魯文の艶本

高 木  元  


要 旨 仮名垣魯文に関する研究は『安愚楽鍋』や『西洋道中膝栗毛』など著名なテキストを除いて著しく遅れていた。この数年間、国文研で組織された魯文研究会に参加した方々の努力に拠って、魯文の文筆活動の全貌が明らかにされつつある。ところが、習作期に多作していた艶本については、その所在情報の入手が困難であったこともあり、その全体像は必ずしも見えていない。本稿では管見に入った艶本資料に拠り、作家としての出発をした鈍亭時代の魯文の文筆活動の一端を明らかにしてみたい。



  一 緒言

魯文が若い時分から山東京伝や曲亭馬琴など戯作者に憧憬していたことは知られている。嘉永2年(1849)春に出した戯号「和堂珎海 改め 英魯文」披露のための所謂「名弘め配り本」である『名聞面赤本なをきけばかほもあかほん▼1に「魯文をさなかりし時、艸双紙さうしの終の圖の、机にかゝりし作者の真似まねして遊びたりしに、今また作者たらん事をのぞむ」▼2との記述が見られ、この逸話もそれなりに実情を示唆したものとの想像に難くない。同書の末尾には、自ら卑下して「僕がぎする狂文の、はさみ仕事にふる着の趣向をあらひ張して、戯作者の手前符牒をつけんとて\英魯文\赤本の桃ならなくに我は又洗濯せんたくものゝ名や流すらん」と記しているが、この言説に見られる「継ぎ接ぎ」「鋏仕事」「古着の洗い張り」「洗濯もの」などという表現は、既に評判になっていた作品に基づいて書く、創意工夫のない安直な抄出縮約ダイジエストを意味している。

これらの表現は、後の切附本の序文に頻出する「糟粕かす」と同義で、例えば、嘉永7年の切附本『〈八百屋於七|小姓吉三〉當世娘評判記』に「事物糟粕\赤本の桃ならなくにわれはまた洗澤ものゝ名や流すらん\鈍亭」とある▼3。安政2年『雙孝美談曽我物語』には「古人こじん糟粕かすをねぶりて、もつ一口いつこうをぬらす而巳のみ」、さらに安政3年『英名八犬士』第8輯結局には「稿かう成名をうるゑせ作者。古人の糟粕かす〓〓まるのみに口をのりする門辺の痩犬やせいぬ」、安政4年『釋迦御一代記』初編には「見識けんしきある著述家さくしやなりせば。糟粕さうはくそしりをはぢて。しば/\これ推辞いなむべきに。元来もとより蛇足じやそくおくせぬ。文盲もんもう不学ふがく白癡しれものなれば。胡慮ものわらひとなるを思はず。すみやかふでをとつて」と開き直り、万延元年の『抜翠三國誌』第6輯に至っては、序末の戯名を「糟粕外史」などと署名している。

つまり、魯文は文壇デビュー当初から習作期を通じて〈嘗ての著名な戯作者の糟粕を嘗めるに過ぎない戯作者の端くれ〉という極端に自己卑下した立場を標榜し続けていたのである。しかし、安政2年『蝦夷錦源氏直垂』前編には「近頃ちかころものほんとしいへば。古人こしん糟粕そうはくならざるはなし。こゝもまた時運じうんるところ。つたなしとのみいふべからず。まい兒戲じげ策子さうしをや。われまたふかく懸念けねんせず。」とあり、伝統的な戯作者の口吻である「口に糊するためにする著述で所詮婦女子の慰みものだ」と謂いつつも、同時に「時運」に拠るところであるとの認識を示している。

天保の改革以降、化政期に活躍した戯作者が次々に物故してしまい「戯作者の種切れ」であるとの状況認識に就いて、例えば『〈才子|必讀〉弘化奇話』初編巻之下(弘化期、何毛呉餡内)所収「地獄之奇談」▼4では、弘化二年に亡くなった栄久(書肆栄久堂山本平吉)が地獄で京伝種彦一九春水三馬などに逢い「このせつ娑婆しやばまことに戯作者のれにて、先生方御引りの後はなにひとつ本らしきものは出来申さず、偶々たま/\出来れば熱病人の譫言うはことやうな前後乱脈のわからぬことばかりつゞくり、そのうへ作料ばかりほしがり候ゆゑ、書肆も一統こまきつて……」というと、「我々われ/\の作を洗濯せんたくして自分どもあたらしく仕立しやうほこる族もあれば……」と応じている。弘化期には未だ馬琴や京山が存命中で、魯文が文壇にデビューする少し前のことではあるが、天保改革後の斯様な状況認識は魯文も「時運」として共有していたものと思われる。

そもそも切附本というジャンル自体が、「讐討類、物語類、一代記物\此書は五十枚一冊読切物品々明細早分り物」(槐亭賀全『松井多見次郎報讐記』の巻末広告、吉田屋文三郎板)とあるように、弘化期以降とりわけ嘉永安政期を中心に粗製濫造された廉価な小冊子で、実録や浄瑠璃、読本や合巻などの抄出縮約を目的としたものである▼5>。さらに、〈糟粕〉と〈抄出〉という方法こそが不可欠な切附本というジャンルを主導したのが魯文であってみれば、その序文などで繰り返される自虐的に卑下した口吻を文字通り受け取るわけにはいかない。

ところで、習作期の魯文が生活と売名とのために、様々なジャンルに何でも書いていたことが次第に明らかになってきているが▼6、見逃すことの出来ない一ジャンルに艶本えほんがある。艶本は普遍的な需要が存しているにも拘わらず、何時の時代にあっても、風紀上の理由から表向きには非合法化される特殊な商品ではあった。しかし、その故に、多少のリスクは背負うものの、板元にとっても執筆者や画工にとっても、実際のところ実入りの良い仕事であった筈である。

艶本に就いては、早くから林美一氏の先駆的な研究が備わっており▼7、それなりの蓄積はあるのだが、隠微な古書資料であり続けたことから、近年に至るまで公的機関の蒐集は多くなく、結果的に所在の知れている本は少ない▼8。このような事情から、魯文の艶本に関しても全貌は未確認ではあるが、本稿では管見に入った資料の報告を通じて習作期の活動の一端を明らかにしたいと思う。

魯文が手を染めたと思しき艶本に用いている戯号は「慕々山人」が多く、その他「妻恋隱士」「當書山人」「當垣慕文」などがあるが、「恋岱」を冠していることから湯島妻恋坂に住んで「鈍亭」と号していた習作期、つまり嘉永末年(安政元年)から安政末年に、切附本の板元として馴染みの深い品川屋などから、この種の非合法出板物を多く出して原稿料を稼いでいたものと思われる。

その特徴は、絵を見ることに中心のある草双紙を摸した春画本ではなく、所謂「読和よみわ」と呼ばれる読本風の「読むこと」に主体のある絵入本を書いていることである。また、魯文の艶本は『三国志』や『偐紫田舎源氏』など、何等かの先行する著名な作品を典拠として改作したものが多い。この特色は「抄録家」としての魯文の面目躍如であった。

魯文が「糟粕」を標榜していた習作期に艶本に手を染めたのも、方法的には切附本など大きな相違はなかったからであろう。ただ、単なる抄出ではなく艶本として改作するには、求められる性的雰囲気を醸し出すための語彙を宛字に拠って創出したり、典拠を逐語的なパロディにしたりするという戯作的なセンスをも要求されたものと思われる。この点を魯文の他作者に対する優位性として積極的に評価することも可能であると思われる。

▼1 国文学研究資料館所蔵本(ナ4-711)に拠る。「星窓梶葉\砂文字や野良をつくしの筆はじめ」の詞書。なお、本書に就いては『〈近|世〉列傳躰小説史』下巻(春陽堂、1897年)所収の野崎左文「假名垣魯文」と、林美一『江戸広告文学』坤(未刊江戸文学刊行会、1957年)に解題と翻刻とが備わる。

▼2 以下、本稿に於ける板本の翻字に際しては、私意に拠り適宜漢字を宛て原文を振仮名として残した上で、読点や濁点を補った。

▼3 『名聞面赤本』所収の狂歌に同じ。34ウ35オに「談笑だんせう諷諫ふうかん滑稽こつけい道場どうじやう御誂案文著作所おんあつらへあんもんちよさくどころ\妻戀坂中程 鈍亭[ろぶん]」の看板と共に描かれている。以下の切附本に関する記述については拙稿「鈍亭時代の魯文−切附本をめぐって−(「社会文化科学研究」第11号、千葉大学大学院社会文化科学研究科、2005年9月)参照。

▼4 初編中本二冊、外題は『〈才子|必讀〉當世妙々竒談』、底本は架蔵本に拠る。拙稿「感和亭鬼武著編述書目年表稿(『江戸読本の研究』第4章第5節、1995年、ぺりかん社)で全文を紹介している。また、山本和明「『当世妙々奇談』−翻刻と書誌(「相愛女子短期大学研究論集」第47号、2000年)に全冊の翻刻と、同氏に拠る「叱られし人々−『当世妙々奇談』私想(「相愛国文」第13号、2000年)という考証が備わる。

▼5 拙稿「末期の中本型読本 −いわゆる〈切附本〉について−(『江戸読本の研究』第2章第5節、1995年、ぺりかん社)参照。

▼6 平成16〜19年度科学研究費補助金(基盤研究B)研究成果報告書「原典資料の調査を基礎とした仮名垣魯文の著述活動に関する総合的研究」(研究代表者 谷川恵一、2008年3月)、拙稿「魯文の売文業」(「国文学研究資料館紀要」34号、国文学研究資料館、2008年)など参照。

▼7 林美一『艶本江戸文学史』(河出書房、1991年、初出は1964年)、同氏『艶本江戸文学史』(河出書房、1991年、初出は1964年)など参照。

▼8 『国書総目録』には「日本艶本目録(未定稿)による」として、所蔵の記されていない艶本の書名が頻出する。近年、白倉敬彦氏の労作である『絵入春画艶本目録』(平凡社、2007年)が出た。図版を豊富に掲載した貴重な資料ではあるが、「春画艶本目録」の完成を目指して公開をしたと序文にあるにも拘わらず、実際の書目に所蔵が記されていないので、例えば改題本を調査しようとしても追認確認する方法がない。春画や艶本は個人蔵に帰したものが多く、個人的な名前を公表したくないという事情が在することも想像に難くないが、立命館大学アートリサーチセンターに所蔵された故林美一氏のコレクションや、国際日本文化研究センター蔵の艶本資料などは既にインターネット上に画像データが公開されており、やはり学問の進捗のためには可能な限り所蔵を記すべきだと愚考し、本稿では知り得た全ての所蔵機関(者)名を明記した。



  二 魯文艶本書目(稿)

横櫛音海よこぐしのおとみ向疵與謝むかふきずのよさ假枕浮名仇波かりまくらうきなのあだなみ半3冊 慕々山人嘉永7年刊カ国文研〈ナ4-755〉・日文研▼9〈KC-172-Bo〉
風俗讃極志ふうぞくさんごくし 初〜3編中3冊 慕々山人安政2刊カBnF Richelieu EST/Paris〈Dd3031〜3033〉
星月夜吾妻源氏ほしづきよあづまげんじ 初編中1冊 慕々山人安政3年春〔序〕愛知県立大〈市橋文庫433〉・高木
淫編深閨梅いんへんしんけいばい 前後輯中2冊 慕々山人安政3〜4年刊国文研〈ナ4-809〉、(後)〈ナ4-811〉・立命館ARC
佐勢身八開傳させみはつかいでん 前〜3集中3冊 慕々山人安政3〜4年刊内田・服部・高木
国文研(3欠〈ナ4-683-1〜2〉)(上)〈ハ3-114-4〉
鼡染春ねつみそめはる色糸いろいと 初編中3冊 慕朴齋安政4年刊国文研〈ナ4-801〉・立命館ARC
木曽きそ開道かいだう旅寐廼手枕たびねのたまくら中1冊 妻恋淫士安政4刊山本
こい湊露みなとなさけ出島でしま中1冊 當書山人〔序〕安政6刊BnF Richelieu MSO/Paris〈Japonais 211B〉
ロシア国立図書館〈Yap.NS.59〉▼10高木
〈於七|吉三〉封文戀情紋ふうじぶみこひのじやうもん 初編中1冊 慕々山人安政頃立命館ARC
仇恋端唄あだなこいはうた忍音しのびね中1冊 當垣慕文〔序〕
 色念人娘壺述
 婦多川清水
立命館ARC
春色港入婦寐しゆんしよくみなとのいりふね 初編中1冊 大珍坊 阿奈垣主人
 一廣開飯盛〔画〕
安政頃ホノルル美術館


 以下の△は所在不明「日本艶本目録(未定稿)」などに拠る。

國盡戀路芝くにづくしこいのみちしば     1冊

春色優源氏しゆんしよくやさげんじ     1冊 慕々山人 一交斎情水\幾丸 元治元序

△東海道驛路の鈴口  1冊 慕々山人作 松廼大木画 嘉永頃刊(改題本「東海道五十三陰門」)

 他に『椿説弓張月』の艶本が存したか。

▼9 以下、国文学研究資料館は「国文研」、国際日本文化研究センター艶本資料コレクションは「日文研」と略す。また、フランス国立図書館(旧館)は「BnF Richelieu/Paris」 EST は版画室、MSO は東洋写本室、立命館大学アートリサーチセンターは「立命館ARC」と略す。

▼10 『欧州所在日本古書総合目録』にロシア国立図書館(サンクト・ペテルブルグ)蔵とあり、原本を確認した。



  三 序文と解題

横櫛音海よこぐしのおとみ向疵與謝むかふきずのよさ假枕浮名仇波かりまくらうきなのあだなみ 初編

仮枕かりまくら浮名うきな仇波あたなみ
西施せいしちゝ揮号とのふうをは、味美あちはひびなれどもどくあり。一口ひとくちもの鉄炮汁てつほうしるに、ほうこが居膳すへぜんの、辞退じきをせざるは男子をのこ平常つねにて、我妻わがつまならぬ〓喰つまみぐひは、おもきがうへの筑广つくま鍋焼なべやき河豚ふぐなうらみぞ小夜衣さよころもよさぬる夜半よは肉布團にくぶとんその暖味あたゝかみ打込うちこんでは、ゆきゆふべさむさおぼえず。片肌かたはだぬひ黥刺ほりものうでいのちわするるにいたれり。嗚呼あゝ魔哉こわいかな陰門玉戸もゝんがあ一個ひとりたんじてうなじあげる。陰莖せがれ天窓あたまをはるのの」枕草紙まくらさうし趣向しゆかうとして、一本いつほんかいた禿しいのみふでさやのまゝなる皮被かはかぶりもと脚色すぢさへしらはまの、その仇浪あだなみ題号なだいとなし、たつや浮名うきな世説よがたりは、かの與三郎よさふらう陽物えてものを、はさまんこゝろの汐干狩しほひがりかに歩行あゆみ横櫛よこぐし音海おとみが、かはくもなきしたひもを、とひてしつぽり濡事ぬれことに、あれさいく淫樂たのしみも、たちまちかはる修羅しゆら道場だうじやうつるぎやまむかきず、きつてもきられぬあひ恍惚ぼれは、つけどもつき悪縁くされえんにして、入れたたんへがかりよかのんし。中興ちうこう流行はやり童謡たうえうは、二個ふたり痴情ちじやうによくかなへり」遮莫さばれまよひのくもはるれば、真如しんによつきあきらかに、てらすそすなはち煩悩ぼんのう菩提ぼだい毒薬どくやくへんじてくすりとなる、作者さくしやふでさじ加減かげん烏犀角うさいかく薬研やげんでおろす、形容かたち似寄により交合圖わらひゑに、配劑はいざいなしし小工摺こぐすりの、彩色いろどり美備敷びゝしくしたてたれば、すこしいく効験しるしもあらんと安本丹あんほんたん可道きゝみちを、能書のうかきめかしてしるすになむ
    睦月むつましづき女始はじめゆふべ
      のりはしめ枕下まくらもと

戀岱淫士\慕々山人伏稟[印](上巻頭)


作者さくしや机上きしやうふでやすめて、看官ごけん好色諸君すきしやたち伏稟つけたてまつるそも/\こゝつゞりなす淫本いんほん三巻みまきは、もつばらお富が与三郎が、痴情ちじやう淫楽いんらくだんむねとして、春心あだごゝろ発動おこさするをえうとせり。ゆゑ餘事よじ巨細こまかにせざれば、首尾しゆびまつたきことをず。遮莫さばれ両個ふたり成行なりゆきを、微小いさゝかにてもしるさでは、物語ものがたり趣意おもむきうしなふなれば、巻毎まきごと本末もとすゑには、淫事いんじかゝはらぬぶんおほかり。たとへ淫詞いひぐさはなのごとく、前文まくら筋書すじがきのごとし。淫本わらひぼん老實まじめなるは、傾城けいせいに女今川の、講釈かうしやくしてきかせる」やうにて、卯月うづきさくらながめばへせず。此ことはりものから、成丈なるたけ短文はしよつ此回こゝにあらはす。於富おとみうみいつのち不思議ふしきいのちまつたふし、三郎がきずいえて、ふたゝ荏土えど〓〓さまよふことなどは、三年みとせ往時すぎたる三回目さんくわいめ淫事いんじたな妾宅せうたくにて、二個ふたりがはからず巡會めぐりあふ、そのとき問答かけあひぜりふにてり玉へと、ねんためしるすになん 東都とうと戀情夲れんじやうぼん一家いつかの元祖ぐわんそ

慕々ぼぼ山人さんじん 再識ふたゝびのぶる[印]」(中巻末)

※半紙本3巻3冊。2代目婦喜用又平画。凝った表紙の意匠で見返、序の背景や口絵と全ての挿絵にまで色摺が施され、上中巻の口絵は折り込みになっていて広げると倍の巾になる。本文は根本風で会話を交えた仮名漢字混じり。中巻の冒頭には歌沢節を書体を替えて引用している。金色まで用いており、以下挙げる中本サイズの艶本とは別格の豪華な本である。内容は題名からも容易に推測可能であるが、『與話情浮名横櫛よはなさけうきなのよこぐし(嘉永6年、中村座初演)の作り替えで、嘉永7年刊か。林美一『江戸枕絵の謎』で一部分が引用紹介されており、福田和彦編『仮枕浮名の仇波』(浮世絵グラフィク7、KKベストセラーズ、1992)に不完全ながら翻刻されている。


風俗讃極志ふうぞくさんごくし 初編

序詞しよし
此頃このごろいたう降續ふりつゞく、春雨はるさめ徒然つれ%\なるまゝに、ほころぶうめかをりゆかしく、わが妻戀つまこひ淫居所いんきよじよなる。南窓うちひらき、には外面そともを見やるをりしも、」かきをつたふ蚰蜒なめくじりの、そのかたちゆびたるを、腹筋はらすぢ陰門つびごと蝦蟇かへるおほきやかなるが床下ゆかしたよりあゆみより、くちひらいのまんとするに、かたへ植込うゑごみかげよりも、かしら陰莖へのこ髣髴はうほつたる、青蛇あをだいしやうよべるへびのずる/\と這出はいゝでつ。かのぼゝ蝦蟇がいるおそはんさまにて、吐淫といんに等しきはきかくるに、此時このときまでもすくみゐし蚰蜒なめくじりは前にすゝみ、ちうあはひへだつるに青大蛇あをだいしやうこれおそくびちゞめて後辞去あとじさり一進一退いつしんいつたいひよこ/\のろ/\ぬら/\として白眼にらめあひ」埋座うづくまりたる三噤さんすくみは、漢土もろこししよくッのくになる三個みたりひとしき英雄ますらを戦爭あらそひにしもことならずと、妄想まうさう三蟲さんちうことなるかたのいとおかしく、これ趣向しゆかう種本たねほんおもつくえふで発動おやか通俗つうぞく演義えんぎ礎題どたいとし、れい淫書いんしよつゞらばやと初編しよへん一稿いつかうだつをは数員どかずかさねて股庫またぐらうるほさんとの計策もくろみなりしが三國志さんごくし飜案ほんあんだけに、三輯さんばんぐらゐをやれよと梓主はんもとよりの注文ちゆうもんに、のこ〔り〕りをしさも弥増いやまして、編足したらぬながら入詰いれづめは、腎虚じんきよたねと思ふもの」から、ぐつと引抜ひきぬく原書げんしよ脚色しくみ、その筋張すぢばつ大物おほものと、くらべものには奈良ならつけの、いとかすくさかはかむり、たんのうするほど行届ゆきとゞかぬは、あを猴児こぞう蕃椒とうがらし珍鉾ちんぼこだけと見ゆるし給へ
  はら太鼓だいこうつ初午はつうまごろおほきな御利生ごりしやう
  突張つゝばりながら妻戀つまごひ淫士いんし乱亭らんていのあるじ

慕々散人戯述 ◇


風俗讃極志ふうぞくさんごくし 二編

風俗讃極誌ふうぞくさんごくし第二編だいにへん
謀計はかりこと惟幕ゐばくうちにめぐらし、勝利かつこと千里せんりほかにしらすは名将めいしやう勇士ゆうしつねにして、交合することを蒲団ふとんうへおこなひ、鼻息はないき屏風へうふそともらすは、戀情れんじやう淫事いんじもちまへなり。されば傾國けいこくいつ婦人ふじんには、百万ひやくまん大敵たいてきしたまき薙刀なぎなたのなりのむかきずに、鎗先やりさき功名こうみやうかけあらそひ、あめ箭頭やさきくもたて入乱いりみだれたる闘戦たゝかひにはしぬよ/\のこゑかまびすし。そも春画わらひゑ軍用くんようの」さい第一だいいちとなせるものにて具足ぐそくひついれおくこと戰場せんじやうのぞみてきをたいらけ勝利しやうり帰陣きぢんみきりといふとも、勇氣ゆうき自然しぜん叛上さかのぼやはらくことあたはされは、明日あす進退かけひき自在じさいず、より春画しゆんぐわひらき見ればいかなるたけ武士ものゝふも、こゝろやはらきゑみふくむは、じつ春画しゆんぐわとくにして、わらひむなしからすと淫時いんじらんをわすれぬため治世ちせいいま萬々歳ばん/\ぜいまで、此ことわりをつたへんと、かきつゞりたり讃極志さんごくし六韜りくとう三略さんりやくとらまきとも、めてたまはらば作者さくしやの」面目めんぼくなゑたる陰莖へのこおこすにいたらん
  寒風かんふうさつ春心しゆんしん揺動うごめ睦月むつまじつき下旬すへつかた
  野交庵やかうあん南窓なんさうねこ交合さかりを見る

東都とうと妻戀つまこひ淫士のいんし\ 慕々山人戯誌 [印][亂亭呂文]


風俗讃極志ふうぞくさんごくし 三編

風俗讃極誌ふうぞくさんごくし第三編だいさんべん結局けつきよく
浮屠ほとけ氏も誓扶せいぶ習生しつせうなければ、八相はつさう成道じやうだう化儀けぎ調とゝのはず、凡夫ぼんぶ戀慕れんぼ愛別あいべつなくては、男女和合わがうじやううしなふ。それ色欲しきよく真如しんによみちびき、煩悩ぼんのうすなは菩提ぼだいたねと、爰等こゝら脚色しくみ柱礎どだいとし、讃佛乗きんぶつじやう因縁いんゑんから、この讃極誌さんごくしつゞりなし、陰莖へのこさきふで頭に、かえ白癡たわけつくしゝが、三輯さんしうにしてもらせり。かゝる淫史いんしの中にしも、勸懲くわんちやううしなはざるは、筆力ひつりよくの妙にして、」作者さくしや用心ようじんこゝにあり。嗚呼ああだんなん容易ようゐならぬ、一切いつさい衆生しゆしやうこつ本たる、かの玉門きよくもんとうとあぢを、知らてそし野暮やほありともさら絲瓜へちまかわとも思はず、まらかしやァがるとあざけ而巳のみ
  于時ときに卯月上旬はじめつかた隣家りんか喜悦よがりごゑ蜀魂ほとゝぎすの、初音はつね
  とまじへてきく夜辺いうべ妻戀つまこひ淫室いんたくきよくむすび

天上てんじやう天下てんが唯我ゆいか獨身とくしん寡漢やもめもの\ 慕々山人戯題 ◇[文]


※中本3編3冊。立通亭茶之子画、表紙・見返・序の背景・口絵には色摺が施されている。2編12丁裏の挿絵中に描かれた手拭いに「岳亭」と思しき印があるので、画工は2代目の岳亭か。また、後ろ表紙には品川屋久助板と同じ意匠を用いているので、板元は品川屋かと推測される。

『三国志演義』に基づく作り替えであるが、「風俗」は「通俗」を利かせているようであるから、池田東雛亭『繪本通俗三國志』(天保7〜12年)を粉本としているのであろう。各編に付けられた章節の小見出しは次のようにある。

初編

○こんな赤縄ゑにし唐模様からもようしつぽく料理の居膳すえぜん桃園亭もゝぞのていの酒もり

煩悩ぼんのういぬもあるけばぼゝあたくひかせぎの仕事師しごとし

大陰莖おほまら廣開ひろつび取組とりくみもゝ手をくだいて揉合もみあふ戀角力こひすもふ

尻尾しつほした女狐めぎつねふたゝばけ金毛きんもう白面はくめん化粧みじまひ部屋べや

手管くだのわなと毛深い陰門あなへ落かゝつた魏國屋きのくにや主人たいせう

二編

またこりずまのまめ盗人どろぼう虎穴こけついつ虎兒こじを英雄ゑいゆう謀計はかりごと

のりて見たい腹櫓はらやぐら赤縄ゑにし横綱よこつなひつぱつた伊達娘だてむすめ

おほ若衆わかしゆ新開あらばちわるでざしてきたと古開ふるばち小若衆こわかしゆの間に合せ

○人をのろはゞ二ッの陰門あなおちかゝつた妾宅せうたくわるだくみ

三編

樂屋がくや新道しんみちのごた付はにせ男根まらつかひが乱妨らんぼう〓藉らうぜき

炬焼こたつの中のころび寐は雪おろしのつも睦言むつごと

其二そのに 雪見にころんでたゞおき新開あらばち佳肴珎味ごちそう

太皷たいこぬけがけはぬふりをした密夫みつふ返報へんほう

息子むすこ淫念おもひをはらさせたいがぼゝ一ばいの後家ごけ密會であひ

三方さんばうおさまとこうち第三編だいさんべん讃極秘さんごくひ

例に拠って登場人物名なども典拠に基づいて艶本に相応しく直しており、「魏國屋ぎのくにや宗兵衛そうべゑ」、まち唄女げいしや樂屋がくや新道しんみちの「阿蝉おせん」、黄金屋こがねや遊女いうぢよ角万人すまひとはじめ 穴氣橋あなぎばし唄女げいしや姐已だつき阿多魔おたま」、「黒江屋くろえや徳三郎とくさぶらう俳名はいみやう柳眉りうび」、徳三郎の妻「阿甘おかん」、一子「阿斗松あとまつ」、徳三郎の妹「於兔馬おとめ」、黒江屋の手代「李助りすけ」、角力取すまひとりくも関之助せきのすけ」、深草ふかくさ奥山おくやま茶店ちややむすめ櫻木さくらぎ於香おかう」、呉服屋ごふくや孫右衛門まごゑもん二男じなん権之助ごんのすけ」、太鼓たいこ医者いしや太井ふとゐ陰莖いんきよう」、俳諧師はいかいし臥龍菴がりやうあん諸葛もろくず」、諸葛もろくずてかけ於智惠おちえ」、妹「於琴おこと」、呉服屋ごふくや後家ごけ於乱おらん」、落語家はなしか野面のづら淫樂いんらく」、とびものつばくら張吉ちやうきち」、という具合である。

星月夜吾妻源氏ほしづきよあづまげんじ 初編

星月夜吾妻源氏ほしづきよあづまげんじ 初編序詞
紫姫しき五十四帖ごじふよじやう翠簾紙みすがみついやして、張形はりかたじやうをうつし、佐称彦さねひこゆびふでらうして、當書あてがきに人を喜悦よがらすそれ官女くわんぢよ閨房ねや徒然つれ/\これ稗家はいか机上きしやう洒落しやらくみやこ田舎いなか差別けじめはあれど、こひ貴賎じやうげへだてはなく、交合とぼすことなることやはあらめ。玉門おめこ色界しきかいぼゝ珍宝ちんぼう。されば浮気うはき春曙しゆんしやう一刻いつこくあたひ千金せんきんをなげうつも、悉皆しつかい男根せがれ業物わざもつにて、すつてんてれつく天狗てんぐめんの、亀頭あたま持上もちやげるおかげ」ならずや。一度いちどいかりをはつすれば、ふしくれだつ筋張すぢばりたる、紫色むらさきいろ由縁ゆかりから、おもひつくえに、かはかぶりの、しゐふでさやをはづして、またかきかける故人こじん真似彦まねひこそのりうていに、いさゝかちなみて、西にし世界せかいひがしうつし、吾妻あづまげん時代じだい世話せわひかきみにはふさはしき、雲井くもゐかゞや星月夜ほしづきよ鎌倉山かまくらやま東山ひがしやまと、やゝ附會こじつけ一夜漬いちやづけこゝろあまりて言葉ことばたらぬは、出合であひひとしきちよんなれば、ひとにさつ/\と、初編しよへん一部いちぶとぼしたばかりで、」ろくにのいくことさへらず。まだくちばし青蕃椒あをとうがらし珍宝亭ちんほうてい南椽なんえんなる、淫水いんすゐながれたのしみ、毛深けぶかところ採毫ふでをとる
  于時ときに男根なんこん\たつのとし春心しゆんしん發動はつどうの\吉旦きつたん

吾妻あがつまこひしとの給ひたる\舊跡ふるあとすめ淫士いんし 慕々山人記 [枕]」(巻頭)

巻末に次のようにある(読点を補った)

星月夜吾妻源氏ほしつきよあづまげんじ〈初編二編三編 不残大尾出板〉
偐紫にせむらさき由縁ゆかりをもとめし時代じだい模様もやう鎌倉かまくら御所ごしよげんさん淫楽いんらく得失とくしつばつた中の閨房けいばうたんへんつぎまきかさねて、追々おひ/\發市はつし桜木さくらぎに、花をさかする作者さくしやした稿がきめい々色しきかい春情しゆんじやう奇縁きえんかゞやきみになそらへたる、好色漢まめをとこ所行おこないるとほりする官看ごけんぶつは、かつ下回かくわいふんかいきけ

板元 淫莖堂敬白」(51ウ)

※序末に「于時ときに男根なんこんたつのとし春心しゆんしん發動はつどう吉旦きつたん」とある。この手の艶本は安政期に多く手掛けていることから、安政の辰年と判断し安政3年刊と推定した。中本1冊。架蔵本の後ろ表紙は後補。同板の愛知県立大学市橋文庫本は表紙を欠くが、後ろ表紙は源氏香の意匠を施す原表紙と思われる。見返・序文の背景・口絵にのみ水色などが使われている。2編以下未見。

柳亭種彦の合巻『偐紫田舎源氏』(初2編)を翻案したもの。表紙の意匠や口絵・挿絵なども典拠の面影を写している。表紙は白地に黄と褐色の小片を金砂子風に多数散らし、さらに空摺りで無数の横皺を施して檀紙の風趣に擬えるているが、これは『偐紫田舎源氏』のシリーズで採用された表紙の意匠である。本作は、まったくこれを模倣したもので、『偐紫』2編上冊に描かれた藤の方に摸した女性の立ち姿となっている。また、見返にあしらわれた藤の枝と石山硯(石山寺源氏の間に置かれた紫式部使用という寺宝の硯)も、『偐紫』の仮託作者「阿藤」の名に因んだものと思しく、硯は『偐紫』初編上冊の見返の意匠を踏まえたもの。

口絵第一図は「源頼朝公」と「頼朝愛妾朝霧」とを描き、「長恨歌\春宵苦短日高起」と賛を入れる。これは『偐紫』初編上冊の口絵(3ウ4オ)「桐壺の帝」「桐壺の更衣」の姿をそのまま模写したもので、ご丁寧に「長恨歌」も同様に賛として用いている。口絵第2図は衝立を隔てた「頼朝別室冨士方」と「源實朝公」と描くが、これも『偐紫』2編上冊の口絵(1ウ2オ)「足利義正の別室藤の方\藤壺の宮にひす」「足利次郎光氏\光君にひす」の姿を写したものである。

挿絵も『偐紫』を利用したものが多いが、特に「内室政子前黒糸と密話\同人丸社の場」(36ウ37オ)は、『偐紫』2編の挿絵(12ウ13オ)(13ウ14オ)とを、折り返した意匠で一図にまとめたものである。斯様な工夫は本作に始まったものではなく前例もあるが、やはり凝った趣向だと云えよう。さらに手が込んでいるのは、対応する登場人物の着ている着物の意匠を『偐紫』と同様にしてあるので、政子は〔冨徽とよしの前(弘徽殿女御)〕、冨士の方は〔藤の方(藤壺)〕、源頼朝は〔足利義正(桐壺帝)〕、朝霧は〔花桐(桐壺更衣)〕、源実朝は〔足利光氏(光君)〕、夕顔は〔昼顔(後凉殿更衣)〕という対応関係は明瞭である。これは侍女などにまで及び、黒糸は〔色糸〕、松ヶ枝は〔杉生〕、黄菊は〔小菊〕、銀杏〈刈茅かるかや〉は〔桔梗〈刈萱かるかや〉〕という具合である。

さて本文に関しても同様にほぼ『偐紫』に拠っていて、本作の人丸社での忍び会いの場面では

あと松風まつかぜふきそひて御燈みとうひかりかげうすくいとしん/\たるやしろのうち戸帳とてうかゝげて立出たちで実朝さねともほつとばかりに吐息といきつき
「かくれあそびにおもはずもいち/\きゝとるやかた大事だいじきのふふしきに黒糸いとおとせしふみをひろいしも日頃ひごろしんずるかみとくヱヽかたじけなやありがたや
トふしおがみつゝふところより手遊てあそびふゑ取出とりいだ合図あいづとおぼしくふきならせバともをもつれずふじのかた築山つきやま細道ほそみちをめぐりてあたりをうかゞひ/\
(ふじ)実朝さねともさまさいせんのおふみゆゑいかなることかとづかわしくさいぜんうへごみにをひそめ
(実)「サァおまちどうをバさつしながらいよ/\くわきうにせまつた大事だいじ
(ふじ)「ャ
(実)「ィャだいじないわたしのそばへおよりあそばせいまめかしいことながらこの実朝さねともをしんじつにかわゆうあなたハおぼしめすか
(ふじ)「アノこのとしたことがひと其時そのときハわたしもじつのあしらひおまへとても心切しんせつはゝよ/\としたうものいとしうなうてなんとせう
(実)「さやうならわたくしがいたゞきたいものがある
(ふじ)「ヲヽなんなりとあげうはいな
(実)「ほかでもないおいのちくださりませとぬきはなす白刄しらはしたうごきもやらず
(ふじ)「ハテねならにもせうマアさわがずとわけをしづかにいうたがよひ
(実)「ハヽァあつぱれのおんたましいそのおこゝろにほれましただかれてくださりませサヽおどろきハもつともおや不義をしかくるからハいきていぬのハもとより覚悟かくごいのちくだされとまうしたのハもし此戀このこひがかなはぬときハもろともに
トよりそひ給へバふじのかたにつこりとうちゑみ給ひ
(ふじ)世界せかいをんなもないやうにみちにそむいてわらはへ戀慕れんぼなんぞこれにハふかいやうすが
(実)「サァそのことハあからさまにハどうもいまハまうされぬこゝろたけふみにかきそつとおわたしまうしませう
(ふじ)「ホンニなにからなにまでもはつなおじやと日頃ひごろからおもひがけなく今宵こよひ仕義しぎわたしも朝夕あさゆうそなたのことハとひつたりとよりそへバ
(実)「そんならおもふてくださりましたかヱヽおうれしうござります
としがみついていだきしめかほ見合みあはせてくちくちチウ/\/\トしばらくすいて実朝さねともハふじのかたのいもじをかきわけ……

という次第で濡れ場へ続くわけであるが『偐紫田舎源氏』の該当箇所(第2編下冊、14ウ15オ)は、

あと松風まつかぜひて、御灯みとう光影ひかりかげうすく、いとしん/\たるやしろうち斗帳とちやうかゝげて光氏みつうぢ、ほっとばかりにいきをつき、「かくあそびにおもはずも、いよ/\聞き(きゝ)とるやかた大事だいじ昨日きのふ不思議ふしぎ白糸しらいとが、おとせしふみひろひしも、日頃ひごろしんずるかみとく、あらかたじけなや有難ありがたや」ト、をがみつゝふところより、手遊てあそびのふえとりいだし、合図あいづおぽしくらせば、ともをもれずふぢかたつき山の細道ほそみちを、めぐりてあたりをうかゞひ/\、「光氏様みつうぢさまふえいたなら、人にらさず此やしろへ、しのんでよとのおひねぷみたもとたまひしゆゑ、いかなることかと気遣きづかはしく、最前さいぜんより泉水せんすゐの、土橋どばしわたひそめ」「さア御待遠おんまちどををばさつしながら、いよ/\火急くわきうせまった大事だいじ」「や」「いや大事だいじないわたくしの、そばへおりあそばしませ。いまめかしきことながら、此光氏みつうぢ真実しんじつに、可愛かわゆうあなたはおぽすか」「あの此子としたことが、人のぬそのときは、わたしもじつの子のあしらひ、そなたとても親切しんせつに、はゝよ/\としたふもの、いとしうなうてなんとせう」「左様さやうならわたくしが、いたゞきたいものがある」「ヲヽなんなりとやらうわいな」「ほかでもない、おいのちくださりませ」トはなす、白刃しらはしたうごきもやらず、「はてねならばにもせう、仰山ぎやうさんさわがずと、わけしづかにふがよい」「はゝア、さすが祖父おほぢ御血筋おんちすぢ、あつぱれの御魂おんたましゐそのお心にれましたかれてくださりませ。さ、さ、おどろきはもつとも、おや不義ふぎ仕掛しかくるからは、きてゐぬのはもとより覚悟かくご。おいのちくだされともうしたのは此こひが、かなはぬときはもろともに」ト、たまへばふぢかた、につこりとうちたまひ、「世界せかいに女もないやうに、みちそむいてわらは恋慕れんぽなんぞこれにはふか様子やうすが」「そのことはあからさまに、どうも今はもうされぬ、心のたけふみき、そつとおわたもうしませう。なるほどこれではもつともぢやと、おぽしたら明日あすは」「しのんでやれ、ふてやらう」ト、のたまふうしろに聞き(きゝ)ゐる杉生すぎばえそでかくせし雪洞ぽんぽりを、火影ひかげ見合はすかほ、はつとおどろ差添さしぞへの、刀背むねにて光氏みつうぢ雪洞ぼんぼりを、そのまゝはたとおととす、はづみにたもとをこぼるゝ密書みつしよ杉生すぎはえ手早てばやひろひとる、途端とたんに山しのびのものまんとるをふじかた、ひらりとはづしてきやるを、つておさへて光氏みつうぢが、ぐつとつこむこほりやいば、うんともはずしのびのもの、そのまゝそこにたをす。言葉ことばはなくて三人ンは、わかれ/\になりにけり。

(『新日本古典文学大系』に拠る)

というように、基本的には『偐紫』の本文(仮名ばかり)を適宜省略しつつ引用して漢字を宛てて書き直している。話の運びには適宜濡れ場を挿入している以外、ほぼ『偐紫』を踏襲しているが、例えば車争いに擬した章段などは全く省かれている。

なお、『偐紫田舎源氏』が多く艶本化された素材であることは、林美一『秘版源氏絵』(緑園書房、1965年)などを参照のこと。

佐勢美させみ八開仕はつかいし 初編

佐勢美させみ八開傳はつかいでん前編ぜんぺん
さき曲取きよくどり主人しゆじん狗國くこくいぬ交合どり古事ふるごとを、皇朝みくにさまよこどりして、一部いちぶ淫書いんしよつゞりなせり。そが脚色きやくしき里見さとみうしいんえん淫果いんぐわそのむくひ、かの佐勢姫させひめ名詮めうせん自性じせう赤縄ゑにしいとつなあはせし、女悦によえつ道具だうぐのりんのたまかず百八ひやくはち煩悩ぼんのういぬにひかれて足曳あしびきの、富山とやまおくのそのおくの、ぐつとおくまでおしこまれ、アレモウどふもの喜悦よがりごゑ人畜にんちく有非うひへだてはあれどいんやうじやうかわることなく、かわらぬ女夫めおとほら住居ずまひ、そのうけやつを、宿やとしたる珎説ちんせつ竒話きわを、其儘そのまゝ生捕いけどるちやうす本手ほんてどだい淫犯とぼしかくるは、れい自己おのれ好色すきみち。まだ淫本このほん發端あらばちゆゑ開場はじめすこしかたけれど、二編目にどめあたりは和々やわ/\とよい塩梅あんばい濡場ぬればのしうち、村雨丸むらさめまる業物わざものを、さやをはづしてうちふる信乃しの濱路はまぢ受身うけみにびつしよりと、おほひかゝりし吐淫といん水氣すゐき、こつてりとしたところまで追々おひ/\かけますれば、退屈たいくつなくらん」のほど幾重いくえにもこひねがふと、夜職よなべねや屏風びやうぶうちから口序かうぢよめかしてのぶるものは

      東都とうと淫情本いんじやうぼん一家いつかの元祖ぐわんそ
      妻戀つまごひ淫士のいんし野交庵やかうあんの主人あるじ

慕々ほぼ山人さんじん乱亭らんてい伊呂文いろぶみ\ ◇[印]

   草木くさきす\さらぎのころ\ぴん/\ふでをおやかして

佐勢身させみ八開傳はつかいでん 二編

佐勢身させみ八開傳はつかいでん第二編だいにへん
大淫たいいん交合いちぎかくると、老子らうし妙言めうげんむべなるかな。婬朋いんぼう・イロノトモ慕々ほゝ山人さんじんかつ東都とうどこひおかに、野合庵やがうあんてふ淫室いんしつをかまえ、かの風來ふうらいなへまら淫逸傳いんいつでんとだいとして、この發顕傳はつけんでんつゞりなせり。そが文章ぶんしやう淫微いんびあるや、ほか色欲しきよく愛情あひじやうもつぱのべうちほつ菩提ぼだい勸懲かんちやうをこめり。そも/\式部しきぶ源氏物語げんじものがたり李卓吾りたくご金瓶梅きんぺいばいごとき、和漢わかん一對いつゝい淫書わじるしにして、おもて錦繍きんしゆうだいすれども、こゝろ淫乱いんらん脚色しくみおほかり。それかくれたるとあらはれたると、いづ潔白けつぱくなるべきや。慕々ぼゝ先生せんせいをして、紫姫しき卓吾たくご筆冠かみたらしむ。嗚呼あゝ乱亭らんてい一家いつか風調ふうちやうじつ戀情本れんじやうぼん親玉おやだまたゝへん。看官みるひと十把しつぱひとからげに」味噌みそくそとをこんずることなかれと云云うん/\

  戀岱れんたい淫士いんし龍陽友けつなかま
  外桜田そとさくらだいろ男子おとこ

喜婦亭のあるじ\淫里しるす

五月雨さみだれまたぐらの\びしよ/\しめる夕辺いうべ


佐勢身させみ八開傳はつかいでん 三編

八開傳端像 序詞
いろこのまざらむおのこは玉のさかつきそこなしとならひがおかはしはいへりけるにやとほくてちかきはこのみちなからひにて楽しくうれしきもまた男女おとこおみなちきりぞかしおのれそのむつひことのさまを清女せいちよふてのすさび」には似るへうもあらざめれどまくらさうしてふとちふみにものしかつ今様いまようさへくわえて方の好人すきひとにさつくるもならびかおかまくらならへし雛形ひなかたにもならざめやとのうはこゝろにぞ有けるかくいふはいろみち底抜そこぬけよはばれぬるつま戀の淫士いんし
閏皐月季旬

慕々散人戯記 ◇

※「閏皐月季旬」は「安政4年閏5月下旬」。中本3編3冊。〔安政4年刊〕2月・5月・閏5月〔序〕。「佐勢川茶子画」(外題)〔品川屋久助板〕。後ろ表紙の意匠は「五七桐紋に源氏香」(国文研本〈3編欠〉と架蔵本の3編に残存している)。これが「品川屋久助」が別本で用いているものであることから品川屋板であると推定される。錦絵風摺付表紙、見返と口絵とには重摺りを施す(後印の内田本には省かれている)。外題「佐世身八開傳(初編・貳編・三編)」、見返題「させみ八開傳(初編・二編・三へん)」、序題「佐勢身八開傳させみはつかいでん前編ぜんぺん叙・佐勢身八開傳させみはつかいでん第二編だいにへん序・八開傳端像 序詞」、内題「佐勢美八開士させみはつかいし前集・佐勢身八開傳させみはつかいでん二編・佐勢身八開傳させみはつかいでん三編」、尾題「佐勢美八開仕させみはつかいし前集ぜんしう終・佐勢美八開傳させみはつかいでん二編終・佐勢身八開傳させみはつかいてん三編大尾」と初編と2、3編の間で微妙に差異が見られる。さらに、前編は1丁当り10行で、ほぼ総ルビに近い中本型読本風の板面を持つが、挿絵にも本文が入り込んでいる。一方、2編以降は1丁当り11行で文字も小さくかなり振仮名が省かれていて切附本風の板面である。これらのことから、初編と2、3編の間で出板に関する若干の方針変更が行われたものと思われる。なお、摸写した図版が入れられた孔版による翻刻本が存す (禾口庵文庫蔵)

本作は比較的丁寧な八犬伝の改作であり、登場人物名にそれらしい工夫を凝らした上で、以下の通り、原作の名場面を挙げて八犬士を全員登場させ、大団円まで筋を運んでいる。上に章題、中に「登場人物名」など、下に〔場面〕を記してみた。

第一章だいいつしやう 煩悩ぼんのう犬櫻ざくら「里見淫婦いんぷのいふ好核よしざね佐勢姫させひめ淫果いんくわ〔発端〕
第 二 章だい に しやう 若木わかぎ鎗梅やりうめ金勢かなまら大好だいすき鴈高かりたか、妾 玉章たまづさ、訥平、如是畜生春心発動」
第三章だいさんしやう 富山とやま白桃しらもゝ「慕大和尚、りん玉」〔八玉飛散〕
第四章だい し しやう 武蔵野むさしの篠芒しのすゝき逢塚あふつか、信乃、濱路、好六すきろく核篠さねさゝ、村雨丸」
第 五 章 豊島としま紫陽花あぢさいとぼしさほ二郎、子上しがみ宮六きうろく濡手ぬれて与倍二よばいじ
第 六 章 離別わかれ釣〓つりしのぶ「額蔵」〔濱路クドキ〕
第 七 章 磨羅塚まらづか節瘤松ふしこぶまつ「犬山道穴とうけつ〔円塚山〕
第 八 章 みだざき勺薬しやくやく
第 九 章 交流閣かうりうかく河原かはら撫子なでしこ「成氏、横取よことり鴈村かりむら、犬飼現八が妹おのぶ」
第 十 章 入江いりえ角力取草すもひとりぐさ「古那屋文五兵衛、小文吾、ぬひ、房八、妙開めうかい〔古那屋〕
第十一章 新女山二もと「音根、曳手、一夜、荘助」〔荒芽山〕
第十ママ 猫塚の天蓼またゝび「赤岩一角、犬村角太郎、雛衣ひなきぬ、舩虫」〔庚申山〕
第十三章 石濱いしはま男郎花をとこへし馬加まくはり大記だいき常武つねたけ、開牛楼、情野なさけの、犬坂毛野」〔対牛楼〕
第十四章 滑川なめりかはつぢはな〔舩虫最期〕
第十五章 舘山たてやま八千代やちよ椿つばき好田すきだ権頭ごんのかみ素藤もとふじ、妙ちん、里見好道よしみち
第十六章 八開士はつかいしねやはな

また、八犬女についても全員の名前が挙げられており
犬江親兵衛仁 幾世姫いくよひめ   犬村大角禮度  壽喜姫すきひめ
犬川荘助義任 核姫さねひめ   犬坂毛野胤智  都美姫つひひめ
犬山道節忠知 玉門姫たまのとひめ   犬塚信乃戌孝  木遣姫きやりひめ
犬飼現八信道 代鴈姫よがりひめ   犬田小文吾悌順 小壺姫こつぼひめ

という具合に成っている。また、中編の巻末に興味深い記述が見られる。

妙開めうかいハ、さしも貞女ていぢよをとりし賢造かたそうが、いかなることにや、ふと小文吾こぶんごこゝろしたひ、てもさめても、面影おもかけの目にさへぎりてわすられず、おもきついひよらんと思へど、さすがとしにはぢ、こゝろでこゝろに異見いけんすれど、煩悩ぼんのういぬさりやらず、ねや灯火ともしびかきたてゝ、貸本屋かしぼんやから内々ない/\で、かりおいたる」29オ讃極誌さんごくし淫書わしるしを、くちのうちでよむうちに、れい慕々ぼゝ山人さんじんふでをふるひ、画工ゑかき丹精たんせいつくしたるどりに、おもはず心浮こゝろうかれ……2編29丁


この手の艶本が貸本屋の手を経て流通していたことは知られているが、自作の『讃極誌』の書名を挙げていることから、本作より『讃極誌』が先に出されていたものと推測出来る。

なお、近世以来、八犬伝を艶本化したテキストは多く見られ、現代になっても、鎌田敏夫『新・里見八犬伝』上下(角川文庫、1984年)などがある。この本は角川映画の原作とは別本であるので注意(?)が必要。

木曽きそ開道かいだう旅寐廼手枕たびねのたまくら(序題)

【画賛】

野狐菴賛
ねがはくは紅粉房みじまひへや\の明鏡めいきやうとなつて\きみ嬌面きやうめんを\わかたん
ねがはくは釣衣桁つりいかうの\輕羅けいらとなりてきみが\細腰さいえうにつかん
うかれこゝろ\とられしたまよそも\させるかさしの\はなまふてふ

【序】

木曽きそ開道かいだう旅寐廼手枕たびねのたまくら序 [珎宝子]
邯鄲かんたん旅亭りよてい一睡いつすいに、五十年の淫樂いんらくきはめし、盧生ろせいが夢のもうさうは、枕頭ちんとう片時へんしのちよんの間にして、懇丹こんたんつくす一冊に、六十九つぎかずをとりしはすなはち作者が的書あてがきなり。そが道路みち/\たはむれたるやとまりとまりの旅舎はたごやに、假寐かりねゆめのかけながし、傀儡女めしもりをんなはしとつうえたるときはらこやし、おしくらの醜女おたふくも、ひもじいをりにまづいものなし。あるは相宿あいやど女連をんなづれに、夜這よばひ先陣駈せんぢんかけをあらそひ、くすり功能こうのうには、宇治川うぢがはむかしをしのび、雪隱せつちん立交たちどり人目ひとめせきとざしれて、武藏野むさしのとぼそをあけよ、あなくさの、こいもこもれり、こひもこもれり、とのへらずぐちにや浮世うきよは色のたび妹背いもせへだつる山々には、艶書つけぶみはしをわたし、こい重荷おもに意馬いばくるしめ、そつとしのんであいの宿しゆく更行ふけゆくかねにまつ並木なみきあれば、取持とりもち手引てびき立場たてばありきみをおもへば歩渡かちわたりの、あさい川ならひざまでまくりふかくなるほどおびとく色慾國しきよくこく二筋道ふたすぢみち木曽きそ掛橋かけはしならなくに、いのちをからむつたかづらは、男女なんによ痴情ちじやうをいひたるならん嗚呼あゝ
  によつさりと辰の夏六

妻戀淫士 慕々山人題◇

【口絵】

はづかしと\ありしをけして\我影に\わかれて\君にあふそ\うれしき\ 焉馬
慕々ぼゝ山人さんじん腎水じんすいへらして枕草紙まくらさうしつゞ枕草紙まくらざうしさくはなか/\やすくは出来できません。毎日まいにちうなぎと玉子とたけり丸をもちひなければあごはいだて。「先生せんせいチト仮宅かりたくへでもお出掛でかけなすつて一ト珍宝ちんぼう振出ふりだしてからかなけりやおからだつゞきますめへ。
〔扁額〕「野〔慕〕庵」、〔本箱〕「枕文庫・淫本乱書・艶道通鑑・不器用又平畫帖」、〔掛軸〕「元祖不器用又平画」


※安政3年6月序。中本1冊草双紙体裁。板心「木曽」。山本本は8オ「熊谷」まで存。完本は未見。白倉敬彦『絵入春画艶本目録』に拠れば「一妙開芳人画」。各宿場毎に一場面を設けた艶本の一形式である道中物の木曽街道版。書誌事項未詳ながら翻刻本が存する(日文研)。また、福田和彦『枕旅木曽街道六十九次』(浮世絵グラフィク4・5、KKベストセラーズ、1991)に不完全ながら翻刻紹介がある。

仇戀あだなこい端唄はうた忍音しのびね

端唄十二景叙はうたじふにけいぢよ
春雨はるさめ爪弾つめびき、しつぽりぬる枝折しをりとなり、我物わがもの小聲こごゑおき巨燵ごたつ指人形ゆびにんぎやうみちびゆきとものどきかせて、屏風べうぶこひ仲立なかだちとなり、玉川たまがはふしをまはしてみづにさらせし、ゆきはだあはすなんど、悉皆しつかい音曲おんぎよく餘澤よたくにして、はななら囲女かこひもの泥水どろみづすむ賣婦くらうと、いづれか端唄はうたこのまざらん。されば小唄こうたとくには、たけき」侠婦おてんばこゝろをあぢにし、おに女房にようぼ鬼神きじんさへ、ちよつとうかるゝみづ調子でうしかの二上(にあが)リ二丗にせ三丗さんせと、本調子ほんてうし本音ほんねいだすも、所謂いはゆるよみ歌澤うたざはなるべし
柳巷りうかううら河岸がし情談泊じやうだんぱく慕談ぼだんいとま歌妓舎げいしやや端唄はうたを、かべしにきゝながら、塵紙ちりがみふんでそめて、當即ぶつゝけ題個しるすもの
    筆頭幇間ひつとうのはふかん

當垣あてがき慕文ぼぶん記[慕々散人]

※中本1冊。當垣慕文作、婦多川情水画。摺付表紙、見返、序の背景、口絵は色摺。内題下「色念人娘壺述」、本文は中本型読本風で挿絵中にも本文が書き込まれている。
口絵第1図「淺草」、第2図「不忍しのばず」、第3図「向島むかふじま」、第4図「亀戸かめいど」、第5図「高輪たかなは」、第6図「日本橋にほんばし」、第7図「吉原」、第8図「芝居町」、第9図「愛宕あたご」とあり、それぞれに「かふもり」「しのぶこひぢ」「ひとよあくれば」「ひとこゑ」「ながきよ」「かつら川」「こひし/\」「いろがある」など相応しい端唄が附されている。
内題「仇戀端唄の忍音あだなこいはうた しのびね」の脇に「色中しきちう深情しんじやう別品べつぴん風味ふうみ」とある。序文でも『古今集仮名序』を踏まえていたが、冒頭も「およそいきとしいけるものいづれかうたこのまざらん當時いま哥沢うたざはながれにひにはびこり再々さい/\新撰しん文句もんくにははなをならす囲女かこゐめ泥水どろみづすむ賣婦くろうとたちこゝろをとらかしおに女房にやうぼ鬼神きじんをもつまみぐひする好色者こうしよくものその女好ぢよこうとみづからよびおんなれば手當てあたまかだれでもこひ淫蕩いんとう放逸ほういつすきこそもの上手しやうずにておんなたらしの物好ものずき……」とある。趣向としては、端唄本を沢山出している魯文の自家薬籠中のものであった。

淫篇深閨梅いんへんしんけいばい前輯

深閨梅 自序
いろづくうめ未開紅みかいこうは、また手入ていらずの木娘きむすめにや。なぞらぶへく、やりうめえだぶりは、によつきりとしたいきほひあり。さればうめが香をさくらにうつしやなきえたさかせたらんは、吾妻あづまぢよらう長嵜ながさきの、衣裳いしやうせ、花路みやこ揚屋あげやあそべるにくらへん。その情欲しやうよく栄花えいくわゆめに」肝膽かんたんくだくまくら双帋さうしは、花盗人はなぬすびと西啓さいけいが、一斯いちご觀樂くわんらく一世いつせ荒淫くわういんよそ色香いろかおりとりて、こかねかめ手活ていけ仇花あだばな、そがおこなひもよしあしの、うめの難波なには物語ものがたりを、鎌倉山かまくらやま星月夜ほしづきよに物うひ土筆つくしのふでのさき暗記あんきまゝなるあてがきにあつたらかみつひやすこと笑画はらひゑ美女びぢよをながめてふんどしけがたぐひにひとし。しかはあれども此道このみち淫乱いんらんなるをいかにせん 浴室ゆやのぞい流板ながしをうらやみ、玉門ちやんこなめたしながめたし」と、痴情ちしやうのぶ二本にほんほうならふ事ならあけくにうまれていつまでもとおもひをはきだすしつぶかも、情態しやうたいすべ相類あひおな嗚呼あゝ男根まらかしやアがるとそゞろに微笑びせう

 春心しゆんしん發動はつどう得手物えてものたつのとし/によき/\如月によつき

小男鹿たをしかの/妻乞つまごひ淫士いんし/ 閑人かんじん漫記

淫篇深閨梅いんへんしんけいばい後輯

淫編深閨梅いんへんしんけいばい後輯序かうしうのちよ
梅花はいくわひらい春心しゆんしんはつし、黄鳥くわうちやうない艶情ゑんじやうさかんなり。さればとしうちより春心いろづきだまされてさくむろうめしのびて一夜ひとよ鴬宿梅おふしゆくばい、そのやみみちびきかほりゆかしきねやうめ新鉢あらばちうゑをむざんにも手折たおるこひ花鋏はなばさみ莞尓こつこりうめ笑画わらひゑやなぎまね好者すきしや看官けんぶつ去歳こぞのつほみの封切ふうきり今年ことしひら深閨梅しんけいばい第二輯だいにばんのむしかへし、諸冊しよふみ春画しゆんくわさきがけしてもとめたまへとねがふになん

 まどうめを/すゝりいけにうつしとめて 乱亭のあるじ/ 慕々山人戯述◇


※中本2冊。序文から前輯は安政3刊、後輯は4年刊。立命館ARC本2本(落丁や破損あり)も国文研本も1冊に合綴してあり、後輯の摺付表紙は未見。表紙と見返以外は墨摺で口絵を備える。本文は切附本風で挿絵中には仮名で書き入れがある。題名が『金瓶梅』をかすめているのは当然として、「淫編」が冠されていることから、馬琴の長編合巻『新編金瓶梅』(天保2〜弘化4)を典拠としていることは容易に推測できる。その内容は「西門屋啓十郎」と淫婦「阿蓮」に月下菴の尼「妙潮めうちやう」が配されて「武太郎」「妙汐めうせき」の殺害に及ぶ、さらに「阿蓮」は「秘事松」と通じて西門屋の財産を横領するが「武松たけまつ」に復讐されるという筋立てに適宜濡れ場が書き込まれたものである。啓十郎・阿蓮の淫蕩奸智に対して、武二郎・千早の正義貞節を対置するという勧善懲悪を踏まえた典拠を踏襲した構成になっている。また、「○浮吉うはきちが事此下このしも物語ものがたりなし。そが行衛ゆくへ本輯ほんしうにくわしくとけり」(後輯34ウ)などと読本めいた記述が見られるが、「本輯」が典拠である『新編金瓶梅』であることは書かれていない。つまり読者に典拠を秘匿する気は見られず、分かる人には分かるという書き方がされているのである。

〈於七|吉三〉封文戀情紋ふうじぶみこひのじやうもん 初編

封文戀情紋ふうじぶみこひじやうもん 初編序詞
ふるきもつあたらしきすは、四十しじう嶋田しまだ引眉毛ひきまゆげたこいかたるあわびを、まだ新開ていらすはまぐりと、いつぱいくわせたぐひにして、年々ねん/\歳々さい/\春画帖わしるしの、著述さく相似あいにたる男女なんによ交合とりくみ再々さい/\念入ねんいれ工風くふうこらせど、こいつは妙開めうかいあらばちだと、看官おきやく喜悦よがる趣向しゆかうなければ、むかしこひ緋桜ひさくらの、あか二布ゆもじあけうばふて、今紫いまむらさき潤色いろあげし、野暮やぼ」な模様もやう煩多しげきかりその情紋じやうもん簡要かんようなる、かんもんのみをのこしとめ、かの古開ふるばちたねとして、八百家やをやむすめ十六ぢうろく角豆さゝげてら胡椒こせう生松茸なままつだけを、ふてはじけし蚕豆そらまめの、あらたつゞ戀情本れんじやうぼんは、孩長さねなが一家いつか句調くてうかりの、玉章たまづさよぶふうぶみせつなるこひ情紋じやうもんと、おぼつかなくも呼子鳥よぶこどり古今こきん傳授でんじゆ艶道えんだう秘事ひじ和歌わか三鳥さんちやうやわらぐふみの、縁因ちなみも」あれば三帖さんでうで、全部すつぱり稿脱きをやる脚色もくろくにて、初編しよへん一冊いちばん翠簾みすかみへ、ふで胴中どうなかおしにぎりて、ぐひ/\ぐひとかくのごとし
   外題げだい由縁ゆかり文月ふみづき初旬はじめ
   妻戀つまごひ淫宅いんたく昼犯ひるどりいとま

慕々山人戯誌◇

※中本1冊。「女好楼画」(外題)。表紙・見返・序文の背景、口絵と挿絵との全てに色摺を施す極めて美麗な本。口絵第1図を左右と上に広げると口絵第2図が現れる。本文は中本型読本風で挿絵の中にも本文が入り込んでいる。敵役として高利貸「釡屋武兵衛」「油屋太佐兵衛」が登場し、「色情院小姓吉三郎」「八百屋於七」「下女於好おすき」「鳶の者土佐エ門傳吉」などが出てくるが、口絵に見られる「戸倉十内」「稲垣平馬」「吉三郎言号いゝなづけ於雛おひな」は初編には出て来ない。2編以下は未見。冒頭で、水茶屋の「おさせ」が「先刻さつき貸本屋かしほんやさんが封切ふうきりだといつてもつました封文ふうじぶみいふ中本ちうぼんよんでいたのでありますョ」といっているのが興味深い。

鼠染ねづみそめはる色糸いろいと 初編

いとぐち
それいろ種々さま%\あり。就中なかんづく鼡色ねづみいろ五色ごしきほかこのみにして、また天然てんねんいろなれば、三枝さんしれいある鳩羽鼡はとばねつみも、まよへばかぜなびくてふ、柳鼡やなぎねづみあきさりて、るはうたてき薄鼡うすねづみ、はじめはついしたころ淺荵鼡あさぎねづみおもひしも、ふかくなるほど濃鼡こいねづみ人目ひとめせきはゞかりて、たがひにしのび藍鼡あゐねづみすへはどうせう高野鼡かうやねづみと、はまりこんだる溷鼡とぶねづみ、こゝらがいろかなめにて、かのまめ盗児どろぼう烏闇くらやみに、無理むり往生わうじやう鼡鳴ねづみなきは、賽鼡まがひねづみ変色かはりいろこれ色本いろほんほかなるべし。遮莫さばれとろぼうのどろよる田染たぞめも、色はねづみなれば、はた天然てんねんいろといはんあゝ   丁巳年初春はつはるこゞろ満々まん/\たる淫水いんすい墨汁石すゞりたらして 暮朴斎述

(句読点を補った)

※中本3巻〔3冊〕。安政4年刊。国文研本は合1冊、替表紙。立命館ARC本は上巻〜中巻4丁と中巻5丁〜下巻に2分割し、袋と思しき表紙に改装されている。原表紙未見。「暮朴斉著」(内題下)、「又平画」(袋外題)。序以下、口絵や挿絵は全て墨摺。切附本風の本文で挿絵中にも本文が入り込んでいる。口絵中に「暮朴斎自題」として魯文作と思われる「つきねづみ婿入むこいりするや斎蔦よめがはぎ」「三絃さみせんをまくらにはなの木影こかげかな」「わがものにおるはうたてしうめの枝」の3句がある。本作が安政4年1月江戸市村座初演の黙阿弥作『鼠小紋東君新形ねずみこもんはるのしんがた』と密接な関係を持っていることは明らかである。実録に基づいたと記してはいるが、或いは芝居と同時期の出板を意図したのかも知れない。鼠色尽くしの戯文となっている序文を一読しただけでも魯文の意気込の程が知れる。この初編の末尾に「扨鼡小僧は、いともきびしく獄中ひとやつなとめられて刑罸けいばつせらるべきを、不測ふしきにのかれいのちまつたく、再ひ江湖よのなか横行わうぎようなし、松山まつやま再會さいくわいに及び、面白おもしろ実録じつろく珎談ちんだんあり。かつわか草伊之助の事并に三浦みうら兵部助ひやうふのすけ婬虚ゐんきやく物語ものがたりは、だい二編へん説分ときわくるを愛看あいかんあらせ玉ひねかし」とあるが、第2編は未見。

こひみなとなさけ出島でしま

こひのみなと\なさけしま序
おどりかねかけたる拍子へうしきゝむすめ馭手おてつくべきときあ〔は〕はねばかへつおやにてんてこまひをさせ大金おほがねめかけといへどもはらみこぢれる其時そのときおもはぬところえんにつくかゝれば生物なまものに」かつえて張形はりかた犯盛とぼしざかりすごしむだなへのこあき腎虚じんきよ先途せんど見届みとゞけぬもまゝにならぬは浮世うきよとはおまへとわたしうへ鹿嶌かしまなるうらなきこひてのひらにぎりて常陸帯ひたちおびむすばず陸奥みちのく錦木にしきゞもすたりて吸付すひつけ煙草たばこなかだちするときくとき戀哥こひか一首いつしゆをよむひまにしりたゝいてすびきぬるこそこひすてふほまれぞとまたらざる御世話おせわことスウ/\フウ/\ハア/\余慶よけいあせをかくことしか
 とつて二度めのおつ立しまハ万作と\しるき\ ひつじの新板

當書山人[印]」

※中本1冊。當書山人作、安政6年刊。仏国立図書館本は洋装に改装され他2本と合綴されている。摺付表紙と序文の背景と口絵8図に色摺が施され、挿絵中には草双紙風の書き入れがある。第1図「しきしま(上田島)(〔書き入れ〕「穴のなかハうづきにけりないたづらに、たゞくじりてもながれでしかな」とは本当ほんとう心意気こゝろいきんだな。「よの中にたえてしぼゝのなかりせバ、人の心ハたのしからまじ」)、第2図「宝来島(やたらじま)(この図は左右に開く折り込みで通常の見開きの倍)、第3図「湯島(大名しま)」、第4図「向嶋(五本手しま)」、第5図「佃島(関東じま)」、第6図「柳島(よこじま)」、第7図「八丈島(あゐじま)」、第8図「三河嶌(立じま)」。口絵とは無関係に思われる本文は、中本型読本風で挿絵なし。内題脇に「名代みやうだいむこむすめために是ぞ出島の砂糖さとううまみ」とある。「深圖ふかずなめる」という醜男が、従弟の「出尾だすを九次郎」という美男を代理にして、道具屋「助兵衛すけべゑ」の仲人によって持参金付の嫁「させ子」を娶ることをめぐる話柄で、最後は夢落ちになっている。

春色港入婦寐しゆんしよくみなとのいりふね初編

春色しゆんしよくみなとの入婦寐(いりふね)序
とうくてちかきものおとこ おみなみちと。清少納言せいせうなごんへ りしごとく。げに恋々れん/\情愛じやうあいは。 千里ちさとうみへたつとも。赤縄えにし にひかるゝ碇綱いかりづなこひのみなとを 目釣みあてとして。かよひくる全盛ぜんせいを。一廣開いつかうかい飯盛めしもりが。杓子しやくし ぜう規な筆頭さきに。うつしとりたる 写眞しんきやう。みな手にふれてみほ ざきの世界せかいちゞむる中の てん地。晦日の月のべつ世界。 看官疾々おはやう封切ふうきりを。直々ちき%\ 御覧らんあれかしと。一同みな/\よろしう ねがふになん

阿奈垣のあるじ慕々山人記


※中本1冊(15丁)。草双紙風摺付表紙、外題「〔春色港の入ふね〕」、大珎坊 阿奈垣主人戯編、慕々山人序、一廣開飯盛〔画〕(序文に拠る。口絵第4図中の衝立にも「飯盛」とある)、安政頃。ホノルル美術館蔵本は、表紙・序の背景・口絵に色摺を用い、本文と挿絵は墨一色。見返〜一オに序文(慕々山人)、口絵は五図(第1図、第2図「フランス」、第3図「ヲランダ」、第4図「〔ヱギ〕リス」、第5図「ナンキン」)、本文10丁(丁付ノド「いりふね一〜十」)。6図ある挿絵の周囲には本文(仮名漢字混じり)が入っている。本文の冒頭に「美代崎みよざき歓喜樓くわんきらうに五ヶこくおほ」とあり、「女郎とネルトスル(西洋人)」、「女郎と南京の乱開好らんかいこう」の濡場を見た「昆崙坊くろんぼう」の「五人組」、異人の交合とぼしに刺戟されて「胡蝶(舞子)と千代元八代やよ大夫」や「ずる吉歌妓げいしやと平助(若者)」等の濡場が描かれている。なお、初編以下は未見。


  四 結語

以上、不充分ながら魯文の艶本に関する基礎的な調査の報告を記してきた。しかし、未だに所在の知れない資料が存するし、古書目録で発見して注文したにもかかわらず入手出来なかった『春色優源氏』もある。そのような管見の範囲ではあるが、魯文の書いた艶本には明確な特徴が見られる。それは、何らかの有名なテキストを典拠として作り替えるという「抄録」という方法が用いられていることである。『南総里見八犬伝』『偐紫田舎源氏』『絵本通俗三国志』『新編金瓶梅』などという長編を抄録ダイジエストするには才能が不可欠である。抄録家として自己規定してデビューした魯文にとって、艶本は才能を発揮できる絶好のジャンルだったといい得るだろう。ではあるが、艶本というジャンル故の陳腐化という課題もあったわけで、『鼠染春の色糸』初編中巻7ウに次のように書き付けている。

作者さくしやいはく鼡小紋東君新形ねづみこもんはるのしんかたには、おたか置忘おきわすれし金包かねつゝみ与之助よのすけひろひとりて若菜屋わかなやとゞけしは、序幕じよまくいで新助しんすけが百両かたりうばはれしと同日どうじつことなれども、本編ほんへんには、新助がかたりにあひしよりまへだんとす。そも/\狂言けようげんすじかり人名ひとなうばふものから、趣向しゆこう大同だいどう小異せうゐあり。これ劇場しばゐ脚色しくみ冊子譚さうしものがたりとは、いさゝか用捨よふしやあるのみならず、まいてかゝる艶史わじるしなれば、筋違すぢちがひかつ餘談よだんおほし。假令たとへば、若菜屋わかなや下女けじよひとりは大家たいけ似合にあは無人ぶにんなり。これは、ほかにもおんなはあれども、無用むようなれば出さぬも、舞臺ぶたいうへでのみせる雑劇しばゐなればことすめど、冊子さうしにかゝる手落ておちがあらば、看官みるひとかならず打込うちこんで作者さくしやが捧をくらふべし。ゆへに本編ほんへんには、若菜屋わかなや婢女げじよ三人さんにんありとして、ことにおはんいだししは、みだりにつゞ蛇足じやそくにあらず。ねづみ小僧こぞう生涯せうがい実録じつろくらまくほりす。たゞこれ二編へん楔子たねまきのみ。

(句読点を補った)

魯文が「淫本いんほん」「艶史わじるし」や「戀情本れんじやうぼん」と表記する艶本えほんは、所謂消費される商品としての戯作に過ぎない。しかし、この所謂「実用書」にも格が存在した。半紙本の『假枕浮名仇波』は装丁も、使われている色板の枚数も格段で、当然値段も潤筆(稿料)も高かったであろう。中本でも『封文戀情紋』などは全図に色摺を施しており、これも立派なものである。本稿では「中本型読本風」とか「切附本風」と記述したが、これも本文の1丁あたりの行数や句読点の有無など、板面の格を表現したものである。精確な文字数を数えたわけではないが、途中に会話体を混えることが多い艶本の文体では、字数制限(丁数・冊数の制限)も抄録本として著述する上では大きな制約であったはずである。このような様々の板元からの要請に応じつつ、自らが書きたいように書くことは並大抵の仕事ではなかったと想像される。

ただし、誤解を恐れずにいえば、此処で艶本を書いていた魯文の〈文学性〉を問題にする必要などは決してないのである。19世紀に於ける著述業の実態の解明にとって、魯文の仕事の調査は甚だ有用なデータを提供してくれるものと思われる。消費される〈文学〉の時代は、既に19世紀に始まっていたのであるから、〈幕末開化期〉という呪縛から解放する有用で具体的な〈作家〉として、魯文は随一の存在なのである。

鈍亭時代の魯文が関わった艶本に関する基礎的な調査報告が可能になったのも、艶本が研究対象として正式に認知されつつある結果、国文研でも蒐集資料に加えられ、その所在情報が次第に明らかにされ始めたからである。日本における艶本研究は世界的に遅れをとってきたが、立命館大学アートリサーチセンターや日文研のウェッブサイトで艶本を含む資料の画像データが公開されており、また早稲田大学図書館からも近世文学の、国立国会図書館からは近代文学の原本画像データが大量に公開されつつある。その一方で、2007〜8年にフランス国立図書館が開催した「禁書展」の図録が日本の税関を通らなかった事件があった。研究の水準と税関とは没交渉のようであるが、インターネットは国境を越えてしまうわけで、一次資料の画像データ公開は歓迎すべきことである。ただ、この公開が原資料に直接アクセスする必要のある研究者を、現物から遠ざけることにならないことを祈りたい。


【追補】
未見であった魯文の艶本を羽田致格氏の御厚意によって借覧する機会を得たので、書誌事項等を追記しておく。

〔春色江戸名所〕
中本1冊、改装替無地表紙、本文裏打(「明治十三年七月廿二日出版版権届」の活版本)、 巻末に「東の初夢 上\東都 佐祢永淫生著編」(五丁)を合綴。 挿絵色摺、本文にも紅色と草色の模様を入れる。

外題「雪の朝」(後補書題簽)

春色江戸名所しゆんしよくえどめいしよぢよ
の中ハ三日見ぬに奥山の。千本ちもとさくらさかりあらそひ。 物いふ花のいき人形ハ。ふもと仮屋かりや嬋娟せんけん比競たくらぶ。まさ春宵しゆんしよう 一刻いつこくの。あたひ千金を投打なげうつハ。こゝあらずして何處いづこぞや。嗚呼あゝ張形はりかた吾嬬あづまがた戀のちまたの繁昌なる。とこの海に帆柱ほばしらをおつ立てふな ぞこまくらをきしらして幾夜寐覺ねざめたのしみは。にも鳳凰ほうわう 靈臺れいたいの。目にふるるもの一ッとして。名所ならずといふ物なし。 是ぞ所謂いはゆる日本中。一所にることはざ(〔言事〕)ならめや

  安政四丁辰弥生のはじめつ方
妻戀の淫士         

慕々山人戯誌[乱亭]


板心「江戸名所 〔丁付〕
丁付「一・十八〜三十」
構成
(一オ)、口絵第一図(一ウ十八オ)、「不忍」(十八ウ十九オ)、「湯島」(十九ウ二十オ)、 「神田」(二十ウ廿一オ)、「御茶ノ水」(廿一ウ廿二オ)、「深川」(廿二ウ廿三オ)、 「愛宕山」(廿三ウ廿四オ)、「芝神明」(廿四ウ廿五オ)、「御殿山」(廿五ウ廿六オ)
本文 1丁10行程、漢字仮名混じり人情本風
小見出し「吉原よしはら夜桜よざくら」「真乳まつち隱家かくれが」「猿若さるわか花櫓はなやくら(26ウ〜30ウ)
内題春色江戸名所しゆんしよくえどめいしよ前編ぜんへん\戀ヶ岡 慕々山人戯編」
尾題春色江戸名所しゆんしよくえどめいしよ 終」
刊記 なし
備考 24丁ウの腰屏風中に「一松齋」と在る


【付記】

本稿は国文学研究資料館で開催された「魯文プロジェクト」研究会での口頭発表に基づくものです。谷川恵一氏、青田寿美氏をはじめとして御示教賜った方々に感謝致します。また、御架蔵資料を快く提供して下さった山本和明氏、羽田致格氏、フランス国立図書館に資料の存することを御教示下さった佐藤悟氏、その閲覧に際してお世話になった小杉恵子氏、そして立命館大学アートリサーチセンターの赤間亮氏とホノルル美術館蔵リチャードレインコレクションについて御教示下さった石上阿希氏にも心より感謝致します。

なお、本稿には所在情報を含めて今後の補訂が不可欠なので、是非とも大方の御批正御教示をお願いしたい。




A Summary of "Robun's Erotic Hackworks"

With the exception of well-known texts such as "Aguranabe" 安愚楽鍋 (Sitting Cross-Legged at the Beef Pot) and "Seiyoudoutyuu; hizakurige" 西洋道中膝栗毛 (Shank's Mare to the West), studies of Kanagaki Robun's literary works are not yet advanced. Through the efforts over the last few years of the National Institute of Japanese Literature's Robun Research Group, the whole picture of Robun's literary work is only now coming to light. However, because of the lack of a proper index of archival possessions, a complete picture of Robun's many erotic hackworks from the early part of his career is not yet known. This article therefore aims to describe Kanagaki Robun's erotic hack writing as one part of his overall literary output, particularly from the years when he emerged as an author using the pen name "Dontei", based on materials I have recently discovered.

Translated by Ms.Orna Shaughnessy. I can never thank you enough.



# 「魯文の艶本」
# 「国文学研究資料館紀要 文学研究篇」第35号(2009年2月)所収
# Web版では字体やレイアウト等を変更してあります。
# 2009-06-19 補訂
# 2010-04-28 追補(〔春色江戸名所〕の追加と架蔵本画像(立命館ARC)へのリンクを貼った)
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#               大妻女子大学文学部 高木 元  tgen@fumikura.net
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