは新聞 京文社・銀座二丁目鳳鳴新誌 開新社・木挽町壹丁目話の種 萬字堂・神田雉子町新聞賣捌所 巖々堂・人形町通元大坂町 同 漸進堂\此外各繪双紙店及び新聞賣捌所へ差出し置候に付御最寄にて御求の程奉願上候 板元敬白」
# 「魯文の売文業」
# 「国文学研究資料館紀要 文学研究篇」第34号(2008年2月)所収
#【追補】「化競丑満鐘戯叙」を追加 (2008年9月7日)
#【追補】「今古實録」「梅見時春に成駒」「新橋藝妓評判記初編」を追加 (2009年1月13日)
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