要 旨 仮名垣魯文に関する研究は『安愚楽鍋』や『西洋道中膝栗毛』など著名なテキストを除いて著しく遅れていた。この数年間、国文研で組織された魯文研究会に参加した方々の努力に拠って、魯文の文筆活動の全貌が明らかにされつつある。ところが、習作期に多作していた艶本については、その所在情報の入手が困難であったこともあり、その全体像は必ずしも見えていない。本稿では管見に入った艶本資料に拠り、作家としての出発をした鈍亭時代の魯文の文筆活動の一端を明らかにしてみたい。
一 緒言
魯文が若い時分から山東京伝や曲亭馬琴など戯作者に憧憬していたことは知られている。嘉永2年(1849)春に出した戯号「和堂珎海 改め 英魯文」披露のための所謂「名弘め配り本」である『名聞面赤本』▼1に「魯文幼なかりし時、艸双紙の終の圖の、机に掛りし作者の真似して遊びたりしに、今また作者たらん事をのぞむ」▼2との記述が見られ、この逸話もそれなりに実情を示唆したものとの想像に難くない。同書の末尾には、自ら卑下して「僕が継ぎ接ぎする狂文の、鋏仕事に古着の趣向を洗ひ張して、戯作者の手前符牒をつけんとて\英魯文\赤本の桃ならなくに我は又洗濯ものゝ名や流すらん」と記しているが、この言説に見られる「継ぎ接ぎ」「鋏仕事」「古着の洗い張り」「洗濯もの」などという表現は、既に評判になっていた作品に基づいて書く、創意工夫のない安直な抄出縮約を意味している。
これらの表現は、後の切附本の序文に頻出する「糟粕」と同義で、例えば、嘉永7年の切附本『〈八百屋於七|小姓吉三〉當世娘評判記』に「事物糟粕\赤本の桃ならなくにわれはまた洗澤ものゝ名や流すらん\鈍亭」とある▼3。安政2年『雙孝美談曽我物語』には「古人の糟粕をねぶりて、以て一口をぬらす而巳」、さらに安政3年『英名八犬士』第8輯結局には「稿成名を賣僻作者。古人の糟粕を〓〓に口を粘する門辺の痩犬」、安政4年『釋迦御一代記』初編には「他の見識ある著述家なりせば。糟粕の譏りを愧て。屡是を推辞べきに。余は元来蛇足に臆せぬ。文盲不学の白癡なれば。世の胡慮となるを思はず。速に毫をとつて」と開き直り、万延元年の『抜翠三國誌』第6輯に至っては、序末の戯名を「糟粕外史」などと署名している。
つまり、魯文は文壇デビュー当初から習作期を通じて〈嘗ての著名な戯作者の糟粕を嘗めるに過ぎない戯作者の端くれ〉という極端に自己卑下した立場を標榜し続けていたのである。しかし、安政2年『蝦夷錦源氏直垂』前編には「近頃物の本とし言ば。古人の糟粕ならざるはなし。こゝもまた時運に依るところ。拙とのみ言べからず。况て兒戲の策子をや。吾亦ふかく懸念せず。」とあり、伝統的な戯作者の口吻である「口に糊するためにする著述で所詮婦女子の慰みものだ」と謂いつつも、同時に「時運」に拠るところであるとの認識を示している。
天保の改革以降、化政期に活躍した戯作者が次々に物故してしまい「戯作者の種切れ」であるとの状況認識に就いて、例えば『〈才子|必讀〉弘化奇話』初編巻之下(弘化期、何毛呉餡内)所収「地獄之奇談」▼4では、弘化二年に亡くなった栄久(書肆栄久堂山本平吉)が地獄で京伝種彦一九春水三馬などに逢い「この節は娑婆も誠に戯作者の切れにて、先生方御引取りの後は何ひとつ本らしき物は出来申さず、偶々出来れば熱病人の譫言を言ふ様な前後乱脈の分らぬ事ばかり綴くり、その上作料ばかり欲がり候故、書肆も一統困り切て……」というと、「我々の作を洗濯して自分共が新しく仕立し様に誇る族もあれば……」と応じている。弘化期には未だ馬琴や京山が存命中で、魯文が文壇にデビューする少し前のことではあるが、天保改革後の斯様な状況認識は魯文も「時運」として共有していたものと思われる。
そもそも切附本というジャンル自体が、「讐討類、物語類、一代記物\此書は五十枚一冊読切物品々明細早分り物」(槐亭賀全『松井多見次郎報讐記』の巻末広告、吉田屋文三郎板)とあるように、弘化期以降とりわけ嘉永安政期を中心に粗製濫造された廉価な小冊子で、実録や浄瑠璃、読本や合巻などの抄出縮約を目的としたものである▼5>。さらに、〈糟粕〉と〈抄出〉という方法こそが不可欠な切附本というジャンルを主導したのが魯文であってみれば、その序文などで繰り返される自虐的に卑下した口吻を文字通り受け取るわけにはいかない。
ところで、習作期の魯文が生活と売名とのために、様々なジャンルに何でも書いていたことが次第に明らかになってきているが▼6、見逃すことの出来ない一ジャンルに艶本がある。艶本は普遍的な需要が存しているにも拘わらず、何時の時代にあっても、風紀上の理由から表向きには非合法化される特殊な商品ではあった。しかし、その故に、多少のリスクは背負うものの、板元にとっても執筆者や画工にとっても、実際のところ実入りの良い仕事であった筈である。
艶本に就いては、早くから林美一氏の先駆的な研究が備わっており▼7、それなりの蓄積はあるのだが、隠微な古書資料であり続けたことから、近年に至るまで公的機関の蒐集は多くなく、結果的に所在の知れている本は少ない▼8。このような事情から、魯文の艶本に関しても全貌は未確認ではあるが、本稿では管見に入った資料の報告を通じて習作期の活動の一端を明らかにしたいと思う。
魯文が手を染めたと思しき艶本に用いている戯号は「慕々山人」が多く、その他「妻恋隱士」「當書山人」「當垣慕文」などがあるが、「恋岱」を冠していることから湯島妻恋坂に住んで「鈍亭」と号していた習作期、つまり嘉永末年(安政元年)から安政末年に、切附本の板元として馴染みの深い品川屋などから、この種の非合法出板物を多く出して原稿料を稼いでいたものと思われる。
その特徴は、絵を見ることに中心のある草双紙を摸した春画本ではなく、所謂「読和」と呼ばれる読本風の「読むこと」に主体のある絵入本を書いていることである。また、魯文の艶本は『三国志』や『偐紫田舎源氏』など、何等かの先行する著名な作品を典拠として改作したものが多い。この特色は「抄録家」としての魯文の面目躍如であった。
魯文が「糟粕」を標榜していた習作期に艶本に手を染めたのも、方法的には切附本など大きな相違はなかったからであろう。ただ、単なる抄出ではなく艶本として改作するには、求められる性的雰囲気を醸し出すための語彙を宛字に拠って創出したり、典拠を逐語的なパロディにしたりするという戯作的なセンスをも要求されたものと思われる。この点を魯文の他作者に対する優位性として積極的に評価することも可能であると思われる。
注
▼1 国文学研究資料館所蔵本(ナ4-711)に拠る。「星窓梶葉\砂文字や野良をつくしの筆はじめ」の詞書。なお、本書に就いては『〈近|世〉列傳躰小説史』下巻(春陽堂、1897年)所収の野崎左文「假名垣魯文」と、林美一『江戸広告文学』坤(未刊江戸文学刊行会、1957年)に解題と翻刻とが備わる。
▼2 以下、本稿に於ける板本の翻字に際しては、私意に拠り適宜漢字を宛て原文を振仮名として残した上で、読点や濁点を補った。
▼3 『名聞面赤本』所収の狂歌に同じ。34ウ35オに「談笑諷諫\滑稽道場\御誂案文著作所\妻戀坂中程 鈍亭[ろぶん]」の看板と共に描かれている。以下の切附本に関する記述については拙稿「鈍亭時代の魯文−切附本をめぐって−」(「社会文化科学研究」第11号、千葉大学大学院社会文化科学研究科、2005年9月)参照。
▼4 初編中本二冊、外題は『〈才子|必讀〉當世妙々竒談』、底本は架蔵本に拠る。拙稿「感和亭鬼武著編述書目年表稿」 (『江戸読本の研究』第4章第5節、1995年、ぺりかん社)で全文を紹介している。また、山本和明「『当世妙々奇談』−翻刻と書誌」(「相愛女子短期大学研究論集」第47号、2000年)に全冊の翻刻と、同氏に拠る「叱られし人々−『当世妙々奇談』私想」(「相愛国文」第13号、2000年)という考証が備わる。
▼5 拙稿「末期の中本型読本 −いわゆる〈切附本〉について−」(『江戸読本の研究』第2章第5節、1995年、ぺりかん社)参照。
▼6 平成16〜19年度科学研究費補助金(基盤研究B)研究成果報告書「原典資料の調査を基礎とした仮名垣魯文の著述活動に関する総合的研究」(研究代表者 谷川恵一、2008年3月)、拙稿「魯文の売文業」(「国文学研究資料館紀要」34号、国文学研究資料館、2008年)など参照。
▼7 林美一『艶本江戸文学史』(河出書房、1991年、初出は1964年)、同氏『艶本江戸文学史』(河出書房、1991年、初出は1964年)など参照。
二 魯文艶本書目(稿)
○〈横櫛音海|向疵與謝〉假枕浮名仇波 | 半3冊 | 慕々山人 | 嘉永7年刊カ | 国文研〈ナ4-755〉・日文研▼9〈KC-172-Bo〉 |
○風俗讃極志 初〜3編 | 中3冊 | 慕々山人 | 安政2刊カ | BnF Richelieu EST/Paris〈Dd3031〜3033〉 |
○星月夜吾妻源氏 初編 | 中1冊 | 慕々山人 | 安政3年春〔序〕 | 愛知県立大〈市橋文庫433〉・高木 |
○淫編深閨梅 前後輯 | 中2冊 | 慕々山人 | 安政3〜4年刊 | 国文研〈ナ4-809〉、(後)〈ナ4-811〉・立命館ARC |
○佐勢身八開傳 前〜3集 | 中3冊 | 慕々山人 | 安政3〜4年刊 | 内田・服部・高木 国文研(3欠〈ナ4-683-1〜2〉)、(上)〈ハ3-114-4〉 |
○鼡染春の色糸 初編 | 中3冊 | 慕朴齋 | 安政4年刊 | 国文研〈ナ4-801〉・立命館ARC |
○〈木曽|開道〉旅寐廼手枕 | 中1冊 | 妻恋淫士 | 安政4刊 | 山本 |
○戀の湊露の出島 | 中1冊 | 當書山人 | 〔序〕安政6刊 | BnF Richelieu MSO/Paris〈Japonais 211B〉 ロシア国立図書館〈Yap.NS.59〉▼10・高木 |
○〈於七|吉三〉封文戀情紋 初編 | 中1冊 | 慕々山人 | 安政頃 | 立命館ARC |
○仇恋端唄の忍音 | 中1冊 | 當垣慕文〔序〕 色念人娘壺述 婦多川清水 | 立命館ARC | |
○春色港入婦寐 初編 | 中1冊 | 大珍坊 阿奈垣主人 一廣開飯盛〔画〕 | 安政頃 | ホノルル美術館 |
以下の△は所在不明「日本艶本目録(未定稿)」などに拠る。
△國盡戀路芝 1冊
△春色優源氏 1冊 慕々山人 一交斎情水\幾丸 元治元序
△東海道驛路の鈴口 1冊 慕々山人作 松廼大木画 嘉永頃刊(改題本「東海道五十三陰門」)
他に『椿説弓張月』の艶本が存したか。
注
三 序文と解題
◆〈横櫛音海|向疵與謝〉假枕浮名仇波 初編
仮枕浮名の仇波
西施の乳と揮号る魚は、味美なれども得て毒あり。一口もの鉄炮汁に、顋を焦す居膳の、辞退をせざるは男子の平常にて、我妻ならぬ〓喰は、重きがうへの筑广の鍋焼。河豚なうらみぞ小夜衣よさぬる夜半の肉布團、其暖味に打込では、雪の夕の寒を覚ず。片肌脱で黥刺の腕の命を忘るに至れり。嗚呼魔哉陰門玉戸と一個歎じて項を發る。陰莖の天窓をはるの夜の」枕草紙の趣向として、一本かいた禿毫、帽のまゝなる皮被、原の脚色さへしら濱の、その仇浪を題号となし、たつや浮名の世説は、彼與三郎が陽物を、挾まんこゝろの汐干狩、蟹の歩行の横櫛音海が、かはく間もなき下紐を、解てしつぽり濡事に、あれさいく夜の淫樂も、忽ちかはる修羅道場、劔の山に向ふ疵、きつても切れぬ合恍惚は、刺ども盡ぬ悪縁にして、入れたたんへが抜かりよかのんし。中興流行し童謡は、二個が痴情によくかなへり」遮莫迷ひの雲晴れば、真如の月も明らかに、照すそ則煩悩菩提、毒薬変じてくすりとなる、作者が筆の匙加減、烏犀角を薬研でおろす、形容に似寄の交合圖に、配劑なしし小工摺の、彩色美備敷製たれば、微は氣の生効験もあらんと安本丹の可道を、能書めかして誌になむ
睦月ひ女始の夕
のり初の枕下に
戀岱淫士\慕々山人伏稟[印](上巻頭)
○作者机上に毫を休めて、看官の好色諸君へ伏稟。抑爰に綴りなす淫本三巻は、専らお富が与三郎が、痴情淫楽の回を旨として、春心発動するを要とせり。故に餘事を巨細にせざれば、首尾全きことを得ず。遮莫両個の成行を、微小にても述さでは、物語の趣意を失ふなれば、巻毎の本末には、淫事に拘らぬ文も多かり。譬は繪と淫詞は花と実のごとく、前文筋書は葉のごとし。淫本の老實なるは、傾城に女今川の、講釈して聞せる」やうにて、卯月の櫻ながめ栄せず。此理を知る物から、成丈短文て此回著す。於富が海に没て後、不思議に命を全ふし、與三郎が疵愈て、再び荏土に〓〓ことなどは、三年往時三回目の淫事店の妾宅にて、二個がはからず巡會、その時の問答詞にて知り玉へと、念の為識すになん 東都戀情夲一家元祖
慕々山人 再識[印]」(中巻末)
※半紙本3巻3冊。2代目婦喜用又平画。凝った表紙の意匠で見返、序の背景や口絵と全ての挿絵にまで色摺が施され、上中巻の口絵は折り込みになっていて広げると倍の巾になる。本文は根本風で会話を交えた仮名漢字混じり。中巻の冒頭には歌沢節を書体を替えて引用している。金色まで用いており、以下挙げる中本サイズの艶本とは別格の豪華な本である。内容は題名からも容易に推測可能であるが、『與話情浮名横櫛』(嘉永6年、中村座初演)の作り替えで、嘉永7年刊か。林美一『江戸枕絵の謎』で一部分が引用紹介されており、福田和彦編『仮枕浮名の仇波』(浮世絵グラフィク7、KKベストセラーズ、1992)に不完全ながら翻刻されている。
◆風俗讃極志 初編
序詞
此頃いたう降續く、春雨の徒然なる儘に、ほころぶ梅の薫りゆかしく、我妻戀の淫居所なる。南窓うちひらき、庭の外面を見やる折しも、」垣をつたふ蚰蜒の、其形指に似たるを、腹筋陰門の如き蝦蟇の大きやかなるが床下より歩みより、口を開て呑んとするに、傍の植込の影よりも、頭は陰莖に髣髴たる、青蛇と歟呼るへびのずる/\と這出つ。彼開蝦蟇を襲はんさまにて、吐淫に等しき氣を吐かくるに、此時迄もすくみゐし蚰蜒は前に進み、二虫の間を隔るに青大蛇は是に怖れ頭を縮めて後辞去、一進一退ひよこ/\のろ/\ぬら/\として白眼あひ」埋座たる三噤は、漢土呉魏蜀三ッの國なる三個等しき英雄の戦爭にしも異ならずと、妄想に視じ三蟲の異なる形のいとおかしく、是ぞ趣向の種本と思ひ机に筆を発動し通俗演義礎題とし、例の淫書に綴らばやと初編一稿脱し畢り数員を重ねて股庫を潤さんとの計策なりしが三國志の飜案だけに、三輯位て氣をやれよと梓主よりの注文に、殘りをしさも弥増て、編足らぬながら入詰は、腎虚の種と思ふもの」から、ぐつと引抜原書の脚色、その筋張た大物と、競ものには奈良漬の、最糟臭き皮かむり、たんのうするほど行届ぬは、青い猴児の蕃椒、珍鉾だけと見ゆるし給へ
腹太鼓うつ初午ごろ大きな御利生を
突張ながら妻戀の淫士乱亭のあるじ慕々散人戯述 ◇
◆風俗讃極志 二編
風俗讃極誌第二編
謀計を惟幕の中にめぐらし、勝利を千里の外にしらすは名将勇士の常にして、交合ことを蒲団の上に行ひ、鼻息を屏風の外に洩すは、戀情淫事の持まへなり。されば傾國の一婦人には、百万の大敵も舌を巻薙刀のなりの向ふ疵に、鎗先の功名駈を争ひ、雨の箭頭に雲の楯、入乱たる闘戦には死よ/\の声かまびすし。そも春画は軍用の」最第一となせる物にて具足の櫃に入置事戰場に望敵をたいらけ勝利帰陣の砌といふとも、勇氣自然に叛上り和くこと能はされは、明日の進退自在を得ず、依て春画を披き見ればいかなる猛き武士も、心和らき笑を含むは、実に春画の徳にして、わらひ繪の名も空しからすと淫時の乱をわすれぬ為。治世の今の萬々歳まで、此ことわりを傳へんと、かき綴たり讃極志を六韜三略虎の巻とも、愛たまはらば作者の」面目、萎たる陰莖を起すに至らん
寒風〓て春心揺動く睦月の下旬
野交庵の南窓に猫の交合を見る日
東都妻戀淫士\ 慕々山人戯誌 [印][亂亭呂文]
◆風俗讃極志 三編
風俗讃極誌第三編結局序
浮屠氏も誓扶習生なければ、八相成道の化儀調はず、凡夫も戀慕愛別なくては、男女和合の情を失ふ。夫色欲は真如の導き、煩悩則ち菩提の種と、爰等を脚色の柱礎とし、讃佛乗の因縁から、此讃極誌を綴りなし、陰莖の頭を筆頭に、換て白癡を盡しゝが、三輯にして氣を洩せり。かゝる淫史の中にしも、勸懲の意を失はざるは、余が筆力の妙にして、」作者の用心爰にあり。嗚呼談何ぞ容易ならぬ、一切衆生の根本たる、彼玉門の尊き味を、知らて譏る野暮ありとも更に絲瓜の皮とも思はず、まらかしやァがると嘲る而巳
于時卯月上旬、隣家の喜悦聲を蜀魂の、初音
と交へて聞夜辺、妻戀の淫室に局を結て天上天下唯我獨身の寡漢\ 慕々山人戯題 ◇[文]
※中本3編3冊。立通亭茶之子画、表紙・見返・序の背景・口絵には色摺が施されている。2編12丁裏の挿絵中に描かれた手拭いに「岳亭」と思しき印があるので、画工は2代目の岳亭か。また、後ろ表紙には品川屋久助板と同じ意匠を用いているので、板元は品川屋かと推測される。
『三国志演義』に基づく作り替えであるが、「風俗」は「通俗」を利かせているようであるから、池田東雛亭『繪本通俗三國志』(天保7〜12年)を粉本としているのであろう。各編に付けられた章節の小見出しは次のようにある。
初編
○こんな赤縄が唐模様しつぽく料理の居膳は桃園亭の酒宴
○煩悩の犬もあるけば開に當る犯かせぎの仕事師
○大陰莖と廣開の取組は百手を砕いて揉合た戀角力
○尻尾を出した女狐が再び化た金毛白面の化粧部屋
○手管のわなと毛深い陰門へ落かゝつた魏國屋の主人
二編
○又こりずまの開盗人は虎穴に入て虎兒得る英雄の謀計
○乗て見たい腹櫓赤縄の横綱ひつぱつた伊達娘
○大若衆が新開わるで氣ざしてきたと古開は小若衆の間に合せ
○人を咒はゞ二ッの陰門に落かゝつた妾宅の惡だくみ
三編
○樂屋新道のごた付は僞男根遣ひが乱妨〓藉
○炬焼の中のころび寐は雪おろしの積る睦言
○其二 雪見にころんで只は起ぬ新開の佳肴珎味
○太皷の抜がけは見ぬふりをした密夫の返報
○息子の淫念をはらさせたいが開一ばいの後家の密會
○三方納る床の中は第三編の讃極秘
例に拠って登場人物名なども典拠に基づいて艶本に相応しく直しており、「魏國屋宗兵衛」、町唄女樂屋新道の「阿蝉」、黄金屋の遊女「角万人」 始 穴氣橋の唄女「姐已の阿多魔」、「黒江屋徳三郎(俳名柳眉)」、徳三郎の妻「阿甘」、一子「阿斗松」、徳三郎の妹「於兔馬」、黒江屋の手代「李助」、角力取「雲の戸関之助」、深草奥山の茶店女「櫻木の於香」、呉服屋孫右衛門の二男「権之助」、太鼓医者「太井陰莖」、俳諧師「臥龍菴諸葛」、諸葛妾「於智惠」、妹「於琴」、呉服屋の後家「於乱」、落語家「野面淫樂」、鳶の者「燕の張吉」、という具合である。
◆星月夜吾妻源氏 初編
星月夜吾妻源氏 初編序詞
紫姫、五十四帖の翠簾紙を費して、張形に情をうつし、佐称彦指に筆を労して、當書に人を喜悦。夫は官女が閨房の徒然、是は稗家の机上の洒落、都と田舎の差別はあれど、恋に貴賎の隔はなく、交合に異ることやはあらめ。玉門色界、開珍宝。されば浮気の春曙一刻、價千金をなげうつも、悉皆男根の業物にて、すつてんてれつく天狗面の、亀頭を持上るおかげ」ならずや。一度怒りを發すれば、ふしくれ立て筋張たる、紫色の由縁から、思ひつくえに、皮かぶりの、椎の実筆の〓をはづして、又かきかける故人の真似彦。其流躰に、いさゝかちなみて、西の世界を東へ移し、吾妻源氏の時代世話、光る君にはふさはしき、雲井に輝く星月夜、鎌倉山を東山と、やゝ附會た一夜漬。心余りて言葉足ぬは、出合に等しき寸の間なれば、人の来ぬ間にさつ/\と、初編一部とぼしたばかりで、」ろくに氣のいく事さへ知らず。まだ觜も青蕃椒珍宝亭の南椽なる、淫水の流を楽み、毛深き処に採毫。
于時男根\たつの年\春心發動の\吉旦
吾妻恋しとの給ひたる\舊跡に住る淫士 慕々山人記 [枕]」(巻頭)
巻末に次のようにある(読点を補った)。
○星月夜吾妻源氏〈初編二編三編 不残大尾出板〉
偐紫に由縁をもとめし時代模様の鎌倉御所、源家三世の淫楽得失、武ばつた中の閨房〓談、編を継巻を重ねて、追々發市の桜木に、花を咲する作者の腹稿、迷々色里、春情奇縁、輝く君になそらへたる、好色漢の所行を見ると欲する官看は、且下回の分觧を聴
板元 淫莖堂敬白」(51ウ)
柳亭種彦の合巻『偐紫田舎源氏』(初2編)を翻案したもの。表紙の意匠や口絵・挿絵なども典拠の面影を写している。表紙は白地に黄と褐色の小片を金砂子風に多数散らし、さらに空摺りで無数の横皺を施して檀紙の風趣に擬えるているが、これは『偐紫田舎源氏』のシリーズで採用された表紙の意匠である。本作は、まったくこれを模倣したもので、『偐紫』2編上冊に描かれた藤の方に摸した女性の立ち姿となっている。また、見返にあしらわれた藤の枝と石山硯(石山寺源氏の間に置かれた紫式部使用という寺宝の硯)も、『偐紫』の仮託作者「阿藤」の名に因んだものと思しく、硯は『偐紫』初編上冊の見返の意匠を踏まえたもの。
口絵第一図は「源頼朝公」と「頼朝愛妾朝霧」とを描き、「長恨歌\春宵苦短日高起」と賛を入れる。これは『偐紫』初編上冊の口絵(3ウ4オ)「桐壺の帝」「桐壺の更衣」の姿をそのまま模写したもので、ご丁寧に「長恨歌」も同様に賛として用いている。口絵第2図は衝立を隔てた「頼朝別室冨士方」と「源實朝公」と描くが、これも『偐紫』2編上冊の口絵(1ウ2オ)「足利義正の別室藤の方\藤壺の宮に比」「足利次郎光氏\光君に比」の姿を写したものである。
挿絵も『偐紫』を利用したものが多いが、特に「内室政子前黒糸と密話\同人丸社の場」(36ウ37オ)は、『偐紫』2編の挿絵(12ウ13オ)と(13ウ14オ)とを、折り返した意匠で一図にまとめたものである。斯様な工夫は本作に始まったものではなく前例もあるが、やはり凝った趣向だと云えよう。さらに手が込んでいるのは、対応する登場人物の着ている着物の意匠を『偐紫』と同様にしてあるので、政子は〔冨徽の前(弘徽殿女御)〕、冨士の方は〔藤の方(藤壺)〕、源頼朝は〔足利義正(桐壺帝)〕、朝霧は〔花桐(桐壺更衣)〕、源実朝は〔足利光氏(光君)〕、夕顔は〔昼顔(後凉殿更衣)〕という対応関係は明瞭である。これは侍女などにまで及び、黒糸は〔色糸〕、松ヶ枝は〔杉生〕、黄菊は〔小菊〕、銀杏〈刈茅〉は〔桔梗〈刈萱〉〕という具合である。
さて本文に関しても同様にほぼ『偐紫』に拠っていて、本作の人丸社での忍び会いの場面では
○跡ハ松風ふきそひて御燈の光りかげ薄くいとしん/\たる社のうち戸帳かゝげて立出る実朝ほつとばかりに吐息つき
「かくれ遊びに思はずもいち/\聞とる館の大事きのふふしきに黒糸が落せし文をひろいしも日頃信ずる神の徳ヱヽかたじけなやありがたや
トふしおがみつゝ懐より手遊の笛取出し合図とおぼしくふきならせバ供をもつれずふじの方築山の細道をめぐりてあたりを伺ひ/\
(ふじ)「実朝さまさいせんのおふみゆゑいかなる事かと氣づかわしくさいぜん植ごみに身をひそめ
(実)「サァおまちどうをバさつしながらいよ/\くわきうにせまつた大事
(ふじ)「ャ
(実)「ィャだいじないわたしのそばへおよりあそばせいまめかしい事ながら此実朝をしん実にかわゆうあなたハおぼしめすか
(ふじ)「アノ此子としたことが人の居ぬ其時ハわたしも実ハ子のあしらひおまへとても心切に母よ/\としたうものいとしうなうてなんとせう
(実)「さやうならわたくしがいたゞきたいものがある
(ふじ)「ヲヽなんなりとあげうはいな
(実)「ほかでもないお命を下さりませと抜はなす白刄の下を動もやらず
(ふじ)「ハテ死ねなら死にもせうマアさわがずとわけをしづかにいうたがよひ
(実)「ハヽァあつぱれのおんたましいそのお心にほれましただかれて寐て下さりませサヽおどろきハ御もつとも親に不義をしかくるからハ生ていぬのハ元より覚悟お命を下されと申たのハ若此戀がかなはぬ時ハもろともに
トよりそひ給へバふじの方につこりと打笑給ひ
(ふじ)「世界に女もないやうに道にそむいてわらはへ戀慕なんぞこれにハふかいやうすが
(実)「サァそのことハあからさまにハどうも今ハまうされぬ心の丈を文にかきそつとおわたしまうしませう
(ふじ)「ホンニ何から何までも利はつなお子じやと日頃からおもひがけなく今宵の仕義わたしも朝夕そなたの事ハとひつたりとよりそへバ
(実)「そんなら思ふて下さりましたかヱヽおうれしうござります
としがみついていだきしめ顔見合せて口ト口チウ/\/\トしばらくすいて実朝ハふじの方のいもじをかき分……
という次第で濡れ場へ続くわけであるが『偐紫田舎源氏』の該当箇所(第2編下冊、14ウ15オ)は、
後は松風吹き添ひて、御灯の光影うすく、いと深/\たる社の内、斗帳かゝげて立ち出る光氏、ほっとばかりに吐息をつき、「隠れ遊びに思はずも、いよ/\聞き(きゝ)とる館の大事。昨日不思議に白糸が、落せし文を拾ひしも、日頃信ずる神の徳、あらかたじけなや有難や」ト、伏し拝みつゝ懐より、手遊びの笛とり出し、合図と思しく吹き鳴らせば、供をも連れず藤の方、築山の細道を、めぐりて辺りを窺ひ/\、「光氏様、笛の音を聞いたなら、人に知らさず此社へ、忍んで来よとのお捻り文、袂へ入れ給ひしゆゑ、いかなる事かと気遣はしく、最前より泉水の、土橋を渡り身を潜め」「さア御待遠をば察しながら、いよ/\火急に迫った大事」「や」「いや大事ない私の、そばへお寄りあそばしませ。今めかしきことながら、此光氏を真実に、可愛うあなたは思し召すか」「あの此子としたことが、人の居ぬその時は、わたしも実の子のあしらひ、そなたとても親切に、母よ/\と慕ふもの、愛しうなうて何とせう」「左様なら私が、頂きたい物がある」「ヲヽ何なりとやらうわいな」「ほかでもない、お命を下さりませ」ト抜き放す、白刃の下を動きもやらず、「はて死ねならば死にもせう、仰山に騒がずと、訳を静かに言ふがよい」「はゝア、さすが祖父の御血筋、あつぱれの御魂そのお心に惚れました抱かれて寝て下さりませ。さ、さ、驚きは御もつとも、親に不義を仕掛くるからは、生きてゐぬのは元より覚悟。お命を下されと申したのは此恋が、叶はぬ時はもろともに」ト、寄り添ひ給へば藤の方、につこりとうち笑み給ひ、「世界に女もないやうに、道に背いて妾へ恋慕、何ぞこれには深い様子が」「その事はあからさまに、どうも今は申されぬ、心の丈を文に書き、そつとお渡し申しませう。なるほどこれでは尤もぢやと、思し召したら明日の夜は」「忍んで来やれ、会ふてやらう」ト、のたまふ後に聞き(きゝ)ゐる杉生、袖に隠せし雪洞を、差し出す火影に見合はす顔、はつと驚き差添の、刀背にて光氏雪洞を、そのまゝはたと打ち落とす、弾みに袂をこぼるゝ密書、杉生手早に拾ひとる、途端に山名の忍びの者、組まんと寄るを藤の方、ひらりと外して突きやるを、取つて押へて光氏が、ぐつと突つこむ氷の刃、うんとも言はず忍びの者、そのまゝそこに倒れ伏す。言葉はなくて三人ンは、別れ/\になりにけり。
(『新日本古典文学大系』に拠る)
というように、基本的には『偐紫』の本文(仮名ばかり)を適宜省略しつつ引用して漢字を宛てて書き直している。話の運びには適宜濡れ場を挿入している以外、ほぼ『偐紫』を踏襲しているが、例えば車争いに擬した章段などは全く省かれている。
なお、『偐紫田舎源氏』が多く艶本化された素材であることは、林美一『秘版源氏絵』(緑園書房、1965年)などを参照のこと。
◆佐勢美八開仕 初編
佐勢美八開傳前編叙
前に曲取主人、狗國の犬交合の古事を、皇朝の摸に横領して、一部の淫書を綴りなせり。そが脚色や里見氏の淫縁淫果其子に報ひ、彼佐勢姫が名詮自性、赤縄の絲に繋ぎ合せし、女悦道具のりんの玉、數も百八煩悩の犬にひかれて足曳の、富山の奥のその奥の、ぐつとおくまで押込れ、アレモウどふもの喜悦声、人畜有非の隔はあれど陽」陰の情かわる事なく、替らぬ女夫の洞住居、その氣を受て八の子を、身に宿したる珎説竒話を、其儘生捕居茶臼の本手を礎に淫犯かくるは、例の自己が好色の道。まだ淫本の發端ゆゑ開場は少しかたけれど、二編目あたりは和々とよい塩梅に濡場のしうち、村雨丸の業物を、〓をはづして打ふる信乃濱路が受身にびつしよりと、おほひかゝりし吐淫の水氣、こつてりとした所まで追々お眼に觸ますれば、御退屈なく御覧」の程を氣が幾重にも希ふと、夜職の閨の屏風の中から口序めかして述るものは
東都淫情本一家元祖
妻戀淫士野交庵主人 慕々山人\乱亭伊呂文\ ◇[印]
草木も芽出す\氣さらぎの頃\ぴん/\毫をおやかして
◆佐勢身八開傳 二編
佐勢身八開傳第二編序
大淫は交合に陰ると、老子の妙言宜なるかな。余が婬朋慕々山人、曽て東都の戀ヶ岡に、野合庵てふ淫室をかまえ、彼風來が痿隱の淫逸傳を礎として、此發顕傳を綴りなせり。そが文章の淫微あるや、外色欲の愛情を専ら述、内發菩提の勸懲をこめり。抑」式部が源氏物語、李卓吾が金瓶梅の如き、和漢一對の淫書にして、面に錦繍を題すれども、心に淫乱の脚色多かり。夫隱れたると現れたると、何れ歟潔白なるべきや。余は慕々先生をして、紫姫卓吾が筆冠たらしむ。嗚呼乱亭の一家の風調、実に戀情本の親玉と称ん。看官十把ひとからげに」味噌と屎とを混ずることなかれと云云
戀岱淫士の龍陽友
外桜田の好男子
喜婦亭のあるじ\淫里しるす
五月雨に股ぐらの\びしよ/\しめる夕辺
◆佐勢身八開傳 三編
八開傳端像 序詞
色好まざらむおのこは玉の杯底なしとならひが丘の木の端はいへりける実にや遠くて近きは此道の中らひにて楽しく嬉しきもまた男女の契りぞかし余其むつひことのさまを清女が筆のすさび」には似るへうもあらざめれど枕さうしてふ冊にものし且今様の繪さへくわえて四方の好人にさつくるもならびか丘の枕ならへし雛形にもならざめやとの婆こゝろにぞ有ける斯いふは色の道に底抜と呼ばれぬる妻戀の淫士
閏皐月季旬慕々散人戯記 ◇
※「閏皐月季旬」は「安政4年閏5月下旬」。中本3編3冊。〔安政4年刊〕2月・5月・閏5月〔序〕。「佐勢川茶子画」(外題)〔品川屋久助板〕。後ろ表紙の意匠は「五七桐紋に源氏香」(国文研本〈3編欠〉と架蔵本の3編に残存している)。これが「品川屋久助」が別本で用いているものであることから品川屋板であると推定される。錦絵風摺付表紙、見返と口絵とには重摺りを施す(後印の内田本には省かれている)。外題「佐世身八開傳(初編・貳編・三編)」、見返題「させみ八開傳(初編・二編・三へん)」、序題「佐勢身八開傳前編叙・佐勢身八開傳第二編序・八開傳端像 序詞」、内題「佐勢美八開士前集・佐勢身八開傳二編・佐勢身八開傳三編」、尾題「佐勢美八開仕前集終・佐勢美八開傳二編終・佐勢身八開傳三編大尾」と初編と2、3編の間で微妙に差異が見られる。さらに、前編は1丁当り10行で、ほぼ総ルビに近い中本型読本風の板面を持つが、挿絵にも本文が入り込んでいる。一方、2編以降は1丁当り11行で文字も小さくかなり振仮名が省かれていて切附本風の板面である。これらのことから、初編と2、3編の間で出板に関する若干の方針変更が行われたものと思われる。なお、摸写した図版が入れられた孔版による翻刻本が存す (禾口庵文庫蔵)。
本作は比較的丁寧な八犬伝の改作であり、登場人物名にそれらしい工夫を凝らした上で、以下の通り、原作の名場面を挙げて八犬士を全員登場させ、大団円まで筋を運んでいる。上に章題、中に「登場人物名」など、下に〔場面〕を記してみた。
第一章 煩悩の犬櫻 「里見淫婦大輔好核、佐勢姫、淫果」 〔発端〕 第 二 章 若木の鎗梅 「金勢大好鴈高、妾 玉章、訥平、如是畜生春心発動」 第三章 富山の白桃 「慕大和尚、りん玉」 〔八玉飛散〕 第四章 武蔵野の篠芒 「逢塚、信乃、濱路、好六、核篠、村雨丸」 第 五 章 豊島の紫陽花 「犯棹二郎、子上宮六、濡手与倍二」 第 六 章 離別の釣〓 「額蔵」 〔濱路クドキ〕 第 七 章 磨羅塚の節瘤松 「犬山道穴」 〔円塚山〕 第 八 章 乱れ咲の勺薬 第 九 章 交流閣の河原撫子 「成氏、横取鴈村、犬飼現八が妹おのぶ」 第 十 章 入江の角力取草 「古那屋文五兵衛、小文吾、縫、房八、妙開」 〔古那屋〕 第十一章 新女山二本柳 「音根、曳手、一夜、荘助」 〔荒芽山〕
第十一章 猫塚の天蓼 「赤岩一角、犬村角太郎、雛衣、舩虫」 〔庚申山〕
第十三章 石濱の男郎花 「馬加大記常武、開牛楼、情野、犬坂毛野」 〔対牛楼〕
第十四章 滑川の辻が花 〔舩虫最期〕
第十五章 舘山の八千代椿 「好田権頭素藤、妙ちん、里見好道」
第十六章 八開士の閨の花
犬江親兵衛仁 幾世姫 犬村大角禮度 壽喜姫 犬川荘助義任 核姫 犬坂毛野胤智 都美姫 犬山道節忠知 玉門姫 犬塚信乃戌孝 木遣姫 犬飼現八信道 代鴈姫 犬田小文吾悌順 小壺姫
妙開ハ、さしも貞女と名をとりし賢造が、いかなる事にや、ふと小文吾を心に慕ひ、寐ても覚ても、面影の目にさへぎりてわすられず、思ひ切て云よらんと思へど、さすがとしにはぢ、心でこゝろに異見すれど、煩悩の犬去やらず、閨の灯火かきたてゝ、貸本屋から内々で、借て置たる」29オ讃極誌の淫書を、口のうちでよむうちに、例の慕々山人が筆をふるひ、画工が丹精尽したる圖どりに、おもはず心浮れ……2編29丁
この手の艶本が貸本屋の手を経て流通していたことは知られているが、自作の『讃極誌』の書名を挙げていることから、本作より『讃極誌』が先に出されていたものと推測出来る。
なお、近世以来、八犬伝を艶本化したテキストは多く見られ、現代になっても、鎌田敏夫『新・里見八犬伝』上下(角川文庫、1984年)などがある。この本は角川映画の原作とは別本であるので注意(?)が必要。
◆〈木曽|開道〉旅寐廼手枕(序題)
【画賛】
野狐菴賛
ねがはくは紅粉房\の明鏡となつて\君が嬌面を\わかたん
ねがはくは釣衣桁の\輕羅となりて君が\細腰につかん
うかれ雄の心\とられし魂よそも\させるかさしの\花に舞てふ
【序】
〈木曽|開道〉旅寐廼手枕序 [珎宝子]
邯鄲旅亭の一睡に、五十年の淫樂を極めし、盧生が夢の妄想は、枕頭片時のちよんの間にして、懇丹尽す一冊に、六十九次の度數をとりしは則ち作者が的書なり。そが道路の戯れたるや泊りとまりの旅舎に、假寐の夢のかけ流し、傀儡女の箸を採て餓たる時の腹を肥し、おしくらの醜女も、ひもじい折にまづい物なし。あるは相宿の女連に、夜這の先陣駈をあらそひ、四ッ目藥の功能には、宇治川の昔をしのび、野雪隱の立交に人目の関に鎖れて、武藏野の扉をあけよ、あな臭の、屎もこもれり、戀もこもれり、とのへらず口實にや浮世は色の旅、妹背へだつる山々には、艶書の橋をわたし、戀の重荷に意馬を勞め、そつと忍んであいの宿。更行鐘にまつ並木あれば、取持手引の立場あり君をおもへば歩渡りの、淺い川なら膝までまくり深くなる程帯を觧色慾國の二筋道木曽の掛橋ならなくに、命をからむ蔦かづらは、男女の痴情をいひたるならん歟。嗚呼
によつさりと辰の夏六
妻戀淫士 慕々山人題◇
【口絵】
はづかしと\ありしをけして\我影に\わかれて\君にあふそ\うれしき\ 焉馬
○慕々山人腎水を減して枕草紙を綴る圖枕草紙の作はなか/\易くは出来ません。毎日鰻と玉子と猛丸を用ひなければ顎で蠅だて。「先生チト仮宅へでもお出掛けなすつて一ト珍宝振出してから書かなけりやお体が続きますめへ。
〔扁額〕「野〔慕〕庵」、〔本箱〕「枕文庫・淫本乱書・艶道通鑑・不器用又平畫帖」、〔掛軸〕「元祖不器用又平画」
※安政3年6月序。中本1冊草双紙体裁。板心「木曽」。山本本は8オ「熊谷」まで存。完本は未見。白倉敬彦『絵入春画艶本目録』に拠れば「一妙開芳人画」。各宿場毎に一場面を設けた艶本の一形式である道中物の木曽街道版。書誌事項未詳ながら翻刻本が存する(日文研)。また、福田和彦『枕旅木曽街道六十九次』(浮世絵グラフィク4・5、KKベストセラーズ、1991)に不完全ながら翻刻紹介がある。
◆仇戀端唄の忍音
端唄十二景叙
春雨の爪弾、しつぽり濡る枝折となり、我物の小聲、置巨燵の指人形を導き雪巴の咽を聞せて、屏風が戀の仲立となり、玉川の節をまはして水にさらせし、雪の肌を合すなんど、悉皆音曲の餘澤にして、鼻を鳴す囲女、泥水に住賣婦、いづれか端唄を好ざらん。されば小唄の徳には、たけき」侠婦の心をあぢにし、鬼の女房の鬼神さへ、ちよつと浮るゝ水調子。彼二上(にあが)リの二丗三丗と、本調子の本音を出すも、所謂讀と歌澤なるべし
柳巷の裏河岸、情談泊に慕談の間、歌妓舎の端唄を、壁越しに聞ながら、塵紙に筆を染て、當即に題個は
筆頭幇間當垣慕文記[慕々散人]
※中本1冊。當垣慕文作、婦多川情水画。摺付表紙、見返、序の背景、口絵は色摺。内題下「色念人娘壺述」、本文は中本型読本風で挿絵中にも本文が書き込まれている。
口絵第1図「淺草」、第2図「不忍」、第3図「向島」、第4図「亀戸」、第5図「高輪」、第6図「日本橋」、第7図「吉原」、第8図「芝居町」、第9図「愛宕」とあり、それぞれに「かふもり」「しのぶこひぢ」「ひとよあくれば」「ひとこゑ」「ながきよ」「かつら川」「こひし/\」「いろがある」など相応しい端唄が附されている。
内題「仇戀端唄の忍音」の脇に「色中の深情は別品の風味」とある。序文でも『古今集仮名序』を踏まえていたが、冒頭も「凡生としいけるものいづれか哥を好まざらん當時哥沢の流日にひにはびこり再々の新撰文句には鼻をならす囲女泥水に住賣婦等の意をとらかし鬼の女房の鬼神をもつまみ喰する好色者その名も女好とみづから号女と見れば手當り任せ誰でも戀の淫蕩放逸好こそ物の上手にて女たらしの物好……」とある。趣向としては、端唄本を沢山出している魯文の自家薬籠中のものであった。
◆淫篇深閨梅前輯
深閨梅 自序
色づく梅の未開紅は、また手入らずの木娘にや。擬ぶへく、氣を遣梅の枝ぶりは、によつきりとした勢ひあり。されば梅が香をさくらに移、柳の枝に咲せたらんは、吾妻女郎に長嵜の、衣裳を着せ、花路の揚屋で遊べるに競へん。その情欲の栄花の夢に」肝膽くだく枕双帋は、花盗人の西啓が、一斯の觀樂一世の荒淫、外の色香を折とりて、金の瓶に手活の仇花、そが行ひもよしあしの、うめの難波の物語を、鎌倉山の星月夜に物うひ土筆のふでの先。暗記の儘なるあてがきにあつたら紙を費こと笑画の美女をながめて褌を穢す類ひに等し。しかはあれども此道の淫乱なるをいかにせん 浴室を覗て流板をうらやみ、玉門嘗たし詠めたし」と、痴情を述る二本棒ならふ事なら夜の明ぬ國に生れていつまでもと思ひを吐だすしつ深も、情態都て相類じ 嗚呼男根かしやアがるとそゞろに微笑す
春心發動/得手物が辰のとし/によき/\如月
小男鹿の/妻乞の淫士/ 慕々閑人漫記
◆淫篇深閨梅後輯
淫編深閨梅後輯序
梅花開て春心を発し、黄鳥啼て艶情盛なり。されば年の内より春心て欺されて咲室の梅、忍びて一夜鴬宿梅、その香に暗を導て薫りゆかしき閨の梅、新鉢植をむざんにも手折は戀の花鋏莞尓梅が笑画を柳が招く好者の看官、去歳のつほみの封切を今年は開く深閨梅、第二輯次のむしかへし、諸冊の春画に魁して求めたまへとねがふになん
窓の梅か香を/硯の池にうつしとめて 乱亭のあるじ/ 慕々山人戯述◇
※中本2冊。序文から前輯は安政3刊、後輯は4年刊。立命館ARC本2本(落丁や破損あり)も国文研本も1冊に合綴してあり、後輯の摺付表紙は未見。表紙と見返以外は墨摺で口絵を備える。本文は切附本風で挿絵中には仮名で書き入れがある。題名が『金瓶梅』をかすめているのは当然として、「淫編」が冠されていることから、馬琴の長編合巻『新編金瓶梅』(天保2〜弘化4)を典拠としていることは容易に推測できる。その内容は「西門屋啓十郎」と淫婦「阿蓮」に月下菴の尼「妙潮」が配されて「武太郎」「妙汐」の殺害に及ぶ、さらに「阿蓮」は「秘事松」と通じて西門屋の財産を横領するが「武松」に復讐されるという筋立てに適宜濡れ場が書き込まれたものである。啓十郎・阿蓮の淫蕩奸智に対して、武二郎・千早の正義貞節を対置するという勧善懲悪を踏まえた典拠を踏襲した構成になっている。また、「○浮吉が事此下に物語なし。そが行衛は本輯にくわしく説り」(後輯34ウ)などと読本めいた記述が見られるが、「本輯」が典拠である『新編金瓶梅』であることは書かれていない。つまり読者に典拠を秘匿する気は見られず、分かる人には分かるという書き方がされているのである。
◆〈於七|吉三〉封文戀情紋 初編
封文戀情紋 初編序詞
故を以て新に擬すは、四十嶋田の引眉毛。蛸の生たる蚶を、未新開の蛤と、一ぱい喰る〓ひにして、年々歳々春画帖の、著述相似たる男女の交合、再々念入れ工風を凝せど、こいつは妙開あら鉢だと、看官の喜悦趣向なければ、昔の戀の緋桜の、紅い二布の朱を奪ふて、今紫に潤色し、野暮」な模様の煩多を刪、其情紋の簡要なる、肝文のみを残しとめ、彼古開を種として、八百家の娘の十六に角豆、寺の胡椒の生松茸を、喰ふてはじけし蚕豆の、新に綴る戀情本は、孩長一家の句調を鴈の、玉章と号封じ文。切なる戀の情紋と、おぼ束なくも呼子鳥。古今傳授の艶道秘事、和歌の三鳥和らぐ書の、縁因も」あれば三帖で、全部稿脱脚色にて、初編一冊翠簾帋へ、筆の胴中おし掴りて、ぐひ/\ぐひとかくのごとし
外題に由縁の文月初旬
妻戀の淫宅に昼犯の間慕々山人戯誌◇
※中本1冊。「女好楼画」(外題)。表紙・見返・序文の背景、口絵と挿絵との全てに色摺を施す極めて美麗な本。口絵第1図を左右と上に広げると口絵第2図が現れる。本文は中本型読本風で挿絵の中にも本文が入り込んでいる。敵役として高利貸「釡屋武兵衛」「油屋太佐兵衛」が登場し、「色情院小姓吉三郎」「八百屋於七」「下女於好」「鳶の者土佐エ門傳吉」などが出てくるが、口絵に見られる「戸倉十内」「稲垣平馬」「吉三郎言号於雛」は初編には出て来ない。2編以下は未見。冒頭で、水茶屋の「おさせ」が「先刻貸本屋さんが封切だといつて持て来ました封文と題中本を讀でいたのでありますョ」といっているのが興味深い。
◆鼠染春の色糸 初編
緒
夫色に種々あり。就中鼡色は五色の外の好みにして、亦天然の色なれば、三枝の礼ある鳩羽鼡も、迷へば風に靡くてふ、柳鼡の秋さりて、散るはうたてき薄鼡、はじめはついした轉び寐に淺荵鼡と思ひしも、深くなるほど濃鼡、人目の関を憚りて、互にしのび藍鼡、末はどうせう高野鼡と、はまり込だる溷鼡、こゝらが色の要にて、彼豆盗児が烏闇に、無理往生の鼡鳴は、賽鼡の変色。是色本の外なるべし。遮莫とろぼうの泥に因田染も、色は鼡なれば、将天然の色といはん歟、噫 丁巳年初春こゞろ満々たる淫水を墨汁石に滴して 暮朴斎述(句読点を補った)
※中本3巻〔3冊〕。安政4年刊。国文研本は合1冊、替表紙。立命館ARC本は上巻〜中巻4丁と中巻5丁〜下巻に2分割し、袋と思しき表紙に改装されている。原表紙未見。「暮朴斉著」(内題下)、「又平画」(袋外題)。序以下、口絵や挿絵は全て墨摺。切附本風の本文で挿絵中にも本文が入り込んでいる。口絵中に「暮朴斎自題」として魯文作と思われる「月の鼡婿入するや斎蔦」「三絃をまくらにはなの木影かな」「我ものに折はうたてし梅の枝」の3句がある。本作が安政4年1月江戸市村座初演の黙阿弥作『鼠小紋東君新形』と密接な関係を持っていることは明らかである。実録に基づいたと記してはいるが、或いは芝居と同時期の出板を意図したのかも知れない。鼠色尽くしの戯文となっている序文を一読しただけでも魯文の意気込の程が知れる。この初編の末尾に「扨鼡小僧は、最もきびしく獄中に繋き止られて刑罸せらるべきを、不測にのかれ命全く、再ひ江湖上に横行なし、松山と再會に及び、面白き実録の珎談あり。且、若草伊之助の事并に三浦兵部助婬虚の物語は、第二編に説分るを愛看あらせ玉ひねかし」とあるが、第2編は未見。
◆戀の湊露の出島
戀のみなと\露の出しま序
踊に金を懸たる拍子利の嬢を馭手の附べき時に逢はねば却て親にてんてこ舞をさせ大金を執る妾といへども孕こぢれる其時は思はぬ所へ縁につく斯れば生物に」かつえて張形に犯盛を過しむだな〓に喰ひ飽て腎虚の先途を見届けぬも儘にならぬは浮世とはおまへと私が身の上と鹿嶌なるうらなき戀も掌を握りて常陸帯も結ばず陸奥に錦木もすたりて吸付煙草が媒すると聞時は戀哥一首をよむひまに尻を敲てすびきぬるこそ戀すてふ身の誉ぞと又も入らざる御世話な事をスウ/\フウ/\ハア/\と余慶な汗をかくこと爾り
とつて二度めのおつ立しまハ万作と\しるき\ ひつじの新板
當書山人[印]」
※中本1冊。當書山人作、安政6年刊。仏国立図書館本は洋装に改装され他2本と合綴されている。摺付表紙と序文の背景と口絵8図に色摺が施され、挿絵中には草双紙風の書き入れがある。第1図「しきしま(上田島)」(〔書き入れ〕「穴のなかハうづきにけりないたづらに、たゞくじりてもながれでしかな」とは本当の心意気を詠んだな。「よの中にたえてしぼゝのなかりせバ、人の心ハたのしからまじ」)、第2図「宝来島(やたらじま)」(この図は左右に開く折り込みで通常の見開きの倍)、第3図「湯島(大名しま)」、第4図「向嶋(五本手しま)」、第5図「佃島(関東じま)」、第6図「柳島(よこじま)」、第7図「八丈島(あゐじま)」、第8図「三河嶌(立じま)」。口絵とは無関係に思われる本文は、中本型読本風で挿絵なし。内題脇に「名代聟は娘の為に是ぞ出島の砂糖の甘み」とある。「深圖嘗」という醜男が、従弟の「出尾九次郎」という美男を代理にして、道具屋「助兵衛」の仲人によって持参金付の嫁「させ子」を娶ることをめぐる話柄で、最後は夢落ちになっている。
◆春色港入婦寐初編
春色港の入婦寐
(いりふね)序
遠くて近きものおとこ 女の道と。清少納言が云へ りし如く。実恋々の情愛は。 千里の海を隔とも。赤縄 にひかるゝ碇綱。恋のみなとを 目釣として。通ひくる輪の 全盛を。一廣開飯盛が。杓子 定規な筆頭に。摸しとりたる 写眞鏡。みな手にふれて港 ざきの世界を縮むる壺中の 天地。晦日の月の別世界。 看官疾々封切を。直々 御覧あれかしと。一同よろしう 願ふになん
阿奈垣のあるじ慕々山人記
※中本1冊(15丁)。草双紙風摺付表紙、外題「〔春色港の入ふね〕」、大珎坊 阿奈垣主人戯編、慕々山人序、一廣開飯盛〔画〕(序文に拠る。口絵第4図中の衝立にも「飯盛」とある)、安政頃カ。ホノルル美術館蔵本は、表紙・序の背景・口絵に色摺を用い、本文と挿絵は墨一色。見返〜一オに序文(慕々山人)、口絵は五図(第1図、第2図「フランス」、第3図「ヲランダ」、第4図「〔ヱギ〕リス」、第5図「ナンキン」)、本文10丁(丁付ノド「いりふね一〜十」)。6図ある挿絵の周囲には本文(仮名漢字混じり)が入っている。本文の冒頭に「美代崎の歓喜樓に五ヶ國の大一坐」とあり、「女郎とネルトスル(西洋人)」、「女郎と南京の乱開好」の濡場を見た「昆崙坊」の「五人組」、異人の交合に刺戟されて「胡蝶(舞子)と千代元八代大夫」や「ずる吉(歌妓)と平助(若者)」等の濡場が描かれている。なお、初編以下は未見。
四 結語
以上、不充分ながら魯文の艶本に関する基礎的な調査の報告を記してきた。しかし、未だに所在の知れない資料が存するし、古書目録で発見して注文したにもかかわらず入手出来なかった『春色優源氏』もある。そのような管見の範囲ではあるが、魯文の書いた艶本には明確な特徴が見られる。それは、何らかの有名なテキストを典拠として作り替えるという「抄録」という方法が用いられていることである。『南総里見八犬伝』『偐紫田舎源氏』『絵本通俗三国志』『新編金瓶梅』などという長編を抄録するには才能が不可欠である。抄録家として自己規定してデビューした魯文にとって、艶本は才能を発揮できる絶好のジャンルだったといい得るだろう。ではあるが、艶本というジャンル故の陳腐化という課題もあったわけで、『鼠染春の色糸』初編中巻7ウに次のように書き付けている。
作者曰、鼡小紋東君新形には、お高が置忘れし金包を与之助か拾ひとりて若菜屋へ届けしは、序幕に出て新助が百両かたり奪れしと同日の事なれども、本編には、新助がかたりにあひしより前の談とす。そも/\狂言の筋を假、人名を奪ふものから、趣向は大同小異あり。是、劇場の脚色と冊子譚とは、些用捨あるのみならず、況てかゝる艶史なれば、筋違、且餘談多し。假令ば、若菜屋に下女ひとりは大家に似合ぬ無人なり。是は、ほかにも婢はあれども、無用なれば出さぬも、舞臺の上でのみ見せる雑劇なれば事すめど、冊子にかゝる手落があらば、看官かならず打込んで作者が捧をくらふべし。ゆへに本編には、若菜屋に婢女三人ありとして、殊にお半を出ししは、漫りに綴る蛇足にあらず。鼡小僧生涯の実録に由らまく欲す。啻是二編の楔子のみ。
(句読点を補った)魯文が「淫本」「艶史」や「戀情本」と表記する艶本は、所謂消費される商品としての戯作に過ぎない。しかし、この所謂「実用書」にも格が存在した。半紙本の『假枕浮名仇波』は装丁も、使われている色板の枚数も格段で、当然値段も潤筆(稿料)も高かったであろう。中本でも『封文戀情紋』などは全図に色摺を施しており、これも立派なものである。本稿では「中本型読本風」とか「切附本風」と記述したが、これも本文の1丁あたりの行数や句読点の有無など、板面の格を表現したものである。精確な文字数を数えたわけではないが、途中に会話体を混えることが多い艶本の文体では、字数制限(丁数・冊数の制限)も抄録本として著述する上では大きな制約であったはずである。このような様々の板元からの要請に応じつつ、自らが書きたいように書くことは並大抵の仕事ではなかったと想像される。
ただし、誤解を恐れずにいえば、此処で艶本を書いていた魯文の〈文学性〉を問題にする必要などは決してないのである。19世紀に於ける著述業の実態の解明にとって、魯文の仕事の調査は甚だ有用なデータを提供してくれるものと思われる。消費される〈文学〉の時代は、既に19世紀に始まっていたのであるから、〈幕末開化期〉という呪縛から解放する有用で具体的な〈作家〉として、魯文は随一の存在なのである。
鈍亭時代の魯文が関わった艶本に関する基礎的な調査報告が可能になったのも、艶本が研究対象として正式に認知されつつある結果、国文研でも蒐集資料に加えられ、その所在情報が次第に明らかにされ始めたからである。日本における艶本研究は世界的に遅れをとってきたが、立命館大学アートリサーチセンターや日文研のウェッブサイトで艶本を含む資料の画像データが公開されており、また早稲田大学図書館からも近世文学の、国立国会図書館からは近代文学の原本画像データが大量に公開されつつある。その一方で、2007〜8年にフランス国立図書館が開催した「禁書展」の図録が日本の税関を通らなかった事件があった。研究の水準と税関とは没交渉のようであるが、インターネットは国境を越えてしまうわけで、一次資料の画像データ公開は歓迎すべきことである。ただ、この公開が原資料に直接アクセスする必要のある研究者を、現物から遠ざけることにならないことを祈りたい。
【追補】
未見であった魯文の艶本を羽田致格氏の御厚意によって借覧する機会を得たので、書誌事項等を追記しておく。
〔春色江戸名所〕
中本1冊、改装替無地表紙、本文裏打(「明治十三年七月廿二日出版版権届」の活版本)、 巻末に「東の初夢 上\東都 佐祢永淫生著編」(五丁)を合綴。 挿絵色摺、本文にも紅色と草色の模様を入れる。
外題「雪の朝」(後補書題簽)
序
春色江戸名所序
世の中ハ三日見ぬ間に奥山の。千本の櫻盛を争ひ。 物いふ花の生人形ハ。麓の仮屋に嬋娟を比競ぶ。將に春宵 一刻の。價千金を投打ハ。爰に有ずして何處ぞや。嗚呼張形の 吾嬬形戀の港の繁昌なる。床の海に帆柱をおつ立て舩 底枕をきしらして幾夜寐覺の樂みは。実にも鳳凰 靈臺の。目に觸るもの一ッとして。名所ならずといふ物なし。 是ぞ所謂日本中。一所に寄ることはざ(〔言事〕)ならめや
安政四丁辰弥生のはじめつ方
妻戀の淫士
慕々山人戯誌[乱亭]」
板心「江戸名所 〔丁付〕」
丁付「一・十八〜三十」
構成序(一オ)、口絵第一図(一ウ十八オ)、「不忍」(十八ウ十九オ)、「湯島」(十九ウ二十オ)、 「神田」(二十ウ廿一オ)、「御茶ノ水」(廿一ウ廿二オ)、「深川」(廿二ウ廿三オ)、 「愛宕山」(廿三ウ廿四オ)、「芝神明」(廿四ウ廿五オ)、「御殿山」(廿五ウ廿六オ)。本文 1丁10行程、漢字仮名混じり人情本風
小見出し「吉原の夜桜」「真乳の隱家」「猿若の花櫓」(26ウ〜30ウ)内題「春色江戸名所前編\戀ヶ岡 慕々山人戯編」
尾題「春色江戸名所 終」
刊記 なし
備考 24丁ウの腰屏風中に「一松齋」と在る
【付記】
本稿は国文学研究資料館で開催された「魯文プロジェクト」研究会での口頭発表に基づくものです。谷川恵一氏、青田寿美氏をはじめとして御示教賜った方々に感謝致します。また、御架蔵資料を快く提供して下さった山本和明氏、羽田致格氏、フランス国立図書館に資料の存することを御教示下さった佐藤悟氏、その閲覧に際してお世話になった小杉恵子氏、そして立命館大学アートリサーチセンターの赤間亮氏とホノルル美術館蔵リチャードレインコレクションについて御教示下さった石上阿希氏にも心より感謝致します。
なお、本稿には所在情報を含めて今後の補訂が不可欠なので、是非とも大方の御批正御教示をお願いしたい。
A Summary of "Robun's Erotic Hackworks"
With the exception of well-known texts such as "Aguranabe" 安愚楽鍋 (Sitting Cross-Legged at the Beef Pot) and "Seiyoudoutyuu; hizakurige" 西洋道中膝栗毛 (Shank's Mare to the West), studies of Kanagaki Robun's literary works are not yet advanced. Through the efforts over the last few years of the National Institute of Japanese Literature's Robun Research Group, the whole picture of Robun's literary work is only now coming to light. However, because of the lack of a proper index of archival possessions, a complete picture of Robun's many erotic hackworks from the early part of his career is not yet known. This article therefore aims to describe Kanagaki Robun's erotic hack writing as one part of his overall literary output, particularly from the years when he emerged as an author using the pen name "Dontei", based on materials I have recently discovered.
Translated by Ms.Orna Shaughnessy. I can never thank you enough.